『夕陽のあと』初日舞台挨拶

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11月9日(土)新宿 シネマカリテにて、主演の貫地谷しほりさん、山田真帆さん、越川道夫監督の舞台挨拶がありました。上映後の舞台挨拶のため、内容ネタバレがありますのでご注意ください。ほぼ書き起こしでお届けいたします。

貫地谷 こんなに満員のお客様の前で舞台挨拶ができるのがすごく嬉しいです。今日はよろしくお願いします。

山田 劇場まで来てくださってありがとうございます。ちょうど1年くらい前に長島に行って撮って、こうしてみなさんに観てもらうことができて感無量です。長島の方も喜んでいると思います。

監督 長島はツワブキが咲き終わるくらいの時期でした。東京は今咲いているんですけど、ツワブキを見ると長島で撮影をしていたなぁと思い出します。今日はどうもありがとうございます。

―先日鹿児島での先行上映を迎えまして、いよいよ昨日から全国公開となりました。率直に今のお気持ちをお聞かせいただけますか?

貫地谷 皆様に茜という女性がどう映ったのかなぁというのが、正直ちょっと怖い部分でもあります。

監督 むしろ感想聞きたいですよね。(会場へ)どうでした?

―皆様いかがだったでしょうか?(会場拍手)
貫地谷さんが演じられたこの茜という役は、自分の幼い子どもを置き去りにしてしまったというなかなか辛くて想像し難いような役柄だったと思います。撮影中も精神的にもハードだったとお聞きしております。どのようなお気持ちで、現場で乗り越えていったんでしょうか?


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貫地谷 皆様がどう思われたのかわからないんですが、これから養子縁組をしてすごく幸せそうな家族の新たなスタート、というところに私という女が現れて、ある意味かき乱していきます。普通だったら山田さんの五月のほうに感情移入してしまうんですが…今もうネタバレしていいんですもんね?「一度失敗した人間にはもうチャンスはないのか」というセリフもありましたが、私はやはりそこが大切なことなんじゃないかと思っていて。なので、今回自分の価値観というものは置いておいて、いかに茜という役に寄り添えるか、というのを常に考えていたら毎日すごく辛くて。島の皆さんたちと山田さんたちはコミュニケーションもとられているのを見て、すごく羨ましいなぁと、いつも台本見ながら暗い気持ちでいました(笑)。

―監督は茜という役を演じられる貫地谷さんを、どのようにご覧になっていましたか?

監督 すごく悩んでいましたよね。微妙な感情の度合がいっぱいあって。

貫地谷 こんなに大々的に「産みの親、育ての親」という宣伝があるかもわからず(監督:そりゃそうだ)どこまで私が産みの親だというのを見せていいのか、っていう匙加減がすごい難しかった。

監督 感情の匙加減は微妙なので、それについては「こうじゃないか、ああじゃないか」と二人でやっていました。茜のいないシーンでも、茜の残像がお客様の中に残っていることが大事だと思っていたので…出ているシーンはもちろん大事ですよ。出ていなくても茜の存在がどう残っていくかを考えながら演出していた気がします。

―山田さんの演じられた五月は、島で生まれ育って、これからもずっと島で暮らしていく女性として描かれていました。本当に山田さんがずっと長島町で暮らしていたんじゃないかというくらい溶け込んでいらっしゃいました。

監督 「誰が女優さん?」「どれが女優さんですか?」と聞かれました(笑)。

山田 誉め言葉と受け取っておりましたけど(笑)。

―どんな風に島の皆様とお芝居の形を作られていったのでしょうか?

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山田 台本をいただいたとき、島で生まれ島で育っているということだったので、そこに説得力がないとダメだなと思って。飲み会のシーンや友達のシーンが島の方だったので、やっぱり波長を合わせたいと思いました。お願いして漁師さんの家に泊まらせていただいて、一緒に朝の仕事に行ったり、とにかく島を歩き回っていました。

貫地谷 朝現場に向かうときにたまたま、山田さんが台本持ってぶつぶつ言いながら歩いていく姿を見て、すごく素敵な方だなと思いました。

山田 車で横切ったの気づかなかったです。とにかく島を全部歩こうと思っていて、あるとき、電動三輪車に乗ったおばあちゃんが来まして、「どうも」って会釈したらハグされたんですよ。「あ~~」ってハグしてきて、親戚でも何でもないんですけど。

貫地谷 それはどういうノリなんですか?

山田 わかんないんですけど、びっくりしちゃって。なんか外国に来たみたい(笑)。おばあちゃんがそれから「私はあそこに見える種子島から嫁いできて長島にずっといる」という身の上話を20分くらい聞いて…(笑)

貫地谷 新しい仲間と思ったのかな。

山田 不審者という感じではなくて、私も話しているうちに親戚や家族みたいな気持ちになってすごいな~って。その心があけっぴろげな感じができたらいいなと思いました。

―「産みの親、育ての親」というなかなか答えの出せない問題に、お二人と豊和くんと一緒に挑んでいったかと思います。監督ご自身もお父さんでいらっしゃって、この映画で大切に描きたかったポイントはどこだったでしょうか?

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監督 どっちが本当の親かという映画や芝居は昔からありますが、その問題点の外に出たかった。そんなに簡単に決まるものではない。その問いの外に出ることはできるのだろうか? 子どもの人生は誰のものですかと言われれば、それは子どものものと言うと思うんです。しかし、僕を含めて子どもを所有しちゃう。でも子どもの人生をどういう風に尊重できるか?ということを一番に考えた。それは取材した児童相談所の方から「子どものことは最終的に子どもが決めます。僕らが決めるんじゃない。親が決めるんじゃない。子どもが決めます。そのことをいつも考えながら務めています」とお聞きして、この考え方は間違いじゃないんじゃないか。しかし、子どもを愛ゆえに拘束してしまう。どうしたら外に出られるのか?それぞれの苦しみも喜びもそれぞれにあると思いますけれど。
僕らはいい大人ですから、後からくる子どもたちのためにどういう風な場所や世界を残しておけるかというのがすごく大事な問題だと。それは子どもがいるいないに関わらず、大人の問題だと思っているので、それをどういう風に描けるかとみんなで考えながら、みんなと問いながら作った映画です。

―今本編をご覧になったみなさまも、映画の中のみんなと一緒に考えていただけましたらと思います。

ここでフォトセッション

―最後に貫地谷さんより締めのご挨拶をお願いいたします。

貫地谷 本日は来てくださってほんとにありがとうございます。今この国は失敗した人間がどうやって再起をかけられかということがすごく難しくなっている世の中なんじゃないかなと思います。その解決策は難しいと思うんですが、わからないから怖いということもあると思いますし。その中で、もしかしたら、隣にそういう人がいるかもしれない。そういう思いをみなさんが常にどこかで感じていただければ、この先また違う景色が見えるんじゃないかなと思います。私はこの映画に携わってそう感じました。なので、良かったらお知り合いの方に薦めていただいたり、また来てくださったり、これからも『夕陽のあと』をよろしくお願いします。

作品紹介はこちら
越川道夫監督インタビューはこちら

(まとめ・写真 白石映子)

『この星は、私の星じゃない』田中美津さん、吉峯美和監督インタビュー

2019年10月26日~11月8日 渋谷ユーロスペースにて公開
この後の上映情報は末尾に紹介

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@konohoshi2019


監督:吉峯美和
出演:田中美津、米津知子、小泉らもん、古堅苗、上野千鶴子、伊藤比呂美、三澤典丈、安藤恭子、徳永理華、垣花譲二、ぐるーぷ「この子、は沖縄だ」の皆さん

作品紹介
1970年代初頭「女性解放」を唱えて始まった日本のウーマンリブ運動を牽引した田中美津さんの歩んできた道、鍼灸師として働く姿、そして沖縄辺野古に通う彼女の今を4年に渡り追ったドキュメンタリー作品。
詳細は下記で
シネマジャーナル 作品紹介 
『この星は、私の星じゃない』 公式サイト 

吉峯美和監督プロフィール(公式HPより)
1967年生まれ。フリーランスの映像ディレクターとして、民放やNHKのドキュメンタリー番組を手がける。2015年に、Eテレ特集『日本人は何をめざしてきたのか 女たちは平等をめざす』で田中美津にインタビュー。その言葉の力と人間的魅力に惚れ込み、自主製作で本作の撮影を始めた。

田中美津さん、吉峯美和監督インタビュー
2019年9月 あいち国際女性映画祭会場 ウイルあいちにて

あいち国際女性映画祭2019で上映があり、上映後Q&A、その後のインタビューです。

・インタビュアー 高野史枝 
映画監督(『厨房男子』)、シネマジャーナル執筆協力者 名古屋在住
・まとめ 宮崎暁美 シネマジャーナルスタッフ 東京在住

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*「パワフル ウィメンズ ブルース」

高野史枝 ドテカボ一座(リブセンター)が「パワフル ウィメンズ ブルース」を歌って踊っている姿を見て、名古屋で赤華(しゃっか)というグループを作ってあちこちライブしていた人たちのことを思い出しました。名古屋でもウーマンズハウスとかそういう喫茶店があったんです。もう70歳近いのですが。彼女たちはずっとあれが私の原点なんて言っていました。「パワフル ウィメンズ ブルース」は名古屋でもいろいろな人に影響を与えています。

宮崎暁美 「パワフル ウィメンズ ブルース」の曲は知っていたし、歌っていたのですが、田中美津さんの詩だとは知りませんでした。この映画で知りました。

高野 「たまたま女に生まれただけなんだよ」というのが、映画の中で最後につながっていましたよね。

田中美津さん 試写でこの映画を3回観てるんですが、もっぱら「なんでこんなズボン履いてるのよ」とか、自分の「あれまぁ!」と思うところしか見てなくて、全部をしっかり観たのは、実は今日が初めて(笑い)。観終わって隣にいた監督に、「ウン、なかなかいい映画よね」と初めて感想を言って・・・・(笑)。

高野 まあ、最初から最後まで、1時間半出づっぱりですものね。
監督にお聞きしたいのですが、映画論法でいくと、普通は周りに本人を語らせて、その人を浮かび上がらせるというやり方が、安易かもしれないけど一応客観的なアプローチだと思うのですが。上野千鶴子さんが出ているのなら、上野さんが語ったらすごいよねと思ったのですが

吉峯美和監督 上野さんや伊藤比呂美さんにもインタビューしたのですがカットしてしまいました。

高野 それはどうしてですか?

吉峯 尺の問題が大きかったです。90分に収めなきゃいけないというのがありました。取捨選択していく中で、田中さんがしゃべっている以外で評論的なものはやめようとなりました。よくTV番組では、知らない人もいるから田中さんがいかにすごい人かということを証明するために誰か識者みたいな人に持ち上げてもらう手法を使います。2015年のTVの時は実際、上野さんに田中さんを語ってもらったんですよ。田中さんの『いのちの女たちへ―とり乱しウーマン・リブ論』を「今は古典になっている本で、これを学生の時に読んで共感したのよ」と語っています。だけど映画では、そういう作りをしなかった。インタビューという手法じたいを少なくしたかったからです。
なぜ「この星は、私の星じゃない」と思うようになったのかということを語ってもらうために、そこの部分はしっかりお寺や公園で撮りました。また息子さんとの葛藤の話は、自宅でインタビューしているのですが、その2つ以外は、基本的には田中さんは誰かとしゃべっているとか、一人で自然としゃべり出すとか、普通に何かをやっているのを撮るというような作りにしました。本人でさえインタビューを減らしたいので、上野さんや伊藤さんへのインタビューは使わないという方針でした。

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高野 やっぱり本人が語るのが一番強いですね。今回観ていて改めて思ったのですが、言葉に対する思い入れ、才能がすごい。そのまま文章になっていくんですが、普通あまりそういうことはないですよね。きちっと伝わってくる。

吉峯
 田中さんはフェミニズムにおいて、与謝野晶子や平塚らいてうと並び称される人なのですから、それ以上持ち上げなくてもいいのではというのがあります(笑)。


*嬉野京子さんの「ひき殺された少女」の写真をめぐって

高野 自分の思いを語っている断崖のシーンも好きです。沖縄で写真*をみせながら男の人と口げんかしているシーン、これよく撮ったなと思いました。

*嬉野京子さんの「ひき殺された少女(1965年)」の写真を入れ込んだ田中さんが作ったチラシのこと。この写真を見たくない人も沖縄には多いから、こういうのを配らないでほしいといってきた男の人がいて、田中さんと口論するシーンがある。
嬉野京子さんの写真 参考サイト1
http://longrun.main.jp/okinawa1965/film.html

田中 あれはほんとはもっと激しくやりあってたのよ。あの人、東京の人で、自分の意見なのに「沖縄のおばぁが嫌がってる」と言ってクレームをつけてきた。そういうクレームのつけ方ってズルいと思うのよね。

宮崎 私はあの嬉野京子さんの写真を1970年頃見て、田中さんと同じように衝撃を受けました。だからあの写真に対して「これを見たくない」という人がいるということに驚きました。思ってもみなかった。

田中 自分が正義だと思ってる人とは、話し合っても疲れるだけ。だからあの男を相手にしてもしょうがないと思って、直接当のおばぁに写真をどう思ってるのか感想を聞いたのね。

吉峯
 「あの事故にあった少女の尊厳を考えたら、このチラシを配るのはやめろ」ということだったんです。「その少女の死をただの死に終わらせないで、この子の死が発するメッセージを伝えることも、彼女の尊厳を生かすことにつながるんだ」という田中さんの反論が良かったから使いました。しかもその後、ちゃんとおばぁに謝りに行ったところが偉い。「私はこの写真を見たことで、何かをしなくてはという思いにかられて信念を持ってやっているけど、気を悪くしたのだったらごめんなさい」と。

田中 あの少女の死を、本土の人間はほとんど知らないというそのこと自体が、あの子の尊厳を踏みにじっている根本であって、本土の人間にまず、あの写真を見てもらいたい、本土の私らは見るべきだと思って、始めた運動なのよね。

高野 そうですよね。

田中 そうしたら隣にいたおばぁが、「もうずいぶん前に見た写真だから忘れていたけど、こういうことがあったね」と思い出してくれて・・・。こういうことがいくらでもあった、と。そのことを直接聞けたから、まぁあのクレーム男も役には立った(笑)。

高野 男を面と向って敵にしたくはないけど、そういうタイプの象徴的な人が出ていたと思いました。田中さんはこういう権威的なものと闘ってきたよねと思いました。

田中 私、権威を盾にしてモノをいう人をバカにしていますから、ああいうのとは闘うより無視したいほう。

*田中さんと吉峯さんの信頼関係

高野 断崖のシーン、参道のシーンを観ると、吉峯さんと田中さんの信頼関係がしっかりと出ていましたね。ドキュメンタリーは時間が必要ですよね。知り合ってすぐという感じの映像ではないと感じられますよね。


田中 ほんとに、私のそのまんまが撮られてる。

高野 ある程度の時間をかけないと、そこまで撮れないですよね。

田中
 でも、私の場合、最初から緩んではいるんです(笑)。

吉峯 久しぶりに観たんですが、TV番組の時はやっぱり顔が厳しいですね。今と全然違いますね。

高野
 撮っている順番はわからないですが、最初の頃のきちっとしゃべろうとしている感じと、最後の頃の好きに撮ってねという感じ、雰囲気が時間の経過でずいぶん違ったと思います。やっぱり出ますよね。1ヶ月くらいで撮っていたら、顔の表情は硬いままですよね。

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*ソファを買って、初めてこの星で生きていこうと思った

田中 顔と言えば、リブ運動をしていた時の信頼している仲間であった米津さんと会って話している時の顔が、我ながらほんとに嬉しそうな顔をしていて驚いた、

吉峯 米津さんも嬉しそうでした。

田中
 ほんとに

高野 その時のリブの話がすごく良かったです。「ソファを買って、初めてこの星で生きていこうと思った」という話、ジーンときました。

吉峯 あれは米津さんがいたから撮れた話だったと思います。

田中 米津のところに、たまたまソファがあったから(笑)

高野 抽象的な話も必要だけど具体的な話は説得力ありますね。「ソファを買って、初めてこの星で生きていこうと思った」という言葉は、ものすごく伝わってきました。

吉峯 実感がわく言葉ですよね。

高野 それまでは仮暮らしだったけど、ソファを買ったことで、「ここで暮らしてゆく」という決心がついたというのを感じました。

田中
 あれは、年齢と関係なく通じる話よね。

高野 特に女性にはリアリティがある。

吉峯 「この星は、私の星じゃない」という言葉では思わなかったけど、同じような違和感を持っていたという人がいました。

宮崎
 『この星は、私の星じゃない』というタイトルに、最初、何だろうと思ったけど、このソファの話で「なるほど」と思って、このタイトルぴったりだなと思いました。

吉峯 私は好きなんですけど。

高野
 皆さん、ここで腑に落ちるんですよね。この作品の時制はバラバラなんですか?

吉峯 そうですね。最初のエピソードは、まあ、アバン(導入部分)みたいなもので、リブのこと、鍼灸師、沖縄のことなどが、頭18分の中に入っていないといけないと思っていました。

高野
 「こういう映画ですよ」という導入部ですね。

吉峯 その後、お寺のインタビューあたりからは、時系列通りという感じです。子供だった田中さんがいて、20代になってリブやって、メキシコに行って母になって、息子が育って鍼灸師になってというように話を続けたんです

*沖縄に通う

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@konohoshi2019


高野 沖縄の部分はまとめずに、沖縄に行って帰ってきて、東京での日常があり、また沖縄に行く、そういう日常だよという風に作っているのですね。

田中 あの、米軍の車に引かれた女の子の写真見て、すごくショックを受けて、私は沖縄のことを自分の問題として考えてこなかったと猛反省。直ちにいろんな人に呼び掛けて沖縄ツアーをやるんですが、あの時、実は岩波書店ともうひとつの出版社から本を出すことになっていたんです。それを全部打っちゃって沖縄へ、沖縄へとなってしまって・・・・。

高野 そのあと、必死に校正していましたね。

田中 必死の校正は今年になってからで、この映画の題名と同じ「この星は、私の星じゃない」という本と、この10月にインパクト出版会から出る「明日は生きてないかもしれない…とい」う自由」という本があの時に蹴飛ばされちゃった2冊なんです(笑)。

吉峯 ようやく映画の完成に合わせて出版されました。

田中 1枚のチラシから、自分は沖縄の大変さを分かったつもりでいただけなんだと知って、本のことどころじゃない、ひたすら恥ずかしかったのです。

吉峯 田中さんはツアーだけで10回くらい行っていますが、個人的に下見も行かれていますので、倍くらいは行ってますね。

田中
 久高島のよくしゃべるおばさん、あの巫女っぽい人が出てくるシーンだけど、話を聞いているフリをしながら、私、居眠りしているんですよね。わかったかしらね(笑)。

高野
 あれ居眠りですか。私は感動して頭垂れているのかと思いました(笑)

田中 あれは辺野古へのツアーの翌日で、参加者と別れて私一人で久高島に行ったんですけど、最初から疲れているのに、暑い中あちこち連れ回されて、もう、あまりに疲れ果てて思わず眠ってしまって・・・・(笑)。彼女の話がなんか神がかってて、そういうの苦手だし。

宮崎 私は久高島まで行ったんだと感動しました。

吉峯 呼ばれないと行かれない島です。私たちきっと呼ばれたんですよ。

田中 女たちの島だしね。

高野 あの美津さんを見ると、よく似合っていましたね。巫女気質あるんじゃないですか。

田中 少しはあるかもしれないけど、神がかってる人に従順だったのは、あまりにも疲れていたからよ。

*カリスマ

高野 友人から聞いてほしいと頼まれたのですが、メキシコに渡られたのは国際婦人年のメキシコ会議で行って、そのまま残ったんですか?

田中 そう、たまたま行って、たまたま居ついた。

高野 リブの中でカリスマのように持ち上げられてしまって、居心地が悪かったので日本から飛び出したということなんですか? 田中さんがいなくなってから、運動が下火になっていったということもあったのですが、田中さんはそのへん意識していたのでしょうか?

田中 私にとってリブは「1対多数の関係」で、そういう関係になってしまうカリスマって、なりたくてなるもんじゃないのよね。思いもかげずカリスマみたいな者になってしまい、いつも落ち着かなかくて。体が悪くなってメキシコに逃れたことで、いわば仕切り直しができて・・・・。鍼灸師はいい、鍼灸は1対1の関係だもの、もう、私の天職です。

高野 さます時間が必要だったんですね。

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@konohoshi2019


田中 「有名になりたくない」なんていうと偉そうに聞こえるかもしれないけど、なんで有名になりたくないかというと、「面白くなさそうだから」につきるのね。「有名になる」って、他人が自分をどう見るかということを常に意識する、させられるということでもあるし、そういう意味で、それって不自由になることでしょ。猫は、ただ生きているだけで猫なのに、人間ってただ生きているだけではその人にならない。自分を探しながら生きて行くんだよね。そして探してるうちに、こういう私は嫌だとかこんなのは私らしくないとかわかってくる。

高野 その意識もあったんですね。田中さんがカリスマを拒否したいという姿勢、リーダーなしで運動を進めるという考え方はリブの中で具現化しましたね。私は名古屋でワーキングウーマンというのを30年くらいやっていたんですが、リーダーも事務局も志願制というか、やりたい人がやる。一切、代表とかはなし。
 
田中 リブって、そういうことを大事にしようと努力した運動だった。

高野 そうですね。皆さん、若い頃からそういう風に活動してきたのですが、他からの問い合わせとかで、「代表はいったい誰なんですか」とか「誰か責任もって話してください」とか言われるのですが、その時に「担当が対応します」と言ってやってきたので、そういう、田中さんがおっしゃったような「1対多数」というようにはしないというのが、あの頃の運動の流れでした

田中
 理念は横一列なんだけど、動き始めると自分が中心みたいになってしまうのが、とにかく嫌だった。でも、それを個人的にどうにかしたかったら運動から離れるしかないがけど、私は離れたくなかった。それに私がそういう存在であることの意味もあったのね。できたばかりの運動だと、どこがヘソかわからないと、マスコミは取り上げてくれないから。

高野 それはそうですね。

田中 それだから頑張りすぎて体が悪くなってメキシコで暮らすようになった時には、ほっとしました。ハハハ、恋愛もできたし。

高野 お子さんも生まれたしですね。

*生活者としての田中さん

宮崎 運動家としての田中さんの姿を、いくつかのドキュメンタリーで観てきましたが、初めて生活者としての田中さんを見た作品でした。私としては安心というかほっとしました。田中さんも普通に生活して生きてきたんだなあと思いました。さっきトークの時(映画祭上映後のトーク)。「私もこうやって日々の生活を送って生きていけばいいんだなと勇気をもらいました」という人がいましたが、私もそう思いました。

田中
 そうですよ。

高野 そう思った人、たくさんいらっしゃいますよ。

吉峯 「もっとすごい人のはずなのに、どうしてこんな普通の人みたいに描いているの」って、怒られるんじゃないかと思ったんですが、そういう風に言ってくれる人がいて安心しました。

高野
 撮っていて、すごい人だというのがあるし、お話しもインパクトがあるじゃないですか。日常をこういう風に撮っていいのかなというジレンマみたいのはなかったですか?

田中
 なかったみたいよ(笑)

吉峯 ジレンマはないんですけど、最初の頃はやっぱりすごい人を撮っているという意識がありました。その人の記録を歴史として残さなくてはいけないみたいに思っていたんですが、撮り始めて2年くらいたって、そうじゃないんだとわかったんです。田中美津という人を撮っているけど、自分を見つめ直すような作業なんだなと思いました。だからテーマが変わっていったんですよね。

*「膝を抱えて泣いている少女」が意味すること

高野 一番、変わられたというのはどういう部分ですか

吉峯 2年目の時に、女子会をやったんですよ。30代の女性カメラマンと、40代の音響効果の女性、50になろうとする私と田中さんの4人で。田中さんはお酒を飲めないけど、他のメンバーはお酒を飲んで。その時、田中さんが「あなたたちが柔らかな感性を持ち続けて作品を作っていきたいのなら、自分の中にいる膝を抱えて泣いている少女の存在を忘れてはいけないんだよ」というようなことをおっしゃって。確かに私、自分の中にいる泣いていた、つまりトラウマ的なことをなかったことにして、忘れて蓋していたんです。それでなんか大人になったような気分になって、男と同じように番組をバリバリ作って、結婚もしていないし、子供もいないけど充実した日々を送っているという風に思っていたんだけど、それって、その少女に蓋して生きてきたということなんだなあ、それを言われたんだなと思ったんです。そんな痛みに蓋しているような人には、「田中美津」は捕まりませんよって言われたような気がしたんです。
それでその頃から、その蓋していた少女ってなんだろうって自分のことを一生懸命探るようになって、そういえば私「この星は私の星じゃない」と泣いていた時あったなあと思い出したんです。その少女って、結局、田中さんの中には今もいるから、そこの痛みから発するから、皆に言葉の強さが伝わるんだと思って、だから、自分の中にもいて、田中さんの中にもいる、その少女を描かなくてはいけないんだ、そこを大事にしないと、ほんとに偉人伝のようになっちゃうと思ったんです。
それが2年目くらいにわかったので、そこから撮り方も変わっていたし、これまでいっぱい撮ったけど、これもいらない、あれもいらない。少女に関係ないと思うところは全部捨てることにしました。

高野
 撮っているうちに変わるというところは、必ずありますよね。

宮崎 4年も撮ったということは、かなり撮っていますよね。

高野 もう一本映画作れそう。見るのが大変ですよね。

吉峯 そう。ぜんぶ文字起こしもしたし、それが大変でした。

高野 実は私の話なんですが、私も今『おっさんず ルネッサンス』という作品でおっさんを撮っているんです。おっさんって大嫌いで、だいたいおっさんって抑圧的じゃないですか。油断するとセクハラしようとするし、パワハラはあるし、おっさんたちに変わってほしいという作品を作ろうとやっているのですが、10年くらい付き合いのある人たちを撮っています。撮っているうちに、なんか可愛げがすごくあると思うようになりました。抑圧が取れて、社会からの足枷が取れて、むき出しの自分になって、妻との関係に悩んだり、友達ができないって悩んだりする姿があって、おっさんは意外に可愛いと思えてきました。

*『おっさんず ルネッサンス』 高野さんが今、製作している映画
愛知県大府市の施設「ミューいしがせ」で生活自立を学ぶおっさんたちのドキュメンタリー映画 
https://ossan-obu.com/

田中 フェミニストもおっさんも、好きなヤツと嫌いなヤツがいるだけじゃないかと思うのよね。。。どんな肩書きだろうと嫌いなヤツは嫌いなんです。妻子に優しく家事をやってるという男が全員好きなわけではないし。「膝を抱えて泣いていたボク」を忘れない男で、女・男の別なく付き合っていける、オープンザッマインドの男が、いいなぁ。

高野 なるほどね(笑)。その少女の心情というのが自分の中にいないと、そういのが消えてしまうと、これはうまく撮れる、これは効果的という風になってしまうかもしれませんね。

田中 「膝を抱えて泣いている少女」というのは、映画の中に出てくる言葉で使えば、「なぜ、私の頭に石が落ちてきたのか」ということへの拘りとイコールなのね。それは、「たまたま」に過ぎないんだと、散々悩んだ末に私は思い至るんだけど。ほんとにつらい何かを抱えた人って、「他の人も皆いろいろな傷を負ってるんだ」とわかっても、そういう事実に四捨五入できない自分がいるんですよ。「なんで私の頭に?」という、その問いそのものは、個人的に答えが出せるものではないし、社会的にも難しい。。。いわばそれって天に問うようなことですものね。そんな大きな事柄だから、「なぜ私のアタマに?」という問いや苦悩が宗教をもたらしたと言っても過言じゃないと思うんです。
いまはもう、石が落ちてきたのは「たまたま」なんだと知ったから、「なんで私のアタマに?」というこだわりも薄れてきましたが、でもそういうことばではないかもしれないけど、「なぜ私のアタマでなければならないの?」と悩んでいる人はたくさんいるはず。だから心細く自分を手探りしてきたことを、自分は忘れちゃいけないと思うのね、幾つになっても。その思いから多くの人とつながって行けるはずだから。


高野
 そういうのをお聞きできただけでよかったです。これから自分はどうやって生きるかというのも、少しそういう視点を忘れちゃだめということですよね。

田中
 センチメンタル過ぎるのは、モチロンいやだけど、センチメンタルがまったくなくなってもダメよね。。。人と繋がっていくのは、センチメンタルな部分もあってのことだから。

吉峯 あの海の崖のところで泣いていたのは、美津さんの少女の部分が反応してですね。

宮崎 田中さんの思いが伝わってきました。

田中 自分で言うのもナンですが、あそこ、いいですよね。

*カメラの組み合わせについて

高野 映像がクリアに撮れていますね。

吉峯 カメラはいいです(笑)。

高野 カメラいいんですか。

吉峯 私が撮っている自宅の場面は家庭用のビデオカメラだけど、外の映像とかイメージカットなどはいいカメラで撮っています。断崖で撮ったのは、南幸男さんという日本のドキュメンタリー界では5本の指に入るカメラマンです。

田中 横にカメラがあるのにゼンゼン気にしないでしゃべれたのは、やっぱカメラマンの腕がいいからでしょうね。

吉峯 ほんとですね。

田中 お蔭で、戦火に追われて人々が飛び込んだあの崖の下で話してたら、まるで自分も飛び込んだ一人になったような気がしてきて・・・・。

高野 慣れてしまったという感じでしょうね。

吉峯 あそこはシンクロしちゃって、世界に入っちゃっているんですよ。

高野 ちょうど良かったですね。小さいカメラでは家の中とか、狭いところを撮っていて。

吉峯 鍼灸院なんかも女性が裸だし、私が小さいカメラで撮っています。

高野 狭いところは機動性があるカメラ、広いところは大きなカメラで、映像にメリハリが効いていますね。色合いもいいですし。後半は外の景色が多いですしね。両方がうまく組み合わさっていますね。

吉峯 カメラマンの腕です。

高野 そういういいカメラマンを使えていいですね。

吉峯 一点豪華主義で、イメージカットや広いところの場面とか撮ってもらいました。

高野 私は大学出たてのカメラパーソンにお願いしています。京都から来てもらって撮影しています。名古屋ではそういう映画のプロカメラマンがいないので羨ましい。DVDができたらお送りします。

田中 東京でやるときは教えてください。映画は映画館で観るのが一番です。

吉峯 ほんとですよ。

*ウーマンリブとフェミニズム

宮崎 3,40代の人たちはウーマンリブの時代を知らないから、この映画を観て興味を持ってくれる人がいたらいいなあ。ウーマンリブの運動があってフェミニズムが生まれたということがわかるといいなあとも思います。ウーマンリブの運動、こういうような形であったんだなと、とても入りやすい内容です。

吉峯 そうですね。田中さんの生き方を通してリブたちの思いが伝わればいいですね。

田中
 リブとフェミニズムってちょっと違うんですね。あと、この映画ができて良かったなと思うのは、リブっていいなって思う人が、この映画で増えんじゃないかということです。

宮崎
 私もそう思います。私も運動に関わってはいたけど、カチカチの運動の記録だと、運動に関わっている人はわかるけど、そうでない人はそう思わない人もいる。


吉峯 逃げ腰になっちゃうから。

*再び「パワフル ウィメンズ ブルース」について

田中 みんなで歌って踊っている場面、いいでしょ。私、あの場面すごく好き。

高野
 すごくいい。あの時代の記録として撮れていて良かったですね。

宮崎 あんな映像が残っていたなんて思ってもみなかったので驚いたし、嬉しかったです。

田中 あれ1番と3番だけなんですけど、2番も入れてほしかった。2番はなんと原一男監督の元女房で、私たちの仲間だった人が歌っていたんですが、彼女は体から発する力が強い人で「父ちゃんみたいな男じゃいやなんだよ、母ちゃんみたいに生きたくないんだよ」って歌ってて、あれ、入れてほしかったなぁ。

宮崎
 そうでした。そうでした。それは残っていないんですか。

吉峯 1番と3番しか使ってないんです。

高野
 名古屋でも、最初に言った「赤華」ってグループが、あの歌をずっと歌っていたんです。オリジナルは直接は聴いていなかったんですが、彼女たちが歌っていて知っていましたし、彼女たちの持ち歌だと思い、それを聴いてとてもインパクトがある歌だと思っていました。

田中 みんな好きだったのよねぇ。

高野 テーマソングになっていて良かったですね。かっこいい歌になっていましたね。

田中 同じ歌詞が、カッコいい新しいメロディで歌われてて、あれでリブファンがグンと増えた感じ。

高野 「たまたま女に生まれただけなんだよ」って、いろいろしんどいことがあっても、この歌に励まされました。応援歌になっていますよね。

吉峯 「私のサイコロ私が振るよ、どんな目が出ても泣いたりしないさ」って。

田中 この映画、をマスコミがどのくらい取り上げてくれるかなぁ。なんせ男マスコミだから・・・・・。

高野 「なんだリブか」ってことにならなければいいんですけどね。

宮崎 私もかつて、そのマスコミが作り上げたリブ像のおかげで、リブのことを誤解していて、1975年まで5年の間、リブの人たちに出会わずにいました。

田中 敬遠しちゃったのね。でも今日ね、上映が終わった後、感じのいい男の人が寄ってきて、感動したと言ってしてしっかり握手を求められたんだけど、なかなか手を離してくれなかったのね。60代くらいの人だったけど、何をやっている人なのかなと凄く印象に残った。
 
吉峯 男にも伝わって良かった。その人も自分の中の少年を思い出していたんじゃないですか。

田中
 嬉しいよね。

高野 やっぱり映画ができると大きいですよね。みんなリブの影響をあちこちで受けながら細々とやっているんですよ。

田中 この映画、10月26日からまず東京で公開されるんですが、その際いろいろな方がゲストに来てくれることになっていて、上野千鶴子さんもその一人。上野さん、この映画を観てどう思うかなぁ。感想が楽しみです。

高野
 上野さんは、ちゃんと受け止めてくれますよ。

田中 フェミニズムの代表として上野さんがいるでしょ。でも自分もフェミニストなんだけど、フェミニズムはあまりシックリ来ないという人が、私のファンには多いのよね。

宮崎 そうですね。私もそうです。

高野 私もちょっと違うというのは、感覚としてよくわかります。

田中 だから上野さんがこれを観て、どう思うか知りたいのよね(笑)。 

高野
 フェミはやっぱり根っこに膝を抱えた少女が必ずいると思うんです。そして「この星は、私の星じゃない」とも思った人たちだと思うんです。

田中 私ね。上野さん的なフェミニズムを否定的に思っているのではなく、あの映画を観てから一層、私的なフェミニズムと上野さん的なフェミニズムの両方必要なんだと強く思ったのね。そのことを上野さんもわかっていると思いますが、この際生の声であの映画を観た感想聞けるのが聞けるんで。楽しみだなぁと

高野 ほんとにそうですね。興味深いです。

吉峯
 しかも初日ですよ。初日。

取材を終えて
東京でインタビューさせてもらう予定でしたがあいち国際女性映画祭で上映があるということを知り、ちょうど映画祭に行くので、今回は名古屋で取材をと考えたところ、いつもシネマジャーナルに記事を寄稿されている名古屋在住の高野史枝さんが取材申請しているというのでご一緒させてもらいました。名古屋の女性たちの運動との兼ね合いでお二人に質問していたので、名古屋のことも知ることができる記事ができました。名古屋でも「パワフル ウィメンズ ブルース」が歌われていたというのは感慨深いものがあります。
米津さんも出てきて嬉しかった。私は1980年頃、新宿の製版屋(印刷の版を作っていた)で働いていたんだけど、そこに米津さんが時々製版の依頼に来ていた。私はてっきりリブ新宿センターの仕事と思っていたんだけど、その頃はすでにリブセンターはなかったんですね。この映画のことを調べていて知りました。米津さんは大きなバイクに乗ってやってきました。あの頃、大きなバイクに乗った女の人は珍しく、さっそうとしていてかっこよかった。そんなことを思い出しました。
そして何よりも田中さんがこんなに気さくな方だとは思いませんでした。そんな田中さんの姿を4年も追い続けた吉峯監督。長い時間が紡ぎ出した田中さんの姿だと思いました。(宮崎暁美)

2019年10月26日~11月8日 渋谷ユーロスペースにて公開

連日朝10時30分より(上映時間90分)上映開始
トークショー開始 12時ごろの予定
11月2日(土)は田中美津さんによるトークの聴き手は渡辺えりさん(女優/劇作家/演出家)です!
以後のトークイベント(いずれも映画の上映終了後)‼
11月 3日(日)小川たまかさん(ライター/フェミニスト)
11月 4日(月・祝)吉峯美和さん(本作の監督)
11月 6日(水)安冨 歩さん(社会生態学者/東京大学東洋文化研究所教授)

ユーロスペースでの上映後、名古屋シネマスコーレ 横浜シネマリン、大阪シネ・ヌーヴォ 京都みなみ会館神戸元町映画館 鹿児島ガーデンズシネマ 沖縄桜坂劇場 松本シネマセレクト 他全国順次公開予定!

参考
シネマジャーナル スタッフ日記
『この星は、私の星じゃない』完成披露試写会に行ってきました
http://cinemajournal.seesaa.net/article/469274783.html




『少女は夜明けに夢をみる』 メヘルダード・オスコウイ監督インタビュー

死刑執行の朝5時を過ぎれば、やすらかに夢がみれる
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2017年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で上映された『夜明けの夢』が、この11月2日(土)より『少女は夜明けに夢をみる』の邦題で東京・岩波ホールほか全国順次公開されるのを前に、メヘルダード・オスコウイ監督が来日。「国際人流」と2誌合同でインタビューの機会をいただきました。


『少女は夜明けに夢をみる』

原題:Royahaye Dame Sobh(夜明けの夢) 英題:Starless Dreams
監督:メヘルダード・オスコウイ
製作:オスコウイ・フィルム・プロダクション

高い塀に囲まれた女子更正施設。ここには、強盗、殺人、薬物、売春などの罪で捕らえられた少女たちが収容されている。
取材申請してから7年待ち、ようやく3ヶ月間の取材許可を得たオスコウイ監督。更正施設に通って、少女たちにマイクを向ける。
監督に同年代の娘がいることを知り、「あなたの娘は愛情を注がれ、わたしはゴミの中で生きている」と語る少女。そんな彼女たちが心を開いたのは、監督自身、15歳の時に父親が破産し、自殺をはかった経験があると知ったからだ。少女たちが語った人生は、それぞれが壮絶だ。貧困や、親族からの虐待で罪を犯してしまった少女たち。雪だるまを作り、無邪気に雪合戦に興じる姿からは、心に傷を抱えながらも、塀の中で過ごしている間は安心したように見える。
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作品紹介 

2016年/イラン/ペルシア語/76分/カラー/DCP/16:9/Dolby 5.1ch/ドキュメンタリー
配給: ノンデライコ
(C)Oskouei Film Production
公式サイト:http://www.syoujyo-yoake.com/
★2019年11月2日(土)より、東京・岩波ホールほか全国順次公開

メヘルダード・オスコウイ
 Mehrdad Oskouei
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1969年、テヘラン生まれ。映画監督・プロデューサー・写真家・研究者。「テヘラン・ユニバーシティ・オブ・アーツ」で映画の演出を学ぶ。これまで制作した25本の作品は国内外の多数の映画祭で高く評価され、イランのドキュメンタリー監督としてもっとも重要な人物の1人とされている。2010年にはその功績が認められ、オランダのプリンス・クラウス賞を受賞している。イラン各地の映画学校で教鞭を執り、Teheran Arts and Culture Association(テヘラン芸術文化協会)でも精力的に活動している。2013年にフランスで公開された『The Last Days of Winter』(11)は、批評家や観客から高く評価されている。(公式サイトより)


◎メヘルダード・オスコウイ監督インタビュー

机の上には、監督が持参したペルシア柄のテーブルセンターが敷かれ、ピスタチオ入りのクッキー「ソーハーン」が置かれていました。

   K誌(「国際人流」佐藤美智代さん) 
   シネジャ(シネマジャーナル 景山咲子)

◆少年更生施設の奥の少女たちが気になった
K誌:本作はティーンエイジャーの3部作の最終章ですが、そもそも少年少女たちの映画を撮ろうと思ったきっかけを教えていただけますか?

監督:この作品だけでなく、私はいつも、声を出せない人たちや、声を出しても聞く人がいない人の言葉を皆に伝えたいと思って作っています。
3部作は、青少年の話でもありますが、刑務所の話でもあります。青少年時代の自分の体験なのですが、15歳の時に父が倒産してしまって、家族は経済的に苦しくなって、私自身、絶望して自殺しようと思ったことがありました。
革命前なのですが、父も祖父も政治的な理由で刑務所に入れられていました。ですので、子どもの時から刑務所の話を身近に聞いていました。自分の経験した15歳の時の混乱と共に、こういうテーマで撮りたいと思いました。
青少年を巡る3部作ですが、イランの映画史の中では初めてドキュメンタリー監督のカメラが刑務所に入りました。
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K誌:娘さんがちょうど生まれて女の子に興味をお持ちになった時期であったり、社会的経済的混乱の中で子どもたちの犯罪が増えたことが映画を撮るきっかけになったのでしょうか?

監督:
最初に少年施設を撮ろうと思ったのは、自分の15歳の時の経験などが影響しています。少年施設に入って撮影した時には、自分には娘がいたのですが、それがきっかけになって少女に興味を持ったわけではありません。
少年施設を撮っていたときに、少女が連れていかれるのをみて、奥に少女の施設があるのがわかりました。
カメラを持って入ってみると、自分の娘と同じ年ごろの少女たちがいて、皆、自分の娘よりも頭もよくて、大変な経験をしていて、彼女たちの将来はどうなるのか、施設の中でどういう生活をしているかに興味を持ちました。
最終的には撮影許可が下りるまで、7年待たされました。ねばって待ったのは、少年施設を撮っていた時に少女が奥に連れていかれるのをみて、すごく驚いて、絶対中を見てみたいと思ったからなのです。

◆自分の痛みを治すために映画を作っている

シネジャ: 「お父さんに仕事があればいいのに」という少女の言葉が切実でした。監督も15歳の時、お父様が破産して自殺しようと思ったとのこと。未成年の子どもにとって家庭環境が人生を左右すると、つくづく思いました。イランだけでなく、どこの国でもあることと考えさせられました。

監督:今の言葉を聞いてわかったのですが、私たちは子ども時代に経験したことを忘れてしまうのですが、大人になって同じような経験をした人の話を聞いて、自分にもそんなことがあったなぁと、ふっと思い出します。人間の気持ちを題材にして映画を作っている監督たちは、自分の内面と会話しているのだと思います。自分の中に何か問題があったり、悲しみや痛みがあるのを治そうと思って映画を作っています。私は15年間も刑務所の話を撮っているのですが、まわりの監督から、「もうその題材はやめてほかのことを撮れば」と言われても、「言いたいことが終わってない」と答えるのです。でも、終わってないのではなく、自分の中の痛みが解放されてないので、撮りながら自分を治そうとしている部分が大きいのだと思います。
作品が出来ると、皆に見せて、これから子どもたちをそういう目に合わせない方法を考えましょうと提示したいのです。皆の救いになれば、自分の痛みも癒されると思っています。


◆家族の絆が強いイラン人。外国では群れないのは、なぜ?
シネジャ:イランの人たちは家族の絆がすごく強いと思っているのですが、そんなイラン社会で、この施設にいる少女たちは施設を出て家族と会うことも拒みたいと言っています。人間関係が希薄になっている日本では、さほど感じない寂しさを、イラン社会では家族との関係が希薄なことをいっそう寂しく感じるのではないかと思います。
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監督;大事な話だと思います。文化の違いの話だと思います。2日間、いろんな方と話をしてわかったのですが、日本の施設では、入所している青少年に自己責任として反省させたり謝罪させたりしているようです。イランの施設では、施設の人たちが入所している子どもたちを守ろうとします。慰めて、皆とシェアしようとします。そこは文化の違いだと感じます。
これは私の疑問なのですが、いろんな国にイラン人が住んでいるのですが、イラン人は中国人やインド人のようにコロニーをつくりません。
イラン人は国を出ると単独で暮らす傾向があります。イランの中にいる時には、家族の絆も強いし、親戚などとよく集まるのに、これはなんだろうと。
例えば、空港でイラン人を見かけても、お互いイラン人とわかっても、知らない顔をします。外人ですという顔で前を通ったりします。国の中にいると、あんなに群れるのに。
この映画の少女たちも、家族のような気持ちになっているし、ソーシャルワーカーたちも、家族の中にいるような環境を作ってあげています。それほどイラン人は国の中ではコロニーを作るのが好きなのに、一歩、国を出ると、なぜあんなによそよそしくなるのかと思ってしまいます。
日本に来てみると、日本人は一人一人が孤独を感じているようにみえます。家族や親戚で集まることや友達のところに遊びに行くこともイランほどないと聞いています。それが一歩、日本を出ると、ヨーロッパやイランのツアーでは、皆くっついていて、旗の下で一緒に動いていてます。日本人は国の中でコロニーをつくらないので、イラン人と正反対で、なぜだろうといつも思っています。国の中で、一人一人でいるから、逆に外に出ると集団行動できるのかなと。
施設は、一つの大きな壁の中にあって、そのさらに小さな壁の中にいる十数人は、お互いをサポートして慰めあってくっついているのですが、一歩施設を出るとばらばらになります。
日本では、施設の中でばらばらで孤独。お互いに気持ちをシェアしないと聞きました。逆に質問したいのですが、日本人はなぜ自分の痛みをシェアしないのですか?

わたしたち二人:なぜなのでしょう・・・ 難しいですね。

監督:あんなに質問して、答えてあげているのだから、答えてくれなくちゃ。ドキュメンタリー監督としては、疑問を持ってカメラを動かしていて、いつも質問する側です。映画を通して大きな質問を投げかけているのに、今日はその映画について質問されるので、仕方ないから答えているんですよ。(笑)

シネジャ:日本人は、自分のことを知られたくないから、思いを明かさないのではないかと思います。

監督:
日本人は、そうやって、なぜ蓋をしようとするのですか?

シネジャ:
恥だと思うからかなと。

監督:文化的背景があるのですか?

シネジャ:
う~ん、どうでしょう。


◆壮絶な経験をした人は強くなる

監督:昨日、少女更生施設に入っていた経験のある女性の方から取材を受けました。今は成功して仕事をしていらっしゃる方です。その方は、まっすぐ私やショーレの目を見て、質問してくださいました。この2日間でいろんな方にお会いしたのですが、ほかの方は、まっすぐ私を見ずに目をそらして話すのに、とても印象的でした。
更生施設に入っていろいろな経験をして出てきたことや、今は4人子どもがいて、本も書いてと、まっすぐ自分のことを話してくださいました。すごい体験をした人は、すごく強くなっている気がしました。
私が取材した少女たちも、すごくしっかりとした意志を持っていました。先生になりたい、大学に行きたいとか、実現できるかどうかは別にして、やりたいことをはっきりと語りました。なぜ、苦労した人の方が、強くなるのかというのが、私の中の質問です。普通に社会の中で生きている人たちは、自信がなかったり、戸惑ったりしているのを感じます。
日本に来て数日ですが、いろいろな疑問が湧いてきたので、この映画が公開される時には、また来日して、日本の皆さんの声を聞いてみたいです。
この作品は、ヨーロッパやアメリカでも上映されて、観た人たちと話をして、何を感じたのか、どういうところで感動するのかなどもわかりました。
日本人がこの作品を観て、どう思ったのか、どこで感動したのか、普通の観客の人たちと話してみたいのです。私の作品の目的がちゃんと日本人に伝わるのかも知りたいのです。
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小津監督は、家族をテーマに映画を作っていて、日本の家族はこういうものということを少し学んだのですが、それから50年以上経っていて、日本の家族がどう変わったのかも知りたいと思っています。
黒澤監督の映画を観ると、スケールの大きなものを描いています。シェークスピアのハムレットのような歴史的な時代劇を作っているのですが、小津監督は、日本の小さな家族の中に入って、個々人がどんな考えを持っているのか、どんなコミュニケーションを取っているかを描いています。
私が取材した施設の子どもたちは、小さな環境の中にいるのですが、一人一人細かくみてみると、深みを感じます。ほんの数人が、イランという国の文化まで説明してくれるとわかります。今、私たちは作品を通じてイランと日本の文化まで話したではないですか。

◆権力者が絨毯の下に隠したものをはたきだして見せる
監督:昨夜、少しの時間ですが渋谷の街を歩いてみて、若者たちの姿を観察してみました。立ち方、坐り方、服装をみると、アピールしているものと中身が違っている感じがしました。
私は小津監督の『東京物語』(1953年)が好きなのですが、何十年前に作られた映画の中で、おじいさんとおばあさんが心を開いているのに、若い人たちはそれを受け止めないというジェネレーションギャップを描いています。
今の子どもたちと家族がどういう関係を持っているのかを考えると、もっと距離が離れている気がします。それがなぜなのか知りたいのです。
いろいろな文化の中で、どう人が生きているのかを私は考えてみたいと思っています。
(ここで、コップが倒れて水がこぼれました)
イランでは水が流れると明るい未来が開けるといいます。いい兆候です!
イランでは、物事を絨毯に例えて語ることが多いのですが、権力者や政府は、こういう施設のことや貧困社会のことを絨毯の下に隠します。視界に入らないようにするのですが、このような作品を作るのは少しだけ絨毯をあげて見せるためなのです。でも、また権力者は絨毯の下に隠します。私たちのような人が増えて、風で絨毯が飛んでしまえば、隠れたものが見えるようになります。


◆死刑執行の朝5時を過ぎれば、やすらかに夢がみれる
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シネジャ:少女たちが食卓を囲んでイランの新年「ノウルーズ」を迎える瞬間を映した場面がありました。イラン暦新年1394年でしょうか? 西暦2015年3月21日(土) 午前2時15分11秒(テヘラン時間)ですので、ちょうど夜明け前です。
(注:イラン暦の新年は、春分の日に迎えます。太陽が春分点を通過する時間を天文学的に正確に計算して、新年を迎える時として事前に発表されます。年によって、真昼になったり、夕方になったりと時間は様々です。)

監督:いいえ、撮影したのは、その前年、イラン暦1393年(西暦2014年)です。

シネジャ:
そうすると、新年を迎えたのは、午後8時27分7秒でしたね。

監督:タイトルを『夜明けの夢』としたのは、刑務所で死刑執行の時間が朝の5時で、彼女たちは死刑宣告を受けているわけじゃないけれど、朝の5時というのは怖い時間。5時を過ぎれば、安心して夢がみれるのです。

★監督から逆に質問攻めにあい、もう時間切れだったのですが、無理をお願いして聞いた私の意図を監督は察知して、「夜明けの夢」の意味するところを答えてくださいました。 
(注:11月6日にもう一度映画を観てみたら、新年を迎える場面、クルアーンや金魚を飾っているテーブルが出てきて、ラジオから「1393年になりました。おめでとうございます」というアナウンスが聴こえてました。失礼しました。映画でちゃんと言ってるじゃないかと冷たいことを言わない、優しい監督でした!)
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☆取材を終えて

お会いした時に、ペルシア語で挨拶したら、とても喜んでくださって、今日はペルシア語で話しましょうと冗談交じりに言われました。(もちろん、私のペルシア語が挨拶程度と見越したうえで!)
国の中では、あんなに群れるイラン人が外では群れないという監督の話に、知らないイラン人どうしでは、お互いの政治的立場などがわからないから、あえて近づかないのではないかと思いました。革命後、外国に出たイラン人は多く、ロサンジェルスやロンドンでは、ペルシア語のテレビやラジオもあって、決して群れないわけではないのです。
プレス資料のインタビューに、少女たちに接する時に、アムー(父方のおじ)だと嫌がられ、ダイー(母方のおじ)なら受け入れてくれたという話が興味深かったので、そのことも詳しく聞いてみたかったのですが、時間切れで残念でした。
精力的に話す監督に、とにかく圧倒されました。これからも絨毯の下に隠されてしまったものを大いにはたき出して衝撃的な映画を作り続けてくださることと期待しています。

取材:景山咲子