戦時下の捕虜脱走事件が現代に問いかける『カウラは忘れない』満田康弘監督インタビュー

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『クワイ河に虹をかけた男』で旧日本軍の贖罪と和解に生涯をささげた永瀬隆氏を20年にわたって取材し続けた満田康弘監督のドキュメンタリー映画第2弾『カウラは忘れない』が8月7日からポレポレ東中野などで順次公開が始まる。近代史上最大の捕虜脱走事件といわれるカウラ事件はなぜ起きたのか。捕虜の汚名に抗いつつ生きたいと願った捕虜たちは、やがて自らの将来に絶望し、死ぬための集団脱走を企てた。コロナ禍で閉塞感が漂う現代を生きる私たちに、カウラ事件が問いかけるものを満田監督に聞いた。

※カウラ事件……太平洋戦争下の1944年8月5日、オーストラリア南東部の田舎町、カウラ第十二捕虜収容所で起きた、日本人捕虜1104人による史上最多の集団脱走事件。日本人捕虜234人、オーストラリアの監視兵ら4人が死亡した。

<プロフィール>
満田康弘監督
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1961年10月5日香川県生まれ。京都大学を卒業後、1984年、岡山・香川両県を放送エリアとするKSB瀬戸内海放送入社。主に報道・制作部門でニュース取材や番組制作に携わる。ANN系列のドキュメンタリー番組「テレメンタリー」で数多くの番組を制作、プロデュース。2003年、ウナギにまつわる様々な謎を追った「うなぎのしっぽ、捕まえた!?」で日本民間放送連盟賞優秀賞など、ドキュメンタリー番組で受賞多数。
元陸軍通訳・永瀬隆氏による泰緬鉄道の個人的な戦後処理を取材したテレメンタリーのシリーズは全5作品。2016年、約20年間の永瀬氏の素材をまとめたドキュメンタリー映画『クワイ河に虹をかけた男』を制作・公開。同作品は第22回平和・協同ジャーナリスト基金賞奨励賞、第3回浦安ドキュメンタリー映画大賞、第90回キネマ旬報ベスト・テン文化映画部門第5位、第34回日本映画復興奨励賞を受賞。同名の著書も2011年に出版。永瀬氏の死後は「クワイ河平和基金」の理事も引き継ぐ。カウラ事件をテーマにしたテレメンタリーは「ベースボール・イン・カウラ」(2011年)「ダブル・プリズナー」(2011年)「死への大脱走の果てに」(2014年)の3本を制作。
今回の映画化は「カウラのことを伝え続けてくれ」という永瀬氏の「遺言」への回答であり、捕虜問題をテーマにしたいわばコインの裏表として『クワイ河に虹をかけた男』と一対をなす。



―― 満田監督がカウラ事件を知ったきっかけと製作に至る経緯を教えてください。

本作は私のドキュメンタリーの2作目で、カウラ事件のことは前作の『クワイ河に虹をかけた男』の主人公だった永瀬隆さんに教えてもらいました。永瀬さんは太平洋戦争下で旧日本軍が捕虜を使ってタイ・ミャンマー間で建設した泰緬鉄道の工事に通訳としてかかわった人で、戦争が終わってから一人で贖罪のためにタイを何度も訪れていました。鉄道建設では捕虜に対する日本軍の仕打ちは苛烈でした。カウラに置かれた収容所では捕虜の扱いは酷くはなかったのですが、捕虜になったことを恥じ、自分たちには未来はないと絶望した日本兵たちが自殺的な脱走事件を起こしてしまった。二つの事件はいずれも捕虜が追い込まれてしまったという共通点があり、コインの裏表と言えます。私は永瀬さんから「カウラ事件のことも伝えてほしい」と何度も頼まれていました。カウラ事件のことは文献を読んだりはしていましたが、クワイ河と同時並行で取材はできず、そうこうしているうちに永瀬さんの体調が悪化してきました。カウラ事件の取材を進めようと強く思い始めたころ、カウラ事件の生き残りの一人である立花誠一郎さんと岡山市内の女子高校の放送部員との交流の話を知り、これをきっかけに取材を本格化させました。永瀬さんが亡くなられた2011年の2年前、2009年のことでした。

―― 満田監督はカウラ事件に絡んで2011年に2本、2014年に1本のドキュメンタリー番組を作っています。その3本を再編集して映画化したということでしょうか。

3本を放送したあとの2018年に岡山・香川エリアのローカル放送でもう1本、放送しました。2017年に立花さんが亡くなり、遺品の中に、カウラから日本に引き揚げるときに持ち帰った立花さんの手作りの木製のトランクがありました。番組タイトルは『立花さんのトランク』です。
映画は昨年公開の予定でしたが、新型コロナの影響で延期になり、時間ができたので全体をさらに見直すことができて、そのおかげで作品の印象が変わったなと思います。
2~3年前から世の中でいろいろなことが起きてきました。新型コロナの対策のあり方や、オリンピックの開催の是非をめぐって議論が起きています。カウラ事件の集団脱走は、捕虜たちの投票で決めたとされています。流されやすく、同調圧力に弱い。そういう空気が、当時カウラで捕虜になっていた日本兵の間にあったのではないか。自分の本心を隠して行動せざるを得なかった。それがカウラ事件の核心であり、そうした日本人の気質は70年以上を経過した現在も変わらないのではないでしょうか。私がこの映画で描きたかったテーマに、現実のほうがどんどん重なってきた。そういう思いがあります。

―― カウラで2014年に開かれた70周年の記念行事で、当時の日本兵の捕虜だった人が参列していました。現地の方から参列する気持ちを聞かれたのに対し、その方が「答えられない」と言葉に詰まったシーンが印象に残りました。

自分が生き残ったことに引け目を感じていて、日本兵の生存者の方々はそのことをずっと引きずったままカウラの式典に参列している。70年以上前に捕虜たちを覆っていた黒い空気は雲散霧消したのではなく、やはり現在もまだ残っている。そう思わずにはいられません。戦時のオーストラリアで日本は明確に敵国でしたが、戦争が終わった後、カウラの人々は集団脱走を日本人が引き起こした特異な出来事と片付けずに、立派な日本庭園を造ったり、桜の木を植えたり、日本との交流を進めたりして日本文化を理解しようとし、不幸な出来事を相対化する試みを続けてきました。「日本とは今は友達だ」とカウラの元軍人は語っていました。「生きて虜囚の辱めを受けず…」という「戦陣訓」に背いて捕虜になったことへの負い目はあるとしても、日本側の生存者が現在に至るまで事件を引きずるのはなぜなのか。私の心にずっと引っ掛かっています。半面、仮に当時の捕虜の中に自分がいたら、死ぬための集団脱走に与したかもしれないとも思います。

―― 監督は放送局の社員としての仕事をこなしながらドキュメンタリー映画の製作を手掛けています。両立には苦労されたのではありませんか。

瀬戸内海放送が属するテレビ朝日系列は『テレメンタリー』というドキュメンタリー番組の恒常的な放送枠があって、系列局が制作した番組を放送しています。系列局は企画書を提出して審査を通れば制作費予算が付く。そのおかげで、『クワイ河に虹をかけた男』ではタイにも取材に行けました。
会社ではニュース番組の編集長・デスクという役割がありますから毎日忙しいですね。だから「朝活」と称して朝6時ごろに出勤して映画の編集作業をしていました。職場で冗談まじりに「監督!」と呼ばれることもありますが(笑)、映画作りにかけている労力は会社員としての仕事の10%もないんじゃないかな。

―― これから作品をご覧になる方にひと言お願いします。

カウラ事件はけっして遠い過去の出来事ではなくて、現代の我々日本人にいろいろな問いかけをしてくれる事件です。自分が主体的に生き生きと暮らし、社会にかかわっていく。同調圧力に覆われるのではなく、少しでも寛容で住みやすい世の中に変わっていく。そのことを考えるきっかけにこの映画がなれば、とてもうれしいですね。

(取材・文:ほりきみき)


『カウラは忘れない』
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監督:満田康弘
撮影:山田寛
音楽:須江麻友  
MA:木村信博  
E E D:吉永順平
CG:斎藤末度加 南真咲 渡辺恵子 小林道子
通訳:スチュアート・ウォルトン 清水健
協力:国立療養所邑久光明園 山陽学園 
Theater company RINKOGUN 燐光群 坂手洋二 山田真美 田村恵子 
カウラ事件70周年記念行事実行委員会
資料提供:オーストラリア戦争記念館 国立駿河療養所 
後援:オーストラリア大使館
製作:瀬戸内海放送
配給:太秦 
©瀬戸内海放送
【2021/日本/DCP/カラー/96分】  
8月7日(土)より、ポレポレ東中野、東京都写真美術館ホールほか全国順次公開
公式サイト:https://www.ksb.co.jp/cowra/

『ある家族』主演:川﨑 麻世さんインタビュー

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プロフィール
1963年3月1日 京都生まれ。大阪府出身。
13歳でTVドラマ「怪人二十面相」主役の小林少年役で俳優デビュー。14歳で歌手デビュー。多くの音楽祭で新人賞を受賞。その後はTV、舞台、映画と幅広く活躍。1984年に劇団四季の「CATS」出演を 皮切りに「ガラスの仮面」「ふるあめりかに袖はぬらさじ」「マイフェアレディ」「スターライトエクスプレス」「レ・ミゼラブル」など数多くの話題作に出演。
朗読ミュージカル「ある家族―そこにあるもの―」(2020年)では、出演のみならず、演出・音楽も手掛けた。2021年映画『僕が君の耳になる』。舞台「夜明けのうた」2022年上演予定

『ある家族』
平成20年の児童福祉法改正により小規模住居児童養育事業として実施された「ファミリーホーム」。養育者としてホームを経営する一ノ瀬泰(川﨑麻世)・陽子(野村真美)夫妻と、二人の実子である一ノ瀬茜(寺田もか)は、家庭環境を失った子ども達と共に暮らしている。育児放棄、いじめ、虐待、障害、就活苦など多種多様な問題を抱える子ども達を自らの家庭に迎え入れ、共に泣き、共に笑い、雨の日も風の日も家族として共に日々を送っていた。しかし、そんな彼ら一ノ瀬ホームの終焉が、静かに、だが確かに近づいていた・・・。

監督・脚本:ながせきいさむ
2021年製作/99分/日本
配給:テンダープロ (C)「ある家族」製作委員会
https://movie.arukazoku.net/
作品紹介はこちら(リンク)
★2021年7月30日(金)より
ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次公開

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―川崎さんのinstaを拝見しました。美味しそうな手料理の写真に寄り道しながら遡って2020年11月のクランクアップの写真は見つけたんですが、クランクインや撮影の写真を見つけられなくて。この作品はいつ撮られたんでしょうか?

クランクインしたのはその3週間くらい前ですね。

―3週間。ほぼ大阪ですか?

大阪と、千葉。海の映っているシーンがそうです。病院の外も千葉です。

―突き当りのお家、一ノ瀬ホームが大阪なんですね。子どもたちがたくさんいて男子部屋、女子部屋とあるので、中はセットなのかなと思いました。

家はその時期だけお借りしました。セットではなく、中も同じ家です。

―私はこの作品で初めてファミリーホームという形態を知りました。それまで里親制度や児童福祉施設があるのは知っていたのですが、家庭に何人もの子供を受け入れて(18歳まで)家族のように暮らすんですね。

僕の実家がそういう感じだったんです。お爺ちゃんおばあちゃんが、恵まれない子供たちをうちに招いていました。うちは喫茶店と美容院と遊園地の乗り物を一部やっていたので、そこで仕事をして、うちに住んでご飯を食べて。女の子はうちからお嫁さんに出したりとか。
僕はそういう中で一緒に生活していました。

―まあ、ホームとか、法人でなくて?個人でですか!?

祖父母が個人でやっていましたね。僕がものごころついたときからそうでした。

―篤志家でいらしたんですね。じゃあお兄ちゃんお姉ちゃんみたいな人がいた。

うんと年は離れていますけど、僕が一人っ子だったので、遊んでくれていました。

―映画のようなお話ですね。
この映画は20年の1月にまず舞台があった(同名の朗読ミュージカル)と伺いましたが、映画版はそのストーリーをふくらませたのですか?どこが違うのでしょう?


朗読ミュージカルのほうは、「家庭」なんです。妻が癌になって、夫の自分も手を怪我して仕事ができなくなり、何もできないと自暴自棄になります。荒れて酒を飲んで、ダメ男になってしまうんです。どうするか決められないうちにどんどん妻の容体が悪くなっていき、なんとかして子どもたちの里親を見つけなくちゃという、家の中の問題です。

―里子を預かる話ではなく、自分の子どもたちを里子に出すお話だったんですか。

映画はファミリーホームというほかの子を受け入れる話で、逆ですね。

―そっちのほうが受け入れやすいです。私。

ファミリーホームの方がですか?

―だって自分の子どもを手放すの可哀そうじゃないですか。辛いし。

いや、それでお客様がすごく泣いてくれる。(笑)

―たくさん泣かせたんですね。(笑)

そうなんです。泣いていただければ、という。

―預ける親のほうを先に演じられたわけですね。その舞台版はどうやって終わるんですか? 
あっ、大阪公演は延期になったので、話しちゃいけないですね。


いや、まあいいんじゃないですか?(笑)
舞台版は、自分が死ぬ前に子どもたちが集まってくるんですよ。幻想です。死ぬなー!って言って。映画は病院のお母さんのところに、ほんとに子どもたちが集まってきます。そこに違いがありますけど。

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―ファミリーホームの方は、モデルになるお家があったんですか?クラウドファンディングのページを見ました。

ええ、ファミリーホームについては、井内さんというプロデューサーが実際のホームを知っていて、こういうところもあるんだよと、世の中の人たちにわかってもらいたいという気持ちが強かったんです。

―川﨑さんの役の、繊細でちょっと頼りないところのあるお父さんというのは同じですね。

舞台ではもっとそれが出せたんです。映画は限られた尺の中で、あれもこれもテーマにしなきゃいけないというのがいっぱいあったので。

―子どもたち一人一人にも、ストーリーがありますものね。

そうなんですよ。父親がダメになっていく過程がもうちょっと描ければよかったんですけどね。

―観ていてお父さんのことが心配でした。子どもたちを一度に送り出さないで、何人か残してあげたらよかったのに、と思ってしまいました。

舞台の場合はもっと荒れているんです。帰るたびに酔っ払っているし、夫婦喧嘩が始まってしまうわけです。それを子どもたちが見て「しっかりしてよ!」と言われながら、どんどん落ち込んでアルコール中毒になってしまう。

―わぁ、それはかなりきついですね。泣かされます。
映画のほうは、ファミリーホームを知ってもらうきっかけになるのも目的なんですね。今はもっと知ろうと思えばすぐ検索もできますし、それから「自分でできることを考える」に繋がればいいですよね。ご紹介して何かの一助になればいいなと思って来ました。


はい。ありがとうございます。

―お父さんも支えていたお母さん、子どもたちのドラマもそれぞれありました。キャストの方々とのエピソードなどありますか。

そうですね。ひとつはコロナ禍ということもあって、なかなか今までのようなコミュニケーションが取れなかったです。撮影中も。

―マスクして、撮影のときだけ取るとか?

そうそうそう。消毒とかもね。ただ子どもたちだけ集まると関係ないんですよ。かたまってゲームしたり遊んでいたりね。大人はまぁ、大目に見ていてたまに「換気するぞ!」と言ったり、あんまり押し付けたりしたくはないんですけど、かといって陽性者が出ても困るしね。撮影中ずーっと葛藤がありましたね。

―ちょうど渦中ですね。無事にクランクアップなさって何よりでした。

そんな意味で、思ったより何かこう、もうちょっとスキンシップとりたくてもとれないような感じだったので、それぞれの思いはありますけれども。

―秋吉久美子さん、木村祐一さんも出演されていました。

秋吉さんとは1980年に「額田女王」と言うテレビ朝日開局30周年のドラマで初共演しました。それ以来の久しぶりの共演でしたが、いつまでもお若いし作らない自然の演技が大変勉強になりました。
キム兄は同じ1963年・京都生まれと言う事で親近感があります。なんと愛車まで同じで話が弾みます。演技はいつも存在感があり、素晴らしい役者さんだと思います。

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―川﨑さんから見たこのお父さん・一ノ瀬泰さんはいかがですか?

うん、頑張ってると思います。まずね、なぜ自分たち夫婦は子どもたちを受け入れて育てていこうとしているのか、考えれば、すごいいい夫婦だと思うんですよ。たまたま奥さんが癌になってしまい、自分も事故で足を怪我して思うようにいかなくなってしまう。だけれども、人間らしくなんとか乗り越えていく姿は、非常にいい人だと思います。

―実の娘が一人いるのに、この子たちを預かるようになった経緯の説明がなかった気がするんです。始まりがちょっと知りたかったです。

そのへんがね、説明不足のところが結構あるんです。
で、結局はデザイナーになっちゃうんですけど、わかんないですよね。パソコンの。

―デザイナー、でしたか。在宅でできるウェブデザインということかな。
あともう20分くらい長くてもよかったかなと思いました。


全部説明して詰め込むのには忙しいですよね。次々と不幸が襲ってきて「またか」、「またか」となるんですよ。だから、これが何話にも分けて観てもらえるドラマなら、今回はこの子、次はこの子と1人ずつできるんですが。

―子どもの数が多いですから連続ドラマでじっくり観たい気がします。

この作品が浸透して、もっと観たいなと思っていただいてドラマ化できるといいですが。

―舞台のほうでは川崎さん、演出から音楽からたくさん関わっていらっしゃいますね。

こちらでは、出演と音楽のうち1曲だけです。お母さんが亡くなった時に流れる「ママに逢いたくて」(作詞・作曲)という歌で、舞台ではテーマ曲でした。

―完成した映画をご覧になっていかがでしたか?

わかってても泣けちゃうっていうか。子どもの表情みてもそうなんですけど。
たとえばこのちっちゃい子(愛ちゃん)ですが、台詞が最後しかないんですよ。

―お母さんを亡くして喋らない子の役でした。

台詞を喋る前に、鼻がピクピク動くんです。それを見て感動したりして(笑)。
それが超・自然なのかなぁって。
自分が感情をこめて芝居していたときを思い出しちゃうんです。スクリーンを見ているとそのときの感情がまだどっかに残っているみたいで。

―普段も涙もろいほうですか?

涙もろいです。すぐ何か、何見ても反応しちゃいますね。
お爺ちゃんおばあちゃんが慈悲深い人だったんで、昔子どものときは「何でだろう?何でよその人にそこまでするんだろう?」と思っていたんですよ。
自分が仕事をするようになったら、ファンの人たちが店(枚方「喫茶コハク」)に押し寄せてくるようになりました。すると店に入れて、ジュースやサンドイッチやカレーを出したりしているわけです。お客さんが入って来られなくて商売にならないのにね。

―情が深いんですね。

そうなんですよ。一所懸命ここまで来てくれるんだから、って感謝の気持ちが濃いんです。愛ってきれいごとじゃなくて、与えるものなんだって思いましたね。基本ってそこなのかな。

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―お仕事上、あるいは人生で大切にしていることは何でしょうか?

「感謝の心」です。これはね、よくみなさん言うけれども「生まれてきたことに感謝」、僕は30になるまで父親と会ってないんです(お母さんが離婚して実家に戻り、川﨑さんは祖父母と母に育てられた)。いろいろ聞いているし、どうでもいいと思っていた父親なんですけれども、やっぱり会えたときには感謝しましたもの。
どんな父親であろうと、今自分がこの世に健康でいるっていうことはお父さんお母さんのおかげなので。やっぱり父親を抱きしめました。父は60で亡くなりました。

―60歳はまだ若いです。もうすぐお父さんの年齢になりますね。

それ、いつも思います。父は60で亡くなったんだなぁって。母は86歳ですが元気です。この前熱中症でちょっと倒れましたけど。

―インスタでお母様(お綺麗!)の画像を拝見しました。川﨑さんはお父様似(写真では男らしい風貌の方です)かと思ったんですが、お母様にも似ていますね。お元気そうで。

店をやっているからいろんな人が訪ねてくれるんです。僕のファンとも会話しますし、たまたま帰ったら母の同級生が久しぶりに訪ねてきてくれて喜んでいました。孤独ではあると思いますが、店が窓口というか、店があるから元気だと思うんです。

―川﨑麻世さんのこの変わらないスタイルの秘訣を伺いたいです。10代と同じとは言いませんが、同じ年代のおじ様たちとは全然違います!(力説)

いやいやいや(笑)、食生活です。栄養のバランスと適度な運動じゃないですかね。後は「意識」ですね。年取ったと思ったら年取っていくんです。

―「意識」すること!では最後にこれから映画をご覧になるみなさんへ。

コロナ禍でニューノーマルの世の中になりましたが。
忘れてはならないもの、知ることの意味、もう一度考えてみることの大切さをこの『ある家族』で感じて頂ければ幸いです。

―今日はありがとうございました。

=取材を終えて=
十代の頃の川﨑さんを覚えています。細くて足が長くてイケメンで、ブロマイドがよく売れたというのも納得。目の前にご本人がいるのが信じられません。舞台でのご活躍が多く、このコロナ禍、せっかく苦労して台詞を覚えて稽古しても、ほとんどが延期か中止になってしまったそうです。いったいいつ元のようになるのでしょう。
舞台は生ものですが、映画は完成すればこれからずっと観ていただけます。この作品1本には、子どもたちそれぞれのドラマが詰まっています。どのエピソードも実際に取材した中から映画にとりこんだもの。ホームを支える両親が倒れてしまうのが辛いですが、大きな子たちが小さな子を助け、未来へとつなげてくれます。血がつながらなくとも、家族になることができます。大事なのは、思いあう心でした。
自分のことでいっぱいな毎日でも、このファミリーホームに出逢うことで、なにか一つでも心に留まりますように。
(取材・写真:白石映子)



参考 日本ファミリーホーム協議会
https://www.japan-familyhome.org/

『ベイビーわるきゅーれ』阪元裕吾監督インタビュー

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プロフィール
1996年生まれ。大阪出身。20歳で発表した殺人を趣味にするカップルを描いた『ベー。』で「残酷学生映画祭2016」のグランプリを受賞した際に、白石晃士監督(『不能犯』)に「才能に嫉妬する」と言わしめ、サイコ殺人鬼と凶暴兄弟の対決を描いたウルトラ暴力映画『ハングマンズ・ノット』では「カナザワ映画祭2017」で期待の新人監督賞と出演俳優賞のダブル受賞、続くパン屋を舞台にしたブラックコメディ『ぱん。』では「MOOSICLAB」で短編部門グランプリ、「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」で短編コンペティション部門グランプリを受賞、さらに海外映画祭初参加で挑んだ「プチョン国際ファンタスティック映画祭」では審査員特別賞受賞を果たすなど、大学在学中に圧倒的な暴力描写で自主映画界を席巻。2018年より開催された「夏のホラー秘宝まつり」では、その才能が注目され早くも特集上映が組まれた。
商業デビュー作となった『ファミリー☆ウォーズ』は実際に起こった事件からインスパイアされ、不謹慎だとSNSで大論争を巻き起こしたが、上映の際にはホラー映画やバイオレンス映画のファンが劇場に駆けつけ、残虐さと滑稽さ、血と笑いの絶妙さを絶賛。『ある用務員』(主演:福士誠治)が公開中、『黄龍の村』(主演:水石亜飛夢)が2021年9月に公開予定と、若い世代で最も多くの作品を世に送り出している注目の存在である。

『ベイビーわるきゅーれ』監督・脚本:阪元裕吾
女子高生殺し屋2人組の杉本ちさと(髙石あかり)と深川まひろ(伊澤彩織)は、高校卒業を前に途方に暮れていた・・・。
明日から“オモテの顔”としての“社会人”をしなければならない。組織に委託された人殺し以外、何もしてこなかった彼女たち。突然社会に適合しなければならなくなり、公共料金の支払い、年金、税金、バイトなど社会の公的業務や人間関係や理不尽に日々を揉まれていく。

作品紹介はこちらです。
(C)2021「ベイビーわるきゅーれ」製作委員会 
★2021年7月30日(金)テアトル新宿ほか全国順次公開

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―まず2人の名前が可愛かったです。「ちさと」と「まひろ」、オリジナル脚本ですから監督が生みの親で名付け親で。名前はどこから思いつくんでしょうか?

名前作るのめっちゃ嫌いで。好きな人いないと思うんですけど。名前作るのが一番苦痛っていう人がたまにいて、自分もそうです。

―タイトルもですか? みなさん苦労するみたいです。つかみですから。

そうなんですよ。タイトルも苦しい。やりたくない。誰かにつけてほしい…(笑)。これもめちゃくちゃ悩んで。延々「仮」でした。仮のままずーーっといって、ぼや~っとこの名前になったっていう(笑)。

―ぼや~っと(笑)。最初、え?なんだろうと思ったんですが、このお2人を見て、この子たちが「ベイビーでわるきゅーれ」なのね。2人が歌う挿入歌が「らぐなろっく~ベイビーわるきゅーれ~」で、おお!と(笑)。
*ワルキューレ=戦場で生きる者と死ぬ者を選ぶ女性。
*ラグナロク=終末戦争


「ワルキューレ」という単語は、ほとんど語感だけで採用しただけだったので、そんな広げ方があるのかとびっくりしました。撮影が終わってから挿入歌を作ろうとなりまして、そういう想定の作品じゃなかったので、最初は大丈夫かな~?と思っていたのですが、お二人とも歌も達者で、素敵な挿入歌になってよかったです。

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―この作品は日常と殺し屋の仕事とのギャップが面白いです。
その切り替え、緩急のバランスがうまいなぁ、こんなにお若いのに、と思いました。何と言ってもこのお2人が良かったです。台詞が面白いですし、アクションもうまくてつっこみどころは何もありませんでした(笑)。なぜ殺しを生業にするんだ?っていうのは、まあ置いといて。
なぜ殺し屋になったかは、描かれてないですよね?


描かれてはいませんが…「たまたま殺しという仕事が適応していた」というキャラクターにしようと思っていました。(演じた)伊澤さんは普段はスタンマンをやってるんですけど、「私もそんな感じでスタントマンになりました」と言ってましたね。「スタントマンになりたーい!」ってなったわけじゃなくて、「流れ」でなった、と。
小学生からの夢を一直線に叶える人ってあんまりいませんよね。好きなことを仕事にできる人もいれば、そこは割り切ってる人もいるし、まあそういうことをごちゃごちゃ考えてはいます。殺人鬼や快楽殺人者じゃなく、職業としての殺し屋を描こうとは思っておりました。

―去年の12月に撮られたんですね。どのくらいかかりましたか?

撮影が6日半くらいです。追撮がありました。
伊澤さんと三元雅芸さん=ラスボスが1対1でずっと闘う場面はどうしても撮り切れなくて途中で撮影が終わってしまって。で、1ヶ月後にもう一回集まって、続きをそのまま撮りました。
照明やら美術やらも全部バラしてまた最初から作らなきゃいけなかったですし、アクションの途中でぶつ切りになってしまっていたので、再撮して繋がるか不安だったのですが、伊澤さんも三元さんも1カット目からバチバチに仕上げてくださったので無事撮り終わりました。

―鶯谷のアパート、ターゲットのアパート、外の場面、喫茶店、メイド喫茶、ラストバトルの廃屋と…いろんな場所で撮っていますね。それでも6日半! 『ある用務員』のときの2人の特徴が今に繋がっている感じがしました。

『ある用務員』のときは、アニメのキャラを見せて「アニメっぽく」「強烈なほうに振り切ってほしい」と言いましたね。そのときの雰囲気が、わりとオドオドしているのが伊澤さんのほうで、なんかどーんとしているのが、髙石さんのほうでした。
その2人の様子をそのまま『ベイビーわるきゅーれ』の脚本に入れて、後は自分の要素を2人にそれぞれふっていったみたいな形です。

―監督の要素。監督のnoteを読んで、監督の中にまひろがいると思ったのは当たっていました(笑)。コンビニのサンドイッチの値段とか、1000円を使えるのは大人になった感じがするとか、noteに書いてあったことがいろいろ映画に生きていますね。

そうですね(笑)。(メイド喫茶の同僚の)姫子に言わせたり。あのnoteを書いたのは脚本を書く前だったので、そのまま使ったりしています。

―脚本はいくつか同時進行で執筆するんですか?

その当時は三池崇史さんの「かちんこProject」もあったり、あと性依存症の男の話も書きたくて、それも書いてこっちも書いて…

―色の違う何本かを書き分けるんですね。気分がのったほうとか?

そうです。気分がのったほうと締め切りがあるほうと。僕の作風は、元はアクションというよりは、がっつり暴力系だったんです。

―『べー。』は予告編だけ観ることができました。

『べー。』や『ハングマンズ・ノット』で評価された暴力描写のテイストは、『ある用務員』や『黄龍の村』には入れられなかったので、『ベイビーわるきゅーれ』では復活させたいと無茶苦茶思いましたね。だから和菓子屋さんやハイエースで拉致される男の長いショットとか、そういうのは昔の名残です。

―元々バイオレンス系がお好きだった?

最初はスピルバーグの『宇宙戦争』(2005)を映画館で観て感動して、そこからよく映画を観るようになりました。
ああいう、日常が圧倒的な暴力によってぶっ壊されていく様は、子ども心に見ていて恐怖と興奮が入り混じった感情になりまして。もとから「ゴジラ」とかすごく好きだったんですが、それで花開いた感じになりましたね。「GANTZ」のカタストロフィ編とかもすごく好きで。ああいうのを撮りたいなってすごく思っているんですが、夢がかなうのはだいぶ先になりそうです(笑)

―以前藤子不二雄さんのキャラの2次創作の物語にハマったとか。

深作監督の『バトル・ロワイアル』を藤子キャラがやるという小説があって、凄いボリュームのテキストをサイトで読めたんです。今はもう消えてしまったんですけど。エスパー魔美とかキテレツとかいっぱい出てきて闘う(笑)。

―そのキャラの特色を生かしてですか!?
消えちゃったとは惜しい…監督もぜひやってください。


え、著作権の問題が(笑)。

―いえ、自分の作品をたくさん撮って自分のキャラでってのはどうですかね。私は観たいです。

それはやりたいですね(笑)。

―この2人も出して。あ、これって『ある用務員』からの2次創作じゃないですか?

確かに。2次創作といえば(笑)自分で自分の2次創作(笑)。
でも元々は小学生くらいのときにドラえもんの2次創作小説を書いてたのがすべての創作の始まりだったので、2次創作は自分の創作の根底にありますね。
だから自分の作品を見て、ファンの方が画を描いてくださったり、自分の作品から創作が広がっていることが何よりうれしいです。

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―ちひろとまひろ2人のお喋りにアドリブは??

アドリブはちょこちょこ入ってたかな。8割くらいは脚本で、アドリブ入れたいところは撮影前に伝えてました。2人が死体が転がっているところでグダグダ喋っているシーンはアドリブですね。「ああいうやつに限って午後の紅茶を午前に飲む」とか、「金曜ロードショー見てムスカの真似する」とか。

―「人がゴミのようだ」。アドリブが達者ですね、このお2人。

達者です。達者でしたね。

―髙石さんは映画初主演で、伊澤さんは今までも映画にたくさん出ているけどスタントでしたし。

はい、2人ともすごいなって。伊澤さんは台詞を言うのは今回が初めてだそうです。

―アドリブは言いっぱなしでなく、受けなきゃいけませんよね。

それもちゃんと受けていただいて。

―まひろはコミュ障を自認していて、ちさとは2人分明るいですね。

『ある用務員』は2人のキャラをはっきり分けたんですけど、本作はいろいろ話して分けなかったんです。コミュ障おたくキャラと元気溌剌キャラがあまりはっきり分かれると面白くないかなと、シャッフルしました。たとえばメガネはこっちがかけそうだけど、こっちにしようとか、逆をやらせてみたりそのままにしたり。家事をちゃんとやるのが、意外にもちさとだったり。
ファッションは、こっちはサブカル系で、こっちは普通の大学生っぽく、みたいに。

―黄色の服が多かったですね。

黄色多いですね。ソファはオレンジ色で。

―殺し屋=黒のイメージと違ってポップでした。この日常のお喋り部分と後半多くなるアクション部分の配分は最初から決めてありましたか?

前の稿ではもっとダラダラが長くてどんどん切りました。「エヴァ」の話や「刃牙」の小ネタとか、もっと会話に入れまくってたんですけど、監督の趣味を女の子に喋らせるのもちょっと気持ち悪いかなと思って全部なくしちゃいましたね。逆に、パンフレットに付属の「ドラマCD」では、髙石あかりさんが「アベンジャーズ」シリーズを見ているとのことだったので、そのまんまシリーズの好きなところを語ってもらいましたね。やっぱり監督の妄想を詰め込んで会話してもらうより、ちさとに最も近い髙石さんから出たアイディアのほうがしっくりきました。

―女性はあるあるで面白いですけど、男性は女性の話をあんまり聞かないので長いと飽きるかも。私はちょうどよかったです。同年代の人はもっと面白く観られるんじゃないかな。

それは嬉しいです。

―アクション監督は園村健介さんですが、このアクション場面はお任せですか?

この映画を作るってなったときに、スタッフの中では最初に園村さんと1,2時間話しました。「こういうことがやりたいです」とか「こういうイメージです」っていうのを話して、あと自分の好きなアクションシーンを延々見せて「これ、いいですよね」「いいね」と言ってる時間があって(笑)。
初期の自主映画とかは知らないですけど、ここ数年の園村さんのアクションシーンは見ていて、全部理想的だったので、なんの心配もないとお任せしました。
Vコンみたいなのは送っていただいて「素晴らしいです!」しか言わなかったです。

―監督は格闘技とか、アクション系・闘う系の経験は?

えっ、俺?(笑)プレイヤー系の?(笑)ないです。運動系というものとは無縁で。現場ではぼんやり観ているというか。

―観客になっています?

そうですね。「すごいですねぇ!」としか言ってなかった。
個人的な意見なのですが、自分が茶々入れられる程度のアクションだったらアクション監督を雇う必要がないというか、自分が理解できないからこそ別の監督を立てる必要があるのかなと。
「カット!」ってなって、園村さんが「ここもうちょっとこうで」とか言ってるんですけど、何が違うんやろ?って、わからなかったです。すごいなぁと思ってました。でも、アクション監督を雇うっていうのはそういうことなのかなと、いまは思っています。

―すごいですよね。早送りじゃなくあのスピードで!動ける人がいっぱいいるんですね。

スタントマンさんで揃えたので。しかも園村指名の相当な人たちが集まりました。

―伊澤さんはプロのスタントマンですが、髙石さんはこれまで何か習っていたんでしょうか?

習ってなかったと思います。頑張っていただいて。

―ちさとのアクションはタメも何もなくいきなりですよね。ガンアクションも向き合ったと思ったらもう撃っている(笑)。決断が速い、思い切りがいい。

世の中には向かい合ってからグダグダある作品って多いですが、「早く撃てよ」っていつも思っているんです(笑)。

―私もそう思っていたら、香港映画のパロディで向かい合ったとたん撃ったのがあったんです。そしたらちさとはもっと速い!!(笑)早いもん勝ちですよね、遅けりゃ死んじゃいますし。

(笑)観客に予想されない速さじゃないと、あんまり意味ないなと。スタントマンとアクションの経験のない人が並んで(劣らないよう)強くするというのはアクションを考えなくちゃならない。

―その差を埋めるのがスピードなんですね。

そうです。そうです。だからキルカウントではまひろよりちさとの方が多いはずなんです。

―私も数えてみたんですが、途中でわからなくなりました(笑)。

大量に死んでます。まひろのフィジカルに対して、ちさとの暴力チックな決断の速さでキャラクターの強度をつけた。まひろとちさとは同じ強さにしたかったんです。バディムービーで片っぽが強かったり弱かったりすると成立しないと思い。

―同級生の設定ですが、実際は髙石さんが伊澤さんよりずっと年下ですね。でもちさとがしっかりしているのと、戦った後のまひろが、「んー」って両手を出して立たせてもらったりが可愛くて、同じくらいに見えます。

ああ可愛かったですね。

―女性のアクション映画(アメリカ)を観ていて、みんな制服のようにタンクトップ姿なのがイヤだったんです。『ダイハード』か!男優が皮ジャケットでも女優は肌の出るタンクトップで、そうやらないと役が来ないのかもしれないなぁと。それがこの映画では全くない。

なくしましたね。ほんとに。なんて言うんですか、女性、異性って視線で撮ったら気持ち悪いだろうと思って。
日本のアクション映画って女の人が戦っていると無駄にパンチラとかお色気カットがあったりして、個人的には凄い嫌いで。アクションシーンでなんで「女」を強調するようなことをするんだろうと。
だから異性としてや女性としてではなく、ちゃんと人間として描こうという気持ちはずっとありました。『ある用務員』でリカとシホの衣装合わせをしているときに「二人はキスとかしてるの?」と、とあるスタッフに聞かれて。「してないですよ」とハッキリ言ったんですが、キスがどうこうって話は男性の殺し屋たちの衣装合わせのときは出てこなかった意見で、なんで女の子2人組になったら急にそんな話になるんだろうって、なんか気持ち悪いなって思って。今回も色々そういう戦いはありましたね。

―女の子を売りにしているようなところはなかったから、余計すっきりしました。
(メイド喫茶のシーンはありますが、パンチラなどはありません)


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―面白いと思ったのが、洗濯機と冷蔵庫の内側から外の2人を撮るシーンです。あれは監督の希望ですか?

いや、あれは撮影の伊集守忠さんのアイディアで、「これやりましょうよ」ってGoPro(ゴープロ/小型のデジタルビデオカメラ)で撮りました。

―何本も映画を撮ると新しいことをしたくなりますし、前作でも観なかったので、監督が入れてみたのかなと思っていました。伊集さんとはこれまでも一緒にお仕事したことがありましたか?

いえ、今回が初めてです。伊集さん撮影の『許された子どもたち』(2020)を観て、素晴らしい撮影だなと思って、お願いしました。最近何を観てもなんか綺麗だな、綺麗なカット割りだなぁで終わってしまうことが多かったんです。その中で『許された子どもたち』のとんでもないクローズアップとか、ボウガンにGoProつけて、とかiPhoneで人を追っかけてとか、綺麗だなで終わらない撮影をやられているイメージだったんです。この人は面白いなと。

―スタッフの方々は観客に見えないので、どんな風につながるのかなと。

プロデューサーには自分で脚本を書いて、送りました。
衣装は、入山浩章さんっていう全然映画の人ではないスタイリングの人にお願いしました。「忘れらんねぇよ」っていうバンドのTシャツを持ってきたりと面白かったです。

―最初の面接でまひろが着ています。バンドのTシャツだったんですか。上着に隠れて文字が半分しか見えないので、なんて書いてあるのか気になっていました。

入山さんはバンドとか、“THE RAMPAGE from EXILE TRIBE”さんとか菅田将暉さんとか、バラエティのスタイリングをしている方で音楽とか強いんです。

―その衣裳さんと着る人と…監督の希望は?

ありました。めちゃ話して、アイディアをのっけてくれて。俺のイメージ通りのものを持ってきてくれるのもそれでいいんですけど。入山さんはちょっと変わっていて。
「バンドTとか着るような子じゃないの?」って、提案してくれたり。
美術の子は「猫好きの設定にしよう」と言ってくれたりで、スマホに猫が貼ってあったりする。

―「猫はいいねぇ」ってまひろが動画を観ていました!

はい。それも彼女の案です。

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―映画を作るとき大事にしていることを教えてください。

自分が観て楽しめる面白いものを作りたい。
「なんなんだろう、このシーン?」っていうのはなるべくなくしたい。
全部のシーンになるべくアイディアを入れたい。
全部のキャラに意味があるようにしたい。
と思っています。

―この二人の背景も詳しく考えてあるんですか?

背景…世界はすごく考えています。出てないほかのキャラクターもいっぱいいて、みたいな。
彼女たちがあの殺し屋業界の中で、どんな立ち位置なのか。田坂(水石亜飛夢)とマネージャー(ラバーガール飛永)は、ちょこちょこ飲みに行って2人の愚痴を喋っているとか。田坂は忙しい人で(後始末に)部下を連れていろんなところに行ってるとか。

―2人とも田坂やマネージャーに注意されていましたね。殺し屋に普通のことを言うのが面白い(笑)。そういう埋め込みも上手ですね。

ありがとうございます。そういう殺し屋組織の話をもっとできたらなと思っています。

―じゃあやっぱり第2弾できるじゃないですか~。次の作品ももう頭の中にあるんですか?

あります、あります。締め切りがあって、もう書かなきゃいけないんですけど。やっと流れができてきたところです。

―次の予定があるって幸せなことですね。これからも注目しております。ありがとうございました。


=取材を終えて=
阪元裕吾監督はまだ25歳です。これまでお目にかかった監督さんで最年少です。オタクなおばちゃんの私、前作のチラシなどから香港映画ファンかな、と予想しましたが韓国映画をよくご覧になるそうです。香港が1997年に復帰してはや24年。香港映画も様変わりして、阪元監督の年齢では、その後どんどん入ってきた韓国映画のほうを観ていて当然でした。
この作品はバイオレンス描写もありながら、日常のゆるさやちょっとしたユーモアで一息つかせてくれます。笑っていいですよね。
ちさととまひろが請け負った仕事に、恨みつらみの私情は混じりません。新しくて可愛い殺し屋コンビ『ベイビーわるきゅーれ』第2弾もぜひぜひ!期待しています。
(まとめ・撮影 白石映子)

【現職の首相を題材に、日本の危機的状況を解明する政治バラエティ映画『パンケーキを毒見する』】問題の根幹はコロナではなく、政治にあるのかもしれないと内山雄人監督が語る

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現職の首相にスポットを当て、コロナ禍で閉塞感が漂う日本を描いた映画『パンケーキを毒見する』が7月30日から公開される。菅首相のパンケーキ好きにかけたタイトルが示すとおり、笑いの要素をふんだんに盛り込んだ政治バラエティだ。現役の政治家や元官僚、ジャーナリスト、そして各界の専門家がそれぞれの立場から日本の現状と危うい将来を語り、国会ウォッチャーの大学教授は過去の菅首相の答弁を徹底検証し、アニメーションで風刺する。菅首相本人へのインタビューがかなわなかった分、あの手この手でさまざまな角度からデータも駆使して菅政権の本質に迫り、笑って見ている観客はいつしか日本が置かれた危機的な状況のいくつかに気付かされる。内山雄人監督に作品に込めた思いを聞いた。

菅義偉とはどんな人物なのか?

日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(8期)、内閣総理大臣(第99代)、自由民主党総裁(第26代)。秋田のイチゴ農家に生まれ、高校卒業後上京。板橋区の段ボール製造工場に勤務、2年後に法政大学へ入学。大学卒業後73年、建電設備株式会社(現・株式会社ケーネス)に入社。75年、政治家を志して衆議院議員小此木彦三郎の秘書となる。87年、横浜市会議員選挙に出馬し初当選。その後、横浜市に大きな影響力を持っていた小此木の代役として秘書時代に培った人脈を活かして辣腕を振るい「影の横浜市長」と呼ばれた。横浜市会議員(2期)、総務副大臣(第3次小泉改造内閣)、総務大臣(第7代)、内閣府特命担当大臣(地方分権改革)、郵政民営化担当大臣(第3代)、自由民主党幹事長代行(第2代)、内閣官房長官(第79代・第80代・第81代)、沖縄基地負担軽減担当大臣、拉致問題担当大臣などを歴任した。2019年(平成31年)4月1日に、官房長官として新元号令和を発表したことから、「令和おじさん」の愛称がある。(作品公式サイトより転載)


<内山雄人監督プロフィール>
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1966年8月24日生まれ。早稲田大卒業後、90年テレビマンユニオンに参加。93年「世界ふしぎ発見!」でディレクターデビュー。情報エンターテインメントやドラマ、ドキュメンタリー等、特番やレギュラー立ち上げの担当が多く、総合演出を多数行う。インタビュー取材、イベント、舞台演出、コンセプトワークも得意とする。主な作品に、2001年12月〜日本テレビ「歴史ドラマ・時空警察」Part1〜5監督&総合演出、2006年〜09年日本テレビ「未来創造堂」総合演出、2010〜15年日本テレビ「心ゆさぶれ!先輩Rock You」総合演出、2015〜20年NHKプレミアム アナザーストーリーズ「あさま山荘事件」、「よど号ハイジャック事件」、「マリリン・モンロー」、「ドリフターズの秘密」などがある。

――本作の監督オファーを受けたときのお気持ちからお聞かせください。

2020年11月後半くらいにプロデューサーの河村さんから電話をいただきました。現役の首相を取り上げたドキュメンタリー映画を作ると聞き、正直、ためらいましたね。一方でこれはチャンスだと思いました。私たちのような制作会社の人間は報道ではありませんから、現役の政治家を素材にすることはほぼありません。しかし、ここ数年、政治に対する忸怩たる思いがありましたから、映画という自由な立ち位置で撮れるのなら、やる価値があるのではないかと考えたのです。
しかし、公開時期がオリンピックや総裁選の直前と決まっていて、制作期間が半年くらいしかありません。こんな短い時間で撮るのは無茶な話です。即決はしませんでした。
先日、マスコミ向け試写会に登壇したら、河村さんが「6~7人の映画監督の方に断られた」とおっしゃっていました。菅さんに取材申請しても断られるでしょうから、撮れるものがはっきりしていない。それなのに半年で映画に仕上げなければならないと聞けば、誰だって尻込みするでしょう。ただ、僕は映画ではなくテレビの人間だったので、半年しかないのなら半年でできることは何だろうと考える。発想が逆なんです。とはいえドキュメンタリーで準備期間が半年というのは異例の短さ。ギリギリまで編集して、例えば4回目の緊急事態宣言が2021年6月20日まで延長されたことも作品に取り込んでいます。

――企画の段階ではどのような内容にすることになっていたのでしょうか。

河村さんからは「菅という人間の正体を暴いてくれ」としか言われませんでした。正体を暴くと言っても何をもって正体を暴くことになるのかわからない。細かな指示はなかったので、どういうものなら映像になるかを自分なりに考えました。
インタビューで構成するのは誰でも考えつきますが、インタビューだけでは飽きてしまって画がもちません。しかも本編に出てきていますが、インタビューをお願いしてもことごとく断られました。想定していたことがばんばん壊れていき、映像になるものは何かを撮りながら考え、撮り終わってもまだ足りなくて、いつまで経っても終わりが見えませんでした。

――法政大学の上西充子先生が首相の不誠実な国会答弁について解説されていましたが、それを聞くと政治に疎い人でも国会中継を楽しく見られますね。

上西先生は以前から国会パブリックビューイングをされていて、国会がおもしろいということを教えて頂きました。今回はとにかくエンターテインメントに仕上げたいと思っていましたから、上西先生にいくつか場面候補を挙げてもらってすべての映像を解説していただき、その中でどれがいちばん面白いか、どうやって伝えたらさらに笑えるかをものすごく考えて、作品に取り上げました。そのままではヤジは聞こえにくいので、聞こえるように編集で音を持ち上げています。僕らは映像のプロですから。
この作品をご覧になる方にとって、国会が実は面白いというのはある種の発見だと思います。こんなにもちゃんと答えていないんだっていうことを、僕も改めて知りました。国会中継を楽しく解説する番組を定期的に作って、いじり倒したくなりますね。

――日本の変なところを風刺するブラックなアニメーションが合間に挟み込まれていました。あのアイデアも監督が考えられたのでしょうか。

今、この世の中に起きている不条理みたいなことがまるでコントのように思え、それをとにかく笑える形に表現しようとアニメーションにしました。社会はこれくらい歪んでいるんだといじりたかったのです。僕のほかに作家の方に1人入っていただき、案を出し合いました。
教室の花瓶を割ってしまった小学生が「記憶にございません」と言う話がありますが、僕があんな風に大人を困らせたいタイプの子どもでした。「今の学校ではこういうことは起きていないのか。君たちもこうやって大人を困らせてみろ」というくらいの気持ちでアニメーションにしています。
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――私はデジタル庁の話や羊の話がおもしろかったです。

デジタル蝶は、デジタルやサイバーなんてモノに最も不向きな政府と官僚が、作り出す「ヤバいもの」を子供でもわかるバカバカしさで表現したかった物語です。
羊はモグモグしている口を繰り返してますが、「黙々と…(生きる)」みたいな意味を込めて。
無垢で愚かで騙されようが倒れようが黙って生きる…何のメタファーか、誰でもわかるはずです。

――そのアニメーションを担当されたのは「べんぴねこ」さんですね。

政治的なものをこのタイミングで、短期間に作ってもらう。しかも依頼内容がその人の意に沿うかどうかわからない。よく知っている人でないと依頼するのは難しいと思ってべんぴねこさんに頼みました。彼は以前、テレビマンユニオンにいて、一緒に仕事をしたことがあるのです。
まず1つ、菅さんが五輪とGOTOを砂浜で引きずっているアニメを仕上げてきました。それを見て、「こういうシュールな世界を描けるんだ」と安心して任せられましたね。細かい修正のキャッチボールはありましたが、書いた本を渡すとカット割りも全部、イメージ通り完璧に作ってくれました。しかも、ものすごく出来がいいんですよ。もともとあがってきたものは自分で声を変えて入れてくれてありました。プロの人が吹き替えてアテレコしましたが、それでも彼の声をそのまま使いたい所は、残した程 彼はウマいんです。

――アニメーションをもっと見たくなりました。

こういう皮肉や風刺ならいくらでも作れます。これをやり出したら楽しくて、こればっかり考える思考になってしまいました。仕事にできるなら、毎週のように作りたいです。

――作品の後半に車窓から見える都会の夜景をバックにいろいろな統計データを表示しつつ、ivoteの学生さんが意見を述べる映像が映し出されましたが、学生さんの映し出し方が縦長でスタイリッシュな印象を受けました。

あそこは試行錯誤したところなんです。統計データを出したいけれど、若い人たちの言葉も入れたい。テレビはそういうときにちいさいワイプを使って、コメントとして入れるじゃないですか。でもそれはテレビみたいで嫌だったんです。
かといって、全員の顔を撮り切り画面にする気もありませんでした。あそこでいちばん伝えたいのはあくまでも統計データです。それでも学生の言葉がすーっと頭に入って “学生たちはこう思っているんだな”、“俺たち大人が夢を与えていないんだな”ということにも気がついてもらえるとうれしいですね。

――あれだけたくさんの統計データをよく見つけてきましたね。

日本が優れているという統計データはたくさんあるけれど、劣っている統計データもあります。それをみんなが見ないふりをしてきただけ。日本がどれだけ危機的な状況にあるのかを経済産業省出身の古賀茂明さんが本に書いていたので、それをヒントにして、リサーチの人や助監督総出で探しました。集まった統計データをどういう順番でどういう風に見せていくか。これがなかなか難しかったです。

――統計データを見ていていちばん驚いたのは、日本が貧困だということでした。

残念ながら、これは事実です。数字にすると貧困層は6人に1人。驚くことに貧困で困っている人が日本にはたくさんいるのです。残念ながら編集の段階で全部落ちてしまいましたが、今回、炊き出しやこども食堂も取材しました。炊き出しをやっていたNPOの人によると、炊き出しに来るのは昔からいる浮浪者だけでなく、自分たちは浮浪者ではないという若い世代が増えていました。彼らは非正規雇用で不安定な職場に長く勤めていた中、コロナで仕事がなくなり、当初はネットカフェで過ごしていたが現金もなくなり、とうとう食べるものにも困って炊き出しにきたのです。子ども食堂はコロナで子どもたちが集まれなくなっていて、ボランティアの方々が自宅に食事を届けていました。

――見えないところでじわじわと貧困が忍び寄ってきているのですね。

コロナで飲食店の人が大変なことは報道されていますが、もっと生活に困っている人がいる。この10年くらい、際どい生活をしている非正規雇用の人たちが潜在的にものすごく増えていて、最終的にコロナで堰を切ったようになったのです。
NPOの方がいうのは、「コロナが貧困の始まりじゃない。非正規雇用の常態化した頃から潜在的に貧困は始まっていた。コロナは顕在化するきっかけに過ぎない」
大手企業優先の政治の政策が原因の根本にあると思いますが。
そういったことも作品に取り込みたかったのですが、画として使えるものが撮れなかったので、残念ながら入れていません。それで“せめて統計データだけでも載せて、日本の貧困状況を伝えなくては”と思ったのです。

――ナレーションを古舘寛治さんがされています。独特な間合いがいいですね。

古舘さんはTwitterでご自身の主張を発信されています。政治の色がついた作品ですが、もしかしたら意気に感じて引き受けてくれるのではないかと思ってお願いしたところ、快諾していただきました。
正直、ここまで味のあるナレーションになるとは思っていませんでした。僕は早口なのでものすごくたっぷり間尺を取って余裕あるつもりでしたが、古舘さんの独特の間合いでナレーションを撮るとけっこうきちきちになるので、焦りました。でも撮りながらものすごく話に深みと立体感がでたようで楽しかったです。
収録が終わったときに「僕でよかったんですか?」とおっしゃっていましたが、古舘さんにお願いして本当によかった。「俺が矢面に立ってしまうんじゃないの?」と古舘さんも笑っていました(笑)。

――ラストのナレーションが心に響きました。あのときの映像は朝でしょうか、それとも夕方でしょうか。

あれは希望のある朝と受け止めるか、不安に陥っていく夕方と受け止めるか、それはどちらでも構いません。ご覧になる方次第です。

――これから作品をご覧になる方にひとこと、お願いいたします。

政治ドキュメンタリーは敷居がすごく高くなりますから、政治バラエティとして作りました。「ちょっと見てみようか」という軽い気持ちでご覧いただくとすごく笑えるし、楽しめると思います。そうしているうちに「これ、ちょっとヤバいぞ」と日本の現状が分かってきて、最後はこれからの日本について、このままでいいのかと考えるきっかけになるのではないかと思います。
今、コロナの影響で辛い思いをしている方が大勢います。しかし、その根幹はコロナではなく、本当は政治に問題があるのだと、そう気づいてもらえるといいいですね。

(取材・文:ほりきみき)


『パンケーキを毒見する』
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企画・製作・エグゼクティブプロデューサー:河村光庸 
監督:内山雄人 
音楽:三浦良明 大山純(ストレイテナー) 
アニメーション:べんぴねこ 
ナレーター:古館寛治
2021年/日本映画/104分/カラー/ビスタ/ステレオ 
©2021『パンケーキを毒見する』製作委員会
制作:テレビマンユニオン 
配給:スターサンズ 
配給協力:KADOKAWA  
公式サイト:https://www.pancake-movie.com/
7/30(金)より新宿ピカデリーほか全国公開

『かば』川本貴弘監督インタビュー

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プロフィール
1973年9月14日 京都市伏見区生まれ。
映像制作を学びフリーのディレクターとして、吉本興業芸人(主に幼なじみであるブラックマヨネーズ 吉田 敬)の劇場用VTRやコントなどを制作する。
ブラックマヨネーズ 吉田 敬と共同制作した自主制作映画『ドラゴンマーケット』で初監督、第3回インディーズ・ムービー・フェスティバルで審査員特別賞を受賞。ロックバンド“騒音寺”のPVを手掛けるなど、関東で商業ディレクターとして活動した後、関西へ活動拠点を戻す。
2005年、映画『秋桜残香』でデビュー。
2012年には長編映画『傘の下』を公開、プロデューサー/監督を務めた。
西成に実在する中学校をモデルにした、『かば』は足掛け7年にわたっている。
2014年から2年間の取材活動ののち、制作中止の危機を迎えるなど紆余曲折を経るも、支援者の輪が広がり、2017年には趣旨に賛同したスタッフ、俳優が集まり、パイロット版が完成する。前作『傘の下』同様、「人と人が向き合い理解する大切さ」を描くこの作品は、未来を変える力があると信じ、日本全国を周って上映会や講演を行なってきた。満を持して7月に公開。

『かば』
制作総指揮・原作・脚本・監督:川本貴弘
2021年製作/135分/日本
配給:「かば」製作委員会
(C)「かば」製作委員会
https://kaba-cinema.com/
作品紹介はこちらです 
2021年7月24日(土)より新宿 K’s cinemaほか全国順次公開

東京の試写と宣伝活動のために上京された川本貴弘監督にお話を伺いました。ネタバレ部分もありますので、避けたい方はご注意ください。

―映像の世界に来られたのは?

僕は監督しようと思ってたわけではないんです。映画学校とか大学とか行ってないんで、高校も行ってなくて中卒で働いていました。家が京都で、叔母が京都東映の撮影所の勝組のスクリプターをしていたんです。それで俳優になりたいなぁみたいな。ぼや~っと(笑)。何もやってないですけど。
その当時、僕らが20代のころは自主製作映画と商業映画がはっきり分かれてました。友達同士でカメラ買ってきて、遊びで撮っていたのがきっかけです。それが20代前半。最初は自分が出たいから始めたんですが、監督をする人が誰もいない。しかたないから言い出しっぺの僕が監督をすることになったんですが、そしたら監督のほうが面白くなってきて。みんな言うこと聞くんで(笑)。僕の場合はそういう志が低いところから入っているという。

―『竜二』(1983)がお好きだと知ったんですが、そのころご覧になったんですか?

好きですね。観たのは20代の初めころですね。友達からこんなのがある言うて『仁義なき戦い』(1973)とかヤクザ映画を観ました。『竜二』にはめちゃくちゃハマった。自主映画とあったので、自主映画でもやっていけるんや、とそこからですね。

―こういう映画が作りたいと思われた?

いやー、ヤクザ映画はないかな(笑)。ヤクザ映画は好きだけど、ヤクザが好きなわけではないんで。まあでも、そういう人間ドラマは撮りたいなと思っていました。ただそのころ脚本もうまく書けなかったし、別にどこかで学んだわけでもないし、誰かのお弟子についたわけでもなくて見様見真似でやっていただけ。
『かば』は7年前、41歳になったころから始めたんです。年齢的にこれは最後になるやろなぁと思ったんで、しっかり取材してしっかりした人間ドラマを作ろうと思ったんが『かば』が最初っちゃ最初です。

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―蒲先生のことを知ったのは?

「蒲先生の伝記映画を撮ってくれませんか」という話があってそれで初めて蒲先生のことを知りました。そのときもう蒲先生は亡くなってはったから「どういう先生なん?」て聞いたら、お葬式に何百人も集まってと。「ふーん、すごい先生がいたんだ」くらい。取材してみようかとなって、蒲先生が西成の先生だったと知って、それから同僚だった先生方に出会うことになるんです。そこからかな、具体的に動き出して来たんは。同僚の先生方と、人権教育、被差別部落について、在日差別についてとか、勉強…勉強させられましたというほうがいい(笑)。まだ全然知らなかったんで。ま、元教師ですからね。本を何十冊も読まされました。映画作りについては何も言わないんですけど、人権教育のほうはね。毎回飲んでましたね。先生方もう退職してヒマやから(笑)。
僕の親父くらいの、60代後半から70代初めくらいの。蒲先生ご存命だったら、68,9です。

―舞台をピンポイントで1985年にしたのはなぜでしょう?

蒲先生が79年から89年は西成にいたという話やったんです。85年にしたのは、単純に阪神タイガースが優勝した年だから(笑)。優勝は一回だけなんで一番わかりやすいかな思って。バブル全盛期やって、世の中浮かれてるときに、そういうしんどい思いをしてる子もいるんだよ、っていいたくてその辺にした。

―タイガースの優勝は私でも覚えています。

85年って字幕で書くよりはね。これ今じゃないんだとわかる。

―今じゃない時代を舞台にすると、ロケーションとか時代考証とか大変じゃないですか? 現地の映像はCGで消したりされたんですか?

けっこう消してますよ。ビルが建っているからね。これはないやろとビルは全部消しましたね。
バスのシーンでも…バスは借りていますけど、余計な文字は全部消してます。

―経費が余計にかかりますね。自主映画と聞いていたので、大変だったろうなと。

めちゃめちゃかかりました(笑)。予算は4000万以上集めました。かき集めたというか。撮影現場には2500万くらい、それなりにはかけてるんですけど、まあまあまあ、もうちょっとあったらもっと完璧にできていたかなみたいな。やれるところまではやりました。

―出来上がるまでに7年かかったそうですが、やはり製作費集めるのに時間がかかったということですか?

一番の理由はそこですね。

―まず蒲先生がいて、同僚、生徒、その親や家族、卒業生。蒲先生を中心にいろんな人を描くというのが最初からのテーマでしたか?

そうです。蒲先生の自伝映画を撮る気はなくて、蒲先生、当時の先生方、生徒、親御さんも含む群像劇ならやってもええかなと考えたんで、初めっからそういう風にするつもりでした。

―主役がいっぱいいる映画だなぁ、蒲先生はタイトルですが、どっちかというと狂言回しのようなみんなを繋ぐ役割だなぁと見ていました。

そうですねぇ。タイトルの『かば』は仮だったんです。みんなにも言われたんですよ。僕が一番思ってたのは『チャンソリ』です。僕の地元で不良どもがシンナーのことをそう言ってたんですよ。

―朝鮮語=韓国語ですか?アンパンじゃなくて。

「アンパン」はもっと上の先輩が言ってたんです。僕のときは「チャンソリ」。後で聞いたら「チャンソリ」は韓国、朝鮮の言葉で「たわごと」とかいう意味って。そしたら『パッチギ!』と似てると却下されました。いろんな案が出たんですけど、結局なんかピンとこないなとなって、『かば』でええか!(笑) 蒲先生から始まったことでもあるし。
(*後でググったらシンナーのことを関西では「チャンソリ」、主に関東で「アンパン」と呼んでいたようです)

―インパクトあっていいですよ。覚えやすいです。

今となっては、良かったと思ってます。「なんで”かば”?」「蒲先生っていたんだ」とそこから話も拡がりますし。

―監督の話されてる言葉は京都弁ですか?

僕はちょっと大阪弁入ってますね。京都でも南のほうなんですよ。伏見区言うて。ちょっと大阪寄りっちゃ大阪寄り。やっぱり京都弁っぽくないってよく言われます。(笑)

―あの時代だから携帯持っている姿がないのが良かった(笑)。

道路許可とっていますけど、ゲリラ撮影です。どうしても人が映ります。携帯持って歩いてる人が入ったらすぐカメラ止めて「カットカット!」。それだけは徹底しました。スマホだけはあったら絶対言うてくれ、て。

―未来人になっちゃいますよね。
舞台になるところで(時代的に)要らないものを消して、あと撮影で気を遣ったのは何ですか?


撮影で気を遣ったのはいっぱいあるんですけど、子どもたちの芝居かな。経験の少ない者ばっかりやったんで。ま、当たり前なんですけど。半年くらいリハーサルしたんかな。週3回か4回。

―生徒さん役は役者さんでなくて、監督が発掘したんですか?

いいえ、プロダクションの子たちです。素人はいない。
裕子ちゃんの妹いるでしょ。ちいちゃい。あの子ですら一応舞台女優です。お母さんお父さんが役者なんです。何度か舞台に出ている。

―みなさんオーディションですか?
もう脚本があって、裕子ちゃん、由貴さん・・・と、イメージで決めていかれましたか?


「やる気」ですね。そうやってイメージ作っちゃうと探さなダメなんで。写真を選ぶようになるじゃないですか。ちゃんと決めずに話をして、こいつやる気あるかな?とか。これはたぶん長くかかるので、途中でほっぽられると困るし、「とことんやります」くらいの奴じゃないとダメ。イメージよりは「やる気」ですね。

―いつごろのことですか?

キャスティングは2019年4月くらいです。撮影は11月。コロナ前です。
脚本は完全にできあがっていて、4月から11月まで7カ月くらいの間に徹底的にリハーサルしたので、NGなかったです。子どもたちはね(笑)。

―子どもたちはオーディションで。大人の俳優さんたちは?

元々知ってる人たち。東京にも長く住んでいたんで、たとえば石川雄也くんとか、牛丸亮や木村知貴とか昔から知っている飲み友達。「俺、これが最後になるかもしれんからやってみる?」言うて。主人公の山中アラタくんだけが紹介でした。彼はパイロット版から撮ってるんですけど、2017年かな。決めたポイントは「たたずまい」。タッパ(身長)もあったし、立っているだけでいい。演技力とかいうよりも雰囲気ですね。彼が主人公の『コントロールオブバイオレンス』も見させてもらって。たしかそれも大阪西成が舞台だったはず。元々大阪なんで関西弁もいいし、即決しましたね。

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―ではヒロインのちゃー子さん(加藤先生)は?

彼女の決め手はね。最後のノックのシーンね、子どもたちに必要以上にノックする。あそこをどうしてもやりたかったから、”しっかりバットを振れるかどうか”で決めました。

―学生時代ソフトボール選手で4番という設定でした。

バット持ったこともなかったんですよ。「2ヶ月間だけ猶予を与える」と。バットを買い与えて、「2ヶ月経って腰が引けてたらクビ!」。そしたら手ぇマメだらけにして必死にやってきましたよ。

―えー!追い詰めたんですね。

追い詰めましたね。「どうしてもこの役がほしかったら、バット思い切り振ってこい」って。だからルックスよりも、演技力よりも、いかにバットが振れるか(笑)。

―ほんとに当たってました。

ノックはほんまにやってますよ。ホームランはさすがに…ですが(笑)。

―ノック難しいですよね。

けっこう難しいですよ。僕は野球経験者なんですけど、経験者でもなかなかしっかり当たらないんですからね。

―もともと素質や経験があったのかと思っていました。

妹さんがソフトボールやってて、お父さんも野球やったことがある。それで家族に教えてもらったらしいです。だからラッキーやったですね、彼女。

―繁君の頭に当たったとき心配しちゃいました。

中学は硬球じゃないので。ゴムですから大丈夫です。

―部員の子どもたちは野球やったことがあったんですか?

いや、特にあの繁、ピッチャー役の。野球やってないです。

―やっぱりやらせましたか?

やらせました。演技力よりもそっち(笑)。ピッチャーがへなちょこやったらねぇ。ただ、あの子たちは弱い、それを加藤先生が鍛えるという設定やったんで、多少下手でもええけど、やったことないみたいなのはわかんぞ、みたいな。
繁役には「できひんかったら、お前違う役やぞ」って。だからイメージ作らなかったんですよ。「誰が番長役やってもええし、野球できひんかったら後ろのほうに回すぞ」。だから役を取りに来てましたね。

―なるほどー。撮影始まる前にそれぞれ特訓していたんですね。

それをやらないとなめてくるんで(笑)。自分が主役取った!みたいな感じになるので「お前たち最後までわからんぞ」て言うとく。子どもたちどうやって奮い立たせるかって。

―監督はそういうのをどこで培ってこられたんですか? 

え、わかんない。なんでやろ? 先輩に言われてきたんかな(笑)。学んだことではないですけどね。

―人を動かすのって才能じゃないですか。

うーん、みんな子どもくらいの年齢なんですけど、ほとんど子ども扱いはしなかった。友達のように付き合って、最初は僕のことびびってたけど、最後の方は懐いてきてたし。まあ叱るとこは叱るし、手えあげたりはしないけど、教育するとこはするし、ほめるとこはほめるし。

―あ、それ蒲先生と生徒の関係みたいです。

そう、そうなんですよね。自然とそういう感じでやってましたね。
僕も若い人好きやし、ご飯に連れて行ったし。僕は独身で子どももいないんで、だから子ども好きなんかもしれないですね。自分に子どもあったら、もっと子ども扱いしたかもしれない。僕が大人になりきってないんで(笑)。

―蒲先生の役をやるのにあたって何か?

特訓というよりも、「主人公だからと言ってあんまり前に出てこないで受けでいけ」と。タイトルが名前なわけだから、前に出てきたくなるじゃないですか。でもそこは本人も理解してくれて「わかってる」と、気をつけてやっていましたね。

―蒲先生とマッコリを飲む叔父貴さんが、すごく存在感がありました。

趙博(チョウ・バク)さんね。あの人はね、モデルになった学校の卒業生なんですよ。バリバリの西成の人で「まんまやんけ」とみんなに言われてました。

―映画の中にはタバコとお酒がたくさん出てきます。あの当時、喫煙はそんなにうるさくなかったですね、ビールを美味しそうに飲む場面も多いです。

当時の先生に聞いたら、職員室でも飲んだらしいですよ。放課後になったら冷蔵庫から出して。さすがにそれを映画でやるのはやめたんですが、タバコはリアリティを出すのにやったほうがええで、ということで。酒とタバコはキーワードですね。
蒲先生の周りの先生らは、ご飯いっしょに食べなあかん、酒も飲まなあかんて言うてましたね。家庭を覗かないとなぜ子どもたちが荒れてるのかわからん、とにかく家庭訪問を何回もする。行ったら親御さんに「飯食うて行け」とか言われる。酒とタバコは意識して出しましたね。

―食事やお酒は心を開くのに役立ちますね。

西成はもめごとも起こるらしいんですけど、もめてへんのは飯食うてるときだけ、って(笑)。

―由貴さんが抱える問題は、今もそう変わってないように思えます。

表立って見えてないんです。今は町も整備されていて、見た目は変っていますが。差別って言うのは、見えなくなっているときのほうが危ないです。「寝た子を起こすな」とか「なかったことにしようう」とする人もいるし、逆に「それじゃダメなんだ。歴史はありのままを未来に残すんだ」という人も。僕はそっち側だったんで、差別用語も書いたんです。

―今の学校は差別についてどう教えているんでしょう?

あんまり生徒は知らないみたいです。先生も教えていないんで。他は知らないですけど、大阪は特にね。でも知らないほうが問題。卒業したら絶対わかってしまう。どっちが正しいかは僕もわからないし、難しいですけど、教えるなら中途半端でなく。
あるのはありますからね。就職差別、結婚差別…今でも。

―そういう題材が入っていることで、映画制作の障害になったりしましたか?

そうならないように、色々な団体の方々に何回も何回も話しにいきました。そういうのにも時間がかりました。いわゆるその外堀から埋めていかなあかんと。最初は無理やったですね。でもだんだん、だんだん打ち解けて行って。僕が西成に住んで、毎日挨拶したりしていたんで違ってきました。

―蒲先生みたいに日参したんですね。
生徒さんたちが生き生きしてみんな可愛かったです。あの迫力ある良太役の辻笙(つじしょう)君もオーディションですか?


いや、あの子はオーディションでなく、紹介です。お父さんお母さんが役者です。さっきの裕子の妹役の子が実の妹で、全員が出ています。
子どもたちに役作りはまかせたんです。その当時、お父さんお母さんの年代やから自分で取材しい言うて。それはやっぱり自分で調べる気持ちがあれば、今はネットとかもあるし、ちゃんと興味を持ちなさい。当時のことを演じるならねと。

―それは辻くんに限らず、全員への宿題だったんですね。

そうそう、半年の間に演技の練習もしたけど、自分が3年間取材してきたようにお前たちも取材しろと。差別のことも調べさせました。
当時流行ってた『ビー・パップ・ハイスクール』(1985)、『竜二』も見せましたよ。今の若い子ってあんまり映画観ないから。映画俳優なりたいて言うてんのに。やっぱり観ないとダメだと80年代の映画を観させました。そん中で「自分はこうしたい」「髪型はこう」と言うと「ええんちやう」。

―じゃあ良太のあの髪型も?

こっちが指示するとお金出さなあかん(笑)。役作りは自分でやるもんぞ、って自分で決めたんなら美容院代とか自分で払わなあかんよ。「わかりましたー!」って(笑)。

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―素直なんですねえ(笑)。裕子ちゃんのお父さんがいつ死んでしまうのかと心配しました。

思いました?

―思いました!お父さん気弱そうなので親子心中したりしないでくれーってハラハラしました。

もちろんモデルがいるんです。映画の中で自殺って断定して描くのもしんどいかなと思ったんで、どっちかな?という感じでお客さんの想像に任せる形にしたんです。
あくまで、取材で聞いた話ですけど、西成の人は悪いのでなく、気が弱い人が多いという事です。日雇いだと仕事があったりなかったりで暇つぶしにギャンブルや酒にいってしまう。昔はもっとそうだったと聞きました。生活がそうなると悪循環で、子どもたちにも影響がいくと。

―お父さんがそうだと、お母さんが生活のために水商売に行くことになってという裕子ちゃんの家庭の事情もわかるんですが。

お母さんのエピソードは当初なかったんです。追加しました。
蒲先生の同僚の先生方からね、「あのお母さんにもああなった理由があるから、最後はえぇ感じでやったってくれ」と言われた(笑)。

―あのシーンのおかげで救われます。

お母さん役の女優さんがそういうエピソードを教えてくれて「それめちゃいいやんけ!」って書いた。お母さんが家庭の味を忘れてないってことで、娘がこの後どうなるかわからないですけど、この親子がなんとか修復していくんとちやうかなぁって思わしたいなあというのがあったんで。それで最後に笑顔で走っていくというのをやりたかった。悪い人間をわざわざ描く必要はないな、と。

―生活が破綻してしまった人にも原因がありますが、それは本人の責任だけじゃないですよね。今はやたらに自己責任と言われますけど。

そうですよね。社会の責任もあるし。自分の心が弱いのもあるけれど、やっぱり人間関係っていうのはね。そういうところで向き合っていかなあかんのかなと思います。
今の時代だからこそ、こういう映画は必要なのかなって。希薄やし。自己責任とはちやうやろいう話で。それもあるやろうけど、人は支え合っていきたい。

―監督には振り返って思い出に残る先生がいますか?

全くなかったです(笑)。ないっていうか、僕は第2次ベビーブームで、クラス40人で16クラスもありましたからね。すごいでしょ。ちょっとやそっとじゃ先生と(交流なんか)ない。

―監督にも思い出の先生がいてほしかったです。

(笑)自分の子どもの頃は学校にも先生にも興味はなかったけど、蒲先生の同僚の先生方と何年も会って話してから、「先生ってええなぁ」と思った。先生って子どもに必要だなぁって。親も必要なんだけど。学校も勉強するだけじゃなく、先生に出会うところ。

―子どもが親以外に長い時間一緒にいる大人です。

この映画をしっかり撮ろうと思ったんは、「学校の先生は必要な仕事である」ってことを訴えたかった。
先生だけに押し付けるのではなく、周りの大人たちがもっと協力してやらなあかんし、もっと先生に給料払ったれや、残業代がないって聞いて残業代出したらんかいって。先生に対してもっとリスペクトしてあげてほしいなと、撮ってからですけど思いましたね。

―そうですねえ、子どもの心が柔らかい時代に会う人ですから、一人くらい心に残る人がいてほしいなと思います。

うん、子どもにとってね。

―さきほどキャストについて伺いましたが、ロケ場所についてはいかがですか?

キャストの顔云々は思い浮かべないですが、ロケハンは徹底的にするタイプなんです。2年、3年くらいかかったかな。こういう川がええなぁとか、こういう道路ないかなぁとか、徹底的に探すんです。見つけるまで。川出てくるでしょ。
僕の大阪のイメージは川です。生まれ育った京都の綺麗な川じゃなくて、運河というか工業地帯の川、西成と大正の間を流れている川がそうなんですけど、いっぱい出したいなと言うのがあって。
実際聞いた話で、由貴の台詞にあるんですけど「橋一本むこうに生まれてたら、こんなな差別にあれへんかったのに」。ええ台詞と言ったらあかんねんけど、ぐっとくる台詞やなぁと思って映画に生かしている。川と橋にはそういうのもあったから。
ポンポン船で渡っていくでしょ、あれタダ、無料なんです。橋が遠いからあれに乗るんですけど、あんなん京都にはないですから。川にこだわるっていうか、川ばっかり探してましたね。

―由貴さんの台詞も取材した中から出てきたんですね。

そうです。あの映画に出てくる台詞はほとんど取材です。僕が想像で書いたのはバスのシーンだけなんです。

―そうなんですか! それは7年かけた甲斐がありましたね。

徹底的な取材とロケハンとですね。お金集めるのに時間かかったんやろと言われますが、それもありますけど、やっぱり自主製作のいいところは納期も別にないんで、お金がないなら時間かけようと思ったんです。
ゆっくり徹底的に丁寧に取材して、脚本もいろんな人、うちの親や素人にも見てもらって、構成も時間をかけて…3年くらいかけた。だから脚本のこと「いい話書くなぁ」「うまいことまとめるなぁ」って言われたらすごい嬉しいんですよ。時間かけてよかったと思って(笑)。

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―ここに原作・脚本とありますけど、本が出ているんですか?

いや、手書きで書いてそこから脚本に起こしただけ。小説にはなってないです。ノベライズは今一応書いてますよ。ひょっとしたら売れるんとちやうかなと(笑)。

―ノベライズいいですね。漫画も合いそうな気がします。絵があるといいと思う。「じゃりン子チエ」みたいに。

そうですね。ちょっとやろうやって言ってくれる人もいます。面白いと思います。

―監督はカメラマンさんや編集さんとはどういう風にすり合わせされるんですか?

絵コンテは書きましたけど、現場に行ったらカメラマンにお任せで、僕は演出しかしない。「ああ撮って、こう撮って」というのはよほどじゃないかぎりやらないです。
編集も違う人。自分ではどうしても切れなくなっちゃうから、脚本のとおりシーンを変えたりとかしないで繋げてってだけ。脚本で計算して構成してますから。

―もう信頼関係ができあがって。

僕との信頼関係っていうよりも…ホン(脚本)ですね、ホン!

―ホンとの信頼関係? 脚本は監督が書いていますよね。

僕です(笑)。人間同士はもめるけど、ホンでみんな集まったんで。僕を助けようとして集まっただけじゃなくて、「このホンはちょっと残さなあかんのや」ってなったから。

―それはそれで嬉しいですね。

そうなんですよ、だからいい映画になったんじゃないかなって勝手に思ってるんですけどね。
役者たちも技術屋さんも脚本を忠実に描こうとした。脚本が先生たちの言葉だったんで、それが僕の想像だったとしたら逆に欠けてたかもしれん。

―言葉が生きてるわけですから。

そうそう。だから感動したしね。

―カメラは任せても、監督がカットやOKを出しますね。OKとOKじゃないの境目ってどこでしょう?

基本、OKなんです。よほど噛まないかぎり。多少噛んでもリアリティがあるのでOK。あんまりNGはなかったです。特に子どもたちは殆どなかった。
役者が悩んでたら、「何悩んでんねん?じゃあ、ああした方が、こうした方が」くらい。要するに、脚本を大分前から仕上げているんでね。学校の先生の役は特殊な役でもないし。「読んだらわかるやろ。自分にも学校の先生いたやろ。そのままやったらええねん」て。
例えばこれが宇宙人の役とか言うたら、見たことのないものやし監督の頭の中にしかないけど。学校の先生なら好きにやってもらって、それが自分の先生像ならばOKって話です。
子どもたちには徹底して「差別というのはどういうものなのか」を教えました。だから撮影のときには完全に自分の中に入れてきてたんで、もう何も言うことはなかった。

―資料に裕子ちゃん役のさくらさんが「知らなかったことをたくさん勉強しました」とあったんです。リハーサルのほかにそういう勉強もしていたんですね。

させたんです。僕が先生方に言われてやったように。だから僕も彼らも勉強になった。
ただ、彼らがこれから商業映画に出るときに「こんなに丁寧にやってくれる監督おらへん」て言うときました。「俺だけやで」って(笑)。

―「最後かもしれない」とおっしゃる、この映画の後の展望は?

この映画を持って全国の公民館で上映するのが僕の夢です。映画館だけじゃなく。
映画館ほとんどないところ多いんで。DVD化やネットに流す気もないし、自分で作品とまわるのが僕のスタイルなんで。7年かかったんで後14,5年はそれをやるつもり。今機材も車も買ったし、公民館借りてやったり学校へ行ってやったりとか。
ただDVD配るだけじゃなく、僕が行って上映して、そして問題に対して議論するっていう。

―すぐ反応がありますしね。

はい、それが目的やったんで。もちろんかかったもんを回収せなあかんというのもありますけど。「これが最後」っていうのはこれから自分からやることはないっていうこと。この映画をどうやって広めていくかが大事。自分がプロデューサーでもあるんで、長い時間かけてやっていきたいですね。

―これは今観ても、10年後、20年後に観てもいい作品と思います。

そうですよね。普遍的な物語でもあるし、人間関係がある限りはこの中にいろんなヒントがある。この映画を止めたらダメだなって。僕くらいはこの映画とずっと一緒にいてもいいかなと思っています。この興行収入で食べていきますから。

―あら、ほかの仕事なしですか?

もちろん、もちろん!この映画をまず親に見せたんですけど、納得していましたね。「これはやらなあかん!」て。毎日毎日上映して、活動費と返さなあかんお金と、それくらいは10年かければなんとかなるやろと思てるんで。

―あの「2万人の人が待ってる」っていうその人たちはクラファンの?

違います。パイロット版で全国回ってるんですよ。その会場に来てくれた人たちが2万人くらいなんです。だからネットの数じゃない。パイロット版はネットでも流したので、それを入れたらもっとだと思います。

―わぁ、それはすごいです!そのパイロット版を観てくれた人のところに完成した本編を持って行くんですね。

そう!だからまわるんです。田舎の人ばっかりやから映画館まで来れないんですわ。そうなると観られない。

―移動映画館ですね。

出張映画館(笑)。だから映画館上映も拡がってほしいけど、そこに住んでないと来れないし。パイロット版はけっこう全国まわったので(本編を)毎日やったとしても4年くらいかかる。だからもう、『かば』で一生食べていきます、僕は(笑)。それくらいの気構えでやっています。
勝負はこれからですよ(笑)。家族いたらできないです。僕は独りもんで、子どももいないんで、この映画が子どもと思ってやっていきます。僕が死んでもこの映画がひとりで動くようになるまで浸透させたい。そのくらい威力のある映画だと思てるんで。

―『竜二』もいまだにファンの方いますしね。

湯布院映画祭(2021年8月26日~29日)に入って嬉しかったのは、湯布院映画祭で『竜二』がパーッと評判になった。その『竜二』と一緒や!て。

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―監督が映画を作るにあたって大事にしていることは?

『かば』だけじゃなく? 「取材」ですね。徹底的な取材です。たとえそれがフィクションであっても。

―苦手なこと、得意なことは?ひとつずつ。

苦手も得意も一緒になるんですけど。僕人間好きなんで「人間関係」作るのうまいんですけど、けっこうもめるんで下手なのかなと最近思てる(笑)。

―もめるっていうのは、深く入っていって?

そうなんですよ、たぶん。僕軽くつきあえない、熱くなるタイプやから、けっこうもめることも多くて、だから得意なんやけど、苦手なのかな。

―そういうときはどうしますか?

へこんで、いったん距離置きますね。冷静になってから会ったりはするけど、時間が解決することもあるじゃないですか。

―映画の中の良太と繁みたいに、反目した後仲良くなることもありますね。

ああいうのが好きなんで。共通の敵と戦って。
認め合うこともあったし、みんなとみんな合うこともないし。

―そうですね、人生短くて一度だけですし、どうしても合わない人に悩む時間もったいない(笑)。
あ、もう一つ、好きな映画を1本あげてください。


『ロッキー』です。『ロッキー1』!!

―長時間ありがとうございました!

=取材を終えて=
1時間余りたっぷりお話をうかがいました。川本監督の関西弁もできるだけそのまま書き起こしています。とても熱い心と志を持った方でした。長いですが、二つにわけませんでした。一気に読んでいただければ、熱さと勢いがダイレクトに届くと思います。
難産の末生まれた映画です。川本監督はこの作品を我が子と思って、一生連れて全国めぐるそうです。映画館のないところの皆様、川本監督に声かけてください。公民館や体育館でも上映できます。


(取材・写真:白石映子)