『夕陽のあと』越川道夫監督インタビュー

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越川道夫監督プロフィール
1965年生まれ。静岡県浜松市出身。助監督、劇場勤務、演劇活動、配給会社勤務を経て、1997年映画制作・配給会社スローラーナーを設立。ラース・フォン・トリアー監督『イディオッツ』(98)、アレクサンドル・ソクーロフ監督『太陽』(03)などの話題作の宣伝・配給を手がける。熊切和嘉監督『海炭市叙景』(10)、ヤン・ヨンヒ監督『かぞくのくに』(12)などをプロデュース。エミール・ゾラの「テレーズ・ラカン」を翻案した『アレノ』(15)で劇場長編映画監督デビュー。2017年島尾敏夫と島尾ミホの出会いを描いた『海辺の生と死』、『月子』、佐伯一麦原作の『二十六夜待ち』の3本が立て続けに公開。本作に先駆け、監督・脚本・撮影・編集を手がけた『愛の小さな歴史 誰でもない恋人たちの風景 vol.1』が10月19日に公開。

『夕陽のあと』ストーリー
鹿児島県最北端の長島町。佐藤茜(貫地谷しほり)は都会からやってきて食堂で働き、1年になる。明るく溌剌とした働きぶりで人気だが、自分のことを語ることはなく謎に包まれている。
島で生まれ育った日野五月(山田真帆)は、島に戻って家業を継いだ夫の優一(永井大)、義母のミエ(木内みどり)、里子の豊和(松原豊和)と平穏に暮らしている。五月は長い間不妊治療を続けてきたが断念し、7年前赤ちゃんだった豊和(とわ)の里親となった。豊和には知らせず、7歳になった今まで我が子同様に暮らしてきた。ようやく生活が安定してきたので、特別養子縁組の申し立てを行うところだった。手続きは順調に進むと思えたが、豊和は東京のネットカフェに置き去りにされた乳児であり、その母親が佐藤茜であることがわかる。

監督:越川道夫
脚本:嶋田うれ葉
音楽:宇波拓
企画・原案:舩橋敦
撮影監督:戸田義久
配給:コピアポア・フィルム
(C)2019 長島大陸映画実行委員会
http://yuhinoato.com/
★2019年11月8日(金)より新宿シネマカリテほか全国順次ロードショー

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―越川監督はプロデューサーをされているほうが多いですね。この作品には監督としてご指名があったんですか?

いつもは製作のプロデューサーたちと何をやるかということを話し合いながら、僕が企画を作って立ち上げています。監督をやりながらもどこかでプロデューサー的な部分を担うことが多いんです。この作品に関しては製作委員会のほうからやらないかという話があり、その時点でほぼほぼプロットがあり、キャストも決まっていました。
僕は澤井信一郎という監督の弟子筋になります。当時の職業監督はそうだと思うんですけれど、彼らはスターシステムの中で、たとえば「この原作でこの人で」と決まった中で、自分の作品作りというものを真摯に考えていったと思うんです。今回それに比較的近い形で、僕のところに話がきました。それがね、面白いと思ったんです。
僕は作家であるというより、どこかで自分を職業監督と思っています。わりと企画を考えるときも「人」から入って「この俳優に何をやってもらったら輝くのか?」と考えることが多く、そういう考え方は嫌いじゃないんです。
なおかつ島の人たちの「この映画を作りたい」という思いは、プロデューサーをやっていて地方の方たちと映画を作ることがこれまでも多かったので、自分なりにはわかっているつもりです。自分ができるのであれば「その思いを形にしたい」と受けました。
舩橋淳さんの原案とプロットラインはそんなに変わっていません。結末はちょっと違いますが。

―どこが違うのか気になります。伺っていいですか?

いいですよ。舩橋さんの原案だけじゃなくて、これまで「育ての親」と「産みの親」をめぐる作品はたくさんあります。プロットを読んで僕が思い浮かべたのは「大岡裁き」であり、ブレヒトの「コーカサスの白墨の輪」(1948)です。育ての親と産みの親が子どもの両手を引っ張って、子どもが「痛い」と言ったら離したほうを親とした、というような。しかし、今回、僕はその「白墨の輪」の外に出なくちゃいけないと思ったんです。これは、どちらかに決められる問題じゃない。
もっと言えばそれを決めようとするのは親の都合なのであって、子どもには関係ない。いや関係はあるんですよ。子どもは親の影響を受けるわけですから関係はあるんですけれど、子どもにはどうにもならない。白黒つけようとするのは親のエゴだと思います。もちろんそれは子どもに対する愛情ゆえではあるのですが。

前のプロットは比較的どちらを選択するかという結末になっていました。でも、それでは僕には撮れないと思った。この問題点の外に出て、子どもを解放しなければならないと考えたんです。「子どもの人生は誰のものか?」と聞かれれば「そりゃ子どものものですよ」と誰もが言うでしょう。しかし、親である僕らはなかなかそれを現実的にやれません、やっぱり「僕の子ども」「私の子ども」になってしまい、どこかで子どもを私物化し所有してしまう。そして子どもたちは、どうしても親の影響を強く受けてしまいます。たとえばDVを受けた子どもが、自分もDVをしてしまうのではないかと思って苦しむ例はいくらでもあると思います。そういうことから子どもたちをどうしたら解放できるだろう、子どもたちの人生は子どもたちのものであるとどうしたら言い切れるのか。少なくとも、この映画において、子どもたちも含めて二人の母親は「こうなってしまったことを引き受けて向き合いながら生きていかなくちゃいけない」と思いました。「生きていかなくちゃね」というのはチェーホフ「桜の園」の台詞ですけれど、誰もが続いていく人生を生きていかなくちゃいけない。この映画に描かれているのは、容易に解決されることのない人生の継続された問題なんです。

世の中にはさまざまな親がいて、さまざまな形の夫婦があります。子どもを産んだ人たち、自然分娩の人たちがいて、帝王切開の人たちがいて、養子縁組をする人たちがいて、子どもがほしいと思いながら恵まれなかった人もいます。積極的に子どもを作らない選択をした夫婦もいます。LGBTの婚姻というのもあり、ずっと籍を入れないパートナーというのもあり、様々な形態があるわけです。
しかし、誰もにとって子どもの問題というのは、無関係な問題ではないはずです。それは、自分たちの後からくる人たち=子どもたちに対して、私たちが何ができるのかということです。それが「私の子ども」でなかったとしても。アメリカのインディアンは七代先のことを考えると言いますけれど、大人にはその責任がある。この映画がそこまでなんとかして届いてほしい。そうでないと描いたことにならないんじゃないか。「どっちの親に行きました。おしまい」という形にはならないし、なれない。そういうことを考えながらシナリオを作って行きました。

―子どものことを一番に考えて歩み寄った形になりましたね。

「子どもを救え!」だと思います。僕はそう思います。

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―お母さん役の貫地谷しほりさん、山田真帆さんは、もう決まっていたんですね?

決まっていました。僕がキャスティングしたのは、宇野祥平さん、滝沢涼子さん、鈴木晋介さんの3人だけです。

―こういう真面目な宇野さん(児童相談所の職員役)を初めて見た気がしました。

宇野さんは、20代のころからの知り合いですが、エキセントリックな役をやることが多いと思います。彼らの違う芝居が観たい、と思います。『愛の小さな歴史 誰でもない恋人たちの風景 vol.1』では宇野さんだけでなく深水さんにも、いつもとちょっと違う役柄を演じてもらいました。俳優は、一つの当たり役があるとイメージが固定して同じような役を振られることがよくあると思います。でも、もっといろんな顔を見たいと思うし、できると思うので、みんなで試行錯誤しながら芝居を作っていきたいと思っています。宇野さんは40になってほんとにいい役者になりました。

―俳優さんにとってありがたい監督ですね。

一緒にいろんなことして遊びたいんですよ(笑)。

―監督は「映画作りはライブに似ている」とおっしゃっていましたね。

そうです。僕の頭の中にある青写真は、机上のものです。現場では、それを元にみんなで作業をするわけですが、青写真通りになることを僕は望みません。ともに作業をしながら、自分たちが想像していなかったものが出てくることを望んでいます。ひとりの頭の中から出てくるものよりも、共同作業の中から有機的に生まれてくるものを信じているんです。そうでなければ、共同作業の意味がないと思うからです。

―貫地谷しほりさん、山田真歩さんには監督からどういったお話をされたんでしょうか?

それはもういっぱいありますよ。
貫地谷さんと山田さんでは、芝居の質が全く違います。どちらがいい悪いではなく。その質が違うものが一つのフレームの中にどういることができるか、ということを考えていました。ましてや島の人たちが300人くらい出演しているわけですから、尚更です。俳優と俳優ではない人がどう一つの映画の中に共存できるのか、質の違う芝居が質が違うままどうしたら一つの映画の中にいることができるのか、ということをさんざん考え、話しあった2週間でした。

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―ロケの期間が2週間ですか。すごく短いですね。

大騒ぎです(笑)。でも夜9時半には撮影を終わりたいと思っています。みんなを寝かしたいんです。風呂に入って寝る。そうしなかったら、スタッフもキャストもいいパフォーマンスできないですよ。もちろん越えちゃうこともあるんですけど、基本的に、徹夜でやって、こんだけ頑張ったぜっていうのは自己満足だと思います。疲れ切って事故おこしたらしょうがないですから。これは労働、仕事ですからみんなちゃんと食べてちゃんと風呂に入って寝て、いいパフォーマンスをする。大事なことだと思います。

―監督は「身体から生まれるものを大事にする」とおっしゃっていましたが、それは作りこまないで出てきた生のものということですね。ワンテイクで終わることも多いですか?

多いですよ。もちろんリハーサルしますし。
ただ、3テイク以上撮ったら、あと30テイクやらないといいものは生まれないと思います。

―3テイクと30テイク???

3テイク目くらいからは芝居は安定するんです。要するに、役者というのは基本的に不安なものです。自分の身体と心をさらして、独りぼっちで、画面の中に置き去りにされるわけです。だからものすごい不安と恐怖の中にいるので、役者は基本的に安定したいと思う。しかしね、安定した芝居は面白くないです。だから絶えず役者を不安定な状態においておくことが重要になってきます。
安定しだすと相手の芝居が変化しても自分の芝居が変わらなかったりする。芝居はアンサンブルですから、絶えずアクションに対するリアクションが必要です、自分が机上で考えてきたように相手が芝居するかは分からないわけですから、自分の考えてきた芝居だけに固執し安定を求めると芝居が生き生きしていきません。
僕は流動的なものを望みますから、現場、その場所のアンサンブルで生まれてきたものを大切にします。だから基本的にはワンテイクで終えることができれば、それに越したことはありません。

―30テイク以上になっちゃうと、役者さんも揺れますし、疲れるでしょうね。

あ、そうだと思いますよ。それね、小津安二郎監督『東京物語』(53)でも大坂志郎さんへの演出でそうしていたという話を聞いたことがあります。大坂さんはもう自分でも何やってるかわからなくなっていたのではないでしょうか。自分でもコントロールできないところにいる状態にわざと俳優を置いたのだと思います。
『アレノ』を観ていただいたならわかると思うんですけど、冒頭山田真歩さんの真冬の湖から引き上げられるシーンがあります。彼女は芝居をいっぱい考えてきたんだと思います。だけど、湖があまりにも寒くてもう体が言うこときかない。暖かいところで考えてきた芝居など一つもできない。でもそのときが一番面白かった、スリリングだったと、体に任せたのだと言ってくれたことがあります。
どんな映画でもエンターテイメントだと思うし、どうなっていくんだろうこれ?っていうサスペンス性みたいなものがメロドラマやラブストーリーにあってもいい。人の興味を引っ張っていくのであれば、フレームの中の芝居がどこに向かうかわからないのが、一番面白いわけです。そのためには僕がわかってちゃいけないんだよね(笑)。

―あぁやっとわかりました! 役者さんも自分もアンコントロールの状態に置くっていうのはそういうことだったんですね。

机上で考えたことは机上のものですよ、やっぱり。現場には風が吹いていて、雨が降って、土があって…寒かったり。そこで変わらなかったら嘘ですよ。僕ではない人間がそこにいるわけです。僕は自分を描くことには興味がない。

―監督さんは自分を投影したり、重ねたりするものだと思いましたが、越川監督は自分のことは使わないですか?

いや、使いますよ。なぜかといったら、人の、役者個人でも観ている人でもいいですけど、その個人的な記憶を引きずり出すために、僕も自分のことを使います。

―引きずり出す…

自分が率先して裸になっているようなものです。だから僕は自分の恥ずかしいことでも人を裸にするために使う。僕は森崎東さん(2013年『ペコロスの母に会いに行く』監督)と台本を作ったことがあるんです。森崎さんは、実話をすごく求めるんです。それをぼんぼん台本に取り入れる。『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』(1985年)もそう。近藤(昭二/脚本)さんに話を聞くと。なんなんだろうなと思うんですけど、解釈を許さないような強さがそこにはあるんです。
ある程度個人的なものが出てきたとき、目にした僕たちは自分の経験にアクセスすることが多い。だから、僕は自分の話を使います。でも自分をやってほしいわけじゃないんです。個人的な体験を演劇として立ち上げていくということを、若い俳優たちとのワークショップでもよくやります。台本を使わずに、みんなに話をさせて、それを芝居として立ち上げていく。話の中から何を掴み出して、芝居を作っていったら演劇になるのか?それを若い役者たちとやるんです。『愛の小さな歴史~』の瀬戸かほさんともそれをワークショップで2年間やりました。

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―(話戻って)豊和(とわ=本名)くんは、島の子どもの中から選ばれたそうですが、全く演技経験がない彼をどう演出されたんですか?

豊和のことは何も心配していませんでした。豊和のいいところは、「物事を豊和の感じ方で考えたり、思ったりする」ところです。誰々がそう言ってるからとか、親たちがそう思っていたことがあるからとかではないんです。
豊和が覚えてきたセリフが出てこないときがある。それは豊和の責任じゃなくて、大人たちの責任だと思います。大人が子どもたちにチューニングを合わせていない。大人たちが勝手に「子どもたちはこう考えるだろう、こういうもんだろう」という考えで子どもを縛ろうとすると、子どもたちは止まります。これはこの映画のテーマとも通底しているんですけど、大人が豊和にチューニングを合わせることができたら、豊和はどこまでもできるんです。
具体的なことを言えば、助監督たちが子どもたちに「ああしてこうして、ここで止まって、ここでこうしなさい」と言ったら子どもたちは萎縮してどんどんできなくなります。そして大人の考えに合わせてあげようとする。すればするほどできなくなる、子どもの考えとは違うから動けなくなる。死んでしまうんです。
逆に「豊和、この石の上からすっげーカッコよく飛び降りてくれる?何度も」と言ったら、「わかりました!」って、やりますよ。それだけでいいんです。

―豊和くんの台詞は脚本にあるものですよね。それが自然に身体から出るまで待つ感じですか?

脚本にある台詞です。キャンプのシーンの撮影の後、豊和は号泣したらしいです。なぜなら「自分の思った演技ができなかった!」(笑)。お前どんなプロなんだよ(笑)。
豊和は考えている。子どもたちが考えてないなんて大人の思い上がりです。それはね、『楽隊のうさぎ』(14)のプロデューサーをしたときそう思いました。あの子たちは、いじめのことに関しても自分たちなりにいっぱい考えている。だから大人たちが「君はこう思ってる」と考えたら違うんですよ。そんなこと思ってない。大人が机上で考えた子どものイメージよりも、子どもたちに聞いたほうが面白い。子どもにチューニングを合わせたほうが面白い。

―豊和くんはとにかく、自分で咀嚼して「やる」んですね。

そう。「面白いね、豊和!カッコよかったね」「でしょ?」みたいな(笑)。

―豊和くん可愛いですよね。富士山みたいな口元も可愛い。

すごい可愛いです。で、変な動きするんです(笑)。

―劇団出身の子どもたちとは違いますね。

大人におもねろうとするから。子どもは大人の思い通りになんかならないですよ。うちの子どもみたいに。

―映画の豊和と豊和くん本人とは?

映画に描かれているのは「役」で豊和ではないので、彼が自分自身でいろいろ対話をして考えてくるんだと思います。それを僕の前でやってみせてくれるんです。
山田さんは上手かったですよ。豊和から台詞が出てくるように「いる」んです。だから豊和からも言葉が出てくるんですよ。チューニングの仕方があるんです。

―やっぱり7年一緒に暮らした感じが出ていましたね。

豊和とどう演技していくかと考えたことが、母親として豊和とどうやっていたかっていうのとちゃんとエコーしている。そういう芝居になっていたと思います。

―貫地谷さんのほうは同じ時間、穴があいたままでいて、それをなんとか折り合いをつけていくところまで、とても切なかったです。あの子ども部屋を覗くところとか、取り戻せないものがある。
その自分の部屋があるのに、豊和はまだお母さんたちと川の字で寝ているんですね。ずっと可愛がられてきた、っていうのがそこだけでもわかりました。


わりと、僕の経験を使っているんです。「ギューして」っていうところ、あれうちの子なんですよ。小学校3年の息子ですけど。そういうところがいっぱいあります。それをあまり解釈しないで画面の中に置いておく。解釈しすぎるとまた机上の空論におちていきますから。

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―母親の話、子育ての話でもあるし、貧困と孤独の話でもあるし、都会と地方の話でもあるし、いろんな観方ができますね。

子どもをめぐる映画は、不可避に様々な問題を含んでしまうと思います。僕自身が体験したことでもあります。東京で子育てをするのがどんなことなのか、実際やってみないとわからなかったです。
そんな一つ一つがこの映画にはいっぱい入っていますし、さっき言ったように子どもがいない人には関係ない映画にしちゃだめなんです。人が生きていくってことはそういうことだと思います。様々なことと対峙しながら生きていくわけですから。

―私は小3まで北の島で育ちました。舞台は南ですが、人情とか濃い関わりとか、子どもは周りから見てもらっているとか同じでした。

僕は浜松です。昔が良かったというわけではなく、共同体の中での生活ってやっぱりあったんですよ。僕は洋品店の長男ですが、町の人達がみんなで僕を育ててくれたような感覚があります。

―ロケ地ですが、鹿児島だから南端だと思ったら、長島はずいぶん上(北)にあって思ったより大きな島なんですね。

天草寄りなんです。実際の豊和の住む獅子島は長島の二つ先の島で、雲仙天草国立公園にちょっとひっかかっています。群島なので人の住んでいない小さな島もいっぱいあります。

―茜の家はなんだか人が住んでいなかったような感じがしました。豊和のおうちは生活感ありましたが。

あの映画の中では少ししか触れていませんが、やはり過疎なんです。出生率は高いですけど、島に高校がなくなって外に出なくてはいけない。Uターン、Iターンで戻ってくる人が多くても、人口は減ってい流そうです。それで空き家プロジェクトがあって、戻ってきた人に安く提供しています。あの家も、そんな家のひとつです。豊和の家も空き家だったのを掃除して飾っています。美術(岡村正樹)さんと、役者のお芝居の力がそう感じさせていると思います。

(残り時間お知らせ)

―わー、ちょっと辛い(笑)。では綺麗だった夕陽の撮影のことを。計画通りでしたか?

撮れて良かったと思いますよ。二週間なので、夕陽は14回です(笑)。そのうち3回撮らなくちゃいけないっていうの、スケジュールとしては結構しんどい。ずらしようがない。夕陽が出てよかった。
映画というものは、僕が撮りたいから、と言って撮れるものではないんと思います。そうやってきてちゃんと夕陽が出るっていうのは、この島のために何か僕たちができている、だから撮らせてもらえているのかなと思いました。

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―この作品は長島のプロジェクトから出たものですよね。とても貢献できたんじゃないですか。

そうだといいんですけど。僕はプロデューサーとして『海炭市叙景』(10)をやったんですが、そのときもプロジェクトがあって「越川さんこれやってくれない?」って函館から電話がかかってきたんです。『楽隊のうさぎ』もその『海炭市叙景』を観て、うちでもやりたいと僕の故郷である浜松市の人たちから声をかけてもらって作りました。彼らの思いをどう受け止めるのか、それにどうこたえていくのか、っていうのはすごく真摯に考えました。いつもそう考えてきました。

―ストーリーとロケーションがいいですし、ご当地だけでなく、どこででも通じる受け止められる映画だと思います。

函館でも「絵葉書のような函館が出てくる映画はいらない」と言われたんです。長島の人たちにも「いい映画を」と言ってもらいました。

―これは地元の方々に先に観ていただけるんですか?

製作委員会の人たちはもうDVDとかで観ていると思います。映画館のない町なので、10月26日に僕と貫地谷さんが鹿児島に行って、お披露目の上映があるんじゃないかな。

―エンドロールにたくさんの協力者のお名前がありました。

『海炭市叙景』もそうでしたが、あのクレジットの長さに「思いが可視化している」と思います。ハリウッド映画みたいに長い。

―豊和くんはどうしているんでしょう?

去年撮影して豊和は今5年生かな? ゲームやってると思います(笑)。初号試写に東京まで来てくれて、久しぶりに会いました。

―あのまんま大きくなってほしいですね。俳優になりたいとか言いませんか?

あのまんま大きくなってほしいですけどね。俳優はねえ、言わないんじゃなかなぁ。『楽隊のうさぎ』では、プロダクションに入った子はいました。でもね、彼らに俳優になってほしいわけじゃないんです。ただ、彼らの人生の中で「ものを作るということは大変だけど面白い」って残ってくれればと思います。彼らが辛い目に遭ったとき傍らに「映画や音楽や本や表現されたもの」があって、それが大事なものであってくれたらとも思っています。僕にとって芸術ってそういうものだったし、実際に芸術に救われましたから。彼らにとってもそうであったらいいな。

―めったに映画の内側には入れませんし、とってもいい経験だったはずです。

こういう映画は町の記録でもあるし。そのときの町の在り方を低予算の映画でも映しこんでしまえますから。こういう風に映画を撮って、権利を含めて地域がその映画を持っているというのはすごく大事なことだと思います。

―ほんとにそうですね。今日はありがとうございました。


=取材を終えて= 

2人の母親、貫地谷しほりさん、山田真帆さん、どちらも息子を失いたくない。豊和(とわ)くんがまた愛くるしいんです。両方の母親の気持ちもわかるし、どうするのが一番子どものためになるのか、ぐるぐる考えてしまいました。一男一女の父親でもある越川監督は、ずっと先を見据えた大人としての責任も観客に問いかけています。たくさんの方々に届きますように。
越川監督はプロデューサー歴が長く、50歳にして初めて監督をされたそうです。その始まりを伺いたかったのですが、長くなりそうとのことだったので、新作のお話を先に伺って後で戻ろうと思いました。が、演技やワークショップのお話など興味はつきず、時間はあっというまに過ぎて始まりには戻れませんでした。初監督作『アレノ』での越川監督と渋川清彦さんのインタビューをよそで見つけました。これはちょっとやそっとでは終わりません(笑)。
気の合う仲間と遊ぶのが好き(=仕事)とおっしゃる監督とキャスト、スタッフとの仲の良さ、現場の楽しさが想像できます。
(写真・まとめ:白石映子)

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