『誰がために憲法はある』渡辺美佐子さんインタビュー(2019/4/1)

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<プロフィール>
1932年東京生まれ。俳優座養成所3期生。『ひめゆりの塔』(1953/今井正)でデビュー以後出演作は100本を越える。
1982年より2015年まで井上ひさし作の一人芝居「化粧」に出演。上演回数648回。
1985年原爆朗読劇に参加。中心メンバーとして全国各地を公演、34年目の2019年で最後となる。2018年製作の一人語りの12分の短編『憲法くん』に朗読劇のエピソードを加え、この作品が完成した。
(C)「誰がために憲法はある」製作運動体


「憲法くん」で気がついたこと
松元ヒロさんの舞台を私は見ていませんでしたが、井上ひさしさんや永六輔さんがすごくほめていらしたお話は伺っていました。それで松元さんの台本を読みましたら、わかりやすい言葉で書かれていました。
憲法っていうものを、いつちゃんと読んだのでしょうね。なんとなくわかっている気がしていただけで。国民を導いていくものではあるけれども、それ以上に“国民が選んだ政治をする人たちの暴走を止める”という大事なことがはっきりとわかりました。これは私が驚いたと同じように、みなさんにも「ああ、そうだったんだ」って気がついていただきたいなと思います。
国民が願っていないにも関わらず、政治というものが引っ張っていってしまう。そしてあの悲惨な戦争があったわけですからね。私はいやというほど戦争を知っています。小学校から中学に入学する頃でした。あの戦争をとにかく絶対繰り返したくない、それが全ての出発点です。
この中で憲法くんが「私は、この70年間、たった一度も戦争という名の下で一人も殺していません、一人も殺されていません。それを私は誇りに思っています」って言うんです。この言葉を自分で言いたいと思いました。
最初は「憲法くん」を映画にするお話でした。仕事の合間に朗読劇のお話をしましたら、監督が「それは撮らなきゃ!」っておっしゃって。それからその夏の公演にずーっとついて、岡山、広島と撮ってくださいました。

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原爆朗読劇
地人会の木村光一さんが発案なさった「この子たちの夏〜1945・ヒロシマ ナガサキ〜」が始まりです。原爆で亡くなった大勢の子どもたちのお母さんの手記を主に、原爆詩人の詩が加わっています。お母さんの年齢の40~50代の女優を集めて1985年から始めました。
最初の旅が広島と長崎だったんです。みんな緊張してしまいました。まだ被爆者の方、その家族の方々もたくさんいらっしゃいました。
そんな中で私たちが読むこと、もう一度呼び起こすっていったいどういうことなんだろうかとすごく恐ろしかったです。
でもその後で、聞いてくださった被爆者の方が「今までは被爆者であることをずっと秘密にして、絶対喋りませんでした。お話を聞いて、経験した者がちゃんと声に出して伝えなきゃいけないんだって思いました」と言ってくださいました。それがすごく励みになりました。それから22年間毎夏全国各地で上演してきました。
2007年に地人会は解散することになりましたが、ここでやめてしまうのはあまりにもったいない。もう少し続けようと、女優たちだけでお金を出し合い2008年3月「夏の会」を立ち上げました。みんな女優ですから何も知らないし、何もできないんです。まず本を作ることから始まって、製作や売り込みだとか慣れないことばっかりでしたから大変でした。

子どもたちと共に
「この子たちの夏」は子どもを失ったお母さんの手記が中心、「夏の雲は忘れない」は、子どもたちに焦点を合わせました。原爆で両親を失った子どもたち、孤児になった子どもたちが大勢いました。そのようすを「孤児とは思えないほどこの子たちは明るい。でもその心の奥に深い悲しみを持っている。だからこの子たちに音楽をうんと楽しませてやりたい」と先生が書いていました。「げんばくがふってきて、ひるがよるになった。にんげんはおばけになった」これは5歳の子どもの言葉です。
「日本の原爆記録」(図書センター刊)という厚い本が20巻あります。その中に子どもたちが遺した最後の言葉が集められています。殆どの子どもたちはその場で亡くなっているんです。辛うじて家族のもとに帰り、お母さんに看取ってもらえて亡くなった子ってほんとに少ない。子どもの最後の言葉は全部で75くらいしか集められませんでした。

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「夏の会」で各地に呼ばれていくと、そのご当地の小学生、中学生、高校生の5人と必ず一緒に舞台に上がり、一緒に読むようにしました。
傷ついた子どもたちが言った最後の言葉で一番多いのは「おかあちゃん」です。次が「天皇陛下万歳」。両方言って死んでいく子どもたちもいました。子どもたちから「こんな怖い話いやだ。怖い!」っていうふうに拒否されないか、って心配でした。終わってから交流会で、一緒に読んでくれた子どもたち、それを聞きに来てくれた子どもたちの感想で一番嬉しいのは「今、自分たちが家族と一緒にご飯を食べたり、友達とじゃれあったり、勉強したり、野球したり、何でもないことがすごく大事なんだなぁって思った」と言ってくれることです。平和の原点ってそういうあたりまえの生活ができるっていうことですから、そこに気がついてくれることがすごく有難い。自分たちの生活が有無を言わさず奪われないように、これからも平和を大事にしなきゃいけないなと思ってくれれば。それが私たちの願いです。

続けられたのは初恋の人のおかげ
平和を願う気持ちが強かったのはもちろんですが、私の場合は、広島に疎開して亡くなった幼馴染の水永龍男(みずながたつお)くんが引っ張っていてくれたと思っています。龍男くんが爆心地近くで亡くなったとわかったのはあの日から35年も経ってからでした。テレビの小川宏ショーの対面コーナーに、龍男くんのご両親が出演して下さって消息を知りました。私の生き方がぐんと変わりましたね。龍男くんがいなかったらこの朗読劇に参加していたか、こんなに長く続けられたかどうかわかりません。
「夏の会」は18人の女優だけで始めましたが、今は亡くなった方、病気の方がいて、実際に動けるのは11人です。続けていきたい気持ちは、 みんなあったのですけれども、やっぱり年には勝てない。殆ど後期高齢者ですから。90歳になられた方もいますし、ちょっともう頑張りきれません。こういう映画ができて、私たちがやめてしまっても後に伝えて、いろんな方に観ていただけると嬉しいです。

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これからご覧になるみなさまへ
『憲法くん』と朗読劇が一緒になるというのは、私たちにとって予想外のことだったんですけれども、考えてみれば今続いているちょっと危ういけれど「平和を守っていく、守らなきゃいけない」ということでは、目的地は同じなんです。
平和を守ることの大切さ、たくさんの死んでいった子どもたち、家族を失った人たち、そういうみんなの思いを忘れないで、そういう目にあわないようにしたいものです。
(取材:ほりきみき、まとめ・トップ写真:白石映子)  
★本誌102号(2019年 春)より転載

こちらも併せてどうぞ。
井上淳一監督
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松元ヒロさん
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