撮影:宮崎暁美
『ワンダーランド北朝鮮』が6月30日よりシアター・イメージフォーラムほか全国で順次公開されるのを前に、チョ・スンヒョン監督が来日。5月14日夜、講談社の講堂でトークイベント付き上映会が行われました。
日時:5月14日(月)午後7時~9時半迄
場所:講談社 講堂(東京都文京区音羽 2-12-21 6階)
主催:ユナイテッドピープル、クーリエ・ジャポン
上映の前に、このイベントの主催者で、本作を配給するユナイテッドピープルの代表関根健次さんより挨拶。
本日のイベントは、告知して2日で満席になりました。毎日、北朝鮮のニュースが流れています。南北融和会談に先駆けて、韓国と北朝鮮30分時差があるのを、時計を合わせました。私自身は、ビザが下りなくて、まだ北朝鮮には行ったことがありません。チョ・スンヒョン監督は、もともと韓国の女性。ドイツに長く暮らして、ドイツ国籍を取って北朝鮮に行きました。どんな人が住んでいるかという興味だったそうです。今回は、ドイツから初来日されました。
続いて、講談社の「クーリエジャポン」の井上編集長の挨拶。
この会場は講談社の講堂で、飾られているのは歴代の社長の肖像画です。「クーリエジャポン」は世界の多様性を伝える雑誌。今は、Webを中心にしています。無料で見れます。世界に出て行く人の背中を押せるような内容を目指しています。
◆『ワンダーランド北朝鮮』上映
2016年/109分/ドイツ・北朝鮮
配給:ユナイテッドピープル
公式サイト:http://unitedpeople.jp/north/
★2018年6月30日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次ロードショー
⇒作品紹介
上空から眺める北朝鮮の大地。
ここにはどんな人たちが住んでいるのだろう?
北朝鮮の人は角の生えた赤い鬼と聞かされて育った1966年生まれのチョ・スンヒョン監督。
地元の協力者に従っての取材で、何が見れるか?
韓国出身の私は、どう見られるか?
不安に思いながら北朝鮮に降り立った監督。
まず、白頭山に向かう。
朝鮮民族の生まれた地。金日成の生誕地でもある。
ぞじて、北朝鮮に住む「普通の」人たちに会う。
プール勤務のエンジニアの男性。地熱発電を利用したウォータースライダーもある大規模プール。一日2万人が訪れる。
26歳の軍人。16歳から軍に入り、今は軍幹部として家で暮らせる。婚約したら除隊するという。
公務員画家。工場で働く女性を描いているが、モデルより美しい顔。
縫製工場で働く若い女性。独創的な服を作りたいという。それがデザイナーという職種だと知らない。
平壌から80キロ南にある800世帯が暮らす共同農場。堆肥を有効に循環利用したエコな暮らし。
将軍様の写真が飾られた幼稚園では、子どもたちが元気に学ぶ・・・
◆上映後 トーク
チョ・スンヒョン監督がにこやかに登壇。
まずは、司会の方から代表質問。
司会:なぜ韓国籍を放棄してドイツ国籍を得てまで、この映画を撮られたのですか?
監督:コンバンワ。 韓国の国籍を捨ててまでとおっしゃいましたが、私にとって国籍は心の中にあるもので、紙一枚のものです。ドイツ国籍を取るのに、9ヶ月かかりました。韓国のパスポートに無効の印を押された時の音を今でも覚えています。ドイツ国籍のお陰で、韓国にも北朝鮮にも自由に行き来できるようになりました。映画を撮るのにドイツのテレビ局が支援してくれることになったので、ドイツ籍を取りました。国籍を捨てたというと、ドイツでは笑ってくれるのですが、日本では笑って貰えませんね。
ドイツに私が渡ったのが、1990年。ドイツが統一した年です。東独にも行けるようになって、行ってみたら、まるで北朝鮮に行ったような気分でした。分断国家が統一して、うらやましいなと思いました。今は、北朝鮮も私にとって行ける場所になりました。
撮影:宮崎暁美
司会:検閲は、どの位行われたのですか? また、引っかかった場所は?
監督:テーマについて、事前に話したのですが、その時に特に強調されたのが、政治的な部分を描かないでほしいということでした。私も政治的なことよりも、日常を描きたいと思っていましたので問題ありませんでした。検閲は逃れられないのですが、1箇所だけカットされました。元山の縫製工場の中でアメリカの輸出先の名前がクローズアップされたところは、外してほしいといわれました。撮影後、完成版を平壌に送ったところ、2点だけカット要請がありました。プールのシーンでビキニ姿が映っている場面と、元山の町の風景の中で、貧しいおばあさんが台車を押している場面は外してほしいといわれました。修正にお金がかかると言ったら、理解してくれて、カットせずに済みました。撮影中も、撮ったものをいつもチェックしてもらってました。
撮影に入る前に4回行って、場所や人物を決めました。その間に信頼関係もできました。
隠し撮りはしないという姿勢を貫きました。撮りたいシーンを提案して、撮らせてもらいました。
◆会場とのQ&A
― 撮影対象は当局からの指定ですか? 暮らし向きのいい人たちでした。今、公開されている『タクシー運転手 約束は海を越えて』で描かれているドイツ記者は光州事件をゲリラ取材していました。
監督:私は映画監督です。人々の話を聞くという役目があります。私が知りたかったのは、人々の日常です。当局が指定してくれた人になるのはわかっていたので、こういう人を取材したいと提案しました。30代のインテリ男性、2~3歳のお子さんを持っている工場で働く女性、田舎の農家の人、という風にリクエストしました。撮影前に当局が用意した方たちと会ってみました。インテリ男性は二人紹介されました。大学の教員の30代の方は、ルックスがあまりよくなかったので、プールで働く男性にしました。
お子さんのいる女性は、最初に会った方はシャイでインタビューがうまくいかなくて、工場の中で私自身が選びました。
映画を観た方からは、いいところしか映っていないので、ほんとの姿ではないのではという人もいます。映画の中で、画家が実際のモデルではなく、美しい人に置き換えて描いている場面があります。いいものしか見せない社会です。将軍様式学習方法は、北朝鮮の個性です。皆さんなりに行間を読んでいただければと思います。
◆最後の監督メッセージ
映画を撮ってから、複雑な心境です。ドイツでも一部の方からはプロパガンダだと指摘されましたし、これまでと違う姿を見られたという人もいました。私自身のため、韓国の人々のために撮りました。パク・チョンヒ大統領の時代(任期:1963年12月17日~1979年10月26日)、北朝鮮の人は赤い顔で角が生えている鬼だといった教育を受けました。北朝鮮の脅威を利用して民主化を押さえ、右派政権が政権維持をはかりました。
この映画は、韓国では特別枠で上映されたけれど、公開はされていません。日本で一般公開が決まって、驚くとともに、ほんとうに嬉しいです。
トークを終えて、会場の皆さんを背景に自分を撮りたいと、自撮りするチョ・スンヒョン監督でした。
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チョ・スンヒョン監督 プロフィール
Sung-Hyung Chu
1966年 韓国、釜山市生まれ
ソウルの延生大学でコミュニケーション論を学んだ後、美術史、メディア学、哲学を学ぶため、1990年、ドイツのフィリップ大学マールブルクに留学。卒業後、ドイツのテレビ局で編集の仕事に携わる傍ら、ミュージックビデオや短編ドキュメンタリーの制作を行う。
現在、ドイツのザールブリュッゲンの単科大学HBKsaar教授。映画制作を教えている。
トークを終えて、暁さんたちと会場近くの中華料理屋さんで食事をしていたら、インタビューを終えたチョ・スンヒョン監督がユナイテッドピープル代表の関根健次さんたちと一緒にいらっしゃいました。トークの時よりも、さらに笑顔の監督でした。(撮影:景山咲子)