『家(うち)に帰ろう』 パブロ・ソラルス監督インタビュー
今年7月に開催されたSKIPシティ国際Dシネマ映画祭2018で、『ザ・ラスト・ス―ツ(仮題)』のタイトルで上映され、みごと観客賞を受賞した感動作。この度、12月22日より『家(うち)に帰ろう』のタイトルで公開されるのを機に、映画祭の折に来日した監督へのインタビューをお届けします。
*物語*
ブエノスアイレスで仕立て屋を営んできたアブラハム。88歳となり右足は不自由だ。老人ホームに入る前日の夜、そっと家を脱け出し、最後に仕立てたスーツを、戦争中、ユダヤである自分を匿ってくれた親友に届けるためポーランドを目指す。すぐに飛べるのはスペインのマドリッド行き。フランスを経由してポーランドに列車で行けるという。ところが、パリからはドイツ経由だとわかり、決してドイツの土は踏みたくないアブラハム。ポーランドで無事、親友に会えるのだろうか・・・
作品紹介:http://cinemajournal-review.seesaa.net/article/463240216.html
公式サイト:http://uchi-kaero.ayapro.ne.jp/
パブロ・ソラルス / 監督・脚本
1969年12月9日 生まれ。
ブエノスアイレスの演劇学校を卒業し、独立系劇場で舞台俳優として活躍。その後アルゼンチンとメキシコで演技指導をしながら舞台の演出も手掛ける。その後シカゴで映画を学ぶ。90年代後半にアルゼンチンに戻り、テレビの脚本を手掛ける。
2005年、ショートフィルム『El Loro』(未)で監督デビュー、2011年には長編初監督作品『Juntos para Siempre』(未)を発表、本作は長編2作目となる。(公式サイトより抜粋)
◎パブロ・ソラルス監督インタビュー
2018年7月17日(火) 都内にて
SKIPシティ国際Dシネマ映画祭での、7月16日の上映後のQ&Aを踏まえて、お話を伺いました。
◆ポーランド時代を決して語らなかった祖父
― SKIPシティ国際Dシネマ映画祭での上映のご盛会でおめでとうございます。本作は、父方のお祖父さまへのオマージュとのこと。監督が小さい時には、ポーランドという言葉は禁句で、お祖父さまはポーランド時代のことを話してくださらなかったそうですね。
監督: 父方の祖父は、決してポーランド時代のことを話してくれることはありませんでした。子どもの頃、ポーランドにいたらしいことを漏れ聞いたのに、「別の人生」と呼んでいました。
10代になって、祖父がポーランドにいたことが事実だと知ったのですが、ポーランド時代のことを何も話してくれなくて、沈黙の時代と感じていました。逆に、知りたい衝動にかられました。ショパンや、映画監督のキェシロフスキをはじめ多くのポーランドの著名な人物を知るようになりました。ポーランドへの好奇心が芽生えました。でも、自分の中ではポーランド=戦争のイメージが出来上がっていました。第二次世界大戦とポーランドについて調べ、特に、ユダヤ人の生き残りの方々が東ヨーロッパに戻って、家や友人や、弾いていたピアノを探したりと、元の生活を取り戻そうとする話は私にとって金の宝のようでした。
中でも、本作の原点になったのは、こんな出来事です。
2004年、ブエノスアイレスのコーヒーショップでのことです。朝いつも満席で、その日も一つのテーブルしか空いてなくて、たまたま座った席の後ろで70代の男性二人が話していました。私は脚本家なのでよくスパイのように周りの話を聞いているのですが、その時も二人に背を向けながら、話に耳を傾けていました。
90代のお父さんが病気がちだけど、戦争中に命を救ってくれた友人を探しに東欧に行くという話をしていました。娘も息子も止めるけど、どうしても行くと。
2週間行方がわからなくて心配したけど、電話がかかってきて、72年ぶりに再会して、一緒に食事をしているというのです。もう一人が、その話を聞いて泣いていて、僕も泣いてしまって、新聞を読むのをやめて話を書き留めました。それが、この映画を作るきっかけになりました。祖父が仕立て屋をしていましたので、その設定にしました。ドイツの土を踏みたくないという部分も祖父の思いです。
― 監督のお祖父さまはアルゼンチンでユダヤの女性と結婚されたのでしょうか? 2006年に日本で公開された『僕と未来とブエノスアイレス』(原題:EL ABRAZO PARTIDO、監督:ダニエル・ブルマン)を観て、アルゼンチンに25万人くらいのユダヤ人がいることを知りました。ユダヤの大きなコミュニティがあってユダヤの伝統を守っていることも描かれていました。監督のお祖父さまがポーランドのことを決して話さなかったということから、もしかしたら、お祖父さまのご結婚相手はユダヤ人ではなかったのかなと思った次第です。
監督:祖父はアルゼンチンでポーランド系ユダヤ女性と結婚しました。父も、ユダヤ系女性と結婚しました。親の代まではユダヤ人コミュニティの中で結婚しました。でも、信仰心は強くなくて、ユダヤ教徒というよりは、世俗的なユダヤ人。そして、3代目となると、ユダヤ人でない人とも結婚しています。私のように!
― どの位、アブラハムの中にお祖父さまの真実が入っているのでしょうか?
監督:アブラハムは、父方母方双方の祖父をミックスした人物です。それに、別の要素も加えています。身体と性格は母方、歩んできた人生は父方の祖父が中心です。
◆ポーランドではナチス絡みの本作は上映できない
― 昨日のQ&Aで、95歳になるお祖父さまが、もしドイツで上映されることになれば、一緒にドイツに行くとおっしゃってくださったという話に感動しました。ドイツやポーランドで、この映画を上映する予定はありますか?
(注:この95歳のお祖父さまは、母方。父方のお祖父さまは、既に亡くなられています。)
監督:ポーランドで新しい法律が出来て、ポーランドやポーランド人をナチスと関連付けて作った映画の上映が禁じられましたので、私のこの映画は上映出来ません。ドイツでは、先々週、ミュンヘンとベルリンの映画祭で上映されたのですが、キューバのハバナ映画祭と重なったので、近いキューバの方に行きました。ハバナ映画祭では、何度か私の映画(脚本作を含む)を上映していて関係ができていることもあります。
日本での上映は、私にとって、とてもとても大事です。アジアでは、ほかに韓国、中国、インドで上映されました。釜山映画祭でも好評でした。
また、オーストラリアでも受け入れられています。(2018年 シアトル国際映画祭 最優秀男優賞)
日本では、私が脚本を手がけた作品も好評だったので、なぜなのか肌で感じたくて来日しました。ヨーロッパでの受け入れ方との違いを感じたかったということもあります。
― アジアとヨーロッパでの受け入れ方の違いは?
監督:日本をはじめアジアでは年上の人への敬意があって、それが共感してもらえる理由ではないかと思います。そこがヨーロッパとの違いかなと思います。
― でも、日本でもだんだん薄れています。都市と田舎では感覚が違うかもしれませんが。
◆シェークスピアと黒澤監督は光のような存在
― 娘とお父さんの繋がりも描かれていました。 親の面倒を看れずに老人ホームに入れることは日本でも増えています。マドリッドで一番下の娘が出てきましたが、もしかしてシェークスピアの「リア王」の場面を入れたのかなと感じました。
監督:一番下の娘は、遠くマドリッドで暮らしていて、父のことを見捨てたようでありながら、腕にホロコーストを思い起こさせるタトゥーを腕に入れています。実は父親思いなのです。「リア王」の末娘オフェーリアも、父であるリア王に愛情表現が出来なくて怒りをかいますが、実は父親思い。そのキャラクターを取り入れましたので、クレジットにシェークスピアの「リア王」を入れています。
黒澤明監督の『乱』の影響も入っています。シェークスピアも黒澤も光のような存在です。
― 監督は黒澤監督がお好きなのですね。
監督:とても黒澤の影響を受けました。『生きる』(1952年)を観た日のことを、鮮明に覚えています。人生観が変わりました。『乱』と『生きる』は大切な作品です。
◆幼い息子から得たエピソード
― 映画の最初の方で、孫がiPhoneを買ってもらいたくて駆け引きするやりとりは、とても現代的で面白いと思いました。身近なエピソードがあったのですか?
監督:演劇や映画の脚本を書いていて、想像して、登場人物が何を言うか、何をするかを書き出します。私が最初の観客です。一番初めに驚いて笑うのは私です。あの孫娘がiPhoneを買ってほしくて駆け引きするところは、ユダヤ人としてのバックグラウンドを表わしています。お金第一で、物質主義というところです。
先週、6歳の息子からアイスクリームを買ってといわれたけど、お金がないから買えないと言ったら、「僕の絵を売って買うよ」と言うんです。おばあさんに絵を売ってお小遣いをもらっているのがわかりました。おばあさんには、もうやめてと言ったのですが、iPhoneのシーンと似ているなと。
映画の中で、まだポーランドにいた小さい頃、アブラハムの妹が、星が落ちて来る話を語っています。その話は実は息子が3歳半の時に話してくれたものなのですが、息子のことをクレジットに入れ忘れました。叱られないよう、今、明かしておきます。
― 絵も物語もできる息子! 絵本も作れそうですね。
監督:今、証拠をお見せします。(と、iPhoneの中の動画を探す監督。息子さんの可愛い声を聴かせてくださいました。)
物語を伝える自由さは、4~5歳児じゃないとできないこと。映画学校に入って知識を得て作ろうとするけれど、一度知識は捨て去って、4~5歳に戻ることが必要です。シェークスピアや黒澤はそれを成し遂げた人だと思います。
◆憧れの名優を監督する栄誉
― 主人公アブラハムを演じた役者ミゲル・アンヘル・ソラさんは、実年齢より25歳も上の役を演じられたとのことですね。監督は11歳の時からファンだったとのこと。ご一緒に仕事をして、いかがでしたか?
監督:彼を監督することは大変! いえ、冗談です! 憧れていた俳優を間近で見ながら演出するのは光栄なことでした。彼にとっては、毎日、2時間かけてメイクアップするのは大変なこと。アルゼンチン、スペイン~フランス~ポーランドと8週間かけて撮影しましたので、体力もいりますし。
僕自身は彼を演出して成長することができました。
彼はいろんなことを考えて自分の中で感情を積み上げて、演技をする方。フランスで助けてくれるドイツ人の女性のバックグランドを説明したら、もう自分の中ですでに8つの情報があるから、これ以上言わないでと言われました。でも、彼の演技にも影響してくることなので説明しないわけにはいきません。彼の頭の中をよりシンプルにするのも僕の演出家としての仕事でした。
*ここで、ミゲルさんのメイク前の普段の写真を見せてくださる。素敵! (撮影:白石)
ラストは、72年ぶりに友人に会う、とても大事な場面です。お互い見つめ合ってハグする感動的なシーン。4テイク撮ったけど、いい絵が撮れていませんでした。ミゲルにもっと感情を込めてとお願いしたけど、8つのことを考えているから無理と言われました。何を考えてるのかと聞くと、「車椅子から初めて立ち上がること」とか「ミシンを使うこと」とかと言うので、「ここではそれは忘れてください」とお願いしました。いらないものを省く作業が大変でした。笑
◆ツーレス(問題)と名付けた右足
― 最初の方で、ツーレスを連れて行くという台詞があって、誰のことかと思ったら、あとから具合の悪い右足のことだとわかりました。足に名前を付けているのが面白いと思いました。ツーレスとは、どういう意味ですか?
監督:通訳という意味です。いや、それは冗談! イディッシュ語で、「プロブレム(問題)」という意味です。元々、アブラハムは、ミゲルさんではなく、80代の俳優が演じる予定でした。ユダヤ人でイディッシュ語もできる人で、その人が右足のことを「ツーレス」と名付けました。奥さんが30代で、双子が生まれたので、役を降りたのです。この話、次の作品のネタにしたいと思っています。
通訳が主役の日本を舞台にしたコメディも作りたいなと思っています。冗談!冗談!
(監督は、とてもお話好きで、次から次に脱線。通訳の方がまとめるのに苦労されているのをみて、こんな冗談をおっしゃったのだろうと思います。)
― ほんとの次回作は?
監督:私が最初に書いた脚本は、映画学校に通っていた時のものです。90年代のシカゴでスペイン語を学んでいる60代以上の男性たちの話。学んでいる理由が、若くて綺麗なラテンアメリカの女の子たちをアメリカに連れてきて結婚したいから。当時はメールもネットもなくて、手紙の時代。その物語を思い浮かんだのは、実際、そういうグループがあって、私自身、彼らの手紙をスペイン語に翻訳するバイトをしていたからなのです。それをネタにした脚本を20年経った今、手直しして、今、プロダクション会社を探しているところです。
― コメディ? それともラブストーリーですか?
監督: No! ラテンアメリカの女の子たちと結婚したがっているのですが、男性たちは皆、孤独。恋人が見つからなくて、後継ぎがいないので海外から花嫁をもらうといった暗めのストーリーなので、コメディではありません。それに彼女たちは貧困のためにアメリカ人と結婚したいだけなのです。コミカルなシーンもありますが。
コメディは、ポジティブでハッピーエンディングなもの。本人たちが望んでいない悲しいエンディングは、コメディじゃないと思います。登場人物たちに目を開いてもらって、そういう行動をやめてもらいたいのです。
― 次回作も楽しみにしています。本日はありがとうございました。
取材:白石映子、景山咲子(まとめ)