『カムイのうた』劇場公開前のトークイベント!

ピリカウレシカ アイヌ文化と知里幸恵さんの魅力

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9月2日(土)東京ビックサイト「@GOOD LIFEフェア2023」会場にて 
トークイベントに登壇した 左から菅原浩志監督、吉田美月喜さん、島田歌穂さん、木原仁美・知里幸恵記念館館長

映画『カムイのうた』の北海道先行公開(11月23日)と東京での公開を控え、9月1日(金)~3日(日)に開催された朝日新聞社主催の「GOOD LIFEフェア2023」でトークイベントが実施されました。
本作で主人公テルを演じた吉田美月喜さん、主人公の叔母イヌイェマツを演じ主題歌も担当した島田歌穂さんに加え、本作のモデルである知里幸恵の記念館館長である木原仁美さんと、本作で脚本も担当した菅原浩志監督が登壇。「ピリカウレシカ アイヌ文化と知里幸恵さんの魅力」をテーマにトークショーが繰り広げられ、映画公開に先立ちアイヌ民族についての歴史や貴重な話が語られました。
*「ピリカウレシカ」とは、ピリカ=GOOD、ウレシカ=LIFEというような意味で、「快適な暮らし」、「良い暮らし」というようなことだそうです。

『カムイのうた』のロングバージョンの予告編も本会場で初お披露目され、更に劇中でも披露されているアイヌ民族の楽器・ムックリ(口琴)を吉田美月喜さんが披露し、アイヌ民族に口承されてきた歌謡形式による叙事詩ユーカラを島田歌穂さんが歌いました。島田歌穂さんが歌った時には、吉田美月喜さん、菅原浩志監督が竹片を木の枝でたたき楽器にし3人のコラボになりました。さらに木原仁美知里幸恵記念館館長による本格的なムックリの演奏まで披露され、アイヌの伝統的な伝承文化を堪能することができました。

全てに神が宿ると信じ、北海道の厳しくも豊かな自然の中で暮らしてきたアイヌの人たち。その生活や文化は和人が入って来た事で奪われてしまった。生活の糧である狩猟やサケ漁が禁止され、住んでいた土地を奪われ、アイヌ語も禁止された差別と迫害の歴史。
そんな中でこの映画は、口承で伝えられてきたアイヌ民族の叙事詩ユーカラを日本語訳し、「アイヌ神謡集」を完成させた知里幸恵さんの実話がベースになっている。幸恵さんがモデルのテル役を吉田美月喜さんが演じている。

『カムイのうた』トークイベント
アイヌ文化と知里幸恵さんの業績、吉田美月喜さんのムックリ演奏と島田歌穂さんのユーカラ披露も!

映画公開に先立ち「ピリカウレシカ アイヌ文化と知里幸恵さんの魅力」をテーマにトークが展開された。

主演の吉田美月喜さん(20)は、アイヌ民族の血を引くというだけで希望する進学を阻まれたり、差別的な待遇を受けたテルを演じた。知里幸恵さんはユーカラを日本語に訳した「アイヌ神謡集」を完成させた1922年(大正11年)、19歳の若さで亡くなった

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吉田美月喜さん:この映画に携わるまで正直アイヌ文化をあまり知らなくて、今年(2023)1、2月に北海道東川町を中心に行った撮影前からアイヌ民族の歴史、文化など、役を演じるうえで必要なアイヌ文化を1から学ばせていただきました。
その中で一番驚いたのは、叔母役の島田さん演じるイヌイェマツが床にお茶をこぼしたときに言った「床の神様は喉が渇いていたんだ」というセリフです。
床にも神様がいるという考え方にびっくりしました。アイヌの方は全てに神が宿っていて、その神の中で自分たちは助けられて、生かされているという考えを凄く大切にしていて素敵だなと思いました。
実在された方を演じるのは初めてだし、自分の知らない文化を学びながら説得力のある作品にしなければいけないというプレッシャーもありました。アイヌ文化をしっかり伝えていくには自分が一番理解しなくてはいけないし、知里さんのこともイメージしながら臨みました。撮影時は私もちょうど19歳で、知里さんが亡くなられたのと同じ歳。幸恵さんはどう思っていたんだろうとしっかり考えながら演じたと、19年という短い生涯を送った主人公に思いを馳せた。

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島田歌穂さん:私も全てのものに神が宿っているという考えは本当に素晴らしいと思います。1番、驚いたのは、床にお茶をこぼしてしまった時「床の神様は喉が渇いていたんだ」というセリフと即答。日頃、ぞんざいに扱ったり、邪魔だなと思うものにも1つ1つ命が、神が宿っている。その考えがまさにそのセリフに象徴されていると思ったと吉田さんに同調。父親が北海道出身だという島田さんだが、「本当にアイヌの文化や歴史について知らなかったなとおもいました。アイヌの方々の考え方、色々な境遇にも負けずに自分たちの文化を守っていく生き方に感銘を受けました。
テルの叔母イヌイェマツ役の島田歌穂さんは、作曲家である夫の島健氏が作曲した主題歌「カムイのうた」のほか、ユーカラも歌唱する。

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菅原浩志監督:この作品は、北海道の雄大な自然や動物たちも登場します。
「ピリカ」というのは素晴らしいとか、綺麗とか、Goodという意味、「ウレシカ」は人生、Life、生活と言うような意味です。「ウ」は互いに、「レシカ」は育てるなので「互いを育てる」=Life(生活)というのが語源です。すごく意味深いと思います。
映画を作るにあたってアイヌのことを勉強したのですが、非常にたくさん教わることがありました。今までどうしてこんな大切なことを教わってこなかったんだろうと感じました。
先住民として独自の生活、文化を築きながら、和人が入って来たことでそれを奪われ、生活の糧である狩猟、サケ漁が禁止され、住んでいた土地も奪われ、アイヌ語が禁止されるなど、アイヌ民族は差別を受け続けてきた。
北海道の地名はアイヌ語が起源のものが多い。アイヌ民族が北海道中に住み、地名に意味を込めていたか。和人が入ってきて、その名前の上に全部漢字を書いていって、アイヌの文化、歴史が書き直されてしまった。
さらに、見た目だけじゃなくて本質は一体何か、その裏の本当の意味は何かということを我々は見ていかなくちゃいけない、そのことをアイヌ民族たちが教えてくれた。我々も12年前には「原子力明るい未来のエネルギー」と大きな看板を掲げていた原発が爆発しているわけです。我々が思っていたことが実際はそうではないということを、考えなければいけない時代がが今。そのきっかけになるのがアイヌ民族であり文化です。

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トークのあと吉田美月喜さんが、この映画のため学んだというアイヌ民族の楽器ムックリを生演奏した。撮影が始まる前から教えていただいて、家でも練習をしました。撮影が終わっても家でやるんですが、やればやるほど知らない音が出る。ちゃんと表現できたかわからないけど、主に撮影させていただいた東川町をイメージして演奏してみましたと語った。

菅原監督は「アイヌは自然と共存してきた民族。とても自然をリスペクトしています。ムックリは自分で作ることができるくらいシンプルですが音がなかなか出ない。こんなに音がでるのはすごい」と吉田さんをほめ、島田さんは「本当にとても上手に演奏されていました」と称えた。

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さらに、独自のアイヌ文化とも言えるアイヌ民族に伝わる叙事詩ユーカラを島田歌穂さんが生披露。アイヌたちは神話や英雄の伝説、自然界の動植物や神など多様な事象を文字ではなく、語り手の表現、語り口による表現方法で語り伝えてきた。ユーカラは長いものだと数時間、何日も続くものもあるが口伝えで継承されてきた。島田さんは「小鳥の耳飾り」という曲を披露。監督と吉田さんは30㎝くらいの長さの竹を木の枝のような棒でたたき、吉田さんが合いの手を入れたりしてて参加。島田さんの素敵な歌声が会場中に響き渡った。

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島田さんが謡ったユーカラ「小鳥の耳飾り」について、内容を話せば長くなるのですがかなり切ない話ですと語っていた。全国の民謡を歌っていますが、ユーカラは今まで聴いたことがない初めて聴く音楽。リズムといい、メロディといい未知の世界。でも、懐かしい感じのする音楽でした。

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このあと、知里幸恵さんのめいの娘で知里幸恵記念館の館長を務める木原仁美さんがアイヌ民族衣装で登壇。「19歳で亡くなった人におかしいんですけど、血縁としては大叔母さんです。今年は知里幸恵生誕120年、1923年発行の『アイヌ神謡集』出版100年で節目の年。この年に映画が公開されて、さらに幸恵が注目されると思います。さらに世界にまで広がっていければ嬉しいです」と語り、持参したムックリを奏でてくれた。やはりベテランの音の響きは違う。音の連弾のよう。まるでいくつものムックリがつらなうように音が重なって音が伝わってきた。
木原さんは風の音や熊の鳴き声など、自然界の音を想像して弾いてみましたと語り、
アイヌ民族は「カムイ」と言って、全てのものに魂が宿ると考えています。人間に役に立つものは全て「カムイ」なんです。火、熊、船等々、いろいろなものが神様になります。その神が見ているから物を大切にすること、命をいただいたものを全て余すことなく活用するという考えで生きています。またアイヌは文字を持たないので、記憶力がすごく良かったと聞いています。ユーカラも耳で覚えて1度聞いたら全て覚えるほどだったとと、アイヌ民族の考えや知恵などを語った。

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最後に、菅原監督は「アイヌ神謡集」について、知里さんがその序文を19歳で書かれているのですが、本当に素晴らしい名文。北海道の歴史、アイヌ民族の歴史、彼女の想い、将来どうしたいかということが凝縮された2ページなので、ぜひ読んでいただきたい」と絶賛。この映画の中でもこの序文を映像で表現して‎います。知里幸恵さんがスクリーンで蘇ってほしいという思いでこの映画を作りました。また『日本の先住民族の文化を伝えるだけでなく、いじめや差別のない社会をと言う願いを込められています。
また、取材時に出会ったある子どもたちの話を例にあげた。「氷が解けたら何になる」という質問に、普通は「水になる」と答えるのですが、アイヌの子どもは「氷が解けたら春になる」と答えました。その感受性、自然を大切にし自然と共に生きてきた彼らの心を我々も学んでいきたいと思います。ぜひ、映画をご覧になって吉田さんの素晴らしい演技、島田さんの彼女でしか歌うことができない歌をご覧いただき、そしてアイヌ文化に触れるきっかけになっていただければ嬉しいです」とメッセージを語り、イベントは終了しました。


公式HPより
アイヌの心には、カムイ(神)が宿る――
学業優秀なテルは女学校への進学を希望し、優秀な成績を残すのだが、アイヌというだけで結果は不合格。その後、大正6年(1917年)、アイヌとして初めて女子職業学校に入学したが土人と呼ばれ理不尽な差別といじめを受ける。ある日、東京から列車を乗り継ぎアイヌ語研究の第一人者である兼田教授がテルの叔母イヌイェマツを訊ねてやって来る。アイヌの叙事詩であるユーカラを聞きにきたのだ。叔母のユーカラに熱心に耳を傾ける教授が言った。「アイヌ民族であることを誇りに思ってください。あなた方は世界に類をみない唯一無二の民族だ」

教授の言葉に強く心を打たれたテルは、やがて教授の強い勧めでユーカラを文字で残すことに没頭していく。そしてアイヌ語を日本語に翻訳していく出来栄えの素晴らしさから、教授のいる東京で本格的に頑張ることに。同じアイヌの青年・一三四と叔母に見送られ東京へと向かうテルだったが、この時、再び北海道の地を踏むことが叶わない運命であることを知る由もなかった…。

出演:吉田美月喜、望月歩、島田歌穂、清水美砂、加藤雅也
監督・脚本 菅原浩志 プロデューサー:作間清子 主題歌:島田歌穂
製作:シネボイス  
製作賛助:写真文化首都「写真の町」北海道東川町  
配給:トリプルアップ 
Ⓒシネボイス 上映時間:125分 公式サイト:kamuinouta.jp
2023年11月、北海道先行公開

監督・脚本 菅原 浩志
『ぼくらの七日間戦争』『写真甲子園0・5秒の夏』『早咲きの花l『ほたるの星』『北の残照』『ヌプリコロカムイノミ』
この『カムイのうた』は東川町が企画協力し製作。

取材を終えて
このイベントのあと、いくつかのブースをまわってみましたが、興味深いブースがたくさんありました。まず最初に向かったのが、この映画で企画協力している写真の町として有名な北海道東川町のブース。ジャムや米などの特産品が並んでいましたが、このブースの中で、ちょうど、この映画をもとにしたコミック(春陽堂書店より9月6日に発売)を書いた、なかはらかぜさんがサイン会をしていました。それで、普段アニメなどは見ないのですが思わず買ってしまいました。 
コミック「カムイのうた」が9月6日に発売!

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著者のなかはらかぜさん

「アイヌ民族の抒情詩ユーカラ」という言葉を初めて聞いたのは50年以上前の中学生の時、それ以来、アイヌ民族の文化がずっと気になっていたのですが、5年くらい前に平取町にある二風谷アイヌ文化博物館に行ってきました。その時に東川町にも寄りました。
そのユーカラを日本語口語に訳したのが知里幸恵さんという女性で、19歳で亡くなったというのは全然知りませんでした。その方をモデルに描いた映画『カムイのうた』を早く観てみたいです。

*スタッフ日記に、少しだけこのイベントのことを載せています。
シネマジャーナルHP スタッフ日記 
退院して、少しづつ活動始めています(暁)
http://cinemajournal.seesaa.net/article/500612667.html
取材 宮崎暁美

『鉛筆と銃 長倉洋海の眸(め)』 長倉洋海さんインタビュー

~ アフガニスタンでマスードに出会った意味を噛みしめる ~

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『鉛筆と銃 長倉洋海の眸(め)』
出演:長倉洋海
ナレーション:山根基世
監督・撮影:河邑厚徳

公式サイト:https://enpitsutojyuu.com/
★2023年9月12日(火)〜9月24日(日)東京都写真美術館ホールほかにて公開


河邑厚徳監督に『丸木位里 丸木俊 沖縄戦の図全14 部』公開時にインタビューさせていただいた折に、次の作品が写真家・長倉洋海さんを追ったドキュメンタリーと知りました。
長倉洋海さんといえば、アフガニスタンの北部同盟のマスード司令官はじめ、世界各地の人びとの素敵な表情を捉えた写真を撮られていて、大好きな写真家。 ぜひお話を直接伺いたいとお願いしていたのが実現しました。
【取材】撮影:宮崎暁美(M) まとめ:景山咲子(K)


◎長倉洋海さんインタビュー

◆マスード亡き後も「山の学校」でアフガニスタンと繋がる
K: 同志社大学時代に、探検部でアフガニスタンの遊牧民の調査に行かれたそうですが、その時には、どの地域にいらしたのですか?

長倉:ほとんどの大きな町を回りました。ハイダバード、バーミアン、ヘラート、カブール、ガズニ、ジャララバード、カンダハールなど。パキスタンのペシャーワルからハイバル峠を越えて入りました。

K: マスードに会いに行く時にも、パキスタンのペシャーワルから馬を借りて入られたのですね。

長倉:ペシャーワルから山のほうに移動して馬を借りました。当時、ペシャーワルには、イスラーム戦士のオフィスがたくさんありました。

K: マスードというカリスマ性のあるリーダーがいることは、長倉さんの写真を通じて知りました。2001年9月9日、 9.11同時多発テロの2日前に暗殺されたのがとてもショックでした。あれからアフガニスタンでは、アルカーイダやタリバンなどいろいろな勢力がひしめきました。
長倉さんのマスードの写真も好きなのですが、なにより、長倉さんの捉える子どもたちや人々の笑顔が好きです。劇中の「好きだという思いが伝われば、英雄も子供も笑顔で心を開いてくれる」という言葉が心に残りました。

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©2023 アフガニスタン山の学校支援の会 ルミエール・プラス

M: 実は長倉さんと同じ1952年生まれです。ベトナム戦争の反戦運動に参加したことから、岡村昭彦、石川文洋、沢田教一、ロバート・キャパなどのベトナムでの写真を見て、私も報道写真家を目指したいと思ったのですが、とうとう戦地には行けなかったので、長倉さんの「遅れてきた戦場写真家」という思いがとてもよくわかります。 ベトナム戦争は終わりましたが、残念ながら、今でも各地で戦争や紛争は続いています。 それをずっと撮られてきたのは凄いなと思います。長倉さんの写真展には何度も行っているのですが、最初のころの写真展でマスードの写真を見て素晴らしいと思いました。その時に長倉さんとマスードのことを認識しました。マスードのことを日本に知らしめた写真展だったと思います。 継続して撮ることの大切さを、映画を観てつくづく思いました。

K: マスード亡きあとも、「山の学校」を支援する形でずっと現地と繋がっていらっしゃるのだと、幅広い活動をされているのを遠くから見守ってました。 子どもたちがどんどん大きくなっていくのを写真に収められていて、彼らにとっても宝だと感じます。旅先で写真を撮って、送るといいながら送らないことも多いのですが、ちゃんと届けてらして、ほんとに嬉しいことだと思います。今は画像データですぐ送れるけれど、印刷されたものは違う良さがありますね。

長倉:手間かけてプリントしたものですからね。


◆マスードの目指した多民族国家はいつか実現する

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©2023 アフガニスタン山の学校支援の会 ルミエール・プラス

K: 「山の学校」を支援されてきて、習っていた子が先生になって戻ってきて、軌道に乗ったから、2020年の年末に、2023年で支援を止めると決めていらしたのに、タリバン復権で状況が変わりましたよね。
「山の学校」が男女共学だから狙われたのでしょうか?

長倉:やはりマスードのエリアだから狙われたのです。マスードが目の敵にされているからです。

K:マスードの息子さんも、とてもカリスマ性のある雰囲気の方ですね。

長倉:国内での抗争を続けながら、タリバンやアルカーイダやISISなどの脅威を外に訴えつつ戦っています。世界が何かしないと、アフガニスタンの女性の問題も変わらないので、国連がジェンダー・アパルトヘイトの問題として捉えています。タリバンは時代錯誤な人たちだと思います。

K: タリバンを構成するパシュトゥーンの人たちは保守的で、特に女性隔離の考えが強いですよね。民族的な慣習だと思うのですが、それをイスラームの考えと誤解されるのは違うと思います。

長倉:14億人近くのイスラームの人たち全体をみれば、女性参政権も得ているし、勉強もしているし、タリバンだけがなぜそういう考えなのか。女性だけでなく、少数民族や外国人に対しても差別的な考えを持っています。多民族国家なのを受け入れないといけないと思います。皆で一緒にやれる国造りが必要です。女性の力が大切。人口の半分は女性です。アフガニスタンは、戦争で痛めつけられてきましたし、電力も周辺国から買っています。マスードの目指した国造りは多民族国家であり、そうした国造りの為の人材を育てるのが「山の学校」です。アフガニスタンを変えていけると考えていたのです。

M: そういう方向に変わっていくのかなと思っていたのですが、私たちからみても状況は悪くなる一方です。中にいる人たちはどんな思いかと憂います。・

長倉:タリバンが復権して、8月15日でちょうど2年になります。国民は大変だったと思います。なかなか変わらないけれど、きっとアフガニスタンは変わる、必ず良くなると思っています。


◆アフガニスタンを見ることは、世界を見ること

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©2023 アフガニスタン山の学校支援の会 ルミエール・プラス

M: 山の学校への道路はよくなったのでしょうか? 

長倉:半アスファルトでだいぶん出来上がっています。

M: 道路が出来て便利になると、皆、町に出ていってしまうという現象もあると思います。

長倉:世界のどこでもそういう傾向はありますが、あの村の人たちは村を愛しているので、その心配はないと思います。道がよくなって、下に降りるのも楽になって、急病人も運べるし、高校へも行きやすくなりました。すごく石が多くて、工事でさらに丸い石がとがっています。

M:上の学校に行く人も増えたのでしょうか?

長倉:高校に行ったり、留学したりしていますね。

M:「山の学校」では、タリバンにパソコンも壊されたそうですが・・・

長倉:立派なモニターもあったのですが、しょうがないですね。山の学校も理想通りにいけばよかったですが、アフガニスタンが世界とつながっているからこそ、アラブからアルカーイダやISISなどの反米の過激派が集まり、戦争の中で生まれた孤児がパキスタンでタリバンとして育てられました。世界の政治や経済の矛盾や問題が弱いところに来てしまったのではないかと思います。住んでいる人には大変なことですが。
アフガニスタンを見ることは、世界を見ることに繋がっていると思います。ただ支援をしただけじゃなく、教わったことも多い。これからもアフガニスタンを見つめていくけれど、アフガニスタンの人たちも僕たちを見つめてくれる。相互作用があります。支援することで学ぶこともある。一方的な植民地と宗主国の関係、搾取し搾取されるという関係でなく、お互いにいい意味で影響し合うのが世界の理想。いろいろな国があって民族がいて、違いがある中で一緒にやる意味は何なのか。多様性こそ豊かさ。ですので、アフガニスタンが多様性を拒否するのはおかしいと思う。本当は豊かなのだといいたい。パシュトゥーン、タジク、ハザラなど多様な民族がいて、衣装や伝統芸能も素晴らしいものをもっています。そこから他の国の僕たちも影響を受けたし、新しいものを作り出す原動力にもなっています。仏教遺跡を破壊したりする行為はよくないと思います。


K:かつては、アフガニスタンの小学校で、パシュトゥー語とダリ語の両方を教えていた時代もありました。お互いにコミュニケーションをとれました。今では考えられない状況です。

長倉: 時間や効率の面で世界が狭くなるというより、世界がモノカルチャー化しているのは悪くなる兆候ではないかと思います。世界各地の先住民の文化も淘汰されようとしています。オーストラリアや南米の先住民など様々な文化をリスペクトすることが地球の豊かさに繋がると思います。ウクライナの戦争でも、ロシアが自分たちの価値観で支配しようとしています。
「山の学校」の子どもたちの笑顔や目指していたものを見せることに意味があると思っています。タリバンがカブールを制圧する前のアフガニスタンを映画で見てもらって、本来のアフガニスタンの持つ豊かさや世界を考えるきっかけになればと思っています。
マスードと僕との出会い、マスードが考えていたことを僕が受け継ぐというほどではないにしても、関係を続けてきたこと。マスードが亡くなってもう20年以上になるけれど、17年間のマスードとの付き合い、そしてその後23年、トータル40年アフガニスタンに関わってきたことが僕の人生にとって意味がある。亡くなられた時に終わらせてしまう出会いもあるけれど、そこから次の道が見えてくる。マスードが亡くなって終わりだと思っていたけれど、彼の考えていた教育、それを苦労して引き継いでいる「山の学校」があって、ここだと。人生の道はどうなるかわからない。人生の道はくねくね曲がっています。


K: 一つの出会いはとても大きいと思います。誰と出会うかはとても大事。長倉さんの人生を見て、こういう生き方に憧れる若者がいてもいいなと思います。今の若い人は、あまり外に出ないような気がします。

長倉:今、時代がそうなってしまったのですね。スマホの中に閉じこもってしまっているような感じがありますね。

K: 画面の中での出会いより、対面で出会ってこその良さがあると思います。
シャルワールカミーズ姿の長倉さんは、すっかり現地に溶け込んでいました。私の知り合いの先生は、シャルワールカミーズを着ているとハザラと間違えられると言ってますが、長倉さんはマスードと同じタジクにも見えます。
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©2023 アフガニスタン山の学校支援の会 ルミエール・プラス


私はアフガニスタンに行きたかったのに、行き損ねました。アフガン研究会などで前田耕作先生のお話などもよく聞きました。

長倉:前田先生も亡くなられて残念ですね。ほんとうにアフガニスタンのことが好きで、本もたくさん書かれていて、ご存命なら、これからもまだまだアフガニスタンの文化の大切さを紹介してくださったことと思います。運が良ければ跡を継ぐ人がきっと現れると思います。


◆故郷・釧路での長倉商店塾
K: 今、釧路で商店塾を開かれているとのことで、どんなことをされているのかとても興味があります。

長倉:若い人や知らない人たちにいろいろなことを伝えることができるという嬉しさがあります。
マスードとのことももちろん伝えています。出会いの意味は、その時にわかることもあれば、時間が経ってわかることもあります。当時刻みこまれた種が、胞子のように僕の中に残っていて、芽を出したり花が開いたりすることもあって、それを伝えていきたいと思っています。


M:劇中、釧路の映像があって、とてもよかったと思いました。

長倉:塾の授業の様子も撮影したのに、映画ではカットされていました。

K: どんな授業をされているのか、とても興味があります。
この映画は、若い人にとっては人生の師になると思います。皆さん、ためらわずにやりたいことに飛び込んでほしいと思います。そして、人との出会いを大事にすることを学んでほしいと思います。
長倉さんのこれからのご活躍にも期待しています。今日はどうもありがとうございました。



長倉洋海(ながくら ひろみ)
1952年10月26日、北海道釧路市生まれ。

写真家。1980年、勤めていた通信社を辞め、フリーランスとなる。以降、世界の紛争地を精力的に取材。中でも、アフガニスタン抵抗運動の指導者マスードやエルサルバドルの難民キャンプの少女へスースを長いスパンで撮影し続ける。

戦争の表層よりも、そこに生きる人間そのものを捉えようとするカメラアイは写真集「マスード 愛しの大地アフガン」「獅子よ瞑れ」や「サルバドル 救世主の国」「ヘスースとフランシスコ エルサルバドル内戦を生き抜いて」などに結実し、第12回土門拳賞、日本写真協会年度賞、講談社出版文化賞などを受賞。

2004年、出演したNHK「課外授業・ようこそ先輩『世界に広がれ、笑顔の力』」がカナダのバンフテレビ祭にて最優秀賞を受賞。2006年には、フランス・ペルピニャンの国際フォトジャーナリズム祭に招かれ、写真展「マスード敗れざる魂」を開催し、大きな反響を呼んだ。




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『鉛筆と銃 長倉洋海の眸(め)』 河邑厚徳監督インタビュー


『鉛筆と銃 長倉洋海の眸(め)』 河邑厚徳監督インタビュー

鋭いカメラアイで世界を見つめ、愛をこめて人間を写してきた写真家・長倉洋海。
被写体との運命的な出会い、そして捉えた決定的瞬間。
ドキュメンタリー『鉛筆と銃 長倉洋海の眸(め)』は、長倉洋海自身が語る彼の辿ってきた人生。


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河邑厚徳監督と長倉洋海さん



『鉛筆と銃 長倉洋海の眸(め)』
出演:長倉洋海
ナレーション:山根基世
監督・撮影:河邑厚徳

公式サイト:https://enpitsutojyuu.com/
★2023年9月12日(火)〜9月24日(日)東京都写真美術館ホールほかにて公開

<トークイベント ゲスト一覧>
9/13(水)18:50〜の回 稲垣えみ子(元新聞記者)
9/14(木)18:50〜の回 大竹英洋(写真家)
9/15(金)18:50〜の回 南研子(熱帯森林保護団体)
9/16(土)15:30〜の回 梯久美子(ノンフィクション作家)
9/18(月・祝)15:30〜の回 柳田邦男(ノンフィクション作家)
9/20(水)18:50〜の回 角幡唯介(探検家・作家)
9/21(木)18:50〜の回 山根基世(アナウンサー)
9/22(金)18:50〜の回 石川梵(写真家・映画監督)
9/23(土・祝)18:00〜の回 飯沢耕太郎(写真評論家)


『笑う 101歳×2 笹本恒子 むのたけじ』(2017)
『丸木位里 丸木俊 沖縄戦の図全14 部』(2022) に続き、河邑厚徳監督に3度目のインタビューの機会をいただきました。

【取材】撮影:宮崎暁美(M)、まとめ:景山咲子(K)


◎河邑厚徳監督インタビュー

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◆写真家・長倉洋海の軌跡を描いたハードボイルドドキュメンタリー
K: 長倉洋海さんの写真家としての積極的な人生と、カリスマ性のあるマスードの激動の人生の両方をたっぷり知ることのできる映画でした。
NHK シルクロード特集のディレクターをされていた時には、ソ連との戦争中でアフガニスタンに入れなかったそうですが、初めてアフガニスタンに行かれたのは、2017年にNHK ETV特集「アフガニスタン・山の学校 マスードと長倉洋海の夢」を製作されたときでしょうか?

監督:NHK ETV特集を製作した時には結局アフガニスタンに行けませんでした。現場に行かずに作ったので、充分でない不満の残るものでした。記録映像や長倉さんの写真などを使って特集としてなんとか成立はしたのかもしれないけれど、別の形でちゃんとしたものを作りたいと思っていました。ETV特集とはまったく違うものにしたいと思いました。

K:その後、この映画の制作を決め、アフガニスタンに行って撮影されたのが、2018年でしょうか?

監督:2018年5月に行き、1週間撮影し、その後、もう一度行きたい思いがありました。2018年の訪問時も治安は決して良くありませんでしたが、2019年には中村哲さんが殺されました。再訪したいと思っていたのですが、政府に対する様々な反乱分子がいて、落ち着かなくて結局行けませんでした。

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©2023 アフガニスタン山の学校支援の会 ルミエール・プラス


K: 北部パンシール渓谷の山の学校は、男女共学で、学んだ女性たちが先生になって戻ってきているなど、アフガニスタンでは珍しい学校ですが、タリバンの復権で前途多難ですね。

監督:カーブルにも男女共学の学校はないし、パンシールは、女性たちも社会貢献していて、特別です。それを長倉さんが見事にフォローされていて素晴らしいですね。
タリバンもそういう学校を潰したことを国際的に知られると問題になるので、あからさまには出来ないという状況がありますが、そういったことは報道系のドキュメタリーが描けばいいテーマです。この映画については目線が違います。男性であれ女性であれ、一人孤独に生きている人間を描いたものを目指しました。この映画は、長倉さんの独白で構成しています。(比較的感情的なものや気持ちでなくて事実を、乾いた文法で語っていく)ハードボイルドで、一人称です。組織に寄らず、個人の力で困難を乗り越えて生きていく姿を長倉さんに託して描いています。ですので、ETV特集の「アフガニスタン・山の学校」とは全く違うスタンスです。

M:私は長倉さんと同じ1952年の生まれで、長倉さんと同じくベトナム戦争の報道写真に興味があって、やはり報道写真を目指していました。だから長倉さんのちょっと遅れたという心境がすごくわかります。女性でも南條直子さんや大石芳野さん、古居みずえさんなど、戦場や紛争地の写真を撮っている写真家がいます。私もそういう場に行って写真を撮りたいと思ったけど、とうとう日本を飛び出すことはできませんでした。だから、自分が出来なかったことへの挫折感があるまま、ずっときています。

監督:ベトナム戦争が、1975年に終わって、長倉さん曰く、「報道写真家としては時期が遅れたことから、どうやって自分を探して行くか・・・」。 それが今回のドキュメンタリーの肝です。最初は決定的瞬間を撮りたいと思っていた長倉さんが、表現者として成長する物語です。
今の若い人が思い通りにならないのは社会の責任ではない。長倉さんは、のんきで楽観的な一方、たくましさもある。そういう人が生き残る。


◆静止画から伝わる物語
M:彼の撮った写真に惹かれるのは、そこに写った人々の表情です。その表情を通して戦争の真実や残酷さが表現されていると思います。

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©2023 アフガニスタン山の学校支援の会 ルミエール・プラス


監督:世界中、彼の行ったところの人たちの表情がいい。
本作は、スチールを中心に構成しました。長倉さんのやってきたことの普遍性に惹かれて、形にしたいと思いました。
アフガニスタンについては、状況がどんどん変わります。2021年8月 タリバンが復権しましたが、映画にする時に、どの時点で作るのか?  ニュース報道は圧倒的に、今現在のことを伝えるけれど、本作は、もっと長いスパンで、過去と未来を含めての映像ドキュメンタリーです。今起きていることは、ほかのメディアに任せればいい。


K: 静止画である長倉さんの撮った写真が、とても生き生きと生かされていました。

監督:長倉さんの写真からクリエイトする世界が素晴らしいと思います。「映像の世紀」というと、動画がメインですが、動いていないものにも力があります。いい写真からは想像力をかきたてられて、観る者の中で世界が生まれます。数枚の写真を使って時間の流れを見せることもできます。臨場感もあります。長倉さんの写真を取捨選択して構成すると生き生きとした物語ができます。

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©2023 アフガニスタン山の学校支援の会 ルミエール・プラス


M:かつて写真展でマスードの読書する横顔のアップの写真を見て感動しました。生きている姿が伝わってくる写真をたくさん撮っていらして、止まっている写真なのに、人生が見えてくるように感じられました。
笹本恒子さんや石川文洋さんなど写真家のドキュメンタリーがありますが、写真と動画をコラボすることによって、さらに魅力が伝わってくることを感じます。

監督:写真は写真、ムービーはムービーでなく、映像という大きな枠でみると、これまで固定観念で考えていたのとは違うものが見えてきます。
写真は時を閉じ込めることができると思います。過去の写真であっても、現在にも通じるメッセージがある。人間は変わるわけじゃない。戦争は、ベトナムであろうと日本であろうとウクライナであろうと、人間のやっていることは同じだと思います。



◆日常から見える長倉洋海の生き方
M:釧路での暮らしの場面が入っていたのがとてもよかったです。これまでの彼の生き方と照らし合わせて、面白かったです。

監督:釧路での暮らしを映し出したのは、世界の一線のカメラマンが普通の生活をしているという、男の一人暮らしの生活感を出しました。ストレッチしたり、食事をしたりという日常とドラマのコンビネーションです。
(同じく9月12日〜24日まで東京都写真美術館ホールで上映される)前作の『丸木位里 丸木俊 沖縄戦の図全14 部』の亡くなられた丸木夫妻と、生きている長倉さんでは、撮り方も違います。


K:最後に観る方に向けて一言お願いします。

監督: 私自身、もともと写真が好きでした。父が国鉄の職員で、最初、小倉に赴任して、20代の時に長崎の原爆の跡の写真も撮っています。小さいときから父が一眼レフで撮っているのを見ていました。
今回、「監督・撮影」としています。前はスタッフロールの撮影のところに名前を入れていたのですが、動画の撮影も自身で担当していることへのこだわりです。
映画をご覧になる方には、静止画、動画の両面から「映像の時代」の意味を広く見ていただければと思います。


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河邑 厚徳(かわむら あつのり)

映画監督。元NHKディレクター
1971年にNHK入局以来、40年以上、ETV特集・NHKスペシャルを中心に現代史、芸術、科学、宗教、環境などを切り口にドキュメンタリーを制作。現代の課題に独創的な方法論で斬り込み、テレビならではの画期的な問題提起をするスタイルが特徴。これまで制作してきた番組は、国内外の賞で入賞するなど、その独自の手法は評価を得ている。定年後はフリーで映像制作を続ける。

<映画>
「天のしずく 辰巳芳子 “いのちのスープ”」(2012)
「3D大津波 3.11未来への記憶」(2015)
「笑う101歳×2 笹本恒子 むのたけじ」(2017)
「天地悠々 兜太・俳句の一本道」(2019)
「丸木位里 丸木俊 沖縄戦の図全14部」(2022)
「鉛筆と銃 長倉洋海の眸」(2023)

<放送番組>
特集ドキュメンタリー「がん宣告」「私の太平洋戦争~昭和万葉集より~」、NHK特集「シルクロード」、NHKスペシャル「アインシュタイン・ロマン」「チベット死者の書」「長崎の子・映像の記憶」、BSスペシャル「エンデの遺言~根源からお金を問う~」、ETV特集「一枚のハガキ・新藤兼人」「霊魂を撮る眼・江成常夫」、日曜美術館「無言館の扉 語り続ける戦没画学生」など多数。




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『鉛筆と銃 長倉洋海の眸(め)』  長倉洋海さんインタビュー
http://cineja-film-report.seesaa.net/article/500696810.html


映画『ハント』ジャパンプレミア  イ・ジョンジェ 初監督作品への思いを日本のファンに語る

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イ・ジョンジェ初監督作品『ハント』の記者会見に引き続き、一般のお客様をお迎えしてのジャパンプレミアで、舞台挨拶が行われました。

日時:8月31日(木)
場所:T・ジョイ PRINCE 品川
登壇者(敬称略):イ・ジョンジェ  
MC:奥原レイラ
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MC:『ハント』は、「イカゲーム」でさらに世界的スターとなりましたイ・ジョンジェさんの初めての監督作品であり、盟友チョン・ウソンさんとのダブル主演を果たしたことも話題になっている作品です。

皆さまお待ちかねだと思いますので、さっそくお迎えしたいと思います。『ハント』の監督であり主演を務められましたイ・ジョンジェさんです! 大きな拍手でお迎えください。

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イ・ジョンジェが登場し、大きな歓声があがります。
満面の笑みのイ・ジョンジェ。各方面に向けて何度もお辞儀。

― まずはお集まりのファンの皆様に一言ご挨拶をいただいてよろしいでしょうか。

イ・ジョンジェ:(日本語で)こんばんは。(また歓声があがります)
アンニョンハセヨ。日本で僕の映画が公開されるのはどれくらいぶりかわからないくらい、本当に久しぶりなんですけれども、再びこうして日本で公開をすることができて本当に嬉しく思います。また、日本の美しい観客の皆様とこうして出会うことができて、本当に本当に嬉しいです。今日はどうもありがとうございます。

― 本作、カンヌ国際映画祭で初めて一般の観客にお披露目となりまして、上映後7分間のスタンディングベーションだったと伺っています。映画を観たお客様の反応をご覧になって、どんなことを感じられましたか。

ジョンジェ:映画が始まって序盤のアクションシーンが終わって、『HUNT』と映画のタイトルが上がった時に、観客の皆さんが拍手をしながら「わーっ」と歓声をあげてくださいました。この作品を一緒に作った人とそして観ている観客の皆さんと一緒に呼吸をしている、そんな感じがして、本当に嬉しく思いました。

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◆脚本・監督を自分ですることになった理由
ー 日本でも拍手があるといいと思いますね。今回初監督作品ですが、監督を務め脚本も書かれていらっしゃいます。どういった道のりでしたか?

ジョンジェ:実は最初はシナリオを自分で書くつもりはありませんでした。優れたシナリオ作家の方がこの作品のシナリオを書いてくれたらいいなという風にも思っていましたし、また、この作品を素敵に撮り上げてくれる監督にシナリオを書いて頂いてもいいのではないかという風にも思っていました。
ただ、なかなか作家さんのキャスティングが上手くいかず、また素敵な映画を撮ってくださる監督のキャスティングもなかなかうまくいきませんでした。実際に直接私の方で訪ねてお願いしたりもしましたが、皆さんそれぞれ異なる理由から、この作品を引き受けるのは難しいと話されました。そして、大多数の監督がこの作品を映画化するのは難しいと話されました。観客の方達からたくさん愛される作品にするのは難しいのではないかという意見も言われていました。
でも、私の考えは少し違いました。最近はフェイクニュースも多く流れていますし、誤った信念を持つように、まるでおまじないをかけられるような、そんな言葉も世の中に溢れています。ですので、時々誤った知識や情報を基に行動を起こしている人々の姿を目にすることもあります。
そんな私たちの姿を考えながら、この映画を作っていったのですが、この映画の中に登場するジョンドとピョンホも信念を持っています。けれども、その誤った信念によって苦痛がもたらされます。そして、その誤った信念を正しく戻していこうという努力をする。そんな男たちの姿をしっかりと映画の中で描くことができれば、これはとても面白い作品になるのではないかという期待を持っていました。
ですので、自分でシナリオを書いてみようと書き始めました。そして、シナリオが完成したところ、内容については、自分自身が一番よく知っているわけですから、ならば、自分で撮ってみようという風に思いまして、勇気を出してこの作品の演出をすることになりました。



◆隣人で親友のチョン・ウソンとの共演には少し複雑な思いも
ー 初監督作品で、これを撮られたというのは、ほんとうに素直に凄いと思いました。
チョン・ウソンさんとダブル主演ですが、共演は約24年ぶりになります。共演されたご感想をお聞かせください。

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ジョンジェ:本当に親しい同僚であり、親しい友人であり、そして今はご近所さんでもあります。すぐ隣に住んでいる隣人でもあるので、なかなか複雑ですね(笑)。
チョン・ウソンさんは本当にかっこいい俳優です。そして、これまでもかっこいい素敵な映画にたくさん出演してこられました。今回の映画では、チョン・ウソンさん自身が見ても最近撮った作品の中で一番かっこいいなと思えるような作品、または観客の皆さんにとってもチョン・ウソンさんの作品の中でも本当にかっこいいなという風に思っていただけるような作品にしたいと思いました。
どうすればより正義感にあふれたキャラクターとして見せることができるのか、またどうすればより迫力のある男として描くことができるのか。そしてまたどうすれば、より胸の痛い、そんなキャラクターとして余韻を残すことができるのか、そんなことを様々なことを悩みながら、現場でも本当に多くの会話を重ねながら、ワンシーン、ワンシーンひたすらチョン・ウソンさんをかっこよく撮りたいという一念でこの映画を撮りました。

◆コロナ禍で東京のシーンは釜山で撮影
ー この後、ご覧いただきますので、是非ご期待いただきたいと思います。
本作、80年代の韓国が舞台になっていますが、東京のシーンも登場します。韓国での撮影だったと伺っていますが、東京を再現するにあたって工夫された点を伺いたいと思います。

ジョンジェ:実は日本の東京のシーンは日本の地方の小都市で撮ることを計画していました。以前、『黒水仙』という映画で日本に来て撮影をしたことがあるのですが、こんな風に日本で撮影できるんだという記憶がありましたので、日本で撮りたいと思っていたのですが、コロナ禍で断念せざるを得ませんでした。
釜山のとある道路を使って撮影をしました。交差点の何箇所かを車両統制をして撮ったのですが、日本は車両の道路の向きが韓国とは逆ですよね。なので、週末に撮影許可を取って、道路の車両統制をして、逆方向に車を走らせて撮影をしました。日本から20台ほど車を運んできたのですが、その場所で銃撃戦の撮影もしましたし、車は全て壊してしまいました。
日本で撮ったらもっと製作費は少なく済んだと思います。韓国で撮ったことによって制作費は増えてしまいました。大変苦労しながら撮った作品なのですが、日本の観客の皆さんにどんな風にご覧になっていただけるのかよく分かりません。僕たちは撮り終えた後に「それなりにそれらしく撮れてるんじゃないかな」と思ったのですけども、日本の皆さんにはぜひ注意深く観ていただければと思います。

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◆お寿司ととんかつサンドは確保
ー 日本への来日は先ほど約3年半ぶりという風に伺いました。日本で楽しみにしていることはありますか?

ジョンジェ:日本と言えばやはり美味しい食べ物がたくさんありますよね。たくさんなるべくいろんなものを食べて帰りたいなと思うのですけども、かなり今回スケジュールがタイトになっておりまして、もう今もその食べ物のことを考えただけでゴクリと唾を飲み込んでいます。それでもいくつかは食べて帰られるかなという風に思います。
お寿司屋さんもすでに予約をしています。そして先程は美味しそうなとんかつサンドを持ち帰ろうと思ってバッグの中に忍ばせました(笑)。

◆応援してくださる日本のファンの為に無理して来日
― 先ほど、記者会見で、なぜこれだけ多忙なのかの話が出ましたので、それはあとで記事になると思います。そんな多忙な中来てくださったのかと驚いてください。
美味しいものをたっぷり召し上がっていただきたのですが、最後に映画を観ていただく皆さんに一言お願いします。

ジョンジェ:コロナ禍によって、お互いに往来がスムーズにできなくなる状況がありました。それにも関わらず、韓国で僕がイベントをしたり、映画の公開があったりすると、その度にコロナの大変な最中にも日本からわざわざ韓国にファンの皆さんが来てくださいました。
今までもそんな風に日本からわざわざ韓国に来てくださっている大切な日本のファンの皆さんに本当に感謝の気持ちを持っていたのですが、ただ実は今「イカゲーム」シーズン2 の撮影をしているところでして、『ハント』の日本の公開に合わせて直接日本に来るのは、たやすい状況ではありませんでした。
こんな風に皆さんとお会いする場を持つのは難しいのではないかという風に思われていたのですけれども、僕にとっては大切な日本のファンの皆さんに日本で直接お目にかかるというのは、本当に特別な意味のあることでしたので、『イカゲーム』のチームの方達にねだって2日だけ時間を下さいとお願いをしまして、こうやってスケジュールを取らせてもらいました。

日本でこうして直接ファンの皆さんにお会いすることができて、本当に本当に嬉しいですし、いつも感謝の思いを持っているのですが、それをいくら言葉で伝えて表現しても十分ではないという風に感じています。感謝の気持ちと同時に申し訳ない気持ちも持っているのですが、今日こうして皆さんに直接お会いすることができて、胸がジーンとするような感じもありますし、本当に胸がいっぱいです。今日は本当にありがとうございました。

これからも機会があれば、できる限り本当に嬉しい気持ちで日本にまた来たいなという風に思っています。今日は皆さんにこの『ハント』を楽しんでご覧いただければという風に願っています。また次の作品がありましたら、必ずまた、こうやって日本に来て皆さんにご挨拶したいと思います。ありがとうございました。

*フォトセッション*
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まずは、マスコミ向けのフォトセッション。

その後、ファンの方たちにも、1分間の撮影タイムが設けられました。

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最後に、イ・ジョンジェ氏、ズボンの後ろポケットからスマホを取り出し、満席の客席を背景に自撮り♪ また歓声があがりました。

通訳さんが訳している間には、客席のあちこちに目を配らせアイコンタクト。
ほんとに笑顔が素敵で愛想のいいイ・ジョンジェ氏でした。


★ジャパンプレミアに先立ち開催された記者会見の模様はこちらで!
映画『ハント』 イ・ジョンジェ監督記者会見


写真は、facebookアルバム イ・ジョンジェ初監督作品『ハント』記者会見&ジャパンプレミアもご覧ください。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.791557082971879&type=3

報告・撮影:景山咲子





ハント  原題:헌트  英題:HUNT
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© 2022 MEGABOXJOONGANG PLUS M, ARTIST STUDIO & SANAI PICTURES ALL RIGHTS RESERVED.

監督・脚本:イ・ジョンジェ
出演:イ・ジョンジェ、チョン・ウソン、チョン・ヘジン、ホ・ソンテ、コ・ユンジョン、キム・ジョンス、チョン・マンシク

1980 年代、安全企画部(旧 KCIA)の海外次長パク(イ・ジョンジェ)と国内次長キム(チョン・ウソン)は組織内に入り込んだ"北"のスパイを探し出す任務を任され、それぞれが捜査をはじめる。
二重スパイを見つけなければ自分たちが疑われるかもしれない緊迫した状況で、大統領暗殺計画を知ることになり、巨大な陰謀に巻き込まれていく・・・

2022年/韓国/DCP5.1ch/シネマスコープ/韓国語・英語・日本語/125分/PG12
字幕翻訳:福留友子・字幕監修:秋月望
配給:クロックワークス
公式サイト:https://klockworx.com/huntmoviejp
★2023年9月29日(金) 新宿バルト9ほか全国ロードショー



映画『ハント』 イ・ジョンジェ監督記者会見

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これまで数々の映画やドラマに出演してきた名優イ・ジョンジェが、初監督を務め、脚本も執筆し、盟友チョン・ウソンとダブル主演した映画『ハント』が、9月29日より公開されるのを前に来日。初監督作品への思いを語りました。

日時:8月31日(木)
場所:T・ジョイ PRINCE 品川
登壇者(敬称略):イ・ジョンジェ  
MC:奥原レイラ

MC: 本日は映画『ハント』記者会見にお越しいただきましてありがとうございます。
「イカゲーム」でも世界的スターとなりましたイ・ジョンジェさんの初監督作品です。
盟友チョン・ウソンさんとダブル主演を果たしたことでも話題になっている作品です。韓国公開時には初登場1位を獲得。第75回カンヌ国際映画祭ミッドナイトスクリーニングで上映され喝さいを浴びております。
舞台は1980年代の韓国。安全企画部に属するイ・ジョンジェさん演じる海外次長と、チョン・ウソンさん演じる国内次長が、組織内に入り込んだ北のスパイを探し出す任務を命じられ、探し出せなければ自身の身が危ないという手に汗握る作品です。
監督を務められ、主演もされましたイ・ジョンジェさんをお迎えしたいと思います。どうぞお入りください。

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軽やかながら、緊張した面持ちで登壇するイ・ジョンジェ氏。

MC: よくお越しくださいました。まずは皆さまにご挨拶をいただけますでしょうか・

イ・ジョンジェ:(日本語で)こんばんは。イ・ジョンジェです。よろしくお願いします。

MC:
来日は何年ぶりになりますか?

ジョンジェ:コロナになる前に来ましたので、約3年半ぶりだと思います。

◆初監督して気づいたこと
MC:いくつか代表質問をさせていただきます。初監督作品ですが、普段俳優業をされていることとの違いですとか、監督をされて気づかれたことを教えてください。

ジョンジェ:俳優だけの時は、キャラクターにひたすら集中することができますが、演出を兼ねると、本当に様々なことをチェックしなければなりませんし、悩まなければなりません。また様々な判断や決定をしなければならいないことが多くありました。色々な意味で違いがあると思いました。
撮影現場はこれまでも長い間経験してきましたし、同時に演出家の方々とも親しくお付き合いをさせていただく中で、監督の悩みを聞いたり、一緒に悩みを分かち合ったりしてきましたが、いざ自分が演出をしてみるとなると、俳優だけに専念している時とは違うなという風に思いました、

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◆伝えたかったことが世界の皆さんに届いた!
MC:作品を4年間温めてこられて、激しい銃撃戦やアクションシーンもほんとに見事でした。カンヌ国際映画祭やトロント国際映画祭など世界中の映画祭で上映され話題になってきましたが、お客様の反応はご覧になっていていかがでしたか?

ジョンジェ:シナリオを書いている段階から、国際映画祭に出品できればいいなと思っていました。もちろん、自分の作った映画を海外の映画祭に出品したいという個人的な希望だけでなく、この映画を通して伝えたかったテーマやメッセージが、韓国の観客だけでなく、様々な国々の観客の方たちに届いてほしい、そして、その観客の方達と一緒にコミュニケーションを取って話したいという思いが強くありました。
この映画では誤ったイデオロギーがテーマとして描かれています。そのテーマに対する悩みをずっと持ちながら色々考えながらこの作品を作り上げていきました。海外の映画祭に招待されたことによって、本当に多くの海外の方々と触れ合うことができました。
カンヌ国際映画祭だけでなく、トロント国際映画祭、シッチェス映画祭などで記者の方々や映画人の方々と一緒にこの映画について様々なことを語り合うことができたんです。公開される前にすでに映画祭に招待されることによって、多くの皆さんと出会うことができたのですが、公開される前に、私の気持ちの中では既に、この映画を作って本当に良かったなぁと思えました。
それだけ多くの皆さんに共感していただくことができたので、僕にとってはこの映画が伝えたかったストーリーを皆様に届けることができて、それが本当に意味のあることだなと思えたのです。


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●会場より質疑応答

◆チョン・ウソンとは親しいだけに遠慮も
ー 初監督作品で盟友のチョン・ウソンさんを主演に抜擢された経緯をお聞かせください。また、監督と演技者として、仲が良いだけに演出する時にやりづらかった事や、かえって良かったことはありますか。

ジョンジェ:チョン・ウソンさんとは、1998年に『太陽はない』という映画でご一緒しています。その時以来、本当にいい思い出として私の中にあったので「2人で早くまた違う作品で一緒にやりたいね」という話をずっとしていました。そのために、シナリオをいただいたり、一緒にシナリオを共同で開発したりということもしていましたが、なかなか上手くいかなかったんです。そうこうしている内に私の方で『ハント』のシナリオを書くことになって、これ以上遅くならない内にぜひ一緒にやりましょうと言って、キャスティングさせていただきました。
親しいからこそ、撮影現場で大変だったことがあるとすれば、なぜか親しいせいか、むしろ何かをお願いするのがためらわれた感じがあったことです。
例えば撮影の最初の方では「もう1回撮影しましょう」と中々言い出せませんでした。自分からお願いをしているような感じがしたんです。なので、初日撮影を終えた後に早くこのぎこちなさを解消しなければならないと思って、次の日からは僕がこれまで考えてきたシナリオを書いていた時に考えていた表現やテンポについて全てチョン・ウソンさんにお話しました。説明を十分にしたところ、快くそれを受け止めてくれて、撮影現場では本当に助けてもらったと思っています。

◆チョン・ウソンを最高にかっこよく見せたかった
ー イ・ジョンジェさんとチョン・ウソンさんが演じた二人の男は二重スパイを探すという役柄で、背景に違いはありますが、お二人のどちらがどちらを演じられても良さそうだと思いました。配役についてはどのように決められたのでしょうか。

ジョンジェ:チョン・ウソンさんはとてもヒューマニズムのある方で、折り目正しく多くの方達にいいイメージを持たれている方です。普段から多くの人たちと心を分かち合う、そんな方として知られています。そんなイメージを持ったチョン・ウソンさんの魅力を、最大限にこの映画の中でキャラクターとして引き出したい、表現したいという気持ちがありました。
ウソンさんのキャスティングが決まってからは、ウソンさんのそんな面を深く見せたいという思いがありましたので、シナリオのキャラクターをよく活かすためにシナリオの修正を加えていきました。
もちろん2人の役を入れ替えることもできたと思うのですが、ウソンさんが本来持っているその姿に最も今回よく似合うキャスティングになっていると思いますし、またその最もよく似合っているキャスティングを最大限に引き出す役どころとして表現したいと思っていました。


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◆「イカゲーム」でブレイクし信じられない思い
ー 3年半ぶりの来日とのことですが、その間に「イカゲーム」の大ヒットや「スター・ウォーズ」スピンオフへのご出演決定など目まぐるしかったと思います。どのようなお気持ちで激動の日々を過ごされていたのかお聞かせください。

ジョンジェ:これまでも作品には、絶えず一生懸命ベストを尽くして取り組んできたのですが、そこについては変わったことはないと言えると思います。そんな風に一生懸命作品を撮り続けてきたところ「イカゲーム」という作品で、多くの国の方々から人気を博すことになるという大事件が起きました。
アメリカでは大きな賞をたくさんいただきましたし、僕にとってもこんなに大きな福がもたらされるのは信じられない気持ちでした。どう受け止めていいかわからないくらい、自分にとっては実感の湧かない現実味のない状況でした。
そんな中、『ハント』の公開を韓国で準備している最中に『スター・ウォーズ』のキャスティングのオファーがありました。でも、そのことは誰にも言ってはならないと言われていましたので、私以外ではマネージメント事務所のおそらく1人か 2人だけが知っている状況で、秘密を維持しながら『ハント』が公開されました。
『ハント』で様々な海外の映画祭にも行かせていただき、そんな中『スター・ウォーズ』の撮影のクランクインが近づいていたのですが、本当に同時進行で様々なことをしながら『スター・ウォーズ』の作品の準備に取りかかり、セリフも覚えなければなりませんでしたし、体も鍛え、役作りについても色々考えなければなりませんでした。
アメリカで大きな賞をいただき、本当に目まぐるしい状況がずっと続いていたので、時間がどんな風に過ぎていったのかわからない感じがあったんです。
今の状況をお伝えしますと『スター・ウォーズ』を撮り終えまして、また『イカゲーム』の撮影をしているところです。『スター・ウォーズ』は来年公開を予定しています。『イカゲーム』は来年下半期、または再来年初めを予定しています。
また作品が公開されましたら、プロモーションで忙しくなると思います。つまり、忙しさが延々と終わっていない状況が続いているんです。個人的には本当に嬉しいこと、いいことだなと思っていますし、こんな時こそもっと体調管理もしっかりしなければなと思っているところです。

MC:こんなお忙しい日々の中、お越しいただきまして、あらためてありがとうございます。

フォトセッション

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★記者会見後に開かれたジャパンプレミアの模様はこちらで!
映画『ハント』ジャパンプレミア  イ・ジョンジェ 初監督作品への思いを日本のファンに語る


写真は、facebookアルバム イ・ジョンジェ初監督作品『ハント』記者会見&ジャパンプレミアもご覧ください。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.791557082971879&type=3

報告・撮影:景山咲子





ハント  原題:헌트  英題:HUNT
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© 2022 MEGABOXJOONGANG PLUS M, ARTIST STUDIO & SANAI PICTURES ALL RIGHTS RESERVED.

監督・脚本:イ・ジョンジェ
出演:イ・ジョンジェ、チョン・ウソン、チョン・ヘジン、ホ・ソンテ、コ・ユンジョン、キム・ジョンス、チョン・マンシク

1980 年代、安全企画部(旧 KCIA)の海外次長パク(イ・ジョンジェ)と国内次長キム(チョン・ウソン)は組織内に入り込んだ"北"のスパイを探し出す任務を任され、それぞれが捜査をはじめる。
二重スパイを見つけなければ自分たちが疑われるかもしれない緊迫した状況で、大統領暗殺計画を知ることになり、巨大な陰謀に巻き込まれていく・・・

2022年/韓国/DCP5.1ch/シネマスコープ/韓国語・英語・日本語/125分/PG12
字幕翻訳:福留友子・字幕監修:秋月望
配給:クロックワークス
公式サイト:https://klockworx.com/huntmoviejp
★2023年9月29日(金) 新宿バルト9ほか全国ロードショー