『作兵衛さんと日本を掘る』 熊谷博子監督インタビュー

2019年5月25日(土)より ポレポレ東中野ほか全国順次公開
公開劇場情報
熊谷監督トップ300.jpg

未来へ突き抜ける炭鉱力

監督:熊谷博子
撮影:中島広城、藤江潔
照明:佐藤才輔
VE:奥井義哉

 出演
井上冨美 (作兵衛の三女)
井上忠俊 (作兵衛の孫 三女の長男)
緒方惠美 (作兵衛の孫 作兵衛の三男の長女)
菊畑茂久馬 (作兵衛の画集「王国と闇」を世に出した画家)
森崎和江 (作家 筑豊に住み、女性解放などをテーマに本や詩集を出す。「からゆきさん」で知られる。女鉱夫への聞き書きなどを続けた)
上野朱 (炭鉱労働者の自立と解放の運動拠点である「筑豊文庫」を開設した記録作家上野英信の長男)
橋上カヤノ(9歳から筑豊で育ち、19歳で結婚してから夫と共に坑内で働いた。2015年105歳で亡くなった)

SAKUBEI_sub1補正.jpg
山本作兵衛さん ©Taishi Hirokawa

『作兵衛さんと日本を掘る』
福岡県筑豊の元炭坑夫、山本作兵衛(1892~1984)が描いた炭鉱の記録画と日記697点が日本初のユネスコ世界記憶遺産に登録されたのは2011年5月。暗くて狭い、熱い地の底で石炭を掘り出す男と女。命がけの労働でこの国の発展を支えた人々の生々しい姿。作兵衛さんは炭鉱で働く人々の労働や生活、炭鉱で使われた道具など炭鉱のことを記録し絵に描いた。
作兵衛さんは幼い頃から炭鉱で働き、専門的な絵を描く教育は一度も受けていないが、自分の体験した労働や生活を子や孫に伝えたいと、60歳半ば過ぎから本格的に絵筆を握り、2000枚とも言われる絵を残した。
石炭を掘り出す作業は先山(さきやま)と運び出す後山(あとやま)の二人一組で、先山は男性、後山は女性。夫婦が多かったが、兄妹、姉弟のこともあり家族労働が主だった。女性の炭鉱内での労働は1930年に法律で禁止されたが、筑豊では戦後までひそかに続いたという。
作兵衛さんが記録画を描き始めたのは、国策で石炭から石油へのエネルギー革命が進みて、炭鉱が次々と閉山していく頃。さらに、その裏で原子力発電への準備が進んでいた。炭鉱労働者は、今度は原子力発電所に流れていった。作兵衛さんは自伝で「底の方は少しも変わらなかった」と残している。
熊谷監督は作兵衛さんの残した記憶と向き合い、104歳の元女炭坑夫を老人ホームに訪ねて、当時の炭鉱道具の使い方を教わったり、筑豊に住む作家森崎和江さんのほか、作兵衛さんの三女、孫、炭鉱労働者の自立と解放のための運動拠点を作った上野英信さんの長男朱(あかし)さんなど、作兵衛さんを知る人々の証言を聞き取り、作兵衛さんが生きた時代の筑豊の姿を記録し、日本の近現代史をみつめた。

公式HP


熊谷博子監督プロフィール

熊谷監督プロフィール.jpg
1951年4月8日生まれ。東京都出身。1975年より、番組制作会社のディレクターとして、TVドキュメンタリーの制作を開始。戦争、原爆、麻薬などの社会問題を追う。『幻の全原爆フィルム日本人の手へ』(1982)など。85年にフリーの映像ジャーナリストに。
主な監督作に映画『よみがえれ カレーズ』(1989:土本典昭氏と共同監督)、映画『ふれあうまち』(1995年)、映画『三池~終わらない炭鉱(やま)の物語』(2005年:JCJ特別賞、日本映画復興奨励賞)、NHK ETV特集『三池を抱きしめる女たち』(2013年:放送文化基金賞・最優秀賞、地方の時代映像祭奨励賞)。(公式HPより)

熊谷博子監督インタビュー

*104歳の元鉱夫が生きていた!

ー 『三池~終わらない炭鉱(やま)の物語』から『作兵衛さんと日本を掘る』まで、映画、TVで炭鉱関係の作品が続いていますが、熊谷監督の作品と意識して接したのは『よみがえれ カレーズ』(1989)が初めてでした。
山本作兵衛さんの絵は2011年5月25日にユネスコの世界記憶遺産に登録されましたが、作兵衛さんを描いた映画は、その前に萩原吉弘監督の『炭鉱(ヤマ)に生きる』(2006)で観て知っていたので、作兵衛さんの絵が世界記憶遺産に登録されたのがとても嬉しかったのを覚えています。
その後、RKB毎日放送の『坑道の記憶 炭坑絵師・山本作兵衛』(2013)も観ていますが、初めて作兵衛さんの絵を観た時に女性も炭鉱で働いていたんだと知りびっくりしました。

熊谷監督 作兵衛さんの絵は前から気になっていたし、女坑夫がいたということは、『三池~終わらない炭鉱(やま)の物語』の時から知ってはいましたが、三池の作品の時もずいぶん女坑夫を捜したのですが、みつからなかったんです。三池は大炭鉱だったから、1930年に法律で女性の炭鉱内での労働が禁止されたときにピタッと終わったのですが、筑豊は中小の炭鉱が多く、また法律の執行も2,3年遅かったのです。とにかく働かないと生きていけないから、違法な状態で女性の坑内労働は戦後まで続いていました。なので筑豊では女坑夫だった人がみつかるかもしれないなとは思っていました。

ー 私は作兵衛さんの絵を見て、初めて女性も炭鉱で働いていたことを知りました。まさか女性が炭坑の中で働いていたとは思ってもいませんでした。今回、坑内で働いていた橋上カヤノさんが出てきて、女坑夫でまだ生きている人がいた!とびっくりしました。しかも104歳なのに、しっかりと話しもできる状態だったので驚きました。

監督 そうです。すごいことですよ。最初にお目にかかった時104歳だったのですが「ようこそ」と立ち上がって迎えてくれたし、話ができる状態だと想像もしていなかったのでびっくりしました。さらにその後、持っていった背負いかごも、背負って見せてくれました。なぜカヤノさんの存在がわかったかというと、筑豊女性アーカイブスのニュースレターの中に、102歳になる橋上カヤノさんという元女坑夫が飯塚のホームにいると書いてあったのです。それを見た時は104歳になっているはずだし、生きてはいないかなと思ったのですが、連絡を取ってみたら存命だったんです。それで慌てて会いに行ったんです。

SAKUBEI_main.jpg
©Yamamoto Family

*絵を描く原動力

ー 間に合ってよかった。貴重な炭鉱労働の証言でしたね。
作兵衛さんのことは、何度も映画になっていますが、絵そのものに魅力ありますよね。私は2013年に東京タワーであった作兵衛さんの絵の展覧会に行ったのですが、絵の迫力に涙が出ました。ユネスコの世界記憶遺産に日本で初めて選ばれたのが作兵衛さんの描いた炭鉱の絵だったというのも納得いく絵の力がありました。それにしても2000枚も描いているというのがすごい。しかも描き始めたのが60代半ばからですものね。

監督
 とにかく伝えたくて伝えたくてしょうがないというのが創作の原動力だったようです。

ー それにしても写真を見て描いたわけではないのに、細かいところまで描いていていますよね。今だったら写真を見ながら描くということもありますが、当時の写真はそう残ってはいないわけですからすごい記憶力だと思いました。

監督
 写真的記憶術というか、脳の中にたたみこまれた記憶が絵として出てきたような感じはありますよね。次から次へと出てくるのでしょうね。絵の大きさはB3~A2くらいが多いのですが、和紙ではなく画用紙に描いていたので、いずれは崩壊する運命にあるんです。

ー 絵もそうですが、文字も味がありますよね。

監督 絵の具で描いているのですが細かいですよね。普通、寄ると粗も目立つのですが、作兵衛さんの絵は寄っても粗が目立たず、ここまで細かくきちっと描いているのかとわかってすごいです。

ー 東京タワーで見た絵は原画だと思いますが、とても見ごたえがありました。田川市石炭・歴史博物館の「山本作兵衛コレクション」も見てみたいです。

監督 そうです。東京タワーでの展覧会は、ご家族や親しい方たちが持っていた原画でした。田川の博物館には世界記憶遺産登録分がありますが、全作品がまとめて展示されているというわけではなく、何ヶ月かごとのローテーションです。そういう意味では、東京タワーでの展覧会の絵は一番見ごたえがあったと思いますよ。

ー 同じようなシーンを何度か描いているうちに完成度が高くなっているのでしょうね。92歳まで生きて描いていたわけですが、25年近くの間、精力的に描いていたんですね。

監督 そうですね。孫や後の世代に伝えたいという思いから描き続けたんですね。

ー 今までの作兵衛さんの絵をテーマにした映画は、作兵衛さん自身のことについて描いたものが多かったのですが、今回の熊谷監督の作品は、作兵衛さんの周りの人たちに取材していて、作兵衛さんと筑豊の姿が描かれていたので、作兵衛さんのことだけでなく、筑豊のこともより理解できました。
お子さんやお孫さんが語る家での作兵衛さんの話、炭鉱労働者の自立と解放のための運動拠点を作った上野英信さんの長男上野朱さんが語る筑豊の労働者のこと、筑豊に住む作家森崎和江さんの語る当時の筑豊の姿とかとても興味深かったです。上野英信さんや森崎さんがこんなに筑豊とかかわりがあったということを知りました。

監督
 意識のある若い世代が観ると、こういう人がいたんだとびっくりする人がけっこういるんですよね。

PICT6384補正.jpg


*かつては筑豊出身と言えなかった

ー 作兵衛さんのことは、ユネスコの世界遺産に登録された時に知った人が多いでしょうけど、名前だけ出しても知っている人は少ないですよね。「炭鉱の絵でユネスコの世界記憶遺産になった人」というと「ああ、その人」という風に答える人がほとんどで、なかなか知られていないのが残念です。やっぱり、こうやって何度も映画にしてほしいです。これからもいろいろな角度から作兵衛さんや炭鉱のことをテーマに作品が作られてほしい。あの時代のことを知ることができます。

監督 そうですよね。今回、炭鉱に対して、あれだけの差別があったということを初めて知りました。これまではそういう話は表には出てこなかったんです。

ー お孫さんが「作兵衛さんの絵が世界記憶遺産に登録されてからやっと筑豊の出身だと言えるようになった」というシーンに驚きました。日本の発展を支えてきた炭鉱だったのに、そんなに差別があったんですね。思ってもみませんでした。

監督
 前に三池炭鉱の映画を作った時に驚いたのは、作ってくれてありがとうとあんなにいわれた作品はなかったんです。やっとこの映画を観て、やっと自分の出身地を言えるようになったという方がすごく多かった。三池に限らず鉱山で育った方も、「閉山」という言葉そのものが「おまえらいらない」と言われている感じがしていた。この映画を観て、そうじゃなかったと初めて悟り、自分の出身や生い立ちを言えるようになったと言っていました。
作兵衛さんのお孫さんの井上さんが、この話をされたのは、この映画を撮り始めてから5年くらいたってからなんですよ。作兵衛さんのことをTV番組でもやったんですが、その絵をじっくり見せるという風にはならなくて納得がいかず、自分で映画も作ろうと思ったんです。
もう一度作兵衛さんの日記を読み直してみた時に、米騒動のところで「思エバ悲シ、我々勤労者ナリ」という言葉にズキっときたんです。また「みんな富裕層の番犬になっている」という言葉にも感じるところがありました。また、自伝を読んだ時に「変わったのは表面だけであって底のほうは変わっていない。炭鉱は日本の縮図に思えて胸がいっぱいになる」という言葉があって、ほんとに変わってないな、この国はという思いです。そこから「日本を掘る」というタイトルが浮かんできたんです。
作兵衛さんの作品を作り直しますとお孫さんの井上さんに言った時、「実はね、出身地を話せなかったんです。爺ちゃんの作品が世界記憶遺産になることによって、やっと出身地を堂々といえるようになった」とおっしゃったんです。それを上野朱さんのところに行って話したら、上野さんも「いやあ、僕も結婚して新たに戸籍を作る時に、炭鉱のあった場所を本籍地にしたら、役場からやめた方がいいと言われた」と。このことを作品に入れようと思いました。

ー 私自身は「エッ!日本の発展を支えてきた人とたたえられていたのに、差別があったんだ!」と思いました。確かに仕事としては3K(きつい・汚い・危険)の大変な仕事だから、皆さん他に仕事があればそちらを選ぶでしょうから、食いつなぐために炭鉱の仕事をしていたのでしょうけど、そういう仕事をしていることに差別意識があったのでしょうね。そんな差別があるなんて思ってもみなかったけど、現地ではそうだったんですね。

監督 作兵衛さんの絵が世界記憶遺産になったり、映画になったりしているうちに、この炭鉱の仕事は誇って良いものだったんだと思えるようになった。作兵衛さんの絵が認められることによって、底辺と思われていた炭鉱の仕事が認められるようになったということなんでしょうね。

ー 国のエネルギー政策が炭鉱から原発にシフトされるようになって、炭鉱から原発にという人の流れがあったということを、この作品でハタと思い至りました。炭鉱が閉山されて、たくさんいた労働者たちはどこへ行ったんだろうと思ったのですが、今度は原発に流れていったのですね。炭鉱の仕事も原発の仕事も危険と隣合わせの仕事ですが、閉山してしまったから行かざるを得なかったのでしょうね。

監督 筑豊って盛んだった頃は「口きき稼業」で炭鉱へ労働者を送り込んでいた人がいたわけですが、閉山になると、今度はその人たちは、行き場のない炭砿労働者を原発へ送り込んでいたんです。しかし原発に行った後、身体がだるくて動けない、いわゆる“原爆ブラブラ病”みたいな状態で筑豊へ戻ってきた炭鉱出身者が多かったんですね。被爆して体を蝕ばれていた。

ー 今までたくさんのドキュメンタリー映画で、歴史や文化などの知識を得てきましたが、この九州の炭鉱の歴史も繰り返し、映像で表現していってほしいです。TVより主題を深く掘り下げることができるのは映画ですよね。でも、たくさんの人に観てもらえるのはTVと違って難しい。いかに興味がない人にも興味を持ってもらうかですね。『カメラを止めるな』みたいに話題になるといいのだけど(笑)。

監督 そうなんですよ。『カメ止め』超えを狙っているんですよ(笑)。

ー なんかのきっかけで話題になって、たくさんの人が観に来てくれるといいですね。シネマジャーナルあたりでは力になれそうもないけど(笑)。でも地味な作品でも「これぞ」と思う作品を紹介していこうと思います。

監督 これはそういう意味でもブレイクさせたいという思いはあります。7年に渡って作ってきた作品ですから。自分一人ではなく、いろいろな人たちの思いが詰まっています。炭鉱の生活の中で、たくさんの亡くなった人たちの想い、無名の人たちの想いが詰まっている。その人たちに後押しされてできたという感じがしています。
作兵衛さんは絵を残してくれましたし、カヤノさんは長生きして話を聞かせてくれたけど、その背後にいる無数の人たちの存在というのが大きかったですね。その人たちに支えられてできたと思います。作兵衛さんの絵は明治・大正・昭和初期までの炭鉱の姿を描いているけど、今も全然変わらないエネルギー産業の姿。原発も構造は一緒だということに気づかせてくれた。

sakubei_omote.jpg
©2018 オフィス熊谷

*作兵衛さんの絵の魅力とインパクト

ー 作兵衛さんの絵は、作兵衛さんの目で見た記憶で、その絵に存在感があったから、この映画は成り立って炭鉱の姿を見せてくれる。作兵衛さんの絵の力はすごいですね。

監督 作兵衛さんはもともと絵が好きで絵心がありますよね。また、絵もそうですが、向上心がありますよね。字は漢和辞典を書き写して覚えているわけですから。

ー 字も絵も絵心というかバランス感覚があるとうまいですよね。作兵衛さんの字も味がありますよね。絵と字を合わせて目に焼き付けさせてくれる。それにしても色や形、柄などもしっかり覚えていたんだなと思いました。
作兵衛さんの絵を見て女の人も上半身裸で働いていたんだとか、炭鉱のお風呂は男女混浴だったというのも見せてくれて「エ~っ!」とびっくりしました。今だったら信じられないような状況ですね。

監督 作兵衛さんって、女坑夫に対する愛が深いというか、尊敬の念があって、だからこそ美しく描いているかなと思います。男は風呂からあがって酒を飲んでいるのに、女は傍らで米をといでいるというような絵、そういう生活の状態をちゃんと描いている。あの時代の男の人の感覚からするとすごいと思います。文章にもそう書いています。

ー そうですね、あの時代に働く女の人の姿を見ていて、大変さを思ってくれていたんだなと思いました。 今も同じですよね。家事育児はどうしても女性に負担が多い。そういうならいになってしまっている。
森崎和江さんは「からゆきさん」で知っていたのですが、筑豊にずっと暮らして作家活動だけでなく、そういう女性たちの地位向上のための活動もしていたのですね。今もお元気で活動しているのですか?

監督 今はもう入院も長引いてお話を聞くことができないかもしれません。画家の菊畑茂久馬さんも、もうあまり人に会っていないとおっしゃっていました。

ー 皆さん、今のうちに話を聞いておかないと話を聞けなくなってしまいますよね。作兵衛さん自身も本人の話はあまり残っていないのが残念です。作兵衛さんのことは絵のインパクトで表現ですね。

監督 ユネスコの世界記憶遺産に推薦した理由を見てみると、「誰も記録する人がいなかった時代に、一労働者が残した記録」というのが、世界にも類がないということだったんですね。

ー ほかの国はどうだったのでしょう。

監督
 イギリスも19世紀の中頃まで、女性がほぼ同じように働いていたようです。
*イギリスでの炭鉱労働の絵が掲載されていた本を見せてくれた。同じように狭い炭鉱で働いている女性労働者の姿があった。

ー 日本ではまだ炭鉱が残っているのでしょうか?

監督 釧路で海底炭鉱が残っていて、火力発電所で石炭を使っています。
ベトナムの炭鉱に撮影で入ったんです。地底から坑道を1時間くらい歩いて上ってくる時に、遠くに入り口の光が見えて、「ああ、これで生きて帰れる」と思ったので、炭鉱で働いていた皆さんは、そういう風に思って毎日働いていたんだなと坑夫たちの気持がわかりました。

ー 日本がここまで発展するのに、炭鉱で働いていた人がたくさんいて、そういう人たちがいたことを作兵衛さんが絵で残してくれたから、今の時代の人たちに、彼らのことが伝わるということがすばらしい。作兵衛さんありがとうと感謝したい気持ちです。今日はどうもありがとうございました。
取材 宮崎 暁美

『山懐に抱かれて』初日舞台挨拶4/27(白)

今頃ですが、この素敵なご夫婦の言葉をやっぱり残しておきたいので、おくればせながら書き起こしました。
東京のポレポレ東中野での上映は今週金曜日まで。この後全国各地での上映となります。詳細はこちらのHPの上映情報をご覧ください。

IMG_8972.jpg

遠藤隆監督 今日の主人公はこのお二人です。私はインタビュアーになります。実はお二人が映画を観るのは今日初めてです。ご覧になった感想を。

お父さん(吉塚公雄)どうもみなさん、今日は本当にありがとうございました。岩手県で一番の、日本で一番の貧乏暮らしがこんな映画になって信じられない気持ちでいっぱいです。あの場面あの場面の子どもとの思い出とか、いろんなことを思い出すと…胸がいっぱいで…とにかく今までね。奇跡的につぶれないでこれて、なにもかにも思い返すと遠藤さんのおかげでした。牛乳屋が生まれてできたことも遠藤さんのおかげ、こんな映画にも…(涙ぐむ)ほんとにもう感謝しかありません。これを支えてくれたみなさんが牛乳をとってくれて…ほんとにありがとうございました。
IMG_8947s.jpg

お母さん(吉塚登志子) 新しい気持ちで今日見せてもらったんですけれども、よくここまでこれて、ましてこんな映画にまでなったなんて信じられない。ずっとテレビ岩手の遠藤さんに、ずっともう小汚い家に何回も通っていただいて、子どもたちと接していただいて。初めのころは遠藤さんが持ってきてくれるお土産を楽しみに(爆)みんな待っていたような感じでしたが(笑)、こういう形になったというのは、ほんとに感謝して、感動しています。

遠藤監督 自分で作って泣くのもおかしいんですが、見てて涙が出てきてしまいました。昔、私と出会ったころはたぶん一番厳しいころだったと思うんです。ただ逆に子どもたちが小さくてお父さんの話をちゃんと聞いてくれて、家族の仲がすごくうまくいっていた時期でもあります。あの頃のことを思い返していかがでしょう?

お父さん そうですね。画面の中にも出てきましたけど、子どもたちが小さい頃はね。親父が右といえば、右(笑)。「早く終われ!」と怒りつけて頭をゴンってやったり(笑)、そうやって私が家族を思い通りにやらせてきた。それが徐々に成長してきて、自分の思いを認めてもらえない、って。頭ごなしにやってきたのがああいう風になるわけなんです。今思えばひどい親父だな、と思いますが。でもその時その時、精一杯やってきましたんでね。反省はしても後ろ向く暇がない(笑)。とにかく前を向く。希望の光を目指してですね、進むことしか考えてないアホですから(笑)あんまり反省はしない。申し訳なかったとは思っていますけれども、今からも前進することだけを信じてやっていきます。早くしないと人生おわっちゃうんで。

遠藤監督 確かに取材していても、僕も理不尽だなと思うことはありました(笑)。僕も実はお父さんとずいぶん喧嘩しています。子どもたちもああやって喧嘩しているんだけれども、お父さんはとてもよく聞いています。聞いてていろんなことを思っているんです。自分で頑固親父だと言っていますけど、一応人の話を聞く頑固親父でした(笑)。お母さんはそれをずっと受け止めて。どういう思いでやってこられたんでしょうか?
IMG_8959s.jpg

お母さん はい。よく皆さんに「お母さんよく頑張ってこれたね。どうして?」と聞かれるんです。私の子どものころの夢は「家族みんなでご飯が食べたい」。それが夢でした。小さいころに預けられて、クリスマスに姉と2人だけでロールケーキを食べたことがあります。「これを家族みんなで食べたらどんなに美味しいかね」と言いながら食べた記憶があるので。両親をを早くなくしているので「お金がなくたって、何もなくたって、家族みんなが健康ならなんとかなるじゃん」って。何かにぶつかったときにも「みんなが元気ならいいじゃん」って思います。だから頑固でいろいろありましたけど(お父さんと顔を見合わす 笑)こういう皆さんと会う機会ができて遠藤さんに一番感謝します。ほんとありがたいだけです(拍手)。

遠藤監督 結婚を決めたのはどういうところか、僕はもう100回くらい聞いているんですけど(笑)、お父さんからお見合いの話を。

お父さん 電気のないところで学生のころ20歳から一人頑張ってきたんですけど、それまで自炊したことがなかったんです。健康のために玄米食にして一汁一菜でした。朝たくさん炊いて、しゃもじで三等分にしてしゃもじのまんま食べる。すると洗い物が少なくてすむので(笑)。三等分を六等分にするとさらに楽なんです(笑)。そんなことをしていたらだんだん痩せてきて、栄養失調になってこのままじゃやべぇなと、初めて実家に助け船を求めたんです。「嫁さんなんとかなんねぇかな、女ならだれでもいいから」(笑)。
そういうことで候補に挙がってきたのがこの方でございまして(笑)。当時私は28歳、彼女は22歳。お袋が親代わりで連れてきました。牛を追って九州から北海道までいろいろ歩いたんですけど、女性との経験がまるでないもんですから舞いあがっちゃって食事ものどを通らなくなったりしてね(笑)、大変な思いをしました。
でも開拓農家ですから、仕事をやってみてもらおうと思って一輪車で薪を運んでもらったんです。そしたら、この人は一輪車に割った薪を一個乗っけて運んでいるんです(笑)。そして次に2個(笑)。次に10個というならまだわかるけど、ちょっとこれは申し訳ないけど、この人に開拓は無理だなと。可愛いかなんかしんないけど、若いかもしんないけど無理だなと、帰ったらお断りしようと思ったんです。
帰る日の朝、食事前に牛の乳絞っていたら彼女がパパパパと走ってきて、「私合格ですか?」と言うんです。
22歳の若い女の子が「合格ですか?」ってね。傷つけないように頭めぐらして考えました。そして出てきた言葉が「僕で良ければ」(爆笑と拍手)。
そういういきさつがございまして、めでたくですね。どっちがめでたいんだか?今二人並んでいるわけでございます。ほんとに馬鹿馬鹿しいお笑いで(拍手)。

遠藤監督 最後のほうのカットで二人が結婚なさったときの写真があります。あれはつい最近見たんですが、お父さんとお母さん目があってなくて、変な写真なんです。あの頃、お孫さんのいる今を想像もできなかっただろうな、と。誰もそうですけど、素敵だなとああいう構成にしました。
私はディレクターとしてずっと関わってきました。今日も撮影に来ている田中君も20年撮影してくれました(拍手)。映画にしろと言ってくれた社長、ほかにもたくさんのスタッフがいます。
IMG_8970.jpg
田中カメラマンと遠藤監督

そのみんなが映像しか見ていなくても、吉塚さんに夢中になって、ここにたどり着いたんです。そのことはぜひ知っていただけたら、と思います。どうもありがとうございました。(拍手)

田野畑村の石原 弘村長が駆けつけ、石塚夫妻と遠藤監督に花束を贈りました。
IMG_8966s.jpg

作品紹介はこちら
遠藤隆監督インタビューはこちら
(まとめ・写真 白石映子)

『誰もがそれを知っている』公開記念 高橋ユキ、中瀬ゆかりトークイベント

event-everybodyknows1.JPG

『別離』『セールスマン』で2度のアカデミー外国語映画賞に輝いたイランの名匠アスガー・ファルハディ監督。待望の最新作『誰もがそれを知っている』は15年前のスペイン旅行で目にした壁に貼られた行方不明の子供の写真に着想を得て、ずっと温めてきた物語だという。スペインを代表する国際的スター俳優夫婦のペネロペ・クルス、ハビエル・バルデムを主演に迎え、オールスペインロケで挑んだ。
このたび、6月1日公開を前にトークイベントが開催された。登壇したのは、フリーライター高橋ユキと新潮社出版部長の中瀬ゆかり。高橋は2013年に山口の集落で起きた連続放火殺人事件を2017年に取材したルポ「つけびの村」が“最恐の村サスペンス”としてSNSで話題を呼び、noteの有料記事が8000購入を突破、書籍化が決定した。一方、中瀬はアスガー・ファルハディ監督の大ファンであり、「事件マニア」として数々の取材記事を取り上げてきた。高橋と中瀬がスペインの村と日本の村で起きた事件の共通点について語った。

『誰もがそれを知っている』(英題:EVERYBODY KNOWS)
everybodyknowsposter.jpg

スペインの故郷で久々に再会した家族と幼なじみ。しかし、結婚式で起きた娘の失踪をきっかけに、隠していたはずの真実をめぐり家族の秘密と嘘がほころび始める…。

監督・脚本:アスガー・ファルハディ
出演:ハビエル・バルデム、ペネロペ・クルス、リカルド・ダリン 

2018年/スペイン・フランス・イタリア/スペイン語/133分/アメリカンビスタ/カラー/5.1ch//日本語字幕:原田りえ
配給:ロングライド  
© 2018 MEMENTO FILMS PRODUCTION - MORENA FILMS SL - LUCKY RED - FRANCE 3 CINÉMA - UNTITLED FILMS A.I.E
公式サイト:https://longride.jp/everybodyknows/
6月1日(土) Bunkamuraル・シネマ、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次公開


ファルハディを観ていない人にとって一番入りやすい作品

作品の上映が終わり、興奮冷めやらぬ会場に高橋ユキ、中瀬ゆかりが登壇した。まず高橋が「つけびの村と共通点があるのか、半信半疑で見始めたが、見終わった後は共通点があると感じた」と話した。そして、誘拐劇というよりも村における噂がテーマになっていると指摘し、「田舎の噂は経済状況について、詳しく把握される傾向があり、この映画でもそういうシーンがよく出てきて、万国共通だと思った」と語った。
続いて、ファルハディ監督の大ファンで、これまですべての作品を見てきた中瀬は「余韻としては『彼女が消えた浜辺』が一番近い」と分析。主演の二人がトップスターであり、ファルハディ監督作品に見られる多くの要素が入っている本作を「ファルハディを観ていない人にとって一番入りやすい作品」と位置付けた。その上で「みな何かを失い、幸せになっていない。村の閉鎖的な環境の中で、出ていける者と出ていけない者がいる。残らざるを得ない者はこれからもまた新たな秘密が加わったこの村で、あの事件のことをずっと囁き続けて、10年後20年後も昨日起こったことのように噂するのだろうと考えてしまう」と振り返った。

everybodyknowsmain.jpg


村の閉そく感とその中での筒抜け感

ここで、高橋が2013年の夏に起きた『つけびの村』の事件について簡単に説明した。限界集落に住む60代の男性がある夫婦を殺して家に火をつけ、その裏手の家でも女性を殺して火をつけて、家を燃やした。さらに別の家に忍び込んで2人殺害し、 “平成の八つ墓村”と言われていた事件である。一審、二審とも死刑判決が下され、最高裁で継続して審議中。加害者は妄想性障害と診断されているが、高橋は個人的には嫌がらせがあったのかが気になって取材をしたという。
つけびの村事件の話を受け、中瀬はファルハディ監督が土地にこだわり、作品の舞台は都会でなく村でなくてはならなかったと言っていることから、「村独特の人間関係、閉そく感がこの作品の大きなテーマ」だと話す。そして、「サピエンス全史」を取り上げ、この本で人類の言語は噂話と陰口で発達したと書かれているといい、「人間は言語の獲得によって、今、そこにいない人や物について、時空を超えて話せるようになり、危険や情報を共有していった」と動物と人間のコミュニケーションの違いを指摘し、噂話と陰口が人類の歴史と密接な関係にあることを説明。「人間が会って話しているとき、8割はそこにいない人の話と言われている」と付け加えた上で本作のタイトルを引き合いに出し、他人が知らないはずの個人情報を意外に多くの人が知っていることについて触れた。それに対し、高橋も「(つけびの村やこの作品の村が)なぜか筒抜けみたいな感じ」と同調した。

everybodyknowssub3.jpg


キャラクターの濃さが本作の魅力

さらに中瀬は本作ではお金の話が重要になっていると話をした後、ラウラが妹の結婚式で村に帰ってきたとき、美人でお金持ちオーラ全開だったために嫌な雰囲気が感じられたとし、「みんなの目つきがけっして祝福していない。結婚式の場面でさえ、村人の目は厳しかった」と話すと、高橋もその点が作品はリアルだと共感し、「めでたい話のときに親戚の人が集まると、『でも、あれはなあ』みたいな話になるのに似ている。ぞっとするものがある」と続けた。
さらに作品の具体的な展開について触れながら、中瀬は「1人1人ちゃんと描かれていて面白い」とキャラクターの濃さが本作の魅力とし、「ラウラの姉マリアナがおばさんで、その夫フェルナンドがおじさんだと思って、パンフレットで年齢を確認したら、フェルナンドは私と同じ歳で、マリアナは年下でした(笑)。これがリアル。そちらもショックでした」と会場の笑いを誘った。

everybodyknowssub6.jpg


SNSの発達により、噂話や陰口のスケールが大きくなった

続いて裁判の傍聴をしている高橋に、「噂話が事件の引き金になったものがあるか」と中瀬が尋ねると、金銭目的の犯罪は噂を鵜呑みにしたものが多いと高橋が指摘。中瀬も「Facebookなどでリア充アピールするよりも、『金、ないよ。またキャッシングしちゃったよ』と逆のアピールをした方が今の世界はリスク管理になる」と返し、会場にはまた笑いが起こった。
そのままSNSの発達について話が及んだ。高橋が「(噂話や陰口の) 場所が変わってきたのを感じる」と話すと、中瀬は噂話や陰口のスケールが変わってきたとし、「立ち聞きしてハッとなるシーンがドラマにもあるが、昔は聞かなくていいことが耳から入ってきた。今は活字で自分の悪口を見る。思わず画面の前で声を出してしまうこともある」といい、「エゴサーチはできるだけしないようにしているが、誰かに言われて気になって見てみると、ろくなことは書かれていない。あのパンドラの箱を開けてはいけない」と自らの話を出した。

everybodyknowssub1.jpg


45歳で二児の母とは思えないペネロペ・クルス

高橋も中瀬も地方出身で、田舎の閉そく感が大学進学を目指す勉強の原動力だったという話になり、“ラウラもパコではなく、アレハンドロなら村を抜け出せると考えたのでは”と推測。さらに、(ラウラを演じた)ペネロペ・クルスは45歳の二児の母でありながら美貌と体型を維持していることへの賞賛に女子トークが展開。中瀬は「ファルハディ監督の映画に出てくる女優は全員美人。好きな顔なのか、美人ばっかり使うから、顔が見分けにくい。最初の頃、みなさん混乱しませんでしたか」と会場にも話題を振った。
最後に中瀬が「ファルハディ監督は高橋の好みの映画監督ではないか」といい、高橋も「他にも観てみようと思った。」と応えて、イベントは幕を閉じた。

event-everybodyknows4.JPG


『誰もがそれを知っている』トークイベント
日時:5月20日(月)20:45〜21:15 ※上映後トークイベント
場所:ユーロライブ(渋谷区円山町1-5 KINOHAUS 2F)
登壇:高橋ユキ(フリーライター/「つけびの村」著者)、中瀬ゆかり(新潮社出版部長)

<プロフィール>
【高橋ユキ】
1974年福岡県生まれ。2005年、女性4人で構成された裁判傍聴グループ「霞っ子クラブ」を結成。殺人等の刑事事件を中心に裁判傍聴記録を雑誌、書籍等に発表。現在はフリーライターとして、裁判傍聴のほか、様々なメディアで活躍中。著書に「霞っ子クラブ 娘たちの裁判傍聴記」(新潮社)、「暴走老人・犯罪劇場」(洋泉社)、「木嶋佳苗 危険な愛の奥義」(徳間書店)、「木嶋佳苗劇場」(宝島社)ほか。Twitterアカウント:@tk84yuki
▷ルポ「つけびの村」note記事URL:https://note.mu/tk84yuki/n/n264862a0e6f6

event-everybodyknows3.JPG


【中瀬ゆかり】
1964年和歌山県生まれ。「新潮」編集部、「新潮45」編集長等を経て、2011年4月より出版部長。『5時に夢中!』(TOKYO MX)には番組開始初期からレギュラー出演。他にも、『とくダネ!』(フジテレビ)などにコメンテーターとして出演している。

event-everybodyknows2.JPG