『いきもののきろく』初日舞台挨拶

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3月7日(金)テアトル新宿
原案&主演永瀬正敏さん、ミズモトカナコさん、井上淳一監督が登壇。
司会は井上監督


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井上監督 ではさっそく。11年・・・こんな日が来ましたね。みなさんいろんなところでご存じだと思いますが、2013年の暮れにこの映画を撮って、すぐ年が明けて2014年2月に映画を企画したシネマスコーレで上映して以来です。当時はなかなか47分の映画を単独で公開できる環境になくて、公開できずにいました。まさかこんな風にテアトル新宿で満席のお客さんの前で上映できる日が来るとは思っていませんでした。

永瀬 監督、司会もやられて。(会場笑)

井上 僕が監督をやると誰も司会を別に用意しない(笑)。いろんな人に「書くより喋るほうが得意だろう」って言われるんです。

永瀬 本日はありがとうございます。(拍手)
ほんとに監督のご尽力と・・・テアトル新宿さんが空けて上映していただいて感謝しています。何より今日来ていただいたみなさんに感謝申し上げます。ありがとうございます。

ミズモト ミズモトカナコです。今日はお越しくださいましてありがとうございます。12年前の私いかがだったでしょうか? こうして皆さんの前で上映ができてすごく幸せです。11年間、井上監督が上映する機会をずっと考えていてくださったことが私も嬉しくて、そしてこうやって実現するということが何よりもすごいことだなと思っています。今日は短い時間ですが、皆さんと共有できたらと思います。よろしくお願いします。(拍手)

井上 ミズモトさんこの時は、京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)の学生さんだったですよね?

ミズモト そうですね。22・・・

井上 いち。この前計算したら21でした。(笑)

ミズモト まだ大学生でほんとに芝居の「し」の字もわからないような小娘だったんです。当時の記憶が正直あんまりなくて・・・でも撮影が、皆さんが暖かくてフォローしていただいた記憶が大きかったです。プロとしての仕事もほとんどしていないような私に、一人の俳優として接していただいて。それが当時は有難いことだと理解していなかったんですよ。今こうして上映されることになって、当時のことを思い返してみると、それはいかに素晴らしい環境だったのかということをあらためて感じました。

井上 僕たちほんとに低予算で作ってるので、「気ぐらい使わないと」ってだけなんです(笑)。
パンフレットにも書いてあるんで、ぶっちゃけて言いますと撮影4日なんですよね。
ちょっと話が逆になりますが、出てくる工場を永瀬さんとロケハンで偶然見つけたとき、廃工場だと思ったら操業している鉄くず工場で、休みの日しか撮れなかったんです。12月の27から30日でした。寒かった~。あの雪ほんとですもんね。

ミズモト はい。あのときだけチラッと。良かったですね。あれは。

井上 最初からいうと、2013年の4月に永瀬さんと作った『戦争と一人の女』が公開になって、僕の師匠の若松孝二が作った名古屋シネマスコーレに舞台挨拶に行ったんです。1回目の舞台挨拶が終わってお昼ご飯に食べに行ったら木全支配人が永瀬さんに「今度短編映画撮るんだけど、監督しない?」って言ったんです。

永瀬 はい。

井上 あんかけスパゲティ食べながらですけど。

永瀬 「無理です」って言いました。

井上 すぐ答えてね。そのままやめりゃ良かったのに、永瀬さんが「出るだけならいいです」って言っちゃって(笑)。

永瀬 井上監督で、って。

井上 僕が。でもそういうことはこのまま終わるだろうと思った。で、2回目の舞台挨拶が終わって外に出たら車が用意されてて、そのままロケハンに連れていかれたという。

永瀬 僕、40何年やってますけど、一番段取り良かった(笑)。スムーズで。

井上 「青春ジャック」ご覧になった方わかると思うんですけど、東出さんが演った木全さんですからね。普通そんな段取りがいいわけがない(笑)。そして鉄くず工場に行って、永瀬さんが持ってたカメラで写真を撮りまくって。そのまま僕は名古屋の実家に残って、今度は愛媛のシネマルナティックへ行くのに夜行バスに乗ったら、永瀬さんから(ガラケーに)メールでこのプロットが届いた。

永瀬 散文を監督にまとめていただいて。

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井上 当時3・11から2年と2ヵ月くらい経ったころ。それを読んだら、東日本大震災のことが色濃くにじんでいました。その時は永瀬さんといちいち話さなかったんです。今回、パンフレットの座談会とかで永瀬さんといっぱい話すことになったら、やっぱり震災後、半年くらい経って被災地に入ったときの思いが一番大きかったという。

永瀬 そうですね。具体的にではなかったですけど、「思い」はそこにちゃんと置いて。そこで出逢った方々や見聞きしたことばとかが浮かんできて。僕たちはミュージシャンの方たちと違って、すぐに何かをできないじゃないですか。

井上 そう。ギターだったり歌だったりね。

永瀬 心に寄り添えるんですけど、僕らなんにも役に立たないなって。でも被災地の人たちにね、「何かを残してください」って言われた言葉がずーっと胸にあって、それが出たって感じでした。

井上 この中ではオミットされていますけど「瓦礫、瓦礫っていうけどみんな生活の一部だったんだよ」っていうのも永瀬さんが実際に聞かれた言葉だったんですよね。

永瀬 お爺さんがご自宅であろうところを片付けされていて、話しかけたらもうばーっと。皆さん同じ境遇なので、弱音とか吐露できないんですね。

井上 みんなおんなじ喪失があるわけですから。

永瀬 だから僕みたいな部外者には話してくださって、そのときに「みんな瓦礫、瓦礫っていうけどよ。これは大事なもんなんだよ。生活の一部だったんだよ」っていう言葉が強烈に残って。それが胸に焼き付いて、書かせてもらったというか。

井上 もう1個だけ。ラストの非常にシンプルな「こんにちは」「こんばんは」「ありがとう」などの挨拶も撮影中に永瀬さんが急に「あそこでやろう」と言ったものです。そのときの体験が大きかった?

永瀬 そうですね。「昨日まで”おやすみ”って言えたのに、今朝まで”行ってらっしゃい”って言えたのに、言えなくなっちゃったんだよ」って言うのがまた深くこう突き刺さりまして。そんなシンプルな言葉を普通に言えないことの悲しみがずーっと残って。
この映画はほとんどセリフがなくて字幕しかないんですけど、シンプルなその思いをこめられれば、という風に思ったんです。

井上 セリフがないので録音部がいなかった。カメラマイクで僕がとったんですよ。

ミズモト 狭いところでとりましたよね。

井上 そうそう。外をバイクが通ってて、「信号が赤だからやろう!」みたいな。

永瀬 そうだったか。手作り過ぎますね。すごいですね。

井上 手作り過ぎますよ。ミズモトさんが最初僕たちと会ったときに、非常にアマチュア感で驚いちゃったんですよね。大学と変わらないと。

ミズモト あのう良い意味で!(笑)安心したって感じがしました。プロの現場でも「思い」が一番にあって動いてる現場なんだと。商業的な映画だと、もっと次元の違うビジネス的な感じとそのときは思っていたんです。でも井上監督の現場では、根本は一緒なんだと、どれだけ規模が大きくなろうが「映画を作りたい」「こういう想いを届けたい」という根底は一緒なんだと確認、体験できてすごく安心しました。嬉しかったです。

井上 規模は大きくはなかったんじゃないですかね?(笑)

ミズモト いえいえ、永瀬さんがいらっしゃいましたし。

井上 それを言うと、永瀬さんが我々に合わせてくれてた。

永瀬 いや、昔僕は「某」林海象監督(笑)と東大駒場寮が壊されるというので、短編を撮ろうと集まったことがあったんです。そのときに「某」大学の映研の方々が、同じところで撮影されていて、あまりにも機材がすごくて唖然としたことがありました。僕ら何もない、大丈夫?むこうすごい!(笑)

井上 学校の機材だから、あるんです。向こうは。だって、実はこの映画の撮影機材、全部そこにある宝塚大学の映像メディア学科から借りたんです。(笑)なんなら、ダビングもそこでやってますから。
主題歌のPANTAさんが生で歌ってくれると言ったときに、僕たち「今チャイムが鳴ったから、これからしばらく鳴らない!」とやってましたから。

ミズモト そのへんは各大学と一緒かも。

井上 また戻しますけど、撮影前に(被災後の)石巻に行かれていたんですよね?

ミズモト 大学一年生の冬、大学の先輩のお父さんが石巻の高校の校長先生で、そこで京都でやった舞台を体育館でやらせていただきました。そこでは言葉にできない苦しさがあって、携帯を持っていても写真なんか1枚も撮れなかったし、目に焼き付けなきゃいけない、という気持ちが強かったです。「ゴジラ」というタイトルのポップな舞台だったんですが、これを見てどう思われるんだろうとプレッシャーもありました。反応はとても良く、明るいものだったという印象でした。被災地の人たちは逞しく乗り越えようとしていると感じて、逆にパワーをもらって帰った記憶があります。
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井上 永瀬さんのプロットから僕も震災のことを読み取って・・・そのままシナリオにできるんですけど、僕も何か仕事しなきゃまずいだろうと考えて(笑)。この男はなぜここで筏を作っていて、なぜ女は来たんだろう?その「なぜ」の部分を足していこうと思いました。
ご存じの方も当然いると思いますが、黒澤明監督の『生きものの記録』という映画があります。『七人の侍』という大傑作を作った翌年に撮るんですよ。ちょうどそのころ世界各地で水爆実験ががあって第五福竜丸事件が起こったりします。「放射能に殺されるのがいやだ」という三船敏郎が家族から孤立して、静かに狂っていく話。三船敏郎が狂わずにそのまま生きていたら、どうなるんだろう?このシナリオをプロデューサーの片嶋一貴に見せたらすっごいボロクソに言って、「お前このシナリオ救うには、『裸の島』(新藤兼人監督)にするしかない」って。ずっとセリフないんです。セリフなくなったんですけど、短編だし。
この台本もらってどうでした?ミズモトさん。セリフのないシナリオ来ちゃった! みたいな?

ミズモト どう・・・どうだったかな?

永瀬 ずいぶん前だしね。

ミズモト びっくり半分、あっセリフ喋らなくていい!って気楽になったような。今だったらその大変さがわかってどうしよう~となると思うんですが、当時は軽い感じのノリでした。

井上 なるほど。

ミズモト でもセリフはカッコ書きで何を喋っているのかはわかる。

井上 昔の無声映画みたいに、そこはやろうと思ってた。

ミズモト もし喋ったら何と言うんだろうか、ほんとに喋らないのか、実際口は動いて会話できているけど音はとられないのか、アドリブ的なことを求められるのかしらと、考えました。

井上 永瀬さんは自分のプロットがセリフのない映画として戻ってきて、どうでしたか?

永瀬 素晴らしいアイディアの映画だと思いました。
自分が具体的に書かなかったこともあるんですけど、限定されちゃうかも、と。日々暮らしているといろんなことが起きるじゃないですか。そういうことに置き換えられる「何か」になればいいなぁと思っていましたので。そこに言葉を入れていただけるように、そう観ていただけるように僕たち頑張らなきゃいけないなぁと思いましたね。

井上 ほんとにね、セリフなしの映画で良かったと思っています。最後にカギカッコだけのところがあるので、エックスでそのカッコの中にみなさんが何か入れられるように、永瀬さんと漠然と話しています。ちょっとお待ちください。

永瀬 みなさんのカギカッコの中。

井上 それぞれにね、ある。
今日はQ&Aでなく、こういう挨拶にさせていただいて、明日はティーチインでいきますので。

永瀬 手を変え品を変え・・・

井上 11年目の『いきもののきろく』あのときにそのまま公開されていたら、あの瓦礫、瓦礫といわれるものは「3・11の後」にしか見えなかった。残念なことにその後、熊本地震があり、能登地震があり、大きな水害があり、火災があり。戦争でいえばミャンマーやウクライナ、ガザがあり。非常に大きなものの後に見えるんです。公開されることで見返して古びていないと思ったんです。映画としては幸運だけど、世の中としては不幸じゃないですか。
ミズモトさん何かありますか?今この映画を観てもらうことで。

ミズモト そうですね。そういう意味ではこの物語を観て、どれに当てはまるか? 何が身近に感じるか? 
人それぞれだと思うんですけど、幅広くよりたくさんの人に観てもらえていろんなものを感じてもらえる映画になっていると思います。自分の中の傷と照らし合わせたり、思いを共有したりできたらと思います。

永瀬 いいことなのか、悪いことなのかっていうのはありますけど、僕たちは作品として残すことしかできないので。残した作品を観ていただける。そして初めて「映画」になるということでは、残せてよかったかなと思っています。大きいことじゃなくて、小さなことでも。
僕3日くらい調子良くなくて、ずっと部屋にこもっていたんですけど・・・地味ですか?(笑)監督とミズモトさんに会って、すかり元気になりました。日々いろいろありますから、そういうことを乗り越える、半歩でも進む「何か」になってもらえるといいなという思いはあります。
(井上監督の『いきもののきろく』シャツを見て)

永瀬 作ちゃったんですか?

井上 作っちゃったんですよ。

ミズモト かっこいい!

井上 僕もひとこと言っていい?
この映画、最初に出る言葉は「時代はサーカスに乗って」というPANTAさんの歌で「どこからでもやり直しはできるだろう」。例えば震災で誰かを失った人を目の前にして「いやいや、どっからでもやり直しはできるだろう!」と肩叩いて絶対言えないわけですよ。これを「喪失と再生の物語」と大きく括ってしまうと陳腐になってしまうかもしれない。ただ大きなことを抱えたときに、「やり直しできるかもしれない」というのが、フィクションの唯一できること、責務みたいな感じがして。お二人のおかげで非常にうまくできました。一人でも多くの方に見てもらいたいと思っています。
こうやって舞台挨拶をやると、俳優と監督が出てきますけど、実に多くのスタッフの力でできています。絶対に呼ぶなと言われているんですけど、特撮監督の石井良和さん、編集の細野優理子さんがいるので、みなさん石井さんと細野さんに拍手を。(会場から暖かい拍手)

「配給と宣伝もやってたくさんお金がかかかるので」と井上監督からグッズの紹介、「ずるいよね」と言いつつ、「サインします」とご協力をお願い。
ここよりフォトセッション。カメラマンとのやりとりで会場を沸かせる井上監督。

(ほぼ書き起こし・まとめ:白石映子 写真:井上監督提供)


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(撮影・MIOKO)

★新宿テアトルシネマにて上映中
ほか全国順次上映
舞台挨拶に全国駆け巡ります。情報をお確かめください。
http://www.dogsugar.co.jp/ikimononokiroku/
☆当日のスタッフ日記はこちら

『Brotherブラザー 富都(プドゥ)のふたり』ジン・オング監督オンライン・インタビュー

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第1回Cinema at Sea沖縄環太平洋国際映画祭にて撮影

世界各地の映画祭で高く評価され、感動の嵐を巻き起こした『Brotherブラザー 富都のふたり』がついに日本公開になりました。監督は、プロデューサーとして社会的弱者やアイデンティティの問題を扱ってきたマレーシアのジン・オングが務めています。身分証を持たないために社会の底辺で生きていかざるを得ない兄弟の姿を描いた感動作です。ジン・オング監督に初監督を務めることになった経緯やこの作品に籠めた思い、映画人としての思いについてオンラインでお話をうかがいました。

【あらすじ】
マレーシアの首都クアラルンプールのプドゥ地区のスラムで兄弟のように暮らすアバン(ウー・カンレン)とアディ(ジャック・タン)。耳の不自由なアバンは市場の日雇い仕事で糊口をしのぎ、アディは裏社会と繋がり危なげな日々を送っている。ふたりには身分証明書(ID)がなく、真っ当な職に就けないばかりか、公的サービスを受けることも銀行口座をつくることもできない。トランスジェンダーのマニー(タン・キムワン)が何かとふたりを気にかけ、NGOのジアエン(セレーン・リム)がID取得のため奔走している。そんなある日、ジアエンがアディの実父が見つかりID取得の道筋がついたとの知らせをもたらす。だが、アディはなぜかそれを頑なに拒否し、ジアエンを突き飛ばしてしまう。

出演
兄アバン:吳慷仁(ウー・カンレン)台湾
弟アディ:陳澤耀(ジャック・タン)マレーシア
マニー :鄧金煌(タン・キムワン)マレーシア
ジアエン:林宣妤(セレーン・リム)マレーシア

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*監督プロフィール*王礼霖(Jin Ong)
1975年6月19日生まれ。マレーシア出身。
ムーア・エンタテインメント代表。プロデューサーとして「分貝人生 Shuttle Life」(17)、『楽園』(19)、『ミス・アンディ』(20)などを手掛けてきた。特に「分貝人生 Shuttle Life」は2017年の上海国際映画祭アジア新人賞部門で高く評価された。『Brotherブラザー 富都のふたり』は彼にとって念願の監督デビュー作となる。

◆プロデューサーから監督へ

――この映画の構想はいつくらいからあたためていたのでしょうか。
監督 2019年からです。まず監督としてマレーシアをベースにした作品を作りたい思いがありました。主人公は労働者階級で身分の低い兄弟にし、彼らがどういう状況・環境の下で生きていくのかフィールドリサーチを重ねていく中でどんどん固まっていきました。

――当初からご自身で監督しようというお気持ちだったのですね。
監督 2018年に大病を患って初めて死を近くに感じ、やり残したことはないか自問自答し、映画監督になる夢を思い出しました。そして、快復後はその夢の実現に向かって行動しようと思ったのです。

――それでプロデューサーは他の方を探されたということでしょうか。
監督 そうですね。今回プロデューサーは李心潔(リー・シンジエ)さんに依頼したのですが、もとから知り合いだったわけではなく、ただ彼女のことはマレーシア出身で中華圏でも活躍されているので名前は存じ上げていて面識はありました。彼女にその知名度を生かして生まれ故郷に貢献したい考えがあるという話を小耳にはさみ、未経験同士同じ思いで作品を作ろうということになり、プロデューサーとして加わってもらいました。

――リー・シンジエさんは、日本でも出演作が何本も公開されている女優です。出演もしてもらおうとは思いませんでしたか。
監督 最初はそういう考えがあったのですが、彼女が「プロデューサー業は初めてなので二足の草鞋ではなく職を全うしたい。(出演については)自分ではなくもっとポテンシャルのある若手にチャンスを与えたい」と。彼女は経験豊富な役者なので、現場に来たときには若手にアドバイスなどをしてくれました。

――脚本執筆段階で苦労されたことなどはありましたか。
監督 アイデアがあっても脚本化にはたいへんな専門性を要すると感じました。独善的にならないようプロデューサーからもたくさん意見をもらい、いろいろな人とディスカッションをしてブラッシュアップしていきました。映画は2時間しかないのでそこにあらゆる課題やテーマを盛り込むのは不可能。作品として成立させるため如何に取捨選択をしていくかが大変でした。

――初稿から削ぎ落した部分も多いのでしょうか。
監督 最終的なものは第3ヴァージョンで、だいぶ違う展開になりました。マレーシアのいろいろな社会問題を欠かせない背景としていて、それらはこの兄弟によって浮き彫りになります。しかし、その問題が実際に解決されているかどうか答えを出す必要はないのです。重要なのは、こういった残酷な現実世界で兄弟が互いを愛する気持ちや支え合う気持ちを諦めずに生きているということ、そこにフォーカスしていきました。

――この兄弟を支える存在としてマニーがいます。マニーをトランスジェンダーに設定した理由をお聞かせください。
監督 作中で考えてほしいテーマに身分や自己受容といったセルフ・アイデンティティの問題があります。プドゥにはさまざまな人がいて、例えば外国人労働者。その中には違法滞在の人もいますし、合法滞在でも過酷な労働環境の下でなんとか生きています。軽視されがちな存在であるトランスジェンダーもいます。実際にそういった人々が住んでいますから登場させました。そうすることで自己受容やアイデンティティについて考える枠を広げ、作品にもう少し力を与えられるのではないかと考えました。

――兄弟もマニーもすごくいいキャラクターで引き込まれますね。
監督 多くの観客が鑑賞後に涙を流してくださるのは、皆さんの心にも愛があるから残酷な状況下でも愛を諦めない人たちへの共感共鳴があるのだと思います。

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◆血の繋がりを超えた兄弟の絆

――撮影中に特に大変だったことをお聞かせください。
監督 ひとつ挙げるとしたら、やはり手話ですね。台湾とマレーシアでは手話の構成が全く違うことに後から気づきました(注:アバンを演じたウー・カンレンは台湾の俳優)。なので、兄弟役のふたりはかなり長い時間を手話の習得に費やしました。僕自身、手話が映画の中でこんなにも張力を持った言葉になるとは思いもよりませんでした。というのは、手話は往々にして我々が使用している自然言語(注:日常的に使用している話し言葉等)に比べてより簡潔になっています。如何に自然言語のように手の動きが見えるか、感情を指先に宿せるかというところでかなり役者と研究を重ねました。
あと、撮影現場で大変だったのは、カットをかける度にすべてのスタッフにティッシュを配って回らなければならなかったことですね。特に、最後の弟が兄に会うシーン、兄が自分の生活はそんな簡単ではないと強く訴えるシーン。そういった重要なシーンはカットをかける度にスタッフ全員が涙をポロポロ流していました。

――補聴器が壊れて手話だけのやり取りになるという、あそこは秀逸だと思いました。
監督 じつは、兄が自分の生活がいかに大変か訴えるシーンは最初のセリフから大幅に変わりました。撮影は順撮りで、そのシーンを撮る前に2週間の撮影があり、そこまでで積み重ねてきたものを踏まえた上でどうしたらより説得力を持たせられるか。そのことを撮影するタイミングで話し合って(セリフ等を)変えようという話は最初からしていましたが、セリフを変える度にウー・カンレンさんは手話を学び直さないといけないのでかなり苦労されたと思います。

――兄弟愛というものの、よくよく考えるとこのふたりは血の繋がった兄弟ではありません。しかし、本当に血の繋がった兄弟よりも強い絆で結ばれているという印象を受けます。そのあたりはいかがでしょうか。
監督 プロデューサーとして「分貝人生 Shuttle Life」や『ミス・アンディ』の中で血の繋がりのない人々が血縁を超えた中で如何に繋がることができるかという表現を試みました。そこからの流れと、僕自身の当事者としての経験があります。僕は1999年に一外国人労働者として台湾に行き、たったひとりで日々辛い思いをしていました。当時はフィリピンから来た外国人労働者と寝泊りをしていて、僕が人生で最も苦労したこの時期に自分を最もケアして温かさを与えてくれたのは、自分とまったく出自が違うフィリピンの人でした。そういう実体験もあります。血の繋がりを超えて互いを思いやる可能性については、引き続き探索していきたいと思っています。

――この一年間、この映画で世界各地の映画祭を回られたと思うのですが、それぞれの反応はどうでしたか。
監督 実際に回ってみて、人種を超えて兄弟の愛というものは人類共通だと感じました。欧米、特にヨーロッパですね。多くの観客が劇場を出るときに泣きながら僕をハグしてくれました。忘れられなかったのはポーランドで、父子で観に来てくれて、父親が見終わって「今年僕が観た中でもっとも美しい作品だ」と言ってくれました。また、イタリアでもあるカップルが涙をポロポロ流しながら感動したと感想をずっと話してくれました。言葉や人種を超えて共鳴共感できるものがある、そういう点では非アジア圏での印象が強く残っています。

――各地の国際映画祭では監督おひとりで登壇されたのでしょうか。
監督 宣伝で役者と一緒に行ったのは香港と厦門です。上映後のQ&Aで覚えているのはシンガポール・マレーシア・台湾ですが、特にマレーシアのQ&Aとメディアの反応は僕たちも目から鱗が落ちましたね。マレーシアは多民族国家で、特にマレー系の人々は中華系に対して必ずしも友好的ではありません。けれど、この兄弟を多くのマレー系の人々が愛すべき存在として捉えて質問してくれたり、ゆで卵を互いの頭で割るシーンを真似てくれたりしました。そういった反応を見ると、マレー系の人々もマレー人を演じた非マレー人にも民族や出自を超えたシンパシーを感じることができるのだと映画を通して実証されたように思います。

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◆マレーシアの映画人として

――監督として、またプロデューサーとしてずっと社会的弱者を扱った映画を送り出してこられました。その意義をどうとらえてらっしゃるのでしょうか。
監督 僕は中級階級の出身で、映画に出てくる兄弟よりも健康的で幸せに暮らせています。でも、自分が容易に手に入るものが異なる運命を背負った彼らの手には入らないことも目の当たりにしてきました。僕が長年仕事をしてきて思うのは、映画というのはストーリーテーリングをする上でとても有効的なメディアだということ。このメディアを介して、人々の関心が届かない市井で生きる人々――社会的弱者と言われる人々にはさまざまな生き辛さがありますが――その生き辛さをただ赤裸々に伝えるのではなく、彼らがどういった感情を抱いて生活しているのかということを、映画に携わる者として作品化していきたいと、それを信念として持っています。

――現在、特に関心を持っているテーマはありますか。
監督 マレーシア社会における難民と外国人労働者について、もう少し掘り下げていきたいと思います。もうひとつのプロジェクトとして、トランスジェンダーの人々ですね。性についても引き続き学びながら作品にできたらと思っています。

――監督のキャリアを拝見すると台湾との仕事が多いようですが、何か理由はあるのでしょうか。
監督 台湾は自分に映画作りのノウハウを教えてくれた所で、映画人としての原点であることは言うまでもありません。台湾は自由民主の地としていろいろなストーリーを描く上でほとんど制限がなく自由に作品をつくることができる得難い環境だと思っています。多くの友人がいて、台湾でプロダクションを設立したときも先輩方に手助けやご指摘をいただき、そうした温かい環境が僕を育ててくれました。今までの仕事の流れとして、台湾でインスパイアを受けたアイデアをマレーシアに持ち帰って発展させてきましたけれど、今後はもっといろいろな立ち位置でマレーシアと台湾のインターナショナルな共同作業ができるような、そういった懸け橋的なこともできたらと思っています。

――どうもありがとうございました。


(写真・取材:台湾影視研究所・稲見公仁子/写真はオンラインインタビュー時他、本邦初上映となった第1回Cinema at Sea沖縄環太平洋国際映画祭にて撮影)

台湾影視研究所の『Brotherブラザー 富都(プドゥ)のふたり』ジン・オング監督記事 https://note.com/qnico_mic/n/n4ce57094ea25


『満ち足りた家族』ジャパンプレミア チャン・ドンゴン&ホ・ジノ監督登壇!

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いよいよ1月17日からの公開を前に、昨年行われたジャパンプレミアでの舞台挨拶の模様をお届けします。

2024年11月20日(水) 18:30~
場所:TOHOシネマズ 六本木ヒルズ スクリーン7


登壇者:チャン・ドンゴン、ホ・ジノ監督
MC:新谷里映


MC:2023年秋のトロント国際映画祭でのワールドプレミアを皮切りに、約1年間で20以上の映画祭で入選する快挙を達成しました。韓国では10月に公開され、大ヒットを記録しています。この度、ジャパンプレミアでの来日となりました。
それではゲストの皆様にご登場いただきましょう。韓国を代表する俳優チャン・ドンゴンさんと、本作の監督と務めましたホ・ジノ監督を、どうぞ拍手でお迎えください。

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チャン・ドンゴン(以下ドンゴン):こんばんは。チャン・ドンゴンです。(ここまで日本語で)久しぶりに作品を持って日本のファンに直接会えて嬉しいです。たくさんの関心をお寄せいただきありがとうございます。

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ホ・ジノ監督(以下 監督):こんばんは。お会いできて嬉しいです。チャン・ドンゴンと一緒に挨拶できて嬉しいです。

MC: 2023年のトロント国際映画祭を皮切りに世界の映画祭を回り、今回のジャパンプレミアが日本でのお披露目となります。お気持ちをお聞かせください。

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ドンゴン:初めて上映したトロントでは評判がよく、文化の違いがあるにもかかわらず、たくさんの良い評価をいただき安心しました。日本の観客の皆様が本作をどう観てくださるのか、とても楽しみでワクワクしています。

監督:トロントで初めて上映されたのですが、私の作品の中で一番たくさん映画祭に招かれた作品となりました。韓国での公開後の評判も予想以上によかったです。日本の観客の皆さんがどのように見てくださるか楽しみです。

MC: 『危険な関係』以来のタッグを組んだ作品となりましたが、感想をお聞かせください。

監督:5~6年ぶりと思ったら、12年ぶりにこうしてまたチャン・ドンゴンと組むことができました。現場はとても楽しいものでした。いろいろ話して一緒に作り上げていきました。
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ドンゴン:『八月のクリスマス』を観て、いつか一緒にと思っていた監督と『危険な関係』を撮りました。オール中国ロケでした。今までに出会ったことのない新しいスタイルの演出で苦労もしましたが、ご一緒して興味深く楽しい現場でした。俳優をリラックスさせてくださって、粘り強く俳優のことを理解してくださる方です。 
15年ほど前に、東京ドームで、恥ずかしいのですが韓流四天王の催しがあって、監督がディレクションを務めてくださいました。
今回オファーをいただいて、シナリオを読んで、これまで自分は殺し屋やゾンビのような非現実的な役が多かったのに、今回は現実身のあるキャラクターで興味を惹かれました。ホ・ジノ監督が演出されるときいて、素晴らしい作品になると確信しました。
(長い発言の通訳を終えたことに対して)オツカレサマデシタ(と日本語でねぎらうチャン・ドンゴンでした)

MC: ヘルマン・コッホの原作「ザ・ディナー」を映画化しようと思った理由をお聞かせください。

監督:原作の小説は、4回目の映画化となるのですが、これまでの3本がどれも素晴らしいものでしたので、韓国で映画化するのをためらいました。何度も自分のシナリオを読み返すうちに、今まで作ってきたものと違うものを込められるのではないかと思いました。これまで男女の愛を描いてきましたが、今作は韓国の社会問題も表現できて挑戦になると思いました。
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MC:原作との大きな違いですが、兄弟の職業は韓国を反映したものでしょうか?

監督:医師と弁護士は、韓国の皆さんがより身近に感じるものと思いました。医師は学生も憧れる尊敬する職業。弁護士を含めて法律家は尊敬を集める職業です。

MC:道徳的で善良な医師は、チャン・ドンゴンさんにぴったりの役でした。

ドンゴン:シナリオを読んだときに惹かれた理由の一つに、現実にいそうだと。道徳的でボランティア活動もしていて、とてもいい人だというキャラクターなのですが、隠れた本性もあって、演技でも、表面的なものだけでなく、隠れた弱点を出していくという楽しさもあると思いました。
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MC: 残念ながらお時間となりました。最後に一言ずつお願いします。

監督:ご覧いただいて楽しんでいただけましたら、まわりの方にPRよろしくお願いします。

ドンゴン:韓国ではすでに公開されています。いろいろなところで舞台挨拶をさせていただいたのですが、ある劇場の壁に「映画の中で答えを出している映画は、劇場で観終わったらそこで終わるけれど、質問を投げかける映画は、映画を観終わったところから始まる」と書いてありました。この作品は観終わった後に、皆さんにいろいろなことを考えさせる映画だと思います。どうぞ考えを巡らせてください。意味のあることを考える時間になると思います。どうぞお楽しみください。

★フォトセッション★
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取材:景山咲子



満ち足りた家族   原題:보통의 가족  英題:A NORMAL FAMILY
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(C)2024 HIVE MEDIA CORP & MINDMARK ALL RIGHTS RESERVED
監督:ホ・ジノ(『八月のクリスマス』)
出演:ソル・ギョング、チャン・ドンゴン、キム・ヒエ、クローディア・キム

2024年/韓国/109分/シネスコサイズ/5.1ch
字幕翻訳:福留友子
提供:KDDI 配給:日活/KDDI
公式サイト:https://michitaritakazoku.jp/
★2025年1月17日(金) 全国ロードショー




『子どもたちはもう遊ばない』 モフセン・マフマルバフ監督インタビュー 

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詩と共に生きる私たちイラン人は、
2+2は4じゃないと思っています。
国民的に論理的じゃないのです。


モフセン・マフマルバフ監督の『子どもたちはもう遊ばない』 と、娘ハナ・マフマルバフ監督の『苦悩のリスト』が、2本同時公開されるのを機に、モフセン・マフマルバフ監督が来日。 お話を聞く機会をいただきました。
前回、モフセン・マフマルバフ監督が来日されたのは、『独裁者と小さな孫』の公開にした2015年10月のことでした。
『独裁者と小さな孫』インタビュー

取材:景山咲子




ヴィジョン・オブ・マフマルバフ

『子どもたちはもう遊ばない』 
監督:モフセン・マフマルバフ
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(C)Makhmalbaf Film House
エルサレムの旧市街を彷徨うモフセン・マフマルバフ監督。
長年続くイスラエルとパレスチナの紛争に解決の糸口はあるのか・・・
作品詳細は、こちら

『苦悩のリスト』
監督:ハナ・マフマルバフ
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(C)Makhmalbaf Film House
2021 年 米軍撤退~タリバン再侵攻。
恐怖政治から逃れようと空港に殺到する人たち。
ロンドンにいるマフマルバフ監督は、芸術家たちを救い出そうと奔走する・・・
作品詳細は、こちら

配給:ノンデライコ
企画:スモールトーク(ショーレ・ゴルパリアン)
公式サイト:http://vision-of-makhmalbaf.com/
★2024年12月28日(土)よりシアター・イメージフォーラムにて



◎モフセン・マフマルバフ監督インタビュー 
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― ようこそまた日本にお越しくださいました。9年があっという間に過ぎました。 
映画を拝見して、エルサレムで暮らす人たちが、平穏に暮らしたいと願っているのに、それが実現しないことを監督も人々も憂いていることをずっしり感じました。
私は、1991年5月に10日間ほどイスラエルを旅したことがあって、エルサレムの町の独特な雰囲気を懐かしく思い出しました。まだ分離壁もなくて、和平が近いかもという時期でした。

◆目の前に舞い降りてきたアフリカ系パレスチナ人のアリ

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(C)Makhmalbaf Film House

― 偶然出会われたというアフリカ系パレスチナ人のアリ・ジャデさんは、私の思い描くパレスチナ人とは全く違うキャラクターでした。素敵な出会いだなと思いました。

監督:ほんとにそう思います。 アリを私の前に座らせてくださったように思います。

― 神様が贈ってくださったのですね。

監督:いろいろな人とバザールで話したのですが、アリの前に行って、しゃべっている話にびっくりしてカメラを回しました。ほんとに偶然でした。

― まさに神様の思し召しですね。アリさんには映画をご覧いただいたのでしょうか?

監督:はい、送って観ていただきました。感謝しますと、お礼を言ってきました。


◆イスラエル建国前を知る温和なユダヤ人に登場いただいた

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(C)Makhmalbaf Film House

― ユダヤ人のベンジャミン・フライデンバーグさんは、先祖代々暮らしてきた家系で、イスラエル建国前にパレスチナ人と交流してきたお祖父さんやおじさんの話を聞いて育った方です。ご自身もパレスチナ人と交流されています。そのような経歴の方を紹介していただくようにお願いしたのでしょうか?

監督:イスラエルには二つのタイプの人がいます。過激な人と、そうでない普通の人。普通の人の中でも、昔からあの地に住む人を探してもらいました。アリとのバランスも考えました。

― ベンジャミンさんはもの静かで、ユダヤ人の「鷲鼻で狡猾」というイメージとは全然違いました。

監督:以前にイスラエルで『庭師』(2012年)を撮った時に、40人位のユダヤ人と40人位のアラブ人と知り合いました。皆、静かな方で、ネタニヤフがイスラエルを代表している顔でもないし、ハマスもパレスチナを代表しているわけではないです。


◆もっと1948年のパレスチナの悲劇を知ることのできる映画を!
― 1991年にイスラエルを訪れた時、1泊目に泊まったテルアビブの海沿いのホテルの窓の下に、大きなモスクが見えて、行ってみたら、囲いがしてあって、取り壊しが決まっていることがわかりました。かつては、その大きなモスクに集まるほど大勢いたムスリムが、この地を追われたことを思いました。
イランのセイフォッラー・ダード監督が、1994年に作った『生存者』(原題:bazmandeh)という映画を数年前にみました。1948年にイスラエルが建国されて、そこに暮らしていた人たちが、かつてはユダヤ人とも交流していたのに、ムスリムもクリスチャンも追い出されたことが描かれている映画でした。ユダヤ人のホロコーストのことが描かれた映画はたくさんあって、「ユダヤ人の悲劇」が、映画を通じて私たちの心に深く刻まれています。一方、パレスチナの人たちが、住み慣れた地を追われた悲劇「ナクバ」を描いた映画は、ほんとうに少ないと感じています。 
侵略された側の人が見ると、憎悪を生むだけですが、歴史をちゃんと認識していない若いユダヤ人や、世界の人たちに見てほしいと思います。映像は力がありますから。

監督:その映画は観ていないのですが、『ノー・アザー・ランド 故郷は他にない』(日本公開:2025年2月21日 公式サイト:https://transformer.co.jp/m/nootherland/)では、イスラエル軍がパレスチナの人たちを突然攻撃して殺したことが描かれています。ぜひ観てください。

― 私たち日本人は小さい時からユダヤ人の悲劇を「アンネの日記」や、多くの映画で教え込まれてきたように思います。第二次世界大戦でドイツが敗戦して、ユダヤ人が強制収容所から解放され、ユダヤ人のための国を作ろうという話になった時にマダガスカルやアルゼンチンも候補にあがったそうですが、結局、パレスチナの地にイスラエルという国を作って、住んでいたパレスチナ人を追い出すことになってしまいました。イスラエル軍にやられっぱなしの今の状況を見ると、もっと歴史を学んでほしいと思います。

監督:イランはパレスチナを軍事的に救うのでなく、そういう映画をもっと作って見せれば、世界的にパレスチナのことを知ってもらえたと思います。

- イランでは、「世界コッズの日」 に、毎年、映画『生存者』がテレビで放映されていたそうです。

*注:「世界コッズの日」 (コッズは、エルサレムのこと)
ホメイニ師が、イスラエルによる占領からのパレスチナ解放のために意を表する日として、ラメザーン(断食)月の最後の金曜日を「世界コッズの日」と定めた。

監督:イラン人はパレスチナのことをよく知っているから、見せる必要はもうないでしょう。 


◆詩そのものを語らなくても、詩の香りを映画に入れる
― 最後の方でベンジャミンさんが語る「他者を思え」という詩は、有名な詩でしょうか?

監督:マフムード・ダルヴィーシュというパレスチナの詩人のものです。

*ここで配給ノンデライコの大澤さんが、この詩人の詩集の和訳も出ていることを教えてくださいました。
「パレスチナ詩集」マフムード・ダルウィーシュ 四方田犬彦訳 筑摩書房

― 映画の中でマフマルバフ監督が語っている言葉が、詩そのものではないけれど、とても詩的に感じます。
私の後輩でペルシアの詩を研究している女性から、マフマルバフ監督にぜひ伺ってほしいと質問を預かりました。

イランの女性詩人フォルーグ・ファッロフザードの詩の一節に

「耳には双子の赤いさくらんぼのイヤリング
爪にはダリアの花びらをマニキュアにして
ある路地には
わたしを愛してくれた少年達が 今も
くしゃくしゃの髪と細い首と痩せた足のまま
ある夜 風が連れ去ってしまった少女の
少女の純潔なほほえみを想っている」

というのがあって、これはマフマルバフ監督の『サイレンス』(1998年)で、主人公の面倒を見ている少女がまさにこの最初の2行を表現しているシーンがあります。
(ペルシア語でショーレさんに詩を朗読していただいたのですが、聴きながら、にっこり笑って、耳に手をあて、イヤリングがぶらさがっているさまを表すマフマルバフ監督でした)

マフマルバフ監督はフォルーグ・ファッロフザード以外にも、映画製作の上でインスピレーションを受けた詩人はいますか?

監督:大勢います。かつて家族のために映画学校を開いた時に、1か月 毎日詩について勉強したことがあります。いろんな詩人の詩を数日ずつ集中的に学びました。3日間フォルーグ・ファッロフザード、次の3日間ナーデル・ナーデルプール、また次の3日間ソフラーブ・セペフリーという風に。なぜ勉強したのか。一つの詩からイメージを作ることができるかどうかを教えていました。イランの詩は、言葉だけでなく、韻を踏んでいます。リズムがあるのをどうやって映像にできるかも教えていました。詩をそのまま映画に入れてなくても、詩を作った詩人の想いをどうやって映像に入れられるかを考えます。例えば、8分の短編『風と共に散った学校』(1997年)の中で、牛につけたベルが鳴りますが、あれが「詩の香り」です。

― 映画の中で詩そのものを語っているわけではないのに、詩的なものを感じるのは、そのためですね。 イランの人たちは存在自体が「詩」ですね。

監督:楽しい時にも詩を語るし、悲しい時にも詩を語ります。国民性です。頭がいい人なら、2+2=4ですが、私たちイラン人は、2+2は4じゃないと思っています。国民的にロジカル(論理的)じゃないのです。


◆「死」を目にして「生」を探すパレスチナの子どもたち

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(C)Makhmalbaf Film House

― パレスチナ人と書かれたTシャツで踊る10代の子供たちは、笑顔が素敵で、インティファーダで石を投げるパレスチナの子供たちのイメージとは違うものでした。
繰り返し流れるムハンマド・アッサーフの「Dammi Falastini(My Blood is Palestinian/私の血はパレスチナ人)」という曲が今も頭の中をぐるぐる回っています。ムハンマド・アッサーフは閉じ込められたガザの町から、「アラブ・アイドル」に出演して注目され、アラブ圏のスターになった人です。(映画『歌声にのった少年』に描かれた人物) あのダンスをしていた子どもたちに明るい未来が早く来るといいなと思いました。

監督:今でもあの子たちは踊っています。死を目の前で多くみると、生を探します。イラン人も大変なことが起こると、ジョークにして気持ちを吹き飛ばします。

*この取材中、時々、電話がかかってきて、「取材中、申し訳ないけれど、タジキスタンに逃れているアフガニスタンの知人から助けてほしいという電話なので」と、対応するマフマルバフ監督。
『苦悩のリスト』が、まだ続いているのです。

― 山形国際ドキュメンタリー映画祭のクロージングで上映された折に『苦悩のリスト』を拝見したのですが、小さな男の子がハナさんの息子さんだと知って驚きました。私の知っているハナさんは10代でしたので。真剣な顔で電話に出ている監督が、お孫さんがそばに来ると「おじいちゃん」の顔になっているのが微笑ましかったです。 

監督:もう、可愛くてね・・・ (と、スマホで写真を見せてくださいました)

― ハナさんにも、どうぞよろしくお伝えください。
今日はどうもありがとうございました。お会いできて、ほんとに嬉しかったです。

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『盗月者 トウゲツシャ』舞台挨拶

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         (公式写真)

『盗月者 トウゲツシャ』が11月22日に公開を迎え、11月23日に都内の映画館で公開記念舞台挨拶が実施され、ユエン・キムワイ監督が「ハロー、ハロー、ハロー!」と登壇、また香港からオンラインで主演のイーダン・ルイ、少し遅れてアンソン・ローが参加しました。(映画の内容にふれています)

ユエン監督 みなさんこんにちは!『盗月者 トウゲツシャ』を観に来てくださってありがとうございます。日本で上映できて、とても感動しております。

香港の映像が映りましたが、イーダン・ルイが一人です。「ハーイ、みなさんこんにちは!」と広東語で挨拶。

ーそれでは、イーダン・ルイさんから日本の観客の皆様にひとことお願いします。
 
イーダン・ルイ (広東語で)みなさんこんにちは、イーダンです!
(日本語で)オハヨウゴザイマス。ワタシハ イーダン・ルイ デス。
(英語で)皆さんに会えて嬉しいです。映画を楽しんでくれると嬉しいです。どうもありがとう。

―アンソンさんをお待ちいただくことにして、私の方からいくつか質問させていただきたいと思います。まず、監督から見た主演お二人の印象はいかがでしたでしょうか?

ユエン・キムワイ監督 もちろん僕の目からみて、2人ともとても有能な俳優です。イーダンはとても努力家で真面目です。脚本を何度も読み返して、たくさん質問をしてきました。200個くらい(笑)。困った俳優さんです(笑)。でも、それは作品にとても思い入れがあるということなんです。これからもそんな風に映画に情熱をそそいでくれると嬉しいです。
アンソンはまた違って、現場の雰囲気で自分のカラーを出していくスタイルの俳優です。元々のバックグラウンドがダンスだからかもしれません。あ、(アンソンが)来ました。

アンソン・ロー みなさんこんにちは、僕はアンソンです。

ーそれでは監督からもう一度アンソンさんの印象を。(会場笑)

ユエン・キムワイ監督 アンソンはすごく感覚的で、感性に訴えるような俳優です。計算して演技をするというのではなく、現場での雰囲気や相手の方とのフィーリングで演じていくタイプです。現場でもいろいろ発見がありました。

ーそれでは逆に、ユエン監督の演出はいかがでしたか?

イーダン・ルイ 監督とはこれが初めてではなくて、これまで何度か一緒にお仕事をしてきました。お父さんのように見守ってくれるタイプの監督です。ゆとりを持たせてくれる、いろいろなことを試させてくれます。ですから僕は安心して仕事ができて、自分のチャレンジもサポートしていただきました。とても感謝しています。

アンソン・ロー 撮影の際にいろいろなトラブルに見舞われました。というのは、この4人(※窃盗チームを演じた、イーダン・ルイ、アンソン・ロー、ルイス・チョン、マイケル・ニン)で一緒に仕事をしたのは初めての経験で、手探りの部分もありました。撮影前にも何度もリハーサルを繰り返して調整してきました。実際の演技でもバージョンをいろいろ変えて、どうやったら気持ちが込められるのか、もっと良くなるのか監督に観ていただいて決めていきました。我々みんなが監督を信頼し、監督も信頼してくださったので、お互いの絆の輪の元にこの映画ができたと感じています。アリガトー。

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ルイス・チョン、マイケル・ニン、アンソン・ロー、イーダン・ルイ

ーこれから会場からの質問に移ります。時間が限られておりますので、映画に関するご質問にしぼって、お一人お一つでお願いします。

Q ユエン監督は大阪アジアン映画祭のときに、「撮影で迷惑かけてごめんなさい」と仰っていたんですけど、アンソンは日本での撮影中、何を感じていましたか?寒くて大変とか、ホームシックは?

アンソン・ロー 日本で緊迫したシーンを撮影するときに、自分の感情をどう表現していくか、わざとらしくなく自然に緊張感を出すといった演技の工夫が必要でした。とても緊張したシーンの後に、そうではない平穏なシーンの撮影が始まると、その気持ちを白紙に戻します。その感情の切替えが大変でした。ご質問ありがとうございました。

Q 日本での撮影なので、親近感がありましてとても面白いと思っています。お二人、撮影中の面白い思い出はありますか?また日本でどこか行きたいところはありますか?

イーダン・ルイ 面白いエピソードはたくさんあります。印象的なシーンは、時計店の地下で金庫を開ける場面です。お店の人が暗証番号を入れるのを、みんなが肩越しに見ようとしているのですが、実際は完全に見えてしまっていました。見えているのに、見えない演技をしなければならなくて、みんなが笑うのを必死に我慢していたシーンなんです(笑)。
マイケルがタバコに火をつけるシーンで、撮影のときにタバコの火が下に落ちてしまって何かに引火して炎がわっと上がってしまいました。みんなで何んだ何が起きたんだ?と大騒ぎしました。
僕たち二人とも、東京はもちろん大好きです。大阪やほかの都市にも行ってみたいです。日本の冬はとても綺麗なので、また来たいです。

ーお名残惜しいですが、そろそろ時間となりましたので、アンソンさんイーダンさんから一言ずつ。

アンソン・ロー みなさん映画をサポートしてくださってありがとうございます。この映画は僕にとって今までとはちょっと違うもので、力を入れました。これからももっともっとみなさんに楽しんでいただけるものを提供したいと思っています。どうぞ応援してください。ありがとうございました。

イーダン・ルイ この映画を応援してくださってありがとうございます。日本での撮影は、1ヶ月間でした。海外での撮影の機会はあまりないのですが、また機会があればみなさんとの交流ができればと思っています。ありがとうございました。  

ー珍しい形となりますが、ここでフォトセッションとなります。後方から撮りますので、みなさん大きく手をふってください。

イーダン・ルイ&アンソン・ロー(手を振りながら)ありがとうございました~!

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ユエン・キムワイ監督(公式写真)

ここでスペシャル・プレゼントとして「5人のサイン入り香港版ポスター」を一名の方に。ユエン監督がチケット半券の中から一枚を引き、前方の男性の方が当選しました。監督のサインをその場で加えて完成。おめでとうございます。

―最後に監督から日本の観客のみなさんに一言お願いたします。

ユエン・キムワイ監督 みなさま今日は観に来てくださって本当にありがとうございました。面白いと思われたらぜひお友達に観てねと薦めてください。これは香港映画でも数少ない「悪役が誰も警察に捕まっていない」映画です(笑)。
楽しんで気に入っていただけると嬉しいです。サンキュー!
(写真:公式/まとめ:白石映子)

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★上映劇場にて来場者特典プレゼントを実施中です。
各週、ご来場の方に先着で、登場キャラクターの特製ポストカードをプレゼント!
※ランダムでの配布です。絵柄は選べませんのでご了承下さい。
※ご鑑賞のお客様お一人様1回につき1枚、先着順での配布、在庫がなくなり次第終了となります。詳細は上映劇場のHPにてご確認ください。

■上映劇場→ https://theaterlist.jp/?dir=tougetsusha
上映1週目:ヤウ(アンソン・ロー) or タイツァー(ルイス・チョン)
上映2週目:マー(イーダン・ルイ) or マリオ(マイケル・ニン)
上映3週目:ロイ(ギョン・トウ)