『擬音 A FOLEY ARTIST』王婉柔(ワン・ワンロー)監督インタビュー

映画の音を作り出すフォーリーアーティストの存在を知ってほしい

雑多なモノが溢れるスタジオで、映画の登場人物の動きやシーン、雰囲気を追いながら、想像もつかないような道具と技を駆使してあらゆる生の音を作り出す職人、フォーリーアーティスト。
本作は台湾映画界で40年近く音を作り続けてきたフー・ディンイーが関わった作品を紹介しながら台湾映画史を振り返ります。
ワン・ワンロー監督に企画のきっかけや制作時の苦労話などをうかがいました。

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<フォーリーアーティストとは>
足音、ドアの開閉音、物を食べる音、食器の音、暴風、雨、物が壊れる音、刀がぶつかる音、銃撃音、怪獣の鳴き声など、スタジオで映像に合わせて生の音を付けていく職人。大画面の向こう側、観客の目に触れない陰から作品の情感を際立たせる大事な役割を担いながらも、その存在はあまり知られていない。デジタル技術で作られた効果音は豊富にあるが、ひとつひとつの動作や場面に合う音は異なるため、鋭い聴覚と思いもよらないモノを使ってリアルな効果音を生み出す想像力が必要となる。

──本作はフォーリーアーティスト(音響効果技師)にスポットを当てたドキュメンタリーですが、なぜ、フォーリーアーティストをテーマにして作品を撮ることにしたのでしょうか。きっかけからお聞かせください

映画の制作現場でどうやって音を録音するのか。収録された音はどうやって編集して使うのか。ミキシングはどうやるのか。私はよく知らないまま、監督デビュー作として詩人ルオ・フーを記録した『無岸之河』を撮っていました。その作品が完成し、次は何を撮るのかを考えていたときに、映画における音の部分を掘り下げたいと思ったのです。
ただ、フォーリーアーティストという職業は映画界でも知っている人は多くありません。そこで、元々知り合いだったフー・ディンイーさんに「フォーリーアーティストをテーマにした作品を撮ろうと思っている」と伝え、取材をさせてもらったのです。
2014年に撮影を始めましたが、助成金の申請が通らなかったので、撮影を続けるかどうか迷いました。何とか2016年に撮り終えたものの、その後のポストプロダクションも本当に大変でした。

──フー・ディンイーさんにスポットを当てた作品だと思ったのですが、フーさんの仕事そのものというよりも彼の仕事を通じて、台湾映画の変遷を浮かび上がらせていましたね

最初は私もフーさんの人生そのものを映画の物語にするつもりでした。ところが、フーさんの人生は山あり谷ありというわけではありません。映画の観点からするとドラマチックさに欠け、90分の長さを彼の人生を描くことだけに使うと物足りないかもしれないことが撮り始めてすぐにわかったのです。
そこで、自分がなぜこの映画を撮るのかを改めて考えてみました。すると映画、特に音の部分に強い関心や興味を持っていることに気がつきました。
そこでフーさんの物語を軸に、台湾映画産業の変遷をまとめることにしたのです。できれば、音の使い方を中国と西洋の映画で対比してみたかったのですが、それについては残念ながらできませんでした。
今回、私が取材した方々の中にはその後、お亡くなりになった方が何人かいます。若い人たちの映画に対する情熱もあのときだから捉えられたもの。すべては運命のようなものだと思います。

──たくさんの映画作品が紹介されています。映像も使われていましたが、版権の問題をクリアするのは大変だったのではありませんか。その辺の苦労話があったらお聞かせください

過去の作品の映像を使うための著作権処理がこの作品で最も大変なところでした。たくさんの方と連絡を取りましたが、親切な方が多かったですね。私が1人でこの作品を撮っていて、資金があまりないことを話すと無償で使わせてくださった方も少なからずいらっしゃいました。一方で、3カ月くらいかけて交渉して、高額な使用料を要求されたにも関わらず、ある日突然、「自分は権利者ではなかった」といきなり連絡が途絶えた方もいました。昔は著作権に関する考え方が曖昧だったので、こんな話が起きたのだと思います。
私は香港でとても有名なリー・ハンシャン監督の作品を使いたかったのですが、いろいろ調べたところ、監督ご自身はすでに亡くなっていました。その作品の著作権は娘さんが引き継がれていると聞き、娘さんを一生懸命に探しましたが見つかりませんでした。「仕方がない」とその作品の使用を諦めていたところ、その年の旧正月の年末に娘さんご自身から「みなさんが私を探していると聞きました」といって連絡がありました。そこで、この映画の話をしたところ、無償での使用許可をその場で出してくださったのです。この話を聞いたときは本当にうれしかったです。

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──フォーリーアーティストの仕事もデジタル化が進んでいるのがよくわかりました。フー・ディンイーさんのように音を手作りする方はどんどん減っているようですが、そのことについて監督はどう思われますか

この作品を撮ったのは6年ほど前で、当時、私もこの問題について考えていました。その頃の結論としては、フーさんのようなプロの人材は今後も育成していくべきで、それには相当規模の映画産業が不可欠ということ。業界が大きければ作品が増え、仕事も増えるので細分化する必要も出てきます。フーさんが仕事を始められた頃は台湾映画界が盛んだったので、フォーリーの仕事に専念できたのです。
今はちょっと考え方が変わってきています。フォーリーアーティストという仕事が今後どうやって存続していくのか。もし、なくなってしまうとしたらその責任はどこにあるのか。そういったことを追及するよりも、物ごとの移り変わりには原因があるので、その原因を探求した上で、将来、どのように展開していくのかを考えた方がいいと考えるようになりました。
この作品が多くの方の目に触れることによって、みなさんがこの問題について考え、何かいい解決策がでてくるかもしれません。そこにドキュメンタリー映画の役割があるのではないかと思っています。

──フー・ディンイーさんはフォーリーアーティストとして、この作品のために何か音を作っていますか。

当初はお願いするつもりでしたが、編集してみるとミキシング担当者が多少、録音して合わせたくらいで済んでしまいました。フォーリーアーティストに頼んで、音を作ってもらうという部分はほとんどなかったのです。
フーさんはお元気ですが、かなりご高齢になり、耳が衰えてきて、最近は講演会の仕事が増えているとのこと。フォーリーアーティストとはどういう仕事なのか、映画の中でどういう使い方をしているのかといったことを語って、フォーリーアーティストという仕事の普及に尽力されています。

──日本の観客に向けてメッセージをお願いします。

ようやく日本で公開することになりました。
ドキュメンタリー作品は種をまくようなもの。この作品が種になって、フォーリーアーティストという職業があることを日本の方々にも知っていただき、その現状についてどう思うのか、いろいろ考えるきっかけにしていただければと思います。さらに、ドキュメンタリー作品というジャンルが持っている価値を伝え、認識を深めることができればなおうれしいです。

(取材・文:ほりきみき)


<プロフィール>
監督 王婉柔(ワン・ワンロー)
1982年生まれ。国立清華大学を卒業後イギリスのExeter Universityで脚本を学び、2009年から映画のプロデュースや助監督、編集などを始め、様々な映画製作に関わる。2008年『殺人之夏』が優秀映画脚本賞の佳作入選。2014年に台湾の文学者たちをテーマにしたドキュメンタリーシリーズ『他們在島嶼寫作』の企画プロジェクトメンバーとして活躍、自らも詩人ルオ・フーを記録した『無岸之河』で監督デビュー。
2017年に発表したフォーリーアーティストのフー・ディンイーの半生を記録したドキュメンタリー『擬音』は東京国際映画祭でも上映され、2020年にはアジアを席巻した台湾の漫画家 チェン・ウェン(鄭問)の人生を追ったドキュメンタリー『千年一問』を発表して話題を呼んだ。

胡定一(フー・ディンイー)
1952年生まれ。台湾の国宝級音響効果技師“フォーリーアーティスト”で、1000本近い映画とドラマに携わる。1975年に当時の政府国民党が運営する中央電影公司の技術訓練班からスタートし、アシスタントを経て音響効果アーティストとして一本立ち。
ワン・トン監督の『村と爆弾』(1987)、同監督『バナナパラダイス』(1989)、チョウ・チェンズ監督『青春無悔』(1993)で金馬奨の録音賞ノミネート、ツァイ・ユエシュン監督『ハーバー・クライシス<湾岸危機>Black & White Episode1』(2012)で金馬奨の音効賞にノミネートされた。
2015年に中央電影公司の経営権の移行に伴い退職勧告を受け、フリーランスとなる。
2017年のソン・シンイン監督のアニメーション『幸福路のチー』の音効を手がけ、現在はセミ・リタイア状態にある。2017年に長年の功績を讃える金馬獎の年度台湾傑出映画製作者に選ばれるという栄誉に輝く。

『擬音 A FOLEY ARTIST』
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監督:ワン・ワンロー
出演:フー・ディンイー、台湾映画製作者たち
製作総指揮:チェン・ジュアンシン
撮影:カン・チャンリー
後援:台北駐日経済文化代表処台湾文化センター
特別協力:東京国際映画祭
2017年/台湾/カラー/DCP/ステレオ/100分
配給:太秦
ⒸWan-Jo Wang
公式サイト:https://foley-artist.jp/
2022年11月19日(土)より、K’s cinemaほか全国順次公開

なお『擬音 A FOLEY ARTIST』の作品紹介はこちらです。


『こころの通訳者たち』山田礼於監督インタビュー 

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*プロフィール*
山田礼於(やまだれお)フリーランスの映像作家。
「インド発ロンドン行直行バス」(82)、「野性のアラスカ 365日」(96)など大型TV番組で人間ドキュメントを数多く制作。その間東京大学のイタリア・ローマ遺跡発掘の記録を20年以上にわたって記録。さらに「孫のナマエ~鴎外パッパの命名騒動7日間」(14)などドキュメンタリードラマの演出も手掛ける。
映画作品は『〈片隅〉たちと生きる 監督・片渕須直の仕事』(19)、『ドキュメンタリー劇団桟敷童子~コロナとザシキワラシ』(21)。
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『こころの通訳者たち What a Wonderful World』
見えない人、聴こえない人、車いすの人、小さなお子様を連れた人、誰でも一緒に映画を楽しむことができる日本で唯一のユニバーサルシアターのシネマ・チュプキ・タバタでは、上映する全ての作品に映画音声ガイドと字幕をつけている。そんな映画館に「耳の聴こえない人にも演劇を楽しんでもらいたいと挑んだ3人の舞台手話通訳者たちの記録」を映画にしたいという話が持ち込まれた。映画館の代表の平塚千穂子をプロデューサーに、2021年9月、本作の撮影がスタートした。
この映像をどうやって見えない人に伝えられるか、聴こえない人、見えない人、どちらでもない人が入り混じり、お互いのわかるわからないを俎上にのせていく。
cocorono-movie.com
© Chupki 
シネマ・チュプキ・タバタHP https://chupki.jpn.org/

★2022年10月1日(土)よりシネマ・チュプキ・タバタにて先行公開
10月22日(土)より新宿K's cinemaほか全国順次ロードショー

―この作品を作ることになった経緯からお聞かせください。

映画にも出ていますけど、ドキュメンタリーを一緒にやってきた仲間で、越さんという女性ディレクターがいます。彼女が2012年2月豊橋の劇場で上演された舞台「凛然グッドバイ」の”舞台手話通訳者の記録”を撮った。これはウェブ上で見せる予定で、ほんとは5分くらいのものですが、そのためにちゃんと稽古のときから撮っていた。「こんな仕事やってる」と、それを見せてくれたんです。
短いヴァージョンは作るけれども、もう少し長いのができないかと思っているという話があって。
僕も見て「あ、面白い」と思った。
舞台手話通訳の女性たち3人がそれぞれプロの手話通訳士であったり、主婦であったりするんですが、たった一回の芝居の公演のために凝縮された充実した時間をともに過ごし、最後には抱き合う、感動するという姿が素晴らしいと思って。その時は手話そのものの細かいディティールとかは、僕自身全然わかっていなかったんです。でも何かこう、これは絶対面白いものになるだろうと思いまして、彼女たちの日常やインタビューを追加撮影して1本の映画にしたらどうだろうかと。1時間か1時間半くらいの作品はできるんじゃないかという話をしました。
で、イザやろうと思ったら、ちょうどコロナ禍でロケ取材が難しい状況になっていました。それでふと思いついたのがここ[シネマ・チュプキ・タバタ]。以前、私が『片隅たちと生きる』を作ったときにこちらでも上映させていただいて、まさにこの部屋(チュプキ会議室)で音声ガイドの字幕版を作る作業に立ち会って、「ああ、こうやって作るんだ!」って、すごくびっくりしたんですよ。

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「凛然グッドバイ」の1シーン

あと見えない人のために情景描写をするわけですが。それをどういう言葉で表現して台詞と台詞の間に入れていくかという作業でも映像の理解力というのか、深さというか、それに驚きました。
特にドキュメンタリーは構図だとか、そこにある一個一個の意味を考えながら撮るのではなく、流れの中で撮る、捕まえていくのが普通のやり方です。それを一度分解して、ここが重要だという部分を平塚さんは選んで、彼女流の言い方をするんですね。ある意味ディレクターとしては、「そこまで? そういう風に言っちゃうの?」みたいなところも正直言ってあったんです。それは勝手なことをしているのではなくって、深い理解と彼女なりのその映像に対する愛情がこもった言い方をするんだ、と納得がいきました。この人はすごいなと思っていたので、”手話通訳の舞台の映像”をここへ持ってきました。どういう返事が返ってくるかなと思ったら、わりとさらっと「いいですよ、やりましょう」と言ってくれてこちらが拍子抜けするくらいでした。
もう一つは、「映画」を作るには、お金がかかるわけです。全部がボランティアでは辛い・・・。
ちょうど文化庁のARTS for the future!(コロナ禍を乗り越えるための文化芸術活動の充実支援事業。以下Aff)というのがありまして、僕らは600万のランクに応募しました。Affは監督がやりたい、と持って行くのではダメなんです(団体や法人という規制がある)。それで、平塚さんに「ここチュプキの制作で作れないか」ともお願いしました。「年内に作り上げて映倫を通して最低3日は上映する」という制約もありました。映倫も時間がかかるので、おのずと仕上げの日程が上がってきて、その中でさらにバタバタっと(笑)。

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平塚千穂子プロデューサー

意を決してここに来て、最初に話をしたのが2021年6月の末か7月の初めだったか。
映画にできるかもしれないと思った一番のところは、「これは単に見える人、見えない人の話ではなく主人公は通訳する人だ」と思ったからなんです。
そうすると、その人がいることで単なる通訳とかその人がどんな風にやるかではなく、人と人がわかり合う、コミュニケーションについての映画ができるだろうな、というそれだけは確信みたいなのがありました。それをやってくれそうな仲間を集めてくれた。
そこから先、僕は簡単だった。毎回違う人が出てくる(笑)。どんどんふくらんでくる。この人は何をしているのか、と撮りに行く。だいたい毎週水曜日に会議をやっていましたから、その合間に館山に行って話を聞いたり。聞くとそれぞれがほんとにドラマチックな自分のストーリーがあるんですよね。

―(宮崎)観た人が勇気をもらえると思います。

そのとおりなんですけど、僕は「こっちは見えている」というのは思い上がりで、彼らはもっと見えているんですよ。よっぽど聞いているんですよね。同じ映像を見たときに、見えない分だけすごく「聴く」んです。音のニュアンスであったり、表現の間だったりをものすごく感じてくれている。僕らは見えているので、漫然と聞いちゃう、見ちゃうということをしていたんだけど、彼らはそうじゃない。
zoomで会話をする中で一人の手話通訳の方が「セリフの間合いを長~く待っていて、思わず目をつぶっちゃった」と言うけれども、そんなことも「意味がある」って思われてしまうんだって、そんなギリギリのところで手話通訳やってるんだと僕もびっくりしたし、そんな中でやってたから「できた!」って最後に抱き合えたんだなってすごく思いましたね。
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彩木香里さん

―最初に「見えない人、聞こえない人と一緒に映画を楽しみましょう」というのに大いに感激したんです。

それは平塚さんです(笑)。

―そうでした(笑)。とにかくいろんな要素が入った映画でした。初めは舞台裏をずっと見せてもらえて、メイキングフィルムのようでもあり、出る方の背景にドラマを見たり、いいもの見せてもらった!と思いました。

そうですか(笑)。

―こんなにたくさんの素材を1本の映画に編集するのは大変でしたでしょう?

それは大変でした(笑)。でも本当は思ったほど大変ではなかったです。発言内容がうすっぺらかったりするともっと説明を足さなきゃいけないんですが、むしろ「濃い内容」がありすぎていっぱい落とさなきゃならなくてその整理をするのが大変だったかな。見える人も見えない人も一つ一つの発言、言うべきことをちゃんと持っていた、それぞれの言い方をしてくれた。だからある意味編集しやすかった。

―出演者への質問は監督がなさっていたんですか?

これはテレビのスタイルと同じで、スタッフはカメラマンと僕と二人だけなんです。僕がマイク持って聞き、答えるのをカメラマンが撮っていきます。僕はヘッドホンを着けているので、とてもよく音が聞こえている。その聞こえている音、意思を持って採っている音、聞こえてしまう音、それを自分の中で選んでいるんです。撮影が終わったときに普通は全部観て聞いて、人によっては書き起こすということをします。僕は書き起こすのはあんまり好きじゃなくてしない。その場で聞いていて残るものってあるわけです。何にも見なくても、彼はこういうことを言ってたと。そういう場面は確実に毎回あるので、それを集めていきます。
書き起こして理路整然となる文章では、見ている人に伝わらないんです。全然パーフェクトじゃない、それこそ言いよどんだり、文章になっていなかったりする言い方でも、それには力があるんです。そいう部分を僕らは撮影しながら探していく、拾っていく。
手話通訳が、手話だけでなく表情があるって言ってましたけど、喋っているのも全く同じで、あのときいい顔してたなぁという表情なんですよね。それを撮っていきます。
そういうことがあったから、短い時間だったけれども選ぶことができたかなと思います。

―監督はテレビのお仕事をどのくらい続けていらっしゃるんですか?


僕は26の時から45年。最初っからフリーです。性格的に会社とかダメなんです(笑)。僕が大学のときは学生運動の時代で、大学が封鎖されたりして学校へ来るな、みたいな感じでした。
本来は映画をやりゃよかったんですが・・・映画はものすごく好きで中学生ぐらいからひたすら映画を観ていたんです。しかし、映画が好きだからこそ撮る側になって作る苦労を知りたくない。ずっと映画ファンでいたいって思っていたんです。
そんなときに芝居に出逢って。芝居は生身で、目の前にお客さんがいてという中でやっている。それはそれでドキドキすることです。今思えばいい時代で、唐十郎の赤テントとか黒テントとかそこら中でやっている。ものすごく影響受けたし、役者も演出もやったんですけれども、芝居で生きていく自信はなくて。これは絶対食えないと思って(笑)。
それで岩波映画へ。フィルム触っていられればいいやって始めたけれど、特に何をしたいということがなかったんです。ただフィルムを切ってアセトンを塗って、それができることが嬉しかった。それで、細々と生きて行ければ…。
TVと出会ったのは、大学時代テレビ朝日(当時のNET)でずっとADをやっていたんです。それが月曜から金曜までの15分の学校教育番組。いいプロデューサーがいて、若い奴をロケに連れていってくれたんです。それでこういうのは面白いな、やりたいと思っていたんですね。
岩波でフリーの助監督として何本かやっていたときに、テレビである番組が始まるという話があり、テレビ経験があるということで挑戦したんです。最初が海外取材の番組で、26歳で初めてディレクターをやったのがこれです。それから5,6年日本で取材したことはなかった。だからどこに行ってもなんとかなるんだという変な自信だけはつきました(笑)。
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劇場前での山田監督と平塚プロデューサー

―(景山)プロフィールにある「インド発ロンドン行直行バス」といえば、沢木耕太郎の「深夜特急」(1986年/新潮社)ですね。

あれはすぐにはできませんでした。5,6年経ったころかな。ドキュメンタリーはだいたいいつも日曜日の午前中か、「素晴らしいい世界旅行」とかなんとか、日曜の夜7時半から30分くらいの番組がありました。ドキュメンタリーにエンターテイメント的要素を入れて撮れるかもしれないと、日テレがナショナルドキュメンタリー特集っていう1時間の番組を始めたんです。10時から11時というわりと大人の時間帯。その企画で初めて持って行ったのが、「インド発ロンドン行直行バス」前後篇で、1本目がインドからイランの砂漠まで、2本目がそこからロンドンまで。

―その海外番組のお話だけで本が1冊できそうですね。

ちょっと酒でもあったら止まらないです(笑)。いくらでも話せますけど(笑)。
我儘な人間なので、自分が楽しいことだけやってきた。どこの会社にも属さないで、いまだにそうですけれど何とか一人でやってきた。ただ、仲間だけはいたんですよね。フリーでやっていてもひとりぼっちではないんです。毎回カメラマンであり、録音であり、仕上げのスタッフとか。どこの会社でやろうが、そのチームでやるのでかなり自由にできたんですね。だから言いたいこと言いながら、勝手なことしながらずっとやってきました。

―今回の映画作りのお仲間は?平塚さんのほかに。

最初は越さん、娘くらいの年齢なんですがたまたま大学が一緒で前から知っていた。カメラマンはいつもずーっとやっているカメラマンともう一人。録音はお金がないので自分でやって。それだけで始めました。最悪さっき言ったAff(ARTS for the future!)からお金が出なくても、自分以外の日当ギャラが払えればいいや、って感じで始めたんです。

―完成して良かったです。おめでとうございます。

ほんとに良かったです(笑)。

―後はたくさんの人に届けたいですね。このチュプキのように設備のあるところで上映するのが、一番よく伝わると思うんですが。

僕も細かいことはわからないんですが、最近はスマホで音声ガイドが聞けるんです。そういう方面はすごく進歩しています。きちんと連動させてやれば地方の小さい映画館でもある程度似たような形で音声ガイドを付けて映画を観ることができます。こういうことができるんだ、と知られるといいと思います。実際の撮影期間は15,6日。後半は撮影しながら編集もしていました。

※参考 社会福祉法人日本ライトハウス
http://www.lighthouse.or.jp/iccb/udcast/


―この映画は完成した後に字幕を入れなくてはなりませんね。

そうなんですよ。それも字幕の数が何千とある。画面にたくさんの字幕が出るので、文字の色を変えたり斜体にしたり。一つ間違うとたいへんな騒ぎです。最終はいつになるのかな。去年12月に一応みんなでお披露目の試写会をやったりしました。

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会議中の出演者(彩木香里さん、白井崇陽さん、難波創太さん、近藤尚子さん、石井健介さん)

―たくさんの方が出演されていますが、どの方も印象に残りました。監督が入れこめなかったけれど、というエピソードがあったらこそっと。

それぞれドラマを持った方たちなので、面白い話はいっぱいあってそぎ落としていくのが大変といえば大変だったんです。
難波さんは特にいろんなことをやっているので、映画に入ってはいないですけど大学で絵画の授業をするんですよ。絵画を3つくらい出して何が描いてあるか、学生に説明してと言うんです。横長のフレームに斜めに橋が描かれていて、とかの説明で自分がそれをイメージできるかどうか。それはそれですごく面白いですが、残念なのは今の学生たちが言葉を持っていない。だからとても浅いことになってしまう。イメージを湧かせるところまで、なかなかいかない。
難波さんは「るくぜん」という自分のギャラリーを持っていて、あるアーティストを呼んで、そこで作品を作ってもらう。そこへみんなが来て観るというのをやったんですよ。それは自分も面白かったですね。

―立体は触ればわかりますが、絵画をイメージするのは難しいですね。ただ難波さんには下地があるから大丈夫そうです。(武蔵野美術大卒、映像作家でデザイナーでした)

彼はすごいです。元々映像の仕事をしていて同業者みたいなところがあるから、わりとそういう話ができるんですよね。なんでもやってるんですよ。

―難波さんは何でもできるので、見えないというのを忘れてしまいます。

食べるものを作るとかアートとかいうのはわかるんですけど、合気道で投げられているじゃないですか。見えないで投げられるってどうなんだろうと。道場の方に聞いたらば、自分たちもびっくりしているって。その前からやっていたのでなく、目が見えなくなってから始めたというのが驚くほどのことで。

―館山の石井さんが、「朝、目がさめたら目がみえなくなっていた」というのに、そんなことってあるんだ!と驚きました。こんなに若いのにほんとにショックだったろうと思います。
落ち込んでいたところを小さい娘さんのひとことで、立ち直れたというのにも感じ入りました。


逆にいえば若いからこそ立ち直れたし、いろんなことをやれている。その勇気ってすごいと思いますね。みんなができるかといえば、それは難波さんだからであり、白井さんだからで、個人なんですよね。

―こういう状況でここまでやれている人がいるというのは、他の人たちの励みになります。今大丈夫でも、誰でも年を取れば耳が遠くなり、目もかすんできますし。

―(宮崎)ここチュプキができたときから気になっていたんですが、なかなか田端まで来れませんでした。今回試写がここだったのでやっと来ることができて、音声ガイドをイヤホンで聞くのも初めてだったので、興味深かったです。
スマホで聞けるというのを聞いて3年前のピースボートの経験を思い出しました。

(*船内の日本人による講座、講演などを同時通訳で英語と中国語に訳して、その言語しかわからない人たちは音声ガイドのようにスマホで聞いていた)

そういう意味ではすごい進歩しているんです。
スマホは彼らに必要なんですね。月餅づくりで(難波さんのお店に)行ったときも、喋れない人と見えない人が一緒にやるんだけど、何かのときにスマホを出して、パパっとやる。

―(景山)さっきの試写で難波さんの連れているピース(盲導犬)のそばにいたんですけど、ピースが上映中おとなしく伏せていたのに、劇中で「立って」の声がしたらパッと立ったんです(笑)。
*難波さんの声に反応した仕事熱心なピースの逸話

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難波さんとピース

―(宮崎)私たちが観て、見えない人や聴こえない人を「こういうことなんだ」と理解することができます。だからいろんな人に観てほしいですよね。

全くそうです。僕は特に障害を持った人に観てほしいという気はないんです。「分け隔てなく誰でも観てください」とすごく思っています。だからそういう人たちの映画としてでなく、伝わるといいなと思っています。

―そのために何か工夫されたことはありますか?

編集しているときには映画として、ドキュメンタリーとしてどうか、ということの判断だけでしたね。逆にそこの間を埋めてくれるのが、字幕であり音声ガイドです。僕が信念として持っているのは「ドキュメンタリーというのは真実をそのまま伝えるんじゃなくて、作りものだ」ということです。しかも上質の作りものにしないと伝わりません。そうはっきり思っています。

―映画として、ドキュメンタリーとして面白く拝見しました。
今日はありがとうございました。


=取材を終えて=
出てくる方々がとても魅力的です。お一人ずつのドキュメンタリーができるのでは?と思うほど背後にはドラマが詰まっていました。気づくことがいろいろありました。演劇に手話通訳者がいる、というのも観て初めて納得がいきます。見えない方が周りの動きや気配をよく感じて、とらえているということも想像以上でした。これは説明を聞くよりも実際に観て、感じていただきたい映画です。
写真撮影をしながら山田監督の心の1本は何ですか?と伺いました。「洋画ばかり観ていたから1本は難しいな」と選んでくださったのは、ロジェ・ヴァディム監督の『血とバラ』(1960)。記憶に残っている最初の1本は、家族に連れられて観た『未知空間の恐怖 光る眼』(1960)だそうです。

★山田監督の新作は『ドキュメンタリー 劇団座敷童子~コロナとザシキワラシ~』です。ただ今、監督自ら配給・宣伝にまい進中。
こちらもまた魅力たっぷりの劇団員さんたちが登場します。コロナで大打撃を受けた興行界ですが、みなさんの不屈のエネルギーに圧倒されました。生の舞台が見たくなります。11月19日より横浜シネマリンにて公開決定!
https://sajiki-movie.com/
 
(取材:白石、景山・宮崎が同席。監督写真撮影:宮崎)

『紅花の守人 いのちを染める』佐藤広一監督インタビュー

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*プロフィール*
1977年山形県出身。1998年、第20回 東京ビデオフェスティバル(日本ビクター主催)にて、短編映画「たなご日和」でゴールド賞を受賞。
監督作に「隠し砦の鉄平君」(06年)、WEBドラマ「まちのひかり チェーズーベー」(20年)主演:庄司芽生(東京女子流)がある。
ドキュメンタリー映画『無音の叫び声』(16年/原村政樹監督)、『おだやかな革命』(17年/渡辺智史監督)、『YUKIGUNI』(18年/同)では撮影を担当。
監督作『世界一と言われた映画館』(ナレーション:大杉漣/プロデューサー:髙橋卓也)が2019年に全国公開。公開待機作品に、映画『丸八やたら漬 Komian』(2021年/ナレーション:田中麗奈/プロデューサー:同)がある。

〇『紅花の守人 いのちを染める』作品紹介はこちら
2022年製作/85分/日本
配給:UTNエンタテインメント
(C)映画「紅花の守人」製作委員会
★2022年9月3日(土)よりポレポレ東中野ほか全国順次公開

★ラストにも言及しています。気になる方は鑑賞後にお読みください。

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―「紅花」は、いつか撮りたいと温めていたものですか?

前作の『世界一と言われた映画館』もそうなんですが、情報が入ってくるというか、みんな常に気にしているものなんです。ことあるごとに「グリーンハウスが」と言うし、紅花もシーズンになるとあちこちで「紅花まつり」をやっていて否が応でも入ってくる。
どこかのタイミングでそれを撮る時期というのがあるんだろうな、とはぼんやり頭の中で思っていました。ただご縁とか、タイミングとかがあるのでおいそれとはとりかかるわけにはいかないんですけど。
この『紅花の守人』に関しては、4年前に生産者の人たちがこれを作りたい、というのはタイミングとして最高だったんです。世界農業遺産登録のタイミングでもあり、この映画は去年完成しているんですけど、なおかつ『おもひでぽろぽろ』(1991/高畑勲監督)の公開からちょうど30年という節目だったんです。

―もう30年経ちましたか!

当時私は中学2年生でした。ナレーションをされた今井美樹さんは「え~!子どもだったんですね」と(笑)。

―その映画を作りたいとおっしゃったのが、ご夫婦で登場している長瀬正美さんとひろこさん。

はい、長瀬さんはこの映画製作委員会の会長、奥さんのひろこさんがこの『紅花の守人』というタイトルを「どうですか?」と提案してくれました。何かいい落としどころないかな、とずーっと考えていたんですよ。ぴったりでした!

―お二人はこの紅花作りを守っていく、という気持ちで続けてらっしゃるんですね。

そうですね、やっぱり相当減っているんです。今もやっているのは年配の方が多い。若い担い手から見ると紅花は経済として今殆ど成り立たないんです。
この映画の中には出していないですけど、長瀬さん夫妻は、この紅花を朝イチ4時くらいから摘むんです。朝露でとげが柔らかいうちに。その後はトマト畑へ行きます。トマトを収穫してすぐ出荷しています。ほかに米も作っているんですけど、これもあまりよくない。
でも、経済効率だけじゃなく、繋げていかなきゃならないものがあるんじゃないかって、長瀬さんは紅花をお金とは関係なく途絶えさせてはいけないと。こういうのって途絶えさせたらもう瞬間でなくなってしまうので、継続していきたいし次の世代に引き継ぎたい、という強い思いがあって映画を作りたかった。

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―映画になると残りますし、全国へ、また世界でも観てもらえますものね。どなたか紅花作りを引き継いでくれそうですか?

これは大変な作業ですし、一から始めようとするとまず畑買うところからになっちゃうので、引き継がれてきたところを繋いでいく、ということでしかないんです。

―どこの農家も後継者には苦労するのかもしれないですが。紅花は手間暇かかりますしね。

最終的にこの映画で伝えたいことは「効率だけじゃない」という部分をやんわりと描くことで「なるほど」と伝わればいいなと思っています。

―紅花はとても高価なので、作った人は使えないというのもなんだか切ないです。

生産地ですからね。やっぱりもう出荷してお金に替えるということでしかないんですよ。完成品はやっぱり京都、大阪です。後は幕府であるとか、皇室へ献上されるとかですね。一番儲かるのは紅花商人です。

―そういう歴史や紅花の流れがわかって大事な映画だなと思いました。こうやって関連付けて観たことがないので。

その土地その土地の文化をパートごとに分かれてみなさんが知っているということで、こういう風に一周するというのは今までなかったと思います。

―『おもひでぽろぽろ』で紅花作りが大変なのを知りました。紅花を知るのに大きかったですよね。

今見返すとかなり詳細に描かれています。

―京都の染色家の青木正明さんが、紅花を人に例えているのが面白かったです。

我々はあのシーンを「紅花じゃじゃ馬娘説」って言ってるんです(笑)。今井美樹さんもここを気に入ってくれて「印象に残ります」と。

―残ります。ものすごく綺麗だけど性格が悪くて手がかかる。わがままで、と(笑)。
黄色ならすぐに出るのに、あの赤を出すために別の手間がかかるわけですね。


99%が黄色で、赤は1%しか取れないということで貴重さが全然違う。黄色のももったいないので染めるのに使う人もいます。

―紅花の種まきから始まって、出荷までに一連の作業がありました。ほかに歴史を語る人、染める人、売る人、将来を考える人、とたくさんの人が登場します。長瀬さんからいろいろ吸収して、次はこれ、と組み立てていかれたのですか?

基本的にはそんなに細かく構成していたわけではないんです。長瀬さんが映画を作りたいと思った最初の段階から、ある程度「ここに行くとこういう人がいる」というのはありました。栽培地ではいっぱい摘み人がいるんですが、最後まで活用する「守人」はそんなにいない。ここまで撮れたから次はこれじゃない?という話し合いをして、繋げていきました。長瀬さんは製作委員会会長をして、出演もしていて、「出羽地区のトム・クルーズじゃないですか」と(笑)。

―ああ、なるほど(笑)。
最初に出てくるあの紅花デザインの緞帳はとても大きなものですが、紅花の染料も使われていますか?

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さすがに大きいので、一部でだけ使われています。山形県民ホールは紅花をイメージして作られているので、2000席の座席も真っ赤で、入ると圧倒されます。

山形の映画祭に行ったときに観られると嬉しいですが。催し物のチケット買って入らないとダメですね。せっかくあちこちからお客様が来る映画祭だから、機会があればいいですね。

『紅花の守人』の初上映をここでやりたいと思っていたら、県民ホールの方が共催にしましょうと言ってくださったんです。タイアップで。
2021年10月10日にお披露目をしました。緞帳が上がって、映画が始まるとオープニングがその緞帳なんですよ(笑)。バーンと出てくる。

―すごい!

上がったばかりで、また緞帳。しかもあのシーンはホールにドローンを持ち込んで撮りました。初めてらしいですけど、浮遊して緞帳に近づいていくのをオープニングにしたいなと思って。

―それは監督のアイディアですか?

髙橋プロデューサーのアイディアです。ただ撮るだけじゃなく、何かやりたいなとアイディアを出し合って。あまり細かいことは言われませんが、たまにこうしたら、という私が思いつかないようなことを言ってくれます。

―プロデューサーさんは遠くのロケにも一緒に行くものなんですか?

今回一緒に行っています。配給のUTNエンタテインメントは『よみがえりのレシピ』(2011)の渡辺智史監督がやっていて、高橋さんがプロデュースしています。渡辺監督の『おだやかな革命』(2018)、『YUKIGUNI』(2019)は私が撮影しています。『タネは誰のもの』(2020)の原村政樹監督の『無音の叫び声』(2016)でもカメラでした。全部繋がっているんです。家庭内手工業みたいにぐるぐるぐるぐる(笑)、監督したり撮影したりみんなで一緒にやってるって感じです。

―そんなに何度も一緒にできるって相性がいいんですね、きっと。手が足りないときにぱっと思い浮かぶ人がいるっていいことですよねえ。

もう10年以上、役割を代わりながら何かしらやっています。撮影しているときもちょっと手が足りない時は、渡辺監督に「ちょっとお願い」って。「画が変わらないように」カメラも同じやつを買ったんです。相談して(笑)。そうすると「2カメできるね」とか、いろいろシミュレーションもしてみんなで。

―みなさんドキュメンタリーですね。製作費を捻出するのも、回収するのもたいへんでしょう。

そうなんですよ。なかなか難しくて、とんとんになればいいよねくらいの感じで。

―プレゼンの練習風景があった世界農業遺産が決まっていれば〆にぴったりでしたね。

あれも審査が止まっているんですよ。審査員の人が現地に来られなくて。ほんとは全国公開のタイミングで「審査通りました~!」ってなれば最高だったんですけどね。

―コロナのせいですね。ラストは奈良の月ヶ瀬で昔ながらの「烏梅(うばい)」を作る中西喜久さんと健介さん。出かけたみなさんが修学旅行の生徒みたいに嬉しそうでした。

守人の人たちもほとんど行ったことがなくて、あそこに行くのが念願なんです。「一度は行ってみたい」とみんな言うので「じゃ、行きますか!?」って。憧れの聖地にやってきました、という高揚感もあり。場所もかなり遠いところで、山の中まで行くのに交通機関でポンと行けず、レンタカー借りてという世界になります。

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―「烏梅」作りは伝統的な紅花染めに必要なものですが、今1軒が残っているだけなんですね。息子さんが継承しているのにホッとしました。

化学染料のように媒染剤の代用品もあってほとんどの人がそっちを使っちゃうんですが、映画に登場するちゃんとした染めをしている方々は、これでなくてはならないんです。新田克比古さん翠さんご夫妻は京都のよしおかで修業されていて、本物を継承されています。
こういう人たちがいないと烏梅も残っていきません。

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―紅花の切り花や製品は見えますが、その前の地味な仕事、過程を支える人たちの姿は隠れています。その守人たちに光を当ててくれてとても良かった。
私は静かな映像とナレーションの作品は、よく寝落ちしてしまうんですが、この作品では一度も眠くなりませんでした。

あ、ほんとですか。良かった!
今回やっぱり「飽きさせない」っていうのも一つのテーマだったんです。こういうのってそうなりがちじゃないですか。なので、それだけは絶対にしまいと思って。良かった~(笑)。

―監督の思うつぼにハマりました(笑)。だって知らないことばっかりで。映画って知らないことを教えてもらえる楽しみもあります。

髙橋さんも私もそうですけど、知ってるようで知らないことがいっぱいありました。最初からガチガチに勉強するのでなく、なんとなくは聞いているけど毎回「教えてください!」という姿勢で。映画を観る人は初めてじゃないですか。こちらが知っている前提で話をされちゃうと、いろいろクエスチョンがたまってくるわけですよ。だからほんとに単純な質問なんですけど「これ何ですか?わからないので教えてください」って。

―監督が観客の質問を代弁してくれたということですね。私たちの取材と一緒です。監督の狙いはちゃんと伝わりました。

そういっていただけると。尺(長さ)も85分という長さなんです。自分で観てもドキュメンタリー映画が2時間近くなってくると、最後の15分は要らなくないか?みたいな(笑)、けっこう感じることがずーっとあったんですよ。それでスコーンといいところで終わる、っていうのは最初から狙いとしてありました。
昔、『ランボー』(1982)とか90分くらいでスパッと終わらせてるんです。蛇足がない。「90分内映画最強説」っていうのがあるんです(笑)。いい感じの印象を残して終わらせる。

―90分映画は観やすいですよね。興味や緊張が持続する時間なのかな?監督はちゃんと90分以内で終わらせて。いろいろと思惑当たっていますね。

ありがとうございます(笑)。

―後はお客様がたくさん入ってくれますように。県や市と相談して学校上映をさせてもらえるといいですね。

そうですね。学校上映とか特にやってほしいなと。タイアップ的なのは、やりました。栽培部分だけの短いものは何か所かで上映しました。
山形はもう先行上映をしているんですけど、やっぱり「知っているようで知らない」っていう感想がほとんどでした。観に来てくれた学校の先生で「学校で上映したい」っとおっしゃってくださった方もいました。

―それはもうぜひぜひ。全国公開と一緒に山形での再上映などは?

ぜひやれたらいいですね。

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―監督はこれまでグリーンハウスや香味庵など山形の残しておきたいものを撮られていますが、これからの予定は?

残しておきたいというか、まあ、みんな気にはなっている事柄なのかもしれません。プロデューサーが髙橋さんっていうのも大きいです。やっぱり髙橋さんのところにいろんな題材の相談が来る。「これを映画にしたらどうか」とか。なんでも映画として成立するわけではないので、そこは選んで残ったものを映画にしていくって感じですかね。

―髙橋さんと監督が自分で観てみたいと思わなくちゃダメでしょうね?

それは最初にありますね。これは物語になるというネタじゃないと、なかなかとりかかるのは難しい。

―記録として残すだけじゃなく、エンタメにもしなきゃいけませんね。

そうなんです。映画ってエンターテイメントですからね。
今井美樹さんに協力していただいたり、音楽もけっこう、ドキュメンタリーにしては多いほうという感じがします。その逆の「ナレーションなし、音楽なし」というストイックな作り方もできなくはないんですよ。そうすると一部の好きな人だけが観るみたいな感じになっちゃうんです。できれば広く観てもらいたい。

―うーん、その塩梅って難しいですよね。この作品の出来上がり具合、ご自分では?

自分では、予想以上に良くなったなという感じはしてて(笑)。今までずーっと観てくれた人で「佐藤監督の最高傑作」と言ってくれた人が何人かいました。自分で言うとちょっとあれですが(笑)。

―観た方々が言ってくれたと、ちゃんと書いておきます(笑)。

初めて観る人に寄り添ったというか、飽きさせない。ドキュメンタリーが難しいというのを覆したいなと思ったんです。

―この次に撮りたい候補はいくつかあるんですね。

そうですね。まだ準備段階ではありますが。

―楽しみにしています。ありがとうございました。

(取材・監督写真 白石映子)


=取材を終えて=
おもひでぽろぽろ』を観たのはもう30年も前だとは!佐藤監督は中2だったそうですが、私は専業主婦で、取材に立ち会っている宣伝さんはまだ産まれてもいません。あの作品で朝早く手で摘むのを知って大変なお仕事だと思ったのでした。
紅花は江戸中期から最上川流域で盛んに栽培されるようになって、その価値は米の100倍、金の10倍と言われたそうです。艶やかな紅花染は珍重されましたが、近代になって安価な化学染料にとって代わられ、急速に紅花農家が減っていきます。そんな中でも、土地が育んだ伝統を絶やすまいと守る人たちがいました。佐藤監督は、棘のある紅花を愛おしそうに摘む人たちを訪ねます。さらに、色に魅せられて研鑽を積む人、歴史を紐解く人、料理に生かす人…紅花を支える人たちにお話を聞きます。最後に月ヶ瀬に集まった守人たちの笑顔の良いこと!
紅花で繋がった人たちをめぐる1本の映画は、せかせかと生き急ぐ私にゆっくりゆっくり、と言ってくれているようでした。来年は山形へ紅花の畑を見に行くぞ~。(白)

●『世界一と言われた映画館』佐藤広一監督インタビューはこちら

「第33回 東京学生映画祭」 運営委員:宇佐美綾音さん、磯部秋斗さんに聞く

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●第33回東京学生映画祭●
2022年8月20日~21日
in渋谷・ユーロライブ

公式HP: http://tougakusai.jp
Twitter: https://twitter.com/tougakusai
Facebook: https://www.facebook.com/tougakusai/

―映画祭運営組織を簡単に教えてください。

磯部 委員は総勢27人。代表の下に進行部と広報部に分かれ、それぞれを進行部長・広報部長がまとめています。
進行部の役割は主に当日の進行業務やゲストに関連する業務、広報部の役割は主にSNSを通じての広報活動や映画祭りにご協賛いただける企業様をさがすことです。
ほかにも配信に関する業務を担う委員やデザイン全般を担う委員もいます。

―運営委員はどうやって集められるんですか?映研の人が多いんでしょうか?

宇佐美 TwitterやHPで募集をかけています。サークル活動という形でやらせていただいていますので、学生であればだれでもいいんです。

磯部 映研の人もいますけど、大体は大学のサークルとは関係なく、たまたま見つけたみたいなことも。

―大学の枠を越えて集まっているんですね。じゃあ事務局はどこに?

宇佐美 事務局はないんです。ミーティングなどはだいたい下北沢で会議室を借りてやっています。

―お二人の入った時期と今の役どころは?

宇佐美 学生映画を見たかったので去年の春ごろに入りました。今3年生です。広報部で主に映画祭の宣伝や、協賛、協力者との交渉などを行っています。

磯部 2年生です。今年の4月から新人として、応募作品から上映作品を選ぶセレクションから参加しました。映画が好きだったことと、何か新しいことをやってみたかったからです。進行部でtwitterでの宣伝を主にやっています。

―担当は自分の希望ですか?

宇佐美 毎年メンバーが違うので、その都度やり方も全然違ってくるんですけど今年はそうです。

磯部 メンバーは2年生が圧倒的に多いです。2年生いっぱい、3年生いっぱいやって映画祭が終わったら引退することが多いかな。

宇佐美 最初は作品募集のやり方、スケジュールの進め方という業務の引き継ぎがあります。まず、映画祭を開催するのかどうか、どういう映画祭にしたいのか「後は君らの代が全部自由に決めてね」っていう感じです。

―開催を決めた後、準備は何からどんな風に始めるのですか?

宇佐美 今年の軸を決めてから、会期を決めます。そして会場決めです。そのあとは作品を募集し、入選作品を委員で選んでいきます。

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『えんまさん』鈴木智貴監督

―作品はどのくらい集まりましたか?どんな風に選定していくんでしょう?

宇佐美 応募作品は204本でした。グループに分かれて手分けして全作品を観ます。第1次、第2次、最終選考まであります。今年は3月に募集を締め切って、5月まで手分けして観続けました。私は70本観ました。

磯部 僕は途中からだったけど、そんなにたくさん観たんだ!

宇佐美 それが楽しみでやっているので、楽しいです(笑)。

磯部 最終選考に残った今年の上映作品は12本で、2日間通っていただけると全部観られます。

宇佐美 配信もあります。以前の受賞作品はアーカイブから見ることができます。

―今回の映画祭の特色・見どころは?

宇佐美 今年は短編、長編、アニメーションに部門を分け、作品数も少なめにしました。
なので、少数精鋭のすべてが面白い作品であると言えると思います。

磯部 これは今年に限りませんが、やはり運営・上映作品すべて学生の手によるところが東学祭最大の特徴です。またその特色から、1年で委員のほぼ半数、2年でほぼ全員が入れ替わることから運営体制の変化が早く、自分たちでも意識しない変化や特徴が毎年あるかもしれません。

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『川凪ぐ火葬場』はるおさき監督

―ゲストもいらっしゃるんですね。

磯部 監督はご招待しています。観客席から見ていただいて、上映後に審査員(*)の方とトークの予定です。
*審査員は岩井澤健治さん、杉野希妃さん、瀬々敬久さん、細田守さん、三宅隆太さん

宇佐美 審査員の方とお話しすることが、入賞した!というモチベーションになっていただけるといいなと思います。

―運営上、大変なことは何ですか?予算、人事、作品選定‥

宇佐美 作品を選ぶことが一番楽しくもあり、難しいです。 みんな意見が違うので。
磯部 いくつかの部署で同時に進行している業務を把握することが大変です。
広報では特に宣伝をするうえで、東学祭の活動の全容を把握している必要があります。

―学生だからこそできること、あるいは難しいことは何でしょうか?

宇佐美 一般の学生がシンプルに上映したいと思ったものを選ぶ、ということがこの映画祭の一番の魅力だと思います。難しいことは、わからないことだらけなことです。メールの送り方から始まり、社会性を学ばせてもらっています。

磯部 特に上映作品のセレクションなどで、それぞれが純粋な感性を正直にぶつけ合えることで学生ならではの映画祭になっていると思います。

―映画祭には経費がかかりますが、前年度分の残高も引き継ぐんですか?

宇佐美 去年の先輩は残して下さっています。なので、今年も会場費くらいは残して引継ぎたいと思っています。チケットと企業のご協賛、クラウドファンディング(12日まで)が主な収入になります。
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『サカナ島胃袋三腸目』若林萌監督

―以前から映画が好きでしたか?

宇佐美・磯部 はい!

―最初の映画体験を覚えていますか? 作品名や誰と一緒だったか?

宇佐美 最初は覚えてないです。おそらくテレビでやっているジブリあたりが最初だったのではないかと思います。ストーリーというよりキャラクターの印象が強かったと思います。

磯部 初めて見た映画は覚えていませんが、小さなころハリポタの映画が公開されると家族で見に行ったことを覚えています。内容は子供には少し怖かったのですが、毎度楽しみにしていました。親が観たかったんだと思うんですけど、映画観てご飯食べて一日遊んだって感じです。

―ハリー・ポッターは何作もあったので、じゃあハリーたちと一緒に大きくなったんですね。

磯部 そうですね(笑)。

―宇佐美さんはジブリ作品から。自分でお金を払って観たのは何か覚えていますか?

宇佐美 ジブリやドラえもん、クレヨンしんちゃんとか子ども向けアニメ映画から入ったと思います。自分でお金を払って観たのは…中高生の頃に友達と映画館に行ったのは…おそらく少女漫画原作で、イケメン俳優が主演の映画が最初です。めちゃくちゃベタですけど。

磯部
 僕も中高生だと思うんですが、恋愛ものだったかな、あんまり覚えてないです。友達と集まってひたすらゲームしてたかもしれない(笑)。

―映画のジャンルは問わず、なんでも好きですか?

磯部 何でも…ホラーは怖いかな。驚かされる系がちょっと苦手で。

宇佐美 韓国映画は痛いしえぐいですけど、そこがいいんですよね。あとアジアの映画が好きです、韓国や香港とか。ジャンルだとヒューマンドラマが好きです。

―映画は人生に影響を及ぼしましたか?

宇佐美 影響はあると思います。東学祭に入ったこともそうですし、人生の楽しみの一つを見つけられたのは嬉しいです。

磯部 思いつかないです。すみません。

―監督、俳優で「推し」はいますか?

宇佐美 最近は女優の志田こはくさんが好きです。

磯部 俳優の滝藤賢一さんが好きです。

―今は映画を観るほうですが、作るほうに行きたくはないですか?

磯部 運営委員の中には作っている人もいますが、僕は観るほうがいいです。

―これから映画業界に打って出たいですか?

宇佐美 考え中です!

―そろそろ時間なのでアピールしたいことをどうぞ。

磯部 僕は途中からの参加ですけれど、セレクションでけっこう思い入れのある作品もあります。一人でも多くの人に観ていただければ、それが一番嬉しいです。

宇佐美 一人でも多くの人に観てもらう、ということを考えると、配信はいい方法なので増やしていく方向にはなると思います。一番はスクリーンで観ていただいて、トークは配信されないのでやはり生で観ていただきたいです。来られない方はぜひ配信をご活用ください。

―ありがとうございました。盛会となりますように!

              
(取材・写真 白石映子)


★スタッフ日記にも書いています。こちら

『時代革命』 キウィ・チョウ監督インタビュー

「ぬるま湯でカエルをゆでる」(中国の諺)
知らないうちに自由が奪われていた!

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Cheng Wai Hok


『時代革命』
原題:時代革命 Revolution of Our Times
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(C)Haven Productions Ltd.

監督:キウィ・チョウ

2019年、香港で民主化を求める大規模デモが起きた。10代の少年、若者たち、飛び交う催涙弾、ゴム弾、火炎瓶……。壮絶な運動の約180日間を、監督自らヘルメットを被って追ったドキュメンタリー。
「光復香港、時代革命(香港を取り戻せ、時代の革命だ)」「香港人、加油(頑張れ)」と声を上げて抗議する若者たち。中核的な組織体やリーダー不在の運動だが、SNSを駆使し、機動的に統制されている実態も明らかになる。立法会、地下鉄駅、香港中文大学、香港理工大学などの場面が積み重なり、組み合わされ、運動の大きなうねりを記録していく。

作品紹介 http://cinejour2019ikoufilm.seesaa.net/article/490705719.html

配給:太秦
2021年/香港/カラー/DCP/5.1ch/158分
公式サイト: https://jidaikakumei.com/
Twitter @jidaikakumei
★2022年8月13日(土)よりユーロスペースほか全国順次公開



キウィ・チョウ(周冠威)
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Alex Chan Tsz Yuk


2004年、香港演芸学院電影電視学院演出学科卒業。2013年、同学院で映画製作の修士課程を修了し、自身初の長編映画監督作となった『一個複雑故事(とある複雑な話)』は、第 37 回香港国際映画祭に出品。また 2014 年、芸術開発協議会新人賞を受賞。2015年には、オムニバス映画『十年』の一篇「焼身自殺者」を監督。物議を醸す映画で、中国の官報に批判したものの、35 回目の香港電影金像奨で最優秀映画賞を獲得し、現在はNetflixで配信されている。2020 年、彼の二作目となる『幻愛』(邦題:『夢の向こうに』)が香港で劇場公開。パンデミックの渦中にもかかわらず台湾金馬奨で最優秀脚色賞を受賞、39 回目の香港電影金像奨では「最優秀監督」を含め、計6つの賞にノミネートされた。



◎キウィ・チョウ監督インタビュー
2022年7月22日(金)リモートで香港にいるキウィ・チョウ監督にお話を伺いました。

◆サプライズ上映の東京フィルメックスと同じバージョン
― 東京フィルメックスで、直前に上映が発表されたのにも関わらず、すぐに売り切れとなりました。満席の観客といっしょに画面にくぎ付けになりました。今回、あらためて試写で拝見しましたが、東京フィルメックスで観たものから編集が少し変わったような気がしました。今回の日本公開にあたって、意図的に変更したところがあるのでしょうか?

監督:バージョンは同じです。特に手を加えていないと思います。字幕が若干変わって、登場人物の顔にかけたモザイクの量が増えたかもしれません。

◆気が付いたら自由を奪われていた
― 1979年に初めて香港に行き、とても気に入って、その後70回以上、訪れています。1997年7月1日の香港返還の瞬間も香港で体験しました。旅人として、返還後、徐々に変わっていく姿を見てきましたが、それは、例えば町で普通話がよく聞こえてくるようになったとか、お店で中国のお札がそのまま使えるといった程度のことです。返還後、香港の人たちは日常生活において、いつごろから、どんな点で、中国政府の影響を感じるようになったのでしょうか?

監督:「ぬるま湯でカエルをゆでる」という中国の諺があります。ぬるま湯だとカエルは火にかけられてゆでられていることがわかりません。 返還後、8~10年位は、自由が奪われていっていることに、香港の人たちは自覚がなかったと思います。『時代革命』の冒頭で、なぜ運動を起こしたのかを語っています。自由主義を求めてのことです。
英国植民地時代の香港は、経済も発展していて文明も進んでいる町でしたが、政治的な民主主義はありませんでした。1997年7月1日の返還で、1国2制度となり、自分たちで自分たちの運命を決められると思っていました。自由と民主主義は保証されると思っていたのです。ところが、中国政府は自由や民主主義を香港の人たちに与えないという態度です。香港政府も中国に合わせて、民主主義を与えないという状況です。すでに手の中にあった自由が失われていくことになったのです。
過去にいくつかの運動がおこりました。大きなものでは、2014年の雨傘運動、 2019年 時代革命です。もう1点、香港にいる人たちは、1989年の天安門事件をみて非常に衝撃を受けています。はっきりと伝わったのは、中国共産党政権は自国民も殺すということです。


―「ぬるま湯でカエルをゆでる」という諺から、気がつかない内に自由が奪われたことをずっしりと感じました。『光復香港(香港を取り戻せ)」というスローガンですが、デモに参加している若い人たちは、返還前の香港を実際に体験していません。若い人たちにとって、取り戻したい香港とは?

監督:1997年までは、香港の歴史を見ると、少しずつ進歩して自由になって幸せを感じていました。ところが返還後は、逆にどんどん後退し、自由も失われていって幸せでないのを感じるようになりました。若い人たちもそれを感じ取っていると思います。

― イギリスから返還され、行政のトップがイギリス人から香港人に代わるということで、一部の行政の人たちにとっては喜ぶべき状況になったということでしょうか?

監督:97年にイギリスから返還されて、主権が中国に移され、共同声明で国防と外交を除き高度な自治を持つことになったのが、一国二制度という形です。 その高度な自治が守られなくなったのです。

― 映画の最後に出てきた歌の「必ず夜は明ける。自由香港、栄光あれ」という歌詞が皆さんの気持ちを象徴しているように思いました。いつ作られたのでしょうか?

監督:この歌が作られたのは、2019年9月です。


◆香港警察と黒社会の密な関係
― 香港映画が大好きで、たくさん観てきたのですが、香港警察と黒社会との繋がりを描いた作品も結構ありました。今回、3番目の項目「香港警察と黒社会」で、元朗駅での黒社会の人たちによる暴力シーンを観て、今も繋がりがあるのだと実感しました。

監督:おそらく元朗駅の事件も、知らず知らずのうちに警察と黒社会の関係が密接になっていたのだろうと思います。雨傘運動の時にも、個別の事件で警察と黒社会が手を結んでいるのではないかと話していたのですが、全面的に表れたのは、元朗での事件です。2019年7月21日に起きたことなのですが、映像があるのに、警察は事実無根だとまだ認めない。警察は本来、市民を守り、治安維持に尽くさなければいけないのに、法を守るべき警察が市民を殴って黒社会と手を結ぶという皮肉な話です。それも大々的に行うということが信じられませんでした。

― 国家が何をするかわからないということですね。

監督:明らかに国家犯罪ですね。 国が罪を犯しているのです。


◆平和裏に闘争する人物も収監される
― 雨傘運動は、香港大学の戴耀廷(ベニー・タイ)教授の提案によって始まりましたが、タイ教授は、この映画の中でもたびたび登場し、みずから提唱した民主化の運動が平和的なものから暴力的なものになっていくのを歯がゆく思ってみていたことが伝わってきました。自らは鉄格子の中にいたとのことで、この学生たちの運動の流れを止めることができなかったようですが、香港大学教授を解任され、刑務所に入り、釈放されてから、どのような形で運動にかかわっているのでしょう、今も理論的な柱ではあるのでしょうか。

監督:残念ながら、今も刑務所の中です。2014年の雨傘運動にかかわったことで2019年に逮捕されました。時代革命の最初の数か月はまだ刑務所にいて関われませんでした。釈放されましたが、2021年に再び逮捕されました。平和的に闘っていくことを主張する人も逮捕されたという状況です。これからなにができるでしょう。何もできない状況です。とても残念なことです。
ともに傷を負って、2019年には両方の主張は若干異なっていたのですが、互いの理解が進んでいるのではないかと推察しています。
2019年に流行ったのが、「香港人の絆は傷と苦難で結ばれているよ」というものでした。



◆水面下でも動けない現状
― 2020 年 6 月 30 日、国家安全維持法が施行されて、香港の人たちを取り巻く環境が大きく変わりました。 毎年行われていた天安門事件追悼集会に、あれだけ多くの人が参加していたのに、集まることもできなくなりました。海外に移民してしまう人も多いですが、香港にとどまっている人たちは、皆、息を殺して暮らしているという状況なのでしょうか? 水面下での動きはあるのでしょうか?

監督:香港の人たち全体でしょうか? それとも私自身?

― 監督ご自身が知っている範囲で教えてください。

監督:おそらく今は水面下で何の動きもないと思います。街頭に出て何かするということができません。刑務所に放り込まれている「手足」と呼んでいる大勢の仲間たちの裁判を待っている状態です。どうやって彼らを助けることができるのかを考えている状況です。今の体制に反対するメディアの声は、まったくなくなりました。 政治的な組織だけでなく、多くの市民組織、例えば学校の教師の労働組合などもほとんどが解散させられました。国家安全維持法の取り締まりが厳しいので、そのような団体の責任者のほとんどが逮捕されてしまいました。私の知る限り水面下で何ら動きもありません。

― 映画の中で闘いながらも新年を迎えるカウントダウンを行う姿が出てきました。かつては時代広場などでカウントダウンをしたり、冬の花火を楽しんだり、ハイキングやバーベキューを楽しんだ時代があったと思います。また心から楽しめる時代がくればと願っています。

監督:私もそういう風に期待しています。 今、現実的な問題としてコロナで集まれません。
条例にもとづいて、短時間に大勢が集まってカウントダウンをしたり花火を見る許可がでません。
一方、二つのケースがあって、デモ、集会など政治的主張をする集会は厳しい規制。お祝い事についてはゆるやかで、コロナが収束すれば認められると思います。


― 香港の皆さんが自由に暮らせる時代が来ることを願っております。本日はありがとうございました。多謝。

監督:こちらこそありがとうございました。 多謝。

取材:景山咲子



なお、この個別インタビューは、前日の試写後のトーク(下記)も踏まえて行いました。


◎『時代革命』 キウィ・チョウ監督 試写後のトーク

2022年7月21日(木) 2時半からの試写後、オンラインで登壇
場所:渋谷・ユーロライブ

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撮影:宮崎暁美


太秦 代表取締役社長 小林三四郎氏より代表質問が行われました。

― この映画をなぜ作ろうと思ったのでしょうか? 

監督:香港のことについて、世界の人々に知ってほしい、曲げられた事実を知ってほしいと思いました。僕自身、私たちの家「香港」について何かできないかと考えたときに、映画作家としてドキュメンタリーを作ることにしました。僕だけでなく、香港人は皆、美しい香港を守りたいと、いろいろなことを考えています。僕自身は映画を作ることでした。
もう一点、映っている一人が、「逮捕されるところを撮影してほしい」と言いました。 撮影することが彼を守る手段でもあると思いました。事実を曲げられ逮捕されることもあります。歴史を守るため、彼の言った言葉を映画に撮ることも事実を残すことでもあると思いました。これも映画を撮った理由です。


― 抗議をした若い人たちの活力や原動力のすごさをリアルに感じました。気迫が私たちを感動させました。エネルギーの源はどこにあるのでしょう?

監督:希望も一つの原動力です。希望をなくしたくないからこそ、今でもあきらめずに進んでいます。
別の側面からいうと、「絶望」でもあります。自由を失ってしまうことは絶望につながります。絶望だからこそ見える希望も原動力になっていると考えます。


― 2019年、いろいろな形で暴動が起こりました。どのように撮影を進めたのでしょうか?

監督:撮影方法の中でもっとも重要視しているのが、ストーリーと人物です。ストーリーの中で人物との因果関係もきちんと描きました。2点目として、人物の中にリーダーがいないことで理性と感性を映し出すことができたと考えています。 たくさんの人物が必要となったのが困難なことでもありました。人物の理性を保ちながら、感性も映すことが大切でした。学者なども取材しました。

― 日本で公開することで監督ほか皆さんの安全をとても心配しています。

監督:映画のタイトルだけでも、目を付けられます。 それでも日本のメディアの方には、今まで通り発信してほしいと願っています。

― 最後に会場にいるメディアの方たちに、一言お願いします。

監督:台湾でも上映され、蔡英文総督も観てくださいました。この映画は香港だけでなく、台湾、日本、世界の映画となっています。ぜひ皆さんご覧ください。

― 監督、くれぐれも安全に気を付けてください。ありがとうございました。

監督:アリガトー

報告:景山咲子




◆キウィ・チョウ監督 合同取材
7月22日(金)個別インタビューに先立ち、3誌で行った合同取材です。
(私の質問は、個別インタビューに入れ込んであります)

Y:日本でいよいよ公開されますが、どんな思いですか?

監督:まず、日本の皆さんに感謝します。香港を描いた映画が日本で、しかも映画館で公開されるのが嬉しいです。香港では公開できないでいます。映画館で見ることが私自身できていないので、日本の観客がうらやましいです。

Y:どんなところを観てもらいたいですか?

監督:香港を応援するため、関心を寄せるために観に行きたいとよく言われます。映画の中で何を語っているかですが、自由とは何か? 努力とはどういうことなのか? そしてそれを得るために立ち向かっていく勇気です。求めているのは万国共通の普遍性や価値観です。自由・民主主義の法治社会を求める姿を描いています。 映画は決して香港のためにだけ撮ったのではなく、映画を観てくださる一人一人が感じ取って、今の世の中をどういうスタンスで見るかに関心を寄せてほしいと思います。心の部分をぜひ見ていただいて考えてほしいと思います。

K:撮影から今まで時間が経って、その間に変化があり、ウクライナ戦争も起こりました。観る観客に対して、知っておいてほしい変化は? 伝えたいことは?

監督:まず世の中の変化ですが、今、グローバルな時代。一つの国で起きたことが世界に影響します。2019年の香港の出来事が世界にある種の警鐘を鳴らしていると思います。香港は自由な法治社会でした。それが、中国が野蛮な統治社会にしようとしている。 ある種の警鐘を鳴らしたと思います。 今、ウクライナで戦争が起きていて関心が寄せられています。日本は平和。日本の方が映画を観て、どう感じてくださるか・・・ 関心をもってほしいと思います。
『時代革命』は、私が初めて手掛けたドキュメンタリー映画です。今まではずっと劇映画を作ってきました。今回、劇映画を作る準備をしていたら、運動が勃発して、ドキュメンタリーを撮りました。このドキュメンタリーを撮ったために、劇映画のための資金が集まりにくくなりました。


K:映像が様々な撮り方をされていますが、どのように撮影されたのでしょうか?

監督:映画の中でたくさんのデモに参加した人に個別インタビューしています。ターゲットにした人たちをカメラを持ってついていって撮りました。このやり方ですと、関係者と近いところで映像を撮ることができます。 カメラを通してデモに参加している人々に寄り添うように撮ると、上映するときに、私の目線に近いところからデモに参加している人を観客も見られると思いました。また、大画面ですので、ワイドショットはほかのメディアから提供してもらいました。

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Cheng Wai Hok


Y:激しいデモの中にいて、監督ご自身が経験された印象深いことは?

監督:忘れがたいことがたくさんあります。私自身、警察が発砲したゴム弾に当たったことがありました。カメラを持ってデモ参加者の後ろにいたら、突然「伏せろ!」と声がかかったのですが、伏せなかったらゴム弾が頭に当たってしまいました。 恐怖を感じ、生命の危険も感じました。幸いヘルメットをかぶっていましたので、ケガはしませんでしたが、こういった運動は命の危険と隣り合わせだと実感しました。

K:『Blue Island 憂鬱之島』のチャン・ジーウン監督にもインタビューしましたが、香港の映画の製作状況が厳しくなっていと聞きました。上映中止に追い込まれる映画もあるとのことですが・・・ 

監督:私の対応ですが、『時代革命』は私のやり方の一つです。撮影した当時もすでに製作は困難な状況でした。当時「光復香港、時代革命」というスローガンがさかんに使われていました。そのうちの「時代革命」をタイトルにしたのが、私なりの対抗です。過去2年間、「光復香港、時代革命」とネット上でいうだけでも、刑務所行きです。私は映画を撮りたい、映画を密かに撮って、香港の外で上映するという形を取りました。

K:台湾に移住して活動している人たちもいます。イランなどでも亡命して海外で映画を作っている人たちもいますが、監督はあくまで香港で撮り続けるおつもりでしょうか? 海外で撮ることも視野に入れているのでしょうか?

監督:『時代革命』を製作し終えたときには移民しようかと考えて、家族と話しました。最終的に香港に残ろうと決めました。香港にいて私の役割を果たしていきたいと思います。その決断が正しいかどうかはわかりません。語れる範囲は狭いけれど、語り続けていきたいと思っています。多数の香港で暮らしている人たちが求めたいことを、どんな対価を払っても言い続けたい。 私はキリスト教を信じていて、何も恐れることはない。唯一恐れるのは神様のみです。中国共産党を恐れることはありません。

C:ただただ、監督に当局の手が及ばないよう、ご無事を祈っています。

監督:ほんとうにどうもありがとうございます。


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*取材を終えて*
2020年に国家安全維持法が施行されて、今や、水面下でも何もできない状況だということが、ひしひしと伝わってきました。 私の大好きだった香港は、今や変貌してしまったのだと悲しくなりました。
先日、BBCで香港の前行政長官の梁振英インタビューを観たのですが、一国二制度は非常にうまくいっているというスタンスで終始一貫発言していて、なんとも腹が立ちました。最後に「あなたは香港人ですか? 中国人ですか?」と問われて「私は香港で生まれ香港で育ちました」とだけ答えていました。うまく逃げたなと思いました。
香港人が香港人らしく暮らせる日がくることを切に願います。

香港返還25年  大雨だった1997年7月1日を思う (咲)
http://cinemajournal.seesaa.net/article/489403875.html

景山咲子