なら国際映画祭プロジェクト「NARAtive(ナラティブ)」では今後の活躍が期待される若手の映画監督が奈良を舞台にした映画を撮影し、世界へ発信しています。『再会の奈良』は「NARAtive2020」から生まれた日中合作映画。歴史に翻弄された「中国残留孤児」とその家族がたどる運命、互いを思い合う気持ちを、2005年秋の奈良・御所市を舞台に切なくもユーモア豊かに紡いでいます。
エグゼクティブプロデューサーを務めるのは、なら国際映画祭のエグゼクティブ・ディレクターでもある奈良出身の河瀨直美と、中国映画「第六世代」を代表するジャ・ジャンクー。
監督・脚本を手掛けたのは、中国出身のポンフェイ監督。ツァイ・ミンリャン監督の現場で助監督・共同脚本などを務め、ホン・サンス監督のアシスタントプロデューサーも務めた経験を持っています。ポンフェイ監督にzoomでお話を伺いました。
<あらすじ>
2005年、中国から陳ばあちゃんが、孫娘のような存在のシャオザーを頼って一人奈良にやって来る。中国残留孤児の養女・麗華を1994年に日本に帰したが、数年前から連絡が途絶え心配して探しに来たという。2人が麗華探しを始めると、シャオザーが働く居酒屋の客だった元警察官の一雄が麗華探しの手伝いを申し出る。一雄はシャオザーに自身の娘の面影を重ねていた。
奈良・御所を舞台に、言葉の壁を越えて不思議な縁で結ばれた3人のおかしくも心温まる旅が始まった。異国の地での新たな出会いを通して、果たして陳ばあちゃんは愛する娘との再会を果たせるのか。
――本作は中国残留孤児とその家族がたどる運命、互いを思い合う気持ちを描いています。物語の着想のきっかけをお聞かせください。
以前から日本の文化や歴史、映画が好きでいろいろ見ていたのですが、いざ奈良を舞台に日中合作で映画を撮るとなったときに、中国人留学生の話や日本と中国の遠距離恋愛を書くのは違うと思ったのです。あくまでも普通の人たちの暮らしを丁寧に描きたかった。そのときに残留孤児のことを思い出したのです。
北京にいたときに本やドキュメンタリーなどの資料で残留孤児のことを調べました。その中にかつて満州があった東北地方を取材した記者が書いた本があり、そこに養母の方々が口を揃えるように「日本に自分の子どもたちを探しに行きたい」「見つからなくても、子どもたちの故郷を見に行きたい」と言っていたと書かれていたのです。
しかし、養母のみなさんは年齢が高く、実際にその願いが叶えられた方は多くなかったのではないかと思います。せめて映画の中で彼女たちの夢を叶えてあげたい。これが着想のきっかけです。養母が娘を探すという設定はフィクションですが、この作品の中に出てくるエピソードは僕が実際に残留孤児の方にうかがった話が8割くらい入っています。
――日本の若い世代には中国残留孤児の存在を知らない人も少なからずいます。監督の世代の中国の方はいかがでしょうか。
僕自身も残留孤児についてあまり知りませんでした。昔、NHKのテレビ番組で見て、何となく知っていた程度。周りに残留孤児の人はいません。
この作品は少し前に中国で上映が始まり、舞台挨拶でいろんな地域を回わりました。そのときに「どうやってこの作品を思いついたのですか」とよく聞かれましたが、東北地方で舞台挨拶していたときに、観客席で号泣している方がいらしたのです。司会の方がマイクを渡したところ、その方のお祖母様が残留孤児で、以前、映画と同じように日本に親族を探しに行ったけれど見つからず、とても落ち込んで帰ってきたという話を聞いたのを思い出して、泣いてしまったと言っていました。やはり東北地方の方にとっては遠い話ではないんだなと感じました。
――地域によって受け止め方が違うのですね。
東北地方ではとても身近に受け止めてくださったのですが、他の地方では「残留孤児という境遇の方がいらしたんですね」という感想が多く、20代の方々は戦争を知らず、血の繋がっていない親子の愛に感動していましたが、僕の世代より上の方は、「戦争をしてはいけない」という感想を持たれました。
日本に滞在していた時のことですが、助監督をしてくれた人が「この作品に入るまで残留孤児について知らなかったのですが、この作品の撮影を通して理解が深まりました。日本人として今の平和を保たなければいけませんね」とクランクアップの日に話してくれたのが印象に残っています。
――脚本を書くにあたり、残留孤児の方に取材をされたかと思いますが、話をうかがって何を思われましたか。
取材は日本でしたのですが、お話をうかがったのは2世の方。2世の方でも60代の方が多い。1世の方は探し出すのが難しくて会えませんでした。映画のスタッフにも3世の方がいました。2世、3世の方はまだ少し中国語が理解できますが、4世の方はもう日本に根付いてしまって日本語しか話せません。
もともと日本人だったのが運命に翻弄されて中国人になってしまい、改めて日本人として帰ってきて、代を追うごとに日本人に戻ってきたんだなと感じました。
――脚本は中国ではなく、日本で書かれたのですね。
日本で残留孤児の方を探したり、ロケハンをしたりしていたので、いろいろ合算すると8カ月くらい日本に滞在していました。思っていた以上に長い期間になってしまいました。
――日本で撮影してよかったこと、苦労したことがありましたらお聞かせください。
日本で撮影してよかったところは河瀨直美さん、國村隼さん、永瀬正敏さんという日本のプロフェッショナルな方々とお仕事ができたこと。美術の塩川節子さんも本当に一生懸命に取り組んでくれて、描いてくれた絵がすごくきれいで、本にしたいくらいでした。キャストやスタッフがみんな、全身全霊で取り組んでくれて、本当によかったと思っています。
ただ、映画の撮影習慣が日本と中国ではやっぱり違う。それをどうすり合わせていくかが大変でした。とはいえ、映画の撮影は何か問題が起こってそれを乗り越えていくことの連続。それに関しては中国で撮っても同じです。振り返ってみて、ちゃんと乗り越えられました。
もう1つ日本のいいところは居酒屋があるところですね(笑)。中国にも似たようなお店はありますが、あくまでも日本の居酒屋を真似た感じなので、日本の居酒屋がいいです。作品冒頭に出てくる居酒屋は偶然、通りかかって見つけたお店で、すごく生活感があるところが気に入って、撮影に使わせてもらいました。
――最後にひとことお願いします。
戦闘シーンがなくても反戦をテーマにした映画は作れます。戦争が終わってもなお残る痛みを描きたい。さらに親子の愛もテーマとして強く意識して、反戦映画として脚本を書きました。多くの方にご覧いただけますとうれしいです。
<プロフィール>
監督・脚本
ポンフェイ
1982年12月29日、中華人民共和国、北京市生まれ。フランス・パリの映画学校、Institut International de lʼImage et du Sonの映画コースを卒業。2006年中国へ帰国後、2008年からアシスタントとして映画製作を開始。台湾で活動する映画監督ツァイ・ミンリャンのもとで経験を積む。同監督の『ヴィザージュ』(09)で助監督を務め、第70回ヴェネツィア国際映画祭審査員大賞を受賞した『郊遊<ピクニック>』(13)では助監督・脚本も手掛けた。その他、ホン・サンス監督の『アバンチュールはパリで』(08)には、アシスタントプロデューサーとして製作に参加している。長編デビュー作『Underground Fragrance』(15)は、ヴェネツィア国際映画祭ヴェニス・デイズ部門にて初上映され、シカゴ国際映画祭では新人監督コンペティションでゴールデン・ヒューゴ賞を受賞。2016年1月にはフランスで劇場公開された。また、長編2作目となる『ライスフラワーの香り』は、2017年ヴェネツィア国際映画祭のFedeora賞にノミネート、同年の平遥国際映画祭では中国新人監督部門で最優秀作品賞に選ばれる。2018年のなら国際映画祭にて観客賞を受賞し、NARAtive2020映画製作プロジェクトの監督に選出され、日本の奈良を舞台に本作『再会の奈良』を手掛けた。
『再会の奈良』
出演:國村隼、ウー・イエンシュー、イン・ズー、秋山真太郎(劇団EXILE)、永瀬正敏
監督・脚本:ポンフェイ
エグゼクティブプロデューサー:河瀨直美、ジャ・ジャンクー
撮影監督: リャオ・ペンロン
音楽:鈴木慶一
編集:チェン・ボーウェン
録音:森英司
照明:斎藤徹
美術:塩川節子
後援:奈良県御所市 配給:ミモザフィルムズ
中国、日本 / 2020 / 99分 / カラー / 日本語・中国語 / DCP / 1:1.85 / Dolby 5.1
英題:Tracing Her Shadow 中題:又見奈良
© 2020 “再会の奈良” Beijing Hengye Herdsman Pictures Co., Ltd, Nara International Film Festival, Xstream Pictures (Beijing)
2月4日(金)よりシネスイッチ銀座ほか全国順次公開 / 1月28日(金)より奈良県にて先行上映
https://saikainonara.com/
シネマジャーナルスタッフの宮崎さんが「スタッフ日記」でも作品について取り上げています。
『再会の奈良』に出演の女優吴彦姝(ウー・イエンシュー)さん
http://cinemajournal.seesaa.net/article/484876714.html
『再会の奈良 』作品紹介はこちらです。
http://cinejour2019ikoufilm.seesaa.net/article/485421857.html