『轢き逃げ -最高の最悪な日-』主演・中山麻聖 石田法嗣インタビュー

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映画『轢き逃げ -最高の最悪な日-』は俳優・水谷豊の監督2作目。結婚式を目前に控えた青年が起こした轢き逃げ事件をきっかけに、他人には見せることのない“人間の心の奥底にあるもの”を描いた。水谷豊監督のオリジナル脚本である。
轢き逃げ事件を起こす宗方秀一を演じた中山麻聖さんと秀一の学生時代からの親友・森田輝を演じた石田法嗣さんに、出演のきっかけや撮影現場でのエピソードなどについて聞いた。

<プロフィール>
中山麻聖(なかやま ませい)
1988年12月25日、東京都出身。04年に映画『機関車先生』でデビュー。12年に主演映画『アノソラノアオ』が公開され、14年には「牙狼-魔戒ノ花-」(TX)でTVドラマでも主演を務める。主な出演作に、「江〜姫たちの戦国〜」(NHK/11)、「美女と男子」(NHK/15)、「警視庁ナシゴレン課」(EX/16)、「べっぴんさん」SP(NHK/17)等。2019年主演映画『牙狼〈GARO〉-月虹ノ旅人-』が公
開予定。

石田法嗣(いしだほうし)
1990年4月2日、東京都出身。子役としてデビュー。映画『カナリア』(05/毎日映画コンクール・スポニチグランプリ新人賞受賞)に出演し、SPドラマ「火垂るの墓-ほたるのはか-」(NTV/05)で主演を務める。その後、2回の海外留学で視野を広げ、2019年は今作以外に『空母いぶき』『スウィート・ビター・キャンディ』など4作品の公開が決まっている。


『轢き逃げ -最高の最悪な日-』
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宗方秀一(中山麻聖)は助手席に親友・森田輝(石田法嗣)を乗せ、ホテルに向かっていた。大手ゼネコン副社長の娘・白河早苗(小林涼子)との結婚式を控え、司会を務める輝とともに、その打合せがあるのだ。待ち合わせ時間に遅れていたため、渋滞を避けようと横道に入り、そこで若い女性をはねてしまう。いったんは警察に届けることを考えた秀一だったが、将来を捨てることができず、そのまま逃げた。
悲しみにくれる被害者の両親、時山光央(水谷 豊)と千鶴子(檀 ふみ)。その事件を担当するベテラン刑事・柳公三郎(岸部一徳)と新米刑事・前田俊(毎熊克哉)。平穏な日常から否応なく事件に巻き込まれ、それぞれの人生が複雑に絡み合い、抱える心情が浮き彫りになっていく。彼らの心の奥底に何があったのか?何が生まれたのか?その悲劇の先に、彼らは何を見つけられるのか?

監督・脚本:水谷 豊  
撮影監督:会田正裕  
音楽:佐藤 準
出演:中山麻聖、石田法嗣、小林涼子、毎熊克哉、水谷 豊、檀 ふみ、岸部一徳
配給:東映
(C)2019映画「轢き逃げ」製作委員会
公式サイト:http://www.hikinige-movie.com/
★2019年5月10日(金)全国公開

―公開を控えた今のお気持ちをお聞かせください。

中山麻聖(以下、中山):すごくうれしいですね。1年経って、やっとみなさんに見ていただける。それと同時にいよいよその日が来たという緊張感が高まって、心が揺れています。

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石田法嗣(以下、石田):オーディションから考えると1年3カ月くらい。とうとうこの日がやってきたと思うと僕も緊張しています。

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―オーディションではどんなことをしたのでしょうか。

中山:本編から輝と秀一のシーンを抜粋した2ページくらいの台本を事前にいただき、両方のセリフを覚えてきてくださいと言われました。
どういう風に芝居をするか、自分でいろいろ考えて、オーディションに臨んだところ、秀一をするよう言われました。

石田:僕も同じですね。輝をやった後に、僕は秀一もやってみてと言われたのを覚えています。別の組だったので、麻聖とは顔を合わせていません。

―終わったときの手応えはいかがでしたか。 

中山:オーディションのときはいつもそうですが、手応えはないというか、わからないというのが正直なところです。
2018年の1月にオーディションが行われ、2月に結果をいただき、クランクインまで2カ月くらいありました。

石田:手応えというよりも、「あそこはもうちょっとはっきり言った方がよかったかな」などいろいろ考えてしまいました。僕も1カ月くらい経ったところで合格の連絡をいただきました。

―役作りに関して、水谷豊監督から何か事前にお話はありましたか。

中山:本読みが何度かあり、なるべく自分の価値観に固執せずに、普通にフラットでいてほしいと言われました。

石田:全体で本読みをした後に、僕らだけの本読みが2回ありました。最初の本読みのとき、自分が考えていた輝はちょっと違っていて、殻を破るというか、もうちょっと視野を広げるような感じと言われたのです。しかし、それがなかなかわからなくて…。3回目の本読みでやっと「光が見えてきた」といわれたときには、うれしくて泣きそうになりました。

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―撮影初日はいかがでしたか。

石田:クランクインは遊園地のシーンでした。秀一と輝がすごく元気に楽しんでいるのですが、(中山さんの方を向いて)そのときはまだ、今のようにコミュニケーションが取れていなかったんだよね?

中山:そうだった?

石田:まだ壁があったじゃない。

中山:俺はなかったよ。俺はその壁を壊そう、壊そうとしていたよ。

石田:クランクインの前日にやっと連絡を入れたんだっけ?

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―事前に連絡を取り合うことはなかったのですか。

中山: 2人の関係性を事前に築いておこうと思って、「好きなときに連絡して」と僕の連絡先を伝えたのに、クランクインの前日か前々日くらいまで連絡がなくて。法嗣くんの連絡先が分からなかったので、こちらからは連絡できなかったのです。

石田:麻聖はぐいぐい来る人でしたね。でも、どういうきっかけでメールを送ればいいのかわからなくて、何となく連絡できなかったのです。最初に聞いたのはスケジュールだっけ?

中山:そんなたわいもないところから連絡をし合うようになりました。でも、それ以降は、ご飯を食べに行くなど、一緒にいる時間を作っていました。お互いに近い存在になったほうがいいと思ったのです。

―お互いの最初の印象はいかがでしたか。

中山:今でも覚えていますが、エレベーターのドアが開いた瞬間に法嗣くんがいて、見た瞬間に「あっ輝だ」と思いましたね。

―石田さんがすでに輝になりきっていたのでしょうか。

中山:自分が「輝ってこういう人だろうな」と思っていた人物そのものがそこにいた感じでした。自分と同じ緊張感や似ているもの、同じものを持っている。気持ちを共有できる人がそこにいたので安心しましたね。

―現場以外でも、秀一と輝として付き合っていたのでしょうか。

中山:そういうことは意識していなかったですね。秀一だから連絡を取ろうというようなことはありませんでした。

石田:僕もまったく考えていなかったですね。“中山麻聖”と話していました。

中山:ただ、僕は自分と秀一の境目が正直、分からなくなっていました。劇中でも輝と秀一がメールのやりとりをしますが、ホテルで「明日、何時に出る?」「8時」「OK」というやりとりをしていると、劇中のできごととシンクロする部分があって、混乱するというか、これって秀一じゃないよな?と考えている自分がいるのが不思議な感じでした。

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―それだけ役に入り込んでいたのでしょうか。

中山:今、考えてみるとそうなのかなと思います。

石田:僕は役になり切れず、苦しんでいた記憶もあります。セリフが多かったこともありますが、本読みの時に指摘されたところが多く、監督が思っている人物像に近づくにはどうしたらいいかを考えて、ホテルではずっと本を読んでいました。鏡の前で表情を作ったりもしていましたね。気持ちが辛くなったら麻聖に電話して、気持ちを立て直していました。

―輝は難しい役ですよね。

石田:輝は時間の経過に応じて考え方や感情が大きく変わっていくので、僕にとってハードルが高い役でした。現場に入ってからも「監督はどのような輝がほしいのか?」を考えて、考えて、考えて。それでも自信をもって「これが輝」といえるものがなく、とにかく挑むしかない。いつもヒヤヒヤしていました。だから精神的に麻聖のことを頼っていたのです。

中山:それはお互い様だよ。

―演じる上で特に苦労したシーンはありましたか。

石田:どのシーンも大変でしたが、ファーストシーンの麻聖と車に乗っているところ、取り調べの最後のシーン、水谷さんとのアクション。これらは特に大変でした。

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―石田さんは水谷監督とのアクションシーンがありました。そのときのことで何か印象に残っていることがありますか。

石田:前日にアクション監督を交えて、ある程度の段取りをして、こういうときはちゃんと受けてくださいといった注意事項を説明されました。きっちりとした形は決めていなかったので、ほとんど当日、現場でやりました。ただ、かなりカット割りをしていたので1つ1つは短く、危なかったら止めるといった調整ができました。

―輝が窓ガラスを打ち破るシーンはハラハラしました。

石田:走っていって、転んで突っ込むところまではスタントさんですが、ガラスを打ち破るのは僕。アクション監督から「ぽんとやるから、気をつけてね」と言われ、本当にぽんと押されました。後ろから押されるので、気を付けようもなかったのですけれどね(笑)。
ガラスは割れると危ないので、代わりに飴細工を窓に張ってやりました。しかし、枚数が少なかったのでNGが出せない。しかも、細かく砕けた飴の破片も体に刺さるので、けっこう危ないと思いました。

―相手が水谷監督ということでより緊張されたのではありませんか。

石田:監督にケガをさせるわけにはいかない。僕が監督にかなり当たっていくので、間違えると大ケガに繋がります。怖かったですね。すごく気を使いながらやりました。それでもアクシデントが起こり、滑って転んで、ものすごい勢いで監督にぶつかってしまったのです。それにもかかわらず、監督は最後までしっかり撮っていたので、すごいと思いました。

―水谷豊さんは監督としてはどのような方だったのでしょうか。

中山:すごく綿密で繊細に演出をつける方です。
まず、最初に監督が演じ、それからテストをして、それでもずれているところは隣りまで来て、肩に手を置いて、優しく、気持ちの部分で変化をつけて演出してくれました。

石田:監督が演じてくれるのが、僕にはとてもありがたかったです。情報や言われることが多く、自分の中の処理が追い付かなくなってしまったのですが、監督が「ここでこういう風にこうやって動けばいいんだよ」と具体的に演出してくれました。

―水谷監督の意外な一面を感じたことがあったらお聞かせください。

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中山:僕には「水谷豊はこういう人」というフィルターがなかったので、今、目の前にいる方を素直にそのまま受け取っていました。現場にいてすごく楽しかったですね。

石田:この作品の前に『相棒-劇場版IV-』でご一緒させていただいたのですが、初めてお目にかかったのは小倉のホテルの前でした。僕は撮影だったのですが、水谷さんはオフで、ちょうどロビーに帰ってきたのです。挨拶に行ったら、「よろしくぅ」とユニークな感じで握手してくれたので、興奮してしまいました。
そのときに水谷さんがはいていたジーンズがNudie Jeansで、僕と同じだったのです。僕はNudieが好きで、水谷さんがはいていると思ったらうれしくなってしまい、別の機会に「いいNudieはいていますね」とお話ししたのです。初めはうまく伝わらなくて、水谷さんが「Nudieってなんだ?」と困っている顔をされたので、「これ、これ、これ」と自分がはいているジーンズを指で示したら、「おお!J(その時の役名)」と握手してくれました。
この作品ではジャケットにパンツといった動きやすい格好で監督していましたが、撮影が終わってハグしてもらったときは確かヌーディーをはいていたと思います。

中山:俺はいつも素敵なハットをかぶっているなあと思っていたよ。

石田:そうそう帽子をかぶっていたよね。

中山:パンフレットにも載っていますが、いくつか持っていらして、洋服に合わせて被っていましたが、すごく素敵でした。

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―今回の撮影を通じて、ご自身が俳優として成長したと感じる部分がありましたか。

中山:撮影の間、本当に濃縮した時間を過ごさせていただき、僕自身この作品への想いがとても強いです。
ただ、まだ自分自身を客観視できていない部分があります。監督はいいところはいい、悪いところはダメとはっきり言ってくださる方なので、成長できたかどうか伺えば、きっと正直に言ってくださるはず。舞台挨拶などで監督にお目にかかったら、僕が成長できたかどうかを監督に聞いてみたい。できれば成長したと言われたいですね。

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石田:僕は今回の作品で俳優としての階段をかなり登れたと思っています。
取り調べのシーンは難しすぎて、監督が求めるレベルになかなか届きませんでした。しかし、監督は「こういう風にやった方がいい」、「明日までにこういう風に考えてきて」とはっきりと言ってくれたので、その言葉をホテルに帰ってじっくり考えて、翌日、現場に行く。これを繰り返しているうちに、監督が思っていることに近づけたかなと思います。すごいものを得た気がします。

―取り調べのシーンは相手役が岸部一徳さんです。緊張したのではありませんか。

石田:なかなかできなくて、時間がかかってしまったのです。それでも一徳さんはとても優しくて、「大丈夫。ここは難しいよ。気にしなくていいんだよ」と言ってくださいました。うれしくて思わず、一徳さん!と叫びたくなりましたね。
一徳さんのタイミングに合わせてエレベーターに乗って、2人きりになった瞬間に「ありがとうございます!」とお伝えしました。自分にとって本当にいい経験でした。

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―今後、演じてみたい役はありますか。

中山:今回は事件を起こして、闇を抱えるというか、後悔や不安を抱えて生きる人間でしたが、人を殺めたり、罪を犯したりしても闇として受け取らない人物に挑戦してみたい気持ちはあります。それこそ、こうして話しながら、息をするように人を殺めてしまう、心の何かが壊れてしまっている役をやってみたいですね。

石田:漫才がしたいです。笑わせるのは難しいことだと思いますが、それに挑戦してみたい。麻聖と2人で凸凹コンビ。いけそうな気がします。

中山:法嗣は前から言っているのです。最初は「何を言っているのだろう」と思っていましたけれどね。信頼関係は築けているので、あとはどう笑わせるかだけです。

石田:麻聖はボケだよね。俺、ツッコミ。

中山:(驚いて)ええっ! そうなの!!

―これから作品をご覧になる方にひとことお願いいたします。

中山:今回の映画には、被害者と加害者、追う者と追われる者などいろいろな人が出てきますが、7人の登場人物それぞれのどの人の視点で見るかで、受ける印象が大きく変わってくる作品だと思います。轢き逃げという事件は誰にでも起こりうる。そういった意味で、秀一の視点、時山の視点などいろいろな視点で何度も見ていただけたらと思います。

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石田:麻聖に言われてしまいましたが、加害者と被害者、それぞれの視点で物語が変わる。そこをぜひ、ご覧ください。
人は選択して生きている。間違った選択をしてしまうとどん底に落ちてしまう。そこも見てほしいです。

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(取材・撮影:堀木三紀)

『山懐(やまふところ)に抱かれて』遠藤隆監督インタビュー

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〔遠藤隆監督 プロフィール〕
1956年東京都生まれ。岩手大卒業後テレビ岩手に入社、報道記者となる。1987年よりドキュメンタリー番組を手がけ、受賞多数。1994年「山地酪農(やまちらくのう)」に魅せられた吉塚公雄さんを取材以後、他作品製作の傍ら24年間取材を続ける。2016年編成局長退職後新しい役職につき現在に至る。吉塚さん一家シリーズはテレビ岩手で放映されたほかNNNドキュメントで回を重ね、“ガンコ親父と7人の子どもたち”の暮らしは多くの視聴者に共感と感動を与えた。作品紹介はこちら
★2019年4月27日(土)よりポレポレ東中野ほか全国順次公開(103分)

ー長い間テレビ番組として取材されてきて、映画化するまでどんな道を辿られたのでしょうか?

24年間取材して、もともとの素材は全部で1000時間分はありましたが、もうテレビ局にはなく、保管してあった170時間分と追加撮影した30時間分で200時間分。それを全部一から見直してあらためて編集しました。2017年11月頃からテープ素材をデータ変換し始め、取り込んで編集を繰り返して詰めていきました。
最終的に「これで行こう」という構成ができたのが2018年5月です。テレビ岩手のローカル番組として50分番組にした後、編集の佐藤さんと見て、今度は90分の番組に作り直しました。これで昨年文化庁芸術祭賞テレビ・ドキュメンタリー部門優秀賞をいただきました。映画化のためにもう一度ブラッシュアップして作り直し、出来上がったのが今回の映画です。

ー編集で切るのが忍びなかったでしょうね。

入れたかった部分はたくさんあって、監督としてはきりがないですね。田野畑村で行われている「なもみ」(男鹿半島では「なまはげ」)と呼ばれている風習があるんです。兄弟二人がやっている不思議で絵的にもいいシーンでしたが、前後と繋がらず入れられなくて残念でした。
入れるか入れないかは、この『山懐に抱かれて』のタイトルに対してどうか?と考えて、取捨選択ができたと思います。例えば公太郎君の修行の場面は数カットですが、北海道で1週間泊り込んで撮った素晴らしいシーンがある。あれだけなのは「山懐」に対して公太郎くんが帰ってきたときの布石以上にはならないからです。タイトルは50~60あった候補の中から昨年秋に決めました。

ー吉塚家を撮影しているうちに監督の立ち位置は変わりましたか?

ごく初期のころは取材者と対象者でしたけれど、かなり早い時期から“親戚のおじさん”みたいに一緒に茶の間にいたという感じで(笑)、そこから今まで変わりません。
とにかく牛乳を売らないと一家は山を降りるしかない、という瀬戸際で取材が始まっています。あの生活をやめて千葉に帰らなきゃいけないとしたら悲しいし、当然そうなってほしくはなかった。お父さんお母さんも子どもたちもそれはいやだけれど、経済状態が追い込まれていましたから、子どもたちも含めて同じ目標があったので一緒に考えていました。

ーきっとあの吉塚家の雰囲気のせいですね。私たちも家族の仲間になったような気がして心配していました。子どもたちが可愛くて、遠い親戚のおばさんみたいに「こんなに大きくなった~」とか(笑)。
 
観た方々が、同じようにあの家族のことを心配して応援してくださる。僕は技術ありませんから意図してできたものじゃないけれど、そう観ていただくのが一番嬉しいです。
子どもたちはお母さんが大好きなんです。そしてお母さんは(どんなに生活が大変でも)お父さんの悪口を言わない。女の子たちはお父さん大好きなんです。男の子たちは多かれ少なかれお父さんには言いたいことがあるんですが、お母さんに対しては100%大好き。

ー明るくて働き者のお母さんで愚痴も言わない。妻の一人として耳が痛いです(笑)。

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(C)テレビ岩手

ー山地酪農を続けている吉塚さんを、他の酪農家の方たちはどう見ていらっしゃるんでしょう?

田野畑地区は酪農地帯で、だいぶ減りましたが酪農家は何十軒もあります。最近は昼間何時間か放牧して夜は牛舎に戻るという一部放牧が増えています。山地酪農を続けて完全放牧をしているのは田野畑村では熊谷さんと吉塚さんの2軒だけです。吉塚さんと熊谷さんは、自分たちの理想を追求しますが、他の酪農家のことも仲間だと言っています。
「山地酪農」は山を切り開き、ニホンシバを植え育てます。牛は草だけを餌に、輸入穀物飼料を使いません。一年中放牧して自然交配・出産です。乳量は一般酪農より少なく、軌道にのって収入を得るまでに長い時間がかかります。
提唱した猶原恭爾(なおはらきょうじ)先生は、元々草地学者で農水省の研究施設の役人でした。牛を飼った実践は十年ですが、その前に理論的な研究を何十年もやっています。「日本の山地酪農」という楢原先生の貴重な本を読みまして、こんなに先進的なことを戦前から考えていたことにほんとにびっくりしました。

ーとても尊いと思いました。でも生活が回っていくまで長くかかりますね。日々食べて子育てしなくてはなりませんし。

猶原先生は山地酪農を永続的に続けることを「千年家(せんねんや)」と言っています。それがお父さんの理想です。子どもをたくさん作って男の子たちに継がせるというのを考えてきました。子どもたちはちょっと違っていて、「千年家を本当に続かせたいんだったら、家族だけに頼っていたら続かない」と言います。今は会社組織にして社員が2人、他人も関わって「千年家」のバトンをつないでいく。2代目はそう思っています。

ーその長い間に放射能の心配をするなんて予想もつきませんでしたね。

原発事故はこの24年間の一番のピンチでした。ほかのこと、確かに経済的にはボロボロだったけれども「とにかくやるしかない」みたいに打つ手があったわけです。放射能は違います。ただ、現段階で汚染されていないことは確かです。それが未来永劫続くという保障はどこにもないですが。牧場を拡げていけると、もし何かあっても、第2、第3の牧場で継続できる。そういう千年家にしなきゃいけないんじゃないか、と。そういうところは、お父さんも忸怩たるものがありながら認めています。

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ー息子さんたちの考えもあるでしょうから、また変わっていくでしょうね。吉塚さん親子に出会ったことで、監督が影響されたことはありますか?

僕はあの親父の生き方をマネしようとは全く思いません(笑)。あのお父さんを含めた家族たちは、みんなでご飯の前に「お爺ちゃんお婆ちゃん・・・(家族全員と牛の名前も全部呼ぶ)ありがとう!」と言います。あの感謝の気持ちですね。それに励まされました。
ロケで何が辛いってほんっとに寒い。あの寒さはハンパじゃないです。風も強いですし。その中で働いている彼らと一緒にいて、僕らはちょこっと取材して帰ってきますが、彼らはずっとあそこにいるわけです。
会社でもドキュメンタリーというのはテレビの中で特殊な世界で、そんなに楽ではないんです。そんなときにやっぱり我慢するとか、いろんな方々に関わっていただいていることに感謝するとかという気持ちを教えてもらいました。
これは仕事人というより、人間として教えていただいた分が大きいと思います。

ー子どもたちが小さかった始まりのころも、孫たちも加わった今もずっと同じようにみんなの名前を呼んで「ありがとう。いただきます」と、変わらないんですよね。じーんとしました。まだ撮り続けていかれますか?

取材はこれから先もできるだけ続けたいと思っていますが、彼がガンコ親父であることはたぶん変わらないでしょう。そういう彼の生き様を伝え、彼の遺言みたいなものを作れたらいいなという気持ちです。
僕はもちろん、すぐ近くにいるスタッフや後ろにいる社長や東京支社の人たち、配給さん宣伝さん、みんなが夢中になってくれるんです。これまでもドキュメントの仲間たちがものすごく応援してくれましたし、日本テレビの報道局の人たちがニュース番組の中で繰り返し放送してくれました。田舎の局の一つの題材をそんなに放送してくれるなんてほんとに異例です。

ー室井滋さんがナレーションをなさっていますね。

室井滋さんは、ずいぶん前から田野畑山地酪農牛乳を愛飲して、一家を応援してくださっているというご縁で今回につながりました。そういう多くの人の共感を呼ぶ力をこの家族は持っているんだと思います。
3代目の孫が映画の最後のほうで手を広げていましたけど、あの子たちが大きくなったらまた変わるかもしれないです。僕の気持ちとしては、そうやって「形を変えながらバトンタッチをしていく」というメッセージを伝えたいです。

ー今日はありがとうございました。

=取材を終えて=
なにかできることはないかな、と応援したくなる魅力的な家族でした。今、一家庭に子どもの数は1人いないんですよね。吉塚さんちは7人の子どもに恵まれました。働き者のお父さんお母さんを見てきた子どもたちは、小さなうちから立派な働き手となっています。電気もまだ通らないころ、ランプの灯りでご飯を食べている家族。学校に行く前にお父さん、お母さんの顔の見えるところまで走って「行ってきま-す」という子どもたち。ご両親の志をそれぞれに受け取って、まっすぐに育っています。
山地酪農はすぐには結果が出ません。一日中働いても思うような収入につながらず、子どもたちに何もしてやれないと声を詰まらせるお父さん。形のない、目には見えないものをたくさん贈ってきましたよ。子どもたちの中でそれは豊かに実っています。見ている私たちも幸せの種をもらいました。(取材:白石映子、宮崎暁美)

『初恋~お父さん、チビがいなくなりました』小林聖太郎監督インタビュー

アイドルのようにチャーミングな倍賞千恵子さんに監督が壁ドン!?

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「娚(おとこ)の一生」「姉の結婚」などで知られる西炯子の人気コミック「お父さん、チビがいなくなりました」が実写化された。本作は50年連れ添った夫婦の秘めた思いと愛を描き、倍賞千恵子、藤竜也が夫婦を演じる。
メガホンをとった小林聖太郎監督に人気コミックを映画化する苦労や現場でのエピソードを聞いた。

<小林聖太郎監督プロフィール>
1971年3月3日生まれ、大阪府出身。大学卒業後、ジャーナリスト・今井一の助手を経て、映画監督・原一男主宰の「CINEMA塾」に第一期生として参加。原一男のほか、中江裕司、行定勲、井筒和幸など多くの監督のもとで助監督として経験を積み、06年公開『かぞくのひけつ』で監督デビュー。同作で第47回日本映画監督協会新人賞、新藤兼人賞を受賞。11年公開の『毎日かあさん』では第14回上海国際映画祭アジア新人賞部門で作品賞を受賞した。その他監督作は『マエストロ︕』(15)、『破門 ふたりのヤクビョーガミ』(17)など。

『初恋~お父さん、チビがいなくなりました』
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3人の子供が巣立ち、人生の晩年を夫婦ふたりと猫一匹で暮らしている勝(藤 竜也)と有喜子(倍賞千恵子)。
勝は無口、頑固、家では何もしないという絵に描いたような昭和の男。そんな勝の世話を焼く有喜子の話し相手は飼い猫のチビだ。ある日、有喜子は、次女(市川実日子)に「お父さんと別れようと思っている」と告げる。驚き、その真意を探ろうと子供たちは大騒ぎ。そんな時、有喜子の心の拠り所だった猫のチビが姿を消してしまい…。
妻はなぜ、離婚を言い出したのか。そして、妻の本当の気持ちを知った夫が伝える言葉とは。

監督:小林聖太郎
脚本:本調有香
原作:西炯子「お父さん、チビがいなくなりました」(小学館フラワーコミックスα刊)
出演:倍賞千恵子 藤 竜也 市川実日子 星由里子 佐藤流司
配給:クロックワークス
(C) 2019 西炯子・小学館/「お父さん、チビがいなくなりました」製作委員会
公式サイト:http://chibi-movie.com/
5月10日(金) 新宿ピカデリーほか全国ロードショー


―小林監督がメガホンを取ることになったきっかけをお聞かせください。


脚本が第二稿ぐらいまでできていて(撮影稿は六稿)、倍賞千恵子さんと藤竜也さんの出演が決まっていた段階で、プロデューサーから声をかけていただいたのです。このお二人が出演されると聞き、喜んでお引き受けしました。

―原作は西炯子さんの人気コミック「お父さん、チビがいなくなりました」です。原作を読んだときの感想をお聞かせください。

長年連れ添ってきた夫と暮らしながら、主人公は寂しいと感じています。パートナーがいるからこそ味わう孤独を人物として見せられた気がして、興味を持ちました。
有喜子と勝夫妻は両親と同世代ですが、父も母も2人とは全然違うタイプです。モデルとして特定の誰かを思い浮かべてということではなく、男性優位社会で自分を押し殺して生きてきた70代女性に向けた、ある種のファンタジーとしての映画にできるのではないかと思いました。

―有喜子の生活ぶりが細やかに描かれていました。

食器を洗った後に洗い桶まで洗う。お父さんの夕飯がいらなくなったとき、魚屋さんで奮発して買ったカレイを冷蔵庫に戻して、自分の夕飯は豆腐にする。最後まで映すのは、人によっては退屈と感じるかもしれません。しかし、有喜子がほぼ一人で維持しているあの家の様子を、特に前半は丁寧に描きたかったのです。

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―監督の意向はどのように脚本の本調有香さんに伝えたのでしょうか。

本調さんに直接、具体的な「指示」をしたのではなく、本調さんが書いたものをこちらで少し直し、それをまた本調さんが直すというキャッチボールの中で、段々と形作られたのですが、日常を大事に描こうという姿勢は共有していたと思います。
本調さんは起承転結から零れ落ちる微細な事柄や感情、動きに興味があるような気がします。そのため、脚本を桜に例えると、枝葉が茂って、幹が見えなくなってしまった時期があったので、僕が「ごめん、ここは幹を見せたいんだ」と枝葉を伐採しました。
それでも枝葉に実ったものは大事にしたい。残す時は中途半端に残すのではなく、枝ごと残したところもある。その選別を経て、洗い桶や豆腐のくだりは脚本に残りました。
いちばんフォーカスすべきは有喜子の内面。有喜子は初めて自分で考えて、初めて自分で決めました。そこに至るまでの細やかなことは彼女を中心に見えるようにしたのです。

―原作にあった娘の恋愛が、映画では描かれていませんでした。

映画にも片鱗はありますが、原作ファンからするとおやっと思われるかもしれませんね。もちろん、家族論、恋愛論をもっと大きなドラマにして作ることも1つの選択としてはあったと思います。しかし、映画では有喜子にフォーカスしたかったのです。
全体を遠目で見たときに、映画と原作に大きなズレがあってはいけないと思いますが、原作の再構成というか、翻訳作業は必要だと思っています。

―有喜子がチビを探しに出たまま家出をして、次女のところに泊まった夜、「お父さんがいるから一人だって感じる」とこぼした言葉が心に刺さりました。これは原作にはないシーンですね。

何稿目か覚えていませんが、本調さんが書いた1行です。言わせすぎず、言い足りないこともない。これはすごくいいから絶対に残そうという話をしました。
脚本を作るときには僕と本調さんだけでなく、プロデューサーも話に加わっています。みんなでかなり話し合い、それを受けて本調さんが脚本に落とし込み、それに僕が手を入れる。どういう話し合いからこのセリフが導き出されたのかは忘れてしまいましたが、娘とあの会話をするために、有喜子が家出して娘のところに泊まることになったと思います。

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―この作品を象徴しているセリフですね。

それまでも有喜子はもやもやしたものを感じていたけれど、言葉にできなかった。自分に向き合わず、そして、向き合えずにきたので、思い至らなかったのでしょう。韓流ドラマを見て、かっこいいなと自分の心を誤魔化してきました。それを初めて自分で考えて、言葉にできた瞬間です。

―勝の描き方はいかがでしょうか。

原作にはマンガ、小説、落語などいろいろありますが、マンガは二次元の絵で、落語は一人の語り手の言葉や仕草、というように、そのメディア特有の表現で成り立っていて、一見、それをそのまま移し替えればいいように思いますが、それでは映画として成立しなくなる。
原作の勝は映画よりも無口。不器用でコミュニケーション不足が9割で、残りの1割に本当の思いが見える。その1割の部分は連載のたび、一話ごとにちょっとずつ挿し込まれています。それをマンガ通りに入れていくと2時間弱の映画として山がなく、フラットになってしまう。そこで、勝の思いはずっと溜めて、最後まで残しておいたのです。
それと、どうしても現実の生きた人間を余すことなく写してしまう映画というメディアではリアリズムを足場にせざるを得ないので、必要最小限の言葉は発するように変えました。ただ「ご馳走さま」と言葉では言っているけれど、有喜子の心には届いていないようにしたい。このすれ違いを伝えるにはどうしたらいいか。藤さんと「九州の人ですかね」などと癖や話し方を相談しながら、無神経と不器用の間くらいの感じに勝のキャラクターを決めました。映画化にはそういった作業も必要なのです。

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―藤さんご自身は女性に細やかな対応をしてくれそうなイメージがあります。役作りに苦労されたのではないでしょうか。

藤さんは優しくて、フェミニスト。勝はご自身とかなり距離のある人物だったようで、“靴下を妻に脱がせてもらうのはやり過ぎじゃないか”と抵抗があったようです。もちろんプロなので、きちんと役作りはされていましたが、二人の初日に撮った件のシーンでは、テストなどでカットがかかる度に「しかし、ひどい男だよね」とボヤいておられました。「おい」という呼びかけも声のトーンによって意味合いが違ってくるので、その辺りはいろいろ試していました。

―近所で将棋を指している勝に有喜子が外から手を振ったときの勝の対応は不愛想ですね。

照れとも、無礼とも言えますね。藤さんご自身なら、「おい、お茶でも飲んでいくか」ってことになっちゃいそうですけれど。でも、それではお話が始まらなくなってしまうので、堪えていただきました(笑)。

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―手を振る有喜子のかわいらしさに「倍賞さんのように歳を重ねたい」と思いました。

倍賞さんはすごくチャーミング。アイドルのように、映画の最後に歌ってもいいんじゃないかと思ってしまうくらい。アイドル映画だと思って、撮っていました。このかわいらしさは狙ってできるものではありません。女優さんは魅力的な方が多いのですが、その次元を超えています。
技術パートが準備する間の待ち時間、ずっと鼻歌を歌っていて、それがとても上手い。「浜辺の歌」「椰子の実」童謡などの日本の歌系が多かったかな。女優より歌手デビューの方が早いので当たり前なんですけど。聞いていると、とても心地よくて、このまま撮影が始まらなくてもいいやという幸福感がありましたね。

―倍賞千恵子さん、藤竜也さんとのエピソードがありましたら、お聞かせください。

とにかく幸せな時間でした。脈絡を思い出せないのですが、倍賞さんに壁ドンしました。台所のシーンを撮影している時だったのですが。。。
倍賞さんも藤さんも長くやっていらっしゃるので、当然といえば当然なのかもしれませんが、あちこちで縁を感じました。例えば、装飾部の高橋光さんは今でこそ東宝の装飾部ですが、元々は松竹の人でデビューが寅さんだったそうで、倍賞さんと久々にお仕事できることに奮起してくれました。将棋クラブのロケハンに行くと、集会所の責任者が「おっ、竜ちゃんの映画か!」と破顔一笑。藤さんの家に焼き物の窯を作りに行った人ですぐにOKがもらえたり。カットしてしまったシーンに倍賞さんが星さんと出会うパン屋があったのですが、そこは倍賞さんのお友達の行きつけの店でした。そういう人の縁を感じました。藤さんと倍賞さんも家が近くて、ご夫婦で一緒に食事をしたりしているそうです。

―ロケハンはスムーズに進みましたか。

実は、ロケハンには苦労しました。映画の半分以上を占める夫婦が住む家がなかなか決まらなかったです。実際に使わせてもらった家も、そのままでは完璧ではなくて、手を入れさせてもらっています。撮影に完璧な家というのは、作品ごと脚本に沿った都合に合わせて建てないといけないのですが、昨今そういうわけにもいきません。玄関を入ったところに壁があったので、台所との間に穴を空けさせてもらいました。
庭は使われていなかったので、手を入れました。また数年空いていたからでしょうか、ストーブを焚いても家の中がしんしんと寒かったです。お二人は大変だったと思います。家具も何もない状態でしたが、50年夫婦をやってきた積み重ねが出るように、居間や台所などは寅さん育ちの装飾部が入念にやってくれました。コーヒーメーカーもあるけれど、ワンカップのコーヒーを入れるとかね。

―エンドロールの切り抜いた文字はレトロ感たっぷりでした。

もともと黒地に延々文字だけを見せるエンドロールがあまり好きではなくて、この世に実際に存在する物体を撮影したいと文字を紙で切ることにしました。初めはもっとキャストが少ないかと思って、自分でやり始めたのです。ところが思っていた以上にキャストが多く、知り合いをたくさん巻き込んで手伝ってもらい、やっと完成しました。

―エンディング曲は映画「結婚三銃士」(1949年)の主題歌「あなたとならば」(歌:笠置シヅ子、作詞:藤浦洸 作曲:服部良一)ですね。

元々好きな曲ではあったのですが、映画の主題歌で使われたことがあるのは知りませんでした。歌詞がこの作品に合っていて、曲のトーンも映画の最後を締めくくるのにぴったりだと思い、お願いしました。いろいろと難しかったようですが、みんなががんばってくれました。

―これから作品をご覧になる方にひとことお願いいたします。

同性、異性を問わず、パートナーと長く暮らしている方に実感を持って見ていただけると思います。親世代だけでなく、子ども世代の方にも共感していただけるよう作りました。家族、夫婦の関係にぼんやりとした疑問を持っている方にも見てほしいです。
(インタビュー:堀木三紀)