『蹴る』中村和彦監督インタビュー

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中村和彦監督プロフィール
映画監督。福岡県出身。早稲田大学第一文学部在学中に助監督を経験、そのまま映画の路に進み大学を中退。2002年に『棒-Bastoni-』で劇場用映画監督デビュー。その後サッカー日本代表のオフィシャルドキュメンタリーDVD『日本代表激闘録』シリーズ(2004~2017)のディレクターを担当しつつ、2007年に監督第2作目、知的障がい者サッカーのワールドカップを描いた『プライドin ブルー』(文化庁映画賞優秀賞受賞)を発表。2010年にはろう者サッカー女子日本代表を描いた『アイ・コンタクト』(第27回山路ふみ子映画福祉賞受賞)を公開。
本作『蹴る』が障害者サッカードキュメンタリー3作目となる。(クラウドファンディング 監督紹介より)

公式HP https://keru.pictures
★2019年3月23日(土)ポレポレ東中野にて公開
(C)「蹴る」製作委員会
『蹴る』作品紹介はこちら

*電動車椅子サッカー*
電動車椅子の前にフットガードを取り付けて行うサッカーです。自立した歩行ができないなど比較的重度の障害を持った選手が多く、ジョイスティック型のコントローラーを手や顎などで操りプレーします。性別による区分はなく、 男女混合のチームで行います。国際的な呼称は「Powerchair Football」となっており、スピードは時速10km以下と定められています。直径約32.5cmのボールを使用、繊細な操作で繰り広げられるパスやドリブル、回転シュートなど華麗かつ迫力あるプレーが魅力です。(電動車椅子サッカー協会HPより)
http://www.web-jpfa.jp/football/


-監督はサッカーの映画を続けて撮られていますが、サッカー少年でしたか?

子どものときはサッカーも野球も好きでした。中学でサッカー部か野球部か迷ったんですけど、兄がサッカー部だったもので、同じのをやりたくないと中高とも野球部にしました。でもサッカーに未練がずっとありました(笑)。Jリーグができたじゃないですか、それでサッカー好きがずっと続いています。
サッカーをやってきたと思われるんですが、理屈は詳しいけれどサッカー部の人に比べたら全然です。

-障がい者のサッカーを撮るようになったのは?

映画の仕事はずっとやってきていて、映画を作りたい+サッカーが好きという流れがドッキングしたんです。この作品の前にサッカー日本代表の「サムライ・ブルー」のオフィシャルDVDを作る機会がありまして、このときに撮り方などを学びました。それまでになかった障がい者のサッカーの映画が作れるんじゃないかと、まず知的障がい者のサッカー『プライドinブルー』(2007年)を、それからろう者のサッカー『アイ・コンタクト』(2010年)を作りました。

-その「アイ・コンタクト」(岩波書店)を読みました。女性(選手)たちが個性的で強くて可愛かったです。
*「デフリンピック」=聴覚障害者のために開催される4年に一度のオリンピック=の女性選手たちを取材して書かれた本です。

はい、自分で書いています。女子の日本代表があるのが、ろう者女子サッカーだけだったんです。『アイ・コンタクト』で「もう一つのなでしこジャパン」を描いて、『蹴る』でさらに「もう一人のなでしこジャパン」を描いたという流れです。

-この作品の中には、ブラインドサッカー(視覚障がい者のサッカー)日本代表選手がちょっと出てきますね。次にそちらにいくのかなと先読みしてしまいました。

いや、ブラインドサッカーは十分注目されているんで、そちらはもういいかなと(笑)。誰もいってないところにいきたい。ドキュメンタリー映画ってそういうものかなと思いますし。
今は少し状況が変わりまして、電動車椅子サッカーも誰もいってないってほどではなくなりました。

-電動車椅子サッカーは、横浜クラッカーズの永岡真理さんに注目されたときからの取材ですね。最初の映像はいつのもので、それは使われているんですか?

撮りたいと思ったのが2011年の7月で、お願いして撮影を始めたのが8月中旬からです。
最初の映像は使ってないんじゃないかな。作品の中で一番古い映像は、2011年の秋、大阪で開催された日本選手権大会で優勝したときの映像です。一番新しいのが“ドクターがレントゲン写真を見せている”シーンで2018年の1月末、最後に撮影したものです。

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永岡真理さん

-試合が激しいのと、転倒した場面に驚きました。カーブしてバランスが崩れるんでしょうか?

あれは2012年の第4回パワーチェアーフットボールブロック選抜大会です。自分でも撮っていてびっくりしました。
カーブでバランスが崩れるのではなく、床が滑る滑らないということだったり、重心が高い位置にある車椅子だったり、いろんな要素がからんで転倒に結びつきます。
床が滑ると競り合っても問題ないのですが、床面のグリップ力が高く滑らないと転倒することがあります。湿度の関係もあって乾燥する冬には起きないようです。今は車椅子も改良されていますし、交通事故のようにめったに起きないものなんです。びっくりしますよね。
最初は編集どうしようか、全くわからなかったんです。あそこから始めて最後をワールドカップで終わらせようとそれだけは決めていて。

-永岡真理さんは、小さい頃の画像よりだんだん支えが多くなってきているように見えますが、病状が進むのですか?

ああ、それもよく誤解を受けているんですけど、SMA(脊髄性筋萎縮症)と筋ジストロフィーはかなり違うんです。どちらも遺伝で先天性ですがSMAは神経の方の病気で、筋ジストロフィーは筋肉の病気。SMAは以前病名に進行性という言葉がついていたようですが、現在はとれています。永岡さんはSMAで、生まれてから一度も歩いたことがありません。東武範さんは筋ジストロフィーで、子供のころは歩けていて小学生から車椅子になり、十代後半から電動車椅子を使っています。
海外では矯正手術をして背骨をまっすぐにしている人がいます。日本ではあまり手術する人はいなくて、背骨が曲がったままの人が多いです。

-外国チームの症状が軽いような感じがしたのは、そういう手術をしているからなんですね。

実際わりと重い人が少ないんですけど、不自然なくらいに姿勢がいい人は手術していると、わかる人にはなんとなくわかる。

-監督が”手話”を覚えたり”介護”の勉強をされたりした、ということにすごい!と感心しました。勉強家ですね。

勉強家というか、ほかにやる手段を知らなかった。ちゃんと正確にインプットしておかないと、ちゃんとしたものができないと。介護の資格に関しては実益もかねていました。身体の構造とかもちゃんと知っておきたかったし。直接選手の介護をしたわけではないですけど、同じような症状の人の介護をすることで、筋ジストロフィーの人、脳性まひの人のことが理解できたりもしました。

-知識や意識があるからこそ、距離が縮まったということもありますよね。これがただの第三者としての撮影だったら違ってくるんじゃないでしょうか?

やっぱり普通なら撮れないところを、「撮っていいですよ」といってもらえた場面はけっこうありました。

-選手の方々の試合のシーンにはとても驚きましたし、感動しました。家での生活も紹介していて「サッカー」をきっかけに、知らない世界を見ることができるというのが、すごくいいなあと思いました。

そうですね。サッカーが入り口になっているので、見やすい、入りやすいということもあると思います。

-家族やガールフレンドや恋人、支える人たちがたくさん登場しているのも、ぐっと胸に響きました。ここに出てくる方々は、病状は深刻でも周りに恵まれていますね。

周りのサポートがあるからこそできることで、なかったらできません。それはもう本人たちも充分よくわかっています。
最初は周囲の人たちをあんまり撮ろうとは思っていなかったんですけど、どうしても彼ら一人だけではできないことですし。
はじめ「自立」っていう言葉(の意味)がよくわからなかったんです。彼らのいう「自立」は、家族の手を離れて家族以外の人たちに介助を受けてやっていくことなんです。
家族だけが介助するというのは限界がある、家族以外の人から介助を受けることが福祉の基本原則、そこがなかなか理解されていない。「家族がやればいいじゃないか」という意識を突破していかなきゃと。映画から離れてしまうんですけど、みんながそう思うこと、それが重要なポイントだと思います。

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-監督は初めて障がい者の人たちに会われたときに、構えたり、緊張したりしませんでしたか?体験がなくてどう接していいかわからない人が多いと思うんです。

緊張しましたよ。緊張したっていうか、オロオロしました(笑)。目線が合わなくて、どうしていいかわからない。

-やっぱりそうなんですね。今はいかがですか?

もう障がいあるというのも忘れちゃっています。特にサッカーの話をしていると「お前、これだから駄目なんだよー」と(笑)。こないだも「お前たちが主軸にならなきゃ」とか酔っ払ってからんだりしていました(笑)。

-監督もどっちかというと理論派で、コーチになれるんじゃないですか?

屁理屈派です。コーチはいいや、です。屁理屈派っていうのはあんまりいいとは思っていないので(笑)。

-6年間追い続けて、素材は何時間分あったんでしょう?

よく聞かれるんですが、あまりにも膨大ではっきり判らないんです。前作の3~4倍撮っている気がするので、だいたい1000時間くらいというアバウトな返事で。

-そんなにたくさんで、どんな映像があるか、覚えているものですか?

覚えているのとそうでないのがあります。覚えていて探して見ると、自分の記憶が膨れ上がっていてそれほどでもなかったりとか(笑)、逆に全然気にしていなかったのを見たら、これはいい!とかいうことがあったり(笑)。

-何月何日どのシーンを撮ったとメモされるんでしょうか?

メモだけですね。あと記憶とですね。だいたい塊りでこの辺のはこれ、と。
最初はテープで撮っていて、後でカード。ハードディスクに取り込んで保存するんですが、20テラで足りなくて結局40テラに。(1テラ=100ギガ)取り出すのはいいんですけど、読み込むのが大変。読み込めなかった分は、別の人にゴールシーンだけ探してもらったりしました。自分だけではとても無理で、妻にも見てもらったんですが、それは殆ど使わなかった。

-せっかくの内助の功を。編集は基本的に監督お一人なんですね。どのくらい時間がかかったのでしょう?

夏くらいから始めて6~8ヶ月くらいです。とにかく完成させないといけなかった。文化庁の助成金を申請していたので、絶対に完成させないと助成金がもらえないんです。だから締め切りがなかったら、あと半年とかかかっていたんじゃないかな。

-いくらでも手をかけたくなると、監督さんよくおっしゃいます。無事に間に合って助成金をいただけておめでとうございます。

ありがとうございます(笑)。

-これがDVDになったときに、映画本編に入れられなかった特別映像が入る、ということは?きっとたくさんあるでしょうね。

それは・・・その編集をすること自体がまた大変(笑)・・・永岡さんのチーム、横浜クラッカーズのゴールシーンとか使おうと思ってたのができなかったので、そのシーンは可能性があるかもしれません。
東くんと吉沢くんの寝返り介助のシーンを撮ったんですよ。寝袋を持っていって、夜中の介助のために横で待機していました。それを絶対使うつもりだったんですが、結果として流れの中にうまくはめられなくて使わなかったんです。

-国際試合でのクラス分けが二つしかないのが不思議でした。

映画の中でも東選手がもう少し分けたほうがいいんじゃないかと言っています。だんだんそうなっていくかもしれないですね。障がいの程度が大分違うので、将来的には変わって行く可能性はあると思います。
ただ東くんは想定外の存在なのだと思います。あれはドクターの力がなかったらありえないです。呼吸器はつけたほうが安定するので、安全なんですよ。でも外国の選手で呼吸器つけて出ていた選手は一人だけで、それもあんまり試合に出ていません。

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東武範さん

-東さん凄い人なんですね。飛行機に乗れない方もいましたね。とっても理論派で。

あの飯島さんは、飛行機に乗れないだけで、国内の電車の移動は大丈夫です。日本一の選手だと思いますよ。
東くんも理論派なんです。真理さんはそうじゃない。

-永岡真理さんは「日本代表になる人ってみんな多分命がけでやってるんですよ」と言っていました。本当に熱くて強い人ですね。

強い女性なんですけど、うまくいかずずいぶん落ち込んだ時期もありました。

-選手の方が8人、選出にもれた方が3人で主要な方々は11人。サッカーのイレブンですね。

あ、たまたま(笑)。二人目の女子選手の内橋翠さんとか、あまり描ききれなかった方々がいます。

-映画は完成しましたが、今後もう撮影はされないんですか?

撮るのは無しで、試合があれば行ってカメラでなく肉眼で見ています。

-障がいがあっても、呼吸器つけながらでもサッカーをやりたいという、あの意気込み、力はどこから出てくるんでしょう?

生き甲斐という生易しいことより、「生きることそのもの」なんだと思います。周りのサポートがあって、ドクターがいてこそできることですが。

-あの方々が今どうしているか、消息を教えていただければ嬉しいです。観た方は気になると思うので。

引退したのが竹田さん、チームのコーチをしています。ヨッシーと呼ばれていた吉沢くんも選手を引退して、小学校に行ったりして普及活動をやっています。有田くんは映画にあるように、「ボッチャ」に行きました。パラリンピックの中で一番重い障がいのある人がやっているのがボッチャなんです。あと他の選手は今も続けています。
(*日本ボッチャ協会 http://japan-boccia.net/how_to_boccia.html

-監督の次のご予定は?

あるんですけれど、今はこの作品を軌道に乗せることです。みなさんの応援をよろしくお願いいたします。
とにかくこのポレポレ東中野に来て観ていただかないと。

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日本代表選手団(2017年7月 アメリカワールドカップ会場)


-映画の道に進むのにきっかけになった映画がありますか?

直接的には『竜二』(1983年/川島透監督)というやくざ映画です。金子正次さんが脚本・主演をやっていて、この1本だけですぐ亡くなってしまったんです。小さい映画なんですけど、細かい日常や喜怒哀楽の感情を描いていて、映画っていろんなこともできるんだな、と思いました。だから最初はフィクションのほうでドキュメンタリーは考えもしなかったんです。大学時代にいろいろやっていたことの延長線上はドキュメンタリーをやったほうが自然だったかもしれないんですけど。直接ではなく間接的にきっかけになった映画はいっぱいあります。

-目標にした監督さんはどなたですか?

一番尊敬しているのは成瀬巳喜男監督です。一番好きなのも間違いなく成瀬監督。海外ではロベール・ブレッソン監督。一番好きな映画は『ベティ・ブルー 愛と激情の日々』(1986/ジャン=ジャック・ベネックス監督)。

-だんだん近づいていくところですか?

女性をきちんと描きたいというのは常にあります。名前をあげた人に共通しているのは「女性をきちんと撮れる」こと。「綺麗に」「魅力的に」撮れるっていうのが好きなので、自分の中では繋がっているんですよ。

-『蹴る』の永岡真理さんはとっても魅力的でした。今日はどうもありがとうございました。

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北沢洋平さん、永岡真理さん

◆インタビューを終えて
この映画で出会わなかったら、電動車椅子サッカーを知らないままでした。永岡さん、東さんはじめ選手の方々が、もう一つのワールドカップを目指して励んでいるシーンに胸が熱くなってしまいました。「生きることそのもの」と中村監督が言われたことばが、すとんと落ちてきます。怪我のないように、これからも楽しまれますように。
選手のみなさんが使っている電動車椅子は「ストライクフォース」というアメリカ製で百万円以上。乗る人に合わせるフィッティングをしますので、その改造費用も加わります。バンパー(フットガード)を外して日常に使えるので車椅子買い替え(耐用年数による)の時期であれば補助金も受けられるとか。ケースバイケースなのだそうです。
このところよく話題になる「クラウドファンディング」についてもうかがいました。その会社により違いますが、中村監督が応募したところは、目標金額を達成すれば1割、しなければ2割の手数料を払います。ほかに「All or Nothing=目標金額に達しなければ出資者に返金する」というファンディングもあります。『蹴る』は目標額をクリアし、上映するための宣伝活動費ができました。あとは劇場で観ていただけること、口コミが応援になります。
電動車椅子サッカーは全国にチームがあります。永岡さんは横浜、東さんは鹿児島のチーム所属です。観戦に行って、自分のゆるすぎる日常にカツを入れてこようと思います。(写真・まとめ 白石映子)

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北澤豪氏、永岡真理さん、中村和彦監督
@2018年東京国際映画祭レッドカーペット(撮影:宮崎暁美)

『マイ・ブックショップ』林真理子氏トークショー 詳細レポート

本を読んでいるときの孤独は人間に与えられた最上の時間

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映画『マイ・ブックショップ』は戦争で夫を亡くした女性がイギリスの海辺の町に亡き夫との夢だった書店を開業しようと奮闘する姿を描く。原作は世界的に権威のある文学賞の一つである英国のブッカー賞を受賞したペネロピ・フィッツジェラルドの「The Bookshop」で、『死ぬまでにしたい10のこと』などで知られるイザベル・コイシェ監督がメガホンをとった。2018年スペイン・ゴヤ賞では見事、作品賞・監督賞・脚色賞を受賞。コイシェ監督にとって『あなたになら言える秘密のこと』に続き、2度目のゴヤ・作品賞となった。
公開に先立ち、試写会が実施され、上映後のトークショーに実家が本屋さんという、作家・林真理子さんが登壇。本屋とはどんな仕事なのか、自身の体験を踏まえて語った。

<トークショー概要>
日時:3月1日(金)
会場:シネスイッチ銀座 〒104-0061 東京都中央区銀座4丁目4−5 旗ビル
登壇者:林 真理子(作家)
作家、エッセイスト。コピーライターを経て、1982年エッセイ集「ルンルンを買ってお うちに帰ろう」が処女作にしてベストセラーになる。1986年「最終便に間に合えば」「京 都まで」で直木賞。以降、数々の文学賞を受賞してきた、日本を代表する女性作家。週刊 文春の人気連載「夜ふけのなわとび」も幅広い層に支持されている。1993年刊行の「本 を読む女」は本屋さんを経営していた自身の母をモデルにしている


『マイ・ブックショップ』原題:The Bookshop

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<ストーリー>
1959 年のイギリス。書店が 1 軒もなかった保守的な地方の町で、夫を戦争で亡くした未亡人フローレンスが、周囲の反発を受けながらも本屋のない町に本屋を開く。ある日、彼女は、40 年以上も邸宅に引きこもり、ただ本を読むだけの毎日を過ごしていた 老紳士と出会う。フローレンスは、読書の情熱を共有するその老紳士に支えられ、書店を軌道に乗せるのだが、彼女をよく思わない地元の有力者夫人は書店をつぶそうと画策する。

監督・脚本:イザベル・コイシェ
出演:エミリー・モーティマー、ビル・ナイ、パトリシア・クラークソン
2017/イギリス=スペイン=ドイツ/英語/カラー/5.1ch/DCP
© 2017 Green Films AIE, Diagonal Televisió SLU, A Contracorriente Films SL, Zephyr Films The Bookshop Ltd.
公式サイト: http://mybookshop.jp/

★3月9日(土)シネスイッチ銀座、YEBISU GARDEN CINEMA他にてロードショー

本屋は思いの外、重労働。しかし、触れ合いがある

—作品をご覧になっていかがでしたか。

うちの母は文学少女で、作家になりたいという夢をずっと持っていたのですが、叶わなくて。結局、本を売るようになって、小さい小さい田舎の本屋のおばさんで一生を終えたのですが、その意志を継いで、私が作家になりました。
この作品はいじわるされるフローレンスがかわいそうだと思うかもしれません。しかし、本への情熱が違う形で引き継がれていくってことが救いになっていましたね。 (主人公を手伝う)少女が私自身に見えてきて、最後の方は図らずも涙が出てきてしまいました。本当にいい映画だなと思いました。

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—ご実家が本屋さんだったそうですね。何か思い出はありますか。

本屋にまつわる思い出はたくさんあります。うちの母がよく言っていました。本とタバコがいちばん儲からないって。本ってすごく重いんですよ。映画を見ていると、主人公は若いこともあって楽し気にやっていますが、うちの母なんて、「どっこいしょ」と言ってやるくらい重労働なんです。
私の子どもの頃は今みたいにトラック便じゃなかったので、駅まで本を取りに行かないといけなかった。これがけっこう重い。手に2個くらい持つと子ども心に重いなと思いました。
駅前の通り200mくらいの間に本屋が3軒あったんです。それでも本がすごく売れていて、暮れになるといつも「主婦の友」といった婦人誌が1誌につき150冊くらい売れたんです。付録に家計簿がついていたからですが、どっと送られてくると付録をはさむ作業が大変。それを毎回、やっていましたね。私は覚えていませんが、私が付録をはさみながら「お母さん、本って冷たいね」と言っているのを誰かが聞いていて、結構、何度も言われた覚えがあります。
イギリスは買い取り制だと思いますが、日本は世界でも珍しく、返品ができる委託みたいな制度になっていますので、売れない本は送り返すんですが、その作業も本当に大変。私は母を見ていて、「どうしてこんなに辛い仕事をやっているんだろう」と思ったことがありました。母は「本屋は気概がないと体が動かない仕事。儲からないし、重労働。腰が曲がってしまう。しかし、触れ合いがあると思うからやっているんだ」と言っていましたね。
本屋はみなさんが考えているような優雅な仕事ではないと思いますよ。本屋の娘でないとわからない苦労もあるんです。でも、新刊書がこっそり読めたりして、それがうれしかったなという思い出もあります。
私は小さな書店を見つけると必ず入って、新刊書を2冊くらい買うようにしています。私にはそのくらいしかできないですけれど。

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—林さんにとって、ご実家の本屋さんは一人遊びの場だったのでしょうか。

それはないですよ。お客さんが来るし、在庫を片付けたりしなきゃいけないんです。
私が山梨に帰って、同級生と静かに飲んでいると、「あっ林真理子だ。昔、お前んちの本屋で買ってやったぞ」とか言われるんです。そういうときに本屋って嫌だなと思いますね。

娘がライバル? 母は90歳を過ぎても書きたい気持ちを持っていた

—お母さまは何歳まで現役でお店をやっていたのでしょうか。

母は2年前に101歳で亡くなりましたが、70歳までやって、店を閉めました。そのときに本屋の権利を別の方に譲ったと思います。

—1993年に出された『本を読む女』はお母さまから聞いた話を書いたのでしょうか。

母は当時としては珍しく東京の学校に出してもらって、女学校の先生をしたり、いろんな人と交わって、出版社に勤めたり、大陸に渡ったり、いろんなことをしていましたが、最後は平凡な本屋のおばさんで死んでしまいました。けれど、それなりに夢はあったと思います。

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—お母さまは才媛で、樋口一葉の再来と言われていたそうですね。

若い頃に「赤い鳥」に何度か入賞して、鈴木三重吉先生に「とても素晴らしい才能だ」と言われたそうです。その後、地元の新聞に「樋口一葉の再来現る」と載りました。樋口一葉はご両親が山梨なので、勝手に山梨由来の作家ということになっているんです。

—林さんが作家になって、お母さまはさぞかし喜ばれたことでしょうね。

みなさんにそういわれますが、実は違うんです。うちの母は90を過ぎた頃になって、「私は戦後すぐ、作家になるために鎌倉アカデミアに行こうと思ったけれど、おばあちゃんから『旦那がまだ戦地から帰ってこないのにダメ』と言われて断念した。もし、あの時に行っていたら、真理ちゃんよりもっとすごい作家になっていた」と言ったのです。作家への夢は衰えることがないんだなとびっくりしました。「お母さん、(書きたければ)書けばいいじゃない」と言ったら、「私は作家の母親になっちゃったから、書けないことがいっぱいある」と。うれしいところもあったとは思いますが、ライバルとして見ていたところがあったのだと思います。

—林さんが作家になったのは、やはりDNAでしょうか

うちの娘はまったく本を読みませんし、本なんて嫌いと言っていますからわかりませんね。母親のDNAというより本屋の娘という環境だと思います。

本屋には本屋の企業努力がある

—林さんがもし自分の好きな本屋さんが作れるとしたら、どんな本屋さんにしますか。

私、本屋さんは嫌ですね。重労働なのに、給料は安いし。本屋さんがどんどん消えていって、私が住んでいる街からも大好きな本屋さんがなくなってしまっています。
この作品は1950年代ですが、今、本屋をやると言っても銀行がまずお金を貸してくれないでしょう。こんな衰退産業やめなさいというと思いますよ。

—最近、個性的な本屋さんが街にでき始めていますが、どんな風に見ていらっしゃいますか。

個性的過ぎる気がします。私が望んでいるのは、普通の本屋さん。普通の品揃え、普通の新刊書と雑誌が買えて、棚に個性の強い本があるという本屋が好きですね。
私がずっと好きだった本屋さんがあったのですが、「ここに行くとなんで私が好きな本がこんなにあるんだろう」と思っていました。私はドイツの近代史が好きで、ヒトラーやナチス関係の本があると確実に買ってしまうのですが、私が買いそうな本がいつも揃っているのはなぜだろうと思っていたら、本屋さんの方で「これは林さんが買うだろう」と仕入れていたんです。同じ町内に三谷幸喜さんが住んでいて、「この本は三谷さんが買うだろう」と思われる演劇論みたいなものも揃っています。企業努力ですよね。三谷さんも買うけれど、近くに江口洋介さんも住んでいて、三谷さん用に仕入れていた本を江口さんも買っていたそう。演出の本だから俳優さんは買わないかなと思っていたら、江口さんはそういう本も買っていらしたそうです。
お客さんがどういう本を買っていくかは本屋さんの秘密、トップシークレットだと思います。その本屋さんが店を閉めるときに、近くに住む作家の坪内祐三さんや平松洋子さんが集まって、居酒屋さんに一席設けてみんなでお疲れ様会で飲んだのですが、そのときに酔っ払ってしてくださいました。
本屋さんがなくなったので、最近、Amazonでも本を買うのですが、「あなたが好きな本はこうでしょ」って出されるのがすごく嫌。幼女が殺されたりすると警察が「こんな本を買っている人はいますか」と本屋に情報の提供を求めると思うんです。それはちょっと嫌だなと思います。

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—ご自宅の本棚を見せたい派でしょうか、それとも隠したい派? 

私は隠したい派。電車で読んでいる本ももちろん、カバーをかけています。
私の家は細長い敷地に建っていて、母屋と仕事場は長い廊下で繋がっているんです。それが全部、天井まで書庫になっていて、2000冊くらいありますかねぇ。仕事場も一面本で溢れています。床にもすごいです。普通の本屋さんくらいの本があります。でも、人には見せていません。

人間が本を読んでいる姿は美しい

—本屋大賞についてどう思われますか。

ある人がある文学賞の選考会で本屋大賞について、「本屋に売りたい本と売りたくない本があるのか」と言っていましたが、ちょっとわかる気がしました。本屋大賞って賛否両論ありますが、最初の頃は本屋さんが手作りのようにやっていて、直木賞から漏れたいい本を取り上げたいと言われました。私は直木賞の選考委員を18年くらいやっていますが、直木賞の選に漏れたけれど、本当にいい本だから売りたいというのであれば、それはその通りだなと思います。ただ、みなさんご存知ないと思いますが、最近、博報堂が入っていて、代理店に仕切られていて、初期の感じがなくなってしまって、ちょっと残念に思うことがあります。

—本屋大賞は続いていくと思いますか。

続いていくと思います。活性化のためにいいことだと思いますが、直木賞より売れると言われても、こちらは文学賞で、本屋大賞は別の思惑で選んでいるから別物です。直木賞を批判のタネにしないでほしいですね。

—若い人の本離れについてどう思っていますか。

今日、ここにいらっしゃるのは本が好きな方ばかりだと思いますが、今は楽しいことがたくさんあるから、私たち作家も万策尽きている感じです。この映画がきっかけに本を読むようなってくれればいいと思います。
たまに電車の中で本を読んでいる方を見かけると、人間が本を読んでいる姿は美しいなと思います。スマホをやっていると首が下がってしまいますが、本というのは首の位置がもう少し自然。姿勢がきれいです。

—ある作家が、ついふらっと本屋に入ると自分の本があるか確認してしまうと言っていました。

それをするのはよっぽど売れている人だと思いますよ。小さい本屋だと置いてくれなくてもしょうがないと思っていますが、中堅どころに行って、置いてないと「なんで私の新刊書を積んでくれないの?」と腹が立つことが多いので、精神衛生上、行かないことが多いですね。どこで買うかと言ったら、小さい本屋とすごく大きい本屋。腹が立つのは中堅どころ。

—その中堅どころがなくなってきています。

そうなんですよね。腹が立つことが少なくなってきています(笑)。
本屋さんに行くと、これを買うつもりだったのに、こんなのもあったのか、あんなのもあったのかとつい手が伸びる。それが本屋さんの素晴らしいところ。この映画の冒頭に「人は物語の世界に住むことができる」というセリフがありましたが、あれは名言だなと思いました。
人って孤独を嫌がることが多いですが、本を読んでいるときは孤独じゃないと思います。今の私たちは孤独をとても嫌いますが、本を読んでいるときの孤独は人間に与えられた最上の時間と私は思っています。

日本には本による豊かな文化基盤がある

—本はどこで読みますか。

本はどこでも読める。新幹線に乗るときは本を2~3冊持って行って読みますし、普通の電車の中でも読み、テレビを見るときに読み、寝る前に読みます。
私は時間にすごく正確なんですよ。みなさん、「うそ!」とおっしゃるかもしれませんが、30分くらい前に行ってドトールやスタバでコーヒー1杯飲みながら、読みかけの本を読むというのが非常に幸せなときです。

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—最後に映画についてひとことお願いします。

この映画、ファッションが素晴らしいですね。主人公のお店を手伝ったクリスティーンのピンクのカーディガンの可愛いこと。中のブラウスとベストの色が合っていませんが、すごく可愛い。50年代ならではのプリントとプリントの合わせ方が素晴らしい。
ブランディッシュのコートの着方、帽子のかぶり方、紅茶の飲み方も紳士ですね。1950年代ですからイギリスにはちゃんとティータイムが設けられていて、たかだか近所の人とお茶を飲むのに、ブランディッシュはネクタイ締めてジャケット着て、ちゃんと白いクロスを掛けている。そういうところに時代を感じます。
この作品を見ると、本に対する親交があり、本を読むということが日常的ではあるけれど尊敬される行為だった。非常に良い時代だったと思います。
先日、パリに行ってシンポジウムに出たのですが、パリでは作家は生活できない。インテリしか本を読まないので、3000~4000部しか売れないのです。だから、作家は大学の先生も兼ねています。作家が銀座のクラブに行ってシャンパンを飲み、豪邸を建てるのは日本だけ。うちは豪邸ではないし、シャンパンも飲みませんが(笑)。
日本には本による豊かな文化基盤がある。私たち作家も支援しようといろいろなことをやっているのですが、これを支えてくれているのが本屋さん。この作品はそんな本への愛おしさが込められています。

(取材:堀木三紀)






『運び屋』公開記念 町山智浩氏スペシャルトークショー 詳細レポート


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90歳の老人が麻薬取締局の捜査をかいくぐり、幾度となく麻薬を運び、巨額の報酬を得ていた。この前代未聞の実話がベースになった映画『運び屋』は数々のアカデミー賞に輝く巨匠クリント・イーストウッド監督がメガホンをとり、10年ぶりに主演したことでも話題になっている。共演したのは『アメリカン・スナイパー』(2014年)でタッグを組んだブラッドリー・クーパー。イーストウッドの実娘アリソン・イーストウッドも主人公の娘役で出演した。
公開を前に、スペシャルトークイベントが実施され、映画評論家の町山智浩氏が登壇。イーストウッドにインタビューしたときの話も交えて作品を解説した。

<スペシャルトークショー 概要>

日程:2月22日(金)
会場:ワーナー・ブラザース内幸町試写室(東京都港区西新橋1丁目2−9 日比谷セントラルビル1F)
登場ゲスト(敬称略):町山智浩(映画評論家)

『運び屋』原題 “THE MULE”
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<STORY>
アール・ストーン(クリント・イーストウッド)は金もなく、孤独な90歳の男。商売に失敗し、自宅も差し押さえられかけた時、車の運転さえすればいいという仕事を持ちかけられる。それなら簡単と引き受けたが、それが実はメキシコの麻薬カルテルの「運び屋」だということを彼は知らなかった…。

監督:クリント・イーストウッド
脚本:ニック・シェンク
出演:クリント・イーストウッド、ブラッドリー・クーパー、ローレンス・フィッシュバーン、アンディ・ガルシア、マイケル・ペーニャ、ダイアン・ウィ―スト、アリソン・イーストウッド、タイッサ・ファーミガ
配給:ワーナー・ブラザース映画
©2018 VILLAGE ROADSHOW FILMS (BVI) LIMITED, WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC. AND RATPAC-DUNE ENTERTAINMENT LLC


主人公はイーストウッド自身を投影したキャラクター

MC:この作品はアメリカでは1億ドルを超え、ヒットしているそうですね。イーストウッド作品で1億ドルをこえているのは、これまでに『許されざる者』、『ミリオンダラー・ベイビー』『グラン・トリノ』『アメリカン・スナイパー』『ハドソン川の奇跡』の5作品。本作が6本目ということですが、主演も兼ねているのは『グラン・トリノ』以来でしょうか。

町山:『グラン・トリノ』が2009年ですから、10年ぶりですね。

MC:アメリカではこの作品はどのように受け入れられていましたか。

町山:みんな、“俳優イーストウッド”が見たいんですよ。アメリカのアイコンですから。やっと見れた感じですね。イーストウッド自身を投影したキャラクターで、半自伝的に見えますね。本人もそれでいいと言っています。

MC:女好きな設定も含めて、ユーモラスな感じですよね。

町山:90歳近い老人がメキシコカルテルの下でコカインの運び屋をやっていたという2014年に起こった事件がベースになっているのです。老人だから警察に目をつけられないといって、ものすごい金額の麻薬を運んでいたんですよ。
モデルになった人は、デイリリーという1日で枯れてしまう不思議な百合の栽培家でした。新種を次々に作って賞を独占してきた人で、その道ではかなり有名だったようです。でも、もう亡くなっているので、それ以外のことはわからない。イーストウッドと脚本家は、「この人がどういう人だったかという部分は作ってしまおう」ということで、犯罪のディテールに関しては事実、私生活の部分はイーストウッドを重ねていくというやり方をしたそうです。

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MC:脚本家は『グラン・トリノ』を手掛けた人ですよね。

町山:気心が知れた仲間です。イーストウッドはインタビューで「実はかなり家庭を蔑ろにしてきた」と言っていましたが、『運び屋』はイーストウッドの当て書きに近いですね。

MC:ちょっと反省している感じでしょうか。

町山:はっきりと「反省している。もうちょっと家族と一緒に暮らせばよかった」と言っていましたよ。リチャード シッケルが書いたイーストウッドのオフィシャルな伝記にも書いてありますが、イーストウッドはかなりの性豪なんです。14歳ころから現在まで、“SEXのダーティハリー”、“SEXのアウトロー”、“SEXのガントレット”などと言われている人です。自宅の近くに別宅を持っていて、そこでファンとしている。全然隠していないんですよ。正式な結婚は2人、それ以外に同棲が2人、子どもは8人で、ほとんど母親が違う。日系人の女性と結婚して、66歳のときに最後の娘が生まれています。それなのに、未だに女性とデートしているところを発見されたり、歩いているところを撮られたり。映画を撮るのは自己実現だと言っていますから、半分はイーストウッドだと思って見てもらったほうがいいかと思います。
この作品のすごいところは、イーストウッドの実の娘が出ているんです。アリソン・イーストウッドといい、最初の奥さんとの間に1972年に生まれました。でも、その直後にイーストウッドは奥さんと別居して、ソンドラ・ロックという70年代にイーストウッドの映画によく主演していた女優さんと10年ぐらい同棲をしたんです。アリソンはイーストウッドが父だと知ってはいるけれど、父としてのイーストウッドにほったらかしにされた被害者。そのアリソンが『運び屋』に出演して、父親に対して「あんたなんか父親だと思ったことはない。ほったらかしじゃないの。お母さんをひどい目に合わせて」と言っていますが、本当のことを言っていますよね。

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MC:そういう意味では贖罪というか、懺悔みたいな意味があるんでしょうか。

町山:あるんでしょうね。きっと。
アリソンは女優としてはとても能力が高い人で、11歳の時、『タイトロープ』という作品でデビューしています。この作品、イーストウッドが監督を気に入らなくて、クビにしてしまって、途中からほとんど自分で演出していますが、変な映画なんですよ。イーストウッドは奥さんに逃げられ、2人の娘を抱えたやもめの刑事で、アリソンが上の娘。風俗の女性ばかり狙う殺人事件が起こって、調査のために聞き込みに行くんですが、そこで風俗嬢が次々に誘ってきて、毎回SEXをする。そうやってイーストウッド演じる刑事が夜な夜な遊んでいる間、アリソン演じる娘が幼い妹の面倒をみていたのですが、アリソンはどういう気持ちで演じていたのかなと思うんですよね。映画の中で下の娘が何も知らないから「お父さん、勃起って何?」と聞くと、11歳のアリソンが「はははは」と笑う。11歳でそんな人になってしまうとは、イーストウッド家は相当大変だったんだなと思わせますね。

MC:『タイトロープ』にしても『運び屋』にしても、実の娘をそういう形で起用するのはすごいですね。

町山:しかも『タイトロープ』は変質者に自分の娘を縛らせている。普通の父親なら絶対にしませんよね。こうやって鍛えられた娘さんなので、この作品でも自分の胸に刺さるような役柄をビビらないでばっちり演じています。

歴史上の事実、面白いネタを片っ端から拾い、探しまくるネタ探しの人

MC:イーストウッドの作品は実話モノが続いています。この流れを町山さんはどうとらえていますか。

町山:イーストウッドは昔からネタを探しまくっている人なんです。『グラン・トリノ』に出てくるモン族の話はあそこでぽっと出てきたものではなくて、モン族がラオスの国境地帯でホーチミンルートを守る共産軍と戦っていた頃から情報を聞きつけていて、映画化しようとしていたと伝記に書かれています。
とにかく、歴史上の事実であるとか、面白いネタは片っ端から拾い、探しまくる。ネタ探しの人です。『父親たちの星条旗』を作るときに硫黄島で戦うアメリカ軍の資料を調べていたら、「じゃあ日本軍はどうだろう」と思い、徹底的に調べて、『硫黄島からの手紙』を作ったのですが、日本兵の描き方にまったく問題がない。どれだけ調査したんだというくらいです。あの過程で日本料理が好きになり、今でもお会いすると日本茶を飲んでいる。長寿の秘訣を尋ねると「日本茶!」とはっきり言いますよ。

MC:リサーチ派というのは意外な気がします。

町山:資料を読み込むのがすごく好き。『硫黄島からの手紙』や『アメリカン・スナイパー』で取材に行ったときに、アフガン戦争に反対していて、「アフガンについていっぱい調べたんだ。今までアフガンに外国の軍隊が攻め込んで行って勝利できた例がない。徹底的に調べれば、戦争なんてものはいい結果になることはないってわかるから、戦争なんかなくなるよ」と言っていて、リサーチから反戦するという非常に珍しい人です。

MC:感情で言っているわけではなく、理由があるわけですね。

町山:『アメリカン・スナイパー』も原作と全く違う。原作者のスナイパーは自分がPTSDという自覚がないまま書いている。ところが、途中で奥さんの「うちのダンナはイラク戦争に行って言動がおかしくなっちゃった」というコメントが挟まれている。イーストウッドはその部分から調査していき、PTSDの問題をクローズアップして、話を書き替えている。そういう点でもすごいリサーチ派ですね。

MC:現代に向き合っている方なんですね。

町山:インタビューのときに「男は一生懸命に仕事をして、それで評価されればいいんだとずっと思っていた。特に自分の世代はどんなに私生活がめちゃくちゃだろうと、周りに迷惑をかけようと、仕事で評価されればそれでいいんだと思い込んでいた。しかし、そういう価値観は終わったということがこの映画のテーマなんだ」と言っていました。この主人公はデイリリーで賞を取る。自分の求めている道で巨匠だからと威張り散らしているわけですが、それはイーストウッド自身がアカデミー賞を取ったり、映画作家として評価されたりしている部分を重ねていますよね。イーストウッドはキャッチアップという言葉を使っていましたが、「男が仕事だけで評価される時代は終わりつつあるという時代の流れに追いついていかないとみんなに嫌われるオヤジになってしまう。いい爺さんになれているかな、俺」と言っていました。

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MC:いいおじいちゃんになりたいんですね。

町山:だから娘と和解しようとしているし、スタッフに子どもたちを起用しているんですよ。実はここ何年かは、家族に対する贖罪みたいなことをしているし、映画自体も贖罪の話ばかり。若い頃、悪かった奴がその罪滅ぼしをするっていう映画が『許されざる者』や『グラン・トリノ』。イーストウッドはインタビューのときに「人の人生というのは1本の映画のようなものだ」と言っていました。映画で自分自身の人生をまとめ上げようとしているのかもしれません。

MC:待ちに待った俳優イーストウッドに出会える映画ですが、その点ではいかがですか。

町山:イーストウッドはキャラが2つあります。1つはダーティハリー系というかガンマン系の渋くて、しかめっ面していて、ほとんど喋らない。滅茶苦茶ハードなキャラ。もう1つはスケベで女にだらしない男。実はそのタイプの映画がかなり多いんです。『白い肌の異常な夜』は女性たちを弄んで、復讐されるという映画で、『恐怖のメロディ』は人気者のDJがちょっと女の子にイタズラしたら、その子がストーカーになって襲われる。『ブロンコ・ビリー』もそうですが、女にだらしなくて苦労するおっさんの映画を彼自身がうれしそうに作っている。『ルーキー』は女性に犯されたりしていましたけれど、自分で監督して、自分で演出して、うれしそうに縛られていましたね。ちょっと変な人なんですよ。『トゥルー・クライム』は女好きで人生が滅茶苦茶になった男。そんなのばっかりやっていますからね。誰にも頼まれずに、本人が好きで、スケベ親父の役をやっていますから。これは喜んで見てあげるべき。今回はその路線でとんでもないことをしています。

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MC:どんなことをしているんでしょうか。。

町山:この作品の中で運転しているんです。メキシコとの国境のアリゾナ州からデトロイト辺りまでアメリカを一番南の端から北の端くらいまで、毎回毎回、運び屋で走る。彼自身が運転しているんですが、インタビューでもイーストウッドは1人でボロボロのフォードで現場に現れる。普通、運転者とかつけますよね。アメリカでも80歳以上の人は運転免許証を諦めた方がいいという運動があります。高齢者の運転で事故が起きるからって。インタビューでそのことを聞いたら、「運転が荒いか荒くないかは年齢と関係ない。若い奴でも危ない運転してんじゃないか」と言っていました。意地でも運転する気ですね。

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MC:運転に自信を持っているんですね。

町山:この作品で、運転しながら歌を歌っているのですが、普段も鼻歌を歌いながら運転しているそうです。88歳過ぎても、鼻歌を歌いながらノリノリで運転している。びっくりしますよね。

最近は耳が遠くなっているけれど、演出は呆けていない

MC:イーストウッドはここ最近、アカデミー賞ノミネートの常連ですが、なぜか、今回はアカデミー賞に引っかかっていません。なぜでしょうか。

町山:『グラン・トリノ』も作品賞や主演男優賞を取ってもおかしくないと思ったんですけれどね。この作品ではそういうキャンペーンをしなかったみたいですから、もう自分は上がった気持ちなのかもしれません。

MC:僕はクリント・イーストウッドの作品が来るたびに「これが最後かも」と思いながら臨むんですが、ほぼ年一のペースで来ています。まさかの主演作も届きました。ご本人にお会いして、この人はまだまだ撮り続ける感じがありましたか。

町山:最初に会ったころに比べると、最近は耳が遠くなって、こちらが言っていることを何度も何度も聞き返すようになりました。補聴器付けるのが嫌らしくて、意地でも付けないみたいです。現場ではつけていると思いますけれどね。歩くのもすごく遅いですし。でも想像力はすごいと思います。この作品でもギャングの怖いシーンがあって、こういう演出はイーストウッドだなと思います。それと、空撮がすごく好き。イーストウッドの作品といえば、必ず空撮シーンがある。そういうところで自分のタッチを維持していて、演出は呆けていないと思います。

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MC:このペースで淡々と進んでいくのでしょうか。

町山:何で映画を作り続けているのかという話はインタビューでも出てきて、別にお金のためでもなんでもなくて、自分というものを表現するためなんだと言っています。枯淡の領域に入って、盆栽のようなものになってきている気がします。でも、枯れていないのがすごい。ギラギラした欲望がたぎっているところがイーストウッドらしい。スケベ心が長寿の秘訣ではないかと思いました。

MC:なかなかびっくりしますよね。

町山:まだ求めているのかよって思いましたけれど、やっぱりマグナムの人なんですよ。

MC:弾は尽きていない?

町山:イーストウッドの「お前は俺のマグナムの弾が尽きたと思っているんだろうけれど、試してみるか、小僧」ってね。まだ入っていると思いますね。
未だに笑わせようとしているところが偉いなと思います。尊敬されないように、されないように作っています。これ、大事だと思います。大先生として、立派な役者として人から尊敬を受けたくないと思ったから、こういう映画を作ったのだと思います。たけしさんがいろんなイベントで変な仮装で出てくるのと非常に近い映画です。晩年の森繁久彌さんが人生を語ったり、哲学を語ったりするのに反して、彼は恥ずかしいところを見せていくのが偉大。基本的に下ネタ映画ですから、しかめっ面して88歳の巨匠の映画を見るのではなくて、爺のエロ話だと思って見ていただければ大丈夫だと思います。お楽しみください。
(取材:堀木三紀)