映画『めんたいぴりり』江口カン監督インタビュー

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<江口カン監督プロフィール>
九州芸術工科大学 画像設計学科卒。‘1997年 映像制作会社KOO-KI 共同設立。
映画やドラマ、CMなどエンターテインメント性の高い作品の演出を数多く手がける。2013年、テレビ西日本放送ドラマ「めんたいぴりり」の監督を務め、日本民間放送連盟賞優秀賞、ATP賞ドラマ部門奨励賞、ギャラクシー賞奨励賞受賞。2015年 続編「めんたいぴりり2」が、前作に続いて2年連続で日本民間放送連盟賞 優秀賞を受賞。2016年4月 競輪発祥の地・小倉を舞台に、夢と人生にもがく、崖っぷちの男の映画『ガチ星』の企画・監督を務めた。同作は、2018年5月より全国公開。

映画『めんたいぴりり』
敗戦後、釜山から引揚げてきた海野俊之と千代子は、福岡中洲に小さな食料品店を開く。俊之は釜山のお惣菜だった〔明卵漬〕をヒントに再現したいと苦労を重ねていた。人情にあつく、太っ腹で、博多の祭り“博多祇園山笠”にも並々ならぬ情熱を注ぐ“山のぼせ”でもあった。そんな俊之を妻の千代子と息子たち、従業員は呆れながらも応援し続けている。のちに福岡名物となる〔辛子明太子〕を完成させるまでの波乱万丈の物語。
(C)2019めんたいぴりり製作委員会
http://piriri_movie.official-movie.com/
★2019年1月11日(金)より福岡先行ロードショー、1月18日(金)より新宿バルト9ほかにて全国ロードショー


-今回は完全に撮りおろしなんですね。テレビ版でできなかったこと、もっとやりかったことが盛り込まれているのでしょうか?

そうとも言えますし・・・大きく変えるというより意識したのは、福岡の人には馴染みがあるので、「またあのふくのやファミリーが帰ってきたぞ」という感じをちゃんと作りたかった。一方で、まだあまり知られていない福岡以外の人たちに対して、ドラマの1回目を作ったときのように新鮮な気持ちで観ていただけるようなものを、新鮮な気持ちで作りました。

-テレビ版はパート2まで放映されていて、映画板は115分ですからぎゅっと縮めたことになるんですか?

テレビ版は主人公海野俊之の青春時代から60代までを一度やって、パート2と今回の映画は昭和30年代のある1年を切り取っています。主人公とその家族、周りの人たちのエピソードがいっぱいある中で、絶対におさえておくべきところはもう一回やっているんです。だけどドラマとは方向、見せ方を変えて作った部分と、今までやらなかった新しいエピソードで構成しています。
モデルになった実在の人物川原俊夫さんの言葉とか、素晴らしい行いをベースにしていますが、そのキャラクターも実は華丸さんに寄せて結構変えているんです。「うちの親父はあんなに女好きじゃなかったばい」って言われたりするんです(笑)。とは言いつつも、ふくやの方々も映画が好きで、そこは一観客としてすごい楽しんでいただけました。エピソードもご本人を元にはしていますが、だいぶエンタメにしています。
そもそもふくやさんからいろいろ聴くお話が面白くて。福岡の人たちは、この伝説のような話が大好き。それを華丸さんと富田靖子さんがやって面白くならんわけがなかろう、といつも思いながらやっていました。
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この海の向こうに釜山がある?

-このメンバーですと、オンもオフも面白そうです。

もう大分“ファミリー感”もありますしね。僕は撮影に妥協できないほうなので、けっこうたくさん撮っちゃう。スケジュールは大変でした。

-キャストは子役さんが替わっていますね。

メインの大人たちは替えていませんが、子役はね、大きくなって(前の子は)もう高校生ですよ。毎回そうですけど、今回も子役さんたちとても素晴らしかったですよ。

-あの英子ちゃんと、ふくのやの兄弟、健一くん勝くんですね。みんなとても良かったですねぇ。

お兄ちゃん役の山時聡真くんは映画の後、菅田将暉さんと同じ事務所に入りました。

-そうなんですか!これから他の作品で観られるのを楽しみにします。

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おかっぱの英子ちゃん。小学生の健一君。

映画では、夏の山笠から始まって山笠で終わる一年を追いかけるような流れで作っています。四つの季節に毎回事件が起こり、そして日常に戻るという流れにしています。テレビのときはあまりそういう見せ方は意識していなかったんですけど。博多の一年の暮らしを感じていただきながら、縁やいろんなことが巡っていくのを映画では取り入れられました。

-山笠は本物の祭りに参加したわけでなく、映画のために特別に出していただいたんですか?

そうです。あれは「中洲流」という、まさに「めんたいぴりり」の人たちの“流れ”なんです。この人たちはもう何回目かな、3回目かな。最近はもうすごく期待してくれて「いつやるんや?早く出たい!」と準備万端です(笑)。夏のお祭りなので、みんな法被に締め込み姿で水をバシャバシャかけられるんです。それが3月の寒い日で、ブルブル震えてまあそれは大変でした。

-あれが寒い日だったとは!息が白くなったりしませんでした?

あのシーンはしてないですけど、戦争のシーンは夜中に撮ったので、息が白く出てCGで消しました。今だからできる技術です。山笠の町のシーンは、古い町並みが残っているところで撮影しましたが、今エアコンの室外機があるんですよ。美術で隠し切れなかったものはやっぱり消しました。

-みんな動いている山を見て気づかないかも、いや突っ込み好きな人いますね(笑)。室外機を一つずつ消したとはお疲れ様でした。あのたくさんの山笠見物の人たちはエキストラですか?

エキストラは全部で1000人くらいです。エンドロールに全員のお名前を出しています。あと野球場のシーンでもたくさんの方々に協力していただきました。福岡市、北九州市、その他いろいろなところから来てくださって。

-ありがたいですねえ。衣装とか美術とかテレビで使ったものは、また映画でも使えたんでしょうか?

セットはバラして、ふくやさんの倉庫に置かせていただいていました。さすがに大分使いまわして傷んでいるんで、直し直しですけれど、使えました。山笠の衣装は山笠の人たちが持ってくるんです。今も昔も(笑)。
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中洲流の人たちが舁いた舁き山

-山笠衣装は自前なんですね。普通大道具ってそうやって取っておくものなんですか?

いや、ないですね。小道具は美術倉庫などにあったりしますけど、大道具はね。シリーズ物でないかぎり置いておけないでしょうね。

-ふくやさんの協力が「大」ってことですね。

そもそも製作委員会の真ん中にいるのは、ふくやさんなんですよ。これのために「きびる」っていう映画会社を作ったんです。「きびる」は博多弁で「結ぶ」という意味です。
こうやってオール福岡で面白いものを作って、福岡以外の人たちに観て貰おうと。ふくやさんは「明太子」でそれをやろうとした。これは地元愛と、そこから文化を作り出し、それを外に出していこうという気持ちの「結晶」みたいな映画ですね。

-ふくやさんのHPを見ましたら、一大キャンペーン中で、なんとこの1月10日が「明太子の日」!1949年の1月10日に初めて商品として店に出した日なんですね!70周年のすごくいい記念ですし、ますます博多の人には忘れられない映画になりますね。

撮影のときはほんとにたくさんの人たちに協力してもらえて。それはやっぱりふくやさんがみんなに愛されているっていうことです。華丸さん、富田さんも。ここ最近も、全く映画に関わってない人が映画のポスターをじゃんじゃん取りに来ては貼りに行き、みたいに協力してくださっています。
この映画も集大成という意味で作ったというよりむしろエピソード1。全国展開の始まりですね。ふくやさんは少なくてもエピソード3まで作ろうと言っています(笑)。

-スターウォーズみたいに(笑)。でもほんとに面白いキャラが多くてまだまだ作品ができそうです。(私は博多大吉さん扮するスケトウダラにウケました。タラなのに脚があってしかも綺麗!)

ベースのネタだけでも山ほどあって、寅さんぐらい数が作れるんじゃないかっていうくらい。

-あらー、それは楽しみです。できるといいですねっ!
博多弁なんですが、博多出身、九州出身のネイティブなキャストたちなのでリアルですよね。全く南と縁のなかった北の人たちが台詞を聴いてどのくらいわかるものでしょう?


それがね、作るとき「どうするの」って話はあったんですよ。その博多弁具合は落とさずに、だけど観ているとちゃんとわかるように脚本上ではしているつもりです。

-言葉は音だけ聴くのでなく、話している人の表情や身振りなどでかなりわかりますね。

僕は、そういった場所だったり、人間の違いだったり、その差を認めて楽しんでいく時代だなと思っているんです。排除するのでなく。そのほうが豊かだと思うんです。
博多弁のイントネーション(抑揚)は関西弁と違って、標準語と一緒なんですよ。それで聞きやすいんじゃないかな。

-イントネーションですか。監督はたとえば東北弁の映画を観て、ことばが入ってきますか?

僕は入ってきます。そういうのが好きなほうなんで。

-これはずっと博多弁で、私は住んでいたこともあってよくわかるし懐かしい。ほかの映画ではせっかく地方で撮っているのに標準語で喋らせていることが多くて残念でした。

そうそう。特に鹿児島や沖縄にいくともっと違って、そこが面白いなと僕は思う。そういうのを観ているとイントネーションが伝染(うつ)るくらい僕は入りこんでいます(笑)。喋りたくなってしまいますね(笑)。

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毎回辛子明太子が出る食卓

-今回は食べたり飲んだりのシーンが多いですね。特にあの家族と従業員の食卓が。

この映画で一番多いシーンは、その居間でみんなが狭い中で肩くっつきあいながらご飯食べるシーンです。

-それぞれの人の個性の出るシーンで面白いです。食べるシーンって気を使いませんか?

撮影は面倒くさいですよ。だけど、演出的なことでいうと「何かをしながら芝居が進む」というのは、そこにリアリティが出ますし、人間って決して一つのことばかりやっているわけではないので。何かをしながら、っていうのは意識しているんです。『ガチ星』のときも、やたら煙草を吸いながら芝居していました。

-ふだんの暮らしってそうですよね。前を向いて喋ってるだけってありません。

今回初めてやってみたことなんですけど、彼らの食卓の上の“明太子のアップ”を何回か入れていて、その明太子の状態が“家族の状態”を表しているんです。主人公が荒れて「最後の明太子だ」と言って、みんなが泣いているところは明太子がぐちゃぐちゃになっていますし、その後彼が気持ちを取り戻してまた日常に戻ったときには、綺麗でおいしそうな明太子になっている。彼ら自体を象徴しているものとしても見せたかった。食卓ってたぶん家族の状態が現われると思うんですよ、絶対。仲が悪ければ荒んでいくだろうし。

-そう思います。皆さんご飯食べながら喋っていますけれど、カットがかかって撮りなおしになったら、食べて減った分は足してまた食べますよね(笑)。一回の食事の何倍も用意しているんですか?

そうです。食べた分をまた同じ量に戻して撮りなおします。すっごい食べています(笑)。
もちろん、どのくらいかわからないけど、ご飯も明太子もたくさん準備してありますよ。で、残ったのはその後スタッフで食べる。だから僕らこの撮影中は、明太子めちゃくちゃたくさん食べられるんです(笑)。

-ふくやさんが提供してくださるんですか。まあ、いいですねぇぇ~(笑)。

普通家で食べるときにはちょっとずつケチりながら食べるじゃないですか。それが弁当には一腹のっけて食べられる。幸せ~(笑)。

-いいなぁ(笑)浜松町で買って帰ろうっと(浜松町駅近くと、モノレールに向かう途中にふくやのお店があります)。
ふくやさんは「特許やら取らん」と、みんなに作り方を教えてしまって、その男気に惚れちゃうんですけど、ほかの後追いした誰も、特許とるような仁義にもとる人はいなかったんですね。


いなかったですね。そんな人がいたら嫌われるでしょうね。特に博多では総すかんをくらうんじゃないかな。
物語の中で一番有名な台詞が「与えた恩は水に流せ、受けた恩は石に刻め」。恩や優しさは、みんなそれで返すものなんだなぁ。僕はやっぱりこんな人にはとてもなれないな、と思いながら作っているんですよ。私利私欲ありますし、とてもじゃないけどこんな人にはなれない。もちろん、だらしがないところも描いていますけど、僕にとってはスーパーマンです。博多のスーパーヒーローです。

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中洲流の法被姿。赤白の手のごい(手拭)は取締。


-博多の人たちも同じ思いでしょうね。水害にあった人を何人も連れてきて、自分の家の分までご飯ふるまってあげて。驚いちゃいます。

あれは実話なんですよ。亡くなられたときも私財が殆どなかったらしいです。あんなに大きな会社なのに、個人の私財はほんとに人のために使い尽くしていたみたいです。できないことですねぇ。

-そういうのも含めて、喜怒哀楽全部詰まった映画でしたね。何もないシーンがないくらい。

忙しいというか(笑)、僕も脚本の東さんもサービスしたくなっちゃうものでけっこう詰め込みました。もう飽きさせるのが怖いので(笑)。そういう意味では最後まで飽きずに観ていただけるかな。

-お店のセットが好きです。奥へいくほど高くなる陳列棚や、フタつきの容器など再現されていて懐かしかったです。

美術は山本 修身(やまもと おさみ)さん。ずっとフジテレビで美術をやっていた大ベテランで、その方がいなければああはできなかったですね。僕が小さいころ駄菓子やとか古いまま残っているようなところは、まさにあんな感じだったんです。さすがに福岡も今はもうほとんど残っていないですね。

-今回韓国ロケはなしですね。

ドラマではありましたが、今回はないです。
僕はドラマをやるちょっと前に、韓国にすごい興味があって、ちょうどいろいろ調べていたんですよ。そのタイミングでドラマを作ることになったので、どうしても一回目のときに釜山時代の話をやりたくて。調べると当時日本の統治ではあったけれども、すごく賑わっていたようなんです。それから戦争で日本に帰ってくるんですけど、祖国なんだけれども「移民」なわけですよ。この物語のベースにあるのはそういう部分で、移民が受け入れられていくことに対して、恩返しの一つとして明太子作りをやるという。
年上の方々にも観てもらいたいけれど、子ども連れの方に来て欲しいなと思いながら作ったんです。子ども達にとっては“新鮮な過去”になります。こういうことも知ってほしいですね。

-ありがとうございました。

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派手な喧嘩もするけれど、「好いとう」


=取材を終えて=
博多で辛子明太子を作りだして広めた「のぼせもん」の夫と「しっかりもの」の女房や息子たちに従業員、周りの人々とのあったかいお話です。俳優さんたちが生き生きと存在していて、笑いあり涙あり、ほんとに全部盛りの映画です。
モデルになったふくやの創業者川原俊夫さんの志は、お孫さんが継いでいらっしゃる現在のふくやにも、しっかりと受け継がれているように思いました。
江口監督には、長編デビュー作の『ガチ星』を世に出すまでのご苦労を前回うかがいました。『めんたいぴりり』はドラマ版のシーズン1、2、舞台版、この映画版と拡がってきました。博多弁や辛子明太子と同じく、全国へと浸透していきますように。
観終わると白いご飯に辛子明太子をのせて食べたくなります。お出かけ前に炊飯器のタイマーを忘れずに。

(取材・監督写真 白石映子)

ふくや HP
https://www.fukuya.com/
博多祇園山笠 HP
https://www.hakata-yamakasa.net/
『ガチ星』江口カン監督インタビュー(2018年5月)
http://www.cinemajournal.net/special/2018/gachiboshi/index.html

『牧師といのちの崖』加瀬澤 充監督インタビュー

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加瀬澤 充(かせざわ あつし)監督 プロフィール
1976年静岡県生まれ。立命館大学卒。2002年ドキュメンタリージャパンに参加。「オンリーワン」(NHK BS-1)「森人」(BS日本テレビ)「疾走!神楽男子」(NHK BSプレミアム)など数々のドキュメンタリー番組を演出する。映画美学校ドキュメンタリーコースで佐藤真監督(1957―2007)に出会う。映画は2002年公開のドキュメンタリー『あおぞら』、本作は2作目。長編作品としては初の劇場公開。

藤藪 庸一(ふじやぶ よういち)牧師
1972年和歌山県生まれ。東京基督教大学神学部卒業。1999年より白浜バプテスト基督教会牧師となり、前任の江見牧師が始めた”いのちの電話”をひきつぐ。2006年にNPO法人白浜レスキューネットワークを設立。保護した人々と共同生活をし、自立し社会復帰を目指す活動を続ける。地域の子どもたちの教育にも力を注ぎ、里親、フードバンクにも取り組む。著書に“「自殺志願者」でも立ち直れる”(2010/講談社)、“あなたを諦めない 自殺救済の現場から”(2019・2月発売予定/フォレストブックス)
https://www.facebook.com/yoichi.fujiyabu

『牧師といのちの崖』 
監督・撮影・編集:加瀬澤充
プロデューサー:煙草谷有希子

和歌山県白浜の観光名所・三段壁で藤藪牧師は自殺志願者のレスキュー活動を続けている。”いのちの電話”にすぐ対応し、辛抱強く話に耳を傾ける。相手によっては教会に連れ帰って保護し、共同生活の場も提供、ときには厳しい言葉もかける。人生を取り戻そうともがく彼らが「何度失敗しても帰ってこれる場所になるといい」と藤藪牧師は語る。100分のドキュメンタリー。
(C)2018 DOCUMENTARY JAPAN INC. /ATSUSHI KASEZAWA
https://www.bokushitogake.com/
★2019年1月19日(土)からポレポレ東中野にて公開


-この作品の始まりをお聞かせください。牧師の藤藪さんを知ったのはどういうことからですか?

直接的に藤藪さんを知ったきっかけは・・・一緒に仕事をした読売新聞の記者さんと飲み会をしていて、そのときに藤藪さんと彼の活動のことを聞きました。本当に偶然なんですけど、そのときに友人から電話がかかってきて、「佐藤真さんが亡くなった」(ドキュメンタリー作家、2007年9月4日逝去)と聞きました。佐藤さんは自ら命を絶ってしまった、と。僕は映画美学校というところで佐藤真さんの生徒だったのですが、ドキュメンタリーについては佐藤さんから教わったと思っています。ものすごいショックでした。その晩のことは、雨が降っていたなという断片的な記憶しかないんです。ドキュメンタリーというものを考える上で、ずっと佐藤さんの背中を追ってきたので、その追いかける対象が急にいなくなったような気がしました。
どうしよう、何かをしないといけないと思っているときに、佐藤さんが亡くなったことを直接的に描くのではなく、この題材にアプローチしたくなりました。ある種運命的な啓示みたいに、そのときに聞いていた藤藪さんのことが強く印象に残っていたんだと思います。

-いつ始められて出来上がるまでにどのくらいかかっているんでしょう?

取材時期は・・・(煙草谷Pに確認)2013年から2014年にかけて。
だいたい1年くらいですね。編集に時間をかけて、つい最近仕上がりました。

-こういうドキュメンタリーをつくるには資金集めがなかなか大変だと思います。

文化庁の助成金が出たので、それでなんとか。
今ドキュメンタリーは軽量化が進んでいますので、それで作れるということもあります。基本的に僕が一人で撮影して編集もやって、そして煙草谷と一緒に映像を見ながら作っていきましたので、あまりお金をかけずにやれました。
監督がやらなきゃいけない仕事は増えましたけどね。(笑)

-藤藪さんご本人に会った印象はどんなでしたか?

「あれ、牧師さんってこういう人だっけ?」と思いましたね(笑)。どちらかというと牧師さんってちょっと遠くにいて、もの静かで落ち着いていて、人の話を聞いているという感じだった。藤藪さんはものすごい精力的だし、ものすごい感情も豊かでよく笑うし、よく怒る。そういう意味ではすごく魅力的な方だなぁと思いました。一緒にいて楽しい。

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-このときの藤藪牧師はレスキューの活動を始めて何年経っているんでしょう?

14年くらいです。白浜の「いのちの電話」の活動は、前任の江見牧師という方が始められて、それを藤藪さんが引き継ぎました。1999年に牧師に赴任すると同時にその活動も始めたので、若いですけどけっこう長いことやっています。

-監督はクリスチャンですか?

いえ、僕は違います。彼女(煙草谷p)はそうですけど。

-私は不信心者でもうひとつよくわからないんです。藤藪牧師は信仰という確固とした芯を持っていて、それで活動していらっしゃる。監督はそれを理解できましたか?

信仰についてですか?なんて言ったらいいかな。神様という存在がいて、聖書と向き合いながら自分の日常をすごしていくというのはすごく理解できます。あの場所にいて思ったのは・・・普段人が悩むじゃないですか。どうすればいいか、あのときどうしたら良かったんだろうか、と話し相手として神様がいるっていうのと、僕が一人で「神様じゃないけど神様的なもの」がいて悩んでいたりする。そういう意味では信仰を持っている、持っていないの違いはありますけど、そんなに差は感じませんでした。それは取材しながら思いました。
僕もいろいろ聖書とか読んで、これどういうことなのかなと考えて・・・でもよくわかんなかったりするんですけど。
それはクリスチャンの人たちもおんなじ。全部わかっているわけではないので、悩んでいたりこの言葉はどういうことなんだろうと考えたりするんですよね。今生きていく中ではたぶん普通で、特別のことじゃない。そういう意味ではすごくよくわかる。

-私には聖書って参考書みたいな感じがするんです(笑)。信仰のもとになる聖書があって、迷ったときは開いて、神はこうおっしゃっている、と解答を出せるわけで「なんかずるいー」と思っちゃうんですけど(クリスチャンの皆様ごめんなさい)。

まあ、でもいっぱい書いてありますから。いっぱいある中から探すので、1+1=2とすぐ出るわけじゃない(笑)。

-監督には自分の芯になるものというか、絶対的に信じられるものがありますか?

うーん。絶対的に~~?ないですね。

-私はあの映画を観て、死に向かう人ってどこにもつながれるものがない。一つずつなくなってきて、一人ぼっちになってもう死ぬことしか残ってないからと崖から飛べてしまうんだろう。こちらに何か一つでも支えになるもの、つながるものがあれば飛ばないだろうに、と思ったんです。みんな自覚がないまでも、何かがあるから(自分から)死なずに済んでいるわけで、それは私には何だろう?映画を撮った監督には何だろう?と考えたんです。すみません漠然として。

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ああ、そういうことですね。僕も今のところ死なないですけど、そんなに遠くない感じはしています。悩んでいる気持ちに共感している。彼らの中に僕と似た部分があり、僕の中にも彼らに似た部分があります。
絶対的なものがあるわけではなくて、そのことを「探している」。そのことを「問う」プロセスそのものが映画になっている。たぶん「絶対的なもの」があったら、ああいうふうな形で提示はしなかったんじゃないかと思います。そのことを手繰り寄せようとしているし、どうやったら生きていけるかな、と思うし。
だから自殺すること自体ほんとに絶対駄目だよ!とはたぶん僕には言えない。もちろん死んで欲しくない、できれば生きて欲しいんだけど、そのへんを亡くなった人を含めて生きている人も一緒に考えたい。「自殺は駄目だよ」と言うと、じゃ死んだ人は「駄目な人たち」なのか、となりそうじゃないですか。そういうふうには思いたくないし、そういう映画にはしたくない。
佐藤さんが亡くなったことからこの映画が始まっているってこともあるんですけど、時々亡くなった佐藤さんとも対話するし、亡くなっているけれども生きている人とそんなに変わらないような気もします。絶対的なものって必要ですかね?

-どっかに何かでひっかかっていたい、自分をつなぎとめるものがほしい、という意味での絶対は欲しいと思います。

ありますよね。それはたぶん「言葉」の問題かもしれないですね。「絶対的」というと、なんかものすごいクレーンみたいなものみたいでガチっとされるみたいなイメージですけど、そういうのって見えたり、見えなくなったりする。あるんだけど、見えなくなったりもする。

-どうしてもそれを見つけられなかったときに、死ぬほうへ向かうんでしょうね。なんであそこに崖があるんだ、って思っちゃいます。まあ日本全部周りは海ですから、崖はあちこちに。

その崖が美しい景色に見えるときと、そういう(死にたい)気持ちのときにはまた別に見えたりとか。人の感情次第だと思います。

崖の上でインタビューしているシーンではドキドキしました。

ああ、あれは僕もドキドキしました。

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-最初の暗い中、レスキューに向かう場面から(監督の声がちょっと入っている)ドキドキで、なんとか説得してーと思っていました。監督は撮影しながら、ここは撮ってもいいのか、と逡巡したり葛藤したりは?

ありましたね。いっぱいあります。選んでいくのは藤藪さんと相談しながらやりました。

-事情を抱えた人にカメラを向けるのは気を遣われたでしょう?具体的にどう工夫されましたか?

できるだけ撮影をする前に、長く一緒に過ごそうとは思いました。撮影をしている時間より、一緒に過ごしたり、人手が足りない時は、弁当屋さんをお手伝いしたりなど、撮影していない時間の方が圧倒的に長かったと思います。たくさんいろんな話をしました。でも、事情を抱えた人だからという理由で、特別に気を遣うということはあまりないです。あまり、偏見を持って見たくないという気持ちもあるし、事情を抱えているのは、どんな人でも変わりませんから。

-生きものは細胞レベルで生きたいだろう。ほんとうはいのちをつなげたいはずと思います。
この映画の中で、何人くらいの方に出会われましたか?


たくさん会っています。何人かわからないですけれど、ものすごくたくさん。会うだけでしたら、相当です。いろんな人が入れ替わり立ち代りやってきますから。

-藤藪さんはすごく正直な方だなという印象でした。ポジティブでエネルギッシュなところもあり、自分の弱い部分もさらけだすところもあり。そして奥様がとても素敵な方で、この奥様の貢献度が高いんじゃないか、と思いました。

奥様の亜由美さん。なかなか素敵な方なんですよ。あの場所は、あのいい関係性のふたりだからこそ成立していると思うんです。自殺者の予防・保護活動のほかに、今回はとりあげていないんですが、子ども達へ勉強を教えたり、いろんな活動をやっている部分もある。ゆるやかな風通しのいい場所でもあります。藤藪さんがグッグッと力を入れ向き合って助けていくぞ、というのと、ちょっと引いて物事を見る亜由美さんみたいな人がいたり、両方のバランスがいい。

-あの建物はどんな風になっているんでしょうか?

教会と藤藪さんの住まいが繋がっていて、保護している人たちは当時10数人で、教会の敷地内の別の建物で共同生活をしていました。町に協力してもらって、別にアパートを借りて住んでもらったりもしていました。あの場所を卒業して、近所で働きはじめた人もいます。だんだん頑張っていろんな活動が拡大していくんですね。

-ベテランが新人の面倒を見ていて、うまく回っていますね。

そういう風な状況に自然になっていくことの中で、人と人とが自然に関わって再生していくのがいいと思います。いろんなケースがありますけど、人ってこれまでできたことが、急にできなくなることがあります。例えば誰かにきつく言われた一言で、うまくコミュニケーションがとれなくなるとか。まあ今の時代は、誰ともコミュニケーションを取らなくても自分の中で完結して暮らすことができたりします。そういう意味では我々皆、総じて人と関わるのが苦手になってきているともいえます。

-あんまり人に頼らない。でも、いつもそうはいかないですよね。皆、我慢しすぎの忖度しすぎじゃないかと。

最近ちょっと思いますね。会社に来るときにビルの前をお掃除している人に挨拶するんですけど、そうしているとだんだんその方と話をするようになります。そういう関係性を作っていくのは、東京で働いて生きていくのにとっても大事だなぁと思います。

-監督は大学を卒業してから東京にお住まいですか?東京の人間は冷たく感じませんでしたか?

大学卒業してから、22歳からずっとですね。(監督は静岡市出身)人は冷たくないと思うんですけど、みんなそういう環境にいるので。アパートに住んでも隣の人を知らない。一応挨拶には行ったんですけど、ひんぱんに会うわけでもないし、田舎と感覚は違うのかなと思いました。

-それが気楽だという人もいるでしょうしね。

きのうも電車で酔いつぶれて電車の床に座って寝ているお姉さんがいたんですよ。こういうときに声かけたほうがいいのかな、って悩みますよね。酔っ払ってるから、って悩んで結局しなかったんですけど。まあ、できるだけ挨拶などは心がけてするようにしています。

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-私たちの生活って、声をかける、そこまでですよね。ところが藤藪さんの関わり方ときたら、ものすごく濃密です。こういうことをやってくれる人がいて良かった!とまず思いました。この作品の中で「助けてください」という言葉が印象に残るんですが、私は「助けて」と言われたことはないなと気づいたんです。自分が言われたらどうしよう、どこまでやれるだろう、話聞くまではできるかな、とか、いろいろと考えました。

それはやっぱりすごく重要な問いだと僕も思ってまして、「助けてください」と投げかけられた言葉に人はどうこたえられるか。それが大きくあるんだと思うんですよね。その「こたえ」を映画は常に探している。
藤藪さんはかなり超人的にやってますけど。「助けてください」と言うときに手を差し伸べているわけです。この手を掴んでほしい、って。そのとき自分ができる範囲で、手をつないであげたい。あげたほうがいいな、とは思います。

-その感覚は、映画を作る前と後で変わりましたか?

感覚、そうですね。変わりましたね。
一歩進んで深く考えるようになった・・・基本的には我々が知らない世界にいた悩みとかそういうものの中に、足を踏みこんで考えていく。死んでほしくないし、助けなきゃと思う。目の前に飛び降りようとする人がいたら、僕は絶対助けると思います。
だけど、いろんな程度もあるし、日常や現実的なことがある中でできる範囲のことをやれればいいな、と思います。僕もそんなに殊勝な人間ではないので、必ず助けるよ、とか、僕のところに来なよ、とか言えるほど強くはないかもしれません。でもそういうことで悩んでいる人がいたら、何か話をするようなことはやりたい。こうやったらいいんじゃない?と考えるプロセスを映画の中で踏んで来ました。そういう意味ではちょっと変わった、と思います。

-こういう抽象的な話は難しいです。

答えはないですからね。悩みのプロセスが常にあって、その中をぐるぐるぐるぐる回りながら、今の時代を生きていくことを考える。どうやっていけばいいかと。

-生きていけないことの大きな原因の一つが貧困なら、自己責任というよりも、公的な援助がもっとあっていいんじゃないかと思います。

自殺対策ということでしたら、尽力してくださる方もいて、それは行政の中の援助もここ10年進んできています。どうやったら自殺を止められるかということを、各市町村も対策を進めている。結局そういうのって人だと思うんですよね。たとえば「国が」っていう言葉が出ると国になってしまう。国が何かをやってくれるという感じになってしまう。やっぱり人がいて、一緒にやっていく中で少しずつ変わっていくんだと思います。
白浜は藤藪さんと行政と警察とが包括的に関わりながら、問題を解決しようとしている理想的なケースだと思います。「自己責任」というのもけっこう言葉が一人歩きをしている。そうすると思考を止めてしまう、断罪するっていうか。それは不毛だなと思います。その人の考えていることとか、自分達が思っていることとかをお互いにすり合わせていくのでなく、断罪してしまうのは、人と人の繋がりを描こうとしているこの映画とは真逆にあるという感じがします。話がちょっと映画と繋がりました(笑)。

-行政も窓口は人ですね。今年は児童虐待の映画も多くて、解決していくための窓口と動く人が足りないと知りました。この映画を観た人が、ほかの人と話しあったり、自分のできることを考えたりするきっかけになるといいなと思います。

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たとえば具体的なアクションを起こしても起こさなくてもいい。そのことを一緒に考えたり話したりできるといいと思うんですよね。そんなことがもしかしたら後々「助けてください」って言葉をかけられたときに繋がるんじゃないかな・・・っと思います、この話で〆ましょう(笑)。

-すごくいい〆ですね(笑)!

そういうときってふいに訪れますからね。そのとき(手を)握れなかったとしたらすごく後悔するし、そのことは考え続けたいと思います。

-ありがとうございました。


=インタビューを終えて=
年末に古くからの大事な友人が病気で亡くなりました。さよならを言うまもありませんでした。長く生きるほど死は次第に身近になっていきます。でも今若くてやり直す時間があって健康な人が死に急ぐのはやめてね、と切に思います。病気や貧困や失業いろいろな悩みなど、死に向かう要因は数多あるでしょう。でもひとまず暖かくして、よく眠って、食べてみて。
町の交番の壁にその日の〔交通事故の死者と負傷者の数〕が書かれています。亡くなった数が0だと、よかったと思います。そこに50人とか60人とかとあったらどうでしょう?テロでも事件でもありません。それが自殺してしまう人の数なんです。
いつも宿題を抱えている気がしているもので、インタビューというより加瀬澤監督とお話してしまいました。何かの種が蒔けたのか、小さな芽を見つけられたのか、わかるのはこれからです。

(取材・写真 白石映子)

『ヒューマン・フロー 大地漂流』 難民問題について考えるトークイベント

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1月12日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国で順次公開される映画『ヒューマン・フロー 大地漂流』。
公開に先立ち、12月18日、国際移民デーにちなんで、難民問題について考えるトークイベント付き試写会が開かれました。

『ヒューマン・フロー 大地漂流』は、中国の現代美術家で、社会運動家としても活躍するアイ・ウェイウェイが、なんらかの理由で難民となった人たちの日常に迫ったドキュメンタリー。訪れた場所は、23カ国40カ所にもおよび、自らのスマートフォンやドローンからの空撮を駆使した映像に圧倒される2時間20分。
作品紹介:http://cinejour2019ikoufilm.seesaa.net/article/463529229.html


◎難民問題について考えるトーク

上映が終わり、トークゲストに、世界中の「ヤバい場所」を巡り、いまいちばん“トガってる”旅番組「クレイジージャーニー」の丸山ゴンザレスさんと、UNHCR(国連難民高等弁務官)駐日事務所副代表の川内敏月さんが登壇。約1時間にわたって、トークが繰り広げられました。

丸山: ジャーナリスト活動をしつつ、テレビに出たりして、若干キャラ立ちしているので、難しいテーマで大丈夫かと思われる方もいるかもしれませんが、世界の難民の現状も追ってますので、そのような話ができればと思っています。

川内: UNHCR難民高等弁務官事務所から参りました。去年から日本の事務所におります。その前は、9か国ほどで仕事をしていました。難民という固いテーマですが、丸山さんと一緒にお伝えすることができればと思います。


丸山: 映画は2時間20分という長さでしたが、世界の難民のことが全然収まりきってないですね。ごくごく一部をかいつまんで集めただけという感じがしました。

川内: 23カ国で取材したものですけど、ごくごく一部ですね。

丸山: この映画を観て、UNHCRの方としては、どういう思いでしたでしょうか?

川内: 現場を見てきましたので、半分、仕事を見ているようでした。

丸山: お知り合いが出てきたとか?

川内: ギリシャのレスボス島の場面で、ブルガリア人の同僚がアイ・ウェイウェイを車に乗せて案内してました。また、現在の国連難民高等弁務官フィリッポ・グランディは、カーブル事務所にいた時の代表でした。

丸山: まさにリアルな目線でご覧になったのですね。川内さんは、どのような国に赴任していらしたのですか?

川内: アフガニスタン、イラン、カンボジア、東ティモール、ブルガリア、ボスニア。南スーダンにも短期ですがいました。

丸山: 今日、この映画を観に来た方は意識の高い方なので説明は必要ないと思いますが、UNHCRについて一応説明をお願いします。

川内: ユニセフやユネスコと比べると知名度が低いですね。難民をイメージしにくいと思います。ほんとうにいろいろな人がいます。難民を担当していて、ジュネーブに本部があって、130カ国以上で活動しています。

丸山:具体的にはどのような活動を?

川内:多岐にわたるのですが、まずは“命を守る”こと。水、テントなどのアコモデーションの提供。まったく別の活動として、難民法の整備や保護の制度を国と共に行うなど行っています。難民といっても特殊な人たちでなく、人間ですので、人間が必要とするものを包括的にみています。

◆難民も人間 
丸山:ポイントは、“人間”というところですね。これまで取材していく中で、腑に落ちないことがいくつかあります。2015年位から難民が増えているというニュースが増えたけど、ロヒンギャ問題はもっと前からあって気になっていました。その後、欧州での難民が増えてきて、日本にいると情報として受け取るけど、現場では現実。情報と現実の間に乖離があるような気がしていました。難民としてくくられると個々人が見えない。現状が気になると、2015年冬、ギリシャに行き、シリア難民と一緒にドイツをめざしました。シリア難民と報道されていたのですが、実はアフガニスタン難民が意外と多かった。僕の場合、大手のメディアが目をつけないところを探して個人で取材するスタンスです。実際に行ってみると、シリア難民は管理がしっかりしていて、歩いて移動しているというより、国内はバスで移動させています。早く国から出ていってほしいから。国境は車を使えないので歩いてる。食事が出るのですが、食べ物が捨ててあるので、どうして?と思ったら、まずかった。ゆですぎたパスタと味のない野菜。食べないの?と聞いたら、数か月前まで、もっと美味しいものを食べてたのに食えないと。もしかしたら、この人たちはちょっと前まで僕よりもいい生活をしていたんだと思うと不思議な感じがしました。

川内:映画の中でドイツの支援団体の女性の方が、難民としての括りでみるのでなく、一人の人間として尊厳を持って守ると言っていたのが印象的でしたね。

丸山:アフガニスタンから流れてくる人はお金のない人が多かったけど、シリアから来る方は、お金を持っている方が多かった。ちょっと下世話なことを言いますが、ギリシャは売春が合法で、マケドニア行きのバスターミナルの裏に売春宿があって、シリアの若者がうろうろしてる。ふつ~の男の子たちだなと思いました。売春宿の女将が、シリアの男の子は女の子の扱いが乱暴だから断ってると言ってました。普通にお客さんとしてくるんだと。実感として生きている人なんだと興味深かったですね。

川内:日本にいると難民というと遠い存在。レバノンでは、人口の3分の1が難民。まわりに普通にいます。

◆制度を整えても解決しない
丸山:スペインのスラム街に難民じゃないのですが、北アフリカの人たちが住みついていて、ムスリムとしてのコミュニティが根付いています。一つの文化がほかの文化に入った時に混ざり合うのが難しいのだなと。日常として受け入れ側はどう思うのかなと気になりました。ロヒンギャについても、地域住民に聞くと、ある日気づいたら違う宗教の人たちが居ついていて怖くなったと。制度だけ決めても解決しないと思いました。

川内:制度作りも必要だけど、受け入れ側に心の準備があるのかどうかが問題ですね。

丸山:古くから行き来をして交流のある国、例えばルーマニアでは、イタリアやトルコと交流があったけど、まざってない。受け入れているようでありながら、文化がまざらないでいる。ドイツでもそう。ヨーロッパはそういう傾向が顕著だなと思いました。日本に万単位で難民が増えた時に、どういう対応ができるかなと常々考えてしまいます。

川内:前任地がイランなのですが、アフガニスタンの人たちが百万人単位で40年近く住んでいるのに、イラン人にはなり切ってない。アフガニスタンを見たことのない若い子も、いつかアフガニスタンに帰って国の再建に貢献したいと言ってる。

丸山:
イスタンブルのリトルダマスカスにいるシリアの人たちも、仕事を見つけて住んでいるのですが、いつか戻れることになったら、シリアに戻るという若者が多かったです。理屈じゃない。難民を説明するのにご苦労があるのじゃないでしょうか。

川内:アインシュタインも難民だったと、よくいうのですが、難民といっても必ずしも貧しい人たちじゃない。高学歴の人もいる。同じ人間としてみる。難民だけじゃなく、異民族の人とお互いレスペクトしながら暮らすのが秘訣。

◆知ることから始まる

丸山:実際難民の人たちと接してみると、言葉が通じなくても心が通じることがある。欧州で難民の方たちの方が綺麗な格好をしていて、僕の方が道路工事をするような恰好をしていて、かえって同情されました。ウィーンの駅の近くの難民待機所で、アフガン難民の人から日本人かと声をかけられて、空手をしてたから日本人に馴染みがあると。彼は、ドイツを目指すのをやめて、そこで難民申請すると言ってました。2015年の冬がターニングポイント。彼は滑り込みセーフ。2016年初頭、ギリシャとマケドニアの国境が閉鎖されました。日本に帰って難民報道を見ると、数字の向こうに顔が見えるようになりました。僕は難民支援ではなく、取材の立場なので、それに意味があるのかと。人の顔が見えるようになったとしたら、接し方や支援の仕方が変わるのではと思うので、伝えることが仕事になればと。

川内:一般の人たちにお伝えしなければいけないと思っても、どうしても数の話になってしまいます。なかなか顔の見える伝え方ができない。

丸山:ユニセフは黒柳徹子さん、ユネスコは世界遺産。UNHCRは南こうせつさん。どんな経緯で?

川内:南さんはUNHCR親善大使のアンジェリナ・ジョリーと映画で知り合って、彼女から触発されて、知ってしまったら何かしなくてはと。ヨルダンの王女が苦しい人から目をそむけてはいけないと言っていましたね。

丸山:存在を知ってしまうと気になって、そこへ行ってみる。行くとわかることがある。中南米の人たちがキャラバンを組んで、メキシコとアメリカの国境を目指していると聞くと行ってみたくなる。無関心が一番怖いですよね。

川内:知るところから始まる。身近に感じるきっかけになると思います。

◆答えはないけど、忘れてはいけない問題
丸山:UNHCRの職員は人数的に足りているのですか?

川内:1万人以上、132カ国で働いていますが、難民の数が増え続けているので十分ではありません。

丸山:
国連の一機関として動く時には、各国の団体と連携して行うのですか?

川内:
主体は各国政府や団体で、そこに国連の機関としてアドバイスをします。そのような団体がない国では、直接私たちが出ていって支援活動をします。

丸山:まとめとして、難民について僕たちに出来ることを考えたいと思います。
大学で考古学を専攻。歴史に触れることが多かった。難民問題は歴史をみると昔から人の移動はありました。今の状況は将来教科書に載るような事態。1世代で解決できないと思います。より正確な認識をして、優しい対応ができるような情報を提供すること、そして、次の世代にバトンタッチしていく必要があると思います。今、起きていることは、来年忘れていいことでも、すぐに劇的に解決することでもないと思います。

川内:同感です。繰り返しになりますが、知っていただくことが第一。前任地のイランではアフガン難民が100万人以上暮らしているのですが、30年40年経っているのに忘れ去られている状況です。なんとかしないといけないと。例えば、毎年難民映画祭を開催していますので、映画を通じて知って貰えればと思っています。

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*会場とのQ&A

― 移民と難民の違いは?

丸山:
移民は自分の意志で、難民はやむを得ず国を出た人。

川内:難民については、難民条約に定義されています。丸山さんの言われたように、何らかの危険を逃れてきた人です。

丸山:どちらもより良い生活を目指しているのには変わらないのですが、難民の置かれている状況のほうがより深刻です。

― ベトナム系中国人で日本に帰化した人から、ベトナムで弁護士をしていたけれど、日本ではできないと。ヨーロッパなどでは、元の資格が使えるのでしょうか?

丸山:使用言語が違うとできない仕事がいっぱいあると思います。例えば、医者の免許をアメリカで取っても、日本では取り直しになります。非常に難しいと思います。リトルダマスカスで会った若者たちは流ちょうな英語を話していて、シリアにいた時は、通訳などいい仕事をしていたけれど、トルコでは売店の物売りをしていると。生きていてよかったとは言ってましたが、内心どんな思いでしょうか。大工さんなど言葉がなくても出来る仕事ならば、どこに行ってもできると思います。

― 日本は厳しいですよね?


丸山:日本で起きるようなことはほかの国でも起きています。もっと厳しい国もあります。働かせないという国もあります。

川内:同じスキルを持っていても、外国では言葉の問題もあって、なかなか仕事につけないという状況はありますね。

― この作品は、2016年の難民の状況を中心に描かれています。その後、状況は激変していると思います。


川内:おっしゃっているように事態はとても流動的です。政治的、社会的な要因や、難民自身の決断もあると思います。日々追っていないと、今の時点でどういう状況かはわかりません。

丸山:レスボス島自体は、変わらずごったがえしてます。海から漂着する人たちもいます。キャラバンのような列がなくなったのかといえば、今はメキシコで起こっています。流動的過ぎて、明日には状況は変わっているかもしれない。この映画で描かれたような光景は、今も世界のどこかにあるといっていいと思います。現状を把握するのは大変で、ちゃんと答えられなくてすみません。

― 歩いて移動しているのは?

丸山:国内をずっと歩いているわけではなくて、国境付近で乗り物から降ろされて歩かされています。

川内:人の動きですが、必ずしもキャラバンのようにシステマティックではなくて、個人でブローカーを見つけて移動している人もたくさんいます。目に見える形で移動している人たちだけではないと思います。

丸山:ニュースは、目に見えるキャラバン的な列を捉えることが多いですね。むしろ個人で密入国という形を取る人も増えています。

― 難民を取り巻く状況は変わってきているのでしょうか?

川内:ドイツのメルケルさんも政権から降りるので、政策的に変わってくると思います。

丸山:変わったとすれば、難民側ではなくて、各国の対応の方ですね。

― 解決が難しいと思います。どういう状況で解決と言えるのでしょうか? 受け入れ先に定住することなのか、いつかは故国に戻れることなのか。

丸山:解決に答えはないと思います。問題だけど、答えがない。ほんとうの意味での解決は、個々人の意志が尊重されることが、あえていえば解決だと思います。この世代では出ない答えだと思っています。

川内:まさにそうだなと思います。その国に留まる、国に帰る、別の国に行く、どういうオプションを取るにしても、人間として尊厳を持って暮らせること。難民問題そのものはなかなか解決しない。

丸山:取り組み続けていく課題なのだなと思っています。

司会:最後に皆さんにお伝えしたいことを一言お願いします。

川内:まず知っていただくことが重要だと思っています。丸山さんのように個人で難民の状況を伝えてくださる方の存在は非常に貴重だと思っています。また、この映画のように映像で伝えるということには力があると思います。私どもでは、難民映画祭を来年も開催することにしています。日本に帰って思うのは、難民問題は遠いけど、関心を持っていただける方は増えていると感じています。関心を持った方が回りに伝えていただくことも大事だと思います。

丸山:今日の映画は重い映画だったと思います。困難な課題ですが、受け継いでいくには、重いだけではなく、難民の方たちは普通の人間で、冗談も通じる人たちだということ。難民キャンプに行く機会があれば、難民の方たちと触れ合っていただいて冗談の一つも言っていただくことが次世代に受け継いでいくことになると思います。

司会:今日はありがとうございました。この映画を、一人でも多くの方に観ていただければと願っております。
                     取材:景山咲子


『ヒューマン・フロー 大地漂流』 

監督・製作:アイ・ウェイウェイ
2017年/ドイツ/ビスタ/5.1ch/2時間20分/
後援:国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)、認定NPO法人 難民支援協会 
配給:キノフィルムズ/木下グループ
© 2017 Human Flow UG. All Rights Reserved.
公式サイト:http://humanflow-movie.jp/
★2019年1月12日(土)よりシアター・イメージフォーラム他にて全国順次公開