オーストラリア先住民映画祭 2024 『家畜追いの妻 モリー・ジョンソンの伝説』 リア・パーセル監督インタビュー

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2024年2月3日(土)ユーロスペースにて、オーストラリアの先住民の監督たちによる珠玉の5作品を上映する1日限りの映画祭が開催されました。夏のオーストラリアから来日されたリア・パーセル監督とプロデューサーのベイン・スチュワートさんにお話を伺いました。東京をとても気に入ってくださったようです。

*オーストラリアの先住民の方々は、かつてアボリジニーと呼ばれていましたが、最近は「アボリジナル・ピープル」と変わっています。文中ではこの映画祭に冠された「先住民」としました。

*プロフィール*
リア・パーセル(Leah Purcell)監督・主演
豪クイーンズランド州出身。ゴア族、グンガリ族、ワカムリ族の血を引く、オーストラリアで最も尊敬・賞賛されているアーティストの1人。一般作品、先住民作品を問わず、多くの演劇、テレビ番組、映画作品で、俳優、脚本家、監督、プロデューサーとして活躍する。25年以上にわたるキャリアにおいて関わった作品に、『Box the Pony』、『The Story of the Miracles at Cookies Table』、『Don’t Take Your Love to Town』、『Police Rescue』、『Redfern Now』、『Wentworth』、『Jindabyne』、『Somersault』、『The Proposition』など。
直近の出演作品は、2023年サンダンス映画祭にて上映された『Shayda』などがある。また、Amazonのミニシリーズ『赤の大地と失われた花』では、シガニー・ウィーバーと共演した。Sony Pictures TV USAとFoxtel Australiaによるオーストラリアの新ドラマシリーズ『High Country』では主演を務めている。賞も獲得した小説「Is That You Ruthie?」の舞台化を脚本家・監督として進めており、同作品は2023年12月に、クイーンズランド舞台芸術センター(QPAC)で上演。

『家畜追いの妻 モリー・ジョンソンの伝説』
1893年、オーストラリア奥地。モリー(リア・パーセル)は夫の帰りを待ちながら、女手一つで農場を守っている。そこに首枷をはめられた先住民脱走犯ヤダカが現れる。ふたりの間に思いがけない絆が生まれ始め、それまで秘密にされてきた、モリーの生い立ちの真実が明らかになっていく…。
◎アジア太平洋映画賞2021 審査員特別賞を受賞

―以前から語り継がれてきた物語だそうですが、これまでに映画化されていなかったのでしょうか?

監督:これは元々「家畜追いの妻」というヘンリー・ローソンの短編小説(1896年発表)でした。ヘンリー・ローソンはオーストラリアでは誰もが知っている、たいへん有名な詩人・文豪です。
原作は9ページしかない短編です。子どものころ親から語り聞かされ、私自身この話を頭の中で想像できたものでした。ローソンは白人男性の視点で、その土地に暮らしている女性についての話を書きました。
私はこの短編を40年間ずっと大切にしてきました。初めて映画を作るにあたって、私のメンターから「自分が知っていることを書きなさい」というアドバイスを受けていました。それで、この短編を元に先住民の視点から、先住民である私の家族の話を加えてこの映画を作りました。

―監督のオリジナル・ストーリーになったんですね。

監督:はい。私の家族の話になったんです。もう少し説明しますと、プロデューサーの視点から「どうやったらこの作品を多くの人々に見てもらえるだろうか」と考えたんです。ローソンの「家畜追いの妻」はオーストラリアでは、16歳から80歳の人たちまで、ほんとによく知られている作品なので、観客はたくさん来てくれるだろうとは思いました。原作に忠実に映画化された作品と思って観たら、きっとびっくりされたことでしょう(笑)。

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―観客の感想はどんなものでしたか?

監督:この映画をとても好きになってくれました。驚いて「感動した!」と言ってくれて、多くの人が「これは真実の歴史だ」と受け止めてくれたのです。

―白人と先住民では感想に違いがあったかと思いますが。

監督:この映画の中で、二つの話を同時に作ろうと考えました。先住民に向けたもの、それ以外の方に向けたものです。先住民の方について言えば、この作品を観て勇気づけられるような、力を持てるような映画にしたいと思いました。非先住民の方には、私たち先住民の先祖の苦痛が、政治的な観点からでなく、心、魂の観点からわかるように作ったつもりです。これは私の曽祖父や祖母や母たちの話ですから。

―観客の方々が喜ばれたというのが想像できます。(今回は特別な上映会ですが)先住民の方が主人公になる映画は、これまで作られてきたのでしょうか?

監督:この作品は私の映画のデビュー作品です。俳優として出演した作品、短編もありますが、私のテレビや舞台は先住民の視点を大事にしています。というのも、先住民は映画界の中であまり表現されてこなかったからです。心や魂の観点から先住民の話を取り上げ、届けていきたいと思っています。例えば、『レッド・ファーン・ナウ』『クレバー・マン』『クッキーズ・テーブル』など。
これまで、商業作品で先住民が主人公ではない作品を作ったことはありますが、映画作品で主人公にしたのはこれが初。先住民を取り上げた作品を執筆、監督するのに情熱を捧げています。

―映画の中で女性がとても弱い立場にあったとわかりましたが、当時あのように過酷な目に遭っている女性は多かったのですか?

監督:そうです。今日(こんにち)でもそうです。

―日本は女性の地位が世界でも低いことで有名になってしまいました。オーストラリアには女性監督はたくさんいらっしゃいますか?

監督:私がラッキーだったのは、ちょうど監督デビューしようとしたころ、”スクリーン・オーストラリア”のトップが女性だったのです。それもあって選定のときに、女性の新人作家に支援がいきわたるようにしてくださった、ということがあります。

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―日本の映画界では、女性監督は大体1割しかいません。オーストラリアはいかがですか?
(監督、ベインさんと話して)

監督:40%くらいです。(思わずOh~!と拍手、パーセル監督はYeah~!)

―女性は、ほかのスタッフとしてはいますが、なかなか監督にはなれないことが多いです。

監督:今、オーストラリアではたくさんの女性が映画業界に進出しつつあります。脚本を書いたり、監督したり、プロデューサーをしたりと多くなっています。

ベイン:”ジェンダー・マターズ”という大きな活動があります。女性がもっと前面に出られるように支援をするものです。

監督:多文化的な観点からもいろいろな背景の女性が活躍しつつあります。先日私が関わった映画の製作では、5つのセクションに分かれて作りました。プロダクションのチームに5人の女性監督がいましたし、部門のトップは全員女性です。私が作った二つのエピソードでは、中国人の女性脚本家と、ベンガル人の男性脚本家でした。

ベイン:『ヒア・アウト・ウェスト(Here Out West) 』という映画です。多文化的な大変すばらしい作品です。

―それは日本で観られますか?ぜひ来年の映画祭で拝見したいです。
(この映画祭の反響如何のようです)
―(宮)日本では2003年に『裸足の1500マイル』(2002/オーストラリア/フィリップ・ノイス監督)という映画が公開されています。同化政策で親から引き離されて施設に入れられた先住民の子どもが、故郷に帰ろうとする物語でした。監督のこの映画の中でも、白人の女性がモリーの子どもたちを施設に入れようとする場面が出てきました。


監督:私の祖母の物語を映画に入れたのです。祖母は「盗まれた世代(Stolen Generations)」の子どもでした。5歳のときに母親から引き離されました。それ以来、母親に2度と会えませんでした。彼女が70歳になって初めて、68歳になっていた弟に再会できたのです。この映画の中で紙が出て来て、燃やされていましたね。(先住民の親権を否定し子どもを施設に送るための文書です)
同化政策は政府の方針です。先住民やその伝統や文化、皮膚の色さえ無くして、子どもたちに白人の視点から考えさせようというものです。私たちはそんな政府の意図に反して、自分たち先住民の精神を世界に届けようとしています。

―映画の中で、警官の妻ルイーザがモリーの味方になり、モリーも心を開いて話すようになります。これは監督のオリジナルですか?

督:ルイーザとネイトの夫婦は原作の小説にはなく、私が生み出しました。非先住民の観客にどうやって私のメッセージを届けようと考えて、作ったキャラクターです。モリーが心を落ち着け、安心してルイーザと話します。ルイーザは当時の女性たちに先立って、女性が声をあげられるように新聞を通じて訴えかけていました。

―先住民と白人の二人に友情が生まれることに感動しました。オーストラリアは早くから、女性の権利を獲得する運動が始まっていたと知りました。大戦後にようやく女性の投票権を獲得した日本とはずいぶん違います。

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監督:私の本の中には、ルイーザ・クリントフをもっと詳しく取り上げた章があるんです。ルイーザの着想を得たのは、実は南オーストラリア州が、女性の権利、投票権において非常に先進的だったということがあったからです。もうひとつ、ルイーザは原作者のヘンリー・ローソンの母親の名前です。彼女は1850年代に女性の権利や家庭内暴力―彼女もそうだったのでしょうー。―男性の飲酒問題も新聞で取り上げています。「DAWN(夜明け)」というその新聞は映画に登場させています。
ローソンの小説は書き手の男性の視点から書かれていましたが、私は女性を主人公に、女性の視点から書きたかった。小説では「家畜追いの妻」とだけで名前がありません。モリー・ジョンソンという名前を与えました。

―結末はモリーにとって悲劇ですが、そこにルイーザたち女性がかけつけてくれたのにホッとしました。

監督:意図的に女性が力を持てるような終わりにしました。

―とても励みになりました。

監督:GOOD!

―私たち、女性ばかりで作った映画ミニコミが始まりなんです。
―(宮)女性映画人を応援しようと作った雑誌です。1985年ころから。
―で、みんな年をとりました(笑)。


監督:「賢くなった」って言いましょう(笑)。

―ああ、ありがとうございます。言い方(次第)ですね。
―(宮)箒で家の前を掃いていたのは、どういう理由なのでしょう?掃除には見えなかったので。

監督:理由はいくつかあります。
1つは辺境地のため、夜に動物などが家に近づいてくるので、その足あとや痕跡が砂の上に残るように。
2つ目は夫から暴力を受けていたためのPTSDです。心持を表しています。
3つ目は警官を殺してしまったので、その証拠を消すため。

―ロケーション、住まい、衣裳などについてお聞かせください。

監督:まず家についてですが、モリーの小屋は1893年当時の貧しい人の家、として作りました。家も衣装も貧しいうえ、忙しいのであちこち修繕の必要な感じにしています。ヤダカの衣装もそうですが、その土地にある樹木(スノウガム)からとった色で作っています。
小屋と警察署の牢屋は、完全なセットとして作ったものです。撮影中に山火事があって、近づいてきていたので、私たちは延焼しないように小屋を守りました(笑)。

―モリーは街から遠く離れた山の上の一軒家で、一人で家と子どもたちを守っています。ああいう環境は当時普通だったのですか?

監督:はい。「家畜追い」は牧畜業者から家畜を預かって、買い手まで送り届けるのが仕事です。その間妻は家と子どもを守らなければなりません。モリーの場合は”ジョンソンの妻”という社会的な地位は与えられていましたが、非常に危険で困難な暮らしだったと思います。夫が長い間留守なので、お金も食べ物も尽きて大変な状態でした。
今の時代でも辺境の土地に住む人にとっては、関連する話です。

ベイン:家畜追いは「カウボーイ」のような職種で、いったん家畜を移動し始めると何か月、長いときは半年も留守にします。(もう一度ベインさん力説)この映画プロジェクトの良い点は、監督の努力によって古典的なヘンリー・ローソンの原作に二つ変更を加えたことです。原作では「家畜追いの妻」と書かれていた人に“モリー・ジョンソン”という名前を与えたこと。もう一つは「黒い蛇」を男性の先住民“ヤダカ”に替えたことです。それで物語の流れを大きく変えているのです。

監督:「ヤダカ」の話は、私の曽祖父に基づいています。

―また来年この映画祭が開催されますよう願っています。ありがとうございました。

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(取材・写真・白石映子、宮﨑暁美)