『白日青春-生きてこそ-』 アンソニー・ウォン(黄秋生) 初日舞台挨拶

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マレーシア出身のラウ・コックルイ(劉國瑞)監督の初長編映画『白日青春-生きてこそ-』。70年代に本土から香港に密入国したバクヤッ(白日)と、パキスタン難民の両親のもとに生まれた少年ハッサン(中国名:莫青春)の物語。実の息子とは確執を抱えている、ちょっと頑固な老齢のタクシー運転手を演じた香港の名優アンソニー・ウォン(黄秋生)が、日本公開初日に駆けつけて舞台挨拶に立ちました。

日時:1月26日(金) 16時40分の回上映後 18:31~
場所:新宿武蔵野館 スクリーン1(新宿区新宿3-27-10 武蔵野ビル3F)

登壇者:アンソニー・ウォン(黄秋生、62歳)
聞き手:江戸木純
通訳:サミュエル周


映画を観終わったばかりの満席の観客の前に、江戸木純さんが登壇。

江戸木:アンソニーさんの演技に皆さん感動されていると思います。ここに来ていただいていますので、素晴らしい時間を過ごせればと思います。 
さっそくお呼びしたいと思います。日本公開を盛り上げる為に来日してくださいました。皆さん、盛大な拍手でお迎えください。アンソニー・ウォンさん、どうぞお越しください!

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紋付の羽織風の素敵なファッションで登場!

黄秋生:コンバンワ! (拍手) この場を借りてお礼申し上げます。わざわざ観にきてくださって! 皆さんと一緒にいられて嬉しいです。 ほんとうにありがとうございます。
会場の皆さまの中で、中国語のわかる方は?
(ちらほら手が挙がる)
あまり多くないですね。 アリガトウゴザイマス。謝謝、多謝!


江戸木:この作品、最初に出演依頼を受けた時に、どう思われましたか?  脚本は完成していたのでしょうか?

黄秋生:前の作品『淪落の人』をやった信頼できる制作会社からオファーがあって、新人の作品だと聞いて、会ってみましょうと。ちょうどその時、何もやることがなくて暇で、コロナもあって、これ以上撮らないと演技が出来なくなると心配に思っていました。脚本を読んだら、この物語ならと。ただ、読んだ時に、ロジカルな問題があって、足りないところもありました。監督に会ったら、監督はとても紳士で、ここは直した方がいいのではと話すと受け入れてくれました。

江戸木:アンソニーさんが演じられた白日というキャラクターは悩みを抱えた複雑な役柄でしたが、演じる上でもっとも注意した点や、難しかったことは?

黄秋生:そうですね・・・ 演じるにあたってあんまり考えすぎないようにしたことでしょうか。例えばブルース・リーは、相手を一発で倒しますよね。でも倒す前にあれこれとカンフーを見せたりはしないと思います。だから自分も同じような気持ちで撮影に挑みました。

江戸木:夜の撮影がかなり多かったですが、思い返して一番大変だったシーンは?

黄秋生:一番大変だったのは、車の中で息子と泣く場面でした。とても寒いのに短パンを穿いていて、お腹も空いてました。近くにラーメンの屋台があったから注文したのですが、出来上がったころにスタンバイしなくてはいけなくて、ラーメンがのびてしまうと思ったら、泣いてしまいました。

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江戸木:サハル・ザマンさんはじめ中国人以外の方との撮影が多かったですが、エピソードは?

黄秋生:撮影現場は、とても和やかな雰囲気でした。ハッサンを演じたサハル君ですが、広東語で天ぷらのことを「ザハ(Za ha)」というので、天ぷら(ザハ)と呼んでました。一緒にゲームしたりしてましたが、とてもいたずらっ子でした。ひたすら歌って、子どもが歌ってはいけない歌も教えたりしました。 難民の父親役を演じたインダージート・シンは、ほんとはものすごいお金持ちで、一緒にご飯を食べた時にご馳走になりました。 母親役のキランジート・ギルは、美女でモデルです。最終的には皆さんとものすごく仲良くなりました。

江戸木:監督にとって長編デビュー作でしたが、彼ならではの特徴的な演出は?

黄秋生:演技指導はなかったです。もし演技指導されたら、「やめなさい」と言ったでしょう。演技指導したいなら、学校を開きなさいと言いたいです。監督には、ほかにやることがいっぱいありますから。監督はとても賢い方で、そういうことはしませんでした。現場ではいろいろ話して、監督には、いろいろ意見を出しました。撮影監督や照明担当からもアドバイスしていましたが、よく聞いてくれました。撮影現場はとても順調でした。私はずっとこういう芸術を愛する監督と仕事をしたいと思っていました。

江戸木:タクシー運転手が主人公ですが、香港映画で特徴的によく出てくるキャラクターです。アンソニーさんが出演された『タクシーハンター』(ハーマン・ヤウ監督、1993年)という映画もありました。タクシー運転手という職業に何か象徴的な意味があるのでしょうか?

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黄秋生:特別象徴する意味はないと思います。単に撮りやすいからだと思います。タクシー運転手なら、1台の車で一人でもすみます。バス運転手だと乗客も大勢必要ですし、航空機のパイロットだとさらに大変です。監督は気づいてないけど、自転車ならもっと楽でしょう。

それでは会場からの質問を・・・というところで、逆にアンソニーから「質問していい?」とさえぎり、「一番後ろの列に誰もいないのは? チケットを売ってないのですか?」 マスコミ用に空けてあったのですが、「香港では逆で一番前には誰もいません」とのこと。

黄秋生:一つ条件があります。質問した人は、10枚のチケットを買って、友人に配って映画館に連れ戻してください。
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*会場からの質問*
なかなか手が挙がらなくて 「皆、恥ずかしがり屋ですね。10人だと大変そうですから、5人にしましょう!」とアンソニー。

― 台湾の第59回金馬賞で最優秀主演男優賞を受賞された時に、サハル君も連れて一緒に舞台にあがったのが印象的でした。

黄秋生:天ぷら君は新人賞にノミネートされていたけど逃してしまって泣いてました。僕の受賞が発表された時に、直感として、小さい子にはこのような機会はなかなかないと思って、彼を連れて舞台にあがりました。ところがそのあと香港で彼が受賞して、僕は逃したのに、僕を舞台に連れてあげてくれなかったから僕は怒ってます!

― 南アジアの人たちは香港社会でどういう存在ですか?

黄秋生:お断りしておきたいのですが、研究している専門家ではないので、僕個人の意見です。香港では、エリアによって住み分けがされています。私のエリアにもそういう人たちはいません。多くの香港人は、こういう人たちを色付き眼鏡で見ています。悪いことが起こるのではと警戒したりします。香港では難民ではなくて南アジアからの移民が多いです。友人には南アジア系の人もいます。貧しい人もいますが、一部はお金持ちです。皆、いい人です。天ぷら君のお父さんは出前の仕事をしているけれど、教養があって礼儀正しい人。ほんとは金持ちです。

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我々が相手を見る時、世の中、いい人もいれば悪い人もいる、金持ちもいれば貧乏もいる、肌の色などで判断するのでなく、人を見てほしいと思います。

江戸木:まだまだ聞きたいことは山ほどあるのですが、これからフォトセッションにさせていただきます。

黄秋生:こちらから観ると恐ろしい光景が・・・ 一番後ろの左端の方の顔がみえません。
(それって、私のことでした。フォトセッションの準備をしようと思って下を向いていたのです。顔をあげたら、手を振ってくださいました♪)

*フォトセッション*

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劇場から花束贈呈


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マスコミ向けのフォトセッションのあとに観客の皆さんにも撮影タイム

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ハートを作ったり、サービスたっぷりのアンソニーに、どよめく皆さんでした。

取材: 白石映子(写真)  景山咲子(文・写真)



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『白日青春-生きてこそ-』アンソニー・ウォン(黄秋生) インタビュー
写真:宮崎暁美
秋生ちゃん節炸裂で言いたい放題でしたが、若い監督のことも応援しているのを感じることのできる発言の数々でした。
ぜひお読みください。


Facebookアルバム
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『白日青春-生きてこそ-』
公開中
配給:武蔵野エンタテインメント
PETRA Films Pte Ltd (C)2022
公式サイト:https://hs-ikite-movie.musashino-k.jp/
シネジャ作品紹介http://cinejour2019ikoufilm.seesaa.net/article/502193789.html


『白日青春-生きてこそ-』 アンソニー・ウォン(黄秋生) インタビュー

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香港の名優アンソニー・ウォン(黄秋生) 久しぶりの出演作『白日青春-生きてこそ-』。
70年代に本土から香港に密入国したバクヤッ(白日)と、パキスタン難民の両親のもとに生まれた少年ハッサン(中国名:莫青春)の物語。監督は、マレーシア出身で、18歳の時に香港に来て以来、約10年、香港を拠点に活動しているラウ・コックルイ(劉國瑞)。

1月26日よりの公開を盛り上げるため、アンソニー・ウォンが5年ぶりに来日。 初日には新宿武蔵野館で舞台挨拶に立たれましたが、前日にインタビューの時間をいただくことができました。
取材: 宮崎暁美(M:写真)、景山咲子(K:文)


◎アンソニー・ウォン(黄秋生) インタビュー

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K:アンソニー・ウォンさんにお目にかかるのは、2009年2月3日(火)の『PLASTIC CITY プラスティック・シティ』記者会見以来のことで、ずいぶん前のことになります。   

黄秋生:あ~ ほんとだいぶ昔ですね。

K:『八仙飯店之人肉饅頭』以来、アンソニーさんの迫真の演技にいつも感銘を受けています。特に、『淪落の人』は、あの年に観た映画のベストでした。

黄秋生:ありがとうございます。

◆演技を忘れてしまいそうで出演を引き受けた!
K:『淪落の人』は、フィリピンのメイドさんとの物語でしたが、『白日青春-生きてこそ-』(以下『白日青春』)は、パキスタンの家族との物語で、私にはとても身近で嬉しい映画でした。イスラーム文化が好きで、香港に行くと必ず、ミッドレベルの古いモスクに行きます。 ヒルサイドエスカレーターが出来る前から行ってました。 モスクのそばにパキスタンの人たちが住んでいて、行くと、ミルクティーをご馳走してもらってました。イスラームの人たちは、ほんとに心優しいです。 これまで、香港映画でパキスタンの家族が出てくるものは少なかったので、『白日青春』には、とても興味を持ちました。 この映画はどうして引き受けられたのでしょう?

黄秋生:なぜ引き受けたか・・・ですが、実は、暇で暇で、やることがなかったのです。そんな時にたまたまオファーしてくれたのが、よく知ってる信頼できる映画会社で、映画に出ないと演技を忘れてしまいそうなので、どんなテーマの映画でもいいから出演しないといけないと。それで引き受けたのです。

M:プロデューサーの一人、ピーター・ヤムさんとは、2017年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で『乱世備忘 ― 僕らの雨傘運動』の陳梓桓(チャン・ジーウン)監督にインタビューした折に同席されていて、お会いしました。 
3人のプロデューサーがいますが、それぞれ役割分担があったのでしょうか?


黄秋生:ピーターとは、この映画の製作にあたっていろいろ連絡を取っていましたが、あとの二人の方はよく知りません。配給会社の方かもしれないですね。

◆詩からつけた主役二人の名前「白日」と「青春」に、あらためて感心!
M:タイトルの『白日青春』ですが、清の詩人・袁枚(えんばい)の「苔」という詩の一節で、映画の中では小学校の授業で教えていましたが、香港の授業でも教えるくらいの中華圏では有名な詩なのですか?

白日不到処
青春恰自来
苔花如米小
也学牡丹開

日の当たらないところにも
生命力あふれる春は訪れる
米粒のように小さな苔の花も
高貴な牡丹を学んで咲く


黄秋生:どうでしょうか・・・

M:主役二人の名前をこの詩からとっていますし、皆が知っている詩なのかなと。

黄秋生:監督はマレーシアの華人で、この詩は監督の好みだと思います。
実は、今回、取材を受けるまでこの詩のことは気にしませんでした。取材で聞かれて、詩の内容のことも知って、名前にもそういう意味があったのかと初めて勉強になりました(笑)。

K:アンソニーさんも詩を書かれると聞きました。

黄秋生:ここに(書いた詩が)たくさんありますよ。(と、机の上に置いてある巾着を指されました。中にある携帯に入っているのでしょうか・・・)
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K:ご自身も詩を書く立場として、この詩は好きですか?

黄秋生:(ポスターに書いてある詩をしげしげと眺めながら) 先ほどのインタビューの方も、この詩が好きだとおっしゃってました。 なんとなく、この詩は日本的だなと思います。日本の美学でしょうか。細かいことをいわずシンプルなところ。この詩もそんな感じがします。日本の繊細さはいいのですが、中国の文化の中では、ひねくれた繊細さがあることがあります。この詩はそこまでは至ってないと思います。 詠んでいて、とても清らかで、雅まではいかないけれど、平凡ではない。言い方が悪いかもしれませんが、こんな素敵な歌と、映画の内容が合わないように思います。この詩は、「生きてこそ」というより、生命力や美しさを表していると感じます。
主役の二人の名前の付け方は見事だと思います。 白日と青春の由来を知らないと映画が何を語っているのかわからない。でも、詩の内容と違って俗っぽい世の中。思うには、純粋に監督の個人的な趣味です。いつもこの監督は、映画の中に個人的な好みを入れたがるんです。

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◆若い監督に物語をより深めるアイディアを提供
K: 今回の役は、がんこで、ちょっと嫌な老人の役でした。 監督からは、どのような要求があったのでしょうか?

黄秋生:監督がいうには、この老人はダメな奴ではないんです。同じ人物や出来事に対しても、監督と私の見方は時々違うんです。 例えば、監督は、この人物をみるときに、息子とうまくいかなくて、相手にしない。でも、それは表面的なことなのですよね。息子がどうしてそういう態度をとるのかというシチュエーションを考えないといけない。なぜうまくいってないかの理由をちゃんと把握しておかないといけないと監督に言いました。

K: 中国から川を渡ってきた時に持っていたコンパスをずっとお守りのように持っているのが切なかったです。 あの時に亡くなってしまった妻への思いを心に秘めているロマンチックな男だと思いました。

黄秋生:脚本には、奥さんと泳いできたとは書いてなくて、私が提案しました。「泳いで香港に入国した」とだけ書いてありました。義理のお父さんから聞いた話なのですが、学生の時、同級生たちと一緒に一生懸命泳いで密入国したのですが、振り返ってみるといなくなってしまった人が何人もいたと聞いたので、提案してみました。

K: その話が加わったことで、ぐっと話が生き生きとした感じがします。

黄秋生:創作するときの源になっているのは、自分自身の経験か、知人などの経験です。個人の経験だけですと限られていますから。


◆ザマン君に、アンソニーになんとアドバイスしたか聞いてみるといいよ!
K:パキスタンやインドの方と一緒に演技していますが、お母さん役のキランジート・ギルさんが、アンソニーさんと話す前は怖いと思っていたけれど、話してみたら、とてもいい人だったとインタビューで語っているのをみつけました。キランジートさん、とても魅力的ですが、どんな方ですか?

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黄秋生:大変な美女で、礼儀正しくて、英語の先生をしているのですが、こんなに綺麗な先生の教え子は、皆、英語が上手だと思います。しかもモデルさんでもある。ほんとにいい役者ですよ。 独特のエレガンスな気質も持っている人。

K:ハッサン役のサハル・ザマンの演技が素晴らしかったです。 彼の演技はいかがでしたか?

黄秋生:とても賢くて、可愛くて、ものおじしない。家での躾もしっかりできていて礼儀正しい子です。躾がいいというと医者などの子だったりしますが、驚いたのですが、この子のお父さんは、出前をしている人なのです。

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K:演技について、彼にアドバイスしたことは?

黄秋生:それは監督の仕事です。彼とコミュニケーションをよく取ってました。子どもには演出はいらないと思います。子どもはよく知ってます。2~3話したら、わかる。一緒にゲームをよくしました。誰が勝つかといえば、子どもですよね。 現場はいつも遊んでいた感じです。逆に、彼にインタビューする機会があったら、アンソニーにどんなアドバイスをしたかを聞いたらいいと思うよ!

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★取材を終えて★
『淪落の人』、『白日青春ー生きてこそー』と、このところ、日本で公開される秋生ちゃんの出演作はヒューマンなものが続いている。本人は「暇でやることがなかったから」などと答えていますが、きっと自分自身の思いがあってのことだと思うのです。それにしても役名の白日について、「苔」という詩の中からとった名前というのを、日本に来てから知ったと言っていたけど、ほんとかなあ。監督は、そういうのを説明しないのかなあ…。
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プロデューサーのピータ・ヤムさん(写真左端)の名前に聞きおぼえがあったので探したら、2017年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で『乱世備忘 ― 僕らの雨傘運動』の陳梓桓(チャン・ジーウン)監督にインタビューしたおりに同席していました。インタビューの後も、監督やプロデューサーと香港のことを話しました。最後に映画祭事務局で、チャン・ジーウン監督とピーター・ヤムさん、それにゲストサポートボランティアの方の記念写真まで撮ったので、インタビュー記事の最後に載せました。これまでいろいろな方にインタビューしましたが、同席されたプロデューサーの方の写真を載せたのは初めてだったので印象に残っています(暁)。


2日間にわたって、びっしり取材を受けていた秋生ちゃん。私たちが部屋に入っていくと、メイクのお直し中でした。オーラがすごくて、すぐに声をかけるのをためらう程でした。通訳の周先生の訳す言葉がとても丁寧なのですが、おそらく、べらんめえ調。同じような質問を受けてきたと思うのですが、たっぷり答えてくれました。さすが役者魂! 秋生ちゃん節炸裂で、言いたい放題でしたが、若い監督のことも応援しているのを感じることができました。
お母さん役のキランジート・ギルさんは、イランの女優ゴルシーフテ・ファラハーニーにも似た素敵な方なのですが、秋生ちゃんも大変な美女とべた褒めでした。
翌日の舞台挨拶も、客席から何度も笑いが起こりました。 秋生ちゃんが、ほんとに老人に見える『白日青春ー生きてこそー』。 ぜひ劇場でご覧いただければと思います。(咲)



『白日青春-生きてこそ-』 アンソニー・ウォン(黄秋生) 初日舞台挨拶
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『白日青春-生きてこそ-』
公開中
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『カラフルな魔女 角野栄子の物語が生まれる暮らし』完成披露試写会舞台挨拶

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角野栄子さん、宮川麻里奈監督


*プロフィール*
角野栄子(かどのえいこ)
1935年東京・深川生まれ。早稲田大学卒業後、出版社勤務を経て24歳で新婚の夫とブラジルへ移住。2年間滞在して、ヨーロッパを旅しながら日本に帰国。ブラジルでの体験を「ルイジンニョ少年:ブラジルをたずねて」に書き、1970年に作家デビュー。『魔女の宅急便』(福音館書店)はアニメ作品として映画化され、その後舞台化、実写映画化された。24年にわたって書き継いだシリーズは2009年「魔女の宅急便その6 それぞれの旅立ち」として完結。特別編が3巻発行されている。
野間児童文芸賞、小学館文学賞等、受賞多数。紫綬褒章、旭日小綬章を受章。2018年、児童文学の「小さなノーベル賞」といわれる国際アンデルセン賞作家賞を、日本人3人目として受賞。2023年11月に「魔法の文学館(江戸川区角野栄子児童文学館)」が開館。
主な作品に『アッチ・コッチ・ソッチの小さなおばけ』シリーズ、『リンゴちゃん』(ポプラ社)、『ズボン船長さんの話』(福音館書店)、『トンネルの森 1945』。最新作に『イコ トラベリング1948-』(KADOKAWA)などがある。
http://kiki-jiji.com(角野栄子オフィス)
https://www.instagram.com/eiko.kadono/(公式Instagram)

監督:宮川麻里奈(みやがわまりな)
1970年6月徳島市生まれ。東京大学教養学部卒。
1993年NHK番組制作局に入局。金沢局勤務、「爆笑問題のニッポンの教養」「探検バクモン」などを経て、‘13年「SWITCHインタビュー」を立ち上げる。「あさイチ」などを担当した後、現在は「所さん!事件ですよ」「カールさんとティーナさんの古民家村だより」などのプロデューサーを務める。一男一女の母。

作品紹介はこちら
(C)KADOKAWA
公式 HP https://movies.kadokawa.co.jp/majo_kadono
X(旧 Twitter) @majo_movie
Instagram:@majo_movie
MC:いとうさとり


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MC:ゲストのお二人にまずは一言ずつご挨拶をいただきたいと思います。角野栄子さんです。(拍手)

角野:皆さんこんにちは。お寒い中をいらしていただき、ありがとうございます。何しろ主役が 89 歳なものですから、皆さんあまり期待をなさらないように(笑)。映画はとても面白く出来ていまして、150%私を出してくださっているんじゃないかと思います。どうぞごゆっくりご覧くださいませ。ありがとうございました。(拍手)

MC:この作品で初の映画監督デビューとなりました宮川麻里奈監督です。(拍手)

監督:映画監督を思いもよらずやらせていただく事になり、どうしようと最初思いました。世界中の色々な女性、特に高齢の女性のドキュメンタリー映画を片っ端から観ました。結果、これは大丈夫だと確信しました。それは、こんなに素敵な女性(角野さん)は世界広しと言えども、いないなと。角野さんを映画にするのであれば、どんな形であろうと絶対うまくいくだろう。私は素直に、変に肩に力を入れずに角野さんの素敵さを伝える映画をつくれば良いんだな、と思いました。
この仕事を始めてちょうど 30 年になりますが、こんなに心から素敵だと思って撮影できる方、取材できる方に巡りあえたことは、30 年頑張ってきたご褒美かなと思えるような事でした。この作品は私から角野さんへのラブレターのつもりで作らせていただきました。皆さんも角野さんの素敵さをスクリーンから見ていただけたらと思います。よろしくお願いいたします。(拍手)

MC:ありがとうございます。角野さん今日は素敵なお召し物を着てらっしゃいます。ね、皆さん?

角野:エイヤー!と着てしまえば、どんな色でも OK!(笑)今日はちょっと合わせました。着たいものを着ています。

MC:今日もピンクで。作品を観るとほんとに角野さんのご自宅がもう素敵で、憧れてしまったくらいです。
お洋服やメガネの選び方まで、お人柄が映し出されていました。初の大きなスクリーンの中に主人公として出演されて、作品をご覧になってどんな感想をお持ちですか?


角野:本当に皆さん頑張ってくださったな、と思います。カメラマンさんには、あまりリアリズムにいかないように(笑)と申し上げましたし、宮川さんにはあまり色々と聞かないで!と伝えました。初めての経験でしたので、これは楽しんでやらなくちゃいけないな!と思いました。ま、毎日楽しんでやろうとは思っているんですが、そんな気持ちでいたしました。
普通の、モノを書いている、普通の暮らしをしている私ですので、素材的には撮っても仕方が無い存在なのにと思っていましたが、宮川監督とカメラマンに、素材を 150%活かしていただいた結果だな、と思います。「ちょっと、詐欺じゃない?」と思うくらい綺麗に撮っていただきました。(笑)ありがとうございました。

MC:角野さんそんな風におっしゃっていますが、監督は、お子様との関係性で「救われた」と書かれているのを読みました。どういったところで、角野さんをほんとに「好きだな」と思われて今回カメラを向けられたでしょうか?

監督:今年 20 歳になる娘が小学生高学年くらいの時に「魔女の宅急便」の 6 冊シリーズを愛読していて、その娘が”「魔女の宅急便」が無かったら、うまく思春期を乗り越えられなかったかもしれないと思う”と言うんですね。角野さんの取材を始めることが決まってから聞いたんですね。娘にとって自分や友人関係で悩みが深まっていく思春期に、「魔女の宅急便」のエピソードを繰り返し読んだことが、娘にとっての精神安定剤みたいになっていたそうなんです。そこまで彼女に思い入れがあったなんていうことも知らずに、私は私で角野さんを素敵な方だな、と思って取材を始めました。角野さんはいつお目にかかっても愉快で、取材中に嫌な思いをすることは一度も無く、毎回幸せな気持ちを抱えて撮影から帰ってくるような取材でした。

MC:私も娘がいるのでわかるんです。「魔女の宅急便」という物語がすごく夢を広げてくれているんですよね。角野さんもそういう声をいっぱい聞かれているんじゃないですか?

角野:そうですね。留学なさる方や、東京に出ていらした方、高校を出て東京の学校に入る方や就職される方。そういう節目のある方が読んで、「自分に重ねて楽しませていただきました」というお手紙をずいぶんいただきました。私も若い頃に“エイヤー!”とブラジルまで行っちゃったから、その時の心細さやブラジルで生きていく気持ちが、そういう方たちの気持ちに重なっていたのかな、という風に思います。

MC:私もこの作品を観て「24歳でブラジルに行かれたんだ!」とびっくりしました。監督は掘り下げていらっしゃいますけれど、角野さんとふれあってどんなところをエピソードとして伝えられたら、と思ったんですか?

監督:ルイジンニョさんという角野さんのブラジル時代の恩人が映画の中に出てきますが、ルイジンニョさんとの再会は、前の週のギリギリまで来日いただけるか分からなかったんです。一度は諦めかけて、角野さんが自分で会いにいきませんか? と突然相談したり、最後は私がカメラを担いでルイジンニョさんのメッセージを録りにブラジルに行こう! と思ったくらい、もうダメかなと思ったことが何度もありました。それが、まさに奇跡の再会を果たされて・・・。今思うと、角野さんの想いが通じた魔法だったのかもしれないな、と思います。そうとしか言いようのないような。

角野:私も本当に奇跡だと思います。彼と別れてから60何年か経つわけですから。12 歳の少年だったんですよ。イタリア系のすごく可愛い男の子が、白いヒゲかなんか生やして羽田の空港に現れたときは、あれっ!?と思っちゃった。自分も年取ってるんですよね。それなのに彼ばっかり「おじいちゃんになっちゃったじゃないの」って思ったんですけど、話してみると、やっぱり彼らしい表現や、言葉のリズムが思い出されて。本当に良い機会を与えていただいたと思います。これからまた会いに行きたい、と思ってもちょっとねえ、遠いなぁ。

MC:このタイトルどおりの「カラフルな人生」を歩まれているんだなぁと思ったんですが、角野さん40 代までは黒い服、モノクロが多かったとチラッと聞きました。

角野:だいたいグレーとか、黒とかが洋服ダンスの中に多かったです。50 くらいの時だったかしら。赤い洋服を着たところ、意外にも好評だったんですよね。そこから赤い服を着てみようかな、と思ったと同時に、その頃同時に髪がだんだん白くなり、老眼でメガネもかけなきゃならなくなって。そんな寂しい時期を迎えた時に「つまんないな」と思ったんですが、白い髪って意外と綺麗な色に合うんですよね。それでこんな派手で(笑)、今日のあり様です。

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MC:いいですよね。こうやって「皆さんもカラフルな洋服を着たほうがいいです」ってことだと思うんです(笑)。角野さんが、ファッションで特に意識していることは何かございますか?

角野:80 歳くらいになった時に、洋服を選ぶが面倒くさくなったんです。何しろ買いに行くのが面倒くさい。試着っていうのがとても嫌になったんです。それで娘に着る服を頼んだところ、娘から「選んだもの文句は言わない?」とまず言われました(笑)。「はい、文句は言いません」と言ったけど、どうやら少しは文句を言ったようなんですが(笑)、そこから娘に一切、靴下からメガネから洋服まで全部を揃えてもらうようにしました。自分で選んでいると、三歩くらい家を出てから「これ、ちょっと色味合わないわ」と戻ったりするんです。
そういうことがなくなって、評判が悪かったら娘のせいにして(笑)、良かったら自分のせいにしよう(笑)、というつもりでやってます(笑)。

MC:アクセサリーから靴下まで、ほんとにチャーミング!

角野:靴下はね、私履かなかったんですよ。彼女が「靴下はどう?」と言うので履いてみたら、冷房のときも冬もいいんです。そして靴下って失敗しても1000円くらいでしょ(笑)?失敗することあまりないの。だからお洒落はまず靴下からやってみたらというお勧めです。

監督:撮影に伺っても、毎回「今日も可愛いですね!」と、お召し物の話から必ず入っていました(笑)。

MC:監督は何か影響されたりは?角野さんとの撮影で。

監督:そうですね・・・

角野:今度は宮川さんにピンクを着せちゃおう!(笑)これから。まずは靴下から。

MC:「いちご色」をテーマカラーにしているんですよね?

角野:今日は「いちごカラー」とはちょっと違うんですが、(色は)グラデーションなので。家を建てる時に、何か 1 つの色に決めたほうが良いですよと言われたんです。“赤”が良いと答えたところ、色にうるさい人が1人いまして、赤にも黄赤、紫の入った赤、色々あるからと言われ「じゃいちご色!」と言ったのが定着しちゃったんですね。だから、私の家はいちごっぽい赤です。

MC:(ポスターを見ながら)言葉選びがほんとに。

監督:これ(背景の色)、実際に、角野さんのご自宅の壁の色なんです。ポスター用にこういう風にしたわけじゃないんです。

角野:そうそう、うちの。

MC:どれだけお洒落な。もう一つ、角野さんが「好き」をずっと続けているって素晴らしいと思ったんです。それをちゃんと形にして伝えているというのが。好きを続ける秘訣は何でしょうか?

角野:私は「好きが決まらなかった人」で、大学を出てもブラジルに行っても何していいいかわからなかった。ブラジルではラジオの営業などをしていましたが、帰ってきましたら、大学の先生に「本を書け」と言われたんです。卒論しか書いたことないのに、初めて本を書くわけですから、コツコツ、コツコツと毎日書きました。

MC:監督、書き続けるってそう簡単に湧き上がってくるものじゃないですよね。

監督:映画にも出てくるんですけれども、本当に朝から晩まで書かれているんですよ。土日もいらない、必要ないんですよね。関係なく、休もうという気なんてさらさら無くて。本当に書くのがお好きなんだな、と思いました。天職だったんでしょうけども、天職になっていったんですよね、きっと。

角野:たぶんね。「疲れた」って言えないんです。だって好きなことやってるんでしょ、って言われるから。でも、私も疲れるのよ・・・(笑)。好きなことやってるんだから自分でも納得するし・・・そうねぇ、ほんとに書くこと好きだと思う、私。

監督:「撮影を楽しんでやろう」とおっしゃっていましたけど、本当に楽しんで書いてらっしゃるんです。遊ぶように落書きして・・・撮影していると角野さんが「ああなって、こうなってね」と言いながら、どんどんとそっち(物語)の世界にいってしまい(笑)、あ、なんか止まらなくなっちゃったと(笑)。言ってみれば物語が生まれる瞬間だと思うんですけど、それに何度か立ち会ったことがあります。ご自分で想像して膨らませているうちに、どんどんお話ができていっちゃう。横にいる私たちはある意味置いてけぼりになってしまったことが何度もありました。やっぱりそういう風にして、角野さんの中から物語が生まれていってるんじゃないかな。それを誰よりも楽しんでいらっしゃるから、80代になってからの作品の数もすごいですよね。驚くほど。

角野:そうねぇ、書きたいものを書いておきたいなと思うのと、私もやっぱり大変なときがあるのよ(笑)。だけど好きなことやっているんだし、考え方を自分の気持ちを自由にしてみると、こうだと思っていたことも、こっちに行っていいんだよ、行ってみようかな、という気持ちになるわけ。失敗したら戻ったら良いので、書き直すことは全然苦にならない。それだけは良かったなと思って。30枚書いても、書き直しOKなんです。(ええ~と声が上がる)書き直すとまた違う発見があるんですよね。それに出会いたい。出会えることが楽しい。パソコンで消えちゃうのはいやだけどね!(笑)。あれはもうやめてほしい。何回かやりましたよ、私。

MC:でも書き直すなんて、ね?私なんて「書き直すなんて!」って思っちゃいますけど。角野さん、今後あらたに挑戦してみたいことは?

角野:私ね、来年 90 歳なの。ちょっとこれ「売り」です! それでね、90 歳になった時に、すごいピュアなラブストーリーを書いてみたいなと思って。(おお~と拍手が起こる)できればね!でもねぇ、中学 1 年生くらいの初恋の思い出なんて忘れちゃっているわね(笑)、相手の名前も忘れてしまって(笑)、書けるかなあと思ってますけど・・・?

MC:楽しみにしております。ありがとうございました。(ここからポスターを挟んで写真撮影)
角野さんはお誕生日が 1 月 1 日、元旦でございます。
89 歳の誕生日を迎えたばかりなので、今回は制作陣から角野さんにプレゼントがございます。
(監督からお祝いの花束贈呈)
いちご色の花束です。せっかくなので、89 歳の抱負を教えてください。


角野:まずは元気で歩ければ良いなと思います。今、杖つかないでも歩けます。なるべく長く元気でいたいと思います。

MC:ありがとうございます。おめでとうございます。(拍手)
(花束を持っての写真撮影。ムービーに向かって手を振る)

MC:最後に角野さんから映画の魅力をメッセージとしてお願いできますでしょうか?

角野:お帰りのときに、皆さんスキップして帰ってください(笑)。今度私が写真撮ろうかしら。
ゆっくりご覧になって十分楽しんでお帰りいただければ、私はとても嬉しいです。宮川さんにいい映画を作っていただいて、わたしの一生の宝物になると思います。ありがとうございました。

盛大な拍手に送られてお二人退場。舞台挨拶は終了しました。

(ほぼ書き起こし:白石映子 写真:宮崎暁美)