『乱世備忘 僕らの雨傘運動』 陳梓桓(チャン・ジーウン)監督インタビュー(公開時)

2018年7月14日(土)よりポレポレ東中野で公開されましたが、初日に再度インタビューすることができました。山形国際ドキュメンタリー映画祭でインタビューした時は、作品の内容や撮影時のエピソードなどについて質問させてもらいましたが、今回は日本公開されることになっての思いや、各国で上映されたり、映画祭に参加したり、山形で賞をもらったあと、生活や映像製作などにどんな影響があったかなどについて聞きました。

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陳梓桓(チャン・ジーウン)監督

以前のインタビュー記事、作品紹介などは下記サイトをごらんください。

シネマジャーナルHP 陳梓桓(チャン・ジーウン)監督インタビュー記事
(2017年山形国際ドキュメンタリー映画祭)
http://www.cinemajournal.net/special/2017/yellowing/index.html

『乱世備忘 僕らの雨傘運動』シネマジャーナルHP 作品紹介
http://cinemajournal-review.seesaa.net/article/460532836.html

陳梓桓(チャン・ジーウン)監督インタビュー  
2018年7月14日 ポレポレ坐にて

編集部 山形で取材した時は、日本公開されるとは思ってもいなかったので、日本公開されることになってよかったですね。おめでとうございます。日本公開されるにあたっての想いを聞かせてください。

監督 このような形で公開されるのは日本が初めてなので、非常にうれしいです。香港ではこのように一般公開されどこかの映画館で上映されるということはできなくて、月に2,3ヶ所での上映という自主上映をしています。台湾ではTVで放映されたりはしたけど、劇場公開はされてはいなくて、劇場公開は日本が初めてです。他の地域ではできなかったことなので、とてもうれしい。
それから日本のメディアも私が想像していた以上に香港に興味を持ってくれていました。前回の来日の時(6月11,12日取材日)、20を越えるメディアからの取材を受けました。また、今回の公開に際して詳しく書かれたパンフレットが作られたり、映画館での展示も行われていて多くの人が香港に興味を持ってくれているということに感動しています。


編集部 台湾でも賞を獲得しましたが、山形国際ドキュメンタリー映画祭で小川伸介賞を受賞して、その後の影響などは?

監督 山形で賞を取った時は、この映画ができてから1年以上たっていました。また、まさか日本で公開されるというチャンスがあるとは思っていませんでしたので、日本で多くの人に観てもらえるきっかけになって良かったと思います。それだけでなく、次の作品にも大きな影響がありました。山形国際ドキュメンタリー映画祭はは大きな映画祭ですから、そこで賞を取ったということで資金集めとかそういった部分でも助けになっていますし、ドキュメンタリーを制作する上でも大きな助けになりました。

編集部 それは良かったですね。雨傘運動から4年が過ぎましたが、ここに登場した彼らの今の状況などを教えてください。

監督 この運動が終わった直後は、一時的に落ち込んだ時期もあったのですが、その後の生活に関しては、やはり影響を受けていると思います。この映画に出てくる多くの人は学生で、毎日、このデモの現場に参加していました。その時は短期間で結果を得られる、民主化に結びつくと考えていたのですが、4年たって実際にはそんなに簡単なことではないということに気がついたわけです。彼らは当時、毎日現場に出ていたのですが、今は日常の生活の中で、それを生かしていくということを考えるようになっています。
たとえばラッキーは、今は小学校の先生をしていて、英語を教えているのですが、英語を教えると同時に、子供たちがどのように社会に関心を持たせるかということを考えています。短期間の運動への参加から、日常にできることへの模索というものに変化しています。つまりラッキーは教育というやり方で日々の生活の中で続けています。
私の場合は、引き続き香港を撮るととか、この作品の上映を続けてゆくというやり方を取っています。

編集部 お父さんが、このデモにはあまり賛成ではなかったといっていましたが、この作品が海外で上映されたり、賞を取ったりしたことで見方が変わったりしましたか?

監督 父は私より上の世代の人ですから、この映画によって彼を変えるということは難しいわけです。特に政治的な彼の考え方といのは、この映画によって変わるというのは難しいです。父は長く政府の仕事をしてきていますが、彼にとっては自分の息子が何をやっているのか、ちゃんとした仕事にもつかずに、映画館で上映するような映画も撮らずに何をやっているんだと思っていて、私を認めていなかったのですが、この1,2年、この映画もいろいろなところで上映され、自分の息子がこういうことをやっていたのかと、皆にもそれを認められているということを知ってくれるようになりました。
二つ目は、私の両親は、私が生まれた時にビデオカメラを買って撮影をしていたわけですが、このカメラというのは半月分の給料に値するくらい非常に高価なものだったんですね。当時、母はこのカメラを買うことに反対していたようで、なんでこんなに高いものをということだったんですが、結果的には、その時撮った映像が自分の息子の映画の一部に使われたということで、喜んでいるようです。こういった映像があったということも、私にとって影響があったと思います。

編集部 あの映像は(監督の子供時代の映像がこの作品で流れる)とても大きな効果があったと思います。
香港のインディペンデント映画界に与えた影響とか励ましなどはありますか?

監督 香港では、ここ数年インディペンデントやドキュメンタリーに注目が集まってきているように感じます。私の作品もそうですが、『地厚天高』(雨傘以降の運動)というドキュメンタリーが作られています。これも香港の大きな映画館でかけられるような作品ではないのですが、香港では最近では多くの人が、こういう作品に興味を持ってくれているし、見に来てくれるようになりました。もともと、インディペンデント映画というと、つまらないとか、娯楽性が少ないというイメージをもたれていたのですが、最近はインディペンデントの映画というものに対しての見方も変わってきています。それはここ10数年、メインストリームの香港映画が中国との合作が増えている中で、テーマも香港とは関係ないものになっていったりしているわけですが、むしろインディペンデントの映画の中に自分たちに近いテーマがあったりとか、政治的なものもそうですが、香港のより近い話題で、商業映画とは違ったものがそこにはあるということで、最近はより注目を集めています。
若い人でも、最近はインディペンデント映画に取り組む人が増えています。『十年』という映画の影響も大きかったと思います。
最近では、私より若い人たちでさえ、取り組む人たちが出てきて非常に簡単な方法で、映画に取り組むようになっています。たくさんいるというわけではないですが、こういう人が増えていくことで、それが力につながっていくと思います。

編集部 ありがとうございました。




『クレイジー・フォー・マウンテン』ジェニファー・ピードン監督インタビュー 

7月21日からの『クレイジー・フォー・マウンテン』公開を前に来日されたジェニファー・ピードン監督に、2誌合同でお話をお伺いしました。
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2018年5月30日(水)
ザ・プリンス さくらタワー東京にて


『クレイジー・フォー・マウンテン』原題:Mountain
監督:ジェニファー・ピードン
音楽:リチャード・トネッティ(オーストラリア室内管弦楽団芸術監督)
撮影:レナン・オズターク (『MERU/メルー』撮影担当)
ナレーション:ウィレム・デフォー

デナリ(アメリカ)、モンブラン(フランス)、アイガー(スイス)、エベレスト(ネパール)、メルー(北インド)、羊蹄山(日本)・・・クラッシック音楽をバックに、山々の圧倒的な映像が迫ってくる。
世界の名峰の頂を目指す人々、絶壁に挑むクライマー、さらには、マウンテンバイクで山を下ってのスカイダイビング、ウィングスーツでの山頂からの滑空、パラグライダー・・・と、エクストリーム・スポーツを楽しむ人々・・・
本作は、人と山とのかかわりを、音楽と映像で綴った映像詩。

2017年/オーストラリア/英語/74分/カラー/5.1ch/シネスコ
後援:オーストラリア大使館 
協力:The North Face
配給:アンプラグド
公式サイト:http://crazy4mountain.com
★2018年7月21日(土) 新宿武蔵野館他全国順次公開


ジェニファー・ピードン JENNIFER PEEDOM
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極限状況に置かれた人々の素顔に迫る、人の心を掴んで離さない作品で知られ、代表作として『ソロ ロスト・アット・シー 冒険家アンドリュー・マッコリーの軌跡』(08)、『Miracle on Everest』(08)、TV「Living the End」(11)、『Sherpa』(15)などの作品がある。
『Sherpa』は第62回シドニー映画祭の公式コンペティション部門に選ばれた唯一のドキュメンタリー作品。第59回ロンドン映画祭でグリアソン・アワードのドキュメンタリー長編賞を受賞。オーストラリアのドキュメンタリー映画としてはこの年の1位、史上3位の興行収入を記録した。(公式サイトより抜粋)


◎ジェニファー・ピードン監督インタビュー

◆クラシック音楽ありきで山の映画を作る面白さ
― 山の映像とオーストラリア室内管弦楽団のクラシック音楽がマッチして凄かったです。映画のプロジェクトとして、どんな点が一番面白かったですか?

監督:2点あります。まず、製作者として面白かったこととして、オーケストラありきの映画で、オーケストラから委託された点が、これまでと違うということがあります。有名な楽団で、日本でも公演中ですが、これまでにも面白いコラボレーションの実績があります。もう一つ、これまで山の映画を作ってきたけれど、語りきれなかったところを描けるのではと思いました。

― この作品にかかわって、新しい発見はありましたか?

監督:学んだのは、どの映画とも違うこと。コラボレーションすることで、ユニークな作品になりました。作る過程で、譲り合うこと、障害を乗り越えて、すべての力を合わせて出来上がって、お互いに対する敬意もわきました。


◆山は自分のいるべき場所
― 私は山が好きで、日本の山々をあちこち登りました。北アルプスと呼ばれる(長野県と岐阜県、富山県にある)山々が好きで、何度も登りました。なかでも鹿島槍ガ岳という山が好きで、この山の写真を撮るため、長野県大町市と白馬村(長野オリンピックが行われた)に5年近く住み込みしながら撮影をしていました。その後、それをまとめた写真展を八方尾根の頂上にある唐松山荘で開催しました。監督が山好きになり、山の映像をたくさん撮ってきた原点は?

監督:ニュージーランドの山から始めました。オーストラリアには、あまり高い山がありませんので。映画作りの仲間から誘われて映像を撮りにいったのですが、体質が高所に向いていて、自分のいるべき場所と感じました。限界に挑戦できて、山には面白い物語があると思いました。
また、私は女性ですので、映画の世界には少ない女性ならではの視点で撮れると思いました。

― 女性の視点での山のドキュメンタリーは珍しいと心強く思いました。

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インタビュー光景


◆人と山の関係の変遷を描きたかった
― 山岳スポーツの映画を作る上で、山をテーマにして一番考えたことは?
また、プロセスの中で何か変化はありましたか?


監督:こういう作品にしたいというビジョンは、人と山の係わり方の変遷でした。イギリス人作家ロバート・マクファーレンの著書『Mountains of the Mind』から刺激を貰いました。山を崇めていたのが、登るようになったという流れになり、さらに登るだけでなく、エクストリームスポーツにまでなりました。短い間に、人間と山の関係が変わっていきました。これを作品の流れにしたいと思いました。人間ここまで来たけれど、原点に戻ろうよという意味で、最後、山がいかに生まれたのかを表わすのに火山のシーンを入れました。火山のシーンは、当初、冒頭に持ってきたのですが、あえて最後にしました。山という自然を忘れてはならないという思いを込めました。


◆地名はあえて入れなかった
― 山は恐れ多く、敬う対象であったことが、時折差し込まれるチベット僧の姿から感じることができました。 山の映像もですが、チベット僧も、どこの地域なのか、ナレーションで語られることから類推できるものもありましたが、できれば映画を観ながら、ちゃんと知りたいと思いました。
あえて、地名を文字で入れなかったのでしょうか?

監督:僧侶の祈りの場面は、ネパール、カトマンドゥの寺院で撮りました。あえて地名を入れなかったのは、一箇所で撮っている場面だけでなく、ジャンプなど切り替えしの多い場面があるので、いちいち文字を入れると落ち着かないと思って入れませんでした。
最後にどこで撮ったかクレジットを入れています。実は、日本の地名を入れ忘れてしまいました。ゴメンナサイ。


◆用途にあわせ3つのバージョンを製作
― 映画版とコンサート・ツアー・バージョン、それにMAX版を製作されていますが、それぞれどのように違うのでしょうか?  

監督:コンサート・ツアー・バージョンは、生演奏を邪魔しないように作っています。バイオリンのソロの時には、場面がかぶらないよう、20%映像を削除しました。ナレーションも、ずらしたりしました。
ベートーベンのバイオリン協奏曲『皇帝』で、もう1楽章あるのですが。その場面では演奏のみにして映像は真っ暗にしています。
I MAXは上映が博物館や教育目的なので、科学的解説を入れたものを作っています。

◆北海道ニセコでの合宿
― 日本での撮影でインスピレーションを受けた点は?

監督:音楽監督のリチャード・トネッティは、毎年1月にニセコでスキーを楽しんでいます。日頃時間を取るのが結構難しいので、皆でニセコに来ないかといわれ、皆が集まりました。ラフカットを見ながら、意見を交換して、変更をしたり、新しい音楽を作ってもらったり、ナレーションをどう入れるかを考えました。行く前にはどういう結果になるかわからなかったのですが、スキーを楽しみながら、10日間位、皆で夜遅くまでとことん話し合って充実した合宿になりました。
去年の1月、とてもよかったので、今年の1月、また家族でニセコに来て1週間滞在しました。

― 私は初めて行った外国がオーストラリアでした。監督は、北海道、東京、京都にはいらしたそうですが、北アルプスや白馬も素晴らしいので、ぜひいらしてみてください。

監督:ぜひ! オーストラリアからも近いですし!

◆貴重なアーカイブ映像も利用できた
― 撮影監督のレオンさんのツテで素晴らしい映像が集まったそうですが、ご自身でこの映画の為に撮った部分は? また、集める上でのご苦労は?

監督:前作『Sherpa』を撮ったとき、すでにこの作品の話があったので、その時にも一緒に組んだ撮影監督のレオンさんと相談しました。彼がかつて撮ったアーカイブもオープンしてくれましたし、彼の友人からも映像を提供してもらいました。ニセコなどで新たに撮影もしています。ニセコで話して、もっと欲しいシーンも相談して撮ったり、知り合いに声をかけて映像を貰ったりしました。おかげさまでリアルな登山家の姿を映画に出すことができました。すべてを新たに撮ったとしたら、5年も10年もかかってしまうところでした。ベストな形として、撮り下ろしたものと既存の映像を組み合わせました。


◆いつか親しいシェルパとヒマラヤに!
― 冒険や危険な場面があってびっくりしました。

監督:人によって脳の構造が違います。より大きな刺激を受けてないと生きている実感がわかない人がいます。これは許せないと思うのは、傲慢さや自己顕示欲。Youtubeの再生回数を競うようなことも。

― 監督が挑戦したいアクティビティは?

監督: もう無理! ロッククライミングは好きでしたが。 ヒマラヤの麓の村に親しいシェルパが住んでいますので、一緒にいつか登りたいという思いはあります。

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*取材を終えて*
私にとって山は観るもの。登山はお金を積まれても絶対したくないほど苦手です。 監督は、ロッククライミングもしたというほどの山好き。きゃしゃで繊細な風貌からは、山女のイメージはありませんでした。
最後に写真を撮りながら、「エベレスト、K2、カンチェンジュンガを、たまたま観たことがあります」とお伝えしたら、監督から「私もカンチェンジュンガを観るためにダージリンに行ったわ」の言葉が。
監督の前作『Sherpa』は、シェルパの方たちがヒマラヤ登山をサポート中に雪崩に巻き込まれて亡くなられたことを描いたドキュメンタリー。いつか友人のシェルパの方とヒマラヤに登りたいという監督の思いに、ヒマラヤを目指す人々を支えるシェルパの方々への深い愛情を感じました。(咲)

次から次へと出てくる、山や登山模様の映像。かなり難関の山々と登山の姿を撮ったのは、ほとんどが『MERU/メルー』で危険極まりない映像の数々を撮ったレナン・オズタークだという。あるいは彼の知り合いが撮影した映像を借りたものだという。そのくらいハイレベルの山の登山模様に釘付けだった。
めまぐるしく変わる登山模様や、高山からのスキーやボードによる命がけの滑降シーン。そして山に関連したアクロバットスポーツの数々に、こんなにも危険と隣り合わせのスポーツに挑む人たちの多さにびっくり。ただ、撮影場所(地名)がわからず、始めはイライラしてしまった。私がわかったのは5,6ヶ所だけだった。あるいは見たことあるけど、場所はわからないという場所も10ヶ所くらい。そんな状態で、最初はどこだろうと思いながら見ていたけど、半分すぎたあたりからは、ただその山に挑戦している人たちの姿だけを追っていた。
取材の時に、音楽監督のリチャード・トネッティさんが毎年1月、長期にニセコにスキーで滞在するので、それに合わせて編集はニセコで行ったと聞いて、またびっくり。でもとても良いアイデアだったかもと思った。

そして、今(2018年7月)、北海道旅行をしている私は、昨日(7月19日)ニセコに行った。35年ぶりくらいのニセコだったので、あまりの変わりように驚いたけど、冬は海外からのスキー客が多いのだという。それも主にオーストラリアからのスキー客が多いと地元の人は言っていた。
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そんな中にジェニファー・ピードン監督もいたのだなと思いながら、車でニセコヒラフを回ったら、監督のお気に入りの店という、ふじ鮨と登山軒を見つけた。登山軒でラーメンを食べようと思ったけどやっていなかった。夏はやっていないのか、あるいは7月20日すぎからオープンなのかも。
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ふじ鮨はみつけたけど、車のなかから写真を撮って通過した。だけどこのふじ鮨は、35年くらい前、私が車で北海道を回った時、積丹半島の美国というところで偶然入った鮨屋で、それまで食べた寿司の中で一番おいしかったと感じた店だった。そのニセコ店だった。この後、小樽に出た私がふじ鮨小樽店に行ったのは自明の理だった(笑)。(暁)

    取材:景山咲子(文) 宮崎暁美(写真)



『乱世備忘-僕らの雨傘運動』立教大学での先行特別試写会に陳梓桓(チャン・ジーウン)監督登壇

2018年6月11日(月)17:00~20:30
立教大学 池袋キャンパス 5号館1階 5121教室

映画『乱世備忘-僕らの雨傘運動』は、陳梓桓監督(当時27歳)自らが、雨傘運動(2014年9月に香港の高校生・大学生が中心となり「真の普通選挙」を求めて行われた運動)で出会った香港の普通の若者たちと行動を共にした79日間の記録。
本作を通して「香港」そして「アジア」の未来について考える機会にしたいと、立教大学で特別試写会が開催され、上映後、来日中の陳梓桓(チャン・ジーウン)監督による講演と質疑応答が行われた。


『乱世備忘 僕らの雨傘運動』 原題:亂世備忘(Yellowing)
★2018年7月14日(土)よりポレポレ東中野ほか全国順次公開
監督 陳梓桓(チャン・ジーウン)
音楽 何子洋(ジャックラム・ホ)
制作 影意志(雨傘運動映像ワークショップ)
配給 太秦
監修 倉田徹
2016|香港|カラー|DCP|5.1ch|128分
公式サイト:www.amagasa2018.com
シネジャ作品紹介 http://cinemajournal-review.seesaa.net/article/460532836.html

陳 梓桓氏
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映画監督、香港城市大学政策、行政学科を卒業した後、香港バプテスト大学で映画、テレビ及びデジタルメディア学科修士課程修了。ジョニー・トー監督主宰の新人監督発掘コンペティション「鮮浪潮」にて賞を獲得。『乱世備忘—僕らの雨傘運動』は長編デビュー作。2016年、台湾金馬奨ドキュメンタリー映画部門にノミネートされた。


◆陳梓桓監督トーク

聞き手:倉田徹氏(立教大学法学部教授・アジア地域研究所長)

倉田:ようこそお越しくださいました。

監督:ありがとうございます。大勢の方にいらしていただきまして嬉しいです。

*偶然前線に立ったことから記録映画が出来た
倉田:雨傘運動の映画を作るのは難しかったと思います。もともとあの運動は計画とは違ったものだったと思います。最初は静かに座り込みしていましたが、その後、警察と衝突し、催涙弾が使われて、結局あのような運動になりました。元々シナリオのない映画で、まったく予想できない状況の中で撮られたのだと思います。そもそも陳さんは現場に映画を撮ろうと思って行ったのか、デモの参加者としていらしたのか、どちらだったのでしょうか?

監督:デモ参加者として現場に行きました。映画を撮らなくても行きました。何が起こるのかわからない状況で行きましたので、何が撮れるかもわかっていませんでした。警察に押される感じで、間に挟まれて前線に1時間立つことになりました。

倉田:もともとシナリオのない映画で、たまたまデモの現場で彼らと出会い、映画ができあがったといえますね。

監督:香港で起こっている運動を撮ろうと考えていました。当時、台湾で起こった「ひまわり学生運動」を撮ったドキュメンタリーを台湾で観て、運動を記録した映画は重要だと思いました。

倉田:陳さんご自身の小さいころからのホームビデオの映像も使われていました。監督は現在、31歳。1997年の返還の時は、10歳。政治への関心はどのように育てていらしたのでしょう?

監督:返還のときの記憶はあまりありません。小さすぎて、香港の歴史や、何が起こっているかなど、よくわかっていませんでした。中学に入ってから、天安門事件のことを知り、大学に入って、政治を学びました。大学生の時にデモに参加するようになりました。2010年の高速鉄道に反対するデモが最初でした。それがきっかけで政治への関心が芽生え始めました。映像を撮ることを始めていましたので、デモを撮りました。政治の勉強はしていましたが、政治の仕事には就きたくないと考えていました。上の世代の人たちが、20年かかっても何も実現できていないのを見ていましたから。卒業して仕事に就きたくなくて、大学時代から映画が好きでしたので、その道に進もうと思いました。その後、政治や社会の問題を撮るようになりました。

*庶民の町 旺角(モンコック)と政府機関のある金鐘(アドミラルティ)
倉田:本作は雨傘運動の二つの舞台、旺角(モンコック)と金鐘(アドミラルティ)で撮影されています。モンコックは九龍側にあって、個人商店や露店や風俗店などがある庶民の町。池袋のようなところですね。アドミラルティは香港島にあって、政府の所在地です。それぞれの特徴は?

監督:モンコックは、草の根的、アドミラルティはエリート的、意見も違います。地域的な違いもあります。モンコックは自発的に始まったので積極的です。アドミラルティはステージがあったりして、運動を始めたリーダーたちが多くいました。同じような形で始まったけれど、運動の方向に関して、理解が違ってきました。

倉田:モンコックとアドミラルティ、どちらが好きですか?

監督:モンコックが好き。魅力があります。ヤクザっぽい人、土方っぽい人がいて、普段話さないような人と政治談議できたりしました。

倉田:日本の報道はアドミラルティのリーダーがいて、学生がいてという様子を大きく伝えていたと思います。この映画では、報道では伝わらなかったような、若い人たちが自発的に色々なことを行っている様子が映し出されています。学園祭のような雰囲気も感じました。一方で、監督は警察に殴られてもいます。楽しさと怖さと、色々な思い出があると思います。今、思い起こして、どんな思い出だったでしょう?

監督:一つの形容詞で語るのは難しいと思います。いろんな感情が入り混じっています。最初は希望を持って参加してました。人と出会って楽しい思い出もあります。前線で怖い思いもしました。最後は運動が成功しなくて虚しい思い。4年経って、遠い過去のような気もします。香港や外国でこの映画を観てもらうときには、当時の参加していた精神を思い出して考えてもらいたい。

*タイトルにこめた思い
倉田:タイトルに「備忘」を入れた思いは?

監督:映画の最後にラッキーが話した言葉です。20年経って、自分が警察のような立場になっていたら殴ってくれ。そんな風になってしまうのが怖いから、映画を観て注意してくれと。ドキュメンタリーを撮った時の思いを留めておくことが大切と「備忘」と付けました。社会を変えたいと思った気持ちを留めておきたいです。

倉田:英語のタイトル 『Yellowing』は?

監督:黄色はこの運動を代表する色。運動への思いが続くようにと、ingを付けました。写真は色あせていきますが、運動の記憶も時間が経つにつれて色あせるのではと。過去を忘れないようにという思いを込めています。

倉田:日本の観客へのメッセージをお願いします。

監督:この作品は香港の若者を撮ったものだけど、自分のことに置き換えて観てほしいと思います。台湾で上映した時には、ひまわり学生運動、マレーシアで上映した時には選挙、日本でも観る方が自分のことに引きつけて観ていただければと思います。

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◆会場との Q&A

― (香港出身の立教の男子学生) 日本に来ていて、運動に参加できませんでしたので、監督に感謝します。返還から50年の年には、私も何もできない若者ではないと思います。自分たちがどんな社会運動をしているのかと思います。

監督:運動が起こりうると思います。いつの時代にも若者たちが世の中をより良く変えていこうとすると思います。私たちも、この運動に参加する中で成長しました。香港も中国とのかかわりが増えていく中で、自分たちの理想を失いかねません。学生の運動は学生中心ですが、社会の多くの世代の指示が必要です。ラッキーは、先生になって下の世代を育てている立場です。映画を上映することで、この運動を知らない人に伝えることができます。思いを繋ぐことができます。

― (北京出身の女性) 民主主義のあり方や、中国の政治の在り方を考え直すことができました。雨傘運動には、当時の政治についてはっきりとした目標を持った人もいますが、まわりの雰囲気で参加した人もいるかと思います。社会運動の視点からどう思っていらっしゃいますか?

監督:数万人規模の大きな運動になった場合、はっきりとした目標を持った人も、そうでない人もいると思います。それぞれに参加する理由が違います。民主主義を勝ち取ろうという人、催涙弾を見て、学生を助けたいという人、なんだか楽しそうだからという人もいます。映画の中にも、大学生のレイチェルと中卒の学のない男の子の会話の中で、「人類学って何?」というやりとりがあります。違う人たちが集まって、新しい考えを持つようになることが民主主義に繋がります。

― 大陸で上映される予定はありますか?  DVDになりますか? 

監督:大陸では正式な上映はされていません。大陸の観客に観てほしいと思っています。香港ではDVDを作っているのですが、大陸には出せていません。もしかしたら、ネットで海賊版が出回っていて、大陸の人が観ているかもしれません。


フォトセッション
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◆最後に
倉田;ご来場ありがとうございました。4年前の香港の民主化運動を身近に思い出す機会になったことかと思います。今後も香港に関心を持っていただければと思います。

監督:この映画を日本で正式に公開できるのが非常に嬉しいです。香港では正式に公開できませんでした。ですので、配給できたことに感謝したいと思います。雨傘運動に参加した人たちのことも応援していただければと思います。


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イベントが終了すると、多くの観客が監督に挨拶したいと列を作りました。
私は最前列に座っていたので、運良く3人目でお話することができました。でも最初の二人が中国語で話していたのに、私は広東語で挨拶だけして、あとはつたない英語。「昨年、山形国際ドキュメンタリー映画祭の折に取材をした宮崎暁美が、今、香港に旅行中で、監督にお会いできないのが残念ですと伝えてくださいといわれました」とお話するのが精一杯でした。
会場の外で、新潟から取材に来ていた上塚氏にお会いしました。 1993年に飲茶倶楽部主催の香港電影旅団で知り合った方です。返還目前で香港人気が沸騰し、香港映画も日本で全盛時代を迎えていた頃を懐かしく思い出しました。
もうずいぶん長い間、香港に行ってないのですが、最後に行ったときにも中国の影響を肌で感じました。今や、どんな状態になっているのでしょう。『乱世備忘 僕らの雨傘運動』は、香港の人たちが自分たちの香港を守りたいという思いのずっしり伝わってくる雨傘運動の記録映画でした。日本では今、国を正しい方向に持っていこうと政府に対して発言する元気のある人がどれだけいるでしょう・・・ (景山咲子)