『はりぼて』五百旗頭幸男監督、砂沢智史監督インタビュー

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プロフィール(プレスより)
五百旗頭幸男(いおきべ ゆきお)
兵庫県生まれ。スポーツ記者や警察担当などの記者経験を積み、2016 年4月から 2020 年3月まで夕方のニュース番組キャスターを兼務。見た目は穏やかだが、舌鋒鋭く、これまで数々の社会問題について不正を追及してきた。趣味は休日に子どもとスキーに行くこと。現在は他県のテレビ局勤務。
砂沢智史(すなざわ さとし)
富山県生まれ。営業や編成のデスク勤務を経て 2015 年春から報道記者に。まじめで素直でとにかくしつこい。コンピューターに精通し、数字にめっぽう強い。変化球が投げられず、取材も人付き合いも常に直球勝負する。趣味はバスケットボール。現在は“社長室 兼 メディア戦略室”勤務。

『はりぼて』
2016年から富山県のチューリップテレビが取材したドキュメンタリー。市議会議員報酬10万円アップの要求をきっかけに、これは妥当なのか政務活動費が正しく使われているのか疑問が膨らむ。砂沢智史監督(当時富山市政担当記者)は、疑問の裏付けをとるべく何千枚もの資料を請求、デスクとともに連日確認に励む。五百旗頭幸男監督(当時キャスター)も、議員本人、富山市当局を追及。市議会のドンと呼ばれた大物議員の不正発覚を皮切りに、取材班の粘り強い調査は最終的に14人の議員辞職ドミノを起こすことになった。
(C)チューリップテレビ
公式サイトhttps://haribote.ayapro.ne.jp

★2020年8月16日(日)渋谷 ユーロスペースほか全国順次公開

―たいへん面白く拝見しました。これは2016年5月に「市議会議員報酬月10万円アップ」を要求したことがきっかけで発覚した政務活動費の不正でしたが、ほんとうは以前からあったわけですよね。たぶんみんなやっているからとか、不正とも考えずに続いていたのだと思いますが、それまで誰も気づかなかったのでしょうか?

砂沢 それまで市議会に目を向けること自体がなかったんですね。「10万円アップ」があって、あの議会何かおかしいぞ、と各メディアが気づきました。そして本会議の中継もないというのが議論になりました。富山県内に15市町村ありますが、県庁所在地の富山の市議会が一番予算もあって、真っ先にするはずなのがしていなかった。いろいろおかしな点がありました。

―市議会の傍聴制度は以前からあったんですね。

砂沢 傍聴制度はありました。

五百旗頭 たぶん市民の関心がなかったので…来られる方は限られていますから。

砂沢 あの場に来ないと議会の活動が見られない。ほかの市町村はインターネットさえあれば見られるのに、うちもやろうかという議論すら、その時はなかったんです。(2017年3月インターネット中継が始まった)

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五百旗頭幸男監督
―2016年8月にニュースで取り上げたことが始まりですね。

五百旗頭 ニュース報道のほかに1時間のドキュメンタリー番組「はりぼて~腐敗議会と記者たちの攻防~」を作りました。2016年12月に放送されました。

―この番組の反響はいかがでしたか?

五百旗頭 やはり県内でも自民党員の多いところですから、自民党にとっては描いてほしくない内容だったということでそれなりに。視聴者の方からおほめの言葉もあれば、自民党系の人からは「なんでこんなものを番組にしたんだ?」という、まあ両方の反応がありますね。

―これが元になった映画を作ると決めたのはいつですか?

五百旗頭 私が提案したのは去年の1月。会社としてゴーサインが出たのは4月です。もともと撮りためていた映像もありましたし、映画を意識してさらに追加で撮ったものもあります。

―この特番の後に続編を作るという予定は?

五百旗頭 なかったんです。チューリップテレビも含めて、辞職ドミノが起きた後、2017年春までは各社ドキュメンタリー番組を作っていたんですが、その後は継続して取材はしてニュースとしては報じているんですが、それを一つの形として番組を作ってまとめることはなかったです。
そういう中で、じゃあ4年前と今で何か変わったか?と言われると、議会の本質は何も変わっていない。これはやはり一つにまとめなくては、というのがありました。4年前は“腐敗議会と記者たちの攻防”というサブタイトルがついています。このときの“はりぼて”の対象は議会と当局だった。だけど、今回はそのサブタイトルは省きました。その意図というのは、やはり議会と当局の状態を許してきた市民、僕らメディア、そこもはりぼての対象に入るべきだ。そこも含めて4年間の実相として、今回映画にしたという流れです。

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砂沢智史監督
―視点を加えたというわけですね。最初に登場するすごくインパクトのある方、中川市議ですが、若い砂沢記者が負けてしまっていました。

砂沢 はい。当時はすごい貫禄で。怖かったですね(苦笑)。僕もあのとき記者2年目で不勉強だったこともあって、中川さんの言うことをそのまま、そうなんだなぁと思って。

―お代官様と下級役人みたいで(すみません)。後から登場する五本市議がご家老様。市長さんは何でしょ?役者がそろっていて、音楽や鳥や蜘蛛の映像がこれというところに挟まれるのも面白くて。

五百旗頭 1時間番組のときも今回も、基本はコメディのつもりで作りました。当時は辞職した話で終わっていました。それ以降、議会はどうなったのか?というと辞めなくなったんです、誰も。あんなに14人もドミノ辞職したのに、今同じような不正をしても辞めなくなった。そこの違いを見せなければ、見せようとしたことと、よりコメディ色を強くするために、記者と議員の対峙のシーンをより“間(ま)”を取って見せるようにしました。
報道の番組でありがちなのは、記者の質問をカットして、取材相手が答えているところだけをわかりやすく描いていく手法です。僕たちは「自分たちがどういう質問をして、(相手が)どういう表情で見ていて、どういう間を取ってその質問に答えるのか」そこに本質が詰まっていると思うんですよね。そこを、余韻を持たせて見せるようにしました。51分だった番組よりも今回100分ですから、よりきっちりと描けたかなと思います。

―映画の監督がお二人になったのは?

五百旗頭 当初は私が提案をして、映画の監督として編集を始めて…だけど取材の面はやっぱり番組当初から砂沢だったので、わからないことをいろいろ聞いたり、意見をもらったりしながら…取材は砂沢、製作は僕という分担があったんです。

砂沢 監督を二人にするか、というのは途中からって感じだったよね。

五百旗頭 私の所属が変わることになったというのもあるんですが…ずっと取材をしてきたのは砂沢なのでダブル監督がいいと。

―これはチューリップテレビさん制作で、宣伝もたくさんできるんですね。

砂沢 できるんですけど、たまたま知事選挙の時期がせまっていて、公職選挙法上、報道機関は選挙に影響を与えるような宣伝はできないんです。選挙が終わったら、問題はないです。

五百旗頭 富山の上映は年内にはできればとは思っていますが、まだ何も決まっていないです。(7/16時点)

―東京のユーロスペース上映が最初ですね。(後の上映予定はHPで)
長い取材でしたが、これをずっと追いかけるモチベーションというか力になった元はなんでしょう?


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資料と格闘

砂沢 次々と辞職が明らかになっていた渦中は、うちの会社だけじゃなく他のメディアもいっせいに取材をしていたので、それこそスクープを抜きつ抜かれつの状況になっていたんです。なので、その中では引けないというか、新しい調査報道もしながら他社が抜いた取材も追いかけてやらなきゃ、が繰り返されていたので、それがモチベーションだったという感じです。
一段落したら、割と地味なネタになるというか―議会のルールを変えるとか―そういった議論になっていく。ただ最初にうちが報道しているので、分量がたとえ減ったとしても全く報道しないというわけにはいかない、ニュースという形で継続取材はしていきました。

―見ているほうも気になりますよね。どうなったんだろうって。見ていた市民、選挙民の意識って変わりましたか?

五百旗頭・砂沢(同時に)変わってない…

砂沢 変わらなかったですね。より無関心になったかもしれないですねえ。

五百旗頭 投票率がけっこうそれを物語っていて…。あのドミノ辞職があった直後に補欠選挙になったんです。映画ではそれは入れなかったんですけど、その投票率が25%とか、その半年後の4月の本選挙が50%いってないんです。(砂沢監督本※で確認中)
※「富山市議はなぜ14人も辞めたのか」(2017年岩波書店刊)

―直後なのに25%。う~ん。

砂沢(本を開いて)補欠選挙が26,9%です。2017年の本選挙が47,3%。

五百旗頭 無関心もあるでしょうし、もうあきらめてしまっているというか。

砂沢 議会に期待をしていないというか。

五百旗頭 どうせダメだろうとか。やっぱり自民党王国ですので、いろんなところで自民党とのつながりがあったりで、目立った動きをするとどうにらまれるかわからない、と。

―人の出入りの少ないところは目立ちますね。東京のように隣は誰ぞということがないですから。
この取材も外から来た方が気づいて始めたのかと思いました。そしたら砂沢監督、富山出身、五百旗頭監督は兵庫県、富山は長いですか?


五百旗頭 長いです。2003年に来て、もう17年住んでいます。最初の就職先がチューリップテレビです。

砂沢 僕は富山県出身でずっと。

五百旗頭 僕ら同期です。

―砂沢監督と関わることがまたあればいいですね。せっかくの同期なのに、砂沢監督ちょっと寂しいですね。

砂沢 会社では会わないですけど、彼はまだ富山市に住んでいるんで。

五百旗頭 家族ぐるみの付き合いをしているので、けっこう会います。子どもも同じくらいなので。

―いいですねぇ。同期は一生ものの友達ですね。
映画で一区切りつきましたが、これから先、何ができるでしょう?


五百旗頭 僕は会社を去った身ですけど、それはラストシーンに込めたつもりです。砂沢も部署を異動して、当時取材に携わった人間がけっこう報道にはいなくなってしまいました。だけど、さっき言ったように市民は無関心になってしまうし、諦めてしまうし…。かといってメディアが諦めてしまうと、さらにひどい状況になってしまうと思いますね。ほんとにコツコツちょっとずつでもいいので、何かを変えていかなければならない、そのためにはやはり続けることです。
メンバーは変わるけれども、チューリップテレビが積み上げてきたものはなくならない。そのイズムを受け継いだ若い記者に託したい。

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チューリップテレビのフロア

―最後に登場したのが女性記者の京極さんでしたね。チューリップテレビのフロアにも女性が何人もいらして、さすがに若いテレビ局だなぁと思いました。それに比べて市議会はどこに女性がと思うほど、少ない。でもシュプレヒコールしているのは女性が多いです。議会にもっと女性を送れたら変わるんじゃないでしょうか。

五百旗頭 ああ、そういうふうに見てもらえたら報道フロアを出した甲斐がありました。

―ご家族はなんと応援してくださいますか?

砂沢 妻は心配していました。いろんな人の恨みを買うんじゃないかとか―でもそれは「大丈夫だよ」っていうしかないです。根拠はないですけど。

―私の息子だったら、ジャーナリストとしていい仕事をしたと誇りに思います。奥様たちもきっとそうです。これからも自信持ってください。あと今後やりたいことはありますか?

五百旗頭 やりたいことはこの延長線上で、自分は表現者として常に感覚を磨いていきたい。今回映画にしたかった理由の一つに、個人的なことをいえばテレビっていうのは番組を作って放送しっぱなしじゃないですか。視聴者、番組審議会、モニター報告などで意見をもらう、だけどそこでキャッチボールできることはなくて。だけど、やっぱり映画で上映することによって、僕たちも劇場に行ってシーンごとにお客さんの反応を肌で感じることができますよね。ここのシーンは、ほんとは笑ってもらうはずやったのに、誰も笑ってくれなかった…ここで笑うのか!とか、いろんな気づきがあると思うんです。さらに来た人と意見交換ができる。そういったことを経て、前と違う作品に繋げていきたい。
常に作るものは変わりますし、同じものはできないですし、次の作品をどんどん作っていきたいです。今の会社でもドキュメンタリーの専門部署に入りましたので。

―(名刺を見て)あ、良かったこと!
砂沢監督はこれから?


砂沢 僕は今社長室で経理とかやっている部署にきたんですけど、これでうちの会社の各部署を全て回ったような状況になっていまして、その中で報道の仕事を経験させてもらって、やっぱり報道の仕事は好きだなと思っています。この自分の立場で今報道にいる人たちが仕事をやりやすくできるように支援ができるといいなと。で、3年4年今の部署で成果というか、助けられたらいずれまた報道に戻って番組作ったりしたいです。

―人は変われると思いますか?

五百旗頭 これは難しいですね。変われる人と変われない人がいると思います。まずはやっぱり意志を持って、行動をすることです。それは僕らの業界にも言えることですけれども。
この映画を観た同業他社の人が開口一番に言うことは「うちの会社ではできません、無理です」なんです。だけど、それって僕はおかしいと思う。それはやろうとしていないだけ、覚悟がないだけだと思うんです。
この映画に関しては、僕は去る身でしたけど、砂沢しかり、プロデューサーの服部しかり、チューリップテレビの中に残ってこの映画の公開にこぎつけたんです。それを会社も許容したという、そこの意味を深く考えてもらいたいな、と監督の一人として思っています。

―届ける意味のある、意義のある作品だと思います。ありがとうございました。

=取材を終えて=
報道最前線のお二人におばちゃんが取材していいのか、と少々びびっていました。長身で素敵なお二人はニコニコと迎えてくださって「取材される側の気持がわかるので、有意義です」と。おばちゃんは感じの良い青年にからきし弱いのです。
富山市議会の明らかになった不正は、領収書の改ざん、水増し、架空請求など。一つ一つは小さいけれども、長年積み重なって何千万円(返還した金額)にもなっています。議員さん個人はいい市民、いい家庭人であるのでしょう。これくらい見逃したっていいだろ、みんなやってる、と続けてしまったんだと思います。しかしそれが発覚しないときにさらに報酬を月10万円アップしようとしました。
議長もお詫びしては退陣の繰り返し。とぼける、無視する、逃げる、押し付けられる人がいたら押し付ける。「私たちの上司ですから」と言ったお役所の人の声が痛切です。いやもう、どこぞのやり方とそっくりではないですか?子は親を真似るんです。それを親は褒められますか?孫に自慢できますか?これは残念ながらいつでもどこでも起きうることでしょう。
働いても働いても10万円に満たない月収で生活をしている人にも、年金生活者にも容赦なく税金はかかります。買い物すれば1割が税金です。吸い上げられたその使い道に無頓着でいていいのでしょうか?自分が声を上げられないなら、代わりに上げてくれる人を市議会に国政に送りましょう。代表に選ばれた人は、居眠りしないで真面目に代表として仕事をしてください。選挙のときだけ頭下げてもダメです。
『はりぼて』は、わははと笑って観られる作品ですが、観終わった後に腹が立ったり、自分も同じだと思ったり、いろいろ沸々とわいてきます。私たちが厳しく見つめなくちゃいけないのは上にいる人です。貶めているのではなく、事実を伝えてくれたこの作品を送り出してくださったチューリップテレビ取材班に感謝。
人は弱いし、何度も間違える。でも変わろうと思えば変われる。それを一番期待しているのは五百旗頭監督&砂沢監督です。
(まとめ・写真 白石映子)

『横須賀綺譚』大塚信一監督インタビュー

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大塚信一監督プロフィール
1980年生まれ。長崎県出身。日本大学文理学部哲学科卒。20代前半に長谷川和彦に師事。飲食店で働きながら『連合赤軍』のシナリオ作りの手伝いをする。『いつか読書する日』(05 緒方明監督)などの現場に制作として散発的に参加するが、映画の現場からは離れる。基本的にラーメン屋での勤務で生計を立てながら、自主映画を制作するが、完成まで至らず。今作『横須賀綺譚』ではじめて映画を完成させる。子供が生まれる前に最後の挑戦として、短編を一本撮ろうと準備を始めた企画だが、それがいつしか長編となり、息子も4才となった。制作期間に5年かかった企画である。(HPより)
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『横須賀綺譚』ストーリー
監督・脚本:大塚信一
撮影:飯岡聖英
出演:小林竜樹(戸田春樹)、しじみ(薮内知華子)、川瀬陽太(川島拓)、長内美那子(静)、湯舟すぴか(絵里)、長屋和彰(梅田)、烏丸せつこ(陽子)

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2008年、東京で結婚目前だった春樹と知華子。知華子の父親が要介護になったため、故郷に戻ることになった。春樹は証券会社に勤めて多忙な生活を送っており、知華子との生活ではなく東京で仕事を続ける方を選んだ。婚約を解消した知華子は友人の絵里と荷物をまとめる。本当に別れるのかと聞く絵里に「いい人だけど、薄情なの」と言って、家を出ていく。
それから9年後。春樹は震災で亡くなったはずの知華子が生きているかもしれない、と絵里から知らされた。春樹は 半信半疑のまま、知華子がいるという横須賀へ向かう。

公式HP https://www.yokosukakitan.com/
(C)横須賀綺譚 shinichi Otsuka
★2020年7月11日(土)より新宿K'sシネマにて公開
シネジャ作品紹介はこちら 

―長い間かかっての公開ですね。おめでとうございます。

今年で6年です。撮影は2年前の3月でした。2週間近くのロケで撮り終えてから、追加撮影をしようとしたらスタッフに反対されまして、それを説得するのに半年~1年かかりました。去年の3月に追加撮影して頭とラストを取り換えているんです。それから映画祭に応募して、2019年7月のカナザワ映画祭が初上映です。

―予告編に本編にはない映像や写真がありました。

監督 最初にラストシーンを撮ったときは、これがラストと思って僕もスタッフもキャストも力が入っている。絵としてどうしても、そちらを使いたくなる力があるんです。それで、チラシにも予告編にも、本編にない幻のシーンが使われています。
最初に入る写真はカメラマンの飯岡さんが撮影したものです。本編ではあえて震災の映像をオフにしました。Youtubeで検索する場面でも津波の映像は見せないようにしました。宣伝には逆に出していくのもいいかなと思って。

―ミステリーの「地図にない町」(フィリップ・K・ディック著)から福島が浮かんで、映画化を考えられたそうですが、撮り始めるまでに変わっていったんですね。

変わりました。最初は短編を撮る予定で、実際にゴーストタウンのようなところをロケハンしました。僕は長崎出身なので、「長崎で原爆なんか落ちてない」みたいな話、『ヒロシマ、モナムール』じゃないですけど、24時間の情事×地図にない町の現代版のような感じで、短編でやってみようかしらと(笑)。
でも福島のことを考えたら、真摯に本腰を入れて、長編でやらなくちゃいけないと思ったんです。福島をネタにSFで面白いのを撮りましたとはいかない。
結果、「これはSF映画?社会派映画?」と観客の視点が迷うような映画になってしまいました(笑)。

―福島の震災から始まって、話が横須賀に移ってから長いですが、横須賀に特に思い入れがあったのですか?

ゴーストタウンを横須賀線でずっと探していて、ロケーション的にいいなと思いました。もう一つは「あったことをなかったことにしている人たちの話」のホン(脚本)を作っていくときに、横須賀の戦争の話はプラスになるなと。
戦争に負けて日本は復興・繁栄しているけれどそれはアメリカの傘の下でのディズニーランドみたいなもの、とよく言われています。そういうメタレベルの視点も入れていける。ことさら台詞で入れているわけではないですが、感じていただけるのではないかと思いました。

―老人のグループホームが出てきました。

リサーチもしましたし、実際にグループホームでロケの予定でした。ぎりぎりまで交渉して準備もしたんですが、介護されている人もいる中で自主映画という不安定な撮影は難しいと判断しました。実地のリアリティとどちらがよかったかは今でもわかりませんが。入口のところは実際の施設で、中は鎌倉のカメラマンさんの実家で撮影しました。ホームの人たちは俳優です。

―施設の名前が「桃源郷」ですね。

そんなに深くは考えなかったんですけれど、さっきの日本がディズニーランド化されているというのを、わかりやすく屋号にしました。あの文字は助監督だった小関裕次郎さんが書かれたんです。「川瀬さんをイメージして書きました。どうですか?」って。タイトル文字は僕です。
僕は字が下手なんですよ。すっごい(とノートを見せる)。ただ祖母ちゃんが書道の先生でして、草書体のお手本見て書いたら崩し字の草書体だけがめっちゃ上手かった(笑)。どっちが祖母ちゃんのかわからんくらい。それでタイトルをこんな感じでと殴り書きしたら、デザインの人に「いいじゃないですか~」と言われまして。

―タイトルはいつ決められたんですか?

シナリオの段階では『すべては変わってしまった。のに、なにも変わらない』というタイトルで書いていました。これはなんか鼻につくので(笑)もっと映画っぽいタイトルにしようと思って、『震災綺譚』と言ったら上田君(監督補)が「僕はそんな(名前の)映画絶対観ません」と言って(笑)。それで『横須賀綺譚』に決まりました。若い世代の方にはすんなり受け入れていただいたんですけど、ゴジさん(長谷川和彦監督)とか足立正生監督とか、上の世代の方は「横須賀綺譚と言っといて、なんで米兵がキャラとして出てこないんだ」と言われました。

―このキャストはどんな風に決定しましたか?

オーディションはしないで、これと思う方にお願いしました。
主役は、もとは『岬の兄妹』(2018)の松浦祐也さんだったんです。川瀬さんのインスタかなんかで、川瀬さんと松浦さん、しじみさんの3ショットがあって、この3人でやりたいなと思ったのが最初です。脚本を書き始める前ですから4,5年くらい前。
撮影まで時間がかかったので、松浦さんの年齢が上がってきちゃってこの青年役は厳しいなと思ったときに、松浦さんの口から「小林竜樹はどう?」って話になりました。『こっぱみじん』(2013)に出ているのを僕も観ていました。撮影部がこの映画と同じ飯岡さんです。
松浦さんと川瀬さんは“やさぐれ&やさぐれ”だったので、全く違う竜樹くんで真逆にしたら面白いだろうなとホンも書き直しました。
この映画を完成させて、評論家の切通理作さんに見てもらったんですが、最初に言われたのが「監督と主演の小林さんはなんだか似ていますね」だったんです。それがすごく意外で、思ってもいなかったことだったんです。ただ、トリュフォー=レオーの系譜ではないですけど、今作のような小さな個人映画でそういうことが起こるということは、映画として強いって証左だよな、と思い、嬉しかったですね。

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―しじみさんは?

彼女が役者として凄いな、と思ったのは、自転車を押しながら主人公の春樹とトンネルを歩くシーンの終わりに、春樹の方に振り返って「そんなの書いてたよね、私」と言うところです。脚本上は観客に「あれ?この人は記憶を失っているのか?」と思わせるミステリーのシーンだったんです。ホンも演出もカメラワークもそれを意図したものでした。それを台詞も芝居も変更せずに芝居のニュアンスだけで、主人公の春樹がヒロインにもう一度恋するシーンに変えちゃった。コレはすごいと思いましたね。脚本を思い返すと、コレはしじみさんの選択が正解だと思いました。しかし、演出もカメラワークもそうなっていない。だから、苦肉の策として、少し甘い音楽を流してみたんです。

川瀬さんは前からの知り合いです。川島というキャラクターをどうしようか悩んでいるときに『ハッスル&フロウ』(2005)というヒップホップの映画を見ていて、「ああ、こういうナイーブなワルとかいいな」とか思っていたら、だんだんテレンス・ハワードが川瀨さんに見えてきて……。似てませんか?川瀬さんしかいないなと思いました。

―ナイーブなワルさん、よく涙目になっていました。川瀬さん長い台詞がありましたね。

あれはもっと短かかったんですけど、川瀬さんから「台詞変えてもいいか?」と言われて本番で初めて聞いたんです。「すげーな、カット割れないな」と思ってそのまま使いました。

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―バーの場面も面白かったですね。”映画館”という名前のバーでしたが、実在の店ですか?


鎌倉にあるんですよ。川島雄三組のスタッフの方がマスターやられているんです。あの場面はもっとコメディ調をイメージしていたんですけど、場所の磁場なのか、「あそこだけ松竹大船調になってたね」ってみんなが。
カウンターの前に『秋刀魚の味』(1962)の写真が飾られていてそれを見ながら撮っていました。一番リラックスして撮れましたね。喧嘩ばっかりの現場だったんですけど、あそこだけはみんな仲良く(笑)。

―喧嘩ばっかりの現場?

喧嘩というか、僕だけが素人なのでよく怒られました。撮影用語もわからないし、ひどいもんでした。

―ゴジさんこと長谷川和彦監督に師事されたとありましたけれど。

はい、4年間。現場のない監督ですから(笑)。学んだのは連合赤軍ですね。国会図書館に行っていろいろ調べて、そのシナリオをずっと。

―その経験は生きていますよね。

生きています!今回全部上手く行ったとは思わないし、失敗したなと思うこともあります。けれども、志だけは高く持ったつもりです。ゴジさんから学んだのは「こういう映画を撮る!と挙げた時の手は高く」ということです。

―いい台詞ですね! 太字にします。
脚本は自分で書かれましたから、現場で直せますね。


ガンガン変えました。具体的にどう変えたかというのが思い出せないですが。しじみさんも「こんなに変えた現場はなかった」って言っていました。

―長内美那子さんも重要な役割でした。演じられた静さんが一番不思議な人でした。ホームドラマでの綺麗で優しいお母さんのイメージが強かったので、あんなにテンションの高い長内さんを初めて見ました。

長内さんはヤバかったですね。一番色気があるんですよ。ドキっとした瞬間がありました。そしてテストのときから手を抜かないで全力でやられるんで気が気でなかったです。あの年齢で一生懸命やってくださって本当に感謝しています。

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―スタッフさんはどう集められたんですか?

みんな知り合いですね。ピンク映画系の人がメインスタッフで、メイクや助監督や制作部は『カメラを止めるな』のスタッフです。上田監督と知り合ったのは、今は小説も書かれている脚本家の榎本憲男さんの「シナリオ座学」です。僕は仕事が忙しくてENBUゼミとか美学校に行けません。シナリオ座学は1ヶ月に1回4時間くらいなので行けるかなと。そこに上田君がいて、喫煙者が僕たち二人だけだったので喫煙所で話すうちに「手伝いましょうか」「ありがとう」みたいな感じで。僕の映画がクランクアップした後に、『カメラを止めるな』が公開になって、あっというまにスターダム。編集しながら唖然として見ていましたね。

―大塚監督は助監督の経験は?

ちょっとだけ。緒方明監督の『いつか読書する日』(2005)の制作部のほうにいましたが、あと言われるがままにドラマのほうにちょこちょこ行ったりです。ゴジさんの映画のクランクインを待っていたら20代が過ぎていったという感じです。

―現場で初めて監督として入ったときに不安はなかったですか?

不安はそりゃありました。衣装は揃っているのかとか、もう全てが不安というか(笑)。撮影自体は2週間くらいですが、店は1ヶ月休ませてもらって。撮影前後はげっそり痩せました。

―ご家族はなんと?

僕はあんまり仕事の話はしないんで。僕の奥さんは普通の会社員でサブカル女子とかじゃなくて、家では映画の話はあんまりしないです。ラーメン屋の話も最低限です。

―監督としての心配事を相談する人は?

脚本の相談は榎本さんに、制作的な相談は上田君にしていました。カメラマンの飯田さんがすごいベテランなので随時なんでも。映画学校とか行ってないので、同級生という横のつながりがない。そこがほかの人より苦労したところかな。

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ここよりネタバレです。
頭とラストを追撮して取り換えた件を伺っていいですか。


元々は二人が大学生という設定で、大学の図書館のシーンを始まりと終わりに持ってくる予定でした。それが自主映画で大学の図書館でロケをするのが難しい。図書館が使えないなら思い切ってラスト変えてみようかと思ったんです。それでテポドンが落ちてくる空を見上げているというラストにしました。

―ええ~!テポドン!

ただ、それをするとあまりにも90年代の映画っぽくなってしまう。「世界が終わる」みたいな。それは自分がやりたい映画と全然違うわ!

―監督が自分で書かれたんですよね?

もっと外に開かれた映画にしたかった。SFに行ったり、社会派に行ったり、リアリズムや不条理劇に行ったりふらふらしてますけど、テポドンにするとSFに振り切ってしまって、全然ダメじゃん、やっちまったなぁ俺。それだったらクランクイン直前まであったホンに戻したい、と思ったんです。
そしたら、スタッフから「夢オチって言われるのがいやだ」と言われました。僕は「これは単なる夢オチじゃないんだ。この後震災が来るってみんな知っている。チャンチャンと終わってない。オチていなくてこれから始まるんだ」ってみんなを説得しました。

あのバツン!と切れた後、(暗転後は)カメラが観客のほうを向いてるイメージなんです。
春樹は長い長い夢の後、そんなに大きな変化はないけれど知華子の小説を読んでみようか、と思うくらいの変化はあった。その長い長い「夢」を「映画」と言い換えてもいいかもしれません。僕たち(=春樹)は一本の映画を見た。一本の映画を見ても、人間そんなに変わらない。変わらないけど、近くにいる誰かのことをもう少し理解してみようか、ぐらいのことは思うかもしれない。

―あの暗転が長かったので何か問題が起きたのかと思いました。

ぶちかましてやろうと(笑)。
蓮見重彦さんは、あの春樹が横になるシーンで「ここで夢オチってわかっちゃうけど、いいの?」って(笑)。すごい、さすがだなと思いました。

―知華子が出ていくと本棚が空になってしまいました。春樹の本がありません。

本は「記憶」のメタファーなんです。春樹は正論を吐くけれども記憶を大事にしない、実は空っぽの男ということで。あの空っぽの本棚の空虚さを僕はお客さんと共有したいです。

―観客へメッセージを

この映画はもともとSF短編で撮る予定だったものを、「福島」という重いテーマで描くことにしたので、SFにも社会派、リアリズムにも振り切れない妙な映画になったと思います。それを中途半端だ、と見なす人もいるかとは思いますが、僕としては両方のおいしいところをぎゅっと詰めた映画になったと自負しています。是非、劇場でご確認ください。心よりお待ちしています。

―ありがとうございました。

=取材を終えて=
『気狂いピエロ』(1965)が映画への道に進んだきっかけだったという監督はシネフィル青年でした。初の長編作品が公開されることになって、長年の夢が一つ実現したのを応援したいと取材に行き、あれこれ話は尽きませんでした。
大塚監督のお父さんと同い年とわかって、変なおばちゃんと化した筆者は「米兵はいないけど踊る警備員さんはいましたね」とか、「静さんを見つけたとき、手分けして探している人にすぐ連絡していない」とか、いろいろ突っ込みのような質問や感想を言ってしまいました。失礼しました。
本棚の中身が気になって目を凝らしたら社会学の本や「百年の孤独」「愛しい女」などの背表紙が見えましたが、監督の自宅での撮影で監督の蔵書だそうです。
長崎に3年住んだことがありますが、2年ほど監督と同じ空の下にいたらしいです。長崎大水害(1982)のとき、監督は2歳。「(水害は)原爆よりひどかった」と言ったというお祖母ちゃんは原爆体験者で、作品中に静さんの宝物として登場した手帳はお祖母ちゃんの遺品だそうです。
このコロナ禍のときに「あったことをなかったことにしていないか」と問うこの映画が公開されるのも、何かのご縁でしょう。悩みに悩んで追撮して取り換えた幻のシーンは、後で公開するかもしれないそうで楽しみです。
(まとめ・写真 白石映子)