『ちゃわんやのはなし―四百年の旅人―』のトークイベント付き特別試写会レポート

5月18日(土)(2024)よりポレポレ東中野、東京都写真美術館ホールほか全国順次公開されるドキュメンタリー作品『ちゃわんやのはなし―四百年の旅人―』のトークイベント付き特別試写会が、4月22日に東京四ツ谷にある駐日韓国文化院ハンマダンホールで行われました。この作品は、朝鮮半島をルーツに持つ薩摩焼の名跡・沈壽官家の420年以上にわたる歴史を背景に、日本と韓国における陶芸文化の発展と継承の道のりをひも解いたドキュメンタリーです。
フリーライター、ラジオパーソナリティなど多方面で活躍している武田砂鉄さんをゲストに、本作品、企画・プロデュースの李鳳宇(リ・ボンウ)さん、松倉大夏監督が出席しました。

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左から李鳳宇プロデューサー、松倉大夏監督、武田砂鉄さん 


*松倉大夏監督
2004年よりフリーランスの助監督としてTV・映画業界で活動。
『ちゃわんやのはなし―四百年の旅人―』が初監督作

*李鳳宇プロデューサー
製作や配給作『月はどっちに出ている』『パッチギ!』『フラガール』『健さん』『セバスチャン・サルガド』『あの日のオルガン』『誰も知らない』など
配給作『風の丘を越えてー西便制』『シュリ』『JSA』『殺人の追憶』など

『ちゃわんやのはなし―四百年の旅人―』
2023年/日本/日本語・韓国語/5.1ch/117分
作品紹介 公式HP
監督:松倉大夏
企画・プロデュース:李鳳宇
出演:十五代 沈壽官、十五代 坂倉新兵衛、十二代 渡仁、ほか
語り:小林薫
企画・製作・提供:スモモ
配給:マンシーズエンターテインメント
シネマジャーナルHP 作品紹介はこちら


★トークイベント

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*この作品を作ったきっかけ
武田砂鉄さん「配給会社さんから依頼があり、ポスターや作品紹介を読み、地味な映画かと思いましたが、観ていくうちに長い歴史とか、いろんな国や地域というものが重なり合い、なんで自分たちが今ここにいるのかとか、今ここにそのものがあるのか、蓋を開けてみればどんどん広くなっていったという感覚で、扉を開けたらそこにものすごく広い世界があった」と映画の感想を。

李プロデューサー「沈壽官さんとは20年くらい親交がありますが、この映画の話をしたのは4~5年前。沈さんは、最初はあまりやってほしくない感じでした。劇映画ばかり作ってきたけど、ちょうど高倉健さんのドキュメンタリー映画『健さん』を作った後だったので、『健さん』の次なんですよと言ったら、沈さんが「じゃあ俺もやろうかな」と言ってくれました」と、オファー時のエピソードを披露してくれました。

武田さん「司馬遼太郎の『トランス・ネーション』や『国家を超越していく』という言葉や考え方がこの映画の背骨になっていると思うが、企画の段階からそこに到達できそうな見込みはあったのでしょうか?」

李プロデューサー「僕は在日韓国人の2世で、『パッチギ!』とか『月はどっちに出ている』とか色々作ってきて、韓国、朝鮮との関わりみたいなことを考えたことは何度かあったけど、司馬さんの本に触れ、沈さんの物語を聞き、おそらくこの先100年とか200年とか経ったときに、在日韓国・朝鮮人という人たちはどうなっているのかの、そのひとつの答えのようなものが沈壽官家にあるんじゃないかと思う。そういった物語もなんとかいかしてほしいと監督にお願いしました」

松倉大夏監督「狭い尺度じゃなくて広い尺度で歴史を捉えないといけないと念頭に置いて、沈壽官家のドキュメンタリーを撮りたいと思いました」
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武田さん「司馬さんの言葉でもう一つ、強い日本人ということでなくて、強く日本人であるということばを大切にされていて、この言葉というのは個々に受け止め方は違うでしょうけど、ともすれば強い日本人というのは、いかに鍵括弧つきの日本を愛せるかとか、ほかの別のところから来る脅威から守れるかという、強い日本ということになっている。それは大きな間違いだと思うのですが、強く『日本人である』というのは、ともすれば今この日本がどういう国で、どういう場所であるかっていうことを、疑うとか、批判するとか、監視するっていう、その視点っていうのはすごく必要だなって思うんですよね。そのときにやはり監督がおっしゃったような、なんで今この歴史、ここにたどり着いているのかってことを考えたときに、先の戦争だけじゃなくて、もっと長いスパンでこう歴史をみていく、その視野を持つっていうのはすごく大事なことだなと改めて思った」と、この映画に対して印象を述べました。

ラストシーンについて

武田さん「エンドロールが終わったあとのあのシーンというのは印象的でしたね。あれは思い入れがあったのですか?」

松倉監督「あれはどうしても使いたいと思って編集していました。あの神社に行った時、蝶が飛んでいるのをみて、沈さんの親への気持ちというものを表現するのにどうしても使いたいなと思っていたのですが、流れの中には入らなくて。なので、一番最後に入れるのがいいのではないかと話し合い、そういう結論に達しました」
「鹿児島での先行上映の時にもお客さまからさまざまな箇所に言及してもらいました。いろいろな感想を持てる映画になったと思うので、SNSでも感想をあげて、ぜひ広めていただきたい」と呼びかけ、イベントは終了。

*トランス・ネーション 司馬遼太郎の造語
「いまの日本人に必要なのは、トランス・ネーションということです。韓国・中国人の心がわかる。同時に強く日本人である、ということです。」「真の愛国は、トランス・ネーションの中にうまれます」
トランス・ネーションとは、司馬の造語。トランスは変圧器。異なる電圧を変換して、生活に役立てるのがトランス。双方を繋ぐ役。司馬さんは橋渡し役をというような意味で言ったのでしょうか。

『ちゃわんやのはなし―四百年の旅人―』は東京のポレポレ東中野、東京都写真美術館ホールほか全国で順次ロードショー。

文:宮崎暁美 撮影:景山咲子

『青春ジャック 止められるか、俺たちを2』井上淳一監督インタビュー

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*プロフィール*井上淳一 監督・脚本
1965年生まれ。愛知県犬山市出身。早稲田大学卒。在学中より若松孝二監督に師事し、若松プロダクションで助監督を務める。1990年監督デビュー。
主な脚本作品『男たちの大和』『パートナーズ』『アジアの純真』『あいときぼうのまち』『止められるか、俺たちを』『REVOLUTION+1』『福田村事件』
監督作品『戦争と一人の女』『いきもののきろく』『大地を受け継ぐ』『誰がために憲法はある』

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『青春ジャック 止められるか、俺たちを2』
1980年代、若松孝二が名古屋に作ったミニシアター“シネマスコーレ”。
映画と映画館に魅せられた若者たちの青春群像劇。
http://www.wakamatsukoji.org/seishunjack/
©️若松プロダクション
作品紹介はこちら
*ほぼ書き起こし。ラストにも言及していますので気になる方は鑑賞後にお読みください。

―井上監督ずっとお忙しかったですね。飛び回っているという感じです。

それまでがヒマな人生だったので(笑)、還暦手前で少し取り戻しています。

―公式ブック(¥1000)がすごく充実していて、こんなに書いてあるのに、ほかに何を聞けばいいのか困っています。書かれていないこと…。

書いてないことは喋っちゃいけないことなんですよ(笑)。

―それはそうですね(笑)。淳一少年可愛いかったですね。

ありがとうございます。あれは杉田雷麟(らいる)くんが可愛いんです。

―井浦新さんは続投で、新しく杉田雷麟(らいる)くん、東出昌大さん、芋生悠(いもうはるか)さんといいキャスティングですよね。芋生さん演じる金本さんの存在がすごく大きいと思いました。
金本さんの元になる女性はいたんでしょうか?


いないです。単純に映画を作るときに、ジェンダーバランスとかじゃなく物語のバランスとして女性が要るじゃないですか。実名でやるときに、当時の彼女を実名で出すわけにいかない。いくらなんでも。なおかつそんなままごとみたいな恋愛は面白くない。誰か作ろうと。
厳密に言えば男社会なので、あのころはシネマスコーレのバイトすら、最初は女性いないんですよ。10年後くらいに来たのが李相美(イサンミ)さん。彼女が最初に「本名で働いていいですか」と言ったという話を聞いてて、やるなら「在日」にしようと。
いつもこうやって社会的なことをちょっと入れたがる、やりたがるんで、僕は。

―それで左翼って言われちゃうんですね。

そう、左翼って言われる(笑)。最近は反日って言われてますから。でも、荒井晴彦さん曰く、「反日は最低限のたしなみ」ですから(笑)。
で、「指紋押捺」のことを入れようと、そっちが先でした。愛知県って在日の人がわりと多いんですよ。戦時中に航空機産業が多かったから。犬山市の僕の小学校のクラスで4人くらいいて、在日も何も全然気づかないんです。通名ですし。それが中学になって大きくなると、「あいつ在日だよ」みたいなことになってきて。16歳になったら机並べていた奴があんなこと(指紋押捺)やらされているわけじゃないですか。そんなことすらも知らなかった。
指紋押捺のことを知ったときも、自分は無関心だったなと。あのころ姜尚中(カン サンジュン)さんが指紋押捺拒否闘争をしてたんですよね。フィクションの人物を作るならそういうことをやろうと。
もう一つは、僕たちは「男」だという、高~い下駄を履いていたことを、ほんとについ最近まで知らなかった。言っちゃえば「いいな、女の方が得だ」みたいに思っていたくらい。
金本という「女性」の存在で、自分を含めた男たちを相対化したい。あの頃なんて、衣裳メイク、スクリプター、編集助手くらいにしか女性はいなかったんで、それはやりたいと思った。

―金本さんがいることで広がって、深まったと思います。

この映画は金本の物語なんですよね。彼女だけが変わるし。淳一はわずかな変化(笑)。人が変わることが映画なんで、当然みんな変わる。でも、2時間くらいの物語で、人ってそんなに大きく変わらないんじゃないかと常々思っていて。今回は立ち位置が5ミリくらい変わっていたということを図らずも描けたんじゃないかと思っています。

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―金本さんと淳一くんがいて、ラブはないけど対立があります。
そして若松さんと木全さんという大人がいてくれます。新さん、見た目似ていないのにどんどん若松監督に見えてきました。


前のときは、どこかものまね感があったんですよ。それは実年齢より10歳若い若松さんだし、全員が知らない時代の若松さんってこともあった。あの若い衆とも年が10歳しか離れていない兄貴分の若松さん。はじめて若松さんを演じるプレッシャーもあっただろうし。
今回は2回目だってこともあるし、新さんが実年齢の若松さんと全く同じ、48、49。しかも新さんのあの座長体質というかね。あの感じが父と子、疑似親子になっているんで。そういうことも全部良いように作用していたんじゃないですかね。

―若松監督ってとにかく弟子希望者がいっぱいいる人なんですね。人が集まってくる。

集まってくるし、「俺が手を汚す」(若松さんの自伝)の中でとか「こんなに監督デビューさせてやったんだ」って言ってるから、なんかみんな騙されるんですよ(笑)。「あ、俺もなれるんじゃないか」って。あのころはにっかつしか助監督採用していなかったんで。
映画の中にあるように、ピンクと自主映画から才能が出て来たっていうのは実はそこしかパイがなかったから。にっかつに行ったって年に一人か二人しかデビューできない。何年かかるの?みたいな世界です。

―テレビはまた違いますしね、やっぱり映画撮りたいんですよね。
名画座をやりたい木全さんが、何度も危機に瀕しながらなんとか持ちこたえました。


ほんとですよ。今日がシネマスコーレの41周年なんです。開館記念日なんです。

―41周年!書いておかなくちゃ。2月19日。

ああやって、東京でもミニシアターができてきて、当時はまだミニシアターって言葉はなくて、単館系とか言ってたけど、地方でブロックブッキングからはみ出た映画の受け皿になったり、中国映画やインディーズの映画が上映できるようになった。

―「届けたい」と監督はおっしゃいますよね。

それが「届く人にも届かない」んですよ。残念ながら。だから”せめて”届けたい。この映画はともかく、今までの憲法とか福島の映画って、9条なくすなとか原発反対という人にしか届いてないんです。本当に届けたい人は、実は違うわけじゃないですか。本当は憲法や原発なんか興味がないって人に届けたい。届く人っていうのは届けたい人ではないんですね、これが。
この映画も、やっぱり一番にはかつての井上みたいな若い人に観てほしいけど、なかなかそういかない。ジレンマとの闘いです。どうやったら届くのか、映画を作って宣伝するたびに同じことを思いますけど。

―実在の人を描いたと知ると、このエピソードはどこまでほんとにあったんだろうと、つい思ってしまいます。

木全さんは80%ほんとと言ってますけど(笑)。「早稲田の名前をとっとけ」はほんと。新幹線も乗ったんですけど、一人ではなかった。高校の2年先輩でけっこう影響を受けた人と一緒だったんです。映像をやりたいと東京の専門学校へ行ってたのが、ちょうど夏休みで帰ってきていた。若松監督に弟子にしてくださいと言って、一緒に飯食って、これから監督は終電で東京に戻るところだと知ったら、「じゃ、今から俺も新幹線で東京に帰る」というわけですよ。それ、ズルいじゃないですか、僕が声かけて道を開いたのに2時間も一緒に乗っていくのかよって。それで、僕も一緒に付いて行こうと思った。先輩のところに泊まればいいし。

―監督は先輩が行くと言わなかったら乗らなかったんですか?

うんそれはさすがにね。どこかに気持ちはあった。弟子にしてくださいと言っても、それだけじゃそこらにいる映画青年だとは思ったんですよ。若松さんも慣れているからうまくあしらう。
乗っていって映画のフレームを手でやってくれたのは、その後若松さんにずっとつきあってても、2度とそういうことはなかった。多分サービスだったんですよ、あれは。なんかついてきちゃったしみたいな。

―弟子になる前の子ですし。若松監督優しいですね。

優しいんですよ。ついてこられたら困る、みたいなことはあったかもしれないけど。「うちは給料払えないけれども、4年ちゃんと大学に」というのは、めちゃめちゃなように見えて、全然そうじゃなかったですから。
いつも言っているけど、「父親未満師匠以上」だったんですよ。その時、入場券で入って、それで乗ったんですけど、最後は東京駅で「それで出てこれたら弟子にしてやるよ」と言って自分だけ降りていきましたけど。本当についてこられたら困ると思ったんだと思います。そこまで書いてたんですけど、キセルの話をやると、新幹線が借りられなくなるからと泣く泣くカットしたという。

―今は天国の師匠ですね。おいくつで亡くなられたんでしたっけ?

1936年生まれで2012年だから、76歳。荒井さんがこないだ喜寿の会をやって、あんなに元気だから。
若松さんまだ撮れたのに、と思いますけどね。

―監督も若松さんのお年までまだまだですよ。会えるときには「これだけ撮ったよ」って持っていかなきゃ。

ほんと。「お前、どれだけ俺で商売したんだ」って絶対言います(笑)。

―おかげ様でたくさんの人が育って、亡くなったあともこんなに力になってくれて。

なかなか幸運ですよね。毎年毎年命日には上映会やったり、実名で2本も映画作られる監督ってそうはいませんから。

―稀有な人ですね。パワーがいつまでも残っているようで。

また、僕たちが安く作るんで。普通ならこれ通らないです。たとえば大島プロとか、東映とかで何かやろうとしたら2億3億です。我々は1千万とか2千万でやりますから、それも大きいんだと思うんです。

―だから集まってくる方がいますよね、手伝わなきゃ、助けなくちゃって。

と思います。でも甘えちゃダメなんですけどね。ずっと甘えて…新さんに「甘えるのもこれが最後ですよ」って公式ブックに書かれてしまいました(笑)。

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―公式ブックのスタッフさんの対談が面白かったです。知らないうちにいろんなところで助けられていたってことですね。どうやってお返ししていきましょう?

ほんとに。
いつも大きいやつを、ちゃんとしたギャラでと思うんですけど。編集の蛭田さんなんて、ずーっと安いギャラでやり続けているんですよ。

―ご本人が楽しくて納得してやってくださるんでしょうか。作品があたって収入が入れば、バックできるんですか?

インセンティブ契約していないんで難しいことは難しいんですよ。だいたいそこまで儲からない。やれるとしたら受賞したときに分けるとか。めちゃめちゃ安くやってもらっているので、やりたいんです。『カメラを止めるな』みたいなことが起こればいいけど。
(ここでいろいろ具体的な数字が出てきて、台所事情はほんとに厳しいと知りました)

―プロデューサーをするともっとシビアにきますね。

実際今までプロデューサークレジットしてないだけで、みんなやってますからね。ただ僕は予算管理ができない。
「10万では厳しい、あと5万」とか言われると「じゃ仕方ないなあ」と言っちゃうタイプなんです。でもそれやったら我々の低予算では絶対できないんですよ。片嶋一貴(プロデューサー)がすごいのは、絶っ対に譲らないんです、そこを。だからギャラを払ったとしたって、片嶋さんに頼んだほうがいい。僕はもう一番向かないんです(笑)。

―あ、なんかわかるような気が(笑)、可愛がられてお金の心配しないで育ったぼんぼんで。

片嶋さんだってぼんぼんなんですよ~。
若松さんのお金の管理を一番学んでいるのは片嶋さんです。間違いなく。
横で聞いててひどいこと言うなって思います(笑)。

―若松監督はそんなにお金に厳しかったんですか?あ、毎日売り上げの報告していました!

厳しいもなにもお金のことしか考えてない(笑)。それが最優先。
やっぱり自分でやってわかるんですけど、僕たちはせいぜい3,4年に1本。『福田村事件』からは続きましたけど。
それを若松さんはあんな風に、年に何本もやって、人にも撮らせて。それだけお金にシビアじゃないとできないんですよ。

―監督だけやればいい、ってわけじゃなかったんですね。

そう、全部。あの人こそ全部やったんです。車だって自分で運転してますからね、現場で。監督は少しでも休みたいわけですよ。その分、映画観ないし、本読みませんが(笑)。

―若松監督の映画は自分の中から湧いてくるんでしょうか?

それこそ何か起こったときに「自分なら」という野生の勘がある。
足立さんや僕たちが言ったことをピッと「いいとこどり」するその勘はものすごい。
『トラック野郎』(鈴木則文監督)の中で、マルキ・ド・サドの「サド」のことを、星桃次郎(菅原文太)が「佐渡」だと思うシーンがあるんですけど、あれ若松さんもほんとに思ってましたからね。「佐渡」って(笑)。
僕は若松さんと出会ってから『トラック野郎』を観て、ああトラック野郎、若松さんと同じだなあと思いました(笑)。

―詳しいところと知らないところと差があるんですね。

だけど、ほんとに知らないことは知らないって言う人だったし、全然カッコつけない。僕たちになんでも聞いたし、フラットでした。

―偉ぶらない。怒鳴るけど(笑)。映画の中で、淳一くんずいぶん怒鳴られていました。

怒鳴られてました。ただ、事実かどうかを言えば、河合塾の映画のときはあんな怒鳴らずに粛々と自分で監督やっていました。何も言わずに(笑)。こないだ僕の半年後に入った助監督が、映画やめて今アイドルビデオ撮ってるんですが、観て「身につまされすぎて・・・」って。
僕は「オーライ、オーライ」って電信柱にぶつけましたけど、そいつはロケによく使われる渋谷のホテルで「オーライ、オーライ」ってやったら出て行く途中のベンツにぶつけたんです。そしたら、出て来たのは京本政樹だったという。若松さん怒った怒った。ベンツがガシャってへこんでね。
今、白石(和彌監督)がよく言ってるのは、若松さんが「原田芳雄さんに怒れないから、助監督を怒って現場をしめたり、何かを伝えようとしていたけど、それはパワハラですよね」。でも彼も僕も若松さんにされたことをたぶん一度もパワハラだと思っていないんです。この映画で一番心配しているのは、パワハラ肯定だと思われたらいやだな、ってことです。井上というサバイバーが、懐かしんでる・・・。

―私は全然そうは思いませんでした。思う人もいるかもですが。

僕も思ってない。僕たちは残っているけど、志半ばで辞めた人が大多数なわけです。経済に負けたりはしていくんだけど、怒鳴られて辞めたってことはない、たぶん。
この何年かパワハラに敏感だったじゃないですか。でも、この映画ではそう思う人は少ない。それはなんだったのかなってことを考えてもらえればと思います。
よく「パワハラかパワハラじゃないかは愛があるかないかだ」って言われるけど、僕はそういうこと言われると、ちょっと待って待って!「愛の便利使い」するなよって。
だけどやっぱりあの若松さんの何かではあるわけですよ。あの人は怒鳴るのは現場だけで、普段は、僕たちにメシとってくれたり、作ったり。人が美味しいって言ってくれるの好きだし。最上級の人たらしなんですよ。

―お料理して食べさせてくれるんですか。

するんですよ、何でも。外で食べると高いから(笑)。
その辺は徹底してる。

―木全支配人がロケのときに温かいものを食べさせたかったっていうのと通じますね。

気持ちは一緒なんですよ。安くてもちゃんと美味しくて温かいものをっていう。木全さんは作らないけど。スコーレの隣の弁当屋さんからケータリングみたいに出してもらって、みんなに食べろ食べろと言って、芋生さんと僕の分が残ってないときがあったんです。
僕が福田村のプロデューサーだったときに弁当食べていたら、普段何も言わない片嶋さんが「井上、プロデューサーは一番最後に食べるもんだ」って言ったんですよ。足りなくなるといけないからって。
木全さんはそういうところ全く関係なくて(笑)。僕も言いましたけどね、木全さんに。そしたら「ああ、わかったわかった」って。次の日、見てたら最初のほうで食べてた(笑)。

―悪気はないんですね。

ほんとに全然悪気はない(笑)。若松さんとのお金のやりとりをしてると、みんなおかしくなるんですよ。めちゃくちゃシビアだから。木全さんは30年もそれをやってきた。そういう人だからできたんですよ。
ミニシアターの支配人って意外とそういう人が多いんですよ。ぽよ~んとしている。だってお金のことにシビアになっていたらできないもの。木全さんはその一番の親分みたいな人でぼや~っとしてる(笑)。

―何度かお目にかかりましたが、いつもニコニコしていて木全さんって怒ることあるのでしょうか?

あの人が怒るときはよっぽどですよ。
それを東出さんが見事に演じてくれたので、ほんとにありがたかったです。東出さんをよく見てるとあの無防備さを含めて似ている。東出さんは優しくて無防備なのでモテちゃうんです。「福田村」も助けてもらいましたし、またもう一回がっつりとやりたかったんです。東出さんの本質みたいなものと、これは木全さんに合うんじゃないかとどこかで思っていましたね。

―ほわほわ~っとした木全さん役は、いつものカッコいい役とは違う東出さんでした。

最初は主役だったんです。自分の話をやるつもりはなかったんで。
木全さんに対立と葛藤がないので話を作れなかったんですよ。そう言うと最近文句言うんですけどね。「対立と葛藤がない」んじゃなくて、「対立しないし、葛藤しないんだ」って。若松さんといちいちバトラないので作れないんですよ。しょうがないから井上話を。

―サブのつもりだったんですね。こちらは「対立と葛藤」がある。

そしたら東出さんはだんだん主役ではなくなって、どこか「触媒」のような形になった。これはもし、事務所が入っていたら「約束が違うじゃないか」ってなったと思うんですよ。実際に東出さんが名古屋に撮影の3日前に来て、木全さんにずーっと聞き続けるわけです。「木全さんそう言いながら怒るときあるでしょう?」って。でも、木全さん、「ないよないよ、そんなこと~。時間の無駄だし」としか言わなくて、挙げ句に「こんな役やったことないでしょ~。得するよ~」みたいな。。
そんな中で、東出さんが「これはちゃんと触媒のほうをやろう」とモードチェンジしてくれたんでね。正直言うと名古屋に来て「シネマスコーレで一日働きます」って言ったのに、来なかったんですよ。そのときは東出さん降りるんじゃないかと思いましたが、でも全然そんなことはなく。
俳優部全員に「名古屋弁でやらなくていい」って言ってたんですよ。なぜかと言うと名古屋が舞台の映画『そばかす』(22)で、名古屋弁が名古屋弁に聞こえなかった。方言指導もあったと思うんですけど、イントネーションが全然違う。それだったらやめようと思って。
誰かが聞いたらしいけど「標準語で覚えてきたけど、木全さんに会ったら標準語だと木全さんにならない」と言ってたんで、たぶん来なかった一日で全部名古屋弁に入れ直したんですよ、間違いなく。
方言指導もいないし、テープもないのによくやったなと思って。

―名古屋弁をどこで勉強されたんでしょう?

もうね、不思議なんですよ。木全さんにだって、撮影3日前のそこでしか会っていなくて、『シネマスコーレを解剖する』ってドキュメンタリーしか観ていないのに、あそこまで特徴をとらえている。

―姿勢も、猫背になってて。

オーラ消して。現場に新さんと二人いるとみんな「新さんカッコいい!」になるわけです。新さんは若松さんだからオーラ全開でいってるから。だから役者ってすげぇなって。

―スイッチのON/OFF自在なんですね。新さんも若松さんでなければオーラ消すんでしょうね。

と思います。「福田村」のときはまた違う。どっちかと言えば東出さんの方がオーラ全開だった。あれはエロエロだから。それは、芋生さんと雷麟くんも、うちの地元で上映会やったときに来てくれて、スコーレのボランティアスタッフが二人を見て「えっ、こんなにオーラ全開!」ってみんなが驚いていましたから(笑)。舞台挨拶のオーラ出すモード。撮影のときは井上と金本だしオーラ消してた。すごいですよ、あの人たちは。

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―キャストが多いですね。

一個は福田村チームです。重なってる。それは福田村が非常に悲惨な現場で…悲惨だったんですよ、低予算で。最後のほうになって、僕が「新さんと東出さんと雷麟くんで(次の作品を)やる」って話が広まったら(田中)麗奈さんが「井上監督の現場見たい」と言うので、「見に来たら、出てくださいって言っちゃいますよ」って冗談めかして言っていた(笑)。コムアイさんも相応しい役がないんで「音楽やってください」「音楽はできないけど出してください」って、それで木全さんの奥さん役に。それがまず一個。
竹中(直人)さんは、夏に石井隆さんの追悼上映でシネマスコーレに行ったんですよ。木全さんに「絶対口説いてください。昔と同じ役です」。木全さんが口説いた。ただ片嶋さんがマネージャーにギャラの数字を「何かの間違いでは?」って言われたらしいですよ。

―ゼロの数が(笑)? それでも出てくださったんですね。

そう。(田口)トモロヲさんは岡留(安則)さん(噂の真相編集長)。ドラマ「不適切にもほどがある」を見てたら、いろんな小道具をちゃんと出すわけです、作りこんで。低予算の僕たちはできないので、人とか名前で行くしかない。岡留さんは、実際にあの飲み屋にいた人だったので書いた。誰にしようと思って「トモロヲさん」。事務所の社長が、高校の先輩なんですよ。しかもなんと教育実習で母校に来た時に僕は生徒だったんですよ。ちゃんと教育実習日記に書かれていて僕のクラスだったのがわかりました。その高校も撮影で使わせてもらえました。
トモロヲさんは、書いてもいいと思うんですけど木全さんがギャラをお渡ししたときに、「これ井上君にカンパだから」って。いったい俺たちの現場はどう思われているのかと。

―ベテランの方はわかるのかも。

ありがたいですね。あと、BoBA(田中要次)さんは、シネマスコーレ組なんです。僕が若松さんと一緒に忘年会に行くと「僕国鉄の職員なんですけど、俳優やりたいんです。原田芳雄さんが好きで、東京に行きたいんです」と若松さんに挨拶していました。 **国鉄分割民営化1987年

―国鉄職員だったんですか。ものわかりのいい「お父さん」役で。
(実の)お父さんは今だにものわかりよくて、ずっと応援してくれているんですよね。


はい、今だに。淳一のあの実家はうちですし、メイクルームとしても使ってるし、こないだの上映会では近所にチケット100枚近く売ってるし。あの親なくして、いまの僕はありえない。

―お父さん嬉しかったでしょうね。

いろんなところに書いてますけど、「お母さんが生きてたら」ってずっと言ってます。
お母さん役の有森(也実)さんは――うちの母親は松平健がすごく好きで、2011年に御園座で「暴れん坊将軍」をやったときに有森さんがヒロインで出ていたんです。チケットを頼んだらすごくいい席をとってくださった。終わって楽屋に伺ったら、ガウン着た有森さんにカステラやコーヒーご馳走になりました。うちの母親はいたく感激したわけですよ。しかもパンフレットに松平健のサインをもらってくれたりとか。
ちなみに母の妹、叔母はそのサインを見て「高いサインだったね」(笑)。今までこの子にかかったお金がこのサインで戻ってきたって(笑)。
母親なんて誰がやっても不満じゃないですか、どうしようかと迷って「あ、うちの母親が唯一会ったことのある人」にしよう、と有森さんに頼んだらOKでした。
『Single8』(2023/小中和哉監督)でもお母さん役でワンシーンだけ出てきます。有森さん2年続けて実在のお母さん演じているんですよ。有森さん、いいんですよね。ある種の気風の良さ、微妙な尾張弁がすごくいいんです。誰がやっても不満なんてとんでもない。有森さんにやってもらえて良かった。

―尾張弁使える方なんですか?

いやいや。尾張弁は衣装合わせのときに「井上さん吹き込んで」ってテープ渡されて僕が吹き込みました。

―犬山と名古屋のことばはちょっと違いますか?

若干違いますね。岐阜が近くなってきますから。木全さんは大学時代京都で過ごしているから(同志社大学卒)関西弁がちょっと混じっているんです。純粋な名古屋弁ではないです。でもあれが木全さんなんです。

―それを東出さんがちゃんと再現しているという。

びっくりしましたね。これもいろんなところで言っているけど、2日目くらいに木全さんになったなと思ったことがあったんですよ。木全さんに「そっくりでしょ?」って言ったら(ふり真似して)「いやいや、俺はあんなに手なんか動かしとらん」(笑)。

―やりながら(笑)。

まわりが全員「やっとるやろ」ってツッコんだ(笑)。前に「方言テープ吹き込んでよ」って言ったら「俺は名古屋弁喋っとらんて」ってめちゃめちゃ名古屋弁で。

―楽しそうで、こそっと撮影中を覗きたかったです。

面白かったですよ。新さんの若松さんなんだけど、なんか若松組みたいな雰囲気もあったし――本番中に新さんが「井上!」って言って僕が「はい!」と返事したんです(笑)。
みんな本番中なのに笑ってて、僕は「なにを笑うんだろう?」「井上さんが返事したんですよ」って。

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―そして、井浦さん本人が出てきますよね。

はい、それはやろうと思っていました。いろんなインタビューで初めて聞かれました。これ。

―え、だって聞きたいですよ。

だから、びっくり、です。なんで誰も聞かないんだろうって思ってた。
これは不思議なわけですよ。木全さんがいて東出さんがいて、僕がいて雷麟くんがいて、新さんは若松さんを演じている。これは、どっかでこの映画の「入れ子構造」をやりたいなと思って、新さんも面白がってくれて。ただやっぱりしんどいって言ってましたよ。あの日のことを思い出さなきゃいけないから。

―あれは順撮りで最後に撮ったんですか?

いや、違います。撮影は12日間しかありませんが、ケツから3日目。いや4日目。
砂丘で話すのは最終日でした。その砂丘からが大問題だったんですよ。
編集してテンカラットって新さんの事務所で、みんないる中でラッシュを見たら、ほぼほぼ全員が砂丘以降「切れ!」って言ったんですよ。細谷さんなんて「宣伝お願いします」って観たときに「切ったらやる」みたいなこと言ったんですよ。(細谷さん「切ると思います」だったと訂正)
そこまでは誰も何も言わずに、あそこを切る切らないだけが繰り返しずっとみんなで議論され続けた映画だった。
公式ブックに入ってるシナリオには書いてあるんですけど、追悼上映会で木全さんの横に若松さんが立って以降、まだあったんですよ。あそこでカットの声がかかって、そうすると撮影クルーがいるのが分かる。で、クランクアップになって、僕が若松さんと抱き合うという。撮影ではちょっとグッときちゃったんですけど、その後、シネマスコーレの表になって、みんなで記念撮影になる。と、そこにかつての淳一みたいな少女が来て「弟子にしてください」と。そうやって続いていくというシーンがあったんです。その子も良かったんですけど、さすがにそれは切りました。
でも、みんな、それだけじゃ満足しない。砂丘以降切れの声はかなり大きかったです。

―今もですか?

今も言う人は――プロほど言いますね。「やっぱり要らない」って。
ただあそこで終わるとね、もしかしたら「よくできた青春映画」と言われるかもしれない、もしくは「かなりよくできた青春映画」と言われたとしても、小品だと思う。何かそこにフックを残したいなと思ったんです。
恥ずかしいですけど、僕は猫をたくさん飼ってきて、母が死んだときに、猫たちがいっぱい死んで”喪失慣れ”してたんですよ。あれだけ可愛がったものも死んだら会えなくなる、これも恥ずかしいけど「僕が死んだら会えるね」って思ったりするじゃないですか。そこのところで、死んだ誰かがいつも見守っていると思うというか…。
この映画を若松さんだったらどう思うか、とずっと思うわけで、そういうことはちょっとやってもいいかな、と思ったの。これは実名の作品でしかできないだろうと。
だから、白石が〈映画芸術〉に書いちゃったけど、1作目のラストは亡くなった若松さんが先に亡くなっためぐみに会う。二人が歩いて行くラストだったんですけど、白石がホンの段階で「絶対やめよう!」って(笑)。で、今回は残しました。
マーベルとかがそういうことを平気でやっているから、意外とみんなが反発するものではないと思う。たくさんの人が観てくれるとあそこで泣いたと言う人もいるし。でもそれまでは反対派ばっかり。9:1で反対だったら、僕もさすがに切るけど体感では6:4。だから残すと言ったけど、ほんとは8:2だった(笑)。でも、今は3:7くらいな感じですよ。

―今日はありがとうございました。

ピンク映画について
最初に若松さんが「ピンク映画は終わりだ」って言ってるシーンから言うと。
若松さんの感覚の中では、「自分がやっていた社会的なことはできなくなったんだ」ってことだと思うんですよ。もっと言うなら、それを足立さんみたいにうまく取り入れてくれる人もいなくなっちゃったしね。それで若松さんの中では終わってたんですけど、それとは別に、廣木(隆一)さんや滝田(洋二郎)さんのような才能がぐわーって出て来た。そこしか開かれてなかったから。
AV(アダルトビデオ)でヒットした代々木忠は、ビデオ撮りのを、キネコ(フィルムに変換)にしてやってたんです。それはドラマじゃない。AVをスクリーンでやっているだけ。
にっかつも同じような道をたどって消滅するんです。ピンクはよくわかんないけどまたゆり戻す。名画座もレンタルビデオで苦しかったけれど、一番打撃を受けたのはピンクとロマンポルノと思いますよ。AVでリアルにやってるから余分なドラマ観なくて済む、みたいな。家に帰ってそこだけ早送りすればいいみたいな。そこを映画がまねしちゃったんですよ。


(取材:白石映子)

Cinema at Sea 沖縄環太平洋国際フィルムフェスティバル 『ロンリー・エイティーン』トレイシー・チョイ監督インタビュー

2023年11月29日(水)那覇市内インタビュールームにて

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昨年2023年11月に開催された第1回Cinema at Sea 沖縄環太平洋国際フィルムフェスティバルのコンペティション参加作品『ロンリー・エイティーン』は、ベテラン女優であるアイリーン・ワン(温碧霞)がプロデューサーを務め、彼女の指名によりマカオ出身のトレイシー・チョイ監督により映像化されました。ヒロインは、国民党兵の落人村として知られる香港・調景嶺で育ち、親友とともに貧しさから逃れるように香港芸能界に身を投じます。作中では、芸能界で遭遇する性搾取、ヒロインと国民党軍の士官であった父との確執などが描かれます。
アフタートーク付き上映の2日後11月29日に、トレイシー・チョイ監督にお時間をいただき単独インタビューを行いました。アフタートークではお聞きしきれなかったマカオのこと、業界における性搾取について現状をどうとらえているかといったお話もうかがいました。アフタートークのレポートとあわせてお読みください。

*プロフィール*
トレイシー・チョイ(徐欣羨)監督
マカオ出身。台湾の世新大学と香港演芸学院で映画を学ぶ。処女長編『姉妹関係』(2016)は2017年の大阪アジアン映画祭コンペティション部門で上映されており、マカオ国際映画祭(澳門国際影展、略称IFFAM)のコンペティション部門でマカオ観客賞を受賞したほか、香港電影金像奬にもノミネートされた。『ロンリー・エイティーン』では2022年のマカオ国際ムービー・フェスティバル(澳門国際電影節、略称MIMF)で最優秀新鋭監督賞を受賞している。

―映画祭カタログにはマカオでも撮られていると書かれてありますが、映画自体は香港の物語ですね? ヒロインの故郷の調景嶺のシーンをマカオで撮ったのでしょうか?

監督:全部香港で撮りました。撮影当時はコロナ禍真っ只中で、最初は80年代のある風景はマカオで撮る予定でした。ですが、コロナの関係でマカオと香港も自由に行き来できなくなってしまったのです。どうしてもマカオで撮る場合、我々クルー全員が14日間隔離されなければなりません。それは非現実的だったので、仕方なく全て香港で撮るというプランに変わりました。

―監督はアイリーン・ワンさんからの御指名ということでしたが、指名されてどう感じましたか?

監督:驚きがいちばん大きかったです。新人監督は、私だけではなく往々にして自分にまつわるストーリーや自分の興味関心を撮ろうという方向に行きがちです。でも、そうではない。この作品というお題を与えられ、挑戦のしがいがありました。アイリーンさんの実際の体験のなかにいかに自分を融合させていくか挑戦的でした。

―全体の何割くらいをアイリーンさんの実際のことだったと受け止めればよいでしょうか?

監督:うーん……本当に幼少期は彼女の実話に基づいているのですけど、少女が二人出てくるところからその年代を生きた女性たちの共通性を描きたかったので、彼女自身の個の体験から離れていって、結婚して旦那さんとの絡みに関しては彼女の現実的な結婚生活とは程遠いものになっていますね。ただお父さんへの思い、お父さんとの対話・交流に関しては実際の状況をかなり反映しています。

―もしかすると監督が生まれる前のことを描かれたのではないかと思いますけど、いろいろリサーチとかも必要だったのではないですか?

監督:自分が生まれていない時代のパートに関してはかなり時間を要しました。アイリーン・ワンさんの過去作はもう一度じっくり拝見しました。もちろん古い香港の映画はこれまでにも観ていましたけど、意識的に観たことはなかったのです。まず、その当時、彼女が言うように他の俳優の方々も不本意ながらもそういったセクシャルなシーンを演じないといけなかったということについて、どういった形で作品化していったのか。時代を経た今振り返って、そのクオリティや質感をチェックしたりしました。あとは、やはりアイリーンさんのお父さんが暮らす村の部分がすごく特殊な場所なので、そこに関するリサーチ、そしてドキュメンタリー映画なども観ました。フィールドリサーチは入念にしたつもりです。

―その地区は、マカオとはかなり環境が違いましたか?

監督:調景嶺というアイリーンさんのお父さんの暮らす香港のその場所は、本来は国民党と一緒に台湾に撤退する人たちが逃げ遅れて留まってしまった場所です。彼らはいつか迎えが来ると期待を抱いていました。けれど、結局いつまで経っても迎えは来ませんでした。人々(国民党)に忘れられた場所、捨てられた場所という意味ではマカオとは違う文脈の場所だと思います。

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―エンタメ業界の性搾取の問題が出てきます。そうしたことは、まだ残っていると思われますか?

監督:改善はされていると思います。香港の以前の状況は、地元のマフィアとの関係という理由がありました。当時は映画産業で働いている女性が少なく、体制や仕組みなど女優を守ってあげられる環境になかったと思うのです。今は――私も女性だからかもしれないのですが、多くの新人監督たちがそういうセクシャルなシーンを撮るときなどに気を付けているのは、やはり女優がちゃんと納得した形で進めるために事前のディスカッションで調整をして、心地よい環境で進められるよう配慮しています。以前はプロデューサーや監督が「僕はこう撮りたいからこうしなさい」とトップダウン的で、今とはかなり違うようです。そういった点は改善していると思います。
香港映画の全盛期80~90年代に、香港映画が世界で一大ブームとなったのはアクション映画、カンフー映画だったと思います。男性主導の映画が多くて、女性はどちらかというと引き立て役、中国語で花瓶と呼びます。その当時、女優が演技力を発揮できる空間がそこまでありませんでした。でも、私のここ8~10年の観察では女性を主人公にした様々な人間模様をより広く描いた作品が増えていて、そういった意味では女性に寄り添った映画が増えてきたように見ています。

―監督はマカオご出身であるので、一昨日のアフタートークでマカオには映画産業がなかったので台湾なり香港なりに映画制作の勉強に行かれたと話してらっしゃいましたけど、マカオ出身の映画人はどのくらいいるのでしょうか?

監督:2022年の金馬奨で新人監督賞のノミネートに入った「海鷗來過的房間」はマカオ出身の監督・孔慶輝です。『ロンリー・エイティーン』で脚本を担当してくれた陳雅莉(監督作「馬達·蓮娜」は2021年華鼎獎中国マカオ最優秀作品賞)、あともう一人います。今年2023年の金馬奬でプレミア上映された作品の英語のタイトルが面白くて「I Want to Be a Plastic Chair(來世還作人)」というとてもキュートな映画の監督・歐陽永鋒。同世代なので一緒に仕事をよくします。私の作品のときは手伝ってもらって、彼らの作品のときは私も関わったりします。故郷のために映画を撮りたいという仲間なので助け合っていますね。

―マカオは撮られる側だったとおっしゃっていて、たしかに香港映画に出てくるマカオを思い浮かべます。ノワールものとか、住んでらっしゃる方には不本意な形かもしれませんね。

監督:カジノが有名でカジノの煌びやかなシーンは撮るけど、でも、カジノで働いている人にフォーカスしたものってないですよね。どういう人がカジノのなかで働いているか、たとえばカードを配るディーラーだって何を背負ってどういう生き方でどういう背景なのかということはまったく描くことがありません。そういった意味では撮られるものも限られたものになっていると思います。

―これからどういうものを撮っていきたいですか?

監督:今あたためているプロジェクトはラブストーリーで、舞台が香港・マカオ・台湾です。このラブストーリーは3つの物語構成からなっていて、17歳・22歳・34歳の話。LGBTをテーマにしていて、じつは男女ではなくて女性同士のラブストーリーなのです。

―中国との関係で作品作りに不自由も出てきているのではないかと思うのですが?

監督:逆にLGBTQの映画って、中国マーケットでは上映できないからのびのびとやりたいと思います。この3つの都市はラブストーリーの舞台としてだけではなくて、自分自身がそこで住んだり求学したり生まれ育ったりしている場所なので、自分がその都市にどういう感覚を抱いてきたのかということも描きたいと考えています。それで3つの都市を登場させようと思ったのです。

―都市の対比も楽しみですね。いま脚本を書いているところですか?

監督:書き終わってブラッシュアップしているところです。

―キャスティングのイメージは?

監督:まだキャスティング中で、34歳の女性は『姉妹関係』から一緒に成長してきたようなものなのでそこはもう決まっています。次の旧正月(2024年)には撮影の準備段階に入りたいですね。

―どうもありがとうございました。

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シネマジャーナルHP 映画祭レポート
第一回Cinema at Sea 沖縄環太平洋国際フィルムフェスティバル授賞式
http://cineja3filmfestival.seesaa.net/article/501913274.html

(写真・取材:台湾影視研究所・稲見公仁子)


Cinema at Sea 沖縄環太平洋国際フィルムフェスティバル 『ロンリー・エイティーン』アフタートーク

2023年11月27日(月)那覇文化芸術劇場なはーと小スタジオにて

登壇者左より
トレイシー・チョイ監督、アイリーン・ワン、ワンダー・オン(映画祭プログラマー)

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昨年2023年11月に開催された第1回Cinema at Sea 沖縄環太平洋国際フィルムフェスティバルのコンペティション参加9作品中、唯一の女性監督作品だったのがマカオ・香港合作になるトレイシー・チョイ監督の『ロンリー・エイティーン』です。
『ロンリー・エイティーン』のヒロインは、国民党兵の落人村として知られる香港・調景嶺で育ち、親友とともに貧しさから逃れるように香港芸能界に身を投じます。作中では、芸能界で遭遇する性搾取、ヒロインと国民党軍の士官であった父との確執などが描かれます。
本作は、ベテラン女優であるアイリーン・ワン(温碧霞)がプロデューサーを務め、彼女の実体験が反映された部分もあるとのこと。
Cinema at Seaにはチョイ監督のほかアイリーン・ワンPDも来場し、上映後のアフタートークに登壇。この記事では、11月27日に行われたアフタートークを紹介します。なお、後日トレイシー・チョイ監督の単独インタビューも行いましたので、インタビュー記事もあわせてお読みください。

*登壇者プロフィール*
トレイシー・チョイ(徐欣羨)監督
マカオ出身。台湾の世新大学と香港演芸学院で映画を学ぶ。処女長編『姉妹関係』(2016)は2017年の大阪アジアン映画祭コンペティション部門で上映されており、マカオ国際映画祭(澳門国際影展、略称IFFAM)のコンペティション部門でマカオ観客賞を受賞したほか、香港電影金像奬にもノミネートされた。『ロンリー・エイティーン』では2022年のマカオ国際ムービー・フェスティバル(澳門国際電影節、略称MIMF)で最優秀新鋭監督賞を受賞している。

アイリーン・ワン(温碧霞)プロデューサー・出演
1966年香港生まれ。1982年に映画「靚妹仔」(英語タイトル・Lonely Fifteen)でデビュー。日本で公開された出演作にはレスリー・チャン主演の『ルージュ』(1987年、スタンリー・クワン監督)のほか『蒼き狼たち』(1991年、エリック・ツァン監督)などがある。『ロンリー・エイティーン』では、プロデューサーのほかヒロインの中年期の役で出演もしている。

『ロンリー・エイティーン』
中国語原題:我們的十八歳 英語タイトル:Lonely Eighteen
2022年/マカオ・香港


―最初にトレイシー・チョイ監督におうかがいします。どういった経緯でアイリーン・ワンさんとタイアップした『ロンリー・エイティーン』が世に出たのでしょうか。

監督:この作品は、私がお声がけいただいた側です。ある日、アイリーンさんがマカオに来てお会いすることになり、前作『姉妹関係』同様シスターフッドのテーマの作品だからどうかということになり、縁が繋がりました。

―アイリーンさんはなぜ若手の監督と一緒にご自身の人生の一部を基にしたこの作品を作ろうと思ったのでしょうか。

アイリーン:企画をあたためていた段階で、この作品は少女が女性になっていく過程、そして少女の友情といったことをテーマにしていたので、トレイシー・チョイ監督の最初の映画『姉妹関係』を思い出しました。人と人との関係性、適当な距離をしっかりと作り上げているこの方なら任せられると思ったところ、たまたま共通の友人がいて、その友人の仲介の下でトレイシー・チョイ監督と繋がることができて一緒に作ろうということになった、そういった一連の流れがありました。

―アイリーンさんが自分の人生の一部を盛り込もうとしたのはなぜですか? 実話を作品にするうえで何か配慮が必要だったのか、心理的な抵抗などはあったのでしょうか? これらのことについて、チョイ監督にも補足していただけたらと思います。

アイリーン:この作品を作ろうと思ったきっかけは、自分と親との関係、特に父親との関係がすごく大きかったですね。人にはそれぞれ親がいて、それぞれ家庭の事情による関係性があると思います。私と私の父はジェネレーションギャップを埋めることのできない関係でした。互いの考えを理解することができず、父と私はよく衝突をして喧嘩しました。そして、わかり合えないまま父はこの世を去ってしまった。父が去って私は思ったのです、ギャップはあまり重要ではなかったかもしれない、そこまでわかり合おうとする必要もなかったかもしれない、と。この作品には、まだ相手が健在であれば家族との絆、コミュニケーションをぜひ大切にしてほしい、大切にするべきだという思いを込めています。

監督:アイリーンさんがおっしゃったように親子関係というのはもちろん核となる部分ですし、私も心を動かされた部分です。親子関係の部分はすごく丁寧に描いたつもりです。
じつは、撮影に備えて背景である80年代についての資料を集めているなかで、特に私が描きたいと思ったのは香港の映画産業がいちばん盛り上がっていたこの時代、女優がその産業のなかでどういった労働環境にあったのかということです。アイリーンさんが若かりし頃、何を見て何を経験したかということをもう一度この映画を介して語り直すことができ来ないだろうかということも、この映画のもうひとつの重要なことじゃないかなと思います。

―アイリーンさんの人生を反映していることに関して、どの部分が実体験で、どの部分がフィクションなのか、もしここでお話できることがあればうかがえますか?

監督:アイリーンさんの過去の出演作は観ていて、特にレスリー・チャンと共演した『ルージュ』ですね。『ロンリー・エイティーン』は一人の女性が実際に経験したという目線になっているのですけど、多くの人に共感していただきたいということがありました。作品として構成していくうえで、皆が経験したその時代を描きたかったのです。特にエンタメ業界における搾取の側面においては、彼女自身の経験を伝えるというだけの見え方にはしたくありませんでした。今なお、もしかしたら他の女性も経験しているかもしれないようなことも盛り込んで、皆がこのことについて一緒に考えられるように構成しています。

―監督はマカオ生まれのマカオ育ちマカオ在住ですが、マカオの映画産業はどうなのでしょうか。香港での撮影はどういう感じで進めていったのでしょうか。

監督:マカオは、たとえば香港や中国の制作陣が映画に撮る場所。マカオの人からすると、いつも他人によって描かれる場所なのです。はっきり言うと、マカオに映画産業はありません。私の映画製作の勉強は台湾、そして香港でした。そこで勉強して地元に戻ったけれど、映画産業がないので先輩になる人がマカオにはいないのです。一緒に仕事をする人たちは香港や台湾、中国の人です。私は、撮られてきた側として、自分の手で自分の作品としてマカオの物語を撮っていきたいという思いを強く持っています。香港とは広東語で通じ合うことができるので、アイリーンさんも含め香港のたくさんの先輩が同じ広東語話者同士、たくさんのチャンスをくれます。香港の人はマカオも仲間だと思ってくれていて、すごく心強いですね。

―アイリーンさんに最後の質問です。アイリーンさんはものすごくキャリアがあります。これから才能のある後進にどうお力を貸していこうと考えているのか。今後についてどう考えているのか教えていただきたいです。

アイリーン:長年香港の映画業界に携わってきて感じるのは、マーケットがどんどん縮小されてきているということです。描きたいテーマがあっても中国の制限がかかることがあります。なので、自由に自分たちの作品を作ることができない。しかし、私たちは香港の自分たちの作品を作っていきたいと強く思っています。だからこそ、新しい、才能のあるチョイ監督のような人材をどんどん引っ張っていく必要があると考えます。技術スタッフなど舞台裏の優秀な人材も欠かせません。こういった若い人たちは本当に才能があり、可能性を秘めています。ですが、香港のマーケットが小さいために発表の機会に恵まれていないと感じるのです。だからこそ、微力ながらも、もし自分の関わるなかで彼らと一緒に何か新しいことができるのであれば、ぜひ今後もご一緒したいと心から思います。

―最後にひとことずつ〆の言葉を。

アイリーン:この(主人公の)物語ではなくて自分自身の成長過程や幼少期の記憶と重ねていただけたらなと思います。どんな大人にも幼少期というのが必ずあります。それはとても大切で貴重な経験です。その経験を思い出すきっかけになる映画だと嬉しいです。

監督:『ロンリー・エイティーン』は、この沖縄の映画祭が非中華圏で観ていただくのは初めてになります。皆さんがどんな感想を抱くのかとても楽しみにして来ました。少しでも楽しんでいただければ嬉しく思います。

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左よりトレイシー・チョイ監督、アイリーン・ワン、ワンダー・オン(映画祭プログラマー)


(写真・取材:台湾影視研究所・稲見公仁子)


シネマジャーナルHP 映画祭レポート
第一回Cinema at Sea 沖縄環太平洋国際フィルムフェスティバル授賞式
http://cineja3filmfestival.seesaa.net/article/501913274.html

『瞼の転校生』藤田直哉監督インタビュー

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*プロフィール*
藤田直哉(ふじたなおや)1991年北海道岩見沢市生まれ。明治大学法学部卒業。大学時代より独学で実験映画を中心に自主映画制作を始める。『stay』(2019)がSKIPシティ国際Dシネマ映画祭2020短編部門にてグランプリ受賞。2021年には短編映画でありながら、単独で都内映画館をはじめ、全国の映画館で上映。文化庁委託事業ndjc2021に選出。『LONG-TERM COFFEE BREAK』を監督し、劇場公開。2022年、文化庁「日本映画の海外展開強化事業」に選出され、ニューヨーク現地にて長編映画企画の研修を受ける。
本作は、SKIPシティ国際Dシネマ映画祭の20周年、埼玉県川口市の市制施行90周年を記念して埼玉県と川口市が共同製作。藤田監督の長編映画デビュー作は、SKIPシティ国際Dシネマ映画祭のオープニングを飾った。

『瞼の転校生』
旅回りの大衆演劇一座に所属する中学生の裕貴(松藤史恩)は、公演に合わせて1ヶ月ごとに転校を繰り返していた。すぐに別れるからと、友達を作ろうともせず、今まで通り誰とも話さず公演時間に合わせて早退していた。ある日、担任から頼まれ不登校なのに成績優秀な建(齋藤潤)の家に立ち寄る。
後日、ひょんなことから地下アイドルのライブに行った裕貴は、偶然に建と再会する。建はアイドルオタクだった。二人は一気に仲良くなり、建の元カノの茉耶(葉山さら)も加わって、3人で過ごす時間がだんだん増えていく。裕貴は二人に舞台に立つ自分を観てほしいと思い始めるが・・・。

公式HP https://mabuta-no-tenkousei.com/
(C)2023埼玉県/SKIPシティ彩の国ビジュアルプラザ 川口市
作品紹介はこちら
★2024年3月2日(土)より全国順次公開


―明治大学法学部ご卒業、全く違う分野に来られたんですね。

実は、大学に入るまで全く映画を観ていなかったんですよ。北海道の岩見沢というところの出身だったので身近に映画館がない。ただメディア系のほうに興味があったので、大学では映画研究会に入って今回脚本の金子(鈴幸)さんと会い、そこから映画を観るようになりました。

―金子さんとは何本も一緒ですか?

学生のときの自主映画から一緒です。彼が監督をやるときは僕が撮影や製作をやったり。当時は池袋に住んでいたので、新文芸坐やシネマロサによく行きました。きっかけになった映画があって…新文芸坐で今村昌平監督の『神々の深き欲望』(1968年)という作品を観ました。すげーことやってる!と感じて「映画作ってみようかな」と。実験映画とか、個人映画とか撮っていましたが、劇映画はほぼやってはいなくて。

―それが「大衆演劇」の映画撮るんですものね。不思議~!!

大衆演劇は、お風呂が好きで、茨城県のスーパー銭湯に行ったときにこういう演劇があるんだなぁと知りました。そういうときに、たまたま親戚のおばあちゃんが元役者さんだったことがわかって、急に大衆演劇の存在が身近になった瞬間があったんです。ちょっと観に行ってみようかなというのが最初です。

―その初めての劇団を覚えていますか?

女性の座長さんで、演目が面白くて…目の見えなくなった男性とその面倒を見ることになった女性の話で、目が治って見えるようになってみたら主の偉い人で、身分差を感じて恋仲になれない、みたいな…。初めて観た人にもハードルが低いというか、話に入りやすい。面白いなと。
(劇団朱光さんで、お芝居は「かげろう笠」と判明)

―監督が企画をたてられたんですね。いつか撮りたいと温めていらした?

そうですね。今までの短編では若い子を扱ったことがなくて、十代の子でやってみたいなというのがありました。大衆演劇に出会ったら、中で若い子が頑張っている。こういう人を撮ってみたいなということです。

―ストーリーは脚本の方と話しあって、だんだんと作っていくものですか?今回は監督の想いはこの中のどなたかに重なっているんでしょうか?

だんだん作っていきました。誰に重ねたというのはなかったですね。かなり客観的に作った気持ちが強かったんです。ただ、最近インタビューなど受けているうちに思ったのは、建に自分を重ねているんじゃないかなと感じました。

―建さん…不登校の子ですね。

建は、ある種のあこがれを裕貴に持っています。それは建がまだ何者でもないから。けれども裕貴は、やりたいこと、運命を背負っているようなことをやっている。でも自分はそこにいけない、と。アウトローではいたいけれど、一歩踏み出せないでいます。社会のレールの上でしか、生きていけない建の姿はなんだか自分の十代に近いなと、そんな気が最近しました。

―「いい学校に入っておけば、選択肢が増える」とも言っていました。

今は何者でもないけど、自分はすごいことやるんだ、みたいな漠然とした思いがある。ほかの人とは違うと感じているけれど、できることはないし、なんとなく勉強ができるだけで、すごい秀でることもないし。
そういう建の姿が、かつての自分に重ねているんじゃないかなと気づきましたね。

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―3人は中学3年生で、時期は春ですか?

裕貴が中3の春に転校してきました。進路を考える時期です。

―担任の先生がちょっとあんまりでした。

ある種、この映画では悪者のキャラクターになってしまいましたが、大人は大人なりのいいわけというか、理屈があって。それぞれの理屈をちゃんと出す意識はしました。

―建くんは「お父さんお母さんが違う」というセリフがありましたが、里親の設定ですか?それで「瞼の母」の劇が登場して、もっとその話が進むのかなと思いました。

メインに描きたかったのは、親子関係でなく、若い子たちの話です。親子の話を進めると、もともと目標としていっている題材からずれるかなと思いました。そもそも親子の関係ってけっこう重いテーマなので、サブストーリー的にしました。

―数あるお芝居の中からこの長谷川伸さんの「瞼の母」を劇中劇に選んだのは?

ちょっと悩んで脚本の金子とも話していたんです。企画が進んで行って脚本を書き始めたんですけど、せっかく大衆演劇を扱うんだから、劇中劇を入れないと意味がない。僕が個人的に、『stay』 でもそうですけど「疑似家族」とか、家族、親子というのに、興味があったこともあり、そういう要素をどうにか入れられないかなと。
大衆演劇によく使われている有名な作品ですので選びました。

―ほかにも候補はありましたか?どれにしようかな、とか。

いや、ないかな(笑)。「これ!」って感じでした。

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―監督と金子さんは、大衆演劇をたくさん観に行かれたんですね?

行きましたね。特に僕は、大衆演劇がどういう世界なのかを細かく知っておく必要があると思ってました。リサーチを進めていく中で、劇団美松の小祐司座長や華丸くんに取材させていただきました。その経緯があって、今回の作品のご協力をお願いすることになりました。
劇団のみなさん忙しいので、夜の撮影になったり、お休みのない中、舞台になる篠原演芸場も終日空けていただいたりで、本当にお世話になりました。

―舞台裏がたくさん観られて、とても嬉しかったです。それでは、若いキャスト三人のお話を。

三人ともオーディションで決まりました。
一人ずつ言っていくと…。
裕貴の松藤史恩くんは、部屋に入って来た瞬間、脚本でイメージしていた裕貴だ!と思いました。演技とかコミュニケーションとってみると、彼は自分の言葉で話してくれるんです。虚勢を張るとか、カッコつけるとかなく、いい意味で朴訥としていて、直感的にこの子とやってみたいなというのがありました。同席していた金子もほぼ同じ意見でした。
建の齋藤潤くんは、まず、演技のうまさに驚きました。僕たちがオーダーしてきたことを自分でかみ砕いてすぐ体現する、その瞬発力をめちゃめちゃ感じて。コミュニケーションもスマートだし、クールさも持ち合わせている。役のバランスを見たときに裕貴とのコントラストもあるのが良かった。
葉山さらさんは、テンプレートの役、学級委員長の雰囲気があると思うんですよ。

―しずかちゃんタイプですね。

そう、しずかちゃんタイプ、ほんとに。真面目だけど、素直な部分、葉山さんのポテンシャルみたいなもの、オーディションのときの葉山さんの頑張りを直に感じたんですよ。実直な感じが役にも通底するし、単純にこの子と一緒にやったら面白いだろうなと。
3人とももちろん演技がうまいんですけど、それより重視したのは、一緒にやっていきたいかどうかというのを、すごく考えて選びました。

―撮影当時の3人はちょうど中学生ですか?

2023年の3月の撮影で、史恩くん潤くんが中学生、葉山さんが高校生でした。学校のロケはすぐそこの高校でした。お天気にも恵まれて、春休み中の短い撮影期間の中で撮り終えました。
3人は、葉山さんが面倒見のいいお姉ちゃんみたいな感じで、仲良くしていましたよ。その仲の良いのが画にも出ていると思います。

―お姉さん、クールな長男、可愛い弟ですね。この裕貴の女形のメイクは監督の意向ですか?

細かいオーダーはないです。劇団の役者さんって、一人一人メイクが違うんですよね。史恩くんに合わせて、市川華丸くんがマンツーマンでメイクの指導をやってくれました。松川さなえ太夫元、小祐司座長、華丸くんにとてもお世話になりました。

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―普段の素顔とのギャップも映画的に必要ですが、女形とても可愛いですよね。これは予想通りでしたか?

予想してなかったですね。(すっかり変わって)びっくりしました。これまで白塗りしたことがあるとは聞いていたんですけど。史恩くんは、「化粧をするとスイッチが入る」「メイクと衣装が全部整うと別人として演じられる」と言っていました。そういう子にやってもらってよかったなと思います。

―建が初めて舞台の裕貴を観たシーンが、綺麗な映像でBL好きな人も喜びそうです。

ここは奇跡的に、良いシーンになりました。本当はこのとき二人が初めて顔を合わせるというのが良かったんですけど、時間がなくてそれは実現しませんでした。『stay』ではあの古民家を撮影当日まで主人公に見せない、とやれたんですが。

―二人がとても上手だったということですね。

うますぎましたね。ちょっとびっくりです。僕の勝手なイメージですけど、子役って、もっとディティールを指示していって、演技をするものだろうなと予想していたんです。それが本読みのときから彼らはとても自由で、現場に入ってもお互いの反応でやってくれていました。なめてました、すみませんでした(笑)。
二人とも素直なんですよ。大成するって信じています。

―裕貴は旅公演に出ましたが、残った二人はこれからどうなるんでしょう。監督はどこまで考えて作られましたか?

先のことは考えてなかったですね。出会った頃からは明らかに変わっているとは思いますが、変化が持続するかどうか、実は僕はあまり信じていない。人に出会ったからといって、その人が劇的に変わるようなことは意外とないと思うんですよ。もちろん彼らは出会いによって大きな変化の体験をしたんですけど、一方で僕自身はその変化の奇跡を信じていないかも。だからこそ、こうやって映画にしているのかもしれません。どこかで実は信じたいという気持ちがあるかもですね(笑) ネタバレになりますが、彼ら3人の別れぎわもドライでさらっと悲しくないシーンにしました。裕貴にとってそれが日常ですからね。そこはこだわりました。

―大人の俳優さんについてもお聞かせください。

高島礼子さん、佐伯日菜子さん、もちろん初めてご一緒させていただいたんですけど、とてもうまかったですね。今までインデペンデントからやってきた自分からすると、ホン(脚本)の解釈から常に想像を超えてくる演技をしてくれるんです。ここはこういうイメージなんですと伝えるだけで、それをすぐ具現化してくれる。映像的に派手さが必要な場面もあるんですが、そういうオーダーもすぐ理解して臨機応変にやってくださる。経験による瞬発力をすごく感じました。さすがこの世界にずっと生きてきた人だと思いました。

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―初めての長編でご苦労されたことはありましたか?

いや、それが意外とないです。長編だからスタッフと一緒にいる時間が単純に長くなったのが楽しかったですね。特に俳優部さんと同じ時間を過ごしていて、お互いに変化していくのを感じられました。お互いのいろんなことを共有できるし、仲良くなったからこそできる画に映るものがあると思うんです。それを直に感じたことが面白かった。

―脚本家さんは以前からのお友達ですが、ほかのスタッフさんは?

アルタミラピクチャーズさんが集めてくださったんですけど、みなさん商業映画でやっている方々で、すごく勉強になりました。特にカメラマンの古屋さんとは初めてなのに、すごくやりやすかったです。お互いに一緒に作っている感覚がすごいありましたね。僕が思ってもみなかったアイディアをポンと出してくれる。
共通の話題も多くて、歳はちょっと離れているんですけど友達感覚でいられました。だけどお互いリスペクトもあります。スタッフさんに恵まれましたし、いい出会いがあったと思います。
タイトルを赤松陽構造(あかまつひこぞう)さんに書いてもらったのも嬉しかったです。

―このクルーの方々にまた次の作品で出会えるといいですね。タイトルもぜひ赤松さんで。
では、これからご覧になる方々へどうぞ「呼び込み」を。

呼び込み…「本作は大衆演劇を題材に十代の子たちの青春もの、ジュブナイルものを作りました。一方で大人もいっぱい出てきます。出てくる人たちを肯定できるような作品にしたかった、というのがありました。
特に大衆演劇に生きる中学生は、みなさんの日常には存在していないでしょう。映画内で観たときに、どう感じるか、どう受け止めるかということを大切にしていただければと思います」
けっこうまとまりましたよね(笑)。

―はい、たくさん取材されただけあります(笑)。ありがとうございました。
(取材・写真 白石映子)


=取材を終えて=
取材の前日に試写があり、藤田監督のご挨拶もありましたがすぐ下を向いてしまって、写真が撮れなかったのです。どうも恥ずかしがり屋さんらしいとお見受けしました。翌日(1月25日)はskipシティで、映画に登場する劇団美松の方々の舞台が見られるイベントがありました。劇中劇の「瞼の母」の名場面も観られました。松藤史恩くんも可愛い女形で登場しました。そのイベント後のインタビューがこちらです。
監督と同じ北海道出身の私、20年来の大衆演劇ファンでもあります。舞台となっている十条の篠原演芸場にもよく通っていました。「人前に出たり、喋ったりが苦手」とおっしゃる監督は、予想したよりたくさんお話してくださって写真も撮れました。
映画には、いつもは見られない舞台裏や楽屋も登場して、とてもお得感がありました。大衆演劇入門になりますし、ジュブナイルものファンにも楽しめます。