『ゆうやけ子どもクラブ!』井手洋子監督インタビュー

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ゆうやけ子どもクラブは1978年に発足。障害のある子どもの放課後や学校休業日(土曜日、夏休み・冬休み・春休みなど)の生活を豊かにする活動の草分け的な存在です。保護者や市民など、多くの関係者の力を得て発展してきました。  
特定非営利活動法人あかね会が運営する、ゆうやけ子どもクラブ・ゆうやけ第2子どもクラブ・ゆうやけ第3子どもクラブがあります。すべて、児童福祉法にもとづく放課後等デイサービスの事業所です。 小平市内に在住する、知的障害、自閉症などをもつ、小学1年生から高校3年生を対象としています。(ゆうやけ子どもクラブHPより)
https://www.yuyake-kodomo.club/index.html

*井手洋子(いで・ようこ)監督プロフィール*

1984年より映像製作の仕事を始める。羽田澄子監督の『安心して老いるために』『歌舞伎役者・片岡仁左衛門』などに助監督として参加後、フリーランスの映像ディレクターとして岩波映画製作所、桜映画社などで仕事をする。布川事件を14年間追いかけたドキュメンタリー『ショージとタカオ』(自主映画作品)は、2011年度文化庁映画賞 文化記録映画部門大賞、2010年第84回キネマ旬報ベストテン文化映画部門第1位、2011年度第66回毎日映画コンクールドキュメンタリー映画賞、2011年釜山国際映画祭アジア部門最優秀ドキュメンタリー賞、ドバイ国際映画祭ベストヒューマンライツ賞など国内外で高い評価を得た。著書に「ショージとタカオ」(文藝春秋社)「女性が拓くいのちのふるさと海と生きる未来」(共著 昭和堂) (HPより)

『ゆうやけ子どもクラブ!』作品紹介はこちら
監督・製作:井手洋子
撮影:中井正義、井手洋子
編集:大川景子
https://www.yuyake-kodomo-club.com/
★11月16日(土)~12月6日(金)、ポレポレ東中野にて上映中
1日1回12時からの上映です。
★11月30日(土)~12月13日(金)横浜シネマジャック&ベティ
時間はHPでお確かめください。


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―映画の始まりは?

このゆうやけ子どもクラブ代表の村岡真治さんが、前作の『ショージとタカオ』をご覧になっていて、連絡をいただきました。見てみないとわからないので一回伺いますと、2017年の6月に伺ったのが最初です。
障がいのある子どもたちの「放課後の支援」をするところでした。それまでそんなところがあることを全然知らなかったんです。もしかしてこれはとても大事なことなのではないだろうか? 私と同じように「知らない人たちに知らせる」ことができるのではと思いました。
夏休みにアシスタントの女性とカメラを持ってゆうやけ子どもクラブへ行ったんですが、そのときは何が何だか(笑)。名前もまだわからないし、走り回る子どもたちが何をするのか全く予測できないんです。お昼から半日いて、くたくたになりました。30分だと子どものつぶやきとか入らない。30分だけでなく、1時間の長いバージョンも作ったほうがいいと思いました。ちゃんと映画にして、小平という枠をとり払って、ほかの人にもこの活動を見てもらったほうがいいんじゃないかと考えました。寄付を集めてもらったりして一緒に創り上げました。2017 年冬から本格的に撮影を始めましたが、今回の撮影は体力勝負になると思ったので、私が単独で撮影するのではなく、カメラマンに参加してもらうことにしました。

ゆうやけ子どもクラブは40周年ですが、2012年に「放課後等デイサービス」という国の制度ができました。署名を集めたりした運動が実ったのはいいんですが、今度は営利事業者などもたくさん参入してきました。「作業所ですぐ役に立つような能力を開発」をアピールする事業者もいます。
ゆうやけ子どもクラブのやり方は、人とコミュニケーションが取れるようになるとか、友達と遊べるようになるとか、そういう本質的な“人として少しでも自立していけるようなことを考えた、遠くを見た支援”なんですよね。それは長年かかって少しずつできてくるものですから、即効性ではないんです。
 
撮影は、ゆうやけ子どもクラブの日常を記録して、子どもたちの成長の兆しを少しでも描くことができたらという思いで始めました。
何が大変って「主人公がいない」ってこと(笑)。ゆうやけは3ヵ所あって、第1から第3まで全部撮ってほしいと言われたんです。普通は1ヵ所で誰を撮る、と絞っていくと非常に取材しやすいんですが「わかりました」と。4~5年撮れればいいですけどそうはいかないので、短い間でも少しでも変化の兆しを撮れるようにしたいと思って、何人か紹介してもらいました。
最初にカメラを向けたのはユウトくん、公園でダンゴムシを探す男の子です。ホールに集まった子どもたちは見ているといろんなことをしている。一緒について歩いて撮るんですけど、次に何をするのか予測不能です。撮影現場自体は、子どもたちのエネルギーが溢れていて楽しいのですが、終了して帰る道すがら、「どうしよう…」と焦りが。真っ暗闇の中にポツンといて、手探りで歩いているような感じでした。

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―撮影期間はどのくらいですか?

製作費に制約があるので、トータルで30日しか行けてないんです。ゆうやけ子どもクラブの職員さんは午前中から来ているので(子どもは放課後)何をしているのかなと行きました。職員研修会という会議をしていたんですけど、それが一人の子どもの活動記録を何年分も遡って、しかもそのデティールがもう細かい細かいことなんです。それを撮っていたら、これってドキュメンタリーに似ていると思いました。映画は事実の集積、「何年何月何日あの人がこうした」というのを集めていくのがドキュメンタリーの取材と思っているから。そのときは1人で行ったんですけど、面白くって。カメラやマイクで知らないことを発見するというのが、私にとってドキュメンタリーの面白さなんです。だからもうわくわくした気持ちになって。

中学生のユウトくんを撮っていたときのこと。村岡さんから聞いた話では、ユウトくんは担当の指導員に段ボールで「アイフォン」を毎日作ってくれというんです。画面にアプリケーションの絵まで描いて、同じものを毎日毎日作らされるうちに、ユウトくんが「アイフォンの文字が消えないようにセロテープを貼って。そうしたら触っても消えないよね」と言ったそうです。それで、「あ、これは本人の発見があるな、発見があるんだったら作るの続けようか」と気づいて続けることにしたそうです。
「放課後活動ってこれだけしなさい、これだけでいいというものじゃなくて、“本人の探求をどこまでも一緒に、どこまでも飛んでいくつもりでやっていこうよ。”それだけ腹を括ってやっていかないと放課後活動はできない」という村岡さんの言葉にパーンと反応しました。その前までは正直ちょっと子どもたちを甘やかしすぎじゃない?と思っていたんですが、そうじゃないんだと。中井カメラマンに「”一緒に飛んでいく”ってキーワードをテーマにして、ずっとこっちも何か始まったら止めないで撮っていきましょうよ」と頼んで。ほんとにずーっとついて行ってたら、中井さん(カメラをかつぐので)肩壊してしまって。

―職員の方々は子どもたちにあれこれ指示するのでなく、子どもが始めるのを待って、することをじっと見守っていますよね。親はなかなか気長に待つことができないです。村岡さんのご本には、大学生のときにボランティアから始めて「子どもたちと一緒に成長した」とありました。

村岡さんはゆうやけに最初からいる方なんですが、みんなで活動を続けながらそんなふうにしていったんだと思います。
とことん子どもを理解するというのが第一にあって、理解するために、すぐ制しないで子どもの「こうしたい、ああしたい」心を全て受け止めたいということなんです。そこからどうするか。
村岡さんが前に言っていたのは「率先して遊ぶ」。自分を見て「あ、そういう風にして遊んだらいいのか」と考えてもらえる。だから自分が率先して後ろ姿を見せてきたんじゃないですかね。

―30日間通われたそうですが、撮影が終わったのはいつでしたか?

終わったのは今年の3月くらいです。使っている映像は1月くらいまでのなんですが、並行してずっと編集もして、ロングバージョンを職員さんに見せたり。一筋の光は見えたんですが、その後がなかなか難しくて。自分が職員さんと同じくらい毎日通ってずーっと見つめていないと、微妙な気持ちの揺れとかわからないんですよね。

夏休みなどの長い休みのときには、朝から夕方まで事業所を開いているので、長い時間子どもを撮影できます。それで昨年の夏休みに集中的にゆうやけ子どもクラブに行って、その期間に出会ったカンちゃんという(その頃聴覚過敏に悩まされていた)中学生の子と、前に気になっていた小学生のガクくんを撮影しました。

―ガクくんはけっこう大きいのに、散歩に出たときに指導員さんが途中でやめずにずーっとおんぶしていましたね。あの姿に感動してしまいました。自分だったら「そろそろいいかな、降りてくれる?」と言ってしまいそうです。

業界的に言うとこのくらいの年齢の子どもにおんぶはNGなんだそうです。ちゃんと歩かせる。ガクくんは気持ちの不安定な子みたいで、1年半くらい前にゆうやけ子どもクラブに入ったのですが最初は大変だったそうです。ガク君の気持ちをみんなで受け止めよう、とあえておんぶも抱っこもする。そうすることで少しずつ心が開いてきたんです。そういう実践を前に聞いていたので、(機会があったら)撮ろうと思っていたらちょうど。
おんぶしている井原さんはガクくんを担当することが多くて、二人の散歩についていきました。その間ずーっとおんぶでしょう。私はマイクを持って、中井さんはカメラ持ってずーっと。井原さんのその姿にこちらも感動したわけです。最後の最後までおんぶしていく後ろ姿をずーっと見ていて、これはすごいな、これは映画に使いたいと思いました。彼女はエネルギー溢れる人で、プロとして子どもの先を考える、その先を見ているんだと思うんですよね。近い将来はもう少し気持ちを開いてくれればいいって。

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―子どもたちの成長の兆しがちゃんととらえられていました。

ぎりぎりセーフっていうか、夏から絞り込んでガクくん、特に中学生のカンちゃんと積み木に夢中になっている小学生のヒカリくんは、何度も撮影しました。始めはどういう風に撮っていいかわからなかったんです。でも去年の秋、10か月ぶりくらいに行ったら見事に変化がみられました。たまに行く人のほうがよくわかるもので、ヒカリくんは積木の内容も変わっていましたし、これはすごい!と。さらに撮影をすすめたときに、ヒカリ君は他の子どもたちからいつも離れていて孤立しているかのように見えたのに、実はそうじゃなかったことがわかる。自ら子どもたちの輪に…。彼の成長の様子はぜひ映画で観て欲しいです。

―ヒカリ君が子どもたちの中に入って行ったときに、胸がいっぱいになりました。
あるお父さんが、ゆうやけ子どもクラブに入って子どもが変わったことを喜んでいたのと、障がいのある子どものお母さんが孤立しがちなこと、こういう活動が拡がって改善されるようになってほしいと言われたのが心にしみました。


外から見ただけではわからない障がいの場合、わかったときの周りの反応が冷たくて厳しいらしいんです。気丈なお母さんたちばかりだけれど、心が折れると言っていました。それで、この映画もお母さんたちにとっては思い切ったわけです。
最初は躊躇したらしいですが、映画のための実行委員会を作って“映画館上映をスタートにして、いろんな人にわかってもらおうよ”と人に勧めてくれています。

―聴覚過敏でイヤマフをしていたカンちゃんはとても繊細で、伝えたいことが伝わらないもどかしさを感じました。

カンちゃんの場合は、ちょうどわーっと泣いているところが初めての出会いだったんです。耳の敏感な子に初めて会ったので吸い寄せられたんです。カンちゃんどんな人?って。そのとき彼は、中学生になって環境がいっきに変って、もともとの聴覚過敏が急激に強まっていた頃でした。カンちゃんは、内面にどんな世界を持っているのだろうと。そこから彼を何度も取材しました。そうして時間がたつにつれてカンちゃんも徐々に変わる兆しが見られるようになってきた。
彼を担当する職員の女性があるとき語ってくれた「小さい頃からすると、納得してできることが増えてきた。今は音への過敏性が強まっていて、厳しい状況もあるけれど、いつかは変っていく。そう思っていたい」その言葉が私の胸に響きました。

映画を観ている人が「健常者と障がい者」じゃなくって、そうしたバリアをとりはらってもっと近しい関係で観てくれたら。世の中にはいろんな人がいるんだよね、ってそういう見方をするきっかけになったらなぁと思っています。ゆうやけ子どもクラブでは、一人ひとりの子どもの状況に応じてスタッフがじっくり向き合って、一人ひとりを大切にする環境をつくり出そうとしている。考えれば、私たちの足元だって、どうだろうかと。
私は女性で仕事をしてきたけれど、初めて一緒に仕事をすることになるスタッフの中には、女性監督という「女性」ということを意識しすぎている人たちが今でも多いことに時々気づかされます。私もそうですが、だれだって一人ひとり、自分らしく、ありのままの自分を受け入れて欲しい。男性とか女性とかが前提ではなく。井手洋子という一人の人間として。
一人ひとりが大切にされる社会、それが本来のダイバーシティなのではないのか。『ゆうやけ子どもクラブ!』の映画を観てもらって、いろんなことを考えて欲しいのです。この映画のテーマは一つではなく、複合的に様々なことがからまってゆうやけ子どもクラブが今あるのです。

=インタビューを終えて=
映画を観て、こんなふうに障害のある子どものためを一番に考える居場所があちこちにあったら、どんなにかいいだろうと思いました。子どもを気にかけながら仕事に急ぐお父さんやお母さん、迎えに行くまで安心して預かってもらえる場所がここにあります。ゆうやけ子どもクラブに来る子たちの中には、「ただいま!」と元気に飛び込んでくる子もいます。ここが大好きなことがよくわかります。とことん遊ぶ中で大事なことを身につけていきます。目に見えてわかるまでに時間がかかりますが、確実に子どもは変わっていっています。子どものしたいことに寄り添ってじっと見守る指導員さんたちの、気力・体力はどれほどあるんでしょうか。心の容量もとても大きいはずです。
ゆうやけの子どもたちの毎日を追いかけて、映像に残した井手洋子監督もまたたいへん志の高い、しかも粘り強い方でした。子どもたちの記録はいつまでも映像の中に残ります。ご両親の支えになり、同じ境遇にある方々への応援歌になるでしょう。10年後20年後ゆうやけの子どもたちがおとなになっても幸せでありますように。
(取材・写真:白石映子)



井手監督は映画少女でしたか?

小さいころから好きでしたよ。小学生のころ放送部だったんです。給食時間に「今日は音楽鑑賞の日です。いただきます」とアナウンスしたりレコードかけたりしていました(笑)。それやこれやで、放送という媒体が面白いなと思って、受験生時代は当然深夜放送を聞いていました。
音や映像で自分の内側にあるものを伝えることがすごく面白いというのが、ずっと前からあったんです。大学のころは「アナウンス研究会」で、作品も作るんです。構成して音楽を入れてというのがものすごく面白くなった。できたら放送の仕事をしたかったんですが、そのころ制作に女性が入れるかどうかわからなかったので、ラジオ局を受けたんですがだめでした。
しばらく復習塾で先生をやっていたときに映画好きの人に逢って、影響を受けてたくさん観るようになりました。そしたらやっぱり映画かな、と思って(笑)、すぐ思い込みやすいタイプなんです(笑)。映画なら絶対監督になりたい。

そのころ観たのは『木靴の樹』(1978/エルマンノ・オルミ監督)、リバイバルですけど『裸の島』(1960/新藤兼人監督)とか、そういうものに感動して映画がやりたい、できれば劇映画を。その当時は男性監督がメインで女性は全然いない。演出をやりたいので、助監督。でも全然ないんです。そのうちに岩波ホールでよく映画を観ていたので、羽田(澄子監督)さんを知って「助手をさせてください」と立候補しました。1回目はダメで、別の作品についたんです。西啓子さんというドキュメンタリーの監督で自閉症児の1年間を記録するものでした。西さんはすぐにOKしてくださって、それが映画スタッフとしての初めての仕事でした。西さんの仕事が終わってから、こういう仕事をしましたと羽田さんに手紙を出したら、ロケに助監督さんが急きょ必要になったからと羽田さんから連絡があって、(「痴呆性老人の世界」という、後に岩波ホールで大ヒットになった作品)演出助手として羽田さんのスタッフに加えてもらうことになりました。
一概には言えませんが、私があたった男性の監督は意外に「いいですよ」というんですけど、その場だけでした。女性はダメっていうのもちゃんと言ってくれて誠実だったんです。この仕事で食べていくのは大変だからやめたほうがいい、と羽田さんもはっきり言ってくださったし。お2人の女性の監督にお世話になってなんとかこの業界に入ったわけです。私はそのときに「職人」になろうと思ったんです。つまり映像作家じゃなくて、この映像を生業としてやりたい。これでご飯食べていきたいと思ったんです。そういう意味で何でもやろうと思いました。
短編業界っていうんですけど、クライアントから発注があって映像をつくる。そこで切磋琢磨して、その経験を生かして、自主製作もやりたい、と『ショージとタカオ』を作ったんです。
私映像が大好きなんです。ドキュメンタリーとか劇映画とかいう枠をとっぱらって、とにかく映像が好き、その仕事をするのが大変は大変なんですけど、もう至福なんですよね。

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