『山懐(やまふところ)に抱かれて』初日舞台挨拶4/27(白)

今頃ですが、この素敵なご夫婦の言葉をやっぱり残しておきたいので、おくればせながら書き起こしました。
東京のポレポレ東中野での上映は今週金曜日まで。この後全国各地での上映となります。詳細はこちらのHPの上映情報をご覧ください。

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遠藤隆監督 今日の主人公はこのお二人です。私はインタビュアーになります。実はお二人が映画を観るのは今日初めてです。ご覧になった感想を。

お父さん(吉塚公雄)どうもみなさん、今日は本当にありがとうございました。岩手県で一番の、日本で一番の貧乏暮らしがこんな映画になって信じられない気持ちでいっぱいです。あの場面あの場面の子どもとの思い出とか、いろんなことを思い出すと…胸がいっぱいで…とにかく今までね。奇跡的につぶれないでこれて、なにもかにも思い返すと遠藤さんのおかげでした。牛乳屋が生まれてできたことも遠藤さんのおかげ、こんな映画にも…(涙ぐむ)ほんとにもう感謝しかありません。これを支えてくれたみなさんが牛乳をとってくれて…ほんとにありがとうございました。
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お母さん(吉塚登志子) 新しい気持ちで今日見せてもらったんですけれども、よくここまでこれて、ましてこんな映画にまでなったなんて信じられない。ずっとテレビ岩手の遠藤さんに、ずっともう小汚い家に何回も通っていただいて、子どもたちと接していただいて。初めのころは遠藤さんが持ってきてくれるお土産を楽しみに(爆)みんな待っていたような感じでしたが(笑)、こういう形になったというのは、ほんとに感謝して、感動しています。

遠藤監督 自分で作って泣くのもおかしいんですが、見てて涙が出てきてしまいました。昔、私と出会ったころはたぶん一番厳しいころだったと思うんです。ただ逆に子どもたちが小さくてお父さんの話をちゃんと聞いてくれて、家族の仲がすごくうまくいっていた時期でもあります。あの頃のことを思い返していかがでしょう?

お父さん そうですね。画面の中にも出てきましたけど、子どもたちが小さい頃はね。親父が右といえば、右(笑)。「早く終われ!」と怒りつけて頭をゴンってやったり(笑)、そうやって私が家族を思い通りにやらせてきた。それが徐々に成長してきて、自分の思いを認めてもらえない、って。頭ごなしにやってきたのがああいう風になるわけなんです。今思えばひどい親父だな、と思いますが。でもその時その時、精一杯やってきましたんでね。反省はしても後ろ向く暇がない(笑)。とにかく前を向く。希望の光を目指してですね、進むことしか考えてないアホですから(笑)あんまり反省はしない。申し訳なかったとは思っていますけれども、今からも前進することだけを信じてやっていきます。早くしないと人生おわっちゃうんで。

遠藤監督 確かに取材していても、僕も理不尽だなと思うことはありました(笑)。僕も実はお父さんとずいぶん喧嘩しています。子どもたちもああやって喧嘩しているんだけれども、お父さんはとてもよく聞いています。聞いてていろんなことを思っているんです。自分で頑固親父だと言っていますけど、一応人の話を聞く頑固親父でした(笑)。お母さんはそれをずっと受け止めて。どういう思いでやってこられたんでしょうか?
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お母さん はい。よく皆さんに「お母さんよく頑張ってこれたね。どうして?」と聞かれるんです。私の子どものころの夢は「家族みんなでご飯が食べたい」。それが夢でした。小さいころに預けられて、クリスマスに姉と2人だけでロールケーキを食べたことがあります。「これを家族みんなで食べたらどんなに美味しいかね」と言いながら食べた記憶があるので。両親をを早くなくしているので「お金がなくたって、何もなくたって、家族みんなが健康ならなんとかなるじゃん」って。何かにぶつかったときにも「みんなが元気ならいいじゃん」って思います。だから頑固でいろいろありましたけど(お父さんと顔を見合わす 笑)こういう皆さんと会う機会ができて遠藤さんに一番感謝します。ほんとありがたいだけです(拍手)。

遠藤監督 結婚を決めたのはどういうところか、僕はもう100回くらい聞いているんですけど(笑)、お父さんからお見合いの話を。

お父さん 電気のないところで学生のころ20歳から一人頑張ってきたんですけど、それまで自炊したことがなかったんです。健康のために玄米食にして一汁一菜でした。朝たくさん炊いて、しゃもじで三等分にしてしゃもじのまんま食べる。すると洗い物が少なくてすむので(笑)。三等分を六等分にするとさらに楽なんです(笑)。そんなことをしていたらだんだん痩せてきて、栄養失調になってこのままじゃやべぇなと、初めて実家に助け船を求めたんです。「嫁さんなんとかなんねぇかな、女ならだれでもいいから」(笑)。
そういうことで候補に挙がってきたのがこの方でございまして(笑)。当時私は28歳、彼女は22歳。お袋が親代わりで連れてきました。牛を追って九州から北海道までいろいろ歩いたんですけど、女性との経験がまるでないもんですから舞いあがっちゃって食事ものどを通らなくなったりしてね(笑)、大変な思いをしました。
でも開拓農家ですから、仕事をやってみてもらおうと思って一輪車で薪を運んでもらったんです。そしたら、この人は一輪車に割った薪を一個乗っけて運んでいるんです(笑)。そして次に2個(笑)。次に10個というならまだわかるけど、ちょっとこれは申し訳ないけど、この人に開拓は無理だなと。可愛いかなんかしんないけど、若いかもしんないけど無理だなと、帰ったらお断りしようと思ったんです。
帰る日の朝、食事前に牛の乳絞っていたら彼女がパパパパと走ってきて、「私合格ですか?」と言うんです。
22歳の若い女の子が「合格ですか?」ってね。傷つけないように頭めぐらして考えました。そして出てきた言葉が「僕で良ければ」(爆笑と拍手)。
そういういきさつがございまして、めでたくですね。どっちがめでたいんだか?今二人並んでいるわけでございます。ほんとに馬鹿馬鹿しいお笑いで(拍手)。

遠藤監督 最後のほうのカットで二人が結婚なさったときの写真があります。あれはつい最近見たんですが、お父さんとお母さん目があってなくて、変な写真なんです。あの頃、お孫さんのいる今を想像もできなかっただろうな、と。誰もそうですけど、素敵だなとああいう構成にしました。
私はディレクターとしてずっと関わってきました。今日も撮影に来ている田中君も20年撮影してくれました(拍手)。映画にしろと言ってくれた社長、ほかにもたくさんのスタッフがいます。
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田中カメラマンと遠藤監督

そのみんなが映像しか見ていなくても、吉塚さんに夢中になって、ここにたどり着いたんです。そのことはぜひ知っていただけたら、と思います。どうもありがとうございました。(拍手)

田野畑村の石原 弘村長が駆けつけ、石塚夫妻と遠藤監督に花束を贈りました。
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(まとめ・写真 白石映子)

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