『映画 妖怪シェアハウス―白馬の王子様じゃないん怪―』豊島圭介監督インタビュー


男性社会に対する異議申し立てをわかりやすいコメディに

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土曜ナイトドラマ枠で歴代最高タイの世帯視聴率4.7%を記録した連続ドラマ『妖怪シェアハウス』(2020年7月クール放送)は、気弱な性格で空気ばかり読んで生きてきた主人公の澪が妖怪たちと一緒に生活しながら悪い人間を成敗することを通じて、たくましく成長する姿を描いた異色のホラーコメディーです。
シーズン2となる『妖怪シェアハウス―帰ってきたん怪―』では、前作の最後に作家を目指してシェアハウスを羽ばたいた澪が生活するお金にも困り果て、描きたい小説も書けず、またしてもボロボロになって、再びシェアハウスで妖怪たちと一緒に暮らし始めます。そして次々と“闇落ち”していく妖怪たちと対峙しました。
シーズン2を受けて『映画 妖怪シェアハウス―白馬の王子様じゃないん怪―』が6月17日に公開されます。シーズン1から関わってきた豊島圭介監督に、作品に対する深い思いを笑いも交えて語っていただきました。

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(C)2022 映画「妖怪シェアハウス」製作委員会


――連続ドラマ『妖怪シェアハウス』を放送当時は見ていなかったのですが、映画化をきっかけにTverで拝見しました。おもしろくて、ついつい一気見したくなります。演出のオファーがきたとき、どのように思われましたか。

“小芝風花さん主演で、妖怪ものドラマ”ということで話をいただきました。小芝さんとは同じテレビ朝日で単発ドラマ「ラッパーに噛まれたらラッパーになるドラマ」をやっていて、今後、主役を演じる女優として成長していくと思っていましたから、また一緒に仕事ができるのは楽しみに感じました。実際に小芝さんはこのところテレビで彼女を見ない日はないくらいCMに出ています。本当にスターになったなと感慨深いものがありますね。
作品のテイスト的にも「ラッパーに噛まれたらラッパーになるドラマ」は“ゾンビに噛まれるとラップを始める”というちょっとふざけた題材でしたから、似た路線にある番組として呼ばれたのでしょう。元々ホラージャンルの番組を作ってきたところがあるので、その辺を買われたのかもしれません。自分としても、2004年にテレビ東京で「怪奇大家族」という妖怪コメディシリーズを撮っているので、それをどう刷新して新しいものにできるかというチャレンジの気持ちがありました。

――脚本開発にも参加されたのでしょうか。

原案はプロデューサーの飯田サヤカさんと何人かの脚本家で開発したと思いますが、実際に本にする段階では最初から関わりました。

――第2シーズン『妖怪シェアハウス-帰ってきたん怪-』が6月4日に最終回を迎え、6月17日には本作が公開されます。映画化の話はどの段階で決まったのでしょうか。

2021年の春くらいに話が出て、最終的にGOサインが出たのが夏。その段階でシーズン2と映画をセットでやることが決まりました。ただ、4月クールのドラマが最終回を迎えた直後に映画を公開するとなると、ドラマを撮った後に映画の撮影をしたのでは間に合いません。ドラマを撮りながら、ドラマの先にある映画も同時に撮る。スタッフもキャストも頭の中がかなり混乱しましたが、シーズン1でキャラクターがしっかりできていたので、何とか乗り越えられました。

――ドラマシリーズでは裏テーマとして、女性を悩ませる社会問題がありました。映画では女性に限定せず、人間の本当の幸せについて問いかけます。着想のきっかけはどんなことだったのでしょうか。

飯田さんはどこからか借りてきたような考え方ではダメな人で、いつもご自身に引き寄せて企画を立てています。そんな彼女がある日「悩みや葛藤を捨てて、もっとツルツルになった方が生きやすいと言われるけれど、私は妬みや怒りに振り回されてもゴツゴツした今の生き方を貫きたい!」とおっしゃって、このテーマが決まりました。この作品は飯田さんの生き方がベースにあるのです。そのうえで、“その二項対立を映画にするにはどうしたらいいか”とみんなで知恵を絞って、人生は辛いこともあるけれど、それでも生きていくというメッセージを込めました。

――望月歩さんが演じた若き天才数学者・AITOが提示した最適解が胸にすとんと落ちたのですが、澪の答えを聞き、我に返った気がしました。私は見事にみなさんの術中にはまってしまったようです(笑)。

AITO君が「このままいくと人間は欲望にまみれて戦争を起こし、人類は滅びてしまうのではないか」と言っています。
確かに、みんながツルツル化して、嫉妬や溺愛をせず、悔しいとか誰かより勝りたいとか思わなくなったら絶対に戦争は起きません。我々がふとボタンを掛け違えて、魔が刺して何かしてしまうようなことがない世界になる。ツルツル化することに意義もあります。
でも負の感情を受け入れて、自分なりにマネージメントしていくのが生きていくということだと思います。飯田さんの生き方から始まった作品ですが、澪が選んだ選択を僕ももちろん共感していますし、人間が生きるというのはそういうことなんじゃないかなと思っています。

――シーズン1から飯田さんの生き方がベースにあったのですね。

飯田さんは新入社員の頃からさまざまな苦難や困難を経て、今に至るとよく話しています。その間には女性ならではの辛いこともたくさんあったことでしょう。
脚本家の西荻弓絵さんも苦労されてきた方で、“今まで私に酷いことをしてきた男性という存在にどうやって復讐するか”を毎日考えているのではないかと僕は想像していますが(笑)、男性社会に対する2人の異議申し立てを、僕が子どもでもわかるようなコメディに仕立て上げたのが「妖怪シェアハウス」です。

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(C)2022 映画「妖怪シェアハウス」製作委員会


――アリ・アスター監督のサイコロジカルホラー映画『ミッドサマー 』を彷彿させるシーンがありました。

彷彿どころかパロディです。僕は大学を卒業してからアメリカに渡って、ロサンゼルスのアメリカン・フィルム・インスティテュート(AFI)の監督コースに留学したのですが、アリ・アスター監督はそこの遠い後輩にあたるんです。つまり僕は後輩の映画をパクったってことですね(笑)。

――このシリーズは食事シーンが必ず登場し、毎回、おいしそうで食べたくなってしまいます。映画ではおやつまで登場しました。

この作品は異物が入ってくることでシェアハウスの擬似家族が崩壊していきますが、バラバラになったシェアハウスの住人たちが澪によってもう一度、一つになることができるのかということがサブストーリーにある。
コロナ禍で“みんなで食事をするな”、“飲みに行くな”と言われていますが、みんなで食卓を囲んで食べたり飲んだりすることがいかに楽しいことなのかをちゃんと見せたい。意識的に朝食、おやつ、夕食と3回、食事シーンを入れました。

――シーンによって食事の場所が違いますが、それも意識的に変えたのでしょうか。

テレビドラマのときはそのときのセリフの流れやゲストが来るといったことから、“いつものところではなく、こっちでやった方が便利だ”という物理的な理由で変えていましたが、映画では演出的な意味合いもあったと今、改めて振り返ってみて、思いました。
僕は大学時代に映画批評家の蓮實重彦先生のゼミを受けていたのですが、「演出とは電車のボックス席にカップルをどう座らせるかだ」という話があったのです。並んで座る、窓側に向かい合わせに座る、はす向かいに座る。それだけで関係性とカメラアングルが変わってくる。人をどこに置くかが演出の第一歩だということを学びました。実際に同じ台本でも俳優をかなり離して始めるのとすごく近づけて始めるのではまったく別の芝居になります。そういうことを考えて、“ここではこんな関係性を描きたいからここで撮ろう”などと考えていたような気がします。

――献立にもこだわりもあったのでしょうか。

何となく洋風、和風くらいで、献立には特にこだわりはないです。ただ、脚本家の西荻さんの食に対するこだわりが澪の在り方の根幹を成しているところがあって、澪はよくお腹が空くんです。お腹がぐーっと鳴るシーンがよく出てくるのは、お腹が減ることへの恐怖が潜在的に西荻さんの中にあるのでしょうね。シーズン2で澪は偉い人に美味しいレストランに連れて行ってもらって浮かれていましたが、食によって人物を描こうとするところがすごく面白いです。
西荻さんはお腹が減ることと人間の在り方の関連もテーマにしているのではないかと僕は勝手に推測しています。シーズン1の最後に澪は「作家になる」と言ってツノを生やしてシェアハウスを出ていったのに、シーズン2でひょっこり戻ってきたのは、あまりにも貧乏で作家活動ができなかったから。僕も年収50万円という極貧生活を送ったことがあり、そのころは日々生きていくことが恐怖でした。まさに“貧すれば鈍する”を経験したので、あの辺の澪の気持ちは生々しくわかります。

――年収50万円ですか! 監督は最近、東京大学出身者11人が体験した怖い話をまとめた『東大怪談 東大生が体験した本当に怖い話』を出されましたが、まさか、妖怪とシェアハウスしたのは監督ご自身の体験談だったなんてことはないですよね(笑)。

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『東大怪談 東大生が体験した本当に怖い話』(サイゾー刊)


いやいや、さすがにそれはないです(笑)。
そういえば、成城・砧にあるTMCというスタジオでドラマの打ち合わせをしていたとき、トイレに行って用を足して手を洗っていたら、黒い服を着たスタッフみたいな人が入ってきたのが鏡に映ったんです。でも、手を洗い終わって、ふっとみたら男性用の便器には誰もいないし、個室も全部空いていて、やっぱり誰もいない。これは幽霊だと思いましたね。でも、残念ながら妖怪シェアハウスではないドラマでの話なんですよ。

――「妖怪シェアハウス」シリーズで何かヒヤッとした恐怖体験があると、インタビュー記事として盛り上がるのですが(笑)。

「妖怪シェアハウス」絡みではこんなヒヤッとする話がありました。クランクインの日に所定の分量を撮り終わり、「初日が終わった!」と思いながらセットから出てきて、ラウンジみたいなところをよそ見しながら歩いていたら、スチール製の花の形をした現代アートみたいなオブジェに突っ込んでしまい、茎が1本外れたんです。「あっ、やべぇ」と思って戻そうとしたのですが、ちゃんと戻せなくて、こっそり置いて、その場を去りました。
翌日、プロデューサーから「監督、ケガをされていませんか」と聞かれて、「いえ、していませんよ」と答えたら、「昨日、ラウンジで何かにぶつかりませんでした? 私、総務に呼び出されて、『ちょっとこのビデオを見てくれ』と言われて、監視カメラ映像を見せられて、『これ、おたくの監督ですよね?』と確認されたのですが…」と言われました。そこにはビールを持ってふらふら歩いている僕がオブジェにぶつかり、壊れたものを直そうとして直せなくて、きょろきょろっと見渡して、そっと置いて逃げる姿が全部録画されていたのです。それで、恐る恐る「はい、僕です」と答えたという恐怖体験がありました(笑)。
この映像をみんなに見せたら大受けするだろうなと思って、入手しようとしたのですが、残念ながらセキュリティ上の問題で許可されませんでした。

――それはかなりの恐怖体験でしたね(笑)。ところで、シリーズを通して、怪談シーンについては宇治茶さんのゲキメーションで表現されていますが、作品のテイストにぴったりだと思いました。

昔話を語るシーンをどうするか。人形劇や紙芝居といったアイデアが飛び交っているときに、楳図かずお先生の「猫目小僧」というアニメや電気グルーヴの「モノノケダンス」のPVで使われていたゲキメーションという紙芝居を動かすような手法を思い出したのです。そこで、今、ゲキメーションを作っている人がいるのかを検索してヒットしたのが宇治茶さんでした。彼はゲキメーションを進化させようとしている人で、テイスト的にもぴったり。関西の方でしたが、雁首揃えてみんなであいさつに行って、引き受けてもらいました。

――ドラマシリーズではエンドロールのスタッフの名前のところにカッコ書きがついていて、監督は「シロメムカセ」とありました。これは妖怪の名前でしょうか。また、なぜ、監督はシロメムカセなのでしょうか。

プロデューサーの宮内貴子さんが「最終話はみんなに妖怪の名前をつけよう」と思いつき、それぞれが現場でやってきたことをネタにして付けました。僕はこの作品で妖怪たちがテレパシーで会話するときに白目をむかせていましたが、これまでも、なるべく自分の作品では俳優部に白目をむいてもらおうと努力してきたのです。例えば『森山中教習所』では野村周平くんに、『ヒーローマニア-生活-』では東出昌大くんに白目をむかせました。残念ながら『花宵道中』では安達祐実さんに白目をむかせられませんでしたが、あの作品も濡れ場ならできたのではと今更ながら思います。
ちなみにシーズン1では「シロメムカセ」ですが、シーズン2のときは「スーパーシロメムカセ」になりました。メイクさんは「バケサセ」です。ただ、これはテレビ版の終わりにやったお遊びで、劇場版には出ていません。

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(C)2022 映画「妖怪シェアハウス」製作委員会


――では、テレビではできなかったこんなことを映画ではチャレンジしてみたということはありましたか。

シーズン2で次々に妖怪が闇落ちしましたが、シェアハウスに住む4人の妖怪たちは闇落ちさせられなかったので、映画版では絶対にそれを描きたいと思っていました。彼らが闇落ちしてどんな風になるのかは映画でお楽しみください。僕は元々歌ったり踊ったりするシーンを撮るのが大好きで、シーズン2ではそれが少なかったので,映画で思う存分やらせてもらいました(笑)。

――最後にひとことお願いいたします。

この作品はプロデューサーの生き方を探るところから始まって、女性の生き方、さらには人間の生き方という大きなテーマが乗っかってきました。しかし、それらを真面目にやっても「妖怪シェアハウス」になりません。たっぷりふざけてカオスな世界にしつつ、そういうテーマも見え隠れする作品にしたい。
とはいえ、ふざけるのも本当はすごく大変で、レギュラーメンバーはアドリブでふざけているように見えますが、実はみんなものすごく真剣に考えています。5人分の脳みそで、どうやったらこのシーンを成り立たせることができるのか、ふざけて笑うためにもっと何かないのか、それぞれのキャラクターに嘘はないかを鎬を削るように話し合いました。でも、それが透けてみえてはまずい。難しい塩梅の中で作っています。とにかく思いっきり楽しんで笑っていただけたらと思います。

(取材・文:ほりきみき)


<プロフィール>
豊島圭介監督
1971年静岡県浜松市生まれ。東京大学在学中のぴあフィルムフェスティバル94入選を機に映画監督を目指す。卒業後、ロサンゼルスに留学。AFI監督コースを卒業。帰国後、篠原哲雄監督などの脚本家を経て2003年に『怪談新耳袋』(BS-TBS)で監督デビュー。以降映画からテレビドラマ、ホラーから恋愛作品まであらゆるジャンルを縦横無尽に手掛ける。近年の作品に、映画『ヒーローマニア-生活-』(16)、『森山中教習所』(16)、『三島由紀夫VS東大全共闘〜50年目の真実〜』(20)、テレビドラマ「書けないッ⁉~脚本家吉丸圭佑の筋書きのない生活~」(21・EX)、「I”s(アイズ)」(18)、「ラッパーに噛まれたらラッパーになるドラマ」(19・EX・BSスカパー!)、「特捜9」(19・EX)、「イタイケに恋して」(21・YTV)などがある。


『映画 妖怪シェアハウス―白馬の王子様じゃないん怪―』
<ストーリー>
目黒澪(小芝風花)は相変わらず作家を目指して編集部で奮闘するが、企画を出すものの中々通らない毎日。そんな彼女の周囲で、最近マッチングアプリで自分の好みを反映したAIと恋愛を楽しむことが流行りだす世の中の風潮が起こっていく。そんな流行りを横目に、自分には関係ないと思いつつ、ぼんやりながら理想の恋人を思い浮かべる澪。ある日、仕事で命じられた取材先で、アインシュタインの再来と謳われる天才数学者・AITO(望月歩)とひょんなことから知り合いになる。日本をよく知らないAITOに様々教えてあげるうち、澪は新たな恋の予感を感じ、浮かれる気持ちを隠しきれない。天才とされるだけあってどこか風変わりなミステリアスな雰囲気をまとうAITOと関係を深めていく澪。順調と思われた2人の交際だったが、世の中では若者の間で登校や出社を拒否したり、自分の欲望を抱く気持ちすら失っていくという“ツルツル化現象”が急増。さらに澪を取り囲む妖怪にも次々と異変がみられるように。この現象が意味するものは一体何なのか?

監督:豊島圭介 
脚本:西荻弓絵 
音楽:井筒昭雄 
主題歌:ayaho「アミ feat. 和ぬか」
出演:小芝風花、松本まりか、毎熊克哉、豊田裕大、池谷のぶえ、佐津川愛美、長井短、井頭愛海、尾碕真花、小久保寿人、片桐仁、安井順平、望月歩、池田成志、大倉孝二
制作プロダクション:角川大映スタジオ 
配給:東映 
(C)2022 映画「妖怪シェアハウス」製作委員会
2021年6月17日公開
公式サイト:https://youkai-movie2022.jp

『ポーランドへ行った子どもたち』チュ・サンミ監督インタビュー

1950年6月25日に始まった朝鮮戦争は1953年7月27日に休戦協定が締結されるまでの3年余りの間、壮絶な戦いが続きました。その結果、韓国と北朝鮮の死傷者の数は500万人に達し、1000万人を超える離散家族が発生。南北合計10万人の子どもたちが孤児となったのです。
北朝鮮の金日成は東欧の社会主義同盟国に「戦争を続けられるように孤児を引き受けてほしい」と要請。戦争孤児たちは1951年にロシア、ハンガリー、ルーマニア、チェコに散らばり、そのうちの1500人がポーランドに送られました。
韓国でも知られていない、この事実に光を当てたのは、ホン・サンス監督作への出演など、俳優としても注目を集めるチュ・サンミ監督。戦争孤児についての劇映画を撮ることにしたチュ・サンミ監督がオーディションで知り合った脱北者の少女とポーランドに取材旅行に出掛けた様子をドキュメンタリー作品として公開することにしたのが本作です。なぜ劇映画を作ろうとしたのか。韓国の人はこの作品を見て、どう思ったのか。公開を前にチュ・サンミ監督にお話をうかがいました。

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©2016. The Children Gone To Poland.


――本作は監督がご友人から北朝鮮の戦争孤児について聞いたことをきっかけに映画を作ることにされ、その取材のためにポーランドへ行ったときのことをまとめたドキュメンタリー作品ですが、なぜ北朝鮮の戦争孤児のことを映画にしようと思ったのでしょうか。

北朝鮮の戦争孤児のことは出版社の知人から聞いて知り、資料をもらったのですが、初めての出産を経験したこともあって、母親としての視点で戦争孤児に感情移入したのです。
ちょうどそのころ、子どもへの愛情があふれすぎてかえって不安になり、産後うつ状態でもありました。その状況を何とか克服したい。女優業を休んでいたときに大学院で演出を学び、監督を目指していたので、“北朝鮮の戦争孤児たちの長編映画を撮ることでうつを克服できないか”と考えたのです。それが『切り株たち(仮題)』です。
シナリオを書き始め、キャスティングのためのオーディションを行っているうちに“ポーランドの先生たちは違う民族でありながら、なぜ子どもたちを親のように面倒をみたのか”、“そこにはどんな関係が生まれたのか”をもっと知りたくなって、ポーランドに行きました。

――「切り株たち」とは面白いタイトルですね。

当時、ポーランドの学校では野外でも授業を行っていて、子どもたちは切り株に座っていたそうなんです。そこで、子どもたちが自分の座る切り株に色を塗ったり、名前を書いたりして飾っていく様子を思い浮かべ、タイトルにしました。

――『切り株たち』はどのような物語なのでしょうか。

主人公はジュンソクという男の子で、韓国出身という設定にしました。実は北朝鮮の孤児だけではなく、韓国の孤児も東欧に送られていました。戦況によっては38度線を越えて北朝鮮の影響下にあったためです。ポーランドでお母さん代わりになってくれた人はユダヤ人で、アウシュビッツのホロコーストで我が子を亡くしており、息子のようにジュンソクを育てるというのがメインストーリーになっています。そこにジュンソクと北朝鮮出身のギドクという女の子とのラブストーリーも入ってきます。
実話を元にした映画はたくさんありますが、今回の場合は60%が実話、40%がフィクションといった感じ。ポーランドの先生たちの中に実際にユダヤ人がいたかどうかは確認できていません。

――『切り株たち』の完成前に取材旅行をドキュメンタリー作品として公開したのはなぜでしょうか。

北朝鮮の戦争孤児を描いた映画を作ることを周りの人に話したところ、戦争孤児について知らない人が多く、「同じ民族として知っておくべきことなので、まずはこのことを知らせた方がいい」と言われました。しかも『切り株たち』はポーランドオールロケーションになるので、予算規模もかなり大きくなる。あるエンターテインメント会社の関係者が、「もう少し知名度を上げてから作り始めたほうがいい」とアドバイスをしてくれました。それだけたくさんの課題を含んだ作品なのです。ステップ・バイ・ステップの形を取って、ドキュメンタリー作品を作ってから『切り株たち』を作ることにしました。

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©2016. The Children Gone To Poland.


――『切り株たち』のオーディションで知り合ったイ・ソンさんをポーランド取材に同行させました。なぜ主人公のジュンソクを演じる俳優さんではなく、イ・ソンさんだったのでしょうか。

ジュンソクは韓国人の子役をキャスティングする予定ですが、まだ決まっていなかったのです。
次に重要な役はジュンソクと恋に落ちるギドクという女の子ですが、この子も私がイメージしていたような子がオーディションにおらず、キャスティングができていませんでした。
ギドクといちばん仲の良かったオクソンを演じるイ・ソンは作品としては3番手ですが、オーディションで選ばれた子の中ではいちばん重要な役だったのです。ポーランドにあるギドクのお墓参りを『切り株たち』の中心に考えていたので、その意味でもイ・ソンが相応しいと思いました。

――この作品の中でイ・ソンさんは「韓国は資本主義で貧しい国だからジャガイモを2つ持っていって韓国の子にあげたいと思っていたのに、韓国の人はみんなお腹いっぱい食べて幸せに暮らしていて、食べ残しても人にはあげないで捨てる。損することは絶対にやらない」と言っていました。この話を聞いて、監督はどう思われましたか。

イ・ソンの「食べ物が2つあったら1つは南の子にあげましょう」という話は北朝鮮の教科書に載っています。これは“韓国の子に優しくしましょう”ということではなく、韓国は貧しい国で北朝鮮の方が豊かだと思い込ませるためなのです。それをイ・ソンは純粋に受け止めたようです。
イ・ソンだけでなく、他の脱北者の方からもオーディションのときにたくさん話を聞きました。社会主義の国で生きてきた子どもが資本主義の国に来て、今までと異なる体制に適応する中で経験する混乱はある程度、共通しています。“自分で稼いで、自分で食べる”という個人主義的な考え方は北朝鮮のような共同体から来ると冷たく感じられるようで、イ・ソン以外の子どもたちもショックだったと話してくれました。
いずれにしてもイ・ソンたちが指摘している“韓国人の不遜な態度”は韓国というよりも資本主義社会の全体の問題であると思います。

――戦争孤児たちはポーランドだけではなく、ロシア、ハンガリー、ルーマニア、チェコに散らばったそうですが、その子たちがどんな状況だったのかについてもご存じでしょうか。

ほとんどの国でポーランドと同じように1959年頃、北朝鮮に戻されていると聞いています。ただ東ドイツだけは少し違っていて、エリート教育として大学まで行かせたということもあったようです。
ドイツの子に関しては研究論文を書いた人がいて、話を聞きました。チェコ、ハンガリーなどは韓国から留学した人たちが戦争孤児たちの研究論文を書いていて、それらも参考にしました。

――本作はすでに韓国で公開されています。韓国のみなさんの反響はいかがでしたか。

朝鮮戦争から70年近くが経ち、韓国では南北の統一について無感覚になっている人が多く、特に若い世代は統一について関心がありません。この作品にも出てきていますが、資本主義、個人主義が発展して、統一のためにわざわざ税金を払うのは嫌だと否定的な意見も増えています。
ですから、“この映画を見て、なぜ統一して、一つの民族が一緒にならないといけないのかということを考えるようになった”という感想がいくつもあったのがうれしかったです。
他にも、“ポーランドの先生たちが自分たちとは違う民族でありながら子どもを我が子のように愛していたのを知り、同じ民族でありながら恥ずかしい”、“人類愛的立場で人間はみんな一つの民族と考えるきっかけになった”といった感想もありました。

――日本の観客に向けてひとことお願いします。

母性は世界共通です。ウクライナで起きていることを母親のような気持ちで見ると、自分たちとは関係ないことではないと思います。
日本も過去に東アジアの人たちと傷つけ合うことをしており、朝鮮半島の南北の分断はその延長線上にあります。北朝鮮の戦争孤児の話を日本人には関係ないと思わず、自分たちのことだと考えて見てもらえるとありがたいです。
(取材・文:ほりきみき)


シネマジャーナルのスタッフによる作品紹介はこちらです。http://cinejour2019ikoufilm.seesaa.net/article/488810168.html

<監督プロフィール>
チュ・サンミ監督
1972年ソウル生まれ。父は俳優のチュ・ソンウン。
1994年、俳優としてデビュー。1996年、百想芸術大賞の新人演技賞(演劇部門)受賞。ハン・ソッキュ、チョン・ドヨンと共演した『接続 ザ・コンタクト』(1997)や、ホン・サンス監督の『気まぐれな唇』(2002)、イ・ビョンホン、チェ・ジウと共演した『誰にでも秘密がある』(2004)などの映画で注目を集める。KBS演技大賞優秀演技賞を受賞した『黄色いハンカチ』(2003)をはじめ数々のドラマにも出演したが、『シティホール』(2009)以後、出産・育児のため演技を休止。ドラマ『トレーサー』(2022)で13年ぶりにドラマに復帰した。
演技を休止している間、中央大学大学院映画制作科に進み、映画演出課程を修了(2013)。短編映画『扮装室』(2010)、『影響の下の女』(2013)などの演出を経て、ドキュメンタリー映画『ポーランドへ行った子どもたち』(2018)の監督を務める。
『ポーランドへ行った子どもたち』は2018年の釜山国際映画祭で上映後、韓国で劇場公開され、観客数5万人を超えるヒットとなった。2018年、金大中ノーベル平和映画賞、2019年、春川映画祭審査委員特別賞、ソウル国際サラン(愛)映画祭基督映画人賞受賞。日本では2020年の大阪アジアン映画祭、2021年の座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバルで上映された。
Boaz Film代表、DMZ国際ドキュメンタリー映画祭理事など。2021年の釜山国際映画祭では「今年の俳優賞」審査委員を務めた。


『ポーランドへ行った子どもたち』
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©2016. The Children Gone To Poland.


監督:チュ・サンミ
出演:チュ・サンミ、イ・ソン
ヨランタ・クリソヴァタ、ヨゼフ・ボロヴィエツ、ブロニスワフ・コモロフスキ(ポーランド元大統領)、イ・へソン(ヴロツワフ大学韓国語科教授)、チョン・フンボ(ソウル大学言論情報学科 教授)
プロデューサー:チェ・スウン
音楽:キム・ミョンジョン
配給:太秦
©2016. The Children Gone To Poland.
2022年6月18日(土)よりポレポレ東中野ほか全国順次公開
公式サイト:http://www.cgp2016.com/