『牧師といのちの崖』加瀬澤 充監督インタビュー

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加瀬澤 充(かせざわ あつし)監督 プロフィール
1976年静岡県生まれ。立命館大学卒。2002年ドキュメンタリージャパンに参加。「オンリーワン」(NHK BS-1)「森人」(BS日本テレビ)「疾走!神楽男子」(NHK BSプレミアム)など数々のドキュメンタリー番組を演出する。映画美学校ドキュメンタリーコースで佐藤真監督(1957―2007)に出会う。映画は2002年公開のドキュメンタリー『あおぞら』、本作は2作目。長編作品としては初の劇場公開。

藤藪 庸一(ふじやぶ よういち)牧師
1972年和歌山県生まれ。東京基督教大学神学部卒業。1999年より白浜バプテスト基督教会牧師となり、前任の江見牧師が始めた”いのちの電話”をひきつぐ。2006年にNPO法人白浜レスキューネットワークを設立。保護した人々と共同生活をし、自立し社会復帰を目指す活動を続ける。地域の子どもたちの教育にも力を注ぎ、里親、フードバンクにも取り組む。著書に“「自殺志願者」でも立ち直れる”(2010/講談社)、“あなたを諦めない 自殺救済の現場から”(2019・2月発売予定/フォレストブックス)
https://www.facebook.com/yoichi.fujiyabu

『牧師といのちの崖』 
監督・撮影・編集:加瀬澤充
プロデューサー:煙草谷有希子

和歌山県白浜の観光名所・三段壁で藤藪牧師は自殺志願者のレスキュー活動を続けている。”いのちの電話”にすぐ対応し、辛抱強く話に耳を傾ける。相手によっては教会に連れ帰って保護し、共同生活の場も提供、ときには厳しい言葉もかける。人生を取り戻そうともがく彼らが「何度失敗しても帰ってこれる場所になるといい」と藤藪牧師は語る。100分のドキュメンタリー。
(C)2018 DOCUMENTARY JAPAN INC. /ATSUSHI KASEZAWA
https://www.bokushitogake.com/
★2019年1月19日(土)からポレポレ東中野にて公開


-この作品の始まりをお聞かせください。牧師の藤藪さんを知ったのはどういうことからですか?

直接的に藤藪さんを知ったきっかけは・・・一緒に仕事をした読売新聞の記者さんと飲み会をしていて、そのときに藤藪さんと彼の活動のことを聞きました。本当に偶然なんですけど、そのときに友人から電話がかかってきて、「佐藤真さんが亡くなった」(ドキュメンタリー作家、2007年9月4日逝去)と聞きました。佐藤さんは自ら命を絶ってしまった、と。僕は映画美学校というところで佐藤真さんの生徒だったのですが、ドキュメンタリーについては佐藤さんから教わったと思っています。ものすごいショックでした。その晩のことは、雨が降っていたなという断片的な記憶しかないんです。ドキュメンタリーというものを考える上で、ずっと佐藤さんの背中を追ってきたので、その追いかける対象が急にいなくなったような気がしました。
どうしよう、何かをしないといけないと思っているときに、佐藤さんが亡くなったことを直接的に描くのではなく、この題材にアプローチしたくなりました。ある種運命的な啓示みたいに、そのときに聞いていた藤藪さんのことが強く印象に残っていたんだと思います。

-いつ始められて出来上がるまでにどのくらいかかっているんでしょう?

取材時期は・・・(煙草谷Pに確認)2013年から2014年にかけて。
だいたい1年くらいですね。編集に時間をかけて、つい最近仕上がりました。

-こういうドキュメンタリーをつくるには資金集めがなかなか大変だと思います。

文化庁の助成金が出たので、それでなんとか。
今ドキュメンタリーは軽量化が進んでいますので、それで作れるということもあります。基本的に僕が一人で撮影して編集もやって、そして煙草谷と一緒に映像を見ながら作っていきましたので、あまりお金をかけずにやれました。
監督がやらなきゃいけない仕事は増えましたけどね。(笑)

-藤藪さんご本人に会った印象はどんなでしたか?

「あれ、牧師さんってこういう人だっけ?」と思いましたね(笑)。どちらかというと牧師さんってちょっと遠くにいて、もの静かで落ち着いていて、人の話を聞いているという感じだった。藤藪さんはものすごい精力的だし、ものすごい感情も豊かでよく笑うし、よく怒る。そういう意味ではすごく魅力的な方だなぁと思いました。一緒にいて楽しい。

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-このときの藤藪牧師はレスキューの活動を始めて何年経っているんでしょう?

14年くらいです。白浜の「いのちの電話」の活動は、前任の江見牧師という方が始められて、それを藤藪さんが引き継ぎました。1999年に牧師に赴任すると同時にその活動も始めたので、若いですけどけっこう長いことやっています。

-監督はクリスチャンですか?

いえ、僕は違います。彼女(煙草谷p)はそうですけど。

-私は不信心者でもうひとつよくわからないんです。藤藪牧師は信仰という確固とした芯を持っていて、それで活動していらっしゃる。監督はそれを理解できましたか?

信仰についてですか?なんて言ったらいいかな。神様という存在がいて、聖書と向き合いながら自分の日常をすごしていくというのはすごく理解できます。あの場所にいて思ったのは・・・普段人が悩むじゃないですか。どうすればいいか、あのときどうしたら良かったんだろうか、と話し相手として神様がいるっていうのと、僕が一人で「神様じゃないけど神様的なもの」がいて悩んでいたりする。そういう意味では信仰を持っている、持っていないの違いはありますけど、そんなに差は感じませんでした。それは取材しながら思いました。
僕もいろいろ聖書とか読んで、これどういうことなのかなと考えて・・・でもよくわかんなかったりするんですけど。
それはクリスチャンの人たちもおんなじ。全部わかっているわけではないので、悩んでいたりこの言葉はどういうことなんだろうと考えたりするんですよね。今生きていく中ではたぶん普通で、特別のことじゃない。そういう意味ではすごくよくわかる。

-私には聖書って参考書みたいな感じがするんです(笑)。信仰のもとになる聖書があって、迷ったときは開いて、神はこうおっしゃっている、と解答を出せるわけで「なんかずるいー」と思っちゃうんですけど(クリスチャンの皆様ごめんなさい)。

まあ、でもいっぱい書いてありますから。いっぱいある中から探すので、1+1=2とすぐ出るわけじゃない(笑)。

-監督には自分の芯になるものというか、絶対的に信じられるものがありますか?

うーん。絶対的に~~?ないですね。

-私はあの映画を観て、死に向かう人ってどこにもつながれるものがない。一つずつなくなってきて、一人ぼっちになってもう死ぬことしか残ってないからと崖から飛べてしまうんだろう。こちらに何か一つでも支えになるもの、つながるものがあれば飛ばないだろうに、と思ったんです。みんな自覚がないまでも、何かがあるから(自分から)死なずに済んでいるわけで、それは私には何だろう?映画を撮った監督には何だろう?と考えたんです。すみません漠然として。

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ああ、そういうことですね。僕も今のところ死なないですけど、そんなに遠くない感じはしています。悩んでいる気持ちに共感している。彼らの中に僕と似た部分があり、僕の中にも彼らに似た部分があります。
絶対的なものがあるわけではなくて、そのことを「探している」。そのことを「問う」プロセスそのものが映画になっている。たぶん「絶対的なもの」があったら、ああいうふうな形で提示はしなかったんじゃないかと思います。そのことを手繰り寄せようとしているし、どうやったら生きていけるかな、と思うし。
だから自殺すること自体ほんとに絶対駄目だよ!とはたぶん僕には言えない。もちろん死んで欲しくない、できれば生きて欲しいんだけど、そのへんを亡くなった人を含めて生きている人も一緒に考えたい。「自殺は駄目だよ」と言うと、じゃ死んだ人は「駄目な人たち」なのか、となりそうじゃないですか。そういうふうには思いたくないし、そういう映画にはしたくない。
佐藤さんが亡くなったことからこの映画が始まっているってこともあるんですけど、時々亡くなった佐藤さんとも対話するし、亡くなっているけれども生きている人とそんなに変わらないような気もします。絶対的なものって必要ですかね?

-どっかに何かでひっかかっていたい、自分をつなぎとめるものがほしい、という意味での絶対は欲しいと思います。

ありますよね。それはたぶん「言葉」の問題かもしれないですね。「絶対的」というと、なんかものすごいクレーンみたいなものみたいでガチっとされるみたいなイメージですけど、そういうのって見えたり、見えなくなったりする。あるんだけど、見えなくなったりもする。

-どうしてもそれを見つけられなかったときに、死ぬほうへ向かうんでしょうね。なんであそこに崖があるんだ、って思っちゃいます。まあ日本全部周りは海ですから、崖はあちこちに。

その崖が美しい景色に見えるときと、そういう(死にたい)気持ちのときにはまた別に見えたりとか。人の感情次第だと思います。

-崖の上でインタビューしているシーンではドキドキしました。

ああ、あれは僕もドキドキしました。

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-最初の暗い中、レスキューに向かう場面から(監督の声がちょっと入っている)ドキドキで、なんとか説得してーと思っていました。監督は撮影しながら、ここは撮ってもいいのか、と逡巡したり葛藤したりは?

ありましたね。いっぱいあります。選んでいくのは藤藪さんと相談しながらやりました。

-事情を抱えた人にカメラを向けるのは気を遣われたでしょう?具体的にどう工夫されましたか?

できるだけ撮影をする前に、長く一緒に過ごそうとは思いました。撮影をしている時間より、一緒に過ごしたり、人手が足りない時は、弁当屋さんをお手伝いしたりなど、撮影していない時間の方が圧倒的に長かったと思います。たくさんいろんな話をしました。でも、事情を抱えた人だからという理由で、特別に気を遣うということはあまりないです。あまり、偏見を持って見たくないという気持ちもあるし、事情を抱えているのは、どんな人でも変わりませんから。

-生きものは細胞レベルで生きたいだろう。ほんとうはいのちをつなげたいはずと思います。
この映画の中で、何人くらいの方に出会われましたか?


たくさん会っています。何人かわからないですけれど、ものすごくたくさん。会うだけでしたら、相当です。いろんな人が入れ替わり立ち代りやってきますから。

-藤藪さんはすごく正直な方だなという印象でした。ポジティブでエネルギッシュなところもあり、自分の弱い部分もさらけだすところもあり。そして奥様がとても素敵な方で、この奥様の貢献度が高いんじゃないか、と思いました。

奥様の亜由美さん。なかなか素敵な方なんですよ。あの場所は、あのいい関係性のふたりだからこそ成立していると思うんです。自殺者の予防・保護活動のほかに、今回はとりあげていないんですが、子ども達へ勉強を教えたり、いろんな活動をやっている部分もある。ゆるやかな風通しのいい場所でもあります。藤藪さんがグッグッと力を入れ向き合って助けていくぞ、というのと、ちょっと引いて物事を見る亜由美さんみたいな人がいたり、両方のバランスがいい。

-あの建物はどんな風になっているんでしょうか?

教会と藤藪さんの住まいが繋がっていて、保護している人たちは当時10数人で、教会の敷地内の別の建物で共同生活をしていました。町に協力してもらって、別にアパートを借りて住んでもらったりもしていました。あの場所を卒業して、近所で働きはじめた人もいます。だんだん頑張っていろんな活動が拡大していくんですね。

-ベテランが新人の面倒を見ていて、うまく回っていますね。

そういう風な状況に自然になっていくことの中で、人と人とが自然に関わって再生していくのがいいと思います。いろんなケースがありますけど、人ってこれまでできたことが、急にできなくなることがあります。例えば誰かにきつく言われた一言で、うまくコミュニケーションがとれなくなるとか。まあ今の時代は、誰ともコミュニケーションを取らなくても自分の中で完結して暮らすことができたりします。そういう意味では我々皆、総じて人と関わるのが苦手になってきているともいえます。

-あんまり人に頼らない。でも、いつもそうはいかないですよね。皆、我慢しすぎの忖度しすぎじゃないかと。

最近ちょっと思いますね。会社に来るときにビルの前をお掃除している人に挨拶するんですけど、そうしているとだんだんその方と話をするようになります。そういう関係性を作っていくのは、東京で働いて生きていくのにとっても大事だなぁと思います。

-監督は大学を卒業してから東京にお住まいですか?東京の人間は冷たく感じませんでしたか?

大学卒業してから、22歳からずっとですね。(監督は静岡市出身)人は冷たくないと思うんですけど、みんなそういう環境にいるので。アパートに住んでも隣の人を知らない。一応挨拶には行ったんですけど、ひんぱんに会うわけでもないし、田舎と感覚は違うのかなと思いました。

-それが気楽だという人もいるでしょうしね。

きのうも電車で酔いつぶれて電車の床に座って寝ているお姉さんがいたんですよ。こういうときに声かけたほうがいいのかな、って悩みますよね。酔っ払ってるから、って悩んで結局しなかったんですけど。まあ、できるだけ挨拶などは心がけてするようにしています。

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-私たちの生活って、声をかける、そこまでですよね。ところが藤藪さんの関わり方ときたら、ものすごく濃密です。こういうことをやってくれる人がいて良かった!とまず思いました。この作品の中で「助けてください」という言葉が印象に残るんですが、私は「助けて」と言われたことはないなと気づいたんです。自分が言われたらどうしよう、どこまでやれるだろう、話聞くまではできるかな、とか、いろいろと考えました。

それはやっぱりすごく重要な問いだと僕も思ってまして、「助けてください」と投げかけられた言葉に人はどうこたえられるか。それが大きくあるんだと思うんですよね。その「こたえ」を映画は常に探している。
藤藪さんはかなり超人的にやってますけど。「助けてください」と言うときに手を差し伸べているわけです。この手を掴んでほしい、って。そのとき自分ができる範囲で、手をつないであげたい。あげたほうがいいな、とは思います。

-その感覚は、映画を作る前と後で変わりましたか?

感覚、そうですね。変わりましたね。
一歩進んで深く考えるようになった・・・基本的には我々が知らない世界にいた悩みとかそういうものの中に、足を踏みこんで考えていく。死んでほしくないし、助けなきゃと思う。目の前に飛び降りようとする人がいたら、僕は絶対助けると思います。
だけど、いろんな程度もあるし、日常や現実的なことがある中でできる範囲のことをやれればいいな、と思います。僕もそんなに殊勝な人間ではないので、必ず助けるよ、とか、僕のところに来なよ、とか言えるほど強くはないかもしれません。でもそういうことで悩んでいる人がいたら、何か話をするようなことはやりたい。こうやったらいいんじゃない?と考えるプロセスを映画の中で踏んで来ました。そういう意味ではちょっと変わった、と思います。

-こういう抽象的な話は難しいです。

答えはないですからね。悩みのプロセスが常にあって、その中をぐるぐるぐるぐる回りながら、今の時代を生きていくことを考える。どうやっていけばいいかと。

-生きていけないことの大きな原因の一つが貧困なら、自己責任というよりも、公的な援助がもっとあっていいんじゃないかと思います。

自殺対策ということでしたら、尽力してくださる方もいて、それは行政の中の援助もここ10年進んできています。どうやったら自殺を止められるかということを、各市町村も対策を進めている。結局そういうのって人だと思うんですよね。たとえば「国が」っていう言葉が出ると国になってしまう。国が何かをやってくれるという感じになってしまう。やっぱり人がいて、一緒にやっていく中で少しずつ変わっていくんだと思います。
白浜は藤藪さんと行政と警察とが包括的に関わりながら、問題を解決しようとしている理想的なケースだと思います。「自己責任」というのもけっこう言葉が一人歩きをしている。そうすると思考を止めてしまう、断罪するっていうか。それは不毛だなと思います。その人の考えていることとか、自分達が思っていることとかをお互いにすり合わせていくのでなく、断罪してしまうのは、人と人の繋がりを描こうとしているこの映画とは真逆にあるという感じがします。話がちょっと映画と繋がりました(笑)。

-行政も窓口は人ですね。今年は児童虐待の映画も多くて、解決していくための窓口と動く人が足りないと知りました。この映画を観た人が、ほかの人と話しあったり、自分のできることを考えたりするきっかけになるといいなと思います。

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たとえば具体的なアクションを起こしても起こさなくてもいい。そのことを一緒に考えたり話したりできるといいと思うんですよね。そんなことがもしかしたら後々「助けてください」って言葉をかけられたときに繋がるんじゃないかな・・・っと思います、この話で〆ましょう(笑)。

-すごくいい〆ですね(笑)!

そういうときってふいに訪れますからね。そのとき(手を)握れなかったとしたらすごく後悔するし、そのことは考え続けたいと思います。

-ありがとうございました。


=インタビューを終えて=
年末に古くからの大事な友人が病気で亡くなりました。さよならを言うまもありませんでした。長く生きるほど死は次第に身近になっていきます。でも今若くてやり直す時間があって健康な人が死に急ぐのはやめてね、と切に思います。病気や貧困や失業いろいろな悩みなど、死に向かう要因は数多あるでしょう。でもひとまず暖かくして、よく眠って、食べてみて。
町の交番の壁にその日の〔交通事故の死者と負傷者の数〕が書かれています。亡くなった数が0だと、よかったと思います。そこに50人とか60人とかとあったらどうでしょう?テロでも事件でもありません。それが自殺してしまう人の数なんです。
いつも宿題を抱えている気がしているもので、インタビューというより加瀬澤監督とお話してしまいました。何かの種が蒔けたのか、小さな芽を見つけられたのか、わかるのはこれからです。

(取材・写真 白石映子)

『ヒューマン・フロー 大地漂流』 難民問題について考えるトークイベント

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1月12日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国で順次公開される映画『ヒューマン・フロー 大地漂流』。
公開に先立ち、12月18日、国際移民デーにちなんで、難民問題について考えるトークイベント付き試写会が開かれました。

『ヒューマン・フロー 大地漂流』は、中国の現代美術家で、社会運動家としても活躍するアイ・ウェイウェイが、なんらかの理由で難民となった人たちの日常に迫ったドキュメンタリー。訪れた場所は、23カ国40カ所にもおよび、自らのスマートフォンやドローンからの空撮を駆使した映像に圧倒される2時間20分。
作品紹介:http://cinejour2019ikoufilm.seesaa.net/article/463529229.html


◎難民問題について考えるトーク

上映が終わり、トークゲストに、世界中の「ヤバい場所」を巡り、いまいちばん“トガってる”旅番組「クレイジージャーニー」の丸山ゴンザレスさんと、UNHCR(国連難民高等弁務官)駐日事務所副代表の川内敏月さんが登壇。約1時間にわたって、トークが繰り広げられました。

丸山: ジャーナリスト活動をしつつ、テレビに出たりして、若干キャラ立ちしているので、難しいテーマで大丈夫かと思われる方もいるかもしれませんが、世界の難民の現状も追ってますので、そのような話ができればと思っています。

川内: UNHCR難民高等弁務官事務所から参りました。去年から日本の事務所におります。その前は、9か国ほどで仕事をしていました。難民という固いテーマですが、丸山さんと一緒にお伝えすることができればと思います。


丸山: 映画は2時間20分という長さでしたが、世界の難民のことが全然収まりきってないですね。ごくごく一部をかいつまんで集めただけという感じがしました。

川内: 23カ国で取材したものですけど、ごくごく一部ですね。

丸山: この映画を観て、UNHCRの方としては、どういう思いでしたでしょうか?

川内: 現場を見てきましたので、半分、仕事を見ているようでした。

丸山: お知り合いが出てきたとか?

川内: ギリシャのレスボス島の場面で、ブルガリア人の同僚がアイ・ウェイウェイを車に乗せて案内してました。また、現在の国連難民高等弁務官フィリッポ・グランディは、カーブル事務所にいた時の代表でした。

丸山: まさにリアルな目線でご覧になったのですね。川内さんは、どのような国に赴任していらしたのですか?

川内: アフガニスタン、イラン、カンボジア、東ティモール、ブルガリア、ボスニア。南スーダンにも短期ですがいました。

丸山: 今日、この映画を観に来た方は意識の高い方なので説明は必要ないと思いますが、UNHCRについて一応説明をお願いします。

川内: ユニセフやユネスコと比べると知名度が低いですね。難民をイメージしにくいと思います。ほんとうにいろいろな人がいます。難民を担当していて、ジュネーブに本部があって、130カ国以上で活動しています。

丸山:具体的にはどのような活動を?

川内:多岐にわたるのですが、まずは“命を守る”こと。水、テントなどのアコモデーションの提供。まったく別の活動として、難民法の整備や保護の制度を国と共に行うなど行っています。難民といっても特殊な人たちでなく、人間ですので、人間が必要とするものを包括的にみています。

◆難民も人間 
丸山:ポイントは、“人間”というところですね。これまで取材していく中で、腑に落ちないことがいくつかあります。2015年位から難民が増えているというニュースが増えたけど、ロヒンギャ問題はもっと前からあって気になっていました。その後、欧州での難民が増えてきて、日本にいると情報として受け取るけど、現場では現実。情報と現実の間に乖離があるような気がしていました。難民としてくくられると個々人が見えない。現状が気になると、2015年冬、ギリシャに行き、シリア難民と一緒にドイツをめざしました。シリア難民と報道されていたのですが、実はアフガニスタン難民が意外と多かった。僕の場合、大手のメディアが目をつけないところを探して個人で取材するスタンスです。実際に行ってみると、シリア難民は管理がしっかりしていて、歩いて移動しているというより、国内はバスで移動させています。早く国から出ていってほしいから。国境は車を使えないので歩いてる。食事が出るのですが、食べ物が捨ててあるので、どうして?と思ったら、まずかった。ゆですぎたパスタと味のない野菜。食べないの?と聞いたら、数か月前まで、もっと美味しいものを食べてたのに食えないと。もしかしたら、この人たちはちょっと前まで僕よりもいい生活をしていたんだと思うと不思議な感じがしました。

川内:映画の中でドイツの支援団体の女性の方が、難民としての括りでみるのでなく、一人の人間として尊厳を持って守ると言っていたのが印象的でしたね。

丸山:アフガニスタンから流れてくる人はお金のない人が多かったけど、シリアから来る方は、お金を持っている方が多かった。ちょっと下世話なことを言いますが、ギリシャは売春が合法で、マケドニア行きのバスターミナルの裏に売春宿があって、シリアの若者がうろうろしてる。ふつ~の男の子たちだなと思いました。売春宿の女将が、シリアの男の子は女の子の扱いが乱暴だから断ってると言ってました。普通にお客さんとしてくるんだと。実感として生きている人なんだと興味深かったですね。

川内:日本にいると難民というと遠い存在。レバノンでは、人口の3分の1が難民。まわりに普通にいます。

◆制度を整えても解決しない
丸山:スペインのスラム街に難民じゃないのですが、北アフリカの人たちが住みついていて、ムスリムとしてのコミュニティが根付いています。一つの文化がほかの文化に入った時に混ざり合うのが難しいのだなと。日常として受け入れ側はどう思うのかなと気になりました。ロヒンギャについても、地域住民に聞くと、ある日気づいたら違う宗教の人たちが居ついていて怖くなったと。制度だけ決めても解決しないと思いました。

川内:制度作りも必要だけど、受け入れ側に心の準備があるのかどうかが問題ですね。

丸山:古くから行き来をして交流のある国、例えばルーマニアでは、イタリアやトルコと交流があったけど、まざってない。受け入れているようでありながら、文化がまざらないでいる。ドイツでもそう。ヨーロッパはそういう傾向が顕著だなと思いました。日本に万単位で難民が増えた時に、どういう対応ができるかなと常々考えてしまいます。

川内:前任地がイランなのですが、アフガニスタンの人たちが百万人単位で40年近く住んでいるのに、イラン人にはなり切ってない。アフガニスタンを見たことのない若い子も、いつかアフガニスタンに帰って国の再建に貢献したいと言ってる。

丸山:
イスタンブルのリトルダマスカスにいるシリアの人たちも、仕事を見つけて住んでいるのですが、いつか戻れることになったら、シリアに戻るという若者が多かったです。理屈じゃない。難民を説明するのにご苦労があるのじゃないでしょうか。

川内:アインシュタインも難民だったと、よくいうのですが、難民といっても必ずしも貧しい人たちじゃない。高学歴の人もいる。同じ人間としてみる。難民だけじゃなく、異民族の人とお互いレスペクトしながら暮らすのが秘訣。

◆知ることから始まる

丸山:実際難民の人たちと接してみると、言葉が通じなくても心が通じることがある。欧州で難民の方たちの方が綺麗な格好をしていて、僕の方が道路工事をするような恰好をしていて、かえって同情されました。ウィーンの駅の近くの難民待機所で、アフガン難民の人から日本人かと声をかけられて、空手をしてたから日本人に馴染みがあると。彼は、ドイツを目指すのをやめて、そこで難民申請すると言ってました。2015年の冬がターニングポイント。彼は滑り込みセーフ。2016年初頭、ギリシャとマケドニアの国境が閉鎖されました。日本に帰って難民報道を見ると、数字の向こうに顔が見えるようになりました。僕は難民支援ではなく、取材の立場なので、それに意味があるのかと。人の顔が見えるようになったとしたら、接し方や支援の仕方が変わるのではと思うので、伝えることが仕事になればと。

川内:一般の人たちにお伝えしなければいけないと思っても、どうしても数の話になってしまいます。なかなか顔の見える伝え方ができない。

丸山:ユニセフは黒柳徹子さん、ユネスコは世界遺産。UNHCRは南こうせつさん。どんな経緯で?

川内:南さんはUNHCR親善大使のアンジェリナ・ジョリーと映画で知り合って、彼女から触発されて、知ってしまったら何かしなくてはと。ヨルダンの王女が苦しい人から目をそむけてはいけないと言っていましたね。

丸山:存在を知ってしまうと気になって、そこへ行ってみる。行くとわかることがある。中南米の人たちがキャラバンを組んで、メキシコとアメリカの国境を目指していると聞くと行ってみたくなる。無関心が一番怖いですよね。

川内:知るところから始まる。身近に感じるきっかけになると思います。

◆答えはないけど、忘れてはいけない問題
丸山:UNHCRの職員は人数的に足りているのですか?

川内:1万人以上、132カ国で働いていますが、難民の数が増え続けているので十分ではありません。

丸山:
国連の一機関として動く時には、各国の団体と連携して行うのですか?

川内:
主体は各国政府や団体で、そこに国連の機関としてアドバイスをします。そのような団体がない国では、直接私たちが出ていって支援活動をします。

丸山:まとめとして、難民について僕たちに出来ることを考えたいと思います。
大学で考古学を専攻。歴史に触れることが多かった。難民問題は歴史をみると昔から人の移動はありました。今の状況は将来教科書に載るような事態。1世代で解決できないと思います。より正確な認識をして、優しい対応ができるような情報を提供すること、そして、次の世代にバトンタッチしていく必要があると思います。今、起きていることは、来年忘れていいことでも、すぐに劇的に解決することでもないと思います。

川内:同感です。繰り返しになりますが、知っていただくことが第一。前任地のイランではアフガン難民が100万人以上暮らしているのですが、30年40年経っているのに忘れ去られている状況です。なんとかしないといけないと。例えば、毎年難民映画祭を開催していますので、映画を通じて知って貰えればと思っています。

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*会場とのQ&A

― 移民と難民の違いは?

丸山:
移民は自分の意志で、難民はやむを得ず国を出た人。

川内:難民については、難民条約に定義されています。丸山さんの言われたように、何らかの危険を逃れてきた人です。

丸山:どちらもより良い生活を目指しているのには変わらないのですが、難民の置かれている状況のほうがより深刻です。

― ベトナム系中国人で日本に帰化した人から、ベトナムで弁護士をしていたけれど、日本ではできないと。ヨーロッパなどでは、元の資格が使えるのでしょうか?

丸山:使用言語が違うとできない仕事がいっぱいあると思います。例えば、医者の免許をアメリカで取っても、日本では取り直しになります。非常に難しいと思います。リトルダマスカスで会った若者たちは流ちょうな英語を話していて、シリアにいた時は、通訳などいい仕事をしていたけれど、トルコでは売店の物売りをしていると。生きていてよかったとは言ってましたが、内心どんな思いでしょうか。大工さんなど言葉がなくても出来る仕事ならば、どこに行ってもできると思います。

― 日本は厳しいですよね?


丸山:日本で起きるようなことはほかの国でも起きています。もっと厳しい国もあります。働かせないという国もあります。

川内:同じスキルを持っていても、外国では言葉の問題もあって、なかなか仕事につけないという状況はありますね。

― この作品は、2016年の難民の状況を中心に描かれています。その後、状況は激変していると思います。


川内:おっしゃっているように事態はとても流動的です。政治的、社会的な要因や、難民自身の決断もあると思います。日々追っていないと、今の時点でどういう状況かはわかりません。

丸山:レスボス島自体は、変わらずごったがえしてます。海から漂着する人たちもいます。キャラバンのような列がなくなったのかといえば、今はメキシコで起こっています。流動的過ぎて、明日には状況は変わっているかもしれない。この映画で描かれたような光景は、今も世界のどこかにあるといっていいと思います。現状を把握するのは大変で、ちゃんと答えられなくてすみません。

― 歩いて移動しているのは?

丸山:国内をずっと歩いているわけではなくて、国境付近で乗り物から降ろされて歩かされています。

川内:人の動きですが、必ずしもキャラバンのようにシステマティックではなくて、個人でブローカーを見つけて移動している人もたくさんいます。目に見える形で移動している人たちだけではないと思います。

丸山:ニュースは、目に見えるキャラバン的な列を捉えることが多いですね。むしろ個人で密入国という形を取る人も増えています。

― 難民を取り巻く状況は変わってきているのでしょうか?

川内:ドイツのメルケルさんも政権から降りるので、政策的に変わってくると思います。

丸山:変わったとすれば、難民側ではなくて、各国の対応の方ですね。

― 解決が難しいと思います。どういう状況で解決と言えるのでしょうか? 受け入れ先に定住することなのか、いつかは故国に戻れることなのか。

丸山:解決に答えはないと思います。問題だけど、答えがない。ほんとうの意味での解決は、個々人の意志が尊重されることが、あえていえば解決だと思います。この世代では出ない答えだと思っています。

川内:まさにそうだなと思います。その国に留まる、国に帰る、別の国に行く、どういうオプションを取るにしても、人間として尊厳を持って暮らせること。難民問題そのものはなかなか解決しない。

丸山:取り組み続けていく課題なのだなと思っています。

司会:最後に皆さんにお伝えしたいことを一言お願いします。

川内:まず知っていただくことが重要だと思っています。丸山さんのように個人で難民の状況を伝えてくださる方の存在は非常に貴重だと思っています。また、この映画のように映像で伝えるということには力があると思います。私どもでは、難民映画祭を来年も開催することにしています。日本に帰って思うのは、難民問題は遠いけど、関心を持っていただける方は増えていると感じています。関心を持った方が回りに伝えていただくことも大事だと思います。

丸山:今日の映画は重い映画だったと思います。困難な課題ですが、受け継いでいくには、重いだけではなく、難民の方たちは普通の人間で、冗談も通じる人たちだということ。難民キャンプに行く機会があれば、難民の方たちと触れ合っていただいて冗談の一つも言っていただくことが次世代に受け継いでいくことになると思います。

司会:今日はありがとうございました。この映画を、一人でも多くの方に観ていただければと願っております。
                     取材:景山咲子


『ヒューマン・フロー 大地漂流』 

監督・製作:アイ・ウェイウェイ
2017年/ドイツ/ビスタ/5.1ch/2時間20分/
後援:国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)、認定NPO法人 難民支援協会 
配給:キノフィルムズ/木下グループ
© 2017 Human Flow UG. All Rights Reserved.
公式サイト:http://humanflow-movie.jp/
★2019年1月12日(土)よりシアター・イメージフォーラム他にて全国順次公開







『君から目が離せない ~Eyes On You~』篠原哲雄監督インタビュー

夢を追うことの苦難とそれを克服していく逞しさを感じてほしい

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映画『君から目が離せない ~Eyes On You~』が2019年1月12日(土)~25日(金)に 2週間限定レイトショーとして公開される。
本作は篠原哲雄が監督を務め、一人の青年が役者として、男として成長していく姿を描いた。主人公の健太を演じるのは、ハイパープロジェクション演劇「ハイキュー!!」やミュージカル「忍たま乱太郎」といった舞台を中心に活動している秋沢健太朗。相手役は篠原哲雄監督の『月とキャベツ』でヒバナを演じて一躍有名になった真田麻垂美が演じている。
公開を前に、篠原哲雄監督に作品の成り立ちやキャスティングについて、話を聞いた。

<篠原哲雄監督 プロフィール>

1962年2月9日生まれ、東京都出身。
大学在学中に映画の現場を経験、卒業後、助監督として森田芳光、金子修介監督らに師事。
一方、自主映画も作り始め、『Running High』(8ミリ)が89年のぴあフィルムフェスティバルにて特別賞を受賞。
93年『草の上の仕事』(16ミリ) が神戸国際インディペンデント映画祭にてグランプリを受賞、劇場公開に至る。
初の劇場映画の長編が1996年の『月とキャベツ』。以降『はつ恋』(1999年)、『昭和歌謡大全集』(2003年)、『深呼吸の必要』(2004年)、『地下鉄に乗って』(2006年)、『スイートハート・チョコレート』(2012年)、『起終点駅 ターミナル』(2015年)などがある。
『花戦さ』(2017年)が第41回日本アカデミー賞で優秀作品賞、優秀監督賞を受賞。
2018年には『プリンシパル~恋する私はヒロインですか?~』『ばぁちゃんロード』が公開される。
最新作『影踏み』が本年公開予定。

『君から目が離せない ~Eyes On You~』
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<STORY>
劇団員の健太(秋沢健太朗)は、ヨガ講師の年上の女性、麻耶(真田麻垂美)に一目惚れする。麻耶をデートに誘うが、彼女には秘密が…。しばらくして劇団を離れていた廣畑(中村優一)がスターになって帰ってきた。役者としての夢と希望、麻耶への純粋な想いが交差する。近づけそうで近づけない恋、徐々に明かされる麻耶の過去。2人の恋の行方は? 役者として進んで行く道は?

監督: 篠原哲雄
出演:秋沢健太朗 、真田麻垂美、中村優一、田中要次、根岸季衣
音楽:山崎将義
主題歌:「Eyes On You」作詞・作曲 山崎将義 歌 山崎まさよし(EMI Records)
脚本:菅野臣太朗 岡部哲也
撮影:上野彰吾(JSC)
録音:田中靖志 日下部雅也
企画・製作・配給:アトリエパード
Ⓒ2018 アトリエレオパード
公式サイト:http://kimikara-movie.info/

★2019年1月12日(土)よりシネマート新宿にてレイトショー

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― 本作の監督を引き受けた経緯について、お聞かせいただけますか。

22年前に『月とキャベツ』という映画を撮りましたが、その作品でメイクを担当していた馮さんが今、舞台を中心に活動している秋沢健太朗くんをマネージメントしています。彼のファンのために映像作品を作りたいと頼まれて、引き受けました。

― 秋沢健太朗さんに初めて会ったときの印象はいかがでしたか。

一見、細身で繊細そうに見えました。しかし、肉体的には鍛えていて強靭。それを作品に活かしたいと思いました。性格的には威勢よく、少々調子のいいところもあるので(笑)、女性に体当たりしていく中で、それが露わになって変わっていくという様が撮れたらと思いました。

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― 冬編、夏編、秋編と1年通して撮影されているので、秋沢さんの成長が伝わってきました。

この話をいただいたとき、『プリンシパル~恋する私はヒロインですか?~』と『ばぁちゃんロード』を控えていて、映画を1本作るだけのまとまったスパンで時間を空けることが難しかったのです。しかし、短期間での撮影ならできる。そのときにヒントになったのが韓国の『ひと夏のファンタジア』という作品でした。45分くらいの短編2つによって構成されているのですが、第一話は韓国から奈良へロケハンにきた監督が不思議な夢を見る話。第二話は若い韓国人女性と奈良で知り合った日本人青年の淡いラブストーリー。第一話と第二話は違う話ですが、同じ俳優が演じています。この作品を見たときに、いくつかの短編を連作することで、何か今までと違う映画を作れる可能性があるのではないかと思ったのです。
『プリンシパル~恋する私はヒロインですか?~』を撮って、冬編を撮る。8月の『ばぁちゃんロード』の前に、3日間で夏編を撮る。11月は秋沢くんと僕が偶然、空いていて、スタッフも合わせてくれた。普通はこういう撮り方をしません。俳優の成長に合わせて作ったと言っていますが、実は計画的だったわけではなく、結果としてそうなった。秋沢くんの成長物語なので、彼の変化が追えて、かえってよかったと思っています。

― フィクションと現実が交錯していて、ドキュメンタルな感じがしました。

フィクションとドキュメンタリーの兼ね合いという意味では、秋沢くん自身がちょうど、この作品が始まったころに舞台でも主役をもらったのです。そこで、主役に上り詰めている途上であるという本人の設定を劇中に活かしました。
真田さんもかつて映画に出ていて、『心に吹く風』で女優に復帰したばかり。ヨガの先生も本当にやっています。作品では舞台という形は取っていますが、女優に復帰するという意味では同じ。真田さん本人の現実を活かしています。
リハーサルを繰り返しながら、健太と秋沢健太朗、麻耶と真田麻垂美は次第にリンクしていきました。名前が似すぎていたかもしれませんが、見た人が「これ、現実なの? フィクションなの?」と思うところが面白いのではないかと考えました。

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― 脚本は菅野臣太朗さん、岡部哲也さんのダブルクレジットです。ストーリーはお二人と相談して作られたのでしょうか。

秋沢くんが菅野さんの舞台に出ていて、元々2人は仲がよかったのです。その繋がりで、菅野さんが「映画の脚本に興味がある」と言っていたのを覚えていた馮さんが「自主制作なので脚本を書いてみませんか」と誘いました。僕と馮さんでアウトラインを作っていたころのことです。
演劇をやっている方の脚本でどうできるか。自分にとっては未知数でしたが、菅野さんが持っているコメディリリーフ的なストーリーの作り方に興味があったので、最初の本を書いてもらいました。
ところが、僕の目指すものと少し違っていました。言葉のやりとり1つ取っても、演劇と映画の差異が生じてしまったのです。映画の場合、現実にあるかのようなリアリティを求めてしまうところがあります。菅野さんの本はやりとり自体の面白さを目指していて、かなり脚色がされていました。しかし、それは映像のワンカットの中では活きません。それで修正をする必要がありました。しかも、二話目、三話目になると『月とキャベツ』の色が濃くなり、菅野さんには分からない世界が出てきてしまったのです。
とはいえ、僕は『プリンシパル~恋する私はヒロインですか?~』と『ばぁちゃんロード』が重なって、身動きが取れない。偶然、助監督の岡部くんの時間が空いていたのです。こちらの要望を伝えた上で、岡部くんのアイデアを加えてもいいよということで、映画的にまとめて直してもらいました。それで脚本は菅野さんと岡部くんのダブルクレジットになっています。

― 今のお話に岡部さんへの信頼を感じました。

岡部くんは『歯まん』(2019年3月2日(土)よりアップリンク渋谷にて公開)がゆうばり国際ファンタスティック映画祭2015「オフシアター・コンペ部門」で北海道知事賞を受賞していて、既に作り手の人です。助監督をしながら自主映画を作っているのは、『草の上の仕事』を撮っていた頃の僕と重なるものがありました。そういう意味でこの作品に関わってもらったのですが、作品を通しで演出部として関わってくれたのは彼だけでしたし、助監督としも最小限の人数でやれたのは彼のおかげだと思っています。

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― 秋沢さんの相手役を真田麻垂美さんにお願いしたのはどうしてでしょうか。

真田さんはアメリカに行き、俳優業ではないことを始めたと聞いていたので、もう女優と監督という立場で仕事をすることはないだろうと思っていました。ところが帰国して、『月とキャベツ』の後に撮った『きみのためにできること』の同窓会で顔を合わせたので、この作品のことを話したら、「ぜひ参加したい」と言ってくれたのです。
『月とキャベツ』当時の真田さんはまだ若かったので、事務所に守られている存在でした。それが20年経ち、自分のセルフイメージを自分自身でコントロールできる立ち位置になったんだなあと感じました。

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― 真田さん以外にも、キャストとして田中要次さん、スタッフとして撮影に上野彰吾さん、録音に田中靖志さんと、『月とキャベツ』のキャストやスタッフが再結集していますね。

8ミリの『ランニングハイ』や1993年の『草の上の仕事』から1998年の『きみのためにできること』までの、僕の初期の頃の作品は上野さんと組んで撮っています。今回はその頃の、ある意味、現場で起きる即興演出的な要素を大切にしていく撮り方をしたかったので、上野さんにお願いしました。プロデューサーの馮さんも『月とキャベツ』の人です。われわれが組むということならば参加しようと田中要次さんも録音の田中さんも参加してくれました。
山崎まさよしさんが音楽で関わってくれたのは大きかったですね。「麻垂美ちゃんが出るの! 馮さんがプロデューサー! じゃあやるよ」と引き受けてくれました。

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― 山崎まさよしさんは書き下ろしの主題歌「Eyes On You」を提供しています。監督はどのようなイメージで依頼されたのでしょうか。

日本映画における主題歌はどこかタイアップ的なことで使われたりする要素もあります。この作品ではそういう必要もなく、純粋に映画の内容に即した主題歌を作れるという意識が強かったのです。山崎さんもそこを理解して、音楽も主題歌から逆算して作曲してくれました。
『月とキャベツ』は音楽を通じて挫折から再生を描く映画でしたから、やりやすかったのですが、今回は映画のラッシュを見てもらってから、主人公の心理に合わせて曲を作ってもらいました。「Eyes On You」というフレーズはこちらから提案しました。

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― 監督ご自身も劇団の演出家役で出演しています。

最初は菅野さんにお願いするつもりでしたが、現場に来れないということが分かって、僕がすることになりました。最初から出演することを意図していたわけではありません。秋沢くんをどう引き立たせるかということにも関わっているので、結果として、よかったと思います。
監督という仕事は俳優を動かすこと。俳優的な要素が監督にも必要です。
橋口亮輔監督が『二十才の微熱』という作品で、袴田吉彦くんと遠藤雅くんが演じる2人のゲイの男の子を操縦する客の役で出ていました。監督が出演しながら演出するということは、他の監督ではないこと。少なくとも、僕がついた森田芳光監督や金子修介監督はご自身が出るというスタイルはされていなかった。僕は『二十才の微熱』に助監督で関わっていて、橋口監督がどういう風に俳優を導きたいのか、よくわかりました。
この経験が意識の中にずっとあったのだと思います。それで、菅野さんの代わりに僕が出て、秋沢くんがどういう風に劇団の中で主役になっていくのかを、ストーリーの中に織り込んでみました。

― 監督のセリフがアドリブのように聞こえました。

僕の役は台本にセリフが書かれていません。書かれているのは「健太が演出家に怒られる」といった流れだけ。その場に応じてセリフを言っていました。普通の芝居の作り方とはちょっと違う。エチュードをやっているような感じです。
本番の時はこうしようと決めていましたが、リハーサルでは毎回、違うことを言っていました。そうしないと飽きちゃうんですよ。他の人もリアクションが固まってしまう。どういう演出をしようか、考えながらセリフを言っていました。だから、あれは僕でないとできません。今になってみると、もう少し計画性があってもよかったかもしれないとちょっと思っています(笑)。

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― 最後に、これからこの作品をご覧になる方に向けて、ひとことお願いいたします。

俳優として一人前になろうとしている男の成長物語であると同時に、年上の女性に惹かれる恋の話でもあります。若い人たちにとって、等身大に感じられる作品だと思います。秋沢くんの姿を通して、夢を追うことの苦難とそれを克服していく逞しさを感じてもらえるとうれいいですね。
また、最近は企画ありきで監督することが多く、ここ数年、初期衝動に駆られて映画を作るということができていませんでした。自分から発想した話ではありませんが、久しぶりに制約をされずに作りました。僕のこれまでの作品を見てきた人でも、何か別の要素を見出せる可能性があります。そんな意味でも楽しんでいただけたらと思います。
(インタビュー:堀木三紀)

『ゴールデンスランバー』ノ・ドンソク監督インタビュー

「少しぐらい損して生きてみたら?」と語る主人公はカン・ドンウォンそのもの

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カン・ドンウォン主演『ゴールデンスランバー』が2019年1月12日(土)に公開される。原作は伊坂幸太郎の同名小説。強大な国家の陰謀に巻き込まれた宅配ドライバーの大逃走劇を描き、第21回 山本周五郎賞、第5回 本屋大賞を受賞したベストセラーである。2010年には中村義洋監督が堺雅人主演で映画化した。
本作は舞台をソウルにし、観光名所として知られる光化門広場で韓国映画初となるロケを敢行。迫力あるアクションシーンなどオリジナルのアイデアが盛り込まれている。韓国版ならではの作品に仕上げたノ・ドンソク監督に作品に対する思いを聞いた。

<ノ・ドンソク監督プロフィール>
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1973年生まれ。韓国映画芸術アカデミー在学中に製作した短編映画が海外の映画祭で上映され、高く評価される。長編監督デビュー作「My Generation(英題)」で夢を追う青春像をリアルに描き、第6回釜山映画評論家協会賞 特別賞を獲得。明日への希望もなく暮らす二人の青年が予期せぬ事件に巻き込まれる「俺たちの明日」でも第60回ロカルノ国際映画祭 審査員特別賞を受賞した。
初めて商業映画として取り組んだ本作では、緊迫感と共に温もりのある演出をし、賞賛を伴う大きな注目を集めた。

『ゴールデンスランバー』原題:골든슬럼버 英題:GOLDEN SLUMBER

<STORY>
人気アイドル歌手を強盗から救い出し、国民的ヒーローになった優しく誠実な宅配ドライバーのゴヌ(カン・ドンウォン)。ある日、久しく会っていなかった友人ムヨル (ユン・ゲサン)から突然連絡が来る。再会の喜びも束の間、目の前で次期大統領候補者が爆弾テロにより暗殺されてしまう。動揺するゴヌに向かってムヨルは「お前を暗殺犯に仕立てるのが“組織”の狙いだ。誰も信じるな、生きろ!」と警告して自爆。
大統領直属の機関である国家情報院はゴヌを暗殺犯と断定し、マスメディアが一斉に報道。大規模な包囲網が敷かれる。身に覚えのない罪を着せられたゴヌだったが、やがて事件の裏に国家権力が潜んでいることを知る。無数の警察に追われる無実の男は、巨大な陰謀にどう立ち向かうのか―?

監督:ノ・ドンソク
原作:伊坂幸太郎『ゴールデンスランバー』(新潮文庫刊)
出演:カン・ドンウォン、キム・ウィソン、キム・ソンギュン、キム・デミョン、ハン・ヒョジュ、ユン・ゲサン
配給:ハーク
2018年/韓国/韓国語/108分/スコープサイズ
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★2019年1月12日よりシネマート新宿ほか全国で順次公開

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― 監督をお引き受けになった経緯をお聞かせください。

原作を読んで感銘を受けた俳優のカン・ドンウォンさんが映画制作会社に企画を持ち込み、話がスタートしました。私はある程度、シナリオができあがった段階でオファーをいただき、監督と脚本を引き受けたのです。
平凡な小市民が巨大な陰謀に巻き込まれるというストーリーに魅力を感じました。しかも、それを友人たちの力によって解決し、陰謀から逃れていくというのは新鮮で、ぜひ映画にしたいと思いました。

― 初めての商業映画でしたが、これまでの作品と取り組む上で気負いや意識の違いはありましたか。

これまでインディペンデント映画を2本撮っています。映画を作るという意味においては大きな違いはなかったのですが、商業映画はインディペンデント映画に比べて、遥かに多くのスタッフと資本が投入されます。 準備により多くの時間をかけました。また、大規模なアクションシーンは私にとって初めての経験で緊張しました。

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― 本作は原作の再映画化でしょうか、それとも日本版映画のリメイクでしょうか。

ベースとなる部分は原作を中心に作りました。ただ、原作では過去と未来が混ざるような形で構成されていますが、本作は日本版と同じように主人公の登場を前に持ってきました。そうすることによって、観客が主人公の感情に寄り添い、感情移入しやすいのではないかと思ったのです。

― きっかけとなる爆破事件ですが、原作ではドローンを使って、上から爆弾を仕掛けましたが、本作ではラジコンカーを使っています。

それは直前まで悩んでいました。ドローンを使った作品は前例がたくさんあります。ラジコンカーを使うのは斬新に映るのではないかと思って変更したのです。


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― 冒頭の爆発シーンは都心部での撮影で、ご苦労も多かったと思います。

光化門で撮影が許された時間は4時間。爆破の規模は事前に何度もテストをしていましたが、都心のど真ん中で爆発をさせるのは違う。リテイクは許されません。限られた時間の中で撮るのは大変です。リスクもあり、かなりの緊張感をともないました。

― 日本版と比較して、アクションシーンがふんだんに盛り込まれ、学生時代の仲間との絆もしっかり描かれているように思いました。

ミステリーが持つ緊張感を維持させつつ、友情が紡ぐドラマをしっかり描いていく。この2つ軸のバランスを保つというのが脚本を書く上での課題でした。

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― 主人公たちがバンドで歌っていた曲にノスタルジーを感じました

46歳の若さで亡くなった韓国の天才ミュージシャン、シン・へチョルさんの曲です。この方は不慮の事故で亡くなったのですが、バンドもしていました。韓国の人々は彼の死をとても残念に思っています。
シン・へチョルさんの音楽は韓国の人にとって、いろいろな思い出がある。1人になってしまった友人に対する思いと重なるので、郷愁を呼び起こすのではないかと思って使いました。

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― 「少しぐらい損して生きてみたら?」というゴヌの言葉が印象に残りました。

そのセリフがゴヌを表しています。
少し損をして生きる。これは私たちが生きている速度感とは少し違う生き方かもしれません。しかし、「いい人でいることは罪なのか」、「ゴヌのような人物がこのような状況に置かれたとき、あなただったらその人を助けますか」と観客に問いかけたかったのです。

― ラストがオリジナルですね。

もしこれが映画ではなく、現実に起こっていたのであれば、主人公は地下下水道を抜け出すことができず、死んでしまったかもしれません。でも、観客にはハッピーエンドとして、この物語を届けたい。そう思って、このようなラストを選択しました。

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― 主演のカン・ドンウォンさんはどんな方でしたか。

韓国でカン・ドンウォンといえば大スターです。しかし、実際に会ってみると、人が良くて素朴。当たり前の日常の生活を知っています。外見が放つ華やかなオーラで隠されていますが、内面的にはゴヌに似ている部分があると思いました。ゴヌというキャラクターをよく理解してくれていたので、私が演出することはほとんどなく、撮影はスムーズに進みました。

― 国家情報院の元工作員ミン役のキム・ウィソンさんはアクションスクールに2カ月通ったとのことですが、迫力あるアクションは見応えたっぷりでした。

私からキムさんに「アクションにチャレンジしてみませんか」と強く勧めたのです。気楽にアクションできる年齢ではありませんが、キムさんはとても熱心に取り組んでいました。新しいチャレンジへの情熱と努力がそのまま画面に映し出されたと思います。

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― 今後はどんな作品を撮っていく予定でしょうか。

特定のテーマは考えていません。今の韓国を生きている人間として、同時代を生きる人たちの考えていること、悩んでいることを共に考え、共感できるストーリーを伝えたい。観客に寄り添える作品を作っていきたいと思っています。

(取材・写真:堀木三紀)


『世界一と言われた映画館』佐藤広一監督インタビュー

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1月5日(土)からの公開を前に、佐藤広一監督にお時間をいただきました。2018年12月19日 アルゴピクチャーズにて

=佐藤広一監督プロフィール=
1977年山形県天童市で生まれ育つ。にいがた映画塾第3期生。高校生のころからホームビデオで自主制作を開始。東京ビデオフェスティバル、山形国際ムービーフェスティバルで受賞。スカラシップを得て製作した『隠し砦の鉄平君』(2006年)は劇場公開された。その後DVDドラマ「まちのひかり」(特定非営利活動法人 エール・フォーユー)を監督。
『無音の叫び声』(2015/原村政樹監督)、『おだやかな革命』(2017/渡辺智史監督)『YUKIGUNI』(2018/渡辺智史監督)などのドキュメンタリー作品の撮影を担当。本作は山形国際ドキュメンタリー映画祭2017で上映後、2018年4月から山形各地で公開された。

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『世界一と言われた映画館』
監督・構成・撮影:佐藤広一

「西の堺、東の酒田」と称された商人の町・山形県酒田市に、かつて映画評論家・淀川長治氏が「世界一の映画館」と評した“グリーン・ハウス”があった。1950年、老舗の酒蔵の一人息子佐藤久一(1930~1997)が、父久吉の経営していた映画館を弱冠20歳で引き継ぎ、映画愛と資金を注いで作り上げた夢の映画館。回転扉から入るとホテルのような豪華なロビーで支配人が迎え、喫茶室からは極上のコーヒーの香りがする。ベルの代わりに「ムーンライト・セレナーデ」のメロディが開幕を告げる。上映される作品も設備も雰囲気も東京にひけをとらない酒田っ子の自慢の映画館だった。
1976年10月29日、酒田大火の火元となってしまったグリーン・ハウス。おりからの強風に煽られ、火は瞬く間に風下へと拡がり街は焼け野原となった。それから40年余りが経ち、グリーン・ハウスで青春のひとときを過ごした人々がそれぞれの思いを語った。

©認定NPO法人 山形国際ドキュメンタリー映画祭
http://sekaiichi-eigakan.com/
2019年1月5日(土)より有楽町スバル座ほかにて全国順次公開


-佐藤監督が撮影を担当された原村政樹監督の『無音の叫び声』(2015)をスタッフが取材したことがあります。佐藤監督自身の監督作を観るのはこの作品が初めてです。はじめましてということで、映画に関わるまでの経緯をお聞かせください。

映画学校ではなくて「にいがた映画塾」(1998年発足の市民団体)というところに週末だけ通っていました。このときは手塚治虫さんの息子の手塚眞監督が新潟で『白痴』(1999年公開)という映画を撮るというので、ボランティアスタッフとして照明部にもぐりこんだんです。その二つがあったので、3~4ヶ月くらい新潟に住みました。

-映画の勉強をしながら、すぐプロの現場に入られたんですね。最初の印象はいかがでした?

新潟県庁横の空き地に、昭和の建物と空襲に遭った焼け野原の二つのセットを組んでいたんです。それが相当すさまじくて、初めて見たときは衝撃でした。ほとんどそこでの撮影でしたが、プロの現場ってこんなにすごいんだと思いました。
そのときの照明のチーフが安河内央之(やすこうち ひろゆき)さんという方でした。竹中直人監督の作品に関わっていたりする有名なベテランの方です。私たちはボランティアということで、いろいろ優しく教えてもらえました。現場は、大人の人たちがぼそぼそっと話している静かな印象でしたね。
セットのスケールがべらぼうに大きかったので照明器具がたくさんありました。街の一角に照明をあてているような感じなんです。相当すごい機材をいきなり見せてもらいました。この天井くらいのフィルターが上にばーんとかかってて、ほとんど工事現場みたいでした。

-そこの撮影にはどれくらいいらしたんですか?ボランティアでも住むのと食べるのにかかりますよね。

5月から3ヶ月以上いた記憶があります。ボランティアはまったく無給なので、映画塾の人に相談したら、古い一軒家を紹介してくれて、2人・月1万円で貸してもらえました。そこは『阿賀に生きる』(1992)の佐藤真監督のスタッフたちが待機所としていた家で、暗室があったり、押入れにフィルムがたくさん入っていたりしました。
小林茂さんというカメラマン、今は監督もしていますが、その方もよく出入りしていたようです。

-いい環境ですね。映画塾に行き、ロケ現場に行き、帰宅したら映画の空気いっぱいの家!

そうですねえ(笑)。映画漬けの夏を過ごしました。

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-照明から撮影に移ってきたのは?

元々撮影がしたかったんですけど、入れるのが人手の要る照明だったんです。高校生のころからビデオカメラでの自主制作をやっていました。新潟に行く前に日本ビクターが主催した東京ビデオフェスティバルに応募して、第3位にあたるゴールド賞をもらったことがあります。それでちょっと調子に乗ってました(笑)。

-それはもちろん調子に乗っちゃいますよ(笑)。モチベーションが上がったでしょう。

認められたってことで、上がりましたね(笑)。その後も自主制作を続けて、2件くらい就職して。24~28歳の4年間は山形県映画センターというところに勤めて映写技師として回っていました。でもやっぱり自分で撮るほうが面白い。そのころ山形国際ムービーフェスティバルというのができまして、たぶん山形の作品が1つくらい入選するだろうと思って応募しました。

-読んだわけですね(笑)。

はい、読んで(笑)。まんまと4本のうちの1本に入選しました。それでスカラシップの200万円をいただいて、作った映画が『隠し砦の鉄平君』。体育館の用具室に住んでボクシングに打ち込んでいる少年と秀才がたまたま出会う青春物です。「体育館に幽霊がいる」という噂が流れて、最終的にばれて追い出されるんですけど(笑)。

-『おれは鉄兵』と『あしたのジョー』(笑)? 200万でできたんですか?『カメ止め』の300万より少ないですね(笑)。

ええ、ムリヤリ(笑)。77分の作品になりました。
今でもどこかのレンタルであるかもしれません。

-探してみます。あ、先に進まないと時間がなくなってしまいますね。ではその後はずっと山形で?

はい、先ほどの原村監督の映画に声かけていただいたりとか、山形で撮影したいという映画のカメラマンをやったりしました。

-酒田大火は1976年だから、監督が生まれる前ですよね。グリーン・ハウスのことを耳にしたのはいつ頃でしたか?

生まれたのが大火の翌年です。山形の映画関係者はよくグリーン・ハウスの話をしていたので、知らないまでも聞いてはいたんです。すごい映画館があって、しかも火事の火元になってしまったと。みんな昨日のことのように話すので、最近のことかとずっと思ってたくらいです。

-昨日のことみたいに話すということは、どの人にも印象がとても深かったんですね。
監督がこの映画に関わることになったのは?


昨年の山形国際ドキュメンタリー映画祭での「やまがたと映画」という企画で声をかけられたんです。普通は募集をかけるんですけど、山形美術館で上映する証言映像を20分くらいで作ってみないかということでした。いよいよグリーン・ハウスの映画を撮れるんだ!と喜んだんですが、時間がなくてちょっと慌てました。

-白羽の矢が立ったんですね!

いやぁ、こいつならなんとか間に合わせて撮れると思われたんだと(笑)、わりと早撮りなので。声かけられたのが、6月末だったんですよ。それで、7、8、9月、10月頭には上映ですから3ヶ月です。自分でも「よくやれたな」と思います。撮影している段階で、もうこれは20分で収まらないと気づいたんです。しっかり取材して「長くしますよ」とプロデューサーに言って、最終的に67分になりました。

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若き日の佐藤久一氏

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文庫本:映画公開中に劇場で販売予定。
公式オンラインショップでも発売中。
-グリーン・ハウスの支配人の佐藤久一(さとうきゅういち)さんを詳しく紹介した本「世界一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田につくった男はなぜ忘れ去られたのか」(岡田芳郎著/講談社文庫)を読みました。この佐藤久一さんがとても面白い、魅力的な人でした。
 
そうなんですよ。すごく魅力的な人です。この映画は一応映画館をテーマにしたんですが、映画館の話を聞いているとみんな途中からだんだん佐藤久一さんの物語になっちゃうんです(笑)。そうすると、フランス料理のほうにも行ってしまうので、そこはほどほどにして、あくまでグリーン・ハウスという映画館にスポットを当てました。著者の岡田芳郎先生には製作中からずっと全面的に協力していただきました。作品中の古い写真もお借りしたものです。

-佐藤さんのお話もまとめるのが難しそうと思ったんですが、グリーン・ハウスが無くなってしまっているので、どうしても思い出話ばかりになりますよね。映画としてメリハリをつけるのに、ご苦労はなかったですか?

酒田大火の部分から始めているんですが、映画館のいいところだけじゃなくて複雑な事情のある建物だったという、そのへんのことも知ってもらってからという構成にはしています。

-運悪く強風下で燃え拡がって、沢山の被災者が出てしまったので、大火のことに触れたくない方もいらっしゃるでしょうね。

ええ、最初の段階で断られた方もいます。ただ、取材を始めるときはもっと湿っぽい話になるかな、恨みつらみも出るのかなと思っていたんですが、全然そんなことはなくて。みなさん当時の思い出を楽しげに語ってくださいました。基本的に映画が好きなんですよね。

-それだけあのグリーン・ハウスが愛されたんでしょうね。東京に負けていない、自慢の映画館ですし。

やっぱり当時の誇りだったと思うんです。それが大火で街が一夜にして焼け野原というとんでもないことになってしまって。聞くと「その日はおかしな気候だった。異常に風が強くて何か起こりそうだった」と。後でいろんなことが出てくるんですけど、都市伝説的な話とかね(笑)。
グリーン・ハウスが発行していた「グリーンイヤーズ」っていう冊子の最終号(火事が起こる前の号)が1029号で、10月29日火事が起こった日と数字が同じ。妙な符合もありました(笑)。

-うわー!(笑) 「そういえば・・・」という後付けかもしれないですけど、数字の合致は驚きますね。67分と長くなったとはいえ、たくさん撮られた中で、どうしても切らなくてはいけないところが出てくると思いますが。

長くすればいくらでも長くできるんですが、それをやっちゃうと観客が疲れてしまうので編集しました。どうしても話が重複してしまいますから、流れの中で少しずつ明かしていくようにしたり。

-私たちが原稿を編集するのと同じですね。入れたかったんだけど切って惜しかった、というシーンはありますか?

あります。グリーン・ハウスの跡地のところで、仲川先生のインタビューを撮っているところに、井山さん(久一さんの旧友。「ケルン」の現役バーテンダー、井山計一さん92歳)が自転車で近づいてきていきなりキーッと止まって「この辺はあれなんだよねぇ、火事になったんだけどさぁ、別に久(きゅう)ちゃん悪くないんだよねぇ」と言ったところですね。使いたいなと迷ったんですが、入れませんでした。

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一晩でかけ換えられたという看板。いい職人さんがいたそうです。

-2月に急逝なさった大杉漣さんがこのナレーションをなさっているのも特筆したいです。よく大杉さんを入れてくださいました。

ほんとにタイミングが凄すぎたというか。失われた映画館と亡くなられた大杉さんがダブって見えてしまいます。荒井幸博さんという東北で活動しているシネマ・パーソナリティがいらっしゃるんですが、荒井さんが昔からの知り合いでお願いしてくださったんです。山形放送の酒田大火のラジオ番組に大杉さんが出演されたり(ラジオドラマでナレーターと佐藤久一さん役)、私も映画塾の後に大杉さんとは現場で面識があったりでお願いしやすかったのもありました。

-大杉漣さんは映画好きな感じでお願いしたらやってくれそうです。

確信がありました(笑)。すぐ引き受けてくださいました。グリーンイヤーズの300回記念の特別号に佐藤久一さんが寄せてくれた文章があるんです。これは大杉さんに読んでもらうしかないと思って、お願いしました。「この映画には 生きた言葉が ありました!!」と色紙も書いてもらって。「何か一言書いてください」と渡したら「え、今?」と言いながら書いてくださった。
(宣伝さんが復刻版のグリーンイヤーズを取り出す)

-この会報いいですね。みなさん大事に残していてくれたからこそ、昔のことがわかるんですよね。映画と一緒に思い出もつまっているという感じがしました。懐かしい映画ばかりです。

私もこの映画を作ってから、古い作品を遡って観ています。

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復刻した会報「グリーンイヤーズ」を上映館で展示の予定です。

-監督が思うグリーン・ハウスの良さはどこでしょう?

まずゴージャスさと同時に、人をもてなす精神が凄まじいところですね。かゆいところに手が届くようなサービスを心がけていたんだろうなと。それって今の経済原理に照らし合わせると相反するところです。昔はそれができた時代だったのかもしれないです。
今は映画館も合理化で、スタッフも少なくなって最小の人数で運営していくようになっています。今はいろんな事情があって難しいのかもしれないですけど。当時できたんですね。その時代と佐藤久一さんという人物がうまく組み合わさった、その結晶がグリーン・ハウスだと思いますね。

-みなさんの話を聞いていると、当時グリーン・ハウスに行けた人はラッキーだったと羨ましいです。

いやー、ラッキーです。これはラッキーですよ。ほんとに行ってみたいですよ~。

-これから映画をご覧になるみなさんへひとことどうぞ。

グリーン・ハウスをご存じない方々が多いと思いますし、タイトルに「世界一」とはついていますが、自分が昔行ったそれぞれの世界一の映画館に思いを馳せながら、「ぜひ劇場で」観ていただけると嬉しいです。

-ありがとうございました。

=インタビューを終えて=
酒田大火は、その焼失面積の大きかったこと、多くの被災者が出たことから記憶に残っています。火元のグリーン・ハウスは再建されることはなく、話題にすることもためらわれる時代もあったようです。しかし、映画ファン憧れの映画館であったことは、登場する方々の懐かしそうな表情や、会報を大切に保存されているようすからわかります。
グリーン・ハウスの詳細を知るにつけ、若き支配人の久一さんはなんと先見の明があったことかと驚きます。今のシネコンにあるドリンク、グッズ販売、プレミアム席や個室などを昭和30年代に実現させています。
地方都市のため、固定客をつかみ再訪する魅力を備えた劇場にすること、特に女性客を増やすための工夫。常にお客が何を欲しているかに心を砕き、どこよりも先取りしていました。上映作品へのこだわり、東京と同時のロードショーなど枚挙に暇がありません。のちに映画館を離れてフランス料理のほうへ行かれますが、そのあたりは佐藤監督に続編を期待します。お待ちしていますよー。
高校生のころから自主映画を作ってこられた佐藤監督、子どものころの思い出の映画は天童劇場で観た『孔雀王』(1988年/日本・香港合作/三上博史、ユン・ピョウ主演)だそうです。うわ、懐かしい!
今年のベスト5、ベスト10映画を伺いたかったのですが、時間切れとなりました。またの機会に。
(取材・監督写真 白石映子)


*「世界一の映画館」大募集キャンペーン
あなたの心に残っている特別な映画館、そして其処での思い出を教えて下さい!
「#世界一の映画館」というハッシュタグをつけて投稿していただいた方から、抽選でグリーン・ハウスで無料配布されていた上映プログラムを再現した【復刻版グリーンイヤーズ】をプレゼントします。
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*作品に登場する佐藤久一さんの旧友、井山計一さんはカクテル「雪国」を創作したバーテンダーで、別作品のドキュメンタリー『YUKIGUNI』(渡辺智史監督)では主人公です。撮影を担当した佐藤監督、同じ時期に撮られたそうで、「あちらは2年半かけて、こちらはほぼ2ヵ月半(笑)」。数日早く1月2日からポレポレ東中野で公開です。