2018年7月14日(土)よりポレポレ東中野で公開されましたが、初日に再度インタビューすることができました。山形国際ドキュメンタリー映画祭でインタビューした時は、作品の内容や撮影時のエピソードなどについて質問させてもらいましたが、今回は日本公開されることになっての思いや、各国で上映されたり、映画祭に参加したり、山形で賞をもらったあと、生活や映像製作などにどんな影響があったかなどについて聞きました。
以前のインタビュー記事、作品紹介などは下記サイトをごらんください。
シネマジャーナルHP 陳梓桓(チャン・ジーウン)監督インタビュー記事
(2017年山形国際ドキュメンタリー映画祭)
http://www.cinemajournal.net/special/2017/yellowing/index.html
『乱世備忘 僕らの雨傘運動』シネマジャーナルHP 作品紹介
http://cinemajournal-review.seesaa.net/article/460532836.html
陳梓桓(チャン・ジーウン)監督インタビュー
2018年7月14日 ポレポレ坐にて
編集部 山形で取材した時は、日本公開されるとは思ってもいなかったので、日本公開されることになってよかったですね。おめでとうございます。日本公開されるにあたっての想いを聞かせてください。
監督 このような形で公開されるのは日本が初めてなので、非常にうれしいです。香港ではこのように一般公開されどこかの映画館で上映されるということはできなくて、月に2,3ヶ所での上映という自主上映をしています。台湾ではTVで放映されたりはしたけど、劇場公開はされてはいなくて、劇場公開は日本が初めてです。他の地域ではできなかったことなので、とてもうれしい。
それから日本のメディアも私が想像していた以上に香港に興味を持ってくれていました。前回の来日の時(6月11,12日取材日)、20を越えるメディアからの取材を受けました。また、今回の公開に際して詳しく書かれたパンフレットが作られたり、映画館での展示も行われていて多くの人が香港に興味を持ってくれているということに感動しています。
編集部 台湾でも賞を獲得しましたが、山形国際ドキュメンタリー映画祭で小川伸介賞を受賞して、その後の影響などは?
監督 山形で賞を取った時は、この映画ができてから1年以上たっていました。また、まさか日本で公開されるというチャンスがあるとは思っていませんでしたので、日本で多くの人に観てもらえるきっかけになって良かったと思います。それだけでなく、次の作品にも大きな影響がありました。山形国際ドキュメンタリー映画祭はは大きな映画祭ですから、そこで賞を取ったということで資金集めとかそういった部分でも助けになっていますし、ドキュメンタリーを制作する上でも大きな助けになりました。
編集部 それは良かったですね。雨傘運動から4年が過ぎましたが、ここに登場した彼らの今の状況などを教えてください。
監督 この運動が終わった直後は、一時的に落ち込んだ時期もあったのですが、その後の生活に関しては、やはり影響を受けていると思います。この映画に出てくる多くの人は学生で、毎日、このデモの現場に参加していました。その時は短期間で結果を得られる、民主化に結びつくと考えていたのですが、4年たって実際にはそんなに簡単なことではないということに気がついたわけです。彼らは当時、毎日現場に出ていたのですが、今は日常の生活の中で、それを生かしていくということを考えるようになっています。
たとえばラッキーは、今は小学校の先生をしていて、英語を教えているのですが、英語を教えると同時に、子供たちがどのように社会に関心を持たせるかということを考えています。短期間の運動への参加から、日常にできることへの模索というものに変化しています。つまりラッキーは教育というやり方で日々の生活の中で続けています。
私の場合は、引き続き香港を撮るととか、この作品の上映を続けてゆくというやり方を取っています。
編集部 お父さんが、このデモにはあまり賛成ではなかったといっていましたが、この作品が海外で上映されたり、賞を取ったりしたことで見方が変わったりしましたか?
監督 父は私より上の世代の人ですから、この映画によって彼を変えるということは難しいわけです。特に政治的な彼の考え方といのは、この映画によって変わるというのは難しいです。父は長く政府の仕事をしてきていますが、彼にとっては自分の息子が何をやっているのか、ちゃんとした仕事にもつかずに、映画館で上映するような映画も撮らずに何をやっているんだと思っていて、私を認めていなかったのですが、この1,2年、この映画もいろいろなところで上映され、自分の息子がこういうことをやっていたのかと、皆にもそれを認められているということを知ってくれるようになりました。
二つ目は、私の両親は、私が生まれた時にビデオカメラを買って撮影をしていたわけですが、このカメラというのは半月分の給料に値するくらい非常に高価なものだったんですね。当時、母はこのカメラを買うことに反対していたようで、なんでこんなに高いものをということだったんですが、結果的には、その時撮った映像が自分の息子の映画の一部に使われたということで、喜んでいるようです。こういった映像があったということも、私にとって影響があったと思います。
編集部 あの映像は(監督の子供時代の映像がこの作品で流れる)とても大きな効果があったと思います。
香港のインディペンデント映画界に与えた影響とか励ましなどはありますか?
監督 香港では、ここ数年インディペンデントやドキュメンタリーに注目が集まってきているように感じます。私の作品もそうですが、『地厚天高』(雨傘以降の運動)というドキュメンタリーが作られています。これも香港の大きな映画館でかけられるような作品ではないのですが、香港では最近では多くの人が、こういう作品に興味を持ってくれているし、見に来てくれるようになりました。もともと、インディペンデント映画というと、つまらないとか、娯楽性が少ないというイメージをもたれていたのですが、最近はインディペンデントの映画というものに対しての見方も変わってきています。それはここ10数年、メインストリームの香港映画が中国との合作が増えている中で、テーマも香港とは関係ないものになっていったりしているわけですが、むしろインディペンデントの映画の中に自分たちに近いテーマがあったりとか、政治的なものもそうですが、香港のより近い話題で、商業映画とは違ったものがそこにはあるということで、最近はより注目を集めています。
若い人でも、最近はインディペンデント映画に取り組む人が増えています。『十年』という映画の影響も大きかったと思います。
最近では、私より若い人たちでさえ、取り組む人たちが出てきて非常に簡単な方法で、映画に取り組むようになっています。たくさんいるというわけではないですが、こういう人が増えていくことで、それが力につながっていくと思います。
編集部 ありがとうございました。
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