『きこえなかったあの日』今村彩子監督インタビュー

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今村彩子監督プロフィール
1979年生まれ。大学在籍中に米国に留学し、映画制作を学ぶ。劇場公開作品に『珈琲とエンピツ』(2011)『架け橋 きこえなかった3.11』(2013)、自転車ロードムービー『Start Line(スタートライン)』(2016)がある。また、映像教材として、ろうLGBTを取材した『11歳の君へ ~いろんなカタチの好き~』(2018/DVD/文科省選定作品)や、『手話と字幕で分かるHIV/エイズ予防啓発動画』(2018/無料公開中)などをも手がける。

『きこえなかったあの日』
東日本大震災直後に宮城県に向かった今村彩子監督は「耳のきこえない人たち」の置かれている状況を知る。避難所や仮設住宅で、きこえない人たちがどうしているのか知ってほしいと何度も通っている。この10年の間に西日本豪雨、熊本地震、コロナ禍と思いがけない災害が続き、現地で耳のきこえない人たちに出逢い、その姿を記録し続けてきた。今、どの人にも情報は届いているのだろうか?
監督・撮影・編集:今村彩子
作品紹介はこちらです。
(C)studioAYA2020
http://studioaya-movie.com/anohi/
★2021年2月27日(土)より新宿K's cinemaほか全国順次公開
全国一斉インターネット配信開始

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―この作品は2013年の『架け橋 きこえなかった3.11』の続編になるのですか?

『架け橋 きこえなかった3.11』は2011年〜2013年に撮影したものです。その映像も使ってはいますが、続編ではなく「新作」です。東北を取材することになったきっかけはCS放送の「目で聴くテレビ」からの依頼でした。「目で聴くテレビ」は阪神淡路大震災を機に始まった、手話と字幕で伝える放送局です。私自身も現地のきこえないひとたちがどんなことに困っているのかを知りたくて、震災から11日後に現地入りしました。

―その『架け橋 きこえなかった3.11』の反響はいかがでしたか?

東日本大震災を扱った映画で、耳のきこえない人の現状を伝える作品はほとんどなかったので、すごく注目されました。映画館にもたくさんの方に来ていただいて、満席で入れないくらいでした。大震災の影響があった地域ほど、反響は大きかったです。

―2011年に初めて被災地に行ったときの印象は?

やっぱりテレビなどで見るのとは全く違いました。自分の足でその場に行って、自分の目で見るというのは本当に違う。埃っぽいし、瓦礫や泥のにおいもある。あまりの悲惨な風景にどんな感情を持てばいいのかわからない。どう思っていいのか、戸惑いました。

―この作品には、西日本の豪雨や熊本地震の被災地の取材分も入っています。

熊本地震も「目で聴くテレビ」の依頼があったんです。訪れた福祉避難所では、手話ができるスタッフやボランティアがいて、24時間、目から情報を得られる環境となっていました。こんな避難所だったら信子さんも安心して過ごせたんじゃないかなと思いましたね。

西日本豪雨は個人として取材に行きました。きこえない人たちが困っていることを記録しようと思っていたのですが、広島では、ろう・難聴者がボランティア活動をしていました。被災したろう者宅だけでなく、一般の家にも支援に行っていて驚きました。汗を流して作業しているろう・難聴者たちの姿に「きこえない人は助けてもらう立場」と考えてしまっていた自分の刷り込みに気づきましたし、同じような思い込みをして、自分は耳がきこえないからとあきらめてしまっている人たちにぜひ知ってもらいたいと思いました。

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―特に印象に残っているのはどなたでしょう?

やっぱり宮城県で会った加藤さんです。それと信子さんも。

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―信子さんが監督と抱き合って泣くところでもらい泣きしそうでした。
初めて会った他人でなく、叔母さんと姪みたいに見えました。


信子さんは、初めは名古屋から来た私に、「遠くからわざわざありがとう」と言ってくれてたんですけど、今では会ってすぐに「次はいつ来る?」と聞かれます(笑)。毎年毎年、宮城に通って顔を合わせているので、ほんとに親戚みたいです。
いつもマフラーやキーホルダーなど信子さんが作ったものを持たせてくれるので、「ありがとう」っていただいてきます。

―以前の作品は聞こえる人と今村監督のコミュニケーションに焦点があたっていました。
今回は被災地へ出かけて、被災した方々中心になっています。これまでと作り方は違いましたか?


最初は、きこえない人はどんなことで困っているのかなとか、必要な支援はなんなのかなと知りたくて、取材をしていました。避難所から仮設住宅に移れば、困りごとも変わります。環境が変われば、問題も変わるので。私は仮設住宅での暮らしで困っていることを取材するつもりでいたのですが、逆に信子さんや加藤さんはそこで楽しんでいました。(笑)
困っていることもあるんですけど、それ以上に仮設住宅の人との繋がりを作って、楽しんで暮らしている。私にとっては、それがすごく印象に残っているんです。

―お二人とも明るいですよね。

その「明るさ」が当時の私にはなかった。10年前の私は、人に対して自分の心を閉ざしていたんです。だから信子さんと加藤さんを、すごくいいなぁ、羨ましいなぁと思いました。

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―ああ、『Start Line』の前ですものね。その2011年のまだコミュニケーションの苦手な自分と、いろんなことがあった後の自分を比べてどうですか?

人に対する見方、考え方がすごく変わったと思います。前は耳のきこえる人を「きこえる人」とラベルをつけて、ひとまとめにして見ていました。その中の人は、ほんとは一人ずつ違うんだけど、それを見ようとしなかった。興味を持とうとしなかった。でも今はほんとに一人一人違うんだなというのを感じています。きこえる人は、きこえていてもコミュニケーションに悩んでいたりする。そういうのを知ると、ああ!って親しみを感じます。なんでも完璧にできる人ではないんだなって。そのあたりがすごく変わりました。

―人に出会うのは大事ですよね。今回今村監督が会ったのは、年上の方々が多いですね。でも上手にお付き合いされていて、あれ、監督コュミニケーション上手!と思いましたよ。

私もやっぱり宮城のおじいちゃんおばあちゃんに会いに行くみたいな感じです。行くたびに喜んでくれるので、私も嬉しくなって元気をもらっています。

―時間をかけて映画を作るたびに、監督も成長し続けているんですね。

(笑)ありがとうございます。

―映画の中に手話言語条例ができているとありました。でも東京都が入ってないのを知らなかったです。なんで入ってないんでしょう?こんなに人がいるのに。

なぜでしょうね?逆に多すぎて難しいのかも…。

―コロナやオリンピックやと問題山積みだからかな?(でも担当部署は違う) このごろ字幕を出せるようになっているテレビ番組もありますよね。リモコンで選んで。

リモコンのボタンで選べば、ニュースや生放送の番組でも字幕がつくことがあります。生中継なので、字幕が遅れて表示されますが、それでもすごくありがたいです。

―きこえない人ばかりでなく、きこえにくくなった高齢者のためにも字幕はありがたいんです。日本映画やドラマでも、早口で何を言っているのかわからない時もありますし。
今村監督から見て、きこえない方々へ私たちができることって何でしょう?「こういうことをわかってくれたらいいのに」と思うことはありませんか?


まず、耳のきこえない人がいるんだなってことを知ってほしいです。以前はきこえないとわかると、相手が「手話ができません」とあたふたすることがありました。だけど、今はお店や駅でも、身振り手振りや、書いてもらえます。そういう変化はすごく感じています。

―では、少しは進んでいるんですね。

はい、進んでいます。駅で落とし物をしたかなと困ったときに駅員さんに「きこえない」と知らせたら、普通に筆談で対応してくれました。公共施設などでは「聞こえない人がいる」ということが浸透していて、当たり前のように接してくれるのがすごく嬉しいです。
駅の切符売り場やみどりの窓口に「耳マーク」もあるので、筆談も頼みやすくなっています。「きこえない」ことを隠すわけではないけれど、積極的に知らせたいわけでもない、でも困っているときは自分から言わないといけないので、こういうマーク一つでお願いする時のハードルがすごく下がります。

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―この映画は先に東北で公開ですか?

いえ、東京公開が最初です。
宮城での上映も決まったので、出演者の方たちと一緒に劇場で挨拶できたらいいなと思っています。

―登場した方々は映画を観るのを楽しみにされているでしょう。熊本や広島はどうですか?

広島での上映は決まっています。熊本は未定ですが、でももし映画が上映されることになったら足を運びたいと思っています。

―上映されるといいですね。『うたのはじまり』の齋藤陽道(さいとうはるみち)さんも熊本に引っ越されましたよ。映画が行ったらきっと観てくださると思います。

齋藤陽道さんはこの映画のパンフレットにコメントも書いてくださったんです。前作の『架け橋 きこえなかった3.11』を毎年見返してくださっているそうで。だから、熊本上映が決まったら劇場で一緒にトークができたらいいなと思っています。
前回の取材時に、齋藤さんの本をいただいてよかったです。ありがとうございました。

―あら、いい繋がりができて。お役に立てたなら嬉しいです!
これから、この映画を観る人にひとことどうぞ。


映画の登場人物を「耳のきこえない人」として観始めると思うんですが、観終わるころには「加藤さん」だったり、「信子さん」だったり、一人の「人」として、その人柄が心に残ってくれると嬉しいなと思います。

―しっかり残りました。今日はありがとうございました。

ありがとうございます。

=取材を終えて=
今村監督の取材は自転車で日本を縦走した『Start Line』(2016)、『友達やめた。』(2020)についで3回目です。まめに試写のときの挨拶に上京されるので、もっとお目にかかっています。そのたびに手話を覚えたいと思うのですが、ちっとも進みません。日本の行政に文句を言ってる場合ではありません。まず自分でした。
今村監督は本当に身軽にカメラを持って被災地にもかけつけます。その行動力と共感力!「コミュニケーション苦手なあやちゃん」がちゃんと変わっていっています。『友達やめた。』のまあちゃんは今も協力してくれているし、写真家の齋藤陽道さんとも繋がったそうです。
私も手話の挨拶ができるように、そして忘れない(これが問題)ようにしなくちゃ。
せっかく完成した作品、山形国際ドキュメンタリー映画祭に応募してはどうですか、と監督にお勧めしました。選ばれるかどうかはともかく、こういう作品があるということを知ってもらえます。
きこえない方のほかにも見えない方、手助けの必要な方がいることを覚えておいて、自分のできることを考えませんか?想像と体験は違うけれど、何もしないよりずっといいはずです。

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これが「耳マーク」(樹木じゃありません)です。(耳マークは自分が聞こえないことを知らせるためにも使うことができるようです)
https://www.zennancho.or.jp/mimimark/mimimark/

(取材・まとめ:白石映子 監督写真:宮崎暁美)

『痛くない死に方』高橋伴明監督インタビュー

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高橋伴明監督プロフィール
1949年生まれ。奈良県出身。1972年「婦女暴行脱走犯」で監督デビュー。以後、若松プロダクションに参加。60本以上のピンク映画を監督。
1982年「TATTOO〈刺青〉あり」(主演:宇崎竜童)でヨコハマ映画祭で監督賞を受賞。以来、脚本・演出・プロデュースと幅広く活躍。
1994年「愛の新世界」(主演:鈴木砂羽)で大坂映画祭監督賞受賞し、ロッテルダム映画祭での上映された。主な監督作品、2001年「光の雨」(主演:萩原聖人)、2005年「火火」(主演:田中裕子)、2008年「丘を越えて」(主演:西田敏行)、「禅ZEN」(主演:中村勘太郎)、「BOX袴田事件 命とは」(主演:萩原聖人)、2015年「赤い玉、」(主演:奥田瑛二)など

『痛くない死に方』
監督・脚本:高橋伴明
原作・医療監修:長尾和宏
出演:柄本佑、坂井真紀、余貴美子、大谷直子、宇崎竜童、奥田瑛二

在宅医療に従事する河田医師は、末期の肺がん患者の大貫を担当する。父親を在宅で介護し安らかな看取りを願った娘の智美は、期待と逆に苦痛の中で父が亡くなったことで自分を責めていた。悔恨に苛まれる河田は先輩の長野に相談し、長野の治療現場を見学させてもらった。自分との違いを痛感して長野の元で学んでいく。
2年後、河田は大貫と同じ末期がん患者の本多彰を担当することになる。

作品紹介はこちら
(C)「痛くない死に方」製作委員会
https://itakunaishinikata.com/
★2021年2月20日(土)よりシネスイッチ銀座ほか関西地方ロードショー

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―監督は「65歳くらいから死について考えるようになった」とおっしゃっていましたが、親しい方を亡くされたとか何かきっかけがあったのでしょうか?

いや、そんなことはなくて。親父が50前に亡くなっているんですよ。そういう早死にの家系かなと思っていた。それが60まで生きたときに、これはおまけの人生だな、と思っていたんですね。あえて具体的なきっかけといえば、それから3年くらい経ったときに、時々ふっとめまいが、一瞬意識が落ちたような気がすることがありました。それで一応病院に行ったら、5回くらい軽い脳梗塞をやっていると。親父もそっちの関係だったので、まあ、そろそろ来るのかな?って。

―50年、60年も使っているとどこか身体にきますよ。

ろくな生活習慣じゃなかったことをよく自覚していますからね。

―不規則とか、タバコとお酒とか。両方ですか? あの宇崎竜童さん演じる末期がん患者・本多彰さんと同じですね。

そうですね。

―この映画の中で、前半後半でガラッと変わる柄本佑さんがとても良かったです。そして後半に登場するこの本多さん役の宇崎竜童さんが(私の)助演男優賞です!舞台挨拶では宇崎さんが「これはほとんど監督です」とおっしゃっていました。高橋監督、そのコメントの感想は?

この時点で考えられる「自分の理想の死に方はなんだろう」って考えて脚本を書いたので、当然自分の部分が投影されるのはしかたがないというか、当たり前というか。
「伴明さんだね」と言われても、それはね「そのとおりでございます」と言うしかない。
自分自身もやっぱり全共闘運動でパクられ、学校にも行けなくなり、ある種の手に職をつけるというか、職人の道を選んだ。もっと具体的にいうと、鮨職人になりたくて鮨屋に奉公に行ったんですけど、その鮨屋が別に経営していた“おでんもあり、焼き鳥もあり”みたいな店に回されちゃった。これはもう違うなと思って。で、映画の職人になってやれ、それしかないな、と思ったんです。
助監督で初めて作品に入ったときは、“奴隷”だという感じがあった。奴隷をやった以上、“監督”というものになってやろうと。

―それは20代半ばくらいですか?

いや、半ばまでいってないです。

―あ、大学中退とありますね。

中退じゃないです。除籍、抹籍です。私は。

―それでピンク映画のほうに行かれたんですね。ピンク映画そのものは未見ですが、『ピンクリボン』(05)というドキュメンタリーを見せていただきました。高橋監督も何度もインタビューされていました。

ああ、なんかあったなぁ。それ、観ていないな。撮られたのは覚えているけど。

―監督やプロデューサー、俳優や興行の方々のいろいろなエピソードがありましたよ。
では、『痛くない死に方』のお話を。
原作は長尾和宏先生の本ですが、たくさんありますね。脚本のために何冊も読まれたのですか?


プロデューサーから渡されたのが「痛い在宅医」という本だったんですよ。それが結果として前半になったわけです。これじゃお話は作れるけれども、映画としては辛い映画になる。映画としてダメだという意味の「辛い」です。でも、自分が考える「理想の死」みたいなことを付け加えてやれば辛くない映画になるのかなと思った。もうバーッと書いちゃっていたので、長尾さんのいろんな本を並行して読んで、ここつけ足そうとか、台詞を変えようとか、そういうふうにしましたね。
「死」を意識してからは、「死」に関連する本をけっこう読みました。在宅医であるとか、尊厳死協会があるとか、そういう基礎知識はあったので、早めにシナリオに起こせたんです。

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―その「痛い在宅医」を急いで読みました。これで映画が終わったら辛いです。よく回収してくださったというか、映画としていいところに着地させてくださってホッとしました。
この柄本さん演じる河田先生の転換点になるのが長尾先生をモデルにした先輩の長野先生です。目標になる人がいれば、いいお医者さんが育つんですね。


そうです。それは実に思います。まさにその現役の、特に大病院系の医師を目指している若い医療従事者たちに観てもらいたいですね。

―後半は宇崎さん(本多彰役)の魅力が炸裂していました。あの印象的な川柳は監督作だと知って感心したんですが、普段から作っていらっしゃるんですか?

いや、全然。川柳は映画のために。ただ、大学の先輩たちと年に2回ぐらい温泉に行って酒を飲む会をやってるんですよ。そのときに、ただ飲んでいても脳がないから、誰かが「俳句でも作ろうか」って言い出して。だからそういうときには俳句を作りますけれども。

―それは書きとめてありますか?

誰がこういう句を作ったというのは書いて残してあります。そういうのはありますけど、川柳も俳句も難しすぎて。だから「もどき」なんです。

―脚本を書きながら、あの「もどき」も作られた。あれはポイントになりますよね。

確かに。心情を五七五で出せるし、また言いたいことも説明台詞にならずに表現できるし、この思いつきはいいなと思ったんですけど、川柳を考えるとシナリオを書く手が止まっちゃうんですよ。そういう意味では結局自分の首をしめてるなと思いました(笑)。

―脚本はできあがるまでに時間がかかりましたか?

いやいや、だいたいは早いですよ。あれは1週間ですね。

―え、1週間なんですか? 止まっても1週間!

今回ね、全然力が入ってない。「こうあらねばならない」とかが潜在的にはあるのかもしれないんだけど、そういう意識が全然なかった。肩に力が入ってなかった。
だから、がむしゃらにシナリオを書く速さもあるんですけど、そういうものの一切ないところで書いたんで、川柳で時間は止まったけども、気が付けば1週間であげてましたね。

―2019年の夏に撮られたんですね。シナリオが1週間で映画は…

10日間。

―すっごく速いですね!

速いですね(笑)。

―いつもそんなに速いんでしょうか?

速いです。速いけど、予算とかいろんな問題で、助監督の毛利(長尾和宏先生を追ったドキュメンタリー『けったいな町医者』の監督)がお金を管理してるほうから言われて、「監督、10日しかありません」って。

―病院やら本多さんのお家やら撮るところも多かったのに、すごく無駄なく撮れたっていうことですね。監督はあんまりたくさんテイク撮らないほうなんですか?

撮りません。

―本番一発!?

そんなことはない(笑)。ないですけど、テイクを重ねるからって時間がかかるわけじゃないんですよ。そのテイクに入ったら10回20回やろうが、そんなに時間がかかるもんじゃない、経験上。結局は、そのスタッフがひとつになれば、早くなるんですよ。スタッフが同じ方向を向いて走れれば早くなります。

―それはそうですね。ムカデ競争みたいにみんながひとつになって走る。

そういうことだと思います。後は割り切りの問題ですよね。

―じゃあ監督は決断も速いんですね。

速いですよ。すべてが速いです。だから買い物なんか誰かと一緒に行くとほんとイラつきますね。人が30分考えるところ、30秒で決めます。これ買う!って。

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―キャストのみなさんたち、これまで一緒のお仕事をした方が多かったですけれども、キャストを決めるのも速かったですか?

パパパーっと決まりましたね、ただ大谷直子(本多さんの奥さん役)だけ時間がかかりました。なんでそんなに時間がかかったかというと、最終的に会ってみてわかったのが「この役は自分でいいのか」っていうことと「自分にできるのかしら」っていうことだった。

―大谷さんが迷っていたということでしょうか?

そう。いやだっていうんじゃなくてね。でも「できると思うから頼んでるんだろう」って。今回初めてなんですよ、仕事すんのが。若い頃から飲み友達で、ここまで仕事しないできちゃったんですけどね。大谷は病気もしましたし。
「俺もこんな年になったし、かかえているものもあるし、二人ともいつまでかわからない。これやっとかないと、死ぬまでもうないかもね」って言ったら「そりゃそうだねぇ」なんて言って。

―すごく粋でいい奥さんでしたよ。

それは良かったです。

―竜童さんが監督でしたら、大谷直子さんは(監督の奥様の)惠子さん?

そんなことない、そんなことはない(笑)。

―ないですか(笑)。「理想の死に方」を考えて竜童さんが演じて、大谷さんは「理想の奥さん」でいいでしょうか?

理想の奥さんの部分もけっこうありますね。

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―本多家も日本家屋で素敵でした。個人のお宅ですか?

良かったですね。個人の家です。

―おまけに木遣り歌で送り出してもらえるという。

木遣り歌が映画でやりたかったんです。どうしてもいつかやりたかった。
今回この話の流れだと、木遣り使えるな!と思ったんですよ。それで必然的に宇崎の職業は大工になったんですよ。

―木遣りが先なんですか!竜童さんの法被姿も木遣りのみなさんもすごくカッコよかったです。でも木遣りの言葉が何と言ってるのかわからない…。日本語なのに難しくて。

あ、そうですね。独特ので。あれはそんなに意味がわからなくてもいい、と思います。民謡だってわかんないのいっぱいあるじゃないですか。

―そうですねぇ、はい。木遣り歌を入れました。大谷直子さんをキャスティングしました。あとまだどうしても、と入れたものがありますか?

どうしても、というほどではなかったんですけど、これだけは言っておきたいと思ってたのが、宇崎君に喋らせた「マスをかいていると、看守に小さい覗き窓から覗かれちゃって」という台詞。僕自身、学生運動の時にそういう目に遭ったことがあるんで。それを(看守が)次の日言うんですよ。「お前…」って。

―今まで入れたことがなかったそれを今回入れられたわけですね。
初めに戻りますが、監督が長尾和宏先生と初めて会われたときの印象はどうでしたか?


初対面がですね、築地の本願寺で講演があるから、終わった後に会いましょう、ということで、それを聞きに行ったんです。そしたら、講演の途中で歌を歌い出した。

―「舟歌」でしたか(笑)?

あのときは「舟歌」じゃなかったと思う。びっくりしましたね、なんじゃこの先生!?と思って。ほんとにあのドキュメンタリーの『けったいな町医者』ですよ。あと居酒屋みたいなところへ行ったんです。喋る喋る、途切れない。
まあ僕は今日取材なので喋ってますけど、きわめて寡黙というか喋らないんです。だから真逆の人だなと思いました。そういう印象でした。最初は。
その後往診について行って、患者さんとの接し方がこれまで自分が経験してきたり、映像で観てきたりした関係性と全然違うものを感じて、すごく新鮮だった。そのときこういう人だとわかりました。わかったというより、もう目の前でそれが行われているわけだから。良い意味であの距離感はすごい。
佑と一緒に行ったので、あの後半の役作りに相当参考になったと思いますね。

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―ああいう目標になる先輩がいて、育ててほしいと思いました。すぐ変わるのは無理でもだんだんと。

本当に長野先生のあれは往診なのか?診療なのか?ちょっと考えられない。常にこう触ったりね、それでよく喋ってるんですよ。他愛もないことを。その中に(気づくことが)あるんですね。

―監督はどなたか看取った経験はありますか?

長時間に渡って看取ったというのはないです。親父は早く逝きましたし、お袋は名古屋で
入院したもんですから、弟が看てくれてときどき行くという関係で最後は看取れませんでした。

―看取ったことのある人にも、ない人にも響く映画だと思いました。たくさんの方に届いてほしいんですが、監督からこれから観るお客様にひとこといただいていいですか?

「死」をテーマにしていますけれども、それはイコール「どう生きるか」ということ。僕はこれ「ハッピーエンド」の映画だと自分では思っているんですよ。
だから「これ、きっと暗くて辛い映画なんだろな」と思わないで観てほしいですね。

―今日はありがとうございました。


=取材を終えて=
ベテランの高橋伴明監督に初めてお目にかかりました。
何事も早い、即断即決の監督の現場はさぞスピーディで、さくさくと進むのでしょう。この映画で遅まきながら宇崎竜童ファンになった私、気づけばほかの俳優さんの話題を伺わずじまい。すみません。でも監督の選んだ俳優さんはみんなこのストーリーの中に生きて、映画を支えています。
監督がひねった“川柳もどき”、たくさん散りばめられた‟長尾語録”も聞き逃しのないように。先に公開されている長尾医師のドキュメンタリー『けったいな町医者』をご覧になってからこちらを観ると、より医療や終活のなんたるか、がしみ込んできます。
「普段は寡黙でこんなに喋らないんです」という監督に30分以上お話を伺いました。貴重な時間でした。「これが最後」などとおっしゃらず、また新作でお目にかかりたいものです。

(取材・監督写真:白石映子)

★「映画館が近所にない、行けない」という皆様、原作本があります。いつか作品が見られる日を楽しみにこちらを。

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「痛い在宅医」長尾和宏著 ブックマン社 本体1,300円+税
「痛くない死に方」長尾和宏著 ブックマン社 本体1,000円+税
https://bookman.co.jp/search/new.html

『あのこは貴族』岨手由貴子監督インタビュー

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岨手由貴子(そでゆきこ)監督プロフィール
1983年生まれ、長野県出身。
大学在学中、篠原哲雄監督指導の元で製作した短編『コスプレイヤー』が第8 回水戸短編映像祭、 ぴあフィルムフェスティバル2005に入選。 2008 年、初の長編『マイム マイム』がぴあフィルムフェスティバル2008で準グランプリ、エンタテインメント賞を受賞。 2009年には文化庁若手映画作家育成プロジェクト(ndjc)に選出され、山中崇、綾野剛らを迎え、初の35mm フィルム作品『アンダーウェア・アフェア』を製作。菊池亜希子・中島歩を主演に迎えた『グッド・ストライプス』(15)で長編デビュー、新藤兼人賞金賞を受賞。本作が長編2本目となる。

『あのこは貴族』ストーリー
同じ空の下、私たちは違う階層(セカイ)を生きている。
東京に生まれ、何不自由なく育った箱入り娘の華子。「結婚=幸せ」と疑うこともなかった。ところが20代後半になって結婚を考えていた恋人に去られ、あらゆる伝手をたどって結婚相手探しに奔走する。幾度か失敗した後、弁護士の幸一郎と出会う。ハンサムで人あたりも良く、しかも政治家も輩出している良家の出だった。
一方、富山で生まれ育ち、猛勉強して東京の名門私立大学に進学した美紀。学費が続かず、夜の街でバイトを始めるが両立できずに中退した。現在の仕事にやりがいも見いだせず、なぜ東京にいるのかもわからなくなっている。幸一郎の同期生だったことから、同じ東京に住みながら別世界にいる華子と出会うことになった。

作品紹介はこちらです。
(C)山内マリコ/集英社・「あのこは貴族」製作委員会
https://anokohakizoku-movie.com/
★2021年2月26日(金)全国公開

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―監督は原作者の山内マリコさんのファンだと伺いました。特にどこにひかれましたか?

山内マリコさんとは地方出身という共通点があるんですけれども、世代的にもそんなに遠くなくて、山内さんが描かれる地方出身の女性像というものが、私は自分のことのようにわかるんですね。今までの作品もすごく共感しながら読ませていただいていました。
「あのこは貴族」に関しては、東京のお金持ちの人たちというところも描かれています。自分が上京して大学にいたときに、劇中の美紀ほどではないんですが、自分が想像しえないすごいお金持ちがいるんだな、と思った瞬間がいくつかありました。そこの合点がいったというか、あ、こういうことになっているんだと、すごく興味深く、新しい情報を教えてもらったような気持ちでした。その共感できる部分と、描くべき新しい真実みたいな部分が両方ハイブリットになっている本だったので、ぜひ描きたいと思いました。

―脚本はどのくらい時間がかかりましたか?またご苦労なさったところは?

毎日みっちりやっていたわけではないですけど、2年くらいかかりました。撮影直前まで書いていましたし、今考えると、脚本は7割くらいしかできていなくて、撮影に入ってから差し込んだシーンもすごくありました。
お金持ちの華子と、幸一郎の描写がすごくハードルが高かったです。二人ともその生まれの人ならではの性格なんだと思うんですけれども、自分の本音を口に出したり、行動に出したりしないので、それをドラマにしていくのがすごく難しくて、特に幸一郎に関しては、ああいう男性に会ったことがないので、全く雲を掴むような話でした。ああいうお金持ちの男性の方を何人か取材させていただきましたが、みなさんすごく紳士的だし、「何でも聞いてください」みたいな感じなんですけど、壁がありました。人に話すべきことと、話してはいけないことを「マナー」として身に着けていらっしゃる方たちなので。「それを知りたいのに」みたいな感じで(笑)取材もなかなか難しかった、という印象です。

―私も身近にああいう方々がいないので、興味深く観ました。華子さんと美紀さんの違い、目で見えるものと見えないもの、そのコントラストなど留意されましたか?

演出としては乗り物――片方はタクシー、片方は自転車でとか、そういった部分でわりとわかりやすく描写するように心がけていたんです。でも、演じられた門脇さん、石橋静河さんが、育ちが良い方というか、いろいろな作法とか、ちゃんとされている印象だったんです。なので、ご本人からにじみ出るものもすごくあったような気がします。
水原さんは世界的なセレブリティのイメージがありますけど、ご本人は「私、美紀みたいな感じだからー」って、ほんとにちょっとしたしぐさにも親しみやすさがにじみ出ていました。庶民的で親しみやすい方なんです。ご本人たちの魅力が役に生きたな、というのはすごくあります。

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―門脇さんと水原さんが役とはなんとなく逆のイメージがありました。初めてお嬢様な麦さんを見たような気がしました。キャスティングするときに何をポイントにお二人を選ばれましたか?

まず華子のほうは、脚本ですごく苦労していた段階でオファーをさせていただいたんです。その時点で華子は美紀に比べて魅力的に描くのが難しいと感じていたんですね。自分の感情をあまり表現しないし、受け身でなんとなくイライラしちゃうというか、ちょっとゆっくりした感じのキャラクターだったりするので。これはもう面白い芝居をする役者さんじゃないと難しいな、というのがあって。やっぱり門脇さんはそれでいうと、すごく信頼できる役者さんですし、結構個性的な役柄をやられていますけど、バレリーナの衣裳を着てCMに出演されていた印象あったので、個人的にはそんなにお嬢様という役に違和感はなかったです。やっぱり門脇さんにやっていただいたことで、ある種の暗さというか重みだったり、また可愛らしさが出ました。淡々としたキャラクターだったはずの華子が、ちゃんとした機微のあるキャラクターになっていて、お願いして良かったなぁと思っています。
美紀のほうはなかなかキャスティングが決まらなくて、どうしたもんかみたいな感じだったときに、キャスティング担当の方が、「設定されていた年齢より少しお若いんですけど、水原さんはどうですか?」と提案してくださったんです。「あ、水原さん?」年齢的には候補の中に全く入っていなかったので、私も一瞬驚いたんですけども、SNSでも自分の意見をはっきりおっしゃっているような、すごく芯のある方だし、いわゆる箱入り的なお嬢様だったり、人に何かしてもらってぬくぬくと生きている人じゃないというのが、印象としてありました。だから面白いんじゃないかな、と思ってお願いしました。

―華子と美紀、それぞれの友達の逸子と平田がキーパーソンになっていました。二人が新しい道に踏み出す時にすでに前にいて一緒に歩んでくれる大切な友達でした。石橋静河さん、山下リオさんお二人を選ばれたのは?

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逸子を演じられた石橋静河さんは、もともとダンスをやられていたという情報だけ知っていてーーもちろんすごく好きな女優さんだったんですけど、バイオリンがあるのでーー実際バイオリンをやっている人じゃない場合、ダンスの感覚で身体の覚えがいい人なのはすごくありがたいなと。あと、逸子ってすごくいいことを言っているのに、ともすれば気が強い女みたいにネガティヴな捉え方をされるかもしれないキャラクターなので、すごくまっすぐな人っていう方向に振れないかなと思って。逸子同様まっすぐな石橋さんが持っている魅力がぴったりだなと思ってお願いしました。
平田里英役の山下リオさんは、10代のときに美少女というイメージがあったんですけど、ここ数年の出演作を観ているとなんか悲哀を表現できる貫禄のあるお芝居をされている印象だったんです。平田さんは絶対に悲哀がないとダメだなというのがあって、山下さんがいいんじゃないかなと思いました。

―そして華子と美紀の二人を繋ぐ、真ん中にいるのが幸一郎です。高良健吾さんに決めたポイントと監督の印象を。

幸一郎という役は原作ではもう少し人間味がないというか、感情移入しづらいキャラクターだったと思うんです。それだと映画ではなかなか2時間持たないので、少し感情移入できるとか、幸一郎の内面に迫れるようにしたいなというのがありました。
高良さんはもちろんビジュアル的にもあの役柄にぴったりですし、ご本人からにじみ出る誠実さが幸一郎というキャラクターが嫌われずに観ていただけると思いました。
試写を観たキャスティングの方が「華子と再会したときの芝居が、並みの役者さんだったらいやらしくなってしまう。高良さんだから、純粋に会えて嬉しいという芝居になったんじゃないか」とおっしゃって、なるほどなぁと思いました。高良さん自身がまっすぐで素直な方だから、対華子と美紀それぞれの関係も作りやすくて。違う方が幸一郎をやっていたら全く違う映画になったでしょう。

―東京国際映画祭の上映時のご挨拶で「俳優さんが演じることでキャラクターが生き生きした」とおっしゃっていました。具体的にどういうところでしょうか?

華子と幸一郎を掴むのに苦戦している中で、二人がレストランで出会うシーンを撮ったんですが、そこで門脇さんがすごく可愛い笑顔になったんです。次に幸一郎を撮ります、というときに高良さんが来て「華子可愛いな!って思っちゃってるんですけど、これでいいんですかね?」って言われたんです(笑)。脚本の裏設定では、わりと淡々とこなしているという感じだったんですが、高良さんがそう思っているならその方がいいなと思って、「じゃ、可愛いと思っちゃう幸一郎でいきましょう」と。
幸一郎と華子の初めてのシーンでしたから、そこからちょっとずつ脚本の幸一郎とは変わっていき、脚本よりも高良さんの演じた幸一郎のほうがエモーショナルになっています。演奏会の前のシーンも脚本上では笑顔ではなかったんですが、カメラテストでもう笑顔になっちゃってて、二人双方から「会えてすごく嬉しいんですけど、このまま嬉しいでいいんですよね」と言われて(笑)、「じゃあ嬉しいでやりましょう」。そういう風に少しずつ変わっていった感じですね。

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―幸一郎が出るたび雨が降っていたような気がしますが、監督がここぞ、と意識したものですか?

雨のシーンは基本的に「雨降らし」(機材を使って人工的に雨を降らせる)です。"雨男"というのは原作にはない設定ですが、幸一郎のパブリックなときとオフのときをどうしても分けたくて。雨のときにはたくさんの人がいる空間でも二人だけが"繭"のような空間にいて、幸一郎の気持ちがほぐれるようなイメージです。それに「雨男で、ちょっとツイてないんだよ」と、ちょっとトホホ感を出したかったんです(笑)。

―再会したときはそれまでと違ったピーカンの青空で、二人はすっかり変わったんだと思いました。

「厄が落ちた」みたいな(笑)。

―監督は『グッド・ストライプス』のほかに、短編をいくつも作られてきましたが、映画を作るうえで大事にしていることはなんでしょう?

大事にしているもの・・・。自分では何かを知りたくて映画を作っている感じはあります。抽象的な言い方になってしまうんですけど。たとえば『あのこは貴族』だったら、撮影前には「こういう話で、こういうテーマで、東京で生きる女の子はこうである」想定があって、実際撮影して、いろんな人と関わって仕上げていき、 観た人から感想を聞くという一連のプロセスを経たことで、脚本を書き始める前に考えていたことの解像度が上がっていたり、世界が拡がっていたりします。
それは物語やキャラクターをとことん掘り下げて向き合わないとできない作業であり、スタッフや役者さんと一緒でないとできない作業でもあります。こころがけていることからピントがずれているかもしれませんが、そういうことが映画を作る喜びです。

―現場で監督がこだわること、譲れないことはありますか?

私はわりと着ている服やアイテムからその人となりや性格を想像します。今回は美紀と幸一郎が参加したシャンパンパーティで、逸子と出会う場面で使ったペンを替えてもらいました。スタッフにしてみたらこれでいいじゃんと思うでしょうが「でも、これじゃないんです」と別のものを買いにいってもらいました。海の見える公園のシーンで、華子と逸子が食べているサンドイッチも「ちょっと違う」と。スタッフにしてみたら最悪な監督で。

―それはカメラ映りとか、食べやすさとか、ですか?

そういう理屈というよりは、「この二人がこういうところで食べるものは、家で作ったようなサンドイッチじゃないんです」ということで。けっこうみんなポカンとしていましたが、キャラクターを造形する上でとても大事なことなんです。

―監督が映画の道を志すきっかけになった作品はありますか?

エドワード・ヤン監督が一番好きな監督なんです。『牯嶺街少年殺人事件』(1991年)を観てーーそれで映画学校に入ったとかではないんですがーー映画を作る姿勢を考えさせられました。少年と同級生の女の子という狭い世界だけを描いているけれど、奥に台湾の歴史や当時の情勢が描かれています。限られた人間関係を描いているように見えて、大きいことを描けるんだなと思いました。

―女性監督がまだまだ少ない現状ですが、監督はお母さんでもあります。女性監督として「こうだったらいいのに」と思われることは?

今回は普段暮らしている金沢から4ヶ月間東京に単身赴任して、子どもと離れて映画を撮りました。映画界というよりも、男性がもっと簡単に育休をとれたり、残業せずに帰宅できたりする世の中にならないと、女性はほんとに働きづらいと思います。
映画界でいうと、今回打ち上げの時に若い女性スタッフから「監督、私たちってどうやったら働きながら子供産んだりできるんでしょうか」と聞かれました。やはりある年齢までくると仕事を辞めていったり、プライベートを諦めたりするのが現状だと思います。いろいろ難しいですが、撮影日数をもっとふやせたらとか、こうしたらああしたらということはたくさんあります。その中で私個人としてできることは、子どもを育てながら映画を撮れている、というサンプルでいることです。だから、これからも撮り続けられたらいいなと思います。

―ありがとうございました。

=取材を終えて=
2020年春に『ミセス・ノイズィ』の天野監督の取材をしました。女性監督としてのあれこれを伺っているときに、ママ友の岨手監督のお話も伺いました。『あのこは貴族』が岨手監督の作品と知って、ぜひ取材をと希望。リモート取材初体験でドキドキでした。
岨手監督はとても落ち着いた方で、言葉を選びながら回答してくださいました。キャストを選んだ決め手や、撮影しながら変わっていったところ、監督のこだわりなど、短い中でいろいろ伺うことができました。個性的な家族を演じたキャストたちについては時間が足りず。
この映画で岨手監督は脚本も担って、魅力的なキャストたちの演技を楽しむだけでなく、日本という国の構造と自分もどこかの階層でそれと意識せずに生きていることに気づく作品に仕上げています。別の世界にいる人たちが排除しあうのではなく、互いを知っていくストーリーも腑に落ちます。岨手監督や後に続く女性スタッフたちが、仕事もプライベートも両立できるよう、世の中が変わっていくことを願いつつ、応援していきたいと思います。

(取材・まとめ 白石映子)

ジャーナリスト安田純平氏登壇!『ある人質 生還までの398日』 トークイベント

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日時:2021年2月7日(日)
場所:ユーロライブ (渋谷区円山町1-5 KINOHAUS 2F)
登壇者:安田順平さん(48)ジャーナリスト  聞き手:森直人さん(映画評論家)


『ある人質 生還までの398日』は、デンマーク人の写真家ダニエル・リューさんが、取材先のシリアでIS(イスラム国)に捕らわれ、2013年5月から翌2014年6月まで、398日間におよぶ拘留期間を経て、家族等の協力のもと奇跡的に生還した実話に基づき映画化した作品。
作品紹介
2月19日(金)からの公開にさきがけ、渋谷・ユーロライブで一般試写会が開かれ、上映後のトークイベントにジャーナリストの安田純平さんが登壇。2015 年から3年4カ月にわたってシリアで人質となり無事解放されたご経験から、本作を語ってくださいました。

まずは、映画評論家の森直人さんが登壇。

森:2月19日にヒューマントラストシネマ渋谷と角川シネマ有楽町で初日を迎える『ある人質 生還までの398日』をご覧いただきました。
本日は、2015 年6月から3年4カ月にわたってシリアで武装勢力に拘束され、その後解放された安田純平さんをお招きして、この映画をご覧になって感じたこと、ご自身のご経験を語っていただきたいと思っております。

安田さんをお呼びする前に映画について解説させていただきます。
監督は、『ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女』で知られるニールス・アルデン・オプレヴさんで、デンマークの方です。凄惨な拷問シーンが続く構成で、過酷さが生々しく伝わってきますが、恐怖映画やスリラー的に消費することを戒め、安易な感動や興奮や刺激や情緒を抑制する意図がはっきりしています。これは問題提起の映画だと思います。なぜこういうことが起こったのか、その背景をできるだけきっちり押さえることが重要だと思います。日本人ジャーナリストもこれまで何度も悲劇に見舞われました。
それでは、安田純平さんをお招きします。

◆アメリカ人ジェームズは周りを気遣う人だった
森:今、上映後で、お客様も人質になったダニエルさんの拷問シーンなどで大きな衝撃を受けていると思います。ご覧になった率直な感想をお聞かせください。

安田:私は2012年にシリアの内戦の取材をしていまして、そのときに、映画に出ている亡くなってしまうアメリカ人のジェームズと同じ部屋に一週間くらい宿泊していまして、色々話をしました。映画の中で彼が話をしているのを観るだけで、ずっとジェームズを観ているような状態でした。彼がほんとにカッコいいんですよ。映画を観ておわかりだと思うのですが、ずっとまわりを励ましてました。
私が取材に行った時も、政府軍の戦車砲がボンボン飛んで亡くなった人がいたのですが、彼は先に入っていて、自分はもう結構取材してるから先に撮っていいよとか、あそこでこういうのが見られるよとか色々教えてくれたり協力してくれたり、ほんとに紳士的でした。山本美香さんという日本人が2012年の8月に亡くなったのですけど、ジェームズがアレッポの近くにいたので連絡とったら、いろいろ情報を送ってくれました。山本美香さんが亡くなった時の動画も送ってくれたのですが、彼女が契約していた日本テレビはまだ動画を入手してなくてすごく感謝されました。仕事というわけでもなく、色々やってくれました。その年の11月にジェームズは拘束されて、どうなるのだろうと思っていたら、あのようなことになりました。


森:ジェームズがもう一人の主役とおっしゃられたのですが、例えば彼がチェスを自作して、極限状態の中で正気を失わずにどうやって時間をつぶすかということも浮かび上がってきましたね。

安田:状況がすごく悪いので、どうしても悪いように捉えてしまいます。そうなってくるとだんだん精神的にも弱って身体も弱ってきます。何も考えない時間を持つことが大事で、ゲームをしながら気持ちをリセットしてということを考えたのかなぁと思います。


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◆シリアの反政府勢力はIS(イスラム国)と一線を画したい
森:この映画や、安田さんが書かれた本を読んで、報道と実体のギャップということもすごく考えました。時期的にいいますと、ダニエルさんの事件があった後、入れ違いのように安田さんが拘束されましたね。シリアの武装勢力の勢力図や社会状況にかなり変化があったと考えてよろしいでしょうか?

安田:イスラム国が大きくなったのは2014年正月1月からですね。シリアからイラクに入っていって大きな街をどんどん占領してデカくなった。それまではまだおとなしくしてました。アルカーイダは元々イラクで無茶苦茶やって追放されて、シリアに入って復活して、それがまたイラクに戻ってデカくなった。2014年にデカくなった後に、ジェームズの殺害映像とかを出して本性を現した。2014年の頃はどんどんデカくなっていて、これからどう対応しようかと世界的に問題になっていた時期です。私が入った2015年は、後藤健二さん、湯川遥菜さんがああいった形で殺害された最後のケースだと思うのですけど、多くの国や、シリアのその他の武装組織がイスラム国との対決を始めていた時期でした。

森:その辺の理解が僕も含めてはっきりわかっていないところがあります。安田さんを拘束していた武装勢力の正体はまだはっきりとわかっていないと考えてよろしいでしょうか?

安田:シリアの反政府側の組織は小さいものも含めて何百もあって、大きい組織の傘下に入ったり、あっちいったりこっちいったりよくわからないところがあります。大きくわけていえるのがイスラム国とその他です。この時期イスラム国は資金はあるし武器はあるし圧倒的に強かったのですが、それでもイスラム国は嫌だという連中が他の組織をやってました。
そのほかの組織からすると、イスラム国と同じ扱いをされるのだけは嫌なわけです。世界中のイスラム教徒がイスラム国をものすごく批判しているわけで、我々はそうじゃないことをアピールすることが生き残り戦略として重要なわけです。



◆見せしめ動画が出た時点で交渉は終わっている
森:例えば、見せしめ動画のメッセージ性も、イスラム国のものは、それまでのものと意味合いは変わってきているのでしょうか?

安田:イスラム国の場合は、映像を流した段階でアピールするだけで、交渉は終わっています。助かった人の映像は流れてません。ダニエルは写真が少し公に流れたみたいですが、映像は流れていません。流した段階で大騒ぎになりますから。取引はこっそりやるわけです。どこの国も表向きは交渉しないと言ってます。騒ぎになったら交渉ができなくなりますから、最初は黙ってやるわけです。映画の中でも絶対公表するなと言ってます。最初は秘密裏にやって、映像になった時には、もう事実上かなり厳しい。

森:安田さんの状況はまたちょっと違ったのですか?

安田:私の場合はなぜ流したのかわからないのですが、たぶん商売ですね。売り込みがあるみたいです。初期のころ流れたときは、私の場合は日本政府が完全に無視していましたので、彼らとしても何とかして交渉に引っ張り出したいと、一回私の家族にもメールがありました。ISやアルカーイダの場合は家族に脅迫がくるのですが、私の場合はなかったですね。2016年に入ってから連絡がきたのですが「日本政府に連絡を取っているのに、全然相手にしてくれない。どうなっているんだ? 連絡先ここだから連絡して」と。それを家族が外務省に伝えたけれど、こいつらとは絶対に交渉はしない、身代金は払わないというのが日本政府の絶対のルールなので。あいつらの接触を無視したら、その時点で死ぬかもしれないけれど、そういうものだと思ってました。
出してる映像は殺すためのものでもないです。後半のほうになると、もう商売ですね。日本政府が乗ってこないのがわかってるので、メディアに情報を売りに来る奴がいるんです。5000ドルくらいの話をすれば、その場でぎりぎり払える額らしいです。


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◆人質交渉コンサルタントが身代金見積を持ってきた!
森:それって報道されていない部分ですよね。安田さんが拘束されたとき、なんとなくアル・ヌスラ勢力ではないかと報道でも流れたことがありましたが、それを受けて彼らも装ってごまかすという流れもあったのでしょうか。

安田:現地側にブローカーのネットワークがあって、私の映像を持ち出した人間が、前にヌスラにいた人間だったからだと思います。シリア人でもたくさん誘拐されているし、いろいろな組織があってほんとのところはわからない。アルカーイダというと皆怖がるので、その看板をつけるメリットは相手が怖がるということしかないと思います。

森:言い方悪いですがヤクザ映画みたいに勢力図が色々あって、小さな一派がある感じですね。今回の映画で初めて知ったのは、アートゥアという存在ですね。民間コンサルタントが交渉するということがあるんですね。

安田:そうですね。私の家族にも売り込みがきまして、私の家族は身代金も報酬も払えないし無理だと伝えたら外務省に紹介してくれと。いくらほしいと聞いたら、見積書を送ってきて、毎月2万ドルだか20万ドルだかほしいと言ってきました。彼ら、完全にビジネスなので。実は外務省に売り込んだけれど、情報だけ取って追い返されたと。コンサルタントがいろいろやったけど、結局やめてしまいました。2か所売り込みがあったらしいです。
救出するための交渉は技術がちゃんと確立されていて、映画の中でもダニエル本人に車の色を質問するじゃないですか。生きている証拠をとるわけです。ニュースをちらっとみた奴らが「情報持ってるぜ」と関係ないのが大量に来るんです。その中から本当に捕まえている証拠を確認するのが最初です。交渉したあとに、お金を渡すときにまだ、本当に生きているかもう一度確認するんです。本人にしか答えられない質問をするのが一番オーソドックス。生きているかどうかは本人に聞くしかないです。DNAだと死体からもとれるじゃないですか。
私の場合、まず外務省は私が捕まって2カ月後に、私の家族から私しか答えられない質問項目を得ていたそうです。しかし私がその質問をされたのは私が解放された後で、トルコで日本大使館員に目の前で確認されました。そこで答えたので、解放されたと発表されました。捕まっている間には一回も聞かれてないので、取引や交渉も私の場合はしていなかったということなんです。
本人に聞くということは、本人に交渉していることがわかるということです。日本もですが、アメリカやイギリスは絶対交渉しないですから、ジェームズにはこういう質問は来ないんです。ほかのスペイン人とかには質問が来るのに自分には質問が来ないから交渉がないとわかって、一度ジェームズとイギリス人が脱走したんです。でもイギリス人が捕まってしまって、ジェームズはもう外に出ていたのに、彼だけ置いていけないと戻って、ものすごい拷問を受けたと聞いています。あのまま脱走できたかもしれないのに。一方、スペイン人は脱走を図らなかった。スペイン人に直接聞きましたが、一カ月に一度以上、そういう質問がきていて、それは生きているかどうかの確認でもあるのですが、これから救出するから無茶するな、頑張れという励ます意味もあって何回も聞くんです。

◆政府が一切身代金を出さないことと自己責任論の関係は?
森:テロリストにお金を渡さないという意味で、デンマークや日本と同様、人質解放のために政府は身代金を払わない。ダニエル一家の場合は、クラウドファンディングで募金を集めました。身代金の問題の一方で、自己責任という問題がある。身代金、自己責任という流れで、この映画、どう思われましたか?

安田:本人が行動した結果起きることは自己責任に決まってるじゃないですか。全員が負うこと。自己責任論というのは、政府や周りは関係ないですよという意味。自己責任論ということをよく聞かれるんですけど、本人に聞く話ではないと思います。本来、政府や社会に聞く話。政府がどう対応するかは本人には決められないじゃないですか。本人が何を言おうと政府は誰だろうと同じように対応しなければいけない。本人が選択しようがない。本来であれば政府は何かしなくちゃいけないとか、社会としてダニエルのように救出できるかもしれない、だけど、それをやるのかやらないのかは政府や社会が決めること。それは自己責任ではない。自己責任論をなぜわざわざ言うかというと、政府も社会も何もする必要がありませんよ、それは本人の責任ですよ、というための論だと思います。

森:国によって線引きや態度が違うということから、国が抱えるメンタリティとかルール批判意識が浮かび上がってくることが非常にありますね。

安田:アメリカやイギリスは中東に軍隊だして戦争をしているので、そこで人質を取られて政策の変更を要求されるとなると戦争にも影響します。アメリカやイギリスもジャーナリストは救出しなければいけないというメンタリティはもちろんあるわけです、それでも身代金を渡すと相手側に資金を渡すことになるという次の段階の判断です。日本の場合はそれよりはるか手前の話です。例えばダニエルはみんなでお金を出しあって救出することができた、どうして後藤さん湯川さんはできなかったんですかという話です。よその国の話のようにみえますけれど、なぜ我々日本人は後藤さん湯川さんを救出することができなかったのかを考えなくてはいけない映画だと思います。皆で集めればよかったじゃないですか。後藤さんは、ISから脅迫から来た時に外務省に相談したら、一切協力しないし身代金も払わないと拒否されて、ご家族がコンサルタントの協力を得て直接交渉していました。でも、足りない分を募金するにしても、日本社会では詐欺だという人も出てきて絶対無理だと思います。デンマークでは絶対漏らすなと言われて、誰もが黙って秘密を守ったまま3億円集めたのはすごいことだと思います。

森:ダニエルさんは帰国してバッシングもあったそうですが、庶民からお金を集めた家族とともに英雄視されたそうですよ。サプライズで、ダニエル・リューさんご本人からメッセージ映像が届いています。

★ダニエル・リューさんメッセージ★
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ポップコーンを楽しみながら、現実をちょっぴり体験してほしいです。
それが僕にとっては一番大切かもしれません。
映画を観ることができる喜びと、紛争地域で多くの人が直面している現実との対比を感じてほしいと思います。
そして、人それぞれだけど映画館を出るときに何かを考えるきっかけになればうれしいです。
もしこの映画を見ても心が動かなかったら自分をチェックすべきかもしれません。
それくらいいろんな感情が詰まっていて現実に起きたことから生まれた物語だからです。
皆さんにとって、自分たちの世界のことだけではなく、他人の命や人生についても考えるきっかけになればうれしいです。


◆生存証明である自分にしかわからない質問に涙
森:この動画を観ながら、安田さんとダニエルさんのご自身の体験に対する距離感が似ているように思いました。

安田:本人たちにしかわからないものが色々あって、原作も含めて、皆さんが反応していないところでおそらく反応していたと思います。生存証明として、ダニエルさんには実際には2回質問がきていて、一つは恋人とどこで知り合ったかという質問で、そのことから、まだ自分のことを恋人は待っていてくれていることがわかって彼はすごく喜ぶわけです。私の場合もブローカーから質問されて、家族が待っていてくれるんだとわかりましたから。そんなところに感激して読んだのは私くらいかなと。ジェームズにはそういう生存証明の質問がこなかったことが何を意味するかわかっていて、それでも他の人を励ましているということを思いながら見ていると、自分だったらそこまでやれるかなと考えました。


*フォトセッション*

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森:まだまだ聞きたいのに時間が全然足りない!  
最後に、これから映画をご覧になる方に一言お願いします。

安田:今でもシリアの内戦はずっと続いていて大変な状態になっていますので、これは終わった話ではないです。今でも起きていることだということを考えながら、観てほしいです。

報告:景山咲子



**********

ある人質 生還までの398日   原題:Ser du manen, Daniel
監督:ニールス・アルデン・オプレヴ( 『ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女』)、アナス・W・ベアテルセン
原作:プク・ダムスゴー「ISの人質 13カ月の拘束、そして生還」(光文社新書刊)
出演:エスベン・スメド、トビー・ケベル、アナス・W・ベアテルセン、ソフィー・トルプ

2019年/デンマーク・スウェーデン・ノルウェー/デンマーク語・英語・アラビア語/138分/カラー/シネマスコープ/5.1ch/日本語字幕:小路真由子
配給:ハピネット
後援:デンマーク王国大使館
公式サイト:https://398-movie.jp/
★2021年2月19日よりヒューマントラストシネマ渋谷、角川シネマ有楽町にて公開




『けったいな医者』毛利安孝監督インタビュー

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毛利安孝(もうり やすのり)監督プロフィール
1968年生まれ。大阪府東大阪市出身。映画監督の浜野佐知に師事。数多くの助監督を担当する。主に高橋伴明・黒沢清・廣木隆一・磯村一路・塩田明彦・清水崇監督作品に付く。
2010年『おのぼり物語』で長編監督デビュー。その後『カニを喰べる。』(2015)、『羊をかぞえる。』(2016)、『天秤をゆらす。』(2016)、『逃げた魚はおよいでる。』(2017) 『探偵は今夜も憂鬱な夢をみる2』(2019) 『さそりとかゑる』(2019)
テレビドラマの演出も多数手がけNETFLIX配信『火花』、LINE LIVE配信ドラマ『僕らがセカイを終わらせる…たぶん』などを手掛ける。
今後の公開待機作に、『トラガール(仮)』がある。
映画『痛くない死に方』では助監督として参加。

『けったいな町医者』
監督・撮影・編集:毛利安孝
ナレーション:柄本佑
出演:長尾和宏

長尾和宏 1958年生まれ。365日24時間対応の在宅医として、患者のもとへ駆けつけている。1995年、病院勤務医として働いていた際に、「家に帰りたい。抗ガン剤をやめてほしい」と言った患者さんが自殺をした。それを機に、阪神淡路大震災直後、勤務医を辞めて、人情の町・尼崎の商店街で開業し、町医者となった。病院勤務医時代に1000人、在宅医となってから1500人を看取った経験を元に、多剤処方や終末期患者への過剰な延命治療に異議を唱えている。2019年末、新型コロナが猛威を振るう直前、カメラは長尾に密着して街中を駆け回った。

作品紹介はこちら
https://itakunaishinikata.com/kettainamachiisha/
★2021年2月13日(土)よりシネスイッチ銀座ほか関西地方ロードショー


―最初は助監督をなさった『痛くない死に方』DVDの特典につける映像のつもりだったそうですね。

僕は東大阪が実家で、そこから尼崎は電車で1時間くらいで行けるんです。宿泊費、メシ代含めて、コストパフォーマンス的にも安い。「1~2週間で撮って、それを特典にするくらいでどうか」というその会議のときに、撮るんならもう少し長い時間撮ったほうが、長尾先生という方が出る。納得いくまでいいですか?と言ったら、「予算の範囲内ならいい」ということだったんですけど、東京に戻ることもあったので、途中で(予算が)ショートしてしまいました。深夜バスも考えたんですが毎回はしんどい。長尾先生にこれ以上は限界ですと言ったら、「わかった、帰るときの新幹線代は出そう」と(笑)。

―長尾先生が出してくださった?!

僕の昼食代と新幹線代です。ほぼ2ヶ月間、長尾先生の週末の講演に帯同したり、先生が患者さんのところに行くときについて行ってカメラを回していましたね。

―ドキュメンタリー、映画の順で拝見しました。長尾先生ってなんてパワーのある方だろうと仰天しました。長尾先生は独身なんですか? 家族持ちであんな働き方をしていたら映画『痛くない死に方』の河田先生のように家庭が破綻してしまわないかと心配になります。観客もそこが気になるだろうと思うんですが。

僕も初期の頃、長尾先生の人となりを撮りたいとご自宅での撮影をお願いしたことがあるんですが、冗談交じりに断られました。ただ、24時間×365日「医師・長尾和宏」でいると思ったので、僕も確認していません。私人ではなく「医師・長尾和宏」を追いかけて撮ることにしました。
働き方は、心配ですよ。夜の11時に患者さんから電話がきて「今から行ってもええか?」って家へ行く。考えられませんよね。で、12時に解散して、「明日7時集合な!」って。僕が終電の中で長尾先生のブログを見たら、もう更新している。
そして「毛利君、朝日新聞に薬のこと書いたんが載るから」「それ、いつ書いたんですか?」「3日前の夜かな」って。この人大丈夫なんかなって思いますよ。

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(C)「けったいな町医者」製作委員会

―スーパーマンですね。

ほんとそうだと思います。で、ずっと胸ポケットに携帯を入れている。胸ポケットって左にあるでしょう。心臓の上なんですよ。それが寝ているときでもいつでも鳴る。するとビクッとして夜中でもバーッと起きる、心臓に悪いって。「携帯できたときから、ずっとここやから、シャツの別の場所、右ポケットでも誰か作ってほしい」って言ってましたね(笑)。

―「ビクッ」が蓄積されて良くないかもしれない。いやー、大変な仕事です。

長尾先生は覚悟を持ってやっているんです。長尾クリニックのほかの先生たちから、シフト制にしてほしいという声はあるんです。やっぱりプライベートの時間、家族との時間は医師という肩書をつけずに一個人に戻りたい、って長尾院長にいうわけです。
僕たちからみたら、それは働き方改革からして当たり前、正しいと思うんですけど。そこはイズムとして、医師というものに対しての長尾先生の根幹の部分で「なんでや」っていうのがあるんです。
在宅医療の医師になるっていうことは、意志を持てということ。一人とは言わない、連携も含めてですね。「なんで俺の言うことは若い子にはわかれへんのやろ」って車の中でぼやいていました。

―ああ、長尾先生を知って理解して集まってきたスタッフでもそう思うことがあるんですね。

ありますね。あのパワーとエネルギーに憧れて中に入ってきたけど、あの働き方、あの動き方にはついていけない。合理性も含めてですね。それは、全員が全員、長尾先生になれっていうのはしんどいことです。そこから変えていくのも大事だと思います。

―同じことをやれと言われても無理ですよね。毛利監督もそう思いました?

思いました。最初は『痛くない死に方』の撮影のときに長尾先生に出会って本も読ませていただきました。ただ、あまりにも理想的なので、「ビッグマウス、眉唾じゃないか」とも内心思っていたんです。でも考え方には賛同できる、面白いなと。実際2ヶ月ほど帯同させていただくと「有言実行」なんです。あのエネルギーを間近で見るとねえ。すごいです。

―倒れたことはないんでしょうか?

「俺は倒れない」「コロナにはかからない」とおっしゃるんです。(笑)。去年も「俺はインフルエンザにはかかったことない」って。患者さんをまわっているときに鼻グシュグシュいってるから、「風邪じゃないですか」と言うと「いや、俺は風邪なんか引いたことない」って。で、次の日マスクをしだしたんです。患者さんと接するので、その対応かなと思って「風邪ですか」というと、「風邪やない。風邪ひくなんて気のゆるみや」。
クリニックで先生おれへんな、と思ったら隣の部屋がガサゴソしてたんで、見たら先生が(自分で)注射してた。カメラ見て「やめてくれ!」って(笑)。「風邪薬ですか?」「栄養剤や、栄養剤!」(笑)。

―スーパーマンも風邪をひく。スーパーじゃないところもある。

まあ、そういうところもある。でも気持ち的にはね、「スーパーマンになろう」というか、人に元気を与える人ではありますね。

―それは思いました。患者さんたちが先生と会うと明るくなりますよね。

そうです。そこはもうびっくりします。中には受け付けない人も、在宅でも無反応の方もいらっしゃるんです。でも、その人たちも、毎週1回とか2回とか訪ねていくうちに、一緒のテンションになっていく。
「どうや、今日は?」「元気!」
だんだんほどけてきますよね。どんだけ病でふさぎ込んでいても、一個一個できることを言ってくれたり、何か元気になれるワードを言ったりしてくださるんで。
黙って薬の処方をするだけではない。「薬の処方はほぼいらんやろ」っていう人だから。ああいう診療の仕方というのはすごいなぁと思います。

―まず手をどこかに当てますよね。あれって「手当て」ですよね。

脈を診るっていいながら、あれはある種のスキンシップです。手当てですね。

―足りていないのはあれだと思いました。大病院の先生は特に。

患者さんの言うことを聞いてちょっと聴診器あてて「風邪です」とかね。長尾先生はそれ、ないですから。くだらない話をしつつ身体を触って、血圧が高かったらちょっと話をして落ち着いてからそこをほぐしてから測って、「あ、ほら血圧戻った。大丈夫や」って。それがすごいですね。

―監督はお身内やお友達など近い方を看取ったことは?

ないです。いまわの際、お亡くなりになる瞬間っていうのは僕の人生経験ではないです。僕が駆け付けたときには、すでに息を引き取られていたことはありましたけど。まさに命が召されていくっていう瞬間に立ち会ったのは、今回が初めてです。

―今回は2回ありました?

本編の1回目の死亡告知の映像は長尾先生が携帯電話で撮られた映像です。3、4年ぐらい前に長尾先生と話して「リビングウィル」をきっちり書かれた人です。「なにかあったら長尾クリニックに連絡して、遺体は(献体して)兵庫医大で解剖してくれ」とあったので、長尾先生が呼ばれました。そのときの映像なんです。

―あの部分だけ違うのはそういうことだったんですね。私は何か上にかけてあげてーと思っていました。

僕が立ち会ったのは最後の方で、きっと僕にとっては最初で最後の「平穏死」の体験になるでしょうね。亡くなる前に5、6回お訪ねしています。僕が東京に帰るといっていた日に亡くなられたんです。ですから本作の最後の撮影部分です。

―ドキュメンタリーは8~9割が被写体になる方の魅力、面白さで決まると思っています。その点、長尾先生はもうぴったりの方でした。監督もすごく興味を持って撮られていたんじゃないかなと思いました。

それはもう尼崎で町医者をやっている人という時点で。尼崎って関西人からいうとかなりディープなエネルギーあふれる街なんです。それは知っていましたので、そこで20何年医者をやるには、よほどのパワーがあるというか、ウソがなく真っすぐ患者さんと向き合わないと、ボロが出ると思うんですよ。特にあんな商店街のど真ん中ですから。
今はコロナで人間同士の距離感が遠くなっています。昔は町医者が確実にいて、家族ぐるみでいろいろ世話になっていて…それがここで撮れるんだろうなという予感がしていましたし、人間の魅力あふれるエネルギーのあるドラマが撮れるなと思いました。周りの人と接しているうち長尾先生の魅力がどんどん出てきました。

―長尾先生、キャラ濃いです。

キャラ濃い(笑)。長尾先生も患者さんもキャラが濃いんで。特に尼崎の人たちは日々笑って過ごそうとしています。どんなに辛くても誰かがこう「オチ」に持っていったらそれでちょっとクスリっと笑う。やっぱり根がポジティブです。みんなポジティブなエネルギーに変えようとするバイタリティが根底にあるんだと思います。あのへんの人々には。

―2ヶ月間でたくさん撮ったものの中から選ばなくちゃいけませんね。何を基本に残したり、諦めたりしたんですか?

これはもう、単純明快。尊厳死なら尊厳死。認知症なら認知症。長尾先生の患者さんは多岐にわたっているので、テーマを絞り込むのか絞り込まないのか、編集のときに一瞬考えました。
11月から1月の11日まで撮った長尾先生を一回並べてみよう、とやってみたら4、5時間あったんです。ひとつのキモとしては「ひとり紅白歌合戦」(長尾先生が、患者さんたちの楽しみになるようにとコロナの感染拡大前は毎年開催していた)があったので、そこが物語上の頂きというか目標地。八合目までは見えていたので、そこに向けて長尾和宏という人が日々在宅医療を続けている。そのモンタージュであればいいだろうと。特にどれかにフォーカスをあてるより、いろいろやっているヘンな、いや、「けったいな町医者なんですよね、この人」っていうのがわかれば。いかに患者の病気じゃなく、人と向き合おうとしているかがフォーカスされればいいなと思いました。
そうなるとますます時系列の順が見えてきて、4時間くらいに絞れたかな。長尾先生に観ていただいて、今度は長尾先生の「許可取り」が始まりました。

―映っている方々のですね。

はい。患者さんや患者さんのご家族には、長尾クリニックの記録係と紹介していただいて撮影したので。そのときは映画になるのか特典になるのかもわからなかったですが、世に出していいかどうかを伺いました。ほんとは僕も先生と一緒に行って許可をお願いしたかったんですけど、コロナで行けなくなってしまって長尾先生が一人でやってくださった。断られる方もいましたので、それでだいたい3時間くらいになりました。
次は「観やすさ」です。僕が編集して長尾先生の魅力をいかに人に伝えられるか、という作業に入っていきました。そぎ落としてこうなりました。

―すごく面白かったです!

ありがとうございます。

―いつも「これから観る方にひとこと」ってお願いするんですけど、短くひとことを。

いろいろ受け取りかたはあると思うのでなんとも言えないんですけど。ひとことでは言えないかもしれない(笑)。
こういう熱い医者がいます。正解かどうかはわからないけど、僕は正解だと思っています。これから医療従事者をめざそうという方々、一般の方々も、一度観てください!「こういうふうになりたくない」「いや、これは」「ここがいいからやってみたい」とか、いろいろあると思う。僕はこういう患者さんとの接し方は、忘れられているから浮き上がってきているんだと思う。こういう人はずーっとどこかにいらっしゃるんでしょうけれど、少なくなってきているからこの作品を観た方が「長尾先生すごいよね」「熱いよね」と言ってくださる。本来こういう人がいてくれるって大事だと思うので、望めばきっと出てくると思うんです。

―はい、望むこと。望まないと出てこない。

そうですね。長尾和宏って尼崎の街が生み出した医者だと思うんですね。あの街でもまれてたぶんそうなっていった。最初のほうで90くらいのお爺ちゃんが「先生、変わりましたな。立派になられましたな」って言っています。

―患者さんもきっと先生を育てたということですね。

そう思います。でなかったら、どっかで淘汰されると思います。

―ありがとうございました。

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―監督が映画学校に行こうと思われたきっかけの映画はなんですか?

そんなに特に映画好きだった記憶はないんです。ただ、集団で物を作るというのは、学生時代からいろいろやっていました。運動会でみんなを束ねてでかいものを作るとか、お芝居をやったとか。映像は8ミリカメラを持ってたんですけど、お金がなかったのでそんなに回せなかった。映画館の体験が大きかったかな。真っ暗な中でみんなで観ていたという、そういうのがあってたぶん映画を選択してきたと思うので、これ1本っていうのはない。
『太陽がいっぱい』で、どんでん返しってこういうことかとドカーンと衝撃を受けた。『ゴッドファーザー』もテレビで観たんですけど。
あの当時劇場は途中からでも入れたんです。小さいとき『スター・ウォーズ』をお袋と弟と観に行って、扉開けた瞬間、真っ暗な空間に宇宙船がぶわーっと飛んでいるのを観ちゃったんです。無数の星の中で宇宙船が奥に飛んでいくシーンは、いまだに頭の中にこびりついています。とてつもない世界に一瞬にして引きずり込む力、高揚感っていうのがね。

―もう『スター・ウォーズ』がこの1本になるじゃないですか。直接のきっかけじゃないかもしれないですが、そんなに強く今も残っているんですから。

いやー、どうでしょう。そういわれると何かもっと高尚な映画を言えばよかったなと(笑)。でもそうですね。

―こんな作品を作りたいというものはありますか?

あります。今回ドキュメンタリーというのが初めてだったので、自分なりの手ごたえ、こういうやり方をっていうのは見えたので、そこは探っていきたいなと思います。
それと劇映画に関しては、ヤクザ映画はまだ映画が映画足りうるひとつの武器であると。コンプライアンスとか、暴対法とかだんだん追いやられている感じがあるんですけれども、社会的弱者とかそっちじゃなく、まだ粋がっている男の任侠の世界を2時間の中で語りたい。突っ張って生きている男の友情とか、熱いものを感じさせる力をまだ信じているので、いつかやってみたいですね。


=取材を終えて=
毛利監督も熱い方でした。あの長尾先生を追っかけるには、同じくらいパワーが必要ってことなんでしょうね。締めのことばをいただいてから、続いたお話は囲みにしてあります。ヤクザ映画について熱心に語ってくださいましたので、いつか製作されたあかつきには、ぜひまた取材に伺いたいものです。
(取材・監督写真:白石映子)