『太陽が欲しい』
大阪 シネ・ヌーヴォ 上映中〜8月30日(金)
他、全国順次公開。
神奈川 横浜シネマリン 9月14日(土)〜
長野 上田映劇 9月23日(月・祝)〜
詳細 https://human-hands.com/theater.html
監督・撮影:班忠義(パン・チョンイー)
編集:秦岳志
整音:小川武
音楽:WAYKIS
出演:万愛花、尹林香、尹玉林、高銀娥、劉面換、郭喜翠、
鈴木義雄、金子安次、近藤一、松本栄好、山本泉
公式HP https://human-hands.com/
製作:彩虹プロダクション
後援:ドキュメンタリー映画舎「人間の手」、
中国人元「慰安婦」を支援する会
配給・宣伝:「太陽がほしい」を広める会
2018/中国・日本/108分/BD/ドキュメンタリー
本作品について
班忠義監督は、日本軍による戦時性暴力の被害にあった中国人女性の支援活動と並行して20年間撮りためてきた証言の映画化を決意。この企画に賛同した750人の支援者の協力を得、5年の歳月をかけて映画『太陽がほしい 劇場版』を完成させた。
班忠義監督は1958年生まれ。故郷、中国遼寧省撫順市で、近所に住む日本人残留婦人と知り合い、交流を続け1987年日本に留学。その中国残留日本婦人のことを書いた「曽おばさんの海」で、1992年、朝日ジャーナルノンフィクション大賞を受賞。その2年後、支援団体、市民の力で、中国残留日本人に対する帰国促進が議員立法の形で実現。
曽おばさんとの出会いががきっかけで、戦争被害者を調査していた班監督は、1992年、東京で開催された「日本の戦後補償に関する国際公聴会」のニュースを通して、中国人「戦時性暴力被害者」の存在を知る。日中戦争当時、日本軍兵士に性暴力を受けたという中国人女性万愛花さんの証言と、体に残された傷跡にショックを受け、日中戦争の真実を知るため、万愛花さんを始め、日本軍兵士によって性被害を受けた女性たちを中国に訪ねるようになる。2000年に中国で被害を受けた韓国人女性の故郷への思いを描いた『チョンおばさんのクニ』を完成。2007年には『ガイサンシーとその姉妹たち』を公開。その後も支援活動と平行して取材を続け、これまでの取材の集大成として『太陽がほしい』が作られた。
シネマジャーナルHP 『太陽がほしい 劇場版』作品紹介
班忠義監督インタビュー
ー 故郷で残留日本人に出会ったことが、現在の活動につながっていると思いますが、中国における日本軍性暴力被害者を20年に渡って取材してきて思うことは?
班監督 1992年「日本の戦後補償に関する国際公聴会」で万愛花さんのことを知りました。愛花さんが「私は慰安婦ではない!」と叫び失神する姿をTVのニュースで見て、衝撃を受けました。後日、別の集会に参加し、愛花さんの証言と、体に残された傷跡にさらに大きなショックを受けました。
その後、1995年に日中戦争の真実を知るため、万愛花さんを始め、日本軍兵士によって性被害を受けた女性たちを中国に訪ねました。最初は1、2年のつもりだったのですが、その後も通い続け20年にもなりました。
ー 中国にいた時は慰安婦など性被害者のことは、まだ若かったから知らなかったですか?
監督 私は1992年の国際公聴会で初めて「慰安婦」という言葉を知りました。でも万愛花さんは、この慰安婦という言葉をすごく嫌っていて「私は慰安婦ではない!」と叫びました。
中国の場合、現地の女性たちが日本軍の部隊に連れ去られて、民家やトーチカなど、慰安所でないところでレイプされたというケースが多いです。中国人女性の被害について言えば、そのほとんどは「慰安婦」というより、「性暴力被害者」と表現した方が適切ですね。
日本軍は進軍してゆく道々、地域の女性たちを拉致、監禁し強姦しました。日本軍が自ら女性を探し出したこともあれば、傀儡中国人を使ったこともありました。監禁期間も、数日から数ヶ月と幅があり、本当に様々なケースがあったのです。
韓国や日本、その他の植民地などから中国に連れてこられた女性たちは都市部の慰安所で、中国人女性は前線の駐屯地周辺の村々で、どちらも日本軍の兵士たちによって深刻な被害を受けていたのですが、中国の人たちの多くは、慰安所にいた「慰安婦」を敵国(日本)側の人間だと思っており、慰安所の悲惨な状態も知らなかったため、「慰安婦」という表現に抵抗があるのだと思います。
ー 班さんが取材したのは山西省が多いですが、たぶん他の地方でも、同じような状態だったのではないでしょうか。
監督 日本軍がいた地域を全て調べたわけではないですが、日本軍がいた場所には同じような被害があったと思います。村に進軍して部隊を解放すると兵士たちは、女をあさりに行った」という元日本兵の証言もあります。このような監禁を伴わない、一時的な被害を受けた女性の多くは声を上げず、黙ってしまっています。そういう人が実はたくさんいるのです。
ー 韓国でも長い間、性被害を受けたり、慰安婦だったことを長い間話せないでいたわけですが、中国の場合は、村の中で「あの人は性被害を受けた」ということを村の人が知っているような状況はあるわけですよね?
監督 そうですね。日本軍に性暴力を受け、それによって村人から差別をされる。悲しいですが、二重の被害を受けることになります。そういう状況もあり、女性は自らの被害を言い出せなかったのだと思います。
被害を名乗り出ると、女性に純潔さを求め、女性に厳しい家父長制度の中で、女性にも落ち度があったんじゃないかと言われたり、汚れた存在のように扱われたりする。そのような雰囲気は今もまだまだ残っていると感じます。
ー 台湾の『蘆葦(あし)の歌』は観ましたか?
*シネマジャーナル102号に吳秀菁監督インタビュー掲載
監督 はい、観ました。
ー この映画の中にありましたが、台湾の場合は、ケースワーカーの人たちが協力しあって、性暴力を受けたり、慰安婦だった方たちの傷を癒すような活動を長年やっていましたが、他の国ではそういう活動を聞いたことがないですね。
監督 韓国のナヌムの家など、同じような活動をしている団体もありますよね。でも台湾はもっときめ細かい活動をしていたようですね。
ー 元々は台湾の元慰安婦の方たちが、日本政府に対して賠償請求の裁判を起こしたけど勝てなくて、被害者の方たちはよけい傷つき、泣き寝入りの形になってしまったことが出発点のようです。日本人としては、せめて、戦争による性被害を受けた女性たちが、いろいろな国にいるということを、忘れずに伝えていかなくてはということと、こういうことが起こらないように二度と戦争を起こさないように行動しなくてはならないと思っています。
こういう記録映画も重要な伝達手段です。この映画を作るのに750人の協力者がいて映画ができたとパンフに書いてありますが、それだけの協力者がいて出来上がったということですね。<劇場版>となっていますが、劇場版でないものもあるのですか?
監督 あります。劇場版は1時間48分(108分)ですが、その前の自主上映用「完全版」は2時間47分と長いんです。完全版は20年の活動の中で知り得た、中国人女性への性暴力被害に関する情報をなるべくたくさん詰め込んだのですが、その結果、複雑になってしまい、初見の人やこの問題に初めて触れる人にとって難しい作品になってしまいました。そこで、劇場版は中国における戦時性暴力の特徴を伝えることに焦点をあてて、再編集をしました。
ー だんだん被害者も加害者も亡くなってきてしまって、その方たちの証言を聞けなくなると、そういうことがあったということを信じられない人たちが出てきてしまって、最近は、また戦争に向っているのではないかと状況も出てきました。
監督 周辺諸国に対し、ナショナリズムをあおるような状況が出てきましたね。マスコミの韓国に関する記事などを見ると、だんだん表現が過激になってきています。あいちトリエンナーレ2019で起こった「表現の不自由展・その後」をめぐる問題では、名古屋の河村市長の「日本人の心を踏みにじられた」という発言や、一般の方からの脅迫もありました。
先の戦争で、国民は真実を知らされないままに、戦争に繋がる世相がどんどん作られていったわけですが、そのような歴史的な過程を把握していなければ、再び戦争が起こらないよう歯止めを働かせることができません。時代の雰囲気を見誤らないように、日本人の判断能力が問われています。今、歴史や過去を知らないという人が増えてきています。目の前のことだけ見て、感情に走ると戦争の危機はやってきます。社会問題や近隣諸国との関係をグローバルに見られる視点に立つことが大事だと思います。
ー 20年やってきていろいろあったと思いますが、その中から思い出深い話などを教えてください。
監督 この映画は、『ガイサンシーとその姉妹たち』(2007)の姉妹編というかA面とB面のようなものです。万愛花さんはガイサンシー(蓋山西)と同じ時期、同じトーチカに監禁されていました。95年に初めて被害女性たちの元を訪れた時には、ガイサンシーはすでに亡くなっていて、支援することができませんでした。他にも、水を組むのも大変な山の上に住んでいた方で、住居を麓に移そうと、その準備をしている間に脳溢血で亡くなった方がいました。もう少し早く行ってあげられたらと今でも後悔しています。すべての被害女性に支援の手を差し伸べられれば良かったのですが、自分の拠点は日本にあり思うようにいかない部分もありました。各地の女性たちには「1年に1度は必ず会いに行く」と約束していましたが、被害女性の多くが健在だった時には、年に3〜4回、現地に赴くこともありました。彼女たちは70~80代と高齢で、毎回、次回の訪問時に生きているかどうかわからないような綱渡りの状態でした。今も4名の被害女性が存命で、支援活動を続けています。
ー 20年に渡る取材を108分にまとめるというのは大変なことだったと思いますが、記録を残すという意味で、今回、使わなかった映像を使って、新たな映画もぜひ作ってください。
2019年8月3日より、東京 UPLINK渋谷、大阪 シネ・ヌーヴォ、愛知 シネマスコーレにて3館同時ロードショー。
参考
これまでの中国での性暴力被害者に関する班忠義監督作品
『チョンおばさんのクニ』2000年
中国残留韓国人女性を追ったドキュメンタリー。チョンさんが17才の時、男に大田織物工場へ働きにいかないかと誘われ、朝鮮半島から連れていかれたのは、中国武漢市の慰安所。韓国には帰れず、中国で結婚。しかし、病気になり、祖国への帰国を希望。彼女を帰国させるべく、日本の団体が奔走し、祖国へ旅立ったけど、半世紀を越えて思い続けた故郷に彼女の肉親はおらず、昔の面影すらなかった。帰国の事がマスコミに大きく報道されたことも手伝って、少女時代の親友、姉妹にも会えた。しかし、皆が歓迎してくれたとは言えなかった。ガンが進行し、死ぬ前にまた中国に残した息子や孫に会いたいという彼女の希望はついに実現しなかった。
『ガイサンシーとその姉妹たち』2007年
日中戦争時代、日本軍の陣営に連れ去られ、性暴力を受けた女性たち。清郷隊という日本軍協力者の中国人が村々を回って、若い女性を連れ去り、日本軍陣営に連れて行き監禁したという。
山西省一の美人を意味する「蓋山西(ガイサンシー)」と呼ばれた侯冬娥(コウトウガ)。その呼び名は彼女の容姿のことだけでなく、同じ境遇に置かれた幼い〝姉妹たち〟を、自らの身を挺して守ろうとした、彼女の優しい心根に対してつけられたものであり、その後の彼女の人生の悲惨を想ってのものだった。
*シネマジャーナル71号で紹介
取材を終えて
班忠義監督は、とても正義感の強い優しい人だと思いました。20年以上に渡り、この問題に取り組み、ただ単に記録するだけでなく、生活支援や医療支援も続けてきました。支援者がいたからやってこられたとおっしゃっていましたが、でもそんなに長く続けるためには、強い意志と覚悟が必要だったことでしょう。めげることもあったかもしれません。でも彼は続けてきました。
班監督は、中国での性暴力被害者に対するドキュメンタリーを、これまで3本公開してきましたが、このドキュメンタリーも含めて、被害者だけでなく、加害者だった元日本兵の証言も複数記録し、両方の発言を出すことで信憑性にこだわってきました。証言する人が亡くなってきて、戦争被害、日本の戦争加害について、否定的に考える人が増えてきているという状況に対して、大変貴重な証言を集めたといえる。被害者だった方たちも証言するのにかなり勇気が必要だったと思うけど、加害者だった元日本兵の方たちも、証言するには勇気が必要だったと思う。証言してくれる方たちをよく探しだしてきたと思うけど、自分を信用して証言してくれた人たちに対し、きちっと伝えていかなくてはという思いも語っていた。
「日本だけが悪いんじゃない。戦争になれば、どこの国もそういうことがある」という人もいるし、日本人としてはできれば日本人がこういうことをしたということを認めたくないという気持ちもわかるけど、実際起こしてしまったこと。勇気を持って証言してくれた人たちの思いを私たちは忘れずに、思い出したくないものに背を向けてはならない。2度と戦争を起こさないよう努力していかなくてはと思う(宮崎暁美)。
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