『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』講演会 

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2018年12月4日 東京・新宿ピカデリー
12月3日から9日は「障がい者週間」。この日厚生労働省の後援のもと、『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』特別映画試写会が開催されました。上映前の講演会に主演の大泉洋さん、原作者の渡辺一史さん、ゲストとしてパラリンピックに参加した義足のランナー・大西瞳(ひとみ)さんが登壇し、障がい者の社会参加と自立支援について語りました。

大泉 本日はお忙しい中お集まりいただきましてありがとうございます。今日これから観ていただくということなので、映画を、ま、ほんとに軽い気持ちで観て楽しんでいただければと思います。今日はどうぞよろしくお願いいたします。

-映画の原作でもあります「こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち」(文春文庫刊)を執筆し、ご自身も鹿野さんのボランティアをしていらっしゃいました原作者の渡辺一史さんです。

渡辺 今日はありがとうございます。私がこの本を出したのは2003年で、それから15年経っています。こういうふうに素晴らしい映画化が実現し、ほんとに私自身驚いています。鹿野さんという主人公を同じ北海道出身の大スターである(大泉洋:すぐほんとのことばかり言う)大泉さんが演じてくださるとは、私が書いていたときには誰も想像だにできなかったこと。ほんとにありがとうございます。じゃ今日は楽しんで観ていってください。

-続きまして、リオ2016パラリンピック陸上競技に日本代表として出場。現在では情報バラエティ番組のMCもつとめていらっしゃいます。多方面で活躍する義足のランナー大西瞳さん、お願いします。

大西 今ご紹介いただいたとおり、私は義足で陸上競技をしておりまして・・・ちょっと見せてもいいですか?(と右足の義足を持ち上げて)こんな感じで回ったりもするんです。こういう義足をつけて普段生活し、陸上競技もしています。今日はこんな素敵な場に参加させていただいて、もうほんと障がい者になって良かったな、という風に思っております。どうもありがとうございます。
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-大泉さん、ちょっとこの義足。渡辺さんも。このお洒落というかすごいカラフルな。
大泉 ねえ~
大西 そうなんです。
渡辺 アートですね。
大西 これ、生地を買ってきて作ってるんですけど、すごく可愛いですよね。
渡辺 デザイナーみたいな人はいらっしゃるの?
大西 あ、いないです。自分で選んで。(3人:自分で!へえ~)
大泉 思うじゃないですか、こうジロジロ見ちゃいけないんじゃないかとか。
大西 今日はほんとにジロジロ見ていただいて、はい、見慣れてください。
大泉 大西さんのほうから「障がい者になってよかった」なんて言われたらほっとしますよ(大西爆笑)。
あ、見ていいんだ、そういうことも言っていいんだとか。この映画もそうですけど、あらためて普通に接していいんだ、と勇気をいただきますね。

-ということで今日はよろしくお願いします。お座りください。

大泉 (大西に)座るのもシュッとね。いけるんですね。

-好きな柄に?
大西 そうなんですよ。海が好きなので海に映える柄がいいなと思って。
-「水曜どうでしょう」みたいな感じのやつをそこに。
大泉 どういう義足でしょう?水曜どうでしょう?(笑)
-よくステッカー貼ってる人がいるから。(笑)
大泉 それでぜひパラリンピックに出てほしいな。
大西 スポンサーになっていただければ。
大泉 「水曜どうでしょう」がスポンサーに? 番組そんな予算はないー。言えばあのヒゲ作るかもしれない。(笑)

-夢がある話ですね。さっそくお話うかがっていきます。まず大泉さん、身体の中で動かせるのは首と手だけでありながらも、ボランティアのみなさんに介助されながら楽しい自立生活を送っていた鹿野さん役を演じて、どのようなことを感じられたのでしょうか?

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大泉 最初やはり一番ひかれたのは「こんな夜更けにバナナかよ」というタイトルだったんですよね。要はボランティアの方々に24時間介助されないと生きていけない方が、どうしてそんなわがままが言えたんだろう?真夜中に「バナナ食べたい」って言って、ときに大喧嘩もして、ときにはボランティアに「帰れ!」ってよくおっしゃってた。なぜそんなことができたんだろう?やっぱり疑問、それを知りたいってところから始まったわけです。
本を読ませてもらったり、実際に鹿野さんに会っていた方々とお話をしているうちに思ったのは、鹿野さんの言ってたことは「わがまま」って言えることなのかな?っていうね。私もこの映画を撮り終えたときには、「こんな夜更けにバナナかよ」というタイトルが彼のわがままから出たことばにはもう聞こえなくなっていました。なんか不思議な体験でした。

-役者としても難しかったんじゃないですか?演じるうえで。

大泉 鹿野さんが亡くなってまだ16年しか経っていない。ですからこの映画に出てくるシーンには、実際に鹿野さんに起きたことでもあるわけなんですね。どんどん筋肉が衰えていく、最終的には呼吸する筋肉も衰えていくので人工呼吸器をつける。当時は人工呼吸器をつけるっていうことはイコール喋れなくなる時代だったんです。今なら喋れるんですけど。
だから人にお願いしないと生きていけない人が声を失うっていうことは、どれだけの恐怖だったろうと思うわけですけど。この映画の中に「どうすんの?あなた呼吸器をつけないと死ぬよ」っていうシーンがあります。「言ったんです」というお医者さんが隣にいてくれるんですね。だからその方に「どんな状態だったんですか?このときの鹿野さんは?」って聞きながら演じていく。
他にも鹿野さんのことを知っている人が周りにいっぱいいて、鹿野さんの話を聞きながらそのシーンに入っていける。なんかね、役者としてこんな体験はないな、という思いがありました。これから演じるシーンに行く前に「そのときの鹿野さんってどんなだったの?」と実際の話を聞いて泣けてきて。本番前に泣いてから本番演じるってことがあって。もちろん難しい役でもあったんだけども、役なんだけど、何なんだろうな。演じながら鹿野さんのドキュメンタリーに出ているような、鹿野さんを追っていくようなそんな不思議な体験でしたね。この映画は。

-渡辺さん深く頷いていらっしゃいましたけど。渡辺さんはもちろん鹿野さんを知ってらっしゃるわけで、大泉さんが演じた鹿野さんをご覧になっていかがでしたか?

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渡辺 背丈といい、顔つきといい似ても似つかないわけですけれども(笑)。同時に、不思議なことに瓜二つに見える瞬間があって、やはり鹿野さんと大泉さんが共同で作り上げた不思議なキャラクターということで、私は「鹿泉(しかいずみ)さん」と(笑)。

大泉 私はそのう「ひょっこりはん」に似てしまった(爆笑)
-あ、その前髪ぱっつんは似ていますね!
大泉 ひょっこりはんといえばひょこりはんに見えるし、鹿泉といえば、しかいずみに。(笑)

-それくらい渡辺さんから見たら似ていた?

渡辺 似ているとか似ていない以前に、スクリーンの中でこの人実在しているんじゃないかって思うぐらい生き生きとされていて。やっぱり俳優さんてすごいなぁと思いました。

-実際に鹿野さんの周りにいたボランティアの人たちの感想は渡辺さんに届いていますか?

渡辺 鹿野さんのお母さんはご存命で、80代でお元気なんです。お母さんはね、いつも大泉さんを見ると「息子が生きて帰ってきたような気がした」と言ってました。陰では別のこと言ってるんですけど(笑)。でもほんとに感動したと。ボランティアの方たちも関係者試写会というので観ていただいて「泣いた人?」と言ったら殆どの人が手を挙げて。「この映画ひとに勧めたい人?」って言うとまたほとんどの人の手が挙がる。

-そして実際に鹿野さんの間近で接していた渡辺さんに「障がい者の自立生活」についてのお考えを伺ってもいいでしょうか?

渡辺 はい。この映画、特に宣伝文からして「わがまま」ということが強調されているんですが、その「わがまま」っていうのをどういう風にとるか。さきほど大泉さんもおっしゃったように健常者にとっては障がい者のわがままにとれるんだけれども、当の鹿野さんにとっては、ごく普通の生活がしたいだけなんだということです。夜中にバナナ食べるのは、健常者にとっては自分で皮をむいて食べられるんですけど、鹿野さんはできないから人に頼む。それをわがままなのかどうかっていうのは、ちょっと考えどころなんですね。
ボランティアと鹿野さんは常に衝突とか対立とかあって、ボランティアは葛藤を抱えるわけです。バナナに限らず。そのときに、これ本当に鹿野さんのわがままなんだろうか?そうじゃないんじゃないか?って自問自答したボランティアたちはやはり長続きしたし、人間的にも成長していきました。
その反面「なんでこんなわがままなオヤジのボランティアをしなきゃいけないんだ」って辞めていく人も後を絶ちませんでした。
それと同時に、自分をさも良い人間、優しい人間であるかのように思っていたのに、夜中に起こされて「バナナ食べたい」って言われたくらいで腹を立てている自分、そういう問いを自分につきつけられた人は成長していって・・・。
鹿野さんのボランティアを経て、お医者さんになったり特別支援学校の先生になったりいろんな人がいます。
私も鹿野さんによって人生を変えられた一人なんですけれど。ほんとに人生が激変していくという、そういうドラマがたくさんあります。

-大西さん、この映画ご覧になっていかがでした?

大西 その前にここに呼んでいただいたのは何でだろうって考えていたんです。私進行性の難病でもないですし、あれ?って思ったら、思い当たる節が実はあって。元カレが筋ジストロフィーだったんです。松竹さんそこまで調べていたんだ!(笑)
大泉 そうじゃなかったみたいよ。
-違います!いやびっくりした!(笑)
大泉 ●春じゃないんだから(笑)
-雑誌名あげないでください(笑)
大泉 元カレまで調べてじゃなかったよ。
-考えすぎですよ。
大西 ちょっと安心しました。(笑)
-元カレが?
大西 はい、たまたま筋ジストロフィーで「ジョウシュク」が強い症状がでている子だったんですよ。手がなかなか上がらなくて、持ちづらかったり。そういう子に私荷物持たせてたりしたんですけど。顔の表情が薄くて、「たぶん今笑ってるんだろうな」っていうのがわからないような状況だったんです。付き合いが長くなるとわかるんです。「今笑ってるんでしょ?」「めっちゃ笑ってる」みたいな感じの方と付き合ったことがあったんです。
(続く)
後半はこちら(取材・写真 白石映子)

『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』舞台挨拶

11月12日(月)東京・丸の内ピカデリーにて完成披露試写会が行われ、前田哲監督、主演の大泉洋(鹿野靖明)、高畑充希(安堂美咲)、三浦春馬(田中久)、渡辺真起子(前木貴子)、竜雷太(鹿野清)、綾戸智恵(鹿野光枝)、佐藤浩市(田中猛)、原田美枝子(野原博子)の9人が舞台挨拶に登場しました。()は役名
登壇前に宣伝さんからマイクでなく「本物のバナナ」を渡された大泉さん、タイミング悪くてボケるにボケられずつっこみ炸裂。「テレビにも映らないぞ」「君の名前はなんていうんだ?」・・・
大泉 浩市さんが冷たい目で見ている・・・
佐藤 ずっと持ってろよ。

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「重鎮怒るし・・・」とぼやきが止まらない大泉さん。MCが「ひと笑いあったところで」とひきとり、次へと進みました。タイトルの「夜更け」と「バナナ」にちなんで、みなさん黒い衣装+どこかに黄色を入れるというドレスコードだったそうです。

大泉 うちのお母さんも、まっ黄っ黄ですね。
綾戸 百貨店で「バナナに見える服頂戴」って買うて来た。初めて人生で黄色いの着せてもらうの。ありがとう監督。
前田監督 お似合いです。
ここからひとことずつご挨拶。

―重度の筋ジストロフィーを患い、動かせるのは手と首のみでありながらも病院を飛び出して、ボランティアたち、通称「鹿ボラ」と自立生活を送る主人公鹿野靖明役を演じました大泉洋さん。

大泉 ありがとうございます。小ボケで始まりましたこのイベントでございますけれども、一般の方こんなにたくさんに観ていただくのは初めてなのかしら。大変緊張しております。関係者の方には観ていただきまして、大変評判がいいので皆様にどう観ていただけるのか、この鹿野さんの愛しいわがままが観終ったときにどう思われるのか楽しみです。

―鹿野に最初は反発しながらも、良き理解者へと成長していく新人ボラの美咲を演じました高畑充希さん。

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高畑 美咲は、最初たぶんお客様の目線と似たような役なんです。鹿野さんのわがままを「このヤロー!」と思うんですけど、終わる頃には鹿野さんのことを大好きになっている映画だと思います。

―その美咲の恋人で悩める医大生、田中を演じました三浦春馬さん。

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三浦 北海道で、みんなで丁寧に丁寧に作ってきた映画が、みなさんの元に届けられるということがすごく嬉しく思っています。力を持った素晴らしいキャストのみなさんと1本の作品に携われるという幸福感でいっぱいです。

―気さくな性格で慕われるベテランボラ貴子を演じました渡辺真起子さん。

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渡辺 初めて作品がお客様と出会う日なので、大変緊張しております。鹿野さんという、稀有なわがままで愛しい人のまわりを取り囲んでいるボランティアや家族の、優しい眼差しというか、面白い眼差しを楽しんでいただけたらなと思います。

―息子の靖明の自立生活を温かく見守る清を演じました竜雷太さん。

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 私はあのう、お母さんがお母さんですのでまっ黄色でお邪魔しましたが、お母さんに怒られないようにやらしてもらいました(笑)。お母さんよろしくお願いします。

―では、そのお母さん、靖明さんに愛情を絶やさない母、光枝を演じました綾戸智恵さん。

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綾戸 どうもおおきに。みなさんようこそいらっしゃいました。あのう60くらいになりますと、やっと親に言われたことがわかるようになります。この映画で母親が言うてた「自立言うのは、自分でズボンはいたり、服着たりすることちやうと。ほんとの自立は、自分が誰かと関わって生きていくことや、生きぬくことやと。あれはわがままなんでしょうか? 私はボランティアが自分の生きる道を見つけ、そして息子もこないしてしっかりと生きた。
これは一つの「生きる」。そういう映画かなと思うて、お母ちゃんの言うてたことかな、と毎日首を縦にようさん振ってます。お父ちゃんをよろしくお願いします。

―田中の父で、勉強よりもボラを優先する息子を苦々しく思っている病院長猛を演じました佐藤浩市さん。

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佐藤 えー、この進行台本を書いた方に大変申し訳ないんですけど、決して息子のことを苦々しく思ってるのではなくて、息子の行く末を心配するどこにでもいる普通の父親をやらせていただきました。それが普通のようにみんながちゃんと映っているというのが、リアリズムを持った映画だと思いますので、是非最後まで楽しんでいってください。

―鹿野の主治医で、ほんとに身体を心配している野原を演じました原田美枝子さん。

原田 ご本人の先生ともお会いしたんですけれども、ほんとに可愛らしい先生で、鹿野さんの心の叫びのようなわがままを医者の立場から、大変な思いをして見守っていらしたんだと思いました。すごく素敵な作品にできあがっていると思います。
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―そして本作の監督、前田哲監督です。

前田監督 鹿野靖明さんという人の人生をどうしても映画化したくて、3年半かかりましてこういう風にみなさんに届けることができて嬉しいです。この俳優陣のみなさんが全力で演じてくれて、映画が豊かなものになっていると思いますので楽しんでもらえればと思います。どうもありがとうございました。

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これより映画にちなんだ質問。映画のタイトルにかけて「○○なのに○○かよ」にあてはめて、共演者・監督の意外だった一面、撮影のエピソードなどをうかがいました。

大泉 これは挙手でやるんですか? そうなると「笑点」的なものが・・・できた人から手を挙げるんですね?

―大喜利な感じで。主演の大泉さんはもう整っています?

大泉 ええー、それでは行かしていただきます。
「ランニングなのに止まるのかよ」

―そのこころは?

大泉 今回私の役というのが、太るわけにはいかなったということで、ダイエットしてたわけです。撮影が北海道なので美味しいところへ共演者を連れていくわけですが、食べると太ってしまう。それでランニングをすることにしました。走っておりますと三浦春馬くんが「走りたい」と言って二人で走っていると、なんと高畑充希さんも「私も走りたい」ということで、高畑さんとマネージャーも一緒に走るわけでございます。高畑さんは10mくらい走るとすぐに止まる(笑)。わーっと走るとまた止まる(笑)。そのペースについていくのが大変だった、という気持ちをこめました。
―お見事!

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大泉 (三浦へ)全然長く走ってくんなかったな?
三浦 そうなんですよ。
高畑 すいませんでした!
大泉 がんばって走りなさいって。辛いところ乗り切れば楽になるから、っていうんですけど、止まる。
高畑 かなりマイペースなランニングに二人がつきあって・・・二人めっちゃ優しいです!すいませんでした!大泉さん10kmとか走っていました。
大泉 そうですね。最後のころは10km走れるようになっていました。
高畑 「ランナー」をかけてね。
大泉 三浦春馬くんが爆風スランプの「ランナー」を携帯でかけるんですよ。
三浦 やっぱり「ランナー」ってことで。大泉さんが「春馬くん、そろそろ疲れてきたから」っておっしゃったんです。そのときにあ、いい曲がある! これだったらきっと二人と大泉さんのマネジャーと帰り道を元気良く引き返せる、と思ってかけたんですよ。
大泉 「走る~♪走る~♪」と聞きながら走ってると、向こうから、違う方向から走ってくる人がいるわけですよ。ものすごい恥ずかしくてね。(笑)

ここで竜さんが挙手。
大泉 おーっと、大御所が参りますよ!
 「車椅子なのに元気かよ」
私も若いころは元気でありまして、お喋りを頼まれる機会がありますと「健全な精神は健全な身体に宿る」などと生意気なことを言っておりました。あるとき友達に「健全じゃない身体にも健全な精神は宿るんだよ」と言われました。そのとき「私はなんて傲慢なことを言ってたんだろう」と思って、それ以来その言葉はやめにしております。その彼は身障者の方のお手伝いをしていました。「健全じゃない身体にも健全な精神は宿る」と、またこの映画で教わりました。ありがとうございました。
キャスト「素晴らしい」と拍手。

―この映画の芯の部分のとても素敵なお答えがうかがえました。ほかに?

佐藤 前田監督とは、実は助監督のときから知り合いでしたので、普段は「哲、哲」と呼んでるわけですけど、「監督なのに呼び捨てかよ」(大泉さん爆笑)。
さすがにそういうわけには行かない。現場では「哲ちゃん」「監督」と気をつけていたんですが、すぐ「哲」って出そうになって、おさえて現場をやるのが大変でした。どうもすみません。
前田監督 長いお付き合いなので、僕は全然違和感ないですけども、ま、スタッフが動揺するんで。(笑)僕はなんと呼ばれても、何でも話し合えるので、ほんと今回来ていただいてありがとうございました。でもずっと旭川に来ていただいたんですけど、なんかゴルフに来たのか、撮影に来たのか・・・(笑)
佐藤 いいからさー!(笑)
大泉 私もそれは言いたかった・・・「撮影なのにゴルフかよ」(キャスト爆笑)。
撮影の前乗りをしてゴルフをして、次の日撮影をして、またゴルフしてるんです。で、浩市さんがゴルフをした日だけ晴れて、肝心な撮影のとき雨降っているんです。言ったことばが「やっぱ、俺はさすがだよな」(笑)。
夏の北海道の撮影だから来てくれたんだと思うんですよね。

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―ゴルフもできるし美味しいものもあるし、ランニングもできますし。楽しそうで和やかなようすがよくわかります。ほかに、お母ちゃん。

綾戸 お父ちゃんが言ったんで、私も。
大泉 お母ちゃん大丈夫か? 趣旨わかってるか?
綾戸 大丈夫だよ。もう泣かないから。
「監督なのにことば引っ張るのかよ」
北海道弁たいへんでございました。うまいこと教えてくれはりますねん、この息子が。「あんたんとちやうわ!」って言うたら「あんたんでないよ、がいいよ。おかあさん」って。
大泉 (シーンの説明の後)お母ちゃん、もう大阪弁しか喋れませんから。
綾戸 そう。どんなドラマ撮ってても、2週目から関西弁に変わっている(笑)。1週目は「そうなのよ」と言ってるのに2週目から「なんでやねん」って(笑)。監督は私くらい大阪弁強いんですけど、今回はほんまの話やさかいに。音楽やってるからなるべくドレミで「あんた」を「ミ、ソ」ととってるわけですよ。そしたら監督が「そやでー」「ないんやでー」ってまた引き戻される(笑)。せっかく北海道のリズムがこの大阪弁のおっさんに。
前田監督 おっさん。おっさんやけど・・・(笑)。
大泉 わかる。しかもあの人、自分がなまってると思ってないらしい。
綾戸 ええこと聞きました。自覚症状がない。
前田監督 そんなになまって、ない。
綾戸 なまってるわ! 二人で喋ったら漫才になるねんから!(笑)竜さんがやっぱり大阪出身で、役者しはるとちゃんと言葉直しはる。偉いなあと。直さなくっちゃ、くっちゃと思うてます。
前田監督 次いこう、次。

原田さんは思い出を尋ねられて「富良野まで行ってました、ごめんなさい」と告白。

大泉 いいんです。いいんです。2回もゴルフ行った人いるんですから。(笑)
佐藤 休みの日は何やってもいいんだ! (笑)
高畑 編み物にはまっててヘアバンド編んでメイクさんに渡したりしてたんですけど、萩原聖人さんがマージャン強いんですよね。というか、プロで。「俺にもヘアバンド作って。いい感じにダサいの」と言われて、すっごい考えて、若干睡眠時間削って「絶対王者」って刺繍して作って・・・(笑)
大泉 それはひどくダサかったね。いい感じは通り超えていたね。(笑)
高畑 でもすごく喜んでくださって、撮影が終わって初めての試合でそれつけて出てくれたんですけど、負けてて(笑)。
「せっかく作ったのに負けるのかよ」(笑)
大泉 「絶対王者」では勝てない(笑)。

―面白いエピソードたくさん聞かせていただいて名残惜しいですが、お時間の関係でここで。後ほど皆さんとフォトセッションをしたいと思うんですが、その前に〆のご挨拶を主演の大泉洋さんにお願いいたします。

大泉 このようにたいへん楽しいキャストのみなさんと過ごした1ヶ月でございました。『こんな夜更けにバナナかよ』という、とにかく素敵なタイトルで、いったいどんなお話なんだろうと興味を持って、台本、原作を読んだのを覚えております。鹿野さんという人がなぜそこまでのわがままを言ったのか。鹿野さんが目指していた社会というか、日本がどういう風になればいい、という思いをこめて彼が行動したのか、というのが観た後伝わればいいなと思っております。
このタイトルがみなさんの中でどう響くのか、楽しみにしていたいと思います。もしよければ、ぜひ友達にお伝えください。どうぞよろしくお願いします。ありがとうございました。

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ここで一旦退場して準備。バナナのカードを手にした観客を背にフォトセッション。
コールの練習をできるまでしますよ~という大泉さんでしたが・・・


大泉「こんな夜更けに~」
会場「バナナかよ~!」


1度で成功。キラキラのテープが発射されて頭上に舞いました。
(取材・写真 白石映子)

作品紹介はこちらです。

2018年12月28日(金)より全国ロードショー

『家(うち)に帰ろう』 パブロ・ソラルス監督インタビュー 

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今年7月に開催されたSKIPシティ国際Dシネマ映画祭2018で、『ザ・ラスト・ス―ツ(仮題)』のタイトルで上映され、みごと観客賞を受賞した感動作。この度、12月22日より『家(うち)に帰ろう』のタイトルで公開されるのを機に、映画祭の折に来日した監督へのインタビューをお届けします。

*物語*
ブエノスアイレスで仕立て屋を営んできたアブラハム。88歳となり右足は不自由だ。老人ホームに入る前日の夜、そっと家を脱け出し、最後に仕立てたスーツを、戦争中、ユダヤである自分を匿ってくれた親友に届けるためポーランドを目指す。すぐに飛べるのはスペインのマドリッド行き。フランスを経由してポーランドに列車で行けるという。ところが、パリからはドイツ経由だとわかり、決してドイツの土は踏みたくないアブラハム。ポーランドで無事、親友に会えるのだろうか・・・
作品紹介:http://cinemajournal-review.seesaa.net/article/463240216.html
公式サイト:http://uchi-kaero.ayapro.ne.jp/

パブロ・ソラルス / 監督・脚本
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1969年12月9日 生まれ。
ブエノスアイレスの演劇学校を卒業し、独立系劇場で舞台俳優として活躍。その後アルゼンチンとメキシコで演技指導をしながら舞台の演出も手掛ける。その後シカゴで映画を学ぶ。90年代後半にアルゼンチンに戻り、テレビの脚本を手掛ける。
2005年、ショートフィルム『El Loro』(未)で監督デビュー、2011年には長編初監督作品『Juntos para Siempre』(未)を発表、本作は長編2作目となる。(公式サイトより抜粋)


◎パブロ・ソラルス監督インタビュー


2018年7月17日(火) 都内にて
SKIPシティ国際Dシネマ映画祭での、7月16日の上映後のQ&Aを踏まえて、お話を伺いました。

◆ポーランド時代を決して語らなかった祖父
― SKIPシティ国際Dシネマ映画祭での上映のご盛会でおめでとうございます。本作は、父方のお祖父さまへのオマージュとのこと。監督が小さい時には、ポーランドという言葉は禁句で、お祖父さまはポーランド時代のことを話してくださらなかったそうですね。

監督: 父方の祖父は、決してポーランド時代のことを話してくれることはありませんでした。子どもの頃、ポーランドにいたらしいことを漏れ聞いたのに、「別の人生」と呼んでいました。
10代になって、祖父がポーランドにいたことが事実だと知ったのですが、ポーランド時代のことを何も話してくれなくて、沈黙の時代と感じていました。逆に、知りたい衝動にかられました。ショパンや、映画監督のキェシロフスキをはじめ多くのポーランドの著名な人物を知るようになりました。ポーランドへの好奇心が芽生えました。でも、自分の中ではポーランド=戦争のイメージが出来上がっていました。第二次世界大戦とポーランドについて調べ、特に、ユダヤ人の生き残りの方々が東ヨーロッパに戻って、家や友人や、弾いていたピアノを探したりと、元の生活を取り戻そうとする話は私にとって金の宝のようでした。
中でも、本作の原点になったのは、こんな出来事です。
2004年、ブエノスアイレスのコーヒーショップでのことです。朝いつも満席で、その日も一つのテーブルしか空いてなくて、たまたま座った席の後ろで70代の男性二人が話していました。私は脚本家なのでよくスパイのように周りの話を聞いているのですが、その時も二人に背を向けながら、話に耳を傾けていました。
90代のお父さんが病気がちだけど、戦争中に命を救ってくれた友人を探しに東欧に行くという話をしていました。娘も息子も止めるけど、どうしても行くと。
2週間行方がわからなくて心配したけど、電話がかかってきて、72年ぶりに再会して、一緒に食事をしているというのです。もう一人が、その話を聞いて泣いていて、僕も泣いてしまって、新聞を読むのをやめて話を書き留めました。それが、この映画を作るきっかけになりました。祖父が仕立て屋をしていましたので、その設定にしました。ドイツの土を踏みたくないという部分も祖父の思いです。

― 監督のお祖父さまはアルゼンチンでユダヤの女性と結婚されたのでしょうか? 2006年に日本で公開された『僕と未来とブエノスアイレス』(原題:EL ABRAZO PARTIDO、監督:ダニエル・ブルマン)を観て、アルゼンチンに25万人くらいのユダヤ人がいることを知りました。ユダヤの大きなコミュニティがあってユダヤの伝統を守っていることも描かれていました。監督のお祖父さまがポーランドのことを決して話さなかったということから、もしかしたら、お祖父さまのご結婚相手はユダヤ人ではなかったのかなと思った次第です。

監督:祖父はアルゼンチンでポーランド系ユダヤ女性と結婚しました。父も、ユダヤ系女性と結婚しました。親の代まではユダヤ人コミュニティの中で結婚しました。でも、信仰心は強くなくて、ユダヤ教徒というよりは、世俗的なユダヤ人。そして、3代目となると、ユダヤ人でない人とも結婚しています。私のように!

― どの位、アブラハムの中にお祖父さまの真実が入っているのでしょうか?


監督:アブラハムは、父方母方双方の祖父をミックスした人物です。それに、別の要素も加えています。身体と性格は母方、歩んできた人生は父方の祖父が中心です。

◆ポーランドではナチス絡みの本作は上映できない

― 昨日のQ&Aで、95歳になるお祖父さまが、もしドイツで上映されることになれば、一緒にドイツに行くとおっしゃってくださったという話に感動しました。ドイツやポーランドで、この映画を上映する予定はありますか?
(注:この95歳のお祖父さまは、母方。父方のお祖父さまは、既に亡くなられています。)


監督:ポーランドで新しい法律が出来て、ポーランドやポーランド人をナチスと関連付けて作った映画の上映が禁じられましたので、私のこの映画は上映出来ません。ドイツでは、先々週、ミュンヘンとベルリンの映画祭で上映されたのですが、キューバのハバナ映画祭と重なったので、近いキューバの方に行きました。ハバナ映画祭では、何度か私の映画(脚本作を含む)を上映していて関係ができていることもあります。
日本での上映は、私にとって、とてもとても大事です。アジアでは、ほかに韓国、中国、インドで上映されました。釜山映画祭でも好評でした。
また、オーストラリアでも受け入れられています。(2018年 シアトル国際映画祭 最優秀男優賞)
日本では、私が脚本を手がけた作品も好評だったので、なぜなのか肌で感じたくて来日しました。ヨーロッパでの受け入れ方との違いを感じたかったということもあります。

― アジアとヨーロッパでの受け入れ方の違いは?


監督:日本をはじめアジアでは年上の人への敬意があって、それが共感してもらえる理由ではないかと思います。そこがヨーロッパとの違いかなと思います。

― でも、日本でもだんだん薄れています。都市と田舎では感覚が違うかもしれませんが。

◆シェークスピアと黒澤監督は光のような存在
― 娘とお父さんの繋がりも描かれていました。 親の面倒を看れずに老人ホームに入れることは日本でも増えています。マドリッドで一番下の娘が出てきましたが、もしかしてシェークスピアの「リア王」の場面を入れたのかなと感じました。

監督:一番下の娘は、遠くマドリッドで暮らしていて、父のことを見捨てたようでありながら、腕にホロコーストを思い起こさせるタトゥーを腕に入れています。実は父親思いなのです。「リア王」の末娘オフェーリアも、父であるリア王に愛情表現が出来なくて怒りをかいますが、実は父親思い。そのキャラクターを取り入れましたので、クレジットにシェークスピアの「リア王」を入れています。
黒澤明監督の『乱』の影響も入っています。シェークスピアも黒澤も光のような存在です。

― 監督は黒澤監督がお好きなのですね。

監督:とても黒澤の影響を受けました。『生きる』(1952年)を観た日のことを、鮮明に覚えています。人生観が変わりました。『乱』と『生きる』は大切な作品です。

◆幼い息子から得たエピソード
― 映画の最初の方で、孫がiPhoneを買ってもらいたくて駆け引きするやりとりは、とても現代的で面白いと思いました。身近なエピソードがあったのですか?

監督:
演劇や映画の脚本を書いていて、想像して、登場人物が何を言うか、何をするかを書き出します。私が最初の観客です。一番初めに驚いて笑うのは私です。あの孫娘がiPhoneを買ってほしくて駆け引きするところは、ユダヤ人としてのバックグラウンドを表わしています。お金第一で、物質主義というところです。
先週、6歳の息子からアイスクリームを買ってといわれたけど、お金がないから買えないと言ったら、「僕の絵を売って買うよ」と言うんです。おばあさんに絵を売ってお小遣いをもらっているのがわかりました。おばあさんには、もうやめてと言ったのですが、iPhoneのシーンと似ているなと。
映画の中で、まだポーランドにいた小さい頃、アブラハムの妹が、星が落ちて来る話を語っています。その話は実は息子が3歳半の時に話してくれたものなのですが、息子のことをクレジットに入れ忘れました。叱られないよう、今、明かしておきます。

― 絵も物語もできる息子! 絵本も作れそうですね。

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監督:今、証拠をお見せします。(と、iPhoneの中の動画を探す監督。息子さんの可愛い声を聴かせてくださいました。)
物語を伝える自由さは、4~5歳児じゃないとできないこと。映画学校に入って知識を得て作ろうとするけれど、一度知識は捨て去って、4~5歳に戻ることが必要です。シェークスピアや黒澤はそれを成し遂げた人だと思います。


◆憧れの名優を監督する栄誉

― 主人公アブラハムを演じた役者ミゲル・アンヘル・ソラさんは、実年齢より25歳も上の役を演じられたとのことですね。監督は11歳の時からファンだったとのこと。ご一緒に仕事をして、いかがでしたか?

監督:彼を監督することは大変! いえ、冗談です! 憧れていた俳優を間近で見ながら演出するのは光栄なことでした。彼にとっては、毎日、2時間かけてメイクアップするのは大変なこと。アルゼンチン、スペイン~フランス~ポーランドと8週間かけて撮影しましたので、体力もいりますし。
僕自身は彼を演出して成長することができました。
彼はいろんなことを考えて自分の中で感情を積み上げて、演技をする方。フランスで助けてくれるドイツ人の女性のバックグランドを説明したら、もう自分の中ですでに8つの情報があるから、これ以上言わないでと言われました。でも、彼の演技にも影響してくることなので説明しないわけにはいきません。彼の頭の中をよりシンプルにするのも僕の演出家としての仕事でした。
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*ここで、ミゲルさんのメイク前の普段の写真を見せてくださる。素敵! (撮影:白石)

ラストは、72年ぶりに友人に会う、とても大事な場面です。お互い見つめ合ってハグする感動的なシーン。4テイク撮ったけど、いい絵が撮れていませんでした。ミゲルにもっと感情を込めてとお願いしたけど、8つのことを考えているから無理と言われました。何を考えてるのかと聞くと、「車椅子から初めて立ち上がること」とか「ミシンを使うこと」とかと言うので、「ここではそれは忘れてください」とお願いしました。いらないものを省く作業が大変でした。笑

◆ツーレス(問題)と名付けた右足
― 最初の方で、ツーレスを連れて行くという台詞があって、誰のことかと思ったら、あとから具合の悪い右足のことだとわかりました。足に名前を付けているのが面白いと思いました。ツーレスとは、どういう意味ですか?

監督:通訳という意味です。いや、それは冗談! イディッシュ語で、「プロブレム(問題)」という意味です。元々、アブラハムは、ミゲルさんではなく、80代の俳優が演じる予定でした。ユダヤ人でイディッシュ語もできる人で、その人が右足のことを「ツーレス」と名付けました。奥さんが30代で、双子が生まれたので、役を降りたのです。この話、次の作品のネタにしたいと思っています。
通訳が主役の日本を舞台にしたコメディも作りたいなと思っています。冗談!冗談!
(監督は、とてもお話好きで、次から次に脱線。通訳の方がまとめるのに苦労されているのをみて、こんな冗談をおっしゃったのだろうと思います。)

― ほんとの次回作は?

監督:私が最初に書いた脚本は、映画学校に通っていた時のものです。90年代のシカゴでスペイン語を学んでいる60代以上の男性たちの話。学んでいる理由が、若くて綺麗なラテンアメリカの女の子たちをアメリカに連れてきて結婚したいから。当時はメールもネットもなくて、手紙の時代。その物語を思い浮かんだのは、実際、そういうグループがあって、私自身、彼らの手紙をスペイン語に翻訳するバイトをしていたからなのです。それをネタにした脚本を20年経った今、手直しして、今、プロダクション会社を探しているところです。

― コメディ? それともラブストーリーですか?


監督: No! ラテンアメリカの女の子たちと結婚したがっているのですが、男性たちは皆、孤独。恋人が見つからなくて、後継ぎがいないので海外から花嫁をもらうといった暗めのストーリーなので、コメディではありません。それに彼女たちは貧困のためにアメリカ人と結婚したいだけなのです。コミカルなシーンもありますが。
コメディは、ポジティブでハッピーエンディングなもの。本人たちが望んでいない悲しいエンディングは、コメディじゃないと思います。登場人物たちに目を開いてもらって、そういう行動をやめてもらいたいのです。

― 次回作も楽しみにしています。本日はありがとうございました。


取材:白石映子、景山咲子(まとめ)