©合同会社CHAMP ASIA
*ティンダン監督プロフィール*
1984年6月29日生まれ、ミャンマー、ヤンゴン出身。
6歳で日本に家族で移住。日本で育つ。2006年日本映画学校18期卒業。卒業制作作品の『エイン』はアジア・フォーカス福岡映画祭及び伊参スタジオ映画祭に正式出品された。2017年『めぐる』を監督。ボンダンス国際映画祭最優秀短編賞、ライジングサン国際映画祭日本短編部門グランプリ、小布施短編映画祭鴻山部門 作品賞、ワッタン映画祭 審査員特別賞を受賞。
2019年ミャンマーでChamp Asia Production を設立。2021年4月ミャンマーのクーデターに遭遇し、ドキュメンタリーの撮影中に政治犯として拘束され、2年1ヶ月拘留される。現在は長編製作に向けて準備中。
『めぐる』『エイン』公式サイト https://meguruein.com/
作品紹介はこちら
ー『エイン』の始まりをお聞かせください。
日本映画学校演出コースに入りまして、天願大介(今村昌平長男 )さんのもとで学びました。『エイン』は卒業制作です。はじめは全く違う映画を作る予定でした。1988年、ミャンマーで民主化を求めるクーデターがあり、その運動をしていた若者たちが夢破れて海外に出ていきました。日本に来た若者の10年後、30代に入った彼らが、自分の国やアイデンティティ、民主主義って何だろうと、葛藤する姿を描こうと思っていました。自分の疑問でもありました。
それを出したところ、先生に「今これを描いたら、危険な目に遭う」と言われました。2005年は軍政だったんですが、僕は日本で育ったので、そういう危機感がなかったんです。締め切りも間近だったので、最終的に自分の経験や自分の好きなロードムービーを盛りこんだ家族の物語をつくったところ、「これがいいよ」と。
ーそれで日本にやってきた兄弟が主人公に。弟のウィンタウンくんが無邪気で可愛くて、難しい年ごろの兄のアウンメインくんを知らず知らず助けていました。キャストはどのように集めたんですか?
はい。こちら、みなさん素人の方でした。ミャンマー料理屋さんや雑貨屋さんにチラシを貼って応募を募り、面談してきめました。
僕は6歳のときに両親と日本にやってきました。下の弟と妹の2人は日本生まれです。『エイン』の弟ウィンタウンに自分の経験を重ねています。アウンメインのキャラには、クラスにいた転校生の友達を重ねました。彼は日本人ですが、仲間に入りたいのになかなか溶け込めないでいました。先輩から後輩への暴力というのは当時僕も目にしました。先輩も始めは興味から話を振ったのが、だんだん変な方向にいってしまったんです。いじめを容認したくなかったのでそこの演出には気をつけました。
ー自分たちと違う人は珍しいのでかまいたくなります。でも慣れてないので方法がよくわからない。いじめかどうかは「悪意のあるなし」じゃないでしょうか。
まさにそうなんです。アウンメインはミャンマーでは人気者で、楽しく過ごしていて日本に来たくなかったんですね。実は、あの中学校は自分の通っていた母校です。お願いして夏休み中のロケに協力してもらえました。生徒さんがたくさんエキストラで出てくれました。
―喜ばれたでしょう。エキストラの経験をした子が後でスタッフになったりしますね。
田舎なので、映画の撮影なんてそうはありません。初めて映画に触れて、喜んで出てくれました。出来上がってから上映会をして観てもらえました。主人公のクラスメート役で出てくれた子が、後でお笑いの世界に入って、今も続けているんですよ。
―まあ、それは面白いですね。ロケで人生変わりました。
「笑われる」んじゃなくて「笑わすんだよ」というセリフが良かった。
ミャンマーでもお笑いは人気なんですよ。日本のお笑いをつなげてみたら面白いんじゃないかとやってみました。
ーお父さんが体調が悪いのに仕事を休めなかったり、近所の奥さんが持ってくる古着にお母さんがお礼を言ったりするのにアウンメインくんがプンプン怒りました。
お兄ちゃんはプライドが高いですから。プライドは必要ですけど、高すぎる不要なプライドは捨てたほうがいいときもあります。自分の考え方を変えてみれば周りも変わっていきます。それは僕自身も学んだことです。お笑いは解決策の一つで、この映画を観てそれぞれ考えてもらえたらと思っています。
ー今はほんとに外国の方が多くなりました。体験が増えてくれば受け入れる側もだんだん慣れて、おつきあいも楽になるはずです。近所の奥さん、無関心じゃないのは良いんですが、あの古着も差し上げ方がちょっと...。
袋に入れるんじゃなく、ちゃんとたたむとか(笑)。
ー光石研さんが出演していて、あら!とびっくりしました。デビュー作の『博多っ子純情』(1978)から観ているんです。
光石さんは業界人も大好きです。大ベテランなのに僕はどうしても出演してほしくて、ダメ元でお手紙を書きました。台本を送ったところ、なんと出演していただけることになって、本当に嬉しかったです。光石さんがいるシーンは特別です。駄菓子屋で兄弟と3人並んで座っているシーンが大好きです。海岸で何も言わずに観ているシーンも、光石さんだから出てきた風格だと思います。
ーミャンマーの人たちはすごく家族を大事にしますね。
はい、親戚も同じで、いとこたちも兄弟のように育ちました。日本は今ちょっと家族の繋がりが薄いような感じがします。ミャンマーの人たちが今たくさん日本にいます。まだ日本語がよくわからない人たちのために、会話の日本語部分にミャンマー語の字幕を入れて観てもらいたいと考えています。
ーたくさんの方が観てくださるといいですね。
©日本映画大学
ー次は全くテイストの違う『めぐる』です。ここまで間があきましたね。
脚本は書いていたんですけど、作品として出来上がったのは2本だけです。
ミャンマーで取材中に逮捕される前に、完成したデータを友人に預けていたので、今回公開することができたんです。パラデータ(素材)がないので、予告編を作るのに苦労しました。
―今度は卒業制作と違って俳優さんがたくさん出演しています。
オーディションで選んで撮ることができました。脚本を気に入って集まってくださって。素敵な俳優さんたちに出演していただきました。現在活躍中の小野花梨さんも出演しています。
―脚本は『愛に乱暴』の山﨑佐保子さんです。他の人の脚本を監督するのはいかがでしたか?
面白かったです。自分が創作したのでない脚本があって、僕の演出でキャラクターに肉付けするというのは面白い行程でした。脚本を大事にしつつ、変えるときは山崎さんに許可を取り、完成したときにはお褒めの言葉をいただきました。
ー撮影日数とスタッフの数はどのくらいでしたか?
5、6日間で、スタッフは8人くらいです。脚本の山﨑も撮影(山本周平)、照明(鳥内宏二)、編集(辻田恵美)もみな映画学校の同期です。当時独り立ちしたばかりのころでしたが、できることを精一杯やりました。僕も演出をしただけでなく、お弁当を配ったり忙しかったけど、楽しかったです。
―同期ってありがたいですね。学校に行った強味ですよね。
ありがたいです。この前会って「この映画を今撮ったら、あんなこと、こんなことができる」という話になりました。拘束で僕は2年間止まったままだったのに、ミャンマーから戻ってきたらみんな先へ進んでいて、すごくいい仕事をしています。
―その空白の2年間の体験が、いつか生かせるときが来ると思います。来てほしいです。
『めぐる』は主人公の名前とも繋がっていますね。駅に走った「めぐみ」が、コーヒーカップを持った男性とぶつかるのが始まりです。「めぐる」も別の日に同じ人にぶつかります。人混みでカップを持つのはやめてほしいです。せめてペットボトルで(笑)。
自業自得(笑)。めぐみが起きられなかったのは、妹の悪夢を見ていたせいで、それはまた別の人が関わっています。言いたかったのは、僕らはちょっとした行動でも、他人に影響を与えてしまっている、めぐりめぐって影響しあっているということです。この社会も他人(ひと)が作ったんじゃなく、自分たちが作っている。今日お会いできたのも何かのめぐり合わせで。日本にはご縁という言葉がありますけど。
―ほんとに。ご縁がいい方に向いていけば嬉しいです。
©合同会社CHAMP ASIA
―映画を目指すきっかけになった作品はありますか?
一番好きなのは『ライフ・イズ・ビューティフル』です。あのお父さんが子どものために、泣かせないように一生懸命笑わそうとするところがすごく好きでした。映画学校にいたころ観たんですが。
―映画学校に行くとものすごくたくさん観るようになりませんか?
それまで僕が観ていたのは、すごくスタンダードな作品ばかりだったんですよ。それが映画学校では映画バカ、映画マニアばっかりで「小津安二郎のあのカットがさぁ」と言われ、「なんだそれ?」、「岡本喜八がさぁ」と言われ、「なんだそれ?」(笑)。
それからいろいろ観るようになりました。ミャンマーで映画を観たことがなかった両親は、映画というものがわからなくて。映画を説明するために『青い春』を観せたら困っていました。
―『青い春』は観ていないんですが、親が観て困るような映画?(笑)青春ものですか?
青春ものです。高校生が屋上のフェンスの外で手を叩いて、回数が多い人が番長になれるんです。不良高校生の話ですが、淡々と描かれていてすごく面白かったんです。親は「こういう映画が作りたいの?」と驚いていました。
*『青い春』2002年公開/豊田利晃 監督。10代から20代の松田龍平、新井浩文、高岡蒼佑。EITA(永山瑛太)、KEE(渋川清彦)さんたちが出演
ー映画で食べていけるのかと心配されたでしょう?
されました。いまだに心配されています(笑)。
―親は、子どもが50、60でも心配するんです。そのうち親子が逆転します。
こういう監督を目指したいという目標としている方は?
北野武監督の映画には影響を受けました。でもやりたいのは山田洋次監督作品のような人情ものです。
だから『めぐる』に関しては僕の中では挑戦でした。どうしても『エイン』のように家族ものだったり、ラストもハッピーエンドになったりするものを書くことが多いので。全く違うタイプの山﨑さんの脚本を監督することで、自分の力量も試してみたかったんです。
―あれもまた別の面白さがあっていいですよね。3本目はまた違うタイプになりますか?
主人公が生き生きとして、映画を観終わった後に自分なりに周りを見る、考えるものを撮りたいなと思っています。「観たー!」「良かったー!」で終わるだけでなく、何かが心に残る映画を作っていきたいです。
―面白かった~が一番なエンタメ好きです。でも後でひっかかること、知らなかったことに気づかせてもらえると、お金と時間を使った甲斐があります。配信も多くなって1本あたり安く観られるようになりましたが。
配信は時代だと思いますけど、映画館はなくならないです。映画館で観た後の感覚ってやっぱり特別ですから。劇場では『めぐる』の後に『エイン』を上映する予定です。当時より外国人はうんと多くなっていますし、ミャンマーのことにも想いを馳せてもらえたらいいなと思います。
―今日はありがとうございました。
取材・監督写真:白石映子
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
=取材を終えて=
話が広がって、まとめるのに時間がかかりました(私の質問があちこちに飛ぶもので、すみません)。た~くさんお話をうかがえたのですが、公開前なのであまりネタバレになりそうなことはあげていません。2年間の空白についても最少限にしています。その中で印象的だったのが、「余談ですが」と話してくださった本について。
拘留中1年間本を読むことを禁じられていたのが、とても辛かったそうです。文字を目にできない間は、自分で地面に棒で文字を書いては消し、を繰り返したとか。2年目にやっと支援者から届いた本を読んだ時は嬉しくて落涙。解放されてからは、2年分の新聞を読み漁ったとか。
80年も戦後の平和が続いた日本は、世界でもとても珍しい国です。「すごいことです」とティンダン監督。
ただ、戦後生まればかりになり、すでに先人が手に入れた民主主義(国民主権、平和主義、基本的人権の尊重)を当たり前と感じている気がします。ティンダン監督が身をもって知ったそのありがたみを、私たちはもっと大切にしなくては。最近のニュースを見ても、生命や自由がいとも簡単に奪われています。本や映画にはそんな前例がいくらでもあります。生活と政治は直結しています。無関心でいてはいけないとつくづく思いました。話が別方向にいきました。
『エイン』は故国と家族への想いで胸がいっぱいになるお話。『めぐる』は、人は見えなくともつながって世界ができていること。良いことも悪いことも巡ることを見せてくれます。観た方の胸に響くはず。(白)
(白)