『西湖畔(せいこはん)に生きる』グー・シャオガン監督トーク付き上映会

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新宿シネマカリテ、Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下ほか全国順次公開中の『西湖畔(せいこはん)に生きる』の顧暁剛(グー・シャオガン)監督が先行上映会に登場し、映画の上映後トークショーが行われました。
 
1作目の『春江水暖〜しゅんこうすいだん』が日本でスマッシュヒットしたグー・シャオガン監督。2作目の『西湖畔に生きる』は、去年10月の第36回東京国際映画祭(2023)で上映され、その際に来日。それ以来の来日をし、8月27日に先行上映と監督のトークショーが行われた様子をまとめました。
東京国際映画祭では、黒澤明賞(新たな才能を世に送り出していきたいとの願いから、映画界の未来を託していきたい映画人に贈られる賞)を受賞。山田洋次監督とのトークショーも行われています(記事はこちら)。

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©Hangzhou Enlightenment Films

『西湖畔(せいこはん)に生きる』 ストーリー
浙江省杭州の西湖畔。中国緑茶・龍井茶の産地として有名な西湖の沿岸に暮らす母と息子の関係を軸に、マルチ商法など経済環境の変化の中で揺れる家族の姿を美しい風景の中に描いた。10年前に父が行方不明になり、母の苔花と生きて来た青年目蓮。父を探すためにこの地で進学。卒業を控えて、今は求職活動をしている。
母の苔花は茶摘みで生計を立てていたが茶商の錢と恋仲に。茶摘みの仕事ができなくなり、苔花は同郷の友人に誘われ、マルチ商法に取り込まれ、詐欺まがいの仕事にのめりこんでいった。
マルチ商法の地獄に落ちていく母・苔花(タイホア)役を蔣勤勤(ジアン・チンチン)が演じ、母を救おうとする息子・目蓮(ムーリエン)を呉磊(ウー・レイ)が演じ、母子を守ろうと心を寄せる茶畑の主人に陳建斌(チェン・ジエンビン)が扮した。
シネマジャーナルHP作品紹介
『西湖畔に生きる』公式HP

グー・シャオガン監督トークショー
2024年8月27日(金) Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下にて

司会 ムヴィオラ 武井みゆきさん 通訳 磯 尚太郎さん

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●「山水映画」というのも1つのジャンルになるのではないか

顧暁剛監督 幸運なことにたくさんの方に注目していただき、東京国際映画祭では山田洋次監督と対談もできて夢見心地でした。今回また日本に来て、さらに多くの皆さんに作品をお見せできることがとてもうれしいと同時に皆さまに親しみを感じています。

司会 1作目の『春江水暖』でファンになった方も多いと思います。この『西湖畔に生きる』はまだ長編2作目です。去年の東京国際映画祭でこの映画を観ている方もいると思いますが、1作目とタッチが変わったんじゃないかとすごく驚いた方もいらっしゃると思います。前作『春江水暖』は、主に監督の親戚がキャストとして出演していましたが、本作ではウー・レイやジアン・チンチンといった中国映画界のスター俳優が参加しました。長編2本目でスケールアップしましたが、大きな勇気がいったと思います。西湖を撮っている、山水というところには共通点はあると思いますが、監督は、なぜ2本目でこのような変化をしてみたいと思われたのですか。

監督 私は映画学校で制作を学んだわけではないんですね。前作は初めての長編劇映画で、インディペンデントな方法で製作しています。その時からもっと多くの映画の技法を学びたいという気持ちがありました。今回、幸運なことにスター級の俳優を起用することができ、映画産業のルールにのっとった商業的な映画の製作ができて、このような規模がまったく違う方法で製作できました。
前作『春江水暖』は、幸運にもたくさんの方に好きと言っていただけましたが、これを撮っている時は、まだ「山水」と映画の関係について、ちゃんと考えていたわけではないのです。『春江水暖』を公開した時には3本の「山水映画」を撮ると言っていたのですが、『西湖畔に生きる』の中ではそれを訂正しました。この映画の冒頭で墨文字が出てきましたが、そこに「無数の山水画がある、無数の山水映画がある」というような表現をしました。
『春江水暖』が山水画の「富春山居図」を元にして「山水」という映像言語の可能性を提示したものであったとすれば、『西湖畔に生きる』では「山水」が、クライム映画とかロマンスとかロードムービーのようなジャンルというように、映像言語の1つであるジャンルになる可能性について追及しようと思いました。

●冒頭シーンはどの段階から考えていたのでしょうか

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©Hangzhou Enlightenment Films

司会 この映画の冒頭、山起こしをするシーンまでのドローン撮影が圧巻ですが、あのすごい映像は、脚本を書いている段階から考えていたのでしょうか。

監督
 脚本を書いている段階であの描写を考えていました。
『春江水暖』の時は長回しの技法をたくさん使いました。長回しというのは、右から左、左から右へと、技術的には複雑なことではありません。しかし、時間と空間の理解とか概念というのがこれまでと違っていて、山水画に由来するものでした。たくさんの登場人物たちが、いろいろな時間と空間を共有しています。
『西湖畔に生きる』では、山水画の遊観という原理を使いました。これは必ずしも写実的な映し方ではありません。ひとつの画面の中に複数の空間、異なる時間を並列させておくという考え方です。冒頭のシーンはその考え方を映像にしたものです。

●映画のみどころ 俳優たちの熱演

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©Hangzhou Enlightenment Films

司会 最初のドローン撮影とともに、この映画ではジアン・チンチンさんのすごい熱演というか狂気というのが心に残りました。また息子役のウー・レイさんの純粋さというか、こんなにも目の綺麗な人っているんだなあと映画を観て驚きました。

監督 今回、初めてプロの俳優たちとの仕事をすることになりました。今思い出すと彼らと仕事ができたことは夢のようなことだったと思います。彼らと一緒に役やキャラクターを作っていきました。今しがたこの舞台にのぼる前に外で最後に流れる歌を聴きながら「今回の撮影は本当に地獄の旅のようだった」感じていたところです(笑)。
橋の下でジアン・チンチンが絶叫するシーンでは、ウー・レイは、本当に心が崩壊してしまいそうになりました。お母さんに気持ちを投入し、「自分の母親がまったく違う母親になってしまった」と思って演じてくれました。撮影が終わった後もつらくて1時間ほど泣き続け、ずっと芝居から抜け出すことができないそういう状態でした。
ジアン・チンチンとウー・レイはあのとき、タイホアとムーリエンを演じていたわけではなく、かといって彼ら自身だったわけでもない。多くの母子の情感や魂が彼らの上に降臨してあの演技ができたのだと思います。
それと、もうひとつ思いだすのは、ウー・レイがお母さんを背負って山の中に入っていくシーンです。あのシーンを撮った時はすでに寒くなっていて、スタッフはコートを着ていました。ウー・レイは風邪気味で、コンディションが良くなかったのにジャン・チンチンを背負って山を登らなくてはならないという状態でした。調子が悪そうだったので翌日に回そうかなと思ったのですが、その撮影場所まで往復4,5時間かかる場所だったし、スタッフがたくさんいるので、ウー・レイは早く撮影を終わらせようと頑張って登ってくれたのです。
撮影の時に吐き気をもよおすシーンがありますが、これは演技ではなく、ほんとにつらかったんです。撮影が終わった時には彼はヘトヘトで、しかも、そこから2時間かけて山を下りなくてはならないという状態でした。ウー・レイは「今生の中で一番暗かった時間だった」と言っていました。

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©Hangzhou Enlightenment Films

もう一つ大変だったのは、この映画の撮影時期はコロナ禍で出資を募るのも簡単にはいかなくて、撮りながら出資を募っていくという状況でした。その中でジャン・チンチンとウー・レイも出資してくれたんです。そこまで映画を信じてくれました。今回、役者たちの信頼を得て撮影を行っていく中で、普通の仕事の関係を越えた感情で結ばれるようになったと思います。私は魂を差し出す、魂を交換するということがよくわかりました。大雨のシーンの一瞬は役者たちの力がすべてでした。俳優たちは皆、私たちのチームを信頼して、身と心を預けて演じてくれました。私はあの雨のシーンの撮影で魂の交感を本当に実感しました。
そして、もう一つ大事だったのは、あの撮影の現場に茶畑の主人を演じたチェン・ジエンビンさんもいたということです。彼も私たちのことを完全に信頼してくれました。実は彼はジャン・チンチンさんの本当の夫で、妻であるジャン・チンチンさんを励ましてくれました。そういう手助けがあって演技ができたんだと思います。
と、撮影を振り返りながら俳優たちへの深い感謝を語っていました。

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観客からの質問コーナー

質問 中国では検閲がネックになっていると思いますが、どのように乗り越えたのでしょう。

監督 その点でも大きな挑戦ではありました。映画の企画、テーマも大きな冒険の旅だったと思います。マルチを扱った映画というのは、これまで中国ではなかったのです。それが、なんとか形にできたのはプロダクション、配給会社、スタッフ、キャストの信頼があってこそだったと思います。それによって、今回、チャレンジ、様々な冒険を経て、このテーマの映画を撮ることができたと思います。完成して公開され、中国では良い成績を残すことができたのは、この映画にとって大きな成功だったと思います。

質問 先ほど言っていましたが、山水映画はどんなテーマと結び付くのでしょう。

監督 素晴らしい質問ありがとうございます。「山水」というのは、直感的に目に見えるもの、耳に聞こえるものなど直接の風景などもある以上に「澄懐観道」という四字熟語が山水映画のテーマとしてあるんです。心を澄ませて道を見るということ。ホウ・シャオシェン監督や小津安二郎監督らの作品がどうしてあんなに素晴らしいかというと、そこに彼らの人間世界に対する愛や、人の世に対する彼らの見方があるからだと思います。だから時空を超えた芸術作品としての価値を持つことができたんだと思います。だからこそ彼らの作品は「澄懐観道」だったと思うんです。
『春江水暖』も、この「澄懐観道」を目的としていました。ただそれは直接的ではない方法で描かれました。家族の物語でしたが、「循環・輪廻」を描いていました。『西湖畔に生きる』は、いかにして人間が本来の自分に戻ってこれるかを主題にしています。日本版のポスターやチラシの右上に「そのほとりには天上が在り地獄が在る。」とキャッチコピーがありますように、人の世の中、天国と地獄の両方が存在する。現代文明では、社会から教育とか価値観によっていろいろことが吹き込まれる。でもそれはほんとの意味での自分ではないので、「本当の自分」というのを模索したかったんです。天国と地獄、人間の心にある神と悪魔の部分を違った撮影形式で表現した作品になっています。
マルチ詐欺の場面は山水映画の言語として、観察者の視点で客観的に撮ることもできました。ただ今回はジャンルとしての山水映画を探求したかったので、観察者の視点をやめ、もっと入り込んだ視点で撮ることにしたんです。人間の心にある神と悪魔の部分を違った撮影形式で表現しました。風景を映すときは神のような視点で、マルチ詐欺の部分は入り込んだまなざしで地獄を描きました。今回はクライムの映像としての可能性を広げられないかということを考えたのです。

質問 タイホアが茶摘みの仕事で家計を支える設定にした理由は? 

監督 核心的な質問なので、どうやったら簡単に答えられるかですね(会場爆笑)。この話は「目連救母」という仏教故事をもとにしていて、目連は宗教的な意味を帯びた登場人物です。それを現代的に翻訳する上で「茶」がすごく大切だったんです。中国の原題は「草木人間」で、‌「茶」の文字を分解したものです。要するに、人間が草木の間にいるということです。この題名には、私自身深い意味、感情を込めたものです。この映画の中では「茶」というのは3つに分けて出てきます。ひとつは銭さんが煎っているお茶です。西湖龍井茶でとても高いんです。経済的なお茶です。また宋代のお茶のてん茶の技法。日本の抹茶的な技法です。それから唐代のお茶の技法が出てきます。「茶禅一味」といって、茶は禅に通じるものがあるということです。この映画の中では、人間を越えた神のような存在、タイホアは悪魔のようなもの。神と悪魔が自分探しをするんですね。仏教故事を現代の物語として描く上でお茶というのが大切な道具になりました。

司会 監督、次回作のことも含めて最後の挨拶をお願いします。

監督 次作、第3作ですが、やはり山水映画です。家族の物語で、ラブストーリーの要素が強くなると思います。今までとは違い、撮影のスタイルを決めてから脚本を書いています。できるだけ早く皆さんにご覧いただけるように頑張ります。
今日は遅い時間まで長くお付き合いいただき本当にありがとうございます。すばらしい夜でした! 気をつけてお帰りください。

笑顔の監督に、観客からは大きな拍手が!

トークショーを終えて
監督の答えがすごく長く、翻訳をする方はとても大変だったと思いますが、完璧な翻訳でした。四文字熟語についても、私たちにわかりやすく説明してくれました。それにしても、1問1問に丁寧に答えてくれた顧暁剛(グー・シャオガン)監督。最後の方、司会がなるべく短くお願いしますと言ったら、どうやって短くまとめるか考え込んだ監督でした(笑)。終わってみれば、1時間半。充実したトークショーでした。 
取材・写真 宮崎暁美