3月7日(金)テアトル新宿
原案&主演永瀬正敏さん、ミズモトカナコさん、井上淳一監督が登壇。
司会は井上監督
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井上監督 ではさっそく。11年・・・こんな日が来ましたね。みなさんいろんなところでご存じだと思いますが、2013年の暮れにこの映画を撮って、すぐ年が明けて2014年2月に映画を企画したシネマスコーレで上映して以来です。当時はなかなか47分の映画を単独で公開できる環境になくて、公開できずにいました。まさかこんな風にテアトル新宿で満席のお客さんの前で上映できる日が来るとは思っていませんでした。
永瀬 監督、司会もやられて。(会場笑)
井上 僕が監督をやると誰も司会を別に用意しない(笑)。いろんな人に「書くより喋るほうが得意だろう」って言われるんです。
永瀬 本日はありがとうございます。(拍手)
ほんとに監督のご尽力と・・・テアトル新宿さんが空けて上映していただいて感謝しています。何より今日来ていただいたみなさんに感謝申し上げます。ありがとうございます。
ミズモト ミズモトカナコです。今日はお越しくださいましてありがとうございます。12年前の私いかがだったでしょうか? こうして皆さんの前で上映ができてすごく幸せです。11年間、井上監督が上映する機会をずっと考えていてくださったことが私も嬉しくて、そしてこうやって実現するということが何よりもすごいことだなと思っています。今日は短い時間ですが、皆さんと共有できたらと思います。よろしくお願いします。(拍手)
井上 ミズモトさんこの時は、京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)の学生さんだったですよね?
ミズモト そうですね。22・・・
井上 いち。この前計算したら21でした。(笑)
ミズモト まだ大学生でほんとに芝居の「し」の字もわからないような小娘だったんです。当時の記憶が正直あんまりなくて・・・でも撮影が、皆さんが暖かくてフォローしていただいた記憶が大きかったです。プロとしての仕事もほとんどしていないような私に、一人の俳優として接していただいて。それが当時は有難いことだと理解していなかったんですよ。今こうして上映されることになって、当時のことを思い返してみると、それはいかに素晴らしい環境だったのかということをあらためて感じました。
井上 僕たちほんとに低予算で作ってるので、「気ぐらい使わないと」ってだけなんです(笑)。
パンフレットにも書いてあるんで、ぶっちゃけて言いますと撮影4日なんですよね。
ちょっと話が逆になりますが、出てくる工場を永瀬さんとロケハンで偶然見つけたとき、廃工場だと思ったら操業している鉄くず工場で、休みの日しか撮れなかったんです。12月の27から30日でした。寒かった~。あの雪ほんとですもんね。
ミズモト はい。あのときだけチラッと。良かったですね。あれは。
井上 最初からいうと、2013年の4月に永瀬さんと作った『戦争と一人の女』が公開になって、僕の師匠の若松孝二が作った名古屋シネマスコーレに舞台挨拶に行ったんです。1回目の舞台挨拶が終わってお昼ご飯に食べに行ったら木全支配人が永瀬さんに「今度短編映画撮るんだけど、監督しない?」って言ったんです。
永瀬 はい。
井上 あんかけスパゲティ食べながらですけど。
永瀬 「無理です」って言いました。
井上 すぐ答えてね。そのままやめりゃ良かったのに、永瀬さんが「出るだけならいいです」って言っちゃって(笑)。
永瀬 井上監督で、って。
井上 僕が。でもそういうことはこのまま終わるだろうと思った。で、2回目の舞台挨拶が終わって外に出たら車が用意されてて、そのままロケハンに連れていかれたという。
永瀬 僕、40何年やってますけど、一番段取り良かった(笑)。スムーズで。
井上 「青春ジャック」ご覧になった方わかると思うんですけど、東出さんが演った木全さんですからね。普通そんな段取りがいいわけがない(笑)。そして鉄くず工場に行って、永瀬さんが持ってたカメラで写真を撮りまくって。そのまま僕は名古屋の実家に残って、今度は愛媛のシネマルナティックへ行くのに夜行バスに乗ったら、永瀬さんから(ガラケーに)メールでこのプロットが届いた。
永瀬 散文を監督にまとめていただいて。
井上 当時3・11から2年と2ヵ月くらい経ったころ。それを読んだら、東日本大震災のことが色濃くにじんでいました。その時は永瀬さんといちいち話さなかったんです。今回、パンフレットの座談会とかで永瀬さんといっぱい話すことになったら、やっぱり震災後、半年くらい経って被災地に入ったときの思いが一番大きかったという。
永瀬 そうですね。具体的にではなかったですけど、「思い」はそこにちゃんと置いて。そこで出逢った方々や見聞きしたことばとかが浮かんできて。僕たちはミュージシャンの方たちと違って、すぐに何かをできないじゃないですか。
井上 そう。ギターだったり歌だったりね。
永瀬 心に寄り添えるんですけど、僕らなんにも役に立たないなって。でも被災地の人たちにね、「何かを残してください」って言われた言葉がずーっと胸にあって、それが出たって感じでした。
井上 この中ではオミットされていますけど「瓦礫、瓦礫っていうけどみんな生活の一部だったんだよ」っていうのも永瀬さんが実際に聞かれた言葉だったんですよね。
永瀬 お爺さんがご自宅であろうところを片付けされていて、話しかけたらもうばーっと。皆さん同じ境遇なので、弱音とか吐露できないんですね。
井上 みんなおんなじ喪失があるわけですから。
永瀬 だから僕みたいな部外者には話してくださって、そのときに「みんな瓦礫、瓦礫っていうけどよ。これは大事なもんなんだよ。生活の一部だったんだよ」っていう言葉が強烈に残って。それが胸に焼き付いて、書かせてもらったというか。
井上 もう1個だけ。ラストの非常にシンプルな「こんにちは」「こんばんは」「ありがとう」などの挨拶も撮影中に永瀬さんが急に「あそこでやろう」と言ったものです。そのときの体験が大きかった?
永瀬 そうですね。「昨日まで”おやすみ”って言えたのに、今朝まで”行ってらっしゃい”って言えたのに、言えなくなっちゃったんだよ」って言うのがまた深くこう突き刺さりまして。そんなシンプルな言葉を普通に言えないことの悲しみがずーっと残って。
この映画はほとんどセリフがなくて字幕しかないんですけど、シンプルなその思いをこめられれば、という風に思ったんです。
井上 セリフがないので録音部がいなかった。カメラマイクで僕がとったんですよ。
ミズモト 狭いところでとりましたよね。
井上 そうそう。外をバイクが通ってて、「信号が赤だからやろう!」みたいな。
永瀬 そうだったか。手作り過ぎますね。すごいですね。
井上 手作り過ぎますよ。ミズモトさんが最初僕たちと会ったときに、非常にアマチュア感で驚いちゃったんですよね。大学と変わらないと。
ミズモト あのう良い意味で!(笑)安心したって感じがしました。プロの現場でも「思い」が一番にあって動いてる現場なんだと。商業的な映画だと、もっと次元の違うビジネス的な感じとそのときは思っていたんです。でも井上監督の現場では、根本は一緒なんだと、どれだけ規模が大きくなろうが「映画を作りたい」「こういう想いを届けたい」という根底は一緒なんだと確認、体験できてすごく安心しました。嬉しかったです。
井上 規模は大きくはなかったんじゃないですかね?(笑)
ミズモト いえいえ、永瀬さんがいらっしゃいましたし。
井上 それを言うと、永瀬さんが我々に合わせてくれてた。
永瀬 いや、昔僕は「某」林海象監督(笑)と東大駒場寮が壊されるというので、短編を撮ろうと集まったことがあったんです。そのときに「某」大学の映研の方々が、同じところで撮影されていて、あまりにも機材がすごくて唖然としたことがありました。僕ら何もない、大丈夫?むこうすごい!(笑)
井上 学校の機材だから、あるんです。向こうは。だって、実はこの映画の撮影機材、全部そこにある宝塚大学の映像メディア学科から借りたんです。(笑)なんなら、ダビングもそこでやってますから。
主題歌のPANTAさんが生で歌ってくれると言ったときに、僕たち「今チャイムが鳴ったから、これからしばらく鳴らない!」とやってましたから。
ミズモト そのへんは各大学と一緒かも。
井上 また戻しますけど、撮影前に(被災後の)石巻に行かれていたんですよね?
ミズモト 大学一年生の冬、大学の先輩のお父さんが石巻の高校の校長先生で、そこで京都でやった舞台を体育館でやらせていただきました。そこでは言葉にできない苦しさがあって、携帯を持っていても写真なんか1枚も撮れなかったし、目に焼き付けなきゃいけない、という気持ちが強かったです。「ゴジラ」というタイトルのポップな舞台だったんですが、これを見てどう思われるんだろうとプレッシャーもありました。反応はとても良く、明るいものだったという印象でした。被災地の人たちは逞しく乗り越えようとしていると感じて、逆にパワーをもらって帰った記憶があります。
井上 永瀬さんのプロットから僕も震災のことを読み取って・・・そのままシナリオにできるんですけど、僕も何か仕事しなきゃまずいだろうと考えて(笑)。この男はなぜここで筏を作っていて、なぜ女は来たんだろう?その「なぜ」の部分を足していこうと思いました。
ご存じの方も当然いると思いますが、黒澤明監督の『生きものの記録』という映画があります。『七人の侍』という大傑作を作った翌年に撮るんですよ。ちょうどそのころ世界各地で水爆実験ががあって第五福竜丸事件が起こったりします。「放射能に殺されるのがいやだ」という三船敏郎が家族から孤立して、静かに狂っていく話。三船敏郎が狂わずにそのまま生きていたら、どうなるんだろう?このシナリオをプロデューサーの片嶋一貴に見せたらすっごいボロクソに言って、「お前このシナリオ救うには、『裸の島』(新藤兼人監督)にするしかない」って。ずっとセリフないんです。セリフなくなったんですけど、短編だし。
この台本もらってどうでした?ミズモトさん。セリフのないシナリオ来ちゃった! みたいな?
ミズモト どう・・・どうだったかな?
永瀬 ずいぶん前だしね。
ミズモト びっくり半分、あっセリフ喋らなくていい!って気楽になったような。今だったらその大変さがわかってどうしよう~となると思うんですが、当時は軽い感じのノリでした。
井上 なるほど。
ミズモト でもセリフはカッコ書きで何を喋っているのかはわかる。
井上 昔の無声映画みたいに、そこはやろうと思ってた。
ミズモト もし喋ったら何と言うんだろうか、ほんとに喋らないのか、実際口は動いて会話できているけど音はとられないのか、アドリブ的なことを求められるのかしらと、考えました。
井上 永瀬さんは自分のプロットがセリフのない映画として戻ってきて、どうでしたか?
永瀬 素晴らしいアイディアの映画だと思いました。
自分が具体的に書かなかったこともあるんですけど、限定されちゃうかも、と。日々暮らしているといろんなことが起きるじゃないですか。そういうことに置き換えられる「何か」になればいいなぁと思っていましたので。そこに言葉を入れていただけるように、そう観ていただけるように僕たち頑張らなきゃいけないなぁと思いましたね。
井上 ほんとにね、セリフなしの映画で良かったと思っています。最後にカギカッコだけのところがあるので、エックスでそのカッコの中にみなさんが何か入れられるように、永瀬さんと漠然と話しています。ちょっとお待ちください。
永瀬 みなさんのカギカッコの中。
井上 それぞれにね、ある。
今日はQ&Aでなく、こういう挨拶にさせていただいて、明日はティーチインでいきますので。
永瀬 手を変え品を変え・・・
井上 11年目の『いきもののきろく』あのときにそのまま公開されていたら、あの瓦礫、瓦礫といわれるものは「3・11の後」にしか見えなかった。残念なことにその後、熊本地震があり、能登地震があり、大きな水害があり、火災があり。戦争でいえばミャンマーやウクライナ、ガザがあり。非常に大きなものの後に見えるんです。公開されることで見返して古びていないと思ったんです。映画としては幸運だけど、世の中としては不幸じゃないですか。
ミズモトさん何かありますか?今この映画を観てもらうことで。
ミズモト そうですね。そういう意味ではこの物語を観て、どれに当てはまるか? 何が身近に感じるか?
人それぞれだと思うんですけど、幅広くよりたくさんの人に観てもらえていろんなものを感じてもらえる映画になっていると思います。自分の中の傷と照らし合わせたり、思いを共有したりできたらと思います。
永瀬 いいことなのか、悪いことなのかっていうのはありますけど、僕たちは作品として残すことしかできないので。残した作品を観ていただける。そして初めて「映画」になるということでは、残せてよかったかなと思っています。大きいことじゃなくて、小さなことでも。
僕3日くらい調子良くなくて、ずっと部屋にこもっていたんですけど・・・地味ですか?(笑)監督とミズモトさんに会って、すかり元気になりました。日々いろいろありますから、そういうことを乗り越える、半歩でも進む「何か」になってもらえるといいなという思いはあります。
(井上監督の『いきもののきろく』シャツを見て)
永瀬 作ちゃったんですか?
井上 作っちゃったんですよ。
ミズモト かっこいい!
井上 僕もひとこと言っていい?
この映画、最初に出る言葉は「時代はサーカスに乗って」というPANTAさんの歌で「どこからでもやり直しはできるだろう」。例えば震災で誰かを失った人を目の前にして「いやいや、どっからでもやり直しはできるだろう!」と肩叩いて絶対言えないわけですよ。これを「喪失と再生の物語」と大きく括ってしまうと陳腐になってしまうかもしれない。ただ大きなことを抱えたときに、「やり直しできるかもしれない」というのが、フィクションの唯一できること、責務みたいな感じがして。お二人のおかげで非常にうまくできました。一人でも多くの方に見てもらいたいと思っています。
こうやって舞台挨拶をやると、俳優と監督が出てきますけど、実に多くのスタッフの力でできています。絶対に呼ぶなと言われているんですけど、特撮監督の石井良和さん、編集の細野優理子さんがいるので、みなさん石井さんと細野さんに拍手を。(会場から暖かい拍手)
「配給と宣伝もやってたくさんお金がかかかるので」と井上監督からグッズの紹介、「ずるいよね」と言いつつ、「サインします」とご協力をお願い。
ここよりフォトセッション。カメラマンとのやりとりで会場を沸かせる井上監督。
(ほぼ書き起こし・まとめ:白石映子 写真:井上監督提供)
(撮影・MIOKO)
★新宿テアトルシネマにて上映中
ほか全国順次上映
舞台挨拶に全国駆け巡ります。情報をお確かめください。
http://www.dogsugar.co.jp/ikimononokiroku/
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