『誰がために憲法はある』「憲法くん」原作松元ヒロ氏インタビュー(2019/4/8)

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<プロフィール>1952年鹿児島県生まれ。鹿児島実業高等学校、法政大学法学部政治学科卒。高校・大学では駅伝選手として活躍。卒業後、パントマイマーとなり全国を巡業。「笑パーティー」「ザ・ニュースペーパー」での活動を経て1998年11月に独立し、ピン芸人になる。
一人芝居「憲法くん」は22年目になった。年2回紀伊國屋ホールで新作ライブ公演を開催するほか、全国各地へライブに出かける日々。
2015年佐高信(さたかまこと)さんとの対談「安倍政権を笑い倒す」角川新書より発刊。
2017年「憲法くん」絵本として講談社より発刊。
公式サイト http://www.winterdesign.net/hiropon/
Twitterはこちらです。

こんにちは「憲法くん」です
「憲法くん」は1997年に自分が憲法くんになりきって一人芝居にしたものです。憲法学者の水島朝穂さんに「前文に感動したんですけど、これを言えば、103個の条文を言ったことになりますか?」と聞きましたら「そうですよ~」って。それで一生懸命暗誦して「憲法くんです。5月3日誕生日がきます。50歳になりまーす」と、始まったんです。今年72歳です。この「憲法くん」を詩のように読んでみたらそれがすごく受けたんです。
僕は次のネタ入れると前のネタ忘れるんです。忘れないと入ってこないんです。ところが、「憲法くん」は評判が良くて「またやってください」ってあちこちから言われて、このネタだけは覚えているのでやれるんです。それが今まで続いています。

出逢いに恵まれました
先輩や先生とか、人に恵まれているんですよね。いつも転換点にきたときに誰かがいてくれたんです。憧れていたマルセ太郎さんの言葉が決断させてくれたし、永六輔さんが「僕の番組に出てちょうだい」って、おかげで仕事が来ました。小沢昭一さん、談志師匠、ライブに呼んでくれる方々、ファンのみなさまたくさんの人々に感謝しています。

思いがひとつになった
僕のライブを出版社の人が見てくれて、「これ絵本にしましょう!」って言ってくれたから本ができたんです。
それを井上監督が読んで、僕のライブも見て「映画にしよう!」と言って下さった。それを“戦争を体験した渡辺美佐子さん”が語ってくださる。僕たちが映画で観たあの大女優の人が!そしたらみんなが観てくれますしね。そして、日色ともゑさんとかテレビで観ていたあの大スターたちが、原爆の朗読劇で原爆の悲惨さをみんなに伝える活動を長い間続けていたことを知って、感動したんです。
しかも今年でお終いになるという話に「え~!」と驚きました。だからこれを映画で伝えるということはすごく大事なことです。みんなの思いが繋がっているんですよ。それが一つになってこの映画に集まったんだなぁと思いました。

素晴らしい憲法前文
渡辺さんの初恋の人が原爆で亡くなりました。310万人の日本人が殺され、2000万人以上のアジアの人々を殺したあの戦争。そんな戦争を2度とするまいという反省のもとに、世界中のいろんなものを集めて全部ひっくるめて憲法はできたんですよ。全ての叡智が入っているんです。その前文を美佐子さんが中から湧き出てくるように語ってくれています。
 僕も映画を観て学んで、バトンを受け取ったと思ってまた自分の舞台で語っていきますし、そして映画を観た人たちがほかの人たちに伝えていく。憲法がいかに素晴らしいか、大事なものなのか知ってほしいです。
(取材・写真:白石映子)
★本誌102号(2019年 春)より転載

渡辺美佐子さん
http://cineja-film-report.seesaa.net/article/476685328.html
井上淳一監督
http://cineja-film-report.seesaa.net/article/476684959.html



『誰がために憲法はある』井上淳一監督インタビュー(2019/4/9)

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<プロフィール>
1965年愛知県生まれ。早稲田大学卒。大学在学中より若松孝二監督に師事し、若松プロダクションにて助監督を勤める。1990年『パンツの穴・ムケそでムケないイチゴたち』で監督デビュー。その後、荒井晴彦氏に師事し、脚本家に。2013年『戦争と一人の女』で監督再デビュー。数多くの海外映画祭に招待される。2016年、福島の農家の男性を追った『大地を受け継ぐ』を監督。2018年、若松組の青春を描いた『止められるか、俺たちを』が脚本最新作。

作品紹介はこちら
2019年/日本/カラー/69分/DCP
配給:太秦
(C)「誰がために憲法はある」製作運動体
公式サイト http://www.tagatame-kenpou.com/

届かない人へ届けたい
最初は自民党の「憲法改正草案」を映画化して、自民党に投票する人に知ってもらおうと思ったんです。「こんなに酷いですけど、いいんですか?」と。そんなときに、「憲法くん」の絵本に出会いました。これがすごいのは、“憲法を擬人化していること”。これはたぶん世界中でヒロさんだけだと思うんですよ。『止められるか、俺たちを』の中で「我々の映画は、届く人にしか届かない」と言わせています。ヒロさんは子供にもわかる形で、それを“届かない人にも届く”ように作っています。僕はものすごくグッときたんです。それで、憲法の映画を作るならこっちだろうと。これを“戦争を知っている役者さん”にやってもらったら、より広がるんじゃないかと。

ご縁がつながって
そこで渡辺美佐子さんにお願いしようとプロフィールを見たら、なんとうちの母と全く同じ誕生日だったんです。そのときはちょうど母が「あと半年」と余命宣告をされたばっかりでした。運命論者じゃないんですけど、非常に運命的なものを感じました。
去年の6月まず「憲法くん」を撮影しました。撮影中に美佐子さんと“龍男くん”の話と“次の年で終わる朗読劇”のことを聞いて、それはやるしかない!しかも、4日後から稽古が始まるという。もう勢いで撮りました。どの映画もいろいろな繋がりでできていくのですが、ここまで強かったのは初めてです。

母のところに通いながら、こっちでは美佐子さんを撮っている、という行き来を母が亡くなる8月までしていました。だからなんだか不思議なものがありましたね。美佐子さんには失礼かもしれないのですが、もう一人の元気な母親を撮っている気になっていました。

なかったことにしない
こうやって残していかないと、全部なかったことになっちゃうんですよね。どれだけ反対してもアホな法案が通ってしまうし、今結構「何をやっても変わらない」って思っている人は多いです。この映画が、それでも諦めずに続けている人たちがいるという、希望の光になればいい。諦めずに同じ歌を歌い続ける。諦めたら負けじゃないですか。相手の思うツボなんです。そういうことを映画にしてこの時代を走りたいとずっと思っています。

はじめの一歩
この作品は憲法の超入門編、びっくりするくらい直球です。この映画が憲法を考える「はじめの一歩」になれば嬉しいです。
若い頃、僕も憲法は“国民が国を縛るもの”だと知らなかった。そうなんです。だからまずはそこからでいいんじゃないですか。
みなさんもそうだと思うんですけれども、知ったことはちゃんと伝えていかなきゃいけない、ということです。これがウィルスのように拡がって、世の中がこれ以上悪くならないでほしいというのが僕たちの思いなので。
(写真:宮崎暁美 まとめ:白石映子)
★本誌102号(2019年 春)より転載

渡辺美佐子さん
http://cineja-film-report.seesaa.net/article/476685328.html
松元ヒロさん
http://cineja-film-report.seesaa.net/article/476685631.html

『誰がために憲法はある』渡辺美佐子さんインタビュー(2019/4/1)

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<プロフィール>
1932年東京生まれ。俳優座養成所3期生。『ひめゆりの塔』(1953/今井正)でデビュー以後出演作は100本を越える。
1982年より2015年まで井上ひさし作の一人芝居「化粧」に出演。上演回数648回。
1985年原爆朗読劇に参加。中心メンバーとして全国各地を公演、34年目の2019年で最後となる。2018年製作の一人語りの12分の短編『憲法くん』に朗読劇のエピソードを加え、この作品が完成した。
(C)「誰がために憲法はある」製作運動体


「憲法くん」で気がついたこと
松元ヒロさんの舞台を私は見ていませんでしたが、井上ひさしさんや永六輔さんがすごくほめていらしたお話は伺っていました。それで松元さんの台本を読みましたら、わかりやすい言葉で書かれていました。
憲法っていうものを、いつちゃんと読んだのでしょうね。なんとなくわかっている気がしていただけで。国民を導いていくものではあるけれども、それ以上に“国民が選んだ政治をする人たちの暴走を止める”という大事なことがはっきりとわかりました。これは私が驚いたと同じように、みなさんにも「ああ、そうだったんだ」って気がついていただきたいなと思います。
国民が願っていないにも関わらず、政治というものが引っ張っていってしまう。そしてあの悲惨な戦争があったわけですからね。私はいやというほど戦争を知っています。小学校から中学に入学する頃でした。あの戦争をとにかく絶対繰り返したくない、それが全ての出発点です。
この中で憲法くんが「私は、この70年間、たった一度も戦争という名の下で一人も殺していません、一人も殺されていません。それを私は誇りに思っています」って言うんです。この言葉を自分で言いたいと思いました。
最初は「憲法くん」を映画にするお話でした。仕事の合間に朗読劇のお話をしましたら、監督が「それは撮らなきゃ!」っておっしゃって。それからその夏の公演にずーっとついて、岡山、広島と撮ってくださいました。

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原爆朗読劇
地人会の木村光一さんが発案なさった「この子たちの夏〜1945・ヒロシマ ナガサキ〜」が始まりです。原爆で亡くなった大勢の子どもたちのお母さんの手記を主に、原爆詩人の詩が加わっています。お母さんの年齢の40~50代の女優を集めて1985年から始めました。
最初の旅が広島と長崎だったんです。みんな緊張してしまいました。まだ被爆者の方、その家族の方々もたくさんいらっしゃいました。
そんな中で私たちが読むこと、もう一度呼び起こすっていったいどういうことなんだろうかとすごく恐ろしかったです。
でもその後で、聞いてくださった被爆者の方が「今までは被爆者であることをずっと秘密にして、絶対喋りませんでした。お話を聞いて、経験した者がちゃんと声に出して伝えなきゃいけないんだって思いました」と言ってくださいました。それがすごく励みになりました。それから22年間毎夏全国各地で上演してきました。
2007年に地人会は解散することになりましたが、ここでやめてしまうのはあまりにもったいない。もう少し続けようと、女優たちだけでお金を出し合い2008年3月「夏の会」を立ち上げました。みんな女優ですから何も知らないし、何もできないんです。まず本を作ることから始まって、製作や売り込みだとか慣れないことばっかりでしたから大変でした。

子どもたちと共に
「この子たちの夏」は子どもを失ったお母さんの手記が中心、「夏の雲は忘れない」は、子どもたちに焦点を合わせました。原爆で両親を失った子どもたち、孤児になった子どもたちが大勢いました。そのようすを「孤児とは思えないほどこの子たちは明るい。でもその心の奥に深い悲しみを持っている。だからこの子たちに音楽をうんと楽しませてやりたい」と先生が書いていました。「げんばくがふってきて、ひるがよるになった。にんげんはおばけになった」これは5歳の子どもの言葉です。
「日本の原爆記録」(図書センター刊)という厚い本が20巻あります。その中に子どもたちが遺した最後の言葉が集められています。殆どの子どもたちはその場で亡くなっているんです。辛うじて家族のもとに帰り、お母さんに看取ってもらえて亡くなった子ってほんとに少ない。子どもの最後の言葉は全部で75くらいしか集められませんでした。

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「夏の会」で各地に呼ばれていくと、そのご当地の小学生、中学生、高校生の5人と必ず一緒に舞台に上がり、一緒に読むようにしました。
傷ついた子どもたちが言った最後の言葉で一番多いのは「おかあちゃん」です。次が「天皇陛下万歳」。両方言って死んでいく子どもたちもいました。子どもたちから「こんな怖い話いやだ。怖い!」っていうふうに拒否されないか、って心配でした。終わってから交流会で、一緒に読んでくれた子どもたち、それを聞きに来てくれた子どもたちの感想で一番嬉しいのは「今、自分たちが家族と一緒にご飯を食べたり、友達とじゃれあったり、勉強したり、野球したり、何でもないことがすごく大事なんだなぁって思った」と言ってくれることです。平和の原点ってそういうあたりまえの生活ができるっていうことですから、そこに気がついてくれることがすごく有難い。自分たちの生活が有無を言わさず奪われないように、これからも平和を大事にしなきゃいけないなと思ってくれれば。それが私たちの願いです。

続けられたのは初恋の人のおかげ
平和を願う気持ちが強かったのはもちろんですが、私の場合は、広島に疎開して亡くなった幼馴染の水永龍男(みずながたつお)くんが引っ張っていてくれたと思っています。龍男くんが爆心地近くで亡くなったとわかったのはあの日から35年も経ってからでした。テレビの小川宏ショーの対面コーナーに、龍男くんのご両親が出演して下さって消息を知りました。私の生き方がぐんと変わりましたね。龍男くんがいなかったらこの朗読劇に参加していたか、こんなに長く続けられたかどうかわかりません。
「夏の会」は18人の女優だけで始めましたが、今は亡くなった方、病気の方がいて、実際に動けるのは11人です。続けていきたい気持ちは、 みんなあったのですけれども、やっぱり年には勝てない。殆ど後期高齢者ですから。90歳になられた方もいますし、ちょっともう頑張りきれません。こういう映画ができて、私たちがやめてしまっても後に伝えて、いろんな方に観ていただけると嬉しいです。

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これからご覧になるみなさまへ
『憲法くん』と朗読劇が一緒になるというのは、私たちにとって予想外のことだったんですけれども、考えてみれば今続いているちょっと危ういけれど「平和を守っていく、守らなきゃいけない」ということでは、目的地は同じなんです。
平和を守ることの大切さ、たくさんの死んでいった子どもたち、家族を失った人たち、そういうみんなの思いを忘れないで、そういう目にあわないようにしたいものです。
(取材:ほりきみき、まとめ・トップ写真:白石映子)  
★本誌102号(2019年 春)より転載

こちらも併せてどうぞ。
井上淳一監督
http://cineja-film-report.seesaa.net/article/476684959.html
松元ヒロさん
http://cineja-film-report.seesaa.net/article/476685631.html