レオン・レ(Leon Le)監督プロフィール
1977年サイゴン(現ホーチミン)生まれ。俳優・ダンサー・歌手として活躍した後、幼い頃からの夢であった映画監督の道へと進む。製作した短編映画『Dawn』、『Talking to My Mother』はベトナム国内で高い評価を得、『ソン・ランの響き』で長編監督デビュー。本作はベトナム映画協会最優秀作品賞、北京国際映画祭最優秀監督賞、サンディエゴ・アジアン映画祭観客賞など、国内外で現在までに合計37の賞を受賞している。写真家としても活動中。現在はニューヨーク在住。
リエン・ビン・ファット(Liên Binh Phát)プロフィール
1990年キエンザン省生まれ。在学中に人気バラエティ番組「Running Man Vietnam」に出演、人気を博す。その後3ヶ月のオーディションを経て本作にて映画初出演を果たし、第31回東京国際映画祭ジェムストーン賞(新人俳優賞)、ベトナム映画協会最優秀男優賞を受賞した。2020年2月にはフランスの舞台劇『Mr.レディ Mr.マダム』をリメイクした主演映画『The Butterfly House』の公開が予定されているなど、今後最も活躍が期待されるベトナム人俳優の一人。
作品紹介 http://cinejour2019ikoufilm.seesaa.net/article/473600213.html
初日舞台挨拶 http://cineja-film-report.seesaa.net/article/473727941.html
公式 http://www.pan-dora.co.jp/songlang/
(C)2018 STUDIO68
★新宿K’s cinemaほか全国順次公開中!
日本ではコロナウィルスのニュースで大騒ぎのころ、予定どおり来日してくださいました。公開初日の前2月21日に取材の時間をいただいて、いそいそと三人で伺いました。お洒落なお二人を前にあがりぎみ。
(通訳:ダン・タン・フィエンさん)
―2017年のTIFFの会見で、監督は「子どもの頃からカイルオンが好きで俳優になりたかった」とおっしゃっていました。長い間かかって念願のこの映画を作られたんですね。映画製作はどこで学ばれたのですか?
監督 映画製作の勉強はしたことがありません。本業は俳優で、演劇、ドラマやCMなどに出演してきました。やっぱり映画が好きでそういう仕事の合間に、一人で研究し学んできました。
―独学で!? すごい!これまで短編が2本、初長編というこの作品の完成度が高くて驚いたのですが、独学というのにさらに驚いています。
監督 ありがとうございます(日本語)
―リエンさんもカイルオンを子どものころから観ていましたか?自分も演じたいとは?
リエン はい。昔から観ていました。そのころは大人の横にくっついて観ていた程度です。自分が出たいとは思わなかったですね。
―これは監督のオリジナルのストーリーですね。映画を作るまでの経緯を教えてください。
監督 もともと私はカイルオンに興味がありました。小さいころからカイルオンの俳優になるのが夢でしたが、実現できなかったので大人になってカイルオンに関する作品を作りたくなりました。最初は劇を作ろうと思ったんですが、劇は一度観終わったらその後に何も残りません。それなら同じ手間暇費用を注いで映画を作れば、もっとたくさんの人に観てもらえて、残すことができると思いました。
―それでゴ・タイン・バンさんのスタジオ68に話をされたのですか?
監督 正直にいうとそこに行ったのは最後です。それまでにいろんなプロデューサーに話しましたが、カイルオンがテーマというと興味を失って断られました。ゴ・タイン・バンさんだけが、ベトナムの文化や伝統的な劇などを世界に紹介したいという気持ちを持っていました。それで2日後に了承の回答をもらえました。
―キャスティングですが、アイザックさん、リエンさんに決まったのは?
監督 主人公二人のうちアイザックはゴ・タイン・バンさんの紹介だったのですが、初めは断ったんです。そのときの彼の雰囲気がリン・フンとはマッチしていなかったからです。その後たくさんの人を見てきたのですが、なかなかふさわしい人がみつからず、結局アイザックもオーディションに参加して、他の人たちと同じくいろいろなことをやってみてもらいました。それでアイザックでいけるとわかって決定しました。
ユン役は新人で、知られていない人を探しました。なぜならスターだと、観客は映画の内容などよりも、すでにスターに対して持っているイメージで観てしまうからです。リエンさんは新人で、ユンのイメージに合っていました。
―リエンさんは演劇の勉強をしていたのですか?
リエン 演劇学校出身ではなく、関係ないものをやっていました。誰も知らないような番組のMCで全く無名だったんです(笑)。ある番組に出演した私を監督の知り合いが見て、ユンにぴったりだと監督に紹介してくれました。それでオーディションに参加して、4~5ヶ月かけてやっと監督からOKをもらいました。
―良かったですね。楽器の練習はキャスティングされてからですか?
リエン そうです。役作りのためにアクションや楽器の演奏など習いに行きました。撮影前に監督からアドバイスをいただいて、重要なシーンなども練習しました。
―この弦楽器とソン・ランはセットで演奏されるものですか?
監督 最近のカイルオンはギター演奏に変わっています。昔は映画のように“ダングエット”(ダン=弦楽器、グエット=月)で、ソン・ランとセットで演奏しています。ソン・ランはカイルオンのリズムを整えるためのものです。
―ソン・ランは劇の最初と最後に使われ、演奏者、役者双方にとってリズムの基礎であると資料にありました。そういう役目の大事な楽器ということですか?
監督 まさにそのとおりです。舞台の俳優やほかの演奏者に今劇のどこまで進んでいるのか、どのくらいで終わるとかテンポやリズムで教えてくれるのでとても大事なのです。主人公二人の人生と同じように、ソン・ランがなければどこに進んでいけばいいのかわからなくなります。
―映画は室内や夜の撮影が多いですね。演劇の部分もそうですが、光と影が美しい映画でした。撮影や照明にベテランの方々がいらしたのでしょうか?
監督 私が考えているこの映画のテーマは、(カイルオンの)劇と(実際の)人生は混じりあう存在ということです。光と影のようなリン・フンとユンの存在も同じです。撮影に関しては、ありがたいことにベトナム出身のオーストラリア人のボブ・グエンさんが撮影監督となってくれました。彼はこれまでに世界で7つの賞を受けた方です。
―リエンさんはアイザックさんと共演していかがでしたか?
リエン 最初この役をいただいたとき、アイザックさんと一緒に主人公を演じると知ってとてもプレッシャーを感じました。アイザックさんはすでに有名で、ベトナムのポップスターでしたから。難しい主人公役なのに、アイザックさんについていけるのかと不安でした。でも始まってみるとアイザックさんはとても親しみやすく親切にしてくださったので、だんだんうちとけて楽になりました。
―これは本国での上映が先ですか? それとも映画祭で受賞してから公開されたのですか?
監督 先にベトナムで上映しています。海外で初めて上映されたのは、おととしの東京国際映画祭でした。その後またベトナムで何度か上映しています。2019年には国会議員からの要請で、国会での特別上映をしています。
上映前はとても緊張しました。映画の中にははっきりは描いていませんが、政治的な要素も少し入っています。政治関係は敏感な問題ですので、もしかしたらクレームがくるかもしれないと心配しました。けれどもみなさんから高い評価を得て、芸術は人と人を繋げてくれると実感しました。
―この映画が公開されてから、カイルオンの人気があがったということは?
監督 もう黄金期のような人気が戻ることは無理だと思います。でも、この映画が上映されたことでカイルオンについて知ってもらえました。最近は若い人たちが自分のミュージックビデオの中に、現代的なカイルオンの要素を入れていることもあります。
―出来上がった作品をご覧になってのお二人の感想をお聞かせください。
監督 上映されてすぐ感じたのは「孤独」です。というのは、この5年間毎日24時間ずっと作品のことを考え続けていたからです。
この作品が受け入れられるのか、どんな反応があるだろうか、良い評価がもらえるだろうかなどといろいろ考えていました。けれども公開されればもう自分だけの作品ではありません。みんなのものになり、自分が守ることもできなくなるのでとても不安で孤独な気持ちになってしまいました。
でもみなさんが高く評価してくださって、最終的には幸福を感じました。自分の人生の中の大きなゴールにたどり着いたと実感できました。
リエン 私にとって映画初出演のこの作品は節目になりました。それまで俳優のことはあまり真剣に考えていなくて、ただただやっていたんです。この作品は自分が今まで体験できなかった幸せをもたらしてくれました。自分にとってとても大事な作品です。
―ありがとうございました。
(取材:白石映子、宮崎暁美、景山咲子 まとめ:白石 写真:宮崎)
=取材を終えて=
映画を観た時に、打楽器であるソン・ランをちゃんと認識できなかったのですが、今回、監督にお伺いして、俳優やほかの演奏者に舞台の進行状況を知らせる大事な役目の楽器だとわかりました。歌舞伎でも「拍子木」が最初と最後に打ち鳴らされ、舞台の途中では演技のきっかけを知らせたりするので、同じですね。
今回、ぜひ監督とリエンさんにお会いしたくて、インタビューに同席させてもらいました。お二人とも、映画やベトナムの伝統に深い思いを持ったとても素敵な方でした。
最後のお別れの時にベトナム語のありがとうに挑戦。もう30年以上前、会社勤めしていた折、ベトナムからのお客様に教えてもらったのですが、片仮名で書けば「カム オン」。漢字の「感恩」からきているそうです。でも、ベトナム語には、声調が6つあって発音が難しいのです。昔教えてもらった声調で通じるか、まずは通訳さんに確認。「大丈夫ですよ」と言われ、監督、そして、リエンさんに「カム オン」と言ってみました。お二人共微笑んでくださって、ばっちり! (咲)
レオン監督はカイルオンの俳優になりたかったという方です。動画サイトにある映画の制作風景を見ますと、歌いながらカイルオンの演技指導をしているのはレオン監督でした。俳優さんでもあるし、カメラマンでもあります。カイルオンへの愛と画面へのこだわりに納得です。そんな監督に下手な写真を差し上げてしまいました。にっこり笑って受け取ってくださいましたが。
「ソン・ラン」は漢字だと「雙郎」らしいです。「二人の男」ですね。監督に確認しそびれましたが、これは二人の友情以上の物語?たぶん「観た方にお任せします」とおっしゃるでしょうね。次のコミケにファンブックが出ないかなぁ。
リエンさんはリム・カーワイ監督の作品に出演したそうです。レオン監督が準備中という脚本が順調に映画化されて、またいつか来日してお目にかかれるのを楽しみにしています。(白)
ベトナム戦争が終わったのは1975年。南北は統一され、首都サイゴンはベトナム戦争で大きな働きをしたホーチミンの名を取ってホーチミンになりました。ホーチミンはベトナムが統一される前の1969年に死亡しているけど、ベトナムの人々はホーチミンのことを親しみを込めてホーおじさんと呼んでいたので、サイゴンは陥落後、ホーチミンという名になったのでしょう。でも、今でも現地の人はホーチミンではなくサイゴンという名にこだわっているのだなと、最近公開された『サイゴン・クチュール』、『ソン・ランの響き』を観て思いました。日本人である私自身もベトナム反戦運動に参加した経験からホーおじさんには親しみを感じてはいたけど、「サイゴンはサイゴンだよね」と思っていたので、ベトナムの人たちのサイゴンへの思いを知って嬉しかった。
その思いと伝統芸術への思いは、たぶん通じるところがあるような気がする。昔から感じていたベトナムの人々の、質素だけど芯の強さは、中国、日本、フランス、アメリカなど、いろいろな国から侵略を受けてきたことに起因するのだろうけど、だからこそ、自分たちのアイデンティティーや文化を守ろうという思いが強いのでは。でもだからといって、まるっきり受け入れないということでもなく、よそからの文化も受け入れたりしながらベトナムは変わっていっている。ベトナム料理では米粉の麺で作ったフォーや生春巻きゴイ・クン、ベトナム風お好み焼きのバイン・セオなどが有名だけど、フランスパンのサンドイッチ、バインミーなどもよくみかける。
そうした一方で、伝統的なベトナムの服装アオザイなどは洋装に、歌舞劇カイルオンもだんだんに演じられなくなっていた。そんなことに思いを馳せたレオン・レ監督の思いとゴ・タイン・バンさんとが出会って、この作品は生まれたといえるのでしょう。彼女は『サイゴン・クチュール』もプロデュースしている。『サイゴン・クチュール』では、単なる伝統的なアオザイだけでなく、現代的なデザインのアオザイにも注目が広がっているようだし、この『ソン・ランの響き』の後では、ミュージックビデオなどにカイルオンが取り入れられたりしていると監督が語っていたので、こちらも単なる伝統の継続だけでなく、そういう形での新たな可能性も含めて、ベトナム文化は進化していくのでしょう。これまで観てきたのとは、違うベトナム映画の流れを感じるこのごろです(暁)。