7月30日(土)より新宿K’s cinemaほか全国順次公開 上映情報
作品紹介
第二次世界大戦勃発前の1938年、ドイツ・ハンブルクにノイエンガンメ強制収容所が設置された。ナチスの迫害を受けたユダヤ人や捕虜、政治犯など、1945年の終戦までにおよそ10万人の人々が収容された。ここに1944年11月28日、アウシュヴィッツ強制収容所から、5歳から12歳の子供20人が送られてきた。男の子と女の子10人づつ。フランス、オランダ、イタリア、ポーランド、スロヴァキアなど、生まれた国は様々だったが、皆ユダヤ人で「結核の人体実験」のため連れてこられた。過酷な実験で衰弱した子供たちはドイツの敗戦が迫る1945年4月20日、証拠隠滅のためブレンフーザー・ダムでナチ親衛隊に殺害された。今、街の人々はこの子たちを偲び、毎年慰霊をし、この事実に向き合っている。
シネマジャーナルHP 作品紹介
『北のともしび ノイエンガンメ強制収容所とブレンフーザー・ダムの子どもたち』公式HP
上映時間108分 / 製作:2022年(日本)
配給:S.Aプロダクション
東 志津(あずま・しづ)監督 プロフィール 公式HPより
大学卒業後、映像の世界へ。企業のPR映画やCM、テレビ番組の製作などに携わる。取材で知り合った中国残留婦人との出会いをきっかけに2007年、最初の長編ドキュメンタリー映画「花の夢 ある中国残留婦人」を発表。その後、2009年に文化庁新進芸術家海外研究制度にて渡仏。フランス国立フィルムセンター(アーカイブ部門)を研修先に1年間、パリに滞在。戦争の記憶をどのように受け継ぎ、映像に残していくかを模索する。2014年、2作目となる長編ドキュメンタリー映画「美しいひと」を製作。広島・長崎で被爆した日本、韓国、オランダの原爆被害者たちの最晩年を描いた。著書に、『「中国残留婦人」を知っていますか』(岩波ジュニア新書)。
『北のともしび ノイエンガンメ強制収容所とブレンフーザー・ダムの子どもたち』東志津監督インタビュー
2022年7月18日 神保町にて
*この映画を撮るまでの経緯
ー 2009年に文化庁新進芸術家海外研修制度によりフランス国立フィルムセンター(アーカイブ部門)で1年間研修に行った時に持っていった「夜と霧」という本の中の記述が気になってノイエンガンメ強制収容所に行ったと言っていましたが、この記述というのはフランスでみつけたのですか?
東監督 研修に行った時、持って行った数冊の本の中の1冊がヴィクトール・E・フランクルの「夜と霧」でした。最初に作った作品が『花の夢 ある中国残留婦人』で、「戦争の記憶をどのように残していくか」が研修のテーマだったこともあり、それに関連したものをと持っていきました。日本にいる時はなかなか時間が取れず、パリに行った時に読み、その中の記述で気になったのが、このナチスによる人体実験の末、殺されてしまった子供たちのことでした。
ー フランスへの研修はどのような経緯で行ったんですか?
監督 文化庁の新進芸術家海外研修制度の中に映画部門があり、それに応募しました。「いせフィルム」にいた時、伊勢真一監督がこの研修制度のことを教えてくれて、行ってみればと進めてくれたということもありますが、一度は海外に出てみたかったということもあり、1作目を撮った後、応募しました。本当は英語圏が良かったのですが、受け入れてくれるところがみつからず、たまたまパリに映画関係の知り合いがいて、フランスの国立フィルムセンターのアーカイブ部門が受け入れてくれたので行くことができ1年間行きました。新たな発見もあるかもしれないし、最初の作品を32歳の時に撮って、これから先もずっと映画を作っていきたい、力をつけたいと思ったのでチャレンジしました。大学を出て、10年くらいのキャリアを積んで1本作品を作って、少し実績を積んで結果を出してから行った方がいいかなと思いました。
ー その後に2本目の『美しいひと』を撮り、この3本目の『北のともしび』を作ったということですね。
監督 ほんとうは『美しいひと』の前に、この『北のともしび』のテーマの作品を作ろうと思っていたのですが、外国のことをテーマにする前に、自分の国が関わるものを撮ってからと思って、2本目に『美しいひと』を作りました。
*ノイエンガンメとブレンフーザー・ダムとローズガーデン
ー 子供たちは人体実験のため、アウシュヴィッツからハンブルクのノイエンガンメ強制収容所に送られ、その後、ブレンフーザー・ダム(昔、学校だった)で殺害され、今はローズガーデンに祀られているとのことですが、ノイエンガンメ強制収容所とブレンフーザー・ダム、ローズガーデンの位置関係はどんな感じなのでしょう。
監督 ノイエンガンメ強制収容所とブレンフーザー・ダムは車で20分くらいのところにあり、ローズガーデンはブレンフーザー・ダムの向かいというか敷地内にあります。
ー 20人の子供たちのことは「70年代末にドイツ人ジャーナリスト、ギュンター・シュヴァルベルクによって発掘されるまで埋もれていた」とのことですが、隠されていたものがどのように蘇ってきたのでしょう。
監督 このことは隠されていたわけではなく、この人体実験に関わった人たちは、戦後、裁判にかけられ、罪に問われ、処刑された人もいました。その後、世間に知られることはなかったということです。
ー 子供たちは殺された後、今、ローズガーデンになっているところに埋められたのですか?
監督 子供たちは戦争末期、証拠隠滅のため、ブレンフーザー・ダムで殺害され、そのあとノイエンガンメに戻されたと言われているけど、そのあとどうなったかというのはわかっていないんです。
ー あのローズガーデンは、お墓というよりは慰霊の場所ということですね。すてきな場所ですよね。ナチスの人体実験というのは、いくつもあったと思うけど、子供たちというのは珍しいのでしょうか。
監督 メンゲレの双子の人体実験というのは有名ですが、子供が人体実験に使われたというのは珍しいのではないでしょうか。結局、大人で成果が得られなかったので、子供だったらまた違う結果が出せるのではないかということで連れてこられたのでしょう。
*人体実験の証拠と肉親捜し
ー この片手をあげているのはどういう意味を持つ写真なんでしょう。
監督 結核菌を体内に植え付けられた後、脇の下にあるリンパ節に抵抗物質が集積するというのがあり、切除して、経過を見たようです。こういう実験をしましたと記録として残してあったのです。
ー 日本軍の人体実験を行った731部隊なども、証拠隠滅のため、こういう資料は廃棄されたか焼却されたと思うのですが、ナチスの人体実験の証拠であるこの写真は残っていたのですか?
監督 その人体実験を行った医師が、終戦の時に逃げて東ドイツに隠れ住んだのですが、逃亡する時に資料を自分で持って逃げたんです。その医師は、戦後20年たった1964年にみつかり裁判にかけられたのですが、その時に証拠として提出された資料の一つです。本に書いてあったのですが、証拠品は自分の家の木の下に埋めてあったらしいです。
ー この子供たちの記録を掘り起こし出版した記者の方の執念、すごいですね。
監督 ギュンター・シュヴァルベルク記者の友人(オランダ人の捕虜)が、この収容所にいて、この子供たちの写真を持っていたようです。この写真を彼に見せたら、子供たちが人体実験のために連れてこられたことを知らなかったということだったんですが、そこから肉親捜しを始めるんです。
ー 写真があったから誰だかわかったのですね。
監督 それは人体実験を行った医師が、資料を全部持って逃げたというのがあったからです。写真に名前とか出身地とかの記録があった。それが手がかりになって、遺族がわかりました。欧州中で写真を公表して募ったそうです。自分の家族を捜している人がたくさんいて、捜すための機関もあったからだんだんにわかってきた。
*映画ができあがるまで
ー こういう映画に出演してくれる人の許可のとり方とか、手がかりとかノウハウはあるんですか?
監督 この映画を撮ろうと思い、まず撮影許可をノイエンガンメ記念館にお願いしようと思った時、この映画の監修をお願いした東京大学の石田勇治教授に相談したら、「オープンなので、頼めば応じてくれますよ」とアドバイスをいただいたんです。きっかけは石田先生の本を読んで、この方なら相談にのってくれるかなと思って、連絡をしました。
また、私はドイツ語が全然わからないので、ハンブルクの日本人会に「こういう映画を作りたいんだけど、協力してもらえないか」と問い合わせをしたら、後にこの映画撮影のコーディネイトをしてくれることになったドイツ人と日本人のハーフの女性が、間を取り持ってくれて、撮影がOKになっていったのがスタートでした。何を撮るか、何が撮れるかはまったくわからないまま行って、その時、その時、撮れるものを撮らせてもらいました。
ー 最初に行ったのは?
監督 フランスにいた時に行ったのは2010年でしたが、その時はただ見てみたいと思って行ったのです。その時に映画を作りたいと思いました。その4年後の2014年11月に撮影しに行き、この映画を作り始めました。その間に『美しいひと』を発表して(2014年)、この映画の公開が終わってから、こちらの作品に取りかかったんです。
ー 2作目を作っている間にも、この3作目のための情報とか集めていたりしたんですか? 情報って、アンテナはっていると飛び込んできますよね。
監督 そういことありますよね。でも自分が映画を仕上げたい仕上げたいと思っていても全然動かない時もあるし、突然、道が開けて、仕事が進んだりすることもあります。だからいつまでに仕上げようというよりは、そのうちできるだろうと思っていないと務まりません(笑)。そんなんで何年もかかってしまったんです。
ー そうすると、これが出来上がるまでに何年?
監督 最初に映画にしたいと思ってから12年ですね。2010年のノイエンガンメに行った時、映画にしたいと思ったけど、今の自分ではテーマが大きすぎて無理だなと思ったのです。みんなが知っていることをあえて作るわけだから、私が作る意味だとか、知識も足りないし、これは10年くらいはかかるかなと、その時に思いました。
ー 『花の夢 ある中国残留婦人』が2007年で、2009年にフランスに行き、『美しいひと』が2014年。3作目の『北のともしび』が2022年公開ということで、ちょうどいい節目、タイミングで作品を生み出してきたと言えるのではないでしょうか。
監督 そうですね。ま、長い目でみれば。でもその時は悩みつつ作っていたという状況でした。
ー このところ、30代~40代の監督で海外で映画を勉強して、作品を作っている監督が多いような気がします。東さんにとって海外に行ったのはどういう意味がありましたか?
監督 このままずっと日本にいても限界があるなと思ったので、自分の幅を広げるという意味では、広がりましたね。行くと行かないのでは、世界の見え方が全然違うし。自分にとっては必要だったかな。
ー 撮影も自分でやっているわけですが、カメラを持っていくのは大変だったのではないですか。
監督 今は、もうカメラを持っていくのは自信がありません。映画の場合はカメラだけでなく三脚もあるので、一人でやるのはかなり重労働です。昔に比べたらカメラが小さくなったので一人でもできたんですよね。今回3回行ったんですが、最初の2回は一人で行って撮影もしました。でも3回目は2年前に行ったんですが、一人では怖かったので知り合いに一緒に来てもらいました。現地に行けば、コーディネーターさんとかいますが、それまでの道中が心配でした。その頃はもう40半ばくらいだったし、世界情勢も良くなかったので一人では行きませんでした。
2014年11月に10日くらい、2015年春に3週間くらい。あとは2019年4月に1週間くらいに行きました。自分の生活環境の変化もあり、すぐにはまとめられないなと思っていたのですが、そうこうしているうちに世界情勢が変わってきたので、そろそろまとめようと思っていきました。何が撮れるかというのは、ある程度日本にいる時に考え、あとは現地に行ってからという感じでした。ノイエンガンメ記念館の方から、「今度こういうイベントがあるよ」とか、連絡をいただきました。映画の冒頭に子供たちの名前を読み上げて始まったのは、毎年子供たちが亡くなった4月20日にあるノイエンガンメ記念館主催の追悼イベントです。ポーランドやフランスなど、子供たちの出身国の子供たちが、殺された子供たちの名前を読み上げていましたが、それは毎年ではなく2015年にあった特別な追悼イベントでした。
*歴史を学ぶ
ー 記念館で高校生たちが、この子供たちのことを調べる勉強会のようなものが出てきましたが。
監督 あれは地元の高校の先生が、こういう授業をしようと提案して、その一つとしてノイエンガンメ記念館の資料室を使って授業をしている光景です。
ー 監督の前2作も含め、こういうことを忘れないために人々に知らせていくには劇場公開が済んでからも何度も何度も上映していく必要があると思います。
監督 そうですね。学校で上映してもらいたいなと思っています。自分としては中学生くらいでもわかるよう、平易に描いているつもりです。
ー 『教育と愛国』を観てショックだったのですが、自分たちの加害の歴史をなかったことにしようとしていることが政治の力を使って広がっている姿が描かれていました。それよりもっと愕然としたのは、現代史そのものが選択になってしまって、歴史を知らない子供たちが増えているということでした。私が中学、高校の頃(60年代後半)でも現代史はもう3学期頃になるので、ほとんどすっ飛ばしだったし、たいして学んでなくて、その後、映画を観ることでたくさんのことを学んできました。そういう意味では映画は大事ですね。
監督 私はこの映画を作って、ドイツと日本の歴史教育の在り方を比較して、ドイツはこんなにすごいのに、日本は全然だめですねということを言いたいわけではないです。ただ、私が見たドイツでは「歴史を学ぶ」ということは当たり前のこと。「昔あったことを知って反省しましょう」ということではなくて、そういう歴史はヨーロッパでは共通認識としてあって、「こういうことを二度と起こさないためにはどうすればいいだろう、こういうことの根底にあるものは何だろう」と、子供たちに考えさせるということがいいなあと思いました。そういうことを考えないとヨーロッパでは維持していけないという背景があると思います。それが日本人にはない感覚だなと思いました。何があったか、しっかり受け止めて、こういうことを二度と起こさないためにみんなで考えようというところに希望が持てるなと思います。ドイツでも、みんながみんなこういう風にしているわけではないと思いますが、私が知り合ったノイエンガンメに集う人たちは、そういうことを人間としてこうありたいと考えている人たちで、そういうこの場所の在り方がすごくいいなと思います。
ー 8月5日に公開される『ファイナル アカウント 第三帝国最後の証言』ですが、ホロコーストを加害者の側から目撃した、武装親衛隊のエリート士官、強制収容所の警備兵、ドイツ国防軍兵士、軍事施設職員、近隣に住んでいた民間人などに取材したドキュメンタリーですが、いまだにナチスを肯定している人もいて、この『北のともしび』に出てくるドイツ人とは全然別の考え方の人たちのように思いました。
監督 その作品の字幕をやっているのは、ここでもお世話になっている吉川美奈子さんだと思います。ドイツ語⇔日本語といえば吉川さんというくらいの方で、この映画を作る時に、ナチ関連のことをあまり知らない私は吉川さんに助けてもらいました。
ー 日本以外の映画祭とか行く予定とかありますか?
日本語字幕版以外にも、他の言語版はあるのですか?
監督 今のところ映画祭などの予定はありません。日本版以外は、ドイツ語版、英語版があります。ドイツ語版は、この間、ノイエンガンメとブレンフーザー・ダムのそばの教会の人が主催して、小さな美術館の中のシアタールームで上映会をしてくれました。
ー この子供たちのことを描いたドキュメンタリーは、他の国でもあるんですか?
監督 ないみたいです。でも最近、ドイツのTV局がドラマの形でやったと聞きました。
ー 東さんは、こういう埋もれた事実をよくくみ上げたなと思います。この間『憂鬱之国』の公開直前トークというのがあって、ゲストで来られた森達也監督が「自分は、みんなが見ているところとは違うところに目が向く」というような話をしていましたが、そういう視点って大事だなと思います。「大きな話題になっていることや、みんなが話していることの片隅にあることに興味がある。みんなに知られていないことを自分が知りたいから撮るんだ」と言っていましたが、東監督の話もこれに通じるなと思いました。
監督 私の興味の対象もそういうところがありますね。
ー 2作目の『美しいひと』もそうですよね。これまで知られていなかった被爆者に目を向けていますしね。ドキュメンタリーの監督は、その精神を大事にしてほしいです。
今後のことについても聞かせてください。
監督 考えていることはあるのですが、まだ、全然話できるようなことではないので方向だけでも。これまで戦争をテーマに3本作ってきたのですが、3本作ってやっとテーマを掴めるというのがあるので、そのことを踏まえて、別のテーマでやってみたいと思います。
取材・写真 宮崎暁美
取材を終えて
これまで『花の夢 ある中国残留婦人』『美しいひと』でもインタビューし、この3本目の作品でも取材させていただきました。東監督の作品は重いテーマを扱っているのに気持ちを沈ませるのではなく希望を感じるからです。監督自身は、おっとりした感じなのに、映画を観ると、優しさの中にしっかりとした意志があります。この映画はナチスによる子供たちの悲劇を扱った作品ですが、ハンブルクの人たちの温かさ、おこってしまった事実を次の世代に伝え、新たな交流を作りだしている姿を見て、こんなふうだったら戦争も起こらないのにと思いました。ハンブルクの街の中には、この子たちの名前を付けた通りがあるというのもいいなあと思いました。
*参照 シネマジャーナルHP 特別記事
1作目 『花の夢 ―ある中国残留婦人―』
作品紹介 シネマジャーナル71号(2007年)
『花の夢 ―ある中国残留婦人―』東志津監督インタビュー
シネマジャーナル71号(2007年)
2作目『美しいひと』東志津監督インタビュー