『帰って来たドラゴン』舞台挨拶

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7月26日(金)より『帰って来たドラゴン』(1974)2Kリマスター版の上映が始まりました。
翌27日(土)新宿武蔵野館に、満席のお客様を迎えて倉田保昭さん、ゲストの谷垣健治さんの舞台挨拶がありました。
ほぼ書き起こしでその様子をお届けします。MCは江戸木純さん。(白) 

倉田保昭 1946年3月20日、茨城県出身。俳優、武道家。日本大学芸術学部演劇科卒。東映撮影所の研究生となる。70年香港のショウ・ブラザース社のオーディションに合格し『続・拳撃 悪客』(71)で香港映画デビュー。多くのクンフー映画に出演。74年『帰って来たドラゴン』を引っ提げで日本凱旋を果たした。テレビシリーズの「闘え!ドラゴン」、「Gメン‘75」で人気を博す。
76年に倉田アクションクラブを設立して人材育成を行い、数多くの映画、テレビ番組のアクション・コーディネートを手がけ、創武館道場で空手の指導を行ってきた。85年に倉田プロモーションを設立。その後も香港映画をはじめとした数多くの海外作品に出演。

谷垣健治 1970年10月13日、奈良県出身。映画監督、アクション監督、スタント・コーディネーター。
1989年大学入学と同時に倉田アクションクラブ大阪養成所に加入。1993年の大学卒業後つてもないまま22歳で単身香港に渡り、広東語を学びながら映画の仕事を探す。スタントマンとして多くの映画に参加、アクション監督トン・ワイの推薦で「香港動作特技演員公會 Hong Kong Stuntman Association」に所属した。唯一の日本人。香港ではドニー・イェンの作品に多く関わり、『燃えよデブゴン TOKYO MISSION』では監督をつとめた。日本では映画『るろうに剣心』シリーズのアクション監督ほかで活躍。
日俳連アクション部会委員長。DGA(全米監督協会)会員。

作品紹介はこちら
(C)1974 SEASONAL FILM CORPORATION All Rights Reserved.


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倉田 本日はお暑い中、ほんとにたくさんの方がいらしてくださってありがとうございます。50年前の映画ということで、私ちょっと不安なところがあるんですけど、いかがでした?(拍手)古臭さはなかったですか?パワーを感じていただけると有難いなと思っているんですけど。CGもワイヤーもない時代ですから。もう、今やれと言われてもとてもできないです。
ありがとうございました。ほんとに。

谷垣 おはようございます! 僕も今後ろで観ていたんですけど、面白いですよね。なんか神様がジャンプ力の調合を間違えたような2人(ブルース・リャン&倉田保昭)が(笑)こう上に上がって行く(必見)のが力強いなと思いました。先生ね、「今はもうできない」とおっしゃっていましたけど、『夢物語』では全然スピードは劣っていないですよね。むしろ速くなっているかもしれないなと(笑)。
先生、今日のこのお衣装は?

倉田 これはね、50周年なので、50年前に作った洋服。

谷垣 『戦え!ドラゴン』のときのですか?

倉田 これ、撮影では使ってないですよ。何かイベントみたいなので。たぶんブルース・リーのがかっこいいなと真似て作ったのかな。

―1974年に作られた『帰って来たドラゴン』と(新作の)『夢物語』を一つのスクリーンで上映するという、とても貴重な機会です。50年前に撮影されたこの映画、観るからに大変だったろうなと思うんです。そのへんのエピソード、こんなに凄かった、忘れられないことなどがありましたら。

倉田 先週プロデューサーのウー・シーユエン(呉思遠)に会いに香港に行ってきました。2人だけで5時間、広東語で話しました。その中で『帰って来たドラゴン』の話も出て、「あの頃はこうだったよねぇ」と。当時は中国の文化大革命の後で、国境があって行き来ができなかった。その中国大陸が見える小さい島で撮影しました。そこを見ながら「ウー・シエンのバカヤロー!なんでこんなきつい撮影させんだよー!」と(叫んでいた)。ホテルも何もないので、バーベキューやったりね。たまの休みに小さい船に乗って美味しい物を食べに行く。今は橋ができて渡れますけど。

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―谷垣さんはこの時代の香港映画、どう思われますか?

谷垣 観なおしたときに、これはできないなと思いましたね。役者にさせられないし、やれる役者もいない。僕らはこの方たちが作ったレールに乗ってアクション映画を撮っているんですけども、いろんなことを工夫しなきゃいけないわけで。言ってみたら僕らの映画には「味の素」をいっぱい足しているんですよ。味の素がいっぱいまぶされている。これ(帰って来たドラゴン)はほんとに「役者の素材の良さ」を生かした映画。すごいですよね、アクションも。
ブルース・リーが”間”で勝負するというか、”間”の中で一発パカーンとやるとしたら、これは”手”(アクションの動き)が多い。今のアクション映画も”手”は多くなっていますが、これは戦って走って、戦って走って。今も昔もアクション映画のお手本のような映画ですね。パリでオリンピックやってますけど、「アクション」という種目があったらたぶん金メダルじゃない?(笑)観れば観るほどすごい。

倉田 彼とも話したんですけども、当時は(ブルース・リャンと自分)2人だけなので、休憩時間なんてないんですよ。吹き替えもいないし、ただ2人がどうやって何ができるか、キャメラが移動するだけの時間で。一日何十回とやってそれを一ヶ月。

谷垣 移動って言っても、2人だからここからここ移動するだけでしょ?そしたらもう本番でしょ?(笑)

倉田 そう(笑)。そして”手”はついてないですから。”手”というのはアクションの、ここで出してここで受ける、という。

谷垣 今日また「発見」です。”手”があるんだかないんだか、という中でやったんだと思うんですけど、ブルースがぱっと来たら、先生がぱっと引いて(アクション付き)なんというか喧嘩強い人同士、喧嘩慣れした人同士のちょっとしたやりとり、こう動いたらこうやって、というそこんとこが面白いんだろうなぁと。

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―生(なま)の迫力、勢いというのが、50年前のフィルムの中に全部詰まっていますね。

谷垣 そう思いました。

ー今日『帰って来たドラゴン』と一緒に観ていただいた『夢物語』。作られた経緯というのは?どういうところから始まったのでしょう?

倉田 単純なものですよ。77歳になって、コロナであんまり撮影もないので、「77歳どれくらい動けるか、ちょっと竹藪を借りてやろうよ」という話で、1週間竹藪にこもりました。蚊に食われながら(笑)立ち回りをして撮影しました。これはどこに配信するのか、何も決まってない。海外の映画祭に出したら、インドのレイクシティ(国際映画祭)で最優秀短編映画賞をいただいたり、スペインで(アジアサマー映画祭)特別賞をいただいたり。
でも、これは日本では上映できないよねと言ってたら、たまたま今回の企画があり、50年前のアクション『帰って来たドラゴン』と50年後の『夢物語』、この対照はある意味初めての企画だと思うんです。

―谷垣さん、この『夢物語』変わらないと言われました。

谷垣 いやもうすごいとしか言いようがないんですよね。50年前の映画ですから、この中にはもう亡くなられた方もいますし、俳優やっている方もいる。ただ俳優はやっているけど現役感のない方もいるのに(先生は)一人だけ現役感バリバリ(笑)。

―ほんと、変わらないところがすごいですね。

谷垣 『夢物語』は何か言うのが野暮になるくらいすごい。『夢物語2』もあるんですよね。
『無敵のゴッドファーザー/ドラゴン世界を征く』と上映するとか。観たいと思いません?

倉田 今回上映するよ。

谷垣 あっもうやってるんですか?

―8月9日から2にあたる『夢物語 奪還』が併映になりますので、もう一度ご来場ください。『夢物語』もシリーズ化して、毎年倉田さんに撮っていただくとか。谷垣監督の『夢物語』シリーズをぜひ。

倉田 その話をしていたんですけどね、彼が忙しくて。

谷垣 いやいやいや。

倉田 谷垣健治監督で、79歳の倉田保昭のアクションをぜひね、撮ってもらいたいんですけど。

―みんな観たいなと思いますよね?(拍手)

倉田 彼もね、ほんとにもう私の手の届かないところへ行ってしまって。

谷垣 ちょ、ちょっと待ってください、先生。こっちの話をしましょう。これ(ポスターを指す)。(笑)

―ほんとに大活躍されています。お話面白くて延々と聞いていたいのですが、今日はお時間がありません。この続きは、売店にも売っております倉田保昭著「帰って来たドラゴン」(「和製ドラゴン放浪記」(1997)から改題して再販)を読んでいただくと、その撮影背景とか、台湾で出演した時とんでもない話とかいっぱい出てきます。ぜひお買い求めいただければと思います。

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―では最後に一言ずつ。

倉田 これから全国に挨拶に回りますけど、とにかく東京で皆さんに観ていただかないと話にならないので。1人でも多くの方に観ていただきたいと思います。よろしくお願いします。(拍手)

谷垣 50年前の映画という事で、僕も今日初めてスクリーンで観ました。面白かったです。こういう映画は今後もう作られないと思うので、皆さんが生き証人になったと思って伝えていってください!よろしくお願いします。

ースクリーンで観る機会は多くないので、ぜひよろしくお願いします。

谷垣 まだスクリーンで観たい作品、僕いっぱいあるんで。ね。(と倉田さんへ)

倉田 キング・オブ・カンフー?

谷垣『激突!キング・オブ・カンフー』とか観たくないですか?(拍手)
ねぇ、僕はスクリーンで観たいですよ、ほんとに。『ファイナル・ファイト 最後の一撃』と同時上映とかね。(拍手)

ー企画もこれからまた進めていければと思います。本日はありがとうございました。(拍手)

(取材・写真 白石映子)

『ヴァタ ~箱あるいは体~』亀井岳監督インタビュー

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マダガスカルの音楽と死生観に魅せられた亀井岳監督が、全編マダガスカルで撮影したロードムービー

SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2022で、国内コンペティション作品でありながら、全編マダガスカルで撮影した映画として注目を集め、みごと観客賞を受賞。 
高校時代からマダガスカルの音楽に魅せられてきた亀井監督。旅と音楽をテーマに、ドキュメンタリーとドラマを融合させるスタイルで映画を製作してきた亀井監督は、2014年、2作目の『ギターマダガスカル』を完成させるも、撮影時にマダガスカルの南部で偶然出会った、遺骨を入れた箱を長距離に渡り徒歩で運ぶ人々のことが忘れられず、初の全編劇映画となる監督3作目もマダガスカルで製作することを決意。音楽によって祖先と交わってきたマダガスカルの死生観を元に、家族を失った人々がその悲しみをどう乗り越えていくかという普遍的なテーマの映画を全編マダガスカルロケで、マダガスカル人のキャストのみで製作されました。
この度、公開を前に、亀井岳監督にお話を聴く機会をいただきました。マダガスカルでの撮影のこと、音楽や食文化のことなど、未知の国マダガスカルのことをお伺いしました。


『ヴァタ ~箱あるいは体~』

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© FLYING IMAGE

監督・脚本・編集:亀井岳
撮影:小野里昌哉 音楽:高橋琢哉
録音:ライヨ トキ
出演:フィ、ラドゥ、アルバン、オンジェニ、レマニンジ、サミー

マダガスカル南東部の小さな村。
この地では、亡くなった故人の遺骨を、故郷の村人が生まれ育った場所に持ち帰らなくてはいけない。長老が男たちを集め、出稼ぎの地で亡くなった少女ニリナの遺骨を持ち帰って来るよう伝える。その命を受け、ニリナの弟タンテリとザカ、スル、そして離れ小屋の親父の4人は、楽器を片手に片道2、3日かかる村へ旅に出る。
4人は途中、出稼ぎに行ったまま行方知れずの家族の消息を求めて旅するルカンガの名手・レマニンジに遭遇。
果たして4人は、無事ニリナの遺骨を故郷に持ち帰り、ニリナは“祖先”となれるのか。レマニンジは、家族を見つけ、長い旅を終えられるのか。
作品紹介

2022/日本、マダガスカル/85分/カラー/アメリカン・ビスタ/ステレオ
製作:亀井岳 櫻井文 スアスア
配給:FLYING IMAGE
公式サイト:https://vata-movie.com/
公式X: https://www.twitter.com/vatamovie
公式Facebook: https://www.facebook.com/VataMadagascar
公式Instagram:https://www.instagram.com/vata_movie
★2024年8月3日(土)より渋谷ユーロスペース、8月24日(土)より大阪・第七藝術劇場ほか、全国順次公開



亀井岳 (Takeshi Kamei)
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1969年9月3日生まれ。大阪府出身。
大阪芸術大学美術学科卒業、金沢美術工芸大学大学院修了。2001年、造形から映像制作へと転身。旅と音楽をテーマに、ドキュメンタリーとドラマを融合させるスタイルで映画を監督。監督デビュー作はモンゴルの喉歌をテーマにした『チャンドマニ 〜モンゴル ホーミーの源流へ〜』(09)。マダガスカルの人々の営みと音楽を主題にした2作目『ギターマダガスカル』(14)は、2016年にマダガスカルの首都アンタナナリヴでも上映された。本作は、監督3作目となる。


◎亀井岳監督インタビュー
【取材】 撮影:宮崎暁美(M)、まとめ:景山咲子(K)


K:SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2022での観客賞受賞おめでとうございました。 文化人類的なことに関心がありますので、とても興味深く拝見しました。
SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2022の折の公式インタビューに、お聞きしたいことは、ほとんど網羅されていたのですが、それを踏まえてお伺いしたいと思います。

日本から遠いマダガスカルですが、死後もラザナ Razana(祖先)として永遠に生き続けているという考え方は、日本人にも通じるところがありますね。マダガスカルの改葬儀礼「ファマディハナ」 は、沖縄で数年後に洗骨する風習と似ていると思いました。今回出てきたマダガスカルの方たちの信じる宗教は?

監督:土着の宗教とキリスト教が半々です。敬虔なクリスチャンの人もいる一方、そうでもない人もいます。
ムスリムは北部にはいて前作の『ギターマダガスカル』には出てきていて、お酒を飲まない方もいるのですが、『ヴァタ』の舞台である南部ではムスリムは少ないです。


◆どんな環境の中で生まれた音楽なのかに興味
K:浪人生だった30年くらい前に、ワールドミュージックのブームの中で、大阪の輸入レコード屋さんでマダガスカルの音楽に偶然出会って惹かれたとのことですが、その後、実際にマダガスカルに初めて行かれたのは、いつ頃ですか?  

監督:2014年に初めてマダガスカルに行きました。

K:その時には映画を撮るつもりではなかったのでしょうか?

監督:いえ、撮ろうかなと思って一度行ってみようと思いました。

K:1作目でモンゴルの音楽を題材にされて、次にはマダガスカルの音楽という思いがあったのでしょうか?

監督:ありましたね。1作目の『チャンドマニ 〜モンゴル ホーミーの源流へ〜』を撮ったときに、モンゴルのホーミー(モンゴルの伝統的歌唱法)が長い間遊牧されてきた方たちが生活の中から生み出したものだと知りました。自分の好きなマダガスカル音楽は、マダガスカルの人たちがどういう環境で営みを続けてきた中でできたのか興味が沸いたので、行ってみようと思いました。

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© FLYING IMAGE

M:そうして作られたのが前作『ギターマダガスカル』ですが、その中で子供たちが歌っているところで、ホーミーの唸り声のような歌が聴こえて、モンゴルと繋がっているのかなと思いました。

監督:あれは実は私が後ろでホーミーの練習をしていたのですよ!(笑) まさか気づいてくれる人がいるとは!

◆偶然出会った「骨を運ぶ人々」をテーマに脚本を書いた
K:前作の撮影時に出会った「骨を運ぶ人々」が忘れられなくて、ファンタスティックな劇映画として作り上げたとのことですが、『ヴァタ ~箱あるいは体~』では、マダガスカルの人たちの死生観にも踏み込んでいます。かなりのリサーチを経て、脚本を書かれたことと思います。

監督:リサーチには2回行きました。2回目の時には、脚本もほぼ出来ていて、キャスティングも行いました。
やろうと決めてから数年で撮影に入りました。


K:日本語で書いた脚本を、マダガスカル在住のコーディネーター・櫻井文さんがマダガスカル語に訳し、それをさらに、マダガスカル人のスアスアさんが納得のいくものにしたとのことですね。出演したマダガスカルの方たちにも、すんなり受け入れられたのでしょうか?

監督:ものすごくたくさん台詞があるわけじゃないし、見たらわかるように絵コンテも描きました。

K:出演者が皆、とても魅力的でした。

監督:村の長老に遺骨を運ぶよう命じられるタンテリとザカとスルの三人組は、『ギターマダガスカル』の出演者・トミノの一族の3人。 離れ小屋のオヤジを演じたサミーは首都アンタナナリヴで活躍するミュージシャンで、僕が20歳位の時にすごく好きで聞いていたバンド「タリカ・サミー」のサミー。タバコ屋のレマニンジは南西部の大きな町チュレアールの有名人でアンタンルイ族です。

K:皆さんの楽器は手作りですね。

監督:自分で作ったり、楽器作りの得意な人に作ってもらったりしています。プロで音楽をやっている人は安定感がある既製品のギターを使うこともあります。

M:手製の楽器は味があっていいですね。楽器を買うだけの金力のある人は少ないのでしょうね。

監督:地方では、現金収入がなかなかありませんし、物が出回ってないので、手作りのものが多いですね。

M:遺体を故郷に戻すという映画は観たことがあるけれど、骨を故郷に戻すのは初めて観ました。日本だけでなく、死んだら遺体を故郷に戻すという映画は、中国、韓国、南米、トルコなどのものを観ていますが、この映画では、マダガスカルで土を掘り起こして骨を持って帰るということがあると知りました。

K:沖縄では何年か経って洗骨の風習がありますよね。

監督:今はその風習も無くなっていると思います。骨は白くて永遠に残ります。肉は腐るので不浄のものという考えがあると思います。我々も遺骨を大切にしますので、その感覚は近いと思います。 

M:遺体を布で包んであるのを包みなおしていましたが・・・

監督:ぐずぐずになっているので、4~5年に1度、お墓から先祖の亡骸を出して、新しい布で綺麗に包みなおします。「ファマディハナ」といいます。それがちゃんと出来るのはある程度お金を持っている人だけです。

K:お墓はどんな形ですか?

監督:地域差があります。石を積んだり、生前好きだったものが描かれているもの、山の斜面だったり。地方によって特徴はあると思いますが、決まった形はありません。

K:お墓というと町外れにあるイメージですが。

監督:確かに生活圏の中でなく町外れでみましたね。

M:お姉さんが隣村に出稼ぎに行って亡くなったとありましたが・・・

監督:産業が何もないところなので、家事手伝いくらいしか仕事がないのです。
マダガスカルの南部は飢饉もひどくて、食べるものもなくて大変です。
撮影隊もダニに襲われました。彼らは地元の人は襲いません。移動している外国人などが狙われます。

K:木の上でコーヒーの実を取っている人が印象的でした。

監督:祖先の世界と今を行き来する、その間にいる存在です。彼はイタコではないです。地上と天上の間の木の上にいる設定です。彼とはたまたま出会いました。南東部の河の河口が広くて、渡し船で渡るのですが、エンジン付きの船が動かない時には、丸太船を漕いで渡ったり、泳いでいく人もいます。
船着き場の傍らで用足ししていたときに、目の前でごそごそ動いている人がいて、声をかけられたという出会いでした。


M:幽霊のような存在がありましたが。

監督:「ルル」というのですが、日本の幽霊の概念に似ているところもあります。成仏していません。


◆タイトル「ヴァタ(箱)」に込めた思い

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© FLYING IMAGE

K:マダガスカル語で「ヴァタ」は[箱]、映画の舞台の南部では[体]を意味する単語でもあると聞きました。遺骨を入れるのも箱ですし、ギターも箱に見えました。タイトルに込めた思いをお聞かせください。

監督:「箱」は非常にキーになっています。 骨を入れる箱と楽器の箱。肉体が腐って骨になったという身体性があります。
マダガスカルに住む人たちは、諸説ありますが、約1500年位前に東南アジアから来られた人たちが祖先なのですが、持ってきた中に楽器もあったと思います。竹の中に弦を張ったヴァリハという弦楽器から始まっています。おなじような楽器がインドネシアやフィリピンなどにもあります。「箱」はマダガスカルのルーツである楽器ヴァリハのイメージでもあります。 今回の映画にはヴァリハは出てないですが。


K:マダガスカルは島ですし、アフリカ大陸とも違う文化ですね。

監督:全然違いますね。大陸との間に、モザンビーク海峡があって、50kmくらいなので、頑張れば泳いで渡れそうですが、流れが急らしいです。

K:インドやアラブ、東南アジアなど、海を渡ってきた文化がマダガスカルにはあって、面白いですね。
マダガスカルといえば、バオバブの木が思い浮かぶのですが、特に強調されていなかったように思います。

監督:この映画には、マダガスカルの動植物として有名なバオバブもカメレオンも出てきません。バオバブは西の方の乾燥した地域にあります。1本くらいあれば使いたいと思ったのですが、南のほうにはありませんでした。

M:帽子を家の中でもかぶっていたのが印象的でした。

監督:家の中でかぶっていたのはたまたまだと思うのですが、帽子は民族によって違います。四角、丸、とんがっている帽子や印がついているものなど、いろいろあります。


◆前作はフランス文化センターで上映会
K:マダガスカルには映画産業がほとんどないのだそうですね。

監督:今は映画館も出来たと聞いているのですが、映画館にかけるような映画を作っているかどうかは知らないです。今はYouTubeの時代で、YouTubeで流すインデペンデント映画を盛んに作って、稼いでいるみたいです。

K:『ギターマダガスカル』と『ヴァタ ~箱あるいは体~』は、マダガスカルの人たちに観てもらう機会はあったのでしょうか? どんな感想をいただきましたか?  出演者の方、一般の方、それぞれの感想は?

監督:『ギターマダガスカル』は、2016年に現地で大使館が企画して、フランス文化センターで上映会を開いてくれました。当時、マダガスカルで唯一映画が上映できたホールです。現地の方も喜んでくれました。楽しんでもらったと思います。
『ヴァタ ~箱あるいは体~』は、まだ現地で上映会を開いていませんが、スタッフには観てもらいました。



◆味付けは、どんな食材もトマトソースで!
K:骨を運ぶ人たちに南東部で会ったので、本作は南東部で撮影されたけれど、不便な場所で大変だったそうですね。

監督:あとで考えたら、あんなに遠くまで行く必要はなかったのですが・・・ 首都アンタナナリボからちゃんとした四駆の車で行っても3日かかります。クルーの大半は飛行機で行って、そこから車で移動したのですが、現地で車も必要なので、首都から車で行ってもらったスタッフもいます。外のロケが多い映画なので、雨が降ったら全然撮影できませんでした。

K:撮影隊の人数は少なかったのですか?

監督:クルーは25人で、日本からは4人。ドライバーや料理をする人も含めての人数です。テントや小屋で寝泊まりしました。長編の劇映画は初めて監督したので面白かったです。

K:料理はどんな感じですか? お米をよく食べるそうですが。

監督:三食お米です。でんぷん質の高くない痩せているお米。いっぱい食べてもそんなに腹持ちがよくないです。

K:味付けが気になります。

監督:小さな缶詰のトマトソースがあって、なんでもそれで味付けします。肉でも魚でも海老でもなんでも、トマトソースと塩。どれも味が似ています。
冒頭に出てきた船は、伊勢海老取りの船です。小ぶりの伊勢海老は売り物にならないので、それを買ったのですが1匹 50円くらい。「トマトソースは入れないで」とお願いして、ゆでたり、焼いたりしてもらいました(笑)。


K:辛くはないのですか?

監督:辛い薬味はあります。美味しいと思います。フランスの植民地だったので、フランス料理も安く食べられます。田舎に行ったら、昔のフランスの影響でパンを炭火で焼いていて、めちゃくちゃ美味しいです。ホウシャガメも食べます。ハリネズミ、ホロホロ鳥、コウモリも美味しい。鰻も川で取れます。輪切りにしてトマト煮(笑)。繊細な料理はできません。

M:テレビでマダガスカルを観ることはありますが、トマトソース味の料理は観たことがなかったです。

監督:テレビクルーは、マダガスカルのコーディネーターが連れていくので、報道で観れるものは同じ。パターンが決まっています。

M:そういう意味で、この映画で観たマダガスカルの文化は新鮮でした。


◆『スターウォーズ』そして『宇宙からのメッセージ』の衝撃
K:高校時代にすでに映画部に入っていたのに、それも忘れていたとか。
小さい時に観た映画でこれはという映画は?

監督:『スターウォーズ』ですね。小学校2年生の時に観て、衝撃的でした。凄すぎて!
1978年の『宇宙からのメッセージ』という日本映画が、『スターウォーズ』の半年後くらいにできたものですが、まるで『スターウォーズ』。ショックを受けて愕然としました。真田広之さんが出ています。


K:『宇宙からのメッセージ』、ぜひ観てみたいです。 監督の次の作品も楽しみにしています。
本日はありがとうございました。

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★取材を終えて
アフリカには子供のころから興味があって(60年以上も前です)、小中学校の頃にはアフリカを舞台にした動物ものや冒険もの、20世紀の新発見というような本をよく読んでいました。
ジュール・ヴェルヌの「八十日間世界一周」を読んで、いつか世界一周の旅に出たいと思っていたので、2018年にピースボートで世界一周の旅に出たのですが、その時にマダガスカルにも行く予定でした。ところがインド洋のまんなかで右肩を脱臼してしまい、マダガスカルの手前のモーリシャス諸島から日本に帰ることになり、マダガスカルには行けませんでした。子供の頃からマダガスカルのバオバブの樹に興味があったので、マダガスカルにとても行きたかったのですが、そういうわけでマダガスカルにたどり着けず、とても残念でした。
そのマダガスカルと音楽に高校生の頃から興味があったという亀井監督。その頃からの好きが高じて、マダガスカルに行き、しかもマダガスカルを舞台に映画を作ってしまったという。とてもすてきな話だなと思いました。そして、できた映画では、これまでTV番組で伝えられてきたマダガスカルとは違う光景や文化を知ることができました。しかも、死んだ人の魂や骨を故郷の土地に戻すという風習は、この国にもあるらしい。とても興味深かった(暁)。

私も若い頃から民族音楽に惹かれましたが、ただただ聴くだけでした。亀井監督は、各地の音楽が、人々がどういう営みをしてきた中から生まれたものかを追求されて、映画まで作ってしまいました。さらに、本作は現地で偶然出会った箱に入った骨を運ぶ人をテーマに、ご自身で脚本まで書いて、現地の方たちに演じてもらったという稀有な映画。次のターゲットはどこなのか、とても楽しみです。
そして、今回のインタビューの中で、一番印象に残ったのは、食べ物のこと。どんな素材も同じトマトソースで味付けしてしまうという話が面白かったです。トマト味は大好きですが、伊勢海老は、私も単純に茹でるか焼くかでいただきたいです。(咲)