『瞼の転校生』藤田直哉監督インタビュー

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*プロフィール*
藤田直哉(ふじたなおや)1991年北海道岩見沢市生まれ。明治大学法学部卒業。大学時代より独学で実験映画を中心に自主映画制作を始める。『stay』(2019)がSKIPシティ国際Dシネマ映画祭2020短編部門にてグランプリ受賞。2021年には短編映画でありながら、単独で都内映画館をはじめ、全国の映画館で上映。文化庁委託事業ndjc2021に選出。『LONG-TERM COFFEE BREAK』を監督し、劇場公開。2022年、文化庁「日本映画の海外展開強化事業」に選出され、ニューヨーク現地にて長編映画企画の研修を受ける。
本作は、SKIPシティ国際Dシネマ映画祭の20周年、埼玉県川口市の市制施行90周年を記念して埼玉県と川口市が共同製作。藤田監督の長編映画デビュー作は、SKIPシティ国際Dシネマ映画祭のオープニングを飾った。

『瞼の転校生』
旅回りの大衆演劇一座に所属する中学生の裕貴(松藤史恩)は、公演に合わせて1ヶ月ごとに転校を繰り返していた。すぐに別れるからと、友達を作ろうともせず、今まで通り誰とも話さず公演時間に合わせて早退していた。ある日、担任から頼まれ不登校なのに成績優秀な建(齋藤潤)の家に立ち寄る。
後日、ひょんなことから地下アイドルのライブに行った裕貴は、偶然に建と再会する。建はアイドルオタクだった。二人は一気に仲良くなり、建の元カノの茉耶(葉山さら)も加わって、3人で過ごす時間がだんだん増えていく。裕貴は二人に舞台に立つ自分を観てほしいと思い始めるが・・・。

公式HP https://mabuta-no-tenkousei.com/
(C)2023埼玉県/SKIPシティ彩の国ビジュアルプラザ 川口市
作品紹介はこちら
★2024年3月2日(土)より全国順次公開


―明治大学法学部ご卒業、全く違う分野に来られたんですね。

実は、大学に入るまで全く映画を観ていなかったんですよ。北海道の岩見沢というところの出身だったので身近に映画館がない。ただメディア系のほうに興味があったので、大学では映画研究会に入って今回脚本の金子(鈴幸)さんと会い、そこから映画を観るようになりました。

―金子さんとは何本も一緒ですか?

学生のときの自主映画から一緒です。彼が監督をやるときは僕が撮影や製作をやったり。当時は池袋に住んでいたので、新文芸坐やシネマロサによく行きました。きっかけになった映画があって…新文芸坐で今村昌平監督の『神々の深き欲望』(1968年)という作品を観ました。すげーことやってる!と感じて「映画作ってみようかな」と。実験映画とか、個人映画とか撮っていましたが、劇映画はほぼやってはいなくて。

―それが「大衆演劇」の映画撮るんですものね。不思議~!!

大衆演劇は、お風呂が好きで、茨城県のスーパー銭湯に行ったときにこういう演劇があるんだなぁと知りました。そういうときに、たまたま親戚のおばあちゃんが元役者さんだったことがわかって、急に大衆演劇の存在が身近になった瞬間があったんです。ちょっと観に行ってみようかなというのが最初です。

―その初めての劇団を覚えていますか?

女性の座長さんで、演目が面白くて…目の見えなくなった男性とその面倒を見ることになった女性の話で、目が治って見えるようになってみたら主の偉い人で、身分差を感じて恋仲になれない、みたいな…。初めて観た人にもハードルが低いというか、話に入りやすい。面白いなと。
(劇団朱光さんで、お芝居は「かげろう笠」と判明)

―監督が企画をたてられたんですね。いつか撮りたいと温めていらした?

そうですね。今までの短編では若い子を扱ったことがなくて、十代の子でやってみたいなというのがありました。大衆演劇に出会ったら、中で若い子が頑張っている。こういう人を撮ってみたいなということです。

―ストーリーは脚本の方と話しあって、だんだんと作っていくものですか?今回は監督の想いはこの中のどなたかに重なっているんでしょうか?

だんだん作っていきました。誰に重ねたというのはなかったですね。かなり客観的に作った気持ちが強かったんです。ただ、最近インタビューなど受けているうちに思ったのは、建に自分を重ねているんじゃないかなと感じました。

―建さん…不登校の子ですね。

建は、ある種のあこがれを裕貴に持っています。それは建がまだ何者でもないから。けれども裕貴は、やりたいこと、運命を背負っているようなことをやっている。でも自分はそこにいけない、と。アウトローではいたいけれど、一歩踏み出せないでいます。社会のレールの上でしか、生きていけない建の姿はなんだか自分の十代に近いなと、そんな気が最近しました。

―「いい学校に入っておけば、選択肢が増える」とも言っていました。

今は何者でもないけど、自分はすごいことやるんだ、みたいな漠然とした思いがある。ほかの人とは違うと感じているけれど、できることはないし、なんとなく勉強ができるだけで、すごい秀でることもないし。
そういう建の姿が、かつての自分に重ねているんじゃないかなと気づきましたね。

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―3人は中学3年生で、時期は春ですか?

裕貴が中3の春に転校してきました。進路を考える時期です。

―担任の先生がちょっとあんまりでした。

ある種、この映画では悪者のキャラクターになってしまいましたが、大人は大人なりのいいわけというか、理屈があって。それぞれの理屈をちゃんと出す意識はしました。

―建くんは「お父さんお母さんが違う」というセリフがありましたが、里親の設定ですか?それで「瞼の母」の劇が登場して、もっとその話が進むのかなと思いました。

メインに描きたかったのは、親子関係でなく、若い子たちの話です。親子の話を進めると、もともと目標としていっている題材からずれるかなと思いました。そもそも親子の関係ってけっこう重いテーマなので、サブストーリー的にしました。

―数あるお芝居の中からこの長谷川伸さんの「瞼の母」を劇中劇に選んだのは?

ちょっと悩んで脚本の金子とも話していたんです。企画が進んで行って脚本を書き始めたんですけど、せっかく大衆演劇を扱うんだから、劇中劇を入れないと意味がない。僕が個人的に、『stay』 でもそうですけど「疑似家族」とか、家族、親子というのに、興味があったこともあり、そういう要素をどうにか入れられないかなと。
大衆演劇によく使われている有名な作品ですので選びました。

―ほかにも候補はありましたか?どれにしようかな、とか。

いや、ないかな(笑)。「これ!」って感じでした。

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―監督と金子さんは、大衆演劇をたくさん観に行かれたんですね?

行きましたね。特に僕は、大衆演劇がどういう世界なのかを細かく知っておく必要があると思ってました。リサーチを進めていく中で、劇団美松の小祐司座長や華丸くんに取材させていただきました。その経緯があって、今回の作品のご協力をお願いすることになりました。
劇団のみなさん忙しいので、夜の撮影になったり、お休みのない中、舞台になる篠原演芸場も終日空けていただいたりで、本当にお世話になりました。

―舞台裏がたくさん観られて、とても嬉しかったです。それでは、若いキャスト三人のお話を。

三人ともオーディションで決まりました。
一人ずつ言っていくと…。
裕貴の松藤史恩くんは、部屋に入って来た瞬間、脚本でイメージしていた裕貴だ!と思いました。演技とかコミュニケーションとってみると、彼は自分の言葉で話してくれるんです。虚勢を張るとか、カッコつけるとかなく、いい意味で朴訥としていて、直感的にこの子とやってみたいなというのがありました。同席していた金子もほぼ同じ意見でした。
建の齋藤潤くんは、まず、演技のうまさに驚きました。僕たちがオーダーしてきたことを自分でかみ砕いてすぐ体現する、その瞬発力をめちゃめちゃ感じて。コミュニケーションもスマートだし、クールさも持ち合わせている。役のバランスを見たときに裕貴とのコントラストもあるのが良かった。
葉山さらさんは、テンプレートの役、学級委員長の雰囲気があると思うんですよ。

―しずかちゃんタイプですね。

そう、しずかちゃんタイプ、ほんとに。真面目だけど、素直な部分、葉山さんのポテンシャルみたいなもの、オーディションのときの葉山さんの頑張りを直に感じたんですよ。実直な感じが役にも通底するし、単純にこの子と一緒にやったら面白いだろうなと。
3人とももちろん演技がうまいんですけど、それより重視したのは、一緒にやっていきたいかどうかというのを、すごく考えて選びました。

―撮影当時の3人はちょうど中学生ですか?

2023年の3月の撮影で、史恩くん潤くんが中学生、葉山さんが高校生でした。学校のロケはすぐそこの高校でした。お天気にも恵まれて、春休み中の短い撮影期間の中で撮り終えました。
3人は、葉山さんが面倒見のいいお姉ちゃんみたいな感じで、仲良くしていましたよ。その仲の良いのが画にも出ていると思います。

―お姉さん、クールな長男、可愛い弟ですね。この裕貴の女形のメイクは監督の意向ですか?

細かいオーダーはないです。劇団の役者さんって、一人一人メイクが違うんですよね。史恩くんに合わせて、市川華丸くんがマンツーマンでメイクの指導をやってくれました。松川さなえ太夫元、小祐司座長、華丸くんにとてもお世話になりました。

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―普段の素顔とのギャップも映画的に必要ですが、女形とても可愛いですよね。これは予想通りでしたか?

予想してなかったですね。(すっかり変わって)びっくりしました。これまで白塗りしたことがあるとは聞いていたんですけど。史恩くんは、「化粧をするとスイッチが入る」「メイクと衣装が全部整うと別人として演じられる」と言っていました。そういう子にやってもらってよかったなと思います。

―建が初めて舞台の裕貴を観たシーンが、綺麗な映像でBL好きな人も喜びそうです。

ここは奇跡的に、良いシーンになりました。本当はこのとき二人が初めて顔を合わせるというのが良かったんですけど、時間がなくてそれは実現しませんでした。『stay』ではあの古民家を撮影当日まで主人公に見せない、とやれたんですが。

―二人がとても上手だったということですね。

うますぎましたね。ちょっとびっくりです。僕の勝手なイメージですけど、子役って、もっとディティールを指示していって、演技をするものだろうなと予想していたんです。それが本読みのときから彼らはとても自由で、現場に入ってもお互いの反応でやってくれていました。なめてました、すみませんでした(笑)。
二人とも素直なんですよ。大成するって信じています。

―裕貴は旅公演に出ましたが、残った二人はこれからどうなるんでしょう。監督はどこまで考えて作られましたか?

先のことは考えてなかったですね。出会った頃からは明らかに変わっているとは思いますが、変化が持続するかどうか、実は僕はあまり信じていない。人に出会ったからといって、その人が劇的に変わるようなことは意外とないと思うんですよ。もちろん彼らは出会いによって大きな変化の体験をしたんですけど、一方で僕自身はその変化の奇跡を信じていないかも。だからこそ、こうやって映画にしているのかもしれません。どこかで実は信じたいという気持ちがあるかもですね(笑) ネタバレになりますが、彼ら3人の別れぎわもドライでさらっと悲しくないシーンにしました。裕貴にとってそれが日常ですからね。そこはこだわりました。

―大人の俳優さんについてもお聞かせください。

高島礼子さん、佐伯日菜子さん、もちろん初めてご一緒させていただいたんですけど、とてもうまかったですね。今までインデペンデントからやってきた自分からすると、ホン(脚本)の解釈から常に想像を超えてくる演技をしてくれるんです。ここはこういうイメージなんですと伝えるだけで、それをすぐ具現化してくれる。映像的に派手さが必要な場面もあるんですが、そういうオーダーもすぐ理解して臨機応変にやってくださる。経験による瞬発力をすごく感じました。さすがこの世界にずっと生きてきた人だと思いました。

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―初めての長編でご苦労されたことはありましたか?

いや、それが意外とないです。長編だからスタッフと一緒にいる時間が単純に長くなったのが楽しかったですね。特に俳優部さんと同じ時間を過ごしていて、お互いに変化していくのを感じられました。お互いのいろんなことを共有できるし、仲良くなったからこそできる画に映るものがあると思うんです。それを直に感じたことが面白かった。

―脚本家さんは以前からのお友達ですが、ほかのスタッフさんは?

アルタミラピクチャーズさんが集めてくださったんですけど、みなさん商業映画でやっている方々で、すごく勉強になりました。特にカメラマンの古屋さんとは初めてなのに、すごくやりやすかったです。お互いに一緒に作っている感覚がすごいありましたね。僕が思ってもみなかったアイディアをポンと出してくれる。
共通の話題も多くて、歳はちょっと離れているんですけど友達感覚でいられました。だけどお互いリスペクトもあります。スタッフさんに恵まれましたし、いい出会いがあったと思います。
タイトルを赤松陽構造(あかまつひこぞう)さんに書いてもらったのも嬉しかったです。

―このクルーの方々にまた次の作品で出会えるといいですね。タイトルもぜひ赤松さんで。
では、これからご覧になる方々へどうぞ「呼び込み」を。

呼び込み…「本作は大衆演劇を題材に十代の子たちの青春もの、ジュブナイルものを作りました。一方で大人もいっぱい出てきます。出てくる人たちを肯定できるような作品にしたかった、というのがありました。
特に大衆演劇に生きる中学生は、みなさんの日常には存在していないでしょう。映画内で観たときに、どう感じるか、どう受け止めるかということを大切にしていただければと思います」
けっこうまとまりましたよね(笑)。

―はい、たくさん取材されただけあります(笑)。ありがとうございました。
(取材・写真 白石映子)


=取材を終えて=
取材の前日に試写があり、藤田監督のご挨拶もありましたがすぐ下を向いてしまって、写真が撮れなかったのです。どうも恥ずかしがり屋さんらしいとお見受けしました。翌日(1月25日)はskipシティで、映画に登場する劇団美松の方々の舞台が見られるイベントがありました。劇中劇の「瞼の母」の名場面も観られました。松藤史恩くんも可愛い女形で登場しました。そのイベント後のインタビューがこちらです。
監督と同じ北海道出身の私、20年来の大衆演劇ファンでもあります。舞台となっている十条の篠原演芸場にもよく通っていました。「人前に出たり、喋ったりが苦手」とおっしゃる監督は、予想したよりたくさんお話してくださって写真も撮れました。
映画には、いつもは見られない舞台裏や楽屋も登場して、とてもお得感がありました。大衆演劇入門になりますし、ジュブナイルものファンにも楽しめます。

オーストラリア先住民映画祭 2024 『家畜追いの妻 モリー・ジョンソンの伝説』 リア・パーセル監督インタビュー

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2024年2月3日(土)ユーロスペースにて、オーストラリアの先住民の監督たちによる珠玉の5作品を上映する1日限りの映画祭が開催されました。夏のオーストラリアから来日されたリア・パーセル監督とプロデューサーのベイン・スチュワートさんにお話を伺いました。東京をとても気に入ってくださったようです。

*オーストラリアの先住民の方々は、かつてアボリジニーと呼ばれていましたが、最近は「アボリジナル・ピープル」と変わっています。文中ではこの映画祭に冠された「先住民」としました。

*プロフィール*
リア・パーセル(Leah Purcell)監督・主演
豪クイーンズランド州出身。ゴア族、グンガリ族、ワカムリ族の血を引く、オーストラリアで最も尊敬・賞賛されているアーティストの1人。一般作品、先住民作品を問わず、多くの演劇、テレビ番組、映画作品で、俳優、脚本家、監督、プロデューサーとして活躍する。25年以上にわたるキャリアにおいて関わった作品に、『Box the Pony』、『The Story of the Miracles at Cookies Table』、『Don’t Take Your Love to Town』、『Police Rescue』、『Redfern Now』、『Wentworth』、『Jindabyne』、『Somersault』、『The Proposition』など。
直近の出演作品は、2023年サンダンス映画祭にて上映された『Shayda』などがある。また、Amazonのミニシリーズ『赤の大地と失われた花』では、シガニー・ウィーバーと共演した。Sony Pictures TV USAとFoxtel Australiaによるオーストラリアの新ドラマシリーズ『High Country』では主演を務めている。賞も獲得した小説「Is That You Ruthie?」の舞台化を脚本家・監督として進めており、同作品は2023年12月に、クイーンズランド舞台芸術センター(QPAC)で上演。

『家畜追いの妻 モリー・ジョンソンの伝説』
1893年、オーストラリア奥地。モリー(リア・パーセル)は夫の帰りを待ちながら、女手一つで農場を守っている。そこに首枷をはめられた先住民脱走犯ヤダカが現れる。ふたりの間に思いがけない絆が生まれ始め、それまで秘密にされてきた、モリーの生い立ちの真実が明らかになっていく…。
◎アジア太平洋映画賞2021 審査員特別賞を受賞

―以前から語り継がれてきた物語だそうですが、これまでに映画化されていなかったのでしょうか?

監督:これは元々「家畜追いの妻」というヘンリー・ローソンの短編小説(1896年発表)でした。ヘンリー・ローソンはオーストラリアでは誰もが知っている、たいへん有名な詩人・文豪です。
原作は9ページしかない短編です。子どものころ親から語り聞かされ、私自身この話を頭の中で想像できたものでした。ローソンは白人男性の視点で、その土地に暮らしている女性についての話を書きました。
私はこの短編を40年間ずっと大切にしてきました。初めて映画を作るにあたって、私のメンターから「自分が知っていることを書きなさい」というアドバイスを受けていました。それで、この短編を元に先住民の視点から、先住民である私の家族の話を加えてこの映画を作りました。

―監督のオリジナル・ストーリーになったんですね。

監督:はい。私の家族の話になったんです。もう少し説明しますと、プロデューサーの視点から「どうやったらこの作品を多くの人々に見てもらえるだろうか」と考えたんです。ローソンの「家畜追いの妻」はオーストラリアでは、16歳から80歳の人たちまで、ほんとによく知られている作品なので、観客はたくさん来てくれるだろうとは思いました。原作に忠実に映画化された作品と思って観たら、きっとびっくりされたことでしょう(笑)。

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―観客の感想はどんなものでしたか?

監督:この映画をとても好きになってくれました。驚いて「感動した!」と言ってくれて、多くの人が「これは真実の歴史だ」と受け止めてくれたのです。

―白人と先住民では感想に違いがあったかと思いますが。

監督:この映画の中で、二つの話を同時に作ろうと考えました。先住民に向けたもの、それ以外の方に向けたものです。先住民の方について言えば、この作品を観て勇気づけられるような、力を持てるような映画にしたいと思いました。非先住民の方には、私たち先住民の先祖の苦痛が、政治的な観点からでなく、心、魂の観点からわかるように作ったつもりです。これは私の曽祖父や祖母や母たちの話ですから。

―観客の方々が喜ばれたというのが想像できます。(今回は特別な上映会ですが)先住民の方が主人公になる映画は、これまで作られてきたのでしょうか?

監督:この作品は私の映画のデビュー作品です。俳優として出演した作品、短編もありますが、私のテレビや舞台は先住民の視点を大事にしています。というのも、先住民は映画界の中であまり表現されてこなかったからです。心や魂の観点から先住民の話を取り上げ、届けていきたいと思っています。例えば、『レッド・ファーン・ナウ』『クレバー・マン』『クッキーズ・テーブル』など。
これまで、商業作品で先住民が主人公ではない作品を作ったことはありますが、映画作品で主人公にしたのはこれが初。先住民を取り上げた作品を執筆、監督するのに情熱を捧げています。

―映画の中で女性がとても弱い立場にあったとわかりましたが、当時あのように過酷な目に遭っている女性は多かったのですか?

監督:そうです。今日(こんにち)でもそうです。

―日本は女性の地位が世界でも低いことで有名になってしまいました。オーストラリアには女性監督はたくさんいらっしゃいますか?

監督:私がラッキーだったのは、ちょうど監督デビューしようとしたころ、”スクリーン・オーストラリア”のトップが女性だったのです。それもあって選定のときに、女性の新人作家に支援がいきわたるようにしてくださった、ということがあります。

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―日本の映画界では、女性監督は大体1割しかいません。オーストラリアはいかがですか?
(監督、ベインさんと話して)

監督:40%くらいです。(思わずOh~!と拍手、パーセル監督はYeah~!)

―女性は、ほかのスタッフとしてはいますが、なかなか監督にはなれないことが多いです。

監督:今、オーストラリアではたくさんの女性が映画業界に進出しつつあります。脚本を書いたり、監督したり、プロデューサーをしたりと多くなっています。

ベイン:”ジェンダー・マターズ”という大きな活動があります。女性がもっと前面に出られるように支援をするものです。

監督:多文化的な観点からもいろいろな背景の女性が活躍しつつあります。先日私が関わった映画の製作では、5つのセクションに分かれて作りました。プロダクションのチームに5人の女性監督がいましたし、部門のトップは全員女性です。私が作った二つのエピソードでは、中国人の女性脚本家と、ベンガル人の男性脚本家でした。

ベイン:『ヒア・アウト・ウェスト(Here Out West) 』という映画です。多文化的な大変すばらしい作品です。

―それは日本で観られますか?ぜひ来年の映画祭で拝見したいです。
(この映画祭の反響如何のようです)
―(宮)日本では2003年に『裸足の1500マイル』(2002/オーストラリア/フィリップ・ノイス監督)という映画が公開されています。同化政策で親から引き離されて施設に入れられた先住民の子どもが、故郷に帰ろうとする物語でした。監督のこの映画の中でも、白人の女性がモリーの子どもたちを施設に入れようとする場面が出てきました。


監督:私の祖母の物語を映画に入れたのです。祖母は「盗まれた世代(Stolen Generations)」の子どもでした。5歳のときに母親から引き離されました。それ以来、母親に2度と会えませんでした。彼女が70歳になって初めて、68歳になっていた弟に再会できたのです。この映画の中で紙が出て来て、燃やされていましたね。(先住民の親権を否定し子どもを施設に送るための文書です)
同化政策は政府の方針です。先住民やその伝統や文化、皮膚の色さえ無くして、子どもたちに白人の視点から考えさせようというものです。私たちはそんな政府の意図に反して、自分たち先住民の精神を世界に届けようとしています。

―映画の中で、警官の妻ルイーザがモリーの味方になり、モリーも心を開いて話すようになります。これは監督のオリジナルですか?

督:ルイーザとネイトの夫婦は原作の小説にはなく、私が生み出しました。非先住民の観客にどうやって私のメッセージを届けようと考えて、作ったキャラクターです。モリーが心を落ち着け、安心してルイーザと話します。ルイーザは当時の女性たちに先立って、女性が声をあげられるように新聞を通じて訴えかけていました。

―先住民と白人の二人に友情が生まれることに感動しました。オーストラリアは早くから、女性の権利を獲得する運動が始まっていたと知りました。大戦後にようやく女性の投票権を獲得した日本とはずいぶん違います。

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監督:私の本の中には、ルイーザ・クリントフをもっと詳しく取り上げた章があるんです。ルイーザの着想を得たのは、実は南オーストラリア州が、女性の権利、投票権において非常に先進的だったということがあったからです。もうひとつ、ルイーザは原作者のヘンリー・ローソンの母親の名前です。彼女は1850年代に女性の権利や家庭内暴力―彼女もそうだったのでしょうー。―男性の飲酒問題も新聞で取り上げています。「DAWN(夜明け)」というその新聞は映画に登場させています。
ローソンの小説は書き手の男性の視点から書かれていましたが、私は女性を主人公に、女性の視点から書きたかった。小説では「家畜追いの妻」とだけで名前がありません。モリー・ジョンソンという名前を与えました。

―結末はモリーにとって悲劇ですが、そこにルイーザたち女性がかけつけてくれたのにホッとしました。

監督:意図的に女性が力を持てるような終わりにしました。

―とても励みになりました。

監督:GOOD!

―私たち、女性ばかりで作った映画ミニコミが始まりなんです。
―(宮)女性映画人を応援しようと作った雑誌です。1985年ころから。
―で、みんな年をとりました(笑)。


監督:「賢くなった」って言いましょう(笑)。

―ああ、ありがとうございます。言い方(次第)ですね。
―(宮)箒で家の前を掃いていたのは、どういう理由なのでしょう?掃除には見えなかったので。

監督:理由はいくつかあります。
1つは辺境地のため、夜に動物などが家に近づいてくるので、その足あとや痕跡が砂の上に残るように。
2つ目は夫から暴力を受けていたためのPTSDです。心持を表しています。
3つ目は警官を殺してしまったので、その証拠を消すため。

―ロケーション、住まい、衣裳などについてお聞かせください。

監督:まず家についてですが、モリーの小屋は1893年当時の貧しい人の家、として作りました。家も衣装も貧しいうえ、忙しいのであちこち修繕の必要な感じにしています。ヤダカの衣装もそうですが、その土地にある樹木(スノウガム)からとった色で作っています。
小屋と警察署の牢屋は、完全なセットとして作ったものです。撮影中に山火事があって、近づいてきていたので、私たちは延焼しないように小屋を守りました(笑)。

―モリーは街から遠く離れた山の上の一軒家で、一人で家と子どもたちを守っています。ああいう環境は当時普通だったのですか?

監督:はい。「家畜追い」は牧畜業者から家畜を預かって、買い手まで送り届けるのが仕事です。その間妻は家と子どもを守らなければなりません。モリーの場合は”ジョンソンの妻”という社会的な地位は与えられていましたが、非常に危険で困難な暮らしだったと思います。夫が長い間留守なので、お金も食べ物も尽きて大変な状態でした。
今の時代でも辺境の土地に住む人にとっては、関連する話です。

ベイン:家畜追いは「カウボーイ」のような職種で、いったん家畜を移動し始めると何か月、長いときは半年も留守にします。(もう一度ベインさん力説)この映画プロジェクトの良い点は、監督の努力によって古典的なヘンリー・ローソンの原作に二つ変更を加えたことです。原作では「家畜追いの妻」と書かれていた人に“モリー・ジョンソン”という名前を与えたこと。もう一つは「黒い蛇」を男性の先住民“ヤダカ”に替えたことです。それで物語の流れを大きく変えているのです。

監督:「ヤダカ」の話は、私の曽祖父に基づいています。

―また来年この映画祭が開催されますよう願っています。ありがとうございました。

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(取材・写真・白石映子、宮﨑暁美)


『Firebird ファイアバード』初日舞台挨拶

エストニアでの同性婚合法化にも影響を与えた真実の愛の物語

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1970年代後半、ソ連占領下のエストニアの空軍基地を舞台に、二等兵と将校の禁断の恋を描いた『Firebird ファイアバード』。
ペーテル・レバネ監督、W主演のトム・プライヤーとオレグ・ザゴロドニーが来日し、初日舞台挨拶が行われました。
イケメン3人の登壇とあって、劇場は満席! 
同性愛が厳罰に処されるソ連、さらに規律の厳しい軍の中で、真実の愛を貫いた実在の人物の自伝をもとに描いた映画について、熱く語ってくださいました。

2024 年 2 月 9 日(金) 18:30~
新宿ピカデリー シアター6


登壇者:トム・プライヤー、オレグ・ザゴロドニー、ペーテル・レバネ監督
ゲスト: 小原ブラス
司会:東沙友美  
通訳:今井美穂子


MC:お待たせしました。ご登場いただきましょう。皆さま、拍手でお迎えください。
(満席の客席から大きな拍手)
皆さまより一言ずつご挨拶いただきたいと思います。まずはレバネ監督からお願いいたします。

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ペーテル・レバネ監督:ハイ! ご来場いただきありがとうございます。満席と伺い、ありがたい気持ちでいっぱいです。 この作品を携えて各国を長い旅をしてきて、ようやく日本のお客様にもお届けできます。とても嬉しいです。主人公セルゲイのモデルになった方の自伝をもとにしたストーリーです。ぜひお楽しみください。

MC: 若き二等兵を演じ、監督と一緒に脚本も書かれたトム・プライヤーさん、ご挨拶お願いします。

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トム・プライヤー:ハイ! ようこそご来場くださいました。この美しい作品を世界各国、そして日本のお客様にお届けするのに長い旅路でした。ご覧いただくときに、愛の可能性と、愛の本質について考えていただければと思います。

MC:戦火のウクライナから奇跡のご来日を果たされましたオレグ・ザゴロドニーさん、よろしくお願いします。

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オレグ・ザゴロドニー:日本の皆さん、東京の皆さん、お越しくださいましてありがとうございます。皆さんにお会いできて嬉しいです。

◆映画化しなければいけない原作に出会った
MC:レバネ監督にお伺いします。この映画はどのような経緯で撮影されることになったのでしょうか?

監督:映画の企画の発端は、2011年ベルリン国際映画祭に参加していた際に、知り合いからセルゲイの自伝を渡されたことでした。自宅に帰ってから読んで、読み終わって、涙を流していました。映画にしなければいけないと突き動かされた気持ちになりました。脚本を書き始めたところに、ハリウッドの友達のプロデューサーが主役に合う人がいると、トムを紹介してくれました。脚本にも参加してくれて、二人三脚で2年がかりで書き上げました。その間、リサーチを重ね、セルゲイ本人にも会いました。脚本が出来上がったあと、オレグさんと会いました。

MC:トムさんは、映画化の話を監督から受けてどのように思われましたか?

トム:監督から聞いた時に、好きな要素がたくさん入っている話だと思いました。もともと軍隊ものが好きでした。冷静時代にも興味があったので、これは面白そうだと思いました。自分自身のテーマである愛の本質について何なのかについても語っていて、ぜひやってみたいと思いました。いろんな困難や壁を乗り越え、愛を突き進む、愛を諦めない人物を描いているところも魅力でした。

MC:オレグさん、ロマン役をオファーされて、いかがでしたか?

オレグ:監督は素晴らしい人物をオファーしてくれました。ロマンはヒーローとして描かれていて、真の兵士。真の愛の物語で、とても演じ甲斐がありました。 このような作品に参加できて嬉しかったです。


◆エストニアでの同性婚合法化にも一助
MC: エストニアでは、先月の元旦に同性婚が法制化されました。監督は、この映画が国を動かす原動力になったと思いますか?

監督:映画というものは、他者の視点で物事を見ることができるメディアで、社会を少しでも変えることのできる力強いものだと思います。共感を呼び起こすものだと私は信じていて、この映画はエストニアで社会に影響を与えたと思います。
私は、2010年からLGBTQのアクティビティをしてきました。エストニアでは、今年1月1日から同性婚が合法化されて、マジョリティーの人にとっては取るに足らないものかもしれませんが、マイノリティーとして幸福度が大きく変わりました。私も他者と平等と感じられるハッピーな日々です。



◆ポジティブな原作者に会ってアプローチが変わった
MC:トムさんが、本作の原作者でモデルでもあるセルゲイさんご本人と会った時のエピソードを教えてくだい。

トム:脚本に参加できたのも素晴らしい体験でした。セルゲイ本人に会ったことで、キャラクターへのアプローチが変わりました。それまでに抱いていた印象と違いました。とても陽気で人生を謳歌しているポジティブ思考の方。ストーリーのバッググラウンドはダークで脅威がはびこる世界なのですが、そんな中でも自分の信念を曲げず、信じる人。愛は全てを乗り越えるということを見せてくれる人でした。こうしたことは自伝を読んだだけではわからない。会って伝わってくることです。ソ連時代の軍隊の時の写真を見せていただいたのですが、それも明るいものでした。アプローチがだいぶん変わりました。

MC:今のお話を聴いて、皆さん、ぜひ映画を楽しんで観てください。


◆スペシャルゲスト小原ブラスさん、恋に落ちるなら監督と!
MC:ここで、少し先に映画をご覧になって、とても感銘を受けたという、スペシャルゲスト、ロシア出身のタレント・小原ブラスさんにご登壇いただきたいと思います。3人にお会いするのをとても楽しみにされていたそうです。

小原ブラスさんが3つの花束を手にして登壇。一人一人に花束を渡しました。

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4人そろってフォトセッション

MC:小原さん、本日はご登壇ありがとうございます。一言ご挨拶をお願いします。

小原:だいぶぎりぎりまで押してると後ろで聞いて、ちょっと早く話さないとあかんでと聞かされてるんです。でも、感想も言ってやってもいいですか。

MC:小原さんご自身もゲイであることを公言されていて、本作も男性どうしの愛が描かれていましたが、どのような印象が残りましたか?

小原ブラス:僕はポスターや予告を見て、滅茶苦茶カッコいい人が出てるわ~と思って、はっきり言うと良からぬ考えで観た気がするんです。観たら、最初はもちろんソ連時代の迫害であったり、そういうテーマなのでちょっと重たいなと思っていたんですけど、後半になると現代でも通じるような話になっていて、日本でも2年位前に騒がれていたようなことが描かれていて、歴史というよりも、まさに現代の日本にも通じる部分があるんだなと、急にふっと近く感じたんです。良からぬ気持ちで観ようと思っている方も、最後、感動するから、そのつもりで観に来てほしいと思います。

MC:小原さんの今のお話を聞いて、監督、いかがですか?

小原:恥ずかしいな。

監督:ありがとうございます。とてもいいですね。よからぬ気持にも同意します。美しさと苦悩がせめぎ合った映画になっていると我ながら思います。

小原:ゲイやLGBTQを扱った映画というと、あまりにロマンティックに描く方向に流れたり、迫害されてつらい気持ちにぐっといくことがあったりします。今回の作品を僕が見ると、必ずしも主役二人の行動に全部は同意できなかったりするんですよ。自分ではこうはしないなとか、筋通ってないなぁと思うところもありました。よく考えたら、筋を通せないのが人間やんか、ゲイだって間違ったこともするし、人間らしいわがままな一面があるんやと、当事者から見たら肩の荷が下りるような映画にもなってました。以上です。

MC:小原さん、ありがとうございます。 3人とも、とっても皆さん魅力的ですが、小原さんは恋に落ちるとしたら誰がいいですか?

小原:え? 何それ? 花束見たらわかるやん。花束見て。監督やがな。イケメンも好きなんですけど、もちろん監督もイケメンですけど、何かなしえた人が好き。お二人もなしえているんですが、要は権力が好きなんですよ。

監督:非常にうまく外交的に向き合って答えてくださって、ありがとうございます。

MC:フォトセッションに移りたいと思います。

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まずは、トムさんとオレグさん!

次は監督・・・ と声がかかり、トムさんとオレグさんが退場しそうに。呼び戻して、3人でのショット (トップの写真)

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「続いて、小原さんも」と呼び込み、小原さんと監督を二人にしようとトムさんとオレグさんが立ち去り、このツーショット。

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トムさんとオレグさんを呼び戻し、「出演者じゃない」と真ん中を拒否する小原さんでしたが、この並びに落ち着きました。

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続いて、観客の皆さんにも写真タイム。


MC:最後に監督から一言、これからご覧になる観客の皆さんにメッセージをお願いします。

監督:ネタバレはなしですよね? 今夜はぜひお楽しみいただきたいと思います。数年かけてこの作品を作ってきましたので、ご堪能ください。こうして皆さんにお届けできるのを嬉しく思っております。気に入っていただけましたら、お友達にも共有してください。

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最後に、4人が観客を背景に写真を撮り、和気藹々の舞台挨拶は終了しました。

Facebook アルバム 『Firebird ファイアバード』初日舞台挨拶
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.903523675108552&type=3
★大きな写真や、ほかの写真をこちらでご覧いただけます。

報告:景山咲子




Firebird ファイアバード   原題:Firebird

(C)FIREBIRD PRODUCTION LIMITED MMXXI. ALL RIGHTS RESERVED / ReallyLikeFilms
監督・脚色ペーテル・レバネ 
共同脚色 : トム・プライヤー、セルゲイ・フェティソフ 
原作 : セルゲイ・フェティソフ 
出演 : トム・プライヤー、オレグ・ザゴロドニー、ダイアナ・ポザルスカヤ

2021年/イギリス・エストニア/英語・ロシア語/107分/5.1ch/DCP & Blu-ray
日本語字幕 : 大沢晴美
配給:リアリーライクフィルムズ
公式サイト:https://www.reallylikefilms.com/firebird
シネジャ作品紹介:http://cinejour2019ikoufilm.seesaa.net/article/502268722.html 

★2024年2月9日(金)新宿ピカデリー他にて全国公開


『フィリピンパブ嬢の社会学』白羽弥仁監督、中島弘象さん(原作者)インタビュー

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*プロフィール*
白羽弥仁(しらは みつひと)監督
1964年、兵庫県芦屋市生まれ。日本大学芸術学部演劇学科卒。1993年に公開された『She’s Rain』で劇場映画の監督デビュー。その後『能登の花ヨメ』(2008)、『劇場版 神戸在住』(2015)、 『ママ、ごはんまだ?』(2016)はサンセバスチャン国際映画祭、ヴィリニュス国際映画祭に正式出品された。以降も、『みとりし』(2019)、『あしやのきゅうしょく』(2022)と精力的に映画を撮り続けている。日本映画監督協会会員。讀賣テレビ番組審議委員。

中島弘象(なかしま こうしょう)原作者 
1989年愛知県春日井市生まれ。中部大学大学院国際人間学研究科国際関係学専攻博士前期課程修了。会社員として勤務するかたわら、名古屋市のフィリピンパブを中心に、在日フィリピン人について取材。講演、執筆、テレビやラジオなどの取材協力も多数行っている。著書に『フィリピンパブ嬢の社会学』(新潮新書 2017年)『フィリンピンパブ嬢の経済学』(新潮新書 2023年)がある。

『フィリピンパブ嬢の社会学』
大学院生の中島翔太は、フィリピンパブを研究対象にし、生まれて初めてパブを訪れる。取材に通ううちに、フィリピンの家族に送金を続け明るく逞しく働くミカと仲良くなった。フィリピンの家族にも紹介され、ますますミカを大切に思う翔太は、来日するため偽装結婚していたミカの事情を知り、こわごわヤクザの元に乗り込むことになった…。
https://mabuhay.jp/
★2024年2月17日(土)より全国順次公開

―白羽監督が原作を読まれて、映画にしたいと熱望されたと伺いました。映画化が決まってクランクインされるまで、どのくらいかかりましたか?

監督 4年かかりました。2018年に原作を読んで、すぐに原作の中島さんに連絡を取って、2022年に撮影にこぎつけました。今回はこれまで組んだことのなかった三谷さんがプロデューサーです。私も(映画界に)30年いるので、三谷さんにもどこかで会っているんです。撮影とか照明とかのスタッフは、やっぱり今まで自分とやったことのある方ですね。

―前の2本は監督が脚本も書かれていましたね。今回は大河内聡さんです。

監督 はい。大河内さんと付き合いは10年以上になるのかな。名古屋にも来たもんね?(中島さんへ)
奥さんがカンボジア人なんですよ。それでどうだ?と言ったら「カンボジア人はフィリピン人より真面目です」なんて(笑)。原作を読んでいるから「(フィリピン人のように)バイタリティがあって、ガーンと来るタイプじゃないんだ」と。そういう国際結婚をしていて、いろんな苦労があるだろうから、ニュアンスは僕よりわかるだろうということで。

―中島さんは映画化のお話を聞いていかがでしたか。

中島 いろんな話はあったんですよ。ドラマとか漫画を描きたいとか、映画は白羽監督だけでした。話が来てもやらないということが多かったんで「やるんかなぁ?」って感じで。でもやるんだったらお付き合いしますよ、と監督にはお話しました。

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―「フィリピンパブ嬢の社会学」を読みました。中にドラマがいっぱい詰まっているので、これは映画にしたいだろうなと思いました。ラブストーリーにもできるし、社会派ドラマにもできるし、いい原作を見つけられましたね。で、キャストが重要ですよね。主人公のお二人は似た感じの方を探されたんですか?

監督 いや、そんなつもりは毛頭なくて、ものまねショーではないので。たとえばものすごく有名な人物の映画化だったらそれは考えなくちゃいけないけども、そういうわけではないので。映画に出てもらって絵になる動きをしてもらう、ということを前提にオーディションしました。

―前田航基さん、一宮レイゼルさんに決めたのは?

監督 前田くんについて言えば…。この映画はラブストーリーだけども、アクション映画にしたかったんですね。走ったり転んだり、あるいは階段から落ちたり、というアクションで見せていきたいなと思っていました。あの体型で女の子にバチーンと叩かれたり、転げ落ちたりするのは絵としては面白いだろうと。いろんな意味でカッコ悪いところをさらけ出したりする映画なんです。前田くんは大阪だし、ニコニコしているだけで面白そうな感じ。
映画を撮っててわかったんですけど、フィリピンパブに入って女の子がダーッといるのを見たとき、あの子の目が泳ぐんですよ(笑)。あの驚きようと目の動きはほんと良かったです。

―それは前田くんがほんとに初めてだったから自然に。

監督 おそらくそうだと思います、その素直さが出たんですね。
レイゼルさんはオーディションで、もう何百人見た中の最後の最後だった。名古屋、東京とオーディションして、みんな「帯に短し、たすきに長し」で、もうプロデューサーも助監督も「フィリピンに探しに行こうか」と言ってたところに彼女が来た。

―まあ、ドラマチック!

監督 そうなんですよ。とりあえず台本読んでやってみて、というと非常に適応能力があった。全員一致でしたね。

―レイゼルさんは映画のオーディションを初めて受けたんですね。

監督 もともとはモデルですし、東京の人でもないです。金沢から来てました。
家族ともども、10歳のときに来日した生粋のフィリピン人です。

―日本で育っているので、日本語は流ちょうですよね。金沢弁が出るくらい?

監督 そこは加減してやりました。ただね、あの人緊張するとセリフがガタガタするので、ちょうどよかった(笑)。僕は金沢や能登で映画を作っているので、金沢弁や能登弁を知っているんですけど、彼女はどうも東北っぽい訛りがあるんですよ。語尾の上り下がりが違うので、直すのが大変でした。

―中島さんは主人公役のお二人にいつ会われたんでしょう?

中島 撮影の前日ですね。初めて会ったときは僕の妻“リアル”ミカと(笑)一緒に。お見合いみたいな感じになっていましたね。監督が言われたようにものまねではないので、前田さんとレイゼルさんが自分たちの世界を作ってくれればいいと思っていました。でもやっぱり(僕たちを)元にやっていただくので、お互いになんか変な感じでした(笑)。「僕たちのことでいいんですか?」向こうも「僕たちでいいんですか?」みたいな(笑)。そこを監督はニヤニヤ笑って見ている。

―2022年のクランクインのとき、コロナのほうは?

中島 8月30日でした。

監督 まだコロナ禍中で、みんなマスクして本番のときだけ外して、またマスクして。

―ロケはほとんど春日井ですか?あとフィリピン。

監督 名古屋、春日井で2週間、フィリピン4日ですね。フィリピンのコーディネイトは行ったり来たりしてやって、事実上はこの人(中島さん)が。

中島 原作者ではなかなかいないと言われたんですが、全日程付いて行って。3日目くらいから「会社どうですか?大丈夫なんですか?」って心配されました。フィリピンでは現地の方と監督の簡単な通訳とかもやりました。

―フィリピンのロケの時に出てくる方々はご親戚…?

監督 ご親戚です。レイゼルさんのホントの親戚です。従妹だったり…

―あら~、すぐ集まるもんなんですか?

監督 すぐ集まるんです。フィリピンに行ったら気づくんですけど、普通のおうちにお邪魔しても「あんた誰だっけ?」という人がいるんですよ、必ず(笑)。遠い親戚だったりするんですが。これは関西で言う「いけいけ」、「別に、みんなファミリーじゃん?」っていう感じなんですね。だからレイゼルさんもフィリピンに帰ったのが久しぶりだったみたいで、撮影が始まる前の日に里帰りしたんですが、そのときお土産を配っちゃったんですって。映画のシーンで使うので「回収してくれ!」(笑)。カップラーメン開けないでくれてよかった。もう一度親戚の皆さんに集まっていただいて、お土産をまた配った(笑)。

―映画とおんなじなんですね。知らない人まで並んじゃったりするんでしょうか。

監督 あ、あるかもしれないですよ。あのね、撮影やっていると物売りが来るんですよ。天秤棒かついで、(中島さんへ)「あの白いの何て言うの?」

中島 「タホ」。豆腐に黒蜜をかけてあるもので、朝ごはんに食べたりします。

監督 それを現場に売りに来るんですよ。甘くておいしいんです。そういうところ非常におおらかです。

中島 日本みたいに境目がない。低い、というか。「何かやってるから行ってみよう~」って。

―敷居高いどころか、ない? 家には敷居あります?

中島 ありますよ。防犯上は日本よりすごいしっかりしていますけども、フレンドリーです。バイクタクシーの人も、その場で(撮影を)お願いして、行き帰り走ってもらいました。

監督 「トライシクル」というんですが、荷物と人間の境目がないというか、なんでも乗せる。2人が乗っているじゃないですか、僕とカメラマンはここ(その前)、4人乗って運転手さんがいるから5人。

―それでも走るんですか。すごい。
フィリピンの作品は最近映画祭などで入ってきますが、こちらから向こうに行って映画を撮るのにご苦労はなかったですか?


監督 一番困ったのは撮影許可がおりないことでした。後でわかったのは街のボスみたいな人に挨拶しておけばいいんだと、それは学習しましたね。第2弾があれば中島さんが挨拶に行ってくれるらしい(笑)。

中島 え~!(笑)

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―原作にかなり忠実でした。愛のためとはいえ、ヤクザさんと話をつけにいくのは怖いですよね。

中島 「ホンモノの人」って独特の空気があるんですよね。初めは優しそうにしていたけど、牙を見せるみたいな。あれはなんとも言えないですね。
もめごとに入っていったら、素人も何もないですよ。だけど、彼らも上がいて、上にばれたくないから自分たちで何とか解決しようと思ってやっていた、ってことに後で気づきました。

監督 そこのところを映画で説明するには、ちょっと長ったらしかった。ややこしかったんで、ああいう風にしたんです。

―私も本を読んで、こんなにややこしい話だったんだとわかりました。人がいっぱいで誰がだれやらわかんなくなりまして(笑)。

中島 あれはちょっと映画だと…

監督 原作のほうが登場人物多いんです。それこそ配信のドラマみたいに長くやれればいいんですけど。映画は人を少なくしてあります。

―わかりやすかったです。そして良かったのは、二人が途中で別れたりせずきちんと結婚して。

監督 途中で大喧嘩はいっぱいあるよね。

中島 いやもう、喧嘩しかないですよ。ふりかえってみれば。(笑)

―「感謝しかないです」じゃなく「喧嘩しかない」?(笑)

中島 いがみあってますよ。(笑)

―文化の衝突ですね。

中島 「文化の衝突」といえば聞こえはいいですけど、夫婦ってそんなもんじゃないですか。

―(話を振られて)目が泳ぐ…。

中島 いいときも悪いときもあって、「雨降って地固まる」みたいな感じですよ。

―結婚なさって何年になりましたか?

中島 2015年なので、8年くらいです。

―お子さんの写真がありました。

中島 子どもは二人で、あと6月に生まれます。まだ早いって言いながら、結婚1年で本を出して、そこから就職したり、毎年毎年常に新しいことをやってきたりで、まだ8年かという感じはあります。もっと長かったなという気がします。

―中身がつまって濃い日々だったんですね。

中島 監督とこうやって出逢って感謝しているのは「自分の知らないところに監督に連れて行ってもらえていること」。新しい発見ばかりじゃないですか。会社勤めして8年もやっていたら、大体惰性でやれることが多くなります。
監督と出逢ってからは「そんなことやるんですか!?」と思いながらも、やってみたら「あ、できますね。なんとかなるもんですね」(笑)。結婚してから8年間、ずっとこの言葉の通りです。

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―私もミカさんが「いつも笑顔でハッピーなほうに考える」のを観ていて、いいなぁと思いました。日本人って、こうポジティブに考えず、つい心配が先に立ってしまいませんか(私だけではないはず)。

監督 まだ起こってもいない悪いほうに考える。

―なんででしょうね。A型多いから?(笑)

監督 いや、社会がそうなってきましたね、この30年40年。日本がどんどん貧しくなってる証拠だと思うんですよ、それが。それこそ80年代までは浮かれてたわけですよ。もっと言うとこのままこれが続いて、日本はニューヨーク中のビルを買いあさってしまうんじゃないか!?というのが、ドーンと下がったじゃないですか。そういうのが今の日本を小さくしていると思いますね。

―はい。それに上の人のいう事をよく聞きますよね。もめごと嫌いだし(これは自分でした)。

監督 よく聞くというより他人任せ。政治にしてもなんにしても、参加しないで文句を言う。

―SNSができて匿名性が上がってからその傾向が強くなったと思います。

監督 そうですね。自分のせいじゃなく、人のせい。社会が悪い、自分が貧しいのも辛いのも社会が悪い。それは違うんじゃないの?この映画はその点では主体性を持った二人の男女が…まあこの先幸せになるかどうかは別として…

―あ、そんな。ね?(と中島さんへ)

監督 映画、「映画の中」ですよ!(中島さん爆笑)
それでもなんとかなるんじゃないの?って行くところがね、僕からの一つのメッセージです。

―中島さんもそうですか?観客に掬い取ってほしい、感じてほしいこと。

中島 そうですね、心配ごとが多いから、外国人とかに責任を押し付けたい。治安が悪いとか、そういうことで外国人はちょっと…という。そうひとくくりにする人多いじゃないですか。人間だから合う人、合わない人はいます。それを例えば「あの人はフィリピン人だから」とかいうのでなくその人を見てほしい。

―違うからわからない、だからわかろうというほうへ行くといいですね。

監督 この映画ができたこともそうなんですけど、世の中いい風には変わってきていると僕は思います。多文化に関していうと、意識はずいぶん変わってきました。ダルデンヌ兄弟の映画とか、フランスの映画とか観ると、あっちのほうが移民に対する排他意識がもっときつい。宗教が違うからなんだけども。
その点でいうと、日本は少しずつだけれども変わっています。一番は人口減少社会ということがあるから、一緒にやっていかなきゃ産業が回らない。背に腹は代えられない大前提があるにせよね。

中島 身近に外国人が増えましたね。僕の場合は家族ですが、いつも行くコンビニでも働いている人がいます。触れ合える機会が増えたっていうことじゃないですかね。監督から声かけていただいたときに、「日本映画にコンビニのシーンがあっても、店員は絶対日本人なんだよ。外国人の店員がいてもおかしくないのに。そういうところを変えたいんだ」と聞いて、そうだなと思って。

監督 東京を舞台にした映画やドラマにしても、全然そういう外国の人が出てこない。出て来ても、脇役か、そこにポンといるだけでパーソナリティはないわけです。それはもうね、何を見とるんだ、と。たとえばコンビニで働くセネガル人と、孤独な日本の女の子が恋に落ちる話があっていいはずなんです。だけど、こっち側(外国人)のパーソナリティは無視。表現の世界においては、そのへんはまだまだ。僕は今回、どうしてもそこはやりたいと思った。

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―この映画はもっと早く出て来てほしかったです。

監督 4年かかりました(笑)。ただ、この間に社会も変わったんですよ。タイムリーだったと思います。

―パブに縁はなかったですし、知らないことばかりでした。あんなに働いて手元にわずかしか残らないのも、故郷の人たちにこの苦労を知ってほしいと思いました。フィリピンで上映はしないんですか?

監督 します!しなきゃいけません。未定ですが、プロデューサーが折衝中です。

―良かった~!こっちで頑張っている人が報われると思うんです。 

監督 フィリピンに限らず、ベトナムやいろんなアジア圏でそれができればいいなと思います。

―これ、とっても勉強になりました。観客の社会学ですよね。次、経済学も待っております。

監督・中島 (笑)

―いろんなことがいっぱい詰め込まれた作品でしたが、とても繊細でもある。作るにあたって監督が気遣われたところは?

監督 原作は、全て中島さんから見た世界で、ミカさん側からではないんです。映画にするにあたってはそうでなく、ミカさん、フィリピンのみなさんから見た世界も加える、と。あるいはフィリピンのみなさんが日本でどういう風に生活しているかという部分を入れたかった。ショッピングモールで買い物したり、デートしたり、望まない妊娠の問題があったりという、原作にはない場面も入れました。 

―それはやっぱり、フィリピン人の方々にリサーチされたんですね。

監督 あのね、この人(中島さん)に連れていってもらったんです。フィリピンパブに脚本の大河内もみんなで。

―監督も初めてで? (中島さんへ)目が泳ぎました?

中島 泳いでました(笑)

監督 初めて私の横についたフィリピン人のホステスが、タブレットを持って来て「ちょっと見て、これ私の子ども」って言うんですよ。
「旦那は?」「どこにいるかわかんないです」って。

―旦那さまは日本人ですか?

監督 日本人です。赤ちゃんは「フィリピンに帰って産んで預けてきた」って言うから、それをそのまま映画の中に持ってきました。

―日本のホステスさんだったら子どもがいるとは言わないでしょうね。

監督 そう。そのくらいあけすけだったし、「その上で」っていうのもあるかもしれないけど、銀座のホステスさんとは違うパンチ力がありましたね。

中島 それがまたいい、っていう人もあるんですよ。包み隠さずに言ってくれるのは彼女たちのプライドですよね。その人が好きになって付き合うこともあるし、あとから「え!」ってこともあるとは思うんですけど。苦労しても苦労って言わないで、頑張るしかないって。

―あの心の広さ、バイタリティはすごいです。

監督 国がもっと過酷だっていうことです。そこに比べればってことです。1万円、2万円稼げば、それはフィリピンで何十倍もの価値になる。一方で、この先経済成長でどんどん変わっていくはずなんですよ。日本人が見下しているかもしれない人たちと、今度は逆になるぞと考えないと。いずれ日本人は、もうすでにそうですけど、出稼ぎに行ってるわけじゃないですか。こんな円安で。逆転する社会があるかもしれない。

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―この映画はちゃんと社会を写しているけれども、全然説教臭くない。

監督・中島 娯楽映画です。

―可哀想がってるわけでもないし、このキャラクターにすごく救われました。

監督 前田くんいいんですよ、ニコニコして。

―『奇跡』から観ているので、お兄ちゃんの前田くんを観るのが楽しみでした。ミカさんも良かったです。
お母さんが強硬に反対するので、自分だったらどうするかと思いながら観てしまいました。エンドロールにお母さんの写真が出てきますね。


中島 「経済学」のほうも読んでもらうと、母が大活躍。

監督 名古屋の劇場にも、お母さんしょっちゅう来てたね。

中島 来てましたね。

―味方になると母親は強いです。

監督 あと、それこそ孫の顔ですよね。孫の顔見たらってことです。経験ないけど(笑)。

―そうなんですか、なんでも経験ですよ(笑)、経験しないとわかんないこといっぱいありますよね。
中島さんも、大学で研究しなかったら、こちらの人生には来なかったし、奥さんに会わなかったし。

中島 そうですねぇ。出会ってわかろう、としなかったらないですね。
出会った人はいっぱいいたんですけど、一歩先へ踏み出したのは僕だけだった。

―何かに踏み出すときのお話って面白いですよね。(監督になろうと踏み出すきっかけは後述)
お二人はどのくらいお年の差がありますか?


監督 だいぶ違いますよ、僕は59です。

中島 僕は35です。父が59か60です。

監督 じゃあ親子くらいなんだ。でも僕にとっては「先生」なので。

中島 いえいえ。

―こうやって年の離れた人もお仲間になって。

監督 三谷プロデューサーもそうですけど、周りの関係者がほとんど年下になりましたね。ずっと若手だと思っていたのに、気が付けば最年長。

中島 でも僕からしてみたら大先輩の方々に学べる貴重な機会です。

―これまで関わらなかった映画の世界ですもんね。

中島 これがきっかけで将来何が起こるかわからないですよね。だから何でもやってみるっていう、できるだけ多くのいろんな世界に気づくっていうことがとても大事だなって思います。

―映画に関わったことで、ほかの映画の観方が変わりませんか?

中島 変わりますね。

監督 こんなに大変か、と。

中島 大変だとか、このシーンどのくらい撮ったんだろう。この角度もこの角度もあるとか(笑)。

―制作側の目になるわけですね。(そろそろ時間)
では最後のシメに、続編の「経済学」のほうを期待してよろしいでしょうか?

監督 どうしましょうね、春日井にお金持ちが・・・

中島 春日井以外の地域で撮っても面白いですね。

―場所を引っ越す? 芦屋どうですか?お金持ちいます。

監督 いや、芦屋じゃ成立しない、この話は(笑)。

中島 東海3県あたりで。

監督 岐阜、岐阜でやろうよ。あの美濃加茂市で。

中島 美濃加茂市長さん。

監督 この映画を激賞してくださったんです。

―それは嬉しいですね、ぜひ実現しますように。
今日はありがとうございました。


(取材・写真:白石映子)

=映画少年と大森一樹監督=

―監督が映画監督になろうと踏み出すときのお話もちょっとだけ聞かせてください。

監督 それはもうね、大学は日大なので初めっから。芸術学部演劇科でした。

―そちらに行こうと思ったきっかけは何でしたか?映画とか出会いとか。

監督 一昨年大森一樹さんが亡くなられましたね。(監督・脚本家/1952ー2022年11月12日)
僕が中2のとき、大森さんが25歳でデビューされた『オレンジロード急行』(1978)という作品があったんですよ。当時とても不遇だった鈴木清順監督(1923-2017)が、10年ぶりの映画『悲愁物語』を撮っていて、その両方に原田芳雄(1940ー2011)さんが出ているんです。僕は神戸なんですが、中学2年生のときに神戸の映画館の催しで大森一樹、鈴木清順、原田芳雄が対談するって企画があったんです。

―今考えるとすごい豪華ですね。

監督 豪華なんです。中学2年生でいそいそとそこへ行って、2本映画を観て、原田芳雄を観てすっかり吸い込まれました。それまで洋画ばっかり観ていたので、こんなに両極端な日本映画…鈴木清順のとてもわけのわからない映画、大森一樹の軽やかで洋画のタッチの映画…それを見たときに、そこへ入っていけそうな気がしたのかな。そこからですね、自分も自主製作を始めました。で、大学で16ミリ映画を撮って。

―『オレンジロード急行』と『悲愁物語』を中学生で観た。中2?中二病?(笑)

監督 ある種の「中二病」ですね。思い込みの強さで。

―幸せですね。そういうものに出会って。

監督 私はそうかもしれないけど、周りは不幸だったかもしれないですね。

―親が期待したほうに行かなかった、と。

監督 そういうことですね。まあだいたいそうでしょ? みんな「息子が映画監督?!よし、やりなさい!」なんて言う?ありますか、そんな。

―食えないだろうと思っちゃいますね。

監督 わけがわからないですよね。

―やっぱりお父さんお母さんの知らないところで、守備範囲から外れていますし。

監督 この人(中島さん)もそうですよ(笑)。

―外れた息子同士のお二人で(笑)。後もう少し続きを。

監督 大森さんが東京の映画監督でなく、神戸にいながら映画監督になったっていう、これが大きいです。東京に行って、立派な大学出て、助監督になってということではなくてもと。(京都府立医科大学に在学中から自主映画を撮り、助監督経験なしに『オレンジロード急行』で商業映画デビュー)

―大森監督は「心の師匠」みたいな?実際に師事したりは?

監督 兄貴分でした。現場についたりしたことはないですけれども、付き合いは長かった。この映画のエンドロールで「スペシャルサンクス 大森一樹」って入れているんです。

―見逃しました。も一回観ます。

監督 というのは、大森さんは大阪芸大の映像学科の学科長で、機材をこの映画のためにお借りしたんです。フィリピンのマニラでロケしているときに電話がかかってきて、こっちは撮影中でものすごく忙しいときだったんで、「はい!頑張っていまーす!」くらいで切っちゃったんですね。それが最後の電話になってしまって、それは非常に後悔しています。まさか、そんな亡くなると思わなくて。
これの前に撮った映画『あしやのきゅうしょく』のときは、大森さん「うちから一番近い撮影現場だ」って言って毎日来ていました。ちょっとうざいくらい(笑)。春休みでしたし。
「次、どこ行くんや?」って言うから、もうスケジュール渡して(笑)。

―まあ。意見を言うわけでなく、見ているんですか?

監督 言うんですよ(笑)。あれ、子どもの映画なんですが、
「あの子は目線が外れてる」。
「素人の子どもに目線とか言わないで下さいよ。意識したほうが硬くなるから」って反論しました。
そしたらもうずっとモニターの前にいるんですよ。座っているのをどけとも言えないし(笑)。

―現場が楽しかったんでしょうね。

監督 僕もそういうのがとても嬉しかったです。1978年の中学2年生がこうやって一緒に現場にいて、「やめてください!」って言ってる漫才みたいな関係がね。想像もつかなかったですね。

―なんて幸せなつながり!