『存在のない子供たち』 ナディーン・ラバキ―監督インタビュー
2007年、ベイルートの美容室を舞台に女性たちの赤裸々な姿を描いた『キャラメル』で鮮烈な監督デビューを果たしたナディーン・ラバキー。『キャラメル』で音楽を担当したハーレド・ムザンナルと映画完成後に結婚。『キャラメル』の日本公開の折には、第一子ご懐妊で来日できず、今回初来日となった。
『存在のない子供たち』では音楽だけでなくプロデューサーも引き受けた夫のハーレド・ムザンナルに、二人の子供たち、そして両親も一緒に来日。インタビューには、常に夫も同席されると聞いていたが、来日早々体調を崩され、ナディーン・ラバキー監督お一人で臨まれた。
ナディーン・ラバキ― Nadine Labaki
1974年2月18日レバノン、ベイルート生まれ、内戦の真っただ中に育つ。
1997年、ベイルート・サンジョセフ大学にてオーディオ・ビジュアル学で学位を取得。2005年、カンヌ国際映画祭の主催する「レジダンス」制度に参加。ベイルートを舞台にした初めての長編映画『キャラメル』の脚本を執筆。自身で監督・主演も果たした。2007年、カンヌ国際映画祭監督週間で初上映され、ユース審査員賞受賞。サンセバスチャン映画祭では、観客賞受賞。『キャラメル』は、60か国以上の国で上映された。2008年、フランス文化・通信省より、芸術文化勲章を授与される。
ナディーンの長編映画第二段『Where Do We Go Now?(英題)』でも、脚本/監督/出演をこなした。カンヌ国際映画祭「ある視点」部門で、エキュメニカル審査員スペシャル・メンション受賞。トロント国際映画祭観客賞、サンセバスチャン映画祭観客賞受賞。レバノンでの興行成績がアラブ映画として歴代一位。2014年、都市をテーマにしたオムニバス映画シリーズ『リオ、アイラブユー』を監督。
役者としては、フランスのフレッド・カヴァイエ監督『友よ、さらばと言おう』(2014)、グザヴィエ・ボーヴォワ監督『チャップリンからの贈り物』(2014)、レバノン出身の監督ジョージ・ハシェムの『Stray Bullet(原題)』(2007)、モロッコ出身の監督レイラ・マラクシの『Rock the Casbah(原題)』(2013)などに出演。本作ではゼインの弁護士役として出演している。 (公式サイトより抜粋)
存在のない子供たち 原題:Capharnaum
監督・脚本: ナディーン・ラバキー
プロデューサー・音楽:ハーレド・ムザンナル
出演: ナディーン・ラバキー、ゼイン・アル=ラフィーア、ヨルダノス・シフェラウ、ボルワティフ・トレジャー・バンコレ
2018年/レバノン・フランス/カラー/アラビア語/125分/シネマスコープ/5.1ch/PG12
配給: キノフィルムズ
*ストーリー*
推定12歳の少年ゼイン。法廷で自分を産んだ罪で両親を訴える。
両親が出生届けを出さなかった為に学校にも行けず、路上で水タンクを運んだり、ティッシュを売って日銭を稼ぐゼイン。唯一の心の支えだった妹のサハルが11歳で無理やり結婚させられてしまい、怒りと悲しみから家を飛び出してしまう。行く当てのないゼインを助けてくれたのは、赤ちゃんと二人暮らしのエチオピア移民のラヒル。彼女も不法滞在で、いつも不安を抱えていた・・・
(C)2018MoozFilms/ (C) Fares Sokhon
公式サイト:http://sonzai-movie.jp/
★2019年7月20日(土)よりシネスイッチ銀座、ヒューマントラスト渋谷、新宿武蔵野館ほか全国公開
◎ナディーン・ラバキー インタビュー
― ゼインの家族が、パレスチナやシリア難民でない、レバノンの家族であることにびっくりしました。逆にどこの国にでもありえる話と捉えることができました。
レバノンの人たちは、どんな反応でしたか?
監督:もちろんリアクションは様々でした。自国で起きているのを否定する方もたくさんいました。レバノンの人たちはとても誇り高いので、レバノン人の家族にそのようなカオスがあることを受け入れがたく思う人が多いようです。一方で、ポジティブな意味でショックを受けて、自分が何かしなければ、行動に移さなければと思ってくださる方もいました。この映画が変化に繋がればいいと思っていましたので、そのような反応は嬉しかったです。
―3年間にわたる長時間のリサーチが必要だったのは?
監督:人々に納得してもらうためには、何よりリアルであることが重要でした。私が想像してこういうことがあったから苦しんでいると描くのは簡単だったかもしれません。そうではなくて、真実の話であることが重要でした。実際にどんなことが起きているのかを知るのに時間がかかりました。車を止めて物を売ったり、路上でガムを売ったり、水タンクを運んだりしている子が、ほんとうに不幸な子供なのかをちゃんと知りたいと思いました。普段閉じられている家の中も覗いて、どんな生活をしていて、どんな苦しみを経験しているのかにも踏み込まなければと思いました。子供たちの状態を理解するには、家族やコミュニティの人々がどう暮らしているかも知る必要がありました。そこでどういうことが起きているのかをリアルに描かなければと思いました。虚構の物語を綴る権利は私にはありません。彼らの苦しみを映画を通じて伝えるには、私はただただ代弁者でなければと思いました。ですので、役者さんではなく、リアルな人々に出演していただくことも必要でした。
― 物語の境遇に似ているリアルな人たちを使う魅力や難しさ、また、想像していた以上に得られたことはありましたか?
監督: 演技をしたことのない人たちなので、普段の撮影と違うプロセスが必要でした。普通は台詞を含めてキャラクターについて準備段階で頭に入れてから演じるのですが、子供たちにはそれは無理です。私たちが彼らの個性やリズムに合わせていくという方法を取らなければなりませんでした。環境も緊張しないようにする必要がありました。カメラも目立たないようにして、照明も使わないようにしました。彼らのままでいられる場所を作ることが重要でした。彼らの物語や経験をそのまま作品にもたらしてほしいと思っていました。決して演技をしてほしくなかった。私がフィルムメーカーとして作った物語ではあるけれど、そこに彼らの苦しみを掘り下げてもらって持ってきてもらうようにしました。彼らのリアリティを私のフィクションに寄せていくようにしました。そのような撮り方をしましたので、撮影には6ヶ月かかかりました。自然光で、小道具も、例えばマットレスもそこにあるものを使いました。壁の落書きも、子供たちの絵も実際にアパートに住んでいる子が描いたものをそのまま使いました。通常の撮影のように、バンでやってきて、ブロックして皆を黙らせて、アクション!というやり方ではなく、人止めもしないで、通りを行く自動車のクラクションなどもそのまま使いました。市場でも、カメラを回している途中にお客が来て値切ったりしていました。私たちが撮影していることに気づかれないほどでした。我々のミッションは、子供たちを可視化するために、我々を見えなくして、彼らに光を当てることでした。撮っていくうちに監督の望むものに近づけていくというやり方でした。
彼ら自身、自分の経験を語りたい。聞いてくれる人がいることが彼らに翼を与えました。自分たちの思いを世界にどう伝えるかをすごく考えてくれて、とてもいいコラボレーションになりました。
― 出演してもらった子供たちに最初に会ったときの印象は?
監督:出演してもらった子供たちだけでなく、リサーチ中に会ったのは、とてもとても耐えがたい状況にある子供たちばかりでした。あまりにも虐待されて、完全に麻痺して、目もうつろで人ではないようでした。目の前におもちゃを置いても遊ぼうとしないし、歌も踊りもしようとしない。子供であることを奪われてしまったようで、つらいものがありました。
私が調査で会ったのは数百人ですが、世界中には、10億人位、そういう耐え難い状況に置かれている子供たちがいると言われています。麻痺して何も感じなくなっているような子供たちが大きくなる数年後には、この世界はどうなるのだろうと考えると、私たちは目覚めなければいけません。問題にちゃんと向き合って解決していかなければならないと思います。
― 弁護士役で出演されていて、その時に泣きながら怒ったシーンが、観ている私たちの心情を表わしているように思いました。一定の層は、子供たちのそのような状況を他人事として親を非難するだけだと思ったからです。
(C)2018MoozFilms/ (C) Fares Sokhon
監督:まさのその通りです。あの場面では居心地が悪くなると思います。社会の姿勢がそういうものだと思います。私も実は彼らのことを決めつけてしまうようなことが多かったのです。一日ほったらかされている子供たち、寒さに震えて青ざめている子供たち、水がなくて粉ミルクをそのまま口にしているような子供たち。撮影中も毎日子供たちが死んでいきました。バルコニーから投げてしまわれるような子供たち。存在を誰にも知られないうちに死んでいく子供たち。どんな親なんだろうと考えてしまいました。子供たちと一緒に親が帰ってくるのを待っていて、なぜ子供たちを置いていくのかと怒りの感情もありました。実際に帰ってきて話してみると、私には彼らを裁く権利はないと気づきました。家を追い出されたことも、はみだし者のような扱われ方をしたことも、11歳で結婚しなければいけないことも、私は経験していないからです。
あのシーンが重要だったのは、私と同じように観客に居心地の悪い思いをさせるためでした。自分は関係ないと思うのは責任逃れです。
(C)2018MoozFilms/ (C) Fares Sokhon
― 息子のワリードさんは、主人公のゼインに近い歳だと思います。撮影中には現場にいらしたのでしょうか? また完成した映画を観てどのように思われたでしょう?
監督:撮影を始めた頃、息子はゼインより年下だったのですが、ゼインは12歳なのに、7歳位にしか見えなかったので、外見上は息子の方が年上に見える位でした。
息子はゼインとすごく仲良くなって大好きだったので、映画を観てゼインのおかれている状況にショックだったようです。息子が一番傷ついたのではないかと思います。
(C)2018MoozFilms/ (C) Fares Sokhon
撮影していくうちにゼインも私の息子になりました。撮影の前に娘を産んだばかりだったので、赤ちゃんは私の娘と同じ位。こちらも私の娘のようで、キャラクターがかぶりました。私自身、母親でもあることを強く意識しました。
― ハーレド・ムザンナルさんと、『キャラメル』製作後にご結婚され、本作はまさにお二人で作り上げた3人目の子供ですね。ハーレドさんの存在が特に支えになったのはどんなところですか?
監督:この映画を作るにあたってハーレドは、ほんとうに支えになってくれました。とても有能な音楽家で、たくさんの映画で音楽を担当しています。今回は初めてプロデューサーに挑んでくれました。それは私が自由に映画を作れるようにという思いからです。彼はクレイジーなアーティスト。普通なら、こんな大きなリスクは負わないでしょう。出演者の中には国外退去になるかもしれない人もいました。ほかにこんなことを引き受けてくれるプロデューサーはいなかったと思います。ほんとに彼はなんでもやってくれました。編集も2年かけました。私に必要なものは全て用意してくれました。ハーレドがいなかったら、この映画は作れませんでした。
7月5日に開催されたユニセフ・シアター・シリーズ『存在のない子供たち』特別試写会 ナディーン・ラバキー監督トークイベントには、パートナーのハーレド・ムザンナルさんや、二人の子どもたちも一緒に登壇しました。
トークの模様はこちらでどうぞ!