『彼岸のふたり』北口ユースケ監督インタビュー

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*プロフィール*
北口ユースケ/Yusuke Kitaguchi 1984 年 3 月 8 日生まれ。大阪府出身。
2006 年早稲田大学在学中に映画『カミュなんて知らない』(05)で俳優としてデビュー。俳優としての活動を続けながら、2016 年からショートムービーや WEB 動画の制作を始める。
処女短編「BADTRANSLATOR」が第一回やお 80 映画祭に入選。48 時間以内に短編映画を制作する Osaka 48hour film project で脚本・監督・編集を務めた作品『ノリとサイモン』が、監督賞・作品賞 2 位・観客賞1位を受賞。翌年の Osaka 48hour film project 2017 参加作品『ベイビーインザダーク』では、最優秀作品賞と脚本賞を受賞し、48hfp の世界大会である Filmapalooza では120を超える各都市の最優秀作品の中からベスト 15 作品に選出され、2018 年カンヌ国際映画祭ショートフィルムコーナーでも上映された。Osaka 48hour film project 2018 参加作品『THAT MAN FROM THE PENINSULA』では、監督賞、作品賞 2 位を受賞し、その後ベネチアで開催されたカフォスカリ国際短編映画祭、ダラスアジアン映画祭などでも上映された。また日本における人種問題を扱ったミニドラマシリーズ「TORINAOSHI」の第3話までがパイロット版として現在 YouTube にて公開中であり、再生回数は累計 120 万回を超える。
*ストーリー*
作品紹介はこちら(リンク)
監督・脚本・編集:北口ユースケ
脚本:前田有貴
©2022「彼岸のふたり」製作委員会 higannofutari.com
★2022年2月4日(土)より池袋シネマ・ロサほか全国順次公開

★映画の内容にふれていますので、気になる方は鑑賞後にお読みください。
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―この作品はコラボした衣装(上田安子服飾専門学校協力)を映画内で使うことが決まっていたそうですね。

シナリオも出来ていないのに、先に衣装を作るなんて前代未聞じゃないですか。こんな作り方をする映画はほかにないかもしれませんね(笑)。

―そして監督に声がかかったのは、以前48時間で短編映画を作り上げる「Osaka 48hour film project」に入賞していたので、縛りのあることの実績を見込まれたんじゃないか、と。どちらも初めて聞くことで、とても面白いと思いました。

課題を消化して作っていくのが得意なんじゃないかと思われたのかな。でもその縛りは、監督やりますと言ってからプロデューサーに後出しで言われた記憶があります(笑)

―コロナ禍中の制作ですね。誰もが大変でしたが、この映画は?

企画がスタートしたのが2019年。娘が誕生して一か月くらいのときです。その後、秋にキャストが交代したり脚本をガラッと書き換えたりして、2020年春にようやくクラインクインしました。その1週間後に緊急事態宣言が出てしまって再開できたのは、宣言が明けた7月です。2回目の宣言が出るまでのちょっとの期間で撮りました。撮影日数は、17日間です。ほんとに大変でした。

―そして可愛い娘を置いて(監督は育メンとお見うけしました)、撮影に通う毎日だったんですね。

現場にも連れていきました(笑)。ちらっとだけ出ているんです。養護施設で母役の並木さんと職員が話しているときに、庭で洗濯物を干しているのが妻で、おんぶされているのが娘です。妻も女優をやっているので、施設の子どもたちとのシーンももっとあったんですが、コロナ禍だったのでやめましょうということになってなくなりました。

―子役といえば、オトセの子ども時代を演じている徳網ゆうなちゃん(2013年生まれ)の目がとても印象的でした。朝比奈めいりさんも目が大きくて、二人とも目が決め手だったのかなと思いました。

そうですね。大きくて力強い目ですよね。やっぱり目は意識します。それだけで決めたわけではないですけど、

―この映画は辛い題材を扱っています。まだ経験の少ない俳優さんや子役への演出の際の気遣いは?

僕はもともと役者をやっていたので、感情を作り込みすぎることで精神が不安定になる危険さを学んできたし、自分自身も経験してきました。なので、そうではなくて行動から感情を作ることを心がけていましたね。
例えばバン!(両手で机を叩く)とするのは、日常では怒っているからそういう行動をするけれど、演技は逆で、先に行動をすることで気持ちを作っていきます。そうすることで自分の精神への負担が少ない状態で、観ている人に感動や影響を与えられる。そういった方法論をアメリカの演劇学校で学んでいたので、そこを徹底して作りました。どんなに辛いシーンであっても演技の楽しさは忘れてはいけないと思うので。

―子役のゆうなちゃんに、虐待シーンを詳しく説明するわけにもいかないと思いますが、具体的にどうやって演出し、撮影されたのでしょう。

あのシーンは(子どもと養父)別々に撮っているんです。ゆうなちゃんにはあんまり内面のことは言わずに、単純に視線を「こっち向けて」とか「視線の先にあるものをしっかりと見て」とか言うだけでしたね。とにかく具体的な行動だけを伝えました。

―オトセとソウジュンの名前はどこからつけられたのでしょう?

地獄大夫の本名の乙星(おとせ)と一休さんの本名からつけました。

―キャラクターの名前に多くの監督さんは悩むらしいです。

僕はけっこうテキトーです。いつも書いているときの直感でつけちゃったりしますね。登場人物に、子のつく名前が多いから別のに変えよう、とか、そのくらいです。

―並木愛枝さんのファンだったので、ラブレターを出して出演をお願いしたそうですが。

はい、そうなんです(笑)。大学生のときに『ある朝すうぷは』や『14歳』を観て、こんな芝居をする人が日本にもいるんだ!とすごい衝撃を受けたのを覚えています。いつか機会があったら一緒にお仕事したいなとずっと思っていて、今回ついに夢が叶いました。

―監督作に俳優として出演はされないんですか?

実はこの作品でもワンシーンだけ出たんですけど、カットしました。別の作品になってしまいそうで(笑)。でもいずれは自分で監督・主演もやってみたいなとも思っています。

―いつか並木さんともがっちり俳優として共演したいですね。

そうですね。撮影現場でモニターを見ながら、僕も並木さんと一緒に演技をしたくて、朝比奈めいりさんや井之上チャルさんに嫉妬していました(笑)。

―僕もやりたい、と(笑)。例えばあの中だったらどの役がいいですか?ソウジュン?

あの中だったら…僕は、ソウジュンはできないと思います。とっかかりがないし、あの不思議な軽やかさみたいなのはドヰさんじゃないとできないです。よくあんなキャラクターを体現してくれたなと思います。僕がやるとしたらチャルさんに演じていただいた施設の人かなぁ。

―役の背景を詳しく考えて、俳優さんに説明されますか?

基本はお任せするんですけど、ヒントは与えたりしますね。今回の主演の朝比奈さんはほとんど演技の経験がなかったので、リハーサル以前に、演技の基礎レッスンみたいなこともみっちりやりました。基礎練の中で少しずつキャラクターを一緒に形作っていきましたね。
もう一組の親子の寺浦さんと眞砂さんも事前にリハーサルを何回か重ねて、その中でディスカッションしながら背景とかは作っていったかな。

―演じる人が納得できるように話し合って寄せていく。

俳優たちが、生理的に気持ちよく動いてくれないと、見ていて違和感が出るなと思って、基本的には現場でもカメラを置く前にまず動きをつけます。それも俳優たちが好きなように、気持ちがおもむくままにまずは動いてみましょう、という作り方をしていますね。

―オトセの父親については言及されていませんが、背景としてもいないんですね。

いないですね。特に背景も作りませんでした。

―ソウジュンが大人の男性の姿なのは、父親がいてほしいという想いが出ているのかなと思いました。
よく漫画で、頭や肩の上に天使と悪魔がいて、そそのかしたり、やめさせたりしますよね。あれにも似ています。

それに近いかも(笑)。実際オトセ自身の悩みから出たものですけど。

―自分から出たものだから、超えることはないんですよね。緊張する場面が続いて、ソウジュンが出てくるとなんだかホッとしました。
オトセの母は困った人ですが、並木さんの演技が細やかで、涙が光ったり、手が震えたりで動揺する内面が見えてきました。あれは監督が演出されたんですか?


並木さんに関してはそんなに細かいことは言わなかったかと思います。顔合わせするよりも前に、電話で1,2時間くらい色々役について話しました。並木さんからの質問はとても鋭いですし、そんな深い読み方をしているのかという驚きがたくさんありました。

―監督も監督として育ったということでしょうか

そうです。ほんとにそうですね。

―大阪で先行上映していますが、反響はいかがでしたか?

反響はよかったですね。リピーターの方もたくさんいらっしゃって。3月に凱旋上映をしますので、また地元でももっと多くの人に観てもらいたいです。せっかく舞台が堺なので堺でも上映したいですね。

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朝比奈めいりさん、並木愛枝さん、北口監督

===「北口監督」ができるまで===

僕は小さいころから映画少年だったんですよ。幼稚園のころにホラーが好きで、布団に隠れながら、怖がりながら早送りしながら(笑)よく見ていました。テレビでやってた『バタリアン』とか『13日の金曜日』とかをビデオに撮って観ていました。あのドキドキがたまらないんです。
それからだんだん色んな作品を見るようになったんですが、高校生のときに浅野忠信さんの『地雷を踏んだらサヨウナラ』(1999)を観て、こんなにかっこいい日本人がいるんだ!自分も芝居をやってみたいなと思ったのが映画を志したきっかけです。

もともとあんまり人前に出たりとか、話をしたりするのが大阪人のくせに得意ではなくて、そういうコンプレックスも強かったので、リハビリも兼ねて演劇をやってみたいなという想いもありました。それが浅野さんの映画を観てから、俳優になりたいという思いが一気に膨らんで、演劇が盛んな早稲田大学に入ってから、演劇部やサークルを片っ端から見学したり体験しに行ったんですが、どれもやりたいのとはちょっと違うなと思って。舞台より、もっとリアルな映画の演技をやりたかったんです。そんな時に、恩師である柳町光男監督と出会いました。僕が行ってた学部とは違う学部の授業を担当されてたんですが、潜りで通って。その授業で溝口健二の「近松物語」を1カットづつ分析して、柳町監督が解説してくださるんですが、それがめちゃくちゃ面白かったんです。俳優というよりは作り手向けの講義だったんですが、とにかく面白くて、潜りだから単位も取得できないのに、その授業を一番熱心に受けてましたね(笑)。そこで溝口や成瀬巳喜男やトリュフォーを知って、映画の見方みたいなのを教わりました。当時は監督になろうとはまだ思ってなかったんですが、柳町先生との出会いが監督になる原点になってるかと思います。

在学中にその柳町監督作の『カミュなんて知らない』(2006)で俳優としてデビューさせていただいたんですが、やっぱりちゃんと基礎を学ばないと駄目だと思って、そこから塩谷俊さんのアクターズクリニックに通うようになりました。
大学卒業してからは、アクターズクリニックとアルバイトとオーディションだけの日々でした。全然オーディションも受からないし、バイトばっかりしててこのまま社員になってしまった方がいいんじゃないかみたいなことが頭をよぎるようになって、25歳くらいだったかな、先が全く見えなくて辛い時期があったんですが、そんな時にアクターズクリニックの特別ワークショップで、ロン・バーラスというアクティング・コーチがアメリカから来日したんです。

ロンのレッスンを初めて受けたときに、「求めてたのはコレだ!」ってものすごく感銘を受けまして、もう絶対にこの先生のもとで学びたいと。もう売れるとかどうこうより、とにかくその術を学びたいと思って、ロンがいたART OF ACTING STUDIOへの留学を決めました。
ロンも一昨年亡くなられたんですが、算数を教えるみたいに論理的に単純明快に演技を教えてくださって、それ以上に人生との向き合い方というか、生き方そのものを教わったように思います。人生で一番影響を受けた人かもしれない。本当にスターウォーズのジェダイマスターのような方で、生徒達はみんな、親しみを込めてヨーダと呼んでいました(笑)

監督はいつかやりたいという想いはずっとあったんですが、帰国してからとにかくロンから学んだことを実践する場が欲しかったので、自分で演劇のプロデュースを始めたんです。大阪でヒッチコックの「三十九夜」(さんじゅうきゅうや 原題:The 39 Steps)「ダニーと紺碧の海」「アメリカン・バッファロー」と3本の戯曲を自分で翻訳してやりました。
自分で主演もしながら演出をしていたんですが、稽古を重ねて自分が変わっていくことよりも、共演者たちが自分の言葉でどんどん変わっていく姿を観るのがすごい楽しくて、そっちのほうにだんだん喜びを感じるようになって行ったんです。ちょうどその頃デジタルカメラも手頃になってきてたので、自然と遊び半分で映像を撮るようになっていきましたね。
いつかはフィルムで撮ってみたいんですよ。俳優デビューした『カミユなんて知らない』がフィルム作品だったんです。初めての現場がフィルムだったので、やっぱり。

人生で一番繰り返して観たのは『パルプフィクション』(1994)です。この映画で英語の勉強をしたので、台詞も結構覚えてます。現地でもそう言うとみんな面白がってくれてました(笑)。「パルプフィクションで英語勉強したのか?嘘だろ?」って。
砕けた英語で、Fワードばっかり。だから演劇学校でもセリフに出てくるFワードの使い方が異様に上手いって褒められてました(笑)。
影響を受けた監督は、大学の卒論でも書いたんですがジョン・カサヴェテス。あとは成瀬巳喜男、コーエン兄弟、ヒッチコックとかですかね…挙げればキリがないですが。好きな映画はコーエン兄弟の『ファーゴ』(1996)です。自分が作りたい理想がたくさん詰まっているので、脚本を書く前とか書いてる途中とかに毎回見返してる気がします。

(取材・監督写真 白石映子)

『エンドロールのつづき』パン・ナリン監督トークショー

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*パン・ナリン監督プロフィール*
インド共和国・グジャラート州出身。ヴァドーダラーのザ・マハラジャ・サヤジラオ大学で美術を学び、アーメダーバードにあるナショナル・インスティテュート・オブ・デザインでデザインを学んだ。初の長編映画『性の曼荼羅』(01)がアメリカン・フィルム・インスティテュートのAFI Festと、サンタ・バーバラ国際映画祭で審査員賞を受賞、メルボルン国際映画祭で“最も人気の長編映画”に選ばれるなど、30を超える賞を受賞し、一躍国際的な映画監督となった。BBC、ディスカバリー、カナル・プラスなどのTV局でドキュメンタリー映画も制作しており、“Faith Connections”(13・原題)はトロント国際映画祭の公式出品作品として選ばれ、ロサンゼルス インド映画祭で観客賞を受賞した。2022年にグジャラート州出身の映画監督として初めて映画芸術科学アカデミーに加入。他の代表作に『花の谷 -時空のエロス-』(05)、『怒れる女神たち』(15)などがある。
*ストーリー*
作品紹介はこちら
ALL RIGHTS RESERVED (C)2022. CHHELLO SHOW LLP
★2023年1月20日(金)新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ有楽町、シネリーブル池袋 他全国公開

劇場公開をひかえて17日に来日されたばかりのパン・ナリン監督が最終試写の上映後登壇されました。ほぼ書き起こしでその様子をお届けします。(通訳:大倉美子)

―パン・ナリン監督をお迎えして、本作についてたっぷり語っていただきます。拍手でお迎えください。
(満席の試写室に入ってワオ!と目を輝かせる監督)

観てくださって、そして残ってくださってうれしいです。

―上映が終わった後、拍手がわいていました。

ありがとうございます。残念ながら拍手は聞き逃してしまいました。映画をシネマホールで観ていただく、ということが日々難しくなっています。今日は試写会場にわざわざお越しくださって、(トークのために)残ってくださってうれしく思います。この作品の公開に関しても、配信などプラットホームではなく、まず映画館でと思って力を尽くしてきました。

―監督は日本にいらっしゃるのは何回目ですか?

12、3年ぶり5回目の来日です。前は映画『花の谷』(未公開)のために、クライマックスの撮影やキャスティングをしました。東京での撮影でとても楽しかったです。

―今回日本で一番やりたいことは何ですか?

やはりこの映画を観てくださった観客の方とお話しする、これが一番の目的です。パンデミックが少し落ち着いてきている中で、この映画がみなさんにどんな風に届くのかとても興味があります。

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―では映画について伺っていきたいと思います。まずはアカデミー賞国際長編映画賞インド代表としてショートリストへの選出おめでとうございます。世界から大注目されている本作のきっかけから教えてください。

2011年ころ、自分の親の住んでいる地元に戻りました。そのときに、映写技師の友人に会いに行きました。彼は非常につらい経験をしていました。というのはデジタル化の波がやってきて、映写技師の仕事を失ってしまったんです。彼だけではなく、インド中で何十万人という映写技師たちが仕事をなくしていました。新しいデジタルでの映写ということになると、コンピュータを使ってデータをダウンロードしなくてはいけない、英語ができなければいけない。そんな中で読み書きが得意ではなかった彼などは失職してしまい、「なんて世界になってしまったんだ。映写機もフィルムも変わってしまい、僕たちのような者はみな忘れられてしまったんだ」と悲しげに話していました。そんな彼を見て、心動かされました。
同時に自分の子供時代の話を、家族や友人たちからたくさん聞きました。「こういうことをしていたから、やっぱり映画監督になる人間だったんだよね」と。たとえば映画の中にでてきたように、色ガラスや「屑」と言われているものを集めたり、それで映写機を作ったり、フィルムを盗んだというのも実は本当です(笑)。
そういう自分自身の子ども時代のこと、年の離れた映写技師の友人の話を組み合わせることで、これは映画になるんじゃないかと思いました。それが2019年、ちょうどセルロイドフィルムが使われなくなって10年くらいだったんです。その変化についても触れられる素晴らしいタイミングなのではないか。ストーリーテラーとして、媒体が変わっていく中でどういう風にストーリーテリングをしていくかについての映画を作りたいと思いました。

―キャンペーンで訪ねた各国の反応はいかがでしたか?

自分と携わったチームはこれほどまで、この映画が世界中に連れて行ってくれるとは思ってもみませんでした。ほんとにたくさんの国に足を運ぶことができました。やはり映画界で仕事をしている方には胸に来るものがあったようですし、多くの方々が映画を愛していること、コロナで映画館に行けない状況が続きましたが、映画館で再び映画を観たいと思っていることを実感しています。
みなさんの共感のしかたというのは、いろいろあります。たとえば、サマイが大人になっていく過程―どんな風に映画ファンになっていくのか、そして夢のためにどう戦うのか、希望を見出すのか―というところにぐっときたという方もいます。
驚いたのは、ニューヨークの株式関係の方々が観たときに、「これは金融のベンチャーとしてあるべき形なんじゃないか」と称賛されたことです。つまり彼らの目には「同じ夢を見た人が一つのグループを作って戦うことで成功を手にするストーリー」という風に映ったようでした。
中国では、これも意外だったんですけど、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の分断ができていることをご存じの方が、その調和をうたった映画であると言ってくださったんです。というのは、主人公の少年サマイはヒンドゥー教徒で、映写技師のファザルはイスラム教徒・ムスリムなんですね。そのテーマは、劇中に何度も出てくる大衆的な人気を誇る『ジョーダーとアクバル』という映画を通してでも示唆されています。ヒンドゥー教徒のジョーダー姫とムスリムのアクバル皇帝の二人が一つになるという物語であるからなんです。
そういう風に人によって共感するところが違う映画になっております。

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そしてもちろん映画がお好きな方には、たくさんの映画へのオマージュが詰め込まれています。気づかれたと思いますが、『アラビアのロレンス』、タルコフスキーの『ストーカー』、ルミエール兄弟など、ほかにも入っていますのでそういった部分を見つける楽しみもあるのかなと思います。試写を観てくださった方には、映写関係、技師の方、撮影家督、編集の方々がいらっしゃいまして、中には目を真っ赤にして終わった後僕のところに来てくださった方もいました。世界中でいろんな感情を抱いてくれたそんな作品になったと思います。アイスランド、中国、台湾、インドなどいろんなところに行って、たしか12の観客賞を受賞しています。それだけでもどんな映画か伝わるでしょうか。

―これから時間の許す限り会場からのご質問を受けます。監督に直接うかがえる貴重な機会です。

Q 素晴らしい作品をありがとうございます。サマイの未来、どういう大人になって、どういう作品を作っていくのかという構想をされていたらお伺いしたいです。

サマイはほぼ自分自身で、体験したことがそのまま描かれています。自分の子ども時代からインスパイアされた物語なので、たぶん大きくなったサマイは心から作りたいものを作っているはずです。インドでは、大衆向けの映画は、映画の方程式というようなものにのっとって作られていることが多いように思うんですね。音楽、ダンス、ドラマ、アクションとちょっと過剰なまでのものが盛り込まれています。そういうものではない、自分にとってリアルなものを作る映画監督になるんじゃないかなと思います。

Q すごく映画愛にあふれていて、映画館で映画を観る喜び、映画ファンとしての幸せをあらためて感じる映画でした。ありがとうございました。
二つ質問させていただきたいんですけど、一つは映画を観ることに厳しいお父さん、料理上手な優しいお母さんというご家族にはモデルがいるのでしょうか?
物語の中で「光」というのが大事な要素だったと思うので、監督が映画を撮られるにあたって、光の演出に特別なこだわりがあればお聞きしたいなと思います。


素敵な質問です。映画の両親も本物の僕の両親にインスピレーションをうけたキャラクターと言えます。今おっしゃっていただいたように、父は最初自分の息子が映画を作りたいと思っていることを良くは思っていませんでした。というのは、インドの地方で育つと、映画というものは道徳的ではないと思われていたんですね。ただ、自分の息子には幸せになってほしいという想いから、最終的にはやりたいことを応援してくれました。自分と同じような状況でいては同じになってしまう。だったら自分の道を歩んでほしいと考えてくれたんだと思います。
一方で母は、映画に興味を持った一日目から映画の夢を追うことをずっと応援してくれました。料理がとても上手で、そのスキルを家族全員に伝えてくれたんです。実は今回登場する料理は弟が作ってくれました。本物の色彩や味をこの映画で再現したかったからなんです。

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光の質問ですが、映画と同じく初めて映画を観たときは頭上に踊っている(映写室からの)光の筋がとても印象的でした。当時は映写室で何が起こっているのか、映画がどうやってできるのかなど全くわかっていなかったんですが。
空中のホコリやタバコの煙によって、よりその筋がはっきりと見えました。今はデジタル化してしまったので、もう光の筋は見えなくなってしまったんですけれど、当時はとにかく魅了されたんです。絶対に映画の魔法というのが光の中にあるに違いないと思い、その光を求める旅がそこから始まって、歳を重ねるごとに重要になってきました。
また精神面でも、仏教であろうとヒンドゥー教であろうと、”物理的な光”と人の中にある”内なる光”は等しく大事なものとされています。そういった意味でも自分にとって大事なもので、物語というものは光から始まり、映画の場合ストーリーは光から綴られていくわけですから、それが光に戻っていくというのがとても素敵だなと思いました。

―あっというまに時間が過ぎて最後の質問です。

Q とても心に響きました。ありがとうございました。映写技師の方はこの映画を観られたのでしょうか?何か印象に残るお話をされていたらお伺いしたいと思います。

映画ではファザルでしたが、彼の実の名前はモハメドといいます。作品は完成前のバージョンも完成後も見てくれています。見た後一日中泣いたと聞いています。彼にとっては、これはフィクションではなく、まるでドキュメンタリーにしか思えないと言っていました。
彼については面白い話があります。『ニュー・シネマ・パラダイス』(1989/イタリア)がリリースされたときに、僕は彼に観るべきだと勧めました。お弁当を交換するとか、技師と友情をはぐくむとか、自分自身の子供時代から持ってきたかと思うようなシーンが5,6シーンあったので、観てほしいと思ったんです。そしたら観た彼が自分のことをスパイされたんじゃないかと疑念を抱いたりして(笑)。さらに「間違っている」と言い出しました。というのは、『ニュー・シネマ・パラダイス』の映写ブースの中には、映写機が一台しかなかったんです。フィルムの映写をご存じだと思うんですけど、2台ないと(巻を交換するため)あれだけの映画は映写することができないので、技術的に間違っている、と言っていました。
さきほどお話したように、コンピュータや英語を使うことや、読み書きもそこまでできない、そういう教育を受けたわけではないけれども、彼は人として聡明な僕の二人目の先生という存在です。

―最後にナリン監督からひとことお願いいたします。

今日は来てくださって心からありがとうございます。
みなさんも映画が好きな方々、映画というものがこれからも生き続けるためには、やはり映画館へ観に行かなければなりません。もし気に入ってくださったのであれば、ご友人やご家族に「こんな作品があるよ」と声をかけていただければ、大変うれしいです。
松竹さんもすごく頑張ってくれていますが、映画をお届けするのには配給会社や監督チームだけでは限界があります。
多くの方が映画館でこの『エンドロールのつづき』を見出すことができればうれしいです。
また弟さん、妹さんや若い方もぜひ。実はお子さんにはそんなに響かないかなと思っていたのですが、全然そんなことはなくて逆に驚くほどいろんな意味で共感してくださっています。今ではお子さんに向けての試写を行っているくらいです。
そして最後に主人公のサマイを演じたバヴィンくんが、よくQ&Aで言っているコメントを締めくくりとしてお伝えします。彼はインドの小さな村出身の男の子なんですが、彼に言わせるとこの映画をおすすめする理由は「まず笑えて、泣けて、最後はおなかが減る」(笑)そんな映画だからです。

ーありがとうございました。(これよりフォトセッション)

(取材・監督写真 白石映子)