『だれもが愛しいチャンピオン』ハビエル・フェセル監督インタビュー

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*ハビエル・フェセル監督プロフィール*
1964年スペイン・マドリード生まれ。マドリード・コンプルテンセ大学でコミュニケーション学の学位を取得。著名なジャーナリストで、監督、脚本家でもあるギレルモ・フェセルを兄に持つ。1990年代半ばにいくつかの短編を監督したのち、『ミラクル・ペティント』(98)で長編デビュー。子供に恵まれない老夫婦と宇宙人の奇妙な交流を描いたこのSFコメディで、ゴヤ賞の新人監督賞にノミネートされた。
フランシスコ・イバニェスの人気コミックを実写映画化した長編第2作のスパイ・コメディ『モルタデロとフィレモン』(03)では、ゴヤ賞の編集賞、美術賞など5部門を受賞している。その後はゴヤ賞で作品賞、監督賞、オリジナル脚本賞など6部門に輝いた『カミーノ』(08・ラテンビート映画祭)を発表。『モルタデロとフィレモン』のシリーズ3作目にあたる長編アニメ『Mortadelo y Filemón contra Jimmy el Cachondo』(14)では、ゴヤ賞のアニメ映画賞、ガウディ賞の長編アニメ賞を受賞した。

『だれもが愛しいチャンピオン』作品紹介はこちら
2018年/スペイン/カラー/シネスコ/118分
(C)Rey de Babia AIE, Peliculas Pendelton SA, Morena Films SL, Telefónica Audiovisual Digital SLU, RTVE
★2019年12月27日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町ほかにて順次公開

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フェセル監督はこれまで1999年、2008年に映画祭などで来日されています。今回到着してまず京都に行かれた監督、「24時間ではとても足りません。また何回でも行きたいです」とのことでした。
(通訳:比嘉世津子さん)


―明るくて元気な映画で、これまでの障がい者が主演の映画の印象をひっくり返してくれました。

知的障がいのある方というのは、世界の見方がとっても前向きです。楽しくて、キラキラと光っているものとして見ています。そういうところが自分たちに元気を与えてくれるのだと思います。
みなさんが先に辛いとか苦しいとか思ってしまうのは、たぶん彼らのことをよく知らないからです。今回は、現実の彼らの考えや行動をできるだけ出そうとしました。彼らを知れば知るほど、彼らとのコミュニケーションはほかの人よりも簡単だとわかります。なぜかというと、彼らは頭でなく心でコミュニケーションをとるからです。

―私の知っている障がいのある方も裏表がなく、嘘を言わない、純真な心の持ち主です。

みんな常に本当のことを言います。それが攻撃にならないのは、彼らが裏表なく誠実だからなんですね。今の社会は知的には発達してきたかもしれませんが、精神的には本当に愚かになってしまっています。彼らの純粋な言葉を聞く耳を持つということ、彼らがどれだけ社会に貢献できるかということが、この映画を作ったことでよくわかりました。

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―今回600人もの中からオーディションで出演者を選ばれたそうですが、重要視したことはなんですか?

キャスティングは柔軟に行いました。脚本はあったのですが、最初の主な出演者は7人でした。とても面白いと思った人たちを入れたら9人になりました。たとえばグロリアです。脚本には女性はいませんでした。その中に彼らの個性、話し方、まなざし、人生の経験などそれらを入れ込みました。
マリン役のヘスス・ビダルは知的障がいではなく、視覚障がい者です。彼を入れて10人のメンバーです。

―ヘススさんが一番先に出てきた方ですね。とても印象に残りました。グロリアは予定外に入った女性メンバーなんですね。

みんなそれぞれ魅力的な人々です。
グロリアは私が出会った中でも美しい人だと思います。常にエネルギッシュで力強く、同時に優しさと大きな心を持っています。グロリアはダウン症で小柄なんですが、彼女がこのチームに加わると、物語を動かす力になるということがわかりました。

―この10人のメンバーは本当に個性的で、大きかったり小さかったり、見た目もバラバラです。意識して選ばれましたか?

もちろんキャスティングのときに似たような人はさけて、この人が唯一と思われる人を選びました。そして一人ひとりみんな違う、そういう人が一つのチームを作るところが面白いのです。
600人の人たちの組み合わせ次第で、違ってくる。いろんな物語ができるわけですね。
リメイク権を売るときにつけた唯一の条件は「ほんとの知的障がい者を採用する」ということです。それを抜いてしまったらこの映画の魂はなくなってしまいますから。

―撮影するうちに脚本が変わっていくことはありましたか?

撮影自体はなるべくシンプルに、彼らに注目して行いました。思いがけなく起こることを逃さないように努力しました。この映画の中にある面白いことの大半は、テストのときに彼らから即興で出たことなんです。それを本番に入れ込みました。だから彼らはもうこれは自分たちの映画だと、どんどんいろんなことを提案してくれるし、やって見せてくれました。

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―台詞も彼らの中から自然に出てきたものが多いのですか?

キャスティングした後で書き直した脚本には、普段の言葉を入れ込んでいます。誰かを演じているのでなく自分自身であり、全てが現実のドキュメンタリーのように撮れたと思います。映画の中にグロリアが男性に「馴れ馴れしく呼ぶな」という場面があったのですが、それは実際、彼女とプロデューサーのやりとりで言った言葉なんです。

―試合のシーンがたいへん盛り上がって、観ていてハラハラしました。どんな風に流れを作って撮影されたのでしょう。

知的障がい者のバスケットボールのチームは実際にあって、彼らの試合を見ていたのですが、彼らの目的は勝つことではないんです。実力の差があったとしても、お互いにとても信頼しあっています。それを映画で見せることが目的でした。
もちろん流れというのはある程度決めてはありました。けれどもできるだけ彼らが自由にゲームをして、ほんとにそれを楽しんでいられる環境を作りました。

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―バスケットボールのルールは同じものですか?

いいえ。それぞれの障がいによって違うルールがあります。たとえばボールを持ったまま走ってもファウルにならない、とか。
そしてとても面白いルールがあるんです。「20点以上入ったら、それ以降の点は相手チームに入る」というものです。

―え?? それは大きな差をつけないということでしょうか?

そうです。レベルの差がありますから、あまりがっかりさせないように。それは普段の生活でも大切な教訓になるんです。

―初めて聞きました。それでみんなが仲良く楽しんで終わるんですね。

そうそう。ですから映画のラストは私が作ったフィクションではなく、知的障がい者のチャンピオン・リーグでほんとにあったことです。2位になってもここまで来たことを喜び、相手チームが勝ったことも喜ぶ。プロのチームでは負けると自分を責めたりしますが、それと違って互いに喜び合うんです。

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―日本では、親たちが亡くなった後の子どもたちのことを心配しています。スペインではその点福祉が充実しているのでしょうか?

スペインも同じです。これは世界中同じだと思います。ですから社会の中に障がい者の人たちのできる仕事、居場所が必要です。家族というよりは、社会参加の機会があり、社会の中で根付くことが一番大事です。彼らは非常に働き者で、誠実で信頼できる人たちなので、社会に対して大きな貢献ができると考えています。

―ありがとうございました。

=インタビューを終えて=
この映画が大好きで、監督が来日されると聞いてすぐに取材をお願いしました。ハビエル・フェセル監督はお髭の似合う素敵な方でした。魅力あるメンバーの1人1人について伺いたかったのですが、時間が足りず。撮影が楽しく実りあるものであったのは作品を観るとわかります。
バスケットボールのルールの違いは初めて知ることでした。勝ち負けにこだわらず、試合そのものを楽しむ姿勢はなんと素敵なのでしょう。世界も日本も効率よくお金儲けすることばかりに走って、その間に大事なものをぼろぼろと落としてしまっているような気がします。その代表のようなマルコの姿に、いろいろと思うことがありました。最後の質問に「障がいのある子どもたちを残していく親の気持ちは世界共通、だからこそ社会の中に彼らの居場所を作らなくては」とのお答えには、深く共感しました。
スペイン語の響きは聞きやすいし、親しみがあります。ムード歌謡にもよく使われていました。覚えたら楽しそう~。どうぞ映画館で”アミーゴス”を応援してください。(取材・監督写真 白石映子)

『サイゴン・クチュール』グエン・ケイ監督インタビュー

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グエン・ケイ監督 プロフィール
脚本家として活躍後、アメリカ、日本(NHK「kawaii project」)、イギリスで映像分野で実績を積む。ベトナムへ帰国して、“Tèo Em”の大ヒット後、2013年に脚本家集団 A Type Machineを創設。ゴ・タイン・バン主演のアクション映画『ハイ・フォン』では歴代興行成績を塗り替えるほどの大ヒットを飛ばす。一大ブームを引き起こした本作では脚本と監督を担当。 最新作はヴィクター・ヴー監督の“Mat Biec(原題)”をプロデュース。
『サイゴン・クチュール』(原題:Co Ba Sai Gon)
紹介記事はこちら
2017年/ベトナム/カラー/100分
(C)STUDIO68
配給:ムービー・アクト・プロジェクト
HP http://saigoncouture.com/ 


―69年というと自分の青春時代で、当時のメイクやファッションなど似ていて懐かしいです。60年代後半から70年代は、日本ではベトナム戦争の時代という印象が強いのですが、この映画は戦争中を思わせる場面はなく、明るい暮らしを描いています。これは狙ったものですか?

そうなんです。あれは私の反戦の精神を表しているつもりなんです。戦争で一番辛かったのは男性だと思うのです。戦場に行かなければならなかったし、行かない人もまた自分たちの暮らしを守らなければなりませんでした。女性たちも戦争の時代の中でも、決して自分たちの務めを忘れませんでした。それは伝統を発展させること、自分たちのルーツを守ることです。
文化というのは、いつもいつも流れていて戦争中でもそれを守るのは止めてはいけないことでした。あのころビートルズも歌っています。「Ob la di,ob-la-da,life goes on♪」って。ライフゴーズオン、人生は続くんだ、ということですね。

―アオザイ仕立ての老舗にはモデルがありましたか?

日本も同じだと思うんですが、アーティスト、たとえば日本でも飾り職人とか代々受け継がれていく家業というものがありますね。アオザイも同じで、主にそれは女性が受け継いでいきます。そういうお店はたくさんあって、どこか一軒ということではなく、全部がモデルになっています。

―エピソードが母と娘ですね。日本では家業は息子が継ぐことが多いです。ベトナムは女性が強くて、能力も高いんですね。

大阪のおばちゃんと同じなんです。女が強い(笑)。

―さきほどの戦争のことですが、男性ばかりでなく、女性も戦場で男性と一緒に戦っていましたよね。ベトナムの女性は強いなとそのころから思っていました。その流れはあるでしょうね?

ベトナムには4000年の歴史がありますけれど、最初は母系家族でした。中国からの影響を受けて、父系家族となったわけです。でもやはり本質の母系家族に加えて、戦争中男性がいなくなったことで女性の価値はあったんです。それが続いていて現在の社会においても、いろいろな企業のトップに女性が就いています。たとえば航空業界ではベトジェットエアー、銀行業界にもいらっしゃいます。
          
―この映画が監督第1作ですか。

監督として1本目の作品です。ベトナムの映画界はまだ男性が支配しています。私にとってはとてもラッキーなことにスタッフがほぼ女性で、監督デビューのとても良い機会になりました。
この1本目に出会えるまで非常に長い時間待ちましたので、これで良い結果を出そうと努力しました。このおかげで、2本目3本目と続くことになっています。

―今回の脚本は監督が主に書かれて、ほかの方々(脚本:A TYPE MACHINE=8人の女性脚本家集団と資料に)に意見を聞いたということですか?8人ってどういうことなのかな?と不思議で。

今回は書き直したのでとても急いでいました。最初私の役割はスクリプト・ドクター(みんなで書きあげたものを最終的に見る)だったのですが、昨日のインタビューで言ったように、初めは姉妹の話だったのが、母と娘の話に変わったので全部書き直さなくちゃいけなくなりました。これは時間がかかるので、私一人でやることにしました。それでドラフトができるたびにその8人のチームに見てもらって進めていきました。
書くのは1人で後はコメントをしてくれるんです。多くても2人までですね。チームとして同時に4,5本のプロジェクトを抱えていて、それを8人でやっているということなんです。

―スタッフ・キャストとも女性が多い作品ですね。

プロデューサー、脚本、それにこの作品には大スターの女優が6人も出演しています。一人ひとりが主役を張れるような人たちが、1本の映画に全部顔を出してくださいました。それだけ私たちの意図をくんで、同意してくださったということです。
 
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―ゴ・タイン・バンさんはどんな方ですか?

彼女はとても強い女性です。10才のときに家族とノルウェーに移住し、20才でベトナムに戻ってキャリアを始められました。その後ハリウッドにも行って映画の仕事をしています。あまりに強いので、高圧的だという風にいわれることもあります。彼女は多くの経験や能力を持っているので、この映画のキャストや製作期間、衣装などについてもいろいろなリクエストをみんなに出してきました。
ただ、ゴ・タイン・バンさん、それに衣装デザインとプロデューサーでもあるトゥイ・グエンさんみんなに、この映画は伝統的衣裳のアオザイを尊重するという共通の目的がありました。それを達成するために意見を交換して映画を作ってきました。一緒に仕事をしてたくさんのことを学ぶことができましたし、とても成長しました。良かったと思っています。

―ほかに女性監督はいらっしゃいますか? 

少ないですね。一つ上の世代ですと、デイ・リン・クオ監督、ベト・リン監督がいますが、最近作品は作られていませんね。私と同じような年代でいうと、ラブストーリーのルック・バン、アート系だとグエン・ホアン・ディエップ(*)がいます。ゴ・タイン・バンさんも1本監督しているんですが、作ってみたら大変だったので、もう監督はやらないそうです。
例えばですね。監督が女性であってもカメラマンは男性なんです。そうすると男性のほうが強く言ってきます。

―女性カメラマンはいないんでしょうか?

世界的に言って、カメラマンと照明は男性ばっかりなんです。

―(宮・白同時に)日本にはいますよ。

カメラマンになりたい!(笑)

―京都で作る予定の第3作を日本の女性カメラマンで作るのはどうでしょう?

いいですねぇ。
(ここで、高野文枝監督作品のカメラマンだった城間典子さんの話になる。京都在住なので、ご縁ができるといいですね)

*アジアフォーカス福岡2016で上映
『どこでもないところで羽ばたいて』2014年/ベトナム・仏・ノルウェー・独/98分
原題:Đập cánh giữa không trung/ 英題:Flapping in the Middle of Nowhere


―第2作はどこまで進んでいますか?

脚本はもうできています。2020年3月に撮影予定です。お話は、アメリカに住んでいる17,8歳の娘が主人公です。親がいないという設定で、ハリー・ポッターのように意地悪なおばあさんの家にいます。実は彼女の本当のおばあさんはアオザイ作りの名人だったと知ります。彼女もアオザイを作りたくてもアメリカで学ぶことはできず、ベトナムへ帰ります。そこで、30代で亡くなったおばあさんのゴーストに出会うことになります。

―なんだか楽しそうな作品です。この作品との繋がりは?

繋がりはないのですが、同じようなエピソードがあってタイムスリップします。最後の皇帝がいた時代に戻るんです。(ベトナム帝国皇帝バオ・ダイは1945年8月30日に退位を宣言)

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―この作品で、現代にタイムスリップしたニュイは未来の自分に会います。これまでのタイムスリップやトラベルでは、自分に会うのはタブーでした。若いニュイは過去に戻って、真面目に励むわけなんですけど、そうすると未来に影響があって大きく変わるはずです。そこを2で描くのかと想像していました。

お~、これもいいアイディアですね。ちょっと書いておきます。(と別室にいく監督。紙とペンを手に戻りました。いつもアイディアをすぐ書きとめるのだそうです。ここで時間いっぱいとなりました)

―今日はどうもありがとうございました。
(取材・写真:白石映子、宮崎暁美)

=取材を終えて=

グエン監督から開口一番に「今まで日本の女性は結婚すると仕事をやめてしまうのだと思っていましたが、間違いだということがわかりました」と言われました。こんなシニアコンビの取材は初めてでしょうね。
宮崎が「シネジャはボランティアで32年続いているミニコミ誌です」と説明すると驚かれました。差し上げた102号の表紙がちょうど『サイゴン・クチュール』だったので監督いっそう喜ばれ、良かった~。
黒いスーツ姿の監督に「今日はアオザイじゃないんですね」と言うと「持ってきましょうか」とすぐ立たれます。後で見せていただくことになり、本題へ。
インタビューが終了してから、アオザイを見せていただきました。昨日のお話の背中側がどうなっているのか、やっとわかりました。ゆるみの幅左右に紐を通す小さな輪が7,8個ずつ。上から下へ編み上げ靴のようにコードをクロスさせて調整します。残ったコードはウエストあたりで蝶結びに。「サイズがよく変わるので、デザイナーのトゥイ・グエンさんに作ってもらいました。オートクチュールです」とグエン監督。たくさんの色とりどりの花はかぎ針で一つずつ編まれた可愛いものでした。あらたまった席に着て行かれるそうです。(白)

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1969年というと、私は高校3年生で、ちょうどベトナム戦争が激化していた頃。日本でも連日、ベトナム戦争のニュースがTVで流れ、報道雑誌などにも頻繁にベトナム戦争と人々の姿を写した写真が掲載され、本や文章にもたくさん書かれていました。それらを見ていた私は何かできないかと思い、べ平連(ベトナムに平和を! 市民連合)のデモに参加するようになりました。そんな経験があり、ベトナム戦争後の復興は常に気になっていました。そしてベトナムは私の人生、生き方にとって大きな影響を受けた国になりました。
映画に興味をもつようになってからもベトナムを描いた映画というと観にいっていました。ベトナム戦争関連の映画がどうしても多かったし、他の国の人がベトナムを描くときも、商業映画であれ、ドキュメンタリー映画であれベトナム戦争が舞台だったり、伏線だったり、枯葉剤の影響だったり、どうしてもそういうことからは離れられずにベトナムの変化を見てきましたが、その後、アート系の映画も上映されるようになりました。
そして、第11回大阪アジア映画祭2016でベトナム映画特集があり、そこで『超人X.』のようなアクション映画、『ベトナムの怪しい彼女』のようなコメディタッチの映画が上映され、ベトナムにもとうとうこういう映画が出てきたと思いました。そして第13回大阪アジアン映画祭2018で『仕立て屋 サイゴンを生きる』と出会いました。おしゃれでポップ、でもそれだけでなく重厚さも感じさせる作品でした。これはぜひ日本で公開してほしいと思っていたら、『サイゴン・クチュール』というタイトルで日本公開されることになり、とても嬉しく思いました。大阪では監督にお会いできなかったのですが、今回、監督にインタビューできると聞いてぜひお会いしたいと思いました。こんな映画を作った監督はまだ若い女性でした。これが第1作と言っていましたが、この後、3作まで予定があるとのこと。とても頼もしく思いました。でも、ベトナムではまだまだ女性監督は少なく、それ以外の部門はもっと少なく、撮影をやっている女性はまだいないとのことでした。次作は京都で撮るとのことなので、ぜひ日本の女性撮影者と組んで映画を作れたらいいなあと思いました。(暁)

『サイゴン・クチュール』グエン・ケイ監督来日イベント

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『サイゴン・クチュール』
1969年のサイゴン。代々続くアオザイ仕立屋の母と対立、60年代の洋服にこだわる娘・ニュイが21世紀にタイムスリップ。変わり果てた自分と寂れた店に驚愕。自分の《人生》を変えるべく奔走するファッション・ファンタジー。1人の女性の成長を鮮やかに描いた、女性が元気になれる【ビタミンムービー】。
★2019年12月21日(土)より全国順次ロードショー
作品紹介はこちら

2019年11月11日(月)笹塚ボウルにて、ベトナムから来日されたグエン監督を囲んでのイベントが開催されました。
グエン監督は深い黒地に色とりどりの花を散らしたアオザイで登場しました。ゲストにベトナムで活躍中の落合賢監督、歌手の野宮真貴さん、俳優のデビット伊東さんを迎えてのトークと、華やかなアオザイのファッションショーが行われました。
司会は映画ライターの新谷里映さん。通訳は秋葉亜子さん。

1960年代を舞台にした映画を製作した理由について、グエン監督「1960年代は素晴らしいことがたくさんあった希望に満ちた時代でした。そんな時代をとても愛しているからです」と回答。
元々の脚本は姉妹の設定だったのが、母と娘のストーリーに変更になったことなど製作中の裏話を明かしました。
アオザイをはじめとするファッションをデザインしたのは、プロデューサーも務めたトゥイ・グエン。デザイナーである彼女から、「フランスの植民地時代の象徴である花柄のタイルや、1960年代の象徴である水玉模様をアオザイのデザインに取り入れたいと提案されたんです。彼女のおかげで現代的でありながらもレトロな雰囲気を持つ、素晴らしい衣装となりました。嬉しいことにこの映画をきっかけにアオザイを普段から着る若い人たちが増えたんです」と笑顔で語りました。

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第1部の終盤には、ベトナムで映画を製作、『サイゴン・ボディガード』、『パパとムスメの7日間』などヒット作を送り出した落合賢監督が登壇しました。お二人はこれが初対面でしたが、グエン監督が落合監督の2作品を観ていること、お互いに共通の友人がいることがわかりお話がはずみました。
落合監督はベトナムの印象を「エネルギーに満ち溢れている国。どの人もフレンドリーで仕事がしやすい」と語り、『サイゴン・クチュール』については「特に美術と衣裳について色使いが印象的でした。どのようにアプローチされましたか?」と質問。学生時代美術を専攻していたというグエン監督は「1960年代はポップな色使いをする時代でした。また、ベトナムのような熱帯の場所はトロピカルカラーが映えるんです」。
アオザイを何着お持ちですか?の問いに、「3着です。イベントや結婚式に着ます。昔はアオザイを男性も着ていてとても素敵でした。この映画の2ではアオザイと背広の葛藤部分を。3では京都を舞台に描く予定です」と続編の話題にもちょっと触れました。60年代のアオザイや最先端のファッションまで、映画のために用意されたたくさんの衣装は231着にも上ったそうです。

トークショー第2部には、90年代の渋谷系と呼ばれていた“ピチカート・ファイヴ”のボーカル、今はソロのミュージシャンの野宮真貴さん、ベトナムで俳優も経験、今年ホーチミンにラーメン店を出店したデビット伊東さんが登場しました。
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作品についての感想を野宮さん「とてもカラフル、キュートでポップ!まさにピチカート・ファイヴで着ていたような60年代のお洋服、ベトナムの民族衣裳のアオザイもたっぷり見られますし、久しぶりにワクワクするような楽しい映画でした」。ベトナムを訪ねたおり、オーダーメイドでアオザイを含めて10着くらい作られたそうです。「見本を持って行くと滞在中にできるんです。ベトナムは人が優しいですし、食事が美味しいですし、買い物も楽しいですし…」とベトナムの魅力も。
デビット伊東さん「とにかくカワイイ映画。映画の中で主人公の母親が「基本を大事に」と言うんです。僕はあの言葉が大好きで。どんな業界でも基本を大事にすることで新しいことに進めます。監督、あれはどこから来たんでしょう?」と監督に質問。

グエン監督「私の祖母や母がよくそう言っていましたので、私もそれを映画で使いました。アオザイは、だんだん着られなくなっていましたが、嬉しいことにこの映画で”アオザイってカワイイじゃない"と思ってもらえました」。
デビットさんのお店に友人を引き連れて伺います、と約束した監督、野宮さんに「第3作目は京都を舞台にする予定なので、野宮さんには一番良いアオザイを10回くらい着替える役で出て欲しい。すごく似合うと思います」と今からオファー。野宮さんも「ステージで10回着替えたことがあります。着替えは得意です」と、嬉しそうです。

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イベント終盤には、本作のコスチュームデザインを担当したテュイ・グエンによるブランドTHUY DESIGN HOUSEの革新的なファッションをお披露目するスペシャルファッションショーも開催。華やかなアオザイ姿のモデルさんが次々とランウェイならぬボウリング場のフロアを歩きます。作品のテーマ曲をバックにベトナム人ダンスグループ9Flowersが、元気いっぱいのダンスで会場を盛り上げました。
(資料提供:ムービー・アクト・プロジェクト 取材・写真:白石映子)

グエン監督インタビューはこちらです。

『ある女優の不在』 主演女優ベーナズ・ジャファリさんインタビュー

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第20回東京フィルメックスで、特別招待作品として上映され、主演のベーナズ・ジャファリさんがコンペティション部門の審査員として来日されました。 上映の行われた11月24日にインタビューの機会をいただきました。

『ある女優の不在』   原題:Se rokh 英題3 faces
監督:ジャファル・パナヒ
出演:ベーナズ・ジャファリ、ジャファル・パナヒ、マルズィエ・レザイ

*物語*
人気女優ベーナズ・ジャファリのもとに、見知らぬ少女から悲痛な動画メッセージがパナヒ監督経由で届く。女優を志して芸術大学に合格したのに家族に反対され自殺を図るというのだ。ベーナズはパナヒ監督の運転する車で、少女マルズィエの住む北西部アゼルバイジャン州のサラン村を目指す。山間のじぐざぐ道で結婚式に出会い、誰かが自殺した気配はない。マルズィエの家を探しあてるが、3日前から家に戻らないと母親が困り果てていた。芸人に対する偏見が根強い村で、弟も姉が女優になることに猛反対で荒れ狂っている。
やがて、マルズィエが町外れで暮らす革命前に活躍した女優シャールザードのところに身を寄せているのを知る・・・
シネジャ作品紹介

2018年 カンヌ国際映画祭 コンペティション部門 脚本賞受賞

2018年/イラン/ペルシア語・トルコ語/カラー/ビスタ/5.1ch/100分
配給:キノフィルムズ
公式サイトhttp://3faces.jp/
★2019年12月13日(金) ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次公開

ベーナズ・ジャファリ
イラン国内にて、TV,、映画など幅広く活躍している人気女優。日本公開作品では、サミラ・マフマルバフ監督『ブラックボード 背負う人』(2001年)にHalaleh役で出演。
映画祭上映作品では、 『シーリーン』(キアロスタミ監督、2008年東京国際映画祭)『ガールズ・ハウス』(シャーラム・シャーホセイニ監督、2015年東京国際映画祭)、『恋の街、テヘラン』(アリ・ジャベルアンサリ監督、2019年アジアフォ―カス・福岡国際映画祭)に出演している。


◎インタビュー

― 東京フィルメックスの審査員として来日され、嬉しい限りです。東京はいかがですか?

ベーナズ: 日本は憧れの国だったので、ほんとに嬉しいです。

― 審査員としての来日なので、長く滞在できますね。

ベーナズ:たったの2週間しかビザがおりないの。
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◆完璧な脚本を持ってパナヒ監督の故郷で撮影
― 『ある女優の不在』は、パナヒ監督らしい映画でした。パナヒ監督が、綿密に書き込んだ脚本だとわかっているのに、もしかしてこれはドキュメンタリーなのかと思わされる箇所もあります。ベーナズさんは、パナヒ監督からオファーを受けたとき、結末まで書かれた脚本をご覧になったのでしょうか?

ベーナズ:ファーテメ・モタメド・アリアーさんに出演してもらう予定だったのに、急に駄目になって、私に突然オファーが来ました。脚本には、すべて書かれていたけど、ファーテメさんに当て書きされていたので、多少、私に合わせて書き換えてくれました。例えば、少女を叩く場面は、私ならもっときつく叩くと、変えてくれました。

― 撮影は、パナヒ監督のお母様、お父様、祖父母の生まれた村で行われたそうですね。パナヒ監督は、ロケ地での状況にあわせて、エピソードを映画に加えたということもあるのでしょうか?

ベーナズ:カンヌでも何度も聞かれました。パナヒ監督は映画を撮ってはいけないことになっているので、スピーディに撮らないといけません。決まった撮影期間の中では、偶然を取り入れて撮り直す余裕はありません。カット割りもすべて完璧に決まった中で撮影しました。
親戚がいっぱい住んでいるところなので、皆が撮影に協力してくれました。撮影していることを隠すこともできました。映画に出ている人も親戚や知り合いが多いのです。
撮影許可は助監督の名前で、あの村で短編を撮るという形で取っていました。一度、村を出たところで警官に捕まったのですが、私が降りていったら、「ジャファリさんですね」と言われたので、「テレビの撮影です」と言って、うまく逃げました。ちょうどドラマの撮影が終わったところで、ドラマでの役柄で髪の毛を赤く染めたままでしたので。


(私が一生懸命メモを取っているところを、スマホで動画を撮るベーナズさん)

◆アジアフォーカス出品作に出ていた
― 今年のアジアフォ―カス・福岡国際映画祭で上映された『恋の街、テヘラン』にも出演されていましたね。 『ある女優の不在』を観た時には気がつかなかったのですが、今、ご本人にお会いしてわかりました! 結婚式場のカメラマンをしているニ―ルファ―ですよね。

ベーナズ: そう! ニ―ルファ―。
 (ここで、映画の中で歌われていた「ニ―ルファ―」の歌の出だしを歌ってくださいました。)

― 少し飛んでる女性で、この映画のベーナズさんと同一人物と思えませんでした。どちらのキャラクターがご自身に近いですか?

ベーナズ: 女優という本人役で出ているから、もちろんこちら(『ある女優の不在』)でしょう!

(でも、実は、東京フィルメックスの記者会見の最後にとても陽気な面も見せてくださって、ニールファーに近い面もあると思いました。)
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◆尊敬する監督だから、出演を即決
ー 映画製作を禁じられているパナヒ監督の映画に出たのは、とても勇気があると思ったのですが、出演することに、なんの躊躇もなかったですか?

ベーナズ: カンヌ国際映画祭に参加して帰国してから、当局に呼ばれました。「なぜ、撮影禁止のパナヒ監督の映画に出演したのか?」と聞かれたので、「あなたたちの規則ではパナヒ監督は映画を撮ってはいけないのでしょうけど、私には私の役者としてのルールがあって、尊敬している監督の映画だから出て学びました」と言ったら、大丈夫でした。

ー すごく心配していましたが、お咎めなしだったのですね。

ベーナズ:イランではその時に何も言われなくても、3年後に言われるかもしれません。または、3年位、オファーが来ないなぁ~、自分は駄目だな~と思ったら、実は当局が何かお達しを出していたということもあるかもしれません。

― 今のところ、オファーはあるのですか?

ショーレ: メヘルジューイ監督の新作映画に出てますよ。

― 今回の、フィルメックスでメヘルジューイ監督の『牛』が上映されますよね。メヘルジューイ監督には、2004年のアジアフォーカス福岡国際映画祭で『ママのお客』が上映された折にお会いしました。もう15年も前のことですが、今、お元気ですか?

ベーナズ:82歳になられましたが、お元気ですよ。

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◆猫背を師に叩かれ、女優になる決意をする
ー ベーナズさんは、20歳頃から女優をされていますが、いつごろから女優になりたいと思っていましたか? 何か、きっかけになった映画や、出来事は?

ベーナズ: 最初、美術の専門学校でグラフィックを学んだのですが、その後、大学で演技を学びました。ほんとに役者になりたいと思ったのは、その時、先生だったゴラーブ・アディネさん(注:メヘルジューイ監督の『ママのお客』(2004年)のママ役の女優で、やはり2004年のアジアフォーカス福岡国際映画祭でお会いしています)から、背中を曲げて座っていたら、ポンと背中を叩かれて、「役者になるんだったら、ちゃんとまっすぐ坐りなさい」と言われました。女優はすべての仕草を普段から見られているのだとわかりました。これから役者になるのだったら、煙草も吸えない、唾も吐けない、ちゃんと歩かないといけない、ちゃんと座ってないといけないと。アディネさんに叩かれて、私も役者になれるんだ、女優になろうと思いました。
今、私自身、演技を教えているのですが、いつも生徒に言うのは、役者になったのは有名になりたいわけじゃなくて、演じることが好きだったから。写真をビルボードに載せたいわけでもないし、大きなポスターもいりませんと、いつも言ってます。私が役者になったのは、先生たちのお陰です。大学では、エディネさんのほか、舞台で有名なサマンダリアンさんや、映画監督のバハラム・ベヘザーイ氏などに教わりました。


― 素晴らしい先生たちに恵まれたのですね。

ベーナズ:ほんとに、そう思います。今、自分の生徒はかいわいそうです。

― 映画やテレビで演じながら、教えることもしているのですね。

ベーナズ:今、専門学校二つで教えていますが、私はまだ役者として半熟なので、絶対先生と呼ばないで、一緒に学んでいるのだからと生徒に言ってます。何かに先生は誰と書く機会があっても、私の名前は絶対書かないでと。ほかの役者さんは舞台で演出をする方もいますが、私は演出をしたいと思ったことも、演出したこともありません。まだまだ役者として完璧でないので、演技を学んでいる身です。

◆革命前の名優は、革命後の世代にも英雄
ー イラン革命から、40年が経ちました。今や、革命前を知らない世代が国民の半数以上を占めると思います。ベーナズさんもまだ幼かったので、革命前の記憶がないと思います。
この映画に出てきたシャールザードや、 ベヘルーズ・ブスーギのように、革命後、活動を禁止された人たちの存在を、若い世代はちゃんと知っているのでしょうか? 

ベーナズ:私たちにとって、ベヘルーズ・ブスーギは今も英雄です。父が大ファンです。日本の三船敏郎のような存在です。私たちの子ども世代も知っています。今でも、テレビで古いベヘルーズ・ブスーギが出ているモノクロの映画を放映していたら、ほかのことはしないで、テレビの前に座って最後まで観ます。

― もっとお話を聞きたかったのですが、残念ながら時間が来てしまいました。これからの活躍も楽しみにしています。
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取材:景山咲子



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東京フィルメックス 『ある女優の不在』 主演女優ベーナズ・ジャファリさんQ&A(11/24)






近代漫画の祖・北沢楽天の映画『漫画誕生』初日舞台挨拶

昨年の東京国際映画祭で上映され紆余曲折の後、念願の劇場公開になりました『漫画誕生』
埼玉大宮が舞台の作品です。大宮生まれ大宮育ち、生粋の大宮人スタッフ(千)が舞台挨拶に駆けつけてまいりました‼︎

◆2019年11月30日14時〜14時20分/渋谷ユーロスペース

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客席もステージも満員御礼の中、司会進行は本作プロデューサー加瀬修一さん。まずは大木監督から、ご挨拶です。

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大木監督 今日はお忙しい中、この映画を選んでくれて本当に有難うございます。ようやく完成して映画館でスクリーンを通して皆さんにお届けすることができて嬉しく思っております。


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イッセー尾形 僕は今、67歳なんですけど、この作品は70歳の時に撮った映画です(会場笑い) 人生とは長いですね、自由に生まれて自由に育って自由に死んでゆければいいんですけど、どうもそうにはならない見本のような映画です。
大木さんの目指した北沢楽天という個人を扱った作品ですが、すごく深いといいますか、普遍的なテーマを扱っているんだなあと。


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篠原ともえ 楽天の妻役をつとめました。イッセーさんのお話を聞いていたら現場を思い出して幸せな気持ちになっています。イッセーさんは現場でも飄々としているんですが、どこかとてもアーティスティックで、アーティストに寄り添って生きる妻という、ある意味、普遍の愛みたいなものを作品の中で私が演じるとゆうのも貴重で嬉しい時間でした。私も絵が大好きでデザインの仕事をしたりしてますが、こうゆう仕事を続けてきたことも この役に生かせたかなと思って一生懸命演じました。ご覧いただいて有難うございました。


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稲荷卓央 検閲官の役を演じました。イッセーさんとがっつりお芝居させていただくなんて夢のような話しで、撮影はものすごく緊張しましたが イッセーさんが、これから一緒に作りましょうと暖かい言葉をかけてくださってラクになり、緊張感がありながら楽しく撮影することができたと思います。本日は有難うございました。


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モロ師岡 私に福沢諭吉役なんて出来るのかなと不安になりましたけども、調べましたら福沢諭吉が倒れた後からの役だという事と、ひとにカレーライスをすすめたりとか、コーヒーをすすめたりとか、倒れたにもかかわらず素振りを何十回もやるという自分を痛めつける割かし俗物だなっていう…今だったらスマホに向かってsiriに向かって「美味しい餃子のお店を教えてください」とか、そうゆうことをやってる様な役なんじゃないかと思うと、私にも出来そうだなって福沢諭吉になれるんじゃないかと思ってやったんですけど(会場笑い) 一生懸命やらせていただきました。この映画は楽天という漫画家の人物映画なだけではなく戦争の時代を背景にした、ある種の反戦映画だったり、ラブストーリーもあったり、泣けるようなシーンもあったり・・・ 涙がとまりませんでした。何回でも観ていただきたいです。


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吉岡睦雄 近藤日出造役をやりました。映画の冒頭で、この三馬鹿トリオがイッセー尾形さんと対決するというシーンがあったんですけども、あまりにも緊張して本番前にタバコを二、三十本吸いまくりまして、本番の頃にはすっかり気分が悪くなっていたという思い出があります(会場笑い) 今日は本当に有難うございます。


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芹澤興人 横山隆一役をやりました。今日は沢山の方々に来ていただいて有難うございます。時間も無いので、これで(会場笑い) また何回も観に来てください、よろしくお願いします。


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中村無何有 杉浦幸雄役をやりました。映画館に映画を観に来てくださって本当に有難うございます。いっぱい居るんで、ここらへんで(会場笑い)


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嶺豪一 岡倉一心役をやりました。公開初日ということで本当に沢山の方々に来ていただいて、また、もっともっと色んなかたに観てもらえるように願っております。今日は有難うございました。


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瓜生真之助 宮武外骨役をやりました。今日は初日で、こんなに沢山のひとに来ていただいて本当にビックリして嬉しいです。ありがとうございます。僕は宮武外骨というジャーナリストの役だったんですけれども橋爪遼くんと「さらば青春の光」さんと共演させていただいて、とても楽しくて貴重な時間でした。今日の感想とか何か感じたことを周りのかたに話していただいて、たくさんのひとに観てもらえれば嬉しいなと思っております。よろしくお願いします、ありがとうございました。


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秋月三佳 まち子役をやりました。橋爪遼さん演じる青年期の楽天さんの手元を見ているだけで心がいっぱいになるくらい凄い幸せな撮影でした。今日は本当に有難うございました。


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福永マリカ 二葉役をやりました。今日はこの場所でご一緒できて嬉しく思っております。本日は有難うございました。


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祁答院雄貴 川端龍子役をやりました。ちなみにお客様の中で大田区にお住まいのかたっていらっしゃいますでしょうか・・・? 大田区に川端龍子記念館という私が演じた川端龍子の記念館がありますので是非とも行ってみていただきたいなと(会場笑い) この映画を通じて、いろいろな事が広がったら良いと本気で思っております。今日は有難うございました。


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江刺家伸雄 坂本繁二郎役をやりました。埼玉の地で撮影させていただいて、桜が綺麗だったりしました。是非、皆様のほうからも感想など述べていただいて告知をしていただけたらと思います。本日はご来場ありがとうございました。


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安藤瑠一 石井鶴三役をやりました。今日はお越しいただき有難うございます。若い頃の楽天の助手をやらせていただきました、ほっこりとしたシーンになっているのではないかと思います。本日は宜しくお願いします。


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木下愛華 初音役をやりました。冒頭のシーンで、おちょことかを出す役をやっていたのですが、みなさんとこの場に立ち会うことが出来て大変晴れ晴れしい気持ちです。ありがとうございました。


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あらい太朗 最後のシーンで氷川参道を斜めに歩く、あやしい男を演じました。漫画家で、さいたま観光大使をしております。埼玉大宮の名士というか、北沢楽天さん、あまりにも知られていないひとで
、ご案内通りの映画のとおりのひとなんですけれども、これを全国、世界に、もう一回知らしめようという事で十何年も前から映画を作りたいって言い出した、言いだしっぺが僕なんで、今日ここに立たせていただいて・・・ 大木監督と出会って、運命の出会いで、本当に今日良かったです、今日がどれだけ凄いことかって言うと、いつもは優しいスタッフが全然笑ってくれないんで凄いということが分かってるつもりです。その十何年前から、楽天役はイッセー尾形さんと勝手に言ってました。それがまさか実現する・・・モロ師岡さんとか、篠原さんが奥さんの役とか、くるくるみらくるです本当に(会場笑い) 嬉しくてしょうがないです。パンフレットも是非お買い上げいただいて、お読みいただければと思います。今日は有難うございました。

このあとフォトセッションが始まりました。大木監督が客席の皆さんもどうぞと、とても優しい言葉掛けがあり、みんなで撮影大会となりました。今まで何度か舞台挨拶の取材に入ったことありますが、こんなに大勢のキャストさん、そして笑いのある舞台挨拶は初体験でした。
最後に大木監督からのメッセージです。



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大木監督 いろいろな事がちょっとあった映画で、今日この舞台にあがるはずだったけれども、あがらなかった、あがることが出来なかったひとも何名か居るんですが、その人たちのぶんまで今日私が背中に背負って立てれば良いなと今日ずっと思ってきたので、こんなに沢山の人に来ていただいて本当に有難うございました、うれしい思いでいっぱいです。このあとも、まだまだ上映は続きます、全国各地に広がっていければいいなと思っております。北沢楽天をちょっとでも知って、日本の漫画とか、なにか仕事をするということに対して真摯に向き合うことの考えるキッカケになればと思って作りましたので、ぜひ今後とも広めていっていただければと思います。
何回も観ると味のある映画かと思っておりますので・・・さいたま市立大宮漫画会館という北沢楽天が、もともと住んでいたおうちを改装して造った日本で初めての漫画ミュージアムがありますので、ぜひ此処も行っていただければと思います。

イッセー尾形 この映画の面白さをもっと言ったほうがイイんじゃないの!?

大木監督 そうですね、博物館の宣伝で終わるところでした(会場笑い) この映画は色んなことを感じていただける作品と思っておりますので、じぶんなりの感想などを書いていただいて広めていっていただければと思います。今日は本当に色んな数ある映画の中から、こちらを選んでいただいて有難うございました。

61B320E3-9E71-4ADC-AC00-1B6FF52B2BE0.jpeg©漫画誕生製作委員会


舞台挨拶の中で登場した関連施設
●さいたま市立(大宮)漫画会館
https://www.city.saitama.jp/004/005/002/003/001/index.html

●大田区立龍子記念館
https://www.ota-bunka.or.jp/facilities/ryushi/tabid/218/Default.aspx

★シネジャ作品紹介
http://cinejour2019ikoufilm.seesaa.net/article/mangatanjo-review.html

★ミッキーの毎日・映画三昧
http://mikki-eigazanmai.seesaa.net/article/471852565.html

★シネジャ本誌100号あらい太朗さんインタビュー掲載
http://www.cinemajournal.net/bn/100/contents.html


(レポート:山村千絵)