『ブラック・クランズマン』映画評論家・町山智浩氏徹底解説イベント詳細レポート

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人種差別問題が過熱するアメリカを背景に、KKKへの潜入捜査をコミカルかつ軽快なタッチで描いた『ブラック・クランズマン』のジャパンプレミアが2月21日(木)に東京・シネクイントで行われ、映画評論家の町山智浩氏が登壇した。
本作は1979年、街で唯一採用された黒人刑事が白人至上主義の過激派団体<KKK>に入団し、悪事を暴くという大胆不敵なノンフィクション小説を名匠スパイク・リー監督が映画化。主人公の黒人刑事ロン・ストールワースジョン・デヴィッド・ワシントンが、相棒の白人刑事フリップ・ジマーマンをアダム・ドライバーが演じている。第71回カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞。第91回アカデミー賞では作品、監督など6部門にノミネートされ、脚色賞を受賞した。


<イベント概要>
【日 時】 2月21日(木)21:20~21:50(30分)
【場 所】 渋谷シネクイント
                     〒150-0042 東京都渋谷区宇田川町20-11 渋谷三葉ビル7階
【登壇者】 町山智浩氏


『ブラック・クランズマン』(原題:BlacKkKlansman)
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<STORY>
1970 年代半ば、アメリカ・コロラド州コロラドスプリングスの警察署でロン・ストールワースは初の黒人刑事として採用される。署内の白人刑事から冷遇されるも捜 査に燃えるロンは、新聞広告に掲載されていた過激な白人至上主義団体 KKK(クー・クラックス・クラン)のメンバー募集に電話をかけてしまう。自ら黒人でありながら電話 で徹底的に黒人差別発言を繰り返し、入会の面接まで進んでしまう。問題は黒人のロンは KKK と対面することができないことだ。そこで同僚の白人刑事フリップ・ジマーマン に白羽の矢が立つ。電話はロン、KKKとの直接対面はフリップが担当し、二人で1人の人物を演じることに。任務は過激派団体KKKの内部調査と行動を見張ること。果たして、型破りな刑事コンビは大胆不敵な潜入捜査を成し遂げることができるのかー!?

監督・脚本:スパイク・リー
製作:スパイク・リー、ジェイソン・ブラム、ジョーダン・ピール
出演:ジョン・デヴィッド・ワシントン、アダム・ドライバー、ローラ・ハリアー、トファー・グレイス、アレック・ボールドウィンほか 
配給:パルコ
2018 年/アメリカ/カラー/デジタル/英語/135分
©2018 FOCUS FEATURES LLC, ALL RIGHTS RESERVED.
公式サイト:https://bkm-movie.jp/

★2019年3 月 22 日(金)TOHO シネマズ シャンテほか全国公開


1978年の実話をブラックパワーブームが
最高潮に達した1972年に設定変更

本作の上映が終わると、映画評論家・町山智浩はアフロのカツラと帽子をかぶって登場した。町山は、「僕が子どもの頃は日本でもアフロが流行っていましたね。この作品は1972年が舞台。世界中であらゆる人種の人がアフロヘアーにしていたブラックパワーの時代の映画です」と語り始める。
まず、作品の冒頭に、アレック・ボールドウィンが白人至上主義者の学者ボーリガード役で登場し、「アメリカはかつてグレートだったのに」と嘆いたシーンについて、アレック・ボールドウィンはアメリカで放映されているお笑いバラエティ番組「サタデー・ナイト・ライブ」で毎週のようにドナルド・トランプの真似をしていると説明。そして、トランプが「もう一度アメリカをグレートにする(=アメリカをかつてのような白人至上の国に戻す)」と言っているのを茶化していると指摘した。
続いて、主人公が彼女である女子大生パトリスと歩きながら、ブラックスプロイテーション映画について話題にしていることを取り上げた。このブラックスプロイテーション映画とは何か。町山はまず、そのきっかけとなったブラックパワーの隆盛に話を遡ってこのように説明した。
「この映画は実話ですが、パトリスは実在しないキャラクター。ただ、モデルはおり、それが黒人への意味のない暴力に対する自警団組織だったブラックパンサーの女性指導者のアンジェラ・デイビスです。それまで、アフリカ系の女性は髪が膨らむのが恥ずかしく思い、いろいろな方法で隠していました。ところが、アンジェラ・デイビスがアフロヘアーはかっこよく、これこそが自分たちの美しさであり、黒人は肌やくちびるを誇りに思うべきと提唱したのです。そこから、『ブラック・イズ・ビューティフル!』という言葉が生まれ、大流行語になりました。その結果、黒人のファッションセンスをカッコいいと白人が真似をするようになったのです。それと同時にソウルミュージックの大ヒット。世界的なブラックパワーブームが1972年くらいに最高潮に達しました。スパイク・リー監督はブラックパワーが盛り上がっていたときに移しちゃえということで、この作品でかなり遊んでいて、実際には1978年に起こった事件ですが、作品では1972年に設定変更し、ファッションなどもそれに合わせてあります」

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ブラックスプロイテーション映画は
白人たちがお金儲けのために作った黒人ヒーローの映画

そして、ブラックスプロイテーション映画については次のように語った。
「ブラックパワーブームによって、“黒人はかっこよく、最高なんだ”という価値観の大逆転が起こりました。それに合わせて、かっこいい黒人のヒーローが悪い白人をやっつけるというだけのアクション映画が次々と作られるようになったのです。その1作目がゴードン・パークスの『黒いジャガー』。黒人の映画監督が作った、黒人の映画ですが、黒人を主役にすると白人も黒人も見に来るからと、白人たちがお金儲けのために黒人の映画を作り始めます。それをブラックスプロイテーション映画と呼ぶようになったのです。エクスプロイテーションとは搾取とか金を騙し取るという意味。ただ、『黒いジャガー』は黒人が作っているので、実際にはブラックスプロイテーション映画ではありません。
作品の中で、ロンとパトリスは『黒いジャガー』と『スーパーフライ』どっちが格好いいかと話しているけれど、『黒いジャガー』の主人公シャフトは私立探偵で、『スーパーフライ』の主人公プリーストは麻薬の売人。どちらもニューヨークで撮られていて、その二つが当時の黒人映画のヒーロー。『スーパーフライ』はゴードン・パークスの息子が撮ったものです。
さらに2人は『コフィー』とタマラ・ドブソンが演じる女性特命麻薬調査員クレオパトラ・ジョーンズを主人公にしたシリーズと比較します。『コフィー』で主人公を演じるのは黒人の巨乳女優パム・グリア。すごくセクシーな女優で、白人、黒人を超えて、ものすごい人気だった。クエンティン・タランティーノやスパイク・リーもパム・グリアが大好きでした。ジョンレノンはパム・グリアをナンパして振られています。
しかし、ブラックスプロイテーション映画は消えていきました。その最大の理由が『燃えよドラゴン』のヒット。クレオパトラ・ジョーンズも空手が得意。黒人の黒帯ヒーローが出る『黒帯ドラゴン』が作られるなど、空手ブームが黒人映画を消していったのです。その後に夫婦映画ブームがドカンとくる。アフリカ系の人やアフリカ系のアクション映画を見ていた観客層がごっそり夫婦映画に持っていかれ、ブラックスプロイテーション映画は消えてしまいます」

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頭のいい黒人が頭の悪い白人をやっつける

ロンとパトリスがブラックスプロイテーション映画について話すとき、それぞれの映画がワイプで入ることについて、町山は「この作品は、はっきりコメディとして演出しているかと思うと、ドキュメンタリーになっています。それぞれのシーンごとに全然違うタッチ。そういう自由自在な編集をして、かなり遊んでいます。特に後半はそれまでのドラマと関係なく、現実にアメリカで起こっていることをぶつけるなど、ルールなしの映画だと思います」とスパイク・リー監督の自由自在な脚色を解説した。
さらに、「白人があまりにもバカに描かれていると思いませんか」と、この映画での白人の描かれ方について言及する。頭のいい黒人が頭の悪い白人をやっつけるのがブラックスプロイテーション映画のスタイルであり、それまでのハリウッド映画で黒人がバカとして描かれていたことに対する反動だと指摘。この作品も“黒人は頭がいいから、彼らを騙した”という話にしていると町山はいう。

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ずるくて間抜けなジムクロウという黒人キャラクターが
黒人のステレオタイプを作り上げた

キング牧師が人権を勝ち取った1965年くらいまでのアメリカ映画では、シドニー・ポワチエが演じた役は例外として、黒人は頭が悪く、臆病で、ずるい存在として描かれていた。いちばん典型的な例が、この作品でも取り上げられた『風と共に去りぬ』の女中である。この描かれ方について町山は次のように説明する。
「メラニーが妊娠したとき、知ったかぶりをして『お産婆さんをやったことあります』といったから、スカーレットオハラは安心して彼女と一緒に子どもを取り上げようとしたのに、土壇場になって『実は何にもやったことありません』と言って、超役立たずのバカで無責任の人として描かれているんです。ただ、もう一人乳母の人が非常に頼りになる黒人のおばさんとして描かれていて、バランスを取っているとは言われていますけれどね」
なぜ、黒人はそんな風に描かれるのか。町山は「南北戦争以前に白人の芸人が顔を黒く塗って、ずるくて間抜けなジムクロウという黒人キャラクターを演じて人気になり、黒人のステレオタイプを作り上げてしまったことが一因となっているんですよ。その結果、南北戦争が終わって黒人が解放された後も、白人が勝手に作り上げた“黒人はバカ”というイメージを理由に、南部では黒人に選挙権を与えなかった。その法律はジムクロウ法と呼ばれています。例えば、祖父が投票していない人は投票できない、黒人は投票前に窓口でアメリカの歴史や法律に関するテストを受けなくてはいけないといったことが決められていました。『グローリー 明日への行進』にそのテストを受けているシーンがありますが、間違えるまで続けるから黒人は絶対に合格できない」と説明する。1965年に黒人も投票できる投票権法ができ、黒人の権利が声高に叫ばれるようになった。ブラックスプロイテーション映画で、「黒人は白人より頭がいい」と訴える必要があったのは、黒人は頭が悪いと言われることによって選挙権を奪われたから。喧嘩が強いことより頭が良いことが大切な理由はそこにある。「これはアニメにも影響を与えており、その代表例がバックスバーニー。うさぎを狩ろうとする白人をうさぎが騙していく。バックスバーニーは黒人のことです」と日本では知られていないので理解されにくい事情まで話した。

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イギリス系とスコットランド系
入植時期の違いが差別意識を増長させた

さらに、人種差別においてリーダーシップを執ったのはスコットランド系の人たちと町山は指摘する。それはなぜか。町山はこう説明する。「南部の土地のほとんどが、最初に入植したイギリス系の人たちによって支配されていて、あとから入ってきたスコットランド系の人たちは土地が持てず、小作人になるしかなかったのです。彼らの仕事は黒人の奴隷を虐待すること。だから、スコットランド系の人たちは映画において南部の奴隷農場が描かれたときに、監視人、拷問者として描かれることが多い。しかも、彼ら自身が差別意識を持っていなくても、その上にいる地主が階級社会を作って、その中間にスコットランド系の人たちを置き、貧乏の鬱憤を黒人たちにぶつける構造を作りました」

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KKKの敵は黒人から非プロテスタントに移行

ロンが潜入捜査をしたKKK(Ku Klux Klanクー・クラックス・クランの略称)についても町山は詳しい解説を繰り広げた。まず、その結成の歴史についてはこのように説明している。
「南北戦争が終わった後、黒人はいったん、投票権を獲得し、実際に選挙で黒人の議員も生まれました。南部は少数の白人農場主たちが大量の黒人労働者を使っていたので、人口比では白人が負ける。「南部を乗っ取られてしまう」と危機感を持った白人がKKKを結成。黒人に「殺すぞ」といって脅かしたり、吊り下げたりして「見よ、これが投票に行こうとした奴らだ」といって、投票を妨害しました。その後、南部を監視していた北軍が撤退して、リンカーンが殺された後、副大統領が大統領になりますが、彼は南部監視をしなかったので、南部の白人が政治的実権を取り戻します。そして、黒人の投票を妨害する法律を次々と各州で作ったのです。それらは総称してジムクロウ法と呼ばれ、その結果、KKKは必要なくなって消滅しました。
その後、D・W・グリフィス監督の『國民の創生』(1915年)が大ブームになって、KKKが白人のために黒人の投票を妨害したと称える内容に感化された人たちがKKKを結成します。ただし、彼らの敵はユダヤ人。1900~1920年ころ、アメリカに新移民と言われる人たちが大量に入ってきました。彼らはユダヤ系、ロシア系、ポーランド系、チェコ系、イタリア系、アイルランド系、ギリシア系。共通点は1つ。プロテスタントでない。彼らはカトリック、ギリシア正教、ロシア正教、ユダヤ教。非プロテスタントの人口増加に対する恐怖がKKKに結びついたのです。そのときのKKKは政治的に正式な政党として各州のかなりの議会で議席を獲得し、非常に大きな反移民グループとして政治的権力を振るうようになりました」

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スパイク・リー監督はKKKに支持された大統領を危惧

そして潜入捜査について、「何も事件を起こしていない段階で、警察が潜入捜査をすることはなかったでしょう」という。ロンがKKKに入ったことはあったが、潜入捜査に関しては何の証拠もない。最後の爆弾事件も原作には書かれていない。町山は「事実ははっきり言って半分くらい」と言い切る。その上で「黒人の主人公ロンがKKKの最高幹部であるデビット・デュークを警備したのは事実。作品の中で一緒に写真を撮っていますが、実際にあるようです。また、意外なことにロンが掛けた電話にデビット・デュークが直接、出たのも事実。でも、ラストに電話をして、『本当は俺、黒人だよ』と言ったのは事実ではありません」という。どこまでが事実で、どこからが事実でないのか。「スパイク・リーは面白くなるように話を作っています」と町山は言い、アカデミー賞脚色賞にノミネートされた理由を自由奔放で勝手気ままな脚本と推測する。(※トークイベントはアカデミー賞の発表前に実施)デビット・デューク自身も映画はでっち上げと反論している。ただ、KKKの最高指導者であったデビット・デュークがトランプを全面的に支持し、「トランプ大統領こそ我々の理想を実現する政治家だ」と言った。町山は「KKKに支持された人が今のアメリカの大統領なんですよ。それがいちばん恐ろしい。よく考えるとアメリカは大変な事態になっている」と現在のアメリカを憂う。そして、スパイク・リー監督が今、この映画を作らなくてはいけないアメリカの状況をこのように説明した。
「ドナルド・トランプ自身が黒人を差別しているかどうかということよりも、政治的権力を得るために、黒人を差別している人たちの票を得ようとしたことが問題です。2017年8月、南部の将軍の銅像を撤去すると言っている市に対して、それをさせないぞとアメリカ中の白人至上主義者が集まりました。ヴァージニア州シャーロッツヴィルで開かれたユナイト・ザ・ライト・ラリーです。それを地元の人たちは白人も黒人も関係なく、そんな奴らは来るんじゃねえということでデモをやりました。そのデモにネオナチの人の車が突っ込み、反対運動をしていた女性を轢き殺すという事件があり、映画の最後で描かれていました。トランプがそれに対して、『デモしている方も悪い』といい、作品の中にそのスピーチビデオが出てきましたね。何が何でも白人至上主義者を糾弾しないというトランプのやり方をスパイク・リー監督はこの映画の中で叩いています」

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プリンスの歌が流れたのは何を意味するのか

最後にプリンスの『泣かないでメアリー(Mary Don’t You Weep)』が流れるが、この曲は旧約聖書の出エジプト記が背景になっている。かつてエジプトでは多くのイスラエル人が重労働を課せられていた。そこにモーゼと呼ばれる人物が現れ、リーダーとなってイスラエル人を率いて、エジプトから脱出する。その際、モーゼは紅海を2つに割る奇跡を起こし、イスラエル人が海の向こうに渡り終えると海は元に戻り、追いかけてきたファラオの軍勢は海水に流されてしまった。『泣かないでメアリー(Mary Don’t You Weep)』は聖書と同じように正義がなされると、苦難に苦しんできた黒人たちを慰める歌で、アレサ・フランクリンがずっと歌ってきた。この曲を最後に流したことに対して町山は「途中は利口な黒人とバカな白人という感じで、マンガみたいに楽しく見せていましたが、現実を突きつけてくる。その上で最後にまた救いを与える。泣いたり笑ったり怒ったり。感情の起伏の激しいスパイク・リー監督らしい映画だなと思いました」と話した。
さらに、この作品がアカデミー賞で6部門にノミネートされたことを受け、「これまでスパイク・リーは、『マルコムX』など、たくさんのヒット作があったにもかかわらず、アカデミー賞にずっと無視されてきました。ハリウッドがスパイク・リーを受け入れなかったのです。しかし、やっとこの映画で追いついた気がします。今回、アカデミー賞作品賞に8作品入っていますが、そのうち3作品がアフリカ系アメリカ人の映画。時代は大きく変わったと思います。今までだったら1本、アカデミー賞作品賞に入っただけでも大変だと言われていたのが、今はダイバーシティで多様性のあるアカデミー賞作品賞になっているので、この映画がいくつ取るかが非常に楽しみです。僕はスパイク・リーにあげたいですね」と締めくくった。

(取材・構成:堀木三紀)

『きばいやんせ!私』初日舞台挨拶

2019年3月9日(土)有楽町スバル座にて、初日を迎えた『きばいやんせ!私』の舞台挨拶が行われました。

夏帆(児島貴子)、太賀(橋脇太郎)、愛華みれ(ユリ)、伊吹吾郎(牛牧猛盛)、主題歌を歌う花岡なつみ、武正晴監督、脚本家の足立紳が登壇しました。(敬称略)
作品紹介はこちら


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夏帆 今日お客様がいらっしゃらなかったらどうしようと心配していたんですけれども、こんなにたくさんの方に足をお運びいただいて嬉しく思っております。短い時間ですがよろしくお願いします。

太賀 (声援)ありがとうございます。約1年たってようやく皆さんにお届けできるようになって、ほんとに嬉しく思います。短い時間ですがよろしくお願いします。

愛華みれ 鹿児島弁が伝わるのか不安ですが、こうして久しぶりにみんなと集合して、たくさんのお客様にみていただけることに感激しております。今日スタートですので、よろしくお願いします。

伊吹吾郎 こんなにも大勢の人がお忙しい中、足を運んで下さいましてありがとうございます。南大隅町という本土の最南端のところなんですけど、ほんとに風光明媚な、静かで穏やかな自然いっぱいのいい町です。撮影できたことを喜んでおります。私は時代劇が多いんですが、こうした憎まれ役を演じられたのも嬉しく思っております。

花岡なつみ 主題歌を歌わせていただきました花岡なつみです。 今日は緊張していますがよろしくお願いいたします。(なっちゃーん!と声援)

足立 脚本の足立と言います。こんなにたくさんの方々に映画を観ていただけてほんとに嬉しいです。僕もさっき監督と一緒に観ていて「すげーおもしろかったな(笑)、良かったな」と思っています。ありがとうございます。

武正晴監督 今日は朝からありがとうございます。お客さんと一緒に映画館で見るのはいいなぁと。作った映画がみなさんのおかげで力強くなったような気がいたします。今日はどうもありがとうございます。

-まずはひとことずつみなさまからご挨拶をいただきましたが、ここからは撮影中のエピソードなども含めて、もう少し詳しく伺っていきたいなと思っております。
それでは主人公の貴子を演じた夏帆さんから、演じて、また南大隅町の撮影いかがでしたでしょうか?。


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夏帆 足立さんのオリジナルの作品なんです。貴子という人物をすごく魅力的に書いて下さって、私が映画の中でどこまで体現できるのか、プレッシャーを感じていました。とにかく演じていてすごく楽しかったです。くだをまいているところとか、演じていてどんどん快感になっていく(笑)。言葉のチョイスも面白いですし、可愛いだけじゃなくてちょっと毒のある彼女がすごく好きです。

南大隅町は今回初めて行ったんですけれども、空港から遠いしお店もないし、ここに3週間いれるのかなっていうのが、最初の正直な感想だったんです(笑)。実際滞在していて、すごく自然豊かですし、土地の力というのをすごく感じていました。何もないからこそ、シンプルに作品に向き合える時間が取れたのが貴重でした。撮影が終わる頃には南大隅町という町が大好きになりました。

-太賀さんは同級生役で、畜産業のお仕事をなさっているということでした。お祭りのシーンであの大きな鉾を持ってらっしゃって、観ているほうも力が入ってしまうようなシーンがございました。

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太賀 あの鉾すごく重かったですね。何キロあるんですかね?
撮影当日雨が降って、鉾の旗が雨でより重くなったんです。練習の時から南大隅の地元の、実際にお祭りをやられている方々にとても丁寧に指導していただきました。撮影中もずっと横につきそっていて下さったんです。やっぱり地元の方々の支えが力強くて、実際ほんとに耐えかねるくらい重くてしんどかったんですけど、みなさんに背中を押していただいて、とても気合が入った撮影でした。

-続きまして愛華さん。みさき食堂の店主ユリを演じてらっしゃいました。ご出身地の南大隅町の撮影ということで、感情もぐっと入ってしまうんじゃないかなぁと思うんですが、いかがでしたか?

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愛華 今あらためて夏帆ちゃんがあの町の良さをお話くださったのほんとかなと(笑)。不安に思いながら「次もう来ないでしょ?」って聞いたら「自分の力では行けません」と(笑)。どんなことがあってもみんなで引き連れてまたあの町に行きたい。私は個人的に看板でも作ろうかって言ってたくらい(銅像って言ってたよとつっこみ)。
太賀くんたちのあの鉾は持てないだろう、と吹き替えするのかどうするのか心配しておりましたが、見事に担がれて。しかも人知れずやっていた知られていないお祭りが、こうやって日の目を浴びて「武監督が来た!」っていうだけで、町はもうすごい熱気で。今もこの思いが全国にどうやって伝わっていくんだろうと思って力が入りそうです。
太賀くんたちが見事に(鉾や神輿を)持ち上げて、あれは1300年ごと持ち上げているんだなと思うと、演技ではない涙があふれ出します。監督がその思いをくんで、足立さんがお世辞を入れるでもなく、町の良さを語ってくださいました。
皆さん、遠い~とは思うんですけど、昔はハネムーンで行った町だとうかがっているので、次はフルムーンでいかがかなと思っています(笑)。よそ者がきても受け入れるし、困った人は見捨てないという、みんなウェルカムですので、皆さんこの映画をたくさん観て南大隅町ごと広めていただければと思います。

-牛牧会長を演じられました伊吹さん、今回鹿児島弁の台詞が地元の方なのかと思うくらいでした。

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伊吹 どこにでもいる、何を決めるんでも口を出してしまうのが牛牧の役どころです(笑)。何を反対しても夏帆さんが立ち向かってきて、反対する理由が何もない、と成功をおさめていく。お祭りを再現をするのは大変な作業なんです。実際にあることを積み重ねてやっていくので、太賀くんが棹(鉾)を持ち上げて・・・あれは触ってはいけないところがあるんですよ。よくぞあれを持ち上げて振り回したなと。そしてまた、あの神輿もあの道をよく担ぎ通したな、と見ていてびっくりしましたよ。涙が出るほど嬉しかったですね。

そして鹿児島弁(笑)。西郷隆盛でもやったことがあるんですけど、方言っていうのは芝居以前にプレッシャーがかかるものなんです。一つ出てこないと次も出てこないんです。意味はわかるんですけど、言葉が出てこないので何回かNG出しました。でも小気味良さが後に残る作品です。みなさん、宣伝よろしくお願いいたします。

-主題歌を歌った花岡さん、映画をご覧になったご感想と貴子にどんなイメージをお持ちになりましたか?

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花岡 夏帆さんが演じてらっしゃった貴子が、どん底の状態から御崎祭を復活させる熱意とか、ばらばらだったみんなを一つにまとめようと奔走する姿にとても感動しました。貴子は最初プライドが高くなげやりな性格だなぁという印象だったんですけど、祭りを復活させるために様々な問題に立ち向かっていく。本気になって立ち向かっていく姿にかっこいいなって思いましたし、自分に正直に生きている姿がとても素敵な女性だと感じました。

-足立さん、原作はオリジナルということですが、どこから発想が生まれたのでしょうか?

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足立 最初にプロデューサーから「鹿児島に御崎祭りというのがあるんだけど、それをモチーフにした映画を作りませんか」と誘われて、それが千何百年か続いているということだけで撮影の1年前に、その祭りを見に行きました。不勉強のまま行ったんですが、ものすごく正直にいうと「こうやって祭りって消えていくのか」と思った(笑)部分がありました。
もともと夏帆さんが演じていたような「生きのいいキャラクター」を書きたいという気持ちがずっとあったんです。この町にこういうキャラクターを放り込んでいったら楽しい映画ができるんじゃないかと思って。祭りは神事なので、派手にわいわいやるようなことではないと、重々わかってくるんですけど、そういうずっと書きたかったキャラクターをこの町で暴れさせるような、物語を作ってみたいなと台本を書きました。

-武監督、撮影中のエピソード、足立さんとのタッグをくんだ映画作りなどをお聞かせください。

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武監督 父が鹿児島出身なんです。偶然こういうお話をいただいて「ああ、一番はじっこの」と。あだちさんがシナハン(=シナリオハンティング)から帰ってきたときに「どうだった?」と聞いたら「お神輿、トラックで運んでましたよ」って(笑)。それ、そのまんま台詞にしたらいんんじゃないの?って、そこから始まった映画です。よく南大隅の方々がシナリオ読んでやらせてくれたな、と(笑)。ああいう役場の人もああいう町長もいないんですけど、何かああいうコミカルなおおらかなのが出せないかなと。1300年もやっているお祭りを2月にやったばかりなのに、我々の撮影は3月。あんな大変なお祭りをまた?と思ったんですが、町のみなさんのご協力をいただきました。

夏にあの山道を見たとき足が震えました、ほんとに。ここを神輿を担いで降りていくのは何の意味があるんだろうと思いましたね(笑)。意味じゃなくて、やはりいろいろ継承していくこと意義があるってことがわかりました。足場もね、どういう風に降りていくか、その階段も昔の人が作ったと聞きました。おかげで我々も撮影を乗り切れたと今日観ていても思いました。

後はもう俳優部のみなさまが合宿生活の中で。夏帆さん、太賀くん、天音くんもね、天音は泣きながらやってましたから、ほぼドキュメンタリーです(笑)。あの坂を下りてるときだってみんな標準語に戻ってましたよ(笑)。「危ねーぞ!」「危ない危ない」「はい、大丈夫です!」とか(笑)。でもそれでいいのかな。
あそこで足滑らせないでくれ、と思ってました。急に雨が降ってきたりしてね。でもお祭りっていう儀式は雨が降ろうが続けていく。僕は雨が降ってくれて良かったなと思ったんですが、俳優の皆さんは大変でしたでしょうけど(笑)。ああいう自然の力を映像にできた。協力してくださった地元のみなさんが生き生きと、俳優には出せないような表情だとか、そういうところも映画の力となったと思います。観ていて非常に感動しました。

-まだまだお話を伺いたいのですが、お時間がせまってまいりました。最後に夏帆さん武監督からお客様にひとことを。今伺ったばかりですが、武監督お願いいたします(笑)。

武監督 そんなに大きなことが起こる話ではないんですが、神輿をかつぐというのをどういう映画にしようかとプロデューサーと考えて始まった映画です。そこにこの素晴らしいキャスト陣が賛同して、町の方々が協力してくださって。この映画が今度はどのように縁もゆかりもないみなさんのところに届いていくのかな、と楽しみにしております。どうぞ今日観ていただいたみなさんのお力を借りて、日本全土だけではなく、外国も含めて広げていっていただければ映画の力になると思います。どうぞよろしくお願いいたします。

夏帆 この作品は南大隅町という町で撮影させていただいたんですけど、ただのご当地映画の枠に収まらない、貴子という一人の女性の成長物語としても、とても力のある作品だと思っております。観てくださる方の背中を押せるような、そんな作品になっていれば幸いです。本日はほんとにありがとうございます。

(書き起こし・写真 白石映子)

『蹴る』中村和彦監督インタビュー

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中村和彦監督プロフィール
映画監督。福岡県出身。早稲田大学第一文学部在学中に助監督を経験、そのまま映画の路に進み大学を中退。2002年に『棒-Bastoni-』で劇場用映画監督デビュー。その後サッカー日本代表のオフィシャルドキュメンタリーDVD『日本代表激闘録』シリーズ(2004~2017)のディレクターを担当しつつ、2007年に監督第2作目、知的障がい者サッカーのワールドカップを描いた『プライドin ブルー』(文化庁映画賞優秀賞受賞)を発表。2010年にはろう者サッカー女子日本代表を描いた『アイ・コンタクト』(第27回山路ふみ子映画福祉賞受賞)を公開。
本作『蹴る』が障害者サッカードキュメンタリー3作目となる。(クラウドファンディング 監督紹介より)

公式HP https://keru.pictures
★2019年3月23日(土)ポレポレ東中野にて公開
(C)「蹴る」製作委員会
『蹴る』作品紹介はこちら

*電動車椅子サッカー*
電動車椅子の前にフットガードを取り付けて行うサッカーです。自立した歩行ができないなど比較的重度の障害を持った選手が多く、ジョイスティック型のコントローラーを手や顎などで操りプレーします。性別による区分はなく、 男女混合のチームで行います。国際的な呼称は「Powerchair Football」となっており、スピードは時速10km以下と定められています。直径約32.5cmのボールを使用、繊細な操作で繰り広げられるパスやドリブル、回転シュートなど華麗かつ迫力あるプレーが魅力です。(電動車椅子サッカー協会HPより)
http://www.web-jpfa.jp/football/


-監督はサッカーの映画を続けて撮られていますが、サッカー少年でしたか?

子どものときはサッカーも野球も好きでした。中学でサッカー部か野球部か迷ったんですけど、兄がサッカー部だったもので、同じのをやりたくないと中高とも野球部にしました。でもサッカーに未練がずっとありました(笑)。Jリーグができたじゃないですか、それでサッカー好きがずっと続いています。
サッカーをやってきたと思われるんですが、理屈は詳しいけれどサッカー部の人に比べたら全然です。

-障がい者のサッカーを撮るようになったのは?

映画の仕事はずっとやってきていて、映画を作りたい+サッカーが好きという流れがドッキングしたんです。この作品の前にサッカー日本代表の「サムライ・ブルー」のオフィシャルDVDを作る機会がありまして、このときに撮り方などを学びました。それまでになかった障がい者のサッカーの映画が作れるんじゃないかと、まず知的障がい者のサッカー『プライドinブルー』(2007年)を、それからろう者のサッカー『アイ・コンタクト』(2010年)を作りました。

-その「アイ・コンタクト」(岩波書店)を読みました。女性(選手)たちが個性的で強くて可愛かったです。
*「デフリンピック」=聴覚障害者のために開催される4年に一度のオリンピック=の女性選手たちを取材して書かれた本です。

はい、自分で書いています。女子の日本代表があるのが、ろう者女子サッカーだけだったんです。『アイ・コンタクト』で「もう一つのなでしこジャパン」を描いて、『蹴る』でさらに「もう一人のなでしこジャパン」を描いたという流れです。

-この作品の中には、ブラインドサッカー(視覚障がい者のサッカー)日本代表選手がちょっと出てきますね。次にそちらにいくのかなと先読みしてしまいました。

いや、ブラインドサッカーは十分注目されているんで、そちらはもういいかなと(笑)。誰もいってないところにいきたい。ドキュメンタリー映画ってそういうものかなと思いますし。
今は少し状況が変わりまして、電動車椅子サッカーも誰もいってないってほどではなくなりました。

-電動車椅子サッカーは、横浜クラッカーズの永岡真理さんに注目されたときからの取材ですね。最初の映像はいつのもので、それは使われているんですか?

撮りたいと思ったのが2011年の7月で、お願いして撮影を始めたのが8月中旬からです。
最初の映像は使ってないんじゃないかな。作品の中で一番古い映像は、2011年の秋、大阪で開催された日本選手権大会で優勝したときの映像です。一番新しいのが“ドクターがレントゲン写真を見せている”シーンで2018年の1月末、最後に撮影したものです。

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永岡真理さん

-試合が激しいのと、転倒した場面に驚きました。カーブしてバランスが崩れるんでしょうか?

あれは2012年の第4回パワーチェアーフットボールブロック選抜大会です。自分でも撮っていてびっくりしました。
カーブでバランスが崩れるのではなく、床が滑る滑らないということだったり、重心が高い位置にある車椅子だったり、いろんな要素がからんで転倒に結びつきます。
床が滑ると競り合っても問題ないのですが、床面のグリップ力が高く滑らないと転倒することがあります。湿度の関係もあって乾燥する冬には起きないようです。今は車椅子も改良されていますし、交通事故のようにめったに起きないものなんです。びっくりしますよね。
最初は編集どうしようか、全くわからなかったんです。あそこから始めて最後をワールドカップで終わらせようとそれだけは決めていて。

-永岡真理さんは、小さい頃の画像よりだんだん支えが多くなってきているように見えますが、病状が進むのですか?

ああ、それもよく誤解を受けているんですけど、SMA(脊髄性筋萎縮症)と筋ジストロフィーはかなり違うんです。どちらも遺伝で先天性ですがSMAは神経の方の病気で、筋ジストロフィーは筋肉の病気。SMAは以前病名に進行性という言葉がついていたようですが、現在はとれています。永岡さんはSMAで、生まれてから一度も歩いたことがありません。東武範さんは筋ジストロフィーで、子供のころは歩けていて小学生から車椅子になり、十代後半から電動車椅子を使っています。
海外では矯正手術をして背骨をまっすぐにしている人がいます。日本ではあまり手術する人はいなくて、背骨が曲がったままの人が多いです。

-外国チームの症状が軽いような感じがしたのは、そういう手術をしているからなんですね。

実際わりと重い人が少ないんですけど、不自然なくらいに姿勢がいい人は手術していると、わかる人にはなんとなくわかる。

-監督が”手話”を覚えたり”介護”の勉強をされたりした、ということにすごい!と感心しました。勉強家ですね。

勉強家というか、ほかにやる手段を知らなかった。ちゃんと正確にインプットしておかないと、ちゃんとしたものができないと。介護の資格に関しては実益もかねていました。身体の構造とかもちゃんと知っておきたかったし。直接選手の介護をしたわけではないですけど、同じような症状の人の介護をすることで、筋ジストロフィーの人、脳性まひの人のことが理解できたりもしました。

-知識や意識があるからこそ、距離が縮まったということもありますよね。これがただの第三者としての撮影だったら違ってくるんじゃないでしょうか?

やっぱり普通なら撮れないところを、「撮っていいですよ」といってもらえた場面はけっこうありました。

-選手の方々の試合のシーンにはとても驚きましたし、感動しました。家での生活も紹介していて「サッカー」をきっかけに、知らない世界を見ることができるというのが、すごくいいなあと思いました。

そうですね。サッカーが入り口になっているので、見やすい、入りやすいということもあると思います。

-家族やガールフレンドや恋人、支える人たちがたくさん登場しているのも、ぐっと胸に響きました。ここに出てくる方々は、病状は深刻でも周りに恵まれていますね。

周りのサポートがあるからこそできることで、なかったらできません。それはもう本人たちも充分よくわかっています。
最初は周囲の人たちをあんまり撮ろうとは思っていなかったんですけど、どうしても彼ら一人だけではできないことですし。
はじめ「自立」っていう言葉(の意味)がよくわからなかったんです。彼らのいう「自立」は、家族の手を離れて家族以外の人たちに介助を受けてやっていくことなんです。
家族だけが介助するというのは限界がある、家族以外の人から介助を受けることが福祉の基本原則、そこがなかなか理解されていない。「家族がやればいいじゃないか」という意識を突破していかなきゃと。映画から離れてしまうんですけど、みんながそう思うこと、それが重要なポイントだと思います。

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-監督は初めて障がい者の人たちに会われたときに、構えたり、緊張したりしませんでしたか?体験がなくてどう接していいかわからない人が多いと思うんです。

緊張しましたよ。緊張したっていうか、オロオロしました(笑)。目線が合わなくて、どうしていいかわからない。

-やっぱりそうなんですね。今はいかがですか?

もう障がいあるというのも忘れちゃっています。特にサッカーの話をしていると「お前、これだから駄目なんだよー」と(笑)。こないだも「お前たちが主軸にならなきゃ」とか酔っ払ってからんだりしていました(笑)。

-監督もどっちかというと理論派で、コーチになれるんじゃないですか?

屁理屈派です。コーチはいいや、です。屁理屈派っていうのはあんまりいいとは思っていないので(笑)。

-6年間追い続けて、素材は何時間分あったんでしょう?

よく聞かれるんですが、あまりにも膨大ではっきり判らないんです。前作の3~4倍撮っている気がするので、だいたい1000時間くらいというアバウトな返事で。

-そんなにたくさんで、どんな映像があるか、覚えているものですか?

覚えているのとそうでないのがあります。覚えていて探して見ると、自分の記憶が膨れ上がっていてそれほどでもなかったりとか(笑)、逆に全然気にしていなかったのを見たら、これはいい!とかいうことがあったり(笑)。

-何月何日どのシーンを撮ったとメモされるんでしょうか?

メモだけですね。あと記憶とですね。だいたい塊りでこの辺のはこれ、と。
最初はテープで撮っていて、後でカード。ハードディスクに取り込んで保存するんですが、20テラで足りなくて結局40テラに。(1テラ=100ギガ)取り出すのはいいんですけど、読み込むのが大変。読み込めなかった分は、別の人にゴールシーンだけ探してもらったりしました。自分だけではとても無理で、妻にも見てもらったんですが、それは殆ど使わなかった。

-せっかくの内助の功を。編集は基本的に監督お一人なんですね。どのくらい時間がかかったのでしょう?

夏くらいから始めて6~8ヶ月くらいです。とにかく完成させないといけなかった。文化庁の助成金を申請していたので、絶対に完成させないと助成金がもらえないんです。だから締め切りがなかったら、あと半年とかかかっていたんじゃないかな。

-いくらでも手をかけたくなると、監督さんよくおっしゃいます。無事に間に合って助成金をいただけておめでとうございます。

ありがとうございます(笑)。

-これがDVDになったときに、映画本編に入れられなかった特別映像が入る、ということは?きっとたくさんあるでしょうね。

それは・・・その編集をすること自体がまた大変(笑)・・・永岡さんのチーム、横浜クラッカーズのゴールシーンとか使おうと思ってたのができなかったので、そのシーンは可能性があるかもしれません。
東くんと吉沢くんの寝返り介助のシーンを撮ったんですよ。寝袋を持っていって、夜中の介助のために横で待機していました。それを絶対使うつもりだったんですが、結果として流れの中にうまくはめられなくて使わなかったんです。

-国際試合でのクラス分けが二つしかないのが不思議でした。

映画の中でも東選手がもう少し分けたほうがいいんじゃないかと言っています。だんだんそうなっていくかもしれないですね。障がいの程度が大分違うので、将来的には変わって行く可能性はあると思います。
ただ東くんは想定外の存在なのだと思います。あれはドクターの力がなかったらありえないです。呼吸器はつけたほうが安定するので、安全なんですよ。でも外国の選手で呼吸器つけて出ていた選手は一人だけで、それもあんまり試合に出ていません。

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東武範さん

-東さん凄い人なんですね。飛行機に乗れない方もいましたね。とっても理論派で。

あの飯島さんは、飛行機に乗れないだけで、国内の電車の移動は大丈夫です。日本一の選手だと思いますよ。
東くんも理論派なんです。真理さんはそうじゃない。

-永岡真理さんは「日本代表になる人ってみんな多分命がけでやってるんですよ」と言っていました。本当に熱くて強い人ですね。

強い女性なんですけど、うまくいかずずいぶん落ち込んだ時期もありました。

-選手の方が8人、選出にもれた方が3人で主要な方々は11人。サッカーのイレブンですね。

あ、たまたま(笑)。二人目の女子選手の内橋翠さんとか、あまり描ききれなかった方々がいます。

-映画は完成しましたが、今後もう撮影はされないんですか?

撮るのは無しで、試合があれば行ってカメラでなく肉眼で見ています。

-障がいがあっても、呼吸器つけながらでもサッカーをやりたいという、あの意気込み、力はどこから出てくるんでしょう?

生き甲斐という生易しいことより、「生きることそのもの」なんだと思います。周りのサポートがあって、ドクターがいてこそできることですが。

-あの方々が今どうしているか、消息を教えていただければ嬉しいです。観た方は気になると思うので。

引退したのが竹田さん、チームのコーチをしています。ヨッシーと呼ばれていた吉沢くんも選手を引退して、小学校に行ったりして普及活動をやっています。有田くんは映画にあるように、「ボッチャ」に行きました。パラリンピックの中で一番重い障がいのある人がやっているのがボッチャなんです。あと他の選手は今も続けています。
(*日本ボッチャ協会 http://japan-boccia.net/how_to_boccia.html

-監督の次のご予定は?

あるんですけれど、今はこの作品を軌道に乗せることです。みなさんの応援をよろしくお願いいたします。
とにかくこのポレポレ東中野に来て観ていただかないと。

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日本代表選手団(2017年7月 アメリカワールドカップ会場)


-映画の道に進むのにきっかけになった映画がありますか?

直接的には『竜二』(1983年/川島透監督)というやくざ映画です。金子正次さんが脚本・主演をやっていて、この1本だけですぐ亡くなってしまったんです。小さい映画なんですけど、細かい日常や喜怒哀楽の感情を描いていて、映画っていろんなこともできるんだな、と思いました。だから最初はフィクションのほうでドキュメンタリーは考えもしなかったんです。大学時代にいろいろやっていたことの延長線上はドキュメンタリーをやったほうが自然だったかもしれないんですけど。直接ではなく間接的にきっかけになった映画はいっぱいあります。

-目標にした監督さんはどなたですか?

一番尊敬しているのは成瀬巳喜男監督です。一番好きなのも間違いなく成瀬監督。海外ではロベール・ブレッソン監督。一番好きな映画は『ベティ・ブルー 愛と激情の日々』(1986/ジャン=ジャック・ベネックス監督)。

-だんだん近づいていくところですか?

女性をきちんと描きたいというのは常にあります。名前をあげた人に共通しているのは「女性をきちんと撮れる」こと。「綺麗に」「魅力的に」撮れるっていうのが好きなので、自分の中では繋がっているんですよ。

-『蹴る』の永岡真理さんはとっても魅力的でした。今日はどうもありがとうございました。

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北沢洋平さん、永岡真理さん

◆インタビューを終えて
この映画で出会わなかったら、電動車椅子サッカーを知らないままでした。永岡さん、東さんはじめ選手の方々が、もう一つのワールドカップを目指して励んでいるシーンに胸が熱くなってしまいました。「生きることそのもの」と中村監督が言われたことばが、すとんと落ちてきます。怪我のないように、これからも楽しまれますように。
選手のみなさんが使っている電動車椅子は「ストライクフォース」というアメリカ製で百万円以上。乗る人に合わせるフィッティングをしますので、その改造費用も加わります。バンパー(フットガード)を外して日常に使えるので車椅子買い替え(耐用年数による)の時期であれば補助金も受けられるとか。ケースバイケースなのだそうです。
このところよく話題になる「クラウドファンディング」についてもうかがいました。その会社により違いますが、中村監督が応募したところは、目標金額を達成すれば1割、しなければ2割の手数料を払います。ほかに「All or Nothing=目標金額に達しなければ出資者に返金する」というファンディングもあります。『蹴る』は目標額をクリアし、上映するための宣伝活動費ができました。あとは劇場で観ていただけること、口コミが応援になります。
電動車椅子サッカーは全国にチームがあります。永岡さんは横浜、東さんは鹿児島のチーム所属です。観戦に行って、自分のゆるすぎる日常にカツを入れてこようと思います。(写真・まとめ 白石映子)

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北澤豪氏、永岡真理さん、中村和彦監督
@2018年東京国際映画祭レッドカーペット(撮影:宮崎暁美)