『友達やめた。』今村彩子監督インタビュー

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〈プロフィール〉
1979年生まれ。大学在籍中に米国に留学し、映画制作を学ぶ。劇場公開作品に『珈琲とエンピツ』(2011)『架け橋 きこえなかった3.11』(2013)、自転車ロードムービー『Start Line(スタートライン)』(2016)がある。また、映像教材として、ろうLGBTを取材した『11歳の君へ ~いろんなカタチの好き~』(2018/DVD/文科省選定作品)や、『手話と字幕で分かるHIV/エイズ予防啓発動画』(2018/無料公開中)などをも手がける。初めての著書となる「スタートラインに続く日々」(2019/桜山社)には、本作の原作とも言える「アスペのまあちゃん」が収録されている。現在、『架け橋 きこえなかったあの日』を制作中。

『友達やめた。』
監督・撮影・編集:今村彩子
音楽:やとみまたはち/ギター:鈴木裕輔/ピアノ:奥村真名美
CG:瀧下智也/イラスト:小笠原円
文字起こし:野村和代、江川美香
手話通訳:北村奈緒子
英語翻訳:William J.Herlofsky
翻訳協力:河合世里子
出演:今村彩子(あやちゃん)、まあちゃん

空気を読みすぎて疲れてしまい、人と器用につき合うことができないまあちゃんは、大人になってからアスペルガー症候群(アスペ)と診断された。わたし(あやちゃん)は「大丈夫、わかりあえる」と思っていたれど、小さなことのすれ違いが積み重なっていく。二人の仲がギクシャクするたび、これは彼女がアスペだから? それとも、わたし自身の問題なの? いい人でいなくちゃと悶々とする。まあちゃんと友達でいるために、わたしは自分たちに向けてカメラを回しはじめた…はずが、たどりついた答えは「友達やめた。」?!

作品紹介はこちらです。

2019年/日本/カラー/DCP/84分
配給:Studio AYA
(C)2020 Studio AYA
http://studioaya-movie.com/tomoyame/
★2020年9月19日(土)より劇場公開とネット配信を同時スタート。
新宿K’s cinemaほか全国順次。あいち国際女性映画祭での上映も決定!


―お久しぶりです。『Start Line(スタートライン)』で取材させていただいたのが、4年前でしたね。

あの後は、ろう・難聴LGBTについての映像教材『11歳の君へ ~いろんなカタチの好き~』を作りました。自分がセクシュアルマイノリティーであることを公表しているろうの方を中心にしたドキュメンタリーです。その制作過程で、ろう者の中にもエイズにかかる方がいることを知って、エイズの啓発ビデオも作りました。それまでにあった映像資料は専門用語を使っていて難しく、字幕もありませんでしたから。
その間も、『Start Line(スタートライン)』の上映会や講演会も続けており、2017年6月の上映会で今作の主役とも言えるまあちゃんに出逢いました。

―まあちゃんに会ったときの印象は?

出会ってしばらくしてから撮影をし始めたのですが、最初はなんだかすごく面白そうな人だな、仲良くなりたいなと思いました。上映会場で『Start Line(スタートライン)』を観て、コミュニケーションが苦手な私に親近感を抱いてくれたようです。まあちゃんもコミュニーションが苦手なんですよね。

―そのときのまあちゃんと、今のまあちゃんは?

まあちゃん本人は変わっていないです。でも、私に対しては少し変わったかも。私が嫌だと言うことをしないように気をつけてくれているようです。叩かなくなったり…(笑)。

―この3年の間に旅行も、喧嘩もしましたし(笑)。
まあちゃんは「自分を守るために、変わらない」と言っていました。監督はそのまま受け入れられるようになったんでしょうか?


いいえ、私はまあちゃんをそのまま受け入れることはできませんでした(笑)。たくさん悩んで、「友達やめた。」と日記に書いてから楽になりました。
それまでは、友達だからまあちゃんを理解し、受け入れないといけないと思っていました。でも、黙って私の飲み物を飲んだり、「ごめん」と言ってくれなかったりすることが続くとだんだん嫌な気持ちが大きくなりました。でも、まあちゃんを受け入れなくてはいけない、でも、できない・・・どうしたらいいの?と葛藤していました。そんな時、「友達やめた。」と日記に書いたら、「まあちゃんを理解し、受け入れようと頑張らなくてもいいんだ」と気づき、肩の力が抜けました。問題は解決していないのですが…(笑)。
でも、心に余裕ができると、じゃあ、どうしたらまあちゃんといい関係を続けられるのかなと思考が前を向きはじめました。これには自分でも驚きました。いい友達でいなくちゃいけない・・・と思っている時は苦しくて、どうしたらいいかを考える余地もなかったので。だから、私にとって「友達やめた。」は一旦、区切りをつけてどうしたらいいかと考えるための言葉なのです。

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―まあちゃんと会って、監督自身はなにか変わりましたか?

以前は自分がマイノリティだということにこだわっていたところがありました。でも、聞こえるまあちゃんもコミュニケーションが苦手でしたし、聞こえない自分にもできることがあるということに気づきました。
何より、まあちゃんから見ると私は「一般の脳みそ」を持った人間となり、多数派になるのです。
私はこれまでに多数派として扱われた経験がなかったので、これには戸惑いましたね。今は、まあちゃんと1対1でいる時は少数派も多数派も関係ないと思うようになりました。

―監督が思う友達の定義は?

そんな風にあんまり考えたことがなくて。「気が合うなぁ、友達になりたいな」と思ったら私は積極的にコミュニケーションをとりにいきます。それで相手が好意を持ってくれたら嬉しいですし。合わないなぁと思ったら自分からはいかない。良いことも悪いこともはっきり言えて、さらけ出せるようになったら友達。

―まあちゃんとは受け入れるところもあれば、そうでないところもある。そんな友達なんですね。私はお二人似ていると思いました。

似ていますか?どんなところが?

―二人ともすごく真面目で、内省的。自分のことを見つめますよね。

確かにお互い自分を見つめて、心の深いところまで掘り下げるところがあります。より良く生きたい、という気持ちが強いのかもしれませんね。

―旅館のシーンにびっくりしたんですけど、二人とも引かない譲らないところも似ています。たいてい、早くにどっちかが謝ります(笑)。あの後どうなったんですか?

帰り際にお菓子のことで言い合いになったのですが、帰りのバスでも一切話さなかったし、まあちゃんは泣いていました。私は腹が立っていましたので、泣かなかったです。今あのシーンを見ると、いい年した女二人がたかがお菓子のことで本気で喧嘩して恥ずかしいですね。

―あそこまで言い合えるのも友達だからじゃないでしょうか。いくつかまあちゃんにお願いごとがありました。今何かほかに望むことはありますか?

今はもうまあちゃんに望むことはないです。望むことで、期待が外れた時に喧嘩になりますし。自分もまあちゃんを理解し、受け入れなくてはいけないと思うと苦しくなります。私自身、まあちゃんにカメラを向けながら「いい友達でいたい」と思っていたんですが、それがどんどん自分の首をしめることになっていきました。

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―あやちゃんは怒る人。まあちゃんは悲しくなるけれど怒らない人なんですね。

まあちゃんは怒らないですね。たぶん私に対して何も求めていないからじゃないかな。でも私に言いたいことはいっぱいあるようです。例えばまあちゃんが話しているのに、途中で私が言葉をかぶせてしまうと、「話し終わってからにしてよね」と言われます。何度か言われましたが、もう変わらないと思ってあきらめているかも。

―ほかのお友達にも期待しませんか?

友達も一人ひとり違いますから、特に考えたことはないですね。私は基本的には争わずに丸く収めたいと思うほうなんですが、まあちゃんに対しては違う(笑)。他の友達ならそこまで怒らないことも、まあちゃんに対してはぐわっと怒りや嫌悪がマグマのように出てくるんです。

―チラシには「どこまでがアスペでどこまでが性格なの?」とありますね。

今もわからないです。最初は考えようとしたんですけど、そうすると自分がまあちゃんと接しているのか、アスペルガーのまあちゃんと接しているのか、わからなくなってしまって。何より、まあちゃん自身がわからないと言っているので、私がわからないのは当たり前だと思えるようになりました。

―まあちゃんはアスペルガーだと診断されて、楽になったんじゃないかと思うんです。
以前はこんなにアスペルガーとか発達障害とか言わなかったですよね。ちょっと変わった子だなぁと思うくらいで。私もそうじゃないかと思うことがあります。問診表なんかやってみると当たりすぎ(笑)。


私もセルフチェックをしてみるとたくさん当てはまると思います。こだわりも強いですし(笑)。

―こだわって諦めないから映画制作ができるのかも。何かにこだわる傾向のある人は、特色が生かせるところに行くでしょう。特化すれば才能ですから、それが生かせるといいですよね。

映画の中に出てくる「まあちゃんの取説」は、まあちゃんが自分で描いたんです。絵も文章も。他にも、二人で交換日記をしていたので、その中から手書きの文字をいくつも映画に取り入れました。

―あの文字はそれぞれ監督とまあちゃんが書いたものなんですね。「note」というSNSを見ましたら、文章が簡潔で読みやすく上手です。

私もまあちゃんの文章、いいと思います。

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―私は「ろうの監督とアスペルガーのまあちゃん」とくくらなくても、友達とのコミュニケーション、関わりを考える作品として成り立っていると思いました。

そう言っていただけるホッとします。嬉しいです。自分の映画が一般公開されて、観客にどう受け止められるのだろうか、という心配はいつもあります。
まあちゃんはどう感じているのか。今もうちに来て色々手伝ってくれたり、自撮りの動画を作ってくれたり、映画の公開に向けて協力してくれています。
できれば二人の地元である名古屋での公開の際には、舞台挨拶に一緒に出たいと考えています。

―ドキュメンタリーは脚本がないので、いつまでも撮り続けられますが、どこで終了と決めたんでしょうか?

『友達やめた。』の場合は「新しい常識を考える会」で終わりと思いました。まだ関係は続くけれども、ひとつの節目としてはそこかなって。まあちゃんを撮りたいと思ったのは、撮影を通してどうしたらまあちゃんといい関係でいられるのかを模索したかったからです。まあちゃんと私の「新しい常識を考える」ことは、たくさんある方法の中でひとつの答えでした。そのため、ここでひと区切りがついたと思えました。

―もっと撮りたいとは思いませんでしたか?

思いませんでした(笑)。映画を作るってすごい疲れるんです。

―編集はいかがでしたか?

編集スタッフと二人で編集しました。『Start Line(スタートライン)』のときから一緒にやっている、もともとはテレビのお仕事をされている人です。編集の際、映画のテーマである私の葛藤を描こうとすると、どうしてもまあちゃんの嫌なところが多くなってしまいます。でも、まあちゃんにはいいところもたくさんあり、魅力的な人です。だから私は「友達になりたい」と思った。そういうところも伝わるような編集を心掛けました。

―監督はお友達たくさんがいいですか?少なくとも濃いお付き合いをしたいと思いますか?

私はやっぱり少なくてもいいので深い関係を築きたい、と思います。お互いに無理をせず付き合っていけたらいいですね。

―『友達やめた。』の「。」は意味がありますか?

私が苦しかったときに書いていた日記の文章から取ったんです。あるとないでは違います。「。」があると「区切り」とか「覚悟」というものがはっきりします。

―『Start Line(スタートライン)』のときからずっと言っていた「わたしはコミュニケーションが苦手です」というのは、少しずつ克服?しつつあるんでしょうか?

まだまだです。ちょっとした会話や、講演後の質疑応答などの時に気の利いた言葉を返せたらいいなと思うことがまだあります。

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―監督としての次の目標はなんですか?

今、新しい映画を作っています。『架け橋 きこえなかった3.11』の続編で、来年の3月11日に公開の予定です。東日本大震災から10年の間に熊本震災、西日本豪雨、コロナウィルス感染拡大が起きました。この間、広島のろう災害ボランティアの活動、コロナ禍でのろう者の悩みや問題、情報格差を解消しコミュニケーションをスムーズにするための取組みなどを取材してきたので、それも合わせて伝えたいと思っています。

―あやちゃんとしての目標はなんですか? 

料理のレパートリー、レシピを増やしたいです。最近、大きな包丁を買いました(笑)。
父と祖母の三人暮らしなので、父と私が交代で料理を作っていますが、父がすごく上手です。お互い自分が作りたいので台所の奪い合いです(笑)。コロナ自粛で出かけられない間に、よく料理をしました。

―お父さんは娘の作品を褒めてくれますよね。

料理は褒めてくれるんですけど、映画や本などはあまり褒めてくれません。『Start Line(スタートライン)』は「よく頑張ったね」と言ってくれましたが、本(「スタートラインに続く日々」/桜山社)は「長過ぎる」と言われました。2冊分の量だって(笑)。
今回、本を初めて出したのですが、文章を書くのが楽しいなと思いました。2冊目も書きたいんですが、時間がなくて。私は、頭の中でぐるぐる考えているより、書くことで自分の考えを深めて、先に進めていくタイプなので、これからも書くことは大事にしたいなと思います。

―これから映画を観る方へ

「いい友達になりたい」「いい母親でいたい」というふうに理想を持つのはすごくいいことなんだけれど、それをずっと続けるのは難しいです。私のように、却って自分をどんどん追い込んでしまい、理想と現実にギャップを感じて、葛藤することになる人もいるのではないでしょうか。そんな時に「◯◯やめた」と考えてみると、気持ちが楽になって、肩の力が抜けます。すると、余裕が生まれて、じゃどうしたらいいのかと自然に考えられることもあります。そういうふうに「○○をやめた」自分をまずは受け入れて欲しいなと思います。そこから見えてくるもの、そこから始まる新しい関係もあると思います。

―ありがとうございました。

☆まあちゃんとわたしのmovie diary
http://studioaya-movie.com/tomoyame/movie_diary.html
☆Studio AYA 制作日誌
http://blog.livedoor.jp/rouinc/


=取材を終えて=
コロナ禍の中(2020年7月14日)、マスクやフェイスガードをつけての取材となりました。4年ぶりの今村監督は相変わらず溌剌としてお元気です。今村監督は生まれつき耳の聞こえないことで聴者の何倍もの努力をして、進学・留学も果たし、ろう者のことをもっと知ってほしいと映画を撮ってきました。
今回は、大人になってアスペルガーと診断されたまあちゃんと、ろう者のあやちゃん(自分)との友情と葛藤の日々を映画にしました。どちらもマイノリティだからわかりあえると思ったら、ところがドッコイ、簡単ではありませんでした。
あやちゃんが「友達やめた。」と「いい友達」の看板をおろして楽になるまでの、ギクシャク、カンシャクは、傍目に「ほんとにもう」とちょっと笑えたりします。本人はそれどころではなかったようですが。
『架け橋 きこえなかった3.11』は大震災のときに、サイレンも警報も避難所での連絡もきこえなかったろうの方々を追っています。そういうことを聞くにつけ、手話を早くから学校で教えてほしいと思います。外国語も大事だけれど、日本語の一つでもある手話や点字をもっと知らなくては、と思います。そして邦画にも日本語字幕がついていきますように。制作や上映会&講演とお忙しい今村監督、これからもお元気でご活躍を。
(取材・最後の写真 白石映子 )

『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』アグニェシュカ・ホランド監督インタビュー

情報が溢れる中、真実を見極めてほしい

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©FILM PRODUKCJA – PARKHURST – KINOROB – JONES BOY FILM – KRAKOW FESTIVAL OFFICE – STUDIO PRODUKCYJNE ORKA – KINO ŚWIAT – SILESIA FILM INSTITUTE IN KATOWICE

1930年代初頭、世界恐慌の中、スターリンのソ連だけが繁栄していた。その金脈は、ウクライナの穀物。肥沃なウクライナの穀物はすべて中央に送られ、1932年から1933年にかけてウクライナでは300万人以上が餓死したと推定されている。今では「ホロドモール」(ウクライナ語で「飢饉による殺害」)と呼ばれる悲劇だが、当時、ソ連政府も西側の大手メディアもこのことをひた隠しにしていた。そんな中、真実を突き止め、世に明かした勇気ある英国の若き記者がいた。

この知られざる人物ガレス・ジョーンズの物語『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』を放ったポーランド出身のアグニェシュカ・ホランド監督に、オンラインでインタビューする機会をいただきました。

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パソコンの画面に映るホランド監督はパリのご自宅。
「前回『ソハの地下水道』公開の折に日本でインタビューさせていただいたのが、2012年のことでした。ついこの間のような気がします」と挨拶したら、「マスクしてるから、わからなかったわ」と言われました。いえいえ、老けましたから・・・

『ソハの地下水道』公開の折のホランド監督インタビューは、こちらで! 


アグニェシュカ・ホランド監督 プロフィール

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© Photo by Jacek Poremba

1948年、ポーランド・ワルシャワ生まれ。1971年にプラハ芸術アカデミーを卒業後、ポーランドに戻り映画業界に入る。クシシュトフ・ザヌーシ、アンジェイ・ワイダのアシスタントとしてキャリアをスタートさせる。初監督作品『Provincial Actors』を1978年に発表後、1981年、戒厳令が発令されたのを機にフランスに移住。その後は、ヨーロッパとハリウッドでメガホンを執っている。
主な監督作品:
『僕を愛したふたつの国/ヨーロッパ ヨーロッパ』(1992 年アカデミー賞脚本賞)
『太陽と月に背いて』(1995 年/レオナルド・ディカプリオがランボーを演じた)
『ソハの地下水道』(2012 年アカデミー賞外国語映画賞ノミネート)
『Pokot (英題 Spoor)』( 2017 年ベルリン国際映画祭 銀熊賞)


『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』

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監督:アグニェシュカ・ホランド
出演:ジェームズ・ノートン、ヴァネッサ・カービー、ピーター・サースガード

*ストーリー*
1933年、英国。ガレス・ジョーンズは、20代の若さで首相の外交顧問を務めていたが、国家予算削減で解雇される。世界恐慌の中、ソ連だけが経済的に繁栄していることに疑問を抱いたジョーンズは、スターリンの資金源を明かしたいと、フリーランスの記者としてモスクワに赴く。ヒトラーに直接取材した経験のあるジョーンズは、スターリンにも直接取材したいと目論んでいた。モスクワ入りし、ニューヨーク・タイムズのモスクワ支局長ウォルター・デュランティにコンタクトを取る。彼の口から、かつてヒトラー取材の橋渡しをしてくれた友人の記者ポールが強盗に射殺されたと聞かされる。ニューヨーク・タイムズの女性記者エイダは、ポールがスターリンの金脈であるウクライナに行こうとして撃たれたと言って、ポールの遺した訪問先メモをジョーンズに手渡す。真実を追究することを決意し、ジョーンズは列車でウクライナに向かう・・・

2019年/ポーランド・ウクライナ・イギリス/英語・ウクライナ語・ロシア語・ウェールズ語/118分/カラー/シネマスコープ/5.1ch
字幕翻訳:安本煕生/字幕監修:沼野充義
©FILM PRODUKCJA – PARKHURST – KINOROB – JONES BOY FILM – KRAKOW FESTIVAL OFFICE – STUDIO PRODUKCYJNE ORKA – KINO ŚWIAT – SILESIA FILM INSTITUTE IN KATOWICE
配給:ハピネット
公式サイト:http://www.akaiyami.com/
シネジャ 作品紹介
★2020年8月14日(金)より新宿武蔵野館、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国公開


◎アグニェシュカ・ホランド監督インタビュー

◆ウェールズ出身の知られざる人物
― 『ソハの地下水道』も知られざる歴史に迫った心に響く作品でしたが、『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』も、勇気あるジャーナリストが存在したことに、心を揺さぶられました。監督は、ガレス・ジョーンズについて、アンドレア・チャルーパの脚本を読む前からご存知でしたか?

監督:4~5年前に脚本に出会ったのですが、もともとスターリン時代のホロドモールのことは知ってました。アメリカの歴史家 ティモシー・スナイダーの『ブラッドランド - ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実』の中にホロドモールのことが書かれている章があって、ガレス・ジョーンズの話はあったと思うけど、忘れていました。彼はイングランド人ではなくウェールズ人で、それほど知られてない人でした。
10年ほど前に、ご家族が彼の遺したノートを見つけて、私費で出版しています。甥っ子が満州で亡くなった経緯を追って、調べてみたところ、やはりKGBが関わっていたのではないかということにたどり着いたそうです。


◆控えめなウェールズ気質はウクライナにも通じる
― 監督は、これまでの作品でもリアリティを大事にされてきましたが、言語も、本作では英語、ロシア語、ウクライナ語、ウェールズ語とそれぞれの場面で使い分けています。特にウェールズ語にこだわったことに興味を持ちました。ジョーンズはウェールズ出身という縁で、ロイド・ジョージ首相の外交顧問でした。19世紀にウクライナのスターリノに製鉄所を作ったのがウェールズ人で、ジョーンズ氏のお母さまがそこで英語の家庭教師をしていたという縁もありました。監督が感じているウェールズ人の気質はどんなものでしょうか?

監督:ウェールズ人は英国ではマイノリティーです。ほかの英国のスコットランドやアイルランドと比べて、世界的にも国としてのアイデンティティの認識がなかったからこそ、声なき国で、控えめで、おとなしいところがあると思います。
Netflixで配信されているドラマ「ザ・クラウン」のシーズン2でチャールズ皇太子がプリンス・オブ・ウェールズの称号を与えられ、ウェールズに行ってウェールズ語でスピーチをするために学ぶ場面があります。ウェールズの重要性やウェールズのことを知るのにお薦めです。ぜひ観て!
小さな独立の動きがあって、アイデンティティをより前に押し出していく傾向を感じています。それは、ウクライナとも近い感覚です。ウクライナも30年前までソ連の中にあって、表に出なくて、世界が認識していなかったと思います。でも、強いアイデンティティがあって、世界に知ってもらいたいと思っていると感じています。
マイノリティーであるウェールズの男が、マイノリティーであるウクライナに行ったという点で、より感受性の強いものだったと思います。


◆大飢饉の悲惨さを伝える子どもたちの歌

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©FILM PRODUKCJA – PARKHURST – KINOROB – JONES BOY FILM – KRAKOW FESTIVAL OFFICE – STUDIO PRODUKCYJNE ORKA – KINO ŚWIAT – SILESIA FILM INSTITUTE IN KATOWICE
― 映画の中で一番心にしみたのは、ウクライナの状況を静かにモノトーンで描いた部分でした。子どもたちの歌からは、悲惨さが心に染み渡るようでした。
♪ 飢えと寒さが家の中を満たしている。隣人は正気を失い、ついに自分の子供を食べた・・・♪
などの歌詞は監督が考えたものなのでしょうか?


監督:歌詞はホロドモールの時に流行ったもので、もともと存在していましたが、メロディーが失われていたので、作曲家につけてもらいました。ウクライナの子どもたちに歌ってもらいました。作曲家がウクライナに行って、子どもたちとも会って雰囲気をつかみながら一緒に作ったものです。

◆多くの子孫が感動してくれた
―ガレス・ジョーンズのご遺族はこの映画をご覧になってどんな感想を持たれたでしょうか?

監督:ロンドン映画祭で1年前に初めて上映したときに、ガレスの血筋の方が来場すると伺っていたので、舞台挨拶の時に「子孫の方は?」と手を挙げていただいたら、満杯の会場の半分位の方が手を挙げてくださいました。ウェールズでも上映して、多くの血筋の方にご覧いただきました。
「親戚にそんな人がいたのを知らなかった」という女性もいました。感動して、皆さん誇りに思うとおっしゃっていました。
また、ウェールズには彼の名前のついた通りがあって、存在を皆さんが意識していることを知り嬉しく思いました。
実はウェールズよりも、ガレス・ジョーンズの名前は、ウクライナの方が認知度が高いです。ホロドモール博物館に彼のコーナーがあります。

◆ニューヨーク・タイムズは今も黙殺
― ピューリッツアー賞を貰ってしまったウォルター・デュランティのご遺族に、この映画をご覧になった感想を聞いたことはありますか?
(注: ニューヨーク・タイムズのモスクワ支局長ウォルター・デュランティは、ソ連に関する一連の報道でピューリッツァー賞を1932年に受賞している。ウクライナの穀物がスターリンの金脈だと知りながら黙認。結果、1933年11月の米ソ国交樹立の立役者となった)


監督:私の知る限りでは観ていないと思います。ウクライナがスターリンの金脈であることを知りながら握りつぶしたというのは誇らしい話ではありませんので、観たとしても名乗り出てくることはないと思います。ニューヨーク・タイムズさえも、アーカイヴにあるデュランティの署名記事を使う許可を出してくれませんでした。でも、ほかの新聞に転載されたものを映画では使うことができました。企業にしても国にしても過去の間違いを認知することは、なかなかしないものです。

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©FILM PRODUKCJA – PARKHURST – KINOROB – JONES BOY FILM – KRAKOW FESTIVAL OFFICE – STUDIO PRODUKCYJNE ORKA – KINO ŚWIAT – SILESIA FILM INSTITUTE IN KATOWICE

◆権力のあやつる嘘が分断を作っている
― 独裁国家ソ連が、嘘っぱちな誇大報道をする一方で、自由だと思われているイギリスやアメリカも、政治的圧力で、不都合な真実を抹殺していることを描いていました。言論統制は独裁国家だけのものでないことを観る者に教えてくれました。監督としても、両方の面をバランスよく描きたかったことを感じました。

監督:まさに、その通りです。民主主義のプロセスは決して止むことはありません。現代社会ではフェイクニュースやプロパガンダがいかに政治的に利用されているかを私たちは目にしています。特にトランプ大統領以降のアメリカ。もっとも危険なのは、嘘ではなく 権力があやつる嘘。それが独裁国家ではなくて、民主的といわれている国で、そういうことが利用されていて、社会が分断され、局地化しています。そういう状況の中でメディアが難しいのは、一つの政治的なアジェンダに沿った情報だけしか発信しなくなること。良い例がCNNとFOXで、見比べると、果たして同じ国なのかと思うくらい報道のされ方が違います。何に耳を傾ければ真実を知ることができるのかわからなくなってしまいます。そこで重要なのが、腐敗していないインディペンデントのジャーナリズム。イデオロギーと関係のない立場で真実を求めることが重要だと思います。
民主主義を壊す3つの要素があると思っています。メディアの腐敗、政治家の臆病さ、民衆の無関心。この3つがそろうとファシズムが台頭すると思います。

― 真実を見極める力をつけたいものだと思います。今の時代にも通じる心に響く映画を日本でも多くの方にご覧いただけることを願っています。今回は、新型コロナウイルスの影響で監督に日本にいらしていただけなくて残念でした。

監督:私も日本に行けず残念でした。日本で多くの方にご覧いただけることを願っています。

取材:景山咲子





『誰がために憲法はある』「憲法くん」原作松元ヒロ氏インタビュー(2019/4/8)

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<プロフィール>1952年鹿児島県生まれ。鹿児島実業高等学校、法政大学法学部政治学科卒。高校・大学では駅伝選手として活躍。卒業後、パントマイマーとなり全国を巡業。「笑パーティー」「ザ・ニュースペーパー」での活動を経て1998年11月に独立し、ピン芸人になる。
一人芝居「憲法くん」は22年目になった。年2回紀伊國屋ホールで新作ライブ公演を開催するほか、全国各地へライブに出かける日々。
2015年佐高信(さたかまこと)さんとの対談「安倍政権を笑い倒す」角川新書より発刊。
2017年「憲法くん」絵本として講談社より発刊。
公式サイト http://www.winterdesign.net/hiropon/
Twitterはこちらです。

こんにちは「憲法くん」です
「憲法くん」は1997年に自分が憲法くんになりきって一人芝居にしたものです。憲法学者の水島朝穂さんに「前文に感動したんですけど、これを言えば、103個の条文を言ったことになりますか?」と聞きましたら「そうですよ~」って。それで一生懸命暗誦して「憲法くんです。5月3日誕生日がきます。50歳になりまーす」と、始まったんです。今年72歳です。この「憲法くん」を詩のように読んでみたらそれがすごく受けたんです。
僕は次のネタ入れると前のネタ忘れるんです。忘れないと入ってこないんです。ところが、「憲法くん」は評判が良くて「またやってください」ってあちこちから言われて、このネタだけは覚えているのでやれるんです。それが今まで続いています。

出逢いに恵まれました
先輩や先生とか、人に恵まれているんですよね。いつも転換点にきたときに誰かがいてくれたんです。憧れていたマルセ太郎さんの言葉が決断させてくれたし、永六輔さんが「僕の番組に出てちょうだい」って、おかげで仕事が来ました。小沢昭一さん、談志師匠、ライブに呼んでくれる方々、ファンのみなさまたくさんの人々に感謝しています。

思いがひとつになった
僕のライブを出版社の人が見てくれて、「これ絵本にしましょう!」って言ってくれたから本ができたんです。
それを井上監督が読んで、僕のライブも見て「映画にしよう!」と言って下さった。それを“戦争を体験した渡辺美佐子さん”が語ってくださる。僕たちが映画で観たあの大女優の人が!そしたらみんなが観てくれますしね。そして、日色ともゑさんとかテレビで観ていたあの大スターたちが、原爆の朗読劇で原爆の悲惨さをみんなに伝える活動を長い間続けていたことを知って、感動したんです。
しかも今年でお終いになるという話に「え~!」と驚きました。だからこれを映画で伝えるということはすごく大事なことです。みんなの思いが繋がっているんですよ。それが一つになってこの映画に集まったんだなぁと思いました。

素晴らしい憲法前文
渡辺さんの初恋の人が原爆で亡くなりました。310万人の日本人が殺され、2000万人以上のアジアの人々を殺したあの戦争。そんな戦争を2度とするまいという反省のもとに、世界中のいろんなものを集めて全部ひっくるめて憲法はできたんですよ。全ての叡智が入っているんです。その前文を美佐子さんが中から湧き出てくるように語ってくれています。
 僕も映画を観て学んで、バトンを受け取ったと思ってまた自分の舞台で語っていきますし、そして映画を観た人たちがほかの人たちに伝えていく。憲法がいかに素晴らしいか、大事なものなのか知ってほしいです。
(取材・写真:白石映子)
★本誌102号(2019年 春)より転載

渡辺美佐子さん
http://cineja-film-report.seesaa.net/article/476685328.html
井上淳一監督
http://cineja-film-report.seesaa.net/article/476684959.html



『誰がために憲法はある』井上淳一監督インタビュー(2019/4/9)

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<プロフィール>
1965年愛知県生まれ。早稲田大学卒。大学在学中より若松孝二監督に師事し、若松プロダクションにて助監督を勤める。1990年『パンツの穴・ムケそでムケないイチゴたち』で監督デビュー。その後、荒井晴彦氏に師事し、脚本家に。2013年『戦争と一人の女』で監督再デビュー。数多くの海外映画祭に招待される。2016年、福島の農家の男性を追った『大地を受け継ぐ』を監督。2018年、若松組の青春を描いた『止められるか、俺たちを』が脚本最新作。

作品紹介はこちら
2019年/日本/カラー/69分/DCP
配給:太秦
(C)「誰がために憲法はある」製作運動体
公式サイト http://www.tagatame-kenpou.com/

届かない人へ届けたい
最初は自民党の「憲法改正草案」を映画化して、自民党に投票する人に知ってもらおうと思ったんです。「こんなに酷いですけど、いいんですか?」と。そんなときに、「憲法くん」の絵本に出会いました。これがすごいのは、“憲法を擬人化していること”。これはたぶん世界中でヒロさんだけだと思うんですよ。『止められるか、俺たちを』の中で「我々の映画は、届く人にしか届かない」と言わせています。ヒロさんは子供にもわかる形で、それを“届かない人にも届く”ように作っています。僕はものすごくグッときたんです。それで、憲法の映画を作るならこっちだろうと。これを“戦争を知っている役者さん”にやってもらったら、より広がるんじゃないかと。

ご縁がつながって
そこで渡辺美佐子さんにお願いしようとプロフィールを見たら、なんとうちの母と全く同じ誕生日だったんです。そのときはちょうど母が「あと半年」と余命宣告をされたばっかりでした。運命論者じゃないんですけど、非常に運命的なものを感じました。
去年の6月まず「憲法くん」を撮影しました。撮影中に美佐子さんと“龍男くん”の話と“次の年で終わる朗読劇”のことを聞いて、それはやるしかない!しかも、4日後から稽古が始まるという。もう勢いで撮りました。どの映画もいろいろな繋がりでできていくのですが、ここまで強かったのは初めてです。

母のところに通いながら、こっちでは美佐子さんを撮っている、という行き来を母が亡くなる8月までしていました。だからなんだか不思議なものがありましたね。美佐子さんには失礼かもしれないのですが、もう一人の元気な母親を撮っている気になっていました。

なかったことにしない
こうやって残していかないと、全部なかったことになっちゃうんですよね。どれだけ反対してもアホな法案が通ってしまうし、今結構「何をやっても変わらない」って思っている人は多いです。この映画が、それでも諦めずに続けている人たちがいるという、希望の光になればいい。諦めずに同じ歌を歌い続ける。諦めたら負けじゃないですか。相手の思うツボなんです。そういうことを映画にしてこの時代を走りたいとずっと思っています。

はじめの一歩
この作品は憲法の超入門編、びっくりするくらい直球です。この映画が憲法を考える「はじめの一歩」になれば嬉しいです。
若い頃、僕も憲法は“国民が国を縛るもの”だと知らなかった。そうなんです。だからまずはそこからでいいんじゃないですか。
みなさんもそうだと思うんですけれども、知ったことはちゃんと伝えていかなきゃいけない、ということです。これがウィルスのように拡がって、世の中がこれ以上悪くならないでほしいというのが僕たちの思いなので。
(写真:宮崎暁美 まとめ:白石映子)
★本誌102号(2019年 春)より転載

渡辺美佐子さん
http://cineja-film-report.seesaa.net/article/476685328.html
松元ヒロさん
http://cineja-film-report.seesaa.net/article/476685631.html

『誰がために憲法はある』渡辺美佐子さんインタビュー(2019/4/1)

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<プロフィール>
1932年東京生まれ。俳優座養成所3期生。『ひめゆりの塔』(1953/今井正)でデビュー以後出演作は100本を越える。
1982年より2015年まで井上ひさし作の一人芝居「化粧」に出演。上演回数648回。
1985年原爆朗読劇に参加。中心メンバーとして全国各地を公演、34年目の2019年で最後となる。2018年製作の一人語りの12分の短編『憲法くん』に朗読劇のエピソードを加え、この作品が完成した。
(C)「誰がために憲法はある」製作運動体


「憲法くん」で気がついたこと
松元ヒロさんの舞台を私は見ていませんでしたが、井上ひさしさんや永六輔さんがすごくほめていらしたお話は伺っていました。それで松元さんの台本を読みましたら、わかりやすい言葉で書かれていました。
憲法っていうものを、いつちゃんと読んだのでしょうね。なんとなくわかっている気がしていただけで。国民を導いていくものではあるけれども、それ以上に“国民が選んだ政治をする人たちの暴走を止める”という大事なことがはっきりとわかりました。これは私が驚いたと同じように、みなさんにも「ああ、そうだったんだ」って気がついていただきたいなと思います。
国民が願っていないにも関わらず、政治というものが引っ張っていってしまう。そしてあの悲惨な戦争があったわけですからね。私はいやというほど戦争を知っています。小学校から中学に入学する頃でした。あの戦争をとにかく絶対繰り返したくない、それが全ての出発点です。
この中で憲法くんが「私は、この70年間、たった一度も戦争という名の下で一人も殺していません、一人も殺されていません。それを私は誇りに思っています」って言うんです。この言葉を自分で言いたいと思いました。
最初は「憲法くん」を映画にするお話でした。仕事の合間に朗読劇のお話をしましたら、監督が「それは撮らなきゃ!」っておっしゃって。それからその夏の公演にずーっとついて、岡山、広島と撮ってくださいました。

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原爆朗読劇
地人会の木村光一さんが発案なさった「この子たちの夏〜1945・ヒロシマ ナガサキ〜」が始まりです。原爆で亡くなった大勢の子どもたちのお母さんの手記を主に、原爆詩人の詩が加わっています。お母さんの年齢の40~50代の女優を集めて1985年から始めました。
最初の旅が広島と長崎だったんです。みんな緊張してしまいました。まだ被爆者の方、その家族の方々もたくさんいらっしゃいました。
そんな中で私たちが読むこと、もう一度呼び起こすっていったいどういうことなんだろうかとすごく恐ろしかったです。
でもその後で、聞いてくださった被爆者の方が「今までは被爆者であることをずっと秘密にして、絶対喋りませんでした。お話を聞いて、経験した者がちゃんと声に出して伝えなきゃいけないんだって思いました」と言ってくださいました。それがすごく励みになりました。それから22年間毎夏全国各地で上演してきました。
2007年に地人会は解散することになりましたが、ここでやめてしまうのはあまりにもったいない。もう少し続けようと、女優たちだけでお金を出し合い2008年3月「夏の会」を立ち上げました。みんな女優ですから何も知らないし、何もできないんです。まず本を作ることから始まって、製作や売り込みだとか慣れないことばっかりでしたから大変でした。

子どもたちと共に
「この子たちの夏」は子どもを失ったお母さんの手記が中心、「夏の雲は忘れない」は、子どもたちに焦点を合わせました。原爆で両親を失った子どもたち、孤児になった子どもたちが大勢いました。そのようすを「孤児とは思えないほどこの子たちは明るい。でもその心の奥に深い悲しみを持っている。だからこの子たちに音楽をうんと楽しませてやりたい」と先生が書いていました。「げんばくがふってきて、ひるがよるになった。にんげんはおばけになった」これは5歳の子どもの言葉です。
「日本の原爆記録」(図書センター刊)という厚い本が20巻あります。その中に子どもたちが遺した最後の言葉が集められています。殆どの子どもたちはその場で亡くなっているんです。辛うじて家族のもとに帰り、お母さんに看取ってもらえて亡くなった子ってほんとに少ない。子どもの最後の言葉は全部で75くらいしか集められませんでした。

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「夏の会」で各地に呼ばれていくと、そのご当地の小学生、中学生、高校生の5人と必ず一緒に舞台に上がり、一緒に読むようにしました。
傷ついた子どもたちが言った最後の言葉で一番多いのは「おかあちゃん」です。次が「天皇陛下万歳」。両方言って死んでいく子どもたちもいました。子どもたちから「こんな怖い話いやだ。怖い!」っていうふうに拒否されないか、って心配でした。終わってから交流会で、一緒に読んでくれた子どもたち、それを聞きに来てくれた子どもたちの感想で一番嬉しいのは「今、自分たちが家族と一緒にご飯を食べたり、友達とじゃれあったり、勉強したり、野球したり、何でもないことがすごく大事なんだなぁって思った」と言ってくれることです。平和の原点ってそういうあたりまえの生活ができるっていうことですから、そこに気がついてくれることがすごく有難い。自分たちの生活が有無を言わさず奪われないように、これからも平和を大事にしなきゃいけないなと思ってくれれば。それが私たちの願いです。

続けられたのは初恋の人のおかげ
平和を願う気持ちが強かったのはもちろんですが、私の場合は、広島に疎開して亡くなった幼馴染の水永龍男(みずながたつお)くんが引っ張っていてくれたと思っています。龍男くんが爆心地近くで亡くなったとわかったのはあの日から35年も経ってからでした。テレビの小川宏ショーの対面コーナーに、龍男くんのご両親が出演して下さって消息を知りました。私の生き方がぐんと変わりましたね。龍男くんがいなかったらこの朗読劇に参加していたか、こんなに長く続けられたかどうかわかりません。
「夏の会」は18人の女優だけで始めましたが、今は亡くなった方、病気の方がいて、実際に動けるのは11人です。続けていきたい気持ちは、 みんなあったのですけれども、やっぱり年には勝てない。殆ど後期高齢者ですから。90歳になられた方もいますし、ちょっともう頑張りきれません。こういう映画ができて、私たちがやめてしまっても後に伝えて、いろんな方に観ていただけると嬉しいです。

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これからご覧になるみなさまへ
『憲法くん』と朗読劇が一緒になるというのは、私たちにとって予想外のことだったんですけれども、考えてみれば今続いているちょっと危ういけれど「平和を守っていく、守らなきゃいけない」ということでは、目的地は同じなんです。
平和を守ることの大切さ、たくさんの死んでいった子どもたち、家族を失った人たち、そういうみんなの思いを忘れないで、そういう目にあわないようにしたいものです。
(取材:ほりきみき、まとめ・トップ写真:白石映子)  
★本誌102号(2019年 春)より転載

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