『ミッドナイトスワン』公開記念舞台挨拶イベント

草彅剛主演、内田英治監督オリジナル脚本映画『ミッドナイトスワン』が9月25日(金)より全国で公開されています。
本作は、トランスジェンダーとして日々身体と心の葛藤を抱え新宿を舞台に生きる凪沙(草彅剛)と、親から愛を注がれず生きるもバレエダンサーを夢見る少女・一果(服部樹咲)の姿を通して“切なくも美しい現代の愛の形”を描くラブストーリー。主人公の母性の目覚めを“現代の愛の形”として、ヒロインが躍る「白鳥の湖」「アルレキナーダ」などの名作に乗せて常識も性も超えて描いています。
『下衆の愛』の内田英治監督が手掛けるオリジナル脚本に、草彅剛が初のトランスジェンダー役として挑みました。さらに、オーディションでバレエの才能を認められ、ヒロインを射止めた服部樹咲が本作で女優デビューし、真飛聖、水川あさみ、田口トモロヲが華を添えています。
本作の公開を記念し、「観客前!生中継付き公開記念舞台挨拶イベント」が実施され、主演の草彅剛、服部樹咲、水川あさみ、内田英治監督が登壇いたしました。本作の公開を待っていたファンの前にて舞台挨拶を行い、本作への思いや、「愛」がテーマである本作にかけて登壇者それぞれが「愛の告白」などを行い、その模様を全国145館へ生中継されました。
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©2020 Midnight Swan Film Partner

<イベント概要>
日時:9月27日(日)13:00~13:30 ※本編上映前イベント
会場:TOHOシネマズ六本木ヒルズシアター7(港区六本木6-10-2)
登壇:草彅剛、服部樹咲、水川あさみ、内田英治監督
MC:武田祐子
※本舞台挨拶の模様は、全国145館に中継された。


<STORY>
故郷を離れ、新宿のショーパブのステージに立ち、ひたむきに生きるトランスジェンダー凪沙。
ある日、養育費を目当てに、育児放棄にあっていた少女・一果を預かることに。
常に片隅に追いやられてきた凪沙と、孤独の中で生きてきた一果。
理解しあえるはずもない二人が出会った時、かつてなかった感情が芽生え始める。


冒頭の挨拶

草彅:みなさん、こんにちは。コロナの大変な中、劇場に足を運んでくださって、ありがとうございます。すごい感謝しています。登場したときに声援がなかったのは初めての経験なので、もう僕はアイドル卒業なのかなんて思いましたが、みなさんがコロナ対策をしてくれていることにとても感謝しております。リアクションがないので、ウケているのかすべっているのかわからない状況の中で(笑)、たくさんの方が努力し、この映画が公開され、みなさんに届けられることを幸せに思っています。僕たち出演者、そしてスタッフが一丸となってとてもいい作品を作り上げました。今、デジタルの力で全国の映画館の方にも僕の今の顔が届いています(全国の会場に向かって手を振る)。映画はとても素晴らしいものになりましたので、ぜひ、お楽しみください。
 
服部:はじめまして。今日は貴重なお休みの時間を割いて、劇場に足を運んでくださってありがとうございます。みなさんがSNSなどで盛り上げてくれていることがすごくうれしいです。今日、終わった後にさらに盛り上がるといいなと思っています。よろしくお願いいたします。

水川:こんにちは。大変な状況下で、劇場に足を運んでくださったことをうれしく思います。さまざまな愛の形をテーマにした映画だと思っています。映画館で観れる素晴らしさを体感して帰ってほしいです。

内田監督:今日はありがとうございます。コロナ禍の大変な中、一度はストップした作品が、こういう形でスクリーンで公開できるという状況を、2、3ヶ月前は想像できませんでした。この時を迎えられてよかったです。オリジナル作品だということもあり、身内ウケの作品とか言われて、少し自虐的になっていますが、劇場来たときに大ヒットしていることを伺い、やっと呪縛から逃れられる気がしています。今日はよろしくお願いいたします。

母親になるという難しい役どころについて

草彅:これまで経験のない役でした。いろいろなインタビューでも答えているけれど、今までで一番難しい役だったと思います。だから、普通はすごく考えて向き合わないとできない役なのですが、今回は、何も考えずに自然に演じることができました。それは、監督がひっぱってくれたことも大きいけれど、(服部)樹咲ちゃんと、(水川)あさみさんにひっぱってもらったこともすごく大きいと思っています。役も作品も一人では作ることはできないことを改めて実感しました。みんなでひとつの方向に向かっていると、奇跡が起きると感じました。

服部:小さい頃から続けていたバレエでこの映画に貢献できたことがうれしいです。心配だった演技も、草彅さんや水川さんに助けられていいシーンになっていました。改めて感謝の気持ちを伝えたいです。本当にありがとうございました。

草彅と水川:こちらこそ

草彅:みんなが支え合った、そうじゃないとできない作品でした。

水川:心が痛い役でしたが、愛の大きさ、深さがそれぞれ違うんだなということを踏まえて、ネグレクトだけをフィーチャーしないで演じることができました。
ただ、母親っぷりという点では私のほうが全然負けてました。

草彅:お互い違う立場の母親でした。お互い一果のことが好きだけど、表現の仕方が違います。あさみちゃんが怖かったです。見事な演技で、迫力があってすごく怖かったです。しょうがないんですよね、お仕事ですから。お芝居ですからね。僕もそうですけれど、あさみさんもふりきっていて、それが伝わってきました。すごいクライマックスになっています。
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©2020 Midnight Swan Film Partner


注目してほしいシーンについて

内田監督:3人の関係性です。水川さんが演じた母親も、凪沙も愛情ある母親です。微妙な関係性ですが、芝居というか、演技じゃなかったように感じました。そのあたりを観て(感じて)ほしいと思います。
SNSで評判がいいよと言われても、なかなか信用できない状況でした。オリジナル脚本で、こういったテーマでヒットするのはなかなか難しいことなんです。信じられなかったけれど、今日、この場に来て、スクリーンで観てくれている皆さんを見て、多くの人に受け入れられていることを実感しました。

撮影現場の様子について

草彅:撮影がスムーズでした。なんていうんだろう、荒波を立てずにというか。職人の方が多い現場だと、”早くしろよ!””何やってんだよ!””早くレール引け!”といった声も飛び交うのですが、監督の方針なのか、そういうのが全くない、とても穏やかな現場でした。その分、作品の中ではめちゃくちゃ罵声を浴びていたのですが、カメラ回っていないところはとても穏やかで、今っぽさ?を感じました。

服部:優しいスタッフの方も多く、怒る声は聞いていません。とても穏やかな現場でした。

水川:穏やかでした。あと、内田監督もすごく集中していました。

草彅:みなさん、品がある方が多かったのかな? やっぱり品は大事です、今の時代ね、”今でしょ!” あれ、このギャグ古いの? 反応がないからウケているのかすべっているのかもわからなくていいね。

愛を描いた映画にちなみ、登壇者が愛の告白!

草彅:いつも癒してくれるクルミちゃん。パパは、今日は六本木の映画館でお仕事をしています。あなたのご飯代を稼ぐためにがんばります。あれ、これ、今、言うことかな?今(言うこと)でしょ!本当は、大爆笑したいところを、コロナ対策に協力して抑えて、抑えて我慢してくれているみなさんに感謝します。逆にこういうのもいいかもね。感想を心の中に止めるというのも逆に品があっていいのかも。

服部:愛の告白かはわからないけれど、監督の第一印象が怖くて近付きづらいと思ったけれど、話してみたらとても優しくて、笑顔がチャーミングでした。そのギャップがすごくいいと思いました。

内田監督:僕、彼女のお父さんと同い年くらいなんです。何を言ってもツンとした感じだったけど、嫌われていないと分かってよかったです。

水川:ここにいるすべてのお客様へ。こんな状況の中、劇場に来てくださったことに感謝したいです。お互いに知らない人たちが一つの作品を観て、感動したり笑ったり怒ったりする。映画館という空間って特別だと思います。それを共有できる方たちに”好きです”って言いたいです。

内田監督:出演者はもちろん、スタッフに愛を送りたいです。スタッフみんなが作品を愛してくれて出来上がりました。そして、SNSとなどで盛り上げてくれた方たちにも感謝したいです。あれがなければ、ここまで作品の評判は広がらなかったと思っています。そして、全国の劇場に来てくださった方にも改めてありがとうと言いたいです。

ツイッターのトレンド入りを目指して新たなハッシュタグを考えよう!

草彅:#クルミちゃんラブでいいんじゃないかな。って言いながら、さっきも愛の告白もクルミちゃん宛にしちゃったし、映画のことをちょっと反省しています。#ミッドナイトスワン公開中、なんていかがですか? 全国の皆さんいかがですか?

内田監督:#ミッドナイトスワン大ヒット公開中、にしてください。
草彅:ハッシュタグと一緒に、映画の感想を添えていただけると、もっともっと拡散されるかと。

最後の挨拶

草彅:本日はありがとうございました。全国の方、本当にありがとうございます。この映画は、攻めてはいるけれどR指定がついていません。家族の方とみんなで一緒に観てほしい作品です。観る方によって、感じ方が違うのは当たり前のことですが、これほど感じ方が違う映画はないと思っています。年齢、性別、国籍問わず、みんなに観てほしいと思っています。必ず伝わるものがあるんじゃないかなと思っています。

内田監督:上映されたことがまず感慨深いと改めて感じています。ゼロから脚本を書いて、草彅さん、水川さんに出演いただいて、樹咲ちゃんがオーディションに来て。そのひとつずつが重なり、みんなで作り上げた作品です。性別や血の繋がり、国籍などは関係ないんじゃないかという思いを込めています。ぜひ楽しんでください。ありがとうございました。

『ミッドナイトスワン』
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©2020 Midnight Swan Film Partner

出演:草彅剛、服部樹咲(新人)、田中俊介、吉村界人、真田怜臣、上野鈴華、佐藤江梨子、平山祐介、根岸季衣、水川あさみ、田口トモロヲ、真飛 聖
監督・脚本:内田英治(「全裸監督」『下衆の愛』)
音楽:渋谷慶一郎
配給:キノフィルムズ
©2020 Midnight Swan Film Partner
TOHOシネマズ日比谷他全国大ヒット公開中
公式サイト:https://midnightswan-movie.com/

『実りゆく』出演:橋本小雪さん・中野聡子さん(日本エレキテル連合)インタビュー

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〈プロフィール〉
日本エレキテル連合
2008年に日本エレキテル連合としてデビュー。見るものにトラウマを与える狂気のキャラクターコントで、多くのファンを抱えるコンビ。2015年には“ダメよ〜ダメダメ!”で新語・流行語大賞の年間大賞を受賞。
橋本小雪
1984年生まれ。兵庫県出身。橋本は女優としても活動中「忘れてしまう前に想い出してほしい」(2017 RKB毎日放送)「私のおじさん」(2019 テレビ朝日)「ひみつ×戦士 ファントミラージュ!」(2019 テレビ東京)ほか、多数出演
中野聡子
1983年生まれ。愛媛県出身。ネタ製作担当。特技は日本画、趣味は小道具製作。
Youtubeチャンネル「日本エレキテル連合の感電パラレル

橋本小雪insta https://www.instagram.com/elekitel_kokiyu/?hl=ja
Twitter https://twitter.com/elekitel_denki?lang=ja
★『実りゆく』10月3日(金)より長野県先行公開、10月9日(金)より新宿武蔵野館ほか全国順次公開
ⓒ 「実りゆく」製作委員会

八木順一朗監督インタビューはこちら(リンク)
http://cineja-film-report.seesaa.net/article/477196893.html
竹内一希さん・田中永真さん(まんじゅう大帝国)インタビューはこちら(リンク)
http://cineja-film-report.seesaa.net/article/477481025.html


―日本エレキテル連合さんの動画をたくさん見せていただきました。まだ観切れていないんですけど、どれもとても面白くて癖になりました。

中野 嬉しいー。ほんとですか。
橋本 ありがとうございます。

―そのままショートショートになってるんですよね。コメディ映画祭などに出してほしかったです。

中野 映画に携わっている方にそういっていただけると光栄です。(映画紹介書いているだけです 汗)

―ほんとにそうなんです。あ、今日は俳優さんとしての話を伺うんでした。

中野・橋本 はい。

―お二人は長編になってからの登場ですね。最初に脚本を読まれた感想をお聞かせください。
夢を諦めて東京から故郷に戻った朱美役の橋本小雪さんから。


橋本 芸人の気持ちをわかっているマネージャーだからこそ書ける、面白い、そして感動できる作品だと思いました。私の役は、自分にないことをしなくちゃいけないなと思いました。色気であったり、ちょっとこうきつく言ったりとか、そういった性格だろうと。自分とは違うので大変かもしれないけれど、キーパーソンだと思いました。

―モテ役でしたね。

橋本 そうなんです、すごく。自分とは真逆ですけれども、そういう役ができたのはいいなと。

―朱美ちゃんの勤めるお店のママさん役だった中野聡子さんは?

中野 まず脚本を読んだときは“実る”だなと思いました。全体を通して―芸人さんもだしりんごもだし、監督自身もこれが初めての作品で、全部が実るーほんとにそのままだなぁと。橋本さんもものすごく自分にない役どころということで、苦悩して実らせていただいてピッタリのテーマでした。
私の役はー私だけ申し訳ないけれど、自由に好きにやらせていただいて(笑)。もうちょっと抑えた感じの台本だったんですけど、監督の意向を無視して「ちょっとやってやろう!」と、思いっきりやったら採用してくださって。楽しくやらせてもらいました。朱美ちゃんとは違って、自分に近いものがありましたので、やりやすかったです。

―普通のメイクのお二人を見るのが初めてでしたので、試写室で「ダメよ~、ダメダメ」の台詞でどっと笑いが起こるまでわかりませんでした。中野さんがママさん役だったのも後からわかりました。てっきり女優さんだと思っていたんです。

中野 それは最高の褒め言葉です。
橋本 嬉しい~。
橋本・中野 ありがとうございます!

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朱美ちゃん

―マネージャーさんが監督になって、どんな感じでしたか?

中野 もともと映画が好き、というのは知っていたんです。私たちのライブ映像なんかも撮ってくれていましたし。でもこんなに本格的な映画で、ちゃんと監督をやっていてその“肝(きも)”がすごいと思いました。たくさんのベテランのスタッフさんの、職人さん風のちょっと怖そうな方々に囲まれても動じなくて、その肝のすわり方にびっくりしました。
橋本 マネージャーが監督をするなんて初めてなんです。見た目もヒョロヒョロで(笑)。
中野 “ヒョロ吉”と呼ばれているんです。
橋本 そう、あだ名が“ヒョロ吉”(笑)。どっちかというと優しくて、ゴリゴリ押したりしない。手も出さないタイプで。優男だし、大丈夫かなぁと思ってたんです。もう始まったら、「これはどうですかね?」「これはこうしてください!」「はいOK!」って。”監督降臨!”でした。そのときはヒョロっとしてなくて、ビシッとしてカッコよかったですよ。ほんとに。

―八木監督が聞いたら喜ばれますよー。
エレキテルさんは「コスプレとメイクと小道具」で役に入っていく、と知りました。ゲームの主人公がいろいろな装備とアイテムで強くなっていくのと似ていると思いました。

中野・橋本 ああ~!
中野 それ、初めて言われました。その表現使ってもいいですか?(笑)

―どうぞ~。ロールプレイングしかできないんですけど、ゲーム好きなので(笑)。

橋本 ドラクエとか。
中野 私たちは何かを装備して、とにかく見た目で説明しちゃう。エフェクトかけまくってやっているので、映画はそれを一切取っ払った感じだったので、今回ほんっとに苦労しました。

―何かやりたくなる?

中野 やりたくなるんです。鼻毛描きたい!(笑)
橋本 アゴ出したい!(笑)

―自然に女優さんでしたよ。だって気が付かなかったですもん。

橋本 よかったです。

―これからも映画のお話があったらまた出られますか?

中野 そんなに素敵なことはそうはないと思いますけど(笑)。役者さんってすごい。何でもない普通の人も演じられるし、トリッキーな役も、通行人Aもできる。どんなにオーラがあっても消せる力があるんです。私たちにはそれがほんとにないんだなと痛感して「勉強して来たいな」と思って。(橋本さんへ)役者さんってすごいよね。
橋本 ほんとに。
中野 私たちは出ちゃうものね。自分たちの我(が)が。
橋本 うん。我が出ちゃうし、何かその「変なこと言いたい」とかあるし(笑)。

―サービス精神があるからじゃないですか?

橋本 あと照れくささがどこかにあるから、私たちもちょっとボケたりしたくなる。

―盛りたくなるっていうか?

橋本 そう、そうです。
中野 それをすることによって、きっと今回は邪魔をしてしまうんじゃないかと思ったので、それをどう消していくかという…
橋本 もうそれとの闘いでしたが、本番はそういうのを取っ払ってやれたので良かったです。

―機会があったらまたぜひ出てくださいね。

橋本・中野 はい、是非!

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ママさん

―YouTubeのお二人を遡って見てきたんですが、最初は7年くらい前ですね。早くから発信していて先見の明があると思いました。あの中でしかできないことってやっぱりありますね。

中野 舞台によっても違いがあるんですけど、かといってテレビコントも選ばれた一部の方たちしかできませんし、だったら自分たちで媒体を作ろうと。編集もできるし、ちょっとしたショートフィルムもできます。

―あのYouTubeに出すものって一旦事務所に見せないといけないものですか?

中野 一応コンプライアンス的なこととか、言ってはいけないこととか、そういうのはマネージャーに見てもらいます。自分たちも気をつけているので、だいたいOKが出ます。

―始めたころは「毎日あげてま~す」と。

中野 最初のうちはほんとに毎日アップしていましたが、さすがに大変になって減らしました。

―朱美ちゃんシリーズが目立ちましたが、たくさんのキャラがありました。でもテレビには出しにくいのもありますね。

中野 テレビはみんなが安心して見たいものですが、私たちはどうしても「毒」とか「哀愁」とかが好きなんです。みんなが楽しく笑えないこともあったりします。

―作るときは、自分たちとカメラさんだけですか?

橋本 今はもう二人だけで作っています。

―目の前にお客様がいなくてもノリは大丈夫ですか?

中野 私たちテレビコントで育ったので「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」(加藤茶と志村けんの冠番組)とか。しかも、私たちの舞台って、笑うツボがみな違うんです。みんながどっと笑うのでなく、ポイントポイントで笑う人が違うので、動画作品に出して笑っていただけたほうがいいなと。だから動画の方が合ってたりする…
橋本 うん。合う。
中野 好きなところ見つけてください。
橋本 それぞれが楽しんでください、と。

―自分たちが全く違う人になって、発信するのがお好きなんですねぇ。クリエイターですね。

中野 私はずっと裏方志望で。 

―お二人仲良く長く続けている秘訣はなんでしょうか?

橋本 秘訣…やりたいことがあってそれを二人でやってきた、ってことだけ。
中野 面白いと思うポイントが一緒で、それがハマったんだと思います。
橋本 一緒に作っていくと自ずと仲良くなっていくんじゃないかな。

―すごくいい出会いをなさったんですね。出逢いといえば中野さんご結婚おめでとうございます。

中野 はい、この映画のモデルの松尾さんと結婚して、3回しか会っていません(笑)。籍を入れただけで、これから仲良くなっていこうかな、と(笑)。

―それもまたいいですね。ネタになるんですか?

中野 ネタに(笑)。勝手になっちゃってますね。
橋本 人生が面白くなるんじゃないかと思って、交際ゼロ日で結婚した。
中野 基準が「面白いか、面白くないか」。「面白いな」と思って。好きとかより。(笑)

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―みなさんに「大切にしていること」を伺っています。お仕事でも人生でも。
変わらずに大切にしていることがあれば。

橋本 真面目に答えていいんですか? 一言ですか?

―真面目にどうぞ。一言でも長くてもいいですよ。

橋本 大切にしていること。ええと、う~~んと。ちょっと待ってください。

―待ってます(笑)。

橋本 ええと、う~んと、待ってください(笑)。

―はい。それも書いときます(笑)

橋本 私はとても、“人よりできない”んです。それで人より千倍の努力をしないといけない、と頭に置いておくこと。「努力すること!」です。
中野 私は「ひとさまにお金をいただいて提供するからには、いただいた以上のものを出す」ということを大切にしています。自分なりの精一杯で、まだまだですけれども、「今できることの精一杯を提供する」。

―そのために心がけていること、努力していることがありますか?

中野 そのために努力しているのは…「一日サボれば自分にバレる。二日サボれば師にバレる。三日サボればお客様にバレる」芸人3箇条です。

―好きな映画があったら教えてください。子どものころからでも、最近でも。

橋本 『裸の銃(ガン)を持つ男』(1988年/アメリカ)というコメディ、この映画が好きです。
中野 たくさんあるんですけれども…北野武監督の『HANA-BI』(1988年)が大好きです。あの映画はどこを一時停止しても、切り取って額に入れて飾れる絵になるんです。どのシーンも美しいので。絵が美しい映画が大好きです。

―日本画をされていたんでしたね。

中野 ほんのちょっとかじりました。

―お二人とも絵がお上手ですよね。

中野 こちら(橋本)はマンガが。私は写実的なほうで。

―いいですねえ。いろんな方面に才能があって。

中野 おしゃべりっていう…芸人に一番必要なおしゃべりが一番下手かも。
橋本(笑)

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―自粛中はどうなさっていましたか? YouTube撮り?

中野 YouTubeと、単独公演(9月18~20日)があるので、それを毎日。こういう状況なのでどうなるかわからないですが。
橋本 ネタ作りと、構成を考えたり。出て行けないときは電話で、撮影もどうにかリモートでできないか、と考えたり。でも会って練習しないと“やった感”がないです。

―これからの目標は何でしょう?

中野 二人に共通しているのは「長編のコメディ作品を作りたい」というのが目標です。ライブがだいたい4分くらいなので。
橋本 ネタがね。
中野 70分くらいのを撮りたいなぁというのが、今の近い目標です。
お笑いを観に行くとだいたい90分くらいで集中力が途切れるんです。ちょうどいいのが70分くらいかなぁと。「あ、もうちょっと見たいな」というところで終わる。90分が好きなんですけど。

―映画でも90分の作品は多いです。中編が50分くらいかな?でも値段の付け方が難しいようです。

橋本 じゃあ長編にしよう(笑)。
中野 いろんな人の目に触れるコメディの長編で。内容は固まっていないんですが、私が完全に裏方に回って橋本さんをとにかく生かしたものを作りたいです。

―ひとり芝居ですか?

中野 何役もできるので。

―あ、撮影するならいくらでもできますね。それ楽しそう! 

橋本 そうですね(笑)。

―最後に中野さんも出るとか?

橋本 ちらっと(笑)。
中野 遅刻したり(笑)。

―でき上がったら教えてくださいね。取材に来ます。
今日はありがとうございました。


=取材を終えて=
日本エレキテル連合さんの動画をまとめて見て、そのフィールドの広さ、キャラの多様さに驚きました。未亡人朱美ちゃんシリーズが爆発的な人気になりましたが、あれはかなり大人向けです。ほかに大阪の二人、ケンちゃんクミちゃんや、教祖と信者や、可愛いぱにぽよちゃんと変な凸とか、た~くさんのキャラがあります。まだ観終わっていません。
それぞれの特徴を捕まえるのがすごく上手で、キャラが立っています。きっといつもよく人間観察されているのでしょう。中野さんのアンテナの張り具合と感度の良さ、それに対応できる橋本さん、とてもいいコンビです。初めてお目にかかったら、あのテンションの高さと全く違う、控え目で真面目なお二人。“盛りメイク”(笑)をとると、こんなに可愛くて素敵な女性たちです。
初めての映画出演でたくさん得ることがあったようすです。目標の長編を作り終えたら、またお目にかかりたいものです。その前にライブに行かなくては!(取材・写真 白石映子)

『実りゆく』出演:竹内一希さん・田中永真さん(まんじゅう大帝国)インタビュー

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〈プロフィール〉
竹内一希(まんじゅう大帝国)1994年生まれ、東京都出身
日本大学藝術学部卒業。在学中は日本大学藝術学部落語研究会に所属。
第12/13回全日本落語選手権、「策伝大賞」決勝選出
2016年6月コンビ結成、2017年4月デビュー。
結成直後の「M-1グランプリ2016」にて、アマチュアながら、3回戦進出を果たし話題を集めた。また、竹内は演技力の高さにも定評があり、役者としても活躍中!「行列の女神~らーめん才遊記~」(2020 テレビ東京)「特命!おばさん検事 花村彩乃の事件ファイルSpecial」(2019 テレビ東京)「ウルトラマンR/B」(2018 テレビ東京)SEA BREEZE WEBCM「Poolside Desteny」(2018)ほか多数出演 

田中永真(まんじゅう大帝国)
1993年生まれ、北海道出身
函館ラサール高校卒業。東京理科大学中退、在学中は東京理科大学落語研究会に所属。
2020年3月には、国立演芸場令和元年度「花形演芸大賞 」銀賞をコンビで受賞。
出演番組 はフジテレビ「ENGEIグランドスラム」「笑レース」、テレビ東京「日曜ちゃっぷりん」、TBSラジオ「マイナビラフターナイト」ほか多数。

ⓒ 「実りゆく」製作委員会
八木順一朗監督インタビューはこちら
☆『実りゆく』では竹内一希さんが主人公の実(みのる)役。
田中永真さんがお笑い芸人のライバルであるエーマ役です。


―お二人は映画よくご覧になりますか?
竹内 新しい、面白そうなの出たよ~っていうのが耳に入ると、「行ってみっか~」くらいの感じです。
映画館に行くというイベントはすごく楽しいので、たまに。
田中 全然観てないです。
―あ~(出鼻をくじかれる)。では一番最近観た映画はなんですか?
竹内 えっと三谷幸喜さんの『記憶にございません』。中井貴一さんが好きで、これは面白そうだっていうことで観に行きました。面白かったです。
―やっぱりコメディになりますか?
竹内 あ、そうですね。あと意外とディズニー作品とか好きです。コミカルなのが多いかもしれないです。
田中 僕はもう全然観ないです。最後に観たのはたぶん太田(光)さんが作った映画です。あれは先輩が作ったから。そのくらいのことがないと観ない。
―じゃあ、普段映画なしの代わりに漫才のネタ作りをされている?
田中 そんなに頑張ってないんですけど(笑)。そうするべきなんですけどね。
―田中さんのnote読んでいます。落語ネタが楽しいです。
田中 あ、ありがとうございます。
―竹内さんは?
竹内 僕はnoteはやっていないです。(instaでした)

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―今回映画は初出演ですよね。
竹内 はい、もちろん初出演です。(映画出演は)人生でゼロだと思っていましたから。
―竹内さんが”うっとり、ニコニコだった”と田中さんがコメントしていますが。
田中 いやほんとに(笑)。やる気があるとも違う。「主演だ~!」って言ってきたんですよ。
竹内 (笑)
田中 主演とかじゃないだろ、演技も全然やったことがない。
竹内 うん。
田中 ない中で、大きな映画の主役、メインをあてられて「主演だ~!」って喜んでるのがのんきすぎるだろって。
竹内 (笑)
―心配は全然なしで?
田中 もっとプレッシャーに感じたりとか、いろいろ考えこんじゃいそうなところなのに、ヘラヘラしてたんで。
竹内 うん。
田中 ヘラヘラしてんじゃねーよ!って。
竹内 (笑)
―それは2分半の予告編を作るときから?
竹内 そのときはずっとそうでした。予告編はのんきなまま終わってました(笑)。八木さん(監督)が言われた通りに。「長野に行きますよ」って車に乗って連れていかれて、「これ撮りますよ」「はい」って撮っただけなのに終わったら賞(主演男優賞)をいただいたりして。「そんな凄かったんだ!」ってその流れで、本編も入っちゃった感じがありますね。
―本編は何十倍もあります。映画の長さも、拘束時間の長さも。それでもプレッシャーも悩みもなしで終わったんですか?
田中(笑)
竹内 いや、まあ冗談というか、予告編のときに八木さんが「優勝したらほんとに映画撮れるんです」「うわ、いいですねぇ」「主演は竹内くんでないっすね。そこはちゃんと本物の人呼びます。村人Aでも出しますよ」。
―でない、って。
田中 そりゃそうですよ。
竹内 って喋ってて、僕が男優賞をいただいたので、八木さん僕を切るってことができなくなっちゃった(笑)。 しょうがなく僕を主演にしたんです。
田中 残念だな。
竹内 だからすごいテンション低く「竹内くんで行きます」…
一同(爆)
田中 しょうがねぇから。
竹内 「うぉーしラッキー!!」みたいな感じで。若干の「してやったり感」もあって(笑)。
―竹内さんが実(みのる)くんで続投なら、エーマくんも続投じゃないですか。
田中 そこに引っ張られて(テーブルの上のお菓子で監督、竹内、田中の3人を設定)
竹内 そうそうそう。
田中 ここの二つ(竹内・田中)はまんまで。まんまでいかないで、って…
竹内 (笑)そうだね。
田中 絶対にイケメン×イケメンで行ったほうがいいよって言ったんですけど。
竹内 もちろん。
田中 もう譲らないから、監督さん。
竹内 監督だから。(笑)
田中 役名がね、僕は本名が田中永真(えいま)で、役名もエーマなんですよ。あれも変えてくれって言ったんですよ。意味が分かんないんで。最初、「永真くんはエーマです」って言われたときに、「あ、けっこうまんまなのかな?」「そのまんま出てきていいよって意味で本名のまんまなのかな?」と思ったら、違う性格のキャラで。
―違いましたね。
田中 違いますよね。(監督が)「永真くん、エーマはこうなんですよ」って、誰の説明してるのかずっとわかんなくて自我がぶっこわれそうになった(笑)
竹内 あぶないすね。あれは。
田中 ね。(監督が)「エーマはそのときそういう対応じゃないんですよ」って(笑)
―エーマは僻む人でしたよね。
田中 そうそうこんなの(顔真似をする)
―私は先に映画を観てから、その後に漫才を観て、あれ全然キャラ違うと思いました。
田中・竹内 (笑)
竹内 穏やかですから。
―映画なのでドラマチックに作らないと、というのもあったんだと思いますが。
田中 あんなに感情を出すことは普段ないんです。それが大変でした。演技というよりは、「感情を出す」という基礎中の基礎みたいなのが全然できないんで。
―漫才でも穏やかですよね。強くつっこまなくてこの漫才ってちょっと違う。
竹内・田中 (笑)
―観ない間に漫才が変わったのかと思ったらそうじゃなくて、お二人がそうなんでした。いいですよね、優しくて疲れない。癒される漫才でした。
竹内・田中 (笑)ありがとうございます。

―映画の中にあの「ピンポンピンポン♪」が使われていましたね。
田中 それも勝手に使われて(笑)。なんか請求しようと思って(笑)。
―(映画が)当たってからね。当てないと(笑)。
竹内 あのネタは僕らにとって縁起のいいネタということがあって。「ピンポンピンポン」が最初にできたネタなんです。デビューのきっかけになったと言ってもいいネタです。プロになってからもフジテレビの番組で若手が闘って優勝した人が出られる――そのネタで優勝させてもらいました。
「予告編」の中でもそのネタをやって賞をいただいているんで、「このネタやると何かいいことあるんですよ」って、ポロっと八木さんに言ったことがあって。それにあやかっているんです。
田中 お前のせいだったのか。
竹内 (笑)それを使いたいと。
―でもいいじゃないですか。若くて元気な二人が残っていますし、もう取り戻せない時間なんですから。毎日そうですけど(笑)。全国に映画が行ったらこれまで知らなかった方にも(私みたいに)届きます。大事にしたい映画ですよ。
竹内 ほんとそうですね。
田中 もう乗っかっちゃったから、乗り続けるしかない。
―北海道でも上映してもらって(と田中さんへ)。
田中 うちの両親も観たがってるんですが、いまのところ観られる環境じゃないです。大きく旅行しないと。
竹内 そうか。
―映画館少ないですから。札幌までも遠いですもんね。
田中 札幌に行くなら飛行機に乗ってこっち来た方が早いんじゃないかな。
―舞台挨拶のときご両親呼ばれたらどうですか?そこで絶対何分か喋るんですよ。
田中 喋ることないんだよ、何にもね。
竹内 (笑)
―いや、ほんとに映画のエーマくんと雰囲気違いますね。
田中 あんな奴イヤじゃないですか。ヤな奴。(笑)
竹内 あのエーマはインタビューとかしたらイヤだろうね(笑)。
田中 もう、こうだろ(と顔真似)。
竹内 「そりゃ答えたくない」って言いそうだ(笑)。
田中 「なんすか、それ」って。ヤダよ、あいつ嫌いなんだよ俺。
一同(爆)
―怪我しましたしね。
田中 死ねば良かったよな(笑)。
竹内 思い切り轢かれたら良かった(笑)。
―ひどい(笑)。なんでそこで黒い版・田中が。
竹内 黒(笑)。結局こっちも。
田中 こっちも悪い奴だった(笑)。

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―今までマネージャーさんだった方が監督になるってどんな感じでしたか?
竹内 いやもう、変!変ですよ。ずーっと頭の片隅に何してんだろう?ってのがありましたね。芸人とマネージャーなんだけどな。
―切り替えるのは難しかったですか?
竹内 切り替わってたかどうか。
田中 監督は変ってたけどね。顔やっぱり違ってた。
竹内 そう!八木さんはびしっと。
田中 監督面してらぁと思ったもんね。
一同(爆)
竹内 二度とマネージャーなんかやるものか!って決意が伝わってきたんで。(笑)
田中 辞めたいんだろうなぁって思ったもんね。
竹内 俺らのマネージャーを探さないとって感じありましたね。(笑)
田中 いなくなっちゃうよってね。
竹内 この映画を撮るときは、他のスタッフさんたちの人数も規模も違うし、それで雰囲気を作ってもらいました。
「映画だ!」と撮ってるときから思えたので、みなさんのおかげで切り替えはできたかなと思います。

―東京のパートと長野のパートがありますが、撮影はライブなどの合間に?
竹内 東京のところをパパ―っと最初に撮って、長野に行って一気に終わりまで撮って。
田中 帰ってきてちょこっと撮って。ライブとかお笑いの(仕事)は全部なしで。その間全部断っちゃって。
竹内 マネージャーがお笑いの仕事をはねのける、という前代未聞のスケジューリングで。
田中 何のマネージャーなんだ?(笑)
―制作もされてたので大変なんですよ。
田中 大変ですね。
竹内 M-1グランプリっていう漫才の大事な期間だったんですよ、9月10月って。
田中 ちょうど予選がずっと、夏からやっているんですけど、ちょうど僕らとか若手のまだ売れてないくらいの人たちの。ここから勝てるか、負けるかみたいな、3回戦とか、準々決勝みたいなそこらへん。
で、もう一個上がれるかどうかで一年が変わるぞ、ぐらいの大事なところで直前の1週間とかに「長野行きます!」
竹内 「えー!!」(笑)
田中 「もっとこういう演技を」って。
竹内 2回戦は浅草の会場で、出番が終わった後にもう「長野行きますから」と車が待っている(笑)。攫われるようにして長野に行ったんですけど、M-1なんて何にも集中できなかった。
田中 何にも覚えてないもんね。えらいもんで。
竹内 これから長野に行くんだ~と思いながら漫才していたような感じで。結局2回戦は通って3回戦まで行けたんですが、2回戦で落ちてたら、たぶん喧嘩してました。ドタバタでした。
田中 ドタバタだったね。

―一生に何度もあることじゃないですよね。
田中 まあそうですよね。途中からはそう思って。いい経験だと思ってね。
竹内 ねえ。
―漫才のネタって経験が元になりますよね。これもネタにできるじゃないですか?
田中 映画監督?映画に出てみよう!
竹内 映画を作ろう!
―映画を作りたい人も多いですが、今お笑い目指している人たくさんいませんか?そういう人に何か言ってあげるとしたら?
田中 何もない…
竹内 全然ない(笑)
田中 でも、何か言わないとね。
―自分が言われて実になったことはありませんか?
田中 直接言われたことはないけど、「やめろ」とか「なんない方がいいよ」、「なるな」と人に言われて、やめるような人は、たとえやったところで売れない。もしも「芸人になりたいんですけど」って言われたら、「やってみればいいじゃん」って意味で僕は「やめたほうがいいよ」って言いますね。
―そこから自分の判断ってことですね。
田中 そこでもう決まる。一歩出るか出ないかって大きいんじゃないかな。
―自分で体験しなさい、と。
田中 そうですね。口で言ってわかることは少ないです。体験、体験で。
竹内 それぞれだしね、体験できることって。

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―お二人が目標にしてきた方は?
田中 タイタンの芸人でいて爆笑問題さんを挙げるのは月並みなんですけど。爆笑問題さんはほんとにカッコいいと思いますね。
竹内 タイタンに入ってより近くで仕事してどういう人か見る機会が増えて、元からファンでしたけど、やっぱりほんとに凄いんだなって思います。目の当たりにするので、より尊敬しました。
―そういう人の近くにいられるっていいですね。
田中・竹内 そうですね、ほんとに。
―タイタンに入るには試験があるんですか?
竹内 入るための明確な基準、みたいなのは特にない事務所なんです。
田中 僕らが入ったころは一応“ネタ見せ”というフリーの人のネタを見るのはあったんですけど、そこで絶対入れるというわけではない。当時はそんな感じでした。今は学校ができて、卒業したら仮所属にはなるようになりました。
竹内 僕らは高田(文夫)先生の一声で入れていただいた。
―結成が2016年、4年たちましたね。お名前も変えずにずっとそのままで。「まんじゅう大帝国」って、なんだろう?って記憶に残る名前ですね。
田中 僕らも変だなぁと思うんですが(笑)、わりと覚えてもらいやすい。

―ネタ作りなどで、これだけは譲れないこと、大切にしていることは?
竹内 なんだろう。僕はほんとに楽しんでお仕事できたらな、と。あんまり考え込んでもいい結論が出るタイプではないので、いろいろ大変な仕事もあるかもしれないですが、それも楽しんでできるようにしたいですね。
田中 ネタは二人でやるものなので、竹内がやりやすいようにっていうか、竹内のこと気を使ってはいます。楽しんでやるって言ってましたけど、ネタ作ってちょっと渡して楽しそうじゃなかったらボツにしてる。楽しそうにできてるのは、こっちのお陰もあるよって(笑)。ノリノリでやってるほうがこっちも楽しい。
―竹内さんは新しいネタもらうと、すぐ顔に出ます?
竹内 そうですね。ただそれは、面白い面白くないジャッジというよりは、理解できたか。わかんないと僕はほんとに不可解な顔になるんでそれでバレます。
田中 で、「ああ、何でもない。何でもない。うそ嘘ウソ…」
竹内 (笑)
―えー、言い訳しないでひっこめちゃうんですか?
田中 引っ込めますね。それで説明してわかった面白さってほんとの面白さじゃない。それでやられてもどっか説明臭くなったり、ウソ臭くなったりする。だからずっとご機嫌伺いながら。
―ああ~厳しいんですね。
田中 厳しいんですよ。
―どちらも。お客さまに「今のはね」って説明することはできないですもんね。
田中 はい。(二人の)考え方がけっこう違うので(とお菓子を並べて)、ここ(竹内)とここ(田中)がどっちも面白いと思ったらある程度大丈夫かな、というのがあるんで、ここ(竹内)にはねられたら、「いや、俺は面白いと思うんだけど」というここ(田中)の我は意味がなくて。この広いところ(二人を含めた大きな空間)でやりたいんで、だから顔が曇ったらダメ。
―そうやって作っているんですね。わかりました。とってもいいこと聞いちゃった。
竹内・田中(笑)

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―今なかなかライブも難しい状態ですね。
竹内 事務所のライブは大きいのが2か月に1回あります。今のところ一応コロナにも負けず。
田中 一回だけお休みしたけどね。
竹内 映画館でも観られます。(全国のTOHOシネマズに中継)
田中 銀座のホールにお客さまを入れてのライブで、それをそのまま中継します。
そちらは(対策を)いろいろやって少人数でやれたんですけど、普段出るライブは無観客もあって、配信だけとか。今のが面白かったのかどうかがわからない。
竹内 なんのこっちゃ?とか。
田中 もう開き直って全部やることもある。

―これから映画の話がまたあったら、出る気はあります?
田中 そりゃあね。
竹内 うん。
―ものによりますか?
田中 いやそんなことは言いたくない(笑)。(竹内さんへ)出るよね?
竹内 うん、出れるならバンバン出ますよ!映画でもなんでも。 何がきっかけでもいいので、「売れないと!」っていうのはずっと思っています。光代社長からも「まず売れて!」って言われたことがあって(笑)、作戦会議まんじゅう大帝国!一言めが「まず売れましょう」だったんで、話にならないんだな、今はって思いました。
だからこの映画をきっかけにお芝居の可能性も多少は増えるかもしれないですし、もちろん漫才も。何かひっかかってくれということでいうと、漫才だけにこだわらずにいろいろ頑張りたいと思っています。
田中 そうですね。なんか演技のお仕事とか。
「あんまりスケジュールおさえるの悪いか」とかそんなこと全然思わないで。
竹内 ああそうだね、ビシバシ仕事入れて。
田中 何でもいいからね。何でも出ますよ、って。こんくらいで良ければ。
竹内 そうだね。(笑)
田中 自信があるわけじゃないから。(笑)
竹内 そうそうそう。

―そのために何かスキルアップするとかは?
田中 どうやればいいかわからない。考えたことがないジャンルで、どうやって努力していいかわかんなくて。なんか(とこちらに目線が)…
―映画を観る、とりあえず他のも。
田中 あー、なるほど!そりゃそうですね(笑)、よく観ればいいんだ!
竹内 そうだ!(笑)
田中 俺、一個も観ずにこれだから。観たらもっと伸びる?
竹内 伸びるよね。
田中 伸びしろがある?
―と、思います。
田中 今後に期待!(笑)。
―その節は呼んでください。俳優として取材に来ます。今日も俳優なんですけどね(笑)。
今日はありがとうございました。とっても楽しかったです。


=取材を終えて=
長くお笑い番組を見ていなかったので、この取材ができることになって急ぎ「まんじゅう大帝国」さんの動画を探して観ていました。付け焼刃のため上がり気味で臨んだインタビューでしたが、若いお二人は丁寧にお返事してくださいました。ほとんど目の前で漫才を見ているようなやりとりで、笑ってばかりの贅沢な時間を過ごしました。ちゃんとライブを見に行かなくては。竹内一希さん、田中永真さん、初体験の映画を乗り切って、これも糧としてますます広い舞台に出て行かれることでしょう。応援しています。
いつも文章の間を一行あけるのですが、ご覧のようなテンポの良さでしたので、つめています。空気をお届けしたくて、30分間の取材をほぼ書き起こしました。(取材・写真 白石映子)

まんじゅう大帝国のチャンネルはこちら 
竹内一希 instaはこちら
田中永真 instaはこちら
     noteはこちら
爆笑問題 with タイタンシネマライブ http://www.titan-net.co.jp/live/cinemalive/

『ホテルニュームーン』ショーレ・ゴルパリアンさんに聞く

イランのリアルな暮らしを観てほしい

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日本イラン国交90周年の2019年に完成し、昨年イランのファジル映画祭でお披露目された日本イラン合作映画『ホテルニュームーン』。日本での公開が、ようやく9月18日からに決まり、日本側のプロデューサーを務めたショーレ・ゴルパリアンさんにお話を伺いました。
映画美学校での試写の間にお時間をいただいたのですが、取材場所は1階のカフェ。
キアロスタミ監督が『ライク・サムワン・イン・ラブ』の撮影を前に、ここでショーレさんと打ち合わせしていた時に、2度お目にかかったことのある懐かしい場所です。

ショーレ・ゴルパリアンさんのご功績については、「2018年日本映画ペンクラブ賞特別功労賞」を受賞された時のレポートをご覧ください。

『ホテルニュームーン』
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© Small Talk Inc.

*ストーリー*
イランの首都テヘラン。大学生のモナは、小学校の教師を務める母ヌシンと二人暮らし。父は自分が生まれる前に山で友達を助けようとして滑落して亡くなったと聞かされている。モナはボーイフレンドのサハンドと一緒にカナダへの留学を画策しているが、母は門限も8時と何かと厳しく、言い出せないでいる。そんなある夜、母が化粧をして出かけるのを知り、そっと後をつけ、ホテルで見知らぬ日本人男性と会っているのを見てしまう。
母が隠したパスポートを家探ししていたモナは、若かりし頃の母が赤ちゃんを抱いて、先日会っていた日本人男性と一緒に映っている写真を見つける・・・
シネジャ作品紹介


◎ショーレ・ゴルパリアンさんインタビュー

◆日本イラン国交90周年記念作品
― まずは、日本イラン国交90周年の2019年に、『ホテルニュームーン』を完成させられましたこと、おめでとうございます。

ショーレ: 日本イラン国交90周年を目的にしました。いろいろあって公開は今年になったのですが、さらに、コロナがあって9月になってしまいました。日本大使館とイラン大使館に90周年企画として撮ることを報告して、90周年のマークをつけさせてもらいました。何かしてくれることは期待してなかったのですが、在イラン日本大使館は、イラン滞在中、2~3回皆にご馳走してくださいました。在日本イラン大使館のイラン文化センターは、女優のマーナズ・アフシャルさんが撮影の為に来日した時に、車を提供してくださいました。

― マーナズ・アフシャルさんは、2019年の東京国際映画祭で上映された『50人の宣誓』(監督:モーセン・タナバンデ)の主演を務められた女優さんですね。
2019年11月4日 Q&A
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©Persia Film Distribution

ショーレ:イランの商業映画の世界で有名な女優です。

◆筒井監督のイランの若者の映画を作りたいという思いで始まった
― 今回、東京藝術大学、大学院映像研究科教授でもある筒井武文監督と、イランとの合作映画を撮ることになった経緯を教えてください。
(★ショーレさんは、2014年から東京藝術大学グローバルサポートセンターの特任助教として、イラン人を講師に招いての特別講義などの人事交流に携わっています。)
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ショーレ:筒井さんと東京藝術大学で一緒に仕事をしていて、2~3回一緒にイランに行ったことがありました。もともと筒井さんはイラン映画をたくさんご覧になっていて、批評家としてイラン映画のことも書いてくださっていました。2017年に筒井さんをテヘラン大学映画科に案内したのですが、その時に撮影の現場を見たいとおっしゃったので、カマル・タブリーズィー監督の撮影現場にお連れしました。「エネルギーが違う、いつかイランで撮りたい」とおっしゃいました。そのあと、タブリーズィー監督と一緒に食事をしたときに、「テヘランを舞台に、イランの若者の話を撮りたい」と筒井さんが言ったら、タブリーズィー監督は「撮りましょうよ」と。そして、脚本はナグメ・サミーニーさんに書いてもらってはどうかという話になりました。ナグメさんが日本に来ていた時に筒井さんがお世話したし、私の親友でもあるし、タブリーズィー監督の映画の脚本も2本書いているという繋がりがありました。
その時、タブリーズィー監督は『Marmouz(英題:SLY)』というコメディを撮っていて、その映画のプロデューサーであるジャワド・ノルズベイギを紹介してくれました。ジャワドは私のことを知っていましたが、私は彼のことを知りませんでした。筒井さんと一緒にジャワドに会ったら、彼はインドとエンターテインメントの合作映画を撮ったことがあって、日本とも合作映画を撮ってみたいと言ってくれました。実はインド人にはすごく騙されたけど、ショーレも間に入っているし、日本人には騙されないだろうと日本との合作に乗り気になってくれました。それが2017年のことでした。2018年になってナグメに脚本をお願いしました。

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ナグメ・サミーニーさん 来日の折の講演会の様子はこちらで


― ナグメさんに脚本をお願いするときに、筒井さんからはどんな注文があったのでしょうか?

ショーレ:筒井さんはイランに行くとテヘラン大学で若い人と会っていたのですが、日本で紹介されているイラン映画には、ほとんど若い人が出てこないので、若い人を主人公にしたいとスタートしました。ちょうどナグメが国際交流基金(Japan Foundation)の招聘で6か月日本に滞在することになり、筒井さんはアドバイザーになって、よく会うことになりました。
母と大学生の娘の話をナグメが考えて、間に私が入って筒井さんと話して、日本との繋がりを簡単にではなく、ドキュメンタリー風に入れようということになりました。
私は、1991年~92年に、イランから労働者が大勢日本に来た時に、八王子のイラン人たちを取材したことがあって、現状をよく知っていましたので、ナグメにその時の話をしました。日本に来た中には女性もいたし、日本で受け入れた会社の社長の中には、いい人もいれば悪い人もいたなど、色々な話をしました。会社の社長が優しい人であれば、困っていれば助けたり、家に招いたりしていました。
映画には、その取材の時に知り合ったメヘディというイラン人が出演しているのですが、日本人と結婚して、今や彼は社長の右腕となっています。実際に彼が働いている八王子の工場で撮影させてもらいました。
日本でのことはすべて私が教えてあげたことからナグメが脚本にしています。

◆タブリーズィー監督は、私を救ってくれた仏陀
― ショーレさんがプロデューサーとして、かかわった映画は何本目ですか?

ショーレ:イランだけでなくてアフガニスタンやタジキスタン、クルディスタンなども含めて、12本くらいです。
ほんとにこれまで製作コーディネーターをいろいろしてきたのですが、本格的にイランの商業映画を作ってきたプロデューサーと組んだのは初めてで、スタッフがちょっと違って、こんなに苦労したのは初めてでした。
これまではアート系の映画がほとんどでした。アジアフォーカス福岡国際映画祭や釜山映画祭に出品される監督や、ジャリリ監督のように自分でプロデュースしている方などと合作を作っていましたので楽でした。今回は本格的に商業映画の世界に入ってしまった苦労がありました。

― 商業映画の世界でどんな苦労があったのでしょうか?

ショーレ: 筒井さんはぜひイランで撮りたい、日本部分は短くしましょうとおっしゃって、80%イランで撮りましょうということになりました。予算のことを考えると日本ではお金がかかりますし。
イラン側のプロデューサーは商業映画を撮ってきた人なので、口出しするのを止めるのが大変でした。芸術映画の監督は、映画のクオリティばかり考えるけど、商業映画のプロデューサーは、どうやって予算を抑えようということを考えます。一番助かったのは、タブリーズィー監督にアドバイザーになって間に入っていただいたことでした。すべてタブリーズィーさんに相談したり、まかせたり、怒ってもらったりして進めました。最後まで可哀そうでした。
ミーティングをすると、イランのプロデューサーがこんな場面を入れましょうということに対して、ナグメと私は、それはありえない、くだらないと思うことがあって喧嘩することが多かったです。2回すごく怒鳴って止めさせたことがあります。
筒井さんが「今、なんと言ってるの?」と聞いてくるのを、「今は喧嘩してるので、あとでまとめて教えてあげます」と言ったこともありました。
例えば、イランでは夫婦であることを証明しないとホテルで同じ部屋に泊まれません。結婚前の二人が一緒に泊まるというシーンがあると検閲で許可が取れないというので、そこは、一時婚という形でと説得したりしました。
また、婚外子を養子にすることについて、イスラーム法では認めてないので、イラン側のプロデューサーが難色を示しましたが、日本では可能と説明しました。
タブリーズィー監督が撮っている映画は芸術と商業映画の間ですから、よくわかってくれて、間に入って説得してくれました。

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カマル・タブリーズィー監督
2014年8月 「イラン 平和と友好の映画祭」でお会いした時の様子はこちらで

― タブリーズィー監督は、この映画にほんとに深く関わってくださったのですね。

ショーレ: 私がマーナズさんの日本撮影中、彼女の面倒を見られないと言ったら、日本まで一緒に来て、ずっと現場にいてくれました。私は彼のことを「悟りくん」と呼んでいます。私にとってタブリーズィー監督は悟りを開いた仏陀です。あとからあとから問題が起きても助けてくれました。素晴らしいイランのベテラン監督。すごくお世話になりました。日本との合作で、『風の絨毯』や、間寛平さんが出演している映画で沖縄映画祭でだけ上映した『ラン アンド ラン』の2本を作っていますので、日本のこともよくわかっています。
『ラン アンド ラン』は、イランで公開してすごくヒットしました。吉本が権利を持っていて日本で公開できないのがすごく残念です。

◆「イランのヌシン、日本のおしん」は偶然
― 母親の名前がヌシンというのは、イランでの「おしん」人気を意識したものですか?

ショーレ:たまたまナグメが最初からヌシンの名前で書いていました。

― 小林綾子さんが出演されているのも、イランの人たちは喜びそうですね。
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© Small Talk Inc.

ショーレ: 「イランのヌシン、日本のおしん」と後からSNSで話題になりました。
小林さんはおしんの小さい時を演じた子役だったけど、今は立派な役者です。プロデューサーがホテルでヌシンがおしんの写真を見ている場面を入れようというので、それはやめてくださいとお願いしました。
おしんはもう30年も前の話。二つの国の文化を近づけるのは、ほんとに大変です。私の苦労は目に見えません。間違いを起こさないようにするのは説明できないくらい大変でした。イラン側には、日本はこうじゃないという説明もしなくてはいけないですし。長年の経験が助けてくれました。
ナデリ監督とキアロスタミ監督の二人と仕事をした人は、すべての世界で何でもできるだろうとイランで言われています。ほんとに大変でした。二人と仕事をしたのは私だけです。筒井さんは楽でした。筒井さんのすごくいいところは、イランでイラン映画を撮りたいから、イラン人の助監督たちやスタッフの気持ちをわかろうとしてくれたところです。

◆イランの映画現場では何があっても何とかしてしまう
― それでも、筒井さんが折れなかったということはありますか?

ショーレ:日本では自分のテリトリーなので意見することもありましたが、イランではなかったですね。イランのスタッフはいつもそうなのですけど、皆、臨機応変にやってくれます。キアロスタミさんがよくおっしゃっていたのですが、日本のスタッフはガチガチで余裕がなくて対応できないことがあります。イランのスタッフは余裕があります。イランのスタッフは何があってもなんとか対応してしまいます。お金がなくても、雨が降っても! 筒井さんはイランで幸せそうでした。
監督補にモーセン・ガライ(Mohsen Gharaie)をつけてもらいました。映画は二本しか作っていませんが、2017年の釜山映画祭で、映画「Blockage]で最優秀新人作品賞しました。私の友人でよくわかってくれる人。絶対、この人をつけてくれないと映画を撮らないとお願いしました。モーセンが納得すると、筒井さんもなるほどと納得してくれました。

―イランと日本の製作現場の大きな違いは?

ショーレ:先ほども言ったのですが、性格的にはイランの方が余裕があります。皆がなんとかなると思う性格だから、リラックスできます。何回も経験しているのですが、『沈まぬ太陽』の時もなんとかなりました。日本では小さな問題が起きるとパニックになってしまいます。日本はきちんとし過ぎ。性格の違いだと思います。キアロスタミさんはじめ、日本の映画の現場を経験したイランの監督は皆言ってます。計算しすぎるし、型にはまっているから、ちょっと違うことをしようとするとパニックになってしまいます。誰かが遅れてくると、もうダメです。日本は難しい。日本の方は決められたことを厳格に守ります。映画は生き物。調子のいい時もあれば悪い時もあります。マーナズさんは大スターだから我が儘で、何度も来なかったり、遅刻してきたり、お腹が痛いからと帰ったこともありました。イラン人は平気だけど、筒井さんは困ってました。

◆普通のイランの暮らしがさりげなく描かれているのが好き
― 映画の中で、今どきのイランがちらちらと出てきましたね。例えば、整形手術の話や、警察に捕まったのは、また服装チェック?とか、タクシーをアプリで呼ぶ、海外への留学、おしゃれな「カフェ キオスク」など、今のイランが目立たないように入っていて、そういうところを日本人が見てくれるといいなと思いました。

ショーレ:それがまさに私の狙いでした。ナグメとも話したのですが、日本で紹介されているイラン映画は、芸術的で暗いものとか、政治的、社会的なものが多くて、私たちの普通の生活があまり描かれていません。イランに行った日本人が見るのは普通の生活。ナグメの上手なところは、それを目立たないように入れていること。柳島克己さんのカメラもそれをうまく捉えているし、筒井さんの思いもそうです。今のイランを説明しているのが、この映画の良さです。ほんとのイランを知りたければ、ぜひこの映画を観てほしいです。

― 住まいも、ヌシンのアパートメントはモダンな雰囲気、ヌシンのお母さんの家は、昔ながらの住宅でした。ショーレさんのお母さんの家もあんな感じですか?
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ショーレ:私の家はヌシンのアパートのような感じで、お母さんの家は昔風。小さいときは、あんな家で育ちました。
おばあちゃんの世代、40代の女性の世代、20代の女性という3世代の考え方の違いも描いています。ヌシンの友人のロヤはお金持ち、ヌシンは中流のシングルマザー。今のイランの社会を細かく入れています。こっそり恋人を作る娘もいるし。明るく、普通に生活感を出している映画です。キッチンやイランのお料理も出ていますし。
私は自分が関わった映画をあとから観ることはあまりしないのですが、この映画は何回観ても面白いと思います。

◆躾の厳しいヌシンは、私の母のよう!
― 大学生の付き合い方も今どきの感じですね。親が急に帰ってきて、恋人がクローゼットに隠れてましたね。

ショーレ:それって、皆、経験しているでしょう。帰ってこないと思っていたら帰ってきたとか。母と娘の話でどこにでもある話なので、自分のこととして観れると思います。

― 大学生のモナを演じたラレ・マルズバンさん、利発そうで可愛かったですね。

ショーレ:21歳から26歳くらいまでいろいろ候補があったのですが、オーディションの最後の最後に彼女が出てきました。筒井さんが選んだのですが、映画は初めてです。舞台の役者をしていて、オーディションなのに筒井さんと舞台の話ばかりしていました。筒井さんが頭がいいと感心していました。ただの美人じゃなくて、誠実で頭がいい子です。主役は初めてでしたけど、これからどんどん出ると思います。
撮影現場はイラン的にころころ変わるのに、ちゃんと対応していました。恋人サハンド役のアリ・シャドマンも、テレビや舞台に結構出ていて、よく対応していました。若手二人がほんとに素晴らしかったです。
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― モナのパソコンをあけると、「ママ、見ないで」と大きく書いてあって笑いました。

ショーレ:躾が厳しいママへの反発ですね。映画製作が実現しませんでしたが、広島を舞台にした『貞子』はナグメの脚本で、あの時から彼女と親友です。日本に来ると、私の家に泊まるくらい。私の子ども時代に母がすごく厳しかった話もしましたので、ヌシンは私の母。イランの私の友達からみると、ヌシンはショーレのお母さんみたいねと言われます。母は厳しくて、門限もうるさかったです。8時を1分過ぎたと言われたこともあります。男の子と話していると注意されたこともあります。日本に来たヌシンは労働者だったから、私とは違いますが。

◆イランでは未婚で出産したことは口に出せない
― 日本に出稼ぎにきた中に女性もいたのに驚きました。

ショーレ:いました。女性がいっぱい働きに来ていたのを日本人が知らないだけです。
未婚で妊娠したら家に戻れないというのもイランの現実です。母親に出来ちゃったとは、今でもイランでは言えません。日本人には理解できないかもしれませんが。

― シェナースナーメ(政府の発行する身分証明書で、出生から亡くなるまで結婚や選挙投票の記録なども記される)の父親の欄はどうなってるのでしょう?

ショーレ:お金を払えば名前を借りることができます。映画が長くなるから、そこは入れませんでした。イラン人にはよくわかります。テレビドラマだったら、工場のイラン人に妊娠がばれて、生まれたら、誰かの名前を借りてシェナースナーメ(ID)を作ってイランに連れて帰るという場面を入れるところです。そうしないとパスポートも発行して貰えないから連れて帰れません。
イランのプロデューサーも、イランでの上映許可を取るのに検閲でいろいろ言われたら困るから、どうする?というので、一回、頭にきて、「イランバージョンと日本バージョンを作りましょうか」と言ったことがあります。イランではイランの規則があって、なんでもかんでも上映はできませんから。

◆イランは映画の天国。皆、役者!
― ヌシンが教師をしている小学校の生徒たち、可愛かったですね。

ショーレ:小学校での場面、よかったでしょう。ロケは半日。後ろに山が見えて、すごくいい場所でした。サーダバード宮殿より上の、エビン刑務所にも近い山のふもとにある学校です。突然行って、「撮影してもいいですか?」とお願いしたら、「いいですよ」って。子どもたちが可愛くて大好き! ほんとに即興でした。皆が1階の教室で勉強してるところの2階の教室を借りて撮りました。子どもたちのお母さんたちは、休憩中にマーナズを取り囲んでサインしてもらってました。

― 男の子たちは、突然その日に映画の撮影といわれたわけですね。

ショーレ:男の子たちは、何をやっているのか、わかっていません。キアロスタミさんの手法なのですが、監督補のモーセンが、まずカメラを教室に置いて1時間位ほっておきました。子どもたちは最初は珍しいけど、だんだん気にしなくなります。筒井さんが先生の席に座っていたら、子どもたちは筒井さんが珍しいから皆サインを求めて、全員にサインしてました。たぶん40枚以上! 一人一人名前を聞いて、モハンマドとかアリとか、もちろん日本語で書いてあげてました。それを1時間か2時間くらいやっていて、子どもたちはカメラがあっても平気になっていました。あの場面、すごく好きで、もっと長く入れてくださいとお願いしたのですが、これ以上長くならないと言われました。先生が部屋から出てくると、男の子たちがぱぁ~っと寄っていくところも大好きです。あの日はほんとに楽しかったです。

― ホテルもよかったですね。

ショーレ:田中社長が泊まっていたホテルは、山の手の日本大使館に近いアルゼンチン広場。ホテルニュームーンはバーザールの裏手の下町のホテルを使いました。撮影のために1日誰も泊めないで撮らせて貰いました。千円位で泊まれるホテルです。ベッド1つの部屋と、4つくらいベッドがあって家族で泊まれる部屋もあるホテル。筒井さんはあの地区が大好きでまた泊まりたいと言っています。
看板を変えていますが、フロントの男性はほんとにそのホテルの人。彼はほんとに上手で、抱き上げたいくらいでした。普段通りやってくれて、何度も撮り直したのですが、さりげなく自然に紅茶を出すのもすごく上手でした。「役者にならない?」と聞いたら、ホテルでいいですって。ホテルをやめる位なら消防士になりたいと言われました。電話をかけていたのも、適当に自分で作って話してましたが、ほんとに自然。イランは映画の天国。皆、役者です。
ヌシンが廊下で座って娘を待っている時に、外を奥さんと女の子が通る場面も、監督補がお母さんが娘を待っているシーンだから、親子を通らせたいなと、ちょうど来た親子にお願いして、何度か歩いてもらいました。嫌がらずにやってくれて、最後は「ありがとうございました!」って言って終わり。ほんとに映画の天国です。

◆編集のリズムもイラン的
― 鯉のぼりが家族の象徴として出てきましたね。

ショーレ:男の子の節句の飾りと思っていたら、永瀬正敏さんがお父さんお母さんと子どもと教えてくれました。
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― 最後に鯉のぼりを出したのも永瀬さんのアイディアですか?

ショーレ:そうではなくて、イラン人の編集のソーラブ・ホスラビが日本のシンボルとしてアイディアを出してくれて、筒井さんもOKしてくれました。もともと桜と富士山はやめてくださいとお願いしていました。イランのプロデューサーが桜って言ったのを、絶対やめてくださいと。鯉のぼりだったら、イラン人は観たことがないし、家族の話なのでふさわしいと思いました。
編集のリズムもイラン的です。日本だともう少し遅いです。80%舞台がイランなので、日本部分もソーラブ・ホスラビにイランから来てもらって1週間位滞在して、筒井さん立ち合いのもと編集してもらいました。そのほうがイランのリズムが出ると思いました。
筒井さんから、もう少しリズムを落としたらと言われたこともありましたが、「イランのリズムはこれです」と納得してもらいました。あまりゆっくりだと飽きるでしょう。モナが家探しするときも、動きが早いでしょう。あのリズムに合わせています。
あの場面で、田中が持ってきたプレゼントを、モナが見つけるのですが、あの箱に入っていた2枚のスカーフを、最後の病院のシーンで二人がしています。ピンクをモナ、青をヌシンがしています。母親を許したので、日本人が持ってきたプレゼントをしているのです。

◆母子手帳は息子を産んだ時のものを提供
― あの箱に逗子市と書いた母子手帳が入ってましたね。

ショーレ:あれは私が息子を産んだ時のものです。ちょうど1990年の初頭。住所は書き換えています。

― 最初に出てくる日本風の木造の橋は?

ショーレ:あれは逗子です。私がよくいくカフェの近くです。どこにでもありそうな橋。

― どこにでもないですよ。風情がありました。

ショーレ:日本での撮影は、郊外の雰囲気のあるところを選びました。高台にある田中社長の家は、芸大がよく撮影に使っているゲストハウスです。工場は実際に八王子にあります。メヘディに電話したら、うちで撮影すればいいよと言ってくれました。

― イランに行って、日本に来ていたイラン人の友人を訪ねると、日本にいたときのアルバムを見せてくれて、仕事はきつかったけど楽しかった、社長が優しかったなどと話してくれます。

ショーレ:田中社長のような人が大勢いたと思います。この映画には日本人の優しさも出ていますよね。イラン人の優しさも出ていて、ほんとに優しい映画だと思います。柳島克己さんの撮影が上手だからカラーもいいですし。

◆イランのリアルな暮らしをぜひ観てほしい
― やっと公開されるのにあたって、観客の皆さんに是非伝えたいことは?

ショーレ:残念ながらイランのことはニュースからしか知ることができません。たまにNHKでイランの自然を見せる番組はあっても、日本の番組でイランの普通の生活を見せるものが少ないです。トルコなど周辺国だと、誰かタレントが普通の家に行く番組もありますが。 映画も映画祭などで上映されるものではイランの普通の生活があまり見えません。この映画は、イランの普通の人たちの暮らしに近いものを描いています。人物もリアルです。キアロスタミさんたちがつくるようなドキュメンタリータッチの劇映画とも違いますが。日本でもありえるようなシングルマザーが頑張って娘を幸せに育てたいという姿も描いています。

― ショーレさんは、長い間、イランと日本の架け橋として、映画を通じて様々な活動をされ、2018年には外務大臣表彰も受けていらっしゃいます。これからも日本とイランの架け橋としてご活躍を期待しています。

ショーレ:芸術映画を作ります。イランの商業映画の世界には入りません(笑)

― 芸術映画でも、ぜひイランの今を見せてくれるような映画を期待しています。今日はありがとうございました。

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スタッフ日記『ホテルニュームーン』ショーレさんにイランとの合作の苦労を伺いました (咲)


★取材を終えて
私が初めてショーレさんにお会いしたのは、1995年のアジアフォーカス・福岡映画祭でイラン映画特集が組まれた時。当時、私はまだ会社員でした。
第1回東京フィルメックス(2000年)の時、宮崎暁美さんから、『私が女 になった日』のマルズィエ・メシュキニ監督インタビューに同席してほしいと声がかかって、初めてインタビューを経験。その時の通訳がショーレさんでした。その後、本格的にシネマジャーナルに関わるようになって、ほんとうに多くのイランの監督や俳優さんの取材でお世話になりました。実は、ショーレさんご自身にきちんとお話をお伺いしたのは初めてでした。最初はちょっと緊張したのですが、商業映画のプロデューサーとバトルした話が可笑しくて、大笑い。イランの女性は強い!と、実感したひと時でした。
試写の終了近くにインタビューを終えたら、ちょうど筒井監督がいらっしゃいました。イラン側のプロデューサーとバトルしている時に、通訳してもらえなくて、そばでたじたじしている筒井監督の姿が思い浮かんで、なんとも微笑ましかったです。
筒井監督は、イランでの公開にあわせて、またイランに行って下町のホテルに泊まって美味しいイラン料理を食べるのを楽しみにしていたのに、コロナのせいで行けなくなり残念とおっしゃっていました。
イランと日本、それぞれでこの映画の受け止め方も違うと思います。それぞれの感想を聞いてみたいものです。

取材:景山咲子


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『ホテルニュームーン』原題: Mehmankhane Mahe No(英題:Hotel New Moon)
出演:ラレ・マルズバン、マーナズ・アフシャル、永瀬正敏、アリ・シャドマン、小林綾子、ナシム・アダビ、マルヤム・ブーバニ
監督:筒井武文 
脚本:ナグメ・サミニ、川崎純 
撮影:柳島克己 
編集:ソーラブ・ホスラビ 
音楽:ハメッド・サベット 
サウンド:バーマン・アルダラン 
美術:サナ・ノルズベイギ 
監督補:モーセン・ガライ 
プロデユーサー:ジャワド・ノルズベイギ、ショーレ・ゴルパリアン、桝井省志 
協力プロデューサー:山川雅彦 
2019年/日本・イラン/93分/1:1.85/カラー
制作プロダクション:アルタミラピクチャーズ 
製作:ガーベアセマン、アルタミラピクチャーズ、SMALL TALK 
配給:コピアポア・フィルム
© Small Talk Inc.
公式サイト:http://hotelnewmoon2020.com/
★2020年9月18日(金)よりアップリンク吉祥寺、他にて全国順次公開





映画『ミッドウェイ』公開記念初日トークイベント

映画『ミッドウェイ』公開初日トークイベントが11日、都内・スペースFS汐留にて無観客で行われた。
登壇したのは、大日本帝国軍側の連合艦隊司令長官・山本五十六を演じた豊川悦司、 第一航空艦隊司令官・南雲忠一を演じた國村隼。第二航空戦隊司令官・山口多門を演じた浅野忠信は自宅からリモート出演して、3人はハリウッドでの撮影時を振り返りトークを繰り広げた。
さらにパトリック・ウィルソン、ローランド・エメリッヒ監督からのビデオメッセージも紹介された。
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なお、本作は第二次世界大戦の中でも歴史を左右するターニングポイントとなった激戦として知られるミッドウェイ海戦を描いた作品。『インデペンデンス・デイ』『パトリオット』などで知られるローランド・エメリッヒ監督が約20年かけて徹底的にリサーチした上で、新たに発見された日本軍側の資料をもとに製作した。キャストとしてウディ・ハレルソン、パトリック・ウィルソン、デニス・クエイド、アーロン・エッカート、豊川、國村、浅野忠信など日米の実力派俳優が集結し、山本五十六やチェスター・ニミッツをはじめとした実在の人物を演じている。

<映画『ミッドウェイ』公開記念初日トークイベント概要>
日時: 9月11日(金) 19:00~ 
会場: スペースFS汐留(東京都港区東新橋1-1-16 汐留FSビル3F)
登壇者:豊川悦司、國村隼
リモート参加者:浅野忠信
コメント動画参加:パトリック・ウィルソン、ローランド・エメリッヒ監督
MC:伊藤さとり


まず実在の人物を演じることについて、山本五十六役を演じた豊川悦司は「ほとんどの日本人が知っているビッグネームでありますし、歴史上の素晴らしい人物。お話をいただいたときにはびっくりしました。自分の中では類似点をまったく見いだせなかったので、なぜぼくにという気持ちでした」と語った。役作りについては、「偉大な大先輩たちが何人も演じていらっしゃるので、その映画を片っ端から見て、先輩方がどういう風に山本五十六というキャラクターと対峙していったのかを見られたのはラッキーだったと思います」と振り返る。

山口多聞を演じた浅野忠信は、「多聞さんのことを調べていくうちに多聞さんの魅力をいろいろ知ることができましたし、映画を見ていただくと分かるのですが、とても複雑な状況にいて、過酷な戦いを強いられる中でも最後まで冷静に生きた人なんだなと尊敬しています。インターネットを通じてリサーチできる時代になったので、インターネットを使っていろいろ調べ、多聞さんのお墓参りに行って、気持ちを高めました」と役作りの方法を明かした。

南雲忠一を演じた國村隼は、「山本五十六さんにしろ、山口多聞さんにしろ、演じられる立場として光栄だとお二人がおっしゃるのを羨ましいなと思って聞いていました。南雲さんってミッドウェイの海戦においていちばん“お前があかんやろ”と言われている人なので。南雲さんを演じる上でありがたいなということはなかったのですが、南雲さんもあのときになんであんなとんでもない判断ミスをすることになってしまったのか、そこは僕も興味をそそられ、彼がミッドウェイで実際に執った作戦行動、爆弾と魚雷の載せ替えとか、なぜあの時にあの判断を下したのかというところを糸口に僕の妄想を広げるという形でイメージしてやってみました」と語った。
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撮影現場でのエピソードについて、豊川は「海外をベースに仕事をされている日本人の俳優さんがたくさんいらっしゃることに驚きました。夢をもって、生活を懸けて厳しいフィールドで仕事をしている同業者を見たことにはすごく感銘を受けました」とし、「緊張感のあるシーンですが、浅野さんがいて國村さんがいて、言っちゃあいけないのでしょうけれど、やっていて正直、楽しかった。とても安心してできました。浅野さんとは共演するシーンが多かったので、早く國村さん来ないかなと言っていたのですが、いらっしゃった当日にホテルの目の前が有名な教会で、そこのライトアップをご覧に行かれて、その帰りにホテルでお会いして」と語ると國村が「そうそう、仕事で行っといて何しとるねんって感じでしたよね」と引き取った。

浅野は「カナダで撮影して、日本とは全然違う環境だったのですが、共演の方々を含めて新鮮な気持ちでしたし、監督がとても穏やかな方だったので、現場は和やかに進みました」とし、豊川悦司との共演について尋ねられると「昔から共演させていただいているので心強かったですし、先輩がきちんと先輩の役を演じてくださるのはありがたかったですね。僕も楽しかったです」と豊川を立てた。

國村は「3人が一緒だったのは1シーンだけでしたが、撮影現場にいるとハリウッド映画を撮っている気がせず、日本で別の映画を撮っているような気がしました」と懐かしんだ。
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日本との違いについて尋ねられると、豊川は「月並みですがスケール感、スタジオ1つ取っても大きいですし、働いているクルーの数も多い。僕らは1つ1つトレーラーが与えられて、それが控室になっている。日本ではそれだけのスペースがないので、そういうことはできません。全体を作ることはできませんが、空母であったり、戦艦であったり、ブリッジであったり、甲板の一部であったりは作ってありましたし、それだけでもボーリングができるんじゃないかと思うくらいスペースがありました。しかもローランド監督がその場で背景をはめ込んだ映像を見せてくれたので、その世界観にすんなり溶け込めたのはありがたかったです」。

浅野は「早い段階で、戦艦の甲板でみなさんとお話をする重要なシーンを演じたのですが、ローランド監督は力が入っていましたし、僕も力を入れていましたから、疑似的にその時間を経験できた感じがありました。緊張感も高まっていいシーンが撮れたと思います。船の中のシーンもいくつかありましたが、内部のディティールにもこだわっていらっしゃいました」。

國村は「いろいろな作品で特殊効果の機材を見てきましたが、今回、すごいなという機材に出会いました。主人公が急降下して爆弾を落とし、それが艦のすぐ脇に着弾するというシーンを撮ったのですが、直径が5~60㎝はあるバズーカ砲みたいな筒が3~4本立っていて、水柱を打ち上げたんです。高さでいえば10mくらいドーンと上がって、爆弾が着弾してできる水柱を再現する特殊効果の道具だったんです。監督もそのシーンの撮影はかなりテンションが上がっていて、『これ何テイクでできるかい、本来なら1テイクでいきたいんだけど』とおっしゃり、日本でもよくある“一発で撮らなきゃ”みたいな緊張感がありましたね。ハリウッド映画で珍しいことです。そして僕が甲板に行くと横からドーンと水柱が上がってその水柱を被るのですが、それが痛いこと、痛いこと。びっくりしました。あそこはCGじゃないんです」。
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ここで、いったん浅野が退室し、アメリカ海軍の分析官、エドウィン・レイトン少佐役を演じたパトリック・ウィルソンからのビデオメッセージがスクリーンに映し出された。

パトリックは日本語で「こんにちは」と挨拶をし、来日できなかったことを残念だと話した上で「この映画は日米両方の視点を大事にしている作品だ。アメリカと日本の海軍を丁寧に描き、これまでにない戦争映画が完成した。ぜひその点に着目してほしい。この映画で僕が最も心を動かされたシーンの1つが日本軍を描いたシーンだった。日本人俳優の活躍は本当に素晴らしかったと思う。悦司の英語は見事だが、僕の日本語は全然ダメだ。ぜひ大目に見てほしい。短い期間だけれど日本語の勉強は楽しかった。いろいろ教えてもらったよ」と語り、最後も日本語で「ありがとう」と締めた。
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続いて、ローランド監督からのビデオメッセージがスクリーンに投影された。モントリオールで新作を作っているローランド監督も「東京にはぜひ行きたかった」と来日できなかったことを残念がり、「この映画を撮る時、僕が重要視したのは日本軍を単なる“敵”ではなく“人間”として描くことだった。戦争映画で人々を描くときにただの敵という描写はよくない。彼らは任務を遂行する人々だ。ミッドウェイ海戦について学び、非常に感銘を受けたことがあるそれは日本人の気質だ。特に日本海軍の人々というのは実に高潔な人々の集まりだった。これは大事なことだから、本当は直接お話したかった。ビデオ参加は想定外だったよ」と語った。そして、配役について、「この作品では日本人俳優が不可欠だ。キャスティングはあちこち探し回った。そしてたくさんの日本映画を見ていたら、豊川悦司という俳優が目に留まった。彼の起用については驚いた人も多かった。彼は山本五十六を演じているが、素顔の彼に軍人の雰囲気はない。だが、さっき説明したとおり、僕は人物の描写にこだわりがあった。悦司にはとても知的な雰囲気があり、高貴さを感じさせる俳優だから、山本五十六役にぴったりだ。本当に素晴らしい仕事をしてくれたよ。浅野忠信という俳優はアメリカ映画で見て知っていた。彼の起用は早くから決めていた。國村隼という俳優に関しても同様で何の迷いもなく決めていた。彼も自分の役を完璧に演じてくれたね。だからこそ、僕が楽しみにしているのが日本の人たちの反応なんだ。とにかく、この作品はアメリカを初めとする世界の観客向けに漫然と撮った映画じゃない。アメリカと日本の観客が対象だ。目指したのは両軍に対する敬意を表することだ。ぜひ、この作品を楽しんでほしい。僕はこの作品をどうしても撮りたくて、長年、努力を重ねてきた。実は20年前から構想を練っていたんだ。やっと公開になって本当にうれしい。楽しんでください」と語った。
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このメッセージを受け、ハワイのプレミアに参加した豊川が監督、脚本家、プロデューサー、アメリカ側のキャストと話をしたときにみんなが日本の観客はこの映画をどういう風に見るかを気にしていたと語った。そして、ミッドウェイ海戦を題材にする以上、日本軍側をどうセンシティブに描くのかということは彼らのとても大きなチャレンジだったとし、「できあがった映画を見ても、彼らのチャレンジは成功したんじゃないかなと思います」と話した。
そして「この3人の中でいちばん英語ができないんで、監督の演出も『今、何て言っていたんだろう?』と聞いたりしていたんで、このお二人には本当に助けていただきました」と恥ずかしそうに語った。
また國村は「余談なんですが…」と断りながら、監督と自分が1955年11月生まれで同じ歳であることを明かし、当時はまだ戦争の影が色濃く残っている時代だったこと、監督がドイツ、自分が日本で日独伊三国同盟の負け組3国の2国の人間がミッドウェイ海戦をの映画を一緒に作ったことに不思議な縁を感じているといい、「撮影しているときに分かっていたらもっと話ができたのに」と残念がった。

人生のターニングポイントを聞かれ、豊川は大学で新歓の時期に演劇部に誘ってもらったことが役者を始めるきっかけになったといい、「演劇部に入らない?とキレイなお姉さんに誘われて、ふらふら部室について行き、そのお姉さん目当てに部室に通っているうちに芝居が好きになった」と話した。
浅野も中学生のときに役者を始めたことを挙げ、舞台出身の國村は映画というメディアに出会ったこととし、「映画はそもそもグローバル。どこの国で誰が作ろうが、できあがった作品はそのまま世界中の人が見るし、見られる。こういうメディアは他にない。このメディアで何ができるのかという興味がすごく強くなった」と語った。

そして、戦後75年の節目に、本作をどのように観てほしいかという質問に対して、國村は「僕ら世代が最後かもしれない。両親は戦争の渦中にいましたから、その話を聞いたり、両親を通して何となく感じたり。でもだんだん世代交代が続いて、戦争の記憶は史実の中のことになっている気がします。このミッドウェイ海戦を通して、かつて日本が起こした戦争という過ちをちゃんと記憶として風化させないように、この作品を見てくださった人に戦争のことを知ってもらえたらなと思います」と語った。
浅野は自分がクウォーターであることを明かし、「戦争はいけないことですが、それがあったから祖父母が出会い、自分が生まれた。その自分がこういう映画に出演する。不思議なことだなと思います。世界中の人が力を合わせて、映画を作れるということに感謝したい。どうか作品を堪能してください」と繋げた。
最後に、豊川は「楽しさも悲しさも、痛さや辛さ、笑うこと、泣くこと、いろんな感情を映画から学びました。考えてみたら役者をやる前、子どもの頃からいろんな映画やドラマの中でいろんなことを学んできました。楽しみながら学べるのは映画の本当に素晴らしいところ。この『ミッドウェイ』を観て、何かを感じたり、楽しんでいただけると素晴らしいものになると思います」と語り、トークイベントは幕を閉じた。

『ミッドウェイ』
監督・製作:ローランド・エメリッヒ 
脚本:ウェス・トゥーク 
出演:エド・スクライン、パトリック・ウィルソン、ルーク・エヴァンス、アーロン・エッカート、豊川悦司、浅野忠信、國村隼、マンディ・ムーア、デニス・クエイド、ウディ・ハレルソン
2019年/アメリカ/カラー/138分
配給:キノフィルムズ/木下グループ
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公式サイト:https://midway-movie.jp/
TOHOシネマズ日比谷ほか全国公開中