『この星は、私の星じゃない』田中美津さん、吉峯美和監督インタビュー

2019年10月26日~11月8日 渋谷ユーロスペースにて公開
この後の上映情報は末尾に紹介

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@konohoshi2019


監督:吉峯美和
出演:田中美津、米津知子、小泉らもん、古堅苗、上野千鶴子、伊藤比呂美、三澤典丈、安藤恭子、徳永理華、垣花譲二、ぐるーぷ「この子、は沖縄だ」の皆さん

作品紹介
1970年代初頭「女性解放」を唱えて始まった日本のウーマンリブ運動を牽引した田中美津さんの歩んできた道、鍼灸師として働く姿、そして沖縄辺野古に通う彼女の今を4年に渡り追ったドキュメンタリー作品。
詳細は下記で
シネマジャーナル 作品紹介 
『この星は、私の星じゃない』 公式サイト 

吉峯美和監督プロフィール(公式HPより)
1967年生まれ。フリーランスの映像ディレクターとして、民放やNHKのドキュメンタリー番組を手がける。2015年に、Eテレ特集『日本人は何をめざしてきたのか 女たちは平等をめざす』で田中美津にインタビュー。その言葉の力と人間的魅力に惚れ込み、自主製作で本作の撮影を始めた。

田中美津さん、吉峯美和監督インタビュー
2019年9月 あいち国際女性映画祭会場 ウイルあいちにて

あいち国際女性映画祭2019で上映があり、上映後Q&A、その後のインタビューです。

・インタビュアー 高野史枝 
映画監督(『厨房男子』)、シネマジャーナル執筆協力者 名古屋在住
・まとめ 宮崎暁美 シネマジャーナルスタッフ 東京在住

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*「パワフル ウィメンズ ブルース」

高野史枝 ドテカボ一座(リブセンター)が「パワフル ウィメンズ ブルース」を歌って踊っている姿を見て、名古屋で赤華(しゃっか)というグループを作ってあちこちライブしていた人たちのことを思い出しました。名古屋でもウーマンズハウスとかそういう喫茶店があったんです。もう70歳近いのですが。彼女たちはずっとあれが私の原点なんて言っていました。「パワフル ウィメンズ ブルース」は名古屋でもいろいろな人に影響を与えています。

宮崎暁美 「パワフル ウィメンズ ブルース」の曲は知っていたし、歌っていたのですが、田中美津さんの詩だとは知りませんでした。この映画で知りました。

高野 「たまたま女に生まれただけなんだよ」というのが、映画の中で最後につながっていましたよね。

田中美津さん 試写でこの映画を3回観てるんですが、もっぱら「なんでこんなズボン履いてるのよ」とか、自分の「あれまぁ!」と思うところしか見てなくて、全部をしっかり観たのは、実は今日が初めて(笑い)。観終わって隣にいた監督に、「ウン、なかなかいい映画よね」と初めて感想を言って・・・・(笑)。

高野 まあ、最初から最後まで、1時間半出づっぱりですものね。
監督にお聞きしたいのですが、映画論法でいくと、普通は周りに本人を語らせて、その人を浮かび上がらせるというやり方が、安易かもしれないけど一応客観的なアプローチだと思うのですが。上野千鶴子さんが出ているのなら、上野さんが語ったらすごいよねと思ったのですが

吉峯美和監督 上野さんや伊藤比呂美さんにもインタビューしたのですがカットしてしまいました。

高野 それはどうしてですか?

吉峯 尺の問題が大きかったです。90分に収めなきゃいけないというのがありました。取捨選択していく中で、田中さんがしゃべっている以外で評論的なものはやめようとなりました。よくTV番組では、知らない人もいるから田中さんがいかにすごい人かということを証明するために誰か識者みたいな人に持ち上げてもらう手法を使います。2015年のTVの時は実際、上野さんに田中さんを語ってもらったんですよ。田中さんの『いのちの女たちへ―とり乱しウーマン・リブ論』を「今は古典になっている本で、これを学生の時に読んで共感したのよ」と語っています。だけど映画では、そういう作りをしなかった。インタビューという手法じたいを少なくしたかったからです。
なぜ「この星は、私の星じゃない」と思うようになったのかということを語ってもらうために、そこの部分はしっかりお寺や公園で撮りました。また息子さんとの葛藤の話は、自宅でインタビューしているのですが、その2つ以外は、基本的には田中さんは誰かとしゃべっているとか、一人で自然としゃべり出すとか、普通に何かをやっているのを撮るというような作りにしました。本人でさえインタビューを減らしたいので、上野さんや伊藤さんへのインタビューは使わないという方針でした。

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高野 やっぱり本人が語るのが一番強いですね。今回観ていて改めて思ったのですが、言葉に対する思い入れ、才能がすごい。そのまま文章になっていくんですが、普通あまりそういうことはないですよね。きちっと伝わってくる。

吉峯
 田中さんはフェミニズムにおいて、与謝野晶子や平塚らいてうと並び称される人なのですから、それ以上持ち上げなくてもいいのではというのがあります(笑)。


*嬉野京子さんの「ひき殺された少女」の写真をめぐって

高野 自分の思いを語っている断崖のシーンも好きです。沖縄で写真*をみせながら男の人と口げんかしているシーン、これよく撮ったなと思いました。

*嬉野京子さんの「ひき殺された少女(1965年)」の写真を入れ込んだ田中さんが作ったチラシのこと。この写真を見たくない人も沖縄には多いから、こういうのを配らないでほしいといってきた男の人がいて、田中さんと口論するシーンがある。
嬉野京子さんの写真 参考サイト1
http://longrun.main.jp/okinawa1965/film.html

田中 あれはほんとはもっと激しくやりあってたのよ。あの人、東京の人で、自分の意見なのに「沖縄のおばぁが嫌がってる」と言ってクレームをつけてきた。そういうクレームのつけ方ってズルいと思うのよね。

宮崎 私はあの嬉野京子さんの写真を1970年頃見て、田中さんと同じように衝撃を受けました。だからあの写真に対して「これを見たくない」という人がいるということに驚きました。思ってもみなかった。

田中 自分が正義だと思ってる人とは、話し合っても疲れるだけ。だからあの男を相手にしてもしょうがないと思って、直接当のおばぁに写真をどう思ってるのか感想を聞いたのね。

吉峯
 「あの事故にあった少女の尊厳を考えたら、このチラシを配るのはやめろ」ということだったんです。「その少女の死をただの死に終わらせないで、この子の死が発するメッセージを伝えることも、彼女の尊厳を生かすことにつながるんだ」という田中さんの反論が良かったから使いました。しかもその後、ちゃんとおばぁに謝りに行ったところが偉い。「私はこの写真を見たことで、何かをしなくてはという思いにかられて信念を持ってやっているけど、気を悪くしたのだったらごめんなさい」と。

田中 あの少女の死を、本土の人間はほとんど知らないというそのこと自体が、あの子の尊厳を踏みにじっている根本であって、本土の人間にまず、あの写真を見てもらいたい、本土の私らは見るべきだと思って、始めた運動なのよね。

高野 そうですよね。

田中 そうしたら隣にいたおばぁが、「もうずいぶん前に見た写真だから忘れていたけど、こういうことがあったね」と思い出してくれて・・・。こういうことがいくらでもあった、と。そのことを直接聞けたから、まぁあのクレーム男も役には立った(笑)。

高野 男を面と向って敵にしたくはないけど、そういうタイプの象徴的な人が出ていたと思いました。田中さんはこういう権威的なものと闘ってきたよねと思いました。

田中 私、権威を盾にしてモノをいう人をバカにしていますから、ああいうのとは闘うより無視したいほう。

*田中さんと吉峯さんの信頼関係

高野 断崖のシーン、参道のシーンを観ると、吉峯さんと田中さんの信頼関係がしっかりと出ていましたね。ドキュメンタリーは時間が必要ですよね。知り合ってすぐという感じの映像ではないと感じられますよね。


田中 ほんとに、私のそのまんまが撮られてる。

高野 ある程度の時間をかけないと、そこまで撮れないですよね。

田中
 でも、私の場合、最初から緩んではいるんです(笑)。

吉峯 久しぶりに観たんですが、TV番組の時はやっぱり顔が厳しいですね。今と全然違いますね。

高野
 撮っている順番はわからないですが、最初の頃のきちっとしゃべろうとしている感じと、最後の頃の好きに撮ってねという感じ、雰囲気が時間の経過でずいぶん違ったと思います。やっぱり出ますよね。1ヶ月くらいで撮っていたら、顔の表情は硬いままですよね。

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*ソファを買って、初めてこの星で生きていこうと思った

田中 顔と言えば、リブ運動をしていた時の信頼している仲間であった米津さんと会って話している時の顔が、我ながらほんとに嬉しそうな顔をしていて驚いた、

吉峯 米津さんも嬉しそうでした。

田中
 ほんとに

高野 その時のリブの話がすごく良かったです。「ソファを買って、初めてこの星で生きていこうと思った」という話、ジーンときました。

吉峯 あれは米津さんがいたから撮れた話だったと思います。

田中 米津のところに、たまたまソファがあったから(笑)

高野 抽象的な話も必要だけど具体的な話は説得力ありますね。「ソファを買って、初めてこの星で生きていこうと思った」という言葉は、ものすごく伝わってきました。

吉峯 実感がわく言葉ですよね。

高野 それまでは仮暮らしだったけど、ソファを買ったことで、「ここで暮らしてゆく」という決心がついたというのを感じました。

田中
 あれは、年齢と関係なく通じる話よね。

高野 特に女性にはリアリティがある。

吉峯 「この星は、私の星じゃない」という言葉では思わなかったけど、同じような違和感を持っていたという人がいました。

宮崎
 『この星は、私の星じゃない』というタイトルに、最初、何だろうと思ったけど、このソファの話で「なるほど」と思って、このタイトルぴったりだなと思いました。

吉峯 私は好きなんですけど。

高野
 皆さん、ここで腑に落ちるんですよね。この作品の時制はバラバラなんですか?

吉峯 そうですね。最初のエピソードは、まあ、アバン(導入部分)みたいなもので、リブのこと、鍼灸師、沖縄のことなどが、頭18分の中に入っていないといけないと思っていました。

高野
 「こういう映画ですよ」という導入部ですね。

吉峯 その後、お寺のインタビューあたりからは、時系列通りという感じです。子供だった田中さんがいて、20代になってリブやって、メキシコに行って母になって、息子が育って鍼灸師になってというように話を続けたんです

*沖縄に通う

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@konohoshi2019


高野 沖縄の部分はまとめずに、沖縄に行って帰ってきて、東京での日常があり、また沖縄に行く、そういう日常だよという風に作っているのですね。

田中 あの、米軍の車に引かれた女の子の写真見て、すごくショックを受けて、私は沖縄のことを自分の問題として考えてこなかったと猛反省。直ちにいろんな人に呼び掛けて沖縄ツアーをやるんですが、あの時、実は岩波書店ともうひとつの出版社から本を出すことになっていたんです。それを全部打っちゃって沖縄へ、沖縄へとなってしまって・・・・。

高野 そのあと、必死に校正していましたね。

田中 必死の校正は今年になってからで、この映画の題名と同じ「この星は、私の星じゃない」という本と、この10月にインパクト出版会から出る「明日は生きてないかもしれない…とい」う自由」という本があの時に蹴飛ばされちゃった2冊なんです(笑)。

吉峯 ようやく映画の完成に合わせて出版されました。

田中 1枚のチラシから、自分は沖縄の大変さを分かったつもりでいただけなんだと知って、本のことどころじゃない、ひたすら恥ずかしかったのです。

吉峯 田中さんはツアーだけで10回くらい行っていますが、個人的に下見も行かれていますので、倍くらいは行ってますね。

田中
 久高島のよくしゃべるおばさん、あの巫女っぽい人が出てくるシーンだけど、話を聞いているフリをしながら、私、居眠りしているんですよね。わかったかしらね(笑)。

高野
 あれ居眠りですか。私は感動して頭垂れているのかと思いました(笑)

田中 あれは辺野古へのツアーの翌日で、参加者と別れて私一人で久高島に行ったんですけど、最初から疲れているのに、暑い中あちこち連れ回されて、もう、あまりに疲れ果てて思わず眠ってしまって・・・・(笑)。彼女の話がなんか神がかってて、そういうの苦手だし。

宮崎 私は久高島まで行ったんだと感動しました。

吉峯 呼ばれないと行かれない島です。私たちきっと呼ばれたんですよ。

田中 女たちの島だしね。

高野 あの美津さんを見ると、よく似合っていましたね。巫女気質あるんじゃないですか。

田中 少しはあるかもしれないけど、神がかってる人に従順だったのは、あまりにも疲れていたからよ。

*カリスマ

高野 友人から聞いてほしいと頼まれたのですが、メキシコに渡られたのは国際婦人年のメキシコ会議で行って、そのまま残ったんですか?

田中 そう、たまたま行って、たまたま居ついた。

高野 リブの中でカリスマのように持ち上げられてしまって、居心地が悪かったので日本から飛び出したということなんですか? 田中さんがいなくなってから、運動が下火になっていったということもあったのですが、田中さんはそのへん意識していたのでしょうか?

田中 私にとってリブは「1対多数の関係」で、そういう関係になってしまうカリスマって、なりたくてなるもんじゃないのよね。思いもかげずカリスマみたいな者になってしまい、いつも落ち着かなかくて。体が悪くなってメキシコに逃れたことで、いわば仕切り直しができて・・・・。鍼灸師はいい、鍼灸は1対1の関係だもの、もう、私の天職です。

高野 さます時間が必要だったんですね。

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@konohoshi2019


田中 「有名になりたくない」なんていうと偉そうに聞こえるかもしれないけど、なんで有名になりたくないかというと、「面白くなさそうだから」につきるのね。「有名になる」って、他人が自分をどう見るかということを常に意識する、させられるということでもあるし、そういう意味で、それって不自由になることでしょ。猫は、ただ生きているだけで猫なのに、人間ってただ生きているだけではその人にならない。自分を探しながら生きて行くんだよね。そして探してるうちに、こういう私は嫌だとかこんなのは私らしくないとかわかってくる。

高野 その意識もあったんですね。田中さんがカリスマを拒否したいという姿勢、リーダーなしで運動を進めるという考え方はリブの中で具現化しましたね。私は名古屋でワーキングウーマンというのを30年くらいやっていたんですが、リーダーも事務局も志願制というか、やりたい人がやる。一切、代表とかはなし。
 
田中 リブって、そういうことを大事にしようと努力した運動だった。

高野 そうですね。皆さん、若い頃からそういう風に活動してきたのですが、他からの問い合わせとかで、「代表はいったい誰なんですか」とか「誰か責任もって話してください」とか言われるのですが、その時に「担当が対応します」と言ってやってきたので、そういう、田中さんがおっしゃったような「1対多数」というようにはしないというのが、あの頃の運動の流れでした

田中
 理念は横一列なんだけど、動き始めると自分が中心みたいになってしまうのが、とにかく嫌だった。でも、それを個人的にどうにかしたかったら運動から離れるしかないがけど、私は離れたくなかった。それに私がそういう存在であることの意味もあったのね。できたばかりの運動だと、どこがヘソかわからないと、マスコミは取り上げてくれないから。

高野 それはそうですね。

田中 それだから頑張りすぎて体が悪くなってメキシコで暮らすようになった時には、ほっとしました。ハハハ、恋愛もできたし。

高野 お子さんも生まれたしですね。

*生活者としての田中さん

宮崎 運動家としての田中さんの姿を、いくつかのドキュメンタリーで観てきましたが、初めて生活者としての田中さんを見た作品でした。私としては安心というかほっとしました。田中さんも普通に生活して生きてきたんだなあと思いました。さっきトークの時(映画祭上映後のトーク)。「私もこうやって日々の生活を送って生きていけばいいんだなと勇気をもらいました」という人がいましたが、私もそう思いました。

田中
 そうですよ。

高野 そう思った人、たくさんいらっしゃいますよ。

吉峯 「もっとすごい人のはずなのに、どうしてこんな普通の人みたいに描いているの」って、怒られるんじゃないかと思ったんですが、そういう風に言ってくれる人がいて安心しました。

高野
 撮っていて、すごい人だというのがあるし、お話しもインパクトがあるじゃないですか。日常をこういう風に撮っていいのかなというジレンマみたいのはなかったですか?

田中
 なかったみたいよ(笑)

吉峯 ジレンマはないんですけど、最初の頃はやっぱりすごい人を撮っているという意識がありました。その人の記録を歴史として残さなくてはいけないみたいに思っていたんですが、撮り始めて2年くらいたって、そうじゃないんだとわかったんです。田中美津という人を撮っているけど、自分を見つめ直すような作業なんだなと思いました。だからテーマが変わっていったんですよね。

*「膝を抱えて泣いている少女」が意味すること

高野 一番、変わられたというのはどういう部分ですか

吉峯 2年目の時に、女子会をやったんですよ。30代の女性カメラマンと、40代の音響効果の女性、50になろうとする私と田中さんの4人で。田中さんはお酒を飲めないけど、他のメンバーはお酒を飲んで。その時、田中さんが「あなたたちが柔らかな感性を持ち続けて作品を作っていきたいのなら、自分の中にいる膝を抱えて泣いている少女の存在を忘れてはいけないんだよ」というようなことをおっしゃって。確かに私、自分の中にいる泣いていた、つまりトラウマ的なことをなかったことにして、忘れて蓋していたんです。それでなんか大人になったような気分になって、男と同じように番組をバリバリ作って、結婚もしていないし、子供もいないけど充実した日々を送っているという風に思っていたんだけど、それって、その少女に蓋して生きてきたということなんだなあ、それを言われたんだなと思ったんです。そんな痛みに蓋しているような人には、「田中美津」は捕まりませんよって言われたような気がしたんです。
それでその頃から、その蓋していた少女ってなんだろうって自分のことを一生懸命探るようになって、そういえば私「この星は私の星じゃない」と泣いていた時あったなあと思い出したんです。その少女って、結局、田中さんの中には今もいるから、そこの痛みから発するから、皆に言葉の強さが伝わるんだと思って、だから、自分の中にもいて、田中さんの中にもいる、その少女を描かなくてはいけないんだ、そこを大事にしないと、ほんとに偉人伝のようになっちゃうと思ったんです。
それが2年目くらいにわかったので、そこから撮り方も変わっていたし、これまでいっぱい撮ったけど、これもいらない、あれもいらない。少女に関係ないと思うところは全部捨てることにしました。

高野
 撮っているうちに変わるというところは、必ずありますよね。

宮崎 4年も撮ったということは、かなり撮っていますよね。

高野 もう一本映画作れそう。見るのが大変ですよね。

吉峯 そう。ぜんぶ文字起こしもしたし、それが大変でした。

高野 実は私の話なんですが、私も今『おっさんず ルネッサンス』という作品でおっさんを撮っているんです。おっさんって大嫌いで、だいたいおっさんって抑圧的じゃないですか。油断するとセクハラしようとするし、パワハラはあるし、おっさんたちに変わってほしいという作品を作ろうとやっているのですが、10年くらい付き合いのある人たちを撮っています。撮っているうちに、なんか可愛げがすごくあると思うようになりました。抑圧が取れて、社会からの足枷が取れて、むき出しの自分になって、妻との関係に悩んだり、友達ができないって悩んだりする姿があって、おっさんは意外に可愛いと思えてきました。

*『おっさんず ルネッサンス』 高野さんが今、製作している映画
愛知県大府市の施設「ミューいしがせ」で生活自立を学ぶおっさんたちのドキュメンタリー映画 
https://ossan-obu.com/

田中 フェミニストもおっさんも、好きなヤツと嫌いなヤツがいるだけじゃないかと思うのよね。。。どんな肩書きだろうと嫌いなヤツは嫌いなんです。妻子に優しく家事をやってるという男が全員好きなわけではないし。「膝を抱えて泣いていたボク」を忘れない男で、女・男の別なく付き合っていける、オープンザッマインドの男が、いいなぁ。

高野 なるほどね(笑)。その少女の心情というのが自分の中にいないと、そういのが消えてしまうと、これはうまく撮れる、これは効果的という風になってしまうかもしれませんね。

田中 「膝を抱えて泣いている少女」というのは、映画の中に出てくる言葉で使えば、「なぜ、私の頭に石が落ちてきたのか」ということへの拘りとイコールなのね。それは、「たまたま」に過ぎないんだと、散々悩んだ末に私は思い至るんだけど。ほんとにつらい何かを抱えた人って、「他の人も皆いろいろな傷を負ってるんだ」とわかっても、そういう事実に四捨五入できない自分がいるんですよ。「なんで私の頭に?」という、その問いそのものは、個人的に答えが出せるものではないし、社会的にも難しい。。。いわばそれって天に問うようなことですものね。そんな大きな事柄だから、「なぜ私のアタマに?」という問いや苦悩が宗教をもたらしたと言っても過言じゃないと思うんです。
いまはもう、石が落ちてきたのは「たまたま」なんだと知ったから、「なんで私のアタマに?」というこだわりも薄れてきましたが、でもそういうことばではないかもしれないけど、「なぜ私のアタマでなければならないの?」と悩んでいる人はたくさんいるはず。だから心細く自分を手探りしてきたことを、自分は忘れちゃいけないと思うのね、幾つになっても。その思いから多くの人とつながって行けるはずだから。


高野
 そういうのをお聞きできただけでよかったです。これから自分はどうやって生きるかというのも、少しそういう視点を忘れちゃだめということですよね。

田中
 センチメンタル過ぎるのは、モチロンいやだけど、センチメンタルがまったくなくなってもダメよね。。。人と繋がっていくのは、センチメンタルな部分もあってのことだから。

吉峯 あの海の崖のところで泣いていたのは、美津さんの少女の部分が反応してですね。

宮崎 田中さんの思いが伝わってきました。

田中 自分で言うのもナンですが、あそこ、いいですよね。

*カメラの組み合わせについて

高野 映像がクリアに撮れていますね。

吉峯 カメラはいいです(笑)。

高野 カメラいいんですか。

吉峯 私が撮っている自宅の場面は家庭用のビデオカメラだけど、外の映像とかイメージカットなどはいいカメラで撮っています。断崖で撮ったのは、南幸男さんという日本のドキュメンタリー界では5本の指に入るカメラマンです。

田中 横にカメラがあるのにゼンゼン気にしないでしゃべれたのは、やっぱカメラマンの腕がいいからでしょうね。

吉峯 ほんとですね。

田中 お蔭で、戦火に追われて人々が飛び込んだあの崖の下で話してたら、まるで自分も飛び込んだ一人になったような気がしてきて・・・・。

高野 慣れてしまったという感じでしょうね。

吉峯 あそこはシンクロしちゃって、世界に入っちゃっているんですよ。

高野 ちょうど良かったですね。小さいカメラでは家の中とか、狭いところを撮っていて。

吉峯 鍼灸院なんかも女性が裸だし、私が小さいカメラで撮っています。

高野 狭いところは機動性があるカメラ、広いところは大きなカメラで、映像にメリハリが効いていますね。色合いもいいですし。後半は外の景色が多いですしね。両方がうまく組み合わさっていますね。

吉峯 カメラマンの腕です。

高野 そういういいカメラマンを使えていいですね。

吉峯 一点豪華主義で、イメージカットや広いところの場面とか撮ってもらいました。

高野 私は大学出たてのカメラパーソンにお願いしています。京都から来てもらって撮影しています。名古屋ではそういう映画のプロカメラマンがいないので羨ましい。DVDができたらお送りします。

田中 東京でやるときは教えてください。映画は映画館で観るのが一番です。

吉峯 ほんとですよ。

*ウーマンリブとフェミニズム

宮崎 3,40代の人たちはウーマンリブの時代を知らないから、この映画を観て興味を持ってくれる人がいたらいいなあ。ウーマンリブの運動があってフェミニズムが生まれたということがわかるといいなあとも思います。ウーマンリブの運動、こういうような形であったんだなと、とても入りやすい内容です。

吉峯 そうですね。田中さんの生き方を通してリブたちの思いが伝わればいいですね。

田中
 リブとフェミニズムってちょっと違うんですね。あと、この映画ができて良かったなと思うのは、リブっていいなって思う人が、この映画で増えんじゃないかということです。

宮崎
 私もそう思います。私も運動に関わってはいたけど、カチカチの運動の記録だと、運動に関わっている人はわかるけど、そうでない人はそう思わない人もいる。


吉峯 逃げ腰になっちゃうから。

*再び「パワフル ウィメンズ ブルース」について

田中 みんなで歌って踊っている場面、いいでしょ。私、あの場面すごく好き。

高野
 すごくいい。あの時代の記録として撮れていて良かったですね。

宮崎 あんな映像が残っていたなんて思ってもみなかったので驚いたし、嬉しかったです。

田中 あれ1番と3番だけなんですけど、2番も入れてほしかった。2番はなんと原一男監督の元女房で、私たちの仲間だった人が歌っていたんですが、彼女は体から発する力が強い人で「父ちゃんみたいな男じゃいやなんだよ、母ちゃんみたいに生きたくないんだよ」って歌ってて、あれ、入れてほしかったなぁ。

宮崎
 そうでした。そうでした。それは残っていないんですか。

吉峯 1番と3番しか使ってないんです。

高野
 名古屋でも、最初に言った「赤華」ってグループが、あの歌をずっと歌っていたんです。オリジナルは直接は聴いていなかったんですが、彼女たちが歌っていて知っていましたし、彼女たちの持ち歌だと思い、それを聴いてとてもインパクトがある歌だと思っていました。

田中 みんな好きだったのよねぇ。

高野 テーマソングになっていて良かったですね。かっこいい歌になっていましたね。

田中 同じ歌詞が、カッコいい新しいメロディで歌われてて、あれでリブファンがグンと増えた感じ。

高野 「たまたま女に生まれただけなんだよ」って、いろいろしんどいことがあっても、この歌に励まされました。応援歌になっていますよね。

吉峯 「私のサイコロ私が振るよ、どんな目が出ても泣いたりしないさ」って。

田中 この映画、をマスコミがどのくらい取り上げてくれるかなぁ。なんせ男マスコミだから・・・・・。

高野 「なんだリブか」ってことにならなければいいんですけどね。

宮崎 私もかつて、そのマスコミが作り上げたリブ像のおかげで、リブのことを誤解していて、1975年まで5年の間、リブの人たちに出会わずにいました。

田中 敬遠しちゃったのね。でも今日ね、上映が終わった後、感じのいい男の人が寄ってきて、感動したと言ってしてしっかり握手を求められたんだけど、なかなか手を離してくれなかったのね。60代くらいの人だったけど、何をやっている人なのかなと凄く印象に残った。
 
吉峯 男にも伝わって良かった。その人も自分の中の少年を思い出していたんじゃないですか。

田中
 嬉しいよね。

高野 やっぱり映画ができると大きいですよね。みんなリブの影響をあちこちで受けながら細々とやっているんですよ。

田中 この映画、10月26日からまず東京で公開されるんですが、その際いろいろな方がゲストに来てくれることになっていて、上野千鶴子さんもその一人。上野さん、この映画を観てどう思うかなぁ。感想が楽しみです。

高野
 上野さんは、ちゃんと受け止めてくれますよ。

田中 フェミニズムの代表として上野さんがいるでしょ。でも自分もフェミニストなんだけど、フェミニズムはあまりシックリ来ないという人が、私のファンには多いのよね。

宮崎 そうですね。私もそうです。

高野 私もちょっと違うというのは、感覚としてよくわかります。

田中 だから上野さんがこれを観て、どう思うか知りたいのよね(笑)。 

高野
 フェミはやっぱり根っこに膝を抱えた少女が必ずいると思うんです。そして「この星は、私の星じゃない」とも思った人たちだと思うんです。

田中 私ね。上野さん的なフェミニズムを否定的に思っているのではなく、あの映画を観てから一層、私的なフェミニズムと上野さん的なフェミニズムの両方必要なんだと強く思ったのね。そのことを上野さんもわかっていると思いますが、この際生の声であの映画を観た感想聞けるのが聞けるんで。楽しみだなぁと

高野 ほんとにそうですね。興味深いです。

吉峯
 しかも初日ですよ。初日。

取材を終えて
東京でインタビューさせてもらう予定でしたがあいち国際女性映画祭で上映があるということを知り、ちょうど映画祭に行くので、今回は名古屋で取材をと考えたところ、いつもシネマジャーナルに記事を寄稿されている名古屋在住の高野史枝さんが取材申請しているというのでご一緒させてもらいました。名古屋の女性たちの運動との兼ね合いでお二人に質問していたので、名古屋のことも知ることができる記事ができました。名古屋でも「パワフル ウィメンズ ブルース」が歌われていたというのは感慨深いものがあります。
米津さんも出てきて嬉しかった。私は1980年頃、新宿の製版屋(印刷の版を作っていた)で働いていたんだけど、そこに米津さんが時々製版の依頼に来ていた。私はてっきりリブ新宿センターの仕事と思っていたんだけど、その頃はすでにリブセンターはなかったんですね。この映画のことを調べていて知りました。米津さんは大きなバイクに乗ってやってきました。あの頃、大きなバイクに乗った女の人は珍しく、さっそうとしていてかっこよかった。そんなことを思い出しました。
そして何よりも田中さんがこんなに気さくな方だとは思いませんでした。そんな田中さんの姿を4年も追い続けた吉峯監督。長い時間が紡ぎ出した田中さんの姿だと思いました。(宮崎暁美)

2019年10月26日~11月8日 渋谷ユーロスペースにて公開

連日朝10時30分より(上映時間90分)上映開始
トークショー開始 12時ごろの予定
11月2日(土)は田中美津さんによるトークの聴き手は渡辺えりさん(女優/劇作家/演出家)です!
以後のトークイベント(いずれも映画の上映終了後)‼
11月 3日(日)小川たまかさん(ライター/フェミニスト)
11月 4日(月・祝)吉峯美和さん(本作の監督)
11月 6日(水)安冨 歩さん(社会生態学者/東京大学東洋文化研究所教授)

ユーロスペースでの上映後、名古屋シネマスコーレ 横浜シネマリン、大阪シネ・ヌーヴォ 京都みなみ会館神戸元町映画館 鹿児島ガーデンズシネマ 沖縄桜坂劇場 松本シネマセレクト 他全国順次公開予定!

参考
シネマジャーナル スタッフ日記
『この星は、私の星じゃない』完成披露試写会に行ってきました
http://cinemajournal.seesaa.net/article/469274783.html




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