武田梨奈さんインタビュー

『殺る女』
『ボクはボク、クジラはクジラで泳いでいる。』
武田梨奈さんインタビュー
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『殺る女』ストーリー
幼いころに両親を殺された愛子(知英)は、復讐のために殺し屋になった。手がかりは犯人の腕に見えた蠍のタトゥーだけ。一方加賀俊介(駿河太郎)と二人孤児院で育った由乃(武田梨奈)は看護師として働き、同僚の医師を想っている。俊介が昔の仲間に悪事を強要されたことから、娘のカナと由乃は事件に巻き込まれていく。
http://yaruonna.com/
完成披露試写会舞台挨拶リンク
http://cineja-film-report.seesaa.net/article/462149176.html

『ボクはボク、クジラはクジラで泳いでいる。』ストーリー
和歌山県の「太地町立クジラ博物館」で働く鯨岡太一(矢野聖人)はクジラを愛する純朴な青年。「クジラすげー!」という自分の気持ちをみんなにも感じてほしいと思っている。来場者が減っていく今の状況を変えようと、館長は太一を飼育員のリーダーに任命する。係員がやめて、東京の水族館からピンチヒッターに白石唯(武田梨奈)がやってきて、太一と学芸員の望美(岡本玲)と同じ宿舎に入った。3人は次第に意気投合して、博物館を盛り上げるためにイベントを計画する。
http://bokujira.com/
©2018 「ボクはボク、クジラはクジラで泳いでいる。」製作委員会
★2018年11月3日(金)よりほか全国公開

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『殺る女』での由乃さんは「情念の女」という感じがしました。これまでになかったタイプの役で、梨奈さん本人とずいぶん遠い気がするんですが、どんなふうに役作りをされたのでしょうか?

今回私の撮影日は3、4日しかなかったんです。撮影前に監督と役柄についてそんなに深く話す時間がないうちに、クランクインという形でしたので、自分の中で感情を追い込むようにしました。というのは、私の演じる由乃はバックボーンが描かれていません。闇を抱えている女の子として登場するものですから、どうやって表現すれば伝えられるのかと、すごく考えながらやらせていただきました。

-ポイントはどこでしたか?

この由乃さんは感情を表に出しません。いろいろなトラウマだったり、人への信頼感や恐怖感、いろんなものがきっともう切れそうになっている。無感情で生きている子なんだろうと、それを表現しようと思いました。

-先日の完成披露の舞台挨拶では、ジヨンさんとは撮影では会うことなく、その日に初めて会ったとおっしゃっていましたね。宮野監督と兄役の駿河太郎さんとも初めてのお仕事ですね。

知英(ジヨン)さんとはそうなんです。宮野監督と駿河さんには以前ロサンゼルスの日本映画祭でお会いしています。最終日授賞式後のパーティで「これもご縁なので日本に帰ったら一緒にお仕事しましょう」と話していた矢先、このお話が来てびっくりしました。

-アメリカで出会ったご縁が今回の作品に繋がったんですね。梨奈さんからぜひこの作品のアピールをお願いします。

観終わった後に、気持ちよくなる作品ではありません。どっと、胸に来る作品です。女性が過去にトラウマを持っていて、その復讐をしていくという韓国映画にはけっこうあると思いますが、日本映画にはなかなかないタイプの作品です。こういう作品こそ映画館で観ることで、伝わり方が変わってくると思います。ぜひ映画館で!

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-ありがとうございます。ではここから全く違う『ボクはボク、クジラはクジラで泳いでいる。』のほうへ。
こちらではクジラの調教師というとても珍しい役柄です。映画の中でヴィータの担当者に「私は3ヶ月かかりました」と言われています。短期間でどんな準備をなさいましたか?


まずクジラとのふれあいかたから。サインの出しかたを完璧に覚えたからといって、技をしてくれるわけではないんです。一番大切だと思ったのは、「意思の疎通」です。たぶん馬とかも一緒だと思うんです。命令や指示を出すだけではなく、ちゃんと目を見て伝えないといけない。いくら私が練習したところで、応えてもらえないとショーは成立しない、それをわりと早い段階で気づき、教えていただきました。いかにヴィータと心を通わせて仲良くなれるかを考えました。撮影に入る前に3,4日間博物館で合宿して、東京に戻ってからは泳ぎやサインの練習、イメージトレーニングを何度もしました。

-ヴィータと仲良くなれたという瞬間はわかるものですか?

すごくわかりました。初めは目も合わせてくれませんし、指示通りにいかないことも。
映画の中の「世界一ダメなトレーナーだね」というのと同じ感情になったときに、実際の飼育員の方からアドバイスをいただきました。
「武田さんが弱気で不安がっているから、ヴィータも不安がっています。もっと自信を持って、『ヴィータやるよ!』って活を入れてあげないと」と言われました。そうなのかなと自分に活を入れなおして、気持ちを変えてやったら一気に変わりました。人間対クジラという目線でやっていた自分がダメだったんだなぁって。生きもの対生きものなんだとすごく感じました。

-わあ、いいですね。Instagramで見ましたが、猫と犬を飼っていらっしゃいますよね。いつも身近にいるペットにはそういう風に考えないですよね。

見て下さってありがとうございます。ペットはいつも一緒にいるのでなんとなくわかります。怒ってるとか、機嫌悪いとか。

-クジラの手ざわりが「濡れたナス」みたいと岡本玲さんが映画の中で歌っていますね。そうでしたか?

ほんとに「濡れたナス」みたいにツルツルでした。そしてちょっと暖かい。

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いるかと一緒に泳ぐとヒーリング効果があると聞きました。梨奈さんもずっとクジラと一緒の撮影で、たくさん癒されて元気になったんじゃないでしょうか?

そうなんですか? 不思議なのは、撮影前に合宿をしたとき毎晩クジラの夢を観ていました。ずっと一緒にヴィータと泳いでいる夢を見るんですよ。現実か夢かわからなくて、パッと目が覚めて「あ、夢か」と、あれは何だったんだろう?

-鯨井太一くんみたいですね(笑)。ヴィータが近づいてきてくれたのかも。

そうかもしれないです。ロケが終わってからも、ちょこちょこ夢に出てきます。
今回の撮影で、クジラへの思いがいっきに変わりました。合宿できたのがすごく大きかったです。

-撮影はいつごろでしたか?

10月中旬ころで、台風が2回あたったんです。何回も撮影中止になり、けっこう危機感ありました。
撮影をずらしたり、入れ替えたり変更は何回かありましたが延期にはなりませんでした。合宿のほかに、ロケは2週間くらいだったと思います。

-生きもの相手の撮影は大変でしたでしょう?ヴィータたちの機嫌次第では撮れなかったこともありましたか?

気性の荒いクジラが機嫌が悪くなると放棄しちゃうんです。しかも、クジラって団体行動するので、1匹が暴れちゃうと他のクジラにも連鎖します。ヴィータもいつもと違う声を出したりして、そういう時は一度ストップしてクジラ達が落ち着くのを待ちました。

-台風のせいで機嫌が悪くなるのかしら?

台風のせいもあったかもしれないし、今までと違う環境っていうのもあったと思います。ロケが入って、飼育員に替わって私たちがなったわけですし。これまでドキュメンタリー撮影はあっても、映画でというのは初めてみたいです。

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-大変だったんですね。では、藤原知之監督や共演の方々とのお話を。

矢野君も岡本玲ちゃんも同い年だったんです。同い年の人との共演ってあまりなかったので、逆に緊張してしまって・・・どうやってどの距離で話したらいいか、たぶんお互いが感じていたと思います。
最初は役に集中しなくてはいけないということもあって、あんまり深い会話もせず。泊まっていたホテルの目の前にラーメン屋さんの屋台があったんです。撮影終わりに一杯飲みながら「明日もがんばろうね」っていうのを何度かやっていくうちに自然と距離が縮まりました。

-映画の中ではすぐ下の名前で呼び合っていましたね。仕事場でそう呼ぶとは、時代は変わったと思っていましたが、実際そうはならなかったですか?

玲ちゃん、梨奈ちゃん、矢野君。ちゃん、君づけでした。

-若い人たちだからまたどこかで会う機会があるでしょうね。藤原監督は細かく演出されるかたですか?

細かくっていうのではなく、お互いに相談し合える感じでした。監督は「こう思うんだけど、どう思う?」というタイプですし、最初の私には共演の方たちよりも役や作品について監督が一番近い距離で一番話せた存在でした。
私はこの映画が「ただの青春映画じゃない」ということを監督に伝えました。そしたら監督も同じように感じていて、一緒にやっていこうと言ってくださったので、心強かったです。
クジラを題材にするっていうことは、私の中で一番壁になっていました。いろんな作品、例えば『ザ・コーブ』とか『ビハインド・ザ・コーブ』とか、クジラをテーマにした作品があります。賛成派、反対派ってものすごく極端に分かれてしまう。社会的に問題になっていることでもあるので、この作品を「ただの青春映画」におさめることもよくないなって思います。そこを最初悩みました。

-反対運動についての知識をきちんと持ってから作品に入られたんですね。

はい、ほかのドキュメンタリーも観ました。反対派の方たちの意見もちゃんと自分で知っておかなきゃ、と思いました。でもそういう方たちにも観ていただけたらな、って思います。考えは変わらないのかもしれませんが、その中でも正解はないなというのをこの映画では描いています。

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-学芸員の望美ちゃんが一生懸命説明していました。お互いの文化をまず知って理解していくことが大事という、ただ楽しいだけじゃなく、宿題もある作品ですね。
矢野くんの演じる鯨岡太一くんですが、「さかなクン」キャラですよね。脚本はさかなクンを想定して書かれたんでしょうか?


どうなんでしょう(笑)。本読みのときは「もっと落ち着いたまじめな男の子」風に読んでいたんですけど、「クジラ馬鹿」って言われるくらいの男の子なのでもうちょっと極端に、でもぶっとんでる変な子には思われないように、とお話がありました。たぶん本人は役作りに悩んだかと思います。やっぱり中心に立って周りを巻き込む力のあるキャラだったので。けれど本人は周りに言わないで考えるタイプなんです。

-ちょっと矢野君にも聞いてみたくなりました。

私も聞きたいです。役作りどういう感じだったのか。

-太一くんは熱いけど、共感できるキャラになっていました。最後はちょっとしんみりして、これはロマンスにはいかないのか?と。

そこも監督が。私は「これはどっちなんですか?ギュってするのはラブが入っているのか、友情、仲間としてのハグなのか?」って聞いたんですが、「そこはあえて形にしないで」と仰っていたので、観てくださった皆さんの感想を聞きたいです。

-なんたって梨奈さん男前すぎる!(笑)さかなクンとハイキック・ガール(ちゃんとそんな場面あります)じゃね(笑)。最初に唯(梨奈)さんが太地に出向してくるというときに、背景をあまり説明しませんよね。富樫館長を呼び捨てにするし、態度は大きいしで、何かワケアリの人かと思っていました。

単に「東京からやってきたプライド」を持っていて、「なめられたくない」っていう気持ちでクジラ博物館に来た子なんです。

-出向して来るときの歩き方と、東京に帰って行くときの歩き方が違うんですよね。

あ、すごい。すっごく嬉しい!自分の中では変えていたのでそれを観てくださって。

-ちゃんと気持ちが出ていましたよ。「なんなのよ、ここ」とハイヒールでカッカッと歩くのと、戻るときの後ろ髪ひかれつつ新しい決意をするところ、その間の流れた時間もちゃんと乗っていました。

洋服や靴も替えているんです。ありがとうございます。


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-読みが合っていて良かったです(笑)。この辺で新作以外のことを聞いてもいいですか?(宣伝さんへ)
じゃあ始まりのほうへ戻らせていただいて。
「ジャッキー・チェンに憧れている」と前に知ったんですけれど、今も変わりませんか?


変わらないです(きっぱり)。たぶん5歳くらいから映画を観ています。父がジャッキーファンでしたので。

-お父さんは空手の先生でしたね。梨奈さんはやれといわれたわけでなく?

じゃないです。逆に父が負けた試合を観て、くやしくて仇討ちに始めて(笑)。それが10歳のときです。
その前、6歳のころからオーディションを受けていたんです。俳優になりたくてもう何でも受けました。オーディション雑誌を買ってきて。

-対象になるものにはみんな?

そうです。映画に出るために何をしたらいいかわからなかったので、映画には関係ないものまで応募して、とにかくいろんなジャンルのオーディションを受けていました。たとえば「モーニング娘の妹分募集」とか。それに受かった人は映画デビューもできます、というので。妹分にはなれなかったです(笑)。

-でも、受かってたらまた別の道に行っていましたよね。

そうですね、今はなかったですね。今が一番いいです。

-一番いい選択をしてこられたんだと私も思います。でないと今日会えませんでしたし、良かったです(笑)。

ありがとうございます。今の事務所も2回落ちているんです。オーディションは小学生のときから受けてきて、正確な数字はわからないですけど、たぶん300回くらい落ちています。
「もうどうしよう、誰も見てくれないな」と思ったときに、『ハイキック・ガール!』のお話をいただいたんです。たまたま監督が「空手・少女」とか「女優」とかを調べたときに私のブログにヒットして、「特技は空手です。将来は女優として活動したいです。映画が好きです」と書いていたのにコメントをくださった。「今度空手をやる女の子の話をやるので、オーディションに参加してみませんか」とあったので、父に相談して一緒についてきてもらって。それで決まったのが『ハイキック・ガール!』なんです。16歳でした。

-それがなかったら「今の梨奈さんはない」ですね!お父さんも映画に参加されたそうですが、いったいどこにいらしたのでしょう?

ほんとに蹴られてふっ飛ぶ役です(笑)。道場での練習を監督が観て「ここまで身体の大きい男の人を殴れるのか・・・ちょっとお父さん、いいですか?」って(笑)。

-え、梨奈さんがお父さんをふっ飛ばしたんですか!(笑)

はい。次の日、「痛い~」って言ってました(笑)。でも日々稽古してここまでの強さならいける、とお互いの感覚を知っていたので。父だからできたというのはあります。

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-(宣伝さんのカンペが出る)わ、あと3分ですって!(笑)

早い!嘘~!喋り足りない。

-早いですよね。私も聞き足りない。またぜひ時間作ってください。
(まだ粘る)空手が一番お好きだと思うんですが、気分転換には何をしますか?


うーん、映画館に行くことですね。

-映画館!良かったわ。そこに話題が来て(笑)。

自分の中で切羽詰まったり、モチベーション上がらないなぁというときは、絶対に映画館に行きます。
ジャンル問わず、その時間帯に合うものを観たり、始まる1時間前からロビーに一人でずっといて気を落ち着かせたりします。予告編の音を聞いたり匂いを感じたり。観終わって出てくるお客さまの顔を観るのが好きです。またリセットしてがんばろうっていう気持ちになります。やっぱり自分の夢だった場所ですので。

-ほんとにそうですねえ。いいお話を伺ってここで〆たいところですが、最後に目指している俳優さん、目標など教えてください。

志保美悦子さんが尊敬する女優さんの一人です。日本でアクション女優というジャンルを作り上げた一人で、歴史を作ってくださった。私も今日本のアクション女優として、受け継ぐだけでなく志保美さんのように歴史を残したり、作ったりしていける人になりたいです。「アクションって言えば武田だよね」と言われたらとても嬉しいですし、「日本と海外の架け橋」になって、海外の方たちにも「日本のRINA TAKEDA」って言っていただけるようになりたい。それが将来の大きな夢です。

-きっと叶いますよ。いつでも応援にいきます!
ありがとうございました。


=インタビューを終えて=
『ハイキック・ガール!』の綺麗なハイキックを観て、第2の志保美悦子さんと期待していました。今回武田梨奈さんご本人からその志保美さんやジャッキー・チェンの名前が出て、嬉しくなりました。小さな頃からの女優志望で、何度オーディションに落ちても諦めず、夢を掴みました。
今回2本続けて出演作を観ましたので、全く違うキャラクターを演じているのが特に目に焼きつきました。『木屋町DARUMA』での親の借金返済のために堕ちていく女子高生役もすごい!『世界でいちばん長い写真』のきっぷの良い従姉役も良かった!いろいろ演じ分けられる女優さんになられたんだなと感慨深いです。海外とのコラボにも積極的な梨奈さんです。オンリーワンの女優として成長されていくのをずっと見守っていきたいです。怪我のないよう祈りつつ。

(まとめ・写真 白石映子)

台湾映画の"いま" 第七回『古代ロボットの秘密』レポート

台湾映画上映&トークイベント
台湾映画の"いま" 第七回『古代ロボットの秘密』レポート

稲見 公仁子

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人形とコスプレイヤー勢ぞろい

 去る9月22日(土)、虎ノ門の台湾文化センターで「台湾映画上映&トークイベント〜台湾映画の"いま" 第七回」(主催:台北駐日経済文化代表処台湾文化センター/アジアンパラダイス)が開催され、冒険ファンタジー『古代ロボットの秘密』(原題:奇人密碼)が本邦初上映された。

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『古代ロボットの秘密』左から 張墨(チャンモォ)と『Thunderbolt Fantasy Project』凜雪鴉(リンセツア)

 この映画は、古代中国を舞台に、亡き父の形見である木製ロボットの動力源を求めて西域を旅する兄妹の冒険ファンタジーで、90年代に香港で流行った時代劇アクション(古装片)を彷彿させる佳作だ。だが、ジャンルに分類しきれない、きわめて大きな特色がある。それは、これが伝統芸能のひとつである布袋劇(人形劇)の映画だということだ。布袋劇は、侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督の『戯夢人生』でも描かれているが、『戯夢人生』で取り上げられたのはオーソドックスなスタイルで、現在はオーソドックスなものを引き継ぐ人々がいると同時に、時代に合わせた様々な表現方法やテクノロジーと結びついて進化を続けている流派もある。『古代ロボットの秘密』は、後者である霹靂社の作品。今回の上映に際しては、霹靂国際マルチメディア映画テレビ制作センターの西本有里プロデューサーのトーク、撮影に使われた人形の展示および操演や絢爛豪華なコスプレイヤーたちによるショーも行われた。

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西本有里プロデューサー

 西本プロデューサーの話によると、布袋劇は17世紀の中国福建省泉州・漳州・潮州周辺で起こった人形劇で、1750年以降、漢民族の台湾移民に付随して台湾に伝わったものだとのこと。1920年代には黄海岱(ホアン・ハイタイ)率いる布袋劇団の劍侠布袋劇(時代劇アクション人形劇)が人気を博し、戦時下でそれは演じることができなくなったものの、戦後、華々しい復興を遂げたそうだ。70年代には、黄海岱の子・黄俊雄(ホアン・ジュンション)のテレビ布袋劇が90%を超える驚異の視聴率を叩き出し、社会機能への影響から政府が放送禁止にするほどの人気だったとか。その後も、俊雄の子・黄強華(ホアン・チャンホア)&文擇(ウェンツァ)兄弟の代になると、ビデオ市場で異彩を放ち、ケーブルテレビによる多チャンネル化では専門チャンネルも持つに至った。黄家の布袋劇は霹靂布袋劇と呼ばれ、当初30cm程度だった人形は、メディアの変化に連れて大型化し、華やかな造形が主流になっている。また、黄強華には映画製作の夢があったそうで、それが3年3億台湾元をかけた映画『古代ロボットの秘密』になった。霹靂社では、現在、2年後の劇場公開を目指して、新たな劇場用布袋劇を製作中とのことだった。

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霹靂布袋劇の人気キャラたち。
(後列左から)銀鍠朱武(インホァンジューウー)、素還真(ソカンシン)、(前列)騶山棋一(ゾウシャンチーイー)

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『古代ロボットの秘密』より
(左から)張彤(チャントォン)、神女菲兒(シェンニューフェイアー)、張墨(チャンモォ)人形操演師・猫叔、安羅伽(アンローチェ)

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『Thunderbolt Fantasy Project』より凜雪鴉(リンセツア)コスプレ&人形

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『Thunderbolt Fantasy Project』より
(後列左から)丹翡(タンヒ)、凜雪鴉(リンセツア)、浪巫謠(ロウフヨウ)、殺無生(セツムショウ)
(前列左から)凋命(チョウメイ)、人形操演師・猫叔(ミャオシュー)、獵魅(リョウミ)、蔑天骸(ベツテンガイ)

 会場では、主人公・張墨(チャンモォ)の人形と日台合作連続人形劇『Thunderbolt Fantasy Project』(※注あり)の人形が展示されたほか、コスプレイヤーたちも登場。『古代ロボットの秘密』の主人公の妹・張彤(チャントォン)や『Thunderbolt Fantasy Project』のキャラクター、また、霹靂布袋劇の代表的なキャラクターで『聖石伝説』(2000年製作、2002年日本公開の映画)にも登場した素還真(ソカンシン)らに扮したコスプレイヤーたちが華麗に舞い、場を盛り上げていた。

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コスプレイヤーの皆さん


協力:偶動漫娛樂股份有限公司/霹靂國際多媒體股份有限公司

※『Thunderbolt Fantasy Project』霹靂社と日本のニトロプラスの合作で、テレビシリーズ2作、劇場版1作が作られている。現在、テレビ版『Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀2』が日台で同時放送中。(MX-TV、BS11、サンテレビ、バンダンチャンネルにて)


『モルゲン、明日』坂田雅子監督インタビュー

2018年11月、横浜シネマリン、フォーラム福島、シネマテークたかさきほか全国順次公開予定

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坂田雅子監督

過去に学び、未来を拓く、ドイツ市民のエネルギー革命

福島第一原発の事故から3ヶ月後の2011年6月、ドイツは2022年までにすべての原発を廃炉にし、再生可能エネルギーへの転換を決めた。しかし、当事国の日本は事故収束の糸口も見えないまま原発の再稼動が始まり、原発輸出の話さえ出てきた。両国の違いはどこからくるのか。答えを求めて監督はドイツに向かった。
出会ったのは各地で(都市、村、学校、教会、ホテルなど)脱原発と自然エネルギーへの情熱を燃やし、実践する人々。第二次世界大戦でのナチスの行いを反省し、1968年の学生運動をきっかけに芽生えた市民運動、そして緑の党。反原発、環境保護を政治に反映し、脱原発を次世代に繋げようとしているドイツ市民の姿を映像に収め、市民の手で政治の方向は変えられると教えてくれる。

坂田雅子監督プロフィール 公式HPより

1948年、長野県生まれ。65年から66年、AFS交換留学生として米国メイン州の高校に学ぶ。帰国後、京都大学文学部哲学科で社会学を専攻。1976年から2008年まで写真通信社に勤務および経営。2003年、夫のグレッグ・デイビスの死をきっかけに、枯葉剤についての映画製作を決意。ベトナムと米国で取材を行い、2007年、『花はどこへいった』を完成させる。本作は毎日ドキュメンタリー賞、パリ国際環境映画祭特別賞、アースビジョン審査員賞などを受賞。2011年、NHKのETV特集「枯葉剤の傷痕を見つめて~アメリカ・ベトナム 次世代からの問いかけ」を制作し、ギャラクシー賞、他を受賞。同年2作目となる「沈黙の春を生きて」を発表。仏・ヴァレンシエンヌ映画祭にて批評家賞、観客賞をダブル受賞したほか、文化庁映画賞・文化記録映画部門優秀賞にも選出された。2011年3月に起こった福島第一原発の事故後から、大国の核実験により翻弄された人々を世界各地に訪ね、取材を始める。2014年、それらをまとめ『わたしの、終わらない旅』として発表。

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(C)2018 Masako Sakata

公式HP http://www.masakosakata.com/

『モルゲン、明日』
坂田雅子監督インタビュー
宮崎 暁美


*思いと行動

編集部 今回の作品は『わたしの、終わらない旅』(2014年)の続編のような、原発に対してどう立ち向かうのかという人々の声とか実践とかを表現したものだと思うのですが、どのような流れで作ったものですか。何かにせかされてというか、つき動かれてという感じですか?

坂田監督 東日本大震災のあと、ほんとに目の前に危機が迫っていて、家でのんびりしていられないという気持ちがしました。TVを見ていてもはがゆい。自分の目でどうなっているか確かめたいという思いがありました。

編集部 そこはやっぱりすぐに行動に移せる人とそうでない人がいると思います。その状況を見て、何かしなくてはいけないと思いながら、なかなか行動できない人が大部分だと思うので、その行動力がすごいと思いました。しかも映像という形で残して作品を作って人に見せるということで、見た人に「何かできるかもしれない」と思わせてくれるものを作ってくれているといつも思っています。

監督 私はそういう形で社会と関わりたいと思っています。普段山の中に一人で暮らしているので、社会と関わっていくために映画作りを続けているという面があります。

編集部 元々、写真のエージェンシーをやっているからそれもあるのではないですか。映像と写真というのは繋がっているから、何かの形で残して伝えられるというのは同じですよね。

監督 おおいに繋がっていますよね。自分で見ると同時に、見たものを吸収して表現する。そういう作業を『花はどこへいった』(2007年)から始めたわけですけど、そういう作業というものに満足感を感じるし、生きがいも感じます。

編集部 『花はどこへいった』の時に、とても衝撃的だったし、あの作品は坂田監督だからこそできた作品だったと思います。私自身、ベトナム戦争における枯葉剤の影響というものに、すごく興味を持っていたのですが、どこか他国の話という感じだったのですが、坂田監督のように、夫の死に枯葉剤の影響があったのではということで、何かしなくてはというところからの映画製作、真に迫った作品だったと思います。この映画を見て、身近な問題として認識しました。そういう身近なところからの作品作り、それが自分のことだけではなく、社会的に大きなことなのだということに繋げ、皆さんに伝える作品にいつも注目しています。

監督 私はノンポリで、政治的なことに関わってこなかったんです。というのは、何が正しくて、何が正しくないのかというのがよくわからなくて。日々の仕事や生活に追われて政治的なことに関心を払って来なかったけれど、こういう映画という形で関わり始めてくると、いろいろな問題が繋がっているのだということが見えてきます。学生運動は傍観者でしたが、思想的な部分では、根本的なものを見たいという意味ではラディカルだったかもしれません。ラディカルというのは「根」という意味だそうです。根に戻る。根本を見るということなんです。

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(C)2018 Masako Sakata

編集部 私は高校時代だったのですが、ベトナム戦争に対して何か行動をしなければという思いに突き動かされてべ平連のデモに参加していました。

監督 私がその頃いた京都でも、運動は盛んでしたが、私は参加せずにいました。

編集部 私は1968年、高校2年生で、ちょうどターニングポイントだったと思います。69年頃、べ平連のデモにずいぶん行きました。老若男女、市民の方が大半でしたが、ニュースでしか見たことのなかったヘルメットをかぶった大学生も参加していました。彼らはヘルメットをかぶって、角材を持ってデモに参加していましたが、それには違和感を感じました。平和を願ってデモをしているのに、なぜ角材?と思いました。
この作品で、ドイツでも1968年の学生運動の流れから市民運動への流れができたというのがありましたね。日本では、広島、長崎があって、福島もあったのに、原発ゼロにしようということにならない。片やドイツでは原発ゼロにしていこうという流れができて、この違いというのは何だろうと思いました。

監督 一言では言えませんが、急に大きく社会を変えようと思っても変えられない。
でも目の前に立ちふさがる壁も少しずつ削っていけば、いつかは崩すことができるという思いがあります。ドイツの1968年というのは、親のやってきたこと(ナチスを生み出したこと)に目を向けて、親に反抗したんですよ。私たちはそういうことはなかった。ドイツが脱原発を決めることができたのは市民が何十年も抵抗運動を続けてきた結果です。1968年はその大きなきっかけとなった。この運動には環境問題も入っていて、のちの緑の党の設立につながり、政権に入ることができた。一方日本の学生運動はほぼ壊滅してしまった。そこが大きな違いだと思います。

*反原発 さまざまな実践

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(C)2018 Masako Sakata

編集部 何度かドイツに取材しに行っていると思いますが、いろいろな人たちに話を聞く中で、皆さん地道な活動をしながら、何か新しい事、単に原発に反対というだけでなく、反対するならそれに対抗する案を出したり実践していたのが、反原発の動きに広がっていったというようなことはありましたか?

監督 ありますね。映画にも出てくるけど、原発に反対した人たちが、小さな太陽光発電の見本市をやりますよね。私はあれにすごく感動したんです。今じゃ太陽光発電の見本市は世界的な規模で大々的に行われているけど、出発はあそこだったのです。
私の母が須坂(長野県)で1970年代から反原発運動をしていたのですが、仲間たちと20万円集めて太陽光パネルを設置し、小さな電灯がついたんです。それで喜んで、皆で記念写真を撮っているのですが、それを見て、私は「エ~、20万円もかけて、こんな裸電球ひとつついたってしょうがないじゃない」って冷笑していたんですが、あれは大事な一歩だったと思います。

編集部 小さいことの積み重ねということですね。

監督 ドイツでは、いろいろな町とかコミュニティで話を聞いたのですが、小さな市民運動の活動が、心に残りました。それぞれの人がいろいろ考えて行動を起こす。たとえばチェルノブイリの事故が起きた時には、チェルノブイリの子供たちを地域に呼んで保養させようという動きが小さなコミュニティベースであったんです。またオーケストラを組織して、原発の建設現場に行って演奏するとか、あるいは兵器を作っている会社の前で演奏するとか、いろいろな手を考えて行動している。それも小さなコミュニティベースでやっているのを見て感心しました。

編集部 保養などは、福島の後、日本でもやっていますが、反原発のうねりにはなっていかないですね。そして、政治家たちは、なぜ被害者の側にたって考えられないのかと思ってしまいます。

監督 ドイツは脱原発を決められたのに日本は、これだけのことが起こっても、なぜ続けるの?と思いますよね。これだけトラブルがあって、政府だってどうしていいかわからない、そんな状況の中で、原発を続けている。「もんじゅ」(福井県敦賀市にある日本原子力研究開発機構の高速増殖炉)だって、最終的にどう処理するかわからないのに一方で原発再稼動を続けるというのは、正気のさたではないですよ。それはなぜかというと、やはり原子力村や経済界の力なのではないでしょうか。それに携わっている人たちの中でも「やっぱりやめたほうがいい」と考えている人だっていっぱいいると思うんですね。だけど仕組みが動いちゃっているからやめられないのかもしれません。

編集部 ドイツの人たちを羨ましいと思っちゃいけないと思うのだけど、羨ましいと思ってしまう私がいます。

監督 羨ましいというよりも、私たちにもできるのじゃないかと思うんです。できますよ。

編集部 今、変化の途上かなという気がします。そうですよね。これだけの事故があって、それをよしとしている人の感覚がわかない。

監督 私たちは今、ターニングポイントにいると思うんです。市民がもう一押しすれば状況をかえることができる…。

*自然エネルギー

編集部 日本でも実際動いている原発は少ないですし、2011.3月~2013.9月まで実際1機も動いていなかった時期が2年あって、それでも電気は動いていたわけだから、原発はやめられるという希望は持てるのではと思ったりします。

監督 ただ問題は、石炭とか石油で、火力発電に頼っていますよね。それをなんとか終わらせていく方向を真剣に考えなくてはいけないけれど、政治の意志はないですよね。ニュースでも、思い出したように、時々福島のことが出てくるけど、もっと報道されるべきだと思います。

編集部 最近、東京の郊外に行くと、太陽光パネルとか大きな風車とか、よく見かけるようになりましたが、それはそれでいいと思うのですが、景観とか廃棄の問題を考えると、それがベストとも思えない。ただ増やせばいいということではないような気がします。

監督 そうですね。日本では大きな企業(だけじゃないけど)が儲けのために建てたのが多いですが、ドイツでは地産地消でローカルな場所や人たちが自分たちの考えで、出資してやっていることに感心しました。

編集部 太陽光パネルは屋根とか屋上とかを使えば都会でもできかもしれないけど、風車は広い場所がないとできないから、ローカルでないとできない部分はありますよね。都会で電気を作るのは、ある程度限られる部分はあるのじゃないでしょうか。

監督 そうなのかなあ。いろいろな人の知恵を集めれば、都会でも電気は作れるんじゃないかな。たとえばフライブルクでは市役所の窓が全部ソーラーパネルになっていたり、高速道路の上をソーラーパネルで覆ったりして発電しています。

編集部 そういう知恵を集められるような機関とかあるといいですね。

監督 政治がそれを後押しできるような法律を作るとか。ドイツで自然エネルギーが発展したのは、後押しする法律があったからだと思います。

編集部 そういうことなんですね。

監督 ドイツでは再生エネルギー法(EEG)という法律によって自然エネルギーが大きく前進しました。映画ではあまり触れていないのですが、送電線は自然エネルギーを優先的に通さなくてはいけないという風に決められているんです。日本は逆で、原発が再起動した時のために空けておかなくてはいけないから、自然エネルギーの出力を抑制したりする。そういう大事なところを法律で押さえておけばもっと広がっていくと思うんですが。

編集部 ドイツの流れとしては、そういう法律を変えたり、メルケル首相の決断が2011年6月にあったんだけど、その前の市民の動きがあたから政治も動いたということですね。

監督 後戻りしていくとなるほどとわかるのだけど、法律ができたというのは、緑の党という政党が政権政党になったということがあるし、緑の党がなんでできたかというと、1968年の学生運動の人たちが核にあるわけです。68年の学生たちがなぜ動き始めたかというと、親たちが第2次大戦中にやったことを反省したという順番があるんだということが見えてきました。

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*映画の形にするまで

編集部 すごくたくさんの人が出演していますが、これだけの人数の取材ということは、いもづる式に広がっていったのですか?

監督 ほんとはもっとたくさん取材しているんです(笑)。取材する人は、紹介してくれる人がいていっぱいいるんですよ。逆にいろいろな人に取材しすぎて、まとめにくくなってしまいました。それで問題は何かというポイントを絞り、まとめやすいように減らしたのがこの作品です。

編集部 他の監督にインタビューした時も、あれを撮りたい、これも撮りたいと撮ったはいいけど、まとめるのに苦労したと同じように言っていました。

監督 編集って削ることだと思いますよね。

編集部 編集によって、見る人に訴える力は変わっていきますからね。

監督 それは、私は自分ではできないから、編集は別の人に頼まないと。本人はあれも入れたい、これも入れたいと思うから削りにくい。だから相談しながら編集しました。

編集部 今までの作品を見ても、地道に取材して、事実を積み重ね、説得力ある作品に仕上げているというのは伝わってきますよ。

監督 それはありがとうございます。自分で知りたいことを、映像を通してコツコツと見ていった結果を分かち合いたい、それが見る人に伝わればと思っています。大きな仕事はできないけど、等身大でできるところをやっていくしかないですね。
 
編集部 ドキュメンタリーで言いたいことはわかるし、思いは同じなんだけど、反発してしまうものが時にあるのですが、それは監督の思いを押し付けるような作品。わかるんだけど何か違うなと感じているのかもしれません。坂田監督の作品には、そういうのを感じたことがありません。監督が持っているエネルギーとか、思いを伝える何かがあるのではないかなと思います。

監督 ありがとうございます。それはきっと感性を同じくしているからということではないでしょうか。

編集部 たくさんの出演者がいますが、監督にとって一番印象的だったのはどなたですか?

監督 ヨゼフさんという神父さん。人柄もありますが、教会の厳かな雰囲気にも惹かれました。1週間くらいいて、礼拝にも出たのですが、教会なんてなかなか撮らせてくれないかなと思っていたのですが、自由に撮影できました。

編集部 私は自然エネルギーだけを使ったホテルのステファンさんが印象に残りました。ホテルを自然エネルギー仕様にするためにベンツ1台分よりかかったけど、ベンツよりいいと言っていたのが印象的でした。

監督 この人は偶然だったんです。泊まる予定だったホテルがいっぱいで泊まれなくなって町のはずれの小さな宿を紹介してくれたんです。そこで「何をしにきたの?」と聞かれて、「自然エネルギーの取材に来たんです」と答えたら、「うちは全部自然エネルギーだよ」と言って、いろいろ見せてくれることになって、あらためて取材に行って、いろいろな話に展開していったんです。

編集部 「瓢箪から駒」ですね。

監督 予定していたことができなくてがっかりすることもあるけど、予期しないものが出てきたりするんですよね。キーとかコアになるものに出会えると、作品の力やポイントになります。 

編集部 これからの日本の反原発の運動や流れについて、「こういうことをしたらいいのではないか」とか、何か提案とかありますか?

監督 運動に具体的に関わっているわけではないけど、小泉元首相たちがやっている原発ゼロの運動とかありますよね。私自身は小泉さんに対して複雑な思いがないわけではないけれど、発言力はありますよね。だから、小異を捨てて大同に就くというのも大事かなと思います。

編集部 私も、今までそういう人たちと関わりあいたくないなと思っていた人でも、反原発という目的のために、一緒にやっていくということも必要になってくるのかなと思います。

監督 そうでもしないと原発は無くならない。最近どこかの企業が自然エネルギーを使っていくという話を聞いたのですが、だんだんそういう風に動いていくと思うので、ここでもう一歩、市民の力が後押しすれば変わっていくのではないかと思いたい。今までは、社会運動的なものに直結していませんでしたがこの映画に関しては、社会を変えていく方向に繋がればいいなあと思っています。

編集部 皆さんが実践していけば、日本だって脱原発は可能なのではないかと思わせてくれる作品でした。

監督 それが伝わればなによりです。

編集部 ありがとうございました。


取材を終えて

坂田監督は、地道な事実の積み重ねによって、問題点に迫るという作風だと思いますが、この作品もいろいろな方に取材し、たくさんの事例を示し、市民の手で状況は変えられると示して勇気をくれる作品だったと思います。福島の原発事故の当事国である日本は脱原発に消極的で、そうでないドイツが原発を止めようとしている。その違いは何なのか。日本だって反対運動や新しい電気や自然エネルギーにシフトしている人たちはいる。いろいろな試みの積み重ね。地道な努力が大切ということをドイツの人たちが見せてくれました。
坂田監督の作品は、最初が枯葉剤を扱った『花はどこへいった』(2007年)、そして、枯葉剤の影響をベトナムやアメリカまで追った『沈黙の春を生きて』(2011年)と続き、お母さんが残した「聞いてください」という小冊子から原発と向き合い『わたしの、終わらない旅』(2014年)が生まれ、その次が『モルゲン、明日』。ほんとに1作作るとどんどん繋がっていく。それを実践している方です。

『モルゲン、明日』公開情報
◎11/3(土)〜23(金・祝)横浜シネマリン
※11/10(土)坂田雅子監督トークあり
※11/18(日)飯田哲也さん(環境エネルギー政策研究所所長)トークあり

◎11/23(金・祝)〜29(木)フォーラム福島
※11/23(金・祝)坂田雅子監督による初日舞台挨拶あり

◎11/24(土)〜30(金)シネマテークたかさき
※11/24(土)坂田雅子監督による初日舞台挨拶あり

他、大阪・シアターセブン、長野・長野ロキシーなど全国順次公開

詳細は公式サイト http://www.masakosakata.com
 
公開済み
2018年10月6日(土)~14日(日) シネマハウス大塚

10月3日(水)『殺る女』完成披露試写舞台挨拶

10月27日(土)からの公開を前に、池袋シネリーブルにて『殺る女』完成披露試写会が開催されました。
上映前に主演の知英(ジヨン)さん、武田梨奈さん、宮野ケイジ監督の舞台挨拶レポをお届けします。

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幼いときに両親を殺された愛子(知英)が、犯人の腕にあったサソリのタトゥーを手がかりに、腕利きの殺し屋となって復讐しようとする。
一方孤児院で育った加賀俊介(駿河太郎)は、かつての仲間に悪事を強要されている。俊介の妹由乃(武田梨奈)は看護師として働き、同僚の医師に心を寄せているが、報われそうにない。

凄腕のスナイパーを演じる知英(ジヨン)さん
「これまでで一番台詞の少ない台本で、覚えなくていいや、ラッキー!(笑)」と喜んだそうです。ところが現場に入ってみたら「間違いでした。台詞の代わりに、全部表情や目だけで感情を表現しなければならなかった。監督に助けてもらってキャラクターを作っていきました」

武田梨奈さんは孤児院育ちの看護士役。心に闇を抱えているという設定で、これまでに見たことのない女性を演じています。
「一ヶ月前から闇を考えながらすごしました」「役のために普段絶対吸わない煙草を、喉がウェーとなりながら(笑)吸っていました」と笑わせます。
女の殺し屋を主人公にしたかったという宮野ケイジ監督
「クライマックスで愛子が自分自身と向き合う絵が浮かんだんです。それが枝葉を広げて物語を構築し、みんなが闇を抱えることになりました」台詞については
「今回はなるべく言葉を使わないで、それぞれの心の動きを浮き彫りにしたいと言うのが最初からあって、台詞が少なく台本が薄くなった」そうです。

知英さん、武田梨奈さんは一緒の撮影シーンが一つもなく、舞台挨拶のこの日の取材が初対面。
初めて会ってお互いの印象を聞かれて
知英「(武田さんは)可愛いです。素敵な笑顔にひかれます。アクションのイメージがあったんですが、この作品ではか弱い女性で出ていて、こういう面もあるんだと感じました」
武田「今日初めてお会いして撮影するときに、近い距離で見つめあってくださいと言われて恥ずかしくて見れませんでした。天然記念物のような、知英さんほんとにいたんだって感じで。お芝居も歌もダンスも言葉もできて、性格も優しくて悪いところが一つもなくて悔しいです。知英さんになりたいです」(会場笑)

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お二人はガンアクションも見せています。
知英「プロっぽく見せなければいけないので銃の持ちかた、姿勢、まばたきしない、など気をつけました。銃に慣れるように、友達だと思ってずっと現場でさわっていました」
武田「一瞬しかさわっていないんですけど、たまたま手にしたというシチュエーションだったので、むしろわからないままやろうと思いました」
知英「かっこよかったですよ」

MCさんからこれまでの「ターニングポイントだと感じたこと」を聞かれて
監督「人生でいうと多すぎるので、この映画を作るうえでのことを。ラストシーンが台本と違うんです。知英さんに相談して変えたら、すごくよかったので、そこに向かっていくという組み立てができました。ターニングポイントであり、よりどころになり、くっきりしました」
武田「たくさんあるんですけど、10年前に『ハイキック・ガール!』に出させてもらったことです。私を映画界の一人として正式に迎え入れてくれた作品。それがあったからこそ今の全てがあると思うので、10年前の自分に良かったね!と言いたい」
知英「女優をはじめたことで、第2の人生を生きています。こうして日本で活動できているのも大きなターニングポイント。これからも現場での出会いを大切にしていきたいです」

『あまねき旋律(しらべ)』アヌシュカ・ミーナークシ&イーシュワル・シュリクマール監督 インタビュー

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10月6日(土)より、ポレポレ東中野で公開され好評を博している『あまねき旋律(しらべ)』。

公開に先立ち来日された監督のお二人へのインタビューをやっとまとめました。


『あまねき旋律(しらべ)』   原題:kho ki pa lü  英題:Up Down & Sideways
監督:アヌシュカ・ミーナークシ、イーシュワル・シュリクマール
製作:ウ・ラ・ミ・ル プロジェクト
公式サイト:http://amaneki-shirabe.com/

インド東北部ナガランド州ペク県。急な斜面に作られた棚田や、山間の道には、いつも歌が轟いている。農作業をする時にも、重い荷物を運ぶ時にも、そして恋をする時にも、ここの村人たちの生活は歌と共にある。
ミャンマー国境近く位置するこの地に住む民族「チャケサン・ナガ」の民謡で、「リ」と呼ばれる歌は、南アジアの音楽文化では極めてまれなポリフォニー(多声的合唱)で歌われる。二部合唱から最の大では混成八部合唱。
共同監督の、アヌシュカ・ミーナークシとイーシュワル・シュリクマールは、インドの南部出身。インド各地の踊りや歌のパフォーマンスを取材する中で、ナがランドの労働歌に魅せられて、1本のドキュメンタリーに仕立て上げた。

村の中心にある大きな白い教会。インド軍にペク村の80%を焼かれた過去。それでも、伝統は人々の歌の旋律の中に受け継がれていることを感じさせてくれます。ぜひご覧いただきたい映画です。


プレス資料に、この映画に魅了され、日本公開に一役買った大澤一生さんによる、詳細なインタビューが掲載されていて、取材時間をいただいたものの、さて、それ以上に何をお伺いすればいいのかと思いながら、お二人にお会いした次第でした。
(大澤さんのインタビューの掲載されたパンフレットが、劇場で入手できます。)


監督のお二人が来日されたのは、暑い熱い夏の真っ最中でした。
「猛烈に暑くて大変だと思いますが、どうぞ日本の滞在を楽しんでください」と申しあげたら、「私たちは、もっと暑いところから来たので、全然大丈夫です」と、にっこり。

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*監督プロフィール*

インド南部・ポンディシェリを拠点に活動。アヌシュカ・ミーナークシ(写真:左)は映像作家でありつつ、地域でビデオ制作を教えたり、演劇の音響も手掛けている。イーシュワル・シュリクマールは俳優として活動する傍ら、劇場の照明、音響デザイナーでもある。2011年に始めた活動「u-ra-mi-li(我が民族の歌)プロジェクト」では、日々の生活や労働と音楽やパフォーマンスとの関係に関心を寄せながらインド各地を回りながら撮影を進め、その過程で生まれた作品『あまねき旋律(しらべ)』(原題:Kho Ki Pa Lü/英題:Up Down and Sideways)は世界の映画祭で上映が続いている。(公式サイトより)



◎インタビュー

◆山ドキで奨励賞と日本映画監督協会賞を受賞

M―去年(2017年)、山形国際ドキュメンタリー映画祭で観て、とてもすばらしい作品だと思いました。映画祭で賞を受賞しましたが、日本公開までは難しいのではと思っていたので、公開が決まって、とてもうれしかったです。

*山形での紹介記事は下記よりアクセスできます


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K― 山形国際ドキュメンタリー映画祭のアジア千波万波部門にて、奨励賞と日本映画監督協会賞を受賞、さらに日本での公開が決まり、おめでとうございます。どんなお気持ちですか?

アヌシュカ: 興奮しています! 緊張も! まさか、こんなことになるとは思ってもみませんでした。


◆インド各地で演劇人による生吹き替えで上映

K― インドでは、どんな形で上映されたのでしょうか? 

アヌシュカ:映画祭などで上映されましたが、上映機会はぐっと少ないです。ただ、教育現場での上映は何回かありました。たとえば、5歳から8歳くらいの児童にも一部を見せたことがありました。インドの人たちはほとんど英語字幕を読むことができないので、今後、広い範囲でいろいろな人に観てもらいたくて、英語字幕ではなく吹き替え版を作ろうと思っています。


K― いろいろな言語に吹き替えないといけないから大変ですよね。

イーシュワル:私たちは演劇出身なので、演劇をやっている役者仲間がたくさんいるので、この映画を持って各地を旅しながら生で各地の言語で吹き替えしてもらうというようなことを考えています。

M― 海外では、どの位上映されたのでしょうか?

アヌシュカ:劇場では少ないのですが、映画祭など25箇所で上映されました。


◆教会の果たしている役割

K― 皆で歌いながら作業することによって、大変な仕事を、楽しそうにこなしている姿が印象的でした。 監督のお二人も、けわしい山道を彼らの歌声を聴きながら歩くことによって、乗り越えることができたとプレス資料に掲載されているインタビューにありました。 昔からの生活の知恵と感じました。

アヌシュカ:歌を聴きながら山道を歩いて、まさに実感しました。


K― 村の中で、白い大きな教会が、ひときわ目立ちました。キリスト教が入ってきて、いったんは伝統的な合唱の文化が崩されたけれども、その教会自身が伝統の大切さに気付いて、民族祭りを始めたことに興味を持ちました。今では、村のたちにとって、キリスト教はどんな存在なのでしょうか?

アヌシュカ:教会は地理的にも村の中心にありますが、すべての活動の中心にもなっています。会派が違う教会が3つあります。一番人口が多いのがバプテスト教会です。伝統的儀式の中で冠婚葬祭はキリスト教式のものにすっかり変わっています。ですが、映画の中では決してキリスト教が伝統を壊してしまったことではなく、むしろ後から来た教会がある種のバランスの中で現在の形を作り上げているのではないかということを見せています。価値あるものは何なのか、どのようなものが伝統なのかを気づかせてくれた存在になっていると思います。

ナガランドのペク村では長い期間をかけて宣教師が生活の基盤を作り上げてきました。また、民俗学者や写真家が外からやってきて、歴史の記憶を遺してくれた経緯があります。それが自分たちのアイデンティティーについて振り返えさせてくれる役目を果たしています。前に進めて行くのを考えさせてくれたのが教会でもあると思います。

イシューワル:9分半の長いショットで、働きながら歌っている歌がありますが、「リバイバル(復興)教会」の会派の人たちです。この会派では、伝統的なことは歌に歌ってはいけないので旋律だけ残しています。意味のない歌詞を旋律にのせる形で伝統を残そうとしています。


★参考:バプテスト派キリスト教
アメリカの宣教団によるキリスト教布教が成功した結果、住民の90%がキリスト教を信仰している。その理由として、声を合わせて歌う文化がもともとあることで「賛美歌」から比較的抵抗なく入信が拡がったという説がある。「世界で唯一のバプテスト教会が主流の州」として知られている。(公式サイトより)

K― 教会主導の民族祭は、年に1回開かれているものですか?

アヌシュカ:教会主導ではなく、村が主催して教会がサポートしています。なかなか毎年は出来なくて、お金が集まったらやるという感じです。


K― 実は、写真家の友人がナガランドでは労働歌を商業的に見せているような印象があって、行く気になれなかったと言っていました。 この映画の写真を見せましたら、こういうところなら行ってみたかったと残念がっていました。商業的に見せているところもあるのですか?

アヌシュカ:確かに写真家が外国からきた歴史が英国統治時代からありました。全身民族衣装にアクセサリーという格好で畑仕事をしている写真が出たりしていますが、年に1回くらいは正装することはありますが、日常は違います。
今は、ナガランドの人たちが自身の日常を写真に残そうとしています。

イーシュワル:肖像画としての重要性を考えると面白い。「撮る」と言うと、正装に着がえてくる! 撮影する側は、普段の自然な姿を撮りたいと思っているのですが、過去を振り返ると、インド軍がナガランドの80%を焼き尽くした時、民族衣装やアクセサリーが消えてしまったので、ナガランド独自のものを写真に残すことは、彼らにとって大きな意味があるのです。自分たちの文化に対する誇りを撮ってほしいという思いです。


M― 会話は通訳を通したのですか?

アヌシュカ:そうですね。言語が違いますから。

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M― スムーズにあの地域の撮影をできるように入っていけたのでしょうか?

アヌシュカ:最初から意識していたので、村の自治体に許可を得てから入りました。
私たちは南のタミルナドゥ出身なのですが、中央に対する反抗もあって、ヒンドゥー文化を強制されることに抵抗しています。実は、ナガランドの親たちは、子どもをタミルナドゥの大学に入れる傾向があります。


M― そういう繋がりもあって、入っていきやすかったのですね。


イーシュワル:撮影に入る前に地元の高校で私たちが撮ったものを上映したり、映画作りのワークショップを開いたりしました。先生たちも、そういう活動を受け入れてくれました。
村の長老の中に文化の保存に関心の高い人たちがいて、私たちの歌を録音してほしいと頼まれました。映画に使うものとは別に、要請に応じていくつか録音しました。


◆100年前の映画『モアナ 南海の歓喜』にも労働歌

M―最近、1926年に製作された映画『モアナ 南海の歓喜』を観たのですが、100年近く前の映画で、サモアの人たちが歌いながら農作業や漁業などの仕事をしているところを映していて、『あまねき旋律』との共通点を感じ、その時、『あまねき旋律』のことを思い出しながら『モアナ 南海の歓喜』を観ていました。そして、どこの国にも歌いながら労働をするという、生活に密着した労働歌の文化があるのだなと思いました。『モアナ 南海の歓喜』をご覧になったことはありますか?

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  *シネマジャーナルHP 作品紹介 『モアナ 南海の歓喜』


アヌシュカ:観てないですね。ほかの地域の文化でも、労働歌の記録があるのですね。過去の暮らしにロマンチックな懐古的な見方も一方であると思います。工業化されていくような中で、抵抗しながら人々が昔ながらのものを新しいものに変えていくことに興味があります。

M― チャンスがあれば、『モアナ 南海の歓喜』をご覧になれば、自分たちの映画と共通点があると感じていただけるのではないかと思います。また、歌というのは、自分たちの行動への勇気つけという側面はありますよね。


◆u-ra-mi-liプロジェクトとは

K― インド各地の踊りや歌のパフォーマンスを取材する中で、ナがランドの労働歌に出会われたとのこと。「u-ra-mi-li(我が民族の歌)プロジェクトというのは?  

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イーシュワル:u-ra-mi-liは、ナガランドの言葉で「我が民族の歌」という意味です。音楽について追求しているプロジェクトです。リズムが大事。 労働に機械が入って、音が大きくなり、リズムも変わってしまっています。そんな中で、労働の中で、歌がもとの旋律を残しながらどういう風に変わってきているかにも興味があります。


K― 原題 Kho Ki Pa Lü は、ナガランドの言葉で歌の抑揚のことでしょうか?

アヌシュカ: はい、まさに英語のタイトルと同じ上がったり下がったりの意味です。


K―「長すぎる歌は聴き心地がよくない。だから、ここでひきあげるとしよう」と映画を閉じていて、83分という長さは、確かに飽きずにみれる程よい長さでした。もっともっと入れたい映像はあったと思います。

アヌシュカ:確かに素材がたくさんあって、2時間以上のものも作れます。歌一つで30~40分のものもあります。長さをフルに使った記録は、それはそれで意味があると思います。彼らのコミュニティーの大事な記録ですので、多くの人にアクセス可能な形を考えたいと思います。

M- とても胸に響く映画でした。最初に行きたたりばったりで行って、これはモノになるという嗅覚をお二人は持っていらっしゃると思います。

アヌシュカ:ありがとうございます。自分たちの映画作りの技術には自信がないけれど、多くの人たちとの繋がりで完成に導かれました。村の人たちが自分たちに誇りをもっていて、私たちのやろうとしていることに賛同して協力してくれたということも大きかったです。

M― 映画には技術も必要だけど、ドキュメンタリーは特に映っている人の魅力が大事です。それを引き出す能力をお持ちだなと思いました。

イーシュワル:この映画には3年かかったのですが、2年間くらいはどうなるかまったく見えない状況でした。  そんな時に、バンガロールである方の演出する演劇の公演を観て、演劇は舞台で完成させないといけない、私たちの映画も完結させなければと思いました。

映像素材を感覚的に繋いで、あとで翻訳してもらって、そこに意味のある言葉をつけてもらいました。人に助けられて、この映画は完成しました。

M― 労働しながらの歌だけでなく、雑談の場面があったから、さらに面白かったと思いました。

アヌシュカ:どういう内容でおしゃべりしてとお願いしたわけじゃないのですが、いい場面が撮れました。

M― 地味な作品だけど、心に響く作品だと思いました。山に轟く歌がとてもよかったです。  

K― 今回はナがランドに的をしぼって映画にされましたが、今後、インドのほかの地域の生活に根付いた音楽も映画にされることを期待しています。今日はどうもありがとうございました。


*取材を終えて*

山形で観た時大変印象に残り、観終わった後、心地よい余韻が残りました。まさに琴線に触れる、音楽と人間との関係を表した作品だと思います。映画を観終わった後の、この感覚があるような作品というのは、なかなかないと思うので、この作品に出会えたのはとてもうれしかったです。これからも、人との出会いを大切に作品を撮っていってもらいたいし、次の作品もぜひ観てみたいです(暁)。


本作は、大変な力仕事も、つらい単調な仕事も、皆で歌いながらこなせば少しでも楽になるというのは、昔からの人間の知恵だということを思い起こさせてくれました。

グローバル化で、世界が画一化されていく中、それぞれの民族が育んできた伝統の今を、映像に残しておくことの大切さを感じます。監督お二人がインド各地を回られて収集された映像も、いつか映画になることを期待しています。(咲)


 取材:宮崎暁美(写真) 景山咲子(文)