『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』講演会 

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2018年12月4日 東京・新宿ピカデリー
12月3日から9日は「障がい者週間」。この日厚生労働省の後援のもと、『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』特別映画試写会が開催されました。上映前の講演会に主演の大泉洋さん、原作者の渡辺一史さん、ゲストとしてパラリンピックに参加した義足のランナー・大西瞳(ひとみ)さんが登壇し、障がい者の社会参加と自立支援について語りました。

大泉 本日はお忙しい中お集まりいただきましてありがとうございます。今日これから観ていただくということなので、映画を、ま、ほんとに軽い気持ちで観て楽しんでいただければと思います。今日はどうぞよろしくお願いいたします。

-映画の原作でもあります「こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち」(文春文庫刊)を執筆し、ご自身も鹿野さんのボランティアをしていらっしゃいました原作者の渡辺一史さんです。

渡辺 今日はありがとうございます。私がこの本を出したのは2003年で、それから15年経っています。こういうふうに素晴らしい映画化が実現し、ほんとに私自身驚いています。鹿野さんという主人公を同じ北海道出身の大スターである(大泉洋:すぐほんとのことばかり言う)大泉さんが演じてくださるとは、私が書いていたときには誰も想像だにできなかったこと。ほんとにありがとうございます。じゃ今日は楽しんで観ていってください。

-続きまして、リオ2016パラリンピック陸上競技に日本代表として出場。現在では情報バラエティ番組のMCもつとめていらっしゃいます。多方面で活躍する義足のランナー大西瞳さん、お願いします。

大西 今ご紹介いただいたとおり、私は義足で陸上競技をしておりまして・・・ちょっと見せてもいいですか?(と右足の義足を持ち上げて)こんな感じで回ったりもするんです。こういう義足をつけて普段生活し、陸上競技もしています。今日はこんな素敵な場に参加させていただいて、もうほんと障がい者になって良かったな、という風に思っております。どうもありがとうございます。
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-大泉さん、ちょっとこの義足。渡辺さんも。このお洒落というかすごいカラフルな。
大泉 ねえ~
大西 そうなんです。
渡辺 アートですね。
大西 これ、生地を買ってきて作ってるんですけど、すごく可愛いですよね。
渡辺 デザイナーみたいな人はいらっしゃるの?
大西 あ、いないです。自分で選んで。(3人:自分で!へえ~)
大泉 思うじゃないですか、こうジロジロ見ちゃいけないんじゃないかとか。
大西 今日はほんとにジロジロ見ていただいて、はい、見慣れてください。
大泉 大西さんのほうから「障がい者になってよかった」なんて言われたらほっとしますよ(大西爆笑)。
あ、見ていいんだ、そういうことも言っていいんだとか。この映画もそうですけど、あらためて普通に接していいんだ、と勇気をいただきますね。

-ということで今日はよろしくお願いします。お座りください。

大泉 (大西に)座るのもシュッとね。いけるんですね。

-好きな柄に?
大西 そうなんですよ。海が好きなので海に映える柄がいいなと思って。
-「水曜どうでしょう」みたいな感じのやつをそこに。
大泉 どういう義足でしょう?水曜どうでしょう?(笑)
-よくステッカー貼ってる人がいるから。(笑)
大泉 それでぜひパラリンピックに出てほしいな。
大西 スポンサーになっていただければ。
大泉 「水曜どうでしょう」がスポンサーに? 番組そんな予算はないー。言えばあのヒゲ作るかもしれない。(笑)

-夢がある話ですね。さっそくお話うかがっていきます。まず大泉さん、身体の中で動かせるのは首と手だけでありながらも、ボランティアのみなさんに介助されながら楽しい自立生活を送っていた鹿野さん役を演じて、どのようなことを感じられたのでしょうか?

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大泉 最初やはり一番ひかれたのは「こんな夜更けにバナナかよ」というタイトルだったんですよね。要はボランティアの方々に24時間介助されないと生きていけない方が、どうしてそんなわがままが言えたんだろう?真夜中に「バナナ食べたい」って言って、ときに大喧嘩もして、ときにはボランティアに「帰れ!」ってよくおっしゃってた。なぜそんなことができたんだろう?やっぱり疑問、それを知りたいってところから始まったわけです。
本を読ませてもらったり、実際に鹿野さんに会っていた方々とお話をしているうちに思ったのは、鹿野さんの言ってたことは「わがまま」って言えることなのかな?っていうね。私もこの映画を撮り終えたときには、「こんな夜更けにバナナかよ」というタイトルが彼のわがままから出たことばにはもう聞こえなくなっていました。なんか不思議な体験でした。

-役者としても難しかったんじゃないですか?演じるうえで。

大泉 鹿野さんが亡くなってまだ16年しか経っていない。ですからこの映画に出てくるシーンには、実際に鹿野さんに起きたことでもあるわけなんですね。どんどん筋肉が衰えていく、最終的には呼吸する筋肉も衰えていくので人工呼吸器をつける。当時は人工呼吸器をつけるっていうことはイコール喋れなくなる時代だったんです。今なら喋れるんですけど。
だから人にお願いしないと生きていけない人が声を失うっていうことは、どれだけの恐怖だったろうと思うわけですけど。この映画の中に「どうすんの?あなた呼吸器をつけないと死ぬよ」っていうシーンがあります。「言ったんです」というお医者さんが隣にいてくれるんですね。だからその方に「どんな状態だったんですか?このときの鹿野さんは?」って聞きながら演じていく。
他にも鹿野さんのことを知っている人が周りにいっぱいいて、鹿野さんの話を聞きながらそのシーンに入っていける。なんかね、役者としてこんな体験はないな、という思いがありました。これから演じるシーンに行く前に「そのときの鹿野さんってどんなだったの?」と実際の話を聞いて泣けてきて。本番前に泣いてから本番演じるってことがあって。もちろん難しい役でもあったんだけども、役なんだけど、何なんだろうな。演じながら鹿野さんのドキュメンタリーに出ているような、鹿野さんを追っていくようなそんな不思議な体験でしたね。この映画は。

-渡辺さん深く頷いていらっしゃいましたけど。渡辺さんはもちろん鹿野さんを知ってらっしゃるわけで、大泉さんが演じた鹿野さんをご覧になっていかがでしたか?

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渡辺 背丈といい、顔つきといい似ても似つかないわけですけれども(笑)。同時に、不思議なことに瓜二つに見える瞬間があって、やはり鹿野さんと大泉さんが共同で作り上げた不思議なキャラクターということで、私は「鹿泉(しかいずみ)さん」と(笑)。

大泉 私はそのう「ひょっこりはん」に似てしまった(爆笑)
-あ、その前髪ぱっつんは似ていますね!
大泉 ひょっこりはんといえばひょこりはんに見えるし、鹿泉といえば、しかいずみに。(笑)

-それくらい渡辺さんから見たら似ていた?

渡辺 似ているとか似ていない以前に、スクリーンの中でこの人実在しているんじゃないかって思うぐらい生き生きとされていて。やっぱり俳優さんてすごいなぁと思いました。

-実際に鹿野さんの周りにいたボランティアの人たちの感想は渡辺さんに届いていますか?

渡辺 鹿野さんのお母さんはご存命で、80代でお元気なんです。お母さんはね、いつも大泉さんを見ると「息子が生きて帰ってきたような気がした」と言ってました。陰では別のこと言ってるんですけど(笑)。でもほんとに感動したと。ボランティアの方たちも関係者試写会というので観ていただいて「泣いた人?」と言ったら殆どの人が手を挙げて。「この映画ひとに勧めたい人?」って言うとまたほとんどの人の手が挙がる。

-そして実際に鹿野さんの間近で接していた渡辺さんに「障がい者の自立生活」についてのお考えを伺ってもいいでしょうか?

渡辺 はい。この映画、特に宣伝文からして「わがまま」ということが強調されているんですが、その「わがまま」っていうのをどういう風にとるか。さきほど大泉さんもおっしゃったように健常者にとっては障がい者のわがままにとれるんだけれども、当の鹿野さんにとっては、ごく普通の生活がしたいだけなんだということです。夜中にバナナ食べるのは、健常者にとっては自分で皮をむいて食べられるんですけど、鹿野さんはできないから人に頼む。それをわがままなのかどうかっていうのは、ちょっと考えどころなんですね。
ボランティアと鹿野さんは常に衝突とか対立とかあって、ボランティアは葛藤を抱えるわけです。バナナに限らず。そのときに、これ本当に鹿野さんのわがままなんだろうか?そうじゃないんじゃないか?って自問自答したボランティアたちはやはり長続きしたし、人間的にも成長していきました。
その反面「なんでこんなわがままなオヤジのボランティアをしなきゃいけないんだ」って辞めていく人も後を絶ちませんでした。
それと同時に、自分をさも良い人間、優しい人間であるかのように思っていたのに、夜中に起こされて「バナナ食べたい」って言われたくらいで腹を立てている自分、そういう問いを自分につきつけられた人は成長していって・・・。
鹿野さんのボランティアを経て、お医者さんになったり特別支援学校の先生になったりいろんな人がいます。
私も鹿野さんによって人生を変えられた一人なんですけれど。ほんとに人生が激変していくという、そういうドラマがたくさんあります。

-大西さん、この映画ご覧になっていかがでした?

大西 その前にここに呼んでいただいたのは何でだろうって考えていたんです。私進行性の難病でもないですし、あれ?って思ったら、思い当たる節が実はあって。元カレが筋ジストロフィーだったんです。松竹さんそこまで調べていたんだ!(笑)
大泉 そうじゃなかったみたいよ。
-違います!いやびっくりした!(笑)
大泉 ●春じゃないんだから(笑)
-雑誌名あげないでください(笑)
大泉 元カレまで調べてじゃなかったよ。
-考えすぎですよ。
大西 ちょっと安心しました。(笑)
-元カレが?
大西 はい、たまたま筋ジストロフィーで「ジョウシュク」が強い症状がでている子だったんですよ。手がなかなか上がらなくて、持ちづらかったり。そういう子に私荷物持たせてたりしたんですけど。顔の表情が薄くて、「たぶん今笑ってるんだろうな」っていうのがわからないような状況だったんです。付き合いが長くなるとわかるんです。「今笑ってるんでしょ?」「めっちゃ笑ってる」みたいな感じの方と付き合ったことがあったんです。
(続く)
後半はこちら(取材・写真 白石映子)