『サタンタンゴ』 タル・ベーラ監督来日記者会見

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ハンガリーの巨匠 タル・ベーラ監督が4年の歳月をかけて1994年に完成させた7時間18分におよぶ伝説の作品『サタンタンゴ』。この度、製作から25年を経て、4Kデジタル・レストア版が日本で劇場初公開されるのを記念し、タル・ベーラ監督が来日。9月14日(土)、記者会見が開かれました。

サタンタンゴ
原題:Satantango
監督・脚本:タル・ベーラ
共同監督:フラニツキー・アーグネシュ
原作・脚本:クラスナホルカイ・ラースロー
出演:ビーグ・ミハーイ、ホルバート・プチ、デルジ・ヤーノシュ、セーケイ・B・ミクローシュ、ボーク・エリカ、ペーター・ベルリング

ハンガリーの寒村。雨が降り注ぐ中、死んだはずのイリミアーシュが帰って来る。彼の帰還に惑わされる村人たち。イリミアーシュは救世主なのか? それとも?
悪魔のささやきが聴こえてくる・・・
シネジャ作品紹介

1994年/ハンガリー・ドイツ・スイス/モノクロ/1:1.66/7時間18分
配給:ビターズ・エンド
公式サイト:http://www.bitters.co.jp/satantango/
★2019年9月13日(金)より、シアター・イメージフォーラム、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか、全国順次公開


◎タル・ベーラ監督来日記者会見

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司会:まずは、ひと言、ご挨拶を!

タル・ベーラ監督:
 ハロー! 今日は来てくださってありがとうございます。
(ほんとに、ひと言! え? と呆気に取られますが、監督は「go ahead!」と涼しい顔)

◆人間の根本は同じ 世界どこでも反応は変わらない
司会:本作が完成されてから25年間、世界の各地で上映に立ち会われてきましたが、国によって反応の違いは?

監督:文化、歴史、宗教、肌の色などが違っても、どこの国でも同じリアクション、同じ質問を受けました。ロサンジェルス、中国、タイ、韓国、ポルトガル等々、なぜか同じ反応でした。人間の根本を描いているからかもしれません。
人間の存在、人間関係、時間と空間を組み合わせて過去を振り返るなどの観点で掘り下げたものを、皆さん理解してくれて嬉しい。
私は芸術を信じてないし、私自身、芸術家という言葉は好きじゃありません。私は労働者です。作品を作るときには、人間の存在、世界がいかに複雑であるかを見せる努力をしてきました。
25歳のモノクロは、歳月が経っても人々に同じように受け止められています。時が経って、ある種の物差しになっていると感じています。

― 自分を労働者だとおっしゃいましたが、会社や資本家のために働く労働者ではないと思います。込めた思いは?

監督:public workerです。収益のためでなく人々のために働く公的な労働者です。

◆デジタル映画には違う言語の可能性があるはず
― 今回、デジタルリマスターに変換して、フィルムと違うと感じたことは?

監督:とても奇妙でした。35mmフィルムで撮って、誰にもデジタル化を許可しなかったのですが、25年経って、よし、やってみようと。 すべてのフレームをちゃんと見て、その結果、ほぼフィルムに近い『サタンタンゴ』が出来たけれど、やはりフィルムとは違う。
ワールドプレミアとしてベルリンで上映したのですが、人気を博しました。25年経って、毎年毎年、この作品を好きになってくださる方が増えているのを感じます。
私はフィルムメーカーだと思っていましたので、35mmのセルロイドが好きです。
デジタルカメラで撮るとき、フィルムカメラと同じように撮影するのが問題。今のデジタル作品を観ると、フェイクのフィルム作品を作っているのではと感じています。デジタルならではの撮り方があると思う。違った可能性があると思うのです。誰かが新しいデジタル言語を作ってくれると信じています。

― 7時間18分、すべてご自身でチェックを?

監督: はい、もちろん全部自分でチェックしなくてはなりませんでした。技術者のことを信頼してないからね。アメリカの会社のチームに猜疑心を持ってました。映像や音をちゃんと再現してくれるのかと。でも、とても楽しい作業でした。
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◆酒場のダンスは酔っ払って自由に
― 酒場でのダンスシーンが何度も出てきますが、振り付けや人々の踊り方はどのように?

監督:
実際にお酒を飲んでいただいていました。ダンスを踊れる技量があることはわかっていたのですが、完璧に酔っ払い状態で、自由に踊ってもらいました。ワンテイクでいいものが撮れたのは、私自身、実に驚きました。
それぞれの方が自分のファンタジーをそのシーンにもたらしてくれました。踊り方も違いました。
我々は状況をもとにフレームを構築しなくてはいけないのですが、恵まれていれば、新たにフレームを作らなくても済みます。
出演者の方に自由にしてもらえば、彼ら自身の人生を反映してもらえます。
一人一人にこうしてくれというより、100%良い結果になると確信しています。
自由であることは力。花咲くことができるし、そこに存在してもらえます。

― 酒場のシーンはワンテイクですが、最もテイク数の多かったシーンは?


監督:よく覚えていません。撮れたと思った時には、どれ位かかったか、どうでもよくなっています。
生命感にあふれる瞬間を撮りたいと日々闘っているのですが、そんな中でも大変だったのはイルミアーシュの演説のシーンですね。これだけは台詞がきちんと用意されていましたから。他のシーンは、状況に合わせて、人々が自然に反応する形で撮っています。

◆演出できない蜘蛛や猫を動かす

― 蜘蛛には、どのように演出されたのでしょうか?

監督:いい質問! 動物トレーナーの方に、蜘蛛に上から下に降りてくる方策を考えてもらいました。複数の蜘蛛がいて、そのうちの1匹でも降りてくればと。
美と真実は、ファンタジーとドキュメンタリーから得られます。すべてが偶然とはいかないけれど、蜘蛛を演出することはできないからね。

― 正しい状況を作れば、正しく動くとのことですが、猫は?

監督:
猫をトレーニングしなければなりませんでした。(少女エシュティケを演じた)ボーク・エリカは3週間、毎日猫とゴロゴロしていました。猫は少しずつ慣れてきて、エリカを引っ掻くこともありませんでした。音もたてませんでしたので、アーカイブから猫の泣く声や引っ掻く音などを持ってきました。猫にとってはゲームのような感覚でした。
猫が死んでしまう設定なのですが、獣医に薬を注入してもらって、眠りに落ちたところで撮影しました。眠りから覚めたときには安心して、ご褒美に餌をあげたけど、まだ薬が残っていて吐いてしまいました。


◆映画で伝えたいことは伝えきって監督を辞めた

― 映画に対する愛情をとても感じます。なぜ監督業を辞められたのでしょうか?

監督:約40年、映画を作ってきました。初めて作ったのは、22歳の時。作品ごとに新しい問いが生まれました。前に進むことを強要され、1作ごとに掘り下げてきました。そして1作ごとに自分の映画的言語を見出してきました。『倫敦から来た男』のあと、何か1本作ったらやめようと決め、『ニーチェの馬』を作って、伝えたいことは伝えきったので、もうこれ以上繰り返し作って行くことはないと思いました。同じことを繰り返しても飽きてしまう。
監督という仕事は、レッドカーペットを歩いたり、美味しいものを食べて、いいホテルに泊まることじゃない。作ったものを分かち合い、皆さんが観て、どう思うか知りたいから作ってきました。それはもう終わりました。
25歳の時に目を輝かせていたのが、だんだん輝きを失ってしまいます。
ほかにやりたいこともたくさんありました。
映画作りをまったく諦めたわけではありません。今は映画学校を設立して、私のもとで若い映画作家が育っています。
アムステルダムやウィーンでパフォーマンスなども行いました。
もう自分の中で物語性のある長編映画は終わりました。

最後にフォトセッション。
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早くしないと退場されますとせかされましたが、思いのほかご機嫌!


★取材を終えて

タル・ベーラ監督の来日は、『ニーチェの馬』公開の折の2011年11月以来8年ぶり。ハンガリー大使館で開催された記者会見に颯爽と現われた監督の姿を思い出します。『ニーチェの馬』を最後に56歳という若さで映画監督の引退を宣言した直後のことで、記者会見でもそのことが大きな話題となりました。映画界から引退するわけじゃない、後身の指導に当たるとおっしゃっていた通り、映画学校を設立。フィルムをこよなく愛するタル・ベーラ監督ですが、デジタルで新しい映画言語を語れる若手を生み出していくのではないかと確信したひと時でした。

「マイクは嫌い。マイクなしで」と始まったタル・ベーラ監督の記者会見。映画に対する持論をたっぷり語ってくださいました。
「映画が1時間半くらいの尺じゃなきゃいけないなんて、誰が言ったんだ」という言葉も飛び出しました。
最後に、「日本語だと、どうしてこんなに長くなるのかな」と、おっしゃったのですが、いえいえ、英語でも充分長くお話されていました。通訳の大倉美子(おおくらよしこ)さん、お疲れ様でした!

取材: 景山咲子