イランのリアルな暮らしを観てほしい
日本イラン国交90周年の2019年に完成し、昨年イランのファジル映画祭でお披露目された日本イラン合作映画『ホテルニュームーン』。日本での公開が、ようやく9月18日からに決まり、日本側のプロデューサーを務めたショーレ・ゴルパリアンさんにお話を伺いました。
映画美学校での試写の間にお時間をいただいたのですが、取材場所は1階のカフェ。
キアロスタミ監督が『ライク・サムワン・イン・ラブ』の撮影を前に、ここでショーレさんと打ち合わせしていた時に、2度お目にかかったことのある懐かしい場所です。
ショーレ・ゴルパリアンさんのご功績については、「2018年日本映画ペンクラブ賞特別功労賞」を受賞された時の
レポートをご覧ください。
『ホテルニュームーン』© Small Talk Inc.
*ストーリー*
イランの首都テヘラン。大学生のモナは、小学校の教師を務める母ヌシンと二人暮らし。父は自分が生まれる前に山で友達を助けようとして滑落して亡くなったと聞かされている。モナはボーイフレンドのサハンドと一緒にカナダへの留学を画策しているが、母は門限も8時と何かと厳しく、言い出せないでいる。そんなある夜、母が化粧をして出かけるのを知り、そっと後をつけ、ホテルで見知らぬ日本人男性と会っているのを見てしまう。
母が隠したパスポートを家探ししていたモナは、若かりし頃の母が赤ちゃんを抱いて、先日会っていた日本人男性と一緒に映っている写真を見つける・・・
シネジャ作品紹介◎ショーレ・ゴルパリアンさんインタビュー◆日本イラン国交90周年記念作品― まずは、日本イラン国交90周年の2019年に、『ホテルニュームーン』を完成させられましたこと、おめでとうございます。ショーレ: 日本イラン国交90周年を目的にしました。いろいろあって公開は今年になったのですが、さらに、コロナがあって9月になってしまいました。日本大使館とイラン大使館に90周年企画として撮ることを報告して、90周年のマークをつけさせてもらいました。何かしてくれることは期待してなかったのですが、在イラン日本大使館は、イラン滞在中、2~3回皆にご馳走してくださいました。在日本イラン大使館のイラン文化センターは、女優のマーナズ・アフシャルさんが撮影の為に来日した時に、車を提供してくださいました。
― マーナズ・アフシャルさんは、2019年の東京国際映画祭で上映された『50人の宣誓』(監督:モーセン・タナバンデ)の主演を務められた女優さんですね。2019年11月4日 Q&A©Persia Film Distribution
ショーレ:イランの商業映画の世界で有名な女優です。
◆筒井監督のイランの若者の映画を作りたいという思いで始まった― 今回、東京藝術大学、大学院映像研究科教授でもある筒井武文監督と、イランとの合作映画を撮ることになった経緯を教えてください。(★ショーレさんは、2014年から東京藝術大学グローバルサポートセンターの特任助教として、イラン人を講師に招いての特別講義などの人事交流に携わっています。)
ショーレ:筒井さんと東京藝術大学で一緒に仕事をしていて、2~3回一緒にイランに行ったことがありました。もともと筒井さんはイラン映画をたくさんご覧になっていて、批評家としてイラン映画のことも書いてくださっていました。2017年に筒井さんをテヘラン大学映画科に案内したのですが、その時に撮影の現場を見たいとおっしゃったので、カマル・タブリーズィー監督の撮影現場にお連れしました。「エネルギーが違う、いつかイランで撮りたい」とおっしゃいました。そのあと、タブリーズィー監督と一緒に食事をしたときに、「テヘランを舞台に、イランの若者の話を撮りたい」と筒井さんが言ったら、タブリーズィー監督は「撮りましょうよ」と。そして、脚本はナグメ・サミーニーさんに書いてもらってはどうかという話になりました。ナグメさんが日本に来ていた時に筒井さんがお世話したし、私の親友でもあるし、タブリーズィー監督の映画の脚本も2本書いているという繋がりがありました。
その時、タブリーズィー監督は『Marmouz(英題:SLY)』というコメディを撮っていて、その映画のプロデューサーであるジャワド・ノルズベイギを紹介してくれました。ジャワドは私のことを知っていましたが、私は彼のことを知りませんでした。筒井さんと一緒にジャワドに会ったら、彼はインドとエンターテインメントの合作映画を撮ったことがあって、日本とも合作映画を撮ってみたいと言ってくれました。実はインド人にはすごく騙されたけど、ショーレも間に入っているし、日本人には騙されないだろうと日本との合作に乗り気になってくれました。それが2017年のことでした。2018年になってナグメに脚本をお願いしました。
ナグメ・サミーニーさん 来日の折の
講演会の様子はこちらで― ナグメさんに脚本をお願いするときに、筒井さんからはどんな注文があったのでしょうか?ショーレ:筒井さんはイランに行くとテヘラン大学で若い人と会っていたのですが、日本で紹介されているイラン映画には、ほとんど若い人が出てこないので、若い人を主人公にしたいとスタートしました。ちょうどナグメが国際交流基金(Japan Foundation)の招聘で6か月日本に滞在することになり、筒井さんはアドバイザーになって、よく会うことになりました。
母と大学生の娘の話をナグメが考えて、間に私が入って筒井さんと話して、日本との繋がりを簡単にではなく、ドキュメンタリー風に入れようということになりました。
私は、1991年~92年に、イランから労働者が大勢日本に来た時に、八王子のイラン人たちを取材したことがあって、現状をよく知っていましたので、ナグメにその時の話をしました。日本に来た中には女性もいたし、日本で受け入れた会社の社長の中には、いい人もいれば悪い人もいたなど、色々な話をしました。会社の社長が優しい人であれば、困っていれば助けたり、家に招いたりしていました。
映画には、その取材の時に知り合ったメヘディというイラン人が出演しているのですが、日本人と結婚して、今や彼は社長の右腕となっています。実際に彼が働いている八王子の工場で撮影させてもらいました。
日本でのことはすべて私が教えてあげたことからナグメが脚本にしています。
◆タブリーズィー監督は、私を救ってくれた仏陀― ショーレさんがプロデューサーとして、かかわった映画は何本目ですか?ショーレ:イランだけでなくてアフガニスタンやタジキスタン、クルディスタンなども含めて、12本くらいです。
ほんとにこれまで製作コーディネーターをいろいろしてきたのですが、本格的にイランの商業映画を作ってきたプロデューサーと組んだのは初めてで、スタッフがちょっと違って、こんなに苦労したのは初めてでした。
これまではアート系の映画がほとんどでした。アジアフォーカス福岡国際映画祭や釜山映画祭に出品される監督や、ジャリリ監督のように自分でプロデュースしている方などと合作を作っていましたので楽でした。今回は本格的に商業映画の世界に入ってしまった苦労がありました。
― 商業映画の世界でどんな苦労があったのでしょうか?ショーレ: 筒井さんはぜひイランで撮りたい、日本部分は短くしましょうとおっしゃって、80%イランで撮りましょうということになりました。予算のことを考えると日本ではお金がかかりますし。
イラン側のプロデューサーは商業映画を撮ってきた人なので、口出しするのを止めるのが大変でした。芸術映画の監督は、映画のクオリティばかり考えるけど、商業映画のプロデューサーは、どうやって予算を抑えようということを考えます。一番助かったのは、タブリーズィー監督にアドバイザーになって間に入っていただいたことでした。すべてタブリーズィーさんに相談したり、まかせたり、怒ってもらったりして進めました。最後まで可哀そうでした。
ミーティングをすると、イランのプロデューサーがこんな場面を入れましょうということに対して、ナグメと私は、それはありえない、くだらないと思うことがあって喧嘩することが多かったです。2回すごく怒鳴って止めさせたことがあります。
筒井さんが「今、なんと言ってるの?」と聞いてくるのを、「今は喧嘩してるので、あとでまとめて教えてあげます」と言ったこともありました。
例えば、イランでは夫婦であることを証明しないとホテルで同じ部屋に泊まれません。結婚前の二人が一緒に泊まるというシーンがあると検閲で許可が取れないというので、そこは、一時婚という形でと説得したりしました。
また、婚外子を養子にすることについて、イスラーム法では認めてないので、イラン側のプロデューサーが難色を示しましたが、日本では可能と説明しました。
タブリーズィー監督が撮っている映画は芸術と商業映画の間ですから、よくわかってくれて、間に入って説得してくれました。
カマル・タブリーズィー監督
2014年8月 「イラン 平和と友好の映画祭」でお会いした時の様子は
こちらで― タブリーズィー監督は、この映画にほんとに深く関わってくださったのですね。ショーレ: 私がマーナズさんの日本撮影中、彼女の面倒を見られないと言ったら、日本まで一緒に来て、ずっと現場にいてくれました。私は彼のことを「悟りくん」と呼んでいます。私にとってタブリーズィー監督は悟りを開いた仏陀です。あとからあとから問題が起きても助けてくれました。素晴らしいイランのベテラン監督。すごくお世話になりました。日本との合作で、『風の絨毯』や、間寛平さんが出演している映画で沖縄映画祭でだけ上映した『ラン アンド ラン』の2本を作っていますので、日本のこともよくわかっています。
『ラン アンド ラン』は、イランで公開してすごくヒットしました。吉本が権利を持っていて日本で公開できないのがすごく残念です。
◆「イランのヌシン、日本のおしん」は偶然― 母親の名前がヌシンというのは、イランでの「おしん」人気を意識したものですか?ショーレ:たまたまナグメが最初からヌシンの名前で書いていました。
― 小林綾子さんが出演されているのも、イランの人たちは喜びそうですね。© Small Talk Inc.
ショーレ: 「イランのヌシン、日本のおしん」と後からSNSで話題になりました。
小林さんはおしんの小さい時を演じた子役だったけど、今は立派な役者です。プロデューサーがホテルでヌシンがおしんの写真を見ている場面を入れようというので、それはやめてくださいとお願いしました。
おしんはもう30年も前の話。二つの国の文化を近づけるのは、ほんとに大変です。私の苦労は目に見えません。間違いを起こさないようにするのは説明できないくらい大変でした。イラン側には、日本はこうじゃないという説明もしなくてはいけないですし。長年の経験が助けてくれました。
ナデリ監督とキアロスタミ監督の二人と仕事をした人は、すべての世界で何でもできるだろうとイランで言われています。ほんとに大変でした。二人と仕事をしたのは私だけです。筒井さんは楽でした。筒井さんのすごくいいところは、イランでイラン映画を撮りたいから、イラン人の助監督たちやスタッフの気持ちをわかろうとしてくれたところです。
◆イランの映画現場では何があっても何とかしてしまう― それでも、筒井さんが折れなかったということはありますか?ショーレ:日本では自分のテリトリーなので意見することもありましたが、イランではなかったですね。イランのスタッフはいつもそうなのですけど、皆、臨機応変にやってくれます。キアロスタミさんがよくおっしゃっていたのですが、日本のスタッフはガチガチで余裕がなくて対応できないことがあります。イランのスタッフは余裕があります。イランのスタッフは何があってもなんとか対応してしまいます。お金がなくても、雨が降っても! 筒井さんはイランで幸せそうでした。
監督補にモーセン・ガライ(Mohsen Gharaie)をつけてもらいました。映画は二本しか作っていませんが、2017年の釜山映画祭で、映画「Blockage]で最優秀新人作品賞しました。私の友人でよくわかってくれる人。絶対、この人をつけてくれないと映画を撮らないとお願いしました。モーセンが納得すると、筒井さんもなるほどと納得してくれました。
―イランと日本の製作現場の大きな違いは?ショーレ:先ほども言ったのですが、性格的にはイランの方が余裕があります。皆がなんとかなると思う性格だから、リラックスできます。何回も経験しているのですが、『沈まぬ太陽』の時もなんとかなりました。日本では小さな問題が起きるとパニックになってしまいます。日本はきちんとし過ぎ。性格の違いだと思います。キアロスタミさんはじめ、日本の映画の現場を経験したイランの監督は皆言ってます。計算しすぎるし、型にはまっているから、ちょっと違うことをしようとするとパニックになってしまいます。誰かが遅れてくると、もうダメです。日本は難しい。日本の方は決められたことを厳格に守ります。映画は生き物。調子のいい時もあれば悪い時もあります。マーナズさんは大スターだから我が儘で、何度も来なかったり、遅刻してきたり、お腹が痛いからと帰ったこともありました。イラン人は平気だけど、筒井さんは困ってました。
◆普通のイランの暮らしがさりげなく描かれているのが好き― 映画の中で、今どきのイランがちらちらと出てきましたね。例えば、整形手術の話や、警察に捕まったのは、また服装チェック?とか、タクシーをアプリで呼ぶ、海外への留学、おしゃれな「カフェ キオスク」など、今のイランが目立たないように入っていて、そういうところを日本人が見てくれるといいなと思いました。ショーレ:それがまさに私の狙いでした。ナグメとも話したのですが、日本で紹介されているイラン映画は、芸術的で暗いものとか、政治的、社会的なものが多くて、私たちの普通の生活があまり描かれていません。イランに行った日本人が見るのは普通の生活。ナグメの上手なところは、それを目立たないように入れていること。柳島克己さんのカメラもそれをうまく捉えているし、筒井さんの思いもそうです。今のイランを説明しているのが、この映画の良さです。ほんとのイランを知りたければ、ぜひこの映画を観てほしいです。
― 住まいも、ヌシンのアパートメントはモダンな雰囲気、ヌシンのお母さんの家は、昔ながらの住宅でした。ショーレさんのお母さんの家もあんな感じですか?© Small Talk Inc.
ショーレ:私の家はヌシンのアパートのような感じで、お母さんの家は昔風。小さいときは、あんな家で育ちました。
おばあちゃんの世代、40代の女性の世代、20代の女性という3世代の考え方の違いも描いています。ヌシンの友人のロヤはお金持ち、ヌシンは中流のシングルマザー。今のイランの社会を細かく入れています。こっそり恋人を作る娘もいるし。明るく、普通に生活感を出している映画です。キッチンやイランのお料理も出ていますし。
私は自分が関わった映画をあとから観ることはあまりしないのですが、この映画は何回観ても面白いと思います。
◆躾の厳しいヌシンは、私の母のよう!― 大学生の付き合い方も今どきの感じですね。親が急に帰ってきて、恋人がクローゼットに隠れてましたね。
ショーレ:それって、皆、経験しているでしょう。帰ってこないと思っていたら帰ってきたとか。母と娘の話でどこにでもある話なので、自分のこととして観れると思います。
― 大学生のモナを演じたラレ・マルズバンさん、利発そうで可愛かったですね。ショーレ:21歳から26歳くらいまでいろいろ候補があったのですが、オーディションの最後の最後に彼女が出てきました。筒井さんが選んだのですが、映画は初めてです。舞台の役者をしていて、オーディションなのに筒井さんと舞台の話ばかりしていました。筒井さんが頭がいいと感心していました。ただの美人じゃなくて、誠実で頭がいい子です。主役は初めてでしたけど、これからどんどん出ると思います。
撮影現場はイラン的にころころ変わるのに、ちゃんと対応していました。恋人サハンド役のアリ・シャドマンも、テレビや舞台に結構出ていて、よく対応していました。若手二人がほんとに素晴らしかったです。
© Small Talk Inc.
― モナのパソコンをあけると、「ママ、見ないで」と大きく書いてあって笑いました。ショーレ:躾が厳しいママへの反発ですね。映画製作が実現しませんでしたが、広島を舞台にした『貞子』はナグメの脚本で、あの時から彼女と親友です。日本に来ると、私の家に泊まるくらい。私の子ども時代に母がすごく厳しかった話もしましたので、ヌシンは私の母。イランの私の友達からみると、ヌシンはショーレのお母さんみたいねと言われます。母は厳しくて、門限もうるさかったです。8時を1分過ぎたと言われたこともあります。男の子と話していると注意されたこともあります。日本に来たヌシンは労働者だったから、私とは違いますが。
◆イランでは未婚で出産したことは口に出せない― 日本に出稼ぎにきた中に女性もいたのに驚きました。ショーレ:いました。女性がいっぱい働きに来ていたのを日本人が知らないだけです。
未婚で妊娠したら家に戻れないというのもイランの現実です。母親に出来ちゃったとは、今でもイランでは言えません。日本人には理解できないかもしれませんが。
― シェナースナーメ(政府の発行する身分証明書で、出生から亡くなるまで結婚や選挙投票の記録なども記される)の父親の欄はどうなってるのでしょう?ショーレ:お金を払えば名前を借りることができます。映画が長くなるから、そこは入れませんでした。イラン人にはよくわかります。テレビドラマだったら、工場のイラン人に妊娠がばれて、生まれたら、誰かの名前を借りてシェナースナーメ(ID)を作ってイランに連れて帰るという場面を入れるところです。そうしないとパスポートも発行して貰えないから連れて帰れません。
イランのプロデューサーも、イランでの上映許可を取るのに検閲でいろいろ言われたら困るから、どうする?というので、一回、頭にきて、「イランバージョンと日本バージョンを作りましょうか」と言ったことがあります。イランではイランの規則があって、なんでもかんでも上映はできませんから。
◆イランは映画の天国。皆、役者!― ヌシンが教師をしている小学校の生徒たち、可愛かったですね。ショーレ:小学校での場面、よかったでしょう。ロケは半日。後ろに山が見えて、すごくいい場所でした。サーダバード宮殿より上の、エビン刑務所にも近い山のふもとにある学校です。突然行って、「撮影してもいいですか?」とお願いしたら、「いいですよ」って。子どもたちが可愛くて大好き! ほんとに即興でした。皆が1階の教室で勉強してるところの2階の教室を借りて撮りました。子どもたちのお母さんたちは、休憩中にマーナズを取り囲んでサインしてもらってました。
― 男の子たちは、突然その日に映画の撮影といわれたわけですね。ショーレ:男の子たちは、何をやっているのか、わかっていません。キアロスタミさんの手法なのですが、監督補のモーセンが、まずカメラを教室に置いて1時間位ほっておきました。子どもたちは最初は珍しいけど、だんだん気にしなくなります。筒井さんが先生の席に座っていたら、子どもたちは筒井さんが珍しいから皆サインを求めて、全員にサインしてました。たぶん40枚以上! 一人一人名前を聞いて、モハンマドとかアリとか、もちろん日本語で書いてあげてました。それを1時間か2時間くらいやっていて、子どもたちはカメラがあっても平気になっていました。あの場面、すごく好きで、もっと長く入れてくださいとお願いしたのですが、これ以上長くならないと言われました。先生が部屋から出てくると、男の子たちがぱぁ~っと寄っていくところも大好きです。あの日はほんとに楽しかったです。
― ホテルもよかったですね。ショーレ:田中社長が泊まっていたホテルは、山の手の日本大使館に近いアルゼンチン広場。ホテルニュームーンはバーザールの裏手の下町のホテルを使いました。撮影のために1日誰も泊めないで撮らせて貰いました。千円位で泊まれるホテルです。ベッド1つの部屋と、4つくらいベッドがあって家族で泊まれる部屋もあるホテル。筒井さんはあの地区が大好きでまた泊まりたいと言っています。
看板を変えていますが、フロントの男性はほんとにそのホテルの人。彼はほんとに上手で、抱き上げたいくらいでした。普段通りやってくれて、何度も撮り直したのですが、さりげなく自然に紅茶を出すのもすごく上手でした。「役者にならない?」と聞いたら、ホテルでいいですって。ホテルをやめる位なら消防士になりたいと言われました。電話をかけていたのも、適当に自分で作って話してましたが、ほんとに自然。イランは映画の天国。皆、役者です。
ヌシンが廊下で座って娘を待っている時に、外を奥さんと女の子が通る場面も、監督補がお母さんが娘を待っているシーンだから、親子を通らせたいなと、ちょうど来た親子にお願いして、何度か歩いてもらいました。嫌がらずにやってくれて、最後は「ありがとうございました!」って言って終わり。ほんとに映画の天国です。
◆編集のリズムもイラン的― 鯉のぼりが家族の象徴として出てきましたね。ショーレ:男の子の節句の飾りと思っていたら、永瀬正敏さんがお父さんお母さんと子どもと教えてくれました。
© Small Talk Inc.
― 最後に鯉のぼりを出したのも永瀬さんのアイディアですか?ショーレ:そうではなくて、イラン人の編集のソーラブ・ホスラビが日本のシンボルとしてアイディアを出してくれて、筒井さんもOKしてくれました。もともと桜と富士山はやめてくださいとお願いしていました。イランのプロデューサーが桜って言ったのを、絶対やめてくださいと。鯉のぼりだったら、イラン人は観たことがないし、家族の話なのでふさわしいと思いました。
編集のリズムもイラン的です。日本だともう少し遅いです。80%舞台がイランなので、日本部分もソーラブ・ホスラビにイランから来てもらって1週間位滞在して、筒井さん立ち合いのもと編集してもらいました。そのほうがイランのリズムが出ると思いました。
筒井さんから、もう少しリズムを落としたらと言われたこともありましたが、「イランのリズムはこれです」と納得してもらいました。あまりゆっくりだと飽きるでしょう。モナが家探しするときも、動きが早いでしょう。あのリズムに合わせています。
あの場面で、田中が持ってきたプレゼントを、モナが見つけるのですが、あの箱に入っていた2枚のスカーフを、最後の病院のシーンで二人がしています。ピンクをモナ、青をヌシンがしています。母親を許したので、日本人が持ってきたプレゼントをしているのです。
◆母子手帳は息子を産んだ時のものを提供― あの箱に逗子市と書いた母子手帳が入ってましたね。ショーレ:あれは私が息子を産んだ時のものです。ちょうど1990年の初頭。住所は書き換えています。
― 最初に出てくる日本風の木造の橋は?ショーレ:あれは逗子です。私がよくいくカフェの近くです。どこにでもありそうな橋。
― どこにでもないですよ。風情がありました。ショーレ:日本での撮影は、郊外の雰囲気のあるところを選びました。高台にある田中社長の家は、芸大がよく撮影に使っているゲストハウスです。工場は実際に八王子にあります。メヘディに電話したら、うちで撮影すればいいよと言ってくれました。
― イランに行って、日本に来ていたイラン人の友人を訪ねると、日本にいたときのアルバムを見せてくれて、仕事はきつかったけど楽しかった、社長が優しかったなどと話してくれます。ショーレ:田中社長のような人が大勢いたと思います。この映画には日本人の優しさも出ていますよね。イラン人の優しさも出ていて、ほんとに優しい映画だと思います。柳島克己さんの撮影が上手だからカラーもいいですし。
◆イランのリアルな暮らしをぜひ観てほしい― やっと公開されるのにあたって、観客の皆さんに是非伝えたいことは?ショーレ:残念ながらイランのことはニュースからしか知ることができません。たまにNHKでイランの自然を見せる番組はあっても、日本の番組でイランの普通の生活を見せるものが少ないです。トルコなど周辺国だと、誰かタレントが普通の家に行く番組もありますが。 映画も映画祭などで上映されるものではイランの普通の生活があまり見えません。この映画は、イランの普通の人たちの暮らしに近いものを描いています。人物もリアルです。キアロスタミさんたちがつくるようなドキュメンタリータッチの劇映画とも違いますが。日本でもありえるようなシングルマザーが頑張って娘を幸せに育てたいという姿も描いています。
― ショーレさんは、長い間、イランと日本の架け橋として、映画を通じて様々な活動をされ、2018年には外務大臣表彰も受けていらっしゃいます。これからも日本とイランの架け橋としてご活躍を期待しています。ショーレ:芸術映画を作ります。イランの商業映画の世界には入りません(笑)
― 芸術映画でも、ぜひイランの今を見せてくれるような映画を期待しています。今日はありがとうございました。スタッフ日記
『ホテルニュームーン』ショーレさんにイランとの合作の苦労を伺いました (咲)
★取材を終えて私が初めてショーレさんにお会いしたのは、1995年のアジアフォーカス・福岡映画祭でイラン映画特集が組まれた時。当時、私はまだ会社員でした。
第1回東京フィルメックス(2000年)の時、宮崎暁美さんから、『私が女 になった日』のマルズィエ・メシュキニ監督インタビューに同席してほしいと声がかかって、初めてインタビューを経験。その時の通訳がショーレさんでした。その後、本格的にシネマジャーナルに関わるようになって、ほんとうに多くのイランの監督や俳優さんの取材でお世話になりました。実は、ショーレさんご自身にきちんとお話をお伺いしたのは初めてでした。最初はちょっと緊張したのですが、商業映画のプロデューサーとバトルした話が可笑しくて、大笑い。イランの女性は強い!と、実感したひと時でした。
試写の終了近くにインタビューを終えたら、ちょうど筒井監督がいらっしゃいました。イラン側のプロデューサーとバトルしている時に、通訳してもらえなくて、そばでたじたじしている筒井監督の姿が思い浮かんで、なんとも微笑ましかったです。
筒井監督は、イランでの公開にあわせて、またイランに行って下町のホテルに泊まって美味しいイラン料理を食べるのを楽しみにしていたのに、コロナのせいで行けなくなり残念とおっしゃっていました。
イランと日本、それぞれでこの映画の受け止め方も違うと思います。それぞれの感想を聞いてみたいものです。
取材:景山咲子
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『ホテルニュームーン』原題: Mehmankhane Mahe No(英題:Hotel New Moon)
出演:ラレ・マルズバン、マーナズ・アフシャル、永瀬正敏、アリ・シャドマン、小林綾子、ナシム・アダビ、マルヤム・ブーバニ
監督:筒井武文
脚本:ナグメ・サミニ、川崎純
撮影:柳島克己
編集:ソーラブ・ホスラビ
音楽:ハメッド・サベット
サウンド:バーマン・アルダラン
美術:サナ・ノルズベイギ
監督補:モーセン・ガライ
プロデユーサー:ジャワド・ノルズベイギ、ショーレ・ゴルパリアン、桝井省志
協力プロデューサー:山川雅彦
2019年/日本・イラン/93分/1:1.85/カラー
制作プロダクション:アルタミラピクチャーズ
製作:ガーベアセマン、アルタミラピクチャーズ、SMALL TALK
配給:コピアポア・フィルム
© Small Talk Inc.
公式サイト:
http://hotelnewmoon2020.com/★2020年9月18日(金)よりアップリンク吉祥寺、他にて全国順次公開