『カゾクデッサン』今井文寛監督インタビュー

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*今井文寛監督プロフィール*
大学卒業後、CM撮影スタジオに入社。スタジオマンとして働く。スタジオ退社後、フリーランスの照明部として活動。その傍ら、緒形拳主演『ミラーを拭く男』(03/梶田征則)などの映画に助監督として参加。
2008年、日本映画学校22期俳優科・卒業ドラマ作品『解放区』冨樫森監督作に照明技師として参加。
2010年に脚本監督した短編映画『ナポリタン、海』がショートショートフィルムフェスティバル&アジア2011、ジャパン部門に入選。
2014年公開の堀口正樹脚本監督作『ショートホープ』に照明技師として参加。
自己資金でこの作品の製作に乗り出し、共感する多くの方の協力を得て完成させる。

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(C)「カゾクデッサン」製作委員会
★2020年3月21日(土)より新宿K’s cinemaほか全国順次公開

―この初の長編作品は“自主製作”ですね。製作費集めから始めたのですか?

脚本が書きあがったころ協力してくれる人が集まっていたのと、ちょうど貯金もそれなりに貯まっていたので。貯金です。

―貯金!ちょっとやそっとじゃないですし、作っているうちにだんだん足りなくなったりしませんか?

みなさんに正式なギャランティーや機材費などをお支払いしていたらとても足りません。みなさんが技術や機材や人材、時間を無料で提供してくれましたので、なんとか形になりました。

―良い方が周りにいらしたんですね。

そうですね。ほんとに仲間あっての映画です。

―いい人が集まるのは、本人がいい人だからだと思います。

いやー、だといいですけど。かなり無理させてしまいました。だけど、みんな映画が好きで「良い映画にしよう」という目標は一緒でした。

―「借り」は作ったら、時間かかっても忘れずにお返しすればいいんですよ。

そういうことですね。昔は借りを作るのが怖かったんですけど、今は「出世払い」ということで、いろいろお力を借りています。いずれお返したいと思っています。そんなこともあり、撮影中はみんなにとって楽しい時間にするということを意識していました。

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―最初に作る映画のテーマは「家族」と決めていらしたんですか?

そういうわけではないです。企画はいろいろありまして、以前はもっとお金のかかる映画を書いていたんですけど、自分でやるしかなくなり、それは不可能でした。それで自分の資金内で作れる映画の脚本を書こうというところから始まりました。
そのときに最初にあったのは「自分の好きな人を書きたい」ということでした。僕がスタジオや照明部で働いているときに、仕事を教えてくれた先輩たち…職人気質な人が多く、乱暴で、酒が好きで、言葉も荒い。けど、面倒見が良くてよく教えてくれて、失敗しても笑って許してくれるみたいな。

―剛太くんに似ています。

まさにそうなんですよ。そんな方々に教えてもらって僕も仕事を覚えてきたんですけれども、年を経まして先輩方も年を取り、お酒のせいで身体を壊される方も出てきたんです。そんなときに、僕はそんな先輩たちの良いところを引き継げているのか、それをまた後輩たちにうまく繋いでいけてるのか、ということに自信が持てなかったんです。
僕がお世話になった、僕がカッコいいと思う人たち、一般の人からみたらあんまり経済的に成功していない負け組と言われるのかもしれないけれど、僕にとってはカッコいい人たち。その姿をスクリーンに描きたいと思ったところから始まっています。

子どものころ親にすごく怒られて、「自分はこの両親のほんとの子どもじゃないんじゃないか」と思ったりしたことありませんか?僕はあって、脚本を書いているうちにそんな妄想的なことから話が組み上がっていきました。
意識のない母親、そういう人から、周りの話が動いていく。これは尊敬するエドワード・ヤン監督の、大好きな映画『ヤンヤン 夏の思い出』の影響が大きいと思います。

―出てくる男性は喧嘩したり、子どもっぽかったりするのに、女性は包容力があり、母性を感じました。監督はお母さんっ子かなぁと思いました。

あ、ばれましたね(笑)。父はあまり喋らない人だったので、やっぱり母親との交流のほうが多かったです。僕自身がこういう不安定な生き方をしているからか、周りの友人や仕事仲間たちが結婚していったりすると、じゃあ自分はみんなみたいに家庭を持てるんだろうか?正直その自信がなかったんです。

―そのへん剛太くんですね。

はい。だと思います。

―で、ご結婚は? あ、おばちゃんはすぐこれで(笑)、すみません。

まだです。諦めてはいないんですけど(笑)。

―きっと赤い糸の人が待っているんですよ。

はい、まだ期待しています(笑)。

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―映画に戻りますね。完成までにどれくらいかかりましたか?

企画を書き始めてからでしたら、4年くらいかかっています。

―4年ですか。お疲れ様です。そして公開おめでとうございます。

ありがとうございます。

―最初の作品にこれまで蓄積したものをつぎ込む方が多いと思いますが、監督は全部入れこめましたか?

いやー、全然入れこめてないです。単なる映画好きの映画バカなので、まだまだやりたい。企画はたくさんあります。

―この作品については。

俳優や技術の方々、いろんな人の力を貸していただき、ほんとに思った以上の作品になったと思っています。

―撮影期間はどのくらいでしょう? お天気は大丈夫でしたか?

11日間です。雨はですね、僕は晴れ男なんです。通り雨が1回あっただけです。

―病院の屋上の青空が印象的でした。ロケーションも良かったですね。

あそこはラッキーでしたね。ラストのほうですから、カラッと晴れて映画の神様によくしていただきましたね。制作担当が非常に優秀な方でほんとに素敵なロケ場所を見つけてくれました。バーやマンションも好評でした。リノベーションされたマンションでお洒落なんです。

―部屋の中にも窓があって。

美里が寝ているときに剛太が出ていって、窓の向こうの剛太へカメラが追う。窓の向こうに見える剛太から実は目を覚ましていた美里の顔へと、ワンカットでいけました。

―その窓の使い方もですが、ガラスや鏡に映像が映りこんでいるシーンが何度もあって目に止まりました。

はい。鏡をそこに持ってきて。ロケ場所もそういうところを選んでいます。というのは、撮影の中澤正行さんが映りが大好きで、そういうところで映画空間を作っていくんです。

―病院の廊下も長回しでカメラが人についていきますね。あそこも監督がやってみたかったこだわりでしょうか。

撮影の中澤さんも僕も長回しが好きで、どこまで行けるのかとチャレンジしてみました。ロケ場所に行って歩いてみて、「これ行けるんじゃないか」「人の動きをつければ」と。夜の人の少ないときだったので、けっこう順調に2テイクでできました。

―鏡の映像をずらしている場面もありましたね。

あれは中澤さんと編集をやっているときに、思いつきまして「面白いな」と入れました。編集しながらもアイディアが出てくるところが映画の面白いところです。

―映画はキャスティングが半分と聞いたことがありますが、編集もすごく大きいですよね。

特に監督の仕事はそういってもおかしくないですね。編集って映画を磨くことだと思います。磨くとどんどん良くなってていく。

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―キャスティングは、どのように決まっていきましたか?良い俳優さんが集まりましたね。

この映画の企画を持って訪ね歩いているときに、『お盆の弟』『百円の恋』のプロデューサーの狩野善則さんが脚本を気に入って協力してくださいました。そのつながりでまず水橋研二さんにお会いして、まさに主役の剛太だと思い、すぐに出演をお願いしました。水橋さんが出るということで、瀧内公美さんやほかの方も決まっていきました。
3人の中学生はオーディションで決めました。学校で3人が話しているシーンを交替してやってもらって、それぞれの役を決めました。何より良いのは3人とも真面目でまっすぐなんです。それって才能ですね。

―喧嘩のシーンがいっぱいありますが、監督は喧嘩したことは?

僕は不良でもなかったので、そんなに経験ありません。負けた記憶はあります(笑)。

―光貴くんは一人っ子で喧嘩の経験もなさそうなのに、あんなにパンチが入るものですか。剛太くんは百戦錬磨でしょうけど。

大人しい優等生の子のラッキーパンチかな。喧嘩のシーンは殺陣師の方に入っていただいて、リアルな喧嘩をめざしていこうと方向が一致しました。剛太のほうは酒を飲んでだらしない生活をしているし、かけひきは知っているだろうけど、体力が落ちているだろうということで。光貴が若さと体力で振り払い、剛太は膝を強く打ってしまう。それから顎にパンチを食らう。顎にうまく入ると意識を失います。僕も食らったことがあります(笑)。

―みんな「グー」でしたね。(笑)

喧嘩は「グー」ですね(笑)。構えもこうで(ポーズ)。光貴役の大友くんはブルース・リーを意識しているところがあるみたいです。彼はブルース・リー大好きなんです。

―音楽は蓑田峻平さんですが、iPodに入っているお母さんの思い出の曲もそうですか? なんの曲だったのか気になっています。

いえ、違うんです。iPodの曲は踊っている曲とは違うものにしています。

―映画をつくるときには、ラストシーンまできっちり考えてあるものですか?

この作品ではきっちり決めていました。なんでこのラストにしたか、尊敬する先輩たちや市井の人々に捧げる映画であってほしいなと思ったからです。

―剛太くんってだらしないけれど、憎めないですよね。だから幸せになってほしいなと思う気持ちがあのラストまで繋がって、いいところに着地した~と思っています。

ああ、それがうまく行っているのなら映画は成功だと思います。嬉しいです。

―良かったです。ありがとうございました。


=取材を終えて=
取材の前に待ち合わせ場所で監督に会えたので、故郷・福井の美味しいものを教えていただいていました。へしことかソースカツとか。銀座に福井の物産館があって、試写の帰り道なのでよく寄るのです。
おかげで、すっかり口が滑らかになり取材がスムーズに進みました。進みすぎて細かいことを聞く”オタク癖”が出てしまい、帰宅してみたら大事な質問が抜けておりました。恥ずかしながらメールで追加質問させていただきまして、すぐにお返事を頂戴しました。以下感謝とともに付記いたします。(まとめ・写真 白石映子)



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―映像の仕事をするきっかけになった映画は何ですか?(たとえばこんな映画が作りたい)

映画は子供の頃から好きでよく観ていましたが、決定的だったのは社会人になってから観た成瀬巳喜男監督の遺作『乱れ雲』です。
仕事先での昼休み、銀座の歴史ある名画座、並木座が閉館するニュースを見た私は、休日に訪れることを決めました。最終プログラムは「名匠 成瀬巳喜男の世界」。実は私、不勉強で成瀬作品を観たことがなかったんです。そこで観たのが『乱れ雲』。衝撃を受けました。何でこんなに激しく心を揺さぶられたのだろう。それから閉館するまで並木座に通い詰めました。並木座が閉館してもその興奮は収まらず、休日は映画館をはしごするようになりました。そしていつからか、自分が憧れる監督と自分との間に存在する距離に、愕然とした思いを抱くようになったんです。この距離を少しでも詰めるには、映画監督になるしかない。映画監督になる決意を固めて、勤めていた会社を辞めました。

―脚本を書くとき、大事に思っていることは?

脚本を書く時、いろいろ気をつけていることはありますが、大事に思っていることといえば、やっぱりキャラクターの葛藤を描くということでしょうか。主人公だけでなく、映画に登場する主要人物には、必ず葛藤を持たせたいと思って書いています。

―監督として「楽しい現場で」とおっしゃっていました。ほかに気をつけていたことは?

素晴らしい俳優、素晴らしいスタッフが揃っていましたので、いかにいい化学反応を起こせるか、そのことを意識しながら撮影に臨んでいました。
これは後から聞いた話ですが、ロケ場所のバーでのこと、水橋研二さんと瀧内公美さん、自分の出番が終わっても支度部屋には戻らず、二人でコップを洗ったりしながらおしゃべりをしていたとのことです。小さなことかもしれませんけれど、色々なところで化学反応が起きていたんですね。そういった化学反応たちが合わさって、また化学反応を起こす。そうやって映画は出来ていくのかもしれません。

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