第20回東京フィルメックスで、特別招待作品として上映され、主演のベーナズ・ジャファリさんがコンペティション部門の審査員として来日されました。 上映の行われた11月24日にインタビューの機会をいただきました。
『ある女優の不在』 原題:Se rokh 英題3 faces
監督:ジャファル・パナヒ
出演:ベーナズ・ジャファリ、ジャファル・パナヒ、マルズィエ・レザイ
*物語*
人気女優ベーナズ・ジャファリのもとに、見知らぬ少女から悲痛な動画メッセージがパナヒ監督経由で届く。女優を志して芸術大学に合格したのに家族に反対され自殺を図るというのだ。ベーナズはパナヒ監督の運転する車で、少女マルズィエの住む北西部アゼルバイジャン州のサラン村を目指す。山間のじぐざぐ道で結婚式に出会い、誰かが自殺した気配はない。マルズィエの家を探しあてるが、3日前から家に戻らないと母親が困り果てていた。芸人に対する偏見が根強い村で、弟も姉が女優になることに猛反対で荒れ狂っている。
やがて、マルズィエが町外れで暮らす革命前に活躍した女優シャールザードのところに身を寄せているのを知る・・・
シネジャ作品紹介
2018年 カンヌ国際映画祭 コンペティション部門 脚本賞受賞
2018年/イラン/ペルシア語・トルコ語/カラー/ビスタ/5.1ch/100分
配給:キノフィルムズ
公式サイトhttp://3faces.jp/
★2019年12月13日(金) ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次公開
ベーナズ・ジャファリ
イラン国内にて、TV,、映画など幅広く活躍している人気女優。日本公開作品では、サミラ・マフマルバフ監督『ブラックボード 背負う人』(2001年)にHalaleh役で出演。
映画祭上映作品では、 『シーリーン』(キアロスタミ監督、2008年東京国際映画祭)『ガールズ・ハウス』(シャーラム・シャーホセイニ監督、2015年東京国際映画祭)、『恋の街、テヘラン』(アリ・ジャベルアンサリ監督、2019年アジアフォ―カス・福岡国際映画祭)に出演している。
◎インタビュー
― 東京フィルメックスの審査員として来日され、嬉しい限りです。東京はいかがですか?
ベーナズ: 日本は憧れの国だったので、ほんとに嬉しいです。
― 審査員としての来日なので、長く滞在できますね。
ベーナズ:たったの2週間しかビザがおりないの。
◆完璧な脚本を持ってパナヒ監督の故郷で撮影
― 『ある女優の不在』は、パナヒ監督らしい映画でした。パナヒ監督が、綿密に書き込んだ脚本だとわかっているのに、もしかしてこれはドキュメンタリーなのかと思わされる箇所もあります。ベーナズさんは、パナヒ監督からオファーを受けたとき、結末まで書かれた脚本をご覧になったのでしょうか?
ベーナズ:ファーテメ・モタメド・アリアーさんに出演してもらう予定だったのに、急に駄目になって、私に突然オファーが来ました。脚本には、すべて書かれていたけど、ファーテメさんに当て書きされていたので、多少、私に合わせて書き換えてくれました。例えば、少女を叩く場面は、私ならもっときつく叩くと、変えてくれました。
― 撮影は、パナヒ監督のお母様、お父様、祖父母の生まれた村で行われたそうですね。パナヒ監督は、ロケ地での状況にあわせて、エピソードを映画に加えたということもあるのでしょうか?
ベーナズ:カンヌでも何度も聞かれました。パナヒ監督は映画を撮ってはいけないことになっているので、スピーディに撮らないといけません。決まった撮影期間の中では、偶然を取り入れて撮り直す余裕はありません。カット割りもすべて完璧に決まった中で撮影しました。
親戚がいっぱい住んでいるところなので、皆が撮影に協力してくれました。撮影していることを隠すこともできました。映画に出ている人も親戚や知り合いが多いのです。
撮影許可は助監督の名前で、あの村で短編を撮るという形で取っていました。一度、村を出たところで警官に捕まったのですが、私が降りていったら、「ジャファリさんですね」と言われたので、「テレビの撮影です」と言って、うまく逃げました。ちょうどドラマの撮影が終わったところで、ドラマでの役柄で髪の毛を赤く染めたままでしたので。
(私が一生懸命メモを取っているところを、スマホで動画を撮るベーナズさん)
◆アジアフォーカス出品作に出ていた
― 今年のアジアフォ―カス・福岡国際映画祭で上映された『恋の街、テヘラン』にも出演されていましたね。 『ある女優の不在』を観た時には気がつかなかったのですが、今、ご本人にお会いしてわかりました! 結婚式場のカメラマンをしているニ―ルファ―ですよね。
ベーナズ: そう! ニ―ルファ―。 (ここで、映画の中で歌われていた「ニ―ルファ―」の歌の出だしを歌ってくださいました。)
― 少し飛んでる女性で、この映画のベーナズさんと同一人物と思えませんでした。どちらのキャラクターがご自身に近いですか?
ベーナズ: 女優という本人役で出ているから、もちろんこちら(『ある女優の不在』)でしょう!
(でも、実は、東京フィルメックスの記者会見の最後にとても陽気な面も見せてくださって、ニールファーに近い面もあると思いました。)
◆尊敬する監督だから、出演を即決
ー 映画製作を禁じられているパナヒ監督の映画に出たのは、とても勇気があると思ったのですが、出演することに、なんの躊躇もなかったですか?
ベーナズ: カンヌ国際映画祭に参加して帰国してから、当局に呼ばれました。「なぜ、撮影禁止のパナヒ監督の映画に出演したのか?」と聞かれたので、「あなたたちの規則ではパナヒ監督は映画を撮ってはいけないのでしょうけど、私には私の役者としてのルールがあって、尊敬している監督の映画だから出て学びました」と言ったら、大丈夫でした。
ー すごく心配していましたが、お咎めなしだったのですね。
ベーナズ:イランではその時に何も言われなくても、3年後に言われるかもしれません。または、3年位、オファーが来ないなぁ~、自分は駄目だな~と思ったら、実は当局が何かお達しを出していたということもあるかもしれません。
― 今のところ、オファーはあるのですか?
ショーレ: メヘルジューイ監督の新作映画に出てますよ。
― 今回の、フィルメックスでメヘルジューイ監督の『牛』が上映されますよね。メヘルジューイ監督には、2004年のアジアフォーカス福岡国際映画祭で『ママのお客』が上映された折にお会いしました。もう15年も前のことですが、今、お元気ですか?
ベーナズ:82歳になられましたが、お元気ですよ。
◆猫背を師に叩かれ、女優になる決意をする
ー ベーナズさんは、20歳頃から女優をされていますが、いつごろから女優になりたいと思っていましたか? 何か、きっかけになった映画や、出来事は?
ベーナズ: 最初、美術の専門学校でグラフィックを学んだのですが、その後、大学で演技を学びました。ほんとに役者になりたいと思ったのは、その時、先生だったゴラーブ・アディネさん(注:メヘルジューイ監督の『ママのお客』(2004年)のママ役の女優で、やはり2004年のアジアフォーカス福岡国際映画祭でお会いしています)から、背中を曲げて座っていたら、ポンと背中を叩かれて、「役者になるんだったら、ちゃんとまっすぐ坐りなさい」と言われました。女優はすべての仕草を普段から見られているのだとわかりました。これから役者になるのだったら、煙草も吸えない、唾も吐けない、ちゃんと歩かないといけない、ちゃんと座ってないといけないと。アディネさんに叩かれて、私も役者になれるんだ、女優になろうと思いました。
今、私自身、演技を教えているのですが、いつも生徒に言うのは、役者になったのは有名になりたいわけじゃなくて、演じることが好きだったから。写真をビルボードに載せたいわけでもないし、大きなポスターもいりませんと、いつも言ってます。私が役者になったのは、先生たちのお陰です。大学では、エディネさんのほか、舞台で有名なサマンダリアンさんや、映画監督のバハラム・ベヘザーイ氏などに教わりました。
― 素晴らしい先生たちに恵まれたのですね。
ベーナズ:ほんとに、そう思います。今、自分の生徒はかいわいそうです。
― 映画やテレビで演じながら、教えることもしているのですね。
ベーナズ:今、専門学校二つで教えていますが、私はまだ役者として半熟なので、絶対先生と呼ばないで、一緒に学んでいるのだからと生徒に言ってます。何かに先生は誰と書く機会があっても、私の名前は絶対書かないでと。ほかの役者さんは舞台で演出をする方もいますが、私は演出をしたいと思ったことも、演出したこともありません。まだまだ役者として完璧でないので、演技を学んでいる身です。
◆革命前の名優は、革命後の世代にも英雄
ー イラン革命から、40年が経ちました。今や、革命前を知らない世代が国民の半数以上を占めると思います。ベーナズさんもまだ幼かったので、革命前の記憶がないと思います。
この映画に出てきたシャールザードや、 ベヘルーズ・ブスーギのように、革命後、活動を禁止された人たちの存在を、若い世代はちゃんと知っているのでしょうか?
ベーナズ:私たちにとって、ベヘルーズ・ブスーギは今も英雄です。父が大ファンです。日本の三船敏郎のような存在です。私たちの子ども世代も知っています。今でも、テレビで古いベヘルーズ・ブスーギが出ているモノクロの映画を放映していたら、ほかのことはしないで、テレビの前に座って最後まで観ます。
― もっとお話を聞きたかったのですが、残念ながら時間が来てしまいました。これからの活躍も楽しみにしています。
取材:景山咲子
東京フィルメックス 『ある女優の不在』 主演女優ベーナズ・ジャファリさんQ&A(11/24)
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