*プロフィール*
1963年(昭和38)生まれ。桜美林大学教授。
1986年から2019年まで、NHKのディレクター・プロデューサーとして「文明の道」「新・シルクロード」「Brakeless JR福知山線脱線事故」「二重被爆」などのドキュメンタリーを製作。2018年に監督第一作となる、文化記録映画「春画と日本人」(キネマ旬報ベストテン2018年文化映画 第7位、第74回 毎日映画コンクール・ドキュメンタリー映画部門ノミネート)を劇場公開。現在、2022年の完成を目指して記録映画「国立西洋美術館」を製作中。
『スズさん~昭和の家事と家族の物語』
昭和26年(1951年)に建てられた木造2階建の住宅は、いま「昭和のくらし博物館」となり、当時の人々の暮らしを伝えています。館長の小泉和子さんの実家であるこの博物館には、母・スズさん(1910~2001年)の思い出がたくさんつまっています。娘によって語られる、母の人生。そこには生活の細部に工夫を凝らし、知恵を絞り、家族のために懸命に手を動かしながら生きてきた一人の女性の姿がありました。当時、当たり前に継承されていた経験や生活の知恵は、時代の変化とともに失われつつあります。母から娘へ、娘から今を生きる私たちへ。スズさんが遺してくれた3章からなる物語です。
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監督・撮影・編集:大墻敦
プロデューサー:村山英世、山内隆治
出演:小泉和子(昭和のくらし博物館館長)
ナレーション:小林聡美
2021年/日本/86分/ドキュメンタリー/DCP/
©️映画「スズさん」製作委員会
★2021年11月6日(土)よりポレポレ東中野ほか全国順次公開
ー映画の始まりは?
私がNHKに在籍していた時代から知り合いだった”記録映画保存センター”事務局長の村山英世さんと、”資料映像バンク”の山内隆治さんが本作のプロデューサーです。たしか2019年12月、記録映画保存センターに「昭和のくらし博物館」の小泉和子先生からフィルムが寄贈されて、私が呼ばれて3人が集まり、これをどう利活用しようかと話し合いました。
ショートクリップみたいなものを作ろうか、教育的なコンテンツにしょうかとかいろんな話もしましたが、どれもあまりピンとこない。小泉先生の本「くらしの昭和史」 (朝日選書)を読んだところ、一家で横浜大空襲を生き抜いた経験談がありました。そういうところからスズさんの人物像が垣間見えて、一言でいうと素晴らしい人だなぁと思いました。
フィルムに残されているのは学術的な家事の記録なので、再構成してスズさんの一生を、横浜大空襲を踏まえて描くということが新しい形になるのかな、と思ったのが映画をつくろうと思ったきっかけです。
―その30年前の映像をご覧になって印象に残った場面はありますか?
場面でいうと、おはぎを作っているところは心温まるなぁと思いました。裁縫は自分でやらないせいもあってすごい技術だな、とは思うんですけども「How To」にはあんまり関心がもてませんでした。何に興味を持ったかというと「手の動き」ですね。お年を召されても手の動きがものすごくしっかりしていて、なおかつ美しい。そこには最初から心惹かれました。
あともうひとつ、本編の撮影後に追加で撮られた「それからのスズさん」という映像があります。寝たきりになられた後もずっと袋モノを作っていらした。見れば見るほど「自分もそうありたいなあ」と思います。人生の最後まで自分の能力を使って家族の役に立ちたいという気持ちで過ごされた姿にも心惹かれました。
―この映画には、30年前の元々あったもの、間に挟まれるニュース映像、それと小泉先生のインタビュー映像と大まかに3種類の映像があります。この組み合わせや分量などはいつも監督とプロデューサーさんが話し合って進めたのですか?
ニュース映像は主に資料映像バンクの山内さんから提供されました。構成をつくり、その筋に沿って必要な資料映像のリストを作成しました。そして、私がたとえば「学徒出陣の映像がほしい」とか、あるいは「建物疎開や空襲の映像がほしい」というお願いをすると、山内さんが適切な資料映像を送ってくれました。それである程度編集しては、村山さんと山内さんに見ていただき意見を聞いて修正していきます。昭和30年代の子どもが遊んでいる風景を入れようとか、細かいオーダーを出しました。数十時間分、手元に集まりましたね。
―監督は全部ご覧になったんですね。
もちろん全て見ます。自分の映像製作者としての経歴を振り返るとNHKで1995年から9本シリーズで放送された「新・電子立国」というドキュメンタリー番組がありまして、そのプロジェクトに参加したことが転換点になりました。その企画者でありディレクターであった相田洋(ゆたか)さんに編集のてほどきをうけました。相田さんは、テレビドキュメンタリーの世界を代表するディレクターで文化庁芸術祭大賞をはじめとする数々の受賞歴がある方です。そのときに、自分が編集に向いていることを自覚しました。ラッシュを見る、書き起こしをつくるということになんの抵抗もないんです。
―楽しくご覧になれる?
楽しい、というよりは仕事なんです、なんていうかなぁ。
―苦にならない?
ああ、そうそう。全く苦にならない。ラッシュをみてカットごとに内容を書き出す「ラッシュ台帳」というものを作って見続けることが全然苦ではないんです。そして、編集をしてカットとインタビューとが組み合わさって、「カチャ!」とパズルがはまるみたいに「あ、うまくいった!」という瞬間がやっぱりあって、そういう瞬間をずっと求め続けるのが好きですね。
―きっと天職なんですね。
天職かどうかはわかりませんが、とても好きなのは事実です。NHKで勤務していて50代に入り制作現場を離れた頃から、自分で自分の映像作品をつくりたいと考え始めました。カメラを購入して、スチール写真に一時期凝ったりしましたけど、やはり動画作品をつくりたいな、と思いました。知人の紹介でクラシック音楽や文楽の短い尺の映像作品をつくっているうちに、前作の「春画と日本人」の撮影を始めることになりました。幸いなことに劇場公開していただき、多くの方々にご覧いただけたことを心より感謝しています。「春画と日本人」は、インタビュードキュメントのような形式の映画です。やはり、私は人の話に耳を傾けるのが好きなのだと思います。
―対象が多岐にわたっています。
テレビの仕事をしていると、どんなことにも興味をもちます。森羅万象を描くのがテレビですから。ただ、教養番組を主に制作していましたので、文化・芸術方面には特に関心があります。頭が理屈っぽいところがあって、表現の自由とか、社会がどうあるべきなのか、戦争ってなんなのか、戦争体験の記憶ってどう残したらいいだろうとか、そういう抽象度が高いテーマ設定を下敷きにした番組や映画が好きですし、目指していきたいと思っています。今、製作中の記録映画『国立西洋美術館』も、美術館の学芸員の方々の美を守る姿だけでなく、日本の美術館の将来像はどうあるべきか、という問題意識が底流にあります。
映画「スズさん」で、私が伝えたいのは「人が生きるとはどういうことなのか」。家事が大切とか、空襲が大変だったというも大切ですが、生きるということがテーマなんです。そして、充実した人生を送るためには、自分や家族の生計を支える技能が必要で、「手を動かすこと」で生計を立てられる、人を喜ばせることができるっていうのは人間にとって素晴らしいこと。それはすごく大事で、その能力は人が生きるうえで支えになるんじゃないかと思いました。
スズさんは横浜の農村の出身で、普通なら農家の奥さんになられたかもしれないですが、行儀見習いで女中奉公に出られた。そこで裁縫が得意だと自覚したんじゃないか、サラリーマン家庭の主婦になっても裁縫が家族を喜ばせる、家計を支える、という自信につながら、それが最後までスズさんの人生を支えたということではないかなと想像します。
コロナ禍に無理矢理ひきつけるつもりはないけれども、どんなに苦しい時でも人はしっかり美しく生きていけるし、家族を支えられるんじゃないかなと思います。
私の父方の祖父母は終戦時北朝鮮にいたんです。祖父はシベリアに抑留されて帰ってこなくて、祖母は5人の子どもたち―父は中学生だった―を連れて命からがら引き揚げてきました。祖母は洋裁で子どもを育てて、みんな大学まで行かせています。なにか一芸というか、技能を持っているというのはすごいことです。そういう私のパーソナルな関心もあって、スズさんの人生は描いて伝える意味はあるはずだとの確信はありました。みなさんにご覧いただく価値のある映画になったと思います。
―我が家のことを振り返っても重なることが多くて、とても懐かしく観ました。戦争中のことを知っている人は年々少なくなっていくので、ぜひ子どもたちにも観てほしいです。
和子先生のお話のなかで、スズさんとお姑さんが、建物疎開で強制的に立ち退きにあったあと、東京から横浜に疎開するのに大八車に家財道具を積んで往復したという証言には「ほんとですか!」と聞き返しましたよ。
―30kmを往復しなきゃいけなかった。きっと必死だったんでしょうね。
戦争を直接、体験している人たちは、近年、急激に少なくなっています。戦争体験の記憶をどのように次世代に継承していくのかということは、日本社会にとった大きな課題だと思っています。先日、神奈川県の高校生に映画を観てもらう機会がありました。戦争体験者の話を聞いたことがあるのか、映画から何を感じたのか、などアンケートに答えてもらい、ディスカッションをしました。授業で観ているせいもあるかもしれないんですけど、生徒たちはとても真剣に見てくれましたし、戦争経験の記憶の継承に深い考えをもっていることがわかりました。そして、子どもたちは私たちの想像を超えて「映画」からいろいろなことを読み取るので驚きました。食料不足の大変さや学童疎開の子どもたちの心情とか。映像と音声が大きな力をもっている、映像と音声によって呼び起こされる感情には意味がある、とあらためて感じました。
―すごくわかりやすいですし、いろんな方向から見られます。過去から現在、未来にもつながると思いました。
ありがとうございます。元はテレビ屋なので、どうしてもわかりやすくする癖があって。それがときどき映画っぽくないとかいろいろ言われるんです。(笑)。
―ドキュメンタリーはわかりやすい方がいいと思いますが。
色んな考え方がありますよね。説明しすぎるのもよくないし、観客に委ねすぎるにもよくないかもしれませんし、正解はないと思っています。意識しているのは、お客様に感じてもらうことです。映画をご覧になる方々は100人いれば、100人の感じ方があるのが当たり前だと思っています。そういう意味では、私の場合は、私の伝えたいことが一直線にまっすぐに強いメッセージとして伝わるよりも、私が写し取った事象を、劇場のスクリーンから一人一人がそれぞれ感じていただくことが大事で、受け取りかたは様々で良いと思っています。
すでに、横浜大空襲の日にあわせて5月下旬に横浜シネマリンで劇場公開していただきましたが、お客様からの感想に目を通すと、さまざまな感じ方、受け取り方をされたことがわかり、この作品に関して言えば自分なりには上手く行ったかな、と思っています。
客観ナレーションではなく、小林聡美さんにスズさんの声を担当していただき、和子先生との母娘の掛け合いにしたのも効果的だったと考えています。
ー小泉スズさんと『この世界の片隅に』のすずさん、たまたまお名前が同じで、そのせいか日本全国にスズさんみたいな人たちがいたんだなというのが、すとんと入ってきます。
あちらは漫画が原作で偶然なんですけどね。小泉スズさんは典型的な昭和の時代の日本人女性だったのかなという気はします。残念ながらお会いしたことはありませんけど、和子先生のお話を聞くと世俗的な欲のない人だったのかなあと思います。主婦としてのレベルが高くて自信がある。難しい理屈をこねるわけでもなければ、高尚なことを言うわけでもないけれども、一人の生活者としてとても立派な人だったと想像します。『男はつらいよ』のさくらみたいに、普通に毎日毎日過ごしていることが幸せにつながる、そういうことを教えてくれてるんじゃないかなって思います。そういう人たちがたくさんいた時代だったなと思います。
―そうですね。そして減っていくんですね。
減っていきます。横浜で公開したときも、90代のお母さんを息子さんが車椅子を押して連れてきていました。一方で小中学生の子どもを連れた4人家族もいて、そういうことに関心のあるご両親かな。そういう時代があった、そういう生き方をした普通の人たちがたくさんいた、ということを次の世代に伝えることになったなら良かったと思いました。
―親が説明するより、子どもに理解しやすいです。
子どもは親の話は聞かないですからね(笑)。私の親は2人ともすでに亡くなったのですが、父から引き揚げの頃のことをもっと聞いておけば良かったと痛感しています。ただ、父親も辛い話は話しにくかったのだろうとは思います。
―特に戦争のことは言いにくいでしょうね。
今回、和子先生にインタビューすることで、私が両親にできなかったことをやらせていただく、という気持ちがずっとありました。
この映画をつくろうと腰が上がったのは、和子先生にお話をうかがった際に「お母さんが大好き!」って嬉しそうにおっしゃったことが大きかったですね。いいご家族だったんだなぁ。
そこには普通のドキュメンタリーで求められる波乱万丈の物語はないけれども、静かな伝わる物語があるということを思いますね。
この映画は男性だけで作った映画なので(笑)、「主婦礼賛」に受け取られるといやだな、という話をしていました。ご覧になった人から話を聞くと、「スズさんが一日一日の暮らしを大切にしているというメッセージはちゃんと伝わってきた」とのことでした。普遍性のあるメッセージと受け取ってくださったので、安心しました。
―横浜ではもう上映されたんですね。
4月上旬に完成試写会をしたときに横浜シネマリン支配人の八幡温子さんをご招待してご覧いただいたところ、「5月29日(横浜大空襲の日)の前後にやりましょう」とすぐに上映決定してくださったんです。夏にもアンコール上映してくださったばかりです。
空襲といえば3月10日の東京大空襲が取り上げられることが多いと思いますが、横浜大空襲も大きな被害があった割には取り上げられないですね。もちろんローカルでは、空襲を記録する会の活動などが記事として紹介されますけども。ですから、映画は、製作を始めた頃から横浜で上映できればいいなとは思っていました。実現してたいへん嬉しかったです。
―ずっと映像のお仕事を続けて来られましたが、映像はこれからまだまだ変わっていきますか?
撮影機材の発達で、プロとアマとの境界線が溶けて無くなりつつあると言えます。もちろん、作品のクオリティはプロの方が高いのですが、クオリティの高いものが必ず多くの人々に見てもらえるのか、と言えば、そうとも言えなくなっていて、アマチュアの方が撮影した映像が、YouTubeでいきなり数億回再生という世界が現れています。
将来がどうなるかは誰にもわからないと思いますが、60分とか90分の長さのコンテンツは永遠に残ると信じたいです。豊かな情報量と大きなメッセージを受け取って心がかき乱されたり、美しい記憶として心に残すためには、映画館という空間と、そこにゆっくりと浸る時間が必要だと信じています。
―今日はありがとうございました。
=大墻監督 印象に残っている最近の映画=
『たゆたえども沈まず』(テレビ岩手)
『ミナリ』
『ファーザー』
『痛くない死に方』
『ちょっと北朝鮮まで行ってくるけん』島田陽磨監督
『サンマ・デモクラシー』
『太陽の子』
『パンケーキを毒味する』
『ヒロシマへの誓い』
『カウラは忘れない』
『東京クルド』など
=取材を終えて=
2年前にできたばかりの新宿キャンパスへお邪魔してきました。
大墻監督が感銘を受けたというスズさんの手の動きの確かさ、無駄のなさは「身体で覚えたことは身体に残る」ということばそのままでした。繰り返した手仕事は手に残り、スズさんは最後まで気持ちよく働いたのでしょう。手抜き主婦の私は反省しきりです。私の手には何が残っているのやら。
お話をたっぷり伺った後、その足で久が原の「昭和のくらし博物館」を訪ねてきました。スズさんが丁寧に日々を送られた名残がありました。我が家にもまだある昭和の台所道具や、再現されたちゃぶ台の食事など、懐かしいものがたくさんでした。スタッフ日記はこちら。
湯気の立つ食卓を大事な人たちと囲むことが、平凡だけど幸せなのだと思い出します。たとえ一人でも、温かいものを「いただきます」とお腹に入れてみましょう。身も心も温まるはず。
この映画を観ると、自分の周りの失われてしまったもの、失いたくないものに気がつきます。そういうものを大切にしようと思いました。
(取材・監督写真 白石映子)