『ミセス・ノイズィ』天野千尋監督インタビュー

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*天野千尋監督プロフィール*
1982年7月30日生まれ。愛知県出身。学生時代に映研に入って映画作りの楽しさに目覚める。5年間一般企業で勤めて映画学校で学ぶ。2009年卒業。映画に携わり11年目。『さよならマフラー』から『ミセス・ノイズィ』まで短編を含め13本。ほかテレビドラマ「10日間で運命の恋人をみつける方法」監督、アニメーション「紙兎ロペ」脚本など。

*ストーリー*
スランプ中の小説家吉岡真紀は引っ越してきた翌朝、騒音で目が覚める。隣家の若田美和子が早朝にも関わらず、布団を激しく叩いている音だった。真紀の再々の頼みにも音は止まず、お互いにベランダで口論するようになった。小説が進まないばかりか、夫や娘との関係も悪くなった真紀は、その諍いの一部始終を小説に書いて反撃に出る。それがネットやメディアも巻き込む大騒動を引き起こしてしまった。

監督・脚本:天野千尋
作品紹介はこちら
(C)「ミセス・ノイズィ」製作委員会
http://mrsnoisy-movie.com/
★2020年12月4日(金)よりTOHOシネマズ日比谷ほか公開
☆天野千尋監督著「ミセス・ノイズィ」ノベライズが映画公開と同時に発売!

実業之日本社文庫 本体価格680円+税
https://www.j-n.co.jp/books/?goods_code=978-4-408-55630-7

―元ネタの1つになっている「騒音おばさん」が騒がれていたのが、はっきり記憶に残っています。天野監督もご覧になっていましたか?

はい、もう大人でしたから(笑)。大学の最後の年くらいです。
オリジナルの長編を撮りたいと題材を考えていたときに、あの事件のことを思い出しました。当時ワイドショーではエキセントリックなおばちゃんが悪者としてずいぶん騒がれていたんですけど、その後ネットの中で「実はおばちゃんが被害者」「マスゴミにいじめられた」という話が出始めました。様々なうわさが真実味を帯びて拡がっていて、どこまで本当なのかわからないのに、その表と裏の感じが興味深く思われました。
世の中の喧嘩とか、対立のありようを表しているなと思いましたし、これは身近なところから始められて、大きなテーマを描けるんじゃないかと感じました。もちろんそのまま映画にするのではなく、事件を着想の1つとしてオリジナルで「ケンカ」のストーリーを作ろうと。初めは「おばちゃんを主人公」に書いていたんですが、プロットを作っていく段階で表裏を考えると、おばちゃんじゃない方を主人公にしたほうが面白いんじゃないかと。

―おばちゃんの事情は後からわかった方がいいですね。

そうそう。それで別に主人公をおきました。そこに自分が投影される部分が出てきて、モノを作る作家で、生活や子育てにジレンマを抱えているという設定が組上がっていきました。騒音に悩むということから家で仕事をする小説家としたんです。
初稿の段階では、裁判になってお互いわかりあえないけれど、おばちゃんは自分の生き方を変えず、自分の正しさを貫く、というものだったんです。第2稿くらいから、2人を対決させて前へ進む方向に持って行きたいと思い、周りからもそういう意見もあり、変えていきました。

―以前の事件に、今の新しいこと「SNS」にまつわることなど上手にからめて、人とのコミュニケーションやそれぞれの正義のすれ違いを見せています。よくこのストーリーを作られて、よくぞこのお二人(大高洋子、篠原ゆき子)を選ばれましたね!どうやって出会われたんですか?

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ありがとうございます。これ、そもそもはワークショップから始まりました。私が講師、ワークショップオーディションをして、集まった方で作品を作ろうという企画でした。物語は「おばちゃん喧嘩ネタ」でやりたい、という私の要望を受けて、ワークショップ主催の松枝さんが大高さんを連れて来てくださった。芝居見せてもらっていいなと思ったんですけど、問題は大高さん本人が「いい人」すぎる。陽気でネアカで、嫌な人を演じてもいい人がどこかで出てくるんです。それをどう隠すかというのは、撮影中まで苦労しました。
逆に主人公にする人がワークショップの中からは見つかりませんでした。それで自主映画の頃から知っていた篠原さんがいい、とプロデューサーに話し、熱烈オファーしました。

―脚本をつめていく間に、このお二人のイメージも入れていったんでしょうか?

そうですね。書いている段階から主要キャストに台詞や内容の相談をしたり、皆で集まって本読みしたりしながら固めていきました。小規模の作品でキャストとの距離も近く、リハーサルなどもたっぷりできました。

―娘役の新津ちせちゃんは?

ちせちゃんのお母さんの三坂知絵子さんもワークショップに来られていて、子役が必要となったときに「ちせちゃんはどうか」「いいですね」とまとまりました。母子役だと今回ちょっと違うなと、彼女は大家さん役です。現場でちせちゃんの泣く芝居のときに、結構三坂さんが演出してくれるんです(笑)。「用意、スタート」の前に三坂さんがちせちゃんをすごい勢いで怒るんです。ちせちゃんが悲しくなってきて泣きそうになった瞬間に「はいお願いします」って(笑)。

―お母さん助監督?!(笑)。ちせちゃんには心強いし、よかったですね。

そういうのをいやがる監督さんもいるようですが、私は助かりました。

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―主人公の夫は優しそうですが、主人公が子どもを一人で見て家事もやってイライラしています。

あの夫は、いま一歩ですよね(笑)。でも今の一般的な夫の姿ではあると思います。でも海外では、「日本はまだこんな感じなのか」とすごく言われました。家事育児を妻に任せるのが当然のようで「古すぎる」というか。
脚本を書いている時点では、この夫婦の背景として、「妻は今は収入がなくて、夫が稼いでいる。だから妻は家事をやらなくちゃいけない」という設定でした。家事子育てをやらない夫に主人公が文句を言って、言い返されるシーンもあって、撮影もしました。ですが、編集の段階で男性数人に見せたら「これは主人公が嫌な女に見えすぎる。こんなことを言う女は共感されない」みたいな意見がありました。それが日本の男性の感覚なんでしょうが、それに従ってシーンをカットしたりしたんですよ。だから完成した作品は日本の男性にとっては、自分のことのようで身につまされたり耳が痛かったりするかもしれません。でも海外の人が見ると、そこに「古い日本の夫婦感」が見えて引っかかる。
2016年のワークショップの後、いろいろな問題があってなかなか撮影に進めませんでした。1,2年間「もう撮れないんじゃないか」と思うこともありましたが、自分のやりたい企画なのでやきもきしながら何度も脚本を直していました。それが功を奏したというか、その期間があったからこそ今の脚本が出来上がったと思います。その間主人公じゃないですけど、苦しかったですよ。

―もう結果オーライですね(笑)。何事も無駄にならなかった。TIFFが最初のお披露目だったんですね。

2018年の秋に撮影して、2019年の春に完成したんですけど、できたことで安心してしまって公開に向けて誰も動いてない期間がありました。映画祭に(応募して)見つけて拾っていただけてよかったです。

―TIFFでの舞台挨拶で「これは私の反戦映画になるのかも」とおっしゃっていました。

喧嘩やいさかいの構造というのは、「子どもの喧嘩」から「大きな戦争」まで全部おんなじ。いつも思うんですけど、国同士の対立も「子どもの喧嘩」みたいじゃないですか。ものすごく子どもっぽいなと思います。国のトップなのに。

―国のトップが男性だからじゃないですかね。

なんですかね(笑)。女性はあまり意地を張ったりしませんよね。もっとしたたかです。女性がトップだったら外交も全然違ってくると思います。別の問題も出てくるかもしれないけど。
私自身はあんまり人と喧嘩しないんです。もちろん腹がたつことはあるんですけど。でもどこか客観的になっていて、「この人は事情があって怒っているんだろう」とか、「私の発言がムカついたんだろうな」とか想像するんです。夢中になって相手と喧嘩するようなことがなくて、だからこそ世の中の喧嘩を見ていると興味深い。どっちも100%間違っているとか正しいわけでもないのに衝突する。冷静になれば立場が違うと気付くのになぁと思って観ています。

―双方に足りないのは相手への想像力?自分が冷静になるには余裕?「金持ち喧嘩せず」っていいますし、心の余裕は要りますよね。喧嘩のいい解決方法はなんでしょうね?

結局喧嘩は起こると思います。人間が生きている以上昔からずっとやっていることで、なくなることはないので。それでもひどくならないようにするには、やっぱり「別の正しさに目を向ける」ということですかね。
今回は「騒音」がモチーフになっているんですけど、騒音って特に線引きが難しいです。たとえばご近所トラブルでも、庭の木がはみ出している、とかだと、はみ出しているかはみ出していないかは明確じゃないですか。騒音ってグレーゾーンなんですよ。ある人には生活音でも、別の人にとっては騒音だったりとか。
その線引きが難しい問題が喧嘩の種になりやすい。

―目に見えるものでなく、感覚の「騒音」っていうのがミソなんですね。
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これまで女性監督だからと何かやりにくかったことなどありましたか?

自主映画のときは全くなかったです。私が映画を始める少し前の頃から、若い世代の女性監督が増えてましたし。

―発表の場が増えました?

そうですね。出口も増えてきました。さきがけの「桃まつり」という女性監督のイベントがありました。今だったら「moosic labo」とか「21世紀の女の子」とか、女性監督が沢山参加しています。インディーズ映画としては撮りにくいということはなかったです。
ただ焦ったのは、出産したら、急に仕事が途絶えたんですよ。「出産します」とけっこう周りに言っていたんです。もちろん、それだけが原因だとは思いません。私の作家としての実力不足、魅力不足があったと思いますが、とにかく仕事が来なくなって。インディーズのイベントのお誘いも全然なくなりました。そこで初めて男女の壁を感じました。もし私が男だったら少し違ったんじゃないのかなって、妄想してしまいました(笑)。

―子育てで忙しいだろうと配慮されたんでしょうか?

かもしれないです。朝から晩までの撮影は厳しいだろうとか、いろいろあるかもしれないです。でも若い監督もどんどん出てくるし、もうこのまま映画業界に戻れなくなるんじゃないかと、不安な日々でした。
でも一方で、それまでは結構撮り急いで、生き急いでいたというか…頂ける仕事を有り難いと思って、次から次にどんどんやっていたんですよ。その分、本当に自分が撮りたいものが何なのかをじっくり考えるという、作家として一番大事なことを疎かにしていた。怠けていたとも言えます。それが、仕事が無くなった大きな原因かもしれません。

―この間に考えたり、脚本を練ったりされていたんですね。

撮れない時間の不安な気持ちを、これ(本作)にぶつけて書いていました(笑)。
撮れたから結果良かったんですけど、撮れなかったらやめていたかもしれないです。いまだに脚本を直し続けていたかもしれないですけど。
若い女性監督は増えてきていますが、出産しても続けている人ってすごく少ないんです。河瀨直美監督は別格ですけど。同じころに出産だった岨手由貴子(そでゆきこ)監督は、愚痴を言い合ったり、良きママ友です。あと先輩の安田真奈監督とこの前話したんですけど、やっぱり子育て中はしばらく撮れなかったと。脚本の仕事で食いつないでいて、今お子さんがある程度大きくなってやっと撮ったけれど大変だったと、飲みながら話したいですねと言っていました。
実際出産で拘束されるのって2,3か月なんですけどね。

―本人はできる、撮りたいのに、周りができないと思っちゃうんでしょうか。決める立場にある人たちが「赤ちゃんのいる人は家にいるものだ」と。そういう意識がなかなか変わらないのかも。

そうかもしれないですね。でも本作がようやく公開できるので、ここから頑張りたいです。

―ヒットして次に続くことを願っています。

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―天野監督はOLさんだったのをやめて、映画学校に行かれました。そのときに背中を押してくれるようなきっかけの映画はありましたか?

20才くらいまでいっさい映画を観ていなかったんです。全然映画好きじゃなくて、その面白さを知らなかった。年に1本とか、友達に連れられて『タイタニック』とか『インデペンデンスデイ』とか大きい映画を観るくらいでした。アクションとか派手な演出があるものだと思っていました。それが夜中のテレビをたまたまつけたら、モノクロのヨーロッパ映画をやっていて見始めたら面白くて最後まで見てしまったんです。思い返すとフェリーニの『道』だったんです。

―『道』! 傑作を見たんですね。すごくいい出会い!

そうなんですよ。えー、何これ!映画って面白いかも、と思ってまた夜中に映画を見て。『バスを待ちながら』(00)っていうキューバの映画があって、それがすごくいい映画だったんです。バスを待っているんですがなかなか来ない。ようやく来ても一人しか乗れないんです。喧嘩を始めるんだけど、仲良くなって壊れたバスを修理し始めるといういいヒューマンドラマで、ちっちゃい身近な人間関係が描かれているんです。映画って大きな事件を題材にしなくてもこういうことでいいんだなって初めて知って、そこから興味を持ち始めました。
当時2000年代だったんですけど、日本映画の復興期というか、ポップな映画がたくさん作られていた時期。私が刺さったのは『ジョゼと虎と魚たち』(03)や、当時つげ義春が好きだったので、映画化されるというので『リアリズムの宿』とか観たら、やっぱり身近なテーマが描かれて、しかも面白くて。中国の天津に留学していたので、アジア映画、チャン・イーモウの初期作品とかジャ・ジャンク―作品をDVDで観ていました。あと韓国のイ・チャンドンとか、ポン・ジュノとか。
そして帰ってきてから映画観ようというより、撮ろうと思ったんです。大学の映研にいきなり行って、「1本撮りたいんです」って。入部して撮らせてもらいました。それがすごく楽しかった。自分たちで脚本書いて、出演して撮った、この経験が忘れられなくて、一度就職したんですが、映画をちゃんとやろうと映画学校に通い始めました。

―名古屋に映画学校が?

名古屋にはなかったので、東京の映画学校です。仕事で静岡に配属されたので、どうしても東京に転勤してやろうとずっと転勤願いを出して、めでたく転勤しました(笑)。めちゃくちゃ忙しかったです。しかも初めは仕事も全然できなくてすごく怒られて、そのころは学校に行ってる余裕はなくて慣れてからです。でも辞めると決めていたので、ちゃんと貯金してました(笑)。

―そこがエライですね、しっかり計算して(笑)。そのとき一緒に映画を勉強していた方々は監督さんになっていらっしゃいますか?

今も撮り続けてる人は多くないと思いますけど、坂本くんの映画はもうすぐ映画公開になります。富山で映画撮っているんですよ。

―坂本…あ、『真白の恋』(17)の!
*坂本 欣弘(さかもと よしひろ)監督。99号に取材記事を掲載。3月20日より『もみの家』が公開中。

そうそう。同期なんです。あとは役者を続けている橋野純平くんも同期です。あと今泉力哉監督は、当時ENBUのスタッフをやっていて、身近で自主映画を作っていた人の1人です。

―映画の面白さを知ってたくさん観た中から、天野監督のおすすめの1本はなんですか?

それまでが観なさすぎだったので、勉強しなきゃと思って雑食で(笑)、あらゆる角度から観ました。1本あげるとしたら、ポランスキーの一番初めの作品『水の中のナイフ』(62年製作、65年日本公開)です。それはうわーっとなりました。設定がすごいシンプルで、男二人と女一人が船の上にいて、ナイフが1本。で、夜を明かすんですけど、シンプルなのにめちゃくちゃ映画になっていて、サスペンスもラブロマンスもあるし、最後もドキドキできるし。
自分はシンプルな設定をどれだけ丁寧にふくらませるか、というのが好きなんだなって思いました。うん、芸術的だし。

―じゃ目指すのはこれですか?

そうですねぇ。でもこれだと地味すぎて公開できないかもしれない(笑)。

―単館公開の作品も劇場も減りましたしね。どうしても話題作や俳優さん目当てになりますしねー。
この作品なら出たいって言ってくれる俳優さんがいるといいですねぇ。


そのためには脚本が面白く書けていないと。

―これまで青春もの、BLものなどいろいろなジャンルの作品を撮られていますが、これから撮りたい映画は?

今は、実際起きている事件に興味があって、それを題材に膨らませて、と次の企画を色々考えているところです。『テルマ&ルイーズ』(91)も大好きなんです。それで逃走劇とか、書いたりしています。

―わあ、いいですね。それは自主じゃなく、制作会社さんにちゃんとついていただきたい。
どなたか映画に出てもらいたい俳優さんはいますか? 口に出しておくと、どこかでつながるかもしれません。


そうですねぇ。誰がいいかな~。本作と同じ日に公開される『街の上で』(今泉力哉監督)で主演されている若葉竜也さんに最近惹かれます。
(*当時同日公開の予定だった『街の上で』は2021年春に延期になりました)

―若葉竜也さん!ぜひ、つながって出演していただけるといいですね。

=取材を終えて= 
天野千尋監督の取材は初めてでしたが、2012年の”したまちコメディ映画祭”で観客賞とグランプリを受賞した『フィガロの告白』と授賞式を拝見していました。もう8年前のことで、現在は5歳の男の子のママになっていらっしゃいました。
この取材のときはオランダのアムステルダムから戻られたばかり。『ミセス・ノイズィ』がアジアン映画祭のオープニング作品に選ばれて、観客の反応が「リアクションがはっきりしていて、笑ってくれたり、悲鳴を上げたり」で楽しかったそうです。
お時間があるからと、ずいぶん長くお話を伺いました。インタビュー記事は今年春の103号に2p掲載しましたが、このブログは文字制限なし、カラー写真つきです。当時コロナ禍のため春公開の予定が延期、12月となりました。待たされましたが満を持しての大きな劇場での公開になりましたので、たくさんの方が観て、笑って考えていただければと思います。天野監督自ら書かれたノベライズも12月4日発売です。
(まとめ・写真 白石映子)
(2020年3月11日@ヒコーキフィルムズ)

『おろかもの』芳賀俊監督、笠松七海さん、村田唯さんインタビュー

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*プロフィール*
芳賀俊(はが・たかし)監督
1988 年生まれ、宮城県出身。日本大学芸術学部 映画学科 撮影コース卒業後『舞妓はレディ』(14)で撮影助手デビュー。以降、映画・CM 等で撮影助手として活動。近年の参加作品は『モリのいる場所』(18)、『少女』(16)等。撮影を務めた作品に田辺・弁慶映画祭で 4 冠受賞した『空(カラ)の味』(16)、『ボーダー』(11)がある。本作『おろかもの』が初監督作品。

笠松七海(かさまつ・ななみ)
主人公の友人を繊細に演じた『空(カラ)の味』(16)で注目を集める。 主演を務めた『かべづたいのこ』(15)での演技により、福岡インディペンデント映画祭2016俳優賞を受賞。同じく主演を務めた『はじめてのうみ』(17)はテアトル新宿等で劇場公開された。本作『おろかもの』で第13回田辺・弁慶映画祭俳優賞、 横濱インディペンデント・フィルム・フェスティバル 2019 俳優賞を受賞。 他の出演作に『サイモン&タダタカシ』(17)、『次は何に生まれましょうか』(19)、 主演を務めた『アルム』(20)等がある。

村田唯(むらた・ゆい) 1988年生まれ、北海道出身。日本大学芸術学部映画学科卒。俳優・監督として活動している。自らが初監督・脚本・主演を務めた映画『密かな吐息』(16)はゆうばり国際ファンタスティック映画祭や田辺・弁慶映画祭など数々の映画祭に入選、 後に劇場公開された。また、監督作『デゾレ』(17)では MOOSIC LAB 2017 にて三冠を受賞。監督・脚本・出演等を務めたフェイクドキュメンタリー 『よーびとおいしい台湾失恋旅。』(20)が LINE VISIONで配信される等、監督としての活動の幅を広げている。俳優としての出演作に『退屈な日々にさようならを』(16)、 『サヨナラ家族』(19)等がある。本作『おろかもの』で第 13回田辺・弁慶映画祭俳優賞、Seisho Cinema Fes 3rdコンペティション中長編部門ベストアクトレス賞を受賞。

監督:芳賀俊・鈴木祥
脚本:沼田真隆
撮影:芳賀俊
出演:笠松七海、村田唯、イワゴウサトシ、猫目はち、葉媚、広木健太、林田沙希絵、南久松真奈
作品紹介はこちら
©2019「おろかもの」制作チーム
★2020年11月20日(金)、12月4日(金)〜10日(木) テアトル新宿にて計8日間
12月18日(金)〜21日(月) シネ・リーブル梅田にて計4日間レイトショー公開

若手映画監督の登竜門、田辺・弁慶映画祭でグランプリを含む史上最多5冠受賞。SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2019では「観客賞」と、昨年の映画祭シーズンの台風の目となった『おろかもの』の公開が決まりました。上映劇場となるテアトル新宿で、芳賀俊監督と主演の笠松七海さん、村田唯さんにお話を伺いました。
*文中でストーリーに触れています。ネタバレさけたい方は鑑賞後にどうぞ。

―ご自分の役をご紹介ください
笠松 私 笠松七海が演じたのが主人公の高城洋子という高校生の女の子で、結婚間近のすごく仲良く大好きだったお兄ちゃんが、実は裏で自分の知らないところで浮気していて、そこにショックを受けてから始まる物語です。
村田 私は深津美沙という女性を演じたんですけど、ずっと浮気とか不倫とか、そういう恋愛をして生きてきた女性です。今回この映画で生きている時間はどんなことが起きるのか、彼女なりの挑戦や成長をしているときなのかな。

―ちょうど結婚しようかどうしようか迷う微妙な年頃でもありましたね。妹の洋子はまっすぐに考える女子高生ですが、美沙は浮気相手にも関わらず、つい味方したくなるような魅力のある女性でした。監督がお二人をキャスティングしたポイントは?

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監督 実はこの作品は脚本の段階で、誰が誰を演じるかあて書きしていました。なぜそうなったかというと、まず笠松七海が普段よく人を見ているんです。何かを見ているときの七海の顔だけで映画が絶対撮れると思っていました。
そして元々最高だと思っていた村田唯という女優がいて、彼女たち主演で映画を作れないか?と脚本家の沼田くんと1 年くらい話していました。沼田くんが「七海が何かを見た瞬間からこの物語を始める」と言って、何を見てるか考えてこういった物語が生まれました。

―じゃあ、「人ありき」だったんですね。前々からのお知り合いですか?
監督 村田さんとは大学の同期です。村田さんが監督した作品とか出ている作品とかをスタッフとして手伝ったりしていました。また、別の監督の作品で僕がカメラマンをやっている時に七海さんが出演していて、なんて素晴らしいんだろ、もっと撮りたいなって思っていたらあっという間にクランクアップしてしまったんです。
―それはいつのことですか?
監督 2015年くらいですね。
―それからずっと思い続けて?
監督 ずっと、そうですね(笑)。
―役者みょうりにつきますね。
笠松 そうですね。嬉しいです。でもその現場にいるときから、「絶対映画作ろうな」って言ってくださってて。芳賀さんはいつでもプラスのことを言って、ずっと褒めてくださるんですよ。だからそのときも「あ、はいはい」って感じで流してたんです。(笑)それが実現するとは。

―村田さんは監督もなさって、物語を作っていく立場もわかっていらっしゃるわけですが、この物語について女性としてどう思われましたか?私の周りではお兄ちゃんモテすぎで男に都合がいいとか、監督のモテたいという願望か、などという感想がでました(笑)。
村田 監督は今までに一緒に映画を作ってきている仲間というか、すごいいい関係でやってきました。この現場に立つまでに、脚本の第一稿が上がったところからずっと脚本を読んでいろんな話をしながら、私もいい意味で少しずつ変化しました。最初はやっぱり女性的な気持ちが強くて、見たものしか受け取れない時期はあったんですけど。実際演じているうちに、イワゴウさんが演じた健治もちゃんと一人の愛される魅力のある人間として描かれていたので、最終的には男性に都合がいいとかは思わなかったんです。
現場では美沙としてイワゴウさんに会っていたので、自分が観ていないバーでのシーンを試写で観た時に、彼に人間味を感じました。男として、お兄ちゃんとして、の辛さが表情で見えて、それぞれの人生や感情が描かれていると思いました。

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―では、七海さん、妹の立場としてはいかがですか? 自分だったら別の行動をとる、とか思いませんでしたか?
笠松 そういうのは全く思わなくて。脚本を読んで「そういうお兄ちゃんのいる子なんだな」だけだったので、そこからこういう風にすればいいのに、とかは特に思わず。
―設定をそのまんま受け入れていく、ということなんですね。
笠松 あまり違和感もなく。イワゴウさんが兄役というのを知っていたのもあって、イメージができたというか、物語に対して何の気持ちの滞りもなく、と言う感じです。

―監督としては、素直に受け取ってくれる俳優さんですごく演出しやすいですね。現場によっては異を唱える方もいたりしませんか?
監督 ああ、脚本になにか問題があるとか、登場人物の心理の流れに不自然なことがあるとそういうこともあります。この映画に関しては、脚本の段階でしっかりと描かれていたので、そういうことはありませんでした。僕は読んだとき、こんなに面白い脚本はないと思いました。

―面白かったですね。どのキャラも立っていて、これまでにない初めての設定でした。この設定が生まれるきっかけがあったんでしょうか?
監督 さっきの「願望か?」という話でいえば、その願望から遠く外れたところにあるんです。なんでかというと、この映画の構造上、イワゴウさん演じる健治というキャラクターは悪役なんですね。この映画は女性たちの視点・・・洋子の視点、美沙の視点で描かれています。悪役は登場人物たちに葛藤を与える存在です。いわゆる感情のうねりを作る存在。僕の親しい人の関係者にもそういう存在がいて、家庭内をひっかきまわされた経験があるんです。けっこう大変だったんですが、そういう人ってなんでか憎めないんですよ。映画では事故に遭いますが、その人は病気になって、でもすぐ治って(笑)。
この作品でも、健治が罰を受けていない。例えばあの結婚式で、美沙がぶちこわして終わりにさせるということもできたかもしれないんですけど、それをやったら美沙がもっと不幸になる。だからああいうエンディングになりました。
彼女たちの視点で描いているので、観客にとって健治は好感度の高い役ではないんです。だから僕は羨ましくない(笑)。
だからこそ、イワゴウさんにお願いしました。彼の笑顔は見ている人が憎めなくなっちゃうので。あの役をほんとに憎たらしい感じにしてしまうと、男性を悪として決めつけてしまうことになります。この世に悪人って…いますけど、完全悪っていないんじゃないか。簡単にジャッジしてしまうと、この映画は根底から崩壊するので、ああいう風にしました。

―サスペンスにもできる設定ですもんね。
監督 危ない綱渡りもしている作品です(笑)。沼田君と僕の近くに、似たような「人たらし」の存在がいたので、そういう人が周りにどのような影響を与えるかというところを描きたかった。そういう人って実際あんまり得ではないんです。実はすごくさびしかったりする。

―さびしいから拒まないで受け入れてしまうんですね。悪気がないので憎めない。小梅(シャオメイ)ちゃんというキャラが面白かったです。物語のスパイスになっていて。
監督 健治を中心にして人間関係でがんじがらめになっているような存在がいっぱいいる中で、その人間関係の完全に外側にいるキャラクターを配置しました。緊張感の中の気泡のような存在にしたかったので、洋子側には小梅、健治側には同僚の倉木。
―風穴が開きますね。小梅ちゃんは台湾の子という設定なので、とんでもない台詞を言っても変じゃないんですね。脚本うまいなぁ。Twitterでオフショットを見ましたが、みなさん若くて仲良しですね。
笠松 撮影当時は20歳で、もうすぐ23歳です。
―まだまだ高校生役できますよ。
笠松 (笑)

―村田さんは、監督でもこれから発展していきそうですね。俳優さんで稼いで、監督で使う。(笑)
村田 両方やっていきたいですね。

―笠松さんは、これからもずっと俳優さんでいきますか?
笠松 死ぬまで、みたいなことは考えていないんです。お芝居することが好きなので、俳優業は生業としていけたらいいなぁとは思うんですが、やってみたい職業もたくさんあるので。
村田 今 副業とかいろんな仕事をすることで、それが一つの表現になるというか、いろんな生き方ができるというか。
笠松 単純にそうなんですよ。いろんなことをやってみたい。
―みんな実になりますものね。フィールドも拡がるし、何をやっても無駄にしない力があると思います。
村田・笠松 そうだといいんですけど。

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芳賀俊監督

―監督がお二人ですが、分担されたのですか?それとも何でも一緒に?
監督 何でもやったような感じですね。僕が撮影も担当していて、映像面に関しては編集も考えて撮影しました。僕と鈴木君って学生時代から続いているんですけど、良いディベートができる関係なんです。一つのアイディアがどんどん発展していくので、あらゆる材料を話し合って切磋琢磨してきた感じですね。

―日芸の撮影コースが芳賀監督で、鈴木監督は監督コースですね。学生時代から一緒に今までお仕事を続けてきたんですね。お互い「ターミネーターが好き」、というのはいつどこでわかったんですか?
監督 映画の話をしていたら妙に合うなぁと、彼の家に行ったらターミネーターのパンフレットやオモチャが置いてあって(笑)。
―好きなものが一緒って強いですね。
監督 ほぼほぼ食い違わない。今回トリオ体制で、脚本家の沼田くんも日芸撮影コースです。沼田君と映画の話をしていて、意見の合わない映画は3年に1本くらいしかない。同じところで泣いたりして。(笑)生まれた親は違いますけど、同じようなDNAの3人が揃ってキングギドラみたいに(笑)。
―三つの頭で身体は一つ(笑)。
監督 やりやすかったですね。学校の親しい後輩の子たちにもスタッフとして参加してもらって。
今までいろんな現場に行って学んだことが山ほどあります。それぞれがいろんな現場から学んだ感性とか、技術とか、自分たちが身につけたもの、持っているものをこの作品に全部出そうと思いました。
―これはトリオの初長編で、これまで吸収したものややりたいと思ったものを入れ込めた、と。おめでとうございます!
監督 ありがとうございます(笑)!

―撮影期間と仕上がるまでにどのくらいかかりましたか?
監督 撮影期間は10日前後くらい。編集は2週間ぐらい。早かったですね。その後はみんな現場に行っているんでちょっと間があきました。映画祭がだいたい1月ころから始まるので、それに間に合うように。
―映画祭で発表したのと今回のは同じものですか?
監督 同じです。ただ劇場用に色のグレーディングと音響を変えました。
―映画祭で公開して観客に観てもらったときはどうでしたか?
監督 すごい嬉しかったですね。自分たちが狙ったところで笑い声が起きたり、終わった後「このシーンのここが良かった」と声をかけてもらって。自主映画って作っているときは「自分たちの作った映画は絶対面白い」って自信はあったんですけど、「誰からも受け入れられないかもしれない」という不安もある。それが観客のみなさんに受け入れてもらえると、ほんとに涙が出るくらい嬉しい。

―監督の演出はいかがでしたか?
村田 「芳賀ちゃん」と呼んでいます。いると「包まれる」。包んでくれている気持ちになります。今回撮影と監督をやっているので、芳賀ちゃんがカメラもっていてその前でやれば大丈夫だと、完全に安心しています。ここは台詞も音も使わないとわかっているシーンがあると、芳賀ちゃんがカメラ持ちながら自分の感情が声に出ちゃっているんですよ。「ああ最高だ!」って撮っている(笑)。役の感情もありながら、その声もうっすら聞こえていて、なんか不思議なグルーヴがありました。(笑)
笠松 「カット!」じゃなくて「最高!」って。(笑)
監督 教会の走っているところだ(笑)。
―ヒールで走っているところですか?あれは大変だったでしょう。何テイクもしましたか?
監督 3テイクほど。
村田 車がやってきてそれに合わせて二人で走るんです。
笠松 道のところはめっちゃきつかったですね。
村田 楽しかった。

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笠松七海さん

―七海さん、監督の演出については?
笠松 鈴木さんは「一回お芝居見てみよう」と言って通しでやって、その後に「こういう雰囲気で」っていうのを先に言ってくださるタイプの演出だったんです。芳賀さんはカメラが回っているときに、そのカメラを通して芳賀さんの気持ちが伝わってくる。こういう風に撮りたいって今思っているんだな、というのを感じるタイプの演出でした。
―撮影と監督と兼任しているからかしら?
笠松 それもあると思うし、芳賀さんが私に向けている熱量が強すぎて、それがカメラを通して伝わってくるのと、たぶん私と芳賀さんの圧倒的な信頼関係があるからだと思います。この間別の作品で芳賀さんが撮影部さんだったときがあったんですけど、そのときは全然カットがかからないシーンで、ずっと続けるんです。最初は「あれ、まだかからないな」と思っていたんですけど、その後芳賀さんの熱量がどんどん上がってくるのがすごく伝わってきて、それに応えたいと思って私も頑張ったことがあって。現場で芳賀さんの演出といえばそういうことが多かったですね。
―それは受ける人の感度がいいんですね。誰でもは受けられないですよ。
笠松 えー、どうだろ。芳賀さんじゃなかったら…相性もあると思います。
―ほんとにいい相性なんですね。いくら放出しても受け皿がないと。監督、俳優さんに恵まれましたね。
監督 死ぬまで撮っていたいですね。
―死ぬまでだって、どうします?
笠松 頑張りまーす!
―そう言ってもらえるのって幸せですね。
笠松 めちゃくちゃ幸せなことだと思います。このチーム「おろかもの」の方たちってみんな愛が深くて、かつ愛を伝えてくださるので、それに慣れてきちゃうところがあってなんか良くないなと思います。
―よその現場に行ったら何か足りないってことですか?
笠松 すごい孤独に感じて寂しくなります。私はフリーランスなので、事務所に所属してそこのチームがあることもないし、どこまで行っても一人なので、そういうときにここの現場とほかを比べるのはおかしいけど、なんとなく寂しさを感じることがあります。
―ちゃんとした繋がりができたってことなんですね。一生分(笑)。細くても長―い繋がりができたんだと思う。
笠松 嬉しいです。
―それは出た甲斐がありました。監督、待った甲斐がありましたね。
監督 はい。

―よく聞かれる質問だと思うんですけど、自分が出たシーンの中で、ここが好き、見てほしいシーンはどこですか?
笠松 私は「美沙さんのお家から朝帰りしてきて、お兄ちゃんに怒られるシーン」はすっごい楽しくって(笑)、何回でもやりたいと思ったのと、あと南久松さん演じる先生との「三者面談のシーン」も楽しかったです。台詞が全然入ってないみたいなふりして、南久松さんに「もう一回やりません?」なんて言って(笑)、何回もやっていただいて。

―そのシーンどうでしたか?美沙さんは映画の中での演劇でしたが。
村田 美沙として、楽しいシチュエーションだったし、南久松さんが面白い先生で、楽しかったです。洋子ちゃんと美沙が学校の前を歩いているシーンがあるんですけど、一緒に歩いていてすごい幸せに感じたシーンです。しかも天気がほんとに良くて、
笠松 校庭歩いているシーンですよね。
村田 そう。小梅も木の陰に隠れていて。あのときはスタッフ全員「いいもの撮れた!」みたいな気分が蔓延していて幸せでした。
お気に入りのシーンって難しいですね。最初から最後まで人間たちを見つめていて。私は現場にいるときはひたすら「私だったらどうするだろう?」「美沙だったらどうするだろう」とずっと考えていました。そのうえで洋子ちゃんやみんながいてくれて、みんなちゃんと価値観だったり、受け取り方や意思があったので、ここをっていうのは難しい。全部観てほしい。全部好き(笑)。
―逆に難しかったシーンは?
笠松 物理的に、美沙さんの手を取って教会から出て、道を走って行くシーン。道がめちゃくちゃ狭いんですよ。(会議室の)この机の幅くらいしかなくて、カメラと並走しているんです。私はほんとは後ろ向きたくないんですよ、怖いから。電信柱とか標識とかあって人一人通るのがぎりぎりの道を走ってたんです。振りむきたい、と思っても振り向くのが大変でした。私もヒールで履きなれない靴だったので、ズルズル靴擦れして、あれは大変でした。難しかった。

―物理的、身体的ですね。村田さんは?
村田 私は精神的には後半に洋子ちゃんが美沙の家に来てくれたシーン。美沙も苦しいときだし、洋子ちゃんもけっこうしんどいシーンなんです。あのシーンを撮るときには、ほんと辛かったです。役と人間がなんかぐちゃぐちゃになっちゃって、この後どう折り合いをつけたらいいんだろう。悲しかったですね、とにかく。
美沙としても悲しいし、七海ちゃんと洋子ちゃんが一緒の人間になっているから、二人傷つけたみたいな気分になっちゃって。私と美沙と、七海ちゃんと洋子ちゃんで人格が4つあって、どうしたらいいんだろうって。
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村田唯さん

―走っているうちに美沙は吹っ切れたんでしょうか?
監督 吹っ切れてないですね。友達が近くにいたから、そこでもっと傷つくという選択をしないで済みましたけど、走り終わった後に教会の鐘が鳴って、美沙が振り返るところにある種の念がこもっている。結局これは解決しないんです。
現実世界でも自分のことを苦しめた男性をやっつけて、「やった!終わった!」っていうのはなくて、傷ついた痛みって抱えて生きていくしかない。でも隣にその痛みを理解してくれて、自分のことを思ってくれる友達が一人でもいれば、それだけで救われるんじゃないかっていうことで、ああいうグレーゾーンに。完全なるハッピーエンドというのは、この人間関係の中ではできない。それでも人生は続いていく、ということで二人を見送るようなエンディングにしました。
―あの二人の行く末は観た方たちの想像にお任せするということですね。
監督 僕自身もわからないので、あの角を曲がった後に何があるかは。

―監督にはさきほど『ターミネーター』の話を伺いましたが、その後にもこれ!というナンバーワン映画は増えていますか?
監督 増えています。
―その中から1本選んでというのは難しいでしょうね。映画の道に進むきっかけになった作品はなんでしょうか?
監督 中学2年生のときに映画館でやっていた『ロード・トゥ・パーデイション』(2002/サム・メンデス監督)という映画を何度も通って観たんですが、カメラマンのコンラッド・L・ホールが気になって・・・
―映画そのものより、カメラマン?
監督 映画も素晴らしいんですけど。何で素晴らしいのかいろんな要素があるんですけど、役者や演出や脚本がよくて。このカメラはちょっと特別だなと思って、『明日に向かって撃て』とかいろんな映画を観ました。
―カメラに目が行って…それが撮影コースに進ませたんでしょうか?
監督 そうですね。

村田 イ・チャンドンの『シークレット・サンシャイン』(2007/チョン・ドヨン主演)が好きです。衝撃を受けたワンシーンがあります。主人公がなんとかして信じることで自分を救えたのに、たった一言でやっと正常に生きられるかもしれないという信念が崩されたシーンです。私は自分が信じていたものが崩れるかも、という感覚が強い人間で、よく人を疑ってしまうんです。でももちろん人を信じたいし、信じている人もいるんですけど。だからこう映画をやっているということもあって。
―そのひとことって覚えていますか?
村田 確実ではないですけど、覚えています。シチュエーションは、主人公は自分の息子が殺されて、犯人に会いに行きます。自分の宗教で学んだことで「私は神を通じてあなたを許しました」と言うと、その犯人に「知ってます。僕も神から許されました」って言われて、その女性はそこからまた精神崩壊しちゃうんです。そのシーンがものすごくて忘れられないです。
日本のだと、濱口竜介監督の作品が好きです。コアなところだと『永遠に君を愛す』(2009)。河井青葉さんが出ていて、それもある種残酷というか、人間の愛と、それが変わりゆく描き方が「永遠ってなんだろう」と考えさせられた映画です。

笠松 『アダムス・ファミリー』(1991/バリー・ソネンフェルド監督)が好きです(笑)。実写版。公開当時は「おかしな家族、普通じゃない」ってことが宣伝文句だったかもしれないけど、映画を観ると「普通じゃない」ってことが押しつけがましくなくて…いろいろ理由はつけられるけど、そういうことじゃなくて単純に好き!
日本映画だと黒木華さんの『リップヴァンウィンクルの花嫁』(2016/岩井俊二監督)。
監督 今好きだった映画を思い出しました。大好きな映画監督がリドリー・スコットで、『テルマ&ルイーズ』(1991)が大好きです。
笠松・村田 えー、大好き!私も~!
監督 あと『フェイシズ』(1968/ジョン・カサヴェテス監督)も!

=取材を終えて=
・・・と映画談義がつきないまま時間となりました。共同監督の鈴木祥監督は本業のため、欠席。脚本の沼田さんと芳賀監督3人の映画の好みや考えがよく似ていて、キングギドラみたいというたとえが面白かったです。かけがえのない仲間がいることは心強くて楽しくて、人生が豊かになりますよね。3人の映画談義はさぞ盛り上がることでしょう。横で聞いてみたいです(あまりの熱と知識に外野でも脱落しそうですが)。
女優さんへのリスペクトも愛の告白を聞いているようで、あふれるほど愛のある監督でした。「モテたい願望?」などと失礼な感想を申し上げてごめんなさい。笠松七海さんも村田唯さんもとても雰囲気のある女優さんで、これからほかの作品を観るのが楽しみです。
(取材・写真 白石映子)

『タイトル、拒絶』山田佳奈監督インタビュー

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〔プロフィール〕
1985 年生まれ、神奈川県出身。
元レコード会社社員・舞台演出家・脚本家・俳優など、さまざまな肩書を持ちつつ、16 年に短編映画『夜、逃げる』で初監督デビュー。舞台演出で培われた演出方法は抜群で、人間が生きるために発するエネルギーを余すことなく魅力的に描くスタイルに定評がある。
外部作品への書き下ろしも積極的に行っており、主な脚本作に、Netflix「全裸監督」 (19)、朝日放送
ドラマ「神ちゅーんず」(19)、TOKYO MX「劇団スフィア」(脚本監督回『渇望~三十路の祭りに~』)な
どがある。短編映画『今夜新宿で、彼女は』(18)、『カラオケの夜』(18)に続き、本作が長編初監督作品となる。また10月23日には初小説『されど家族、あらがえど家族、だから家族は』(双葉社)が出版された。

〔ストーリー〕
雑居ビルにあるデリヘルの事務所。バブルを彷彿させるような内装が痛々しく残っている部屋で、華美な化粧と香水のにおいをさせながら喋くっているオンナたち。カノウ(伊藤沙莉)はこの店でデリヘル嬢たちの世話係をしていた。オンナたちは冷蔵庫に飲み物がないとか、あの客は体臭がキツイとか、さまざまな文句を言い始め、その対応に右往左往するカノウ。店で一番人気の嬢・マヒル(恒松祐里)が仕事を終えて店へ戻ってくる。マヒルがいると部屋の空気が一変する。何があっても楽しそうに笑う彼女を見ながら、カノウは小学生の頃にクラス会でやった『カチカチ山』を思い出す。「みんながやりたくて取り合いになるウサギの役。マヒルちゃんはウサギの役だ。みんな賢くて可愛らしいウサギにばかり夢中になる。性悪で嫌われ者のタヌキの役になんて目もくれないのに…。」

2019年製作/日本/98分/R15+
配給:アークエンタテインメント
(C)DirectorsBox
http://lifeuntitled.info/
★2020年11月13日(金)よりシネマカリテ、シネクイント他全国順次公開


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―俳優さんたちがみんな良かったです。舞台から映画になりましたが、あの個性的なキャラたちは舞台でも一緒なんですか?

キャラクターは一緒です。映画祭をきっかけに知り合った内田英二監督にプロデュースをしてもらっているんですけど、「一番やりたいことは何なの?」と聞かれました。「自分が大事に持っている作品があって、それをどうしても映画化したい」と話しまして、その流れでこの映画がスタートしました。
「この作品はインディーズだから、大作映画ではできないこと、長編監督デビュー作であるからこそ、できるだけ実験的なもの、トライしたいことをやったほうがいい。元々舞台だったことをうまく使うのがいいんじゃないか。脚本はなるべくいまのままが良い」。けれどもこういう工場的な、電話で注文を受けて女性が配送されていくような日本のセックス産業というものが海外にはないんだそうです。ですから、「海外も視野に入れてそこだけ加えたらいいんじゃないか」と言われました。
なので、基本的に登場人物や、物語の構成というのは舞台と何ら変わりありません。ただまあ、自分自身が監督としてどういう風にやっていきたいか。職業作家なのか、作家なのか? 国内にとどまらず海外も視野に入れるべきだし、トライする意義もあるということを教えてもらいました。

―舞台は観客が正面から見ますが、映画はいろんな方向から観客に見せることができますし、インサートとかいろんな工夫もできますね。その設計はどんな風にされましたか?

映画と舞台の違いは、俳優のディレクションにおいてはそんなに変わらないと思っているんです。舞台も映画も「生きている人間を、生きている人間が描いていく」、そして演出家は俳優に託していく作業なんですよね。やっぱり観客の目に触れるのは俳優ですから、俳優を信じて託すしかないわけです。ディレクションしていく上でのコミュニケーションの取り方も違わないんです。
ただ、映画では物理的に製作スタッフとコミュニケーションをとる時間が圧倒的に長いです。舞台ではおっしゃるとおり、一面。映画でいうと引きのマスターショットで物語を見せていく。映画だと寄ったり引いたり、自分の見たい視点で撮ることができます。
舞台ではたとえば静かなシーンで誰も動かないところで一人だけ動けば目が行きますね。それに近い作業だと思いました。観客の視線をどう誘導するかが舞台。映画は自分の見せたいカットを構成していく。そういう意味では、慣れてきてしまえばそう変わりはないかな。
私は監督としてまだまだ勉強不足ではあるんですけど、大事にしているものが同じだったら大差ないなぁ。一番違うのは「想像力の使わせ方」だろうと思いました。
舞台だとしたら、突然過去のことを回想する、みたいなシーンを、多分照明、音楽や俳優の動かし方によって展開させると思うんですけど、映画なら物理的にそういうシーンに行けます。それをどういう見せ方をする?という…想像力の視点というか、角度が違うんだなというのはすごく思いますね、今。だからより面白いですね。

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―映画と舞台、両方の視点があるのはいいですね。その分豊かになる気がします。

そうですね。演劇と映画と両方やっているからこそ、面白いなと思うことが増えている気がします
あと、やっぱり私は圧倒的に俳優と関わってきた時間が長いんですよね、舞台をずっとやってきたものだから。映画監督なんて思いもしなかったときから「映画をやったほうが向いてるよ」ってさんざん言われてきたんです。たぶん作品自体がリアリズムを追求しすぎちゃうから。演劇では、例えば300人400人規模の劇場で公演をするときって、音の伝わり方とか、観客に対する音の拡がり方がステージより若干遅いんです。コンマ何秒か。それを計算してやったほうがいいか、ちょっと「置きにいく」ってことをしなくちゃいけない。でも「置きにいき過ぎる」と演劇的になりすぎちゃうんですよ。
それを、わたしは舞台演出をする上で「置きにいかない」方を選択していたんですよね。映画は置く、とか関係ないから。
お客さんに伝わるのは、カメラが距離を作ってくれる。近く、遠くと。だから、演劇と違って俳優がお客さんのほうに近寄ったり、遠ざかったりしなくていいんです。声や熱量も。
わりと自然に映画に移行できた気がします。

―監督の目になるカメラマンがすごく重要ですけれども、監督とのすり合わせは?

今回は内田英二プロデュースなので、伊藤麻樹さんという女性カメラマンを紹介していただきました。彼女はすごく優秀で、内田さんご自身も『ミッドナイトスワン』でご一緒されているんです。「芝居を観れるカメラマンだ」と推薦してくださったんです。内田さんがどういうかわかりませんが、内田さんの中で少なからずこの『タイトル、拒絶』にシンパシーを感じて、可能性や興奮を覚えて「やろう」と言ってくださっていたと思うので、感受性が遠くはないと思うんです。だから麻樹さんをお薦めされた時になんの違和感もなく、そういう人なら一緒にやってみたい。百戦錬磨の中で培ってきたしかも女性とやれるなんて、ハッピーなことでした。
現場の蓋を開けてみたら彼女がすごく芝居を観てくれるんですよ。今までの私はけっこう臆病者で、現場で迷ってしまったらやだなぁというのもあって、わりとちゃんと毎回絵コンテを描いていたんです。でも長編になったら絵コンテはやめて、カメラマンに委ねてみたい、現場で判断したいと。その代わりに段取りを多くやらせてもらいました。いつも行く場所の設定だとしても、初めて行く場所にはなかなか馴染めない、どんなに上手な俳優でも。俳優が台詞や身体の使い方を馴染ませる時間を段取りで丁寧にとっていく、ということを今回しました。
そういうときに麻樹さんもずっと芝居のことを考えていてくれているんです。それでやっぱりベストな選択が多かった。私も初監督なので、「ちょっと麻樹さんこのカットも撮っといてください」みたいに、余計なカットを足したりしていたんですよ。でも編集のときには、使わなくて十分でした。ですから芝居を作っていくには適格なスタッフに恵まれました。

―それはラッキーでしたね、とても。キャストとスタッフ特にカメラが良ければ「鬼に金棒」ですね。あとはなんでしょう?

後は俳優からいかに引き出すかということでしょうね。

―引き出すのは監督の仕事ですね。

そうだと思います。だから現場がいいかどうかというのは、スタッフワーク、スタッフの尽力というのはすごく大きいと思いますが、最終的に選択をするのは監督。作品の良し悪しは監督の責任が大きいと思います。

―船頭さんですものね、決断の連続で。迷わずにぱっと決める、選べる方ですか?

私選べるほうです。

―やっぱり向いているんじゃないですか?

あ、わかんないですけどね(笑)。迷うときもありますけど。選択するのが、どっちでもいいときはめんどくさいなってなっちゃうんですよ(笑)。どっちでもいいから、こっちがいい、がないんです。で、みんながいいほうがいいけど、みたいな。
たぶん劇団で10年間リーダーシップをとってきたのは大きかったんだと思います。劇団となると自分のプロデュースだし、お金もかかる。俳優の人生も預かっている。そうやってずっと選択すること、決断することをやってきたので、逆に映画のほうが甘やかしてもらっているなと思えたんです。選択してくれる人、幅を拡げてくれる人がたくさんいるから。
どんな局面においても強いですよね。よかれ悪かれですけれども。今はものすごく楽です(笑)。

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―それは、最初にご苦労したからですよ。

きっとね。だから有難いですよ。初めて自主映画を撮ったときに、全部自分がジャッジしなきゃいけないんだという気持ちが強すぎて、手を差し伸べる気持ちでやってくださっていた技術部のスタッフさんに、たぶん伝え方を間違えてしまってすごい怒られて、向き合っていた机に額をつけて謝ったことがありました。
制作さんが「修正箇所があるなら納品まで時間がないからメールして」と言ったんです。それで映画の制作過程について知らない私は、一生懸命直したいところを全部並べ立てたメールをお送りしちゃったんです。そしたら技術さんが「お前のために金ももらわずやっているのに、なんだこれは!」って。いや、言われたからメールしたんですけどとは言えないわけです。「すみません!!」と謝りましたが「もうやりたくない」となってしまって。
そのときはもう私も映画撮りたくない、と思うほどショックでした。でも、今振り返ると、ああいうことがあったからこそ、調子に乗らないでこられたかなと。演劇では自分で全部責任を背負ってきていたので、映画もそうしなきゃという気持ちで最初はやってきたけれど、もうこれだけプロの技術者が集まっているんだから委ねるところは委ねたほうがいいし、よっぽど自分が「ここのこだわりが絵に絶対生きる」という確信が持てたときはこだわったほうがいいんです。なぜなら監督だから。
でも、そうじゃないところはもっと楽していいんじゃないかなって、思いました。

―「餅は餅屋さん」でしょうか。
そうですね、だからこの映画では現場に監督と思って入らなかったですね。一番後輩のスタッフということで。気も張っていましたし、すごく疲れたんですけど。自分の中で知識や技術は一番下ですけれども、俳優を見る、演出することはこの現場の誰よりも優れているから、その自信だけは失わないで向き合おう、というのと、やっぱりどんなに未熟でも、スタッフや俳優部にとって「監督は監督」。そこは信頼を寄せてもらわなきゃダメだ、関係値を作っていく。そういう意味で幸せな現場でした。
振り返るといろいろ大変なこともあったけれど、全部いい方向に働きました。

―いい作品ができましたものね。観客には裏はわからないし、見える結果全てになっちゃいますから。公開おめでとうございます。

ありがとうございます。良かったです(笑)。ほんとにこのタイミングで無事公開できることが、ありがたいです。

―この登場人物たちには監督のいろんな面が出ていますか?

それはどうしても出ますね。もともと会社員だったので、よそ様に見せる部分、社会性っていうのはちゃんと持っているんですけど、作品には生身な自分が出てしまっている気がします。鬱屈したものも抱えたまま十代二十代生きてきているので…これは7年前のホン(脚本)だし、余計その部分は強いかもしれない。

―その7年前のホンを現代にするのに、言葉遣いや内容など変えたところは?

ほぼ同じです。さっき言った海外に向けて足したところはあります。7年間で技術も多少はついたので、ちょっとくどいなぁとか、これは映画にしたときに言いすぎだなぁとかいうところは切りましたけど、ほとんど変わらないです。

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(ここで後5分と)
―あ、なんて早い(笑)!「不要不急」という言葉が出回りました。映画や舞台も、私たちの雑誌も一般の人にとっては「不要不急」に入ってしまうでしょうね。

もう確実にそうだと思います。

―はい(残念ですが)。その「不要不急」の逆に「これがどうしても必要、大切にしている」ことは、監督にとって何でしょうか?

ああ、私は「人間との関わり」ですかね。辻仁成さんがテレビに出ていらして、「今回コロナ禍で人とのつながりを分断した」ということを仰っていた記憶があります。それを耳にした直後はそこまで「その通りだ!」とは思わなかったんですけど、確かにほんとに人と関わることがなくなってしまったので、自分一人で考える時間、抱え込む時間、消化するまでの時間が非常に多くなっちゃったなと思うんです。ささやかなことでも、人の肌感や人の解釈、考え方っていうのを共有できない時間。そうなっちゃうとすごく行き詰まっちゃうなぁと思ったんですよね。だから人間にとっての一番の敵は孤独なんじゃないかなぁとほんとに思うんです。『タイトル、拒絶』に結びつけると、出てくる人のほとんどが孤独な人なんですね。
そういう孤独な人や、愛情が欲しいのに「欲しい」と素直に言えない人たちにばかり興味が行ってしまうんですよ。この仕事について演劇、映画問わずですけど、重要視していること、自分が得意としていることは「人間を見つめること」なんですね。
ですから「人との関わり」というのは最重要だし、おそらく「人との関わり」という文化がほんとになくなってしまったら、映画や音楽や舞台は必要ないんじゃないかな、と思って。「人と関わりたい。でも自分は孤独だ」と思う人たちが自分を埋め合わせる、慰める、鼓舞するために欲しているのがやっぱりエンターテイメントだと思うんですよね。おそらく「人間との関わり」と言うのはベーシックな答えで、誰しもが最重要なんじゃないかと思います。

―ちょうど30分です。もっとお聞きしたいことがあるんですけど、また次の機会に。ありがとうございました。

ありがとうございました。またぜひ。

=取材を終えて=
いただいたプレス資料の中のインタビューがとても良くて、お伺いしたいことがたくさん書いてありました。同じことを聞くのも…とちょっと困りながら出かけました。それは杞憂で、山田監督はとっても気さくに何でもお話ししてくださって、一安心。ヘンな褒め言葉になりますが「男前!」です。お勤めを辞めて自分で劇団を立ち上げ、自主映画も作り、未知のことに飛び込んで来られました。冒険心と決断力のある方とお見受けしました。山田監督が少しずつ投影されているというキャラクターはみな個性的で、この先も元気でいてほしい、とつい思ってしまうほどそこで生きていました。再演されるというこの舞台版を観たいなぁと今からとても楽しみにしています。
(まとめ・写真 白石映子)