「ショートショート フィルムフェスティバル & アジア 2018 in 横浜」トークイベント

2018年8月19日(日)横浜美術館にて「ショートショート フィルムフェスティバル & アジア 2018 in 横浜」と日本最大級のダンスフェスティバル「Dance Dance Dance@ YOKOHAMA 2018」とのコラボレーションイベントが開催されました。
ダンスにかかわるショートフィルム4本上映後、映画祭代表の別所哲也さんとダンスボーカルグループPrizmaXのボーカル、また俳優として活躍中の森崎ウィンさんのトークショーが行われました。以下ほぼ書き起こし。
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別所  1999年に「アメリカン・ショートショート フィルムフェスティバル」(現在は名称変更。HPこちら)という映画祭をスタートして、5年目の節目に横浜みなとみらいに「ブリリアショートショートフィルムシアター」をオープンしました。日常的にショートフィルムを観られる映画館として、また地域のコミュニティセンターとして10年間運営させていただきました。(2017年12月閉館、2018年2月よりオンラインシアターがオープン)

MC 横浜でのショートフィルムの上映ということで、お気持ちもひとしおではないかと思います。

別所 10年間コミュニティシアターとして、横浜に住んでいらっしゃる方、映画を愛する方、訪れる方々が交流する場になっていた気がします。2011年には東日本大震災があって、防災という意味でもこういう人が集う場所というのがいかに大切かというのを経験しました。全国から様々な方々、世界中の映画監督たちも映画祭を通じて、みなとみらいとシアターにお越しいただきました。

MC たくさんの方々に感謝感謝のお気持ちでいらっしゃるということですね。横浜といえば、森崎ウィンさんFM横浜でDJをされていて「WINのMAXで行こう!」(毎週月曜夜の23時30分から30分)聞いております。

森崎 そうなんです。いつもカミカミで(笑)。無理にテンション上げてやっています。4年前くらいに始まりまして、初めてのDJということで、すごいエネルギッシュだったんです。明日で28になるんですよ。別所さんを見て「落ち着いた大人」、「ダンディな芯のある大人」というのに魅力を感じまして。何であんなにハイテンションで始めたんだろうという…(笑)。

別所 反省してる?

森崎 反省しながら徐々に声を低くしています(笑)。

別所 確かに23時っていうのは夜中だし、ベッドに入る時間ですよね。

森崎 そうなんですよ。別所さんのラジオにお邪魔させていただいたときも、声がほんとに素敵で。僕はオープニングから(テンション高く)「WINのMAXで行こう!」(笑)

別所 素敵じゃないですか。やっぱり20代はそういう感じじゃなくちゃ。僕のJ-WABE TOKYO MORNING RADIOという朝の番組は12年やっているんですけど、そっちは「おはよう!モーニンッ♪」(笑)ナビゲーターとしても共通点がありましたね。これからも頑張りましょう!(握手を交わす)

MC 森崎さんも横浜に来る機会は結構あるんですね。横浜の印象は?

森崎 横浜は港町だけあって多様な文化が混じっていまして…近未来的なところを感じつつも開放感があって…でも人がすごくあったかくて。横浜でちゃんと朝まで一回飲んでみたいなって気持ちがあるんですが、なかなかその機会がなく。仕事だけじゃなく、次はプライベートでちゃんと来たいと思っています。
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MC 横浜で飲んでみたい、と。別所さんいかがですか?ご一緒に。

別所 ぜひ。横浜にはチャイナタウンもありますし、赤レンガ倉庫。歴史のある港町としてそれぞれ要所がありますから、そういった隠れ家的なところに自分のスポットを持っていたら・・・。

森崎 自分のべ、別荘ですか?(笑)

別所 いや、隠れ家があるとちょっとカッコイイなと、僕の目標でもあります。ぜひ一緒に飲みたいですね。お酒強いですか?

森崎 大好きです!

別所 何を飲まれるんですか?

森崎 最近ハイボールですね。

別所 あーハイボール、美味しいですね。

森崎 美味しいです!

別所 あ、ここでもまた共通点が!(笑)

MC 寝るヒマありませんね。(笑)
横浜の注目スポットといえばここ横浜美術館ですけれども。今日はショートフィルムを4作品ご覧いただきました。いかがでしたでしょうか?


森崎 ダンスを題材に映像化されているものはたくさんありますが、ショートフィルムで観るのは初めてです。普段僕も長くて4分くらいの曲を、ステージでパフォーマンスさせていただく機会が多いんです。映像を通して短い中でメッセージを、長編の映画よりも人の想像をかき立たせて自分を違う世界に連れて行ってくれる。素敵だなと思いました。

MC 気に入った作品は?

森崎 僕は『チビっこポールのダンスパーティー』(原題:shrimp)。和訳(字幕)では弟の呼び名「shrimp(エビ)」が「チビ」でした。僕にも弟がいて「チビ」って呼んでいるんですよ。今は僕より身長高くなっちゃいましたが。(笑)

別所 愛情こめて。

森崎 はい。皆さんご覧になられたんですか? じゃ言っても大丈夫ですね。「チビって呼ぶな」って自分の弟にも言われたことがあったりとか、弟が初めてデートに行く瞬間だったりとか、思い出される作品でした。ほんとにほほえましくて一番共感できて、気に入りました。

MC お兄さん目線でご覧になられていたわけですね。別所さんはどうご覧になりました?

別所 ダンスをどう取り上げているのかな、どうしてそこにこだわったのかな、と考えます。主催した側ですから(言いにくそう)…4作品の中では2つ目の『キルオフ』。これはジュヌビエーブさんという女性監督の作品。ダウン症の方がダンスというものを通じて、自分を表現する。家族との絆を考える。ダンスだけじゃなくてその向こう側にある人間が見えてくる作品でした。ほかのものもコンテンポラリーダンスとか、ダンスの要素としての扱い方はそれぞれ違うんですけれども、好きな作品というならこれになるかな。

MC あのキレの良さは、どこから来る情熱なのかと思いますよね。

別所 森崎さんもそうでしょうけれど、リズムとか、人が踊る熱みたいなものってだんだん相手にも影響を与えて行くんですよね。ダウン症を抱えた方の思いもありますし、それを何ていうんでしょ、それと共生しようという思い、(登場する黒人)男性の人種的なこと、多様なメッセージが含まれている気がします。

MC 6月に開催されたショートショート フィルムフェスティバルではたくさんのショートフィルムが上映されました。森崎さんはVR部門のプレゼンターをなさったんですね。

森崎 はい。呼んでいただいてありがとうございます。

別所 とんでもないです。スピルバーグ監督のVRに関する映画に出演されたので。まさにそのVRを取り上げたので、その世界観を物語として体感された森崎さんにぜひお越しいただこうということで壇上に上がっていただきました。

MC お気持ちはいかがでしたか?

森崎 緊張しました!僕が一つの作品に携わって、それからこう拡がっていくことが初めてでした。映画に出て終わりではなく、人と人の繋がりが見えない波動、波のように伝わっていくんだというのをあらためて実感できました。『レディ・プレイヤー1』のVRの部分、自分が伝えやすいところで入れたというのはありがたいことでした。

MC ショートフィルムはこれまでもご覧になっていましたか?

森崎 あんまり縁がなくてですね。別所さんにお話をいただいてから。これからもっとしっかりと向き合って行きたいです。VRセットが送られてきて事前に見るチャンスがありました。それで部屋の中でもうずーっと観ていました。(笑)

MC 森崎さんはこれから観ていきたいと。同じように思われているお客様もたくさんいらっしゃると思うんです。別所さん、ショートフィルムの魅力をお話しいただきたいです。

別所 これは何と言っても「短いこと」。映画は長さじゃなくて、3分とか5分でもハッとさせられたり、ドキドキしたり、共通のメッセージやその主人公に自分の思いと同じものを見つけたり。海外作品でも例えば恋愛観、結婚観、家族に対する思い、友情とか出会いとか別れとか「人間の本質にせまるエッセンスみたいなものが、ギュッと凝縮されて存在する」というのがショートフィルムじゃないかなぁ。
僕は森崎君くらいの年にハリウッドデビューをして、現地ロサンゼルスで映画の世界に触れました。そこでショートフィルムに出会ったので、僕にとっても原点です。
ショートフィルムには様々なものがあります。今日いかがでしたか?大きなスクリーンでシネマチックな体験をしていただけたと思います。今インターネットや様々なデバイスでもご覧になれます。横浜のシアターは閉館しましたが、今は「ブリリアショートフィルムオンライン」(無料/要登録)にアクセスして観ていただけたらなと思います。

MC 津川雅彦さんの追悼の作品『サイレン』を拝見しました。なかなか他で見られません。

別所 デザートムービー、ベッドタイムストーリー的に寝る前にご覧になったり、移動中、ランチタイムにちょっと観る。大切な人と分かち合って観るのもいいんじゃないかなと思います。2時間見ているのは大変ですが、ショートフィルムは短いですからあっというまです。

MC 6月に別所さんがおっしゃっていた「短い中で栄養を与えてくれるのがショートフィルム」という言葉に感動しました。そして今年元気を与えていただいたのが『レディ・プレイヤー1』です。話を戻しますが、森崎さん25歳のときなんですよね。別所さんの『クライシス2050』(1990)も確か同じ25歳、一緒なんです。

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別所 そう!僕25のときに撮影して戻ってきたんですよ。海外のプロジェクトに出たのが森崎さんが出たのと同じ時期なんです。はるか昔になりますが。

MC 25歳で見るハリウッドの風景ってどうでしたか?

森崎 日本でも映画に出していただくことはあるんですが、そんなに大きなバジェット(予算)の映画ではなかったです。そこからいきなりハリウッドに行ったときのギャップはすごく激しくて。言葉にしたらすごく生々しいんですけどほんとに「お金があるな」という感じでした。時間にも余裕があって、だからこそ「妥協しないで、その瞬間のベストを出しつくす」までチャンスをもらえる。それがショックでもありましたし、ありがたいと思いながら、とまどいもありながら現場にいたという感覚を今でも覚えていますね。

別所 とにかくスケールが大きいんですね。ぼくもSFXの映画でしたけど、宇宙船のセットがね、そのまま飛んで行くんじゃないかというくらい精密な作り方で。本当に信じられる、自分の想像力を生かせる空間づくりの前提がそこにはある。ラスベガスの砂漠でのロケがあったんですけど、昼の町(のシーン)を夜照明を焚いて撮ったりとか、もう必要なら夜を昼にするような勢いがありました。みんなが議論している中で「こういう撮影をしたい」「じゃあ道具を作ろう」「レンズを作ろう」とか、発想がぶっ飛んでいる。
日本だと「決められた時間・予算の中で知恵を絞ってどういう効果を出すか」にみんなが注力する。これも大事なことなんですけど。舞台でもそうかと思いますけど、お客さんを喜ばせるために、一から作っちゃおうという発想がハリウッドにはあるなぁと思いました。

MC 日本の映画作りとは全然違う?

別所 どっちがいい悪いではないんですけど、ハリウッドはそういった自由な発想で、必要なら道具も作る、コンピューターも用意するという、リミットがないというか。

森崎 そうですね。現地のCGスタッフさんはかなりの無茶ぶりをされていました。監督がその場でチェックしたいから、ということでVRのテントを作っちゃうんですよ。VRもまた作ってどんどん広がっていく。

MC 撮影期間中、何が現実の世界かわからなくなったりは?

森崎 夢のような世界過ぎて、地に足を着かせられない。普段だったら自分を振り返りながらできたものが、新しいものが多すぎて自分を見直す瞬間があまりなくて、とにかく話を追っていく。後は、くやしかった部分もたくさんありましたし。

別所 ええー!どんな?

森崎 僕の性格なんですけど。監督は演出的なことであまり役者のせいにしない、「ウィン全然ダメだ」なんてことは全くなく、逆にお褒めの言葉はいただけた…

別所 スピルバーグ監督に?

森崎 はい、いやぁ~。(照れ)

MC 「スピルバーグ監督に好かれてる」ってテレビ番組で…(会場爆笑・森崎さん動揺)

別所 大事だよ、大事!そういう俺様なところ(会場爆笑)!やっぱりほめてくれるっていうところありますね。

森崎 そうなんですよー(立ち直る)。それもあったんですけど、やっぱり主演の俳優の、役者としての凄さを目の当たりにしましたし。もし俺がその立ち位置だったときにできるのか?っていうと出来ないことが多くて。言語を始め、いろんなコミュニケーション能力とか、芝居とかそういうの考えると勝手にどんどんくやしくなって、あー絶対戻ってやる!って考えていました。はい。

別所 いいですねー。だって国際的にいろいろ活躍できるファクターを持っているんだし。何か月くらい撮影したの?

森崎 4か月くらい行きっぱなしでした。 ずっとロンドンの郊外で。

別所 最近のハリウッド映画は広く捉えないといけないんですよ。ニュージーランドやオーストラリアや南半球をスタジオに使うこともありますし。SFXの映画は結構ロンドンがあります。僕のときはずぶずぶにロサンゼルスだったので、スタジオはダウンタウンのメジャースタジオ、ロケは砂漠で、西海岸をウロウロしてました。

森崎 いいですね。イギリスでの撮影は田舎で周りに何もないんです。オフには何をしていいかわからなくて(笑)。車を貸してくれたので、無駄に5時間もかけて海を見に行ってました…1人だったので結果寂しいという(笑)。

別所 僕も一人でしたよ。ロサンゼルスのコンドミニアムに住んで全部自分でやって。最初のうちはプロデューサーが手伝ってくれましたが。アメリカも初めてだったので運転免許証を取るところから始まり、映画のイロハを全部そこで。全てが初めて。一人で行ったからこそ、いろんなことを体験して、自分なりに考える時間もあったと思います。

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森崎 そうですねぇ。(と先輩の一言一言に頷く)

MC PrizmaXのみなさんは撮影に入られるとき、どんなことをおっしゃっていましたか?

森崎 メンバーですか。全員男ですし、ちょっと男子校みたいなところもあったりしますし…

MC 素敵な男子校ですねえ!(笑)

森崎 誰かの仕事が決まったら「くやしい」と思うこともありますし、それがすごく伝わってきて。ただ心の底から「おめでとう」って言ってくれる。その代わり「見てろよ」ってことも感じられる。だから切磋琢磨できるんだと思います。

MC 別所さんハリウッドの先輩としてアドバイスを。

別所 何を?アドバイス?「日々いろんなことを経験して、感じて、表現して」というのが全てだという気がします。僕はハリウッドでジョージ・ルーカス監督に映画祭で出会って、それから現地で演劇の学校に行ったんです。そのときにActor=俳優の存在意義をいろいろ教えてもらって。言葉通りに「行動すること」とにかく行動しなさい、表現をするために動きなさい。心の動きもそうだし、日常生活でも感じたら行動する、それが大事だと。演技をするのがActorじゃなくて「行動する人」なんだってことを教えてもらったんです。
だからハリウッドの俳優さんって「Activist」活動家なんですよ。社会貢献や社会活動をする人がたくさんいるんですけど、それが彼らにはActorとシームレス(縫い目、継ぎ目がない)で繋がっていることなんです。日本では俳優っていうのは、きちんと準備されたところに行って演技をする人っていうイメージが多いんですけど。僕は行動する人っていうことで森崎さんにもスクリーンとか舞台の上だけじゃなく、「一人の人間として様々な行動をしてほしいな」と思います。

森崎 ありがとうございます。一個だけ聞いていいですか?

別所 一個じゃなくても(笑)。

森崎 あのう、ちょっと今考えているんですけど「人生の3年計画」っていうのを書こうと思いまして。
明日28になりますし。やっぱりちゃんとこう、表現するこの世界が好きですし、言うと生々しいんですけど「生き残っていきたい」(笑)。
常にトップのところに立つことって不可能なわけですし、波があるからこそいろんな引き出しも増えるだろうし。そんな中で自分の3年計画をたてたい。別所さんは20代の頃自分の計画とか書いたことはありますか?

別所 書いたことはないですけど、28のころどうだったかというと記憶がないくらい忙しかった。25で戻ってきて、26、7、8くらいはトレンディドラマ、今はそう言わないですよね。それで忙しくて28くらいのとき立ち止まろうとしたの。立ち止まっちゃダメ!(笑)

MC 出ました、アドバイス!(笑)

森崎 はい、わかりました。

別所 とにかくいただける仕事、いただける出会い、そこへ100%自分を持っていく。「習うより慣れよ」というんですけど、慣れてくるとせっかくいただいた仕事なのに、疲れたなとか、これヤダ、あれヤダとか言い出す時期に入りがちじゃないですか。男としてもこういう風になりたいなぁとかあるんですけども、こうなるべき、っていうのといただく仕事がちょっとズレていることがあるんですけど、どんどん飛び込む。それが求められている自分なんだと思って。

森崎 ああ~(聞き入って)…すみません。

別所 森崎さんにはダンスかもしれないんですけど、僕はミュージカルを学生演劇のときにやっていました。日本に戻ってからたくさんドラマや映画出させていただいて、ふっと気がついたんです。自分は舞台からスタートしたんだった。今話していて思い出したんですけど、30代にはどこかの舞台にきちんと立てる俳優になりたいな、と思いました。それに向かってドラマや映画を嬉しくやって来られたんです。
だから、森崎さんはせっかく出会ったダンスとか、そのグループの仲間とか、俳優としての自分だったりを大事にしていけばいいと思う。

森崎 ありがとうございました。

MC ダンスのお話が出たところで、ダンスの魅力について。

別所 「Dance Dance Dance」ですからね。

MC 森崎さん、ダンス始めたきっかけって?

森崎 中学2年生のときにスカウトされて事務所に入ったんです。それまではずっとサッカーをやっていたんです。毎週演技やダンスのレッスンがあって、それで初めてダンス…

別所 (いきなり)森崎さん、ちょっと手を見せて!おおお~~~!(会場笑)

森崎 左手が同じです。

別所 手相が同じです!!

MC ええ~~!そうなんですね。

別所 何ていうの?昔風に言うと「百握り」?

MC 「て」の字になってるんですね。はっきりしてるんだ。

森崎 そうです。「て」の字。

別所 一直線!一直線!すごーい!!どっかでDNA繋がってる??(会場爆笑)

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森崎 びっくりした~!自分以外の人の初めて見ました!(しばらく興奮冷めやらず、お互いに手を見る二人)

別所 みんなこれ、ツイッターで(笑)。 じゃダンスに戻って(笑)。

森崎 それ、どこまで話しましたっけ?(笑)事務所ですね。で、今続けているPrizmaXに出会いまして。PrizmaXもう歴史があったんですよ。ライブを見たとき、かっこいいなぁと思っていたんです。当時のマネージャーに「ちょっと歌ってみて」と言われ、ボイストレーニングに通うようになり、路上ライブがあるから振りを覚えてきて、と映像を渡され…メンバーには全体レッスンなどですでに会っていて仲良かったんです。「ウィン入ります!」とかもなく、いつのまにかグループにいたんです。それでどんどん人前で踊るようになって好きになっていきました。
もっとできるようになりたい、とか、同じメンバーでもライバル心とか抱くようになりました。「ダンスの魅力はこれだ!」と僕うまく言葉にできないんですけど、気づいたらやっていたってことです。はい。

MC 気づいたらやっていた…別所さん「踊る別所」は?(笑)

別所 あ、そこ繋げましたか?(笑) これはですね。ラジオやらせていただいて音楽が流れると、気持ちが乗るんですよ。自分が知ってる曲、気持ちがアガル曲、そのときに最初はちょっと体を動かして、それがだんだん激しくなって踊るようになりました。それがツイッターの映像になって、いろんな人が#踊る別所に反応してくださるようになったんです。

MC だってあれ面白いんですもん。みなさん#踊る別所で。(笑)

別所 こないだテレビの「ダウンタウンDX」で取り上げていただいて。踊るって鼻歌口ずさむのに似ていて、気がついたら踊っていて…。踊りの根っこは気がついたら動いていた。その先にアートとかあるんじゃないかな。

MC 気がついたら西瓜持ってたりとか?(笑)

別所 それはね、なんか用意してあると、これは一緒に踊りたいんだなと(笑)。

MC 今日は全身白ですけれども、踊る別所とか、ミュージカルの別所とか、切り替えていますか?

別所 特に切り替えていないですけど(笑)。朝ラジオのスタジオに行くと、良い意味でリスナーの方と同じプライベートな空間に1:1でいるような感じなんです。どっちかというとリアル別所、ありのまま、素のまま。そういうときってテンション上げてても、ない?

森崎 ありますね。疲れてるときも声出ないときもあります。でも声には全部出ていて、リスナーの方って見抜くんですよ。「大丈夫?」とか。

別所 そうそうそう。

森崎 その空間はプライベートで、一緒になれるっていいますか、全部見られているような感覚になります。

別所 だよねー。ラジオのほうが見られている、こっちの事がわかっちゃっている気がしますね。「がんばっちゃったの?」「お疲れですね」とか(笑)。ラジオのフィードバックは愛情があります。暖かいね。

MC 森崎さんは、PrizmaXのとき、俳優のとき、自分自身で気持ちを切り替えることは?

森崎 PrizmaXでいるときは自分で曲を書いたりさせていただける環境にありますので、自分を表現する、ある種こうありのままで、森崎ウィンとしていられることが多いです。自分の経験や培ったものを音楽にのせたりするのも自分のまんまです。
お芝居をするときは、全然違うキャラクターを演じる難しさを最近あらためて感じるようになりました。PrizmaXでいるときよりも台本をいただいたときの方が勉強しているかもしれないですね。役に自分との共通点を見つけたりもするんですが、中にいるキャラクターへのリスペクトから入るので。使い分けているというより、勝手に自分の中で切り替わっているのを最近感じます。

MC そんなに自然に変えていけるようになるものなんですか?人生の先輩として、別所さん?

別所 僕が歌手の方やパフォーマーの方を尊敬するのは、自分を表現するっていうところなんです。役者はもう一つを身にまとう。例えば僕別所哲也ならこう座るけれども、いただいたキャラクターだったらこう座っているのかな、とか、別の世界の表現をアドオンする。

MC まだまだお話伺っていきたいんですけど、実は会場のお客様から質問をいただいていまして、そろそろ時間なので、質問に移らせていただいてもいいでしょうか?いいですか?ではまず質問1から。
「お二人の尊敬している方は誰ですか?」


森崎 そうですね。最近増えた方で。僕昨日までミャンマーで、今朝帰ってきたんですけど、昨日ミャンマーの国の「観光大使」になったんですよ。

別所 おめでとう!素晴らしい!(会場拍手)

森崎 ありがとうございます。そのときの授与式で、駐ミャンマー大使の丸山市郎大使がスピーチをされたんです。最初は英語で後はずっとミャンマー語で。ミャンマーってそういう式のときも、みんな喋ったりしてるんですが、丸山大使のスピーチのときはサッと静かになったんです。その、人を引き付ける力に魅了されました。この人と一回ご飯食べたいなって思いました。(会場笑)純粋にすごく尊敬を覚えました。

別所 一回と言わず、ねぇ。

森崎 そんなにしょっちゅうお会いできる方じゃないんですよ。

別所 魅了するのは、スピーチの言葉?内容?

森崎 内容は、政府の偉い方が多いので、政府のこととかビジネスとかが多いんですけど。日本人なので日本語にしますっていうんじゃなかった、良い意味の裏切られた感というか、エンターテイメントを感じたんです。エンターテイメント性を出される丸山大使の人柄にすごく興味を持ちました。

MC 人を引き付ける力ね。別所さんいかがですか?

別所 え?(笑)尊敬する人ね。身近な人例えば父親とか、様々な尊敬する人がいるんですけど、映画っていうもので言えばやっぱりジョージ・ルーカス監督です。自分にとってすごい人。エンターテイメント、映画、人生観…そういうものの視野をバッと拡げてくれた人っていう思いがありますね。僕が映画祭を始めた当時、ジョージ・ルーカス監督にメールを送ったんです。何処の者かもわからない、僕のような日本の俳優にちゃんと応えてくれる。目線が高いでも低いでもなく、当たり前のように答えてくれる。
みなさんご存知かもしれないですけど、『スター・ウォーズ』を作っただけではなく、映画の様々な技術を開発したり、デジタル部分でも新しいことをやったり、まさにエポック・メイキングな人なんです。今ごく当たり前になっていることを、最初にゼロから1にし、1を100に変えていった人なんです。それが彼の力、そこから学ぶことは多いです。

MC ありがとうございます。それでは2つ目の質問です。
「表現者として今まで一番達成感を感じたのはどんなときですか?」
難しいですね。


森崎 えっと~達成感ですか(考え込む)。

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別所 ダンスだったらあれでしょ(やおら立ち上がって)、ムーンウォーク。マイケル・ジャクソン「ホー!」というだけじゃないんだよ。(アクションに会場大うけ)自分が何度も何度も練習して、今できてませんけど(笑)、できたときの達成感!

森崎 達成感…表現ですよね?えっと~「裏声が出せたとき」ですかね(笑)。ファルセット、裏声で歌うのが昔できなくて。それができたとき、それこそ森山直太朗さんの「さくら」。「僕は~♪」っていうの(客席が沸くのに向かって)歌わないよ(笑)。当時友達とカラオケに行って初めて歌えたときの達成感、今も覚えています。

別所 裏声出すのたいへんなんだよね。僕はジャン・バルジャンの歌がね、「うちへ~♪」っていうところだけ裏声で、これがたいへんだった。

MC 最後の質問です。
「お二人が映画で共演するとしたら、どういった役柄で共演してみたいですか?」


森崎 やっぱりこう、普段できないことをやるのが一つの醍醐味でもあるので。「別所さんの上司の役」とか。(別所 おお~!)オーディションとか、「用意、スタート!」とかやってみたいなぁ。逆転する。

MC・別所 いいですねぇ!

MC VR、仮想現実の世界。

森崎 そういうショートフィルム作りましょうよ。手相も見せる(笑)。

別所 そうだよ~。ドラマ関係の方使えますよ。手相が一緒の俳優~♪ 歳の離れた兄弟が出会ってさー‥‥(ふたたび手を見ながら盛り上がる二人)

MC 番号のついた引換券をみなさまお持ちですか?これから抽選して、当たった方にはサイン入りのオフィシャルグッズをプレゼントいたします。(手相話が止まらない二人へ)その手を抽選箱に入れていただけませんか(笑)?

別所 名司会者!!(笑)

抽選箱から2枚ずつ引き、ラッキーな4名の方々が決まりました。私もチケット買って入場しましたが外れました。
森崎さんは翌日の8月20日がお誕生日、ここでお祝いの音楽が流れ満場の拍手の中、大きな花束がプレゼントされました。スーツの下が黒地に花柄のシャツだった森崎さん、花束とお揃い♪と嬉しそう。


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森崎 めちゃくちゃ嬉しいです。ありがとうございます!

別所 明日がほんとの誕生日!?

森崎 うちの事務所はサバ読むことはないので(笑)、本当に28歳です。

別所 抱負を。

森崎 こうやって別所さんはじめ、いろんな方と出会いができたのが嬉しいです。28歳としてもう少し落ち着きのある(笑)、ダンディな男の子、男の子じゃないな(笑)、男になれるよう、日々精進してまいります。これからもよろしくお願いいたします。(会場からおめでとう!の声と大きな拍手)

MC ありがとうございました。それでは別所さんからも、会場の皆様にひとこと。

別所 本日はお集まりいただきましてありがとうございます。ショートフィルムとダンスがどんな世界観を作っていくのか、みなさんと森崎さんと一緒に発見ができたこと。森崎さんとは手相も同じ、海外での映画体験も違った形ではありますが、共通していたこと。身体表現、ダンスの魅力をここ横浜の地で分かち合えたことを嬉しく思っております。「Dance Dance Dance@ YOKOHAMA 2018」の関係者の皆様にもお礼申し上げます。ありがとうございました。

=取材を終えて=
別所哲也さんは若いころからご活躍を見ていましたが、取材するのは初めてでした。何度か取材した森崎ウィンさんが熱いのは、かなりわかったつもり。別所さんはキャリアが長い分もっと熱かったです。しかもそれを持ち続けていらっしゃる!
二人が夢中になっていた手相ですが、ウィンさんの「ての字」はくっきり目立つので、「ますかけ線がある」のには気がついていました。強運を努力と情熱で切り開いていくタイプで、歴史上の人物、今なら企業家や芸能人に多い手相のようです。同じ手相の二人が似たような経緯を辿ったのも納得です。「大志を抱いて生きるのが最も相応しい」のだそうですよ。これからも目が離せませんね。ちなみに別所哲也さん1965年8月31日生まれ。ウィンさん1990年8月20日生まれ。年の差25歳の兄弟・・・ぎりぎりありえますね。抽選の説明をしている間にも、ストーリーを話し合っていたようなので、ショートフィルム実現するかも。楽しみにしていましょう。
ショートフィルムオンラインは文中にもリンクを張っていますが。こちらです。私もさっそく登録しました。たびたび作品が追加されますので、チェックをお忘れなく。
本日のMCさんグッジョブでした。なお、(笑)は殆ど壇上会場共に笑っています。(取材・写真 白石映子)


8月19日のスタッフ日記はこちら

『英国総督 最後の家』インド人学校での特別授業 

~祖国の分離独立の歴史を背景にした宗教の違いを越えた恋物語に沸く~
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1947年2月、英国統治からの独立前夜のインド。
大英帝国総督官邸に着任した最後の総督マウントバッテン卿一家。
総督秘書官のヒンドゥー教徒のジートと、総督令嬢の世話係のイスラーム教徒の女性アーリアの恋の物語が、独立後のインドを巡る政治家たちの駆け引きを背景にダイナミックに描かれた『英国総督 最後の家』。
作品紹介:http://cinemajournal-review.seesaa.net/article/460910410.html

インド独立70年を迎えた2017年に製作され、インド独立記念日(8月15日)に併せ、8月11日(土・祝)より日本公開となる本作の公開を前に、7月12日(木)、西大島にあるインドのインターナショナルスクール「India International School in Japan」で、在校生徒を対象に母国の重要な歴史的転換期を認識してもらう目的で、特別授業が開かれました。

小学生から高校生までの年齢の生徒1200人が学ぶインド人学校。
午前中の低学年を対象にした上映会では、おしゃべりする生徒たちが多かったそうで、映画はちょっと難しかったのかもしれません。
私たちは、午後の14歳~18歳の生徒たちを対象にした特別授業を取材。
映画のどんな場面に反応するのかも知りたくて、1時20分からの上映会から参加しました。
(私自身は、試写で観ていましたので、今回は2度目)
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35度はありそうな暑い真昼間、冷房のない体育館での上映会でしたが、生徒たちは静かに映画に見入っていました。

その生徒たちが初めて笑ったのは、マウントバッテン卿の夫人が官邸の台所に行き、料理人たちに「いろいろな信仰の人にあわせたインドの料理を作ってくださいね」とお願いしたのに対し、料理人の一人がヒンディー語で「せっかく洋食を習ったのに」とぼやいた時のことでした。
(私にはわからない、ちぇっ! といったニュアンスだったのかも)

官邸の所有物もインド80%、パキスタン20%できっちり分けることになり、台所でナイフやフォークを数える場面でも笑いがおきました。

そして、どっとどよめいたのが、ジートとアーリアの初キスの場面。
離れ離れになった二人が駆け寄って抱きつく場面でも、「ヒュー! ヒュー!」と掛け声を上げて拍手。
(実は、この場面、初めて観たときに、アーリアはイスラーム教徒だし、あの時代にこの場面は許されるのかなと思ったのですが、あの時代だからこそ「有り」なのですね。)

インド独立で国旗がはためいたときには、もちろん大きな拍手。
最後まで、おしゃべりすることもなく、皆、真剣に映画に見入っていたのが印象的でした。


◆特別授業
上映後、大妻女子大学、淑徳大学兼任講師でインド史を教えている関口真理さんを講師に特別授業が開かれました。
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インドの伝統衣装サリー姿で関口先生が登壇すると、皆、大きな拍手で迎えました。

関口先生: 英語? ヒンディー? どちらでお話しましょう?
(冒頭、男性のインド人の先生が英語で挨拶していたので、どうやらここでは英語が公用語のよう。この後、関口先生は英語で授業)

◆この映画のこと、分離独立のこと
関口:私は日本人です。インドとのハーフでもなくて、夫がインド人でもありません。
映画はいかがでしたか?

生徒たち:Great! (大きな拍手)

関口:歴史的なことを背景にしていて、インドにとっても、世界にとっても重要な話でしたね。この映画の中の歴史的なストーリーは、恐らく皆さん知っていると思います。皆さんどう?

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生徒:マウントバッテンの奥様の働きぶりがよかった。
生徒:独立に携わった重要な人物たちの動きを知ることができてよかった。

関口:デリーの元総督邸、今は大統領官邸ですが、行ったことのある人?

(数人の手があがる)

生徒:休暇のときに、家族と行きました。

関口:映画の中で特に印象的だった場面は?

生徒:ラブストーリーがよかった。総督の奥様がよかった。
(総督の奥様、かなり評価が高いです。実は、私は映画を初めて観たときに、奥様の働きについて、特に印象に残ってなかったのでした)

関口:分離独立の時に、とても困難な状況がありましたが、皆さん自身のおじいさんたちや家族から話を聞いたことはありますか?
パキスタンやバングラデシュの方から移住してきた先祖のいる方は?
(ほとんど手があがらない) ここにはいないようですね。
映画を観て、これを機会に家族に聞いてみてくださいね。分離独立の時の話はとても重要です。勉強してみてくださいね。次の世代にも語り継いでいく必要があると思います。

◆好きなインド映画は? 俳優は?

関口:この映画以外のこともお話しましょう。インド出身の家族と日本に住んでどんなことを考えているかなど聞いてみたいです。 ボリウッド映画はどうやって観ていますか?

生徒: インターネット!
生徒:日本の映画館!
生徒:『バーフバリ』を映画館で観ました。

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関口:好きなスターは?

生徒:シャー・ルク・カーン!  (何人もが同意の拍手。私も拍手♪)
『ヴィールとザーラ』が一番好き。

生徒:僕は、『Chak De India』が好き。
(2007年 インドの女子ホッケーチームの話。東京国際映画祭で上映されました)

生徒:僕は、アジャイ・デーヴガンが好き。独立のために闘った話が好きです。
(タイトルは聞き取れませんでした)

生徒:僕はアーミル・カーンの『Rang De Basanti』

男の子たちから次々に好きな俳優の名前があがりましたが、女の子たちは恥ずかしかったのか、手があがりませんでした。

関口:日本の文化はいかがですか?
日本でもインドのお祭り「ディワリ in 東京」を開催していますが、参加したことはありますか?
(少し手があがる)

生徒:江戸川区のクリケットチームに参加してます。

関口:逆に私に質問をどうぞ!

生徒:なぜインドの歴史を学ぼうと思ったのですか?
関口:ビートルズの歌を聴いて、ジョージ・ハリスンがラヴィ・シャンカールを師としていると知ってインドに興味を持ちました。でも、ネパールの村にいる日本の医師のことを知り、最初にネパールのことを学びました。

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皆さんも日本にいるので、将来、日本とインドのためにどんなことが将来できるか考えてくださいね。

授業の最後に生徒さんたちと一緒に記念写真

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取材:宮崎暁美(写真) 景山咲子(写真・文)

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★取材を終えて★
会場に一人だけ、スカーフを被った女の子がいて、ムスリマに違いないと、「アッサラーム アレイコム」と声をかけました。
出身地を聞いたら、南インドのケーララでした。
ケーララといえば、イスラーム映画祭3で上映された『アブ、アダムの息子』の舞台で、サリーム・アフマド監督が「私たちはアラビア語の単語も結構使います」と言っていたのを思い出し、聞いてみたら、やはりアラビア語の単語は使うとのことでした。
学校にイスラーム教徒はそれほど多くはないけれどいるとのこと。彼女のクラスの半分はネパール出身と聞いて、ちょっと意外でした。
校庭で声をかけてきてくれた女の子二人も、一人はバングラデシュ、もう一人はパキスタン出身でした。
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学校の入口には日の丸とインドの国旗が飾られていますが、まさに、分離独立前のインドの各地の出身の子どもたちがこの学校に通っていることがわかりました。
それぞれに複雑な思いで『英国総督 最後の家』を観たのではないでしょうか。
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学校の壁には、生徒たちの作品が飾られていました。どこかエキゾチック。

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駅に向かう途中で、遅いランチ。やっぱり今日はインド料理よねと!

最後になりましたが、このような素敵な企画を立ててくださった配給や宣伝の担当者の方たちに感謝です。そして、暑い会場で、できるだけ涼しい場所を探してくださったり、冷たいお水のボトルをくださったりしたことにも! ほんとうにありがとうございました。(咲)



最近、歴史に残すエピソード映画がいくつも公開されていますが、この作品もインド独立前後の話を知ることができる話でした。それを日本在住のインド系の学生が見るという企画があり、その取材とのことでとても興味を持ち、Kさんと二人参加させてもらいました。日本にインド系の生徒を集めた学校があるということ自体知らなかったし、小学生から高校生まで1200名もの生徒が通うということにびっくり。なにより、江東区の大島地区にこんなにもインド系の人々がいて、駅のそばにはインド・ネパールなどの料理店もたくさんあり、このあたりがいつのまにインドタウンになったんだろうと思いました。大久保、新大久保あたりが中華系、コリア系の人が集まるタウンになったと思ったのが20年くらい前だったから、やはりこの町もそういう歴史があったんだろうなと思いました。
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学校の体育館に行ったらものすごく暑くて、冷房慣れしてしまっている身には、この2,3時間がとても大変でしたが、配給、宣伝の方が風の通るところに案内してくれました。風がとてもありがたかったです。そして、昔はこの暑い中で運動をしていたのだなと、かつての自分のことを思い出しました。生徒たちは、たまにおしゃべりする子たちもいましたが、それでもしっかり画面を見ていました。やはり自分の国の歴史にかかわる話だったからでしょう。家族から聞いている人もいるかもしれないけど、日本だって戦争のころの話を聞いていない子供たちがほとんどになっている時代。きっとインドも同じでしょう。自分たちの国がこのようなことを経て、独立したということを知るのはとても大事なことだと思いました。でもあとのQ&Aタイムでは意外にシャイな子供たちでした。あまりインドの映画、見慣れていないのかもしれません。それにしても、インド系の学生が1200名も通う学校が江東区にあるとは全然知りませんでした。また新しいことを知りました。映画も、再度観ないと、けっこう難しかったです。(暁)