雑多なモノが溢れるスタジオで、映画の登場人物の動きやシーン、雰囲気を追いながら、想像もつかないような道具と技を駆使してあらゆる生の音を作り出す職人、フォーリーアーティスト。
本作は台湾映画界で40年近く音を作り続けてきたフー・ディンイーが関わった作品を紹介しながら台湾映画史を振り返ります。
ワン・ワンロー監督に企画のきっかけや制作時の苦労話などをうかがいました。
<フォーリーアーティストとは>
足音、ドアの開閉音、物を食べる音、食器の音、暴風、雨、物が壊れる音、刀がぶつかる音、銃撃音、怪獣の鳴き声など、スタジオで映像に合わせて生の音を付けていく職人。大画面の向こう側、観客の目に触れない陰から作品の情感を際立たせる大事な役割を担いながらも、その存在はあまり知られていない。デジタル技術で作られた効果音は豊富にあるが、ひとつひとつの動作や場面に合う音は異なるため、鋭い聴覚と思いもよらないモノを使ってリアルな効果音を生み出す想像力が必要となる。
──本作はフォーリーアーティスト(音響効果技師)にスポットを当てたドキュメンタリーですが、なぜ、フォーリーアーティストをテーマにして作品を撮ることにしたのでしょうか。きっかけからお聞かせください。
映画の制作現場でどうやって音を録音するのか。収録された音はどうやって編集して使うのか。ミキシングはどうやるのか。私はよく知らないまま、監督デビュー作として詩人ルオ・フーを記録した『無岸之河』を撮っていました。その作品が完成し、次は何を撮るのかを考えていたときに、映画における音の部分を掘り下げたいと思ったのです。
ただ、フォーリーアーティストという職業は映画界でも知っている人は多くありません。そこで、元々知り合いだったフー・ディンイーさんに「フォーリーアーティストをテーマにした作品を撮ろうと思っている」と伝え、取材をさせてもらったのです。
2014年に撮影を始めましたが、助成金の申請が通らなかったので、撮影を続けるかどうか迷いました。何とか2016年に撮り終えたものの、その後のポストプロダクションも本当に大変でした。
──フー・ディンイーさんにスポットを当てた作品だと思ったのですが、フーさんの仕事そのものというよりも彼の仕事を通じて、台湾映画の変遷を浮かび上がらせていましたね。
最初は私もフーさんの人生そのものを映画の物語にするつもりでした。ところが、フーさんの人生は山あり谷ありというわけではありません。映画の観点からするとドラマチックさに欠け、90分の長さを彼の人生を描くことだけに使うと物足りないかもしれないことが撮り始めてすぐにわかったのです。
そこで、自分がなぜこの映画を撮るのかを改めて考えてみました。すると映画、特に音の部分に強い関心や興味を持っていることに気がつきました。
そこでフーさんの物語を軸に、台湾映画産業の変遷をまとめることにしたのです。できれば、音の使い方を中国と西洋の映画で対比してみたかったのですが、それについては残念ながらできませんでした。
今回、私が取材した方々の中にはその後、お亡くなりになった方が何人かいます。若い人たちの映画に対する情熱もあのときだから捉えられたもの。すべては運命のようなものだと思います。
──たくさんの映画作品が紹介されています。映像も使われていましたが、版権の問題をクリアするのは大変だったのではありませんか。その辺の苦労話があったらお聞かせください。
過去の作品の映像を使うための著作権処理がこの作品で最も大変なところでした。たくさんの方と連絡を取りましたが、親切な方が多かったですね。私が1人でこの作品を撮っていて、資金があまりないことを話すと無償で使わせてくださった方も少なからずいらっしゃいました。一方で、3カ月くらいかけて交渉して、高額な使用料を要求されたにも関わらず、ある日突然、「自分は権利者ではなかった」といきなり連絡が途絶えた方もいました。昔は著作権に関する考え方が曖昧だったので、こんな話が起きたのだと思います。
私は香港でとても有名なリー・ハンシャン監督の作品を使いたかったのですが、いろいろ調べたところ、監督ご自身はすでに亡くなっていました。その作品の著作権は娘さんが引き継がれていると聞き、娘さんを一生懸命に探しましたが見つかりませんでした。「仕方がない」とその作品の使用を諦めていたところ、その年の旧正月の年末に娘さんご自身から「みなさんが私を探していると聞きました」といって連絡がありました。そこで、この映画の話をしたところ、無償での使用許可をその場で出してくださったのです。この話を聞いたときは本当にうれしかったです。
──フォーリーアーティストの仕事もデジタル化が進んでいるのがよくわかりました。フー・ディンイーさんのように音を手作りする方はどんどん減っているようですが、そのことについて監督はどう思われますか。
この作品を撮ったのは6年ほど前で、当時、私もこの問題について考えていました。その頃の結論としては、フーさんのようなプロの人材は今後も育成していくべきで、それには相当規模の映画産業が不可欠ということ。業界が大きければ作品が増え、仕事も増えるので細分化する必要も出てきます。フーさんが仕事を始められた頃は台湾映画界が盛んだったので、フォーリーの仕事に専念できたのです。
今はちょっと考え方が変わってきています。フォーリーアーティストという仕事が今後どうやって存続していくのか。もし、なくなってしまうとしたらその責任はどこにあるのか。そういったことを追及するよりも、物ごとの移り変わりには原因があるので、その原因を探求した上で、将来、どのように展開していくのかを考えた方がいいと考えるようになりました。
この作品が多くの方の目に触れることによって、みなさんがこの問題について考え、何かいい解決策がでてくるかもしれません。そこにドキュメンタリー映画の役割があるのではないかと思っています。
──フー・ディンイーさんはフォーリーアーティストとして、この作品のために何か音を作っていますか。
当初はお願いするつもりでしたが、編集してみるとミキシング担当者が多少、録音して合わせたくらいで済んでしまいました。フォーリーアーティストに頼んで、音を作ってもらうという部分はほとんどなかったのです。
フーさんはお元気ですが、かなりご高齢になり、耳が衰えてきて、最近は講演会の仕事が増えているとのこと。フォーリーアーティストとはどういう仕事なのか、映画の中でどういう使い方をしているのかといったことを語って、フォーリーアーティストという仕事の普及に尽力されています。
──日本の観客に向けてメッセージをお願いします。
ようやく日本で公開することになりました。
ドキュメンタリー作品は種をまくようなもの。この作品が種になって、フォーリーアーティストという職業があることを日本の方々にも知っていただき、その現状についてどう思うのか、いろいろ考えるきっかけにしていただければと思います。さらに、ドキュメンタリー作品というジャンルが持っている価値を伝え、認識を深めることができればなおうれしいです。
(取材・文:ほりきみき)
<プロフィール>
監督 王婉柔(ワン・ワンロー)
1982年生まれ。国立清華大学を卒業後イギリスのExeter Universityで脚本を学び、2009年から映画のプロデュースや助監督、編集などを始め、様々な映画製作に関わる。2008年『殺人之夏』が優秀映画脚本賞の佳作入選。2014年に台湾の文学者たちをテーマにしたドキュメンタリーシリーズ『他們在島嶼寫作』の企画プロジェクトメンバーとして活躍、自らも詩人ルオ・フーを記録した『無岸之河』で監督デビュー。
2017年に発表したフォーリーアーティストのフー・ディンイーの半生を記録したドキュメンタリー『擬音』は東京国際映画祭でも上映され、2020年にはアジアを席巻した台湾の漫画家 チェン・ウェン(鄭問)の人生を追ったドキュメンタリー『千年一問』を発表して話題を呼んだ。
胡定一(フー・ディンイー)
1952年生まれ。台湾の国宝級音響効果技師“フォーリーアーティスト”で、1000本近い映画とドラマに携わる。1975年に当時の政府国民党が運営する中央電影公司の技術訓練班からスタートし、アシスタントを経て音響効果アーティストとして一本立ち。
ワン・トン監督の『村と爆弾』(1987)、同監督『バナナパラダイス』(1989)、チョウ・チェンズ監督『青春無悔』(1993)で金馬奨の録音賞ノミネート、ツァイ・ユエシュン監督『ハーバー・クライシス<湾岸危機>Black & White Episode1』(2012)で金馬奨の音効賞にノミネートされた。
2015年に中央電影公司の経営権の移行に伴い退職勧告を受け、フリーランスとなる。
2017年のソン・シンイン監督のアニメーション『幸福路のチー』の音効を手がけ、現在はセミ・リタイア状態にある。2017年に長年の功績を讃える金馬獎の年度台湾傑出映画製作者に選ばれるという栄誉に輝く。
『擬音 A FOLEY ARTIST』
監督:ワン・ワンロー
出演:フー・ディンイー、台湾映画製作者たち
製作総指揮:チェン・ジュアンシン
撮影:カン・チャンリー
後援:台北駐日経済文化代表処台湾文化センター
特別協力:東京国際映画祭
2017年/台湾/カラー/DCP/ステレオ/100分
配給:太秦
ⒸWan-Jo Wang
公式サイト:https://foley-artist.jp/
2022年11月19日(土)より、K’s cinemaほか全国順次公開
なお『擬音 A FOLEY ARTIST』の作品紹介はこちらです。