『サイゴン・クチュール』グエン・ケイ監督インタビュー

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グエン・ケイ監督 プロフィール
脚本家として活躍後、アメリカ、日本(NHK「kawaii project」)、イギリスで映像分野で実績を積む。ベトナムへ帰国して、“Tèo Em”の大ヒット後、2013年に脚本家集団 A Type Machineを創設。ゴ・タイン・バン主演のアクション映画『ハイ・フォン』では歴代興行成績を塗り替えるほどの大ヒットを飛ばす。一大ブームを引き起こした本作では脚本と監督を担当。 最新作はヴィクター・ヴー監督の“Mat Biec(原題)”をプロデュース。
『サイゴン・クチュール』(原題:Co Ba Sai Gon)
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2017年/ベトナム/カラー/100分
(C)STUDIO68
配給:ムービー・アクト・プロジェクト
HP http://saigoncouture.com/ 


―69年というと自分の青春時代で、当時のメイクやファッションなど似ていて懐かしいです。60年代後半から70年代は、日本ではベトナム戦争の時代という印象が強いのですが、この映画は戦争中を思わせる場面はなく、明るい暮らしを描いています。これは狙ったものですか?

そうなんです。あれは私の反戦の精神を表しているつもりなんです。戦争で一番辛かったのは男性だと思うのです。戦場に行かなければならなかったし、行かない人もまた自分たちの暮らしを守らなければなりませんでした。女性たちも戦争の時代の中でも、決して自分たちの務めを忘れませんでした。それは伝統を発展させること、自分たちのルーツを守ることです。
文化というのは、いつもいつも流れていて戦争中でもそれを守るのは止めてはいけないことでした。あのころビートルズも歌っています。「Ob la di,ob-la-da,life goes on♪」って。ライフゴーズオン、人生は続くんだ、ということですね。

―アオザイ仕立ての老舗にはモデルがありましたか?

日本も同じだと思うんですが、アーティスト、たとえば日本でも飾り職人とか代々受け継がれていく家業というものがありますね。アオザイも同じで、主にそれは女性が受け継いでいきます。そういうお店はたくさんあって、どこか一軒ということではなく、全部がモデルになっています。

―エピソードが母と娘ですね。日本では家業は息子が継ぐことが多いです。ベトナムは女性が強くて、能力も高いんですね。

大阪のおばちゃんと同じなんです。女が強い(笑)。

―さきほどの戦争のことですが、男性ばかりでなく、女性も戦場で男性と一緒に戦っていましたよね。ベトナムの女性は強いなとそのころから思っていました。その流れはあるでしょうね?

ベトナムには4000年の歴史がありますけれど、最初は母系家族でした。中国からの影響を受けて、父系家族となったわけです。でもやはり本質の母系家族に加えて、戦争中男性がいなくなったことで女性の価値はあったんです。それが続いていて現在の社会においても、いろいろな企業のトップに女性が就いています。たとえば航空業界ではベトジェットエアー、銀行業界にもいらっしゃいます。
          
―この映画が監督第1作ですか。

監督として1本目の作品です。ベトナムの映画界はまだ男性が支配しています。私にとってはとてもラッキーなことにスタッフがほぼ女性で、監督デビューのとても良い機会になりました。
この1本目に出会えるまで非常に長い時間待ちましたので、これで良い結果を出そうと努力しました。このおかげで、2本目3本目と続くことになっています。

―今回の脚本は監督が主に書かれて、ほかの方々(脚本:A TYPE MACHINE=8人の女性脚本家集団と資料に)に意見を聞いたということですか?8人ってどういうことなのかな?と不思議で。

今回は書き直したのでとても急いでいました。最初私の役割はスクリプト・ドクター(みんなで書きあげたものを最終的に見る)だったのですが、昨日のインタビューで言ったように、初めは姉妹の話だったのが、母と娘の話に変わったので全部書き直さなくちゃいけなくなりました。これは時間がかかるので、私一人でやることにしました。それでドラフトができるたびにその8人のチームに見てもらって進めていきました。
書くのは1人で後はコメントをしてくれるんです。多くても2人までですね。チームとして同時に4,5本のプロジェクトを抱えていて、それを8人でやっているということなんです。

―スタッフ・キャストとも女性が多い作品ですね。

プロデューサー、脚本、それにこの作品には大スターの女優が6人も出演しています。一人ひとりが主役を張れるような人たちが、1本の映画に全部顔を出してくださいました。それだけ私たちの意図をくんで、同意してくださったということです。
 
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―ゴ・タイン・バンさんはどんな方ですか?

彼女はとても強い女性です。10才のときに家族とノルウェーに移住し、20才でベトナムに戻ってキャリアを始められました。その後ハリウッドにも行って映画の仕事をしています。あまりに強いので、高圧的だという風にいわれることもあります。彼女は多くの経験や能力を持っているので、この映画のキャストや製作期間、衣装などについてもいろいろなリクエストをみんなに出してきました。
ただ、ゴ・タイン・バンさん、それに衣装デザインとプロデューサーでもあるトゥイ・グエンさんみんなに、この映画は伝統的衣裳のアオザイを尊重するという共通の目的がありました。それを達成するために意見を交換して映画を作ってきました。一緒に仕事をしてたくさんのことを学ぶことができましたし、とても成長しました。良かったと思っています。

―ほかに女性監督はいらっしゃいますか? 

少ないですね。一つ上の世代ですと、デイ・リン・クオ監督、ベト・リン監督がいますが、最近作品は作られていませんね。私と同じような年代でいうと、ラブストーリーのルック・バン、アート系だとグエン・ホアン・ディエップ(*)がいます。ゴ・タイン・バンさんも1本監督しているんですが、作ってみたら大変だったので、もう監督はやらないそうです。
例えばですね。監督が女性であってもカメラマンは男性なんです。そうすると男性のほうが強く言ってきます。

―女性カメラマンはいないんでしょうか?

世界的に言って、カメラマンと照明は男性ばっかりなんです。

―(宮・白同時に)日本にはいますよ。

カメラマンになりたい!(笑)

―京都で作る予定の第3作を日本の女性カメラマンで作るのはどうでしょう?

いいですねぇ。
(ここで、高野文枝監督作品のカメラマンだった城間典子さんの話になる。京都在住なので、ご縁ができるといいですね)

*アジアフォーカス福岡2016で上映
『どこでもないところで羽ばたいて』2014年/ベトナム・仏・ノルウェー・独/98分
原題:Đập cánh giữa không trung/ 英題:Flapping in the Middle of Nowhere


―第2作はどこまで進んでいますか?

脚本はもうできています。2020年3月に撮影予定です。お話は、アメリカに住んでいる17,8歳の娘が主人公です。親がいないという設定で、ハリー・ポッターのように意地悪なおばあさんの家にいます。実は彼女の本当のおばあさんはアオザイ作りの名人だったと知ります。彼女もアオザイを作りたくてもアメリカで学ぶことはできず、ベトナムへ帰ります。そこで、30代で亡くなったおばあさんのゴーストに出会うことになります。

―なんだか楽しそうな作品です。この作品との繋がりは?

繋がりはないのですが、同じようなエピソードがあってタイムスリップします。最後の皇帝がいた時代に戻るんです。(ベトナム帝国皇帝バオ・ダイは1945年8月30日に退位を宣言)

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―この作品で、現代にタイムスリップしたニュイは未来の自分に会います。これまでのタイムスリップやトラベルでは、自分に会うのはタブーでした。若いニュイは過去に戻って、真面目に励むわけなんですけど、そうすると未来に影響があって大きく変わるはずです。そこを2で描くのかと想像していました。

お~、これもいいアイディアですね。ちょっと書いておきます。(と別室にいく監督。紙とペンを手に戻りました。いつもアイディアをすぐ書きとめるのだそうです。ここで時間いっぱいとなりました)

―今日はどうもありがとうございました。
(取材・写真:白石映子、宮崎暁美)

前日のイベントのレポこちら

=取材を終えて=

グエン監督から開口一番に「今まで日本の女性は結婚すると仕事をやめてしまうのだと思っていましたが、間違いだということがわかりました」と言われました。こんなシニアコンビの取材は初めてでしょうね。
宮崎が「シネジャはボランティアで32年続いているミニコミ誌です」と説明すると驚かれました。差し上げた102号の表紙がちょうど『サイゴン・クチュール』だったので監督いっそう喜ばれ、良かった~。
黒いスーツ姿の監督に「今日はアオザイじゃないんですね」と言うと「持ってきましょうか」とすぐ立たれます。後で見せていただくことになり、本題へ。
インタビューが終了してから、アオザイを見せていただきました。昨日のお話の背中側がどうなっているのか、やっとわかりました。ゆるみの幅左右に紐を通す小さな輪が7,8個ずつ。上から下へ編み上げ靴のようにコードをクロスさせて調整します。残ったコードはウエストあたりで蝶結びに。「サイズがよく変わるので、デザイナーのトゥイ・グエンさんに作ってもらいました。オートクチュールです」とグエン監督。たくさんの色とりどりの花はかぎ針で一つずつ編まれた可愛いものでした。あらたまった席に着て行かれるそうです。(白)

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1969年というと、私は高校3年生で、ちょうどベトナム戦争が激化していた頃。日本でも連日、ベトナム戦争のニュースがTVで流れ、報道雑誌などにも頻繁にベトナム戦争と人々の姿を写した写真が掲載され、本や文章にもたくさん書かれていました。それらを見ていた私は何かできないかと思い、べ平連(ベトナムに平和を! 市民連合)のデモに参加するようになりました。そんな経験があり、ベトナム戦争後の復興は常に気になっていました。そしてベトナムは私の人生、生き方にとって大きな影響を受けた国になりました。
映画に興味をもつようになってからもベトナムを描いた映画というと観にいっていました。ベトナム戦争関連の映画がどうしても多かったし、他の国の人がベトナムを描くときも、商業映画であれ、ドキュメンタリー映画であれベトナム戦争が舞台だったり、伏線だったり、枯葉剤の影響だったり、どうしてもそういうことからは離れられずにベトナムの変化を見てきましたが、その後、アート系の映画も上映されるようになりました。
そして、第11回大阪アジア映画祭2016でベトナム映画特集があり、そこで『超人X.』のようなアクション映画、『ベトナムの怪しい彼女』のようなコメディタッチの映画が上映され、ベトナムにもとうとうこういう映画が出てきたと思いました。そして第13回大阪アジアン映画祭2018で『仕立て屋 サイゴンを生きる』と出会いました。おしゃれでポップ、でもそれだけでなく重厚さも感じさせる作品でした。これはぜひ日本で公開してほしいと思っていたら、『サイゴン・クチュール』というタイトルで日本公開されることになり、とても嬉しく思いました。大阪では監督にお会いできなかったのですが、今回、監督にインタビューできると聞いてぜひお会いしたいと思いました。こんな映画を作った監督はまだ若い女性でした。これが第1作と言っていましたが、この後、3作まで予定があるとのこと。とても頼もしく思いました。でも、ベトナムではまだまだ女性監督は少なく、それ以外の部門はもっと少なく、撮影をやっている女性はまだいないとのことでした。次作は京都で撮るとのことなので、ぜひ日本の女性撮影者と組んで映画を作れたらいいなあと思いました。(暁)

『サイゴン・クチュール』グエン・ケイ監督来日イベント

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『サイゴン・クチュール』
1969年のサイゴン。代々続くアオザイ仕立屋の母と対立、60年代の洋服にこだわる娘・ニュイが21世紀にタイムスリップ。変わり果てた自分と寂れた店に驚愕。自分の《人生》を変えるべく奔走するファッション・ファンタジー。1人の女性の成長を鮮やかに描いた、女性が元気になれる【ビタミンムービー】。
★2019年12月21日(土)より全国順次ロードショー
作品紹介はこちら

2019年11月11日(月)笹塚ボウルにて、ベトナムから来日されたグエン監督を囲んでのイベントが開催されました。
グエン監督は深い黒地に色とりどりの花を散らしたアオザイで登場しました。ゲストにベトナムで活躍中の落合賢監督、歌手の野宮真貴さん、俳優のデビット伊東さんを迎えてのトークと、華やかなアオザイのファッションショーが行われました。
司会は映画ライターの新谷里映さん。通訳は秋葉亜子さん。

1960年代を舞台にした映画を製作した理由について、グエン監督「1960年代は素晴らしいことがたくさんあった希望に満ちた時代でした。そんな時代をとても愛しているからです」と回答。
元々の脚本は姉妹の設定だったのが、母と娘のストーリーに変更になったことなど製作中の裏話を明かしました。
アオザイをはじめとするファッションをデザインしたのは、プロデューサーも務めたトゥイ・グエン。デザイナーである彼女から、「フランスの植民地時代の象徴である花柄のタイルや、1960年代の象徴である水玉模様をアオザイのデザインに取り入れたいと提案されたんです。彼女のおかげで現代的でありながらもレトロな雰囲気を持つ、素晴らしい衣装となりました。嬉しいことにこの映画をきっかけにアオザイを普段から着る若い人たちが増えたんです」と笑顔で語りました。

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第1部の終盤には、ベトナムで映画を製作、『サイゴン・ボディガード』、『パパとムスメの7日間』などヒット作を送り出した落合賢監督が登壇しました。お二人はこれが初対面でしたが、グエン監督が落合監督の2作品を観ていること、お互いに共通の友人がいることがわかりお話がはずみました。
落合監督はベトナムの印象を「エネルギーに満ち溢れている国。どの人もフレンドリーで仕事がしやすい」と語り、『サイゴン・クチュール』については「特に美術と衣裳について色使いが印象的でした。どのようにアプローチされましたか?」と質問。学生時代美術を専攻していたというグエン監督は「1960年代はポップな色使いをする時代でした。また、ベトナムのような熱帯の場所はトロピカルカラーが映えるんです」。
アオザイを何着お持ちですか?の問いに、「3着です。イベントや結婚式に着ます。昔はアオザイを男性も着ていてとても素敵でした。この映画の2ではアオザイと背広の葛藤部分を。3では京都を舞台に描く予定です」と続編の話題にもちょっと触れました。60年代のアオザイや最先端のファッションまで、映画のために用意されたたくさんの衣装は231着にも上ったそうです。

トークショー第2部には、90年代の渋谷系と呼ばれていた“ピチカート・ファイヴ”のボーカル、今はソロのミュージシャンの野宮真貴さん、ベトナムで俳優も経験、今年ホーチミンにラーメン店を出店したデビット伊東さんが登場しました。
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作品についての感想を野宮さん「とてもカラフル、キュートでポップ!まさにピチカート・ファイヴで着ていたような60年代のお洋服、ベトナムの民族衣裳のアオザイもたっぷり見られますし、久しぶりにワクワクするような楽しい映画でした」。ベトナムを訪ねたおり、オーダーメイドでアオザイを含めて10着くらい作られたそうです。「見本を持って行くと滞在中にできるんです。ベトナムは人が優しいですし、食事が美味しいですし、買い物も楽しいですし…」とベトナムの魅力も。
デビット伊東さん「とにかくカワイイ映画。映画の中で主人公の母親が「基本を大事に」と言うんです。僕はあの言葉が大好きで。どんな業界でも基本を大事にすることで新しいことに進めます。監督、あれはどこから来たんでしょう?」と監督に質問。

グエン監督「私の祖母や母がよくそう言っていましたので、私もそれを映画で使いました。アオザイは、だんだん着られなくなっていましたが、嬉しいことにこの映画で”アオザイってカワイイじゃない"と思ってもらえました」。
デビットさんのお店に友人を引き連れて伺います、と約束した監督、野宮さんに「第3作目は京都を舞台にする予定なので、野宮さんには一番良いアオザイを10回くらい着替える役で出て欲しい。すごく似合うと思います」と今からオファー。野宮さんも「ステージで10回着替えたことがあります。着替えは得意です」と、嬉しそうです。

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イベント終盤には、本作のコスチュームデザインを担当したテュイ・グエンによるブランドTHUY DESIGN HOUSEの革新的なファッションをお披露目するスペシャルファッションショーも開催。華やかなアオザイ姿のモデルさんが次々とランウェイならぬボウリング場のフロアを歩きます。作品のテーマ曲をバックにベトナム人ダンスグループ9Flowersが、元気いっぱいのダンスで会場を盛り上げました。
(資料提供:ムービー・アクト・プロジェクト 取材・写真:白石映子)

グエン監督インタビューはこちらです。