『盆唄』中江裕司監督インタビュー

辛く、悲しいときでも故郷の歌が支えになる

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ドキュメンタリー作品『盆唄』が2月15日(金)に公開される。
盆唄とは盆踊りの唄のこと。震災後、今も散り散りに避難生活を送る福島県双葉町の人々は先祖代々守り続けてきた伝統「盆唄」の存続に危機感を抱いていた。そんなとき、100年以上前に福島からハワイに移住した人々が向こうで盆踊りを伝え、今もフクシマオンドとして日系人に愛され、熱狂的に踊られていることを知る。
双葉町の人々が土地に根差すルーツと伝統を絶やすまいと奮闘する姿を3年の歳月をかけて追ったのは『ナビィの恋』の中江裕司監督。公開を控え、中江監督に作品への思いを聞いた。

<中江裕司監督プロフィール>
1960年11月16日生まれ。 京都市に生まれ、その後沖縄に移住。92年、オムニバス映画『パイナップル・ツアーズ』の1編を監督。同作品はベルリン映画祭フォーラム部門に選ばれた。99年には単独の長編映画『ナビィの恋』を監督。 同作品もベルリン映画祭フォーラム部門に選ばれ、興行面でも成功を収めた。その後も劇映画とドキュメンタリーを交互に発表し、現在までに9本の映画を監督。『ホテル・ハイビスカス』(02)はベルリン 映画祭キンダー部門に選ばれた。その他の作品に『白百合クラブ東京へ行く』(03)、『恋しくて』(07)、『真夏の夜の夢』(09)等がある。また05年には、那覇市内の閉館になった映画館を「桜坂劇場」として 復活させ、映画上映のみならず、ワークショップやライブ、市民講座も企画。沖縄文化の発信地となっている。

『盆唄』
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第19回 東京フィルメックス 特別招待作品
2015年。東日本大震災から4年経過した後も、福島県双葉町の人々は散り散りに避難先での生活を送り、先祖代々守り続けていた伝統「盆唄」存続の危機にひそかに胸を痛めていた。そんな中、100年以上前に福島からハワイに移住した人々が伝えた盆踊りがフクシマオンドとなって、今も日系人に愛され熱狂的に踊られていることを知る。町一番の唄い手、太鼓の名手ら双葉町のメンバーは、ハワイ・マウイ島へと向かう。自分たちの伝統を絶やすことなく後世に伝えられるのではという、新たな希望と共に奮闘が始まった。
映画は福島、ハワイ、そして富山へと舞台を移し、やがて故郷と共にあった盆唄が、故郷を離れて生きる人々のルーツを明らかにしていく。盆踊りとは、移民とは。そして唄とは何かを見つめ、暗闇の向こうにともるやぐらの灯りが、未来を照らす200年を超える物語。

監督:中江裕司
撮影監督:平林聡一郎
編集:宮島竜治・菊池智美
アニメーション:池亜佐美
出演:福島双葉町のみなさん、マウイ太鼓ほか 
声の出演(アニメーション):余貴美子、柄本明、村上淳、和田總宏、桜庭梨那、小柴亮太
配給:ビターズ・エンド 
©2018テレコムスタッフ 

★2月15日(金)よりテアトル新宿ほか全国順次ロードショー!フォーラム福島、まちポレいわきも同時公開!

―双葉町の盆唄の映画を作ることとなったきっかけをお聞かせください。

写真家の岩根さんからの依頼でした。「福島の盆踊りをやっている人たちの写真を撮っています。彼らをハワイに連れて行きたいと思っていますが、映画にできませんか」と相談を受けたのです。でも最初の3〜4年は断っていました。僕は双葉町の人やハワイに縁がなかったので、自分が撮る理由が見つからなかったのです。
その頃、全く違うところから頼まれて、ハワイの日系移民ドキュメンタリーを2本撮りました。ハワイに何回も行き、知り合った日系移民の方から話を聞き、気持ちがわかってきたタイミングで岩根さんから再度、依頼を受けて引き受けました。
僕は縁を大事にして、仕事をしてきました。岩根さんには『白百合クラブ東京へ行く』にスチールで参加してもらいましたが、あの作品は唄を撮っています。今回も「唄が撮れる監督だからお願いした」と言われて、唄とハワイに縁を感じたのが大きかったですね。
ただ、すぐには確信が持てませんでした。そこで、まずはカメラマンを連れて、岩根さんに紹介された横山さんを訪ねたのです。そこで、横山さんが思いを語り始め、彼の人となりを感じたときに、これは映画になるし、映画にしなきゃいけないと確信しました。

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―構成を決めてから、撮り始めたのではないのですね。

映画は娯楽だと思っています。見た人にとって、面白いことが大事。ただ、面白いには解釈がいろいろあって、「難しいことを考えるのも面白いのうち」と僕は考えています。そして、映画は何かが動いていくといいものになる。ドキュメンタリーの場合は特にそれが必要です。双葉町の人々が故郷に帰れずバラバラになっている状況から撮り始めれば、何か動くのではないか。そう考えていました。

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―完成までに3年かかりました。

ドキュメンタリーは撮り始めるのは簡単。しかし、撮影を終わらせるのは難しい。脚本を全部撮ったら終わりの劇映画と違い、ドキュメンタリーの場合はこれで撮れたという実感を得るのが難しいのです。だから、いつまでも撮り続けてしまう。
この作品も簡単に撮れるものではないと思っていたので、10年くらいは覚悟していました。3年で完成したときはほっとしましたね。

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―双葉町が舞台のドキュメンタリー作品と聞くと、原発に関する内容と勝手にイメージしてしまいますが、盆唄がメインなのですね。

盆踊りはコミュニティの中で行われるものです。双葉町はそのコミュニティがバラバラになっていて、みんなで集まることができません。双葉町の人たちが盆踊りをどうしていくのか。ここに焦点を当てました。

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―アニメーションで双葉町の歴史を説明していましたが、とても分かりやすかったです。

福島県は浜通り、中通り、会津の3つの地域に分かれます。双葉町は浜通りですが、その浜通りの郷土資料を調べたところ、天明の大飢饉のときに越中富山、加賀から移ってきた人がいると分かりました。しかし、移ってきた人たちは「加賀もんのところには水をやらない」、「嫁はやらない」、「火葬をするなんて恐ろしい」といろいろ言われて、長い間差別されていたそうです。それでも、長い時間をかけて土地に馴染んでいきました。
その人たちの子孫が放射能汚染で、どこかに行かなくてはならない。10年ぐらいの時間で考えると絶望的な現実がある。しかし、50年、100年スパンで物事を考えていったら、新しいところでいろんなことが芽吹いていく可能性がある。それがこの映画の救いになると感じて、アニメーションの部分を作りました。あれは双葉の皆さんへのメッセージでもあります。

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―横山さんが「伝統文化というものはずっとやってきて、あるとき自分が盆踊りそのものになる。突然なるので、意識していてはなれない」と語っていました。この言葉をどのように受け止めましたか。

あの言葉を聞いたときは「うぉお!」と思いましたね。盆唄ってものすごく単調。それを繰り返して、1曲で2時間くらい演奏しています。横山さんや今泉さんは「同じリズムを続けているうちに脳が揺さぶられる感じになって、みんなが無になる」と言っていました。
映画の最後に盆唄の演奏シーンを20分くらい入れたのは、観客の皆さんの脳を揺さぶり、全て忘れて、ただ身を委ねてもらいたいと考えてのことでした。

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―やぐらの競演の後、真っ暗な中にやぐらが浮かび上がるような演奏があり、そこでは横山さんが太鼓を打っていました。

ご先祖様や震災で亡くなった方も参加しているような演奏にしたいと思って、真っ暗な中で撮りました。だから演奏だけ映して、踊り手は映さない。お囃子は、双葉町の人々の声を入れました。
ご先祖様や亡くなった人も一緒にいる、50年後、100年後の風景だと思って撮っていました。

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―これからこの作品をご覧になる方にひとことお願いいたします。

故郷はすべてを受け入れてくれる母なる場所。そんな大切な故郷を離れるときは誰にでもあります。たとえ、それが人生において辛かったり、悲しかったりする場面であっても、故郷の唄があれば、それが支えになって、新しい土地で根付き、花開いていくことができる。そう思って、この作品を作りました。ご覧いただけるとうれしいです。
(インタビュー:堀木三紀)

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