「娚(おとこ)の一生」「姉の結婚」などで知られる西炯子の人気コミック「お父さん、チビがいなくなりました」が実写化された。本作は50年連れ添った夫婦の秘めた思いと愛を描き、倍賞千恵子、藤竜也が夫婦を演じる。
メガホンをとった小林聖太郎監督に人気コミックを映画化する苦労や現場でのエピソードを聞いた。
<小林聖太郎監督プロフィール>
1971年3月3日生まれ、大阪府出身。大学卒業後、ジャーナリスト・今井一の助手を経て、映画監督・原一男主宰の「CINEMA塾」に第一期生として参加。原一男のほか、中江裕司、行定勲、井筒和幸など多くの監督のもとで助監督として経験を積み、06年公開『かぞくのひけつ』で監督デビュー。同作で第47回日本映画監督協会新人賞、新藤兼人賞を受賞。11年公開の『毎日かあさん』では第14回上海国際映画祭アジア新人賞部門で作品賞を受賞した。その他監督作は『マエストロ︕』(15)、『破門 ふたりのヤクビョーガミ』(17)など。
『初恋~お父さん、チビがいなくなりました』
3人の子供が巣立ち、人生の晩年を夫婦ふたりと猫一匹で暮らしている勝(藤 竜也)と有喜子(倍賞千恵子)。
勝は無口、頑固、家では何もしないという絵に描いたような昭和の男。そんな勝の世話を焼く有喜子の話し相手は飼い猫のチビだ。ある日、有喜子は、次女(市川実日子)に「お父さんと別れようと思っている」と告げる。驚き、その真意を探ろうと子供たちは大騒ぎ。そんな時、有喜子の心の拠り所だった猫のチビが姿を消してしまい…。
妻はなぜ、離婚を言い出したのか。そして、妻の本当の気持ちを知った夫が伝える言葉とは。
監督:小林聖太郎
脚本:本調有香
原作:西炯子「お父さん、チビがいなくなりました」(小学館フラワーコミックスα刊)
出演:倍賞千恵子 藤 竜也 市川実日子 星由里子 佐藤流司
配給:クロックワークス
(C) 2019 西炯子・小学館/「お父さん、チビがいなくなりました」製作委員会
公式サイト:http://chibi-movie.com/
5月10日(金) 新宿ピカデリーほか全国ロードショー
―小林監督がメガホンを取ることになったきっかけをお聞かせください。
脚本が第二稿ぐらいまでできていて(撮影稿は六稿)、倍賞千恵子さんと藤竜也さんの出演が決まっていた段階で、プロデューサーから声をかけていただいたのです。このお二人が出演されると聞き、喜んでお引き受けしました。
―原作は西炯子さんの人気コミック「お父さん、チビがいなくなりました」です。原作を読んだときの感想をお聞かせください。
長年連れ添ってきた夫と暮らしながら、主人公は寂しいと感じています。パートナーがいるからこそ味わう孤独を人物として見せられた気がして、興味を持ちました。
有喜子と勝夫妻は両親と同世代ですが、父も母も2人とは全然違うタイプです。モデルとして特定の誰かを思い浮かべてということではなく、男性優位社会で自分を押し殺して生きてきた70代女性に向けた、ある種のファンタジーとしての映画にできるのではないかと思いました。
―有喜子の生活ぶりが細やかに描かれていました。
食器を洗った後に洗い桶まで洗う。お父さんの夕飯がいらなくなったとき、魚屋さんで奮発して買ったカレイを冷蔵庫に戻して、自分の夕飯は豆腐にする。最後まで映すのは、人によっては退屈と感じるかもしれません。しかし、有喜子がほぼ一人で維持しているあの家の様子を、特に前半は丁寧に描きたかったのです。
―監督の意向はどのように脚本の本調有香さんに伝えたのでしょうか。
本調さんに直接、具体的な「指示」をしたのではなく、本調さんが書いたものをこちらで少し直し、それをまた本調さんが直すというキャッチボールの中で、段々と形作られたのですが、日常を大事に描こうという姿勢は共有していたと思います。
本調さんは起承転結から零れ落ちる微細な事柄や感情、動きに興味があるような気がします。そのため、脚本を桜に例えると、枝葉が茂って、幹が見えなくなってしまった時期があったので、僕が「ごめん、ここは幹を見せたいんだ」と枝葉を伐採しました。
それでも枝葉に実ったものは大事にしたい。残す時は中途半端に残すのではなく、枝ごと残したところもある。その選別を経て、洗い桶や豆腐のくだりは脚本に残りました。
いちばんフォーカスすべきは有喜子の内面。有喜子は初めて自分で考えて、初めて自分で決めました。そこに至るまでの細やかなことは彼女を中心に見えるようにしたのです。
―原作にあった娘の恋愛が、映画では描かれていませんでした。
映画にも片鱗はありますが、原作ファンからするとおやっと思われるかもしれませんね。もちろん、家族論、恋愛論をもっと大きなドラマにして作ることも1つの選択としてはあったと思います。しかし、映画では有喜子にフォーカスしたかったのです。
全体を遠目で見たときに、映画と原作に大きなズレがあってはいけないと思いますが、原作の再構成というか、翻訳作業は必要だと思っています。
―有喜子がチビを探しに出たまま家出をして、次女のところに泊まった夜、「お父さんがいるから一人だって感じる」とこぼした言葉が心に刺さりました。これは原作にはないシーンですね。
何稿目か覚えていませんが、本調さんが書いた1行です。言わせすぎず、言い足りないこともない。これはすごくいいから絶対に残そうという話をしました。
脚本を作るときには僕と本調さんだけでなく、プロデューサーも話に加わっています。みんなでかなり話し合い、それを受けて本調さんが脚本に落とし込み、それに僕が手を入れる。どういう話し合いからこのセリフが導き出されたのかは忘れてしまいましたが、娘とあの会話をするために、有喜子が家出して娘のところに泊まることになったと思います。
―この作品を象徴しているセリフですね。
それまでも有喜子はもやもやしたものを感じていたけれど、言葉にできなかった。自分に向き合わず、そして、向き合えずにきたので、思い至らなかったのでしょう。韓流ドラマを見て、かっこいいなと自分の心を誤魔化してきました。それを初めて自分で考えて、言葉にできた瞬間です。
―勝の描き方はいかがでしょうか。
原作にはマンガ、小説、落語などいろいろありますが、マンガは二次元の絵で、落語は一人の語り手の言葉や仕草、というように、そのメディア特有の表現で成り立っていて、一見、それをそのまま移し替えればいいように思いますが、それでは映画として成立しなくなる。
原作の勝は映画よりも無口。不器用でコミュニケーション不足が9割で、残りの1割に本当の思いが見える。その1割の部分は連載のたび、一話ごとにちょっとずつ挿し込まれています。それをマンガ通りに入れていくと2時間弱の映画として山がなく、フラットになってしまう。そこで、勝の思いはずっと溜めて、最後まで残しておいたのです。
それと、どうしても現実の生きた人間を余すことなく写してしまう映画というメディアではリアリズムを足場にせざるを得ないので、必要最小限の言葉は発するように変えました。ただ「ご馳走さま」と言葉では言っているけれど、有喜子の心には届いていないようにしたい。このすれ違いを伝えるにはどうしたらいいか。藤さんと「九州の人ですかね」などと癖や話し方を相談しながら、無神経と不器用の間くらいの感じに勝のキャラクターを決めました。映画化にはそういった作業も必要なのです。
―藤さんご自身は女性に細やかな対応をしてくれそうなイメージがあります。役作りに苦労されたのではないでしょうか。
藤さんは優しくて、フェミニスト。勝はご自身とかなり距離のある人物だったようで、“靴下を妻に脱がせてもらうのはやり過ぎじゃないか”と抵抗があったようです。もちろんプロなので、きちんと役作りはされていましたが、二人の初日に撮った件のシーンでは、テストなどでカットがかかる度に「しかし、ひどい男だよね」とボヤいておられました。「おい」という呼びかけも声のトーンによって意味合いが違ってくるので、その辺りはいろいろ試していました。
―近所で将棋を指している勝に有喜子が外から手を振ったときの勝の対応は不愛想ですね。
照れとも、無礼とも言えますね。藤さんご自身なら、「おい、お茶でも飲んでいくか」ってことになっちゃいそうですけれど。でも、それではお話が始まらなくなってしまうので、堪えていただきました(笑)。
―手を振る有喜子のかわいらしさに「倍賞さんのように歳を重ねたい」と思いました。
倍賞さんはすごくチャーミング。アイドルのように、映画の最後に歌ってもいいんじゃないかと思ってしまうくらい。アイドル映画だと思って、撮っていました。このかわいらしさは狙ってできるものではありません。女優さんは魅力的な方が多いのですが、その次元を超えています。
技術パートが準備する間の待ち時間、ずっと鼻歌を歌っていて、それがとても上手い。「浜辺の歌」「椰子の実」童謡などの日本の歌系が多かったかな。女優より歌手デビューの方が早いので当たり前なんですけど。聞いていると、とても心地よくて、このまま撮影が始まらなくてもいいやという幸福感がありましたね。
―倍賞千恵子さん、藤竜也さんとのエピソードがありましたら、お聞かせください。
とにかく幸せな時間でした。脈絡を思い出せないのですが、倍賞さんに壁ドンしました。台所のシーンを撮影している時だったのですが。。。
倍賞さんも藤さんも長くやっていらっしゃるので、当然といえば当然なのかもしれませんが、あちこちで縁を感じました。例えば、装飾部の高橋光さんは今でこそ東宝の装飾部ですが、元々は松竹の人でデビューが寅さんだったそうで、倍賞さんと久々にお仕事できることに奮起してくれました。将棋クラブのロケハンに行くと、集会所の責任者が「おっ、竜ちゃんの映画か!」と破顔一笑。藤さんの家に焼き物の窯を作りに行った人ですぐにOKがもらえたり。カットしてしまったシーンに倍賞さんが星さんと出会うパン屋があったのですが、そこは倍賞さんのお友達の行きつけの店でした。そういう人の縁を感じました。藤さんと倍賞さんも家が近くて、ご夫婦で一緒に食事をしたりしているそうです。
―ロケハンはスムーズに進みましたか。
実は、ロケハンには苦労しました。映画の半分以上を占める夫婦が住む家がなかなか決まらなかったです。実際に使わせてもらった家も、そのままでは完璧ではなくて、手を入れさせてもらっています。撮影に完璧な家というのは、作品ごと脚本に沿った都合に合わせて建てないといけないのですが、昨今そういうわけにもいきません。玄関を入ったところに壁があったので、台所との間に穴を空けさせてもらいました。
庭は使われていなかったので、手を入れました。また数年空いていたからでしょうか、ストーブを焚いても家の中がしんしんと寒かったです。お二人は大変だったと思います。家具も何もない状態でしたが、50年夫婦をやってきた積み重ねが出るように、居間や台所などは寅さん育ちの装飾部が入念にやってくれました。コーヒーメーカーもあるけれど、ワンカップのコーヒーを入れるとかね。
―エンドロールの切り抜いた文字はレトロ感たっぷりでした。
もともと黒地に延々文字だけを見せるエンドロールがあまり好きではなくて、この世に実際に存在する物体を撮影したいと文字を紙で切ることにしました。初めはもっとキャストが少ないかと思って、自分でやり始めたのです。ところが思っていた以上にキャストが多く、知り合いをたくさん巻き込んで手伝ってもらい、やっと完成しました。
―エンディング曲は映画「結婚三銃士」(1949年)の主題歌「あなたとならば」(歌:笠置シヅ子、作詞:藤浦洸 作曲:服部良一)ですね。
元々好きな曲ではあったのですが、映画の主題歌で使われたことがあるのは知りませんでした。歌詞がこの作品に合っていて、曲のトーンも映画の最後を締めくくるのにぴったりだと思い、お願いしました。いろいろと難しかったようですが、みんなががんばってくれました。
―これから作品をご覧になる方にひとことお願いいたします。
同性、異性を問わず、パートナーと長く暮らしている方に実感を持って見ていただけると思います。親世代だけでなく、子ども世代の方にも共感していただけるよう作りました。家族、夫婦の関係にぼんやりとした疑問を持っている方にも見てほしいです。
(インタビュー:堀木三紀)