『パパは奮闘中!』 ギヨーム・セネズ監督インタビュー 

人生は日々闘い! 私たちの話として観てほしい
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『パパは奮闘中!』の日本での公開を前に来日したギヨーム・セネズ監督にお話を伺う機会をいただきました。

『パパは奮闘中!』
  原題:Nos Batailles   英題:Our Struggles
監督・脚本:ギヨーム・セネズ 
共同脚本:ラファエル・デプレシャン
出演:ロマン・デュリス(『タイピスト!』『ムード・インディゴ うたかたの日々』)、レティシア・ドッシュ(『若い女』)、ロール・カラミー(『バツイチは恋のはじまり』)、ルーシー・ドゥベイ

2018年/ベルギー・フランス/99分/フランス語/日本語字幕:丸山垂穂
配給・宣伝:セテラ・インターナショナル/宣伝協力:テレザ、ポイント・セット
協賛:ベルギー王国フランス語共同体政府国際交流振興庁(WBI)
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@2018 Iota Production / LFP – Les Films Pelléas / RTBF / Auvergne-Rhöne-Alpes Cinéma

*物語*
オンライン販売の倉庫で働くオリヴィエ。残業続きで忙しく、幼い息子のエリオットと娘のローズの子育てと家事は、妻のローラに任せきり。
そんなある日の午後、学校から子どもたちを迎えに来るよう電話がかかってくる。母親が迎えに来ないというのだ。子どもたちを連れて家に帰ると、ローラは身の回りの品と共に消えていた。心当たりもなく途方に暮れるオリヴィエ。その日から、オリヴィエの闘いが始まる。仕事は忙しいのに、慣れない子育てに家事をこなさなくてはならないのだ。おまけに、職場で人望の厚いオリヴィエは肩たたきの対象になった人の相談に乗ってあげないといけない。
やがて、本格的に会社がリストラ政策を打ち出す。会社側からは、人事部のポストを今より高い給料で用意すると声がかかる。一方、組合の専従のポストが空いたから、ぜひ専従になって会社と闘ってくれと頼まれる。専従を引き受けると、遠くの町に引っ越さないといけないので、子どもたちは母親が帰ってきた時に困ると不服だ。さて、オリヴィエはどうする・・・
公式サイト
シネジャ作品紹介
★2019年4月27日(土)より新宿武蔵野館ほか全国順次公開

◎ギヨーム・セネズ インタビュー

◆経済成長できない時代背景に世界が共感してくれた
― 日本語のタイトル『パパは奮闘中』から、ママが家出して、パパが子育てに奮闘する物語とイメージしていました。
もう一つの物語の軸が、職場でリストラが始まり、組合側につくか、会社側につくかという選択を迫られる話で、がぜん興味を持ちました。
実は、私自身、20年ほど前に、勤めていた会社の経営が悪化して、500人もの社員が希望退職という形でクビを切られました。
それまで一緒に仲良くカラオケやお酒を飲みに行っていた上司が、部下のクビを切る立場になり、内心、さぞつらかったことと、この映画を見て思い出しました。
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@2018 Iota Production / LFP – Les Films Pelléas / RTBF / Auvergne-Rhöne-Alpes Cinéma
妻の不在というだけでなく、このテーマを入れたことにより、多くの方の共感を得たのではないでしょうか?  フランスはじめ、各国での反応はいかがでしたか?

監督:各国で良い批評をいただきました。興行成績については聞いていないのですが、
どこでも興味を持ってもらえる普遍性のある映画だと実感できました。
商業的な公開のほかに、ヨーロッパやアフリカ、アジア、北米など各国の映画祭でも上映されて、とても良い評判を得ています。
「資本主義2.0」(★注)という言葉がありますが、世界的な状況が描かれています。多国籍企業の工場ですし、それに家族の問題が切り紙細工のように織り込まれていますので、共感を得たのだと思います。

★注:「資本主義2.0」
モノやサービスを「生産」する人と「消費」する人との分離が可視化されていた時代である「資本主義1.0」に対して、テクノロジーの進化と共に、両者の分離ができなく統合している現代を表わした造語。  
テクノロジーが進歩しているのに、経済成長できない時代でもある。


◆男と女の視点の違いを際立たせた
― 女性と男性の価値観の違いをすごく感じました。主人公の妹が手伝いに来てくれましたが、演劇のリハがあるから帰るといわれ、主人公は妹に対して大した仕事をしているわけではないのだから、それはキャンセルしてここに残れと言っていました。妹は、無償だけど大事な仕事と答えています。これは、男性と女性の価値観の違いを際立たせたものと感じました。
映画を観たシネマジャーナルの別のスタッフからは、「この場面、女性に対する偏見を感じたのですが、監督はあえて、そう言わせたのでしょうか。そういう夫だからこそ、妻は出て行ったということでしょうか?」との質問を貰っています。

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@2018 Iota Production / LFP – Les Films Pelléas / RTBF / Auvergne-Rhöne-Alpes Cinéma
監督:(聞きながら、笑う) あのシーンのようなことだからオリヴィエは妻に家出されたとは説明したくないです。 説明しないのがキモです。あちこちにヒントはちりばめましたので、観た方がどのように思うかは自由です。それだから妻は家出したと思うのも自由です。おっしゃるように、まさに視点の違いが問題です。つまり、家族というものに対する見方の違い。オリヴィエが再現しようとしているのは、自分が育てられたお父さんが権力を持っているような家長制の家族。妹のベティは全く反対の価値観です。オリヴィエが男で、ベティが女ということと無関係ではありません。オリヴィエがいいと思っていた家長制は男女平等をうたっている今の世の中ではうまくいきません。

― 当初は、子どもを捨てた女性の自由を撮ってみたいと思っていたとのこと。子どものいる女性にとって、働きながら子育てするのは当然のことと思われていると思います。逆に、妻がいなくなった夫が働きながら子育てするのは、特殊なことというのは男社会の言い分だと感じます。

監督:それこそこの映画で見せたかったことです。ヨーロッパ社会ではセオリーの面では男女平等が当たり前の事実ですが、まだまだ紙上のセオリーです。実際どうかというと、やはり女性が子育てをいっぱいしなくてはならなかったりします。ほんとうの意味で男女平等を100%実現するには、何世代にもわたっての努力が必要だと思います。 今の時点では、現在進行中の闘いだと思います。フェミニストの人たちが唱えているけれど、毎日が闘いです。そのギャップを映画は見せています。
オリヴィエは女性たちに囲まれていて、女性たちが彼を成長させてくれているという面があります。パートナーを失って、その穴埋めをしてくれるのが妹だったり同僚だったり母親だったりします。女たちが彼を成長させて父になる。男性が主人公ですが、女性の視点が入っています。女性はすでに一人で働きながら子育てすることをしています。私は男性なので、男性の視点で描きたかったのです。

◆子どもに民主主義を教えるのは大変
― 最後、主人公が子どもたちも巻き込んで、民主的に行き先を決めるという素敵な場面でした。

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@2018 Iota Production / LFP – Les Films Pelléas / RTBF / Auvergne-Rhöne-Alpes Cinéma
監督: 最後のシーンは、子どもたちにデモクラシーを説明するのは難しいということを言いたかったのです。民主主義を実行するのは簡単なことではありません。2対1に分かれることを言って、一生懸命、子どもたちに民主主義を説明するけれど、なかなかわかってもらえない。 コミュニケーションを取ること自体が、彼の成長を表わしています。妻が家出した当初、子どもとコミュニケーションがうまく取れませんでした。冒頭では、身近な人を助けられなくて、職場の人や自分から少し遠い人を助けています。ようやく、身近な人に目を向けることができるようになったのです。

―監督ご自身、仕事では面倒見がいいけれど、私生活では気難しいとプレス資料に書かれていました。

監督:いいえ、そんなことはないです。私というより、一般論として身近な人を助ける方が難しいと言ったのがそのように書かれてしまったようです。自分の子どもに勉強を教えるのは、すぐ怒ってしまって難しいけれど、他人の子どもには、距離感があるので、簡単。近いがゆえに難しい。

◆人生における様々な闘いを感じてほしい
ー 原題 Nos Batailles は、「私たちの闘い」という意味だと思います。タイトルに込めた思いをお聞かせください。日本での公開タイトルはイメージが全然違います。 

監督:注目いただきたいのは、複数になっていること。仕事上での闘い、日常の闘い、子どもたちを巡る闘い・・・ 私一人じゃなくて、周りの人、観客も含めた、私たちの闘いです。

―人生で、選択を迫られることはよくあります。「もし」はありませんが、監督ご自身、あの時、あちらを選んでいればというターニングポイントはありますか?

監督: やはりパートナーとの別れは、大きく難しい選択でした。相手がいる問題なので、二人で決断をくだすことでした。子どもがいますので、どうやって別れたあと面倒を見るか。結果として、僕が子どもを育てながら、映画作家としての仕事とのバランスを考えることになりました。

― この映画には、ご自身の経験も反映されているのですね。
あっという間に時間が来てしまいました。次の作品を期待してお待ちしています。

監督:僕も待っています(笑)。

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ほんとに、あっという間の30分でした。
仕事と育児に頑張るオリヴィエを演じたロマン・デュリスのことや、伸び伸びとした自然な演技が可愛い子どもたちのことなどは、プレス資料に詳しく掲載されていたので、あえてお伺いしませんでした。残念ながら公式サイトには掲載されていないようです。劇場でパンフレットを是非お求めください。また、他誌のインタビューをどうぞ検索してみてください。

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Profile 監督・脚本 Guillaume Senez / ギヨーム・セネズ
 1978年ベルギー・ブリュッセル生まれ。ベルギーとフランスの2つの国籍を持つ。2001年に国立映画学校(INRACI)を卒業後、3つの短編映画を制作し、数々の映画祭に選ばれる。中でも、’’09年短編第二作目の「Dans nos veines」は、カンヌ国際映画祭・ユニフランス短編映画賞に、第三作目の「U.H.T.」(12)ではベルギー国内におけるアカデミー賞と形容されるマグリット賞の短編映画賞にノミネートされた。′16年に公開された長編第一作目となる、高校生の妊娠に焦点を当てた「Keeper」は、トロントやロカルノなど70を超える映画祭に招待され、アンジェ映画祭でのグランプリをはじめ、約20以上の賞を獲得する。長編第二作目の本作では、′18年度のカンヌ国際映画祭の批評家週間部門に選出され、今後の活躍に注目が集まる。

2006 : 「La quadrature du cercle」 短編
2009 : 「Dans nos veines」短編
2012 : 「U.H.T.」短編
2015 : 「Keeper」
2018 : 『パパは奮闘中!』(原題:Nos Batailles)
(公式サイトより)

『主戦場』ミキ・デザキ監督インタビュー

2019年4月20日(土)~シアター・イメージフォーラム
4月27日(土)〜名古屋シネマテーク、第七藝術劇場、京都シネマ、近日元町映画館他全国順次公開

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ようこそ、『慰安婦問題』論争の渦中へ。ひっくり返るのは歴史か、それともあなたの常識か

 韓国の日本軍「元慰安婦」の方たちの問題が政治的に利用され、彼女たちの思いとは違う方向に向いてしまっていると感じる今日この頃。この挑戦的なコピーとともに、日本軍「元慰安婦」を支援してきた学者や市民運動家らの意見と、韓国人元慰安婦の証言に疑問をもつ保守言論人の意見が提示され、真っ向から「対決」するという今まで描かれてきた元慰安婦たちのドキュメンタリーにはない展開で慰安婦問題が語られる。
ネットを駆使した作品を製作したのは日系アメリカ人YouTuberのミキ・デザキ。慰安婦問題をめぐる論争をさまざまな角度から検証、分析したドキュメンタリー。慰安婦問題について、デザキの胸をよぎる疑問。慰安婦たちは性奴隷だったのか、本当に強制連行はあったのか、元慰安婦たちの証言はなぜブレるのか、日本政府の謝罪と法的責任とは…。この問題を検証すべく、日本、アメリカ、韓国の肯定派と否定派、吉見義明(歴史学者)、渡辺美奈(女たちの戦争と平和資料館)、中野晃一(政治学者)、ユン・ミヒャン(韓国挺身隊問題対策協議会)、パク・ユハ(「帝国の慰安婦」著者)、櫻井よしこ(ジャーナリスト)、ケント・ギルバート(カリフォルニア州弁護士/タレント)、杉田水脈(政治家)など約30人に取材を敢行。日本軍「元慰安婦」を支援してきた学者や市民運動家の意見と、韓国人元慰安婦の証言に疑問を呈する保守言論人らの意見が真っ向から対決する意欲的な作品。さらに膨大な量のニュース映像や記事の検証を交え、慰安婦問題を検証していく。
シネマジャーナルHP 

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(C)NO MAN PRODUCTIONS LLC

『主戦場』 (2018年 アメリカ)
監督・脚本・撮影・編集・ナレーション ミキ・デザキ MIKI DEZAKI
出演
トニー・マラーノaka テキサス親父 藤木俊一 山本優美子 杉田水脈 藤岡信勝 ケント・ギルバート 櫻井よしこ 吉見義明 戸塚悦朗 ユン・ミヒャン イン・ミョンオク パク・ユハ フランク・クィンテロ 渡辺美奈 エリック・マー 林博史 中野晃一 イ・ナヨン フィリス・キム キム・チャンロク 阿部浩己 俵義文 植村隆 中原道子 小林節 松本栄好 加瀬英明 他

ミキ・デザキ MIKI DEZAKI プロフィール
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ドキュメンタリー映像作家、YouTuber。1983年、アメリカ・フロリダ州生まれの日系アメリカ人2世。ミネソタ大学ツイン・シティーズ校で医大予科生として生理学専攻で学位を取得後、2007年にJETプログラムのALT(外国人英語等教育補助員)として来日し、山梨県と沖縄県の中高等学校で5年間、教鞭を執る。同時にYouTuber「Medama Sensei」として、コメディビデオや日本、アメリカの差別問題をテーマに映像作品を数多く制作、公開。タイで仏教僧となるための修行の後、2015年に再来日。上智大学大学院グローバル・スタディーズ研究科修士課程を2018年に修了。初映画監督作品である本作『主戦場』は、釜山国際映画祭2018ドキュメンタリー・コンペティション部門の正式招待を受ける。
(公式HPより)

ミキ・デザキ監督インタビュー
              2019年4月 2社合同インタビュー

*このドキュメンタリーを作ったきっかけ
 
― 医学の勉強をしたり、日本で英語を教えたり、仏教僧の修行経験もあって、その後、上智大大学院に入り、さらにYouTuberでもあるという多彩な活動の中、「人の役にたちたい」という思いで生きてきてこの映画を作ったそうですが、この映画に至るまでの思いを。

ミキ・デザキ監督 上智大大学院で学びながら、日本も韓国もこの慰安婦問題の一部しかメディアを通して知らされていないんじゃないかと思うようになりました。たとえば日本と韓国の人がその問題について論争する場合は、それぞれが自分のナショナリスティックなスタンスで、自国の利益に基づいた論点で論争しあうようなパターンが生まれてしまっていることに気づかされました。人の役にたちたいというところから映画を作り始めたという話ですが、おそらく2時間あれば、論争の両方の論点をきちんと捉えることによって、全体の論点というのを映し出すことができるのではないかと思ったのです。映画を観てくれた人の中では、日韓の関係性が良くなるのではないかと。というのは、この問題の背景にあること、あるいは文脈みたいなものが見えてくることによって、人種差別的な発想に陥らず、感情的にならない対話が生まれるのではないかと思ったのです。たとえば韓国人はいつも感情的だという差別的な発想が日本人の間にあったり、韓国側は日本人はいつも我々を騙そうとしているという先入観があって、そういうことが対話が進まない原因のひとつになっていると思っています。

- この映画はある意味では成功したと思っているのですが、ホロコーストの場合は、敵の罠にはまるから敵の意見は聞かないといっていますよね。映画にもなりました「Denial(否定)」(日本での映画タイトル『否定と肯定』)の著者デボラ・E・リップシュタット(アメリカ人歴史学者)もそういう立ち位置だったのですが、相手方(デイヴィッド・アーヴィング=イギリス人歴史学者)のホロコースト否定論者から名誉毀損で訴えられたけど「数字のことでは戦わない、向こうの言い分は言論の自由ではない」ということで退けたという一つの観点があります。それに対して、こちらは全然違うところから出発したのはなぜですか?

監督 ホロコーストのような事実を否定するということを許さないという態度、立場を取るという方たちのことはわかります。ただ日本とドイツの違いというのがありまして、日本においては否定論者というのが社会のメインストリームの論述を占めてしまっているということなんです。つまり、日本においては否定論者たちが主張する論点について語らないではいられないと思うんです。
右翼や保守派(否定派)の人たちが「こういう論点を私たちは考えています。こういう論点について話しましょう」と言った時に、元慰安婦の支援派の人たちはそれに対して論争しようとしないじゃないかという批判を保守派の人たちはします。つまり「慰安婦たちの証言だけを聞こうじゃないかというのは感情論だ」と保守派の人は支援派を批判するわけです。
日本人は、今や修正主義者たちの言説を信じ始めているのではないかと思うんです。むしろ論理的ではないかと。こういうような証拠があるよ、資料があるよと言われれば、「ああなるほどそうかな」というふうに思ってしまっているんだと思います。
残念なことに日本では「Me too」の運動は、それほど大きな影響力を及ぼしませんでした。もちろんアメリカでもそれほどメジャーだとは言い切れませんけども。ただ、女性の声に耳を傾けるという態度が、日本においてはそれほど強くないということが、慰安婦の証言を疑わしく思わせてしまっている原因の一つではないかと思うんです。日本人は「証言に耳を傾けろ」と言ったとしても、それ自体が、日本人のメジャーな人たちに対しては、大きな説得力を持つことができないでいる。だからこそ、この映画の中で否定派の人たちの論点も取り込み聞かせる必要があると考えたんです。

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*元慰安婦だった方の言葉

― それは映画を作っていて、日本では女性たちが尊重されていないからこそ、もっとこの点をという風に映画の中でまた生かすようにしていったのですか? スターティングポイントで、女性たちが貶められているというところから映画を作っていったのでしょうか。

監督 実際のところ、慰安婦の証言は一つしか採用していないのですが、もっと証言を入れたかったというのが当初の考えだったのです。だんだんわかってきたのは、日本では彼女たちの証言を聞かないのではないかということです。上智大でテストスクリーニングしたのですが、その時に一人の女学生のコメントで「非常に論理的な映画にも関わらず、なんで最後に慰安婦の証言を入れたのか、あれは感情的だ」という指摘がありました。「私たちはその女性の言葉というのが人間の感情を揺り動かすために利用されるというか、操作の道具として使われるということをよく知っているんです」と彼女が言いました。その証言を入れることによって、作品を弱くしていると彼女は言っていたわけです。 

― その女子学生はどこの国の人ですか?

監督 日本人です。

― そんな風に思うなんて「えっ?」っていう感じしますね。

監督 アメリカでも日本でも試写会をやっているけど、アメリカ人は「あの証言が利いている」というのですが、どうも日本人は聞きたくないという印象を受けました。アメリカ人にはもっと入れてほしかったといわれましたが、日本人は慰安婦の証言を少なくしたことをほめられたりするんです。

― それは不可解な
― 「Denial(否定)」では、ホロコーストの証言はほとんど入れないんです。いろいろなところでミスがあったり、記憶違いがあるのをつつかれるから、それは取り除いているんです。それに近いかなと思ったんですが。

監督 一方の証言を使うと、それに対して食い違うような証言も出てきます。実は好きな兵士がいたというようなことも出てきたりして、個別的なストーリーが食い違っていくような話が出てしまうんです。映画の中でも、そのことについてのシーンがあります。捕虜尋問の報告書49というところで出てくるのですが、「こういう状況があったとか、それは良かったんだ、悪かったんだ」ということは、立場によって違う解釈になる証言がでてくるのですが、私としては、システム全体として慰安婦という制度がどのように定義されたかということにポイントをおきたかったんです。数字とか個々の細かい各々の話を出していたら全容が見えなくなってしまうと思うんです。そこで阿部浩己さんのインタビューが重要になってくると思うのですが、「各々の慰安婦がどういう状況にいたかということではなくて、それぞれの人が完全なる支配の下にいた」ということがポイントなんだと話しています。

― 冒頭、2015年の日韓合意後、韓国政府要人に詰め寄るイ・ヨンスさんが出てきましたが、彼女はビョン・ヨンジュ監督の『息づかい』(1999年)に出演しています。慰安婦体験をした人たちを訪ね歩いたドキュメンタリーですが、あれから20年たちますがまだ元気でいるということにびっくりしました。
*『息づかい』、シネマジャーナル49号にビョン・ヨンジュ監督インタビュー掲載

監督 2017年からお会いしていないので、その後どうしているか、今はわからないですが、彼女は元慰安婦たちの中で一番若い方ではないかと思います。

*支援派対否定派という映画の構成について

― 私はパソコンで記事は書いているけど、ネットチューバーでもないので、ネット上でこのことが論争になっているということは知らなかったし、アメリカであんなに論争になっていることを今回初めて知ってびっくりしました。アメリカで日系人、アメリカ人、韓国系アメリカ人の間で論争になっているのはだいぶ前からなんですか? 従軍慰安婦の像をアメリカに設置するというあたりからなんですかね。

監督 論争自体は2008,9年くらいにニュージャージー州で慰安婦の像を建てるという話があったのが始まりだったのかもしれませんが、それ以前から、記事としてはあって、慰安婦が性奴隷だった、強制連行されていたんだという常識はアメリカにもあったと思うんですが、この慰安婦像の記事がメディアに出るようになって、そのことを否定派は嫌がったんじゃないかと思います。2012年に日本の外交官がニュージャージーのパリセードパークに行って、像の建設に抗議をとなえたという記録があります。なので小さな修正主義者のグループが反応しているだけでなく、日本政府がそこに加担しているということが大事なポイントです。

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(C)NO MAN PRODUCTIONS LLC

― 30人近くの人に取材していますが、よく取材OKが出たなと思いました。取材を申し込んで、スムーズに受けてくれたんですか?

監督 当初は支援派の人たちの承諾を得るのが難しかったんです。もしかしたら、顔を出すことによって攻撃をされるかもしれないという恐怖があったのかもしれません。支援派の人は学者が多くて、この問題について本を書いている人が多いので、「インタビューではなくて本を読んでもらいましょう」という態度が前面に出ていたともいえるかもしれません。
アメリカではドキュメンタリーの取材対象に対して、この映像を使っていいですよという署名をしてもらうのが常識なんですが、実際、取材の現場に行ってみると、その署名をしたくないという方もいました。そのような人に対しては、自分が撮影された映像を事前に見てもらって、このように使いますよというのを伝え、もし同意できないならば、映画の最後のところに「私はこの映画の自分の使われ方に対して反論します」というようなメッセージを入れて映画を完成させるということを約束して、そういう同意書に署名をしてもらいました。

*アメリカの思惑が「慰安婦問題」にも影響している

― 最後にアメリカと日本とやっていて、「アメリカの戦争に巻き込まれるだけですよ」という結論はとても意味深だと思いましたね。アメリカのために戦わされる、日本の防衛ためではないということをアメリカにいてそれを感じると映画を通して日本人に警告してくれたというのはとてもありがたいと思いました。

― それと1965年の日韓基本条約も、日本と韓国のためというより、アメリカの思惑があったという話は、目からウロコでした。その話は最近別のところでも聞きましたのでやっぱりと思いました。日本人の中では、この慰安婦の問題についても強制連行、強制労働など、朝鮮半島とのことはこの条約で解決済みという人がいるけど、実際はそういう問題はその時は吹き出ていなくて、その後出てきているから問題になっているのですよね。

監督 確かに知ってもらうべき重要なポイントだと思います。

― 「僕の国(アメリカ)の戦争に巻き込まれるよ」と言っていますが、僕の国なんだと思いました。監督の立ち位置としては、日系アメリカンとしてどういう風に考えていますか? 

監督 当初終わりに使おうと思っていたナレーションは「私の大統領が始めようとしている戦争に参加したいんですか? ほんとうに」という語りで、そこにトランプ大統領の写真を入れようと思っていたんですけども(笑)。アメリカが軍事国家であるということは自覚していますが、私は同意しませんので、アメリカ兵が外国で死んでほしいとは思っていません。そして日本人にもアメリカと共に戦争をするということは、日本人がアメリカの軍隊と共に死んでいくということになることを知ってほしいと思ったのです。だからこそ、最後にインパクトの強い映像を使ったんです。イラク戦争の時の空爆のシーンです。

― アメリカが軍事的な国だと強く認識したのは、どんなことがきっかけですか?

監督 私が大学生の頃、9・11の後、アメリカがイラクに派兵をしたという事件が衝撃的でした。今となっては、それは理由のない戦いだったとわかったわけですが、当時は実は納得していて、必要だろうと思っていたところがあります。大量破壊兵器がなかったとわかったところで、その軍事化の必要性に対して疑いを持つようになりました。

― 当時はアメリカ国民の多くがイラクに派兵するべきだと思っていたのですか?

監督 そうです。当時メディアからの情報やCIAのような機関からの情報も大量破壊兵器があるということを示していましたので、市民はそれを信用してしまったのです。当時市民たちは、自分たちがそういう情報を得ることはできなかったので、プロの人たちの情報を信じざるを得なかったのですね。今となっては信用できるわけではないということがわかったわけです。

― ロブ・ライナー監督の『記者たち~衝撃と畏怖の真実~』、その通りだったのですね。記者会見で「アメリカの新聞社は戦争に行くべきだと思っていたんじゃないですか?」って聞いたら、「違う、政府に騙されていたんだ」と答えていたけど、どうかななんて思っていました。

監督 メディアは政府寄りのメディアもあれば、そうでないメディアもあります。

― ベトナム戦争のきっかけになったトンキン湾事件でもそうでしたからね。それは日本も同じで満州事変もでっち上げでしたし。

― 昔からお上の言うことはね。

監督 ベトナムやイラクの戦争の経験を経て、私たちは政府を必ずしも信用できるわけではないということを知りました。アメリカ人にも日本人にも死んでほしくないというのが私の本心で、それは日系アメリカ人だからこその思いかもしれません。この映画の最後のコメントにそれが生きていると思います。

― 私はあのコメントはとても大事だったと思います。あれがあるから、この映画はいきていると思います。それではありがとうございました。
                                    取材:宮崎 暁美

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(C)NO MAN PRODUCTIONS LLC

取材を終えて
徴用工問題や海上自衛隊の哨戒機への火器管制レーダー照射問題などで、日韓関係が悪化している現在、日韓の間で長い間くすぶっている日本軍「元慰安婦」の問題について扱ったドキュメンタリーが公開される。この作品はこういう時期だからこそ、お互いの考えについて知る良い機会なのかもしれない。そして「慰安婦」問題について、左右両派の言い分について両論併記のように並べて紹介しているのは初めての試みなので、今後のこの問題に対する両国の人たちにとって大きな影響を与えるかもしれない。
この映画が、若い男の人によって作られたということが驚きでした。日系アメリカ人だからこそ作ることができたのかもしれません。そしてこの問題について、よく調べていると思いました。しかし、監督は「日本においては否定論者というのが社会のメインストリームの論述を占めてしまっているということなんです」と語っていたけど、ほんとにそうなのかな?という思いはあります。ネット上ではそうなのか? 少なくとも、私のまわりにはそういう人は逆にいないので、元慰安婦の方たちや関係者の証言を幾例も聞いてきたものからすれば、「慰安婦たちは性奴隷だったのか、本当に強制連行はあったのか、元慰安婦たちの証言はなぜブレるのか、日本軍は関与していたのか」ということについて質問すること自体が、「何、言ってるの?」状態なので、否定派の人たちの意見を聞くのが苦痛だった。「売春婦」だった。お金をもらっていた。そういう意見は聞きたくない。そういう人もいたかもしれないけど、ほとんどの人が自由のない「性奴隷」状態だったのは明白だから。そういう意味で彼女たちのことを「売春婦」などという人の話を聞いてイライラしたけど、映画自体はハルモニの思いをしっかりと伝えてくれる作品にまとまっていたと思います。
私は、「日本軍元慰安婦だった」と初めて名乗りをあげた金学順(キム・ハクスン)さんが日本に来たときの集会(1992年頃)や、2000年に開催された「女性国際戦犯法廷」(「日本軍性奴隷制を裁く2000年女性国際戦犯法廷」)にも参加しているし、このときの模様を放送したNHKの番組もリアルタイムで見ている。「元慰安婦」の方たちに取材したドキュメンタリー映画もほとんど見ているので、ミキ・デザキ監督が、今までの「元慰安婦」に関する論争や出来事をしっかり調べてまとめていると感心した。ぜひ、いろいろな人に観てほしい。
*2019年4月発行のシネマジャーナル102号でこの『主戦場』の作品紹介を掲載しています。
また、シネマジャーナル94号(2015年発行)に書いた『日本軍「慰安婦」を描いたドキュメンタリー』の記事で、これまで日本で公開、上映されてきた日本軍「元慰安婦」を描いた作品を紹介していますが、その後の作品も足したものを最後に参考資料として掲載していますので、興味ある方はぜひごらんください(暁)。

東京都 シアター・イメージフォーラム 03-5766-0114  4月20日(土)より公開
★4/26(金)18:45回(日・英字幕版)上映後、ミキ・デザキ監督によるティーチ・イン
★4/30(火)18:45回上映後、ミキ・デザキ監督によるティーチ・イン
★5/2(木)18:45回上映後、ミキ・デザキ監督によるティーチ・イン

※名古屋シネマテークにて4月27日(土)10:50回上映後、ミキ・デザキ監督初日舞台挨拶
※京都シネマにて4月27日(土)13:25回上映後、ミキ・デザキ監督初日舞台挨拶あり
※第七藝術劇場にて4月27日(土)15:20回上映後、ミキ・デザキ監督初日舞台挨拶あり

神奈川県 横浜 シネマ・ジャック&ベティ 045-243-9800 近日
青森県 フォーラム八戸 0178-38-0035  6月7日(金)〜6月13日(木)
山形県 フォーラム山形 023-632-3220  7月5日(金)〜7月11日(木)
宮城県 チネ・ラヴィータ 022-299-5555  5月17日(金)〜5月30日(木)
福島県 フォーラム福島 024-533-1717  6月14日(金)〜6月20日(木)
新潟県 シネ・ウインド 025-243-5530  5月18日(土)より公開
新潟県 高田世界館 025-520-7442  5月11日(土)より公開
石川県 シネモンド 076-220-5007  6月22日(土)より公開
愛知県 名古屋シネマテーク 052-733-3959  4月27日(土)〜5月17日(金)
★4/27(土)10:50回上映後、ミキ・デザキ監督初日舞台挨拶
長野県 松本CINEMAセレクト 0263-98-4928 ・5月12日(日) 11:00〜
会場:松本市中央公民館 Mウイング6階ホ-ル
・5月26日(日) 11:00〜 会場:まつもと市民芸術館小ホール
三重県 伊勢進富座 0596-28-2875 7月20日(土)より公開
大阪府 第七藝術劇場 06-6302-2073 4月27日(土)より公開
★4/27(土)15:20回上映後、ミキ・デザキ監督初日舞台挨拶
京都府 京都シネマ 075-353-4723 4月27日(土)より公開
★4/27(土)13:25回上映後、ミキ・デザキ監督初日舞台挨拶
兵庫県 元町映画館 078-366-2636 近日
岡山県 シネマ・クレール 086-231-0019 近日
広島県 横川シネマ 082-231-1001 6月1日(土)より公開
広島県 シネマ尾道 0848-24-8222 近日
愛媛県 シネマルナティック 089-933-9240 5月24日(金)より公開
福岡県 KBCシネマ1・2 092-751-4268 6月8日(土)より公開
大分県 シネマ5 097-536-4512 5月11日(土)より公開
宮崎県 宮崎キネマ館 0985-28-1162 近日
沖縄県 桜坂劇場 098-860-9555 近日

『主戦場』公式HP http://www.shusenjo.jp/
お問い合わせ=東風 E-mail. info@shusenjo.jp

参考資料
シネマジャーナル94号(2015年)記事+その後の記事
●日本軍「慰安婦」を描いたドキュメンタリー             宮崎 暁美
最近、日本軍「慰安婦」のことが大きな話題になっているが、その内容がひどい。強制連行はなかった、民間業者が連れ歩いた、軍が管理したというなら証拠を見せろ、売春婦として金もうけのために行ったなど、被害女性の傷に塩を塗り込むような発言があり、国際問題にもなっている。今まで作られた「慰安婦」を描いた作品の中で、何人もの元慰安婦や、軍関係者、地元の人などの証言がある。そんなことをいう人はぜひ観て考えてほしい。

『戦場の女たち』1989年 関口典子監督
大東亜戦争で最も悲惨な戦場となったパプア・ニューギニア。関口監督は戦後45年に取材した。町には南太平洋最大の慰安所が設置されたという。女性たちへのインタビューを丹念に拾い集め、元軍医も登場。慰安婦を管理し、慰安所が軍の管轄だったことを示す写真も出てくる。従軍慰安婦の中にも、日本人、朝鮮人、現地の女性という民族による差別があったこと、日本人従軍看護婦の慰安婦に対する偏見の目もこの映画は描いていた。
*シネマジャーナル12号で監督インタビュー掲載。
HPにもアップされています http://www.cinemajournal.net/bn/12/senjo.html

『アリランのうた―オキナワからの証言―』日本1991年  朴壽南(パクスナム)監督
本土上陸を遅らせるため捨石にされた沖縄。在日朝鮮人二世の朴壽南監督が沖縄戦で犠牲になった朝鮮人慰安婦・軍夫に関する証言を掘り起こした。沖縄戦から九死に一生をえて生還した元軍属たちの証言。沖縄の住民たちは日本軍による軍属の虐殺や慰安婦について語る。渡嘉敷島の慰安所へ連行され、初めて被害体験を語ったペ・ポンギさんも登場する。
 国会での政府の「慰安婦は商売人が連れ歩いた。政府は関知していない」という答弁(1990年)に怒った金学順(キム・ハクスン)さんが、91年日本軍元「従軍慰安婦」として韓国で初めて名乗り出た。この後、韓国の元「慰安婦」が次々に提訴に立ちあがっていく。
*シネマジャーナル20号で紹介。
朴壽南監督の『ぬちがふぅ(命果報)―玉砕場からの証言―』(2012年)でも、沖縄戦で「慰安婦」にさせられた少女たちのことが語られる。その後、『沈黙 立ち上がる慰安婦』(2017年)を製作 http://cinemajournal-review.seesaa.net/article/455148044.html

『ナヌムの家』3部作 韓国 ビョン・ヨンジュ監督
『ナヌムの家』1995年  
従軍慰安婦だった韓国の女性達が一緒に暮らす 「ナヌムの家」での生活を描いたドキュメンタリー。日本人に対しての恨みつらみの言葉も出てくるけど、かといってこの映画は 日本を糾弾するものではない。淡々とした彼女たちの日常の生活。しかし、彼女たちのつぶやきの中から見えてくるのは 「彼女たちが人間としてしてはならない体験」をさせられた事が、50年たっても心の傷となって消えていないこと。
*シネマジャーナル36・37号で紹介。

『ナヌムの家2』1997年
日本軍の従軍慰安婦として戦中戦後を通して辛酸をなめた韓国女性たちの現在を見つめた『ナヌムの家』の続編。「ナヌムの家」がソウル市内から田園地帯に移転し、新しい土地でハルモニたちは畑を耕し、鶏を飼い、キムチを漬け、家の運営について会議をする。そこには彼女たちの日々の暮らし、笑い、涙、喧嘩もある。そして、決して忘れることのない体験を語る。続編では、ハルモニたちが偏見と苦渋に満ちた人生を克服し、社会との新たな関係を作り始めていることが描かれる。

『息づかい』1999年  
ハルモニたちと、ビョン・ヨンジュ監督との7年間に渡る対話の集大成。映し出されるのは、ハルモニたち自身が自らの意志で奪い返した生の輝き。自らの体験をカムアウトしたイ・ヨンスさんは各地で同じ体験をしたハルモニを訪ね歩く。*シネマジャーナル49号で監督インタビュー掲載

『チョンおばさんのクニ』2000年 日本 班忠義(バン・チュンイ)監督
中国残留韓国人女性を追ったドキュメンタリー。チョンさんが17才の時、男に大田織物工場へ働きにいかないかと誘われ、韓国から連れていかれたのは、中国武漢市の慰安所。韓国には帰れず、中国で結婚。しかし、病気になり、祖国への帰国を希望。彼女を帰国させるべく、日本の団体が奔走し、祖国へ旅立ったのだけど、半世紀を越えて思い続けた故郷に彼女の肉親はおらず、昔の面影すらなかった。帰国の事がマスコミに大きく報道されたことも手伝って、少女時代の親友、姉妹にも会えた。しかし、皆が歓迎してくれたとは言えなかった。ガンが進行し、死ぬ前にまた中国に残した息子や孫に会いたいという彼女の希望はついに実現しなかった。

『オレの心は負けてない』2007年 日本 安海龍(アン・ヘリョン)監督
 在日朝鮮人「慰安婦」宋神道のたたかい。16歳の時だまされて慰安婦にさせられ、中国で約7年過ごした宋神道さん。戦後は日本に来て宮城県で生きてきた。このドキュメンタリーは宋さんが元従軍慰安婦だったと名乗りを上げ、「謝罪、補償請求」の裁判を起こした時から、その裁判を支える人たちとの交流を記録した。宋さんが裁判を通して、人間不信から、人への信頼を取り戻す過程が描かれる。

『ガイサンシーとその姉妹たち』2007年 日本 班忠義監督
日中戦争時代、日本軍の陣営に連れ去られ、性暴力を受けた女性たち。清郷隊という日本軍協力者の中国人が村々を回って、若い女性を連れ去り、日本軍陣営に連れて行き、監禁したという。
山西省一の美人を意味する「蓋山西(ガイサンシー)」と呼ばれた侯冬娥(コウトウガ)。その呼び名は彼女の容姿のことだけでなく、同じ境遇に置かれた幼い〝姉妹たち〟を、自らの身を挺して守ろうとした、彼女の優しい心根に対してつけられたものであり、その後の彼女の人生の悲惨を想ってのものだった。
蓋山西は、当時一児の母だったが、美人という評判を聞きつけて捕らえられ、日本軍の駐留地に連れて行かれたという。
*シネマジャーナル71号で紹介

『マルディエム 彼女の人生に起きたこと』2001年 海南友子監督
インドネシアの元「慰安婦」マルディエムさん。ジョグジャカルタの王宮に仕える家に生まれ、13歳の時、夢だった歌手になれるとだまされて、3年半、慰安婦生活を強要された。彼女はインドネシアの「慰安婦」を代表して両国の政府と闘っている。
過酷な人生を生きた気高く強い女性の数奇な運命と、彼女が訪ねる過去への旅の物語。
過去を公表した仲間達の中には家族や周囲の人々からさげすまれ、後ろ指を指されている人もいる。孤独の中で人生を歩んできた元「慰安婦」たちが、死ぬ思いで告白した勇気が周囲の無理解のなかで、あだになっていた。
 
『カタロゥガン! ロラたちに正義を!』2011年 竹見智恵子監督
太平洋戦争中、フィリピンでは日本軍への抵抗運動が続く中、若い女性たちが捕らえられ慰安婦にされたり、集団レイプなど性暴力の被害にあった。差別に苦しんできた被害女性たちは90年代に入り、長い沈黙を破って日本政府に謝罪と補償を求める闘いを始めた。
今も闘い続ける80才を過ぎたロラ(タガログ語でおばあさん)たちを、マニラ首都圏、ルソン島マパニケ村、レイテ島山間部の村に取材している。自分たちの正義(カタロゥガン)を取り戻すために証言するロラたち。これまであまり知られてこなかったフィリピンでの「慰安婦」たちの貴重な記録である。
*シネマジャーナル86号で監督インタビュー掲載

94号以降
『〝記憶〟と生きる』 2015年 日本 監督・製作・編集 土井敏邦
太平洋戦争下、「慰安婦」にさせられた朝鮮半島出身女性たちの〝消せない記憶〟。土井監督は約20年前、1994年から2年にわたって、元「慰安婦」たちが肩を寄せ合って暮らす韓国のナヌム(分かち合い)の家=韓国の仏教団体が開設した施設で、ハルモニ(おばあさん)たちを映像で記録していた。
取材したハルモニたちはすでに亡くなっているが、撮影から20年近くたった今、日本軍「慰安婦」問題が深刻な国際問題になっている状況に、「この証言映像が歴史的な資料となる。今きちんと記録映画としてまとめて残さなければ」という思いで、3時間半を超えるドキュメンタリー作品を作った。
『沈黙を破る』『異国に生きる 日本の中のビルマ人』などを撮ってきた土井監督が、ハルモニたちの映画とは意外だったが、きっかけは2013年の橋下徹大阪市長の「あれだけ銃弾が飛び交うなか、精神的に高ぶっている猛者集団に休息を与えようとすると、慰安婦制度が必要なのは誰だってわかる」という発言。「この人は犠牲者の顔と、その痛みが見えてない。今こそこの映像を世に出さなければ」と意を決し映画にしたと語っている。
ハルモニたちが慰安婦にさせられた経緯、慰安婦時代の話、苦労した戦後の生活。慰安婦だったと申し出るかどうかさんざん迷ったこと。ほんとは話したくない半生を彼女たちは声を振り絞って語る。
*シネマジャーナル94号で紹介

『蘆葦(あし)の歌』2014年 台湾 吳秀菁(ウ・シュウチン)監督
台湾の元日本軍「慰安婦」の支援活動を行っている婦女救援社会福利事業基金会(以下婦援会)により2014年に制作された。過去の辛い記憶を誰にも語ることなく生きてきた被害者たちが、台湾と日本の支援者との日々の交流の中で、少しずつ尊厳や、笑顔を取り戻していく最晩年を記録。
長い沈黙の末、立ちあがり、1999年から2005年まで日本政府を裁判で訴えた元「慰安婦」たち。2005年、日本の最高裁で敗訴に終わり、勝訴を勝ち取れなかったことは被害者たちの心に重い傷として残った。その後、台湾の婦援会をはじめ、日本の「台湾の元『慰安婦』裁判を支援する会」が彼女たちを守り、人間の尊厳の回復を目指す活動が続けられてきた。その一つが婦援会による心理治療を兼ねたセラピー・ワークショップ。専門家とボランティアの努力で1996年から16年続けた。最多の頃は2,30人の元慰安婦のお婆さん(阿媽=アマー)たちが参加したそう。阿媽の顔が最初は険しい表情だったけど、だんだん表情が柔らかくなるのが印象的。
*シネマジャーナル102号(2019年4月発行)で吳秀菁監督インタビュー掲載