『横須賀綺譚』大塚信一監督インタビュー

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大塚信一監督プロフィール
1980年生まれ。長崎県出身。日本大学文理学部哲学科卒。20代前半に長谷川和彦に師事。飲食店で働きながら『連合赤軍』のシナリオ作りの手伝いをする。『いつか読書する日』(05 緒方明監督)などの現場に制作として散発的に参加するが、映画の現場からは離れる。基本的にラーメン屋での勤務で生計を立てながら、自主映画を制作するが、完成まで至らず。今作『横須賀綺譚』ではじめて映画を完成させる。子供が生まれる前に最後の挑戦として、短編を一本撮ろうと準備を始めた企画だが、それがいつしか長編となり、息子も4才となった。制作期間に5年かかった企画である。(HPより)
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『横須賀綺譚』ストーリー
監督・脚本:大塚信一
撮影:飯岡聖英
出演:小林竜樹(戸田春樹)、しじみ(薮内知華子)、川瀬陽太(川島拓)、長内美那子(静)、湯舟すぴか(絵里)、長屋和彰(梅田)、烏丸せつこ(陽子)

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2008年、東京で結婚目前だった春樹と知華子。知華子の父親が要介護になったため、故郷に戻ることになった。春樹は証券会社に勤めて多忙な生活を送っており、知華子との生活ではなく東京で仕事を続ける方を選んだのだ。婚約を解消した知華子は友人の絵里と荷物をまとめる。本当に別れるのかと聞く絵里に「いい人だけど、薄情なの」と言って、家を出ていった。
それから9年後。春樹は震災で亡くなったはずの知華子が生きているかもしれない、と絵里から知らされた。春樹は 半信半疑のまま、知華子がいるという横須賀へ向かう。

公式HP https://www.yokosukakitan.com/
(C)横須賀綺譚 shinichi Otsuka
★2020年7月11日(土)より新宿K'sシネマにて公開
シネジャ作品紹介はこちら 

―長い間かかっての公開ですね。おめでとうございます。

今年で6年です。撮影は2年前の3月でした。2週間近くのロケで撮り終えてから、追加撮影をしようとしたらスタッフに反対されまして、それを説得するのに半年~1年かかりました。去年の3月に追加撮影して頭とラストを取り換えているんです。それから映画祭に応募して、2019年7月のカナザワ映画祭が初上映です。

―予告編に本編にはない映像や写真がありました。

監督 最初にラストシーンを撮ったときは、これがラストと思って僕もスタッフもキャストも力が入っている。絵としてどうしても、そちらを使いたくなる力があるんです。それで、チラシにも予告編にも、本編にない幻のシーンが使われています。
最初に入る写真はカメラマンの飯岡さんが撮影したものです。本編ではあえて震災の映像をオフにしました。Youtubeで検索する場面でも津波の映像は見せないようにしました。宣伝には逆に出していくのもいいかなと思って。

―ミステリーの「地図にない町」(フィリップ・K・ディック著)から福島が浮かんで、映画化を考えられたそうですが、撮り始めるまでに変わっていったんですね。

変わりました。最初は短編を撮る予定で、実際にゴーストタウンのようなところをロケハンしました。僕は長崎出身なので、「長崎で原爆なんか落ちてない」みたいな話、『ヒロシマ、モナムール』じゃないですけど、24時間の情事×地図にない町の現代版のような感じで、短編でやってみようかしらと(笑)。
でも福島のことを考えたら、真摯に本腰を入れて、長編でやらなくちゃいけないと思ったんです。福島をネタにSFで面白いのを撮りましたとはいかない。
結果、「これはSF映画?社会派映画?」と観客の視点が迷うような映画になってしまいました(笑)。

―福島の震災から始まって、話が横須賀に移ってから長いですが、横須賀に特に思い入れがあったのですか?

ゴーストタウンを横須賀線でずっと探していて、ロケーション的にいいなと思いました。もう一つは「あったことをなかったことにしている人たちの話」のホン(脚本)を作っていくときに、横須賀の戦争の話はプラスになるなと。
戦争に負けて日本は復興・繁栄しているけれどそれはアメリカの傘の下でのディズニーランドみたいなもの、とよく言われています。そういうメタレベルの視点も入れていける。ことさら台詞で入れているわけではないですが、感じていただけるのではないかと思いました。

―老人のグループホームが出てきました。

リサーチもしましたし、実際にグループホームでロケの予定でした。ぎりぎりまで交渉して準備もしたんですが、介護されている人もいる中で自主映画という不安定な撮影は難しいと判断しました。実地のリアリティとどちらがよかったかは今でもわかりませんが。入口のところは実際の施設で、中は鎌倉のカメラマンさんの実家で撮影しました。ホームの人たちは俳優です。

―施設の名前が「桃源郷」ですね。

そんなに深くは考えなかったんですけれど、さっきの日本がディズニーランド化されているというのを、わかりやすく屋号にしました。あの文字は助監督だった小関裕次郎さんが書かれたんです。「川瀬さんをイメージして書きました。どうですか?」って。タイトル文字は僕です。
僕は字が下手なんですよ。すっごい(とノートを見せる)。ただ祖母ちゃんが書道の先生でして、草書体のお手本見て書いたら崩し字の草書体だけがめっちゃ上手かった(笑)。どっちが祖母ちゃんのかわからんくらい。それでタイトルをこんな感じでと殴り書きしたら、デザインの人に「いいじゃないですか~」と言われまして。

―タイトルはいつ決められたんですか?

シナリオの段階では『すべては変わってしまった。のに、なにも変わらない』というタイトルで書いていました。これはなんか鼻につくので(笑)もっと映画っぽいタイトルにしようと思って、『震災綺譚』と言ったら上田君(監督補)が「僕はそんな(名前の)映画絶対観ません」と言って(笑)。それで『横須賀綺譚』に決まりました。若い世代の方にはすんなり受け入れていただいたんですけど、ゴジさん(長谷川和彦監督)とか足立正生監督とか、上の世代の方は「横須賀綺譚と言っといて、なんで米兵がキャラとして出てこないんだ」と言われました。

―このキャストはどんな風に決定しましたか?

オーディションはしないで、これと思う方にお願いしました。
主役は、もとは『岬の兄妹』(2018)の松浦祐也さんだったんです。川瀬さんのインスタかなんかで、川瀬さんと松浦さん、しじみさんの3ショットがあって、この3人でやりたいなと思ったのが最初です。脚本を書き始める前ですから4,5年くらい前。
撮影まで時間がかかったので、松浦さんの年齢が上がってきちゃってこの青年役は厳しいなと思ったときに、松浦さんの口から「小林竜樹はどう?」って話になりました。『こっぱみじん』(2013)に出ているのを僕も観ていました。撮影部がこの映画と同じ飯岡さんです。
松浦さんと川瀬さんは“やさぐれ&やさぐれ”だったので、全く違う竜樹くんで真逆にしたら面白いだろうなとホンも書き直しました。この映画を完成させて、評論家の切通理作さんに見てもらったんですが、最初に言われたのが「監督と主演の小林さんはなんだか似ていますね」だったんです。それがすごく意外で、思ってもいなかったことだったんです。ただ、トリュフォー=レオーの系譜ではないですけど、今作のような小さな個人映画でそういうことが起こるということは、映画として強いって証左だよな、と思い、嬉しかったですね。

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―しじみさんは?

彼女が役者として凄いな、と思ったのは、自転車を押しながら主人公の春樹とトンネルを歩くシーンの終わりに、春樹の方に振り返って「そんなの書いてたよね、私」と言うところです。脚本上は観客に「あれ?この人は記憶を失っているのか?」と思わせるミステリーのシーンだったんです。ホンも演出もカメラワークもそれを意図したものでした。それを台詞も芝居も変更せずに芝居のニュアンスだけで、主人公の春樹がヒロインにもう一度恋するシーンに変えちゃった。コレはすごいと思いましたね。脚本を思い返すと、コレはしじみさんの選択が正解だと思いました。しかし、演出もカメラワークもそうなっていない。だから、苦肉の策として、少し甘い音楽を流してみたんです。

川瀬さんは前からの知り合いです。川島というキャラクターをどうしようか悩んでいるときに『ハッスル&フロウ』(2005)というヒップホップの映画を見ていて、「ああ、こういうナイーブなワルとかいいな」とか思っていたら、だんだんテレンス・ハワードが川瀨さんに見えてきて……。似てませんか?川瀬さんしかいないなと思いました。

―ナイーブなワルさん、よく涙目になっていました。川瀬さん長い台詞がありましたね。

あれはもっと短かかったんですけど、川瀬さんから「台詞変えてもいいか?」と言われて本番で初めて聞いたんです。「すげーな、カット割れないな」と思ってそのまま使いました。

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―バーの場面も面白かったですね。”映画館”という名前のバーでしたが、実在の店ですか?


鎌倉にあるんですよ。川島雄三組のスタッフの方がマスターやられているんです。あの場面はもっとコメディ調をイメージしていたんですけど、場所の磁場なのか、「あそこだけ松竹大船調になってたね」ってみんなが。
カウンターの前に『秋刀魚の味』(1962)の写真が飾られていてそれを見ながら撮っていました。一番リラックスして撮れましたね。喧嘩ばっかりの現場だったんですけど、あそこだけはみんな仲良く(笑)。

―喧嘩ばっかりの現場?

喧嘩というか、僕だけが素人なのでよく怒られました。撮影用語もわからないし、ひどいもんでした。

―ゴジさんこと長谷川和彦監督に師事されたとありましたけれど。

はい、4年間。現場のない監督ですから(笑)。学んだのは連合赤軍ですね。国会図書館に行っていろいろ調べて、そのシナリオをずっと。

―その経験は生きていますよね。

生きています!今回全部上手く行ったとは思わないし、失敗したなと思うこともあります。けれども、志だけは高く持ったつもりです。ゴジさんから学んだのは「こういう映画を撮る!と挙げた時の手は高く」ということです。

―いい台詞ですね! 太字にします。
脚本は自分で書かれましたから、現場で直せますね。


ガンガン変えました。具体的にどう変えたかというのが思い出せないですが。しじみさんも「こんなに変えた現場はなかった」って言っていました。

―長内美那子さんも重要な役割でした。演じられた静さんが一番不思議な人でした。ホームドラマでの綺麗で優しいお母さんのイメージが強かったので、あんなにテンションの高い長内さんを初めて見ました。

長内さんはヤバかったですね。一番色気があるんですよ。ドキっとした瞬間がありました。そしてテストのときから手を抜かないで全力でやられるんで気が気でなかったです。あの年齢で一生懸命やってくださって本当に感謝しています。

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―スタッフさんはどう集められたんですか?

みんな知り合いですね。ピンク映画系の人がメインスタッフで、メイクや助監督や制作部は『カメラを止めるな』のスタッフです。上田監督と知り合ったのは、今は小説も書かれている脚本家の榎本憲男さんの「シナリオ座学」です。僕は仕事が忙しくてENBUゼミとか美学校に行けません。シナリオ座学は1ヶ月に1回4時間くらいなので行けるかなと。そこに上田君がいて、喫煙者が僕たち二人だけだったので喫煙所で話すうちに「手伝いましょうか」「ありがとう」みたいな感じで。僕の映画がクランクアップした後に、『カメラを止めるな』が公開になって、あっというまにスターダム。編集しながら唖然として見ていましたね。

―大塚監督は助監督の経験は?

ちょっとだけ。緒方明監督の『いつか読書する日』(2005)の制作部のほうにいましたが、あと言われるがままにドラマのほうにちょこちょこ行ったりです。ゴジさんの映画のクランクインを待っていたら20代が過ぎていったという感じです。

―現場で初めて監督として入ったときに不安はなかったですか?

不安はそりゃありました。衣装は揃っているのかとか、もう全てが不安というか(笑)。撮影自体は2週間くらいですが、店は1ヶ月休ませてもらって。撮影前後はげっそり痩せました。

―ご家族はなんと?

僕はあんまり仕事の話はしないんで。僕の奥さんは普通の会社員でサブカル女子とかじゃなくて、家では映画の話はあんまりしないです。ラーメン屋の話も最低限です。

―監督としての心配事を相談する人は?

脚本の相談は榎本さんに、制作的な相談は上田君にしていました。カメラマンの飯田さんがすごいベテランなので随時なんでも。映画学校とか行ってないので、同級生という横のつながりがない。そこがほかの人より苦労したところかな。

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ここよりネタバレです。
頭とラストを追撮して取り換えた件を伺っていいですか。


元々は二人が大学生という設定で、大学の図書館のシーンを始まりと終わりに持ってくる予定でした。それが自主映画で大学の図書館でロケをするのが難しい。図書館が使えないなら思い切ってラスト変えてみようかと思ったんです。それでテポドンが落ちてくる空を見上げているというラストにしました。

―ええ~!テポドン!

ただ、それをするとあまりにも90年代の映画っぽくなってしまう。「世界が終わる」みたいな。それは自分がやりたい映画と全然違うわ!

―監督が自分で書かれたんですよね?

もっと外に開かれた映画にしたかった。SFに行ったり、社会派に行ったり、リアリズムや不条理劇に行ったりふらふらしてますけど、テポドンにするとSFに振り切ってしまって、全然ダメじゃん、やっちまったなぁ俺。それだったらクランクイン直前まであったホンに戻したい、と思ったんです。
そしたら、スタッフから「夢オチって言われるのがいやだ」と言われました。僕は「これは単なる夢オチじゃないんだ。この後震災が来るってみんな知っている。チャンチャンと終わってない。オチていなくてこれから始まるんだ」ってみんなを説得しました。

あのバツン!と切れた後、(暗転後は)カメラが観客のほうを向いてるイメージなんです。
春樹は長い長い夢の後、そんなに大きな変化はないけれど知華子の小説を読んでみようか、と思うくらいの変化はあった。その長い長い「夢」を「映画」と言い換えてもいいかもしれません。僕たち(=春樹)は一本の映画を見た。一本の映画を見ても、人間そんなに変わらない。変わらないけど、近くにいる誰かのことをもう少し理解してみようか、ぐらいのことは思うかもしれない。

―あの暗転が長かったので何か問題が起きたのかと思いました。

ぶちかましてやろうと(笑)。
蓮見重彦さんは、あの春樹が横になるシーンで「ここで夢オチってわかっちゃうけど、いいの?」って(笑)。すごい、さすがだなと思いました。

―知華子が出ていくと本棚が空になってしまいました。春樹の本がありません。

本は「記憶」のメタファーなんです。春樹は正論を吐くけれども記憶を大事にしない、実は空っぽの男ということで。あの空っぽの本棚の空虚さを僕はお客さんと共有したいです。

―観客へメッセージを

この映画はもともとSF短編で撮る予定だったものを、「福島」という重いテーマで描くことにしたので、SFにも社会派、リアリズムにも振り切れない妙な映画になったと思います。それを中途半端だ、と見なす人もいるかとは思いますが、僕としては両方のおいしいところをぎゅっと詰めた映画になったと自負しています。是非、劇場でご確認ください。心よりお待ちしています。

―ありがとうございました。

=取材を終えて=
『気狂いピエロ』(1965)が映画への道に進んだきっかけだったという監督はシネフィル青年でした。初の長編作品が公開されることになって、長年の夢が一つ実現したのを応援したいと取材に行き、あれこれ話は尽きませんでした。
大塚監督のお父さんと同い年とわかって、変なおばちゃんと化した筆者は「米兵はいないけど踊る警備員さんはいましたね」とか、「静さんを見つけたとき、手分けして探している人にすぐ連絡していない」とか、いろいろ突っ込みのような質問や感想を言ってしまいました。失礼しました。
本棚の中身が気になって目を凝らしたら社会学の本や「百年の孤独」「愛しい女」などの背表紙が見えましたが、監督の自宅での撮影で監督の蔵書だそうです。
長崎に3年住んだことがありますが、2年ほど監督と同じ空の下にいたらしいです。長崎大水害(1982)のとき、監督は2歳。「(水害は)原爆よりひどかった」と言ったというお祖母ちゃんは原爆体験者で、作品中に静さんの宝物として登場した手帳はお祖母ちゃんの遺品だそうです。
このコロナ禍のときに「あったことをなかったことにしていないか」と問うこの映画が公開されるのも、何かのご縁でしょう。悩みに悩んで追撮して取り換えた幻のシーンは、後で公開するかもしれないそうで楽しみです。
(まとめ・写真 白石映子)

『花のあとさき ムツばあさんの歩いた道』 百崎満晴監督、伊藤純プロデューサー インタビュー

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<百崎満晴監督プロフィール>1969年生まれ。新潟県出身。日本大学芸術学部映画学科卒業。1993 年NHK入局。初任地は東京の放送センター。担当は番組系カメラマン。以後、仙台、東京、福岡局を経て、2012 年より再び仙台局勤務。現在もヒューマンドキュメンタリーのカメラマンとして被災地の取材を続けている。2004年「にんげんドキュメント ムツばあさんの花物語」で第11回JSC賞受賞。

<伊藤純プロデューサー プロフィール>1978年NHK入局。山形放送局を経て、制作局・NHKスペシャル番組部などで主にドキュメンタリーを制作。近現代史、文化、自然など幅広いテーマを多様な演出方法で描いてきた。日本人がどう生きてきたのかを、「見て面白い記録」として後世に残すのが夢。「新日本風土記」で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。「秩父山中 花のあとさき」シリーズには当初から携わる。映画初プロデュース作品。

<物語>埼玉県秩父の山あいの村に暮らす小林ムツさんと夫の公一さんは、後継者がなく使われなくなった段々畑を一つまた一つ閉じて山に還していく。これまでの感謝の気持ちを込めながら、花や木を丁寧に植える。いつか山を訪ねてきた人が「花が咲いていたらどんなに嬉しかろう」と。テレビ番組が好評でシリーズとなり、映画化された。
作品紹介はこちら
(c)NHK
★2020年6月1日(月)よりシネスイッチ銀座ほかにて全国順次公開


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―ムツさんの最初の印象はいかがでしたか?

百崎 別番組のカメラマンとして初めて会ったムツさんに圧倒的な魅力を感じました。畑に花を植えて山に還そうとしていることと合わせて、すごいなぁ素敵な人だなぁと。

伊藤 僕は映像の中でしかお会いしていないんですが、「畑に花を植えて山に還す」という言葉から感じる観念的なものとは違う、生活感のある、柔らかな茶目っ気のあるおばあちゃんだと思いました。

―ドキュメンタリーは何が起こるのか先の見通しがたてられませんが、撮影していくにあたって芯になったものは何だったんでしょう?

百崎 テーマということですか?「なぜ山に還そうという発想をするんだろう?」「なぜこんなに素敵な人生を歩めるんだろう?」「なぜこんなに長く続けられたんだろう?」という問いの答えを探しに行くのが、このシリーズのテーマだった気がします。その「なぜ」を直接ぶつけてみたことはないですね。そもそものスタートが情報番組とは全く違うので、質問をしなきゃみたいなのではなく、カメラマン兼ディレクターの僕が、撮りながら声をかけていくスタイルだったんです。とにかくムツさんたちについて歩いていました。

―秩父への取材は泊まりですか?

百崎 泊まりにしていました。当時は高速を使っても2時間半~3時間半くらいかかりましたので。そのすぐ下に「下久保ダム」があるんですが、そこに何軒か宿があって、そこを定宿にしていました。音声さん、ドライバーさんと僕の3人の都合が合う日を選んで、4~5日撮影をして帰ってくるという形です。テレビの場合、普通行く前に構成を考えていきますが、僕たちは訪ねて行ってはその状況に応じて声をかけて撮る、という繰り返しですね。

―ゴールというか、いつまで撮ろうというのは決めていましたか?

百崎 2001年、最初に撮ったころは「花が咲くまで」が、ひとつのゴールでした。公一さんが亡くなった後に作った番組もやっぱり「花が咲くまで」。季節の変わり目というか、節目のところまでのピリオド。放送日の関係もありますけれど。

伊藤 現場に長時間はりつけるような体制はとれませんでしたから、季節や畑仕事の節目と、百崎君の他の仕事の兼ね合いもみてロケを積み重ねていくやりかたでした。

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―公一さんが亡くなられて、ひとりになったムツさんも2年少し後に亡くなられてしまいます。

百崎 公一さんが亡くなられて3か月くらいして訪ねました。番組にするというより、ムツさんが山を下りてしまうかもと聞いたからなんです。それまでの経験で山を一度下りてしまうと戻ってこないかもしれない、ひょっとするとムツさんがあの集落にいる最後の日々になるかもしれない、というある種の危機感があったんです。ムツさんがここにいる姿を残そうと思いました。
ムツさんが亡くなった後も、番組の予定も何もなかったんです。当時僕はスロバキアという東欧の小さい国に海外ロケで行っていて、そこでまさに公一さんムツさんのような老夫婦を主人公にしたドキュメンタリーを撮っていました。やっぱりもう一度あの太田部を見に行かないと、と海外から伊藤さんに「これこれこうで東欧におりますが、4月1日に帰国しますので2日~3日の撮影は可能でしょうか?」。番組提案も何もなしで「ムツさんがいなくなった後の花を撮りたい」と長文のメールでお願いをしました。そしたらクルーが用意されていました(笑)。
そこからゴールを考えたかな。

―テレビは映画と違って家にいながらたくさんの方が視聴します。ムツさんたちは自分たちがテレビで放映されることをどんな風に思われていたんでしょうか?

百崎 すごく喜んでくれていました。ムツさんが一番喜んでくれていたと思うんですけど、テレビを見た人がたくさん訪ねて来られたんです。本来ならだれも訪ねて来ないような静かな日常だったはずが、花が咲いてる、咲いていないに関わらず、だいたい週末になるといろんな方々が訪ねて来られました。「色んな話を聞かせてくれるんだ」と、それをすごく楽しみにしているようでした。
「防犯上含めて大変じゃないですか。大丈夫かな」と当時息子さんとも話したんです。「心配は心配なんだけど、それがムツさんや武さんたちにとってある種の生きがいになっているから、大丈夫じゃないかな」とお話しされていました。

―楽しみにしてくださっていたんですね。人好きのする方ですものね。

百崎 もう大好きなんですよ。一日中喋りっぱなしでも平気な方で。

―ほんと可愛いおばあちゃんですよね。笑顔が良くて小柄で。

百崎 可愛いんですよ。ちょっとしたお茶を淹れる仕草でさえ可愛い。近視でよく見えないこともあって、何かと人を使うんです。お茶を淹れたから持ってきてとか、棚の上にお菓子があるから取って、とか(笑)上手なんです。テレビを見ての「ムツさんファン」もいますけど、その放映前からのムツさんファンも実はたくさんいて。週末や春なんかひっきりなしに訪ねてくるんです。

―それはすごいですね。最寄り駅はどこになりますか?

百崎 最寄り駅…最寄り駅がないんですよ。公共交通機関がほぼなくて、西武線の秩父駅からだと車しかない。1時間半くらい。

―遠い~。トレッキングにしてもちょっと辛いですね。

百崎 群馬県の新町駅からバスが出ていて、バスに乗ると1時間20分。ダムの赤い橋のところまで。そこから歩いて50分。びっくりするくらいたくさんの方が訪ねてこられるんです。芳名帳みたいな記録ノートがあるんですけど、相当な冊数です。

―じゃあ楽しい老後だったんですね。

百崎 ムツさんにとって何がほんとに楽しかったのか。少なくとも賑やかだったことは確かです(笑)。

―映画化にあたっての準備は?

伊藤 テレビ版に使われなかったものが当然あるわけです。その中で映画だったら何が生きるだろう、という見直しはもちろんやりました。
最初のころ、20年前はハイビジョンの初期のころですが、素材が残っていないものもあるんです。ほんとに残念ですが、こういう事態は想定していなかったので。

百崎 終わったらテープを返却しないといけない、繰り返し使うものなので。

伊藤 ある時期以降は未編集の映像も残っているんです。テレビで使わなかったシーンやカット、映画館なら良さが伝わるカット、構成が多少崩れようが、絵として魅力があればはなるべく使うという方向で考え直したんです。テレビと同じものでは見に来てくださる方にも申し訳ないので、大きなスクリーンや音響を意識してイチから組み立てました。

―その準備期間はどのくらいかかったのでしょう?

伊藤 ずっとこのシリーズを担当している編集マンが今回もやりましたので、作業は2週間くらい。紙の上で映像の流れを組み立てる作業はその前に終わっていましたから、実際に繋いで試写をしてというのは短期間でした。
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―おふたりはムツさんに出逢ったことで自分の生活や考え方が影響された、変わったということは?

百崎 僕自身は完全に変わりました。ムツさんに出逢わなければまるで違います。伊藤さんは?

伊藤 僕は…仕事という意味で言うと、この番組をやらなかったらそれから後の仕事の中身は全然変わっていたでしょうね。こういう、大きな事件や出来事は特に起こらないけれど、きちっと日本人を記録する、そういったものが面白いし、ちゃんとやっていく意味があるんだなと思った大きなきっかけのひとつです。
NHKのBSプレミアムで毎週「新日本風土記」という番組を担当していますが、このムツさんの番組がなかったら始めなかったかもしれません。

―リストを見ましたら話題性のあるものですね。

伊藤 そうですね。戦争体験の記録をずっと続けていたんですけど、ムツさんの番組がなかったら長期的にやろうとは思わなかった。僕の父親や、もう一世代上の日本人が、いったいどんな風に生きてきたのか、あるいは死んでいったのかということを、しっかり残したい気持ちがこの番組から芽生えたんだと思います。ディレクター時代は、この種の番組をほとんどやったことがなかったんです。だからナレーションの書き方とか…カメラマン番組ですから、あんまり論理で組み立てていくよりは現場の映像の生理を生かしたい…そういうことの面白さをこの番組を通じて身につけたところもある。映像作品を作る上で、何に対して面白がるか、何をやるべきかということの判断のひとつの分かれ目になったかもしれません。

―ものすごく人生が変わってしまった監督はこの後どうなさいます?

百崎 いやー(笑)。

伊藤 白石さん面白い質問しますね(笑)。

―もうただのおばちゃんになってます(笑)。

百崎 いろいろ考えていまして、まずは家族の立て直しから(笑)。このムツさんご夫婦や武さんとの出逢いでは、僕の人生も、生き方も、仕事のやり方も、いろんなことを学ばせてもらいました。ここで番組の取材をやってこなければ、今の僕のカメラマンスタイルというかカメラマンスキルもなかったでしょうね。たぶんムツさんと出逢っていなければNHKをやめていたかもしれない。カメラマンにそんなに興味も自信もなくて、違う道を考えていたかもしれない。カメラマンのこういう手法もあり、と教えてくれたのが伊藤さんでした。結果的に視聴者からも「いいね」って言ってもらえたことが、カメラマン人生でこういうのもOKなんだと、こういうことをもっと大切にしていいんだと気付くことの連続でした。
ご質問の「ここから先どうしますか?」ですが、あと定年まで何年か残っているので、住宅ローンもあり(笑)、なんとか頑張ってこの組織に残らなきゃいけないです(笑)。

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ムツさんたちから教わったひとつのやり方として、何か人生の課題を設けて、そこに向けて日々重ねていく。ひとつの故郷としての秩父の楢尾太田部の方々とは、いやだと言われない限りしばらくは人間・百崎満晴として何かしら関わりを持っていきたいと思っています。
今は仙台局にいて被災地の取材をずっと続けさせてもらっています。被災地で起こっていることは先駆的にここで起こってきたこととさほど変わらない。今被災地でもやもやしている、もしくは苦しんでいる、困っている人たちのところで同じようにカメラという武器を使いながら、すぐには何か解決していくことはできないかもしれないけれども、記録していくことはできるでしょうし、一緒に何かを考えていくこともできるでしょう。このふたつの場所ではやるべき仕事はあるかなぁと、年齢的に退陣を迫られるかもしれませんけど(笑)。やれることをやっていこうと思っています。

―ムツさんが私の母親と同い年ということもあって、両親や祖父母、故郷のことを考えました。おふたりの故郷はどちらですか?

伊藤 僕は東京の墨田区。川向うなので江戸っ子じゃないんです(笑)。
やっぱり自分の親のことを考えますよね。僕の母親は今年90でまだ元気です。母親もこの番組がすごく好きで、ムツさんを見ていて慰められたり、励まされたりってあるようなんです。僕自身もムツさんに自分の親のことを重ね合わせて見ましたし、たぶん日本中でそういう人がいますよね。それはどういう場所に住んでいようが、それぞれの形で自分の親のことを思い出す、自分の記憶を重ねるよすがになるというか、そういうものを世の中に出せたということが良かったと、有難いことだなと思います。

―墨田区ならすぐ帰れますね。

伊藤 そうなんです。すぐ帰れるのでなかなか行かないという。

―百崎監督の故郷は野山のあるところだったのに、だんだん変わったとか。

百崎 僕自身は新潟市なんですけど、郊外型のニュータウンみたいなところです。小学校のときにそこへ引っ越してきて、そのときはまだ周りにちらほら田んぼが残っていたり、宅地化するのに土が盛られて雑草が生えた荒野のような、その先に飯豊や越後の山々が見える平野部が故郷でした。高校を卒業するまでそこで育って、そのころにはだんだん家が建ってきました。30年くらい経った今帰るとまるっきり風景が変わって、田んぼは一枚もなく完全な住宅地です。大きな道路に郊外型チェーン店がドドドーンと建って、まるで故郷がないんです。帰るべき風景がない。むしろムツさんのところに行く方が「帰ってきた~」って。

―原風景って感じですよね。

百崎 日本人ってそういう縄文時代に刷り込まれたDNAがあるのかも(笑)。山の暮らしのDNA、なぜかこの風景に引き込まれちゃう。

―だから訪ねる人多いんでしょうね。親戚がいるわけでもないんですけど。

伊藤 親戚がいるわけでもない(笑)けど、遠い親戚がいるような気分で。

―老夫婦の映画がほかにもありますが、ご覧になりましたか?

伊藤 『ふたりの桃源郷』は素晴らしかったですね。おじいさんが亡くなってからおばあさんが森に叫ぶシーンがあって、あれはすごいなぁと思いました。よくあの場にカメラがいたなぁと思って。

―声が耳に残りますよね。あのおばあちゃんもムツさんも声がいいです。若くて可愛い声で。
そして年を取ると眉間のしわが深くなるんですけど、ムツさんないんです。(よく見るとありましたが、笑い皺のほうが目立ちます)眉を寄せて人を責めたり怒ったり恨んだりしなかったんでしょうね。監督身近にいらしてどうでしたか?


百崎 ほんとに「受容する」という言葉がぴったりな方です。世間的に考えたら苦労の連続だし、大変な子育てだし、親父はノンベエだし。ムツさんにとっては苦を苦にしない、大変だ~とは言うと思うんですけど、眉間にしわ寄せてまでやらない。受け入れていく強さです。公一さんが酔っ払って帰ってきても公一さんが悪いわけじゃない、酒が悪い。

伊藤 ユーモアの精神があるよね。

百崎 それがこう、できちゃってる人ですよね。恐らくムツさんも気合入れてやってない。ほんとに自然体で辛いことも悲しいこともすっと受け入れて。言葉がないですけど、素敵だなと。なんでそんな生き方ができるんだろう。

―これから映画を観る方にひとことどうぞ。

百崎 人生で迷ったりしている人は、ムツさんのあの笑顔に出逢ってください。解決しないかもしれないですけど、これでいいんだって思えたり、勇気をもらえたりします。人生において何を大切にしなきゃいけないのか、もう一回考えるきっかけは絶対作ってくれると思います。「出逢ってほしい」です。

伊藤 若い人に観てほしいですね。若い人は今、いろいろな意味でたいへんだと思うから、そういう人にこそ観てもらえたらうれしいです。
テレビ版は、年配の方を中心に支えていただきましたけれど、この映画は違う世代、これからの世代にも響くはずだと思っています。

―ありがとうございました。

(まとめ・写真 白石映子)

『いざなぎ暮れた。』武田梨奈さんインタビュー

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*武田梨奈さんプロフィール*
1991年6月15日生まれ、神奈川県出身。2009年、映画『ハイキック・ガール!』のオーディションで主演に抜擢。映画『祖谷物語-おくのひと-』『海すずめ』、ドラマ「ワカコ酒」他多数で主演を演じる。近年は日米印合作の主演映画『Shambhala-シャンバラ-』の公開が控える他、企画から携わった映画『ジャパニーズ スタイル Japanese Style』の製作が決定。空手歴18年。琉球少林流空手道月心会黒帯。

『いざなぎ暮れた。』作品紹介はこちらです。
(C)2018 「いざなぎ暮れた。」製作委員会
公式:https://izanagi-kureta.com/
★2020年3月20日(金)よりテアトル新宿にて公開

―これまでいろいろな武田梨奈さんを観てきましたが、このノリコが一番女の子らしくて可愛い!
女の子の可愛らしさがいっぱい出ていました。


あ、ほんとですか。嬉しい~!

―毎熊克哉さんとのカップルも似合っていましたし、2人のやりとりがとても自然でした。
梨奈さんからノリコがどんな女の子なのか紹介していただけますか?


ノリコはキャバ嬢なので、ぱっと見派手ではあるんですけど、ほんとにノボルくんのことが好き。「お腹すいたからなんか食べさせてよ」って言ってもノボルくんに「後でな」となだめられたら素直に「はい」と言っちゃうような子です。ぐいぐいと発言をしているようで、実はすごくノボルくんに丸め込まれてしまうピュアな子。私だったらご飯食べさせてもらえなかったら、別行動でどっかに行っちゃいます(笑)。

―ノボルは切羽詰まっているのですぐ怒りますね。毎熊さんがあんなに喋っているのを初めて観ました。

私もこれまで拝見してきて口数が少ないイメージがありました。

―ノボルの台詞はほとんど嘘と言い訳で(笑)、ノリコの文句の言い方が可愛くて、これは男性ファンが喜ぶなぁと思いました。

ノリコも怒るんですけど、ノボルくんに言われると結局「しかたない」となっちゃうんです。気が強いようで、すごく繊細な子なんだと思います。

―梨奈さんは、これまでしっかりした強い女の子の役が多かったですね。でもこういう好きな相手にはとっても弱いタイプの女の子もできる、役の幅がどんどん拡がっているのが見えて嬉しくなりました。気分は遠い親戚のおばちゃんです(笑)。

ありがとうございます!

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―最初は15分の短編のはずが84分になったとききました。それも3日間で撮り終えて。

はい。正直、台本を観たときに15分の分量じゃなかったので、短編でおさまるのかなと思ったんです(笑)。
でも、たくさん撮ったおかげで長編になって劇場公開も決まりましたし、映画祭にも出せたので良かったです。

―あ、海外の映画祭での受賞おめでとうございます!

ありがとうございます!

―映画の中にちょっとだけアクションが入りました。相手のネルソンズの青木さんはレスリングをしていた方ですね。もっとやろうということにはならなかったんですか?

最初は、がっつりアクションシーンがあったんです。「ノリコが後ろ回し蹴りをして、その後“旋風脚”をして」と書いてあったんですが、ノボルとノリコの物語が進んでいくのに、キャバ嬢のノリコが急に格闘家の女の子になったら、現実味がなくなると思ったんです。だったら「ノボルくんをバカにされたノリコが感情的になって、ビンタしたりしたいです」とご相談しました。

―梨奈さんすごく成長していたんですねぇ。17才で映画界に入って、初めは自分のアクションシーンがあればあるほど嬉しかったでしょう。それが、映画全体とか相手役や流れを考えるところにきたんですね。

ありがとうございます。大人になりました(笑)。前だったら「蹴り3発くらいやってください」って言われたら「はい!」って一生懸命考えていましたね。

―寒いときなのに海に入るシーンがありましたね。

そうなんですよ、冬(撮影は2月)に。しかも「一発本番」だったので失敗できない。

―でも「もう一回お願いします」はない。あったらあんまりですもん。

はい。OKで良かったです(笑)。

―そのほかに難しかったシーンはありましたか?

オープニングの車の中のシーンは長回しで撮っているんです。普通だったらカメラマンさんたちが隠れているんですが、今回はカメラとマイクが置きっぱなしで、毎熊さんと「用意、スタート」も「カット」も自分たちのタイミングでやっていました。

―車は実際に走っているんですよね。

そうです。前と後ろにスタッフの車がいました。毎熊さんは運転もしながらでたいへんだったと思います。長回しだったので、間違えるともう一回。その緊張感はありましたけど、ずっと二人っきりだったので、それはそれで、自然体でできたかなと思います。

―アフレコじゃなく、生で?

今回、一度もアフレコしていません。毎熊さん、全部台本どおりと言っていたそうですけど、実はけっこうアドリブもあったんですよ。

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―ノリコの衣装が1着だったのがちょっと寂しい。でも派手可愛かったですね。髪も金髪で、梨奈さんのこだわりがあったと聞きました。

普段はあんな感じの服を着ることはないです。派手可愛い(笑)。髪は、台本に根もと黒くなって「プリンになってるじゃん」という台詞があったんですが、実際にキャバクラで働いていた方から、働く人たちはプロ意識、美意識が高くて髪や爪の手入れのために頻繁にサロンに通っていると伺いました。それをカツラで表現するのはなんだかイヤだったんです。リアルに見せたくて、微妙なプリンに染めてきました。

―じゃあ撮影が終わったらまたすぐ黒髪に戻したんですか?

別の撮影がありましたので。

―ノボルが「結婚」を口にしてノリコが立ち止まってしまう場面がありました。梨奈さんはどんなプロポーズがいいですか?こうしてほしいとか、理想のプロポーズってありますか?

理想のプロポーズ…。一番嬉しいなって思うのはやっぱり「おばあちゃんに会わせてくれる」とか、「自分の生まれ育った場所に連れていってくれる」。「理想のデート」を聞かれたときに最近よく答えるのは「お墓参り」です。

―え、相手の(ご先祖様)?自分の(ご先祖様)?

自分のもですけど、相手の。デートで連れて行かれた場所が「お墓参り」。「何でここに来たの?」って聞いたときに、「天国にいるおばあちゃんに紹介しておきたかったから」と言われたら嬉しい。そういうのが理想ですと答えてきたんですが、この映画(のシーン)が結構近くて、素敵だなと思いました。

―いくら二人のことと言っても相手のおうちと繋がるわけですから。

はい。軽い気持ちじゃないんだということで。

―これは書いておいて誰かに参考にしてもらいたいですね。

ぜひ!(笑)

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―少し前に『三十路女はロマンチックな夢を見るか?』(2018公開)を観直しました。梨奈さんは30才になるということにこだわったヒロイン那奈でしたが、今、リアルにアラサーですね。

はい、今年が20代最後の年になりました。

―つい10年刻みで考えてしまいますが、どの年代よりも「アラサーになって30代に入るのは大きい」とよく聞きます。大きいですか?

大きいです。去年おととしくらいまで、26,27才のときは三十路に向かってくるにつれて焦りを感じていたんですけど、今は全く感じていなくてむしろすごく楽しみな気持ちが大きいです。というのも、大晦日からずっと自主製作をやらせていただいたり、自分たちで企画したことができるようになったりしました。映画に関しても、お願いされたことだけじゃなく、それ以上のことを自分から発信できるようになってきました。
今までは自信のない武田梨奈で、自信がないけれども夢中でやってきました。今は「自分の中での自信」はすごく持っています。発信できるようになったことが、ちょっとずつ自信につながってきたと思います。それが大人になったっていうことかな。

―年を取って良いこともあります。

やっぱり年を重ねていくと説得力もできますし、そういった意味で「だからこそしっかりしなくちゃ」という気持ちは常にあります。今までと違って一つ一つの発言に責任を持って発信することを大事にしたいです。
あっ、一番大きいのはですね、10代からの自分のポリシーは「考えるな、感じろ(byブルース・リー)」だったんですけど、今は考えた上での「考えるな」だと思っています。そういったいろんな言葉の捉え方が変わってきました。

―考える前に知らなくちゃいけない、知識が必要ですよね。

そうなんです!いろいろ知った上で考える。何も見ていない、知らないのに「考えるな、感じろ」ではダメなんです。

―知識を入れるための受け皿も要りますしね。梨奈さんのこれからがまた楽しみです。

ありがとうございます。

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―ずっと梨奈さんのインスタやツイッターなどを拝見しています。映画もたくさん観ていらっしゃいますね。お仕事もいろんな方面にご活躍で、海外作品に出演されたり、映画制作を始められたり。『ジャパニーズ スタイルJapanese Style』のこともすっごく伺いたいんですけど、また次の機会に。

ありがとうございます。ぜひお願いします。

―では最後にこの映画の「推し」をひとこと。

はい。東京から来た若者二人が自然や伝統のある神秘的な街で暴れます。まったく馴染めていないのに、観終わった後になぜかこの街に似合う二人に変わっています。人間ってちょっとした心境の変化でそうなれるんだな、って思える映画になっています。特に若い世代の方、都会で行き詰っている方、ぜひ観ていただけたらと思います。

―ありがとうございました。
(まとめ:白石映子)

★毎熊克哉さんインタビューはこちらです。 

『いざなぎ暮れた。』毎熊克哉さんインタビュー 

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毎熊克哉さんプロフィール
1987年3月28日生まれ、広島県出身。小路紘史監督作『ケンとカズ』に主演し、第71回毎日映画コンクール スポニチグランプリ新人賞、おおさかシネマフェスティバル2017 新人男優賞、第31回高崎映画祭 最優秀新進男優賞を受賞。その後、吉永小百合主演映画『北の桜守』や『万引き家族』などに出演。

『いざなぎ暮れた。』作品紹介はこちらです。 
(C)2018 「いざなぎ暮れた。」製作委員会
★2020年3月20日(金)よりテアトル新宿にて公開


―以前『ケンとカズ』(2016)の試写の後、カトウシンスケさんと並んで送り出して下さってびっくりしたことがありました。映画もとても印象深くて、それ以来ずっと出演作を観ています。

ありがとうございます。

―『ケンとカズ』はやっぱり大きかったですね。節目になりましたね。

そうですね。それまでは映画に出たとしても、そんなに印象に残るような役というのはまず皆無な状態でしたから。あれは映画学校の友達(小路紘史監督)と撮った映画なので、転機になって良かったです。

―その後の快進撃たるや!フィルモグラフィーには、映画だけで2017年3本、2018年は13本、テレビや舞台もありますね。こんな風に変わってきていかがですか?

仕事で任せてもらえる役割は、大きくなればなるほど大変だなぁと思うんですが、自分の身の回りの友達とかはそんなに変わっていなくて。そういう意味では変わってないです。

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―道を歩いていて「きゃ~!」とか言われませんか?

それが言われないんですよ。全く。

―今佐藤健さんとテレビに出ていらして(TBS「恋はつづくよどこまでも」)。これからですよ、「きゃ~!」は。

テレビは見ている人多いですね。でもあんまり言われたくないんですよ(笑)。

―大きくて目立つから気づかれそうですが。

テレビに出ている人が横を歩いていたとしても、気づかれないですよ。普通に歩いているんですけど。

―役柄と素が違うからでしょうか。こう見ていても、役のノボルと今の雰囲気は全然違います。
この映画は島根で先行上映されましたね。あちらでの評判は?


上映後に舞台挨拶がありました。地元の人たちや親戚の人たちが来たような感じでした。東京の映画館でやったときとは全然違う、ローカルな感じでした。おじちゃんやおばちゃんが「頑張って~!」「応援しとるよ~!」みたいな(笑)。僕は広島出身なんですが、地元のような温かさでした。

―忘れないうちにお聞きしたいんですが、電話でノボルにいろいろ指示していたのは誰でしょう?

あれは…(マネージャーさんへ)言っていいんですか?(マネージャーさん:公言しないほうがいいというか、観る前に先入観を持たないほうがいいです)言ったらすぐに笑いが起きちゃうかな…? 観ていただいて誰の声か当てていただけたら嬉しいです。

―では誰なのかお楽しみということにします。東京の後の公開は決まりましたか?

まだなんです。でもこの映画は「持っている」というか、全然想像もしなかった発展をしているので、あわよくばもうちょっと上映館が増えたらいいなと思っています。

―ウィルスが恨めしいですね。この時期に。

今日(3月5日)もほんとはテアトル新宿で、一般のお客様もいる盛大なイベントがある予定だったんですが中止になりました。公開は20日ですが、収束することを祈っています。

―微力ですが、応援させていただきます。
ノボルは新宿の元ナンバーワンホストで、今はピンチだけど経営者ですね。これまではその手前の人、まだ登れてない人の役が多かった気がします。


全部が初めてといえば初めての役ですけど、ノボルはビジュアルがインパクトあります(笑)。でも裏社会の人間ではないんです。誰もが思うことですけど「男として成り上がりたい」、けれども何かが足を引っ張っているんです。

―ノボルには何が足りないと思いますか?

目先のことしか見えていない。彼もほんとの意味で成り上がりたいのに、目先のことしか見えていないから、いろんなことがうまくいかなくなる。もっと豊かな成り上がり方があるはずなのに、ここでトップになったとか、わかりやすいことでしか評価できていない。だからちょっと寂しい男です。

―まあ、新宿でお店も持っただけでもちょっとエライかなと。

エライんですけどね、もうちょっとこう幅広く考えれば、男としてはもっと上はあるんじゃないかと思います。

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―毎熊さん自身のこれからは?

「新宿のホストクラブでナンバーワンになった!」と言うことって、「映画祭で主演俳優賞とった!」っていうのと似ている気がするんです。例えばですけど。もっと先があるだろうと思う。豊かに純粋にとは思います。

―以前からダンスをしてらっしゃいますよね。どの作品にもそんな場面はないですが、毎熊さんのダンスは観られないのでしょうか。

踊っているシーンはないですが、”ダンスから学んだことは役に生きている”と思いますね。踊りの先生たちに「エロい踊りをしなさい」つまり、色気を大事にしなさいと言われました。指をさす、目線を向ける、というシンプルな踊りの中身を埋めなさいって。それは役者としても同じことですし、色気とは何ぞや、っていつも思っています。ですので、どんな役にも色気をもつことは意識していますね。いろんな種類があると思うんですけど。

―この人を見ていたい、と思うときがありますね。

見ていたい=目に留まる。ガチャガチャしてなくても座っているだけで、そこに“存在している”人っているじゃないですか。それってやっぱり究極だなと思って。そういうものは目指したいです。

―俳優さんには「目がひきつけられる吸引力」必須ですね。

はい、僕もそう思います。

―先日遡ってちょっと前の映画『夜明けまで離さない』(2018)を観たら、高倉健さんみたいに全然喋らないヒットマンの役でした。ノボルはこの対極で、ずっと喋っていますね。これまでで一番台詞が多かったんじゃないでしょうか?

ああ、喋っていましたね。自分の中で一番多かったのは、去年寅さんのお父さん役(2019年NHK「少年寅次郎」)を演じさせていただき、結構喋りました。喋れば喋るほどしょうもなさが出る、という感じの(笑)。このノボルも喋っていることが全部薄っぺらい(笑)。

―とにかくノリコへ言いわけして、嘘が重なっていくんですけど、やりとりが自然で面白かったです。脚本どおりですか?

脚本どおりなんですけど、スタッフもかなり少なくて、冒頭とラストの車の中でのシーンはカメラだけ設置して、「用意、はい」って急に台詞が始まってずっと二人だけでした。その感じが自然に出てるんじゃないかな。

―テイク少なく、どんどん撮っていった?

少ないです。武田梨奈さんとの共演だからこそ、一発本番シーンもうまくいったんだと思います。息が合ってとても助けられました。

―武田さんとはこれが初共演ですか?

えっと2回目です。前はテレビの「ヘヤチョウ」(2017/EXテレビ)、武田さんはがっつり刑事役で、僕は犯人と間違えられる役でした(笑)。それで初めてお会いしました。台詞のやり取りは全くなかったですけど。  
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―この映画のタイトル、前は違いましたね?

何回も変わっているんです。車も変わって、今はダッジですけど。その車の名前が入っていたり。(マネージャーさん:3回くらい変わっています)『いざなぎサンセット』『渚のダッジ』とか(笑)。『いざなぎ暮れた。』がベストなタイトルだと素直に思います。

―もともとはショートバージョンを撮る予定だったそうですが。

ショートバージョンを撮ったつもりが長かった、というノリなんですよ(笑)。15分の作品を3日で撮るならけっこう贅沢に撮れるんです。そこに全てをパンパンに入れて、ぎりぎりまで撮って84分。劇場にかけられる長さになりました。

―海に入るシーンがありましたね。すごく寒そうでしたが、いつの撮影でしたか?

去年の2月です。無茶苦茶寒いんです。とにかく寒かったです。神事は12月3日だったので、地元美保関の方々のご協力で、撮影のときに再現していただけたんです。時間が少ないのに、天候が不安定で大変でした。普通は雨のシーンの次に晴れていたら、繋がりがおかしいじゃないですか。でもこの町では変じゃないんです。逆にそういう(神様に近い)場所なので、それはいいかって(笑)。

―まあ、お疲れ様です。神事に会うと霊験あらたかで無病息災だそうですから、再現でもこれからも大丈夫かも。

そうですね(笑)。

―ノボルは車マニアでしたけれど、毎熊さんは?

僕は車まったくわからないです。

―私もわからなくて、ダッジ・チャレンジャーを検索しました。あの説明を覚えるのは大変じゃなかったですか?

あれもいろいろ変わったんです。やる直前に「車変わったの聞いてます?」「いえ聞いてません」って(笑)。
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―なんでもできそうな毎熊さんですが、これは苦手ということはありますか?

モノ、道具を使った球技ですかね。ゴルフ、野球、テニス…とか。

―チームプレーはOKですか?

あんまり向いてないと思います。「あ、どうぞどうぞ」って感じになっちゃうんで(笑)。サッカーも「俺が俺が」の集まりで、そうじゃないとたぶん勝てないんだと思いますが。
格闘技とかは1:1だからまだいいんですけど。

―喧嘩も?

喧嘩はしないです(笑)。役では喧嘩をするとか殴るとかありますが

―そういう役も、これから自分で手を出さなくていい、命令するほうにだんだん変わっていきそうです。
ダンスのシーンがある映画、ミュージカルもですが、特に時代劇に出てくださるのを楽しみにしています。似合いますよ、きっと。


ありがとうございます。一つ一つ様々な役にチャレンジしたいです。

―ぜひ。今日はありがとうございました。
(まとめ・写真 白石映子)

★武田梨奈さんインタビューはこちらです。

『カゾクデッサン』今井文寛監督インタビュー

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*今井文寛監督プロフィール*
大学卒業後、CM撮影スタジオに入社。スタジオマンとして働く。スタジオ退社後、フリーランスの照明部として活動。その傍ら、緒形拳主演『ミラーを拭く男』(03/梶田征則)などの映画に助監督として参加。
2008年、日本映画学校22期俳優科・卒業ドラマ作品『解放区』冨樫森監督作に照明技師として参加。
2010年に脚本監督した短編映画『ナポリタン、海』がショートショートフィルムフェスティバル&アジア2011、ジャパン部門に入選。
2014年公開の堀口正樹脚本監督作『ショートホープ』に照明技師として参加。
自己資金でこの作品の製作に乗り出し、共感する多くの方の協力を得て完成させる。

『カゾクデッサン』作品紹介はこちら
(C)「カゾクデッサン」製作委員会
★2020年3月21日(土)より新宿K’s cinemaほか全国順次公開

―この初の長編作品は“自主製作”ですね。製作費集めから始めたのですか?

脚本が書きあがったころ協力してくれる人が集まっていたのと、ちょうど貯金もそれなりに貯まっていたので。貯金です。

―貯金!ちょっとやそっとじゃないですし、作っているうちにだんだん足りなくなったりしませんか?

みなさんに正式なギャランティーや機材費などをお支払いしていたらとても足りません。みなさんが技術や機材や人材、時間を無料で提供してくれましたので、なんとか形になりました。

―良い方が周りにいらしたんですね。

そうですね。ほんとに仲間あっての映画です。

―いい人が集まるのは、本人がいい人だからだと思います。

いやー、だといいですけど。かなり無理させてしまいました。だけど、みんな映画が好きで「良い映画にしよう」という目標は一緒でした。

―「借り」は作ったら、時間かかっても忘れずにお返しすればいいんですよ。

そういうことですね。昔は借りを作るのが怖かったんですけど、今は「出世払い」ということで、いろいろお力を借りています。いずれお返したいと思っています。そんなこともあり、撮影中はみんなにとって楽しい時間にするということを意識していました。

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―最初に作る映画のテーマは「家族」と決めていらしたんですか?

そういうわけではないです。企画はいろいろありまして、以前はもっとお金のかかる映画を書いていたんですけど、自分でやるしかなくなり、それは不可能でした。それで自分の資金内で作れる映画の脚本を書こうというところから始まりました。
そのときに最初にあったのは「自分の好きな人を書きたい」ということでした。僕がスタジオや照明部で働いているときに、仕事を教えてくれた先輩たち…職人気質な人が多く、乱暴で、酒が好きで、言葉も荒い。けど、面倒見が良くてよく教えてくれて、失敗しても笑って許してくれるみたいな。

―剛太くんに似ています。

まさにそうなんですよ。そんな方々に教えてもらって僕も仕事を覚えてきたんですけれども、年を経まして先輩方も年を取り、お酒のせいで身体を壊される方も出てきたんです。そんなときに、僕はそんな先輩たちの良いところを引き継げているのか、それをまた後輩たちにうまく繋いでいけてるのか、ということに自信が持てなかったんです。
僕がお世話になった、僕がカッコいいと思う人たち、一般の人からみたらあんまり経済的に成功していない負け組と言われるのかもしれないけれど、僕にとってはカッコいい人たち。その姿をスクリーンに描きたいと思ったところから始まっています。

子どものころ親にすごく怒られて、「自分はこの両親のほんとの子どもじゃないんじゃないか」と思ったりしたことありませんか?僕はあって、脚本を書いているうちにそんな妄想的なことから話が組み上がっていきました。
意識のない母親、そういう人から、周りの話が動いていく。これは尊敬するエドワード・ヤン監督の、大好きな映画『ヤンヤン 夏の思い出』の影響が大きいと思います。

―出てくる男性は喧嘩したり、子どもっぽかったりするのに、女性は包容力があり、母性を感じました。監督はお母さんっ子かなぁと思いました。

あ、ばれましたね(笑)。父はあまり喋らない人だったので、やっぱり母親との交流のほうが多かったです。僕自身がこういう不安定な生き方をしているからか、周りの友人や仕事仲間たちが結婚していったりすると、じゃあ自分はみんなみたいに家庭を持てるんだろうか?正直その自信がなかったんです。

―そのへん剛太くんですね。

はい。だと思います。

―で、ご結婚は? あ、おばちゃんはすぐこれで(笑)、すみません。

まだです。諦めてはいないんですけど(笑)。

―きっと赤い糸の人が待っているんですよ。

はい、まだ期待しています(笑)。

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―映画に戻りますね。完成までにどれくらいかかりましたか?

企画を書き始めてからでしたら、4年くらいかかっています。

―4年ですか。お疲れ様です。そして公開おめでとうございます。

ありがとうございます。

―最初の作品にこれまで蓄積したものをつぎ込む方が多いと思いますが、監督は全部入れこめましたか?

いやー、全然入れこめてないです。単なる映画好きの映画バカなので、まだまだやりたい。企画はたくさんあります。

―この作品については。

俳優や技術の方々、いろんな人の力を貸していただき、ほんとに思った以上の作品になったと思っています。

―撮影期間はどのくらいでしょう? お天気は大丈夫でしたか?

11日間です。雨はですね、僕は晴れ男なんです。通り雨が1回あっただけです。

―病院の屋上の青空が印象的でした。ロケーションも良かったですね。

あそこはラッキーでしたね。ラストのほうですから、カラッと晴れて映画の神様によくしていただきましたね。制作担当が非常に優秀な方でほんとに素敵なロケ場所を見つけてくれました。バーやマンションも好評でした。リノベーションされたマンションでお洒落なんです。

―部屋の中にも窓があって。

美里が寝ているときに剛太が出ていって、窓の向こうの剛太へカメラが追う。窓の向こうに見える剛太から実は目を覚ましていた美里の顔へと、ワンカットでいけました。

―その窓の使い方もですが、ガラスや鏡に映像が映りこんでいるシーンが何度もあって目に止まりました。

はい。鏡をそこに持ってきて。ロケ場所もそういうところを選んでいます。というのは、撮影の中澤正行さんが映りが大好きで、そういうところで映画空間を作っていくんです。

―病院の廊下も長回しでカメラが人についていきますね。あそこも監督がやってみたかったこだわりでしょうか。

撮影の中澤さんも僕も長回しが好きで、どこまで行けるのかとチャレンジしてみました。ロケ場所に行って歩いてみて、「これ行けるんじゃないか」「人の動きをつければ」と。夜の人の少ないときだったので、けっこう順調に2テイクでできました。

―鏡の映像をずらしている場面もありましたね。

あれは中澤さんと編集をやっているときに、思いつきまして「面白いな」と入れました。編集しながらもアイディアが出てくるところが映画の面白いところです。

―映画はキャスティングが半分と聞いたことがありますが、編集もすごく大きいですよね。

特に監督の仕事はそういってもおかしくないですね。編集って映画を磨くことだと思います。磨くとどんどん良くなってていく。

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―キャスティングは、どのように決まっていきましたか?良い俳優さんが集まりましたね。

この映画の企画を持って訪ね歩いているときに、『お盆の弟』『百円の恋』のプロデューサーの狩野善則さんが脚本を気に入って協力してくださいました。そのつながりでまず水橋研二さんにお会いして、まさに主役の剛太だと思い、すぐに出演をお願いしました。水橋さんが出るということで、瀧内公美さんやほかの方も決まっていきました。
3人の中学生はオーディションで決めました。学校で3人が話しているシーンを交替してやってもらって、それぞれの役を決めました。何より良いのは3人とも真面目でまっすぐなんです。それって才能ですね。

―喧嘩のシーンがいっぱいありますが、監督は喧嘩したことは?

僕は不良でもなかったので、そんなに経験ありません。負けた記憶はあります(笑)。

―光貴くんは一人っ子で喧嘩の経験もなさそうなのに、あんなにパンチが入るものですか。剛太くんは百戦錬磨でしょうけど。

大人しい優等生の子のラッキーパンチかな。喧嘩のシーンは殺陣師の方に入っていただいて、リアルな喧嘩をめざしていこうと方向が一致しました。剛太のほうは酒を飲んでだらしない生活をしているし、かけひきは知っているだろうけど、体力が落ちているだろうということで。光貴が若さと体力で振り払い、剛太は膝を強く打ってしまう。それから顎にパンチを食らう。顎にうまく入ると意識を失います。僕も食らったことがあります(笑)。

―みんな「グー」でしたね。(笑)

喧嘩は「グー」ですね(笑)。構えもこうで(ポーズ)。光貴役の大友くんはブルース・リーを意識しているところがあるみたいです。彼はブルース・リー大好きなんです。

―音楽は蓑田峻平さんですが、iPodに入っているお母さんの思い出の曲もそうですか? なんの曲だったのか気になっています。

いえ、違うんです。iPodの曲は踊っている曲とは違うものにしています。

―映画をつくるときには、ラストシーンまできっちり考えてあるものですか?

この作品ではきっちり決めていました。なんでこのラストにしたか、尊敬する先輩たちや市井の人々に捧げる映画であってほしいなと思ったからです。

―剛太くんってだらしないけれど、憎めないですよね。だから幸せになってほしいなと思う気持ちがあのラストまで繋がって、いいところに着地した~と思っています。

ああ、それがうまく行っているのなら映画は成功だと思います。嬉しいです。

―良かったです。ありがとうございました。


=取材を終えて=
取材の前に待ち合わせ場所で監督に会えたので、故郷・福井の美味しいものを教えていただいていました。へしことかソースカツとか。銀座に福井の物産館があって、試写の帰り道なのでよく寄るのです。
おかげで、すっかり口が滑らかになり取材がスムーズに進みました。進みすぎて細かいことを聞く”オタク癖”が出てしまい、帰宅してみたら大事な質問が抜けておりました。恥ずかしながらメールで追加質問させていただきまして、すぐにお返事を頂戴しました。以下感謝とともに付記いたします。(まとめ・写真 白石映子)



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―映像の仕事をするきっかけになった映画は何ですか?(たとえばこんな映画が作りたい)

映画は子供の頃から好きでよく観ていましたが、決定的だったのは社会人になってから観た成瀬巳喜男監督の遺作『乱れ雲』です。
仕事先での昼休み、銀座の歴史ある名画座、並木座が閉館するニュースを見た私は、休日に訪れることを決めました。最終プログラムは「名匠 成瀬巳喜男の世界」。実は私、不勉強で成瀬作品を観たことがなかったんです。そこで観たのが『乱れ雲』。衝撃を受けました。何でこんなに激しく心を揺さぶられたのだろう。それから閉館するまで並木座に通い詰めました。並木座が閉館してもその興奮は収まらず、休日は映画館をはしごするようになりました。そしていつからか、自分が憧れる監督と自分との間に存在する距離に、愕然とした思いを抱くようになったんです。この距離を少しでも詰めるには、映画監督になるしかない。映画監督になる決意を固めて、勤めていた会社を辞めました。

―脚本を書くとき、大事に思っていることは?

脚本を書く時、いろいろ気をつけていることはありますが、大事に思っていることといえば、やっぱりキャラクターの葛藤を描くということでしょうか。主人公だけでなく、映画に登場する主要人物には、必ず葛藤を持たせたいと思って書いています。

―監督として「楽しい現場で」とおっしゃっていました。ほかに気をつけていたことは?

素晴らしい俳優、素晴らしいスタッフが揃っていましたので、いかにいい化学反応を起こせるか、そのことを意識しながら撮影に臨んでいました。
これは後から聞いた話ですが、ロケ場所のバーでのこと、水橋研二さんと瀧内公美さん、自分の出番が終わっても支度部屋には戻らず、二人でコップを洗ったりしながらおしゃべりをしていたとのことです。小さなことかもしれませんけれど、色々なところで化学反応が起きていたんですね。そういった化学反応たちが合わさって、また化学反応を起こす。そうやって映画は出来ていくのかもしれません。