『プレジデント』カミラ・ニールセン監督インタビュー

イギリスからの独立後、長年ムガベ大統領による独裁が続いたアフリカ南部のジンバブエ共和国。2018年に行われた大統領選の顛末を追ったデンマーク出身の女性監督カミラ・ニールセンに、リモートでお話を伺いました。
取材:景山咲子


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1協議なしに投票用紙が印刷され、緊急会議を求める記者会見でのチャミサ.jpg

ジンバブエ共和国 民主変革運動(MDC連合)党首ネルソン・チャミサ
2021 © Final Cut for Real, Louverture Films & Sant & Usant



映画『プレジデント』   原題:President

1980年の独立以来、37年間にわたりジンバブエ共和国の政権を支配していたムガベ大統領がクーデターにより失脚。後継者として同国第3代大統領に就任した与党、ジンバブエ・アフリカ民族同盟愛国戦線(ZANU-PF党)の代表ムナンガグワは翌2018年に行われる大統領選において「平和で信用できる公正な選挙を行う」と口では公言する。
対する野党、民主変革運動(MDC連合)はモーガン・ツァンギライ党首のもと選挙に備えるが、大統領選の4ヶ月前にツァンギライ党首が癌で死去。MDC連合の新党首として若きカリスマ、40歳の弁護士ネルソン・チャミサが任命される。チャミサは、リチウム、プラチナ、金、ダイヤモンドなど60種類もの鉱物資源があるにもかかわらず、国民は貧困に喘いでいるジンバブエの国を変えようと動く。
変わらぬ支配を目論む与党と、長年の腐敗に疲弊し、国内政治体制の変革を求める民衆に後押しされる野党。多くの国内外のマスコミや国民が注目するなか、国の未来を決める投票が始まるが……。
シネジャ作品紹介

2021年/デンマーク・ノルウェー・アメリカ・イギリス合作/115分
配給:NEGA
公式サイト:https://president-jp.net/
★2023年7月28日(金)より池袋シネマ・ロサ、アップリンク吉祥寺ほか全国順次公開




監督:カミラ・ニールセン Camilla Nielsson
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プロフィール
1997年から2000年までフルブライト奨学生としてニューヨーク大学ティッシュ芸術学部と同大学人類学部でドキュメンタリー映画制作と映像人類学を学ぶ。 卒業後、子どもの権利をテーマにしたドキュメンタリー短編三部作 『Good Morning Afghanistan』(2003)、『Durga』(2004)、『The Children of Darfur』(2005)、また"Cities on Speed"シリーズの『Mumbai Disconnected』(2009)等を監督。

2007年以降は『We Will Be Strong in Our Weakness』(2011年ベルリン国際映画祭、2011年ヴェネツィア・ビエンナーレ)、『Demonstrators』(2011)、"Re:Constructed Landscapes"展(デンマーク国立美術館/コペンハーゲン国立美術館)などで評価される。

前作、ドキュメンタリー『Democrats(民主主義者)』(2014)は、80以上の映画祭で上映され、トライベッカ映画祭2015で最優秀ドキュメンタリー賞、ノルディックパノラマ2015で最優秀ドキュメンタリー賞を含む20の賞とノミネートを獲得している。



カミラ・ニールセン監督インタビュー

◆魅力ある若き党首ネルソン・チャミサ
― 遠いジンバブエの話に留まらず、私たちにとって民主主義を守っていくことがいかに大事かを描いた映画だと思いました。
新党首ネルソン・チャミサが、とても魅力的でした。
前作、『Democrats(民主主義者)』のジンバブエでの発禁処分が、2018年2月に裁判で解除されて、それを祝う食事の席で、ジンバブエの方から続編を作るよう提案されたとのことですが、その時には、チャミサ氏の存在は知っていたのでしょうか?

監督:前作『Democrats』のために3年間ジンバブエで活動していて、当時、チャミサは国会議員の一員でしたので知ってはいましたが、撮影はしていませんでした。野党を訪れた時に見かけたことはありましたが、直接彼とやりとりしたこともありませんでした。
次作を撮ると決めた時には、その時の野党党首モーガン・ツァンギライに焦点を当てていたのですが、彼が選挙の4か月前に癌で亡くなってしまいました。
新たに主人公を探すことになったのですが、ネルソン・チャミサが新党首になったので、連絡を取り、映画を撮り続けるべきかどうかと相談しました。チャミサ氏は、私の『Democrats』を6回観ていて、ジンバブエのことを的確に描いていると信頼してくださっていて、即答で「どうぞ続けて撮ってください」とおっしゃってくださいました。


2MDC連合の新党首ネルソン・チャミサの演説の群衆.jpg

MDC連合の新党首ネルソン・チャミサの演説の群衆
2021 © Final Cut for Real, Louverture Films & Sant & Usant

― 撮影を了承してくださってよかったです。チャミサ氏のカリスマぶりが凄いと思いました。

監督:あの選挙のあともチャミサの人気はどんどんあがっています。この8月にまた大統領選挙があります。前回の選挙は、候補者だったツァンギライ氏が亡くなられて、4か月しか準備期間がありませんでしたが、チャミサは大きな支持を得ました。今回、自由で公平な選挙を行うことができればいいのですが、大変暴力的なことになるのではと危惧しています。投票者名簿が公表されるべきなのに、入手できないでいます。また、選挙管理委員会も前回と同じです。前よりもさらに厳しい状況になるのではないかと、とても恐れています。


◆次は、ジンバブエの女性を描きたい
― 引き続き次の選挙をめざすネルソン・チャミサを追っていらっしゃるのでしょうか?

監督:『プレジデント』を選挙前にジンバブエで上映して、皆に観てもらいたいのに、発禁処分になったままです。裁判所に掛け合って、なんとか上映できるようにしたいと頑張っているのですが、上映できるのは、おそらく選挙後になると思います。私は身の安全のためにジンバブエに行くことができません。空港に降り立った時点で拘束されるか、強制送還されてしまうことになるでしょう。そのようなリスクをとるのは賢明でないと、行くのを見合わせています。
そして、ジンバブエで撮影する3本目は、チャミサではなく、ほかのテーマを考えています。1作目が民主主義憲法を作る過程、2作目では、憲法のもとに民主主義がどのように運営されていくのかを描きました。最後は違うものを撮りたいと思っています。女性監督として、政治にかかわる女性を主人公にしたいと考えていて、準備中です。これまで描いてきたのは男性の政治家ばかりでした。チャミサを追うと、また同じような映画になってしまいますので、三部作の最後では違う観点から撮りたいと思っています。


― 実は、ジンバブエの女性についてお聞きしたいと思っていました。集会に出ていた若い女性が、「ここに女性が少ないのは与党を恐れているから」と発言していました。 一方で、選挙委員会の会長に指名された女性はとても貫禄のある方でした。ジンバブエの女性たちの置かれている状況についてどう感じていますか?

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ムナンガグワ大統領よりジンバブエ選挙委員会会長に指名されたジャスティス・プリシラ・チグンバ 
2021 © Final Cut for Real, Louverture Films & Sant & Usant

監督:西欧諸国のように、#MeToo運動はジンバブエには届いていません。
皮肉なことに、ジンバブエの女性たちは、国のとても重要な背骨として活動しています。政治の世界で、メインポジションは男性が担っていますが、その裏では多くの女性が活躍しています。チャミサの集会の場に若い女性が見えないのは、恐怖心があるからだと女学生が発言していますが、その背景には、権力側が女性を抑圧していて、政治活動をしようとする女性を誘拐、レイプ、拷問などで脅しているという実情があります。
イギリスからの独立後、女性は大きな役割を果たしてきたのに、歴史から消されている状況です。そのことを次作では描きたいと思っています。



◆過酷な中でもユーモアを忘れないジンバブエの人たち
― 昨年、日本で公開された『チーム・ジンバブエのソムリエたち』(原題:Blind Ambition)を観て、ムガベ政権時代に多くの人が難民となって国を出たことを知りました。南アフリカでソムリエとなったジンバブエの4人は、皆ユーモアがあって、いつか国に帰りたいとジンバブエを愛していました。監督が感じているジンバブエの人たちの気質は?

監督:変化を求めるジンバブエの人たちにとって、ユーモアは生存戦術の一つです。変化を求める野党と、変化を避けたい与党が衝突する中で、ユーモアでその場が大爆笑になって衝突が解消する場面が、前作『Democrats』の中にもあります。憲法の中で大統領の権限をある程度縮小する、任期を2期のみにするということに対して、大統領が怒って憲法改正を止めようとして暗殺を企てるようなこともあったのですが、ユーモアが解決しました。
日常の重圧の中でユーモアを忘れないのは大事なことです。ジンバブエの人たちのユーモアには、ダークユーモアもありますが、生活や人生に必要なことです。私たちスカンジナビアの人間はいつも暗い顔をしていますが、見習うべきところが多いと思います。


◆いつか自国デンマークを語りたい
― 監督は人類学者であり、観察ドキュメンタリーを学ばれ、これまでにアフガニスタン、ムンバイ、ダルフールなどで映画を撮られています。
初めてのフィールドワークはどこだったのでしょう?

監督:ニューヨークの大学で映画を学んだのですが、その卒業制作が、ニューヨークのチャイナタウンのウェディングセンターを舞台にしたものでした。中国の移民の男性のベトナムの花嫁が国から家族を呼べなくて、写真を撮るときに笑顔が出なかったことをテーマにして作りました。卒業してすぐアフガニスタンのカーブルに行きました。アフガニスタンの子どもたちとは、今も連絡を取り合っていて、一人はトルコ、もう一人はロンドンで安全に暮らしていることを確認しています。ムンバイの子どもたちとも連絡を取り合っていて、1年に1度、屋上で私の映画の上映会を開いているそうです。 

― 今後、ジンバブエでの続編も含めて、どのような地域やテーマで映画を撮りたいと思っていますか?

監督:まずは、ジンバブエ3部作を終えたいと思っています。『プレジデント』の最後が、続きを気にさせるような形で終わりましたので。なんとかハッピーエンドにしたいと思っているのですが。
以前撮ったアフガニスタンやインドに、将来また戻って、彼らがどうしているかを撮る可能性もあります。
2000年に大学を卒業して23年になりますが、自分の国デンマークやスカンジナビアについて語ったことがないので、いずれ描きたいと思っています。私は一つのプロジェクトに長く関わるタイプです。撮影を終えて、目を上げてみれば社会が変化しているようなこともあります。


― 今後の作品も楽しみにしています。ありがとうございました。

監督:こちらこそ、お話できてうれしかったです。

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『プレジデント』撮影風景


『ウムイ 芸能の村』トーク 7月15日 ポレポレ東中野

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*プロフィール*
ダニエル・ロペス(監督・脚本)
スペイン系スイス人。2003年より沖縄に拠点を置き、映像作家、写真家として活動している。2016年『カタブイ‐沖縄に生きる‐』2020年『KAKERU 舞台の裏の物語』を監督。2022年に完成した『ウムイ 芸能の村』は3本目の長編ドキュメンタリー作品。

エバレット・ケネディ・ブラウン (Everett Kennedy Brown)
アメリカ、ワシントンD.C.生まれ、在日30年の写真家、文筆家、日本文化研究家。2003年にEpa通信社日本支局を設立し、10年間支局長を務める。また、日本有数のサスティナブル・ラーニングセンターであるブラウンズフィールドを設立。アーティストとして、幕末明治時代の湿板光画に対する革新的なアプローチで知られ、その写真は海外の主要美術館のパーマネントコレクションに所蔵されている。(HPより)

『ウムイ 芸能の村』作品紹介はこちら
スタッフ日記はこちら

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(C)VIVA RYUKU

―ダニエル・ロペス監督と写真家のエバレット・ブラウンさんがゲストです。
本日お越しいただいたお客様に監督からご挨拶をお願いいたします。


監督 みなさんこんにちは、今日は『ウムイ 芸能の村』を観に来てくださってほんとにありがとうございます。この映画はコロナの時に撮影したんですけど、芸術とかアートは特に大事と思います。映画館にも行けなくて、舞台もできなくて、だから監督として沖縄の芸能を映画に残したい。舞台に上がれない出演者たちの「気持ち」、沖縄の言葉で「ウムイ」を聞きに行って、この映画になりました。

―エバレット・ブラウンさんがいらっしゃいました。

エバレット・ブラウン(以下ブラウン) (監督へ)おめでとうございます。

―ではここからお二人にお任せしてトークのほう、進めていただければと思います。エバレットさんからお聞きしたいこと、感想など監督へ。

ブラウン わかりました。いやー、感動しました。聞きたいこといっぱいあるんです。まずは映画祭にいくつも選ばれたんですよね。

監督 そうですね。結構選ばれました。最初は東京ドキュメンタリー映画祭で賞を獲って、ドイツのニッポン・コネクション、フランスのトゥールーズの映画祭、それからカンボジア国際映画祭にノミネートされて、ほかの映画祭は返事待ち。
海外では沖縄のことがあまり知られていないことにびっくりします。だから海外で沖縄の伝統芸能を紹介できることが、とても嬉しいですね。

ブラウン 海外ではどういう評価があるんですか?

監督 沖縄の文化や伝統が知られていないから、獅子舞の印象がとても強い。ドイツに獅子舞を連れて行った。

ブラウン すごい面白かった?

監督 うん。獅子のイメージは中国の文化でちょっと派手です。映画の中で拓也さんも言っていますけど、見守る神様のイメージです。彼らは(獅子に)入るとき、出るときもそう、とても大事にしています。ドイツでもドイツ人のスタッフも一緒にみんな集まって祈ってから入る。場所もちゃんとお祓いして。私いつもこれを観ると感動します。

ブラウン 映画の中で獅子がいろんなところを歩いているので・・・最初からそういう想いがあったんですか?

監督 ないです(笑)。最初に神社に行って、(獅子への)入り方を見たときにほんとに真面目で。本人が「入ったら自分がなくなる」って言っています。今パンデミックだから、映画の中で宜野座村に行って「邪気のお祓いをする」というインスピレーションがきて、追加撮影をしました。場所は直感で決めて、綺麗な映像と獅子が映画のつながりを作りました。

ブラウン いやすごい。考えさせられるところですね。よくあるような質問なんだけど、この映画を作るのは何がきっかけだったんですか?

監督 きっかけはさっきも言ったんですけど、パンデミックでみんなが舞台に出られない。がらまんホールの小越(おごし)さんが、「ドキュメンタリー作らないか?」「みんなに会いに行って話を聞こう」と言って出かけました。長い「ユンタク(おしゃべり、会話)」して、お茶して、その人たちの想いを聞きました。私は沖縄のことばが好きだから、前の映画も「カタブイ(晴れている片方で降る雨のこと)」、今回は「ウムイ」。エバレットさんと共通点ありますね。

ブラウン そう、何?このタイミング~!?(笑)これがもう不思議ですね。

監督 説明してもらえますか。

ブラウン 僕は去年の10月に「ウムイ」という写真集を作りました。ちょうど撮影している最中、現場で、居酒屋でヤギの刺身を食べながら同じ「ウムイ」をテーマにしているんだって、ちょっと話題になったんです。
だけど、僕たちは日本人でもないし、沖縄人でもないのに、どうして?みなさん「ウムイ」っていう言葉、この映画を観る前にわかりましたか?ちょっと手を挙げてください。はあ、ほぼ、ほぼ知られていないんだ。
これは、監督はもう十分映画に表したんですけど、言葉でいうと「ウムイ」って何?

監督 難しいね。やっぱり英語に通訳するといろんな言葉が出てくるね。気持ちとか、自分の想い、感じることとか、内面にあるものとか、結構いろんな意味があります。日本語は一言で言えないいろんな意味が入っていてすごく面白いと思います。
沖縄の言葉はウチナーグチ、もう50歳以上の人しか喋れないと言われています。言葉は使わないと消えていくけど、沖縄には唄三線があります。唄はみんなウチナーグチ。
沖縄の人はもちろん、海外の人まで喋れないけど歌える。芸術、アートとして残っていて素晴らしいと思っています。それはほかのところで観たことがない。
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ダニエル・ロペス監督

ブラウン 映画の最初のほうに猫が歩いているところがあります。けっこうボロボロの顔だったけど、三線を聞いて立ち止まって座って、なんかいい気持ちになって(笑)。あれ感動しました。

監督 比嘉さんの家ね。この映画はおなかすいたときに観ないほうがいいと思う(笑)。
あの奥さんの作る美味しいオムレツとかね。
映画を撮る前に行って珈琲飲んで話したんです。三線を聞いて風が吹いて・・・あれは「癒し」。それを感じると分かち合いたい。自分の感じた気持ちを観客に見せたい、その瞬間、時間を。今回はその雰囲気ね、猫がいたりとか、風とか。だから音はすごく大事にしました。
みなさんのいいところをたくさんもらう、話してくれることに感謝の気持ちしかない。あの人たちがいないと映画ができません。
沖縄はすごい、寛大さがある。人の家に行ったらどうぞカメカメ。食べて、食べて、これ食べてとか(笑)。スケジュールとかいつもつぶれてる(笑)、長くなる。でも楽しい、とても!沖縄の面白いところ。

ブラウン あのデブちゃんいいねぇ!

監督 心誠(しせい)くん?もう中学2年生?3年生だっけ?大きくなってます。彼は相撲もやってます。舞踊ももちろん続けていますが、困ること一つあります。大きくなって衣装が入らない(笑)。新しい衣装買わないといけない。

ブラウン 彼が何か食べているとき、さりげなく後ろの子にあげてる。それがいいね。

監督 つながりね、それも。
お父さんから息子へとか、師匠から弟子へとか継承する。これすごく大事。

ブラウン ところどころ感動するシーンがあった・・・お父さんと中学生の娘と釣りに行く。あれ、普通行かないでしょ?

監督 そうですね、私もすごく仲のいい2人だと思いました。だいたいお父さんを好きと思うけど、中学生になってもね。彼女は今高校生だけど、すごい仲いい。
お父さんのことを、日本語で言う「背中を見る」?それがすごい。自分も息子がいるんですけど、言うことはきかないけど、私のやることは見ている。伝統芸能も同じこと、一緒。
心誠(しせい)くんもお母さんが琉球舞踊をやっていたから、彼はずっと見ていた。子どものときはおじいちゃんと一緒にいたから、自分の家庭からそれを受け取る。で、続く。

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エバレット・ブラウンさん

ブラウン じゃちょっと次の話題にいきましょ。2人で同じ時期に「ウムイ」をテーマにして作品を作った。わ~、なんだろうね?

監督 ね、すごいタイミングでした。二人宜野座の美味しいところで食べながらウムイの話してたの、ヨーロッパでは撮影始まるときに特に何もしない。これうまく通訳できないけど、日本は神社や神様のところで無事をお願いする。沖縄は御嶽(うたき=神事を祈るところ)で挨拶する。次の日、そこで法螺貝の音がしたの。そしたら友達(松永正剛)が「あ、これはエバレットさんだ」って。エバレットさんが隣で撮影をするところだった。その前に法螺貝を吹いてた。なんでこれをしますか?

ブラウン あの~ちょっとマニアックなことなんだけど、その場所には古い記憶が残っているの。それで呼び起こすのに、法螺貝を使っている。一応修験道の経験があるので。だからその場所に宿っている神とか、ご先祖様の記憶を呼び起こして撮影しようと。写真集持ってきたので、ご興味のある方は割引きしますんで(笑)。ご覧になってください。
法螺貝を吹くと思いがけないことが起こるんですよ、不思議に。それを写真に現しているので。

監督 目には見えないところね。

ブラウン そう。そうですよ。これどうしてもこの場を借りて言いたかった。どうも日本から見ると沖縄は「リゾートとか、基地問題とか、戦争の頃は可哀想だったなぁとか」ずっとそういう想いばっかり。でも実際に沖縄に行くと、沖縄の人々が持っている心を伝えていない!これが「ウムイ」の写真集を作るきっかけだったんです。たぶん同じ?

監督 同じ。陰と陽というか。
沖縄はドキュメンタリーでもいつも社会問題で、米軍基地とか。今回はもうみんな疲れているから心を癒す映画を作りたかった。(問題は)映画の中にも出てきても、でも直接じゃない。みなさんの日常生活が一番大事と思います。

ブラウン そうです。

―時間があっというまに経ってしまいまして、そろそろ。まだ延々とありそうですが。
よろしかったらみなさん写真を撮る時間を設けたいと思います。SNSなどで「観てきたよ~」と記念に撮って発信していただければと。


ここから撮影タイム  
*ブラウンさん「僕、一応写真家なので」とスマホを取り出す。「すごく面白いー!これいいね!」と客席を撮影。

ブラウン なんか別の場所でしゃべりたいんですよね(笑)。
監督 ロビーにいますから。

―写真集もパンフレットも今日はもれなくサインがついてきます。
みなさま今日はどうもありがとうございました。


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サイン中の監督


(写真・まとめ:白石映子)

『丸木位里 丸木俊 沖縄戦の図 全14部』 河邑厚徳監督インタビュー

「沖縄戦の図」は地上戦の悲劇の永遠の証言者

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河邑監督には、『笑う101歳×2 笹本恒子 むのたけじ』の時にインタビューさせていただいたのですが、その折に、「この10年くらいの中で一番やろうとしたのは昭和史なんです。あの時代と、あの戦争を知っている人が減ってきた中で、ちゃんと記録して映像に残して、なんらかの形で後世に知らせないといけないというのは、この仕事をしてきた者の責任かなと思い意識しています」と語られていました。『丸木位里 丸木俊 沖縄戦の図 全14部』 も、まさにそれが具現化した映画だと思いました。本作について、お話を伺う機会をいただきました。
取材:景山咲子



『丸木位里 丸木俊 沖縄戦の図 全14部』 
水墨画で風景画家の丸木位里(1901‐1995)と人間画家の丸木俊(1912‐2000)夫妻。二人は、「原爆の図」「南京大虐殺」「アウシュビッツ」と40年に渡り、戦後一貫して戦争の地獄図絵を描いてきた。
二人は、1982年から1987年に沖縄で取材し、「沖縄戦の図」14部(「久米島の虐殺1」 「久米島の虐殺2」 「暁の実弾射撃」 「亀甲墓」 「喜屋武岬」 「ひめゆりの塔」 「沖縄戦―自然壕」 「集団自決」 「沖縄戦の図」 「ガマ」 「沖縄戦―きやん岬」 「チビチリガマ」 「シムクガマ」 「残波大獅子」)を制作した。
その「沖縄戦の図 全14部」は、戦後米軍基地として接収されていた館長・佐喜眞道夫の先祖の土地を、交渉の末に返還させた特別な土地に建てられた佐喜眞美術館に収められている。

*さらに詳しい作品内容は、こちらでご覧ください。
公式サイト:https://okinawasennozu.com/





河邑厚徳(かわむらあつのり)プロフィール(公式サイトより)
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映画監督。元NHKディレクター
1971年にNHK入局以来、40年以上、ETV特集・NHKスペシャルを中心に現代史、芸術、科学、宗教、 環境などを切り口にドキュメンタリーを制作。現代の課題に独創的な方法論で斬り込み、 テレビならではの画期的な問題提起をするスタイルが特徴。これまで制作してきた番組は、 国内外の賞で入賞するなど、その独自の手法は評価を得ている。定年後はフリーで映像制作を続ける。

【映画】
「天のしずく 辰巳芳子 “いのちのスープ”」(2012)
「3D大津波 3.11未来への記憶」(2015)
「笑う101歳×2 笹本恒子 むのたけじ」(2017)
「天地悠々 兜太・俳句の一本道」(2019)
「丸木位里 丸木俊 沖縄戦の図全14部」(2022)
「鉛筆と銃長倉洋海の眸」(2023)



◎河邑厚徳監督インタビュー

◆絵や歌が世代を越えて沖縄戦の悲劇を伝えてくれる
― 沖縄戦の図に、ただただ圧倒されました。丸木さんご夫妻の思いの伝わる素晴らしい映画をありがとうございます。
佐喜眞美術館の沖縄戦の絵の前で、若い民謡歌手の新垣成世さんが『戦場を恨む母』という歌を三線で弾き語りする場面で始まって、戦争の時代を知らない世代の方が、丸木さんご夫妻が絵で遺した庶民を巻き添えにした悲惨な沖縄戦を、歌で後世に語り継いでくださっていることをとても心強く思いました。《沖縄戦の図》14部を順番に紹介するのに、合間合間に、若い民謡歌手の新垣成世さんと、同級生で平和ガイドでもある平仲稚菜さんの二人を登場させるという構成がよかったです。
このような構成にされたのは?

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新垣成世さん ©2023 佐喜眞美術館 ルミエール・プラス


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平仲稚菜さん ©2023 佐喜眞美術館 ルミエール・プラス


監督:若い二人を入れることは、最初から考えていたわけではありませんでした。あの絵が描かれたのは1987年から6年間だけれど、戦争を考えたり平和を考えたりする、重要なアート。世代を越えて継承していくものだと思います。彼女たちは、戦争を体験した方たちから4世代目。さらに、昨年(2022年)6月23日の「沖縄全戦没者追悼式典」で、「平和の詩」を朗読した徳元穂菜さん(山内小学校2年・当時)の「こわいをしって、へいわがわかった」のスピーチのモチーフになったのも沖縄戦の図です。世代を越えて、戦争で起きたことを伝えていく意味があって、若い二人の女性を入れようと思いました。

― 彼女たちとは取材している中で知り合われたのですか?

監督:YouTubeで「すくぶん」(沖縄の言葉で「役目、役割」という意味)というチャンネルを配信されているのを観て、すごくいいなと思いました。民謡と沖縄戦というコンセプトが、今回の映画の「アートと沖縄戦」というテーマに合うと思いました。絵画も音楽もアートですので、同じコンセプトになると思いました。

― 「すくぶん」は、沖縄の言葉で発信されていて、新垣成世さんの着物や髪形も沖縄独特のものでいいですね。

監督:それが大事ですよね。


◆「沖縄戦の図」に感銘し、映画製作を提案する
― 監督は、2020年にはじめて「沖縄戦の図」の前に立たれたとプレス資料にありましたが、絵の存在は前からご存じだったのでしょうか? 

監督:存在は知っていたのですが、たまたま 別件で沖縄に行っていたときに、これは一回観たいと思って観に行きました。

― そもそも、この映画の製作は佐喜眞美術館館長の佐喜眞道夫さんからの依頼で始まったわけではないのでしょうか?

監督:こちらから 「沖縄戦の絵を中心に記録映画を作りたい」とお願いしました。美術館がクライアントという形です。映画は、依頼されて作るとクライアントからの制約を感じてしまいます。 私のほうから、「映画を作れば、佐喜眞美術館のことも知ってもらえるし、平和教育で来る修学旅行生の事前学習の資料としても役立つ」とプレゼンして、製作費を出していただきました。

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左:河邑監督  右:佐喜眞道夫さん


― 10年ちょっと前ですが、リンダ・ホーグランド監督の『ANPO』(2010)という映画の中に佐喜眞美術館が出てきて、修学旅行生が来ているのを知り、こんな美術館があるのだと思いました。こんなすごい絵があるとは知りませんでした。
佐喜眞美術館は今年開館29周年で、14作品全部を一挙公開しているとのことですが、通常はどのくらい展示されているのでしょうか?

監督:14部すべては普段展示されていないのですが、場合によって4作品だったり、6作品だったり、入れ替えて展示されています。
今年は映画も公開されるので、その機会に14枚すべて展示しています。

★2023年5月26日(金)〜2024年1月29日(月) ★3月24日(日)まで延長されました
 詳細は、佐喜眞美術館のサイトで確認ください、https://sakima.jp/


◆美術館自体がメッセージを発している
― 沖縄の方たちの写真が美術館の壁一面にありましたが、沖縄戦のことを語ってくれた方たちでしょうか?

監督:あれは証言者の方たちの写真で、比嘉豊光さんという写真家があるプロジェクトの過程で撮影し たものです。美術館の考えで常設展示されています。

― 美術館の建物の屋上に階段が伸びていましたが・・・

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©2023 佐喜眞美術館 ルミエール・プラス


監督;美術館の建物自体すごく考えられていて、あの白い階段をのぼると、普天間基地が見えるだけでなくて、突き当たったところに窓があって、慰霊の日である6月23日に夕陽が東シナ海に沈むときに窓の中に見えるように設計されています。これも建設家のコンセプトです。
(注:階段は、6月23日にちなみ、6段と23段)

― 6月23日に行けるといいですね。
(河邑監督が撮影された6月23日の佐喜眞美術館屋上の窓から見えた夕陽の写真を見せていただきました。俄然、行きたくなりました!)

監督:絵も展示されているのですが、美術館そのものも大きな作品としてメッセージを発しているのですね。佐喜眞家のご先祖の亀甲墓が敷地にあって、屋上からは米軍が上陸した読谷が見えます。
館長の佐喜眞道夫さんは、もともと東京で針灸師をしていて、東松山の丸木夫妻のところに治療に通っていたそうです。その時に二人からいろいろな話を聞いていて、沖縄戦の図 14枚を描き終えたところで、沖縄で展示したいと相談を受けて、あちこち探したけれど置いてくれるところが見つからなくて、佐喜眞さんが普天間基地内にあるご先祖様の土地を美術館にしたいと米軍に掛け合って、そういう事情ならばと返還させたのです。


― 絵があって美術館が出来たのですね。

監督:絵のために美術館を作ったのです。

― 米軍も絵のためならと太っ腹ですね。場所的にも返還可能だったのですね。

監督:普天間基地の端っこでしたから。滑走路の真ん中だと無理でしたね。いろいろな偶然が重なってますよね。

★米軍基地を返還させるため、約3年に及ぶ軍用地に関する条件闘争や当時の市役所、米軍の窓口になった担当者など、多くの方々との奇跡的な出会いや協力がありました。
(佐喜眞美術館)


◆生き証人に取材して戦争の真実を描いた丸木夫妻
― 母を連れて沖縄に行ったことがあって読谷の城や海軍の地下壕などにも行きました。母は戦前台湾に10年ほどいて、同級生で沖縄に引き揚げた人もいます。ひめゆり部隊と同じ世代ですので、沖縄では特に心が痛むと言ってました。父は学徒出陣で実戦にはいかずに済んだのですが、沖縄に行っても戦争の跡を感じるところはつらくて行けなかったと言ってました。私は両親から戦争体験を直接聞いている世代なのですが、今の若い方は直接聞くこともないですね。

監督:本当にもう、生の体験者の話を聞けない時代になりましたが、絵は永遠に残る生き証言のようなものですね。

― 丸木夫妻が生き証人がいるうちに沖縄で直接話を聞かれて描かれたことは大きいと思いました。
丸木夫妻にはお会いになったことはあるのでしょうか? 

監督:お二人にはお目にかかっていないのです。私がNHKで仕事をしていた時代に沖縄にも行っていて、その時期にお二人は絵を描かれていたのですが・・・

― 生前のお二人に会った方たちにお話を聞くことで、間接的にお二人のことを感じられたのですね。

監督:あと、お二人の写真ですごくいいものが残っていました。本橋成一さんが読谷で二人が描かれていたときに通って撮られた写真と、石川文洋さんが丸木夫妻が首里のアトリエで描かれているときに俯瞰で撮られた大きな写真があったでしょう。あの写真があったから、もう存命されていないけれど、二人の姿を描くことができました。

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写真:石川文洋


― 丸木夫妻の動画や声はどのように発掘したのでしょうか。

監督:NHKの番組はアーカイブにありますが、もう一つ、シグロの読谷の記録を残した映像がとてもいい作品です。 

― 丸木夫妻と読谷の人たちとの交流がとても素敵でした。

監督:丸木俊先生が「記念写真撮ってよ」と本橋さんに言っていましたが、珍しいでしょう。丸木さんたちは、想像で描いたりしないで、現場に足を運んで沖縄の人たちにちゃんと話を聞いて、モデルになってもらって描かれていました。本や文献もたくさん読まれていたようです。普通の画家がアトリエで自分のイマジネーションで描くのと違って、一種のルポルタージュ。起きたことを生かしながら描いています。描き方には二人の美意識も反映されていますが、ちゃんと事実そのものが描かれています。


◆日本兵は住民を盾にして犠牲にした
― 集団自決の跡が生々しく残る「チビチリガマ」と、「一億玉砕」の教育から離れて「民主主義」を生活の中で知っていたハワイ移民の方のお陰で全員が助かった「シムクガマ」の対比が強烈でした。ほかの映画でも、日本兵のいたガマと、いなかったガマで生死を分けたことを知りました。そういう事例はたくさんあるのでしょうか?

監督:そうですね。沖縄のあちこちで日本兵は住民を盾にしたようなところがありました。赤ん坊が泣くと黙らせるために殺させています。兵隊は自分たちが助かるために行動しています。それが戦争の真実です。最初の久米島の虐殺の絵も、村人たちが米軍のスパイではないかと疑って、日本兵が村人を虐殺したことを描いています。自分たちの保身ですよね。しかもあれは終戦後まで続いていますからね。どうしてああいうことをやるのかと思います。

― 地上戦になってしまった悲しさ、さらに戦争が終わっているはずの時ですよね。

監督:玉音放送のあとに日本兵がこういうことをするとは驚きますね。我々が聞いてきた軍の規律や、日本兵が勇敢だとかいったことは全部嘘じゃないかと感じますよね。

― 本来は国民を守るべき立場だと思うのに悲しいですね。そういうことを若い人が絵から学んで、よりよき未来を作ってくれればと思います。

監督:真実をみることが必要ですよね。一方的に与えられた知識には疑いを持って、自分で判断できるようにすることが大事ですね。


◆戦後40年経って、ようやく体験を語り始めた
― 知花昌一さんという方が丸木ご夫妻を読谷のガマに案内されていますが・・・

監督:知花さんは読谷の方で、米軍が上陸したときに住民が逃げ込んだチビチリガマとシムクガマに丸木夫妻を案内されたのですが、戦後の1948年生まれの知花さんにとって、チビチリガマが生き方の柱になったとおっしゃっています。

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左:知花昌一さん  右:平仲稚菜さん
©2023 佐喜眞美術館 ルミエール・プラス


― 知花さんはご自身の両親などから体験をしっかり聞いておられたのでしょうか?

監督:沖縄の人は実はあまり語らなかったんですよ。知花さんも丸木さんたちを案内している段階になって、沖縄の人たちが体験したことをようやく口を開いてくれ、初めて聞いたということもあります。

★チビチリガマの惨劇は、1983年頃から下嶋哲朗さんというドキュメンタリー作家の方が読谷村で調査を行ったことを機に、約40年間、村の人びとの心のなかで深く悲しい沈黙に覆われていた出来事がようやく明るみになりました。知花さんはその頃から下嶋さんに大変協力しています。丸木夫妻が読谷村に滞在されたのは1986年末からです。
(佐喜眞美術館)

― 身内同士では話題にしたくないですよね。

監督:話したくないですよね。つらい話ですから。丸木さんたちが沖縄に行った1986年は、終戦から40年過ぎているのに基地はなくならない、ベトナム戦争は終わっているかもしれないけれど、世界には平和がやってこない。このままだとまた戦争が始まるかもしれないと沖縄の人たちが危機感を持ち始めて、過去のことを黙っていては未来のためにならない、平和を作る為、つらいけれど見たこと起きたことをちゃんと語っておきたい。そんな時期だったんですね。

― 日本に返還されたけれど基地はなくならない、ますます状況はひどくなるという中で、歳も取ってきたので、今言っておかなければという気持ちになったのでしょうね。

監督:体験した人たちはそのことをすごく考えて、子供たちにも語り継いでおきたいし、原爆の絵以来戦争のことを絵画で描かれてきた丸木さん夫妻に協力したいという思いで丸木さんたちに口を開き、一緒になって絵を作ったのだと思います。


◆平和学習として「沖縄戦の図」を観てほしい
― 先ほども触れましたが、修学旅行で沖縄を訪れることが多いのでしょうか。

監督:平和学習として沖縄は修学旅行の対象になることが多いですね。摩文仁の丘や、ひめゆりの塔には必ず行きますが、佐喜眞美術館を訪れるケースが少ないので、これからは行ってほしいですね。

― 慰霊の碑よりも、もっと戦争の現実が見られますよね。映画を通じて佐喜眞美術館に行く人が増えてくれるといいですね。

監督:日本人としては、あのような絵が14枚残されていることをぜひ知って、一度は観てほしいですね。大事なことだと思います。

― 一枚一枚が直視できないくらい凄い絵ですが、直視して考えないといけないなと思いました。
6月17日から沖縄の桜坂劇場で先行上映が始まっていますが、反応はいかがですか?

監督:沖縄の人も映画を観て、佐喜眞美術館にそういう絵があることを初めて知った人もいましたし、あの絵にはそういう意味があったのかと発見して、新たな気持ちで絵を観にいきたいという人もいました。
佐喜眞美術館に行って、一度は観てもらいたいですね。画家たちの力量がすごいので、むごたらしく描いてないですよね。一人一人の顔もきれいに描いていますしね。


― 私もぜひ佐喜眞美術館に行って、実物の沖縄戦の図を観たいと思います。
本日はありがとうございました。


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◆助監督の佐喜眞淳さんについて 
 (後日、文書でお伺いしました)
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佐喜眞淳さん(左端)


― 佐喜眞道夫さんのご子息である佐喜眞淳さんを助監督に起用された経緯をお聞かせください。

監督;まず佐喜眞美術館での撮影全般の協力と助手をお願いしたこと。もともと音楽関係が専門で民謡収録のミキサーを頼んだこと。それと沖縄戦の図を次世代に守り継承するために。映画の現場で様々な体験をしたので未来へのバトンタッチが出来るようにという思いでした。


― 淳さんから丸木夫妻と会った時の思い出をお聞きになっていますか?

監督:淳さんは1985年生れで二歳の時に丸木位里の膝に抱かれた写真がありますが、それ以降の接点はないので直接の記憶はないようです。

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*取材を終えて*
42年前に初めて沖縄を訪れたときに、城(グスク)を巡るツアーだったのですが、真っ先に連れていかれたのが、大きな大きな亀甲墓でした。3日間の滞在中、亀甲墓や家型のお墓をいくつも見かけて、独特の文化に興味津々でした。本作でも、佐喜眞美術館の敷地にある大きな亀甲墓が最初の方に出てきて、俄然興味を惹かれました。基地の中にも、いくつもご先祖様のお墓が残されていて、河邑監督にお伺いしたら、祖先供養のシーミー(清明祭)の時には、申請手続き後に特別許可が出て、お墓詣りができるようです。
日本で唯一、地上戦になった沖縄。地獄をみた沖縄の人たちのことを絵にして遺してくださった丸木夫妻、その絵を沖縄に展示するために奔走された佐喜眞道夫さん、そのほか様々な沖縄の方たちの思いを丁寧に紐解いてくださった河邑監督に感謝です。(咲)




「金曜ロードショーとジブリ展」

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日本テレビ放送網株式会社 杉山美邦氏、スタジオジブリ 鈴木敏夫氏、
特別協賛 KDDI株式会社 竹澤浩氏


6月29日(金)天王洲アイル寺田倉庫にて、内覧会と会見が執り行われました。満員の記者席を前に、お三方がそれぞれにジブリとのなれそめからこれまでの関わりについて、語られました。詳細はまた後日。
(この写真のみ白石撮影)


★開催概要★
■金曜ロードショーとジブリ展 東京展
会期:2023年6月29日(木)~9月24日(日)
会場:東京・天王洲 寺田倉庫 B&C HALL/E HALL
通常チケット:大人 ¥1,800(税込)/中・高校生 ¥1,500(税込)/小学生 ¥1,100(税込)
特典付きチケット:大人 ¥2,700(税込)/中・高校生 ¥2,400(税込)/小学生 ¥2,000(税込)
             ※日時指定予約制、チケットはローチケ、日テレゼロチケで購入できます。
公式サイト: https://kinro-ghibli.com/
お問合せ:ハローダイヤル TEL:050-5541-8600(全日9:00~20:00)
主催:日本テレビ/ローソンチケット/ディスクガレージ/第一通信社/TOKYO FM
特別協賛:au(KDDI株式会社)
特別協力:スタジオジブリ
協賛:寺田倉庫/図書印刷


PART1 “金ローとジブリ“のヒストリーを辿る

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(C)Studio Ghibli

ジブリ作品が日本テレビで初放映されたのは1985年。『風の谷のナウシカ』でした。それ以来200回以上に渡ってジブリ作品を放映してきた足跡を辿ります。作品と同じときに流行していたエンターテイメントの数々。キャラクターグッズやゲーム、CD、書籍なども並んでいます。具体的なものを見てまわると、思い出がより一層鮮やかによみがえってきます。

PART2 ほぼ全作品の絵コンテを展示!

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(C)Studio Ghibli

PART3 初登場!ジブリ映画ポスタースタジオ
階段を上ると、懐かしい作品のポスターがずらりと並んでいます。ポスターの主人公になりきって自分仕様写真を撮影できるスポットが嬉しい。さらに特別協賛のau(KDDI)の協力により提供されたARコンテンツ、アプリ「SATCH X」をダウンロード(無料)し、『借りぐらしのアリエッティ』ポスター付近のARマーカーを読み込むと、アリエッティと同じ目線で巨大な植物と虫たちが溢れる世界をARで体験できます。

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(C)Studio Ghibli

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(C)Studio Ghibli

観るだけでも大迫力の腐海。造形家 竹家隆之氏の手掛けた三次元の世界。平面を立体にするには、想像力と創造力がより必要です。足を踏み入れたとたん思わずうわー!と声が出るか、驚きのあまり声を飲んでしまうかのどちらになるでしょう?目の前にある世界を、隅々までご覧ください。前述のアプリ「SATCH X」をダウンロードしておくと、”あることが起きます”??
どうぞお楽しみに。

■富山展も開催決定!
日程:2023年10月7日(土)~2024年1月28日(日)
会場:富山県美術館
チケット:日時指定、詳細は後日発表
主催:富山県、金曜ロードショーとジブリ展富山展実行委員会(富山県美術館、北日本放送、北日本新聞社)