戦時下の捕虜脱走事件が現代に問いかける『カウラは忘れない』満田康弘監督インタビュー

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『クワイ河に虹をかけた男』で旧日本軍の贖罪と和解に生涯をささげた永瀬隆氏を20年にわたって取材し続けた満田康弘監督のドキュメンタリー映画第2弾『カウラは忘れない』が8月7日からポレポレ東中野などで順次公開が始まる。近代史上最大の捕虜脱走事件といわれるカウラ事件はなぜ起きたのか。捕虜の汚名に抗いつつ生きたいと願った捕虜たちは、やがて自らの将来に絶望し、死ぬための集団脱走を企てた。コロナ禍で閉塞感が漂う現代を生きる私たちに、カウラ事件が問いかけるものを満田監督に聞いた。

※カウラ事件……太平洋戦争下の1944年8月5日、オーストラリア南東部の田舎町、カウラ第十二捕虜収容所で起きた、日本人捕虜1104人による史上最多の集団脱走事件。日本人捕虜234人、オーストラリアの監視兵ら4人が死亡した。

<プロフィール>
満田康弘監督
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1961年10月5日香川県生まれ。京都大学を卒業後、1984年、岡山・香川両県を放送エリアとするKSB瀬戸内海放送入社。主に報道・制作部門でニュース取材や番組制作に携わる。ANN系列のドキュメンタリー番組「テレメンタリー」で数多くの番組を制作、プロデュース。2003年、ウナギにまつわる様々な謎を追った「うなぎのしっぽ、捕まえた!?」で日本民間放送連盟賞優秀賞など、ドキュメンタリー番組で受賞多数。
元陸軍通訳・永瀬隆氏による泰緬鉄道の個人的な戦後処理を取材したテレメンタリーのシリーズは全5作品。2016年、約20年間の永瀬氏の素材をまとめたドキュメンタリー映画『クワイ河に虹をかけた男』を制作・公開。同作品は第22回平和・協同ジャーナリスト基金賞奨励賞、第3回浦安ドキュメンタリー映画大賞、第90回キネマ旬報ベスト・テン文化映画部門第5位、第34回日本映画復興奨励賞を受賞。同名の著書も2011年に出版。永瀬氏の死後は「クワイ河平和基金」の理事も引き継ぐ。カウラ事件をテーマにしたテレメンタリーは「ベースボール・イン・カウラ」(2011年)「ダブル・プリズナー」(2011年)「死への大脱走の果てに」(2014年)の3本を制作。
今回の映画化は「カウラのことを伝え続けてくれ」という永瀬氏の「遺言」への回答であり、捕虜問題をテーマにしたいわばコインの裏表として『クワイ河に虹をかけた男』と一対をなす。



―― 満田監督がカウラ事件を知ったきっかけと製作に至る経緯を教えてください。

本作は私のドキュメンタリーの2作目で、カウラ事件のことは前作の『クワイ河に虹をかけた男』の主人公だった永瀬隆さんに教えてもらいました。永瀬さんは太平洋戦争下で旧日本軍が捕虜を使ってタイ・ミャンマー間で建設した泰緬鉄道の工事に通訳としてかかわった人で、戦争が終わってから一人で贖罪のためにタイを何度も訪れていました。鉄道建設では捕虜に対する日本軍の仕打ちは苛烈でした。カウラに置かれた収容所では捕虜の扱いは酷くはなかったのですが、捕虜になったことを恥じ、自分たちには未来はないと絶望した日本兵たちが自殺的な脱走事件を起こしてしまった。二つの事件はいずれも捕虜が追い込まれてしまったという共通点があり、コインの裏表と言えます。私は永瀬さんから「カウラ事件のことも伝えてほしい」と何度も頼まれていました。カウラ事件のことは文献を読んだりはしていましたが、クワイ河と同時並行で取材はできず、そうこうしているうちに永瀬さんの体調が悪化してきました。カウラ事件の取材を進めようと強く思い始めたころ、カウラ事件の生き残りの一人である立花誠一郎さんと岡山市内の女子高校の放送部員との交流の話を知り、これをきっかけに取材を本格化させました。永瀬さんが亡くなられた2011年の2年前、2009年のことでした。

―― 満田監督はカウラ事件に絡んで2011年に2本、2014年に1本のドキュメンタリー番組を作っています。その3本を再編集して映画化したということでしょうか。

3本を放送したあとの2018年に岡山・香川エリアのローカル放送でもう1本、放送しました。2017年に立花さんが亡くなり、遺品の中に、カウラから日本に引き揚げるときに持ち帰った立花さんの手作りの木製のトランクがありました。番組タイトルは『立花さんのトランク』です。
映画は昨年公開の予定でしたが、新型コロナの影響で延期になり、時間ができたので全体をさらに見直すことができて、そのおかげで作品の印象が変わったなと思います。
2~3年前から世の中でいろいろなことが起きてきました。新型コロナの対策のあり方や、オリンピックの開催の是非をめぐって議論が起きています。カウラ事件の集団脱走は、捕虜たちの投票で決めたとされています。流されやすく、同調圧力に弱い。そういう空気が、当時カウラで捕虜になっていた日本兵の間にあったのではないか。自分の本心を隠して行動せざるを得なかった。それがカウラ事件の核心であり、そうした日本人の気質は70年以上を経過した現在も変わらないのではないでしょうか。私がこの映画で描きたかったテーマに、現実のほうがどんどん重なってきた。そういう思いがあります。

―― カウラで2014年に開かれた70周年の記念行事で、当時の日本兵の捕虜だった人が参列していました。現地の方から参列する気持ちを聞かれたのに対し、その方が「答えられない」と言葉に詰まったシーンが印象に残りました。

自分が生き残ったことに引け目を感じていて、日本兵の生存者の方々はそのことをずっと引きずったままカウラの式典に参列している。70年以上前に捕虜たちを覆っていた黒い空気は雲散霧消したのではなく、やはり現在もまだ残っている。そう思わずにはいられません。戦時のオーストラリアで日本は明確に敵国でしたが、戦争が終わった後、カウラの人々は集団脱走を日本人が引き起こした特異な出来事と片付けずに、立派な日本庭園を造ったり、桜の木を植えたり、日本との交流を進めたりして日本文化を理解しようとし、不幸な出来事を相対化する試みを続けてきました。「日本とは今は友達だ」とカウラの元軍人は語っていました。「生きて虜囚の辱めを受けず…」という「戦陣訓」に背いて捕虜になったことへの負い目はあるとしても、日本側の生存者が現在に至るまで事件を引きずるのはなぜなのか。私の心にずっと引っ掛かっています。半面、仮に当時の捕虜の中に自分がいたら、死ぬための集団脱走に与したかもしれないとも思います。

―― 監督は放送局の社員としての仕事をこなしながらドキュメンタリー映画の製作を手掛けています。両立には苦労されたのではありませんか。

瀬戸内海放送が属するテレビ朝日系列は『テレメンタリー』というドキュメンタリー番組の恒常的な放送枠があって、系列局が制作した番組を放送しています。系列局は企画書を提出して審査を通れば制作費予算が付く。そのおかげで、『クワイ河に虹をかけた男』ではタイにも取材に行けました。
会社ではニュース番組の編集長・デスクという役割がありますから毎日忙しいですね。だから「朝活」と称して朝6時ごろに出勤して映画の編集作業をしていました。職場で冗談まじりに「監督!」と呼ばれることもありますが(笑)、映画作りにかけている労力は会社員としての仕事の10%もないんじゃないかな。

―― これから作品をご覧になる方にひと言お願いします。

カウラ事件はけっして遠い過去の出来事ではなくて、現代の我々日本人にいろいろな問いかけをしてくれる事件です。自分が主体的に生き生きと暮らし、社会にかかわっていく。同調圧力に覆われるのではなく、少しでも寛容で住みやすい世の中に変わっていく。そのことを考えるきっかけにこの映画がなれば、とてもうれしいですね。

(取材・文:ほりきみき)


『カウラは忘れない』の作品紹介はこちらです。
http://cinejour2019ikoufilm.seesaa.net/article/482729403.html

『カウラは忘れない』
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監督:満田康弘
撮影:山田寛
音楽:須江麻友  
MA:木村信博  
E E D:吉永順平
CG:斎藤末度加 南真咲 渡辺恵子 小林道子
通訳:スチュアート・ウォルトン 清水健
協力:国立療養所邑久光明園 山陽学園 
Theater company RINKOGUN 燐光群 坂手洋二 山田真美 田村恵子 
カウラ事件70周年記念行事実行委員会
資料提供:オーストラリア戦争記念館 国立駿河療養所 
後援:オーストラリア大使館
製作:瀬戸内海放送
配給:太秦 
©瀬戸内海放送
【2021/日本/DCP/カラー/96分】  
8月7日(土)より、ポレポレ東中野、東京都写真美術館ホールほか全国順次公開
公式サイト:https://www.ksb.co.jp/cowra/