『めぐる』『エイン』ティンダン監督インタビュー

2月10日(火) アップリンク吉祥寺

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©合同会社CHAMP ASIA

*ティンダン監督プロフィール*
1984年6月29日生まれ、ミャンマー、ヤンゴン出身。
6歳で日本に家族で移住。日本で育つ。2006年日本映画学校18期卒業。卒業制作作品の『エイン』はアジア・フォーカス福岡映画祭及び伊参スタジオ映画祭に正式出品された。2017年『めぐる』を監督。ボンダンス国際映画祭最優秀短編賞、ライジングサン国際映画祭日本短編部門グランプリ、小布施短編映画祭鴻山部門 作品賞、ワッタン映画祭 審査員特別賞を受賞。
2019年ミャンマーでChamp Asia Production を設立。2021年4月ミャンマーのクーデターに遭遇し、ドキュメンタリーの撮影中に政治犯として拘束され、2年1ヶ月拘留される。現在は長編製作に向けて準備中。

『めぐる』『エイン』公式サイト https://meguruein.com/
作品紹介はこちら

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ー『エイン』の始まりをお聞かせください。

日本映画学校演出コースに入りまして、天願大介(今村昌平長男 )さんのもとで学びました。『エイン』は卒業制作です。はじめは全く違う映画を作る予定でした。1988年、ミャンマーで民主化を求めるクーデターがあり、その運動をしていた若者たちが夢破れて海外に出ていきました。日本に来た若者の10年後、30代に入った彼らが、自分の国やアイデンティティ、民主主義って何だろうと、葛藤する姿を描こうと思っていました。自分の疑問でもありました。
それを出したところ、先生に「今これを描いたら、危険な目に遭う」と言われました。2005年は軍政だったんですが、僕は日本で育ったので、そういう危機感がなかったんです。締め切りも間近だったので、最終的に自分の経験や自分の好きなロードムービーを盛りこんだ家族の物語をつくったところ、「これがいいよ」と。

ーそれで日本にやってきた兄弟が主人公に。弟のウィンタウンくんが無邪気で可愛くて、難しい年ごろの兄のアウンメインくんを知らず知らず助けていました。キャストはどのように集めたんですか?

はい。こちら、みなさん素人の方でした。ミャンマー料理屋さんや雑貨屋さんにチラシを貼って応募を募り、面談してきめました。
僕は6歳のときに両親と日本にやってきました。下の弟と妹の2人は日本生まれです。『エイン』の弟ウィンタウンに自分の経験を重ねています。アウンメインのキャラには、クラスにいた転校生の友達を重ねました。彼は日本人ですが、仲間に入りたいのになかなか溶け込めないでいました。先輩から後輩への暴力というのは当時僕も目にしました。先輩も始めは興味から話を振ったのが、だんだん変な方向にいってしまったんです。いじめを容認したくなかったのでそこの演出には気をつけました。

ー自分たちと違う人は珍しいのでかまいたくなります。でも慣れてないので方法がよくわからない。いじめかどうかは「悪意のあるなし」じゃないでしょうか。

まさにそうなんです。アウンメインはミャンマーでは人気者で、楽しく過ごしていて日本に来たくなかったんですね。実は、あの中学校は自分の通っていた母校です。お願いして夏休み中のロケに協力してもらえました。生徒さんがたくさんエキストラで出てくれました。

―喜ばれたでしょう。エキストラの経験をした子が後でスタッフになったりしますね。

田舎なので、映画の撮影なんてそうはありません。初めて映画に触れて、喜んで出てくれました。出来上がってから上映会をして観てもらえました。主人公のクラスメート役で出てくれた子が、後でお笑いの世界に入って、今も続けているんですよ。

―まあ、それは面白いですね。ロケで人生変わりました。
「笑われる」んじゃなくて「笑わすんだよ」というセリフが良かった。


ミャンマーでもお笑いは人気なんですよ。日本のお笑いをつなげてみたら面白いんじゃないかとやってみました。

ーお父さんが体調が悪いのに仕事を休めなかったり、近所の奥さんが持ってくる古着にお母さんがお礼を言ったりするのにアウンメインくんがプンプン怒りました。

お兄ちゃんはプライドが高いですから。プライドは必要ですけど、高すぎる不要なプライドは捨てたほうがいいときもあります。自分の考え方を変えてみれば周りも変わっていきます。それは僕自身も学んだことです。お笑いは解決策の一つで、この映画を観てそれぞれ考えてもらえたらと思っています。

ー今はほんとに外国の方が多くなりました。体験が増えてくれば受け入れる側もだんだん慣れて、おつきあいも楽になるはずです。近所の奥さん、無関心じゃないのは良いんですが、あの古着も差し上げ方がちょっと...。

袋に入れるんじゃなく、ちゃんとたたむとか(笑)。

ー光石研さんが出演していて、あら!とびっくりしました。デビュー作の『博多っ子純情』(1978)から観ているんです。

光石さんは業界人も大好きです。大ベテランなのに僕はどうしても出演してほしくて、ダメ元でお手紙を書きました。台本を送ったところ、なんと出演していただけることになって、本当に嬉しかったです。光石さんがいるシーンは特別です。駄菓子屋で兄弟と3人並んで座っているシーンが大好きです。海岸で何も言わずに観ているシーンも、光石さんだから出てきた風格だと思います。

ーミャンマーの人たちはすごく家族を大事にしますね。

はい、親戚も同じで、いとこたちも兄弟のように育ちました。日本は今ちょっと家族の繋がりが薄いような感じがします。ミャンマーの人たちが今たくさん日本にいます。まだ日本語がよくわからない人たちのために、会話の日本語部分にミャンマー語の字幕を入れて観てもらいたいと考えています。

ーたくさんの方が観てくださるといいですね。

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©日本映画大学

ー次は全くテイストの違う『めぐる』です。ここまで間があきましたね。

脚本は書いていたんですけど、作品として出来上がったのは2本だけです。
ミャンマーで取材中に逮捕される前に、完成したデータを友人に預けていたので、今回公開することができたんです。パラデータ(素材)がないので、予告編を作るのに苦労しました。

―今度は卒業制作と違って俳優さんがたくさん出演しています。

オーディションで選んで撮ることができました。脚本を気に入って集まってくださって。素敵な俳優さんたちに出演していただきました。現在活躍中の小野花梨さんも出演しています。

―脚本は『愛に乱暴』の山﨑佐保子さんです。他の人の脚本を監督するのはいかがでしたか?

面白かったです。自分が創作したのでない脚本があって、僕の演出でキャラクターに肉付けするというのは面白い行程でした。脚本を大事にしつつ、変えるときは山崎さんに許可を取り、完成したときにはお褒めの言葉をいただきました。

ー撮影日数とスタッフの数はどのくらいでしたか?

5、6日間で、スタッフは8人くらいです。脚本の山﨑も撮影(山本周平)、照明(鳥内宏二)、編集(辻田恵美)もみな映画学校の同期です。当時独り立ちしたばかりのころでしたが、できることを精一杯やりました。僕も演出をしただけでなく、お弁当を配ったり忙しかったけど、楽しかったです。

―同期ってありがたいですね。学校に行った強味ですよね。

ありがたいです。この前会って「この映画を今撮ったら、あんなこと、こんなことができる」という話になりました。拘束で僕は2年間止まったままだったのに、ミャンマーから戻ってきたらみんな先へ進んでいて、すごくいい仕事をしています。

―その空白の2年間の体験が、いつか生かせるときが来ると思います。来てほしいです。
『めぐる』は主人公の名前とも繋がっていますね。駅に走った「めぐみ」が、コーヒーカップを持った男性とぶつかるのが始まりです。「めぐる」も別の日に同じ人にぶつかります。人混みでカップを持つのはやめてほしいです。せめてペットボトルで(笑)。


自業自得(笑)。めぐみが起きられなかったのは、妹の悪夢を見ていたせいで、それはまた別の人が関わっています。言いたかったのは、僕らはちょっとした行動でも、他人に影響を与えてしまっている、めぐりめぐって影響しあっているということです。この社会も他人(ひと)が作ったんじゃなく、自分たちが作っている。今日お会いできたのも何かのめぐり合わせで。日本にはご縁という言葉がありますけど。

―ほんとに。ご縁がいい方に向いていけば嬉しいです。

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©合同会社CHAMP ASIA

―映画を目指すきっかけになった作品はありますか?

一番好きなのは『ライフ・イズ・ビューティフル』です。あのお父さんが子どものために、泣かせないように一生懸命笑わそうとするところがすごく好きでした。映画学校にいたころ観たんですが。

―映画学校に行くとものすごくたくさん観るようになりませんか?

それまで僕が観ていたのは、すごくスタンダードな作品ばかりだったんですよ。それが映画学校では映画バカ、映画マニアばっかりで「小津安二郎のあのカットがさぁ」と言われ、「なんだそれ?」、「岡本喜八がさぁ」と言われ、「なんだそれ?」(笑)。
それからいろいろ観るようになりました。ミャンマーで映画を観たことがなかった両親は、映画というものがわからなくて。映画を説明するために『青い春』を観せたら困っていました。

―『青い春』は観ていないんですが、親が観て困るような映画?(笑)青春ものですか?

青春ものです。高校生が屋上のフェンスの外で手を叩いて、回数が多い人が番長になれるんです。不良高校生の話ですが、淡々と描かれていてすごく面白かったんです。親は「こういう映画が作りたいの?」と驚いていました。
*『青い春』2002年公開/豊田利晃 監督。10代から20代の松田龍平、新井浩文、高岡蒼佑。EITA(永山瑛太)、KEE(渋川清彦)さんたちが出演

ー映画で食べていけるのかと心配されたでしょう?

されました。いまだに心配されています(笑)。

―親は、子どもが50、60でも心配するんです。そのうち親子が逆転します。
こういう監督を目指したいという目標としている方は?


北野武監督の映画には影響を受けました。でもやりたいのは山田洋次監督作品のような人情ものです。
だから『めぐる』に関しては僕の中では挑戦でした。どうしても『エイン』のように家族ものだったり、ラストもハッピーエンドになったりするものを書くことが多いので。全く違うタイプの山﨑さんの脚本を監督することで、自分の力量も試してみたかったんです。

―あれもまた別の面白さがあっていいですよね。3本目はまた違うタイプになりますか?

主人公が生き生きとして、映画を観終わった後に自分なりに周りを見る、考えるものを撮りたいなと思っています。「観たー!」「良かったー!」で終わるだけでなく、何かが心に残る映画を作っていきたいです。

―面白かった~が一番なエンタメ好きです。でも後でひっかかること、知らなかったことに気づかせてもらえると、お金と時間を使った甲斐があります。配信も多くなって1本あたり安く観られるようになりましたが。

配信は時代だと思いますけど、映画館はなくならないです。映画館で観た後の感覚ってやっぱり特別ですから。劇場では『めぐる』の後に『エイン』を上映する予定です。当時より外国人はうんと多くなっていますし、ミャンマーのことにも想いを馳せてもらえたらいいなと思います。

―今日はありがとうございました。

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取材・監督写真:白石映子


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=取材を終えて=
話が広がって、まとめるのに時間がかかりました(私の質問があちこちに飛ぶもので、すみません)。た~くさんお話をうかがえたのですが、公開前なのであまりネタバレになりそうなことはあげていません。2年間の空白についても最少限にしています。その中で印象的だったのが、「余談ですが」と話してくださった本について。
拘留中1年間本を読むことを禁じられていたのが、とても辛かったそうです。文字を目にできない間は、自分で地面に棒で文字を書いては消し、を繰り返したとか。2年目にやっと支援者から届いた本を読んだ時は嬉しくて落涙。解放されてからは、2年分の新聞を読み漁ったとか。
80年も戦後の平和が続いた日本は、世界でもとても珍しい国です。「すごいことです」とティンダン監督。
ただ、戦後生まればかりになり、すでに先人が手に入れた民主主義(国民主権、平和主義、基本的人権の尊重)を当たり前と感じている気がします。ティンダン監督が身をもって知ったそのありがたみを、私たちはもっと大切にしなくては。最近のニュースを見ても、生命や自由がいとも簡単に奪われています。本や映画にはそんな前例がいくらでもあります。生活と政治は直結しています。無関心でいてはいけないとつくづく思いました。話が別方向にいきました。
『エイン』は故国と家族への想いで胸がいっぱいになるお話。『めぐる』は、人は見えなくともつながって世界ができていること。良いことも悪いことも巡ることを見せてくれます。観た方の胸に響くはず。(白)


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『湯徳章―私は誰なのか』 黃銘正監督、連楨惠監督インタビュー 

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左:黃銘正監督、右:連楨惠監督


『湯徳章(トゥン・テッチョン)―私は誰なのか』 映画紹介
激動の時代を生きた湯徳章
 台湾は日清戦争後、1895年(明治28年)下関条約によって、中国・清朝から日本に割譲され、日本の降伏で第二次世界大戦が終結した1945年までの50年間、日本の統治下にあった。
 1947年3月13日、台南の今では整備されたロータリーの中心にある公園で一人の男が処刑された。彼・湯徳章が生まれたのは1907年。40年の生涯だった。
 湯徳章は日本人の父・新居徳蔵(警察官)と台湾人の母・湯玉のもと台南で生まれた。8歳の時、父が殉職。湯徳章本人も1927年20歳の時に警察官になった。
 1935年、叔父・坂井又蔵の養子になり、母の「湯」姓から「坂井」姓に。1940年33歳の時日本に渡り、司法を学び弁護士資格を取得し、1943年36歳で台南に戻り、弁護士として働き始めた。
そして終戦前の1945年1月、彼は「坂井」姓から、姓を元の「湯」に戻す。
 日本の敗戦後、台湾は蒋介石率いる中華民国の統治下に置かれたが、国民党政権の抑圧や腐敗に台湾の民衆は不満と怒りを募らせ、1947年2月28日、「二二八事件」が勃発。蒋介石は徹底的に弾圧。多数の虐殺事件も起こった。湯徳章は混乱の収拾に尽力し多くの市民を守ったが、1947年3月11日、高雄から台南に進駐してきた軍に逮捕され拷問を受け、3月13日、台南市の中心部にある民生緑園(現・湯徳章記念公園)で公開処刑された。
 1949年に戒厳令が敷かれ、1987年戒厳令が解除されるまで長きに渡る言論弾圧が続いた。事件に関する事を語ることは禁じられ、台湾の記憶の奥に静かに封じられていった。湯徳章の名誉が回復されたのは、38年間続いた戒厳令が解除されてから。現在、台南には湯徳章の名を冠した公園や住宅、道路などがあるが、地元民でさえ、日本と台湾の間で生きた彼の人物像を知る人は少ない。数奇な運命をたどった彼の人生を、ジャーナリスト、彼の養子、民間の研究者など、台湾の人々が彼の足跡をたどり、「湯徳章とは誰か」をたどる。

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場面写真クレジット (C)2024角子影音製作有限公司

黃銘正(ホァン・ミンチェン)監督、連楨惠(リェン・チェンフイ)監督インタビュー   
取材:景山咲子、宮崎暁美 2026年1月21日
  

*この映画を作るまで

宮崎:おふたりが作った前作『湾生回家』(2015年製作)でも黃銘正監督にインタビューさせていただきましたが、この作品でもお話を聞かせていただこうと思います。よろしくお願いします。

と前作のHPのインタビュー記事を見せると、一瞬にして顔がほころび、「その記事と一緒に記念写真を撮りましょう」といい、その写真は黃銘正監督のFacebookに掲載されました。
https://www.facebook.com/story.php?story_fbid=25684666817840076&id=100001703306131&mibextid=wwXIfr&rdid=uz4lU46NyEBvtMJP#
*『湾生回家』黄銘正監督インタビュー記事はこちら

景山:私の母は、神戸生まれなので湾生ではないのですが、6歳頃から終戦までの10年ほどを台湾の基隆で暮らしていました。女学校時代の台湾人の親友が、二二八事件で基隆川も血に染まったということを話してくれたのは、戒厳令が解けて、数年経ったころのことでした。母は時々中国本土に旅行していたのですが、その話をすると、まぁ~中国に!と、あまりいい顔をされなかったそうです。
今回の映画ですが、私の父方の祖父母が、父の生まれる1922年9月直前まで、台南で暮らしていましたので、台南にこのような方がいたことに、親しみを感じました。壮絶な最期でしたが、学校の制服はお金がないから着ないと反抗したり、退学したあと、炭焼きをしていたのに、急に警官になり、さらに日本で司法科と行政科を卒業するという快挙。すごい方だなと思いました。

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ロータリーと湯徳章紀念公園


宮崎:台南にあるロータリー、かつては「民生緑園」と呼ばれていた公園が、1998年に「湯徳章記念公園」と名前が変わり、湯徳章(日本名坂井徳章)の像が立てられたとのことですか、公園や道路に名前がつけられるほど、認知されるきっかけは?

黃銘正監督:湯徳章はこのロータリーで処刑されたんです。このロータリーには7本の路がありますが、ロータリーのメインストリートは中正路。これは蒋介石の名前から由来するものです。結果として、複雑な思いを抱く人も少なくなく、この「中正路」の名前は変えるべきという人もいます(2022年、中正路の一部が「湯徳章大道」と改名された)。
70年生まれの私が受けた授業では、蒋介石は我々の民族(国家)を救った人物として教わってきました。戦後のこの部分(二二八事件)の歴史には触れるなとなっていて、二二八事件について語ることは長いことタブーでした。

『湾生回家』が公開されて、映画を観た女性から、父親が有名な新聞の編集者で、二二八事件で殺されたのでもっと触れてほしいと言われました。台湾協会の方で、私が「台湾の母」と呼んで親しくしていました。「二二八事件の資料を持っているので監督がこの事件のことを映画にするのならお見せすることが出来ます」と、アプローチされたのですが、当時、私は二二八事件について詳しくなかったし、触れたくなかったので、そのままになってしまいました。彼女には4人の子どもがいるのですが、二二八事件の資料を子どもには絶対見せないと言っていました。それくらいタブーなわけです。その方にこの映画を作ったことを報告したいと思っていたら亡くなられてしまい、残念です。『湾生回家』に出演してくださった方も、だいぶ亡くなり、今、生きている方は5、6人です。

景山: 養子の湯聡模(トゥン・ツォンボォ)さんも、2023年に亡くなられたとのこと。ぎりぎり取材が間に合ったといえますね。 

黃銘正監督:証拠として残すことができたのは有意義なことです。二二八事件の被害者の方たちはあまりに辛い記憶なので、口を閉ざしています。

宮崎:台南に住む人たちでも湯徳章さんのことを知る人が少ないようですが、昨日、台北に住む元シネジャスタッフ(日本人)に、「湯徳章」や、この映画について知っているか聞いてみました。彼女は知らなかったけど、SNSでこの作品が日本で公開されることを知ったと言っていました。彼女の夫は台湾人で弁護士をしています。なので、彼は湯徳章のことを知っていました。でもこの映画のことは知らなかったそうです。彼女たちはこの作品を観ていないので、ぜひ観てみたいと言っていました。
台湾では、いつ頃公開されたのですか? またどのような形で公開されたのでしょう。これからも自主上映活動などありますか? 

黃銘正監督:台湾での上映は終わりました。台南と台北の弁護士会で自主上映会も開きました。今後、自主上映があるかもしれません。お友達にもお伝えください。

*映画の制作過程でのエピソード

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宮崎:黃銘正さん、連楨惠さん、おふたりの役割、あるいはどういう形でこの作品を作り上げたのでしょう。

連楨惠監督:私は湯徳章の関係者の方たちを訪ねていく旅人の一人です。

宮崎:映画を観た時は連さんの顔を知らなかったのですが、記者と二人で訪ね歩くシーンで、もう一人の人が連さんかな?と思いました。

黃銘正監督:私は、映画のストーリーテーリングとかプロットとか、どういう風に形作っていくのかそういうのが得意なので、それを主動してやっています。
連さんとのエピソードを。
ドキュメンタリーの魅力はどこにあるのかをいつも考えているのですが、今、起きていることを映像として記録しておくことはすごく大事です。計算した話でなく偶然も。冨永さん(『湾生回家』に出演)のお宅を訪ねた時のことです。私がトイレに入っている時に、冨永さんが吹くハーモニカが聴こえてきて、台湾民謡の「雨夜花」という曲でした。撮らなくてはと思ったのですが、トイレの中だったので撮れませんでした。でも、連さんがちゃんと撮っていてくれました。この人は私が求めているものをわかっていて、ドキュメンタリー映画を撮るセンスを持っていると思いました。また、インタビューするときに、相手に配慮する必要がありますし、忍耐力だけでなく、こだわりも必要です。あるいは寄り添って、相手の心の扉を開けるにはどうしたらいいかということも必要です。これは連さんにしかできないと思います。素材を集めるとか、インタビューする人をみつけてくるとかの段取りは連さんのほうが上手です。特に今回、養子の湯聡模さんは、最初は語りたくなかったのですが、連さんが時間をかけてアプローチしたら、心の扉を開いて話してくれるようになったんです。だから、この映像は非常に貴重なものです。これは連さんにしかできなかったと思います。

宮崎:まさに二人三脚ですね。湯徳章さんの姪の陳銀さん(聡模さんの姉)と聡模さんの二人は封印していて、最初はしゃべらなかったけど、後半、心を開いて、語ってくれるようになったなと思ったのですが、連さんの働きがあったからですね。

黃銘正監督:でもすごく時間がかかりました。聡模さんはドキュメンタリーの撮影は経験したことがなかったのです。二二八事件の日が近づくと、いろいろ取材が来るけれど、湯聡模さんは応じてくれなかったのですが、1998年ロータリー内の公園「民生緑園」の名前が「湯徳章記念公園」に変わって、やっと姿を現してくれるようになりました。それでも、電話しても、本人が電話口で「彼はいない」と濁すのです。台南市長が電話口に出て、やっと話してくれました。でも、湯徳章の銅像ができた時のセレモニーに彼が来たかどうかは不明です。湯聡模さんのお兄さんいわく、遠くから見ていたと。セレモニーの中心には行きたくなかったのでしょう。それまでのことがあるから。次第に民主化が進んで、ようやく話せるようになった感じです。

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湯徳章紀念公園の片隅にある湯徳章さんの胸像


宮崎:莉莉青果店の店主 李文雄(リー・ブンヒョン)さんは、どういう方なのでしょう。昔、湯家の近所に住んでいて、湯さんのことをご存じの方?

黃銘正監督:莉莉青果店は、銅像のあるところから2~300m離れたところにあります。カキ氷が有名なお店で、タクシーで乗ってくる人たちが運転手に「湯徳章さんって誰?」と聞くので、運転手たちが李さんに聞いてくるのだそうです。それで、李さんは台南の歴史のことを調べて、養子の聡模さんも李さんが7~8年かけて探しだしました。

宮崎:ああ、そうでした。この莉莉青果店の前にタクシーが止まって、中から男の人が出てきた時、「誰だと思います?」というシーンがありましたが、それが湯聡模さんでした。聡模さんを探すのがミッションだったのでしょう(笑)。その後、交流があったのですね。
あの歴史家の先生も面白かったです。あの家、資料の量がすごかったですね。

黃銘正監督:私たちも扉が開かなくて、家の中に入れなくてびっくりしました。入ったら出られなくなるのではと思いました。資料の山が崩れるんじゃないかという状態でしたし、照明もなくて、暗くておばけが出そうでした(笑)。

景山:先生的には、何がどこにあるというのはわかるのですよね(笑)。
宮崎・景山:私たちの家も似たようなものです。以前住んでいた家は映画資料に埋もれて、部屋の中に資料の山がいくつも連なっていて、家の中の移動に苦労するくらいになっていました。自分にとっては大事な資料だけど、他の人にはゴミですよね。だから、先生のことがよくわかります(笑)。

黃銘正監督:李さんと先生の関係ですが、李さんの集めた資料のほとんどが日本語で、それを先生が読んでくれたという間柄です。先生は早稲田大学に留学して、日本に10数年住んでいたそうです。

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左:養子の湯聡模さん


*歴史的資料の保管について

宮崎:冒頭、「児玉源太郎」(第4代台湾総督)の像と「孫文」の像が、並んで出てきたのが印象的でした。この二つの像は、この場所にあるのですか? あるいは「児玉源太郎」の像はどこかからもってきのですか? 
また、古い資料が保管されていることに驚きました。台湾では、支配する人が変わっても歴史的なものを保存する習慣があるのかなと思いました。

黃銘正監督:そうです。児玉源太郎さんの像は、別のところからもってきて、並べて撮りました。台南市の歴史的なものを保管する場所にあります。

宮崎:あのシーン面白かったです。

連楨惠監督:台南市に文物を保管する場所があります。 焼却されたものも多いのですが、戸籍の資料があったお陰で、湯徳章の親戚を調べることができました。台湾の戸籍ではわからなかったけれど、門田さんを通じて、日本の親戚に繋がりました。門田さんが湯徳章さんのことを調べて本にしていますが、彼からもいろいろ情報をいただきました。
注)門田隆将さんのノンフィクション小説「汝、ふたつの故国に殉ず」(角川書店)
もしかしたら東京の親戚については聡模さんの娘さんから聞いたのかもしれません。宇土への取材は門田さんがコーディネートしてくれて実現しました。

*湯徳章さんの想いはどうだったのでしょう

景山:姓が何度も変わりましたが、最終的には、「湯」となり、彼にとっては、日本人の父親のルーツよりも、生まれ育った台湾への思いが強かったのかなと感じました。タイトルに、「私は誰なのか」と、付いていますが、彼のアイデンティティについての思いをどのように感じていますか?  

黃銘正監督:最後、「湯」姓に変えましたが、途中、何度も姓を変えていますね。東アジアは父系社会。父親の姓を名乗ることが多いですが、植民地時代には日本人になった方が有利でした。姓を何度も変えたということから、彼の心情的な気持ちを読み取ることができると思います。

宮崎:日本で弁護士の資格を取る時には、叔父の「坂井姓」になっていましたが、やはり、日本人名のほうが弁護士の資格を取りやすかったのでしょうか。

黃銘正監督:当時、日本では台湾名でも弁護士資格は取れました。たくさんの台湾からの留学生が弁護士の資格を取るために来ていました。映画の中に、台湾からきた留学生で司法試験に合格した人たちの集合写真が出てきましたよね。アイデンティティは、明確に線引きできるものではないと思います。条件によって変わるかもしれない。日記などが残っていれば、ある程度、心情がわかったのですが、なかったので、資料から判断するしかありません。手紙も1通も見つかっていません。二二八事件以降、燃やしてしまったのかもしれません。写真の多くは、聡模さんのお兄さんがまとめて箱に保管して、屋根裏に隠していました。

宮崎:まだ、これから写真や資料などが出てくるかもしれませんね。

黃銘正監督:まだ作業を終えていないことがたくさんあります。それに、他の人も写真を持っているかもしれません。ほかにもできることがあるかもしれませんね。

宮崎:ここで時間が来てしまいました。まだ、いろいろ聞きたいこともありましたが、再度、映画を観て確認したいと思います。激動の時代を生きた「湯徳章」さん。「二二八事件」に関する映画は、いくつか観てきましたが、このような方もいたというのを知ることができました。ぜひ、日本人にも知ってほしいと思いました。

メモ起こし 景山 まとめ・写真 宮崎

『神社 悪魔のささやき』公開記念舞台挨拶

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2月6日より公開されている JAEJOONG(ジェジュン)主演、熊切和嘉監督の新作ホラー『神社 悪魔のささやき』の公開記念舞台挨拶が、2026年2月11日、東京・新宿バルト9で開催されました。


神社 悪魔のささやき  原題:신사: 악귀의 속삭임
監督:熊切和嘉
出演:キム・ジェジュン、コン・ソンハ、コ・ユンジュン、木野花
2025年/韓国/96分/5.1ch/シネマスコープ
配給:クロックワークス
公式サイト:https://klockworx-asia.com/jinja/
★2026年2月6日(金)より、新宿バルト9ほか全国公開
シネジャ作品紹介 



◎『神社 悪魔のささやき』公開記念舞台挨拶

登壇者:JAEJOONG、木野 花、熊切和嘉監督
MC:奥浜レイラ


満席の観客の前に、JAEJOONG、木野 花、熊切和嘉監督が登壇。

MC:ご挨拶をいただきたいと思います。まずは祈祷師のミョンジンを演じられましたJAEJOONGさんからお願いします。

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JAEJOONG:こんにちは! 祈祷師のミョンジンを演じたJAEJOONGです。よろしくお願いします。

MC:日韓文化交流プロジェクトに参加していた大学生たちの大家・佐藤さんを演じた木野花さん、お願いします。

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木野:こんにちは。劇場に足を運んでいただいたのが嬉しくて、それだけで感激しています。大家の佐藤を演じました木野花です。


MC:監督を務められました熊切和嘉監督、お願いします。

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熊切監督:こんにちは。皆さん、ようこそおいでくださいました。こんなに大勢来てくださって・・・ 映画はいかがでしたでしょうか? (会場:拍手)
ありがとうございます。短い時間ではありますが、よろしくお願いします。


◆観客席で観ていたJAEJOONGに誰も気づかず!
MC:今、皆さんに映画を観ていただいたところですが、なんと、JAEJOONGさんは、今、観客席で皆さんと一緒にお座りになって映画をご覧になっていたのですよね。
(Vサインで、そうですと合図するJAEJOONGに、え~!っと観客から歓声があがりました)
このスクリーンで観る作品、いかがでしたか?

JAEJOONG:今、この3人の中で、僕だけですね。映画館で映画を観たのは。映画を撮影してから結構時間が経ったので、もう一度リマインドするために皆さんと同じ席で観ていたのですけど・・・ 面白いね~! 面白かったですね。

MC:皆さん、気づいてましたか?  誰も気づいてない! JAEJOONGさん、どうやってそのオーラを隠して観ていたんですか?

JAEJOONG:僕ですか? だってムーダン(祈祷師)ですから! 


◆韓国のキリスト教文化や祈祷師の存在があったからこそ撮れた
MC:一緒にご覧になっていたという、まさかのサプライズもございましたが、木野花さんは完成して、この映画を観た率直なご感想はいかがでしたか?

木野:私は自慢じゃないけどホラーは苦手で。ここぞというところで、目を薄めて、耳を塞いでみるという・・・。小さなiPadで観たのですが、それでも怖かったです。 JAEJOONGさんもですが、私も初めてのホラー映画で、なんというか、自分で観ると自分の演技がオーバーなのじゃないかと。怖くて追いつめられるというシーンの映画の経験があまりなかったので、どれくらいやったらいいかわからなくて、手探りで撮ってました。私がどういう演技をしたかも忘れてしまって、普通に映画にのめりこんで観てました。

MC:熊切監督、木野花さんになんていうことを! すごい役でしたね。木野さんがこんな役をやるというのも驚きましたが、JAEJOONGさんもホラー初主演作品でしたね。熊切監督は、神様と悪魔の戦いを日本を舞台に描かれましたが、日本ではあまりない印象ですが、完成した時の手ごたえはいかがでしたか?

監督:完成したときですか・・・ もともと『エクソシスト』を子ども時に観て、ずっとすごく好きで、魔憑きの映画をずっとやってみたいと思っていたのですが、なかなか日本だと文化的にも、そういう映画は説得力がないのではないかと思っていました。今回のように韓国人がやってくるという設定ならば、キリスト教文化が韓国にはありますので、できるのではないかと思いました。思い切って照れずに撮ることができたと思っています。大学時代の同級生が観てくれて、「熊らしい映画」と言われました。

MC:JAEJOONGさんにとっては、記念すべきホラー作品初主演となりました。祈祷師という職業、特殊で神秘的な役どころでしたが、演じていて、大変だったところ、面白かったところ、ありますか?

JAEJOONG:ムーダンやシャーマニズムについてなど文化的な知識もあまりなかったので、ネットでいろいろ調べたり、監督にも相談をして、どうやって演じたらいいのか長い時間をかけて考えていたのですが、さっき映画を観て、大丈夫だったかなと感じました。演技をちょっと抑え過ぎたような気もしたのですど…… どうでしたか?

熊切監督:いや、そこは大丈夫だと思います。

MC: 熊切監督とJAEJOONGさんは、映画に関して、どんなお話をされたのですか?

監督:ムーダンに関しては、JAEJOONGさんの方が知ってると思うので、逆にお聞きしたのと、あとは、活躍するヒーローなのですが、どこか後ろめたさがあるというヒーローといったことを話していたと思います。

◆JAEJOONGとの共演に感無量の木野花さん
MC: 映画を観ますと、なるほど、そこがポイントと思います。 そして、木野さんは、学生たちに寄り添う大家さんという役でしたが、どんな撮影現場の雰囲気でしたか?

木野:ほんとに大家さんみたいな気持ちでいました。若い学生さん役の俳優さんがたくさんいて、ユミ役のコン・ソンハさんとも翻訳アプリで結構おしゃべりできました。込み入った話や、コン・ソンハさんが、伝統芸能をやってることとか、空き時間にも結構おしゃべりしてましたね。それがすごく楽しくて、韓国映画に出たいという私の夢、熊切監督と一度お仕事したいと思いもあり、そしてJAEJOONGさんと共演ということで、ぜひやりたいと思って出た映画なので、幸せな時間ではありました。大変ではありましたけど、すごく楽しかったですね。

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MC:JAEJOONGさん、木野さんとの共演シーンで思い出に残ることはありますか?

JAEJOONG:トンネルの中の撮影が凄かったですね。空気が・・・

木野:もわ~っとした中に長い時間いるじゃないですか。休憩の時に外にでると、ほんとうに何か取りついているんじゃないかというくらいに、ちょっと怖い空間でした。あれが、ほんとうに映像に乗ってくるんだなと思いました。あのトンネル、よく見つけましたね。

監督:嫌な場所でしたよね。すみません。

MC:今回、ロケーション、それぞれちょっと何かあるなと思わせる場所が多かったですね。家もそうですし、教会も。

監督:結構、よどみのあるような場所を探していたので、佐藤さんが大家の家も、半分物置で使われていた場所を片付けて使わせてもらいました。

MC:トンネルの中での共演シーンが印象的だったとのことですが、木野さんから見たJAEJOONGさんは、どんな方でしたか?

木野:ある意味憧れの方じゃないですか。お会いできないような。それが、気さくに降りてきてくださって、すごくおしゃべりした気がするんですよ。他愛のない話だったりするんですけど、日本語が達者でいらっしゃるから、普通にお話できたのですけど、舞い上がって何話したかよく覚えてないんです。JAEJOONGさんとお話してるのが、ちょっと感激でしたね。

JAEJOONG:正直、僕もあまり覚てない・・・

木野:わ~わ~キャーキャー、今日は何食べるとか、美味しいとか美味しくないとか言いながら、他愛もなくおしゃべりしてたのが。私には幸せな時間だったのですけど。

JAEJOONG:僕も滅茶苦茶幸せでしたよ!

木野:ファンの方には申し訳ないくらいに、ほんとうに楽しかったです。


◆監督も追い込まれたトンネルでの撮影
MC:熊切監督は、お二人をご覧になっていて、圧倒された瞬間ですとか、印象に残っているシーンはありましたか?

監督:さっきも出ましたように、トンネルのところで何日間か撮影していて、ほんとに気が滅入ったりもしていたのですけど、その中で二人のお芝居に意気込みを感じました。それは撮っていて、すごくよかったです。

JAEJOONG:僕や監督もそうでしたが、あそこで風邪引いた人が多かったですね。ほんとに寒かったですし、空気がちょっと汚くて、長いし、煙もすごかったですし、そこで演じながらも激しいシーンが多かったので、呼吸も激しくなってくるじゃないですか。ずっ~っと暗いんで、おかしくなって、家に帰っても寝れなくなりました。

木野:私は場所として、もう芝居というより、自分の感覚がちょっと狂っていって、もうどうでもいいやという気持ちになりました。

JAEJOONG:もう諦めちゃった?

木野:ある意味、この空間に身を任せるという感じで、追い込まれたかなという感じがします。演技がどうとか考えないで、出たとこ勝負でやってたようなところもあります。

MC:ほんとに大変だったのですね。

監督:僕も追い込まれて撮ってました。

木野:監督、追い込まれて・・・(笑いが止まらない木野さん)、韓国の撮影監督と、がちがちに喧嘩になるかと思うくらい言いあっていて、いいぞ!いいぞ! この感じ面白いぞ!と、自分は関係ないから陰から見ていました。頑張ってましたよね。監督。

熊切監督:普段、全然そういう感じじゃないんです。あっけに憑りつかれていました。

MC:本編でも闘いが描かれていましたけど、裏でもいろいろ闘いがあったのですね。


◆手に入れたい能力

MC: 本作では、JAEJOONGさんが祈祷師という設定でしたので、それにちなんで「手に入れたい能力」を絵馬型パネルに事前に書いていただいておりますので、一斉にオープンしていただけますか。

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熊切監督:「眼で映画を撮る能力」
映画で、今しかない瞬間を撮ろうということがあるじゃないですか。もちろん、その瞬間を撮るように準備して本番を迎えるのですけど、どうしてもその瞬間を逃すことがあるじゃないですか。日常でも。この光を今、捉えたいなとか。そういうところで、眼が35mmフィルムが撮れるようになればいいなと。

JAEJOONG:眼を改良すればいいじゃないですか。

監督:そうなると映画を撮るのが楽しくなくなるかも。

木野:「全てのものと会話できる能力 人も動物も植物も石も」
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人間だけじゃなくて、犬でも猫でも動物、植物、石とも話せる、会話できたらどうなんだろうと思うことがあります。子どもの時から思ってました。孤独ってことはどうことかと思うくらい、世界が変わると思います。

MC:さっき木野さんがおっしゃっていましたように、翻訳アプリがどんどん進化してますから、その延長にワンちゃんとも、もしかしたら会話できることがあるかもしれないですね。

JAEJOONG:「瞬間移動した~い
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今日の朝、一便で東京に着きました。最近はいろいろな国に行っていて、瞬間移動ができたらもっと早くファンの皆さんに近づけるし、物理的な問題が無くなれば、この人生もっと楽しめるかなと。ファンの皆さんを待たせることも僕は心配。どこかに逃げるのではないかと!

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◆映画館の暗闇で何度も観てください!

熊切監督:今日はありがとうございます。自分にとって初めての本格的ホラー映画を撮ったのですが、怖いだけでなく、いろんな感情が巻き起こるといいなと思って撮りました。今日観ていただいた方は、わ~怖かったでも、グロかったでも、意外とグッときたでもいいですし、知り合いの方に伝えていただければと思います。映画館の暗闇でこそ映える映画と思っていますので、ぜひ劇場に足を運んでください。

木野:この映画はよくある伝統的なホラー映画とは、ちょっと違うかなと思います。薄暗くて、神経に触るような音楽が流れるのでなくて、いろいろな面で楽しめる映画です。いろいろ発見もあって、ホラー映画なのに、楽しく観れました。一度ならず二度三度と観て、いろんなシーンを発見して楽しんもらえるといいかなと思います。

JAEJOONG:この映画は1回観ても、すっきりできないシーンがたくさんあると思うんです。監督の頭から仕込んだヒントがたくさんあるんですね。そういうところを探すには、少なくとも10回くらいは観ないとわからないと思います。周りの方にもご覧いただけると嬉しいです。今日はありがとうございます。

★フォトセッション
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最後に、観客の皆さんにもフォトタイム。

★Facebookのアルバムに、こちらに掲載しなかった写真も含めて大きなサイズの写真をアップしています。
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過酷だけど、和気あいあいで楽しかった撮影現場が伝わってくる舞台挨拶でした。

報告:景山咲子




『安楽死特区』公開記念舞台挨拶 

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1月24日(土)新宿ピカデリー

毎熊克哉(ラッパー 酒匂章太郎)
大西礼芳(ジャーナリスト 藤岡歩)
筒井真理子(池田玉美)
板谷由夏(特命医師 三浦ユカ)
余貴美子(歌謡漫才師 澤井真矢)
gb(ラッパーZAGI)
原作者・製作総指揮:長尾和宏
脚本:丸山昇一
高橋惠子プロデューサー

https://anrakushitokku.com/
©「安楽死特区」製作委員会

MC:オファーを受けてのお気持ちを

毎熊 たくさん集まって頂いて、心から嬉しく思っています。安楽死という題材はものすごく難しいと思いました。役をやる前に安楽死について考えなくちゃいけないな、というところから始まりました。自分自身は今の所毎日歩いて仕事に行ける状態なので、何をやっても本物ではないんですけれど、精一杯心を込めて演じることに徹しました。

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大西 自分自身お芝居をする中でも日常を生きている中でも、何か枠の外に出るのが怖くて、何かに抗う姿勢を持つ人物になることが少し怖かったんですが、今回の映画では(監督の)伴明さんにその枠から飛び出せと言われたような気がしていて、それに応えるようにお芝居をさせていただきました。

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筒井 この歳になってくると身近な家族などの死と向き合うことがたくさんあって、これが引き受けられるのかなと衝撃的だったんですけれど、高橋伴明監督の作品に「出ない」という選択肢はなかったです。現場では、平田(満)さん(演じる夫の池田)が頑固で不器用で愛らしく、一緒に過ごせる時間が豊かでありがたかったです。
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板谷 伴明組に参加させて頂いたのは3作目なんですけれど、高橋伴明さんに呼ばれたら「行く」という気でいますので、役も難しかったですが、行きました。

gb 普段歌手として活動をしているので、ZAGIを演じていて違和感はあまりなかったんですけれど、映画の出演は人生で初めてです。映画の音楽に携わらせていただくのも初めてだったので、一生に一度あるかないかの素敵な経験だと思って全力で楽しみました。

 (今年)70という年になって、あの世とこの世をうろうろしているようで、セリフを言っていても役か現実かがわからず…今年もいろんな役をいただき、棺桶にも何回も入りましたし(笑)、遺影も何枚も撮りまして、ふわふわした現場でした。元漫才師という役で、三味線や漫才の練習をしなくてはいけなかったんです。人生はリハーサルはないけれど、お芝居の時はお稽古ができて幸せだなと思った時間でした。

丸山 伴明さんに脚本を撮って欲しいと思って45年かかりましたけど、やっと念願叶いました。脚本に1年くらいかかり、脱稿した時には疲れ果ててしまって「もう二度とこの監督とやりたくない」と思いました(笑)が、しばらくすると心地よい疲れで、いろんなことに挑戦しました。
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長尾 高橋伴明監督に映画化して頂き、丸山昇一さんにアレンジしていただいたことに深く感謝しています。豪華俳優陣の熱演にただただ感謝しています。

高橋p 私は普段は役者をやっていますが、今回『役者さんってすごいんだな』と改めて思いました。皆さん、一筋縄ではいかないような役を、生きた人として演じてくださいました。夫もそれまでは『スタッフはすごいんだぞ』と言っていましたが、最近になって『役者ってすごいんだな』とやっと言ってもらえるようになりました。
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MC:エンドクレジットの後に「くらんけさん」(安楽死を希望してスイスまで出かけた)との対談がありました

高橋p 準備の段階から、くらんけさんにお会いしていろいろなことを伺ってそれを元に作らせていただきました。本作はフィクションではありますけれど、『安楽死がまだ認められていない中でスイスまで行って死ねずに戻ってきて、また機会があったら死にたいという方の想いを知ってほしい』という気持ちがありました。映画の後にくらんけさんに高橋伴明監督がインタビューしています。
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MC:脚本執筆についてお聞かせください

丸山 原作の長尾さんに「原作から離れていい」と言ってもらえて自由度が増しました。
原作の主人公は女性政治家や女流作家でしたが、本作の主人公を、回復の見込みがない難病を患い、余命半年と宣告されたラッパーと、彼のパートナーのジャーナリストにしました。章太郎は最初から心と体に重い十字架を背負っている役で登場するわけで、「全体が暗い、重い、動きがない」だとつまらない。なるべく主人公が体や口を動かせるといいと考えるうちに、伴明さんと『ラップはどうだろうな』という話をしました。パートナーの歩は『客観的に取材をするけれど、当事者になると?プライベートでどうなるんだ?』と、これはラブストーリーと思って作っています。

MC:gb(ジービー)さんは70代の丸山さんとラップを作られました

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gb 今まで20年近く歌手や作詞家として活動してきたけれど、歌詞を共作するのは初めてでした。共作で歌詞を書かせてもらっていた時は、父の一周忌でアメリカに行っていて運命的に人の死に直面しているタイミングでした。自分の今まで書いていた歌詞の表現にはないものや日本語の奥深さみたいなものを感じました。

MC:作中章太郎が医師団と向かい合うシーン、緊迫の13分間でした

丸山 試写で、鳥肌が立ちました。想像した以上の力感の溢れる作品になりました。監督が高橋伴明だから行けるところまで行っちゃう。単に安楽死について論じるような映画になっちゃうか、一級の”これが映画だ!”という作品になるかの分かれ際なので、粘って演出した監督は「すげーやつだな!」と思いました。

毎熊 台本には『(病状が進み)もうほぼ喋れない』と書いてあるのに、ずっと喋るんですよ(笑)。『だんだんラップのようになっていく』と書いてあって、これはどうやってやるんだ?と胃がキリキリしながら練習していました。目の前には奥田(瑛二)さん、加藤(雅也)さん、板谷さん。先輩がずっとこっちを見ているんですよね。スタッフの皆さんも超ベテランで、「こいつ今からやれんのか?」という感じで、俳優としてはものすごくワクワクドキドキですけれど、大事なシーンだったので「生き残れてよかった」と思いました(笑)。

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板谷 思い出しただけでドキドキします。本当に緊張感があるシーンで、今思い出しただけでも鳥肌が立つんですけど、主役の二人に持って行かれてリアクションしてしまうと(演じた)三浦をなくしてしまうので、板谷と三浦がぎりぎりラインを行く役でした。人の死は尊い重いものだし、死を選ぶ方にいる(三浦役を演じる)側としては、ずっとピリピリしていました。その中でもピリピリ度マックスのシーンだったので、よく生き残ってくれたなと。伴明さんは裏でニヤニヤされていたんで、伴明さんはきっと手応えを感じていらっしゃるんだなと思っていました

大西 板谷さんに(作中で)「あなた、プライベートとジャーナリストの立場を混同してますよ」と言われ、加藤さんも「俺だって」と声を荒げられて、「あ〜悩んでるのは私だけじゃない」と反省の連続のシーンでした。
筒井さんとの二人だけのシーンでは、それまで激しいシーンが多かったので、すごく落ち着いて話せました。同じ介護者だから、鎧を着ずに話せる唯一の人。すごく印象に残っています。

筒井 役者って、自分であり、自分でないんですけれど、役になっている間に繋がる瞬間があって、そこが好きなんです。そういう瞬間がたくさんあったと思います。(演じた玉美は)すごく孤独だったんですけど、遺される者が「この後の現実をどう受け止めていけばいいのか」と、二人で話すことで柔らかくなるという気がしていました。

MC:余貴美子さんと筒井真理子さんが共演なんて、映画ファンが泣いて喜びます

筒井 そんな風に言っていただいたら私も泣いて喜んじゃいます。私も大好きな役者さんなんです。私が『大好きだ』というと余さんには、『何にも出ないよ』と冷たくあしらわれます(笑)。

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 (演じた)真矢はいろいろな過去があるんで、『お陀仏になる薬をくれ』とか『殺せ!』とか言っているんですけど、裏で監督がニヤニヤしながら楽しそうに演出していらっしゃる。こちらも楽しくてしょうがなかったです。
歌謡漫談をやっているということで、たくさん稽古をしなくちゃいけないんです。友近さんがとてもお忙しくて、撮影の時にしか打ち合わせができなかったんです。「お客さんがいた方がいいですか?」と聞かれて、「いやいや」と思ったんですけれど、友近さんは「お客さんが座ってた方がやりやすいで〜す(と友近さんの真似)」とおっしゃって、スタッフの方に座ってもらって。生きた心地がしませんでした(笑)。地獄でした(笑)。

MC:最後に毎熊さん、大西さんからお客様へ

毎熊 この映画は”安楽死の賛成・反対”どっち派ということではなく、この映画がきっかけで安楽死であったり、生と死について考えを巡らせてみて豊かにになることが、いいことだなと思っています。

大西 もし気に入っていただけたら、もう一度見ていただけませんか?(観客から拍手が沸き起こる)安楽死について考えるきっかけになるであろう映画があることを広めていただけたら、私たち、嬉しいです!今日はありがとうございました。

(画像:オフィシャル レポート:オフィシャル+白石)

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映画『YADANG/ヤダン』公開記念来日舞台挨拶 観客にたっぷり寄り添ったイベントでした(咲)

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2026年1月9日(金) 19:05~19:40 
新宿バルト9 シアター9にて
登壇者:カン・ハヌル、ユ・ヘジン、ファン・ビョングク監督
司会:古家正亭   (敬称略)

映画の上映が終わり、満席の観客の前に上手袖からカン・ハヌルさん、ユ・ヘジンさん、ファン・ビョングク監督が登場。通路を上の方にあがるのがわかり、観客は大歓声。握手したり、ハイタッチしたりしながら、客席をぐるっとまわって舞台にあがりました。

古家:あらためまして拍手でお迎えください。サプライズでしたが、いかがでしたか? (観客:歓声&拍手)

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古家:一言ずつご挨拶いただきたいと思います。まずは、ヤダン、イ・ガンスを演じられましたカン・ハヌルさん、お願いします。

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カン・ハヌル:ありがとうございました。皆さん、こんばんは。私はカン・ハヌルです。ありがとうございます。(と、ここまで日本語で)  映画ご覧になりましたよね? ありがたいことにたくさんの方に愛していただきました。 こうして日本の観客の皆さんにもご挨拶できることになって、とても光栄です。今日は劇場いっぱいに埋めてくださって、ほんとにありがとうございます。

古家:野心に燃える検事ク・グァニを演じられましたユ・ヘジンさん、お願いします。

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ユ・ヘジン:ほんとにこの会場を、わ~っと一杯にしてくださいましたね。今、僕の言葉聞き取れていますか? ほんとにありがとうございます。この映画『YADANG/ヤダン』について噂を聞いて足を運ばれたのでしょうか。見に来てくださって、心から感謝もうしあげます。年が明けて間もないですが、皆さま、あけましておめでとうございます。

古家:ユ・ヘジンさんは昨年一度来日されているのですが、映画の公開にあわせて舞台挨拶として公式に来日されるのは、これが初めてです。

ユ・ヘジン:そうなんです。商業映画の公開にあわせて、オフィシャルで舞台挨拶させていただくのは初めてなのでとても楽しみにしてまいりました。少し緊張もしています。

古家:そして、本作のメガフォンを取られましたファン・ビョングク監督、よろしくお願いします。

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ファン・ビョングク監督:皆さん、こんばんは。監督です。ヤダンのおかげで皆さんにお会いできて、とても嬉しいです。(日本語で)

古家:監督は、すべて最初は日本語の挨拶で始められているのですが、毎回少しずつ内容を変えておられます。
それでは、ゲストの皆さんに私の方から代表で少し質問させていただきたいと思います。まずは、カン・ハヌルさんに伺いたいと思います。(自分の名前を聞いて、手を挙げられるカン・ハヌルさん)ヤダンという人物は、韓国で実際に存在するそうですが、演じるにあたって一番難しかったのは、どんなところですか?

カン・ハヌル:まず、韓国におきまして、ヤダンという存在を私自身も私のまわりの人たちもまったく知りませんでした。おそらく今も知らない人がたくさんいると思います。そんなヤダンという存在を、映画をご覧になる皆さんにどうしたらよりわかりやすく簡単にストーリーについてこられるようにうまく表現するのか、そこが一番難しかったです。

古家:皆さんは、イ・ガンスというキャラクターに魅力感じました? (客席からの拍手に、深くお辞儀するカン・ハヌルさん)  ユ・ヘジンさんに伺いたいと思いますが、(さっと手を挙げるヘジンさん) 長いキャリアをお持ちで、ほんとにたくさんのヒット作にご出演されておりますけれど、ヤダンならではの魅力、演じられてどんなところに感じましたか?

ユ・ヘジン:ヤダンという存在は実際にあるものなのですが、監督がリサーチして、それを元に脚本を書きあげられました。この作品に触れて。とても怖くもありましたし、興味も沸いたのですが、ヤダンという作品ならではの魅力をあげるとすれば、なんといってもカン・ハヌルさんが演じられているということ、そして、パク・ヘジュンさんなど素晴らしい俳優さんたちとご一緒できたこと、そして、素晴らしい監督とご一緒できたということに尽きると思います。

古家: ほんとにエネルギッシュで素晴らしかったですよね。すごかったですよね。
監督にお伺いしたいと思います。この映画、ある種のジャンル性がありますが、しっかり社会性も盛り込まれています。バランスが大事だと思いました。映画を設計されるにあたって、どんなところに苦労されたでしょうか?

監督: まず私が見た映画の中で面白いと感じるのは、ジャンル性があって、その中に社会が持つ空気をいかにうまく込められているかだと思います。その二つがうまくできているのが、いい映画だな~と感じられるような気がします。本作においては、観客の皆さんが途中で携帯を覗くようなことがないように設計しましたが、いかがでしたでしょうか?  (観客:拍手)


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古家: 今後、日本でチャンスがあれば、一緒にお仕事をしてみたい、俳優や監督はいますか?

カン・ハヌル:(すぐに答えられず) 今、悩んでいる理由はあまりにも多くて、皆、名前を挙げてもいいですか? (指折り数えながら) 新垣結衣様、星野源様、監督の中では、新海誠監督、小島秀夫監督…などですね。機会があればぜひご一緒したい方は本当にたくさんいます。

古家:共演してほしいですし、一緒に仕事してほしいですよね。できることなら。 

カン・ハヌル:(深くお辞儀して) お願いします。

古家:ユ・ヘジンさんはジブリ好きだと存じ上げているのですが・・・

ユ・ヘジン:はい、宮崎駿監督とご一緒したいです。トトロ、紅の豚…。

古家:ご一緒したい俳優ですよね。

ユ・ヘジン: はい、今、ご一緒したい俳優さんの名前を挙げました(笑)。そして是枝裕和監督の作品もとても好きです。もしご一緒できたら光栄なことだと思います。

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古家:監督はいかがですか? この俳優を使ってみたいという方はいますか?

監督:本作においては監督を務めていますが、元々俳優をしています。最近『国宝』を観ました。すごく良かったです。李相日監督は私と同じ学校の1年後輩にあたります。ですから、李相日監督の作品にキャスティングされたら、ぜひ出演してみたいです。

古家:俳優としてご出演されたいということでございます。あとマスコミ的な質問になりますが、せっかく日本に来ているので、時間はあまりないと思いますが、ここに行ってみたいなと思うようなところがありましたら伺ってもいいですか。

カン・ハヌル:これもまた多いです。元々日本を旅行するのが好きなので、度々来ています。1番最近ですと、岐阜県の白川郷にも行きました。まだ行っていないところでは長野があります。長野にすごく行ってみたいです。

古家:長野県に! 美味しいお蕎麦をぜひ召し上がってほしいです。

カン・ハヌル: はい、わかりました。

古家: ユ・ヘジンさんは、ここ行きたいなというところありますか?

ユ・ヘジン: 昨日と一昨日、軽井沢に行ってきたのですが、温泉もすごくよかったですし、こじんまりとした町中を、ジョギングして走るような感じもとてもよかったです。駅で食べたうどんがほんとに美味しかったです。今回は軽井沢のことが大好きになりました。また、これから行きたいところに関しては、ゆっくり出てくると思うのですが、今回は軽井沢がなんといってもほんとによかったです。

古家:監督はいかがですか? もう何度か日本にいらしていると思うのですが。

監督:20年くらい前に浅草でお蕎麦屋さんに行ったらすごく美味しかったのを覚えています。ですから、明日か明後日浅草にお蕎麦を食べに行きたいと思っています。

古家:皆さん浅草で待っていないようにお願いします。 ここからは皆さんのフォトタイムです。携帯やスマートフォンのご準備をお願いします。 角度をつけて、3方向、それぞれ10秒ずつくらいの短い時間ではございますが、お声もかけてください。カッコいいとか・・・

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ヘジンオッパー ヘジナー と、ヘジンさん人気です。

古家:今日はスペシャル企画が設けられております。お三方と舞台上でハイタッチ会をいたします。 箱に列を書いた紙が入っております。代表してカン・ハヌルさんに選んでいただきます。

会場から歓声と共に、自分の列を叫ぶ声が飛びました。
腕を慣らし、一生懸命かき混ぜて箱から紙を選ぶカン・ハヌルさん。箱が壊れそうです。

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カン・ハヌル: Gです!

古家: G列です。G列の皆さん全員、これからステージにあがって、お三方とハイタッチしていただけるということです。握手やハグはできませんのでご了承ください。
G列の皆さん、おめでとうございます。

楽しそうにハイタッチに応じる三人でした。

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古家:G列の方、いかがでしたか? 手は柔らかかったですか? こんなハイタッチ会、初めてじゃないかと思います。ユ・ヘジンさんいかがでしたか?

ユ・ヘジン: 韓国でも公開に合わせて舞台挨拶はたくさんするのですが、このようなハイタッチをする文化は韓国にはないので、私にとっても初めての経験となりました。とても新鮮でした。

古家:このあとマスコミ向けのフォトセッションは残っているのですが、締めくくりの最後の言葉を観客の皆さんに向けてお願いします。

カン・ハヌル: 私達の映画『YADANG/ヤダン』が海を渡って、こうして日本の皆さんにお会いできてとても嬉しく思います。日本の皆さんも間違いなく楽しんでくださると思う、そんな作品です。今日映画を観ておもしろいと思ってくださったら、InstagramやLINEなどをやってらっしゃると思うので、友達や周りの方にどんどん広めていただけたらと思います。今日は劇場で観てくださってありがとうございました。

ユ・ヘジン:このように私達のことを温かく迎えてくださって、心から感謝申し上げます。皆さんの愛に応えられるのは、より良い演技で素敵な作品を皆さんにお届けすることだと思っています。そのためにこれからも一生懸命頑張りたいと思います。改めて皆さん新年の福をたくさん受け取ってください。そして、1年間元気でお過ごしください。ありがとうございました。

監督:皆さんの反応にとても感動を受けました。ありがとうございます。そして、あけましておめでとうございます。

最後にマスコミ向けフォトセッション

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客席を背景に中通路に立つ3人。
取材陣が舞台にあがっての撮影でした。
このあと、3人は観客の皆さんの方を向いて手を挙げて挨拶。
最初から最後まで、カン・ハヌルさんもユ・ヘジンさんも、客席のあちこちに目を配らせて、アイコンタクトしたり、手を振ったりと、観客にたっぷり寄り添った舞台挨拶でした。

◆大きなサイズの写真や、ここにあげなかった写真をFacebookのアルバムに掲載しています。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.1473867101407537&type=3

報告:景山咲子




YADANG/ヤダン  原題:야당(ヤダン 野党)
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監督:ファン・ビョングク
出演:カン・ハヌル(「イカゲーム」『ラブリセット 30日後、離婚します』『空と風と星の詩人 〜尹東柱の生涯〜』)、ユ・ヘジン(『破墓 パミョ』『タクシー運転手 約束は海を越えて』)、パク・ヘジュン(「夫婦の世界」『ソウルの春』)  

“ヤダン”とは、麻薬犯罪者から情報を引き出し、検察や警察に提供して司法取引を操る、闇のブローカー。
国家権力と裏社会の境界で暗躍する韓国に実在する存在。
イ・ガンス(カン・ハヌル)は、捜査当局へ情報を流す韓国麻薬界のキープレイヤー。冤罪で服役中に、検事ク・グァニ(ユ・ヘジン)から“ヤダン”の役割を持ちかけられ、麻薬犯と組織を密告することで減刑を約束される。ある日、次期大統領候補の息子チョ・フンが絡む麻薬事件に巻き込まれる。“ヤダン”イ・ガンスと検事ク・グァニの裏取引は、執念深い捜査で麻薬捜査界の“皇帝”と呼ばれるオ・サンジェも絡み、最悪の事態へと転がり落ちていく・・・
シネジャ作品紹介

配給:ショウゲート
公式サイト:https://yadang.jp/
★2026年1月9日(金)より、新宿バルト9ほか全国公開