アジア三面鏡2018:Journey『碧朱』 松永大司監督インタビュー

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東京国際映画祭で今年も「アジア三面鏡」の新作が上映されました。第2弾の「アジア三面鏡2018:Journey」テーマは「旅」。短編3本のうち、『碧朱』の松永大司監督にお話を伺うことができました。(10月26日六本木ヒルズ)

プロフィール 1974年生まれ。東京都出身。ドキュメンタリー『ピューぴる』(2011)を初監督。『おとこのこ』『トイレのピエタ』(2014)、『ハナレイ・ベイ』(2018)など。平成30年度新進芸術家海外研究制度により、2019年1年間ロサンゼルスに留学。

『碧朱』ストーリー 
ミャンマー ヤンゴン市内を巡る環状線の電車に乗っている鈴木。声をかけてきた男に、この環状線の速度を上げる仕事をしていると話すと、なぜかと問われ、早くて楽になるからと答える。マーケットで縫い子の少女スースーと知り合い、自分と地元の人々との乖離に気づいていく。

★2018年11月9日(金)よりほか全国公開
(C)2018 The Japan Foundation, All Rights Reserved
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-最初に「碧朱(へきしゅ)」の意味を教えていただけますか?

人生は四季の色にたとえられます。「青春」といいますよね。青を「碧」、夏は赤になります。赤を「朱」にして、ミャンマーの国が成熟していく状態を表した僕の造語です。今回撮影・照明が中国のチームだったんですけど、彼らはそういうイメージが湧いたみたいです。

-ミャンマーの国のイメージの造語でしたか。雰囲気のある言葉ですね。
画面の自然だけでなく、色とりどりの市場の場面など映像・色使いが綺麗でした。人の表情は優しいし、手付かずのものが多く残っている国だと思いました。


そうですね。日本がもう何十年前に失ってしまったような景色がミャンマーにはありました。

-発展するにつれ、これからも失われていきますよね。

それがこの作品のテーマの「進化」と「喪失」ということだと思います。それが全てかなと。
日本人である僕がそのミャンマーの状況に対して、それをいいとか悪いとかいう資格はないと思うんです。ただ僕自身がヤンゴンに感じた魅力を考えたときに、たぶんこの先この景色というのはなくなっていくんじゃないかと思って。電車に乗りながらいろいろ考えたんです。今は効率、時間を短縮していくことって、人類の命題みたいになってきちゃっています。時間は短縮されるわ、寿命は延びていくわで、僕たちの一生のうちにやれることの数がすごいじゃないですか。それが果たして幸せなのかどうか、一回ふと立ち止まって考えてもいいんではないかと感じました。

-それはロケハンで感じられて、徐々に固まっていったんですか?

今回は「これをやりたい」というテーマをその国にあてはめるのではなく、僕が日本人としてどこかの国に行ったときに感じた“今”を描いてみたいと思いました。

-主人公の鈴木さんには監督が投影されているんですね。

両方ですね。鈴木とニコラス・サプラットラが演じる男性(電車で隣り合ってバッグを忘れていく)との二人が僕自身です。何かのためにちゃんとした大儀を持ってその国に貢献しようと思うことと、どこかでそれが本当に幸せなんですか、って問われたときにハタと思うこと、相反する両方の思いがある。
日本はほんとに豊かだと思います。気持ちの面ということより、経済的・物質的に。山手線なんてほぼ遅れることなく来ますよね。で、ちょっと遅れたらすみませんとアナウンスがあるし(笑)。この国の正確さってすごいことだと思います。

-正確なあまり息苦しいこともあるかも。いいところも悪いところも。

うーん、よしあしですね。これが当たり前になっていますから、これが崩れたときが大変ですよね。災害とか。
通常のルーティンから外れたときに適応できなくなっています。

-日本で停電すると全てが止まってしまいますが、映画の中では違いますね。(家族で食事中に停電したらハッピーバースディを歌った)いいシーンでした。

あそこは僕が作りました(笑)。ミャンマーってしょっちゅう停電するんです。

-私が子どもの頃もよく停電しましたが「今につくよ」って感じでした。

そう、「今につくよ」なんです。人間として柔軟で適応能力が高い人たちだと思いました。

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アジア三面鏡2018 journey(撮影:宮崎暁美)

-ヒロインの可愛い女の子スースーは現地で見つけられたんですね。

役者のオーディションもたくさんさせてもらいました。ハワイで撮った『ハナレイ・ベイ』でも素人が出演しているんですが、最近面白みを感じていて、素人を使いたいと言ったら現地の美大へ連れて行っていただいたんです。授業を見たり、学内を歩いたりして僕が気になった人にオーディションに来てもらいました。けっこうたくさん来たのですが、ナンダー・ミャッアウンはちょっと違いましたね。
彼女自身もミャンマーという国を体現する存在にしたかった。少女から大人の女性に変革する過渡期の子だと思ったんです。非常にうぶな感じなんだけれど、芯はしっかりしていて、それで危うい感じもするのが面白かった。カメラの前でも物怖じすることがなかったです。

-長谷川博己さんはどうやって決まりましたか?ストーリーは長谷川さんありき、ですか?

じゃないです。僕はそういうやりかたはできなくて、基本的には自分で話を考えて、そこから役者を考えます。
年齢的には30代半ばから40代半ばの人。いい意味でドキュメンタリーチックに撮っていこうと思っていたので、その画面の中で、あんまり自己アピールをしない人がいいなと思っていました。役者って存在感あるのが価値みたいなところがあるじゃないですか、長谷川さんって作品によって上手く足し引きができる人。長谷川さんを知らない人が観たら普通の人、どこにでもいそうな人に見えるのがいいなと思いました。

-そして、やる時はやるんだ!って感じですよね。

そうなんですよ。だから『シン・ゴジラ』なんかすごい存在感ある。この作品では存在感なくしてストンと入ってくれたというか。

-なんだかどこにも力が入ってなくて、これは長谷川さんの素なのかしら、こういう方なのかと思ってしまいました。

近いかもしれない。長谷川さんにはなるべく役作りしないでポンと入ってくださいと言ったので。

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-『ハナレイ・ベイ』も見せていただいたんですが、失われていくものに対しての惜別と、とどめておきたいという情がそちらにもありました。

うーんと、情っていうか、「失われていくものに対して、残された人はどう接していくのか」というのが、僕たちが生きている間の永遠のテーマじゃないかと思っているんです。喪失しないと得ることができないものも当然ある。
そういうことをよく考えていますね。人が亡くなるっていうことをポジティブなものとしてはとらえにくいですけど、生きている僕たちは絶対死ぬんで、死ぬことをネガティブなこととするなら、僕たちはネガティブに向かって生きていることになると、それはちょっと辛いんじゃないか。さっきの話のように寿命は延ばしたいし、いろんなことやりたいわけですよね、死ぬまでに。
日本以外の国って「死は生の始まり」とか「輪廻」とか、ちゃんと循環するという考え方をするんですよ。ミャンマーの人たちは、死後の世界に対しての徳を積んで生きていく人たちなんです。次の世界のために今いいことをしていくという考え方なんですね。日本とは相当違います。それは今の生きていく時間にすごく大きく影響すると思います。
そんな国だからこそ、時間を短縮するとか考えて生きている人ってそんなに多くないんじゃないかな、と思った。
時間に対しての考え方が違いますね。

-次の世もあると信じられれば、まだ終わりじゃないですものね。それは、年代が違っても同じですか?

やっぱり若い子たちは時間に対してより、お金に関しての執着がすごく大きいです。映画の中でも描きましたけど、それはかなり感じました。例えばある国では「今日生きていくための最低限のお金があればいい」と考える。自給自足に近い暮らしをしているところもあれば、貯蓄をしていくところもある。若い子たちには物質的な欲が当然ありますね。

-今は、情報の入り方が違いますから。

そうです。だから電気や水道が完全に普及していないような田舎の村でも、スマホだけは持っているんですよ。このアンバランスがすごくて。

-えー、高くないんですか?

高いとは思うんですけど。経済的なバランスがもしかしたらおかしくなっているのかもしれないです。日本でいうなら、戦後復興していく中で、高度成長時代があって段階をへて国民生活が向上していきました。パソコンができてスマホができて、世界の成長に国の成長が伴っていった。でもミャンマーはまだ国として成熟していないんですよ、たぶん。そこへ超成熟した国の情報や産物が入ってくる。国の経済状態はまだまだこれからなのに、ネットで見る情報って世界均等に入ってきますから情報過多で、バランスが悪いんです。そこが大変です。

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-そろそろ時間が迫ってきました。監督として映画を作るときに大事にしていることはなんですか?

大事にしていることね・・・(しばし考える)「映画に対して嘘をつかない」ってことかな。すごく漠然としているけれど、ものを作るときに真摯に向き合うってこと。それは大切にしています。

-映画は大きな嘘をつくものですけど、それは監督の心情的にってことですね。

伝えたいものを伝えるための嘘、方法論については騙すことも必要だけれど、伝えたいものに対して嘘をつかない、真摯に向き合いたいということです。まあいっか~と思って作れない。そうやって作れたら楽だと思うけど、たぶんそれをやったらダメだろうなと思って。良くも悪くも。

-制約多いですものね。お金と時間も要るし。

どこで折り合いをつけるかね。でも、何か悪いこと、ネガティブなことがあったときに、ポジティブなものに変えていくと、それが好転していく。真摯に向き合うとそういうことになる。常に一生懸命やっていく、最後まで頑張って走りぬく、一つの作品を作るまで。そういう思いで作っています。

-来年から1年間ロサンゼルスに行かれますよね。向こうでこれをやってこようとか、これを掴みたいとか目標はありますか?

向こうの魅力的な俳優と知り合って、僕の映画に出てもらって、いい作品を作りたい。それは本気で思っています。
いい俳優、魅力的な表現者とやりたくてやりたくてしょうがないです。それは素人でも関係ないです。それは僕の劇映画のデビュー作の『トイレのピエタ』で野田洋次郎に出てもらったように、魅力的な人に出会って作品ごとに必要な人をキャスティングしていきたいです。肌の色も問わず。

-ぜひぜひいい出逢いがありますように祈っております。

僕ほんと出逢いには恵まれているんですよ。

-ありがとうございました!


=インタビューを終えて=
写真を撮りながら子どものときにどんな映画を観ていたのか伺いました。当時人気の『グーニーズ』や『ネバー・エンディング・ストーリー』、ジャッキー・チェンの映画などを観ていたそうです。『BMXアドベンチャー』(85公開)を観てBMX(バイシクル・モトクロス競技の略)にはまっていた少年時代であったとか。
『いまを生きる』(ピーター・ウィアー監督/ロビン・ウィリアムズ主演/90年公開)で衝撃を受けて、それまでの娯楽作品とは違い、監督で見るようになられたそうです。これは型破りで魅力的な先生によって生徒たちが変わっていく、私もとても好きな映画です。高校生のころに観た監督の心にはさらに深く残ったのでしょう。俳優をしていた時期もあり、ドキュメンタリー、短編から長編にと拡げてこられた監督は脚本も書かれるせいか、どのシーンにも全てに繋がる糸が織り込まれている感じがあります。
『ハナレイ・ベイ』『碧朱』と海外での撮影、スタッフとのコラボにも積極的な松永監督、ロサンゼルスで素晴らしい方々に出会って、目には見えない財産をたくさん懐に入れて帰って来てください。またお目にかかれますように。
(まとめ・監督写真 白石映子)

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