過去に学び、未来を拓く、ドイツ市民のエネルギー革命
福島第一原発の事故から3ヶ月後の2011年6月、ドイツは2022年までにすべての原発を廃炉にし、再生可能エネルギーへの転換を決めた。しかし、当事国の日本は事故収束の糸口も見えないまま原発の再稼動が始まり、原発輸出の話さえ出てきた。両国の違いはどこからくるのか。答えを求めて監督はドイツに向かった。
出会ったのは各地で(都市、村、学校、教会、ホテルなど)脱原発と自然エネルギーへの情熱を燃やし、実践する人々。第二次世界大戦でのナチスの行いを反省し、1968年の学生運動をきっかけに芽生えた市民運動、そして緑の党。反原発、環境保護を政治に反映し、脱原発を次世代に繋げようとしているドイツ市民の姿を映像に収め、市民の手で政治の方向は変えられると教えてくれる。
坂田雅子監督プロフィール 公式HPより
1948年、長野県生まれ。65年から66年、AFS交換留学生として米国メイン州の高校に学ぶ。帰国後、京都大学文学部哲学科で社会学を専攻。1976年から2008年まで写真通信社に勤務および経営。2003年、夫のグレッグ・デイビスの死をきっかけに、枯葉剤についての映画製作を決意。ベトナムと米国で取材を行い、2007年、『花はどこへいった』を完成させる。本作は毎日ドキュメンタリー賞、パリ国際環境映画祭特別賞、アースビジョン審査員賞などを受賞。2011年、NHKのETV特集「枯葉剤の傷痕を見つめて~アメリカ・ベトナム 次世代からの問いかけ」を制作し、ギャラクシー賞、他を受賞。同年2作目となる「沈黙の春を生きて」を発表。仏・ヴァレンシエンヌ映画祭にて批評家賞、観客賞をダブル受賞したほか、文化庁映画賞・文化記録映画部門優秀賞にも選出された。2011年3月に起こった福島第一原発の事故後から、大国の核実験により翻弄された人々を世界各地に訪ね、取材を始める。2014年、それらをまとめ『わたしの、終わらない旅』として発表。
公式HP http://www.masakosakata.com/
『モルゲン、明日』
坂田雅子監督インタビュー
宮崎 暁美
*思いと行動
編集部 今回の作品は『わたしの、終わらない旅』(2014年)の続編のような、原発に対してどう立ち向かうのかという人々の声とか実践とかを表現したものだと思うのですが、どのような流れで作ったものですか。何かにせかされてというか、つき動かれてという感じですか?
坂田監督 東日本大震災のあと、ほんとに目の前に危機が迫っていて、家でのんびりしていられないという気持ちがしました。TVを見ていてもはがゆい。自分の目でどうなっているか確かめたいという思いがありました。
編集部 そこはやっぱりすぐに行動に移せる人とそうでない人がいると思います。その状況を見て、何かしなくてはいけないと思いながら、なかなか行動できない人が大部分だと思うので、その行動力がすごいと思いました。しかも映像という形で残して作品を作って人に見せるということで、見た人に「何かできるかもしれない」と思わせてくれるものを作ってくれているといつも思っています。
監督 私はそういう形で社会と関わりたいと思っています。普段山の中に一人で暮らしているので、社会と関わっていくために映画作りを続けているという面があります。
編集部 元々、写真のエージェンシーをやっているからそれもあるのではないですか。映像と写真というのは繋がっているから、何かの形で残して伝えられるというのは同じですよね。
監督 おおいに繋がっていますよね。自分で見ると同時に、見たものを吸収して表現する。そういう作業を『花はどこへいった』(2007年)から始めたわけですけど、そういう作業というものに満足感を感じるし、生きがいも感じます。
編集部 『花はどこへいった』の時に、とても衝撃的だったし、あの作品は坂田監督だからこそできた作品だったと思います。私自身、ベトナム戦争における枯葉剤の影響というものに、すごく興味を持っていたのですが、どこか他国の話という感じだったのですが、坂田監督のように、夫の死に枯葉剤の影響があったのではということで、何かしなくてはというところからの映画製作、真に迫った作品だったと思います。この映画を見て、身近な問題として認識しました。そういう身近なところからの作品作り、それが自分のことだけではなく、社会的に大きなことなのだということに繋げ、皆さんに伝える作品にいつも注目しています。
監督 私はノンポリで、政治的なことに関わってこなかったんです。というのは、何が正しくて、何が正しくないのかというのがよくわからなくて。日々の仕事や生活に追われて政治的なことに関心を払って来なかったけれど、こういう映画という形で関わり始めてくると、いろいろな問題が繋がっているのだということが見えてきます。学生運動は傍観者でしたが、思想的な部分では、根本的なものを見たいという意味ではラディカルだったかもしれません。ラディカルというのは「根」という意味だそうです。根に戻る。根本を見るということなんです。
編集部 私は高校時代だったのですが、ベトナム戦争に対して何か行動をしなければという思いに突き動かされてべ平連のデモに参加していました。
監督 私がその頃いた京都でも、運動は盛んでしたが、私は参加せずにいました。
編集部 私は1968年、高校2年生で、ちょうどターニングポイントだったと思います。69年頃、べ平連のデモにずいぶん行きました。老若男女、市民の方が大半でしたが、ニュースでしか見たことのなかったヘルメットをかぶった大学生も参加していました。彼らはヘルメットをかぶって、角材を持ってデモに参加していましたが、それには違和感を感じました。平和を願ってデモをしているのに、なぜ角材?と思いました。
この作品で、ドイツでも1968年の学生運動の流れから市民運動への流れができたというのがありましたね。日本では、広島、長崎があって、福島もあったのに、原発ゼロにしようということにならない。片やドイツでは原発ゼロにしていこうという流れができて、この違いというのは何だろうと思いました。
監督 一言では言えませんが、急に大きく社会を変えようと思っても変えられない。
でも目の前に立ちふさがる壁も少しずつ削っていけば、いつかは崩すことができるという思いがあります。ドイツの1968年というのは、親のやってきたこと(ナチスを生み出したこと)に目を向けて、親に反抗したんですよ。私たちはそういうことはなかった。ドイツが脱原発を決めることができたのは市民が何十年も抵抗運動を続けてきた結果です。1968年はその大きなきっかけとなった。この運動には環境問題も入っていて、のちの緑の党の設立につながり、政権に入ることができた。一方日本の学生運動はほぼ壊滅してしまった。そこが大きな違いだと思います。
*反原発 さまざまな実践
編集部 何度かドイツに取材しに行っていると思いますが、いろいろな人たちに話を聞く中で、皆さん地道な活動をしながら、何か新しい事、単に原発に反対というだけでなく、反対するならそれに対抗する案を出したり実践していたのが、反原発の動きに広がっていったというようなことはありましたか?
監督 ありますね。映画にも出てくるけど、原発に反対した人たちが、小さな太陽光発電の見本市をやりますよね。私はあれにすごく感動したんです。今じゃ太陽光発電の見本市は世界的な規模で大々的に行われているけど、出発はあそこだったのです。
私の母が須坂(長野県)で1970年代から反原発運動をしていたのですが、仲間たちと20万円集めて太陽光パネルを設置し、小さな電灯がついたんです。それで喜んで、皆で記念写真を撮っているのですが、それを見て、私は「エ~、20万円もかけて、こんな裸電球ひとつついたってしょうがないじゃない」って冷笑していたんですが、あれは大事な一歩だったと思います。
編集部 小さいことの積み重ねということですね。
監督 ドイツでは、いろいろな町とかコミュニティで話を聞いたのですが、小さな市民運動の活動が、心に残りました。それぞれの人がいろいろ考えて行動を起こす。たとえばチェルノブイリの事故が起きた時には、チェルノブイリの子供たちを地域に呼んで保養させようという動きが小さなコミュニティベースであったんです。またオーケストラを組織して、原発の建設現場に行って演奏するとか、あるいは兵器を作っている会社の前で演奏するとか、いろいろな手を考えて行動している。それも小さなコミュニティベースでやっているのを見て感心しました。
編集部 保養などは、福島の後、日本でもやっていますが、反原発のうねりにはなっていかないですね。そして、政治家たちは、なぜ被害者の側にたって考えられないのかと思ってしまいます。
監督 ドイツは脱原発を決められたのに日本は、これだけのことが起こっても、なぜ続けるの?と思いますよね。これだけトラブルがあって、政府だってどうしていいかわからない、そんな状況の中で、原発を続けている。「もんじゅ」(福井県敦賀市にある日本原子力研究開発機構の高速増殖炉)だって、最終的にどう処理するかわからないのに一方で原発再稼動を続けるというのは、正気のさたではないですよ。それはなぜかというと、やはり原子力村や経済界の力なのではないでしょうか。それに携わっている人たちの中でも「やっぱりやめたほうがいい」と考えている人だっていっぱいいると思うんですね。だけど仕組みが動いちゃっているからやめられないのかもしれません。
編集部 ドイツの人たちを羨ましいと思っちゃいけないと思うのだけど、羨ましいと思ってしまう私がいます。
監督 羨ましいというよりも、私たちにもできるのじゃないかと思うんです。できますよ。
編集部 今、変化の途上かなという気がします。そうですよね。これだけの事故があって、それをよしとしている人の感覚がわかない。
監督 私たちは今、ターニングポイントにいると思うんです。市民がもう一押しすれば状況をかえることができる…。
*自然エネルギー
編集部 日本でも実際動いている原発は少ないですし、2011.3月~2013.9月まで実際1機も動いていなかった時期が2年あって、それでも電気は動いていたわけだから、原発はやめられるという希望は持てるのではと思ったりします。
監督 ただ問題は、石炭とか石油で、火力発電に頼っていますよね。それをなんとか終わらせていく方向を真剣に考えなくてはいけないけれど、政治の意志はないですよね。ニュースでも、思い出したように、時々福島のことが出てくるけど、もっと報道されるべきだと思います。
編集部 最近、東京の郊外に行くと、太陽光パネルとか大きな風車とか、よく見かけるようになりましたが、それはそれでいいと思うのですが、景観とか廃棄の問題を考えると、それがベストとも思えない。ただ増やせばいいということではないような気がします。
監督 そうですね。日本では大きな企業(だけじゃないけど)が儲けのために建てたのが多いですが、ドイツでは地産地消でローカルな場所や人たちが自分たちの考えで、出資してやっていることに感心しました。
編集部 太陽光パネルは屋根とか屋上とかを使えば都会でもできかもしれないけど、風車は広い場所がないとできないから、ローカルでないとできない部分はありますよね。都会で電気を作るのは、ある程度限られる部分はあるのじゃないでしょうか。
監督 そうなのかなあ。いろいろな人の知恵を集めれば、都会でも電気は作れるんじゃないかな。たとえばフライブルクでは市役所の窓が全部ソーラーパネルになっていたり、高速道路の上をソーラーパネルで覆ったりして発電しています。
編集部 そういう知恵を集められるような機関とかあるといいですね。
監督 政治がそれを後押しできるような法律を作るとか。ドイツで自然エネルギーが発展したのは、後押しする法律があったからだと思います。
編集部 そういうことなんですね。
監督 ドイツでは再生エネルギー法(EEG)という法律によって自然エネルギーが大きく前進しました。映画ではあまり触れていないのですが、送電線は自然エネルギーを優先的に通さなくてはいけないという風に決められているんです。日本は逆で、原発が再起動した時のために空けておかなくてはいけないから、自然エネルギーの出力を抑制したりする。そういう大事なところを法律で押さえておけばもっと広がっていくと思うんですが。
編集部 ドイツの流れとしては、そういう法律を変えたり、メルケル首相の決断が2011年6月にあったんだけど、その前の市民の動きがあたから政治も動いたということですね。
監督 後戻りしていくとなるほどとわかるのだけど、法律ができたというのは、緑の党という政党が政権政党になったということがあるし、緑の党がなんでできたかというと、1968年の学生運動の人たちが核にあるわけです。68年の学生たちがなぜ動き始めたかというと、親たちが第2次大戦中にやったことを反省したという順番があるんだということが見えてきました。
*映画の形にするまで
編集部 すごくたくさんの人が出演していますが、これだけの人数の取材ということは、いもづる式に広がっていったのですか?
監督 ほんとはもっとたくさん取材しているんです(笑)。取材する人は、紹介してくれる人がいていっぱいいるんですよ。逆にいろいろな人に取材しすぎて、まとめにくくなってしまいました。それで問題は何かというポイントを絞り、まとめやすいように減らしたのがこの作品です。
編集部 他の監督にインタビューした時も、あれを撮りたい、これも撮りたいと撮ったはいいけど、まとめるのに苦労したと同じように言っていました。
監督 編集って削ることだと思いますよね。
編集部 編集によって、見る人に訴える力は変わっていきますからね。
監督 それは、私は自分ではできないから、編集は別の人に頼まないと。本人はあれも入れたい、これも入れたいと思うから削りにくい。だから相談しながら編集しました。
編集部 今までの作品を見ても、地道に取材して、事実を積み重ね、説得力ある作品に仕上げているというのは伝わってきますよ。
監督 それはありがとうございます。自分で知りたいことを、映像を通してコツコツと見ていった結果を分かち合いたい、それが見る人に伝わればと思っています。大きな仕事はできないけど、等身大でできるところをやっていくしかないですね。
編集部 ドキュメンタリーで言いたいことはわかるし、思いは同じなんだけど、反発してしまうものが時にあるのですが、それは監督の思いを押し付けるような作品。わかるんだけど何か違うなと感じているのかもしれません。坂田監督の作品には、そういうのを感じたことがありません。監督が持っているエネルギーとか、思いを伝える何かがあるのではないかなと思います。
監督 ありがとうございます。それはきっと感性を同じくしているからということではないでしょうか。
編集部 たくさんの出演者がいますが、監督にとって一番印象的だったのはどなたですか?
監督 ヨゼフさんという神父さん。人柄もありますが、教会の厳かな雰囲気にも惹かれました。1週間くらいいて、礼拝にも出たのですが、教会なんてなかなか撮らせてくれないかなと思っていたのですが、自由に撮影できました。
編集部 私は自然エネルギーだけを使ったホテルのステファンさんが印象に残りました。ホテルを自然エネルギー仕様にするためにベンツ1台分よりかかったけど、ベンツよりいいと言っていたのが印象的でした。
監督 この人は偶然だったんです。泊まる予定だったホテルがいっぱいで泊まれなくなって町のはずれの小さな宿を紹介してくれたんです。そこで「何をしにきたの?」と聞かれて、「自然エネルギーの取材に来たんです」と答えたら、「うちは全部自然エネルギーだよ」と言って、いろいろ見せてくれることになって、あらためて取材に行って、いろいろな話に展開していったんです。
編集部 「瓢箪から駒」ですね。
監督 予定していたことができなくてがっかりすることもあるけど、予期しないものが出てきたりするんですよね。キーとかコアになるものに出会えると、作品の力やポイントになります。
編集部 これからの日本の反原発の運動や流れについて、「こういうことをしたらいいのではないか」とか、何か提案とかありますか?
監督 運動に具体的に関わっているわけではないけど、小泉元首相たちがやっている原発ゼロの運動とかありますよね。私自身は小泉さんに対して複雑な思いがないわけではないけれど、発言力はありますよね。だから、小異を捨てて大同に就くというのも大事かなと思います。
編集部 私も、今までそういう人たちと関わりあいたくないなと思っていた人でも、反原発という目的のために、一緒にやっていくということも必要になってくるのかなと思います。
監督 そうでもしないと原発は無くならない。最近どこかの企業が自然エネルギーを使っていくという話を聞いたのですが、だんだんそういう風に動いていくと思うので、ここでもう一歩、市民の力が後押しすれば変わっていくのではないかと思いたい。今までは、社会運動的なものに直結していませんでしたがこの映画に関しては、社会を変えていく方向に繋がればいいなあと思っています。
編集部 皆さんが実践していけば、日本だって脱原発は可能なのではないかと思わせてくれる作品でした。
監督 それが伝わればなによりです。
編集部 ありがとうございました。
取材を終えて
坂田監督は、地道な事実の積み重ねによって、問題点に迫るという作風だと思いますが、この作品もいろいろな方に取材し、たくさんの事例を示し、市民の手で状況は変えられると示して勇気をくれる作品だったと思います。福島の原発事故の当事国である日本は脱原発に消極的で、そうでないドイツが原発を止めようとしている。その違いは何なのか。日本だって反対運動や新しい電気や自然エネルギーにシフトしている人たちはいる。いろいろな試みの積み重ね。地道な努力が大切ということをドイツの人たちが見せてくれました。
坂田監督の作品は、最初が枯葉剤を扱った『花はどこへいった』(2007年)、そして、枯葉剤の影響をベトナムやアメリカまで追った『沈黙の春を生きて』(2011年)と続き、お母さんが残した「聞いてください」という小冊子から原発と向き合い『わたしの、終わらない旅』(2014年)が生まれ、その次が『モルゲン、明日』。ほんとに1作作るとどんどん繋がっていく。それを実践している方です。
『モルゲン、明日』公開情報
◎11/3(土)〜23(金・祝)横浜シネマリン
※11/10(土)坂田雅子監督トークあり
※11/18(日)飯田哲也さん(環境エネルギー政策研究所所長)トークあり
◎11/23(金・祝)〜29(木)フォーラム福島
※11/23(金・祝)坂田雅子監督による初日舞台挨拶あり
◎11/24(土)〜30(金)シネマテークたかさき
※11/24(土)坂田雅子監督による初日舞台挨拶あり
他、大阪・シアターセブン、長野・長野ロキシーなど全国順次公開
詳細は公式サイト http://www.masakosakata.com
公開済み
2018年10月6日(土)~14日(日) シネマハウス大塚
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